nonnki

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nonnki

詩を書く人間です。小説もたまに書くかもしれません。 よろしくお願いします🙇‍♀️

第9話

 雪花さんの言葉と、今までの情報を、ゆっくりと咀嚼する。  お父さんがくれた、お母さんの形見のペンダント。  このペンダントは、ただのペンダントではない。  夢憑きの気配がする。  夢憑き……どこかで聞いたことのある言葉。    そこで、ふと思い出す。  このペンダントをあたしにくれたときの、お父さんの言葉。 『これを通して、お母さんも、朱里を守ってくれるはずだ』 「思い、出した」  あたしの呟きに、その場にいた全員があたしを見た。  あたしはペンダントのクラスプを外し、ピンク色の雫型をぎゅっと大切に握って、心の中の真実を少しずつ言葉にしていく。 「実はこのペンダント、元々お母さんのものらしいんです。お母さんは、病気で亡くなってしまいました。まだ小さかったときのことなので、お母さんのことはほとんど覚えてないんですけど」    お母さんのことは、お父さんから聞いた話でしか知らない。  でも、すごく優しくて、時にお茶目で、とても強い人だったと言っていた。  精神的に強いのはもちろん、タイトルも。 「あたしのお母さんのタイトル――夢憑きだった、らしいです」  その場にいる誰もが、目を見開いていた。  唯一、雪花さんが一人、神妙な顔で頷いている。 『納得じゃ。恐らくじゃが、娘の母が亡くなった際、その夢憑きも眠りについたのじゃろう。その依り代が、その首飾りである可能性が高い』 「……つまり、桜庭くんのペンダントには、タイトルが宿っている、そういうことか?」  雪花さんが、再び頷く。  そのやり取りを見ていた白雪所長も「成程」と納得した様子で頷いている。しかし、その顔は険しかった。 「解放軍が飛びつきそうな話ね。そんな代物があるならば、強力なタイトル所持者を生み出すことができる。まさに、これ以上ない研究対象だわ」 「あの『統括者』が自ら出向いたのも、何となく頷けますねぇ。重要なサンプルゆえに、自らが赴き、確実に手にしようとしているわけですかぁ……これは、かなりまずいですねぇ」    花迷さんの口調は、変わらずのんびりとしていた。でも、その声の重みも、温かさも、全然違う。  深刻な状況を表すかのような険しい表情で、さらに続ける。 「恐らく、朱里さんがタイトルを発動したのは、詳しい原因は不明とはいえ、ペンダントに眠る夢憑きを何らかの力の作用で呼び覚ましたからでしょう。つまり彼は、その目で最有力研究対象の効果を見てしまったわけですかぁ……」 「でも、じゃあ。どうして本当の目的を隠して近づいてきたんですかね」 「自分の追っ手……つまり、レンくんを気にしての判断でしょうねぇ。俺たちがそこまで把握していないのを見越して」    先回りをしていた、ということか。  でも、あたしにはまだ、わからないことがひとつある。  それは、花迷さんがちらっと言ったこと。 「解放軍の、真の目的って、何なんですか? とても、魔法の普及のためとは思えないです……」  あたしの言葉に、ああ、と氷剣長官が声を上げる。 「すまない、それを早くに言うべきだった。彼等の真の狙いは恐らく――国家転覆だ」 「国家、転覆……」    そんな、まるでフィクションの世界のようなことを、本当に成そうとしているなんて。  それも、あんな手を使って。  長官は、まっすぐにあたしを見て、さらに続けた。 「詳細も、理由も不明だが、『反政府』を掲げる以上、間違いないだろう。もう彼等は『話し合い』では済まない領域に足を踏み入れている。だから……絶対に、止めねばならない。この国を、国民を、守らなくてはな」 「ええ。そのために、わたくしたち――トゥルーカンパニーがいるのですから」    白雪所長のその言葉を聞いて、あたしはひとつの決心を固めた。  ペンダントを大切に握りしめて、深呼吸をする。   「……あの。あたしから、皆さんにお願いがあります」  そうして、その場にいる全員を見た。  暁場くん、花迷さん、猫さん、白雪所長――そして、氷剣長官。    「あたしを、ここに――トゥルーカンパニーに、置いていただけませんか」  それは、あたしができる精一杯の行動。  お父さんを取り戻すための、唯一残された方法。   「給仕でも、囮にでも! とにかく、何でもします! あたしも、解放軍を追いたいんです! お父さんとの日々を取り戻すために!」  そうだ。  あたしはもう、待つだけなのは、やめる。  これがあたしの、決意だ!  みんなの表情を窺う。  皆、目を見開いて、驚いたようにあたしを見ていた。  やがて、その口元に笑みを携えて、猫さんが言った。 「にゃははっ! アカリ、オマエ、ドキョーあるにゃ! オレ気に入ったにゃっ!」 「ふふっ。俺たちも見習って、気合を入れ直さないといけないですねぇ♪」  猫さんに続いて、花迷さんも、おっとりと微笑み、頷く。  すると、その横にいた暁場くんが、白雪所長と氷剣長官に軽く頭を下げた。   「ヒメさん、長官。オレ、桜庭さんの日常を――お父さんを取り戻す、手伝いがしたい。だから、オレからもお願いします」 「暁場くん……!」  暁場くんに心から感謝しながら、あたしも改めて頭を下げる。  ドキドキしながら、言葉が返ってくるのを待った。  やがて、氷剣長官の笑いと、白雪所長の溜息が聞こえてくる。 「俺の勝ちだな、姫子」 「……悔しいけれど、その通りですわ」 「……?」  勝ち、って、どういうことだろう。  という、あたしの心の声を読み取ったのか、氷剣長官はその優しい視線をあたしに移す。 「実は、君が目覚める前に、君をこれからどうするか、姫子と話し合っていたんだ。俺は元々、君ならばトゥルーカンパニーに相応しいと思っていた。しかし、姫子は反対していたんだ」 「ええ。わたくしたちは、『御伽のアンダーグラウンド』ですもの。危険と常に隣り合わせの此処に、弱い少女を置くべきでないと。でも……わたくしの負けね。貴女は、強いわ」  もしかして、それって――!  白雪所長の言葉の意味を理解したそのとき、彼女はあたしに手を差し伸べる。  暁場くん、花迷さん、猫さん、氷剣長官。  みんながそれぞれの笑顔で、そのときを見守っていた。 「桜庭朱里……いえ、朱里。ようこそ、トゥルーカンパニーへ!」  ここからは、今までの平和はもう約束されない、危険な日々が待っている。  その覚悟を持って、白雪所長の手を取った。 「――はいっ!」    こうして、あたしの新たな日常が始まったのだった。  御伽のアンダーグラウンド――トゥルーカンパニーでの、騒がしい日々が。

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第8話

 何者、か。  あたしはアンタイトルの普通の女子高生だ。  何者、なんて問われても、そうとしか答えられない。  でも――。   「あたし、は……一体、何なんでしょうか」  ずっと、あたしはアンタイトルとして、肩身の狭い日々を送ってきた。  でも、そのあたしが、タイトルを使った、だなんて。  あたしが、何者なのか。  そんなの、こっちが聞きたいくらいだ。  白雪所長は、あたしの言葉に、深いため息を吐いた。 「質問を質問で返さないで頂戴……と、言いたいところだけれど。貴女の気持ちを汲んで、言わないでおいてあげる。ただ、わたくしたちとしては――貴女の正体を、暴く必要があるわ。何が何でも、ね」 「……? それって、あたしが後になってタイトルを持ったかもしれないから、ですか?」 「それもあるわ。でも、一番はそこじゃない。貴女を攫おうとしたその男、確かに自分を『統括者』と名乗ったのね?」  どうして、ここでアイツの名前が?  疑問に思いながらも、頷く。確か、解放軍の代表だとも言っていたはずだ。  すると、今まで話をつまらなそうに聞いていた――というか、欠伸をして眠そうにしていた猫さんがおもむろに口を開く。 「解放軍は、政府へ反感を持つヤツを集めて、ソイツらをこき使ってるにゃ。アンタイトルを攫うのだって、ソイツらにやらせてたクセして、オマエを攫うときは親分自らお出ましにゃんて、ヘンだにゃ」 「えっ?」 「ああ。魔法庁長官として、解放軍問題に向き合ってきた俺でさえ、『統括者』を初めて見た。つまり、桜庭くんの場合は、自ら動かなければいけない理由があった、ということになる。それが分かれば、奴等の思惑も見えてくる筈だ」    魔法庁の長官に、そんなことを言われるなんて。  それはまるで、あたしの存在が、あの解放軍と対峙するための鍵みたいじゃ……。  ――いや、違う。多分、そうなんだ。  あたしが、お父さんを救う、鍵なのかもしれない。  でも。  そうだとしても、今のあたしには……何も、できない。    セーラー服の下から、ペンダントを出して、ぎゅっと握りしめる。  いつもそうしているように、気持ちを何とか落ち着かせたくて。    ステンレス製のチェーンにぶら下がった雫型のチャームは、ちょうど見頃を迎えた桜と同じピンク色。  お父さんがあたしにくれたこのペンダント、元々はお母さんのものだったらしい。  でも、あたしが持っている方がいいって、お父さんは言った。  ペンダントを通して、お母さんも、きっとあたしを守ってくれる。  だから、好きなように生きろ、って――。   「……そのペンダント、桜庭さんの大切なものなんだね」 「えっ?」  顔を上げると、暁場くんがあたしを見ていた。少し表情を緩めた、穏やかな顔で。 「『統括者』が現れたときも、桜庭さん、今みたいに胸元に手を当てていただろ? それは、そのペンダントに触れていたんだね」 「暁場くん、よく見てるね。そうだよ。このペンダントは、お父さんがくれたお守り。あたしの宝物なんだ」 「そう。素敵なお父さんだね」  口元をほころばせた暁場くんに、あたしも笑顔で頷く。  そんな暁場くんとのやり取りを見ていた長官が、真剣な表情で口を開いた。 「桜庭くんのお父上を取り戻すためにも、解放軍の動向を探らねばな」 「ですわね。でも、桜庭朱里というヒントの意味が分からない以上、此方も八方塞がりでしてよ。長官、如何なさるおつもりかしら?」 「ふむ……。ひとまず、『統括者』と対峙したもう一人に、見識を聞くべきか」  長官の言葉の意味が解らず、思わず首を傾げる。  そんなあたしに気づいたのか、暁場くんが言った。 「実は、桜庭さんが倒れた後、長官が助けに来てくれたんだ」 「えっ!? 長官が!? え、でも、長官はここにいるよ?」 「それは、そうなんだけど。長官は、特別なタイトルを持った人なんだ」 「特別な、タイトル?」  聞き返したあたしに、暁場くんは頷く。どういう意味か、と聞く前に、長官がタイトルを宣言する。 「タイトル発動――『雪花』」  次の瞬間、冷たい空気が頬を撫でた。そして、春なのに、ましてや室内にいるのに、雪がはらはらと舞いはじめる。  呆気に取られてその様子を見ていると、だんだん雪の粒が集まって、何かの形を作り始めた。  その形が、人のシルエットと同じであることに気づいたとき、雪の粒の中から一人の女性が現れる。  まるで本物の雪のように、儚げ美しい女性が。 「えっ……えっ!? ひ、人!?」 「ああ、桜庭くんは知らないのだったな。俺のタイトル、『雪花』は、『夢憑き』と呼ばれる種のタイトルでな。夢憑きは、腹の中にいる子の見る夢から一人を選び、選んだ子のタイトルとして、共に生まれてくるんだ」 『その通り♪ 夢憑きは、なかなかその一人を選ばぬゆえ、滅多にお目にかかれないタイトル、という訳じゃ。そして、余は冬樹という主を見つけた夢憑きが一人、雪花じゃ』  “夢憑き“……。  その言葉、どこかで聞いた気がする。  どこで聞いたのかは、思い出せないけれど。聞き覚えのある言葉だった。  なんだかすっきりしない……。  考え込んでいると、ふいに強い冷気を感じた。  驚いて顔を上げると、雪花さんが身を乗り出すような格好で、なぜかあたしをじいっと見ていた。 「あ、あの……?」 『チビ娘よ。その首飾り、何故お主が持っているのじゃ?』 「えっ?」  思いもよらない問いに、素っ頓狂な声を上げる。雪花さんは、未だじいっとあたしを見ていた。 「雪花、桜庭くんのペンダントを知っているのか?」  氷剣長官もまた、雪花さんの行動に驚いた様子だった。  しかし、雪花さんの放った一言は、更に衝撃的なものだった。   『その首飾りは、ただの首飾りではない。―― 夢憑きの気配を感じるのじゃ』

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第7話

「トゥルー、カンパニー……」  暁場くんの言った言葉を繰り返す。  正直、まだ『御伽のアンダーグラウンド』の実在とか、信じられない部分もある。  でも、暁場くんは確かに、あの『解放軍』という、間違いようのない『悪』と闘っていた。  闘う彼と、あの『統括者』を見たことを踏まえると、『御伽のアンダーグラウンド』がカモフラージュの為の噂であって、その正体が実はヒーローであるという話は納得できる。  それに、暁場くんとは知り合ったばかりだけど、こんな嘘を吐くような人だとも思えない。 「なるほど。ってことは、ここって……」 「うん。ここはトゥルーカンパニーの事務所だよ。御伽市内の廃ビルの中のね。そして、ここにいる二人も、オレと同じトゥルーカンパニーの一員で、あなたの仲間だ」  猫耳青年と、眼鏡の男性の二人を見る。あたしの目線に気づいて、二人ともにっと笑って見せた。  そして、暁場くんから話のバトンを受け取るかのように、眼鏡の男性が口を開く。 「申し遅れましたぁ。俺は、トゥルーカンパニーの副所長、花迷澪士と申しますぅ。よろしくお願いしますねぇ、朱里さん♪」 「オレはマオ! ネコって書いて、猫にゃ! アカリ、まずは握手にゃっ!」  そう言って、猫耳青年――猫さんは、手を差し伸べた。あたしは、その手をそっと握って、握手を交わす。  そして、二人に向けて自己紹介をする。 「あたし、桜庭朱里です! もう知っていると思うけれど……」 「ええ。俺たちも、朱里さんを守る仲間ですからねぇ」 「あたしを……。そうだ、あの、あたしを保護しようとしていたんですよね? それって、やっぱり――」 「それは、わたくしたちから説明してあげるわ」  ふと、知らない少女の声が聞こえた。声のした方を見ると、暁場くんたちの座るソファの向こう側、恐らく違う部屋に繋がっているであろうドアが開き、そこに二人の人が立っていた。  一人は、フリルがこれでもかとあしらわれたドレスを纏った、美しい白髪の美少女。そしてもう一人は――どこかで見たことがある男性。  どこで見たんだろう、と記憶を辿るが、なかなか答えが浮かばない。  すると、花迷さんが「あっ」と声を上げた。 「姫様、それに、氷剣長官。お話、終わったんですねぇ」 「ひつるぎ……長官!? それって、もしかして!」 「桜庭くん。目が覚めたんだな、よかった。俺は、氷剣冬樹。魔法庁の長官を務めている者だ」 「や、やっぱり!」  そうだ、何年か前、お父さんと見ていたテレビのニュースで見かけたんだ。  史上最年少で日本の魔法学トップに上り詰めた若き天才、それがこの氷剣冬樹長官だ。  お父さんも、一度会ったことがあって、すごい魔法を使う人だと言っていた、あの。 「む、知ってくれていたんだな。嬉しいよ」 「な、なんでそんな長官がここに……!?」 「それは、長官がこのトゥルーカンパニーを立ち上げ、管理なさっているからよ。あなたの保護を命じたのも、長官なの」  長官の横にいたドレスの少女が、その妖しく煌めく紫の瞳にあたしを映す。  本当に、綺麗な人だ。思わず、見惚れてしまうくらい。  彼女は、こほんとひとつ咳払いをして、優雅に会釈する。 「申し遅れましたわ。わたくしは白雪姫子。ここトゥルーカンパニーの、所長よ」 「えっ? あなたが、所長さん……?」  ヒーロー組織の所長を任されるには、あまりにも可憐で、そしてあまりにも、若いと思った。  そんな驚きを感じたのか、彼女はくすっと笑って見せる。 「意外かしら? こう見えてわたくし、メンバーの中で一番強くってよ?」 「ふんっ、ヒメコがまた見栄張ってるにゃ。一番強いのはオレに決まってるのににゃ」 「猫? 何か言ったかしら? なんだか馬鹿げた妄言が聞こえたけれど」 「も、もう……? に、にゃんだよ! ムズかしい言葉を使うにゃ! このバカ姫!」  白雪さんと猫さんが、ぎゃいのぎゃいのと騒ぎ始める。それは言い合いというより、小競り合いのようだった。  暁場くんは、そんな二人を見て、大きくため息を吐いた。 「ごめん、桜庭さん。二人とも、いっつもこうなんだ」 「う、ううん。その……仲良しなんだね」 「「仲良しじゃないッ!」」 「あ、あはは~……」  やっぱり仲良しじゃん、という言葉は飲み込んだ。火に油を注ぐだけだろうから。  そんな二人の小競り合いは、後ろで苦笑していた氷剣長官の咳払いでようやく落ち着いた。 「話を元に戻そう。どうして桜庭くんを保護することになったか、だったな」 「あ、えっと、はい。やっぱり、あたしがアンタイトルだから、ですか?」 「ああ。解放軍の動向を窺っているうちに、君の名前が挙がったんだ。驚いたよ、ここ御伽市に、まさかアンタイトルがいるとはな」 「うっ……」  思わず顔を顰める。ずっとバレないように秘密を守ってきたのに、まさかこんな形であたしの正体がバレるだなんて。しかも、魔法庁のトップに。 「解放軍は、魔法に対して慎重かつ保守的な我々政府にしびれを切らしているらしい。『魔法を日常に』というスローガンを掲げ、活動していたんだが……今じゃすっかり危険な組織になってしまった」 「アンタイトルに、タイトルを与える手術、とか言ってましたけど。あれは、本当なんですか?」 「ああ。だから、君を保護することにしたんだ。彼等は、たとえアンタイトルが手術を拒否しても、無理やり従わせる。非人道的もいいところだな」  あの防犯カメラの映像を思い出す。確かに、病衣を着た女性が銃を向けられていたところを見ると、こちらに拒否権なんてないのだろう。事実、お父さんはそうして無理やり従わせられている。  また怒りがこみあげてくる。思わず拳を握りしめた。  このまま、あの『統括者』をもう一発殴ってやりたいくらいだ。  ……あれ、あたし、意識がなくなる前に――。 「そ、そうだ! 思い出した! あの、あたし、意識がなくなる前、タイトルを――」 「ええ。レンからの報告で聞いた。こちらも今まさにそれを聞こうと思っていたわ」  所長が、否、全員が、あたしを見ている。  心音が増していくのを感じる。緊張した空気の中で、所長が言った。 「貴女、一体何者なの?」

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第6話

 ――朱里、誰がなんと言おうと、朱里は自慢の子だ。  お父さん。  あたし、そんなにいい子じゃないんだよ。  本当は、一人が嫌で、つらくて。  だから、あたしは、突然いなくなったお父さんを恨んだ。  怖くて、不安で。だから、恨んだ。    でも、お父さんは、もっとつらい思いをしてたんだね。  ごめん、お父さん。    あたし、これからお父さんの為に何ができるだろう。  分からなく、なっちゃったよ。  ***  …………。  ……。    あれ、お父さんは?  さっきまで、傍にいたのに。   「――おとうさ、~ッ!」 「にゃッ、いってェ!」  勢いよく飛び起きたところで、額に激痛が走る。  ひりひりと痛む額を抑えながら、あたし――桜庭朱里は、恐る恐る目を開いた。    そこは――知らない場所だった。  一見すると、会社のオフィスみたいだけど、天井からはシャンデリアが垂れ下がっているし、あたしが横になっていたらしいソファはふかふかのお高そうなソファだし。  オフィスなのか、はたまたお屋敷なのか。数えたらキリがなさそうなミスマッチが、あたしを更に混乱させた。  つい、茫然としていたその時。 「おいッ、オマエ! 急に起き上がるにゃ! 痛いじゃねーか! オレに謝るにゃ!」 「え、あ、ご、ごめんなさい……ってあなた誰!?」  そこにいたのは、知らない人。  猫耳のニット帽に、目立つピンクの髪。綺麗な金色の瞳が特徴的な、整ったその顔をふくらませ、あたしを見ている。  更に混乱していると、どこからか、「あっ」という声がする。  そちらを見ると、またも知らない人。  今度は、艶のある黒髪が綺麗な、背の高い男性だ。黒縁の眼鏡の奥、深緑の瞳は優しく細められ、あたしを映している。   「起きたんですねぇ! よかったぁ。どこか身体に違和感とかはありますかぁ?」 「えっ、と……おでこが痛いです」 「あはは、マオくんがずっと顔を覗き込んでましたし、ぶつかっちゃったんですねぇ。すみませんねぇ」  男性は、長机にそっとお茶を置き、猫耳青年を「こぉら、謝ってくださぁい」と優しく叱った。   「ふんっ、オレ悪くにゃいもん」 「もう、マオくんったら。すみませんねぇ、朱里さん」 「い、いえ。大丈夫です……って、なんであたしの名前を!?」 「オレが説明する」  今度は、聞き覚えのある声が聞こえた。声のした方をみると、そこにはやっぱり彼がいた。 「暁場くん!」 「おはよう、桜庭さん」  暁場くんを見て、ぼんやりとしていた記憶が、鮮明になっていく。  そうだ、あたし、学校の屋上で、あの『統括者』って人に会って――。 「暁場くん、身体は大丈夫なの!? アイツは!? で、ここはどこなの!?」 「落ち着いて、桜庭さん。一から説明するから。とりあえず、座って」 「う、うん……」  暁場くんに促され、混乱しながらも、ふかふかソファに再び腰を沈める。鼓動が早いのは、きっと額が痛いからだけじゃない。  暁場くんは、あたしの向い側のソファに座った。その横に、猫耳の青年。眼鏡の男性は、ソファの横に立ち、穏やかに微笑んでいる。 「まず、この場所と二人について説明する。桜庭さんは、『御伽のアンダーグラウンド』って、聞いたことある?」 「えっ? それって、有名な都市伝説、だよね? なんか、危険な秘密組織が御伽市に存在しているけど、その実態は闇に包まれている、みたいな――」 「そう。実は、俺たちがその『御伽のアンダーグラウンド』の正体なんだ」 「……はい?」  都市伝説の正体が、暁場くんと、この人たち、って……。   「って、いやいやいや。からかわないでよ! そんなワケないって。そもそも、その都市伝説って、超危険な悪党がいるっていうヤツでしょ? 暁場くん、あたしのこと守ってくれたし、ヒーローじゃん!」  あたしの言葉に、三人は顔を見合わせる。少しの間をおいて、猫耳青年と眼鏡の男性が、にんまりと笑った。  暁場くんは、そんな二人に大きくため息を吐いて、続ける。 「……『御伽のアンダーグラウンド』の都市伝説は、ただのカモフラージュなんだ」 「カモフラージュ?」 「もし朱里さんが記者だとして、街を悪から守るヒーローがいたとしたら、記事にしますかぁ? それとも、放っておきますかぁ?」  眼鏡の男性が、のんびりした声を上げる。  あたしが、記者だったら? 「えっと、あたしなら、記事にします。そんなヒーローがいるなら、みんなに知ってほしいし」 「ふふっ、そうですかぁ。でも、ヒーローの存在をみんなが知って、表に出てしまうと、困ることがあるんですぅ」 「困ること?」 「ええ。主にみっつ。ひとつ、ヒーローを追う者が現れると、一般市民が巻き込まれる可能性があること。ふたつ、ヒーローの情報を、敵側も掴めてしまうこと。そして、敵の恐ろしい計画を、みんなが知ってしまうこと」  なるほど。ヒーローの存在が、表に出てしまうと、不都合がたくさんあるってこと、かな。  眼鏡の男性は、何度か頷き、話を続ける。 「だから、わざと『悪党だ』、という噂を流し、人が寄り付かないようにしたんですよぉ。俺たちが追う悪党は……非常に危険で、恐ろしいから」 「え……。それって、もしかして、」 「うん。桜庭さんの想像通りだと思う。その悪党が――『解放軍』なんだ」    解放軍。  あたしを攫おうとした、あたしのお父さんを無理やり従わせている、あいつら。  きゅっと口を結ぶ。心の底から、怒りが込み上げてくる。そんなあたしに、暁場くんが言った。 「オレたちは、解放軍を壊滅させる為に創られた組織なんだ。『御伽のアンダーグラウンド』の正体は――俺たち、『トゥルーカンパニー』だ」

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第5話

 今、何が起こったんだ?  オレ――暁場レンは、ただただこの状況に困惑していた。    今回のオレたちの任務は、アンタイトル・桜庭朱里の保護だった。  目の前にいる『解放軍』は、魔法の普及を推進する反政府組織。  でも、魔法の普及なんて、謳い文句に過ぎない。解放軍の狙いは、より強固なタイトルを作り出すこと。  アンタイトルを見つけては、彼らにタイトルを組み込む、非人道的な実験や手術を繰り返している。  そんな『解放軍』の思惑を阻止するべく、桜庭朱里を保護する。  それが、今回オレたちトゥルーカンパニーに与えられた任務だったはずだ。    でも……桜庭さんは今、迷うことなくタイトル発動を宣言した。  そして、解放軍のメンバーと思われる、『統括者』を名乗る男を、殴った。  オレの目には、確かに見えた。  『統括者』が咄嗟にタイトルを宣言し、オレに使ったものと同じ赤い光が現れたのを。  そして――、光が吸い込まれるように消えたのを。  タイトルに打ち勝つには、タイトルしかないはずだ。  それはつまり、今、アンタイトルであるはずの桜庭さんが、間違いなくタイトルを発動した、ということになる。 「桜庭さん……今、タイトルを……?」 「え、あ、あれ? ど、して……」  オレの問いかけに、我に返った様子の桜庭さんは、やっぱり困惑しているようだった。  しかし、その数秒後、彼女は急にふらつきはじめる。  そして、何度も瞬きをしながら、消え入るような声を出す。  「限界、かも……」  そう言い残して、彼女は膝から崩れ落ちた。  思わず声を上げ、彼女に駆け寄る。 「桜庭さん、桜庭さん! 聞こえる!?」 「ん……むにゃ……」  息はある。というか……寝ているだけみたいだ。  ほっと安堵するが、同時にまた緊張が走る。 『統括者』が、くすくすと笑いながらこちらへ近づいてきたからだ。 「ふふふっ、はははっ! 実に面白い! まさかこんなに素晴らしい力を秘めているなんて! 本当に後天的にタイトルを……研究のし甲斐がありそうですね」 「ッ、お前に彼女は渡さない……!」 「ふふっ、手負いの君一人で、眠りこける彼女を守りながら逃げ切れるとでも? 君の命を奪ってでも、彼女を手に入れますよ」  思わずごくりと唾を呑んだ。  確かに、くらった攻撃が思ったより重く、タイトルを発動したとしても、逃げ切れるかはわからない。  それに、タイトルは無限に使えるという訳でもない。  でも、諦めるわけにもいかない。考えろ、どうする――! 「――タイトル発動、『雪花』」  突然背後から聞こえた、聴き慣れた低い声。  その次の瞬間、春の麗らかな陽気は消え去り、雪がちらつき始める。  後ろを振り向くと、想像通りの人物がそこにいた。 「氷剣長官!」 「待たせたな、レン。もう大丈夫だ。――雪花!」 『うむ、心得た♪』  長官の言葉に合わせ、透き通った女性の声が聞こえてくる。  すると、長官の目の前で雪の粒が集まっていく。やがて、それは人の形を創っていき、一人の女性が現れた。  雪のように透き通った白い肌。絹のように美しい髪。雪を閉じ込めたような瞳、そして、彼女に纏う氷柱のように鋭く、冷たい冷気。  これが、氷剣長官のタイトル、『雪花』の能力。  現れた彼女は、雪花という名の、いわゆる雪女だ。長官は、この雪花を召喚・憑依させ、氷を操り敵を散らしていく。  雪花のあまりにも強大な能力と、それを用いて繰り出す強力な攻撃こそ、長官が魔法庁の……いや、日本の魔法学のトップたる所以なんだろう。   『ほれ、おチビ共。早く行くのじゃ。ここは余に任せると良い』 「頼んだぞ。レン、走れるか」 「心配無用です! それより、桜庭さんを!」 「ああ、俺が運ぼう。よし、行くぞ!」  桜庭さんを背負った長官と共に、屋上の非常階段を駆け下りていく。  そのまま地上に降り、校舎裏まで走ったところで、見慣れた姿を見つける。 「澪士さん!」 「レンくん、長官。お待ちしておりましたよぉ。周辺にいた解放軍は捕まえて引き渡しておきましたから、ひとまず戻りましょうかぁ。さぁ、乗ってください」  澪士さんは、そう言って後ろに停めてあった黒塗りの車を指さす。魔法庁のマークが貼ってあるところをみると、長官が乗ってきた車だろう。  眠っている桜庭さんを乗せ、長官はその隣に乗り込んだ。オレが助手席へ乗り込むと、澪士さんはにこっと笑って、運転席に乗り込んだ。  やがて、車は動き出し、学校を出た。行先はもちろん、廃ビルにあるトゥルーカンパニーの事務所だ。 「それで……レン。一体、何があったんだ? あの男は何者で、なぜ桜庭くんは眠っている?」 「それ、なんですけど……」  オレは、先の「あり得ない」の連続を二人に話す。 『統括者』と名乗る解放軍代表のこと、桜庭さんのお父さんが解放軍で無理やり研究をさせられている可能性があること、そして……アンタイトルであるはずの桜庭さんが、タイトルを使ったこと。  すべてを話し終えると、しばらくの間、長官も、澪士さんも、黙り込んでしまった。  やがて、しばらく続いた沈黙を、長官が破った。   「……どうやら桜庭くんは、ただのアンタイトルではないらしいな」 「後天的なタイトル習得もそうですが……正体を隠し続けていた解放軍トップが、自ら現れるというのも、謎ですよねぇ……ひとまず、色々と調べないといけないですねぇ」 「はい。桜庭さん本人からも、色々聞かないと、ですね」  澪士さんも、長官も、神妙な顔で頷いた。  桜庭さんを保護できたとはいえ、まだ問題は山積みだ。  ふと後部座席を見る。  長官が長い脚を組んで、何やら考え事をしているようだ。  その隣では、桜庭さんが寝息を立てて眠っていた。  ――桜庭さん。あなたは一体、何者なんだ……? 

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第4話

四話  お父さん。  あたしの、大好きなお父さん。  無意識に、ペンダントをセーラー服の上からぎゅっと握る。  そう、このペンダントは、お父さんがくれた、最後の贈り物だった。  三年前、お父さんは――突然いなくなった。  あたしは、この三年間、ずっとお父さんを待っている。  お父さんが家に帰ってきたとき、「おかえり」ってちゃんと言うために、あたしは嘘をついてまでこの街に留まった。  ずっと、ずっと会いたかったお父さん。 「……お、お父さんの居場所を、知っているの?」 「桜庭さん、ダメだ。惑わされないで……ッ!」 「ええ。知っていますとも。あなたのお父さん――桜庭直樹さんのこと」 「……ッ!」  ああ、お父さんの名前だ。久々に聞いた。  あたしは、どんどん早くなっていく鼓動を何とか落ち着かせようと、ペンダントを手に、少しずつ前に進んでいく。  少しずつ、『統括者』に、近づいていく。 「お父さんは……元気なの? どこで、何をしているの?」 「ふふっ。気になりますか?」 『統括者』の問いに、暁場くんの制止を無視して、何度も頷いた。  お父さんに会いたい。  その一心で。 『統括者』は、不敵な笑みを浮かべながら、真っ白なコートからタブレット端末を取り出した。 「ご覧ください、桜庭朱里さん。今の、君のお父さんです」  もう、夢中で、『統括者』の指示に従った。タブレット端末を覗き込む。  そこに、映っていたのは――。 「これは、防犯カメラ……?」 「ええ。ある研究室の」  そうだ。お父さんの職業は、御伽市での魔法の研究員。今も、魔法の研究をしているのだろうか。  しばらくして、画面の部屋に誰かが入ってくるのが見えた。白衣を着た、男性のように見える。  その後ろ姿、見覚えがある。姿勢のいい、その背中に。  しばらくして、画面に映る男性の顔が、カメラに映る。 「あ……」  それは、間違いなく、お父さんだった。  少しやつれた顔をしている気がするけれど、掛けている眼鏡も、優しい顔も、間違いなく、お父さんだ。 「お父さん……! よかった、生きていたんだ!」 「ええ。元気に研究をしていますよ」 「ど、どこに!? お父さんは、どこで研究を!? まだ、魔法庁の研究室にいるの!?」  そうだ。この防犯カメラの研究室は、一体どこの研究室なんだ。  『統括者』は、クスクスと笑いながら、口を開く。  と、同時に、防犯カメラにもう一人、誰かが映った。  いや……二人いる。  一人は、病衣を着た女性。そしてもう一人は……白衣を着て、病衣の女性に、銃のようなものを向けている。  思考が停止する。固まるあたしに、『統括者』は言った。 「私たちの、解放軍の研究室にいますよ」 「……え?」 「……は?」  いつの間にか一緒にタブレット端末を見ていた暁場くんの声が、シンクロする。  あたしは、その場に凍り付いた。そんなあたしの様子を見て、とても面白いものを見たかのように、ひと際大きい笑い声をあげて、『統括者』は続ける。 「彼は今、私たちの研究施設で、アンタイトルにタイトルを与える手術と、その研究をしてくれていますよ。ふふっ、桜庭朱里さん。君は本当に愛されていますね。彼、君の名前を出した途端、大人しく我々に従ってくれましたから」 「そ、んな……」 「でも大丈夫。我々と一緒に来ていただければ、また二人で過ごすことができますよ。安全は我々が保証しますし、ずっと待っていたお父さんとの生活が叶う。これ以上ない条件でしょう? だから――」 『統括者』の話は、ドカッという音に遮られる。暁場くんの攻撃に違いなかった。  暁場くんは、肩で息をしながら、『統括者』へ攻撃を続ける。 「お前ッ、ふざけるなよ! 人を道具みたいに扱って!」 「道具? 何を仰る。それはもう、大切に、大切に扱っていますよ? 何せ彼は、我が解放軍きっての優秀な研究員ですから。君みたいな部外者が口を出すことでもない、でしょう!」 「ぐあッ!」    『統括者』の反撃に、暁場くんは再び地面に足を着いた。それでも彼は立ち上がる。    ……あたしは、どうだろう。  お父さんが、アイツに無理やり利用させられているとも知らずに、急にいなくなったお父さんを、恨んだことさえあった。お父さんがそんな状況なのに、あたしは平凡な日々を過ごして。  お父さん、ごめん。あたしがいたから、無理やり従ったんだよね。  あたしは、なんて。  ――弱いんだろう。  幼い頃にお母さんが亡くなって、お父さんは研究の傍ら、あたしをここまで育ててくれた。  お父さんは、あたしを今でも護ってくれている。  ――だったら。 「……あたしの、番だ」  あたしは、ゆっくり、ゆっくり、『統括者』の方へ歩き出した。  暁場くんが、何かを叫んでいる。  それを無視して、進む。  笑顔で手を差し出す『統括者』。  そして、あたしは覚悟を決める。 「あたしは……あんたを、絶ッ対に、許さないんだからぁぁぁッ!!」  自分の、出せる限りの力を。  あたしの、大切な人の為に。  もう、何もせず待つのはやめる。  この手で、必ず、守る! 「タイトル発動ッ!」  気づいたら、そう口走っていた。目の前の『統括者』が目を見開いたのが分かった。  あたしは、頭の中に浮かんだ言葉を、全力で、叫ぶ――! 「『櫻雅ッ!!』」    そして、拳を握り、前に出す。相手も、タイトルを宣言する。  が、あたしは止まらない。  そのまま、拳を押し込む!  ……。  …………。   「……あ、れ?」    気づいたら、全員が、ぽかんとした顔で、あたしを見ていた。  多分、あたしも同じ。  ぽかんとした顔をしていた、と思う。   「桜庭さん……今、タイトルを……?」 「え、あ、あれ? ど、して……」  急に、眠気が襲ってくる。  目の前が、歪む。  暁場くんが、何かを言っているけれど、眠い。  もう、眠くて、眠くて。 「限界、かも……」  目の前が真っ暗になった。  そこで、あたしの意識は、途切れた――。

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第3話

「タイトルが、欲しいと思ったこと……」  思いがけない問いかけに、ただ言われた言葉を繰り返すことしかできなかった。  もう頭の中がぐちゃぐちゃで、理解がまるで追いつかない。  なぜ、この『統括者』はあたしの名前を――あたしが、アンタイトルであることを、知っているんだ。  そして、「タイトルが欲しいと思ったことはないか」、なんて……。  しかし、あたしが何か答える前に、あたしを隠すように立っていた暁場くんが「ダメだ!」と叫び、あたしに振り向いた。 「ダメだ、桜庭さん! アイツの話を聞いちゃいけない!」 「え、ど、どういうこと?」 「おやおや。五月蠅い人ですねえ。君もまた政府の犬、ですか」    ――政府の、犬?  どういう意味、なんて聞く前に『統括者』は高いヒールでコツ、コツとコンクリートを叩きながら、こちらへ近づいてきた。  怖いくらい穏やかな笑みのまま、コツ、コツ、コツと――。   「桜庭朱里さん。あなたの苦労はとてもよく分かります。タイトルを持たないというだけで、周囲から切り離されていく孤独……さぞお辛かったでしょうに」 「……ッ!」 「桜庭さん、聞かないで! くそ……ッ、タイトル発動! 『赤い靴』!」  暁場くんの宣言の後、彼を赤い光が包み込む。  かと思えば、その光の中からすごいスピードで暁場くんが姿を現した。  彼は、そのまま『統括者』に急接近し、その脚を振るう――! 「たぁッ!」 「おっと」    しかし、その強烈な蹴りを『統括者』は片手で受け止めた。  そして、体勢を整えようとする暁場くんの隙を突き、不敵に微笑む。 「タイトル発動、『オスティナート』」  その瞬間、暁場くんが宣言したときと同じように赤い光が辺りを包んだ。その眩しさに思わず目を瞑る。  そして、小さな叫びと共にどさっという音がした。  目を開けると、暁場くんが屋上のフェンスに打ち付けられている――! 「暁場くんッ!」 「ぅ……ッ」    堪らず彼の元に駆け寄る。  よかった、辛そうな顔をしているが、幸い意識はある。  安堵したのもつかの間、また、コツ、コツと足音が迫ってくる。  でも、これで分かった。暁場くんの言うように、あの『統括者』は危険人物に違いない。  迫る彼を睨み、精一杯の威嚇をする。しかし、あたしの鋭い視線など気にすることさえなく、彼はまた話を始めた。 「いかがです? これ以上彼を危険に晒したくないならば、私と一緒に来ませんか?」 「あ、あたしを連れて何をするっていうの!? どうして、あたしの名前と、アンタイトルであることを知っているの!?」 「おや、まだわかりませんか? 君が欲しくて調べたからです。私は、君がアンタイトルだからこそ、君が欲しかったんです」 「は……?」  意味が解らない。アンタイトルだから? あたしを調べたって? あたしが欲しいって、どういうこと?  『統括者』は、なおも不敵に微笑みながら続ける。 「我々は『解放軍』。魔法の有無で国民を差別する政府に反旗を翻し、魔法が日常になる世界を夢見る者です。そのためには、この世界からアンタイトルを無くす必要がある。そう、君にも――私たちが、タイトルを授けてあげましょう」  タイトルを、授ける――?  いや。そんなこと、できるの?  だって、タイトルはすべてが先天性のもののはずだ。  そんなの、できっこないじゃん。  しかし、『統括者』は、そんなあたしの心を読んだかのように、クスクスと笑い始める。 「そんなこと、できっこないと? ふふっ、できるんです。私たちの研究の成果でね。アンタイトルに、タイトルを与える手術が可能なんですよ」 「ッ、惑わされないで! こいつ等は、あなたを実験体にするつもりだ……ッ」    暁場くんは、苦しそうにしながらも、なおも『統括者』の言葉を否定する。  しかし、彼の心配は元より不要。  なぜなら、あたしは――。 「……あたし、大好きなお父さんがいるんだ」 「……?」 「尊敬する、大好きなお父さん。お父さんは、アンタイトルのあたしに、いっつもこう言ってくれた。アンタイトル、それがあたしの個性なんだって。タイトルなんか無くても、あたしはあたしの良さがあるんだって!」  お父さん。大好きなお父さん。  あたしは、お父さんの言葉を忘れることなく、ずっとこの街で生きてきた。  あたしは、アンタイトルだ。でも、決して誰かに劣っているわけじゃない。  きっと、あたしにしかできない、何かがあるんだって、ずっと、そう信じてる。  だから――! 「確かに、アンタイトルであることを不満に思ったことはある。でも、あたしはお父さんの言葉を信じる。だから、タイトルなんかいらない。あなたには、絶ッ対、ついていかないから!」  強く、心を込めて、あたしは宣言した。  大好きなお父さんを思って、笑顔で。  そんなあたしに、少し驚いたように目を開いた『統括者』。  しかし、彼はまた、どこか恐ろしい笑顔を浮かべ、「そうですか」と呟いた。 「残念です。桜庭朱里さん。私ならば、君の願い、叶えて差し上げられるのに」 「言ったでしょ。あたしはタイトルなんて望まない。だから、あなたにはついていかない」 「ええ、そのようですね。君の望みはタイトルではない。しかし、ひとつ、君には絶対に叶えたい願いがある。そうでしょう?」 「…………え?」  心臓が、どくんとひと際大きく動いた。  あたしの、絶対に叶えたい願い。  その言葉に、大きな心当たりがあったから。 「私と一緒に来てくださるなら、お約束しましょう。君の大好きな、お父さんとの再会を、ね」

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第3話

「タイトルが、欲しいと思ったこと……」  思いがけない問いかけに、ただ言われた言葉を繰り返すことしかできなかった。  もう頭の中がぐちゃぐちゃで、理解がまるで追いつかない。  なぜ、この『統括者』はあたしの名前を――あたしが、アンタイトルであることを、知っているんだ。  そして、「タイトルが欲しいと思ったことはないか」、なんて……。  しかし、あたしが何か答える前に、あたしを隠すように立っていた暁場くんが「ダメだ!」と叫び、あたしに振り向いた。 「ダメだ、桜庭さん! アイツの話を聞いちゃいけない!」 「え、ど、どういうこと?」 「おやおや。五月蠅い人ですねえ。君もまた政府の犬、ですか」    ――政府の、犬?  どういう意味、なんて聞く前に『統括者』は高いヒールでコツ、コツとコンクリートを叩きながら、こちらへ近づいてきた。  怖いくらい穏やかな笑みのまま、コツ、コツ、コツと――。   「桜庭朱里さん。あなたの苦労はとてもよく分かります。タイトルを持たないというだけで、周囲から切り離されていく孤独……さぞお辛かったでしょうに」 「……ッ!」 「桜庭さん、聞かないで! くそ……ッ、タイトル発動! 『赤い靴』!」  暁場くんの宣言の後、彼を赤い光が包み込む。  かと思えば、その光の中からすごいスピードで暁場くんが姿を現した。  彼は、そのまま『統括者』に急接近し、その脚を振るう――! 「たぁッ!」 「おっと」    しかし、その強烈な蹴りを『統括者』は片手で受け止めた。  そして、体勢を整えようとする暁場くんの隙を突き、不敵に微笑む。 「タイトル発動、『オスティナート』」  その瞬間、暁場くんが宣言したときと同じように赤い光が辺りを包んだ。その眩しさに思わず目を瞑る。  そして、小さな叫びと共にどさっという音がした。  目を開けると、暁場くんが屋上のフェンスに打ち付けられている――! 「暁場くんッ!」 「ぅ……ッ」    堪らず彼の元に駆け寄る。  よかった、辛そうな顔をしているが、幸い意識はある。  安堵したのもつかの間、また、コツ、コツと足音が迫ってくる。  でも、これで分かった。暁場くんの言うように、あの『統括者』は危険人物に違いない。  迫る彼を睨み、精一杯の威嚇をする。しかし、あたしの鋭い視線など気にすることさえなく、彼はまた話を始めた。 「いかかです? これ以上彼を危険に晒したくないならば、私と一緒に来ませんか?」 「あ、あたしを連れて何をするっていうの!? どうして、あたしの名前と、アンタイトルであることを知っているの!?」 「おや、まだわかりませんか? 君が欲しくて調べたからです。私は、君がアンタイトルだからこそ、君が欲しかったんです」 「は……?」  意味が解らない。アンタイトルだから? あたしを調べたって? あたしが欲しいって、どういうこと?  『統括者』は、なおも不敵に微笑みながら続ける。 「我々は『解放軍』。魔法の有無で国民を差別する政府に反旗を翻し、魔法が日常になる世界を夢見る者です。そのためには、この世界からアンタイトルを無くす必要がある。そう、君にも――私たちが、タイトルを授けてあげましょう」  タイトルを、授ける――?  いや。そんなこと、できるの?  だって、タイトルはすべてが先天性のもののはずだ。  そんなの、できっこないじゃん。  しかし、『統括者』は、そんなあたしの心を読んだかのように、クスクスと笑い始める。 「そんなこと、できっこないと? ふふっ、できるんです。私たちの研究の成果でね。アンタイトルに、タイトルを与える手術が可能なんですよ」 「ッ、惑わされないで! こいつ等は、あなたを実験体にするつもりだ……ッ」    暁場くんは、苦しそうにしながらも、なおも『統括者』の言葉を否定する。  しかし、彼の心配は元より不要。  なぜなら、あたしは――。 「……あたし、大好きなお父さんがいるんだ」 「……?」 「尊敬する、大好きなお父さん。お父さんは、アンタイトルのあたしに、いっつもこう言ってくれた。アンタイトル、それがあたしの個性なんだって。タイトルなんか無くても、あたしはあたしの良さがあるんだって!」  お父さん。大好きなお父さん。  あたしは、お父さんの言葉を忘れることなく、ずっとこの街で生きてきた。  あたしは、アンタイトルだ。でも、決して誰かに劣っているわけじゃない。  きっと、あたしにしかできない、何かがあるんだって、ずっと、そう信じてる。  だから――! 「確かに、アンタイトルであることを不満に思ったことはある。でも、あたしはお父さんの言葉を信じる。だから、タイトルなんかいらない。あなたには、絶ッ対、ついていかないから!」  強く、心を込めて、あたしは宣言した。  大好きなお父さんを思って、笑顔で。  そんなあたしに、少し驚いたように目を開いた『統括者』。  しかし、彼はまた、どこか恐ろしい笑顔を浮かべ、「そうですか」と呟いた。 「残念です。桜庭朱里さん。私ならば、君の願い、叶えて差し上げられるのに」 「言ったでしょ。あたしはタイトルなんて望まない。だから、あなたにはついていかない」 「ええ、そのようですね。君の望みはタイトルではない。しかし、ひとつ、君には絶対に叶えたい願いがある。そうでしょう?」 「…………え?」  心臓が、どくんとひと際大きく動いた。  あたしの、絶対に叶えたい願い。  その言葉に、大きな心当たりがあったから。 「私と一緒に来てくださるなら、お約束しましょう。君の大好きな、お父さんとの再会を、ね」

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第2話

「――では、これでホームルームを終わりにするぞー」    担任の百瀬先生が、キレのない、のんびりとした口調で、ホームルームの終わりを告げる。  きっと、今の今まで、クラスの誰もが先生の話を右から左に流していたに違いない。  しかし、「終わり」という言葉が聞こえた瞬間、生徒一同、眠りから目覚めたようにはっと目を見開いた。  そして、先生の口から次の言葉が出るのを、今か今かと待ち望み、全意識を前に向けていた。    おそらく、彼等――いや、主に彼女等のお目当ては、転校生の暁場くんだろう。  早く声を掛けたくてうずうずしていたに違いない。  事実、あたしがメモを取りつつふと顔を上げたとき、女子生徒の多くは彼の方を見ていた。  男子生徒とて例外ではない。彼がどんな人物なのか気になっているように見てとれる。    あたしもそう。暁場くんが気になっている。  いや、決して恋愛的に気になっているわけではない。彼があたしの名前を知っていた理由が気になっていただけだ。  何度思い返しても、自分の名を名乗った記憶がないし、どこかで会った記憶もない。  では、どうして?  「きりーつ」  先生の気の抜けた号令ではっと我に返り、慌てて立ち上がる。続く「れーい」に合わせて頭を下げた。  号令が終わると、周囲はわいのわいのと盛り上がりを見せる。  そしてその中心となっていたのが、案の定、暁場くんの席周辺だった。 「暁場くん! よろしくね!」 「ねえ、暁場くんってどこから来たの?」 「暁場~、今日カラオケとかどう? 親睦会しようぜ!」  と、ご覧の通りの大盛り上がり。この輪の中に入る自信などあたしにあるわけがない。名前のことは明日でもいいか。  うん、そうだ。そうしよう。  と、そのときだった。 「……桜庭さん」  どきっとした。  正直、すごくどきっとした。  落ち着いた声に、ではなく。  その声の主が、暁場くんであるに違いなかったから。  顔を上げると、そこにはやっぱり彼がいた。しかも、クラスメイトがモーゼの十戒のごとく壁になっていて、その中心に彼がいた。  どうして。  彼があの質問攻めを押しのけて、どうしてあたしに話しかけるんだ。  暁場くんは、周囲の様子も、あたしの様子も、まったく気にすることなく続けた。 「話がある。俺と一緒に来てほしい」 「……へっ?」  我ながら間抜けな声だった。周囲から起こるどよめき。  ――いや。いやいやいや。なぜ? どうして? ホワイ!? 「え、ええっとぉ~……な、なんで?」 「大事な話がある」 「……はいぃ?」  納得するどころか脳内のクエスチョンマークが大幅に増えるだけ。  いや、大事な話って何!? ここで話せないくらい大事な話なの!?  大勢のクラスメイトからの視線に心音が増すばかりで、黙ったまま、何も答えられない。  ――そうだ、用事があるって言って、ここを乗り切ろう! うん、そうしよう!  と、口を開きかけたその時だった。 「……答えを待っている時間が惜しいんだ」 「え」 「ごめん」 「え、ちょ……ッ!?」  暁場くんは、あたしの手を取り、引っ張って走り出した。教室のざわめきが聞こえるが、あっという間に遠ざかっていく――って、足はっや!  彼は周囲の視線もざわめきも気にせず、そのまま廊下を抜け、階段を駆け上がり、屋上までやってきた。  肩で息をするあたしとは違い、暁場くんは顔色ひとつ変えない。  あたしは、息が整うのを待って、口を開いた。 「ねえ、どういうこと? 大事な話って何? それに、言葉を待っている時間が惜しいって、どういう意味? それから……どうして、あたしの名前、知ってたの?」     彼は、相変わらずクールな顔で、あたしをじっと見ていた。  でも、その深紅の瞳が放つ光が、なんだか以前より真剣で、それでいて鋭く感じる。  やがて、暁場くんは口を開いた。 「突然、ごめん。きっと困惑したと思う。でも、これはオレの仕事であって、あなたを守るためなんだ」 「え……っ?」 「桜庭朱里さん。オレは、あなたを保護するためにこの学校に来たんだ。あなたは、今危険な状況に置かれている。だから、オレと一緒に来てほしい」  ――保護?  さあっと、風があたしの頬を撫でた。その風がやけに冷たくて、まるであたしの不安を煽っているかのようで。  収まったばかりの心音が、またリズムを早め始めた。今額を伝ったのは、冷や汗だろうか。  彼の真剣な眼差しが、あたしの不安を加速させていく。  つい、無意識にごくりと息を呑んだ。 「それって、どういう……」 「おや、一歩遅かったら君に彼女を取られていたわけですか」  あたしの問いに、暁場くんからの答えは返ってこなかった。  代わりに、聞いたことのない男性の声が返ってくる。  あたしが驚くのよりも先に、暁場くんが目を見開いた。  彼は血相を変えて、あたしを背後に隠すようにして立つ。  それはさながら……恐ろしい怪物から、弱者を守るヒーローのよう。    しかしそこにいたのは、怪物でもなんでもない。一人の真っ白な男性だった。  髪色は透き通るような白髪。肌もあり得ないくらい色白で、服装も、頭からつま先まで全部白。  怪物ではないにしろ、彼が異様であることはわかる。きっと、誰が見たって異様だと思うはずだ。  学校の屋上に全く溶け込まない真っ白な男性は、目を細めて、穏やかに微笑んでいる。  怖いくらいに、穏やかな微笑だった。 「だ、誰?」 「……少なくとも、オレたちの味方ではない。そうだろ、解放軍」 「か、解放軍……?」  聴き慣れない言葉、どうも理解できない状況。  戸惑うばかりのあたしを見て、真っ白の男性はクスっと笑った。  そして、言う。 「その通り。私は反政府組織、通称『解放軍』の代表、統括者という者です」 「ッ!? 統括者……?」 「ええ。君の後ろにいるアンタイトル、桜庭朱里さんに用があって参りました」 「……え?」  鼓動が、大きくなる。痛いくらいに、どくどくと脈打つ。  凍り付くあたしを他所に、彼、統括者は、あたしに手を差し伸べてきた。 「桜庭朱里さん。君、タイトルが欲しい、と思ったことはないですか?」

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第1話

 桜の花弁が、心地よい風に運ばれ、空へと舞っている。  此処、御伽市に住む誰もが、春の訪れに歓喜していた。  あたし、桜庭朱里は、すっかり春めいた御伽の街並みを瞳に映し、ショートの金髪を風に靡かせる。  この日は、御伽第一アカデミーの始業式。今日からあたしは、高等部二年生だ。  見慣れた通学路が、いつもより真新しく映るのも、きっと気のせいではないはず。  ふと桜並木を見る。すると、同じく高等部二年生の女子二人が、桜をバックに写真を撮っていた。 「撮るよ~! はい、チーズッ」 「いえ~い!」    ――いいなぁ、友達。  楽しそうに笑う彼女たちを、つい羨望の眼差しで見てしまう。  一人が好きなわけではない。むしろ友達関係に憧れを持っている。  しかし、それでもあたしが友達を作ろうとしないのは、知られてはいけない秘密があるからだ。  それは、あたしが“選ばれなかった人間”であること。    この世界は、ありとあらゆる魔法で溢れている。  そんな魔法のことを人々は「タイトル」と呼ぶ。その個性を一言で表す、魔法の名前の総称から取ったものだ。  タイトルを持つ者が選ばれた人間であるとすると、あたしはその逆。選ばれなかった人間だ。  あたしのようにタイトルを持たない、選ばれなかった人間は、「アンタイトル」と呼ばれる。  では、なぜそれが秘密なのか。    ここ御伽市は、日本の魔法研究・人材育成を効率よく行うために、タイトルを持つ人々を集めた街。  つまり、あたしは本来ならばこの街にいてはいけない人間なんだ。  アンタイトルであることがもし明るみに出てしまえば、きっともう、この街にはいられない。  あたしには、この街にいなければいけない理由があった。  親しい人を持ってしまえば、絶対にボロが出る。嘘を吐くのが苦手なことは、とっくに自覚しているし。  だから、あたしは友達を作ろうとしない。  そうするしか、自分を守る手立てがないのだ。    桜並木を通り過ぎると、見慣れたアカデミーの門が、朱里を待ち構えていた。  ここから先は気が抜けない。  あたしは、セーラー服の下のペンダントに、そっと手を置いた。  これは大切な人がくれたもの。このペンダントに触れると、とても落ち着くんだ。  小さく深呼吸をして、気持ちを整える。  ――よし、行こう。  そう覚悟を決めた、そのときだった。 「ねえ、あの車、見てよ! あのマークって……」 「あ、ほんとだ。魔法庁のマークだね」  どくん、と心臓が跳ね上がる。  背後から聞こえてきた会話が気になったからに他ならない。慌てて周りを見ると、確かに黒塗りの車が一台停まっているのが見えた。その車体に入ったマークは――。  確かに、魔法庁のもの。御伽市を管理する、魔法の管理人の。  まずい。  非常にまずい。  もし、もし、あたしを探していたとしたら……!    あたしは、急いでその場から離れようと、走り出した。  しかし、慌てて走り出したせいで、足がもつれて前につんのめる。  ――しまった、このままじゃ、転ぶ……ッ! 「――タイトル発動、『赤い靴』!」    衝撃を覚悟し、瞳を閉じようとしたところで、聞こえてきた男性の声に、逆に目を見開いた。  アスファルトがどんどん目前に迫るが、途中で降下が止まる。  倒れかけたあたしの腕を、誰かが掴んだからだ。  驚いて後ろを振り返り、また更に驚く。  助けてくれたのが――、まるで『イケメン』という言葉は彼のためにあるのではないか、と思わせられるような、整った容姿の男子生徒だったからだ。  金髪に、赤いインナーカラーの入った、洒落た風貌の彼。炎のように赤い、切れ長の瞳を伏せるその表情から、クールな印象を受ける。  彼は、何食わぬ顔であたしを見て、そして尋ねた。 「大丈夫?」 「な、なんで……?」 「オレのタイトルは、脚力強化だから、すぐ反応できただけ」 「え? あ、そ、そっか……」  あたしの「なんで」は、「なんであなたみたいなイケメンがあたしを助けてくれたの」、だったのだけど……しかしそれを今言うのは野暮だろう。きっと彼は内面までイケメンなんだ。 「と、ともかく、助けてくれてありがとうございました!」 「うん。気を付けてね、桜庭さん」 「あ、はい。じゃ、あたしはこれで!」  手短にお礼を伝え、慌てて走り出す。すぐさまこの場から離れたかったからだ。  しかし彼、本当にイケメンだったな。男子の制服を着ていたってことは、同じ御伽第一アカデミー生ということだろう。この学校にあんなイケメンがいたなんて。    ――あれ、あたし……。いつ名乗ったっけ?    彼は、別れ際、確かに「桜庭さん」とあたしを呼んだ。  どうして、名前を知っていたのだろうか。      ***  その後、無事に始業式を終え、新しいクラス、二年A組へと移動する。  式の最中も、あのイケメン生徒のことが気がかりで集中はできなかったのだけど。  上の空のまま席に着くと、教壇から先生が「静かにしろー」と声を上げた。  教室が静かになったのを確認し、先生は話を始める。    「えー、俺が君たちの担任になった|百瀬《ももせ》だ。それから、新しく転入してきた生徒がいるので、紹介する。おーい、入ってきていいぞー」    すると、先生の合図に合わせて、教室のドアが再び開く。そして、主に女子からどよめきが上がる。  入ってきたのは、赤のインナーカラーが特徴的な金髪に赤い瞳の男子生徒……。  ――そう、彼だった。あの謎のイケメン生徒。  百瀬から渡されたチョークで、黒板に名前を書いていく。その間にも、教室中がざわざわと騒がしかった。  やがてこちらを振り向いた彼。黒板には、小さめの字でこう書かれていた。 『暁場レン』    彼は、ざわめく生徒たちを、あたしを、その紅い瞳に映しながら、無愛想な無表情のまま静かに口を開く。   「……暁場レンです。よろしくお願いします」  そして軽く頭を下げ、すぐに顔を上げる。  惜しみない大きな拍手が響く中、その紅い瞳があたしを捉えているように見えたのは……流石に、気のせい、だと思いたい。  

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