六井 象
6 件の小説【超短編小説】「猫の毛」
夜、仕事を終え家に帰る途中、自販機が目に入った。 そういえば今日はコーヒーを飲んでいない。財布を取り出しつつ自販機に近づく。 すると、自販機に貼り紙が貼られていた。 《こころのきれいなひと半額》 そう書かれている。 そんなことどうやって判断するんだ。そう思っていると、自販機に、聴診器を大げさにしたような器具が取り付けられていることに気づいた。 辺りを見回し誰もいないことを確かめて、その器具を自分の胸にそっと当てた。 五秒後、ブー、とでかい音が鳴った。どうやら心がきれいではなかったらしい。 恥ずかしくて俯いた時、その器具に猫の毛がついていることに気づいた。 けっ。 自販機を蹴って何も買わずに帰った。
【超短編小説】「ピーッ」
テレビを観ていたら、台所から、ピーッ、と音がした。 「ご飯が炊けました」 炊飯器の機械音声が聞こえた。んー、ご飯炊けたか、と思いながらテレビのリモコンを手に取ると、お風呂場から、ピーッ、と音がした。 「お風呂が沸きました」 ご飯とお風呂と、どっちにしようかな、と思っていると、テレビのレコーダーから、ピーッ、と音がした。 「録画を開始しました」 んー、じゃあ、とりあえずお風呂かな、と思って立ち上がると、裏庭の方から、ピーッ、と音がした。 「お義母様を殺しました」 殺人機の音声が聞こえた。 んー、じゃあ、先に祝杯かな。 私は台所へ行った。そこではほかほかのご飯が炊き上がっていた。
【超短編小説】「乱反射」
ビーッ。ビビビ、ビィーッ。 夜明け前、地平線の向こうから、セロハンテープを芯から剥がす音が聞こえてくる。 ほっとする音だ。今日も安心して空を見上げることができる。 やがて、夜明けの時間がやってくる。 カーテンを開け、窓の外を見る。 太陽が昇ってくる。傷だらけの太陽だ。 しかし、その傷は、しっかりとセロハンテープで補修されている。 いびつな光が空を染める。雲が浮かんでいる。雲ももちろんセロハンテープまみれだ。 光が乱反射して空はお祭りみたいだ。 こうして、中古の世界に、今日も新しい朝が来る。 テレビをつける。ニュース番組のアナウンサーが、セロハンテープの製造会社の株価を笑顔で読み上げている。
【超短編小説】「ゆうれい」
町の隅に小さな画材店がある。外観も店内も古ぼけている。 一人の少年が入ってくる。少年は絵の具が並べられている棚の前に立つ。 棚には色とりどりの色々な色の絵の具がある。 少年は棚の隅の一本のチューブを手に取る。そのチューブには「ゆうれい」と印字されている。 少年は蓋を開ける。そしてチューブを軽く握る。 チューブの先端から、透明の絵の具がにゅるりと出てくる。 少年は蓋を閉め、それをレジに持っていく。レジの中にいる店主の老人が少年に声をかける。 「お母さんを描くのかい」 少年は何も答えない。少年は小銭を出す。老人は小銭を受け取り絵の具を袋に詰め、少年に手渡す。 少年は去る。老人はそっと目を閉じる。
【超短編小説】「色とりどり」
入院中のお母さんのお見舞いに行った。 病室のドアを開けようとした時、病室の中から変な音が聞こえてくることに気づいた。 ガサガサ、ガサガサ。 何の音だろう。 扉を開けるとお母さんが眠っているベッドの横に女の人がいて、背中を丸めて何かしている。服装を見ると、看護師さんではないようだ。 「あのー」 と僕が声をかけると女の人は振り向いた。 口の周りに色とりどりの折り紙の欠片がくっついていた。その人はお母さんのベッドに飾られていた千羽鶴を、食べていたのだ。 「何してるんですか」 と僕が尋ねると女の人は、 「見ればわかるでしょう」 と言った。そして僕に近づいてきて、耳元で、 「あなたのお母さん助かるわよ」 と言って病室を出ていった。女の人の息は紙のにおいがした。
【超短編小説】「ありがとう」
眠れない夜、車に乗って、あてもなくドライブをしていた。 コンビニに立ち寄りコーヒーを買って、それを車内で飲んでいる時、ふと死んだ母親のことを思い出した。 会いたい。 私はカーナビの行先検索に「おかあさん」と打ち込んだ。 カーナビが一呼吸置いて、 「ナビを開始します」 とつぶやいた。 コンビニを出て、ナビに従って車を走らせた。 やがて夜明け頃、車は海に着いた。 「ナビを終了します」 カーナビが言った。 車を降りると、砂浜に、死んだ母親が立っているのが見えた。 私は遠くから手を振った。母親が手を振り返した。 駆け寄ろうとすると、朝日がさしてきて、母親はその光に溶けるように消えていった。 私は涙を拭き、車に戻り、カーナビに「ありがとう」と打ち込んだ。 ガソリンスタンドまでの経路が表示された。