故食

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故食

恋愛ものメインでBL/GL/NLなんでも書きます。でも多分大体BL。気が向いた時にポンと置いていきます。普段はpixivとかで二次創作書いてます。

【BL】色眼鏡

 俺の恋人は俺よりも背が高くて、俺よりも細い人だ。 「御幸くーん」  目の前にある細い腰に腕を回す。片腕でも収まってしまいそうな細い腰は、触れれば折れてしまいそうなのに見た目に反して男らしい硬さがある。肉付きの悪い腰に頬を寄せると少し痛いけれど、そこから伝わる体温が俺は好きだった。 「おいおい大我〜、甘えたがりか〜?」  いつもと同じ後輩を揶揄う調子で、だけれど決定的に異なる甘ったるい声が上から降ってくる。ついでに髪を混ぜる掌も。骨ばった指がぐしゃりと髪を混ぜていくのを、瞳を閉じて受け入れる。まるで猫でも可愛がるような仕草だ。きっと俺が猫なら御幸くんの傍にベタベタ張り付くんだろうな。あれ、それなら犬の方がそれっぽいかな。  そんなことを考えていると掌が頭から去っていった。寝そべって腰に抱きついたままで、御幸くんの顔を見上げる。そこには砂糖菓子でも溶かしたみたいなデロデロと甘ったるい顔をした御幸くんがいた。好きが滲み出ている顔だ。俺のことが好きだって顔に書いてある。 「大我はかぁいいなぁ」 「御幸くんの方が可愛い」 「そう?みゆきチャン嬉しい〜!」  わざとおどけた調子で顎に両手を添え、高い声を出す御幸くんはきっと俺の言葉を本気にしていないんだろう。俺は本気で御幸くんのことを可愛いと思っているのに。  御幸くんは可愛い。  一つ年上の先輩らしく振舞ってくれる御幸くん。登下校の時、人通りが少ないところで控えめに掌を差し出してくれる御幸くん。体育の時、グラウンドから窓際の席に座っている俺に向かって大きく手を振ってくれる御幸くん。俺を甘やかす時、少し舌っ足らずになる御幸くん……。  どの一瞬を切り取っても可愛さは損なわれない。御幸くんはきっとカッコイイに分類される顔立ちをしているけれど、俺からすれば御幸くんはいつだって可愛い人だと思う。 「御幸くんは可愛いよ」  もう一度、そう口にする。思っていたよりもずっと真剣味を帯びたものになってしまった。しかし、ここまで連呼してきて今更だが、よくよく考えてみるといくら恋人とはいえ男が男に可愛いと言われるのは気分が良くないかもしれない。  どうしよう、御幸くん嫌そうにしてないかな。御幸くんは優しくて気配り上手だからつい甘えてしまうけれど、少しは俺も気にしなきゃ。だって俺はもう御幸くんの後輩なだけじゃない。後輩兼恋人なのだから。 「……あのなぁ、男に向かって真剣に可愛いなんて言うんじゃないの」 「ごめん、嫌だった?」  御幸くんの腰から手を放して体を起こし、同じ目線の高さで向き合う。背の高い御幸くんだれけど、脚が長いからか座高は俺と同じくらいだった。  御幸くんは片手で顔を覆って、それから溜息をひとつ。 「嫌じゃないから困るんだよ」 「……御幸くん、やっぱり可愛い」  だから可愛いって言うんじゃない!  そう言って俺の髪をまたぐしゃぐしゃと混ぜる御幸くんの耳はちょっと赤かった。やっぱり俺の御幸くんは世界一可愛い。

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【BL】労る

 冬の時期になると、指先から柔らかい花の匂いが立つのが好きだった。  まだ俺と彼が付き合っていた頃、彼は椿の香りがするハンドクリームを使っていた。  自炊ができる彼は、冬場も寒さを理由に面倒くさがる、なんてこともなく料理をする人だったから、手はいつも乾燥していた。それを見かねた俺が、安かったからなんて理由で適当に買ってきたのがそのハンドクリームだったのだ。 「俺、これ使うのか?女っぽくねぇ?」 「せっかく買ってきたんだし使ってよ。手の甲ガサガサよりは、良い香りさせてる方がマシでしょ」  少し困ったようにハンドクリームのチューブを見つめる彼。確かに、買ってきたそれは椿のイラストが可愛らしく描かれた女の子らしいものだったから、そういう可愛らしいものとは縁遠い彼からすれば使うのに抵抗があったのかもしれない。  だからと言って、掌に収まった小さなチューブを見つめたままぼうっとしているのも、いかがなものか。 「もうほら、手出して」  無理矢理に彼の手を取ると、戸惑いの声を上げる彼を無視して、そのままハンドクリームを塗ってやることにした。  乾燥してざらついた肌の上に、やや冷えている為か硬さのあるハンドクリームを一センチほど落とす。そのまま、己の掌の熱で溶かすようにしながら、ハンドクリームを塗りこんでやる。白いクリームの色が分からなくなるまで丁寧に塗りこんでやると、彼は少し照れたように「くすぐったいな」と笑っていた。 「ん、ちゃんと塗れたよ」 「ありがとな、春。……これ、すげぇ椿の匂いするなぁ」  ムラなく綺麗に塗りこみ終わったのを確認して、手を離した。  礼を口にしながらスンスンと自らの手の甲を嗅ぐ彼はなんだか少し面白くて、思わずフフッと笑みをこぼしたことを覚えている。  この一件以来、その日の炊事がすべて終わると彼は俺に手を差し出してハンドクリームを塗らせたっけ。「塗って」の一言もなしに手を差し出してくるものだから、最初はなんのことか分からずに首をかしげたのももう過去の話だ。    あれから四年が経って、あの椿のハンドクリームを使うこともなくなった。俺も多少は料理をするし、冬場は手が乾燥してガサガサになることもある。だけれど、椿の香りのそれを、彼なしに使う気にはなれなかった。匂いというのは、どうにも記憶を呼び起こしてしまうものだから。  手の甲から、あの頃とは違う爽やかなゆずの香りが立つ。いつかこの香りも、好きだと思える日が来るのだろうか。

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【GL】爪先から片想い

 いつだって彼女の指先を彩る、鮮やかな色に目を奪われた。    たまたまゼミで知り合ったその子は、マニキュアを好む子だった。一度も染めたことがないという綺麗な黒髪とは対照的に、彼女の爪先は会うたびに違う色をしていた。先週のゼミの時にはワインレッドと黒の二色。週末に一緒に遊んだ時には紺色のワンピースに合わせてだろうか、スカイブルーだった。  そして今日。何気なしに視界に入れた彼女の爪には、何も塗られていなかった。 「あれ、ヒナちゃん今日ネイルしてないんだ。珍しいね」  手入れはしっかりしてあることがうかがえたが、それでも生来の桜色をしている彼女の指先というのはどうにもしっくりこない。どうしたのだろうか。爪を塗らない理由が、バイトの関係で禁止といったものしか浮かばない私は首を傾げた。彼女のバイト先がネイル禁止などといったルールがないことを、既に私は知っているからだ。  指摘された彼女は、爪先を大切そうに己の手の内に包み込むと口元を緩める。頬を赤く染めて、指先を撫でながら目元を細める。そうして彼女が見せてくれたのは、花が咲いたような笑顔だった。 「今ね、お料理を練習してるの」 「料理?」 「うん。彼氏がお弁当作ってほしいって言ったから。料理するのに、ネイルはちょっとまずいし、しばらく塗らないことにしたの」  そう言って大切そうに自分の指先を撫でる彼女の、なんとまぁ愛らしいことか。元々白魚のような綺麗な肌に、長い指をした彼女は爪を彩っていなくても十分魅力的だ。それでも、あの美しい指先が暫くの間、色を纏うことを止めてしまうというのは、なんだか寂しく思えた。 「そっかぁ。ちょっと寂しいね」 「ゆかりちゃんはいつもネイル褒めてくれたもんね。早くお料理上手くなって、また爪塗れるように頑張るね」  長い黒髪を揺らして笑う彼女の姿に、どうしてだかチクリと胸が痛んだ。    早く彼女の鮮やかな爪先を見たいと思う反面、料理が上手くならなければいいのにと思ってしまった私がいた。

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【BL】星が綺麗な夜の話

 星がよく見える、良い夜だった。  雲一つない夜空には、チラチラと粉砂糖のように星がちりばめられている。あまり視力の良くない俺には、一つ一つの星の美しさというのはあまり分からないが、隣で夜空を見上げている男にはさぞかし美しい星が見えているに違いない。なにせ、男の視力は両目とも2.0なのだから。 「やっぱり、町の明かりがないだけで星の見え方が随分変わりますね」 「そう?なら良かった。友達に天体観測の穴場聞いて回った甲斐があるってもんよ」  ジィッと夜空を見上げたままでそう口にした男の声は弾んでいて、それが本心からの言葉であることがわかる。 そんなにも良いものが見られるものなら、眼鏡のひとつでも持ってくるんだったと早くも後悔し始めたところだった。まぁ、どうせ見るなら星よりも隣で嬉しそうにしている男の横顔だ。白い頬に薄っすら赤が差しているあたり、よほど星の美しさに嬉々としているらしい。腕を伸ばせば届く距離にいる男の顔は、眼鏡なんてなくてもよく見える。  ずっと見上げっぱなしでは首も痛かろうと気を利かせて地面にレジャーシートをひいてやる。寝転がりな、とシートを軽く叩けば男は「ありがとうございます」と少し気恥ずかしそうにしつつゴロリと寝転がった。 「そんなに星、好きだったの」 「そうですね、好きです。簡単に変わらないから、好きです」 「うーん、お前が言うと説得力があるねぇ」  俺も同じように男の隣に寝転がる。レジャーシートをひいたとはいえ、寝心地はあまりよくはない。シート越しに背中に小石が当たっているのがわかる。圧力の関係で地味に痛い。  俺は持ってきていた大きめのリュックから小さめのタオルケットを引っ張り出すと、男の背中にあたる部分に敷いてやった。 「お気遣いは嬉しいんですけど、過保護すぎやしませんか?」 「過保護で結構。大事にさせてよ」 「……じゃあ、大事にされます」  シート越しの小石が背中にめり込むからといってわざわざここまでしてやる必要はないことは俺だってわかっている。だけど、恋人というだけで大事にしてやりたくなるのだ。いつか置いて逝ってしまうことが決まっているなら、なおのこと。  まだ出会って数年でしかないから、実感はない。だけれど、隣に寝転がる男は、俺よりもずっと長寿だという。  俺がおっさんになって、老いさらばえてしまったとしても、きっと隣に寝転がる男にはしわの一つすら刻まれないのだろう。そうして俺が死んで数十年も経てば、俺が隣にいた痕跡すら消えてしまうに違いない。   あぁ、いや。せめてその頃には、男の顔にしわの一つでも増えてくれやしないだろうか。……そうしたら、そのしわとともに俺の存在を記憶に刻んでほしい……だなんて、女々しいだろうか。   「貴方と星を見に来れてよかった」 「本当に上機嫌ね。……俺もお前と来られて良かった。そんなに喜んでくれるとは思ってなかったし」  星を見上げる男の嬉しそうな顔を見られた。それだけで俺にとっては十分満足のいくデートだった。きっとイルミネーションや夜景では、こいつのこんな嬉しそうな顔は引き出せなかっただろうから。  男が夜空に向かって両腕を伸ばしながら、掴めぬ星を掴むようにバラバラと指を折る。そうしてようやく、夜空から目を離して俺のほうを向いた。日本人にしては淡い色味の虹彩が美しくって、つい見とれてしまうのはもはや癖だ。 「星は簡単に変わらない。それってね、斗真さん。星を見上げればいつだって貴方と過ごした今日のことを思い出せるってことなんです。百年先だって、見上げれば星はそこにあるでしょう?……だから星は好きなんです」  ゆっくりとそう口にして、男は微笑んだ。細められた目から覗く淡い色の中、下手くそに笑う俺が小さく映り込んでいた。  百年先なんて、口にするのは簡単だけれど、実際に過ごすには長すぎる時間だ。いや、俺にとっては長すぎるだけで、男からすれば一瞬なのかもしれない。だけれどそんなのは些細なことで、大切なのは百年先も男が俺を想い続けてくれると口にして見せたことの方だ。  百年先、男の隣に俺はいないだろう。それでも男は星を見上げて俺を想ってくれる。今日のことを瞼の裏でなぞる。その姿を想うと、男のことを心底愛おしく思うと同時に、いつか置いて先立って逝く己が恨めしくて仕方がない。 「祐介」  男の名を呼ぶ。髪の合間に指を滑りこませて男の頭を胸元に寄せる。わざわざ敷いてやったタオルケットの上から動かすなんて、と心のどこかで思いつつも抱き寄せずにはいられなかった。  来世は星に生まれたい。男が生きるよりもうんと長い時間を、空から見守るようにして生きられたら。  そんなことを考えながら、男の短い髪を指で梳いた。

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【BL】夏の一幕

 夏休みも中盤に入ってきた8月中旬。  休みの思い出は今のところ、夏期講習と家の手伝いしかない。去年も似たようなものであったし、中学の頃は部活一辺倒であったことを思えば、まだマシなのかもしれない。どちらがより青春していたか、と問われると頭を悩ませるところではあるが、輝人の夏休みはいつもこんなものである。なんともしょっぱいものであった。  だが、今年はそんなしょっぱい夏休みにも、終わりを告げられそうである。 「おはようございまーす」 「おー、はよーっす。なんや快斗、今日は早かったな。来るなら午後からやと思っとったわ」 「いやぁ。昨日、来るときにめっちゃ暑かったから……。炎天下の中を歩くのは、もう勘弁かな」  カランと来店を告げるベルを鳴らして入店してきたのは、黒髪に深い海のような瞳の青年、快斗だった。輝人のクラスメイトでもある彼は、いつものように黒マスクを付けている。  夏場にマスクとは蒸れて過ごせたものではなかろうか、と輝人は毎日思うのだが、今のところ学校内外含め、快斗が黒マスクを外したところはほとんど見ていない。これが俺のトレードマーク、とでも言わんばかりの頑なさだ。そんな快斗の謎のこだわりに、輝人は内心子どもっぽいなと思っていた。夏場くらい、マスクを付けるのをやめればいいのに。  もっと言えば、無理にカラオケに通うこともしなくていいとも思うが、そこは自他ともに認めるカラオケ馬鹿の快斗だ。炎天下だろうが、大雨だろうが、この男は店が開いてさえいれば、間違いなく歌いに来る。輝人としても、店の売り上げが増えるのは良いことだと思うし、何より快斗の来店を心待ちにしているのは輝人自身だ。ぜひとも、暑さに負けず来店してほしい。 「今日はいつもの部屋でええんか?」 「うん」 「時間は?」 「2時間で。飲み物は……ウーロン茶で」 「ん。昨日ほどやないにしても、外暑かったやろ。多めに入れたるわ」 「……いいの?」 「ユイさんはお得意様やから、親父にバレてもそんな怒られんって」  そう言って、ちらりとカウンター横に設置してあるコルクボードに視線をやる。  輝人の父親でもある、このカラオケ屋の店長はイベント事が好きだ。毎月、いくつか曲を選んで、その曲の得点を競うゲームや一定以上の得点を出した客へ割引をするなどのイベントを実施している。そうしたイベントに関係する曲の掲示や、ゲームのランキングが掲示してあるコルクボードには「ユイ」というニックネームの客がよく登場している。曲の得点を競うゲームの上位常連なのだ。  その「ユイ」こそが、結木快斗その人だった。 「ん。じゃあ、ありがたく受けとるね」  輝人の言葉に、快斗は緩く微笑んだ。  釣り目がちの、深い海のような青がじんわりと滲むように弧を描く。喜色が滲んだその表情を可愛らしいと思うのは、惚れた欲目なのだろうなと輝人はどこか冷静に思った。  表情は努めて崩さない。  いくら快斗がクラスメイトで友人とはいえ、輝人は接客中であるし、なにより快斗とは正面切って素直に「可愛い」と伝えられるような関係ではない。今のところ「よく通うカラオケ屋で手伝いをしている、最近仲良くなった友人」というのが関の山だろう。 「今日も高得点、期待しとるで?」 「そんな簡単に言わないでよ。今月、結構な激戦だよ?」 「それでもお前ならやれるやろ。俺はお前の歌聞きながら、課題するわ」 「真面目に店番しろ」  そんな会話を交わしながら、ノートパソコンに入店時間などを入力し終えた輝人は、快斗を部屋まで案内する。快斗も最早勝手知ったる、といった様子ではあったが、この短い時間で交わす会話を快斗も少なからず楽しんでいるようで、部屋へ向かう足取りはゆったりしたものだった。  歌う時間が短くなるのがもったいないからと、必ず後奏カットを入れるくせに、こういう会話には付き合ってくれるのだな。そう思うと、輝人は口角が上がってしまいそうだった。この時ばかりは、表情を隠せるマスクがうらやましいと思う。 「じゃ、この後飲み物持ってくるわ。ほな、ごゆっくりどうぞ~」    輝人の言葉に、快斗は目元を緩めて、ヒラリと手を振った。  輝人が部屋を出てすぐ、背後から音楽が流れ始める。聞き慣れたその歌声に耳を澄ませながら、注文された飲み物を用意するために輝人は厨房の方へと消えた。こんな短い会話だけで満たされるのだから、自分ってやっすい男やなぁなんて思いながら。

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【BL】〇〇HappyWedding!

「俺、結婚することにしたよ」  努めて平坦な声で告げられたその言葉に、瞬きを一つ。  そう口にした彼の左手薬指には、シンプルな指輪が光っていた。装飾がない、細身のリング。おそらく内側に石が埋め込んであるタイプだろう。派手さはないがシンプルさゆえの美しさがあるそれに、彼らしさを感じさせられる。俺の知る彼は、そういうデザインを好む人だったから。  彼の左手から視線を外し、そのまま上へと視線を戻すと随分情けない面をした男の顔があった。眉毛を八の字に下げて下唇を噛むその顔は、とてもじゃないが結婚報告をする男の面には見えない。 「え、なに。結婚、嫌なの?」 「馬鹿、そんなわけあるか。四年も付き合った彼女だぞ。プロポーズだって俺からだよ」 「じゃあなんでそんな顔してるの」  ツンと唇を尖らせてわぁわぁと噛みつく男にそう言ってやると、途端に先ほどの情けない面に戻ってしまった。吠えたと思えば再び情けない面に戻るものだから、こちらも同じような表情を浮かべてしまう。望んだ結婚だというくせに、浮かべる表情はちぐはぐなのだから訳が分からない。  俺の知っている彼は責任感のある男だ。中途半端な気持ちでプロポーズなぞ申し込まないだろう。どちらかというと、気合を入れすぎてから回ってしまうような、そんな男のはずだ。  だからこそ、彼の表情が腑に落ちない。俺の知っている彼ならば、本当に結婚したくて結婚するはずなのに。 「お嫁さんに変な条件でも提示されたの?」 「違う。つか、なんだよ変な条件って」 「えー、なんだろ」  プロポーズは自分から。結婚する、と口にしているということは断られてはいない。そうした条件から考えられそうなことをひとまず口にしてみたものの、あっさりと否定されてしまった。  加えて、自分で言っておいてなんだが、変な条件だなんて思いつかなかった。何なんだろう、変な条件って。毎週金曜日はカレーとか?まぁ、曜日感覚を失わない点ではよいのではないだろうか。それにこの人、カレー好きだし。  いやいや、と脱線した思考を元に戻す。彼女側から何かしら言われたわけではないのだろうか。どうにも思い当たる節がないのだけれど、少なくとも何かしらの原因があって結婚に対して素直に喜びきれないところがあるのだろう。  何だろうと疑問には思うのだが、一応俺はすでに何故と問いかけているし、それならば彼からの答えを待ってしまおう。当てようにも思いつかないし、苦し紛れな予想も的外れだったようだし。  うん、仕方ない。黙って答えを待つことにする。じっと彼の目を見て答えを待つ姿勢を見せるが、男は相変わらずの情けない顔で黙り込むばかりだ。  暇つぶしに男が淹れてくれたコーヒーを啜る。マグカップはあの頃のものとは違う客用のものであるのに、中身は飲みなれた俺好みの甘さだった。 「……お前、俺が結婚してもいいのか」  秒針が一周する頃、ようやく男は口を開いた。今日一番の情けない面で、しかも苦さが滲んだ声でそう言うものだから、俺は少しばかり笑ってしまった。  笑うな!と鋭い声が飛ぶが、無理な話だ。  だって、おかしいでしょう。この男は、四年も前に自分と別れた男が、未だに己にご執心であることに対して気を遣っているらしいのだ。  まったくもって馬鹿な話だ。俺は最初から、気にしなくていいと言っていたのに。 「馬鹿だね、本当に馬鹿」  思わず口に出してしまうほどに、この男の馬鹿さ加減には呆れてしまう。  俺があんたを好きでいることなんて気にしなくていいのに。それこそ、四年も勝手に思い続けているのだから、今更だろう。それとも四年の間、ずっと密かに思っていたのだろうか。だとしても、やっぱり今更だと思う。  そうは言っても気にしてしまうから、この男は馬鹿なのである。俺の一方的な思いをその身に浴び、なんとも言えない顔をする男は、結婚という人生の転機に立った今、どうしても俺という存在を捨て置けなかったのだろう。振り返ったその視線の先、いつまでも男のことを好きでいる俺のことを。 「お前、まだ俺のこと好きなんだろ」 「うん、まぁね。でも気にしなくていいんだって。俺は勝手にあんたのこと好きでいるんだから、あんたも勝手に幸せになればいいんだよ。それでいいんだって」  四年前に別れ話を切り出されたとき、俺は確かにそういったのだ。あんたが誰を選ぼうと、俺はきっとあんたを好きでい続けると。だけれど、そこに責任を感じる必要なんてないのだと。  何度そう言い聞かせても、男は眉根を寄せて視線を逸らすのだ。気まずさやら、ふがいなさでも抱えたような顔をして、黙り込むのだ。  過去は過去と割り切れたらよかったのに、と憐れむような思いで苦笑をこぼす。そうすれば、今更四年も前に別れた男のことなんて気にせずに愛する人と幸せになれるのだから。幸せを目の前にして、今更過去を振り返って何になるというのだ。そこにいるのはうんと前に決別した男一人だというのに。  ……それができない男だから、俺はこの人を好きになったのだけれど。  掌の中に収まっているコーヒーだってそうだ。角砂糖が4つに蜂蜜をひとさじ。そんな面倒くさいレシピ、毎度律義に守ってくれなくていいのに。  だってそうだろう。目の前の男は甘いものが嫌いなのだから。わざわざ俺のために普段使いもしない蜂蜜なんて引っ張り出さなくていいし、砂糖だって別に入っていなくたって、俺も飲めはするのだから。  いい加減に別れた男の好みなんて、忘れてくれていいのに。 「……お前はそれでいいのか」 「いいって言ってるでしょ。それとも何、嫌って言ったら元鞘にでも収まってくれるの?」  あまりのしつこさに声を低くしてそう口にすると、男は今度こそ黙り込んだ。最初から納得した振りでいいから、そうしていればいいのに。変に誠実というか、なんというか。  視線を落として、手元のコーヒーをのぞき込む。黒い水面に俺の顔が映っている。その顔がちゃんと穏やかな表情を浮かべていることに安心した。努めて保っている表情は、ちゃんと自然体のものに見えているようだ。  だって、ねぇ?  変に悲しそうな顔なんて浮かべてしまえば、一方通行でいいだなんて言葉が本当は嘘であることが透けて見えてしまう。 「俺とあんたは四年前に終わった関係なんだから、自分の幸せだけ考えてればいいの。別れた男のことを気がかりにしてたら、結婚生活が破綻しました、なんて俺は嫌だからね。ちゃんと祝福するつもりでいるんだからさ」    まっすぐに男の目を見て、そう告げる。男は泣き出しそうな顔をしながらも、俺の言葉に小さな声でありがとうと返した。それを聞き届けて「よくできました」なんておどけてみせる。  あぁ、俺は上手に笑えているだろうか。自分では笑っているつもりだけれど、変に歪んではいないだろうか。目元がうるんでいたりしないだろうか。どうかそうであったとしても、いいように解釈してくれないか。好きな男が結婚するさまを心底喜んで感極まっているのだと勘違いしてくれないか。  本当は、言いたいことなんて山ほどある。今更俺のことを振り返ってそんな言葉を吐いてみせるなんてどういうつもりだ、とか。変に期待させないでくれ、とか。気にするくらいなら最初から別れるな、とか。そんな恨み言が、山ほど。  本当に好きなのだ。四年前に別れたあの日からずっと、嫌いになれないままここまで来てしまった。いつか諦められるかもしれないと思っていたが、結局自分はどうしようもなく不器用で甘いこの男が好きなのだ。  酷い男だとは思うけれど、そうして四年も己に言い聞かせても嫌いになれなかった。好きでいることを辞められなかった。  いっそ突き放してほしいのに、どこまでも甘い男は今更困ったような顔で「俺のこと、まだ好きなんだろ」なんて口にするのだから、馬鹿にもほどがある。「結婚してもいいのか」なんて。  ……――いいわけあるか。本当は今にも泣き出してしまいたい。四年前のあの日から、この男を前にすると「どうして」と口にしたくてたまらなかった。どうして俺を置いていくのかと。悪いところがあるなら改めるから、俺を置いていかないでくれと泣いて縋りたかった。結局物分かりがよいふりをして頷くしかできなかったけれど、本当はずっと、みっともなく縋ってしまいたかった。……そうしてしまいたいほどに好きだった。いや、好きなのだ。  だけれど、胸の内がどれだけドロドロとした暗い感情に塗れていようとも、俺は笑って祝福してあげたい。薄っぺらに聞こえてしまうだろうけれど、どれだけ好きで恋しくて仕方なくても、彼の幸せは笑って祝いたい。彼が好きだからこそ、その背中を押してやらねばならない。例えその相手が自分でなかったとしても、世界で一番幸せになってほしいと思うのだ。  だから、本当は自分がその指輪の相手になりたかったなんて言葉は、墓まで持っていく。穏やかに笑んで、聖人のようにその幸せを祝ってみせる。 「遅くなったけど、結婚おめでとう」  努めて軽やかに放った言葉は、目の前の男を心底安堵させたようだった。  口の中に残ったコーヒーの余韻が、やけに苦々しく感じられた。

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呑み下す

 彼女と飲む酒は、いつだって不味くて仕方がなかった。  画面の奥から高い笑い声が返る。アルコールのせいか、やや赤らんだ頬を上げては目を細める姿は、少し懐かしさを感じさせた。 『いや、何それ。めっちゃウケる。何してんの?』  未だに笑いが尾を引くのだろう。手の甲を口元に押し当てながらそう言った彼女の声は、楽しそうに震えていた。 「いや俺だってね、まさか酔っ払ってそんなに酒買うと思わなかったわけよ。寝て起きたら、数万円分の酒買った履歴が残ってた俺の気持ち、考えてみ?」 『アハハハ、絶望しかないじゃん!』 「正解〜」  酒の肴に語って聞かせた失敗話は、彼女のツボを的確についたらしい。まだ画面からクスクスと楽しそうな笑い声が聞こえてくる。いやまぁ、今の彼女なら箸が転がっても笑いそうな雰囲気だが。  笑いすぎて息も切れ切れな彼女は、少し呼吸を落ち着けると、再び度数の低いチューハイ缶を煽った。画面の端には同じシリーズの味違いのものが二本並んでいる。  彼女は酒にさして強くない割には、こうして誰かと呑みたがる。酒を飲んだ時にしかできないバカ話が好きなのだと聞かされたのは、二回前のオンライン飲み会の時だったか。 『いやぁ、やっぱ水野と飲むの楽しいな。面白いし、ウケるし、面白いし』 「もうそれ、理由の10割が面白いからじゃん」 『実際面白いんだから仕方なくない?普通、酒でやらかした結果、酒買う??もう次への布石でしかないじゃん』 「いやいや、今日の俺はひと味違うから大丈夫」 『アハハ、フラグじゃん。ウケる』  またケラケラと笑いだした彼女を横目に、ウイスキーを傾ける。彼女の手元にあるものよりも、よほど度数の強いそれは、喉を焼くようにして通り過ぎていく。  酒は好きだ。アルコールで浮かされた頭では、どんなことでも許されるような気がしてくるから。  実際はアルコールを摂取していようといまいと、世の中の善悪の基準は変わらないし、頭の中で考えたことの一割も実行できないのだけれど。    画面の向こうでは、楽しそうに笑う彼女がいる。その薬指に光るシルバーのリングなんて無視して、口説き文句のひとつでも口に出来たなら良かったのに。  出来もしないことをまた考えながら、またウイスキーを煽った。

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