エデン。
5 件の小説『赤ずきんと森の歌』
昔々、小さな村に、赤いフードの少女が住んでいました。みんなは親しみを込めて赤ずきんと呼んでいました。 ある春の日、母親が言いました。 「おばあさんが風邪をひいているの。これを届けてあげてね」 籠には、温かいスープと甘いパン、それから一枚の白い紙が入っていました。母親はそれをそっと赤ずきんに手渡します。 「これはおばあさんにだけ読んでもらう手紙よ。必ず届けてね」 赤ずきんは「はい」と答え、森の小道を歩き出しました。 森は春の息吹で満ちていました。鳥がさえずり、木々が淡い緑を広げています。 そんな中、道端に大きな灰色のオオカミが座っていました。 「こんにちは、小さな赤いの」 驚きはしましたが、赤ずきんは礼儀正しく答えます。 「こんにちは。私はおばあさんにお見舞いを届けに行くの」 オオカミは首をかしげました。 「森を急ぐのもいいが、この森には“歌の道”もある。そこを通ると、花が歌ってくれるんだ」 赤ずきんは胸を躍らせます。 「どこ?」 オオカミは前足で奥の小径を示しました。 その道に入ると、本当に花たちが歌っていました。 小さなスミレは「やあ、春だね」、チューリップは「よく来たね」と囁きます。赤ずきんは花の歌を聞きながら歩き、すっかり時間を忘れてしまいました。 その間に、オオカミは先回りしておばあさんの家へ向かっていました。けれど彼の心は悪意ではありません。 実はおばあさんは、昔オオカミを助けたことがあったのです。凍える夜、倒れていたオオカミを家に入れ、暖炉のそばで温めた。それ以来、彼はおばあさんの見えない友達でした。 おばあさんは布団の中で笑います。 「おや、あんたかい。今日はどうしたの?」 「赤ずきんがこっちに来てる。けど、花たちと遊んでいて遅れてる」 オオカミは優しく笑い、「私が代わりに籠を受け取っておこう」と言います。 おばあさんはうなずき、「じゃあ、びっくりさせてやろうか」と悪戯心を見せました。 そこで二人は計画を立てます。 おばあさんは寝台の中に隠れ、オオカミはおばあさんの服と帽子をかぶり、布団をかぶって待つことに。 やがて赤ずきんが花の道から帰ってきました。扉を開けると、おばあさんらしき姿が布団の中からこちらを見ています。 「おばあさん、なんて大きな耳!」 「おまえの声をよく聞くためさ」 「なんて大きな目!」 「おまえをよく見るためさ」 「なんて大きな口!」 その瞬間、布団がぱっとはね上がり、オオカミが姿を現しました。 赤ずきんは驚きましたが、オオカミは笑って籠を受け取りました。 「これはおばあさんへの贈り物だろう? 道草してたから心配したよ」 その後ろからおばあさんが顔を出し、「驚いたかい?」と声をかけます。赤ずきんは大笑いしました。 おばあさんは籠から白い紙を取り出しました。そこには母からの言葉が綴られていました。 「あなたの優しさは森にも届いています。どうか、昔助けた友を忘れないで」 それを読み、おばあさんは静かにうなずきました。赤ずきんは首を傾げます。 おばあさんは笑い、「このオオカミは、私の古い友達なんだよ」と説明しました。赤ずきんは目を丸くしました。 その日、赤ずきんはおばあさんとオオカミと一緒に夕暮れの森を歩きました。 鳥たちが歌い、花々が眠る準備を始めます。 オオカミは言いました。 「森には危ない道もあるが、歌う道もある。大事なのは、どの道を選んでも心を失わないことだ」 赤ずきんは大きく頷きました。 こうして赤ずきんは、森の友達と優しい秘密を一つ持ち帰りました。 その秘密は、春風と花の歌とともに、ずっと彼女の胸の中で生き続けたのです。
『スイカ時計』
町のはずれに、小さな古い八百屋があった。 そこには、毎年夏になると不思議なスイカが並ぶという噂があった。 そのスイカは、切った瞬間に中身が時計の文字盤のように見え、秒針や長針がゆっくりと動いているというのだ。 ある日、少年のユウはその八百屋に足を運んだ。 目の前には確かに、他のスイカとは違う、青黒く透き通った皮を持つ大きなスイカが置かれていた。 「これが、時間を刻むスイカか……」 ユウは半信半疑で買い求めた。 帰宅して、ナイフを入れると、驚いたことにスイカの中には、金色の文字盤と歯車が鮮明に見えた。 針はゆっくりと動き、スイカの果汁が時を刻む音のように滴り落ちていた。 ユウはスイカの中をのぞき込みながら気づいた。 このスイカの中の時計は、ただの時間を示すだけじゃない。 彼の過去の記憶や、未来の瞬間までも映し出していたのだ。 ひとくちかじるたびに、幼い頃の夏祭りの記憶が鮮やかに蘇る。 また、皮の一部を剥くと、まだ訪れていない未来の出来事がちらりと見えた。 「時間を食べるって、こういうことか……」 ユウは不思議な感覚に包まれた。 スイカの味は甘く、懐かしくて切ない。 でも一度に全部を食べることはできなかった。 なぜなら、このスイカは、彼の人生の大切な瞬間を、少しずつ味わいながら生きていくためのものだったからだ。 その夏、ユウはスイカを分け合うことにした。 友達や家族と一緒に味わうたびに、みんなの時間と記憶が交差し、夏は一瞬で永遠のように変わっていった。 そして秋が来る頃、スイカは全部なくなってしまったけれど、ユウの胸には確かな時間の温もりが残った。 それは、ただのスイカではなく、「時」を食べる体験そのものだったのだ。
『蔓の記憶』
真白(ましろ)は、駅裏の古い路地にある温室を訪れた。 そこには「朝顔屋」という、時期外れの花だけを扱う不思議な店がある。 店主は、無表情の青年だった。名を尋ねても答えない。 代わりに、蔓の絡まる鉢をひとつ差し出してきた。 「この朝顔は、あなたが忘れたい人の記憶を吸います」 真白は笑った。「そんなの、花屋のセールストークでしょ」 けれど、彼女は鉢を受け取った。 その夜、夢を見た。 夢の中で、彼が立っていた。 夏の光の中で笑う、もう二度と会えないはずの人。 でも、その笑顔の輪郭は、朝顔の蔓に絡まれて少しずつ崩れていった。 目が覚めると、鉢には一輪、深い藍色の朝顔が咲いていた。 次の日も、その次の日も、夢は続いた。 彼の声、仕草、触れた手の温度が、花びらに吸い込まれるように薄れていく。 花は毎朝新しく咲くけれど、夕暮れとともに必ずしぼむ。 しぼんだ花は、枯れた記憶そのもののように、触れると崩れて消えた。 一週間後、真白はほとんど彼の顔を思い出せなくなっていた。 それでも、心臓の奥がきゅっと締め付けられる瞬間だけは残っていた。 愛情の絆は切れない、と、誰かが言っていたような気がする。 最後の朝、鉢には一輪も咲いていなかった。 温室へ返しに行くと、青年は初めて微笑んだ。 「これで“はかない恋”は終わりです」 真白は尋ねた。「……じゃあ、この痛みは?」 「それは花には吸えません。絆は目に見えないから」 温室を出ると、路地には真夏の陽射し。 振り返ると、そこにはもう店はなかった。
『優しい足音と空の果実たち』
村では、月がひび割れるたび、 足音の実がぽとぽと落ちてくる。 硬いのは赤いリンゴみたいで、踏むと空が鳴く。 やわらかいのは透きとおった桃のようで、踏むたびに夢のかけらがこぼれる。 その夜、空にできた階段は、 雲じゃなくて眠るクジラの背中だった。 村人は硬いリンゴを持ち、カンカンと背を叩いて登っていく。 僕はやわらかい桃を選び、静かにそっとついていった。 クジラは言った。 「もっと強く、踏んでくれないと眠れない」 硬い音は背中を削りながら響いたけど、 僕の足音は草を芽吹かせるだけだった。 階段の先に見えたのは、逆さに浮かぶ果実の市。 そこには雷の音、雪の音、嘘の音さえも売っていた。 硬い足音は空を削り、形を変えたけど、 風に吹かれてすぐ消えてしまった。 残ったのは、クジラの背中の草原と、 そこでひっそり咲いた一輪の花だけ。 やさしい足音の種から生まれたその花は、 誰にも聞こえずとも、ずっと揺れていた。
「深海魚」
真っ暗な世界に迷い込んだ。 そこにいる生き物たちは、まるで光を知らない。 私はここにいていいの? 私は生きてていいの? 今まで自分がいた世界とは真反対。 道のない道を進む。 辺りを見渡すと初めて見る生き物ばかりだ。 見たことない姿形をしている。 時間が経つにつれてだんだん息が苦しく押し潰されそうになる。 このままでは星になってしまいそうだ。 そんな時、声が聞こえた気がした。 “自分らしくあれ” “どんな形でも生きろ” 気がつくと私は別の生き物になっていた。 受け入れるのにかなりの時間がかかった。 こうなったのには何か理由があるのだろう。 そう自分に言い聞かせた。 “化け物になってもいい” “逃げてもいい” また声が聞こえた。 そうか、思い出した。 それは以前、母が私にかけた言葉だった。 どんな形でも絶対生きる。 価値のない命なんてひとつも無い。 そう教えてくれたのだ。 たとえ元の世界に帰れなくとも生きていく。 私はそう決めたのだった。