晴薪
10 件の小説気分を上げるために
春休みに入って特に用事もなく、 一週間が過ぎようとしていた。 普段はやらないネイルを足に塗ってみたりした。 母から借りたそれは私の好きな色とは真逆の色。 「私には似合わない色。」と、ぽつり独り言を溢した。 これでは自慢の白い肌がなぜか黒く見えてしまう。 少し変わろうと決意してやったのに。 真っ赤なネイルを塗ってみたい。 逆に浮いてしまうかな。 でも自分の足なんて家族以外の誰にも見られないし。 ぐずぐず考えているうちに少しずつだが気に入ってきた。 こうして少しずつ自分を好きになっていけばいい。
花も枯れる頃に
私が人を好きになって、 微炭酸のように淡い恋をして、 愛を知って、愛を取りこぼしたのはいつだっけ。 春は嫌いだ。 私が恋をしたのは桜の下だった。 ぶかぶかの制服を着たあなたによく似合う季節だから。 彼には5年恋をした。 彼とは4年付き合った。 告白したのは私からだっけ。 月が綺麗ですね、なんて 月も出きっていない夕方に告白して。 彼と別れる時の彼の表情は、 なぜか怒ってたな。 私から別れを切り出した。 付き合ってから、 名前を呼んでくれたのは一度だけ。 手を繋いだのは、 王様ゲームなんて悪ふざけの一回だけ。 そういえば、付き合いだしてから 彼は変わったな。 私が生きてきた中で これ以上の人はいないと、 絶対に手放したくないと思ったのは あなただけだった。 私があなたを離したのは、 私といるせいで変わっていくあなたを見て、 私じゃダメだって思ったから。 私今でもあなたを忘れられない。 優しくて、可愛くて、かっこいくて。 だから独占欲強いって言われちゃうのかな。 私、寂しいよ。 咲き誇った桜が散ってしまうのが寂しいの。 あなたがもうそばにいないことも、 桜が咲き誇っている間はあなたを忘れられないことも。 その全てが寂しいの。 私が忘れたくても、あなたはもう忘れてるかもしれない。 桜の花が枯れる頃には、私はあなたを忘れられてるのかな。
ないものねだり
私が羨ましい、 と思う時は大抵周りが見えなくなっている時である。 この話は、他人と比べてしまう人にオススメしたい。 羨ましいとは、他人の能力や状態を見た時にその他人に対して自分もそうだったらいいのにと願う、または妬ましく思うことを指す。 例を挙げてみる。 ・ある一方はお金に恵まれているが、 人間関係に恵まれていない。 ・ある一方は人間関係に恵まれているが、 お金に恵まれていない。 両者が相手を良く思っていなければ お互いに相手を羨み、 悪化まですると妬んで関係を拒んでいくだろう。 前者が後者に対して文句を言うなら、 「あいつは頼られ尊敬される人なのに不幸せだという」などと。 後者が前者に対して文句を言うなら、 「あの子はお金があって幸せなのに不幸な顔をする」など。 冷静な人や、勘の鋭い人はここで気づくだろう。 何かが抜けてはいないか? では気づかなかった人のために抜けているものを挙げる。 こうは思わないだろうか? ある一部の人間はお金にも人間関係にも恵まれている。 またはお金にも人間関係にも両方にも“恵まれない” 人間がいると。 私はどの環境に当てはまるだろうか。 ふと忘れていたことを思い出した。 比べる相手によってその環境は変わるのだ。 普通という概念はこの時、存在し得ないのだ。 私はいつも疑問に思うのだ。 こんな簡単なことに気づけなくて、 私は暇さえあれば人を羨ましいと思う。 羨ましいと思うことが悪いとは言わない。 競争心があるということは諦めてはいないということで、 人として真っ当に生きているのだと思う。 ただ、それが原因で自分の視野が狭くなるのは大きな大問題だ。 今の若人は人と比べて優劣をつけ、 劣等感が増えて辛くなる若者が多いと感じる。 他人と比べて視野が狭くなって周りが見えなくなるのは、それは寂しいことだ。 そんなときどうするべきか。 ここで私は答えを出さない。 いや、出せないのだ。 そんな答えがわかっていたら、 私がこうして文字を起こしている必要はないからだ。 答えではなく助言をするとしたら、 「迷って、とにかく悩んで、人として真っ当に生きろ」と言うだろう。 本当に報われている人は、 この話を最後まで読まないと思う。 ここまで興味を示して読んでくださった方には頭が上がりませんが。 ないものねだりは視野さえ広ければとことん悩めばいいのだと思う。
淡く脆く、それでいて。
自転車のカゴにふたつのラムネと鞄。 蒸し暑い中、木陰に座る。 そして、たまに吹く風に目を細める。 暑さに下を向いてばかりの私は、 君の声に顔を上げる。 君はいつも通り笑っている。 今の君を知るのは私だけだと嬉しくなった。 差し出されたラムネをぐいっと飲む。 少し生温い炭酸が身体に染みる。 それはそれでいいのかも、なんて赦してしまう。 君とならどこまでも行ける気がした。 わかっていた、行く場所も意味のない行動にも終わりが来ることを。 ずっと続きそうな夏に、されるがまま目を瞑る。 毎日変わりゆく世界。 気づいたら明日になっている朝。 なのに、ここだけは時間が退屈に流れている。 だから終わりが来ることに何故か悲しくなって。 手放すときに、想像することが怖くなった。
home
故郷に帰ってきた時、必ず2番目に思い出すのは あの煙草のにおいだった。 中学を卒業して県外の私立高校に進学し、寮生活にも慣れた頃、 初めて実家に帰った。久しぶりに見た玄関の家族写真には気にも 留めず、母に挨拶をする。 「母さん、帰ってきたよー」 「あら、ずいぶん早く着いたのね。今ご飯支度してるからすぐ お風呂に入っておいで。今日はあんたの好きなハンバーグよ」 「ワンっ」 「うわっ…ルル、また大きくなった?」 ルル、とは家で飼っている犬である。考えなしに飛び込んでくるルルと流れ作業のように風呂を促す母に、安心した。 今まで気付かぬうちに張り詰めていた糸が緩んだように安心していた。 懐かしいと感じたのだ。 中学の頃は過干渉に感じた母の愛がうざったくて、高校に進学したつもりでいた。何もかも知らない環境だからこそ自分のありのままを確立できる気がした。だが現実はそうじゃなかった。 意外と脆くできた私の内側はあまり耐えられなくて、すぐ疲れてしまうし寮母さんに迷惑はかけるし学校では友達とも揉めることもあって何かとうまくいかなかった。それを心の内から明かせる家族は近くにいなくて相談もしにくかったのだ。 そんな母は今、ここに居る。 その事実が嬉しかった。 高校は知らない人がいるからこそ環境に甘えきった私の心を 律し、もう1人の人間であると自覚できると思っていた。 でも、知らない人は自分とは家庭環境も何もかも違うのだ。 ふとした自分の当たり前が他の人とは合わなくて疲れてしまっていた。 さっさと疲れをとってしまおうと考えて脱衣所に入る。 そしてふと漂う煙草のにおいに自然と手が止まる。 懐かしいな、と思ったのは帰ってきた時から2度目だった。 この煙草のにおいは風呂場の換気口を伝ってかおるのだ。 下の階のお兄さんがいつも吸っている煙草なのだろう。 ここで昔の私ならくさいだとか、副流煙だとかで色々思っていたのだろうが…今の私には迷惑だと感じず、むしろ安心してしまうにおいになってしまっていた。 未成年である私が思うのはいただけないだろうが、これが私の思い出の一部になってしまっているのだ。私の居場所のひとつになってしまっているのだ。 同時に自分が大人になっている気がして落ち込んでしまう。 それでも、いつもむさ苦しく感じる母やたばこは、 この日から特別なものに変わった。
依存していく
愛されたいから尽くしていた。 重みが違うから嫉妬した。 愛していたいからそばにいた。 貴方の全てを欲しがっているのに、 くれない貴方は駆け引き上手ね。 ゆらゆらと揺れる恋に手を伸ばす度に、 届いてない気持ちに気づく。 もどかしくていらいらしてしまう。 つれない貴方を愛しています。 自分らしくいる貴方。 いつも道の先には貴方がいたものね。 貴方の揺れる髪が好き。 優しく微笑むときにできるえくぼが好き。 笑う時に細くなる目が好き。 いつになったら振り向いてくれるのだろう。 振り向いて仕舞えば私は飽きるだろうか。 運命の人だと思えたのは貴方だけだと思ったの。 大切が故に貴方の人生を独り占めしたいの。
あなただけに執着するのは
久しぶりに中学時代の友人と遊ぶ約束をした。 ことの始まりは友人の誕生日の日で、会うのは2年ぶりだった。 久闊を叙す言葉も虚しく、なんとも言えない雰囲気の中、私は彼女に誕生日プレゼントを渡しそしてすぐに帰った。 だが去り際、あまりの気まずさに 「夏休みは、遊ぼ」 なんて私から提案してしまったのだ。 友人はとても驚いた顔をしていた。 その顔が、どこか嬉しさと哀しみに満ちていたように見えた。 それが、私にとっては羞恥心を掻き立てるようだった。 私は中学を卒業するまで、言葉にできないくらいのクズだった。 短気で自己中心的、思い通りにいかないと腹を立てて引きずる性格だった。 それはあくまで心から信じる人に対して見せる態度なのだ。 根は臆病で人見知り。 “親しき仲にも礼儀あり” とはよく言ったものだ。 私はそれがどうにもわかっていないバカだったのだ。 だから、特別仲の良かった彼女には私の思いを押し付け、強要し、終いには彼女が見向きさえしなくなれば自分を弱く見せ、振り向いてもらおうとしていた。 今思えばどうしてこんなにも救いようがない バカだったのかと思う。 どうしてこんなにも哀れだったのだろう。 それでもこんなクズに友人は忙しいながら連絡をよこす。 一度目の誘いには用事があると言って断った。 本当に気まずいのだ。よく人を振り回しておいて断っている自分が哀れである。 そしてニ度目の誘い。 この誘いはちゃんと受けた。予定が埋まりつつある中、ちょうど誘われた日は何もない日で、これさえ断れば今度は本当に予定が入ってしまうことを危惧したからだ。 本当に、都合がいいと思う。 高校からは環境がガラッと変わり、私も素直にサクサクと生きてきていたが、それは所詮今の自分と関わっているから対人関係がうまく行っているだけだ。 ただ、この友人と関わる時だけは、自分の醜さや意地悪さが顔を出す。 どうしてこうもこの子の前では素直に慣れないのだろう。 ふと気づく。 あぁ、依存しているのか、と。 哀れだと思ったか? 私もそう思うよ。 本当にそう思う。 ところで君たちはどうだ? 依存している相手はいるのか? こんなクズを哀れに思うなら、 君たちにはこうならないよう気をつけてほしい。 以後、私ももうこれ以上彼女に迷惑はかけたくないので、 約束をした遊ぶ時からはどう思われても素直に接しようと思う。 −−−−−−− あとがき 初めまして晴薪です。 あとがきを書くのは今回が初めてです。 今読んでいただいた文章ですが… 皆さんは2人がどんな関係性だと思われましたか? …実はこれは、お互いが親友同士の関係にあります。 決して異性や同性などの恋愛間にある物ではありません。 そう、この話の怖いところは親友という関係性には恋愛よりもドロドロと流れる深い感情が存在している点です。 更に怖い話がありまして、これは実際に私が親友に抱く感情です。 私の大きな人生の過ちは、1人の人間に執着していたことです。久しぶりの再会を果たしても私はまだ依存していたのだとつい先日気づいて、もっと精神的に大人にならなければならないと思いました。 0歳からの付き合いで、高校は離れたので2年の猶予がありますが、付き合いの長い人間と付き合うほど自分の恐ろしさ、醜さを感じます。 “親しき仲にも礼儀あり” を貫ける人になれるよう日々精進してまいりたいと思います。
矛盾を抱えてもまだ生きるパラドックス
夜の砂浜で1人、海を照らす灯台を眺めていた。 つい昨日、この海で人が溺れた。 ここは比較的静かで波も少ない海だった。 人が亡くなるとは思えない海。 どんなに落ち着いて見えても自然は人の命を奪うことがある。 私はその怖さを知っている。 何年も前の私が幼い頃、家の前を土砂が飲み込んだ。 2、3日降り続いた雨が土を滑らせ人の命を奪った。 私の両親が判断を誤っていたら、私は今頃生きていない。 幼かった私にはひどくこびりついた嫌な思い出だ。 自然が人の命を奪うことは惨いことだが、仕方ないことでもある。と、そう思う。 思ってしまったのだ。 幼い時に心傷的トラウマとなっている出来事が、 私に、人が死ぬことは仕方ないことなのだと現実を突きつけた。 特別、自殺願望があるわけではない。 私の一部に人の命を区切ってしまう自分ができてしまったのだ。 命を区切る私ができて尚、自然に侵されて苦しむのは嫌だと 生きたがる自分がいる。 だけど、生きている以上自然の脅威には抗えない私たちは 立ち向かう術もない。 矛盾を抱えて生を感じる。 嫌な人間だと自分を卑下する。 それでも自分が嫌いになれない。 全てをなくしたとしても、 立ち直るしか私たちに方法はないのだ。 捻くれているだろうか。 間違っているだろうか。 何を思って、どんな思いで。 海で溺れた人は最期まで生きたのだろうか。
人間性
人生で出会う人のうち、 嫌われる確率2割 好かれる確率2割 どちらでもない確率6割 というとんでもない理論があるが… 何人に好かれるかより 誰に好かれるかを重視できる人間でありたい。
夏に生きる
朝だというのに痛いほど差し込む太陽が鬱陶しい。 電車から見える海を尻目にイヤホンで音楽を聴きながら立っていた。 今日はやけに人が少ない。座れるほどではないが、電車の中が空いているのはとても気分がいい。 三十分ほどかけ電車を降りると、毎日一緒の友達といつものように短いようで長い通学路を歩く。 またここから三十分歩かないといけないのか。 途中、毎日仮装をしているハロウィン気分の店長さんのいるコンビニに入る。 なんやかんやで気に入っているコンビニだ。 今日はいつもと違う物を買おうとレジに立つ。 さっと会計を済ませて店を出る。 外はやっぱり暑くて汗が止まらない。 昨日までは曇っていたのにこんな暑さではすぐに夏バテしそうだ。 今年の夏休みこそ、ちゃんと体調を整えようと思った。 暑さでフラフラしながらも学校の最上階まで階段で登り、教室に入る。 あぁそうだ、鞄を置いたら体育館に行かなきゃならない。 でもまだ時間があったので少し涼んで教室を出た。 時間ギリギリまで涼んだせいで集合時間に遅れそうになる。 高校生になって、だんだん時間にルーズになっている。 中学で当たり前にできていたことが出来なくなるのはやっぱり環境の変化だろうか。 いや、自分の意識の問題かもしれない。 それから終業式は始まった。 体育館内の巨大扇風機の大きな音で校長の話は聞こえてこない。 マイクがあるはずなのに、そのマイクも響くだけ。 唯一、聞こえたのはやっぱり扇風機の音だった。 聞こうとしても埒があかないので校長から視線を外し、目の前に移す。 目の前では前に並ぶ女子がスカートをパタパタと仰いでいた。 本当に暑いよねー、と心の中で彼女に問いかける。 返事は返ってこない。返ってきたほうが怖い話だ。 私は先生に怒られたくないのでじっと動かず話を聞いていた。 案の定、女の子は聞く態度が悪いと先生に怒られていた。 それもこれも冷房の効いた教室でリモートでしたらもう少し態度は良くなるだろうに、と目の前の大人に疑問を持った。 さて、やっと本題に入るが、私はどこからが高校生の「夏」なのかに疑問を持っている。 7月初めから? 暑くなったら? 夏休みに入ったら? 答えは多種多様だろう。 ここからは私なりの答えになるが、 私は常々、高校生の夏は青春の代名詞だと思っている。 つまり、夏=青春なのだ。 夏はいつも全力になる。 家でぐうたら暇を潰している時もあるが。 それを除けば私はいつも全力だった。 そして常に疑問を持つことを忘れなかった。 本気にならなければ、疑問すら持たないだろう。 私は今、全力だ。 いつか大人になって振り返った時、私は今年の夏に青春をしたと言うだろう。 そして、全ての人に言いたい。 今の時代に流され、本音を言えずにいる自分は変えなくてもいいと思う。 ただ、自分の考えを持つことを忘れないでほしい。 疑問を持つことを忘れないでほしい。 自分の考えすらも押し潰されて疑問を持たないことすら疑問に思えないのが今の日本だから。 高校二年生ながら、的を得ているのではないか。 私のような世間知らずの箱入り娘でも、今の日本の雰囲気は好きにはなれない。 自分の夏を貫いてほしい。 いつか振り返れば、苦い思い出だとしても輝いているはずだから。 自由に過ごして、 素直に生きて、 疑問を持って、 知識をつけて。 大人になってもそういう人間であれたらいいなと思う。 日本は夏になった。 そして私は今、人生の夏を迎えている。