磯崎 奏 (いそざき かなで)
123 件の小説祭日
改札の酒臭い人形たちの 吐き出したゲップが うすい膜をはっている 揺られる車窓 肩にふれる少女と彼氏 彼女の二の腕が見える 今朝の味噌汁のようで そうしてこぼれる 歩道橋のむこうがわ 少年が手を振っている 喉を刺す釣針に ずっと水面を舐める魚 蹴飛ばす石ころ タバコを捨てた運転手 800円のフランクフルト この街はずっと生きている 信号が青になって トラックが泥を跳ねる 少年はすり抜けて 母親に抱きつく ねだる綿飴、白い空白 見ていたのはずっと 僕のほうでした 静かに吸い込むガスに 肺が冷えていく 道端の空き缶はカラカラ鳴り 僕の靴の下で笑う 白線はぼやけて背を押す タバコとピアスを嫌悪した 親はどっちもいないらしい 僕よりずっと先を生きてた 居場所も忘れたふりして 靴を脱ぎ捨てた 飲みかけの炭酸が 足にへばりつく 抱き枕を抱きしめた総理 財布にゴム隠した優等生 僕だけが見てた自販機の下の夏 今日はお祭り 歩道橋から飛んだ また客が減ったよ 運転手はそう言うと車を出した
ピース(哀)
ピース そよ風を 頭の中に飲んで 吐き出したため息 子どもの足音と くたばったお父さん 元気な配達の人と 話が通じないおばあちゃん 庭の掃除を野良猫に中断される人 コードに絡まった埃を綺麗に取ったが 同時に足も攣った人 リモコンの電池を変えてみるも アンテナが壊れてたとき 街灯の虫除けの電圧がうるさくて眠れない人 でも静かな友人の家ではなんだか落ち着かない人 踏切で電車見てたらうんこも踏んでた人 コンビニの店員が思ったより優しいとき 割り箸を二膳つけてくれたけれど 一人で食べるとき 遊びに行ったら寝袋があったけど子供用だった人 コンセントにコードまで完備されてたとき でもタイプCだったとき 犬が自分に懐いてきたけどおやつのためなとき それを知っていても、嬉しさを隠せない人 草が上手に抜けたことを金魚に自慢する人 それを見て笑って犬に話しかける散歩の人 春の川沿いの桜と風が美しいとき 匂いを嗅いだら排気ガスまみれなとき 友達がお土産の消しゴム使ってくれていたとき たけど使いにくそうなとき サブスクが解禁されたけど聞いたらファンじゃない気がする人 サブスクを使いまくる古参ファン 賞味期限切れのお菓子を持ってくる友達 好きな番組が2時間スペシャルなとき 時計を確認しちゃう人 良さがぶつかってるアーティストコラボ 犬がおしっこする綺麗な道端の花。 小さな子が指を指したとき それに謝るお母さんに微笑む人。 嘘のようにお母さんが優しくなる風邪を引いた日 風邪が治ったときの月曜日感。 アイスを3つも食べれる夏祭りの日。 お腹を抑えてアトラクションくらい長い仮設トイレの列に並ぶとき。 花火を見ながら食べる無駄に高いフランクフルト トイレットペーパーがギリギリ足りたけど次の人を考えるとき 友達のお母さんが送ってくれるって言ったとき それがまさかのバイクだったとき リアルで初めて見たけど美味しくない渦巻きキャンディ 「消しゴムを使い切った」と自慢する友達の顔 客を覚えていたけどいつものが違った店主 ドアを開けたときコーヒーよりも冷気を感じる喫茶店 嫌がる友達のバイト先に行くのにシフトじゃなかったとき 虹を見た日に星も綺麗だったのを知るニート 窓の隅に住んでいたクモが少し大きくなっていたとき 「強盗にきをつける」と張り紙をしても窓を開けて出かけるおばあちゃん タネを飛ばして芽が出たスイカを真面目に育てようとする子ども それを見て本気になるお父さん 好きな人と同じ時間の昇降口でずっと靴紐縛ってるとき それに気づいて友達との話を伸ばすとき 久々にドーナツを食べたいと思ったらクーポン見つけたとき 結局使うの忘れちゃうとき 今日の晩ご飯をお父さんと予想し合うとき どっちも大外れなとき おはようと挨拶してくれる近所の人が組事務所に入ってくのを見た人 買い替えたいスマホを湯船に落としても奇跡的に無事な人 急に仕事が休みになったとき 結局やることがなくて1日を無駄にする人 台風が過ぎ去ったときの匂いと大量の落ち葉掃除 ジェラート屋さんで悩んだ挙句バニラアイスを頼む人 でもそれが1番満足するとき 銭湯に行ったら大家さんと会ったとき 話題を探して腕の筋肉を褒められるとき 川遊びで溺れている子供を助ける妄想をするカナヅチな人 テレビを見ながら俺ならこうする、といいながら、やっぱり…と悩む人 ジムでトレーナーから、センスがあると励まされていきなり120キロあげたがる人 焦って行ったけど、相手もまだ来ていなかったときの勝ち誇った気持ち 紙コップに名前を書いてくれるけど全く読めない甥っ子の文字 引っ越しで4Kのテレビをもらえたけど部屋に入らないとき 腕時計を褒めてもらえて、うんちくを語り出すけど偽物だった人 スーパーで見つけるまで、お母さんの手作りジャムだと思ってた人 枕カバーが違うと寝られない叔父さんが、ソファーで爆睡してたとき まだまだたくさん、あるでしょう ああ、生きていてよかったと 思える瞬間 なんの価値もなくて 誰も切り取らない でもだからこそ美しい 誰にも知られず、ただそこにいて。
ピース
ピース そよ風を 頭の中に飲んで 吐き出したため息 子どもの足音とくたばったお父さん 元気な配達の人と道を教えるおばあちゃん 庭の掃除をする人の邪魔をする野良猫 コードに絡まった埃を綺麗に取れたとき テレビのリモコンの電池を変えたばかりのとき 街灯の虫除けの電圧が走る音を聞くとき 踏切に間に合わなくてもイライラしないとき コンビニの店員が思ったより優しいとき 割り箸を二膳つけてくれたとき 遊びに行ったら寝袋があったとき コンセントだけじゃなくコードまで完備されてたとき 犬が自分に懐いてきたとき 草が上手に抜けたとき 春の川沿いの桜と風の匂いを嗅いだとき 友達がお土産の消しゴム使ってたとき 好きな曲のサブスクが解禁されたとき 友達がお菓子を持って遊びにきたとき 好きなテレビ番組が2時間スペシャルなとき アーティスト同士がコラボしたとき 道端の花が綺麗なとき 小さな子が指を指したとき それに謝るお母さんに微笑むとき お母さんが優しくなる風邪を引いた日 アイスを3つも食べれる夏祭りの日 花火を見ながら食べるフランクフルト トイレットペーパーがギリギリ足りたとき 友達のお母さんが送ってくれるって言ったとき 渦巻きのキャンディをリアルで初めて見たとき 蚊取り線香がなくなる瞬間 「消しゴムを使い切った」と自慢する友達の顔 店の人がいつもの注文を覚えていたとき 喫茶店のドアを開けたときのコーヒーの香り 嫌がる友達のバイト先に行くとき 虹を見た日に星も綺麗だったとき 窓の隅に住んでいたクモが少し大きくなっていたとき 玄関に張り紙をして出かけるおばあちゃん 飛ばしたスイカの種から芽が出ていたとき 好きな人と同じ時間の昇降口 久々にドーナツを食べたいと思ったらクーポン見つけたとき 結局使うの忘れちゃうとき 今日の晩ご飯をお父さんと予想し合うとき おはようと挨拶してくれる近所の人 奇跡的に無事だった風呂場のスマホ 急に仕事が休みになったとき 結局やることがなくて無駄にするとき 台風が過ぎ去ったときの匂い ジェラート屋さんで悩んだ挙句バニラアイスを頼むのとき 銭湯に行ったら大家さんと会ったとき 川遊びで溺れている子供を助ける妄想をするとき テレビを見ながら俺ならこうする、とそういう瞬間 ジムでトレーナーから、センスがあると励まされたとき 焦って行ったけど、相手もまだ来ていなかったとき 紙コップに名前を書いてくれる甥っ子 引っ越しで4Kのテレビをもらえたとき 腕時計を褒めてもらえて、うんちくを語り出すとき お母さんの自家製ジャムなら、塗りたくっても怒られないとき—— まだまだたくさん、あるでしょう ああ、生きていてよかったと 思える瞬間ってさ なんの価値もなくて 誰も切り取らない でもだからこそ美しい 誰にも知られず、ただそこにいて。
人生不採用(中途採用歌)
おでん屋で 爪楊枝咥えて 武勇伝語って 終電逃した 銭湯で 会ったじいちゃんに 夢を語って のぼせて搬送 学校帰り 空を眺めて ドブに落ちて 泥だらけの日 夢見てた未来の姿 信じてたあの頃の自分 それが嘘なんて、誰が言ったの 聞けよ、こころに お前は、それを照らせているのかい 道はそこにあるって言われても そんなの無理ってわかってるけど 聞けよ、こころに お前は、それで眠れてるのかい 誰かのために生きること それも確かな夢ではあるだろう 喫茶店で 恋愛相談 彼女できたこと 一度もないよ キッチンバイトで 先輩面してた 入ってまだ 一週間だけど デジタルで 本を読みたくて 本屋に行って 説明本買う ただ青かったあの夏 ただ楽しかったあの日々 それが無意味だなんて、誰が言ったの 聞けよ、こころに お前は、わくわくできているのかい 芸能人の不倫ニュースに 怒れるくらいの元気はあるのかい 聞けよ、こころに お前は、空を見上げているのかい 富士登山するドキュメンタリーに 泣けるくらいがちょうどいいのさ ああ、あなたのその怒り顔が ずっと、将来永久に 石像になればいいのになあ 暗い夜道に一人だけ 街灯のスポットライトで ライブして 職務質問 明日は早起き目覚まし 6時か7時か悩んで 結局深夜一時で 翌朝十時に絶望 エレベーターが閉まったと 宴会のためモノマネ練習 鏡越しに初披露して 俺一体何やってんだろ 誰も諦めてなんてないさ 諦めることすらできない それでも今を生きてる ただ生きているそれだけなの なんで美しいんだ くっさい靴下 なんで美しいんだ おかえりのその声が なんて美しいんだ 僕らの人生 最終コーナー回って ぶっちぎりの一位 みんなに応援されて そこで正座でお辞儀するような そんな人間でありたい そんな人生でありたい 人生不採用 人生不採用 人生中途採用可
勿忘草
君のことを忘れていたのさ さすがにほら、一人で目薬はさせるようになったよ それなのになぜか僕の瞳は、そんなものいらないほどにすぐうるっとするのさ。歳かな 燃えるゴミの日はいつでも僕だね 幼稚園のお母さんとも仲良くなってきたよ ひとりぼっちって寂しいってみんな言うけど、君なんて忘れるほどに忙しい毎日さ 流石にもう、君の前でギャグはやらないよ。娘がいつでも笑っていてくれてるからね なんでもない日常に置いてきたかけらが、繋がっていまの僕たちをつくってる 僕だけ置いてかれたような気がして悔しくて、君のことあの場所に置いて行こうとしたんだね ずっと先にいる気がしたのさ。もう空よりも高いところにいる君に。
石ころ
僕は石ころみたいなものさ 角を削られ社会の波に飲まれてる いつも眺めてたカワセミと 懐かしいあの場所 戻れないし戻らない でもずっと残ってほしい 君は天然水みたいに 澄み切ったその瞳で 僕の横にただ座る 僕はどこに忘れてきたんだろう いつのまにか溶けて消えていた 泥がへばりついたような気持ちで いじらしいやつと言われて 毎日生きているというのに 泳いでる魚たちを眺める僕に 君は顔をのぞきこんで言う 石ころがあってくれるから ここの水はこんなにも綺麗でいられるのね、と
心のひきこもり
上田裕也はキッチンの蛇口を捻って水道水を一気に飲み干すと、袖で顔を拭ってまた部屋に戻った。カレンダーは五ヶ月前のままぶら下がっている。月日は知らぬ間に流れていた。 同級生ももう、自分のことなど忘れているだろう。裕也はそう思いながらため息をついた。親も自分なんか見捨ててどこかに行ってしまったらよかったのに、俺を一人にはしてくれなかった。母親は日課のように俺の部屋の前に飯を置いていった。 いっそ誰かから忌み嫌われ、殺されるような人生ならば、どんなに楽だったことだろう。最近はそんなことを考える。死ぬ勇気なんてものはない。でも優しさにすがって生きている資格もないのだ。そんな感覚の狭間を無条件に彷徨っていると、何かをする気力も起きず、かといって何もしないのも酷く苦しい。雄介からのメールも、一週間は無視している。イヤホンを耳に押し込み、音量を一気に上げる。机の上には、CDが無造作に積まれている。 漫画でも買ってきてもらおう。五時半までのパートの母ももう戻るはずだ。母親にそうメールするも、今日は遅くなるから自分で行きなさい、と正論を投げ返されただけだった。 黒い雲が空を覆い、今にも雨が降り出しそうな生暖かい風が、耳元に溜まる。六時といってももう薄暗い。 こんな日に久しぶりに外に出るなんて、愚行だったと思いつつ、引き返せなくなった俺は、錆びついたビニール傘を片手に玄関を出た。 近くのコンビニまでは十五分。決して遠くはない。しかし、誰にも会いたくない俺にとって、家の外はアマゾンの奥地とさほど変わらなかった。いつどこから、毒蛇が現れるのかわからない。 中学の前を通ったあたりで、大粒の雨が地面に叩きつけられた。かなりの土砂降りだ。錆びついた傘には小さな穴がいくつも空いていて、使い物にはならなかった。スエットのフードを被って、道を駆けた。久しぶりに走ったが、陸上部の頃の感覚は案外残っている。 客もいないコンビニの前に、見かけない制服姿の少女がいる。大雨の中の駐車場で一人、傘もささずにびしょびしょに濡れている。 「……」 長く艶のある黒髪に白い髪留めが街灯を反射する。雨はまた一層強さを増し、駐車場水たまりは大きく波紋を作る。光出した電灯が風で大きく揺れている。 「やっと来た、山村くん。待ってたよ」 少女はそう言うとにこやかに笑う。ガサガサと街路樹は音を立て、車は水飛沫を上げて走り去る。知り合いかと思う、顔におぼえはないが、彼女はこちらの名前を知っているようだ。 「人違いじゃないか。俺は、君なんて知ら」 俺がそう言いかけた時、彼女は細々しい体のどこから出るのかわからないような声で、力強く叫んだ。 「あーあ。こんなに濡れちゃってどうしよう。家も遠いし、傘もない。ましてや女の子が一人ぼっち。さっき自転車と財布も盗まれちゃったし」 * 「ありがと。こう言う時は普通、家にあげてくれるものでしょ、山村くん」 古びたアーパートの一階のコインランドリーのベンチで、彼女は顔をしかめる。タオルと着替えを持ってきてやったのに、偉そうなやつだなと思い呆れる。 「うるせえな、いかにも不審者なやつを家にあげてどうする」 俺がぶっきらぼうにそう吐き捨てると、それもそうかと少女はそう言って笑った。 「それはそうと山村くん、学校行ってないらしいね」 回る洗濯機と雷がゴオゴオと鳴るなかで、少女はお節介に言う。まるで昔から知っているかのような語り口だ。 「誰に聞いたんだよ、てかお前、なんで俺を知ってる」 彼女は笑っているだけだった。そしてふと立ち上がると髪に手を通す。 「学校に来ればわかるよ。月曜日から来なよ」 「いやだな、いまさら。誰もそんなこと望んでない」 俺は体育大会の日を思い出す。母さんは執拗に言った。せめて行事は、と。泣きそうな顔を見て、嫌々家を飛び出した。でも俺は、誰にも望まれなかった。こざかしいやつになることを今更望みはしたくなかった。それでは、母親を余計に傷つける。 「誰も」 彼女は声を詰まらせた。俺は彼女を見る。 「私は、待ってるよ。ずっと」 その言葉はただの社交辞令にするには噛み締められた、ずっしりと重たい言葉だった。
くまぐみの20 第一話
くまぐみの20 時は西暦20XX年。日本は少子化が極度に進んでいた。子ども第一を掲げる日本政府は、少子化の進む現状を打開するため、「子ども政策法」を施行した… 子ども教習1 石田三彦(いしだみつひこ)二十歳、彼女いない歴=年齢、フリーター。月の家賃が3万円の格安ボロアパートに暮らし、休日はろくな近所付き合いもせずに薄暗い部屋でブルーライトを浴びて一日を終える。彼なりの日光浴であり、もっぱらいつものルーティーンだった。 しかし、そんな三彦でも今日は朝から早起きして一件のメールを待ち続けていた。そしてたった今、それが届いたところなのである。三彦はスマホの画面に固唾を飲んだ。震える指先で、メールを開く。 “貴殿の今後一層のご活躍をお祈り申し上げます。” 大きくため息をつくと、萎れたようにソファーに横になった。これでもう全部だ。 三彦には、絶対に採用されるとそう確信があった。面接官が三彦の回答に何度も笑顔で頷いていてくれていたし、「ぜひうちに来てほしい」と言われたからである。明らかに確定演出だったのだ。なのに、一体何がダメだったと言うのか。 「チクショウ、あの人事の徳川とかいうじじいめ」 三彦はスマホをベットに放り投げた。キッチンに向かい蛇口を捻って水道水を一気に飲み干すと、袖で顔を拭った。赤いバツばかりが付けられたカレンダー。知らぬ間に、高校を卒業してから二年余りの月日が流れていた。志望大学のに落ち、浪人しながらバイトで食い繋ぐ日々。進学を諦めて、仕事を探すもこの有様だ。 「ネットサーフィンでもしよ」 三彦は起き上がると放り投げたスマホをもう一度開いた。ふと、またさっきの画面が映る。 “この度は弊社への就職にご応募いただき、厚くお礼申し上げます。 貴殿の採用に関して慎重に検討させて頂いた結果、「子ども指数」が足りず、大変残念ながら貴意に添い得ぬこととなりました。” 「子ども指数…」 * ピクニック日和な日曜の午後、三彦にとって、幼稚園からの親友である大谷吉文(おおたによしふみ)と会うのは、高校の卒業式以来だった。三彦の職場の喫茶店「一品」で待ち合わせよう、吉文はそう言った。 吉文は、アンティーク調の店内と落ち着いた雰囲気をかなり気に入ったらしく、一段と機嫌のいい様子で、マスターの毛利さんのブラックコーヒーを口に運んだ。そんな吉文を眺めながら、三彦は尋ねた。 「吉文、最近大学はどうだ?ほら、前、日本酒サークルに入るとか言ってたじゃないか」 三彦には吉文の顔は少し曇って見えたが、彼はすぐに三彦を気遣うように不恰好に笑った。 「まあ、ぼちぼちだよ。それに今はビールの方が好きなんだ」 「あ、そう…」 「まぁよくある理由だな。俺もそれで日本刀サークルやめて剣道部に入ったし」 毛利さんはそう言って髭を撫でると、フンと鼻を鳴らした。その姿は昨年亡くなった三彦のおじさんにそっくりだ。 「わかります!」 「いやわかんねぇよ」 店内に微妙な空気が漂う。志望校、一緒に合格しよう、そう言い指切りを交わしたはずの三彦たちの関係は、もう前のようにはいかなかった。そんな三彦たちを見かねたのか、毛利さんは鼻歌でマキシマムザホルモンを歌いながら、窓を開けて店に風を入れると、ラジオのスイッチを押した。 「三彦こそ、勉強やってる?たまには息抜きも大事だよ」 そんな空気を崩すように、吉文は言った。昨日の雨のかすかな匂いが、窓からそっと鼻に香った。 「いや、俺もう就職することにしたんだ」 そんな唐突な発言に、吉文たちは顔を見合わせてもう一度三彦の方を見る。 『本気か?三彦?』 「ああ」 がっかりしたような、でもどことなく安心したような吉文たちの顔は、光彦には少し辛かった。せめて嘘でもいいから、もう少し勉強を続けろと言って欲しかった。 『次のニュースです。政府は、子ども指数について、新たな研究を…』 「また子ども指数か」 雑音混じりの古いラジオに、毛利さんがつぶやく。 するとふと、三彦の脳内にあの時の文章が鮮明に思い出された。 「なあ、吉文、子ども指数ってなんだっけ?」 三彦のその問いに吉文は呆れた顔した。 「学校でやったやつだよ。ほら、保健の時間にやっただろ?」 「そんなのよく覚えてるな」 「ほら、あれだよあれ!」 毛利さんはそう言った。けれどその先が思い出せない。もう歳なのである。 「大人の中の『子どもを理解できる力』ですよねマスター」 吉文はそう言うと、窓の外の親子を眺めた。 「そうだ!子ども指数が低いと、強制で“子ども教習”ってのを受けなきゃいけないんだよ。面倒な世の中になったものだな」 毛利さんはコップを磨きながらそう言った。コップはもはや原型を留めていない。こいつは磨く専用である。 「子どもを理解って、何を言ってるのかさっぱりわからん… 」 三彦はそう嘆いて勝手に厨房に入ると、ハリーポッターくらいの厚さのたまごサンド作って持ってきた。 「三彦、お前仕事ひよこ鑑定士でどう?」 毛利さんは急にそう言って髭をまた触った。彼の髭は原型を留めていない。 「ほら、公園とかで遊んでる子どもに無作為にキレる人とかいるでしょ?ああゆうやつだよ」 席に座る三彦に吉文は言った。 三彦は、“それは子供がうるさいからだろ”とついカッとなって言い返そうとするも、これでは自分がそれに当てはまるとでも言っているようなものだから、無視しすることにした。 「その手紙を無視すると…」 毛利さんは、そう言いかけて手を止めると、三彦の顔を覗き込んだ。三彦の反応を楽しんでいるようにも見える。 「無視すると、どうなるんです?」 「最悪、死ね!いや間違えた、死ぬんだ」 「ふぁ?!」 毛利さんはなんでもないことのようにそういって笑った。そんなミスは普通、普通はしない。 「まぁ悪いことだし、しょうがないよね。で、三彦、その子ども指数がどうかしたの?」 三彦の手には汗が滲んでいた。来週からバイトを辞めよう、そう心に決めて。 * あの手紙、確かこの辺に…二ヶ月前、国から届いた謎の封筒。棚の下の雑紙入れにそれはあった。よく見れば白地に赤い“重要”の文字がある。 “「子ども教習」参加へのお知らせ” 開催場所 鳥取県… 期間 未定 ※この書類が届いてから三ヶ月以内に参加が認められない場合、法的手続きを執行します。 「期間未定で鳥取って、まじかよ…」
君を作った俺、俺を殺したい君
第一章 殺人契約 「今日はみんなに大事な話がある」 憂鬱な月曜日。事件というものは、大抵なんでもないそんな日に起こる。チャイムが鳴ってロングホームルームが始まるのほとんど同時に、担任の上薗俊平はだるそうに言った。何かめんどくさいことでもあるのだろうか。俺のその予想は的中してしまった。上薗が教師らしくしている日は、ろくなことがない。 「入ってきなさい」 戸が開く。みんなの注目が一点に集まっていることがわかる。凛とした雰囲気の女が、俺たちの前に現れた。いかにも金持ちそうなお嬢様に見える。教室はうるさくなった。上薗は「静かに」と俺らを一喝すると、女の方を見て頷いた。それを見た女の口が開いた。 「初めまして。私、天野沙華っていいます!父の仕事の都合で双葉女子学院から転校して来ました。私、卒業までに山村和磨くんを殺します!よろしくお願いします!」 俺を殺す?教室はより一層騒然とした。上薗も唖然としている。みんなの目線は、一瞬にして俺に集まった。咲口が俺を嘲笑うようにみている。みんなの理想の青春が、今ここに自分からやってきたのに、そいつはいきなり俺を名指し、それどころか殺したいだなんてふざけたことを言ったのだ。 「殺したいってなんで?」 クラスの誰かがそう聞く。彼女は微笑むと、真面目な顔で言った。 「そうねー、彼は私の脳を奪ったの。もちろん、恋とかじゃないのよ」 クラスがどっと沸く。彼女のジョークはウケた。天野が変わった面白いやつだ、そういう雰囲気はすぐに生まれた。俺にとっては殺されると言われたのだ。少しも面白くない。集まる視線の中、彼女はとても落ち着いた様子で上薗に指示された席に座った。彼女の席、それはなぜか俺の隣だった。 「おい、和磨、お前ずりーぞ」 そんな声が聞こえる。俺はこんなこと望んでいない。そもそも俺はこんなやつすら知らない。 「久しぶり、和磨くん」 「あ、ああ。よろしく」 転校初日から名前を知られている。やはりどこかで会ったのだろうか。彼女の顔を直視できなかった俺は、窓から庭木を剪定する用務員を見つめていることしかできなかった。 * 「和磨、何だあの子は。お前を殺すだなんて、変わった奴だな。まぁ、可愛いからなんでもいいけど」 木陰のベンチで、雄介は購買の焼きそばパンを頬張りながら言った。話に熱が入り、こちらまで蒸し暑く思える。 「こんな島に家族で越してくるなんて珍しいよな」 俺は科学雑誌を読みながら話半分に答えた。大人気の転校生と関わるなんて、これ以上に面倒臭いことはない。それに彼女だけが俺を知っているなんて、もっと面倒だ。 「おいおい、白々しいなぁ。あんなかわいい知り合いいるのに黙ってたなんて、みんな怒ってるぞ。胸もでかいし」 胸、確かにそれは興味があるが、そんな理由で殺人未遂犯と関わるのはなんだかなんか癪だ。俺には、この人類の歴史特集があるし。 「そうかぁ。でもまぁ俺には隣のクラスの由美ちゃんがいるからなあ」 雄介はなぜだか残念そうにそう言うと少し伸びをして笑った。 「こないだ振られたばっかだろ、お前ストーカーかよ」 俺はやっと顔を上げ雄介を見ると、そうからかった。本当に一途なのか、こいつはなんなんだろう。 「んなことはかんけーねぇよ。俺はまだ好きなんだからさ」 雄介はベンチを立って空に手を伸ばし、力強く手のひらを握った。ここまで真面目なバカを俺は知らない。いや、俺より成績はずっといいけれど。 「ふーん」 俺のその言葉とほぼ同時に、雄介は何かを思い出したように頭を掻いた。本当に勝手なやつだ。だけど、同時にどこか羨ましいと思っている自分もいた。 「俺、俊と約束あるからもう行くな」 「あぁ」 俺はどっと疲れて、なんとなく空を見上げた。 「空に何かあるの?」 耳元でしたその声に、俺は振り向いた。そこには隣の席のあの女の姿があった。まだ前の学校の制服のようで、セーラー服の赤いラインがよく目立っている。 「和磨くん、隣いい?」 「ああ」 断ろうにも、それも面倒だった。話さなければ帰ってくれる、そう思った俺は、放っておこうと決めた。クラスのやつから嫌われるより、一人から嫌われた方がマシだ。俺は雑誌を大袈裟に開き、一人でぶつぶつ言いながら天野が帰るのを待つことにした。 彼女は、僕の隣に腰を下ろすと、読んでいた雑誌を覗き見た。 「ねぇ、それって科学雑誌の『月刊オリエント』でしょ?和磨くんってそういうの好きなの?」 「まぁ……」 こんなものに興味がある人間はそう多くないだろう、そう思っていた俺にとって、その言葉は意外で新鮮だった。 「珍しいな、こんなものに興味があるなんて」 興味に負けた俺は、天野にそう尋ねた。 「実はねー、私もそういうの好きなの。昔、教えてもらったことがあってね」 彼女はそう言ってニコッと笑った。関わらないって決めていたのに、なぜか俺の口元はいうことを聞いてくれない。 「最近は、編集者が変わったのか、あまり参考にならないけどな。まぁこれだったら、知り合いの機械を直してる方がよっぽど勉強にる」 気がついた時にはそんなことまで口走っていた。いつもはこんなこと伸司くらいにしか話さないのになんて思いながら、心配そうに天野の顔を伺った。好きっ」て言っても、そんなに詳しくないのかもしれない。実際、伸司も話を聞いてはくれるが、半分くらいはポカンとしている。 しかし、天野は俺の予想とは裏腹に楽しそうに、何かに納得したように微笑んでいただけだった。 「あの時から詳しいよね」 天野はそう言ってまた記事を覗き込んだ。顔が近い。あの時?何を言っているんだこの子は。 「天野、だっけ?お前と俺がいつどこで知り合ったっていうんだ」 天野は、俺のその言葉に少し考えたそぶりを見せると、言った。 「三万年前だっけ?」 もう覚えてないや、天野はそう言いながら苦笑いした。こいつは大丈夫なのだろうか。つまりこいつを信じたとして、もう三万年も生きているのか?ギャグであったとしても面白くなさすぎる。ただのアホか、狂人だとしか思えない。唖然とする俺をよそに天野は言葉を続けた。 「ねえ、生きるって素敵だと思わない?」 時間が止まったように感じた。 「俺はそうは思わない。だげど、今生きれてるだけでもすごいことだとは思うよ」 俺はそう言う。その言葉に彼女も頷く。 「そうね、明日生きてるとは限らないものね。私が殺しちゃうかもしれないし」 彼女は冗談だとは思えないほどに真面目な様子で、俺にそう言った。そもそもこんなタイプの人間がどうしてこの高校に転入できたんだ?こんなやつに出会う時点で、俺の人生が素敵なわけがないだろう。少しでも心を許した俺が馬鹿だった。それにこいつといると、本当に命がなくなってしまいそうだ。 「俺、用事思い出したわ」 俺は逃げるようにその場をさった。 * 昨日、俺の靴箱に時限爆弾が仕掛けられた。朝から警察の爆発物処理班が学校に入り、かなりの騒動となった。仕掛けた犯人は、今も逃亡中だ。いくら天野が狂っていても、まさかそこまでだとは誰も信じなかった。でも確かに一昨日、俺に明日殺すと言ったんだ。しかし全く証拠は見つからない。防犯カメラも全て動かなくなっていた。警備会社にも連絡はいっていないそうである。そして爆弾も、警察の解析によって、偽物であることがわかった。 その日中、天野にはなんのお咎めもなかった。今もそうだが、隣の席で何もなかったかのようにこちらに微笑んでいただけだ。この騒動で、クラスの宮﨑さんはなぜだか俺以上に衝撃を受けたようで今日は学校を休んだ。 今朝、俺らは朝礼で校長から犯人が見つからないこと、生徒の安全が脅かされたことを謝罪された。地方テレビや新聞記者も来ている始末だった。 「なぁ天野、あの爆弾事件ってお前だろ?」 次は体育だ。みんなが移動したのを見計らった俺は、少し呆れながらも威圧しないように天野にそう尋ねた。 「そうよ」 彼女は何も動揺せず、ただ微笑んでそう言った。 こんなことを言われれば驚かなければならないはずなのに、俺はなんだか無性に安心した。 「そうよ、じゃないだろ。一億歩譲って俺はいいとして、宮﨑さん来れなくなっちまったじゃねぇーか」 「ごめん」 天野は少し考えるそぶりを見せて、小さくそう呟いた。納得がいかない様子である。俺はこいつがなんだか幼い子供のように思えた。前の学校はいわゆる超進学校で、そんな中でも成績は全て一位だったと聞く。まるで相反するその姿が不思議に思える。 「なぁ天野、俺はさ、命は惜しくないんだ」 天野は悲しそうな顔をした。少し俯いている。 「なんで、そんなことを言うの?命は大切にするべきよ」 天野は少し声を張って涙を流しながら言った。殺人未遂犯とは思えない言動に俺は頭が痛い。 「なぜ殺人未遂犯に命の大切さを教わらなきゃならないんだ」 「あなたの命は大切にすべきものだからよ。だから私も大切に殺すの」 「お前、正気か?」 「至って正常、冷静よ」 本当に狂っている。命を大切にする人間が、人を殺す?そんな馬鹿げた話がどこにあるんだ。 「私はあなたに自分を大切にして欲しいのよ」 そうしたところで、俺を殺すんだろ? 「俺は、お前に殺されたくはない」 「そう。ならいいけれど」 彼女は納得したようで、また微笑んだ。 「なぁ、一つルールを決めないか」 「ルール?」 「あぁ、お前は俺を殺したい、俺は殺されたくはない。そうだろ?」 俺はそう吐き捨てた。宮﨑さんのような第三者の被害者が出ればそれこそ大問題だ。俺の命はそんなに惜しくないし、その方がうまくいく気がした。 「うん、そうね」 天野も髪をいじりながらそう答える。 「もし、卒業までにお前が俺を殺せなかったら、俺にお前のおっぱいを揉ませてくれ」 少しの沈黙が走る。少し時間をおいて天野の頬が赤くなっていくのがわかった。こいつ、まさか恥ずかしがっているのか。俺からすれば初日の挨拶の方がよっぽど恥ずかしい。全て事実なのだとしてもだ。 「どうだ?」 「どうって…変態なのね、和磨くん」 変態、殺人未遂に比べれば痴漢で捕まった方がマシだ。 「いいわ。わかったわよ」 「それと、」 「まだ何かあるの?」 天野は俺の顔を見た。こう見てみると顔だけは美少女なんだが。あぁ、こんなに性格が惜しい奴がいるだろうか。もっと普通のやつなら今の百倍はモテているだろう。 「直接会っている時しか殺しちゃダメだ。他の人から見られてもいけない」 「わかったわ」 彼女は静かに頷いてそう言った。 *
帰路
鋭く冷たい風が耳を刺した 透き通った夜空に星がぼやける 懐かしくて忘れたい 忘れたくてまたアルバムを閉じる 力強く漕ぎ出すんだ 顔を上げて いつも通ったあの街はもうない 僕にとってはなくてもいい 駅のホームで あの街への時間を数えてる ただ 何でもなかった いつもの街灯が 僕の頬にキスをした 夜遊びにあけくれ補導される高校生 愛人を失った夜の散歩道の老人 僕が一番 綺麗だった過去に縋る 醜いやつに見えた 温かかった唇が冷えて 白い息を吐いた いつ僕は 家に帰れるのだろう