エヴァンゲリオン
84 件の小説第⑪話 織田信長が掴んだ歴史
歴史は大きく動き始めていた。 本能寺の変は起きず、織田信長は生き残った。 その代償として、戦国の流れは未来の誰も知らぬ道へと進み始める。 安土城の城門前。 神崎蓮と姫野美咲の元に、荒れ果てた姿の武士が馬を走らせて現れた。 「神崎殿! 姫野殿!」 その男は、明智光秀だった。 顔にはかつての冷静さはなく、深い後悔と焦燥だけが滲んでいた。 「本能寺には……誰もおらなんだ……。 わしは、わしは何という愚かなことを……」 蓮と美咲は、言葉を失った。 未来では天下を揺るがせた裏切りの男が、今はただ一人の罪人のように震えていた。 光秀は続けて叫ぶ。 「頼む……上様(信長公)にもう一度会わせてほしい。 謝りたい……償いたい。 上様は今どこにおられるのだ!」 蓮と美咲は目を合わせ、答えられずにいた。 光秀を信長のもとへ連れて行けば、何が起こるか分からない。 しかし、光秀の瞳には確かな覚悟と後悔が宿っていた。 沈黙の中、蓮が口を開いた。 「……分かりました。 僕たちも一緒に行きます。二条城へ。」 美咲も頷く。 「私たちは、信長様を守らなきゃいけない。 でも光秀さん……あなたも逃げるつもりはないはず。」 光秀は深く頭を下げた。 「命を賭して、わしの過ちを償う。」 ⸻ しかし、問題があった。 蓮と美咲は乗馬ができない。 「蓮くん、どうしよう……」 「歩いていたら間に合わない……」 光秀は部下へ素早く命じた。 「そなたら、この二人を馬に乗せよ! 二条城まで急ぐぞ!」 二人は家臣に支えられ、馬へと乗せられた。 馬は勢いよく駆け出す。 風が強く顔を叩く中、蓮は強く拳を握る。 「信長様を守るために、そして……歴史を本当に変えるために!」 美咲は泣きそうな声で叫んだ。 「お願い……間に合って! 信長様も光秀さんも、誰も死なない未来に!」 馬の蹄が大地を打ち、戦国の空へ音が響き渡る。 二条城は、もうすぐそこだった――。
第⑩話 4人のテスト結果
テストが終わり、週明けの月曜日。 教室には、緊張と不安の入り混じった空気が漂っていた。 小田延永、豊富秀義、得側家安、明智光輝の4人も例外ではない。 むしろ 睡眠不足の中で受けた初めての現代テスト だけに、他の生徒以上に緊張していた。 担任の教師が教室に入ってきて、ゆっくりと告げた。 「よし、それじゃあテスト返すぞー。今回は平均点もかなり低かったから覚悟しておけよ」 4人の背筋が同時に伸びた。 ⸻ ■ 数学の結果 最初に返ってきたのは数学。 延永は紙をめくって固まった。 「……53点……!?」 秀義も自分の答案を見て目を丸くする。 「おお……ワシも55点……!」 家安は静かに微笑んだ。 「拙者は……52点。なんとか及第点でござるな」 そして光輝はというと―― 「……68点。まあ、計算は昔から得意でしたし」 3人「光輝だけちょっと高いの腹立つ!!」 ⸻ ■ 国語の結果 次に返ってきた国語。 延永「ふむ……意外と読解は難しくないな。62点だ」 秀義「ワシも60点! 現代語はよく分からんが、文章を読むのは嫌いではない!」 家安「拙者は……55点。漢文は得意なのだが、現代文は少し勝手が違うな……」 光輝「僕は……71点です。語彙はもとより得意ですので」 3人「やっぱり光輝だけ高いの腹立つ!!」 ⸻ ■ 歴史の結果 クラスがざわつく中、4人だけは別の意味で緊張していた。 延永「……この科目だけは、間違えたふりが難しかった……」 秀義「ワシもわざと間違えた。点が低すぎたら逆に怪しまれるしのう……」 家安「バランスを取るのが大変であった……」 光輝は苦笑しながら答案を見る。 そして結果は―― 延永: 58点(絶妙に外している) 秀義: 59点(致命的なミスを一つ入れている) 家安: 61点(やや高いが不自然ではない) 光輝: 63点(あえて数問落としている) 4人「……ふぅ……危なかった……」 ⸻ ■ 理科・科学・社会 残りの科目も返却された。 延永「理科……52点。科学……54点。社会……60点。……まぁ死なぬ」 秀義「ワシは全部50点台じゃ! よし、これは勝利じゃ!」 家安「拙者も平均して50前半。上出来でござる」 光輝「僕も60前後でまとめました。ふふ、これで“普通の学生”に見えるでしょう」 ⸻ ■ そして―― 4人は互いに答案用紙を見比べて、安堵の息をついた。 「全員50点以上……!」 「やったのう!」 「これで怪しまれずに済むな」 「努力した甲斐がありましたね」 4人はしばらく見つめ合い、そして同時に笑った。 「次はもっと余裕で受けたいな……」 その瞬間、戦国時代の宿敵でも、現代ではただの仲間にしか見えなかった。
第⑨話 現代テストで50点以上を!
前日の夕方。 放課後の図書室には、4人の男子の姿があった。 小田延永、豊富秀義、得側家康、そして明智光輝。 机の上には、参考書、プリント、そして大量の消しゴムのカス。 「うおぉ……現代の算数、難しすぎる……!」 延永が頭を抱えながら呻く。 「“方程式”ってなんやねん! なんで x をわざわざ隠すんだよ!」 秀義も半ば逆ギレ気味にシャープペンを振り回す。 「落ち着け。わからないなら一つずつ確認すればいい。」 家康は真剣な眼差しでノートに向かいながら、呟くように言った。 だがその手は小刻みに震え、目の下にはすでにクマができていた。 光輝は静かに歴史の教科書をめくりながら、ぽつりと言う。 「……俺たちが習う範囲、全部書かれてる。俺たちの名前まで……」 「やっぱり不思議な気分よな。」 秀義が苦笑いする。 4人のテスト勉強は、夜が更けるまで続いた。 ⸻ 翌朝 教室のドアがゆっくりと開く。 入ってきたのは――当然のごとく、 4人とも目の下に濃いクマ。髪はボサボサ。歩く姿すらヨロヨロ。 「お、お前ら……寝た?」 クラスメイトが恐る恐る聞く。 「一時間……寝た……」 「いや、俺は……二十分……」 「ふふ……現代の学問……恐るべし……」 「……あの時代に戻ったら、天下統一どころじゃないな……」 全員、完全にゾンビ状態で自席へ沈んだ。 ⸻ ー1時間目:数学ー 教室中に鉛筆の音が響く。 延永(心の声) ……よし、昨日学んだ“x の求め方”、覚えてる。覚えてるぞ……ん? なんで答えにマイナス出るんだ……? 俺、天下取ったんじゃなかったっけ……? 秀義(心の声) “連立方程式”…“連立”…“連”…“れん”……あ、蓮くん元気かな……?(違う) 家康(心の声) 落ち着け。落ち着け。深呼吸だ。……いや眠くて息の仕方忘れそう…… 光輝(心の声) 数学……俺の人生で一番の敵かもしれない…… ⸻ ー2時間目:国語ー 延永は文章読解を前に、目を細めた。 (…あれ? 文字が3つくらい見える……) 隣では秀義が完全に舟をこいでいる。 ガクッ! 「おい秀義! 落ちるな!」 「お、おぉ…? いや、俺はまだいける……!」 (いけてない) ⸻ ー3時間目:歴史ー 光輝の目が鋭く光る。 (歴史だけは絶対に…負けない!) しかし教科書に書かれた一文が目に飛び込む。 『本能寺の変は明智光秀の謀反である』 光輝「…………」 横の3人がそっと目をそらした。 ⸻ ー4時間目:理科ー 実験器具の写真を見ながら、家康が震える声で言った。 「この“ビーカー”と“フラスコ”…どう違うんだ……?」 延永が小声で答える。 「どっちも透明な容器って書いてあったぞ……?」 光輝「……それ一番ダメな答えのやつだ」 ⸻ ー5時間目:科学ー ※現代における総合科学の授業 秀義が問題文を眺めて叫んだ。 「なんで科学は漢字多いんだよぉぉ!!」 ⸻ ー6時間目:社会ー 最後の力を振り絞りながら、4人はペンを走らせる。 延永(心の声) あと3問…あと3問だけ乗り切れば……今日は解放される……! 秀義(心の声) 終わったら絶対寝る…10時間寝る……いや20時間寝る…… 家康(心の声) もし50点未満だったら…現代での将軍の威厳が…! 光輝(心の声) 俺は…本能寺の名誉のためにも…負けられない……! チャイムが鳴る。 「……終わったぁぁ……」 4人は机の上に倒れ込んだ。
第⑧話 歴史の授業
月曜日。ついに、四人が一週間で最も緊張する時間――歴史の授業が始まった。 教室の空気は普段と変わらない。 しかし、延永・秀義・家安・光輝の4人だけは違った。 (今日こそ本番……!) (練習の成果を見せるでござる……!) (いや、決して大げさにならぬよう……!) (みんな頑張れ……僕も自然にやらないと……!) それぞれの胸の中で、まるで出陣前の戦国武将のような緊張感が漂っていた。 ⸻ ■歴史教師の登場 ガラッ、と勢いよく扉が開く。 「よし、お前たち席につけー。今日は戦国時代の続きだ。」 (……よりによって、戦国時代か!) 4人の背筋が一斉に伸びた。 教師はプリントを配りながら言う。 「さて、大事なところだ。指名するからしっかり答えるように。」 延永の心臓が跳ねる。 秀義の手がじわり汗ばんでくる。 家安は深呼吸。 光輝はスッと姿勢を正す。 ⸻ ■そして、最初の指名 「じゃあ……小田。お前いってみろ」 来た。最初から延永。 (落ち着け……落ち着け延永……第7話で練習したではないか……!) 教師が質問を読み上げる。 「本能寺の変の後、織田家を支えた人物は誰だ?」 延永は一瞬、脳裏に“本人としての正解”が浮かんだが―― すぐに、光輝から教わった“自然な間違い方”を思い出した。 「えっと……その……たしか……えー…… “細川なんとかさん”…だった、ような……?」 微妙に惜しい答え。だが、ちゃんと“分からない学生っぽい”。 教師は呆れ顔でため息をついた。 「……細川藤孝は確かに関わってるが、違う! 正解は秀吉だ!」 延永は小さくガッツポーズをした。 (よし……自然に間違えた……!) ⸻ ■続いて秀義 「では……豊富。お前はこれに答えろ」 秀義はゴクリと唾を飲む。 「羽柴秀吉は、織田信長の死後、全国統一に向けてどんな政策をした?」 秀義は胸を張りすぎないように意識しつつ、少し悩むふりをした。 「え、えーっと…… 農民を……ほぼみんな……武士にした、とか……?」 教師は額を押さえた。 「真逆だ!秀吉は“刀狩”で農民から武器を取り上げたんだ!」 秀義は内心(分かっておるわ!!)と叫びながらも、表向きは 「そ、そうでしたか……」 としおらしくうつむいてみせた。 ⸻ ■家安の番 「じゃあ……得側、次はお前だ」 家安は落ち着いた表情で立ち上がる。 彼の演技は“自然に間違える”ではなく“なんか惜しい感じ”を目指していた。 「徳川家康は、江戸幕府を開いた後、どんな政策で全国を治めた?」 家安は少し考えて―― 「たしか……“参勤交代”…ではなく……“参勤……交渉”?」 教師「惜しい!! 惜しいけど違う!!」 クラス大爆笑。 家安はほんの少し誇らしげに微笑んだ。 (狙い通り、でござる) ⸻ ■そして光輝 最後に、教師が光輝に目を向けた。 「……明智。お前は答えられるだろう。これだ」 黒板に映されたのは―― “明智光秀が本能寺の変を起こした理由について有力とされる説” クラスがざわつく。 光輝は深呼吸し、落ち着いた声で答えだした。 「明智光秀が本能寺の変を起こした理由としては、 怨恨説、野心説、取次ぎ役から外された恨み、 そして四国政策を巡る対立などが挙げられています。 ただし、どれも確証はなく、現在も議論が続いています」 完璧すぎる答え。 教師もうなる。 「……まあ、そうだな。よく分かってる」 光輝は一礼すると、後ろで延永たちが親指を立てているのに気づいた。 (ちゃんと……自然に答えたぞ、みんな) ⸻ ■授業後 教室を出ると、4人はほぼ同時に笑い出した。 「いや〜危なかったでござる……!」 「うむ、見事な“惜しさ”であったぞ、家安」 「秀義も自然に間違えていたな。成長したな」 「延永さんも良かったですよ。完全に“歴史苦手キャラ”でした」 4人は肩を並べて歩きながら、誇らしげに笑い合った。 この日―― ひとつの歴史が、また新しく積み重ねられた。 現世の歴史授業でも、“四人の戦国武将”は見事に連携できたのだった。
第八章 敵からの逃走練習
雪の実家に戻って二日目の夕方。 光は、雪の弟・雨から“敵からの逃げ方”の訓練を受けていた。 その頃、家の中では雪と草平が落ち着かない様子で 窓の外を何度も覗いていた。 「2人とも、そんなに心配しなくても大丈夫よ。」 台所でお茶を煎れていた花が微笑みながら言った。 「雨が一緒なんだから。」 だが雪と草平は、まだ不安げな表情を浮かべていた。 「しかし……もし光と雨さんが大量の何かに襲われたら……」 草平は拳を握りしめた。 「大丈夫。」花は穏やかに答えた。 「雨はもう、人間としてもおおかみとしても立派な大人よ。 もし何かあったら、ちゃんと光ちゃんを連れて戻ってくるわ。」 その言葉に、雪は小さく息をついた。 「そっか……そういえば雨ももう大人だったね。 小さい頃は、本当に弱虫だったから…… 今でもどこか頼りないままに見えちゃって……」 「なあ雪、雨さんってどんな子どもだったの?」 草平が尋ねる。 「そうね……正直、今とは真逆だったかな。 臆病で、野良猫にも負けるような弱虫だったの。」 雪は懐かしそうに目を細めた。 「でも、ある日を境に雨は変わったの。」 「ある日?」 「その日はね、雪が山に沢山積もってて…… 私とお母さんと雨、三人で滑って遊んでたの。 その時、雨はヤマセミを見つけたの。 私たちに見せようと捕まえようとして…… でも足を滑らせて、川へ落ちちゃった。」 雪は少し笑った。 「そのあと言ってたのよ。 『なんでもできる気がした』って。 きっとあの瞬間、雨の中でおおかみの本能が目覚めたんだと思う。」 草平は深く頷いた。 「なんでもできる気がした……か。 じゃあ、光も……いつか変われるかな?」 雪は優しく微笑んだ。 「ええ。きっといつか、本能が目覚める日が来るわ。」 その言葉が静かに部屋に落ち着いた頃—— 玄関の扉が開いた。 「ただいま!」 「光、雨。おかえり!」 雪と草平は駆け寄り、2人を抱きしめた。 こうして、今日のおおかみとしての学びは終わった。
第七章 光と獲物の狩り方
翌朝、雨は光を連れて山に入り、狩りの仕方と敵からの逃げ方を教えた。 「それじゃあ、今日は獲物の狩り方と敵からの逃げ方を教えるね。まずは獲物の狩り方から。獲物を狩る時は獲物に極力自分の存在を気付かせないように。近づく時は足音1つ立てず、ゆっくりと横から行くんだ。ほら、あそこにウサギがいる。まずは捕まえてみよう。」 光は辛そうな顔をしながらも、ゆっくり近づいて行った。ウサギはまだこちらに気づいていない。 「今だ!」 後ろからついてきてくれいた雨が、小声で光にタイミングを伝えた。光はそのタイミングに合わせてウサギに飛びかかったが、失敗して逃がしてしまった。 茂みの向こうへ走り去っていくウサギを見つめながら、光は悔しさに唇を噛んだ。 体が震える。 胸の奥がぎゅっと締め付けられる。 「……ごめんなさい、おじさん……」 涙ぐみながら雨に謝った。 「仕方ないよ。はじめてだからね。これからも練習して行けばいいよ。そうしたら必ず出来るようになる。ただ、狩りに大事なことは、狩りをする時は感情を挟んでは行けない。感情を挟んでしまってはまともな狩りができなくなってしまう。」 「…うん、分かった。私、頑張る!」 「僕も協力するよ。けど今日はもう別の練習に移ろうか。日がだいぶ傾いている。今日は最後に、敵からの逃げ方を教えるよ。僕が敵役として光ちゃんを追いかけるから、光ちゃんはしっかり逃げてね。」 「うん、分かった。」
第六章 光の勉強
雪は出発する前に、光が通う小学校に電話を入れた。 「はじめまして。光の母親の雪と申します」 「はじめまして、雪さん。どうかされましたか?」 電話に出たのは光の担任教師だった。 「実は、娘の調子が最近良くなくて、3ヶ月ほど休まさせてください。」 「分かりました。校長にお伝えしておきます。お大事になさってください。」 「ありがとうございます。」 雪は電話を切った後、光や草平と共に必要になりそうな物を鞄に詰め込み、雨の運転する車に乗り込んだ。 3時間後。4人は雪と雨が昔暮らした家に辿り着いた。その家にはまだ雪と雨の母、花が住んでいる。花は4人を笑顔で出迎えてくれた。今日はもう夕方になっていたので、光におおかみとしての生き方を学ばせるのは明日の朝からにした。 今日は食卓を草平、花、雪、光、雨の五人で囲んだ。 翌朝、朝食を食べた後雨は光を連れて山に向かった。2人はまずは完全な狼の姿に変えた。全身からおおかみの毛がはえ、しっぽも生えている。手足は完全におおかみそのもの。鼻と口もおおかみになった。 雨は、最初に四足での走り方を教えた。 「光ちゃん、まずはおおかみ姿での走り方を教えるね。おおかみの姿の時は人間の姿とはまた別だ。だから歩き方や走り方も変わる。おおかみ姿で走る時は、地面を蹴って走る。それをイメージしてくれ。」 光は不安な気持ちを抱えつつ、勉強にしっかり立ち向かって行った。
第五章 小学校の入学式
春。 桜が咲き始めた温かな朝、光はついに小学一年生になった。 少し大きめのランドセルを背負い、緊張した表情で教室の扉を開ける。 ──1年1組。 明るい光の差し込む教室。 そこには、どこかで見た顔があった。 保育園の頃、怪我をさせてしまった男の子── マサト。 目が合った瞬間、胸の奥が凍りつく。 マサトは驚いた表情のまま硬直し、光の顔をじっと見つめていた。 教室のざわめきが遠のく。息が苦しい。 「……っ!」 光は堪えきれず、ランドセルを抱えたまま教室を飛び出した。 担任が呼ぶ声も、周りの子どもたちのざわめきも耳に入らない。 ただ必死に走り続け、家まで戻ると玄関の前で膝をついた。 その日から、光は学校に行けなくなった。 家に閉じこもり、誰とも会おうとしない日々が続いた。 ⸻ 雪と草平は夜遅くまで話し合った。 どうすればいいのか、答えは見えないまま。 しかし数日後、雪はひとつの決断をした。 「……雨を呼ぼう」 雪の弟── 雨(あめ)。 今は、雪と雨が幼い頃に暮らしていた家の近くにある 山 で、 動物たちの「先生」をしている。 その山は、今雪たちが暮らしている 街の家からは遠い。 光の通う学校からも遠く、そこへ行くにはしばらく家を空ける必要がある。 けれど、あの山なら沢山学ばせられるため、光の心を取り戻せるかもしれない。 ⸻ 数日後。 家の前に車が止まり、玄関のチャイムが鳴った。 扉を開けると、雨が立っていた。 昔と変わらぬ優しい瞳で、雪の顔をのぞき込む。 「雪、どうしたの?」 「雨、来てくれてありがとう。実はね……」 雪は光に起きた出来事と、悩み、そして願いをすべて話した。 雨は静かに聞き終えると、深く息を吸って言った。 「なるほど……。 まずは光ちゃんに おおかみとしての生き方 を学ばせたい、ってことだね?」 雪は苦しげに頷いた。 「うん……。 自分の心の強さや、自分の力を知ることができれば、 きっと学校にも向き合えるようになると思うの。」 雨は優しい表情で答える。 「わかった。僕が力になるよ。 でも、あの山へ行くなら、しばらく学校は休んだほうがいい。 この家からは遠いし、通うのは無理だ。」 「……うん。 私と雨が昔暮らしていた家の近くの山。 あそこでなら、光はきっと立ち上がれる。」 雪はそう言って、強く握りしめた手を見つめた。 光のために。 未来のために。 そして、家族の小さな決断が、 やがて大きな旅立ちへと繋がっていく──。
第四章:山からの来訪者
春の柔らかな陽光が、街の家の窓から差し込む午後。 カーテンの隙間から漂う風は、どこか懐かしい山の匂いを運んできていた。 ピンポーン―― 玄関のチャイムが鳴る。 雪が戸を開けると、そこには見覚えのある笑顔が立っていた。 「久しぶり、雪。」 雨――雪の弟だった。 背は雪よりも高く、肩には山の風に鍛えられた逞しさが宿っている。 その隣には、穏やかな眼差しをたたえた母・花の姿。 「雨……お母さん……!」 雪は思わず駆け寄り、二人を抱きしめた。 胸の奥に、懐かしい土と草の匂いが戻ってくる。 「お久しぶりです、花さん。雨さんも。」 草平が頭を下げると、花はやわらかく微笑んだ。 「こちらこそ。すっかり春の香りがするお家ね。」 居間に通すと、光が小さな足でトコトコと駆け寄ってきた。 初めて会う“おじさん”に、少し緊張した面持ちで雪の後ろに隠れる。 「お母さん、この人たちだれ?」 「この人はね、雨。お母さんの弟で、光にとっては“おじさん”になるのよ。そしてこっちはおばあちゃん。」 「……おばあちゃん?」 光は花の顔を見つめ、恥ずかしそうに頭を下げた。 「こんにちは。」 花はにっこり笑い、光の髪をそっと撫でた。 「こんにちは、光ちゃん。会うのは二度目ね。小さかったから覚えてないかもしれないけど。」 その横で、雨が膝をつき、光と目線を合わせた。 「ねえ、光ちゃん。おおかみって、好き?」 突然の質問に、光は少し考え込み、そして正直に言った。 「ううん……嫌いじゃない。でも、絵本だといつも悪者なのが嫌なの。 “食べちゃう”とか“怖い”とか言われて……。 だから、自分が“おおかみ”なの、ちょっとだけつらい。」 部屋の空気が少しだけ静まった。 だが、雨は優しく微笑んだ。 「そっか。僕も昔はそうだったよ。」 「……え?」 「子どものころ、僕もおおかみが嫌いだった。絵本で悪者ばっかりだったから。 でもね――今は違う。 おおかみとして生きることは、“つらい”ことじゃなくて、“選ぶ”ことなんだ。」 光は首をかしげる。 「選ぶ?」 「うん。僕は山で“先生”をしてる。山の動物たちに生きる術を教えるんだ。 おおかみの力があったから、山で生きることを選べた。 でも、姉さん――雪は人として生きることを選んだ。 どっちが正しいかなんて、誰にも決められない。 大事なのは、“自分で選ぶ”ことなんだよ。」 光はじっと雨を見つめた。 その瞳の奥に、何か小さな光が灯る。 「……わたしも、いつか自分で選べる?」 雨はうなずいた。 「もちろん。光ちゃんが“光”って名前をもらったのは、そのためだろ?」 雪が微笑みながら頷く。 「そうよ。どんな闇の中でも、自分の光で道を照らせるように。」 花は三人のやり取りを静かに見守りながら、優しく言った。 「……あなたたち、ほんとうにいい家族になったわね。」 その夜、五人は久しぶりに囲炉裏を囲んで語り合った。 炎の赤い光が揺らめき、三世代の影を壁に映す。 それはまるで、受け継がれていく命の灯のようだった。 外では、山からの風が街を抜けていく。 その風は、まるで“雨”が運んできた春の香りを、光の頬にそっと触れさせるように――。
第三章:小さな爪痕
光が産まれたひと月後、雪は光を連れて草平と街の自宅に戻った。 時が流れ、雪の自宅にも季節の彩りが戻ってきた。 雪の娘・光は、春の風と共にすくすくと成長していった。 明るく好奇心旺盛で、時に草平そっくりのいたずらっ子。 けれど、どこか山の匂いを感じさせる、不思議な子だった。 やがて光は保育園に通う年になった。 雪は朝、光を送り出すたびに胸の奥が少しだけざわつく。 (この子が“おおかみこども”だってこと、誰にも知られてはいけない。) 花から受け継いだ教えを、雪は光に丁寧に伝えていた。 「いい? 光。感情が強くなったら、“おみやげみっつ、たこみっつ”のおまじないをするの。」 「うん! おみやげみっつ、たこみっつ!」 小さな手で数を数える光の笑顔に、雪はそっと胸をなでおろした。 ――けれど、その日、事件は起きた。 保育園で、仲の良い子とおもちゃの取り合いになった光。 涙と怒りが一気に込み上げた瞬間、 「やめてよっ!」 バッと腕を振り上げたその拍子に、爪が相手の頬をかすめた。 赤い線が浮かび、教室に静寂が走る。 気づいた時には光の頭からはおおかみの耳が現れ、手はおおかみの手になっていた。光は震え、涙を流しながら謝った。「…ごめんなさい…」 その日の夕方、保育園からの電話に、雪の胸は締めつけられるように痛んだ。 謝罪をしながらも、心の奥では別の恐怖が渦巻いていた。 (まさか……もう“あの血”が……?) 保育園に行くと、光は泣き腫らした目で待っていた。 「ママ、ごめんなさい……わざとじゃないの。怒ったら、手が勝手に……」 雪はその言葉に、かつて自分が母・花に抱きついて泣いた日のことを思い出した。 (そうだ……私も、こうだった。) 「光は悪くないよ。」 雪はそっと娘を抱きしめる。 「でもね、“本能”っていうのはとても強い力なの。 ちゃんと向き合って、仲良くならなきゃダメなのよ。」 その夜、雪はひとり囲炉裏の火の前で涙をこぼした。 花の気持ちが、今なら痛いほどわかる。 「お母さんも、きっとこんな夜を過ごしてたんだね……」 そこに草平が静かに隣へ座る。 彼は何も言わず、雪の肩に手を置いた。 「俺は“雪”を選んだ。だから、光が何者でも――俺の子だ。」 その一言に、雪の心がやわらかくほどけていった。 「……ありがとう、草平。」 囲炉裏の火が二人を包み込む。 その光の中に、眠る光の寝顔が照らされていた。 彼女の小さな爪は、もうすっかり丸く、やさしい手の形に戻っていた。 外では、春の雨が静かに山をぬらしていた。 まるで、母と子の涙をそっと洗い流すように――。