ノラ戌
5 件の小説指切り男
そいつは突然現れるんだ、夕方、太陽が眠りに落ち、焼けた色の空がだんだん黒に染まり、月が鮮明に見え始めた頃に、姿は毎回異なるらしいが、大抵の場合は、黒のスーツに赤のブーツ、顔が見えないほど深く被ったシルクハット、まあ、それはそれは奇抜な見た目をしている。道に立ってるだけならいいのだが、卑怯なことに、やつは子供を狙って、頼み事を持ちかける。初めての頼み事は非常に簡単なものらしいのだが、引き受けてしまえば最後、次々に頼み事をされるんだ、それも回数を重ねるごとにどんどん難しくなってく。そしてついに、達成できなくなっちまうと、奴は、手に持った小さなナイフで、子供の指を切り落としちまうんだ。 宮本優子は、まあ可愛らしくて、優しくて、それはそれは良い子供だったよ。 「困っている人がいれば助ける、そうしなければ人間として失格なのだ。」 どうも、優子の優しさの根源は、母親に言われたこの言葉にあるらしい。まあ、俺から言わしちゃあ、こんな言葉は偽善でしかねえのだがな。でもともかく、優子は偽善でなく、本心でこの言葉に生きてたんだ。こんないい子、俺としちゃあ幸せになってほしい他ねえのだが、そうは行かなかった。優子の優しさは、奴にとっての格好の餌食だったんだ。 忘れもしねえ、月曜の放課後だったな、優子は友達と別れて、1人で家に向かって歩いてたんだ。赤みがかってた空も青黒く染まり、充分に月が見てる暗さになってた。優子も暗闇は苦手なもんでな、早足で家に向かってたんだ。でもよ、奴はそんな状態でも、優子が優しい子であることに変わりないことをわかってたんだ。 「僕は蟻んこが大嫌いなんだ。優子ちゃん、蟻を1匹踏み殺してくれ。」 奴の言葉を聞いた優子の反応は、「はい?」だった。そりゃあそうなる、見ず知らずの不審者から唐突に、意味のわからない頼み事をされたんだからな。でも、優子は頼みを飲んだ。親切心ではなく、恐怖心から。優子は奴が恐ろしくて、たまらなかったんだ。優子の恐怖は、頼み事の内容もさることながら、奴の行動にあったんだ。 「ゆーび切りげんまん嘘ついたらハリセンボン飲ーます、指切った。」 奴は、優子の手を強引に掴むと、小指と小指を絡ませてこう言ったんだ。 恐ろしいだろう?俺ですら恐ろしくてチビっちまう程だよ。それを小学生にするだなんて、奴はイカれてる。でも優子は強かったんだ、その後走って家に帰ると、翌朝、約束通りに蟻を1匹踏み潰した。 優子はこれで全部終わったと思ってた、でもこれが違ったんだ。蟻を殺した日の帰り道、薄暗くなった頃、再び優子の前に奴が現れた。 「頼み事聞いてくれてありがとう、また頼み事があるんだ。」 「君のお母さんは毒親だね、1発引っ叩いてしまえ。」 そう言うと、奴は再び優子の手を掴み、約束を強要すると、昨日のように消えていった。優子は昨日同様恐怖に震えながらも、これくらいならなんとかできる、と、実行を決意したんだ。 この日から地獄が毎日繰り返された。母親を叩かされた次は、担任のズボンをいきなり下ろさせられたり、校長の財布を盗まされたり、と、どんどん頼み事は重大になっていき、終いには、学校の飼育小屋を燃やすようにと頼まれるようになっちまったんだ。もうこの頃には、優子は恐怖と罪悪感でいっぱいになっちまってた。随分と酷いもんだ。 運がいいのか悪いのか、優子の悪事が周りにバレるこたあなかった。もっとも、飼育小屋の件はもちろん大問題になったのだが、結局犯人は分からずじまいに終わったんだ。優子は恐怖と罪悪感から、周りの大人に相談する機会をなくしちまってた、だから、奴の存在が発覚した時にはもう、遅かった。 優子が飼育小屋を燃やした日の帰り道、日課かのように、当たり前に、奴が現れた。 「頼み事聞いてくれてくれてありがとう、また頼み事があるんだ。」 「この金魚、僕のペットなんだけど、どうしても飼えなくなってしまったんだ。」 奴は水で満たされた、金魚が1匹入ったビニール袋を、優子に差し出して言った。 「この金魚を優子ちゃんの喉で飼ってくれ。」 「ゆーび切りげんまん嘘ついたらハリセンボン飲ーます、指切った。」 奴はそう言うと、いつも通り、優子に有無を言わさず約束すると、混乱する優子を顧みずに去っていった。 金魚を喉で飼う、正直何を言っているのかわからねえ。なんで水槽じゃダメなのか、ていうか、金魚が、喉に、、喉が、窒息しちまう。 明くる日、優子は金魚を家に置いて、学校へ行った。当然、喉で金魚を飼うなんて不可能だからな。 帰り道、優子はこれまでとは比にならないほどの恐怖に震えながら歩いてた。頼み事を達成できなかった、そうなった試しがなかったものだから、優子は何をされるかわからなかったんだ。 もはや、恐怖から真っ直ぐ歩くことすら困難になってきた頃、奴は現れた、しかし、今日はいつもとは違う点が1つ。奴は手に小さなナイフを持っていた。 優子は恐怖から後退りしたんだが、奴は、ものすごい圧迫感を持って、早足で近寄ると、 「約束破ったね、優子ちゃん。」 と、いつもより低い声で呟くと、優子の腕を掴み、小さなナイフで指を切り落としちまったんだ。 まだほんのりと熱を持ったアスファルトに、小さくて華奢な、1本の指が落ちた。 その後、優子は病院に搬送され、指の縫い合わせを試みたのだが、断面が異様なまでに汚かったために、指を再び優子の手に戻すことはできなかった。優子は、まだまだ先のある人生を、指を1本失った状態で生きていかなければならなくなった。可哀想で仕方がない。 優子の事件の後、類似した事例が複数、同時期に発生していたため、警察は奴を捕まえるべく、大捜査を行った。しかしこれが、痕跡ひとつ見つけることできずに、すぐに打ち切られたんだ。あと、捜査が打ち切られたもう1つの要因なんだが、優子の事件を最後に、奴の事件は一切起こらなくなった。 そして、あんなにも恐ろしい事件だったにも関わらず、時が経つとともに、世間は忘れていった。この一連の事柄を覚えていたのは、被害者関係者のみで、後は、小学生の間に渦巻く、様々な噂話の1つとなっちまったんだ。 でも、噂話になっちまってても、頼み事の異様さから、子供達の間では「指切り男」と呼ばれ、心底怖がられる存在になっていたんだ。
モノクローム 第1話 白いドレスを着た女
手当の出ない残業を終え、出迎えてくれる家族もいない孤独な家へと帰宅途中の男、秤夜幸太は人生に絶望していた。生きることすらに嫌気を感じ、時折"生"に対して絶望と恐怖を覚えるほどであった。 帰っておかえりと言ってくれる人がいたらもっと頑張れるのかもしれないのにな。 そう頭の中でつぶやくと、幸太は1人でに泣きそうになってしまった。 本当に辛い。仕事でも友人と呼べる存在ができずに、ただただ孤独に長時間勤務を耐え凌ぐような日々を送っている。このような調子では、死ぬことよりも生きていることを嫌になってしまうのは仕方がないのかもしれない。 仕事の疲れと夜の虚しさから、心が哀しく荒れている幸太とは裏腹に、道は静まり返り、ひんやりとした風が吹き抜ける。 「人を作ったのが神なのだとするなら、人を壊すのは誰なんだろ」 自分でも何を考えているのかよくわからないが、疲れている時は誰でもそういうものだろう。 人間というものはいつだって、幸福よりも不幸を重く捉える。自分が幸せな時はそれに気づくことなく、当たり前かのように捉えて慣れていってしまう。しかし自分が不幸な時は、どんな些細な不幸も世紀の大惨事かのように捉え、自分を悲劇の主人公にしたがる。自分はこんなにも辛い人生を送っているのだと周りにアピールさえしてしまう。 俺はこれを馬鹿馬鹿しく思っており、このような人間は本当に人生に絶望している人を侮辱する悪人だと考えていた。しかし自分もこの人種に当てはまってしまった今、最早彼らを馬鹿にする資格は無くなっていた。 。 「生きることより恐ろしいことなんてない」 俺のような、巨大な不幸に鉢合わせたことがない人間でも、これくらいは言う資格があるだろう。 幸太は最早自分の脳みそが1人でに暴走し始めてしまったかのように、哲学もどきな考えを脳内に並べ続けた。 冷たい空気は肺に刺すような痛みを与え、駅から家までの微妙に長い道のりは、もやしのように細く筋肉のついていない幸太の足を大いに疲れさせた。 仕事のことも重なり疲れがピークに達しそうな、その時、突然後ろから微かな笑い声が聞こえた。 独り言を聞かれたかと、少し恥ずかしく思いながら振り返るが、そこには誰もいない。 不安を感じつつも、幸太は疲れを誤魔化すように少しペースを上げて歩みを進める。するとまた後ろから笑い声が聞こえる。今度はよりはっきりと、そして耳障りなほど鮮明に聞こえた。 なんだよ……おれ流石に疲れすぎか……? 幸太は背筋が凍るような思いで、恐る恐る後ろを振り返る。 するとそこには、薄汚れた白いドレスを着た、髪の長い女が立っていた。清潔からはほど通りような薄汚い女は、幽玄な笑みを浮かべ幸太に手を差し出した。 「生きることを恐るなら、それを続ける必要はない。自分で決めきれないのなら私が助けてあげよう」 目や鼻が見えない程に顔に落ちた影は、どこか生きている人間からは感じないような生気のなさを放っていた。幸太は恐怖に取りつかれ、全力で逃げ出す。 「なんなんだよあいつ」 幽霊か?おれが疲れて変なもんみちまってるだけなのか?でも、もしそうじゃなくて本物の人間なのだったら…… 殺される。あいつの表情は狂気の沙汰だ。やばい、やばいやばいやばい…… 息が切れ、足はもう動かない。元々痛かった肺と足は最早感覚がない。ここまでくればもう安心だろうと、幸太が足の歩みをとめると、再び女の微笑み声が幸太の耳に近づいてきた。 やばい、追いつかれ…… 「殺したりはしないよ?私はね」 そう女が囁くと、幸太は恐怖に満ち、声にならないような叫び声を上げた。 しかし、瞬きをしたその次の瞬間、周囲が一変した。 幸太は気付けば見知らぬ森の中にいた。どこにも脱出できる兆しはないような、暗くどこまでも続く深い深い絶望の森。幸太は恐怖と混乱に包まれたままその場に硬直した。 なんで、なぜ急に景色が変わった?なんだここは……? 周囲を確認するとあの女はもういなくなっていた。しかし、安心し胸を撫で下ろすどころか、絶望的に闇に包まれた深い森を前に、幸太はどうしようもなくなるほかなかった。 無限に続くかのように思えるほど、暗く連なった木々。生気を感じさせないほどにどんよりとした雰囲気。 幸太はこの深く恐ろしい森を幼い頃からのトラウマと重ねていた。 幼い頃、親とはぐれて迷ってしまい、暗い森の中を走り回っていた記憶が脳裏に蘇る。しかし、蘇ったのはそんな絶望の記憶だけではなかった。暗い森の中で目の当たりにした、美しく燃え盛る巨大な紅色の炎。それがが頭の中に蘇った。その炎は幼い幸太を暗い森から救った、いわば希望の光だった。 きっと、この森にだってその希望の光は存在している。そう信じるほか希望なんてないんだ。 絶望の中に必死に希望を見出し、前を向こうとする幸太。彼は果たしてこの森から脱出することが出来るのだろうか。。。
(没作)天国への扉
「帰ってええぞ」 これは大仕事をしくじった後に組長から言われた一言だ。指を詰める覚悟で奴の前に立ったのに、これで終わり。 困惑した気持ちのまま出口へ向かっていると、後ろからぼそっと声が聞こえた。 「帰れるもんならやけど」 これで全てを察した。俺は帰り道に消される。 外に出た瞬間から気が気でなかった。車に轢かれるのか、通り魔に遭うのか、単純に撃たれるのか。 周りを見渡しながら、俺は早足で家へ向かう。仕事柄家のセキュリティはかなり手厚い為、入れさえすれば安全と言える。 俺は善人だ。人を傷つけたことすらない。引き受けてきた仕事はすべて合法であり、違法行為はしたことが無い。それなのに死ぬなんて、そんなのは嫌だ。 ついに辿りついた、俺が入れる唯一の安全地帯へと続く、楽園への扉に。 俺は鍵を開け、手をドアノブへと伸ばす。しかし直後、俺の心に広がった安心感は、大きな音と共に黒い影によって消し去られてしまった。 胸部に鈍い痛みを感じる。 眼前には銃を構える男。 俺は家に着いた瞬間の隙を突かれた。 こんな最期だなんて…… 開かれた扉は俺を死へと落とす、天国への扉だったのだ。
新しい色
私が予想していたのは混沌と混乱。人間を人間たるものにならしめるのは理性である。動物的となった人間はもはや動物であり、人間と呼ぶには至らぬ存在へと落魄れる。食物連鎖とは混沌であり、弱肉強食は混乱である。混沌とした世界に見出されたたった1つの法則こそが食物連鎖であり、それに順応できぬ弱者は混乱に満ちながら理不尽なまでの仕打ちを受ける。この一連は馬鹿の所業であり、人間なる理性をもった生き物は辿ることのない道である。理性の欠如は致命的障害でありヒトをケモノへ引き摺り落とす。 私が今見ているのは理性の欠如。ケモノの世界の常識を知らぬ無知な新入りたちは、なすすべなく涙を流しながら通じぬ言語だけを頼りに狩尽くされる。これらは同族嫌悪の意識の強いヒトからすれば哀れむ他無い存在であり、都合よく操ることが可能である。人間のプライドは自身を守るためだけに存在している。このためにヒトはケモノに捕食されるほかなくなってしまう。 阿保を極めし出来損ないの人外は、死ぬか永久的に家畜としてケモノの人生を歩むかの選択肢が与えられない。一見彼らはヒトの落魄れと見做されるだろう。しかしそうでは無い。これは偏見と価値観の違いによって築かれた差別意識の極み。つまり彼らが劣るという考えこそが阿呆の所業であり、信じる者こそがヒトの落魄れである。そして彼らは野生の法則に飲まれて死ぬこととなると言える。 奴らは自分たちを無色透明な阿保と自負した。だから新しい色を蹴落とした。自分たちより賢明になりうる存在をヒトから落とした。これにより差別された者共は賢者となる機会を失い、奴らの思惑通りに家畜となった。それは身体の扱いの話ではなく、心の話である。奴らは互いを貶む前に他の色を貶めた。これがこの2色の進化を止めた。 私が予想していたのは混沌と混乱。 決して理性の欠如ではなかった。
ハギシリ
平日月曜朝8時。 俺は電車に揺られながら会社へと向かう。通勤時間はおよそ1時間で、田舎駅からの乗車なため座れることは確実だ。正直座れてさえしまえば、音楽やポッドキャストを聴きながら、心地よい揺れに眠気を煽ってもらうという中々良い体験ができる。なので俺は正直通勤時間が好きだ。 しかし今日は違った。俺が乗車し角を取ると、前にあの男がいた。気味が悪いほどに私を見つめてくる中年の男だ。この男は半年に一度ほどの頻度で俺と同じ車両の角席に出没する。外観は普通だし特におかしな行動をするわけではない。ただ私を凝視する、イヤホンもつけずにずっとだ。あまり心地は良くないし、せっかくの優雅な時間を邪魔されるのは癪に触るが、奴は毎回乗って程なくして降りていくため、10分そこらの我慢が必要なだけだ。だから俺は毎回我慢する。第一、あのような頭のおかしな男に話しかけるのは危険がすぎるからな。 平日月曜朝8時。 今日は半年に一度の出張の日だ。普段とは違う場所、普段とは違う路線、普段とは違う時間に電車に乗る。私は電車移動が極めて嫌いなため、乗車中は基本的に気が立っている。5回以上の乗り換え、短い乗車時間の連続、周りの喧騒と鼻をさす嫌な匂いの数々。電車ほどに私が向かない場所はないだろう。 そして今日私はいつもより数倍も気が立っている。なぜなら、この出張の日に必ず出くわす男がいるからだ。奴は私と同じ車両の角席に出没する、一見普通のサラリーマンなのだが一つ問題点がある。周りは聞こえてないようだが私は音楽を嫌うためよく聞こえる。歯軋りだ。奴は終始歯軋りをやめない。本当に不愉快だ。私は歯軋りの歯と歯が当たる音が大嫌いだ、本当にやめてほしい。しかしあのような頭のおかしな男に話しかけるのは非常に危険。なので私はこのような戦略を編み出した。 無言の圧。 私は奴を終始見つめ続ける。