『夢屋』

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『夢屋』

いらっしゃいませ。『夢屋』と申します。 当店では「少しだけ現実を離れて、非現実を味わうお手伝。」をモットーに、小説を書いています。 どうぞごゆっくりお過ごしください♪

ご報告

 私、『夢屋』の小説を読んでくださっている皆様へご報告がございます。 この度、プライベートでの予定(学校の考査週間や塾など)が立て込んでしまい、『月夜の泡沫』の投稿が遅くれてしまっています。 申し訳ありません。 次回の「第三夜 日高シホ見参!!! 後半」につきましては、三月序盤での投稿を予定しております。 楽しみにされている方には大変ご迷惑をおかけしてしまいますが、何卒よろしくお願いします。 これは「あとがき」ですが、『月夜の泡沫』を読んでくださっている皆様には心より感謝しております。この作品が初めての作品ということもあり、心配が大きくとても不安でしたが、皆様のおかげで続ける勇気を持つことができました。これからもこの『夢屋』を、そして『月夜の泡沫』をよろしくお願いします!

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月夜の泡沫 season1

第三夜 日高シホ見参!!! 前半  静かな夜の世界。 自販機が『ジーッ』と微かな音を立て、遠くでは車の喧騒がぼんやり響いている。 僕、夜月レンは、鬼である『月詠セリ』の眷属候補として、この夜の街に立っている。 「………これ、本当にいいんだよな?」 手のひらに握りしめたのは、セリちゃんからもらったノートの切れ端。 そこには、『地獄銭湯』の電話番号と、簡単な指示が書かれていた。 不安な気持ちをぐっと抑え、覚悟を決めて僕は番号を押す。 公園に、携帯から鳴るコール音が静かに響いた。 「………」 正直、心の中で心配と不安が混成二部合唱を繰り返している。 でも、セリちゃんが大丈夫と言っていたんだ。 セリちゃんが…… セリ…ちゃんが…… …………………。 やっぱりこれ、ダメなやつじゃね? すると、低く落ち着いた男性の声が電話口から聞こえてきた。 「はい、こちら地獄銭湯の酒呑です。」 「えっ…あっあの! えっと、僕、夜月レンと言いまして……」 何自己紹介してんだ、僕! 「あぁ、セリさんの。わかりました。今どこにいらっしゃいますか?」 「あっえ?…えっと……夜川公園です。」 「わかりました。少々お待ちください。」 電話の向こうで、愉快な保留音が流れ始める。 なんとも言えない、のんびりしたリズム。 その間、僕は木のベンチに座り、夜の冷気に包まれながらじっと待つ。 するとまたあの低い声が響いた。 「セリは、たった今そちらに向かっております。その場でもうしばらくお待ちください。他にご用件は?」 「あっ、いえ……もうないです。」 「そうですか。それでは失礼します。良い夜を。」 『ツー、ツー、ツー……』 電話を切られた僕はしばらく唖然としていた。 「……え?」 周囲には夜の静寂が戻る。 僕の心臓はまだ早鐘のように鳴っていた。 酒呑さん?が、『話のわかる人』という定義を、余裕で通り越していて怖い! けれど…どこか安心もしている自分がいた。 僕は公園の街灯に照らされる自分の影を見下ろした。 影が揺れるたびに、胸の奥で小さな鼓動が響く。 夜はまだ深く、しかし、今日の夜は、少しだけ特別な気配を帯びていた。 「レンくん、何してるの?」 その時、いきなり背後から元気すぎる声が飛んできた。 「うわぁ!!!」 思わずベンチから跳び上がる。心臓が驚き口から飛び出そうだった。 「って、シホ!?」 「お久しぶりです!レンくん!」 彼女はピシッと敬礼を決めて、夜の公園でビシッと立っていた。 眩しいくらいの元気オーラが漂って来る。 「あぁ、うん……久しぶり。」 彼女は日高シホ、高校一年生。 幼稚園から高校までずっと同じ学校に通ってきた幼馴染だ。 シホを文字で表すとしたら… ・元気! ・食いしん坊! ・おバカさん! だ。 いつでも明るい彼女は僕にとっては眩しすぎる。 でも、僕は彼女のことは一度も嫌いになったことはない。それほどいい子なのだ。 「シホ、こんな時間になにしてるんだ?もうすぐ十一時回るよ。」 「ランニングです!健全な魂は健全な肉体に宿るんです!」 「相変わらず元気だな……」 「ありがとうございます!レンくんも、こんな時間に何してるんですか?」 「僕は、………待ち合わせ、かな?」 シホの目がきらっと光った。 「待ち合わせ!?……まさか!彼女さんができたんですか!?私、聞いてないですよ!?」 「違う違う!友達だよ。」 「それは本当ですか!?本当ですか!??」 「う、うん……本当。」 「ならいいです!ふぅ……安心した……!」 シホは深く深呼吸をした。 シホは一体、何に焦ってたんだ? 「それにしても、私、レンくんが学校に来なくなったって聞いてびっくりしましたよ!」 シホは身振り手振りを交えてさらに興奮気味に話す。 「あっ、もしかして!?いつもこんな感じで夜遊びしてるんですか!?」 「いや、いつもってわけじゃ……ないよ。」 「いつもじゃないってことは、たまにしているってことですよね! ダメですよぉ〜レンくん、子供はしっかり寝ないと!体に悪いです!」 シホは腕を組んで胸を張る。 その姿は、まさに昼の世界の住人って感じだった。 「こ、子供って……同い年だろ。」 「気持ちの問題です!」 びしっと指を突きつけられて、思わず一歩引く。 「それにですね、レンくん。ちょっと顔色悪いですよ?」 「え……そう?」 「そうです!前はもっと、こう……昼の太陽!って感じだったのに!」 それは褒めているのか、けなしているのか。 僕は曖昧に笑って誤魔化す。 「まぁ、色々あってさ。」 「色々、ですか……」 シホは急に真面目な顔になって、僕をじっと見る。 「……無理、してませんか?」 その一言に、胸の奥が少しだけチクリとした。 「してないよ。大丈夫。」 「本当ですか?」 「本当。」 嘘ではない。 夜の世界にいる今の僕は、確かに“楽”だから。 「ならいいです!」 ぱっと表情を明るくして、シホはまた元気を取り戻した。 と、その時。 『トタッ。』 どこか高い場所から、軽い音が落ちてきた。 「……?」 僕とシホが同時に振り向く。 街灯の上。 そこに、見覚えのある人影が立っていた。 「あっ……」 思わず声が漏れる。 「え?なに、レンくん?」 次の瞬間、 『バサッ』、と音を立てて、その影が地面に降り立った。 「よっ、レンくん。」 聞き慣れた、少し気だるい声が夜を鳴らす。 「……よっ、じゃないですよ。」 それは、セリちゃんだった。 シホは目を見開いたまま固まっていた。 でもやがて目をキラキラさせた。 「え……もしかして!忍者!?」 「違う違う。」 セリちゃんは軽く手を振って、僕の隣に立つ。 「この子、レンくんの友達?」 「……うん」 「日高シホです!食べることが好きです!」 シホはまたピシッと胸を張って敬礼をした。 セリちゃんは一瞬、目をぱちっと瞬かせてから、口の端を引きつらせた。 「……あ、うん。元気、だな……」 「はい!ありがとうございます!」 胸を張って即答するシホに、セリちゃんはちらりと僕を見る。 「レンくん、これが昼の世界のノリってやつ?」 「たぶん……特に『眩しい部類』だと思う。」 「なるほどねぇ……強いわ。」 何が強いのかは分からないけど、妙に納得したように頷いている。 「えっと…レンくんのお友達ですよね?」 「うん。えっと……月詠セリだ。」 「よろしくお願いします!月詠さん!」 シホはいつもの勢いで深々と頭を下げた。 その動きがあまりにも素直すぎて、セリちゃんは一瞬、反応が遅れた。 「……あ、うん。よろしく。」 軽く手を振るその仕草は、どこかぎこちない。 夜の世界の住人らしく、距離の取り方を測りかねている感じがした。 「なんだか月詠さんってカッコいいでね!」 屈託なくそう言われて、セリちゃんは一瞬きょとんとした。 「おぉ……どうも。」 どこか照れたように視線を逸らし、頭の後ろをぽりっと掻く。 その仕草が、さっきまでの飄々とした雰囲気とは違って、妙に人間くさい。 「……シホちゃんさ。」 セリちゃんはポケットに手を入れる。 「夜は好きか?」 シホに持ってかれつつあった雰囲気が少し元に戻った。 「はい!……と言いたいところですけど。」 シホは少し考えてから答えた。 「私は昼の方が好きです。太陽が出てて、みんな起きてて、走るのも気持ちいいし!」 「…そっか。」 短くそう言って、セリちゃんは夜空を見上げた。 その時、だった。 「そういえば!」 シホがぱっと顔を上げる。 「月詠さんって、空飛べるんですか!?さっき、ふわぁって!」 「……は?」 一拍、空気が止まった。 「ほら!街灯の上から、ばさって降りてきて……!」 両手でジェスチャー付きの再現まで始めるシホ。 「…………」 セリちゃんが、ゆっくりと僕を見る。 「……レンくん。」 「……うん。」 「めっちゃ見られてたね。」 「…うん。」 「まだいけるかな、これ?」 「無理だと思う。」 「だよなぁ。」 セリちゃんは額を押さえて、深いため息をついた。 「あぁ、レンくんだけだと思って油断してた。」 「油断って……」 「まさか昼の化身みたいな子に目撃されるとは思わないじゃん。」 「えっ!?やっぱり飛べるんですか!?」 シホの目が、きらきらと輝く。 「すごいです!人間じゃないみたい!」 「……まぁ……もう言っちゃってもいいか、あたし鬼だから。」 「え?」 シホは明らかにはてなマークを頭に浮かべている。 「……え?」 沈黙が月夜の公園を満たす。 「……あー……」 セリちゃんは、頭の後ろを掻きながら、視線を泳がせる。 「やっぱりそうなるよね。」 僕もこうなるだろうなと思っていた。 「えっ、えっ!?どういうことですか!?月詠さん、人間じゃない!?鬼!?何!?」 シホは両手をばたばたさせながら、その場で軽く跳ねた。 完全に頭が追いついていない様子だ。 「ちょ、落ち着いて。順番に説明するから。」 僕がそう言うと、シホはぴたりと動きを止めた。 「はい!」 素直すぎる返事だ。 セリちゃんは観念したように小さく息を吐いた。 「順番にな。」 そう言って、ベンチに腰を下ろす。 街灯の光が、彼女の影を長く地面に伸ばしていた。 「まず、さっきも言ったが……あたしは人間じゃない。鬼だ。」 「……」 シホは口を開けたまま、固まっている。 「で、さっき飛んでたのは能力みたいなもん。正確には跳躍だけどな。」 「……」 「あと人の血を吸う。」 「……」 「それに夜行性だ。」 「……」 「だから、朝は弱い。」 「……」 一つ言うたびに、シホの目が少しずつ大きくなっていく。 「…………」 数秒の沈黙のあと。 「……えっ。」 ようやく出てきたのが、その一言だった。 「鬼……って、あの鬼?」 「その鬼。」 「角とか生えてます?」 「生えてない。」 「豆とか投げたら効きます?」 「効かない。」 「節分は?」 「嫌い。」 「……」 その後も、セリはシホにゴニョゴニョと説明をした。 やがてシホはゆっくりと僕の方を向いた。 「レンくん。……大体わかった!」 シホの顔は少し真剣で、でも目がキラキラしていた。 「うん…それは…よかった。」 本当にわかっているのか、僕は少し不安になったけれど、シホは小さく息を吐いてから腕を組む。 「つまりですね。」 びしっと人差し指を立てる。 「月詠さんは鬼。レンくんはその眷属候補。夜の世界に片足……いや、つま先くらい突っ込んでる状態。」 「……意外と整理できてる。」 「えっへん!」 どこか得意げだ。 「よし!説明はここぐらいにして、」 セリちゃんがパンッと手を叩いた。 「レンくん、そろそろ行こうか。シホちゃんもついてくる?」 「行く!」 即答だった。 「迷いゼロ!?」 「だって面白そうじゃないですか!」 ……昼の住人、強すぎる。 セリちゃんの部屋に入ると、すぐに電子音が鳴り響いた。 ピコピコ、ガチャガチャ、やけに派手な効果音。 床に座り、コントローラーを握るセリちゃんの横で、シホが前のめりになって画面を見つめている。 「ちょ、待って!待って!待って!」 僕のキャラが画面端に追い詰められる。 「ドリャアァ!!!!!」 派手な必殺技エフェクトが舞う。 《K.O.!》 「シャァ!!!あたしの勝ち!」 セリちゃんがガッツポーズをする。 「その技ずるいよ!っていうかセリちゃん絶対やりこんでる。」 「当たり前だろ。鬼には時間が無限大にあるんだから。」 「理不尽すぎる……」 セリちゃんはにやっと笑って、シホの方を見る。 「シホちゃんもやる?あたしに勝てたら、いいことしてあげよ。」 怪しすぎる笑みをする。 「いいこと……?」 シホは一瞬考え込み、ぱっと顔を上げた。 「……いいこと……いいこと……まさか!」 勢いよく僕を指さす。 「レンくんともそういう関係なんですか!?」 「シホ!?」 「まぁね。」 さらっと言うセリちゃん。 「でも安心しなよ。レンくんとは『体だけの関係』だから。」 「セリちゃんも疑われるようなこと言わないで!」 「だって本当じゃん。」 セリちゃんは二本指を立てる。 「吸血する側とされる側。それに主と眷属候補なんだから。」 「言い方!!」 シホは数秒固まったあと、ぽんっと手を打った。 「……なるほど!」 「納得しないで!」 「つまり血液的にディープな関係なんですね!」 「んー!合ってはいるけど!」 セリちゃんは腹を抱えて笑い出す。 「ははっ!やっぱシホちゃんおもしれー!」 「笑い事じゃないから!」 ゲーム音と笑い声が、狭い部屋に響く。 さっきまでの緊張が、嘘みたいにほどけていった。 夜の世界に、昼の住人が入り込んで。 鬼と、人間と、眷属候補。 なんだかんだで、悪くない夜だと、僕は思った。 後半へ続く……

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月夜の泡沫 season1

月夜の泡沫 season1

第二夜 血感の印 後半  「覚悟は…できました。」 セリさんは少し間を置き、目を細めた。 「わかった……それじゃあ始めるよ。 ………じゃあね、人間のレンくん。 ご愁傷さん。」 「えっ?」 その瞬間、空気がぐん、と重く沈んだ。 セリさんの体が近づき、手が僕の肩や腕に絡む。 息が、首筋に生あたたかく触れ、肌がひりつく。 そして… 犬歯が首筋を軽く、しかし確実に貫いた。 『ドクン! ドクン!』っと 心臓の拍動が、まるで耳の中まで響くように伝わる。 それと同時に、首から全身にかけて、何かがじんわりと流れ込む感覚がした。 「が……かぁ……がぁ!……」 苦しい! 痛い! でも、どこか落ち着くそれに、心地いい。 息を整えようとしてもうまくいかない。 胸の奥で何かが、熱く、震えている。 セリさんの指先が、背中を伝ってそっと支えてくれる。 その感覚に、少し安心する自分がいた。 「……レンくん、力抜けよ…」 低く、穏やかに聞こえるセリさんの声。 痛みと心地よさが混ざった不思議な感覚の中で、僕はうなずくしかなかった。 声にならない声を、なんとか行動として答える。 恐怖と興奮が、入り混じった、初めての感覚だった。 そして、 セリさんは犬歯を引き抜き、首筋に柔らかく唇を滑らせて軽く舐めた後、少し離れた。 「ふぅ……気分はどうだ?」 痛みはもうなく、代わりにじんわりと温かい何かが体に染み渡っていく感覚。 「…………変な……感じです。」 僕の声に、セリさんは小さく笑みを漏らし頷いた。 「……とりあえず、これで血感の印は結べたよ。」 僕は首元を確認する。 血はすでに止まっていた。 軽く触れてみても、痛みはもうなく、ただ心地よい温かさだけが残っている。 僕は目を閉じ、深く息を吸った。 「これであたしとレンくんは、血の繋がりを得た。 もうただの知り合いってレベルじゃないな。」 セリさんはガハッと声をあげて笑った。 確かに、今僕は彼女に血を注がれて、正式に眷属候補となった。 もうただの知り合いって範囲には収まらないよな。 「ねぇ、セリ……ちゃん……」 「えっ?」 「そう…呼んでもいい?」 セリちゃんはすごい速度で両手で顔を押さえた。 「うぅ〜〜!」 頬が赤く染まり、今にも湯気が出そうな勢いだ。 「えっ?あっ、なんか……ごめん。」 セリちゃんは顔を押さえたまま小さく震えている。 僕はその様子に少し驚いた。 「えっと……照れてる?」 「…照れてない。」 「……照れてるよね?」 「照れてない!……………照れてるよ!」 僕は少し申し訳なさそうにした。 「なんて言うか…もう僕も、眷属候補だからさ、セリさんより、セリちゃ……」 「あぁ!!それより先は言うな!」 「あぁ、ごめん………えっと…ダメだった……かな?」 「……………いや、ちょっと…慣れてないから…その…ビビった…だけ…別に………いいよ。」 セリはまだ顔を手で覆っているが、声は少し柔らかく、落ち着きを取り戻しつつあった。 セリちゃん曰く、 「ちゃん付けをされたのは人生初めてだったんだよ。それに……なんだか響きが恥ずかしかった。」 だそうです。 「っで、セリちゃんに聞きたいんだけど。さっきの『ご愁傷さん』って何?」 セリちゃんはお酒を一口飲んだ。 「あぁ、あれはね、純粋な人間だったレンくんに言ったんだよ。」 「純粋な人間だった、僕?」 「そう、今レンくんは血感の印を結んだことで人間を辞めた。だから純粋な人間だったレンくんとはあの時点でお別れだったと言うわけ。」 なるほど、確かに血感の印を結んだ時点で、僕はもう人間であることを捨てている。 「だから、ご愁傷さんってわけか。」 「御名答!」 じゃあ、今の僕は、昨日までとは違う全く新しい僕なんだな。 これから一年、どんな出来事が待っているかわわからないが、たくさんの物語が僕を待っている気がした。 「そうだ、セリちゃん。」 僕は深くお辞儀をした。 「どったの?」 「改めまして、これから一年、よろしくお願いします。」 セリちゃんは一瞬きょとんとしたが。ふっと笑った。 「こちらこそ、よろしくな。あたしの眷属候補くん。」 僕たちの不思議で、少し危ない物語がここから幕を開ける気がした。 「あっ、もうこんな時間じゃん。」 セリちゃんが腕に付け入るボロッボロの電子腕時計を見て言った。 僕のスマホにも、午前四時五十四分と出ていた。 「夜の魔法も解ける頃ですね。」 「あぁ、そうだな。」 そろそろ帰らないといけない。 そう思うと、少し悲しい気分になる。 すると『バシッ』と後ろから背中を叩かれた。 「何悲しい顔してんだ?明日も会おうぜ。」 ニッと犬歯を覗かせて微笑むセリちゃんのそこ言葉を聞いて。なんだか心がホッとした気がした。 でもそこで一つ思い出した。 「あっ、セリちゃん、連絡先交換しましょう!」 「連絡先?」 「今日みたいにまた探すの大変でしょ。」 「でもさ、レンくん。あたしスマホ持ってないんだ。」 「………マジかよ。」 「なんでお金よりスマホの方で驚いてんだよ。」 「えっ?どうやって生きていくの?この現代社会で?」 「いやぁ〜、昔はね買ったんだよ。便利そうだし面白そうだなぁって。でもすぐ新しいの出るし。そもそも連絡取る相手がいないって気づいたんだよ。」 「えっ…何それ悲しい。」 「そんな同情するような目で見るな!」 セリちゃんは手を頭の後ろに回した。 「でもまぁ、今日みたいになると大変だよな。」 するとセリちゃんは棚からノートを取り、 少しちぎって何かを書き始めた。 「はい、これ。」 「これって?」 「地獄銭湯の電話番号。」 「いやなんで?」 「あそこやってる人、知り合いだからさ。あたしに会いたい時そこに電話かけてくれたら、繋いでくれるよ。」 「いや、どういう関係だよ。それに地獄銭湯に迷惑じゃないですか?」 「いいんだよ。あの人は割と柔軟だから。まっそういうことだから。」 「……ほんとに大丈夫なんですか、それ。」 僕は、半信半疑で紙切れを見つめた。 「でも、これで一緒にいられる時間が増えたな。」 僕はその言葉に、少しドキッとした。 「…はい。」 目を逸らす僕に、 ニヤニヤしたがらこちらを見て来るセリちゃん。 この人は本当に人を弄ぶのが好きなんだから。  外に出ると、空はもう白み始めていた。 夜が終わり、朝が始まる境目。 さっきまでの出来事が、夢みたいに遠く感じる。 「気をつけて帰れよ。」 その言葉に暖かさを感じる。 「はい。」 僕は首元に手を当てた。 もう傷はない。 でも、確かに“何か”はここに残っている。 人間を辞めた、その証。 振り返ると、幻想亭ノクターンの二階。 カーテン越しに、セリちゃんの影が一瞬だけ見えた。 「……また明日。」 誰に聞かせるでもなく呟いて、僕は歩き出す。 こうして、 鬼と人間のあいだに立つ僕の夜が、 本格的に始まった。 おまけ  「第一回 月詠セリの泡沫ラジオ!」 「どうも〜、始まりました。『月詠セリの泡沫ラジオ!』。 こちらはあたし、月詠セリが気まぐれで行うラジオコーナーでございます。 主に小ネタを話していく予定ですので、よろしくお願いしまぁ〜す! ってことで!ゲストに早速登場してもらいましょう!」 「えっここどこ?」 「ゲストのレンくんです!」 「えっセリちゃん!?何これ!?」 「今回は地獄銭湯について話していこうと思います!」 「えっ無視?」 「地獄銭湯はこの街、唯一の銭湯です。 江戸時代からあるそうで、今も昔もこの街の人々に愛されている銭湯なんです!」 「えっと…僕も、昔家族でよく行きました。温度が高めで……その…体の芯から温めるのがいいところだと思い…ます。」 「ってことで今回はここまで!『月詠セリの泡沫ラジオ!』でしたぁ!」 「短くない?」 次回 第三夜 日高シホ見参!!! 前半

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月夜の泡沫 season1

月夜の泡沫 season 1

第二夜 血感の印 前半  午後十一時を少し過ぎたころ、僕は、いつものようにアパートのドアを静かに閉めた。 金属が噛み合うような、乾いた鍵の音が「かちり」と鳴る。 金属音が夜に溶けていく。 ……もう、この音にも慣れてたな。 冷えた夜気が頬に触れる。肺の奥まで吸い込んで、ゆっくり吐く。 「……今日も、いい夜だ。」 自然と口からこぼれた。 昨夜は色々ありすぎて体が疲れたのか、 昼間は死んだように寝てしまった。  僕は階段を降り歩道を歩き出す。 とりあえずあの人を探そう。  僕はまず公園へ向かった。 その公園は昨日のように静かで、 ブランコは揺れていないし、滑り台の上にも誰もいなかった。 昨夜、セリさんと話したベンチも空っぽだった。 「……いないな。」 街灯が怪しく照らす道を進む。 そしてあの店、『幻想亭ノクターン』に着いた。 でも、店の明かりはついていなかった。 薄暗い外灯に照らされた看板が、やけに主張している。 『今夜はやってないよぉ〜 byセリ』 「……なんかムカつく。」 あの人の声で当たり前のように再生されるから、なおさら腹が立つ。  ここにもいないならあと『天野商店街』とか…『地獄銭湯』…かな? ここへ向かう途中に駅周辺も確認したが、いつもの酔っ払い3人が、ふざけやっていただけだった。 「……本当に、どこにいるんだよ。セリさん。」 正直、夜に出れば、必ず会えると思っていた。 その思いが、少しずつ空振りになっていく。 街灯の光と影の境目を踏みながら、僕はさらに歩き続けた。 すると、 『トタッ。』っと 小さく、でも確かに聞き慣れない音がした。 反射的に振り向くと、 街灯の上。 オレンジ色の光の縁、そのさらに外側に人影があった。 「あっ……」 僕がそう漏らすと、 「おっ……」 間の抜けた返事が返ってきた。 『バァサッ』と空気を切る音がして、その影が軽やかに地面へ降り立った。 「よっ。」 「よっ……じゃないですよ!」 思わず声が裏返る。 「僕を呼び出したのセリさんじゃないですか!本当に探したんだから!」 って言うか、人の部屋の窓に手紙貼っていくか? 普通? 「ごめんって。」 セリさんは悪びれもせず、頭の後ろで手を組む。 「ちょっと血を吸えそうな人間、探してたんだよ。」 「…………」 僕はセリさんを不審そうな目で見た。 「……男たらしのクソビッチ。」 「誰が男たらしのクソビッチだ!!面白いじゃねぇか!」 「自分で言ってたじゃないですか! 吸血は食事以外にも色々な意味があるって!」 「……まぁ〜」 セリさんは目を逸らし、頬を掻く。 「言った気が、しないでもないな。」 「ほらぁ!!」 「まぁまぁ〜、」 セリさんは一歩近づいて、軽く手を振った。 「今度からはさ、レンくんからしか吸わないから。許して? ね? ね?」 「……」 僕は、やがてため息をついた。 「……わかりました。」 セリさんの口元が、にやりと歪む。 「今、絶対『レンくん、ちょろぉ〜』 って思いましたよね。」 「うそぉ、あたり。」 「はぁ、もういいです。」 肩から力が抜けるのがわかる。 怒る気力すら削がれるのは、ある意味すごい。 少し間を置いて、僕は本題を切り出した。 「……それで。なんで僕を呼び出したんですか?」 セリは一瞬きょとんとしてから、さも当たり前みたいに言う。 「なんでって……そりゃレンくん、鬼になりたいんだろ?」 「それは……そうですけど…」 胸の奥がざわっとする。 「………もしかしてそう言うこと?」 セリの口角が、ゆっくり上がった。 「そうだ。例の『儀式』、してやるよ。」 「おっ…おぉ!マジか!えっと、じゃあこれで僕も鬼になれるってことですよね!」 思わず前のめりになる。 「まぁ、そうだな。」 「それじゃあ!早速やってください!」 「おっおい、待て待て!」 セリは手のひらを突き出して制止した。 「ここでやるのはまずいだろ。人目のつかないところでやらないと。」 確かにそうだ、変なことしている人がいるって通報されたら困る。 「自分で言ったのもあれだが、『人目のつかないところ』って響きなんかエッチだな。」 セリさんが笑みを浮かべながら唐突に言った。 「ほぉ〜んと、すぐそういうこと言う。」 「これがあたしだからな!」 「ふ〜ん。」 「なんだよ。」 「ふ〜ん。」 「やめろぉ!その反応!」 「っで、どうします?」 「こっこいつ!あたしの扱い分かってやがる!」 セリさんは両拳を握りしめて悔しそうな顔をした。 「まっまぁ〜とりあえず、あたしの家行こ。」 「ん?家?」 その単語が脳内で反響する。 ……家。 ……人外とはいえ女性の家。 えっ めっちゃ緊張するんだけど!? いきなり家!? 大丈夫か僕!? 心臓もつ!? 頭の中で一気に思考が暴走する。 セリさんはそんな僕を横目で見て、やってやったと言わんばかりに、にやにやしながら言った。 「なーに、ぼぉっと突っ立ってんだよ。気持ち悪りぃ。」 「いっ、いや! 別に! なんでもないです!」 慌てて否定するけど、声が裏返った。 「へぇ〜?」 セリは面白そうに覗き込む。 「もしかして、緊張してる?」 「し、してません!」 「顔、真っ赤だけど。」 「夜風です!」 「便利な言い訳だな。」 ケラケラ笑いながら、セリさんは歩き出す。 「ほら、行くぞレンくん。覚悟決めな。」 その背中を見ながら、僕は一度、深呼吸した。 そして、もう戻れない夜へと踏み出した。 「着いたぜ。」 そう言ってセリさんが立ち止まった場所は、 見覚えのある、レトロな外装の建物だった。 「……ここって…」 「うちの店だけど。」 看板は相変わらず『今夜はやってないよぉ〜 byセリ』と煽ってきている。 「セリさんって……店に寝泊まりしてるんですか?」 「いや、そういうわけじゃない。」 彼女は鍵を取り出しながら言った。 「この店の二階が、あたしの部屋になってんだよ。」 カン、カン、と乾いた音を立てて、少し錆びた外付けの階段を登っていく。 女性の……セリさんの部屋。 どんな部屋なんだろう。 可愛いクッションとか、 ぬいぐるみとか、 間接照明とか……。 よくわからないけど、心臓が跳ねる。 「どうぞ〜。」 「お、お邪魔します……」 そのお部屋の内装は! 「驚くほど、何もない!!!」 「何もなくて悪かったな!」 セリさんは眉をひそめた。 「いや、え? ここに住んでるんですか? 本当に? テレビと敷布団だけ?」 部屋の隅に小さなテレビ、床に敷かれた布団。 あとは、飲みかけの酒瓶が一本あるだけ。 「ダメか?」 「いや……」 少し考えてから、口に出す。 「セリさんって、ミニマリストかなんか?」 「別に…そうゆうわけじゃ…」 照れているのは明らかだ、でも何に? 「……あのな、レンくん。」 真顔で真剣そうにセリさんが呟く。 空気が少し張り詰めるのを感じる。 「実はあたし…………金がねぇんだ。」 「……うん。なんとなく、わかってた。」 「気づかれてる!?」 がーん、と効果音がつきそうな勢いで肩を落とす。 「だって……喫茶店の開店時間気分次第だし…… お金取らない時だってあるし………って言うか、稼ぐ気あります?」 「だまれぇ!」 本当にこの人、大丈夫なんだろうか? 真面目に、あった時とはまた別の面で心配になってきた。 「あぁ〜、もう!色々置いといて!まずは儀式!儀式!『血感の印』(ケッカンのイン)の話をするぞ!」 「置いといていいのか、これ?」 セリさんは、敷布団の端に腰を下ろし、少し真面目な顔になる。 「血感の印ってのはな、鬼が人間を“眷属にするかどうか”を決めるための期間だ。」 「……決めるための、って。」 「一回結んだから即鬼、ってわけじゃない。」 セリさんは指を一本立てる。 「一年。潜伏期間がある。まぁ素が病だからな。」 「一年……」 「その間に、あたしが印を『破棄』するか、あたしかレンくんのどちらかが『死ぬ』と……失敗、つまりは鬼になれないってことだ。 それに、一度失敗すると、その人間は二度と鬼にはなれない。」 さらっと、今とんでもないことを言った気がする。 「……物騒ですね。」 「鬼の世界なんて、そんなもんだ。」 セリさんは続ける。 「何事もなく一年経てば、レンくんは正式にあたしの眷属になる。 その時、初めて“鬼になる資格”を得るんだ。」 僕の喉が、ごくりと喉を鳴らした。 「……じゃあ。」 僕は、頭に浮かんだ疑問を、恐る恐る口にする。 「セリさんが途中で……やっぱやーめた、ってなったら、」 「レンくんは人間のままだ。」 即答だった。 それはあまりにも冷え切った言葉だった。 「……」 「不安?」 そう聞かれて、僕は少し考える。 「……正直、はい。」 セリさんは一瞬黙り、それからふっと笑った。 「安心しな。あたし、気に入った血は手放さない主義なんだ。」 冗談めかした口調だけど、目は真剣だった。 「……それ、安心していいんですか。」 「あぁ。」 不安と信頼が同時に襲いかかって来た。 「…それで、」 僕は布団の前に立ったまま、背筋を伸ばす。 「その儀式……何をするんですか?」 セリさんはゆっくり立ち上がり、僕の前に立つ。 距離が…近い。 「鬼の血と、人の血を混ぜる。」 「血を…混ぜる……」 「痛いのは、一瞬だ。」 そう言って、セリさんは犬歯を覗かせて笑った。 「覚悟は、いいかい。レンくん。」 夜は、確実に核心へ近づいていた。 後半へ続く………

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月夜の泡沫 season 1

月夜の泡沫 season1

第一夜 出会った二人 後半    ………着いてきてしまった。 自分の足で歩いてきたはずなのに、ふとそんな言葉が頭に浮かぶ。 駅前の明るさから少し外れた、路地裏。 人通りはほとんどなく、街灯の光も控えめだ。 その一角、目の前にあるのは、どこか懐かしい雰囲気の建物だった。 低い二階建てで、外壁は少し色あせている。 派手なネオンも、呼び込みの看板もない。 ただ、木製の看板がひとつ。 『幻想亭ノクターン』 レトロな字体で、そう書かれている。 「着いたぜ。」 彼女は、振り返って言った。 「ここが、あたしの店 『幻想亭ノクターン』だ。」 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がふっと緩んだ。 「あっ………喫茶店か…」 喫茶店。 ちゃんとした、喫茶店。 正直に言えば、少しだけ、ほんの!少しだけだが。 彼女の雰囲気や、夜という時間帯から、 「アレな店」だったらどうしよう、なんて考えていた自分がいた。 何と言うか、怪しいバーとか。 大人向けの店とか。 あるいは、もっと踏み込んじゃいけない場所とか。 「ふぅ……」 安心したのが、顔に出てしまったのかもしれない。 彼女は、僕の表情を見て、にやりと笑った。 「おぉ〜?」 その顔は、完全に確信犯だった。 「何だぁ〜少年。えっちな店だとでも思ったか?」 ぐっと身を乗り出してくる。 「すけべなやつだなぁ〜、君はぁ。」 「べっ……!」 思わず声が裏返る。 「別に! そんなんじゃ……ないです!」 必死に否定すると、彼女は楽しそうに肩を揺らした。 「本当かなぁ〜、ふ〜ん。」 まだ何かを疑っているような顔だ。 「まあ、そんな必死に否定するってことは、多少は想像したってことでしょ?」 「してません!」 即答すると、彼女はくすっと笑う。 「はいはい。少年は素直だねぇ。」 からかわれているとわかっていても、どう返せばいいかわからない。 顔が熱くなるのを感じながら、僕は視線を逸らした。  改めて、建物を見る。 壁には年月を感じるし、窓枠も少し歪んでいるように見える。 「古い建物なんですね。」 「ん?あぁ〜まぁねぇ、この店、明治からあるし。」 彼女はポケットを弄りながら言った。 「明治…………」 彼女はポケットから鍵を取り出す。 「ボロっちいけどさ、掃除はしっかりしてるから。」 その言い方が、妙に自信満々で、逆に信じられる気がした。 錆びついた鍵を、古そうな扉の鍵穴に差し込み、少し力を込めて回す。 「がちゃり。」と低く、重たい音が空間を震わせた。 「どうぞ。」 セリは、扉を開けて、僕の方を見る。 「入りな。」 僕の足は、扉の前で一瞬だけ、止まった。 知らない人の店。 状況が状況だ。 普通ならありえない、でも夜が僕をここまで歩かせたのだと思う。 それだからか、不思議と怖くはなかった。 「……お邪魔します。」 小さくそう言って、僕は一歩、足を踏み入れた。  扉が閉まると、夜の空気がふっと遠ざかった。 代わりに、静かな雰囲気が店内を満たす。 まず目に入ったのは、木の色が深く染み込んだカウンターだった。 長年使われてきたのだろう、表面には細かな傷がある。 けれど、不思議と汚れた印象はなく、むしろ落ち着きを感じさせた。 丸いテーブルがいくつか、間隔を空けて置かれている。 椅子はどれも形が少しずつ違っていて、統一感がない。 壁には、見覚えのない絵や、古そうなポスター。 振り子時計が一つ、かちり、かちりと小さな音を刻んでいた。 全体的に、少しレトロで、少し雑多で でも、居心地は悪くなかった。 むしろ、胸の奥がゆっくりと落ち着いていく。 「どう?」 背後から、彼女の声がする。 「なんか……」 言葉を探す。 「静かで……落ち着きます。」 「でしょ?」 彼女は満足そうに頷いた。 「じゃ、少年。とりあえずそこのカウンターで座っておいて。」 そう言われ、僕は言われるままカウンター席に腰を下ろした。 木の椅子が、きぃ、と小さく鳴る。 彼女はひらりとマントを翻して、店の奥へ消えていった。  一人になると、急に自分の鼓動が気になり始める。 静かな店内では、心臓の音まで響いているような気がした。 本当に、来ちゃったな。 夜の喫茶店。 知らない人の店。 なのに、不思議と後悔はなかった。 ほどなくして、奥から足音がする。 彼女が、紙の束を手に戻ってきた。 そして僕の目の前でそれを開き 「どれにします?お客さん。」 と怪しく口角を上げて言う。 その言い方が、妙に板についていて、少しだけドキッとした。 「えっと……」 僕は、メニューを目で追う。 コーヒー、紅茶、ココア。 名前は普通なのに、ところどころに見慣れない表記のものもある。 「……」 正直、どれを頼めばいいのかわからない。 「悩んでるねぇ。」 彼女は、楽しそうに肘をつく。 「初めての店は、緊張するよね。」 「……はい」 少し考えてから、僕は言った。 「じゃあ……ホットミルクで。」 一瞬、セリが目を瞬かせた。 「ホットミルク入りましたぁ!」 やけに元気な声が、店内に響いた。 「……何ですか、それ」 僕が、思わずフッと笑い、そう突っ込むと、セリは振り返ってニッと笑う。 「少年。」 人差し指を立てる。 「夜はテンションだぜ。」 「……はあ。」 「ほら、バイブス上げて。」 バイブス上げろって言われてもなぁ…… って言うかバイブスって何? 何をすればいいんだ? 雰囲気的にテンション上げろってことなのか? うーん、わからん! ここはとりあえず…… 「イッ……イェーイ…バイブス…上げてこぉ!」 僕は、まぁまぁな声で言った。 自分で言っておいて、恥ずかしさが一気に込み上げる。 顔が熱い。  彼女は吹き出してカウンターを叩きながら笑い始めた。 「ダメだ……耐えられん……少年…ぎこちなさすぎ…腹痛い…。」 とても楽しそうな笑い声が店内に響いた。 「バイブス上げるって何なんですか……」 僕はどこか拗ねたような声で言った。 「あぁ〜ごめんごめん。えっとねぇ、まぁ『テンション上げてこぉ』みたいなもんだ。」 「ふーん。」 「まぁまぁ、そんな拗ねんなって。すぐホットミルク持ってきてやるから。」 そう言って、彼女はまだ笑いの余韻を引きずりながら、カウンターの奥に戻った。 肩が小刻みに揺れていて、さっきの僕の声がよほどツボだったらしい。  少しして、白い湯気を立てたマグカップが、僕の前に置かれる。 「はい、お待ち。」 「……ありがとうございます。」 両手でカップを包むと、じんわりと熱が伝わってきた。 冷えきっていた指先が、少しずつ感覚を取り戻していく。 そっと口をカップにつけ、ホットミルクを口に含んだ。 「あ……」 思わず声が漏れた。 甘すぎない、やさしい味。 喉を通って、胸の奥にまで温かさが広がっていく。 「どう?」 カウンターの向こうで、彼女が肘をついてこちらを見ている。 「……美味しいです。」 「でしょ。」 満足そうに、ふっと笑う。 もう一口飲む。 不思議と、肩の力が抜けていくのがわかった。 「……落ち着きますね。」 「それはよかった。」 彼女は、カウンターの内側で背中を預ける。 「この店、開店日とか時間とか決まってるんですか?」 僕は、彼女の影響か、それともこの雰囲気の影響なのか、この店が気に入り始めていた。だから、心の底で通ってもいいんじゃないかと思っていた。 「気まぐれだけど。」 即答だった。 僕は、その回答に、驚いたと言うよりかは、この人だったらあり得るなと不思議と思えた。 「気まぐれって、それ、商売として成り立つんですか?」 思ったまま口にすると、彼女は吹き出した。 「成り立たないね。」 「ですよね……」 「まぁ〜でも、一定の普通から逸脱した人たちがきてくれるから。」 その言い方に、少しだけ引っかかる。 「普通じゃない……」 「あぁ、勘違いしないでくれ。褒め言葉だよ。」 彼女は、指先でカウンターを軽く叩く。 「夜にここへ辿り着く時点で、だいたい何か抱えてる。」 「……」 僕は、ホットミルクの表面を見つめた。 揺れる湯気が、ゆらゆらと形を変えていく。 「あたしが連れてきたようなもんだけど、君も、そう。」 確かに、彼女に着いていくと決めて、ここまで歩いてきたのは僕自身だ。 決めつけるような口調なのに、不思議と嫌じゃなかった。 「……わかりますか。」 「なんとなく。」 正直、図星だった。 「あのさ、少年。別に、無理に合わせなくていいじゃん。 もっとゆるく生きようぜ。」 僕は、その言葉を噛みしめる。 そして、また一口また一口とホットミルクを飲んだ。 僕と彼女は壁にかけてある古い時計を見た。 針は午前4時58分を指している。 「そろそろ夜の魔法が切れる時間だ。」 「…そうですね。そろそろ帰らないとですね。」 僕はそう言って立ち上がった。 「……僕、ここに来て、よかったです。」 その言葉に、彼女は一瞬だけ目を丸くした。それから、すぐにあのからかう笑みを浮かべるけれど、どこか照れを隠すみたいに視線を逸らす。 「なーに急に。そういうの、いきなり言われると効くんだけど。」 カウンター越しに手をひらひらと振った。 僕は、その彼女の動きを横目に、ポケットから小銭を取り出そうとした。 すると、 「今日はサービスだ少年。お代はいらねぇよ。」 と言い彼女は僕の動きを止めた。 「えっ……でも。」 「その代わりさ、」 彼女は僕の方を見て、少しだけ声を落とした。 「また来な。多分、店開けてるから。」 “多分”という曖昧な言い方なのに、不思議とそれは約束みたいに聞こえた。 「……はい。」 深くは考えず、でも確かに胸の奥が温かくなるのを感じながら、僕はそう答えた。 店を出ると、夜風が頬を撫でる。さっきまでいた空間が嘘みたいに、住宅街は静かだった。振り返ると、レトロな外装の建物が街灯に照らされて、ひっそりとそこに佇んでいる。 『幻想亭ノクターン』 胸の中でその名前をもう一度なぞってから、僕は家路についた。 それから二週間が経った。 「こんばんわ。」 古いドアがきぃと鳴る。 「いらっしゃい、少年。」 彼女はニッと笑う。 僕はすっかりここに通うようになった。 開店日や時間は気まぐれだけど、開いた時には必ず足を運んでいたと思う。 「今日もいつもの?」 「はい、お願いします。」 「相変わらず健全だなぁ」 そんなやり取りが、いつの間にか当たり前になっていた。 僕は、あのカウンター席に腰を下ろした。 ここでは、何かを話す日もあれば、ほとんど黙ってホットミルクを飲むだけの日もあった。 彼女は特に詮索せず、適当に話しかけたり、鼻歌を歌いながらカウンターを拭いていた。 なぜ通っているのかはよくわからない。ただ…… 夜の中に、自分の居場所が一つ増えた気がしていた。 「はい、ホットミルク。」 ことっとカウンターにカップが置かれた。 「ありがとうございます。」 ホットミルクは、今日もやさしい温度だった。 湯気がゆらゆら立ちのぼって、鼻先をかすめるたび、胸の奥がふっと緩む。 「今日さクッキー焼いたんだけどさ。作りすぎちゃって、食べる?」 「いいんですか。ぜひ。」 「ちょっと待ってて。」 彼女はそう言っておくからクッキーが大量に載せられたお皿を持ってきた。 僕はミルクを一口飲む。 「確かに、これは作りすぎですね。」 「だろ。味はいいんだけどな。飽きるんよぉ。」 僕はひとつとってそれをホットミルクと一緒に味わう。 チョコのやさしい甘さが口に広がる。 「美味しいです。」 「それはよかった。」 レコードの針が静かに回る音が、ゆったりとした時間を作っている。 「あっ聞いて欲しいんだけどさ、この前、駅で……」 彼女は急に思い出したように話し始める。 「終電逃したサラリーマンが三人まとめてベンチで寝ててさ。警察に声かけられても誰一人起きねぇんだよ。」 「その人たち寒くないんですかね。」 「そう。あたしも思ったんだよ。だから毛布かけてやったんだけど、起きたら全員あたしをキャバ嬢だと思ったらしくて。」 「あー。」 「『指名で』とか言われてさ。冗談じゃねぇっての。」 そう言って、セリはケラケラと笑う。 僕も思わず、少しだけ口元が緩んだ。 こういう、たわいもない話が僕の心を満たしてくれる。 「その人たち、相当酔ってますね。」 「だろ? 『人間』ってやっぱり面白いよな。」 ん? 『人間』? その「人間」という言い方に一瞬だけ引っかかりを覚えたけれど、すぐに会話は流れていった。 彼女と雑談をしているうちに、みるみるうちにホットミルクもクッキーも減っていった。 やがてミルクを飲み終えると、僕はカウンターの内側をちらりと見た。 「……あの、いつもお代を取らないじゃないですか。」 「ん?」 「代わりに今日くらい、何か手伝わせてください。洗い物とか……」 一瞬きょとんとした顔をしてから、彼女はにやっと笑った。 「おっ、気が利くねぇ。いいよ、任せる。」 そう言って、シンクの方を顎で示す。 「あたし、裏で片付けるものがあるからよろしく。」 すると彼女は裏の方に消えた。 僕は立ち上がり、袖を少しまくってシンクに向かった。 コップを一つ取り、泡立てたスポンジで丁寧に洗う。 ……そのときだった。 「っ……」 指先に、ちくりとした痛みが走った。 思わず手を引くと、白い泡の中に赤がにじんでいた。 「あっ少年、そこ、皿の破片あるから気をつけ……」 戻ってきてそう言った彼女の 言葉が、途中で止まった。 彼女の視線は、僕の指先から滴る血に釘付けになっていた。 ドクンッ、と。 空気が一瞬、跳ねた気がする。 「えっ……と。もしかして、切っちゃった?」 「……はい。でも、これぐらいの傷なら大したことないです。」 僕はそう言って、軽く指を振る。 「いやいや、ダメダメ!」 セリはやけに慌てた様子で近づいてきた。 「傷口、消毒しないと……ばい菌とか入るし……っていうか……」 言葉が少しちぐはぐで、呼吸もどこか早い。 「……あたしが…耐えられないっていうか……」 「耐えられない?」 僕が聞き返すと、彼女は一瞬、はっとした顔をした。 「と、とにかく! 少年、ここに座りな。ほら!」 彼女が椅子をバシバシと叩きながら言った。 僕は、半ば強引に椅子へ座らされた。 「一回、傷口見せてみな。」 はぁ、はぁと顔を熱らせた彼女の息が、空気を湿らす。 怪しいな、と思いつつも、僕は指を差し出した。 彼女は震える手で僕の手を取る。 彼女の視線は、ずっとそこから離れない。 まるで、他のものが見えていないみたいに。 茂みでじっと獲物を狙う猛獣みたいに。 彼女の息が指先に触れる。 「あの……セリ…さん?」 その瞬間だった。 ちゅっ、と小さな音とともに、指先に柔らかい感触。 「……ふぇ?」 間の抜けた声が、僕の口からこぼれ落ちた。 セリは顔を上げ、指先をぺろりと舐めてから 両手を顔にやり満面の笑みを浮かべた。 「めちゃくちゃうまい!」 店には沈黙が流れた。 ただ時計の針だけがこの空間で動きを止めず動いていた。 「あっ」 彼女は我に返ったように目を見開き、固まる。 「……やっちまった。」 「何、今の!?」 僕の声が、店内に響いた。 反射的に椅子から半歩引き、切った指を胸の後ろに隠す。 「な、なんだったんですか今の!? ちゅって! えっ、血を吸った? えっ? 怖い! えっ!? そういう趣味!?」 頭が完全にパニックを起こしている。 「違う違う違う!!」 彼女は両手をぶんぶん振って、必死に否定した。 「断じて違う! 確かにそういう方面の知識とか……まぁ、あるけど! 今のはそういうのじゃない!!」 「それは否定しないのかい!」 即座にツッコミが飛ぶ。 「今のは……その……事故! 完全に事故!」 「事故で血吸います!?」 「吸いたくて吸ったわけじゃ……いや、結果的に吸ったけど!」 「やってんじゃねぇか!」 彼女は頭を抱えた。 「あーもう、説明が追いつかん……」 僕はじりじりと距離を取りながら、恐る恐る口を開く。 「あの……吸血鬼とか、そういうパターンですか。」 半分は冗談のつもりだった。 「え〜と……」 彼女は目を泳がせ、天井を見上げ、観念したように息を吐く。 「……あー。」 僕の表情が固まる。 僕は、なんとなく彼女の行動で察した。 「冗談のつもりだったんですけど……?」 彼女は、指でこめかみを掻いた。 「なんて説明すればいいかなぁ……」 少し間を置いて、真剣な声になる。 「あたし、実は……鬼なんだ。」 「……鬼」 レンは一拍置いて、ゆっくり頷いた。 「なるほど……鬼ね……」 な〜んだ、ただの鬼か… 鬼なら…納得だな……うん… 「鬼!?!?」 椅子がガタンと鳴る。 「うん! そういう反応になると思ってた! っていうか普通信じないし! 自分でも言っててどうかと思うし!」 彼女は慌てて続ける。 「でもほら!なんていうか!そういう感じするだろ!」 「どういう感じだよ!情報が多い!!」 僕の頭は完全に処理落ちしていた。 レコードの針が、カチ、と音を立てる。 「……あの」僕は、恐る恐る聞く。 「僕……食べられたりしませんよね?」 「しないしないしない!!」 即答だった。 「今どきそんな鬼、滅多にいねぇから! それに掟違反だし!」 「掟……」 「説明すると長い!」 そして彼女は大きく息を吐いて、僕を見た。 その言葉のあと、店内には微妙な沈黙が落ちた。 レコードは回っているのに、音が遠く感じる。 互いに視線を合わせられずにいた。 ……気まずい! 何か言わなきゃいけない気がするのに、何を言えばいいのか分からない。僕は口を開きかけて、結局閉じた。 彼女の方も同じだったらしい。数秒、数十秒と経って、とうとう我慢の限界が来たように頭を掻きむしり、 「あぁ〜! もう!」 突然、大きな声を出した。 「少年! 外行こ! 外!」 「このタイミングで!?」 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。 「いいからぁ!」 そして半ば強引に背中を押され、そのまま店を出ることになった。 夜風が、二人を包む。 カチッ…プシュー! 彼女は、コーラ缶を勢いよく開けて、ベンチにどさっと座り、一気に半分ほど飲み干した。 「あぁ〜……うんま。っていうか冷や汗やっば。」 夜なのに、彼女の額にはうっすら汗が滲んでいる。 僕はその前に立ったまま、どうしていいかわからずにいた。 「……あぁ〜、その、なんだ。」 彼女は缶を膝に置いて、ちらりと僕を見る。 「何から知りたい?」 そう聞かれても、何から聞けばいいのか。 僕の頭の中には、疑問が山ほどあって、整理がつかない。 僕は少し考えてから、口を開いた。 「じゃあ……鬼って、なんなんですか?」 彼女は一度、遠くを見るように夜空へ視線を向けた。 「あぁ。えっとな……鬼ってのは、簡潔に言うと……適応者かな。」 「……適応者?」 「そう。時は平安時代。謎の病が日本を襲った。 もちろん薬もなく、たくさんの人が死んだ。 でもある時、その病に体が無理やり適応したものが現れた。」 「それが鬼…」 「そう、でもな、その代償はでかかったんだ。夜行性になるし、人の血肉以外は栄養として吸収されなくなる。」 「……」 僕は息をのんだ。 「だから、さっきの……」 「まぁ、生存本能…かな。」 何だか吸血鬼みたいだ。 ……って言うか吸血鬼も鬼の一種なのかな? 感じはそのまま吸血する鬼だもんな…… ん?吸血鬼? 少し間を置いて、僕の頭に別の疑問がよぎった。 「少し話がズレるかもしれないんですけど。吸血鬼に血を吸われたら眷属になるって話、あるじゃないですか。」 「あー、あるな。」 「もしかして、同じように吸血する鬼も……」 「あぁ、それは違うぞ。」 「違うんかい!」 彼女は苦笑した。 「確かに鬼も眷属を作る。でもな、それにはちゃんとした儀式が必要なんだよ。」 「儀式……」 「この話は、話すと長くなるから割愛な。」 そう言って、コーラを一口飲む。 なんだか情報がパッとしない。 信じられないことばかりだ。 でもそれは目の前に存在している間違えのない真実だ。 「こっちからも質問していいか?」 すると突然、彼女がそう呟いた。 「少年はさ、なんで夜の世界に入ったんだ?」 僕は一瞬、言葉に詰まった。 「それは……」 夜の空気が、少し冷たく感じる。 「皆んなに…昼に合わせるのが、だんだんきつくなって。」 昼の教室。 笑うタイミング、うなずく回数、 期待に応えるたびに、何かが削れていく感覚。 「気づいたら、昼がしんどくて……夜の方が、楽だった。」 話し終えると、胸の奥が少し軽くなった。 「…実はノクターンに通うようになってからも、何回かダメだこんな生活って思っているです。」 彼女は黙って聞いていたが、やがてぽつりと言う。 「前に言ったろ。」 彼女は僕を見る。 「無理に昼のテンションに合わせなくていいじゃん。もっとゆるく生きようぜ。」 その言葉に、何かが弾けた。 聞いたのは2回目のはずなのに… なんとなく、少しわかった気がする。 彼女の、明らかに異常な雰囲気、 自由で、どこか掴めない、泡沫のような人。 誰にも縛られず伸び伸びと生きている。 僕も、彼女みたいになりたい… 僕も、彼女みたいに… 「あの!」 気づいた時には僕の口から、言葉が漏れていた。 「えっ、あっ、はい!?」 突然の勢いに、彼女が驚く。 「僕を……鬼にしてくれませんか!」 一瞬、時が止まったような感じがした。 「…………へ?……… ……ちょっと待って…」 「何ですか?」 「私は……眷属の鬼を作るつもりは……ないっていうか……」 僕は、なんだか必死だった。 「このままだと、いずれ僕は昼の世界に戻って、つまらない生活を死ぬまでしないといけない。でも……夜の楽しさも、自由も、知ってしまったんです!」 言葉が溢れる。 「だから!」 わかっている。わかっているんだ。 僕はただ逃げようとしているだけだって。 でも、それでも、 「あぁ!!! もう、わかった!わかった!」 彼女は頭を抱え、ため息をついた。 「その代わり、条件がある。」 僕を見る目が、少し真剣になる。 「少年。君の血をこれからも、吸わせて欲しいんだ。」 夜の風が、二人の間をすり抜けた。 「……僕の血を……」 思わずそう繰り返すと、 どこか開き直ったように肩をすくめた。 「あのな、鬼にも血の好みってもんがあるんだよ、少年。」 「……好み?」 「そう。ワインみたいなもんだな。甘いの、苦いの、軽いの、重いの。で、」 彼女はちらりと僕を見る。 「少年の血は、あたしの好みドンピシャなんだ。」 「……そういうもんなんですね。」 正直よく分からない。 「少年は鬼になれるし、あたしは好みの血を飲める。Win-Winってやつなんじゃねぇか。」 「……そう…ですね。」 納得だ、互いにメリットはある。 「それでいきましょう。」 「決まりだな。」 彼女はコーラ缶をゴミ箱に投げ入れて、立ち上がった。 「今更だけど、月詠セリだ。」 夜風に髪が揺れる。その姿は、さっきまでの軽いノリとは少し違って見えた。 「夜月レンです。」 名前を口にした瞬間、不思議と胸が落ち着いた。 彼女は犬歯を覗かせて怪しく笑った。 「よろしくな、レンくん。」 こうして、僕の鬼との物語が始まった。 次回 第二夜 血感の印 前半

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月夜の泡沫 season1

月夜の泡沫 season1

第一夜 出会った二人 前半  午後十一時を少し過ぎたころ、僕「夜月レン」は、いつものようにアパートのドアを静かに閉めた。 金属が噛み合うような、乾いた鍵の音が「かちり」と鳴る。その音がやけに夜に響いた気がして、反射的に肩をすくめる。 誰かに見られているわけでもない。 それでも、夜に外へ出るときは、無意識に息を潜めてしまう。 足音を殺し気配を薄くして、まるでこの世界から一時的に消えようとするみたいに。 冷たく澄んだ夜の空気が、肺の奥まで流れ込んでくる。 胸の中に溜まっていた熱を、静かに冷ましていった。 「……今日も、いい夜だ。」 不登校になって、もう三週間。 夜になると外に出て、街を徘徊するこの生活は、いつの間にか僕にとっていちばん大切な習慣になっていた。 たぶん、夜の魔力に当てられているんだと思う。 「……今日は、こっちにしよう。」 街灯がオレンジ色に照らすT字路を、僕は左に曲がった。 特に理由はない。なんとなく、今日はこっちがいい気がしただけだ。 辿り着いたのは、小さな公園だった。 静かで、少しだけ秘密めいていて、世界から切り離されたみたいな場所。 「静かだな……」 独り言をこぼしながら、僕はブランコに腰を下ろす。 足で地面を蹴ると、身体が前後に揺れ、視界がゆっくりと流れていった。 風が頬を撫で、くすぐり、耳元をすり抜けていく。 「……楽しい。」 思わず、そんな言葉が漏れた。 ブランコに乗るなんて、小学生の頃以来だ。 純粋に「楽しい」と思えたのは、いつぶりだろう。 胸の奥に絡みついていた何かが、少しずつほどけていくのを感じる。 「よっと……」 そう言ってブランコから飛び降り、滑り台の上に立つ。 一瞬だけためらってから、勢いよく滑り降りた。 重力から解放されたみたいな感覚。 身体が、自由だと叫んでいる気がした。  こんなこと、昼にはできない。 正確に言えば、できなくはない。 でも「おかしい」「普通じゃない」と後ろ指をさされるのは、きっと間違いない。 そもそも、十六歳の子供が夜遅くに出歩いている時点で普通じゃない。 もし警察に見つかれば、親のいない僕は、児童相談所送りだ。 こんな生活、ダメなのは自分でもよくわかっている。 それでも、足は自然と夜のほうへ向かってしまう。 周りに合わせて、空気を読んで、期待に応えて。 そうやって生きることに疲れ切った心が、夜へ、夜へと僕を連れ出していた。 「なんて……自由なんだ。」 弾むような足取りで公園を出て、さらに暗い道へと歩き出す。  街灯の間隔は少しずつ広がり、闇が、濃くなっていった。 オレンジ色の光と光のあいだに、黒い影が溜まっていく。 住宅街は静まり返っている。 昼間なら洗濯物の揺れる音や、テレビの音が漏れてくるはずの家々は、固く口を閉ざしていた。 まるで、この時間帯の世界からは、人間だけが締め出されているみたいだった。 この世界に僕一人、なんだか清々しい気分だった。 そのとき、 「ちょっと、そこの君。」 背後からかかった声に、僕の心臓が大きく跳ねたのを感じた。 反射的に振り返ると、そこには制服姿の男が二人立っていた。 街灯の下、帽子の影に隠れた目が、まっすぐこちらを見ている。 「こんな時間に、どうしたんだ?」 喉が、ひくりと鳴った。  警察...まずい! 頭の中が、一瞬で真っ白になる。 想像していた“最悪”が、現実として目の前に立っていた。 「……」 声を出そうとしたのに、言葉が引っかかって出てこない。 唇だけが、意味もなく動く。 「学生さんだよね。12時、もう過ぎてるよ。」 「……」 胸の奥が、きゅうっと縮む。 心拍数が上がる。 呼吸が浅くなって、空気がうまく入ってこない。 「家はどこ?」 「……」 「親御さんは?」 沈黙が、夜に落ちる。 警察官同士が、ちらりと視線を交わす。 その短いやり取りが、妙に重く感じられた。 「緊張してるみたいだけど。」 片方の警察官が、少しだけ声の調子を変える。 「この時間に一人で出歩いてるのは危ない。事情を聞かないといけないんだ。」 その言葉が、胸に刺さる。また一段と周りの音が聞こえなくなっていく。 「……」 指先が、わずかに震えているのがわかった。 「とりあえず、」 警察官が一歩、近づく。 「一緒に来てもらうよ。」 その瞬間、頭の中が真っ暗になった。 終わりだ。 補導。 事情聴取。 児童相談所。 理解されない視線。 また、昼の世界に引き戻される。 僕の居場所が奪われる。    そんなの嫌だ! そのときだった。 「あー、ちょっと待って。」 やけに気の抜けた声が、場に割り込んだ。 警察官と僕のあいだに、すっと影が差し込む。 夜風に乗って、甘くて、少し鉄の混じった匂いが漂った。 「お二人さん。その子、あたしの連れだから。」 警察官が驚いたようにそちらを見る。 僕も、遅れて視線を向ける。 そこに立っていたのは、黒いマントを羽織った少女だった。 街灯の光を受けて、ベージュグレイの髪が淡く揺れている。 フードの下から覗く青い瞳は、夜の闇に溶け込むようで、なのに妙に存在感があった。 警察官の一人が、わずかに眉を上げる。 「月詠さん。」 「お疲れさま。夜回り?」 月詠と呼ばれた少女は、軽く手を振った。 その仕草は、驚くほど慣れているように見える。 「まぁ、そうです。最近変質者の目撃情報が多いので。」 「ふ〜ん、警察も大変そうだ。」 「そんなことより、月詠さんこの子、本当にあなたの連れですか?」 もう一人の警察官が少し疑うような声で聞いた。 彼女は、ひょいと僕の肩に手を置いた。 驚くほど自然で、逃げ場を塞ぐみたいな距離感。 「そ。ちょっと散歩してただけ。...ね?」 突然話を振られて、僕は息を詰まらせる。 「はっ..はい。」 でも、彼女はそれを気にする様子もない。 「ほら、警察に囲まれて緊張しちゃってんじゃん。お二人さん、もう少し笑顔を覚えたほうがいいぜ。」 二人は苦笑いしながらも、僕と彼女を交互に見比べる。 「月詠さん、この時間に未成年を連れ歩くのは...」 「はいはい、わかってるよ。」 彼女は、どこか面倒くさそうに頷いた。 そしてにっと笑った瞬間、彼女の口元から八重歯が覗いた。 それは一瞬なのに、なぜか目が離せなかった。 短い沈黙のあと、警察官は小さく息を吐いた。 「……今回は、月詠さんの連れということで、」 「助かる〜、今度コーヒー割り引いとくから。」 「別にいいです。でも、もう遅い時間です。二人とも気をつけて。」 「はーい。」 警察官たちはそう言い残し、夜の奥へと歩いていった。 正直、何が何だかわからない。 この人は何なんだ? 何で僕を助けた? いろいろ謎が込み上げてくる。 警察官の足音が完全に消えたあと。 僕は、ようやく息を吐いた。 「……あの……」 声が、情けないくらい震えている。 彼女はは、肩に置いていた手を離した。 「大丈夫か少年?」 その声は、さっきまでとは少し違って、低く落ち着いていた。 「……はい」 「そりゃそうだよな。警察に囲まれたら、誰だって固まっちまうって。」 彼女は、夜空を見上げて、軽く伸びをする。 「運がよかったね。」 「……」 「あたしに会えて。」 確かに運が良かったのかもしれない。 月光が彼女を怪しく照らす。 「……ありがとう、ございます。」 そう言うと、彼女は少しだけ目を細めた。 「礼はいい、それより少年...」 大きな風が吹き、彼女のマントをたなびかせた。その姿はまるで夜を操る魔術師のようだった。   「夜は、好きか?」 突然投げられたその言葉に、僕は一瞬だけ戸惑った。 好きか、と聞かれてもうまく答えられない。 胸の奥で感じているこの感覚に、まだちゃんと名前をつけられないんだ...でも、 「……はい。」 少し間を置いて、僕は答えた。 「好きだと……思います。」 それを聞いた彼女は、ただ満足そうに鼻で笑う。 「なら、ついてきな。」 それだけ言って、彼女は、夜の奥へ歩き出した。 僕は、その背中を見つめた。 迷いは、なかったわけじゃない。 なぜ助けてくれたのか。 なぜ警察と顔見知りなのか。 そもそも、この人は何者なのか。 疑問はいくつも浮かんでくるのに、誰がみても怪しいと警戒するはずなのに、不思議と足は止まらなかった。 考えるより先に、身体が動いてしまう。 夜に、拾われた。 そんな言葉が、ふと頭をよぎる。 彼女の歩き方は、どこか気ままで、一定のリズムがない。 早くなったり、急に遅くなったり。 でも、振り返ることはない。 ついてくるのが当たり前だと、最初から知っているみたいに。 住宅街を抜け、少しずつ明かりが増えていく。 コンビニの白い光。 自動販売機の青。 ネオンの淡い光。 まるで「月夜の泡沫」のようだ。 遠くから聞こえる、電車の走行音。 気づけば、駅の近くまで来ていた。 昼間なら人で溢れているであろう場所も、この時間帯は様子が違う。 居酒屋の看板だけが元気に光り、酔っ払いの笑い声が、ところどころで弾けている。 「お、セリじゃん!」 突然、前方から声が飛んできた。 見ると、年齢のわからない男が三人、路地の脇で缶を片手にたむろしている。 顔が赤く、足取りも覚束ない。 「久しぶりじゃね?」 「生きてた?」 「失礼だなぁ。」 彼女は、軽く手を振って応じた。 「相変わらず飲みすぎ。肝臓、大事にしなよ。」 「セリに言われたくねぇ!」 三人は、どっと笑った。 僕は、少し後ろに下がり、その様子を見ていた。 彼女は、酔っ払い相手でも臆することなく、自然に会話をしている。 距離感が近いのに、踏み込ませない。 「そっちの子は?」 一人が、僕を見て言った。 「ただの連れだよ。連れ。」 彼女は、即答した。 「夜の散歩仲間。」 「へぇ〜」 意味ありげな視線を向けられて、僕はなんだかソワソワした。 「じゃ、またな。」 彼女は、さっと話を切り上げる。 「夜遊びばかりじゃなくて、店も開いてくれよぉ〜」 「頼むぜ〜」 笑い声を背に、僕たちは歩き出した。 少し行くと、今度は別の声がかかる。 「セ〜リ〜!」 振り向くと、派手な服装の女性たちが二人、店の前でタバコを吸っていた。 「やっほー。」 彼女は、楽しそうに手を振る。 「今日も夜更かし?」 「セリこそ!」 「えーその子、彼氏?」 「いや、違う違う。」 彼女は笑いながら、軽く否定する。 二人の目線が僕に向く。 「あ、えっと……こんばんは。」 ぎこちなく頭を下げると、女性たちは面白そうに笑った。 「真面目だねぇ。」 「可愛いじゃん。」 その言葉に、胸がざわつく。 「じゃ、またね。」 彼女は、また軽く手を振って歩き出す。 知り合いが、多い。 警察と顔見知りだったことも含めて、ようやく少しだけ腑に落ちた。 この人は、この夜の街に根を張っている。 僕は、意を決して口を開いた。 「あの……」 「ん?どしたん?」 「どうして……助けてくれたんですか。」 声が、少し震えていた。 彼女は、歩きながら空を見上げる。 青紫に光る空に星が怪しく光っていた。 「理由が欲しいの?」 「はい。」 少し間があって、彼女は言った。 「なぁ少年、一ついいことを教えてあげよう。夜はな、自由の場なんだぜ。」 その言葉は、はっきりとしていた。 「そこに理由なんていらない。いちいち理由に縛られてたら、満喫できる自由も満喫できなくなる、それは不自由そのものだとは思わないか?」 「……自由……満喫……」 僕が呟くと、彼女は立ち止まった。 振り返って、僕を見る。 「もっと自分を解放するんだ、少年。曝け出せ夜は自由だ、何も君を縛らない。」 そう言って、彼女は片手を突き出した。 「ほら、イエ〜イ!」 一瞬、意味がわからなかった。 でも、その手は、待っている。 「……イェ……イエ〜イ!」 僕は、恐る恐る手を出す。 ぱちん、と乾いた音が夜に響いた。 「そうそう、それでいい。」 セリは、満足そうに笑う。 「気持ちいいだろ?」 胸の奥が、少し軽くなっているのに気づく。 さっきまで絡みついていた不安が、どこかへ逃げていったみたいだった。 「……はい!」 今までにないこの感覚はなんなんだろう。 「なんだか、スッキリしました。」 「だろ?」 彼女は、歩き出しながら言った。 「夜は、そういう場所だ。」 しばらく、二人で並んで歩く。 会話はない。 でも、沈黙は重くなかった。 「あぁ、そうだ少年。喉、乾いてない?」 突然の質問に、僕は少し戸惑った。 「まぁ、そうですね。」 彼女は、手を顎に当て考えるようなそぶりをした。 「よし、じゃあそろそろ行こうか。」 「…………行くってどこへですか?」 「あたしの店だけど。」 「…………えっ?」 後半へ続く...

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