あいう
5 件の小説涙の池
その日はとても暑かった。気温が四十度にも迫る勢いで、アスファルトに立ち上る蜃気楼は私の歩く意思さえ揺るがした。夏期には恒常性を持つはずの蝉の鳴き声すら聞こえず、静寂は汗ばんだインナーにまで忍び込み、心底気持ちが悪い。 地図によると、登山道の入り口はまだ遠い。八月の半ばに登山でもしようと思い立ち、よりにもよってこんな登るまでに体力ゲージの半分も使い切ってしまうような所に来てしまうとは。普段勤めている憎き会社のオフィスが、今はこんなにも恋しい。 「チッ……水がなくなった」 確か百均で買ったであろうプラスチック製の小さな水筒を持ってきたのが、今日の私の一番の過ちだろう。あまりに暑すぎて、自宅の最寄り駅で既に一口、電車の中で更に一口、着いた無人駅でもう一口、バスの中で二口飲んで、スタート地点のバス停に着く頃にはもう中身はすっからかんだった。自販機くらいあるだろうと思っていたのだが……。想像以上にここは深い地だった。 湧き水くらいあるだろう。そう思って岩肌に沿い道路を歩き続ける。実際、ここまでに何度も水が湧き出ているのを見てきてはいたのだが、位置が高かったり、少量だったり、土で濁っていたりと、なかなか思うようにはいかなかった。そこまではこれまでの人生と同じだが、唯一違う点は、こうして自分の足で歩いているということだ、受け身でなく。きっと報われるだろうし、報われなくてはならない。 暫く歩き続けて、もう少しで登山口だという頃、ふと木の看板が目に入った。 「涙の池……?」 興味を引かれて、私は道を逸れ、その看板が指し示す道……というよりはむしろ獣道と言った方がより的確な表現になるだろうけれど、とにかく涙の池に向かった。 それは登ってすぐの所にあった。広葉樹林にぽっかりと大きな穴を開け、水面は陽光で煌めき、なによりその水といったら、透き通りすぎて何とも形容し難い。池の向こう岸を見ると、岩の隙間から滔々と水が湧き出しているのがわかる。 きっとこの水は飲める。それどころか、カルキ臭い水道水の何倍も美味しいだろう。そう思って手を椀にして水を掬い、そっと唇を付けて池の水を飲んだ。 途端に、私の全身を不思議な喜びが襲った。こんなにも歓喜の渦に巻き込まれたことはなかった。私は嬉しすぎるがあまり、涙をボロボロ流した。 二口目を飲むと、今度は深い哀しみの中にいた。父が死んだときも、こんなに哀しくはなかった。滝のように涙が頬を伝う。 ひとしきり泣いて、随分と気持ちが落ち着くと、涙を流した自分がたいそう快楽に浸っていたのだと気づいた。涙の池……きっとこの池は、沢山の人々の涙でできている。だから美しい。私はその美しさに惹かれて、遂には服を脱ぎ始め、池へと飛び込んだ。 水飛沫が上がった時、私は感動の中にいた。しかし、全身が池に潜った瞬間、私の心は絶望と後悔に満ちた。外からではわからなかったけれど、池は随分と深く、暗く、怖い。 すぐに私は池から出て、服を着て、バス停へ向かった。寒くはなかったけれど、震えが止まらなかった。人は一人で泣く生き物なのだと知ったのは、そんな暑い夏の日のことだった。
文芸ピエロ
僕の目を完全に覚醒させたのは、三番目に焚かれたフラッシュだった。 「田村さん、花城文学大賞受賞、おめでとうございます。まずは率直な今のお気持ちをお聞かせ願えますか」 女性のレポーターが興奮気味に質問してくる。現役高校生の受賞ということもあって、心なしか周囲の熱気が高まっているように感じる。 「そうですね、まだ現実を飲み込めていない、というのが正直な気持ちです。でも、こうして皆様の前に立たせていただくと、徐々に実感と喜びが沸いてきたような気がします」 表彰式は都内の出版社のビル内にある一番大きなホールで行われている。僕は東京の郊外に住んでいるため、ホテルを取らずとも午前十時の開式には早起きをすれば間に合ってしまう。しかし、それだけのことが非常に億劫なほどに夜型人間である僕は、暫く不機嫌であることを自覚していたのだが、それでも受け答えくらいは淡々とこなせるようになっていた。 無駄に広い会場は、スーツを着た沢山の人間で埋め尽くされていて、ふと昨年の祖父の葬式を思い出してしまったのは不謹慎だろうか。僕が郵送したあの原稿は、今や僕の元を完全に離れて一般の公共物と化してしまった。目下の空気に氾濫する人々は、皆我が物顔をして僕の作品を称える。僕が朝から見てきた人の顔、気持ち悪い笑顔を湛える仮面達。 勿論、この表彰式は僕だけの為にあるものというわけでもない。 「ここまで書き続けてきて、本当に良かったです。やっと……やっと、努力が報われました」 そう涙ながらに語るのは、隣に座る、僕よりひとつ下の賞を受賞した女性。多分年齢は僕の母親と同じくらいか、それ以上だろう。化粧ではごまかしきれない小皺と、頭髪にちらつく白が老いを感じさせる。 自分の三分の一くらいしか生きていないようなガキに自分より上の賞を獲られるなんて、一体どんな気持ちなんだろうか。僕だったら、喜びの前に劣等感が押し寄せてくる。こんなところになんて絶対に来たくない。 「皆様、この度は本当におめでとうございます。今年も才能を感じさせるような、新進気鋭の風を浴びながら審査をさせていただきました……」 審査員代表の挨拶が始まる。僕は少し、口角を上げた。 されど高校生、一週間が始まると否が応でも登校しなければならない。 「田村君、おめでとう!」 「……おお、ありがとう」 もごもご。 「それで、賞金はいくらだったっけか?」 「うーん、確か百万円くらいだった気がするけど……その辺りは大人に任せてあるから、よくわからない」 ぼそぼそ。 「かーっ、やっぱり天才はチげえなあ、金なんか興味ねえんだ。オレだったら全額自分のモンだって言い張るけどね」 「田村はあんたみたいに俗っぽい人間じゃないからこんなすごい賞を獲れたんでしょ」 荷物を机に置いた途端、集まって談笑していたクラスメイト達が一斉に僕の周りにやってきて、こんな会話をした。中には話したことのない運動部の奴もいる。こんなに教室を窮屈に感じたのは初めてだった。 「僕は別に……天才とかそういうんじゃないよ。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるというか……」 「あのねえ」 文芸部の部長である女子生徒が不満そうに僕に言う。 「そんなことで文学賞を獲れるなら、私なんてとっくに芥川賞作家よ」 そこで始業のチャイムが鳴った。皆各々席に着く。 一限は現代文だった。女性の国語教師は、やはり僕を五分もかけて褒め称えた。「今までの提出物を見て、田村君に文才があるとはずっと思っていた」だの、「今度の面談で、ものを書く仕事を勧めようかと思っていた」だの、歯が浮くようなことばかり言う。 ある側面で、それは事実なのかもしれない。そう思っていたことは確かなのだろう。しかし、それ以上の無関心には触れようともしない。 母親だってそうだ。例えば、例えばである、僕が著名な小説家になったとして、幼少期の僕がどうであったかの取材を受けたら、きっと母は「小さな時から物を作るのが好きで、内向的な部分もあったので少し不安もあったのですが、それでも特に何か言うこともなく見守ってきたのが功を奏したのだと思います」とでも答えるのだろう。嬉々として。 貴女達は無自覚だ。言葉の端で僕を縛ったくせに。 貴女達は傲慢だ。自他を切り分けられないくせに。 僕の成果は、紛れもなく僕の物だ。僕には、誰にも干渉することのできない視点がある。それを一般化なんてしてやるものか。 僕は天才ではないと思うが、ある種の才能があることは間違いないと思う。それは……。 「田村君、田村君。今回のことについて、君はどう思いますか?」 呼びかけで意識が浮上した。僕は答える。 「え、えーっと、勿論審査員の方々がたまたま僕を評価してくださったという幸運もありましたけど、何より先生をはじめ多くの方々がいてくれたおかげで……」 そこまで言って、少し教室の空気に違和感を覚えた。見回すと、みんな訝しげな表情を浮かべている。ぽかんとしていた国語教師が、はっとして言う。 「ああ、受賞したことについてコメントしてくれていたのね。今君に問うたのは、今やっている評論のこの部分についてなんだけど……」 彼女は苦笑いして黒板を指さした。 誰かが鋭く息を漏らした。 途端に、体が熱くなるのを感じた。
ある売れないミュージシャンのインタビューに於いて
ある日、僕の中に一つの曲が飛び込んできたんですよ。だから僕は音楽を始めたんです。ずっと興味はあったんですが、如何せん才能があるかわからなかったもので。 僕は必要最低限の家財道具以外は全て売り払い、交友関係を殆ど断ち切り、仕事を辞め、全ての時間と労力を音楽に注ぎ込みました。だけど、そう、知っての通り売れたのは一曲だけでした。 その、最初の一曲です。
価格設定
朝起きると、僕は百円だった。 日差しがベッドに差していて、汗ばんで寝苦しくなっていた。午前六時十分で、僕にしてみればそれは少し早い時間だったものだから、携帯の目覚ましのスヌーズを切って、二度寝した。 次に目が覚めた時、僕は八十円だった。時計を見ると、七時五十分。いつも乗る電車の、更に一つ遅い電車にも間に合わないので、遅刻することは確定した。どうせ遅刻するのなら、いつもよりゆっくりしっかり身支度をしてから出社しよう。 顔を洗って八十五円。オーブンでトーストを、フライパンで目玉焼きを焼いて九十円。更にバナナも食べて百円。髭を剃り、歯を磨き、髪をセットして百五十円。スーツに着替えて鞄を持ち、革靴を履いたら百九五円。よし、いってきます。これで二百円。 自宅のアパートから最寄り駅に着くまでの路地で、四千五百円の老爺と、千二百円のミニチュアダックスフントを連れた七千百円の主婦と、八千六百円の小学生男児とすれ違った。 通勤電車内は、バーゲンセールと大差ない。席の隅にブランド物が置いてあったりするけれど、それ以外は大抵安売りの規格品だ。みんな顔に皺を作って、手元のデバイスばかり眺めている。僕は、まるでそういう映像が流れているかのような、坦々たる車窓の景色を眺めていた。 「これで何度目の遅刻だ?」 僕の勤め先である商社に着くと、六千円の上司が僕を叱った。 「あのなあ、うちは比較的時間にはルーズな職場だが、これほど遅刻されると、流石に何か言わないわけにはいかないんだよ」 「……はい、本当にすいません」 「しっかり眠れてないのか?」 「一応、早く寝るようにはしてるんですけど……」 「もし今後も眠れないようなら、医者に見てもらうんだぞ」そう言って僕の肩を叩き、上司は自分のデスクに戻った。 パソコンをカタカタとやっていたら、幾つかのミスが見つかり、その修正をやっていたら昼休憩の時間になっていた。今日の仕事は進むどころか後退し、僕は百十円になった。適度に腹もすいたので、一階の売店でおにぎりを三つとペットボトルのお茶を購入し、会社のビルの裏にある小さな――滑り台と砂場と二つのベンチしかない本当に小さな――公園でゆっくり昼食を摂ることにした。 すっかり空が高くなっていた。深い青空を覆ういわし雲をじっと眺めていると、小学校の運動会を思い出した。あの時、僕は幾らだったのだろうか。短距離走や、組体操をやっていたあの時の自分は、何千……いや、何万円かはあっただろうに。 暫くベンチでおにぎりを齧りながら、砂場で遊ぶ一万四千五百円の幼児を見ていたら、同僚の中井さんがやって来て、僕の横に座った。彼女は四百円くらい値下がりした。 「またおひとり様?」 「まあ、そうだね。中井さんこそ、どうしてここに?」 「オフィスの窓から、佐々木くんがベンチで落ち込んでるのが見えたから」 彼女は髪を後ろでひとつに束ねていて、薄化粧で、アクセサリーもピアスを付けているだけだから、見た目はとてもスッキリとしている。そしてとても姿勢が良い。 「いつもの事だよ。そう言えばあの資料、中井さんも使うやつだよね。本当にごめん」僕は彼女から目を逸らして、謝った。 「いいのいいの、私は大丈夫だから、そんなにクヨクヨしないで。はいこれ、景気付けの一品」 そう言って彼女は僕にアイスキャンデーを差し出した。僕は一言礼を言ってそれを受け取り、包装を破って口に含んだ。久しぶりに口にした氷菓は、すっと溶けていく甘さだった。僕は百五十円になった。 「あのね、佐々木くん」中井さんは少し張り詰めたように言った。「佐々木くんはどこか、人と話す時に焦ってる気がするんだ」 「うーん、そうなのかな。自分ではよく分からないけど」 僕の生涯の中で、そんなことを言われたのは初めてだった。僕は百四十円になった。 「多分……いや、違ったらごめんね、でもきっとそうだと思うんだけど……佐々木くんは、人と関わる時に、その人に何か良いことをしないといけない、って考えてるんじゃないかな」 中井さんは続ける。 「最初はね、それでもいいと思うの。でもね、それだけだといつか自分が嫌いになっちゃうよ」 「僕は、そんなつもりないけどな。いいことしなきゃいけないっていうのも、自分が嫌いになるっていうのも」 「うん、そうかもしれないね。でも、掛け値なしに付き合える人だっているんだっていうのは、心に留めておいてほしいな」 彼女はそう言って立ち上がり、足元に咲いている小さな黄色い花を摘んでから僕に向き直った。 「ここにも一人、ね」 そうしてその花を顔の前で持って笑ってみせた、彼女の値段は……。 翌朝。僕は目覚ましの音で目が覚めた。時刻は七時丁度。ゆっくり朝ご飯を食べている暇はないから、冷蔵庫にあったゼリーをさっと食べて、適当に支度を済ませる。スーツに着替えて鞄を持ち、革靴を履いて玄関に立った。 いってきます。
ネバーランド
彼女が自殺した。 この場合、『彼女』とはただ三人称を指すのではなく、恋仲であり、二つとない存在であり、今後をずっと共にする人−−少なくとも僕はそう思っていた−−である。 高校三年生の誕生日の前日、彼女は庭の納屋で首を吊った。翌朝、母親によって発見されたのだが、娘の首吊り死体の惨状を目前にした母親の心情を思うと胸が痛む。 彼女が自分を殺してしまう理由を、僕は思いつかなかった。僕と一緒にいる彼女は、いつも笑っていた。右側にしかえくぼがない、その向日葵のような笑顔は、今でもありありと思い出される。その度に、悲しみと、そしてその疑問が浮かび上がってくる。 彼女のクラスメイトに、彼女の普段を尋ねた。彼女は誰とでもよく話し、明るく、それも自然に振舞っていた。彼女は部活で上手くいっていなかったという噂を聞いたものだから、今度はブラスバンド部を訪ねた。彼女は特段音楽に優れていたわけではなかったが、部活動という側面からしたとき、よくやっていた。部長として懸命に部を導いた彼女を、部員たちは皆慕っていた。 彼女は生徒会で大きな企画を失敗させていた。彼女は文化祭の実行委員で運営形態に意見し委員長と対立していた。彼女は進路について父親とぎくしゃくしていた。彼女は親友と勘違いから仲違いを起こしていた。 僕はそれら彼女の表層上の問題について、一つ一つ究明を試みて、全てはほんの些末なことに過ぎなかったということを知った。彼女は期待を裏切らなかった。そこに、僕の知らない彼女はいなかった。 そうして僕は、放課後によく彼女と歩いた緑道を一人で歩いて、一人で考えるしかすることがなくなった。今は秋で、紅葉が傍らの小川に浮いている。春には桜が咲いて、彼女の持ってきた握り飯を食べながら花見をしたものだった。夏には水遊びをした。でもそういう、完璧で鮮烈な出来事よりも、数日前に観た映画の感想を言い合った五月某日のような、何の変哲もない日常の方が、ひどく脳裏に焼き付いていた。 「うん、面白かったよ。主演の二人が、まるで本物の高校生に見えた」僕は彼女を伴い歩きながら、そう答えた。 「良かった、君、割と文学少年だから、ああいう青春群像劇みたいなものに口煩いと思って、少し身構えてたんだ。そう、あの二人、ビジュアルも良いけど、なんと言っても演技力が凄いよね」 実を言うと、大して面白くはなかった。キャストは良かったし、演出も音楽も、きちんとそれらしい雰囲気を作り上げていた。僕は映画評論家ではないから、その辺りの詳しいことはわからないけれど、そういう技術的な所はしっかりと作り込まれていた。しかし、原作を読む気にはなれなかった。そのくらい、物語には隠しきれない安っぽさがあった。 「ああいうお話に触れると、いつも胸が苦しくなってくるんだ」 「それは、どうして?」 「私、作られた青春に心動かされるの。泣いちゃうくらい、それ一色に心が染まってしまうの。でも、そんなもの、現実には存在しないよね。求めるだけ無駄だって、わかってしまうから」 「ああいうものは、色んな理想の頂点を掻き集めたものだと、僕は思うんだよね。人にはそれぞれ理想の青春時代があって、それらを組み合わせてできるんだよ、そういう創作物は。それは相反する個人の理想とするものであっても、だよ」 だから、そうやって作られるものは必ずどこかに歪みが生じる、ということは、伏せた。 「だから、決して実現はされないってことね?」彼女は立ち止まってそう言った。 「一般化された青春は、ね」 「じゃあ、私はどうすればいいのかな」 「……君は、大丈夫だよ。毎日が輝いてるじゃないか。僕は、時に君をひどく羨ましく思うんだ」 その日の空と、今の秋空は、まるで鏡合わせのように酷似していた。僕は、彼女の家に行こうと思った。 学校の最寄り駅から、電車で十分、バスで十五分、徒歩で五分の位置に、彼女の家はある。インターホンを鳴らすと、彼女の姉が何も言わずに出てきて、彼女の部屋へ通してくれた。姉の目の下には、隈が出来ていた。四人家族が暮らすには広すぎる木造の日本家屋は、静まり返っていて、深い、深い樹海を彷彿とさせた。 彼女の部屋は、いつもと変わらなかった。ベッドがあって、デスクがあって、本棚があった。その全てに埃が被っていた。僕はそこで暫く彼女の使っていた学習参考書の頁を繰ったり、ベッドに寝転がったり、窓からの景色を眺めたりした。 扉の近くにある旧い本棚には、沢山の小説が詰まっていた。上の段から一つ一つ本を取り出しては開いてみた。最下段まで来て、僕はそこに『ピーターパン』を見つけた。児童向け小説のそれを横から見ると、手垢で汚れていた。 それを見つけたのは大体午後三時頃だったと思うが、日が陰り部屋が闇に侵されるまで、僕はそれを繰り返し読んだ。目の前の文字が読めなくなって初めて、再び彼女の死を考えた。 「まだいたんだ。もう、帰ってくれないかな」街がすっかり夜に沈んだ頃、姉がやって来て僕にそう告げた。僕は首肯して、こう言った。 「彼女は、ネバーランドに行ったんですね」 高校三年生の誕生日の前日、彼女は庭の納屋で首を吊った。彼女は、永遠に十七歳だった。