涙の池
その日はとても暑かった。気温が四十度にも迫る勢いで、アスファルトに立ち上る蜃気楼は私の歩く意思さえ揺るがした。夏期には恒常性を持つはずの蝉の鳴き声すら聞こえず、静寂は汗ばんだインナーにまで忍び込み、心底気持ちが悪い。
地図によると、登山道の入り口はまだ遠い。八月の半ばに登山でもしようと思い立ち、よりにもよってこんな登るまでに体力ゲージの半分も使い切ってしまうような所に来てしまうとは。普段勤めている憎き会社のオフィスが、今はこんなにも恋しい。
「チッ……水がなくなった」
確か百均で買ったであろうプラスチック製の小さな水筒を持ってきたのが、今日の私の一番の過ちだろう。あまりに暑すぎて、自宅の最寄り駅で既に一口、電車の中で更に一口、着いた無人駅でもう一口、バスの中で二口飲んで、スタート地点のバス停に着く頃にはもう中身はすっからかんだった。自販機くらいあるだろうと思っていたのだが……。想像以上にここは深い地だった。
湧き水くらいあるだろう。そう思って岩肌に沿い道路を歩き続ける。実際、ここまでに何度も水が湧き出ているのを見てきてはいたのだが、位置が高かったり、少量だったり、土で濁っていたりと、なかなか思うようにはいかなかった。そこまではこれまでの人生と同じだが、唯一違う点は、こうして自分の足で歩いているということだ、受け身でなく。きっと報われるだろうし、報われなくてはならない。
暫く歩き続けて、もう少しで登山口だという頃、ふと木の看板が目に入った。
「涙の池……?」
興味を引かれて、私は道を逸れ、その看板が指し示す道……というよりはむしろ獣道と言った方がより的確な表現になるだろうけれど、とにかく涙の池に向かった。
それは登ってすぐの所にあった。広葉樹林にぽっかりと大きな穴を開け、水面は陽光で煌めき、なによりその水といったら、透き通りすぎて何とも形容し難い。池の向こう岸を見ると、岩の隙間から滔々と水が湧き出しているのがわかる。
きっとこの水は飲める。それどころか、カルキ臭い水道水の何倍も美味しいだろう。そう思って手を椀にして水を掬い、そっと唇を付けて池の水を飲んだ。
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カテゴリー: その他
投稿日時: 2023/3/31 7:38
最終編集日時: 2023/3/31 8:38
あいう
駄文しか書きません。