小目出鯛太郎
37 件の小説お題:椅子
椅子を買った。が、座れていない。 かなり奮発して見栄えのする、なおかつ座り心地まで試したというのに。 出不精の私が、家具店まで出向いて買ったにもかかわらず。 なんということだ。 なんとかせねばならぬ。 しかし椅子取り合戦を仕掛けねばならない相手は…。 そうなのだ、目に入れても痛くない愛猫しろたんなのだ…。 勝機が見えぬ。勝てぬ。 私は畳の上にあぐらをかいて座卓でPCを開いた。 音もなくやって来たしろたんが、ぬん、と腿の上に乗る。 なんということだ。お互いに勝ちもしなかったが負けもしなかったということか。 しかし重い。 幸せの重さというやつである。
お題:試験(体験)
試験といえばやはり大学受験であろう。 受験日の前日にホテルチケットについていたスケート滑り放題プランで遊んだのは良い思い出であるが、今回の話は別だ。 私は完璧文系で、数字は時計も読むのを苦労する感じだった。 試験は数学の先生が「これは二百点満点なんだぞ」と絶叫するくらいだった。 私は数式は、先生が黒板に書いた数式の間違いを指摘するぐらいには覚えていたが、それをどう使うのかが理解できないダメ子だった。「なんでわからないんだ」「どこからわからないんだ」という問いに答えられない子供だった。 どこがわからないかもわからないくらいに、数字と公式というものは謎だった。アルファもベータもダメだった。タンジェントなんてタンジェリン(果物)とごっちゃになるくらいだった。 そのせいか今もオメガバース設定に馴染めない。笑。 そんな私でも受けねばならないのが共通テストであったのだが…。 そこで奇跡は起きた。 数学がいつもより百点良かったのである…。 いつも通り全くわからなかったのだが、図形問題で考えずに私は問題になっている図を自分ができる限りの正確さで(正確であろうと言う思い込みの可能性が高い)描いた。そして設問に対し、定規で計った数値の中から四択の答えに極めて近い物を選択した。 そして答えに詰まるものに関しては『答えに悩んだら燦々と輝く太陽は三番』という理念のもとに塗りつぶした。 そして、翌日担任に「数学はいつもより出来たと思います」と言った。 「そんな前向きの勘違いは先生大好きだぞ」 なんて言われて「えへへ先生に大好きって言われちゃった。てへ❤️」 …って言うぐらいには能天気だった。 しかしその日教室で行われた自己採点で、本当にあっていたので先生は青ざめた。 「お前!マークシートを抜かしたり、ずらしたりしてないだろうな!?」 肩を掴んで揺さぶられた。そんな事をされたのは生まれて初めてだった。 そして数学の点数が人並みに取れていたのも初めてだった。 おそらくそこで、私は人生の運という物をかなり使ってしまったのだと思う。 推薦の際の小論文が1本ではなく、時間内に2本書きなさいという形式に変更になっていたのだが(その分字数は少なくなっていた)好きな分野だったのでノリにのって書いた覚えがある。返してもらえないのが残念だった。 アイヌ民族と狩猟について。木地師について書いたように思う。 大阪の民俗学博物館行った思い出が生きてたのかもしれないなぁて思います。楽しくて楽しくて帰りたくなかったんですよね、あそこから…。 大学は無事合格し、母と先生を泣いて喜ばせました。 泣くほど人を喜ばせたのは、ほんと、これだけだと思いますw
お題:ゆきだるま
彼女が子供のように雪だるまを作りたいという。 僕は寒いの嫌いなんだけどな。 彼女は手伝ってよと言ったけれど僕は黙って見ていた。 雪の塊を転がして、できた雪玉を重ねて、小さな雪だるまを作る。 一つでは可哀想と彼女は言った。 もっと大きな雪だるまを作りたいと、彼女は二個目を作り始めた。 彼女は滑ってひっくり返り金属の柵に激しく頭をぶつけた。 そして座り込んだような格好で動かなくなった。 赤い帽子と、揃いの色のマフラーと手袋。白いコート。 彼女自身が雪だるまみたいに見えた。 雪が激しく降り始めた。 僕は何もしていない。 雪だるまを作る手伝いもしていない。 救急車も呼んでいない。 雪が全部埋め尽くすだろう。
さよならみのたうろす
アステリオスという名前があるが、この暗い場所で呼ぶ者はいない。恐怖をこめて牛首怪物__ミノタウロス__と呼ばれていることを知った。 そう叫んだ若者は迷宮の中で逃げ惑い、階段で足を踏み外し首の骨を折って死んでしまった。そのままにしておいては迷宮に住み着いた野獣が食い荒らしてしまうので土の下に埋めてやった。 飢えて衰弱して死んだ者も埋めてやった。出口を教えてやりたかったがアステリオスもその出口が分からなかった。 牛は肉など喰らわない。人がそれを知らないはずはないのに、迷宮の牛首怪物が汚れない若者を喰らうという噂が世には流れているらしかった。 そもそも父が神との約束を破り、代償に母が狂わされて白牛と交わり自分が生まれた。母と自分に何の罪があるのだろうか。父に嫁ぎ父の過ちを咎めなかった事が母の罪なのだろうか?生まれてしまった自分は罪の象徴でしかない。どうすれば自らが犯してはいない罪をあながえるというのか。 誰もその方法を教えてはくれなかった。 ある日また迷宮に若者達が放り込まれた。一つ違っていたのはその中に一人だけ輝くように美しい光に包まれた青年がいたことだ。なにがしか神とのかかわりがあるに違いなかった。 後ろ手に鋭い短剣を隠し、もう片方の手には赤い麻糸の束を持っていた。 あの赤い糸が自分の手に繋がれていればいいのに。怪物の身では叶わぬ願いを知りながら、美しい若者の姿を物陰から見つめた。 あの赤い糸を辿って行けば外に出られるのだろう。 若者が歩き疲れて泥のように眠ってしまうのを見計らい、アステリオスは若者を抱えて赤い糸を辿って行った。 迷宮の外は夜で、迷宮と同じように空は暗かったが天は何処までも高く、星が輝いていた。 自分以外の全ての物が美しいと感じる。 罪の子は葬り去らなければいけない。本当はあの暗い迷宮で死ぬべきだったのだ。しかしもう一度空を見たかった。そして清らかな空気を胸いっぱいに吸い込みたかったのだ。 『さぁ私の首をとるがいい』 息を潜めている若者に囁きかけた。 赤い糸で結ばれることは永劫に無いがその美しい手を赤く染める事ができる。 怪物は静かに目を閉じた。
お題:大掃除
これは大掃除というより、大脱走かもしれない。 私の人生からある男を綺麗さっぱり削除するには、今までもらったり押し付けられたりした一切合切を捨てるしかなかった。 しかし決断さえしてしまえば簡単に出来た。31日でもお金さえ払えばゴミを回収してくれるという。これで、身軽になった。
お題:クリスマス
クリスマスの思い出は涙無しには語れない。 それは切ってもきれない兄弟愛の物語だ。 俺は寒くなると決まって気管支炎を患うかインフルエンザに負けた。だから小学生の頃は12月は寝てばかりいた。 「ケーキ残しておいてよ?」 クリスマス前に寝込んだ俺は兄にお願いした。 「うん、残してあるよ」 兄は扉の影から親指を立てて見せた。 後日俺がわくわくとケーキの箱を開けると、兄貴はちゃんと俺にケーキを残してくれていた。 下半分を。 (実話)
雑記 アメ食①
ホストマザーのラウラさんは私に一口でも多く食べさせようと躍起になった。チキン、ステーキ、ローストビーフ、ミートローフ、スペアリブにポークチョップ…。 夫人は料理好きで、上手だった。どれも美味しかった。 私を困らせたのはその量だった。 その頃の私は、例えばケンタッキーのチキンよりビスケットが好きで、ビスケットとコールスローSがあれば良かった。 「なんてこと、もっと食べなくちゃ!」 ラウラさん私に最低でも二つチキンを食べるように言った。そしてそれで終わりではなかった。デザートがつくのだ。家では夫人の作ったどでかいアップルパイが。もしくはベリーソースのかかったチーズケーキが私を待っていた。 夫人は童話に出て来る魔女のようにご馳走で私を太らせようとした。 いや、同い年の彼女の娘より頭ひとつ小さく、手首が折れそうに細く、黒い服しか持っていない私が日本では家族に消極的なネグレクトをされているのではと思っているかのようだった。 「お肉より、お魚の方が良いのかしら?サーモンは好き?」 ラウラ夫人は本当に気にかけてくれて、魚料理も出してくれた。サーモンのソテーは手のひらサイズの胴のぶつ切りが2枚出された。日本のシャケの切り身の4倍である。そこに丼に盛ったようなマッシュポテトが添えられる。 「こんなにたくさん食べられない」 「じゃぁ食べられるだけ取りなさい」 私が4分の1切れを取ると、ラウラさんは顔を覆った。同じように夫のトマスさんも顔を覆った。 「そんなちょっとしか食べないから小さいのよ。もっと食べないと」 二人の娘のローラは率直だった。 翌日、「今晩は外食だからね」と夕方車で連れ出された。 私は本当に良いホストファミリーに出会えた。他の子は朝ごはんがゲロみたいなミューズリーだけだとか、夕食が毎食ピザやホットドッグ(しかもソーセージにケチャップとマスタードだけでキャベツなし)、タコスチップスとコーラだけという過酷な感じだった。それと比べると本当に美味しいものを食べさせてもらっていた。 「今日はみんなが好きなクローフィッシュだから、食べたい分だけとれば良いからね」 車の中でそう聞かされ、私は安堵していた。量に脅かされずにすむ食事にほっとしていた。しかし、私はクローフィッシュがどういう魚か知らなかった。その時私が理解できる魚介類はオクトパス、サーモン、シュリンプぐらいだったのだ。 席について、山盛りのそれが運ばれて来た時、私は両手で顔を覆った。 歓喜に咽び泣いたのではなかった。 むしろ、その逆だった。 網カゴにこれでもかと積まれていたのは茹で上がった真っ赤なザリガニだったのだ! ザリガニは、スルメの足で吊り上げてキャッチアンドリリースするか、小学校のいきものがかりがお世話をする生き物であって、食べるものではなかった。少なくとも私の頭の中ではそうだった。 衝撃だった。 「アレルギーがあるので食べれません」と華麗にスルーして、皆がむしゃむしゃザリガニを食べている間私は山羊のようにシーザーサラダを食べ、バターをつけたバゲットを平らげた。 大人になってから、ザリガニもロブスターも伊勢海老も同じ十脚目に属すと聞いても、やはりザリガニは食べられないのでした。
今週のお題:マフラー
うん、ひどい写真だ。 ホストファミリーはよくこの写真で私の受け入れを決めたものだ。 コピーを重ねた白黒写真はどう見ても年齢不詳、性別不明の国際テロリストのような顔をしていた。 事実、空港に私を迎えに来た彼らは私がわからなかったのだ。 自分で言うのもなんだが写真とかけ離れ私があまりにも小さく、幼く見えたので。 彼らは私が黒いジャケットと黒いズボン姿である事が、修道女か囚人のように見えて我慢がならなかったらしく、私の首にふわふわの赤いモヘアのマフラーを巻き付け、帰り道にショッキングピンクのGAPのパーカーを買って着せようとした。 「ピンクなど死んでも着ない!」私は初日から反抗し巨大なハンバーガーと片手で持てないような巨大なジュースのカップとアイスに買収されかかったが、話し合いの末青いトレーナーで手をうった。 勿論日本に帰る時もこのマフラーとパーカーとトレーナーは持たされた。 今はもうどれも無いけれど、良い思い出である。
脳内中華
豚肉は震えた。今まで身を粉にして尽くしてきたのに、それこそ骨の髄までしゃぶられて茹でられてきたのに。それはひとえに美味しい豚骨スープの、至高の豚骨ラーメンのためにだった。 それなのに、油ぎった豚とはおさらばだと麺は言ったのだ。 「お前たちあんなに熱々だったじゃないか、どうして」 ネギとメンマが裂かれた二人の中を取り持とうとしたが麺は聞く耳を持たなかった。 「世の中はカロリーオフ、高タンパク、低糖質、豚骨との蜜月は終わったんだ。お前ら仲良くやりな。俺は行くぜ」 「いや!あたいもついていく。あんたのためなら減塩メンマになるわ」 メンマが涙をふり絞りながら麺の後を追って行く。減塩だけに。 ネギは啜り泣く豚肉の側を離れる事が出来なかった。捨てられる寸前だった青ネギを助けてくれたのは豚肉だったし、野暮ったい豚肉を磨いたのはネギでもあった。二人は助け合ってきたのだ。 「こんな所で泣いていてはダメだ、行こう」 ネギは豚肉の手を取った。豚肉は冷えてはいけないのだ。 幸い豚肉はすぐに高級中華店の売れっ子になった。甘くとろけるトンポーローとして。側にはネギではなく青梗菜がボディーガードのように付き従っている。これでいい、とネギは思った。 万人に愛されなくても、一部に熱狂的に愛される存在で有れば良いのだ。今は。それで立ち直れるならば。 ネギも指を咥えて見ていたわけではなかった。 片(ペン)として紙吹雪のように刻まれ、あるいは丁(ティン)としてぶつ切りにされ、ありとあらゆる料理に忍び込んだ。 麻婆豆腐、エビチリ、油淋鶏、炒飯に。ある時は辛く、ある時は甘く、時に大胆に、見えぬほど繊細にネギは必要とされ多くの人々に切望された。 中華料理だけでなく、凍える季節には鍋の具材として無くてはならない重要な存在にのし上がった。 しかしどんなに忙しくとも、ネギは豚肉の側を離れなかった。 店に来たばかりの豚肉にそっと寄り添う。 この店にも麺はいた。 小麦の香りの少ない、いうならば自己主張のない影のようにひっそりした麺だ。 主役のフカヒレを際立たせるための麺だった。 しかし二人の関係はいつまで経っても熱々で仲睦まじい。もはやお互い以外のパートナーなど考えられぬようだった。 去った麺は、自己主張が激しすぎたのだ。 いつか豚肉を…豚骨スープを至上とする麺に出会うまで見守っていなくては。 ネギは静かに暗くなる窓の外を見つめるのだった。
雑記 華麗なる挑戦
かなり前ですが、大学から少し離れた場所に『早食い5kgカレー』…正式名称はちょっと覚えていないのですがなんかそういうメニューを出す店がありました。奇をてらう店ではなく本格的なインドカレーの店だったように思います。 辛い物が苦手な私はその日何故か連行され、メニューを前に唸りました。どれも辛そうで。 その頃オーソドックスなカレーしか知らなかった私はバナナやキウイが入ったフルーツカレーやマンゴーカレーがゲロのように見えて食べる気になれず、甘いと勧められたココナッツカレーも得体の知れない物のように思えて選択肢にならず、結局店主が辛味を抑えましたという普通のカレーを頼みました。 そして待っている私達の目の前を巨大な器が通り過ぎて行きます。 『早食い5kgカレー30分以内で完食なら無料』 ドドドド メメタァ ババァアンとかジョジョの効果音でも聞こえてきそうなカレーの器がお向かいの先輩の席にずんと置かれました…。 そしてセットされるタイマー。 男達の熱い戦いが無言で繰り広げられはじめた。 喰らう喰らう喰らう、啜る、あおる、嚥下する。 そこには味わうとか団欒などという物はなく、辛さのせいで額に汗し、顔は赤らみ、ひたすら無言でカレーをかきこむ男二人がいるだけでした。 二人とも危なげなく完食。店主には大打撃でしょう。二人の顔写真は今も貼られているでしょうか…。 そして私と言えば「辛くないって言うたやん、辛い!辛い!ルー半分でご飯2倍にせんと終わらん」とちびちびとカレーを食べていました。 「お前それ、カレー食べてるんじゃなくて米喰ってるだけじゃないか?」 見かねた先輩がカレーのルーを半分食べてくれました。 カレーは飲み物を信条とする人がいることをその時初めて知ったように思います。 先輩二人は華麗なる挑戦を成功させ、私はスタートラインどころか競技場外、いや…競技場駅前で這いつくばっているみたいなものでした。 今は普通の辛さでも食べれますが、正直を言えば大さじ二杯くらいのルーで十分です。 しかし自分が思っている辛さが本当に普通かどうかは今もわかりません。