テツヤ
6 件の小説記憶
僕は様々な人と接していく中で、自分の中に一つの結論を見つけた。由美との想い出は決して忘れることはない。自分の中にずっとあり続ける。辛い時、悲しい時、嬉しい時、全ての状況で由美を思い出すだろう。だが、それが僕の道を縛ることは決してない。由美の死は確かに僕の心に大きな傷を与えた。しかし彼女の存在は僕を強くし、次のステップへと導いてくれていた。これからもこの事実は変わらない。 僕は埃の被った由美の写真を手に取り見つめた。 「由美、ありがとう。僕はこれから前を向いて生きていくよ。でも決して由美のことは忘れない。いつも空の上から見ていてくれると信じてる。」 僕は一人でそう呟き家をでた。 太陽が眩く僕を照らす。川のせせらぎが心地よく聴こえる。元気な子供達が公園で遊んでいる。木々のざわめきが生を感じさせてくれる。僕の夏はあの日から止まったままだった。しかし今年の夏は終わろうとしている。残暑の影響か道路に陽炎がゆらゆらと揺らめいている。陽炎の中に笑顔の由美が見えた気がしたが、夕焼けで消えてしまった。不思議と寂しくは無かった。僕は来年の夏が待ち遠しい。 「また、来年会おう」 僕はそう一言呟いて前を向いて歩き始めた。揺れる陽炎に背を向けて。
感情
由美の墓の前に行ってから数日が経った。僕は押し入れにしまってあった埃の被ったギターを取り出し弾いてみた。チューニングが狂っている。まるで今の自分を象徴するかのような音だった。あの日から少しずつ生活に変化を加えてみた。目的のない散歩をしてみたり、スーパーで値引きの弁当ばかり買って食べていたのに料理をしてみたり。由美が死んでから無色になっていた世界が色づき始めた気がした。学生の頃から興味があったボランティアも始めてみた。そこでの作業は僕の心に大きな変化を与えた。そこであった様々な人と交流もしてみた。少しずつではあるが、僕は人間らしい感情を取り戻しつつあったように感じた。 ある日、ボランティア活動で知り合った女性が柔和な笑顔で話しかけてくれた。彼女は由美とは対照的で、僕の身長より少し背が低いくらいで、胸元まで神を伸ばしている女性だった。幾度かボランティア活動で会うようになった彼女は少しづつ自分の過去を語り始め、彼女も大切な人を亡くしたことの経験があるということを知った。彼女の話を聞き、僕自身の話もしていく中で、お互いの距離が近くなっていき、初めて由美以外に心を開きたいと思う自分に気づいた。同じ境遇の中、前を向いている彼女に憧れの感情を抱いたのかもしれない。彼女は僕には前を向くきっかけをくれた。
決意
じりじりと暑い日が続く。僕はうっすらと額に汗をかき由美の墓に向かっている。木々が生い茂る人気のない山路で、葉の擦れる音が心地よく僕を迎え入れてくれている。まだ少し躊躇っているのか僕はゆっくりと足を進めた。 地面からゆらゆらと陽炎が動いていた。少し歩くと陽炎の向こうから女性が歩いてきた。遠目で見る彼女は由美と同じ背格好をしていた。僕は心の中で不思議と期待が膨らんでいた。由美なのかも知れない。そんなはずないのに。僕は気付けば早足になっていき、だんだん彼女との距離が近づくにつれて、鮮明に彼女の顔が見えてきた。近づいてくるにつれて僕は目を伏せていった。現実を見るのが怖かったのだろう。おそらく由美ではない。僕の中で抱いていた僅かな期待がなくなった瞬間に立ち止まってしまった。先程まで聞こえなくなっていた様々な音が、いっせいに僕に襲いかかってきた。 彼女はだんだんと近づいてきて僕に声をかけてきた。 「こんにちは、暑いですね、お墓参りですか?」 僕は彼女の顔を見ることが出来ず伏目がちに答えた。 「えぇまだ暑い日が続きますね、お墓参りに行く途中です」 少し声が震えてしまったかもしれない。 「きっと嬉しいと思いますよ、何年かぶりに会いにきてくれたら」 そういうと目を伏せている僕の横を通り過ぎて行った。はっとして振り返ると、陽炎だけが残り彼女の姿はなかった。 由美の墓前に立つと目新しい花があることに気づいた。きっと由美の親族の方が置いていったものだろう。僕は花屋さんで見繕ってもらった花束を墓前に置いた。いざ墓前で手を合わせると何を言っていいのか分からなかった。ただ心の中で由美に問いかけた。 「由美、僕はまだ由美のことを忘れられないよ、けど前に進んでみようと思うんだ」 その瞬間、心地よい風が吹いて僕は何かが軽くなった気がした。きっとそれは由美と過ごした日々を忘れることなく、由美とのかけがえのない日々の記憶、そして由美と共にこれから先も歩んでいくという決意だったのではないかと、今の僕は思う。
変化
殺風景な部屋に外から微かに蝉の鳴き声が聴こえる。今日は皆に会いに行く日だ。不安と僅かな緊張から昨日はあまり眠れなかった。そろそろ出かける準備をしなければいけない。どろりと重い心を引きずって準備をはじめた。 いつもなら出来るだけ見ないようにしていた、由美の写真を何故か今日は見たくなった。押し入れにしまっていた由美の写真を取り出して一言呟いた。 「行ってくるよ」 あるはずもない返事の声が聞こえた気がした。 「行ってらしゃい」 集合時間に少し遅れて店に着いた。外から店内を覗くと酒で盛り上がっている声が外まで聞こえてきている。奥の方に目を向けると身知れた顔があった。 「どうしよう」 僕はいい知れぬ不安に襲われた。由美の話題になったらどうしよう……どんな顔したらいいんだろう……そんな葛藤をしながら10分程店の前でうろうろしていただろうか。その時外に煙草を吸いにきた悠斗に声をかけられた。 「和馬?」 その声を聞いた僕は心臓の鼓動が、悠斗に聞こえてしまうのではないかというくらい大きくそして早くなった。僕は動揺を悟られないように静かに口を開いた。 「お、おうこの間ぶりだな」 悠斗は一瞬驚いたように目を大きく見開いたが、次の瞬間から嬉しそうに言った。 「和馬!来てくれたんだな!皆が中で待ってるぞ!行こう!」 悠斗は煙草を吸うことも忘れ皆の所に案内した。 皆は以前と変わらず昨日までも会っていたのではないかというくらいに迎え入れてくれた。そこからは2時間ほどこれまで何をしていたか、これからは何をするかを語り合っていた。来る前には不安だった由美について問いかけてくるやつはいなかった。皆それぞれの形で前を向いて進んでいた。それに比べて俺は…… 飲み会が終わって店を後にした僕と悠斗は歩きながら話した。 「皆楽しそうだったな」 「そうだな」 「皆ほんとうに和馬が来るの楽しみにしてたから来てくれてよかったよ」 僕は少し俯きながら問いかけた。 「皆由美については聞いてこなかったな、なんでなんだろう、1番気になる所じゃないのか?」 悠斗は煙草に火をつけて少し間を空けてゆっくりと返事をした。 「そうだな……皆は確かに気になってるとは思うよ」 「だけど皆は皆である意味、自分なりに考えて咀嚼して前を向いてる、だから和馬には聞かなかったんじゃないか?」 僕はその時はっとした。僕だけが過去に固執し前に進む事を諦めていた。道は開かれているのに。夏の蒸し暑さ、蝉の声、車の排気音、全てが今僕には聞こえていない。想い出が走馬灯のように一瞬で脳を巡った。 「悠斗、ありがとうな」 「何言ってんだよ」 悠斗は照れ臭そうに鼻をかいた。 その後も話しながらしばらく歩いた。まるで昔に戻ったかのように。
揺らぎ
暑い日が続いている。由実が死んだのもちょうどこの時期だった。その日は窓に当たる雨がバチバチと響くほどの雨音と、むせ返るような湿気が身体にまとわりつくのが印象的な日だった。由実は心配する僕をよそに、まるで何も気にしていないかのような無邪気な笑顔で『行ってくるね!』といつもと変わらない声で言い残し玄関を飛び出して行った。その後ろ姿が今も鮮明に脳裏に焼きついている。まさかそれが最後の姿になるとは夢にも思っていなかった。 由実との出会いは知人の紹介だった。由実がショートカットの髪を耳にかける瞬間、僕の心は跳ね上がった。恥ずかしそうに笑いながら自己紹介する由実に対し、僕は動揺を隠すのに必死だった。一瞬で心奪われたことを悟られないよう、僕は意識的に無愛想なふりをしたが、内心では彼女にもっと近づきたいという気持ちで心臓の鼓動が早くなった。 季節が変わっても、僕の心はまだあの日から止まってる気がしていた。由実の死から数年経ち周りは徐々にそれぞれの生活に戻っていったが、僕だけは過去に囚われたままだった。特に雨の降る夜は彼女の笑顔や声が脳裏をよぎり眠れない日々が続いていた。 ある日、悠斗が連絡をしてきた。最近、昔の友人で集まりたいという話が上がっているという。僕は誘いを断ろうと思っていた。ずっと避けていた友人に会うのが気まずいというのもあるが、彼らに会う事で過去がより一層自分を苦しめる気がしていた。 しかし、何かが変わらなければいけない。そう思った僕は意を決して集まりに参加することにした。
再会
セミの声が聴こえてきた。音が徐々に大きくなっていくに連れて目が覚めていく。 「あっつい…」 汗ばんだ体に鬱陶しさを感じる。僕が目を開けると薄暗い部屋にカーテンの隙間から、オレンジ色の光が差し込んでいた。眠ってから何時間経っただろうか。 今日は何年かぶりに合う友人との約束がある。まだ気怠い体を起こし、出かける準備を始めた。しばらく準備をしているとLINEの通知音が鳴った。 「今日は例の店予約しておいたからな」 画面を見て僕は少し憂鬱になった。予約されていた店は思い出の店だった。 「ふぅ…」 準備を整えた僕は重い足を引きずって部屋を出た。 店に到着した僕は案内された席に腰を掛け彼を待った。しばらくすると彼が姿を現した。 「よぉ久しぶりだな和馬」 彼は笑顔で少し上ずった声でそう言った。 「おぉ久しぶりだな悠斗」 僕も和馬のテンションに引きずられて少し上ずった声で適当に返事をした。悠斗は他愛もない話を10分程話し続けただろうか。悠斗は急に神妙な面持ちで問いかけてきた。 「もう吹っ切れたのか?」 僕は確信をついた質問に顔が強張った。 「まぁ…そうだな…」 悠斗は僕の嘘を見抜いていた。 「和馬、いつまでも引きずってても由実ちゃんは悲しいだけだろ?いい加減――」 そう言いかけた悠斗に対して立ち上がって声を荒げてしまった。 「お前に何がわかるんだよ!由実は死んだ!確かにその事実は俺がこうしてても変わることはない!だけどお前に俺の気持ちがわかるって言うのかよ!」 ガヤガヤしていた店内が一瞬静寂に包まれた。ふっと我に返った僕は静かに椅子に腰かけた。 「和馬…確かに俺には彼女を亡くしたお前の気持ちはわからない、だけどみんなお前のこと心配してるってのは理解してくれよ、ここ数年連絡が取れなくなって皆が心配してたんだぜ?」 「わかってる…皆が心配してるってわかってるつもりではあるんだよ…だけど…」 僕は声を詰まらせた。 「だけどあの時俺が由実を迎えに行っていれば――、俺が由実を行かせなければ――、そう考えてしまうんだ」 気づけば僕は大粒の涙を流していた。 「すまん、感情的になって」 「俺こそごめん」 悠斗は小さな声で僕にそう言った。 「今日は帰ろうか」 悠斗の提案に僕は賛同し席を立ち店外に出た。 「和馬、何度も言って申し訳ないけど、みんな心配してるから返事くらいしてやれよ」 「わかった」 「じゃあ帰るわ、また飲もうぜ、じゃあな」 悠斗はそう言うと駅の方に向かって歩いて行った。僕も悠斗に背を向けてゆっくりと帰路へと足を進めた。繁華街の喧騒の中さまざまな音が聞こえてくる。僕は少しの頭痛を感じた。繁華街を抜けると閑静な住宅街に入った。薄っすらと見える潤んだ視界の中家々には明かりが灯り、時には幸せそうな家族な会話が聞こえてくる。僕は虚しさの中、だんだんと早足になり自宅を目指した。彼女の面影を想いながら。