四季人

130 件の小説
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四季人

活動終了 文藝サークル"NöveSir!!"主宰代行。

跋.

 色々考えて、ここは残す事にしました。  跡形もなく消えてしまった作家を見て、  思うところがあったからです。 ※約束でもあるので、何かあれば召喚には応じます。  自分から動き出す事はしませんから、安心してください。

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失われた、物語

 あの物語も、この物語も。  ここには、もう無い。  紡がれるかも知れなかった〝これから〟と共に、  失われた、物語たち。  この胸の中にだけ、おぼろげに残された。  残る事を、許された。  それらはもう、新しく誰かの胸に咲く事はなく、  ゆっくり、ゆっくり……  記憶の向こうに朽ちていく。  その哀しさは、失った人にだけ冷たく注ぐ雨で、  やがて、誰も知らないままに、乾いて消えていく。  そんな物語なんて、はじめから無かった、とでも、云うように。  地平線の向こうに消えていった太陽を追いかけることは叶わず、  夜を呼び込んでしまった後悔の深ささえも、理解はされず、  この叫びも、どこにも届かないまま、  虚しく消えてゆくだけ。  失われた物語たちと共に。

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恵水は、そのままがいい

 休み時間、寝不足で机の上に伸びていたら、教室の外を通り過ぎて行くその子をたまたま見掛けて、思わず背が伸びた。  ────今のは、幻?  どうしてそう思ったのか、自分でも分からない。  見えたのは、重そうなダンボール箱をお腹の位置で抱えた、髪の長い女の子だった。  それだけだ。他に言葉に出来る特徴がない。  ただ、何か心の中に残り続ける存在感があった。  彼女は2年C組で、名前は秋野恵水(あきの えみ)と云うらしい。……このたった2つを調べ上げるのに、どれだけ苦労したことか。  相手の特徴を述べられなければ、人探しは困難を極める。どのクラスに居るのか、何という名前なのか……そんなちっぽけな情報を、誰にどう訊ねれば違和感を持たれずに教えてもらえるのか、それが問題だった。  とにかく、理由なき付きまとい行為に見られないよう、細心の注意を払いながら、私は彼女に接触した。 「前にあなたを廊下で見かけて、気になってたの」  私は、ストレートにそう言った。  彼女はとても驚いていた。  想像に難く無い。  突然呼び付けられ、女子の先輩に軽く告白されたら、きっと誰だって目が点になる。 「えっ……と」  秋野さんは答えに窮していた。  申し訳ないけど、こればかりは仕方ない。  私は、まどろっこしいのは苦手だ。  こんな自分の嗜好と性格をぶら下げて生きてるんだから、それ以外は出来るだけシンプルでいたい。  だから、私に出来る精一杯は、『ごめんなさい』をし易い空気を作ってあげる事だけだ。  そしてそれは、自分が手痛い心の傷を負わないようにする術でもあった。 「あの……はい、じゃあ、…………お友達から」  はにかみながら、上目遣い。 『ごめんなさい』と言われた後の『気にしないで。じゃあね』を用意してきた私の口が、金魚みたいにパクパクしてしまう。 「え……本当に?」  聞き返した私に、 「……はい!」  少し頬を赤くした秋野さんは、そう言った。  * * * * * 『秋野さん』、『恵水ちゃん』から『恵水』と呼び捨てするようになれたのは、それから割とすぐの事だ。  私の彼女は、いつも楽しそうにしてくれる。  どこへ出かけても、何をしていても、私といる時間をとても気に入ってくれているようだった。  なので、彼女の悩みに気づいてあげられなかったのは、……全部、私の所為だ。 「ピアス開けようと思うんです」  それは思い付きというより、何か思い切って決心を語る様な口調で、私はコーヒーのストローを咥えたまま、目を丸くした。 「なんで?」 「先輩、たくさん開いてるじゃないですか」 「あー……まぁ、ね」  右に3つ、左に2つ。恵水と付き合い出してから、臍にも空けた。  咎められてるワケでもないのに、なんとなく、バツが悪い気分になる。 「でも私は、……恵水はそのままがいいと思うけどなァ……」  好きにしなよ、と言ってあげた方が良かったのかも知れない。でも、正直な気持ちを吐露する。 「そうですか……」  残念そうな顔。 「……どうして?」 「え?」 「どうして、ピアス開けたいの?」 「それは……先輩と、一緒にしたいなって思ったから」  恵水はそう言ったけど、いつもの楽しそうな顔じゃない。 「恵水……」  何か言いたいのに、言葉が続かない。  私は、なんて言うべきだったんだろう。  少しずつ、同じ様な空気が流れた時間が有った事を思い出す。  買い物に出掛けた時、普段の彼女の趣味とは違う服を取ってみたり、アクセサリーなんて付けないのに行き先として提案してみたり。  薄っすらと感じるのは、『私と同じになりたい』みたいな、欲求。  好きな人に自分を寄せていきたい、という気持ちは判るけど、正直、私個人としては、そんな恵水になって欲しくない。  だから、私は、 「私は、今の恵水が好きだな」 「そう、ですか?」  彼女が期待した言葉をあげられなかった。  * * * * *  没個性、なんて言われた事がある。  何の特徴もない、そんな自分が嫌だった。  休みの日、普段は入らない店に入って、ベリショ丈のトラックジャケットと、ブラタンクとパラシュートパンツをいっぺんに買った。 「着ていきます」  試着室でタグを切って貰い、パーカーとミニスカートをショッパーに押し込んで、外へ出ると、少しだけ気分が晴れた。何か、新しい自分が生まれたような気がした。  髪の色、髪型、ピアス。  私は私を変える度に、生まれ変わって来た。けど、私らしくなったのか、それとも別のモノになっていったのか、分からなくなっていた。  だから、恵水がそんな私と同じになってしまう事に、強い抵抗がある。  私の目に、心に飛び込んで来た恵水の姿が、私にとっての特別だったから。  恵水の為を思うなら、私はどうすれば良かったんだろう?  自分の事を棚に上げて、新しい自分になりたい彼女の自由を、私は縛ってしまっている。  それは、当然恵水にも伝わっていて、私たちは少しずつ、何かが噛み合わなくなっていった。  * * * * *  デートの最中、些細な事で、言い合いになった。  怒って、というより、悲しんで私の前から立ち去ろうとする彼女を引き止められなかった一瞬を、後から酷く悔やんだ。  スマホも繋がらず、真昼の繁華街に独り、私は取り残されたまま、とにかく彼女の姿を探して歩き回った。  今日の彼女の服装は、白いプルオーバーに、フェイクレザーのミニスカート。……そんな服装の女の子が、この場所に何百人いるだろう?  私の言葉の所為で、ピアスや髪色を諦めた彼女には、服装の自由しか残っていなかった。そうして出来た状況だった。  私は歯噛みする。  自分が余計な事を言わなければ。  歩いて、歩いて、ひたすらに、歩き回った。  見つけられるだろうか?  いや、そんな弱気じゃダメだ。私が見つけないと。  不安で押し潰されそうになりながら探し続ける。  彼女の姿を、何度も頭の中で手繰り寄せた。  特徴らしい特徴なんてない。  目は大きくも小さくもないし、頬はスッキリもふっくらもしていない。背は高くも低くもないし、どこにもホクロは無い。  頭の中はくちゃくちゃで、何かを思い出そうとするほど、その姿が遠くなる。  見れば。  一目、見れば判るんだ。  初めて見かけた時の、あの髪の靡き方と、歩く姿は、いつも頭の中に残っていた。  言葉で説明するのは難しい。  とにかく、私の心の琴線に触れたのだ。  似ているような格好をしてる人がどれだけいても、彼女には、変わらないモノがある。  ……あぁ、そうか。  心配する必要なんて無かったんだ。  私は、今更思い至る。  彼女は変わらない。  私が好きになった秋野恵水の可憐さは、そんな事で変わるはずがないのだ、という事に────。    夕方になり、私は、街が見渡せるウッドデッキの片隅で、風でサラリと流れる長い髪と、愛おしい横顔を見つけた。  いつもの、いつもと変わらない……恵水の姿。 「恵水!」  私は叫びながら、思わずその身体に抱き付いた。 「え、……せんぱい?」  ぼうっとしていた彼女は、突然の事に目を白黒させながら、震えてる私の腕に触れた。  良かった……もう会えないかと思った……。  そう思うと、目からポロポロと涙が溢れた。 「ちょ……そんな、なにも、泣かなくても……」  恵水の手が、私の頭を優しく撫でる。 「だって……」 「もう……。そんな強そうな見た目なのに」 「言わないでよ」  グスッと鼻を啜って、目を拭う。 「……ごめんなさい、先輩」 「ううん、私こそ、ごめん」  短い言葉で仲直りをして、恵水は、いつもの笑顔を私にくれた。  * * * * *  しばらくして、恵水は右耳にピアスを空けた。  髪を切って、色も変えた。 「少し、はしゃいでみたかっただけです」  そんな言葉をぽつりと漏らして、恵水の髪色はすぐに戻って、ピアスの穴も塞がった。  結局、何も変わらない。  彼女と私は、ちょっとだけ時間を掛けて、それを確かめた。  たまに、 「今、こんな感じが流行ってるんですね」  アプリのクーポンで、カットモデルの写真を見せてくる。 「そうみたいね。でも────」  私は、彼女の長い黒髪に触れる。 「恵水は、そのままがいい」 「……フフッ。ええ……知ってます」  私の大好きな笑顔で、恵水は答えた。                             了

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恵水は、そのままがいい

舞台 赫灼のレトリーバー『獄炎の宝石』

 1/追憶・嵐の夜  青く浮かぶ森の木々、雨が降って、雷鳴が響く。  中央に仰向けで倒れる冒険者たち。  猫族の娘、カティンカが額の汗を拭いながら荷物を漁っている。  どこからともなく、怒号が聞こえてくる。 男A「カティンカ! 早くしねぇか‼︎」 男B「金目のモノを残すんじゃねぇぞ! ……ったく、トロいやつだぜ」 男C「いいか、次の獲物がここを通る前に片付けとけ! わかったな⁉︎」 カティ「は、はい!」  半べそをかいている。手は止めない。 男A「リーダーもリーダーだぜ。なんであんな手際の悪いガキを飼ってんだ?」 男B「さぁな。なんでも、猫族は大概器用に育つんだとよ」 男C「はぁ? アイツのどこが器用なんだよ」 男B「そんなこと知らねえよ」 男A「まぁ、いいや。あとひと月やっても役に立たなきゃ、売っちまおう」  カティンカがビクリとして顔を上げる。手も止まる。 男C「そうだな。ラーダヒルデの変態侯爵なら、ガキでも…………はは、いや、ガキなら尚の事、高く買ってくれるぜ」  男達の笑い声。  耳を塞ぐような仕草の後で、カティンカは死人を漁る。 男B「……おい、誰か近づいてくるぞ」 男A「んん? ……おいおい、この森を一人で抜ける気かよ。バカな野郎だ」 男C「大層な剣を担いでるじゃねえか。奪(と)っちまうか」 男A「ああ。……いただいちまおう。……全部な!」  草を踏む音。剣を抜く音。威嚇する声。重なる剣閃。  慈悲を感じない一太刀(音)。男Aの断末魔。  再び顔をあげるカティンカ。男B、Cも同様に始末された。  静寂。カティンカは心細くなりながら立ち上がり、下手を見る。  下手から、ゆっくりと現れる、長剣を携えた熟練冒険者。  血を払う動作をして、その剣をゆるりと収める。 冒険者「死体剥ぎか。今の連中の仲間か」  冷たい声。カティンカは必死に首を降って否定する。 冒険者「ふん……?」  一旦訝しむが、すぐ興味をなくす。  カティンカに近づく。たじろぐカティンカ。  その横を通り過ぎて、上手袖前でピタリと立ち止まる。 冒険者「……ならば、去れ。お前は、自由だ」  背を向けたままそう言い残して、去る。  取り残されたカティンカ、両手を見つめる。 カティ「じゆう……」  2/朱煉瓦亭  テーブルやカウンターで酒を飲み交わす半獣の冒険者達。楽しげな喧騒。  舞台中央に依頼書で溢れた掲示板。フードを被った犬族の大男が仁王立ちでそれを見上げている。  テーブルに伏して寝ていたカティンカが、ハッとしたように顔を上げる。 カティ「……寝ちゃってた……」  左右を見回す。掲示板前のフードの大男を見つけて安心するが、夢の内容を思い出して、表情を曇らせる。 カティ「……まだ夢に出てくるなんて」  恨めしそうに愚痴る。 カティ「ねぇ、レイフ〜、まだ決まんないのォ?」  彼女の呼びかけに、フードの男は振り向いた。 レイフ「起きたのか」 カティ「起きたのか、じゃないよ。待ちくたびれて寝ちゃったんじゃん」  カティンカはレイフの口真似を交える。 レイフ「あるにはあったが……」 カティ「どんなの?」 レイフ「東峠に出た魔狼討伐隊の捜索願いだ。危険度は4。報酬は、生存者一人につき5000、遺体なら2000。装備品も回収で追加報酬がつく」 カティ「えぇ〜、またァ? もう死体回収はやだよー」  テーブルについたまま手足をバタバタするカティンカ。 レイフ「そ、そうか? それなら…………そうだな、グレイシープ窃盗団から羊を奪い返す仕事はどうだ?」 カティ「そんなの、荷馬車借りたら報酬ほとんど無くなっちゃうじゃない」 レイフ「……むぅ」  レイフは唸る。カティの呆れ顔。 カティ「ねぇレイフ、たまには、『取り戻し屋』以外の仕事も受けてみない?」 レイフ「そう、だな…………」  説得されるも、承服できないレイフ。  事情を感じさせる間。 カティ「……はぁ。他には?」  カティンカは渋々促す。 レイフ「うむ……ラーダヒルデのハイントン侯爵家から、宝石の奪還依頼が出ているが……」 カティ「うぇ…………あの変態侯爵のォ?」 レイフ「家宝のラーバアゲートのカメオブローチを取り戻して欲しいだそうだ」 カティ「…………へェ」  一段低い声で返事をする。 レイフ「成功報酬は三十万」 カティ「三十万? あのラーバアゲートでしょ? 出すとこ出せば倍は固いじゃん」  カティンカの悪そうな笑顔。 レイフ「カティ、侯爵家の至宝だぞ。命を天秤には掛けられん」 カティ「ま、そりゃそうか」  諦める素振り。レイフは『やれやれ』という顔で溜め息を吐く。 カティ「で、その仕事にするの?」 レイフ「そうだな…………いいか?」 カティ「レイフが決めたんだもん、従うよ。カティよりも仕事を選ぶセンスがあるからね」  カティンカはニコリと笑う。これは本心だ。 レイフ「報酬額は大きいが、既に他のパーティも受けているようだ」 カティ「競争か。燃えてきたね」  席を離れたカティンカは、レイフの隣りに立ち、彼の胸を軽くノックする。 カティ「でも、勝つのはカティ達だよ。『取り戻し屋』の実力を見せてやろうじゃない!」 レイフ「ああ、そうだな」  高揚感に満ちた声。  暗転。 カティN「魔王も勇者も、もう居ない。そんな世界で、あたしたちは生きている。何かを得る幸せと、何かを無くす不幸せの狭間で。あたし達は取り戻す……失ったもの、帰らないもの、奪われたものたちを。あたし達は、『レトリーバー』……『取り戻し屋』だ」  3/ハイントン侯爵邸  煌びやかな邸内。深緑のベルベットに金の糸で刺繍が施された紋章旗が下がっている。  レイフとカティンカは、執事長と向き合っている。  彼らの周りには、使用人の服を着た少年少女達が待機姿勢で控えている。  カティンカは訝しげに彼らを見回すが、レイフは一瞥もくれない。 執事長「依頼を受けていただいたそうで。主人(あるじ)に代わってお礼を申し上げます」  うやうやしく話す執事長。 レイフ「いや、礼を言われるような事は、まだ何も……。それよりも……」  レイフは視線を執事長の背後にやる。誰もいない。 レイフ「ハイントン殿は……?」 執事長「申し訳ございません」  執事長は沈痛な面持ちで溜め息を吐く。 執事長「本来であれば、主人から直接お話を聞いていただきたいのですが。実は……昨年から、主人は病を患っておいでなのです。此度の盗難の件が追い討ちを掛けてしまい、それ以来、ベッドから起き上がる事も……」  その重い口ぶりは、忠義を感じさせる。 カティ「ふゥん。病、ねぇ……」  言いながら、カティンカは一人の使用人風の少年に近づく。  そしてその首筋から顎までを指先で撫で上げながら、 カティ「ねぇねぇ、それって、この子たちの誰かが原因?」 わざと煽るように言うカティンカを、 レイフ「カティ」  よさないか、という口調で、レイフが制した。  執事長は無言で顔を背け、眼鏡を直す仕草をする。 レイフ「……失礼した。仲間の非礼を詫びる」  頭を下げるレイフ。 執事長「いいえ。カティンカ様の仰りたい事は分かります。不敬ながら、世間での主人の噂は耳にしております。ですから、そのような印象を持たれてしまうのは残念ですが、致し方ない事なのでしょう。しかし、私(わたくし)にとっては、素晴らしい主人なのです」  そう語る執事長は柔和な顔と声である。カティンカはそれが面白くない。 執事長「失礼、話が逸れてしまいました。依頼について、でしたか。何をお知りになりたいのでしょう」 レイフ「ああ、まずは、盗まれた宝石について聞かせて欲しい」 執事長「はい。お二人に取り戻して頂きたいのは、ハイントン家に伝わる家宝である、ラーバアゲートのカメオブローチでございます。既にご存じかも知れませんが、上等なラーバアゲートは三千年間、宝石の中で魔力の炎がくゆり続けると言われておりまして」 レイフ「ほう……」  顎に手をやり、レイフは話を促す。 執事長「特に、当家に伝わる物は逸品でございました。月の光も届かぬ暗闇の中でも赤く浮かび上がる灯りは、長い年月を掛けて石の中に蓄積された魔力によるものだそうです。その美しさは五大陸でも屈指との呼び声も高く……」 カティ「あーもうっ! そーゆーのいいから!」  痺れを切らしたカティンカが遮る。 カティ「それより、もうちょっと役に立つ情報は無いの? どんな魔法効果があるとか! そのせいで誰かに狙われてたとかさぁ!」  たじろぐ執事長。  そこへ、 ハイントンの声「何も無い」  声の後、上手袖から、杖をつきながら太った貴族の男……ハイントン侯爵がやってくる。  ざわざわとする使用人たち。 ハイントン「盗まれた宝石には、神造遺物のような特別な力など、何も無い」  怒りを滲ませ言うと、その場でよろめく。 執事長「旦那様!」  すかさず執事長がその体を支えた。肩を支える手を振り払って、ハイントンは杖の上で手を組む。 レイフ「……あなたが、ハイントン殿か」 ハイントン「左様。お前が取り戻し屋か。……フン、犬コロ風情の手も借りねばならんとは」  皮肉とともに、鼻息を漏らす。 カティ「イヤなら自分で探しに行けば?」 レイフ「カティ」 カティ「……フン」  腕を組むカティンカ。そのまま下手側に立つ使用人達に近づく。 ハイントン「できるなら、そうしている……。……ゴホッ!」  ハイントンは強く咳き込む。 ハイントン「……アレは、ただの石だ。王宮御用達のベテラン職人によって美しい細工を施されただけの、な」 レイフ「ただの、石?」 ハイントン「そうだ。強い魔力を秘めた石には違いないが、魔術や儀式回路が埋め込まれた物ではない。……だが、大切な物である事に、特別な力の有無など関係ない。先々代が王家から賜った我が侯爵家に伝わる至宝なのだ」 レイフ「なるほど……。では、盗まれた時の状況を詳しく聞かせてもらえるだろうか?」 ハイントン「…………」  溜め息を吐くハイントンに代わり、執事長が一歩前へ出る。 執事長「宝物庫の点検は私の仕事でございました。二日前の夜、門の鍵が開いているのを発見し、確認したところ、家宝のブローチが無くなっていたのです」 レイフ「他に被害は?」 執事長「ありませんでした」 レイフ「フム……」 ハイントン「根無し草には判らぬだろうが、この家にとって、あれはどうしても必要な物なのだ。何としても、取り戻したい」 レイフ「……わかった。最善を尽くそう。行こう、カティ」  レイフが振り返ると、カティンカは跳ねるようにして彼に近づく。  歩きながら、顔だけ執事長とハイントンの方へ向ける。 カティ「カティたちをバカにした事、後悔するよ」 ハイントン「フン、それは楽しみだな」  そのまま下手袖に消えるレイフとカティンカ。  残された執事長は、ハイントンの体を気遣い、支える。 執事長「……よろしかったのですか?」 ハイントン「当然だ。……私には、この家を守る義務がある」  そこまで言うと、咳き込んで、下手の方を見やる。 ハイントン「何があってもな」  暗転。  4/馬小屋のキーンとトビーオビー魔具店  舞台中央にスポット。レイフとカティンカ。 レイフ「気付いたか、カティ」 カティ「うん。レイフも?」 レイフ「ああ。この事件は妙だ。賊が宝物庫に入ったというのに、盗まれたのは宝石ただ一つ。それも、闇市場でも金に替えづらい侯爵家の家宝だ」 カティ「他に、足が付かない物だってあっただろうにね」 レイフ「実行犯の他に主犯がいるかもしれんが、最終的な目的は金ではないという事だ。売り飛ばすのが目的でないなら、追いようはある。侯爵家とラーバアゲートについて調べてみよう」 カティ「あ、じゃあ、カティも気になった事あるから調べてくるよ」 レイフ「気になったこと? なんだ?」 カティ「フフ、ひみつー」 レイフ「……フム。まぁ、いいか。そっちは任せる」 カティ「うん! じゃあ、後でね!」  レイフは上手の方へ歩いていく。カティンカは下手に消える。  舞台上手にスポットが降りる。狭い馬小屋でいそいそと干し草を整える鳥族の大男、キーンがいる。 レイフ「キーン」  レイフの声に、首に下げた手拭いで顔を拭きながら、キーンは振り返る。 キーン「小僧か。どうした」 レイフ「ちょっと話を聞かせてくれないか」  そう言って、硬貨の入った皮袋を投げる。キーンはそれを受け取って、重さを確認するように手で弄ぶと、それを干し草の山に放る。 キーン「……いいだろう。何が聞きたい?」  近くにあったスツールに腰掛けながら、キーンは腰の痛みに小さく唸った。 レイフ「ラーダヒルデのハイントン侯爵だ」 キーン「フム……?」 レイフ「小児愛好家だという噂だが?」 キーン「そいつは本当だ。だが、買った子どもたちに手を出している証拠は無い」 レイフ「……というと?」 キーン「噂に聞くような淫らな目的で買っているというワケではなさそうだ。孤児や人買いから買い上げた子どもたちを屋敷に囲って、成長したら追い出しているんだが、侯爵の屋敷にいた者たちは、どいつもこいつも、大概はしっかり仕事を覚えてる。噂のせいで、大っぴらにしてる奴は殆どいないが、話を聞くと侯爵に感謝してる者の方が多い。……だが、何も無いってワケでも無さそうだ」 レイフ「複雑そうな事情の正体は、それか」 キーン「逃げ出した奴の中には、跡取りにならないかと言われて迫られたのもいるって話だ」 レイフ「成程。跡取り、か」  レイフは唸る。 キーン「侯爵には子どもがいないからな。しかし、自分の代で家を潰すワケにもいかん。本人の歪んだ嗜好がどれだけ含まれているかは知らんが、掻き集めた子どもの中から跡取りを選ぼうとしているのは事実だろう」 レイフ「そうだったのか……」 キーン「他には?」 レイフ「侯爵家の至宝、ラーバアゲートについて、何か知らないか?」 キーン「ほう、至高の魔石か。盗まれたと聞いたが、やはり、小僧はそれを追ってるのか?」 レイフ「まぁ、そうだ」 キーン「稀少価値が非常に高い宝石だが、それは魔導大戦時に乱獲された為だと聞く。何しろ、数千年分の魔力が蓄積した石だ。今では殆ど知られていないが、儀式回路を書き込めば、魔術師でなくても魔獣や幻獣の召喚すら可能にする代物だったらしい」 レイフ「らしい、というのは?」 キーン「それはそうだろう。刻まれた力を解放する……つまり、石を使うたび、魔力は減る。現存するラーバアゲートの魔法石は、どれも大戦時に魔力を使い果たしている。歴史的資料や宝石としての価値しかないのは確かだ。それでも充分値打ちのあるモノだが」 レイフ「全ての石が、力を使い果たしていると?」 キーン「少なくとも、記録上はそうだ」 レイフ「ム、待ってくれキーン! それではもし、魔力を貯蔵したままの石が、まだ残っているとしたら……?」  狼狽するレイフ。 キーン「まさか、ありえん。……だが」 レイフ「だが?」 キーン「魔導大戦クラスの魔力が籠った石だ。下手な術式や儀式が書き込まれたモノが発動すれば、一晩で一国を滅ぼせる兵器だ。……まぁ、おとぎ話のようなものだろうがな」  キーンは笑うとレイフに背を向け、再び干し草を整え出す。 レイフ「……なんて、ことだ……」  暗転。  舞台下手にスポットが降りる。  壁一面の棚に薬瓶や奇怪な魔道具が並べられている。  中央のカウンターでは丸眼鏡を掛けた猿族のせむし男が鋏のような道具の手入れをしている。 カティ「邪魔するよ、トビー」  下手袖から、ずかずかと歩いてくるカティンカ。 トビー「お、おぉ……嬢ちゃんか。今日は何の用だね?」  トビーは笑っているが、表情は強張り、挙動不審気味である。 カティ「うん、ちょっと聞きたい事があって」  妙に明るい声。 トビー「ほ、ぅ……なんだい?」  カティはカウンターに上半身を預ける。 カティ「アンタさ、トゲヨモギの根っことハバキウオの肝で作った毒、誰かに売った?」 トビー「さ、さぁ、なぁ……どうだったか……? ここんところ、物忘れが激しくてなぁ……はは……」  乾いた笑いを返すトビーは、カティンカの方を見ないようにしている。  カティンカは腰から素早く短剣を抜いて、トビーの首筋に、突きつける。 トビー「ヒィッ⁉︎」  トビーが磨いていた器具を落とす。 カティ「これでどう? 思い出した?」 トビー「ちょっ、待ってくれよぉ! 何なんだい、いきなり⁉︎」 カティ「浅い呼吸、ほんのり紫色に鬱血した顔、手足に浮かぶ紅斑、でも意識はハッキリとしてた……メタバール症に似てるけど、病気なら一度でも掛かったら最後、症状が改善することはない。……アレは薬物による中毒症状よ」  カティンカは早口で捲し立てる。 トビー「誰の事ぉ⁉︎」 カティ「アンタが売った毒で苦しんでる、哀れなオッサンよ。それで? 言うの、言わないの?」  脅しながら、つい、とトビーの顎を短剣で持ち上げる。 トビー「いっ、言う言う! 言いますよォ〜っ!」  静かに離れる短剣。トビーは喉を撫でると、嘆息した。 トビー「はぁ……まったく乱暴だねェ。旦那だったら小遣いの入った袋の一つでもよこしてくれるのによ」 カティ「あたしはレイフとは違うの。ましてや、薬を売った客まで売って、二重に儲けようなんて汚い奴には、銅貨なんかよりずっと上等な金属を腹に詰め込んでやりたいくらいだけど」  カティンカは短剣をクルリと回して、見せ付ける。 トビー「じょ、冗談だろォ?」 カティ「さぁ、どうかな。アンタこそ、冗談は顔だけにしておきなよ」 トビー「わ、わかったって。薬を買ったのは、ハイントン家の封書を持った男だったよ」 カティ「特徴は?」 トビー「そんなの……ジロジロ見るワケにいかないだろォ? 緑色のローブを被ってたかな……一応決まりだから、紋章の確認だけはしたんだ」 カティ「封書の中身は、薬の指示だけ?」 トビー「ああ、その通りだ。それと……」 カティ「……それと?」  トビーは、ゴクリと唾を飲む。 トビー「古代召喚術式の本を買っていったよ……」  暗転。  5/遺跡  夜、石造りの神殿。中央に焚き火。梟が鳴いている。  深緑のローブを着た五人組が、あちこちに腰掛けているが、休まっているような様子ではない。  下手端、リーダーのカクトゥスが、ランプの灯りで分厚い本をパラパラとめくっている。 賊A「なぁ、カクトゥス、……本当にやるのか?」  焚き火の近くにいた賊Aが、下手端に座るカクトゥスに問う。 カクトゥス「………………」  答えない。無視して本を捲り続ける。 賊B「なんだよお前。今更、何を怖気付いてるんだ」  半笑いだが、臆病な性格が滲み出ている。 賊A「そんなんじゃねえ。……でも、これじゃあ復讐っていうよりも、破壊じゃないか」 賊C「それがどうした。俺たちは人生を滅茶苦茶にされたんだ。正当な権利だよ」  厭世感を溢れさせる賊Cの肝の据わった声に、賊Aは狼狽する。 賊A「……お前は、いいのか、サイル」  賊ABC、上手側一番隅に座っている少年の方を向く。サイル、暫く考えて、無言で頷いた。 賊C「フン、お前なんかより、サイルの方が、よっぽど覚悟を決めてるさ。侯爵に毒を盛って、コイツまで盗んで来たんだからな」  賊Cは言って、ちゃり、とブローチを見せる。 賊B「お前、俺たちがされた事、忘れたのかよ」 賊A「忘れちゃいないさ。だけど、無関係な人たちまで巻き込むなんて……」 賊C「無関係な連中なんて、この世にいない」  喋りながら、恨みから語気が荒くなる。 賊C「……コイツがあの屋敷にあったのは、運命なんだ。……なぁ、そうだろ、カクトゥス」 カクトゥス「…………あぁ」  抑揚のない、澄んだ声。 賊C「追っ手の方はどうだ?」 賊B「街に使いをやった。憲兵は陽動に引っかかったみたいだが、昨日『赤狗』が依頼を受けたらしい」  賊AC、動揺する。 賊A「赤狗だって? あの、取り戻し屋の『レッド・レトリーバー』か?」 賊C「厄介な相手だな。諦めが悪い事で有名なヤツらだろ。放っておいていいのか?」 賊B「心配するな、手は打ってある。取り戻し屋風情じゃ、どうにもならない手を、な」  賊B、不敵に笑う。  サイル、膝を抱える。  暗転。  6/追憶・路地  暗転したまま。街の雑踏が響く。 カティN「あの時のあたしには、あの人に言われた、『自由』って言葉の意味が、判らなかった」  黄色のスポット。舞台中央だけが浮かび上がる。  建物の外壁に背中を付けて座り込む、子どもの頃のカティンカ。疲れ果てた様子。 カティN「倒れたまま冷たくなった人たちの荷物を漁るのはイヤだったけど、それをしていれば、ご飯が食べられた。……そりゃあ、怖い声で怒鳴られたり、棒で叩かれるような事は無くなったけど……『自由』って言葉は、あたしからご飯と寝る場所を奪ったんだ」  空を見上げるカティンカ。 カティN「レイフと出会ったのは、そんな時だったっけ……」  下手から近づいてくる大男。  頭にすっぽりとフードを被っているが、犬族特有の突き出た赤い鼻先までは隠せない。 レイフ「カティンカというのは、君か」  カティンカは話しかけられて、鬱陶しそうに嘆息する。 カティ「だったら何? あたしに構わないで」 レイフ「そうもいかん。俺は依頼でここへ来たんだ」 カティ「……依頼? 何それ。そんなん知らないし」  擦れた態度。レイフは言葉の調子を変えない。 レイフ「カデシュ、という男を知っているな?」  その名前に、カティンカは思わず驚いた表情を浮かべ、背中を壁に押しつけた。 カティ「リーダー……?」 レイフ「俺が受けたのは、『君を取り戻したい』という彼からの依頼だ」 カティ「…………あたしを、連れて行くの?」  酷く怯えているカティンカ。その問いに、レイフは前に向き直り、かぶりを振る。 レイフ「……それは、君次第だ」 カティ「え……? どういう、こと?」 レイフ「何故、カデシュは俺に依頼をしたと思う? 自分の仲間を使えば、君をパーティに連れ戻す事くらい造作もないのに」 カティ「………………」 レイフ「彼は、……カデシュは一度でも、『連れ戻したい』とは言わなかった。今の君にとっては、自由が荒野と同じかも知れないが、一度自由になった君を、もう一度汚れた手で抱きしめる事を、彼は躊躇っているんだろう」  カティンカは俯く。 カティ「……あたしのこと、勝手に買い上げて、盗賊に引き込んで、働かせておいて……何を今更」 レイフ「それは、これが彼が君にしてやれる、最後の事だからだろう」 カティ「………………」 レイフ「カデシュの元に戻るのか、君が失っていた君自身を、これから取り戻すのか…………決めるのは、君だ」  ス……、とカティンカを指差して、レイフは言う。 カティ「取り、戻す…………」 レイフ「俺は、連れ戻し屋じゃない。取り戻し屋だ。依頼人が失ったモノ、奪われたモノを取り戻すのが、俺の仕事だからな」  カティンカは考え込む。 カティN「その時から、あたしはその言葉に取りつかれてしまったのかも知れない。失くしたモノが何なのか、どうすれば取り戻せるのか……それを知りたくなったから……」 カティ「あたし……取り戻したい。あたし自身を」 カティN「だから、あたしは……この、燃えるような毛並みの男に、ついて行くことにしたのだ」  暗転。  7/夜の森  舞台中央に大樹が浮かび上がる。  大きな雑嚢や武器などの装備品がまとめて置かれている。その近くには毛布に包まって休んでいる冒険者が二人。  静寂の中、上手袖、下手袖、木の上から覆面を被った軽装の暗殺者八人がゾロゾロと忍び寄ってくる。  彼らは足音も立てずに中央に集まりながら、ほぼ同じタイミングで背に差した太刀を抜く。  そして膨らんだ毛布の近くまでやって来ると、太刀を振り上げ、一斉に振り下ろした。  重なる斬撃音。一瞬の間。  しかし、彼らは異変を感じ、すぐに飛び退く。辺りを見回し、武器を構えたまま警戒する。 カティの声「あはっ、やっぱりね」  どこからともなく聞こえる、カティンカの声。  動揺が広がる。 カティの声「あれ? あたしが何処か判らない?」  暗殺者達は背中を預け合う。  すると、下手側にいた一人が、突然ゆらりと一歩出て、隣の暗殺者に太刀を浴びせる。  倒れる暗殺者。残りの六人が驚いて距離を取る。  同士討ちをした暗殺者が、徐ろに覆面を取る。カティンカである。 カティ「ふう。寝首を掻こうなんて考えてるから、こんな手に引っ掛かるんだよ」  やれやれ、という口調で太刀を向ける。  六人はジワジワとカティンカを取り囲む。頭数で優勢と考えているのだ。 カティ「ふーん、まだやる気なんだ?」  落ち着き払った態度。 カティ「……でも、そんな腕であたしたちを捕らえようなんて、十年早いよ」  低い声で挑発する。  背後の男が斬り掛かる。  その一閃を後ろに転がって躱し、反対に懐に飛び込んで薙ぐ。  続けざまに襲い掛かる男達の攻撃を、細かなステップを踏みながら的確に避けて、伸び切った身体に突き刺し、斬りつける。どこにも無駄な動作は感じさせない。 カティ「……さ、残ったのはアンタ一人だよ」  最後の一人は太刀の先を震わせて、その場から上手へ逃げ出そうと走り出した。 カティ「あ、逃げた」  しかし、袖に消えた直後、レイフに顔面を掴まれながら戻って来る。 カティ「あら、おかえりー」 レイフ「カティ。任せろというから任せたのに」  暗殺者を掴んだまま、舞台中央まで歩く。 カティ「良いじゃない。そいつがいれば、賊の行方を知る手掛かりになるでしょ?」 レイフ「それはそうだが……カティは見当がついているのか?」 カティ「慌てなくても、そいつが教えてくれるよ。ね? 暗殺者さん」  その時、レイフに捕まった暗殺者が、空に向かって何かを放る。 レイフ「ん?」 カティ「なに?」  破裂音、舞台を包む赤い光。  ぼうっと上を見上げる二人。  レイフに捕まった男は気を失う。 カティ「……ねぇ、レイフ、コレって」 レイフ「……まさか、信号玉か?」  直後、舞台のあちこちから武装したならず者達が集まってくる。  手にした得物を構える彼らにあっという間に取り囲まれ、二人は呆然とする。 カティ「もう! 何してんのよレイフ!」 レイフ「えっ⁉︎ い、いやいや、コレは俺のせいではないだろう⁉︎」 カティ「レイフがちゃんとソイツの事押さえておかないから!」 レイフ「なっ⁉︎ それを言ったら、カティが周辺の調査をしたんじゃないか!」 カティ「したじゃん! カティは、ちゃんと変装までして、コイツら罠に嵌めたじゃん!」 レイフ「い、いやいやいや! まだこんなに残ってたじゃないか!」  口喧嘩をする二人に、多人数がジリジリと距離を詰める。 カティ「もういい! レイフなんて知らない!」 レイフ「カティ!」 ならず者「ぃやぁっちまえぇーーーーっ‼︎」  一人の掛け声と共に、全員が二人に襲い掛かる。  下手でカティンカが、上手ではレイフが応戦する。  カティンカは変装のための装束を剥ぎ取る。  レイフは片手剣を逆手に持って、敵の斬撃をいなし、もう一方の手で木に立てかけてあった両手剣を引き抜き、大きく振るう。  ヒットアンドアウェイが基本でスピードとテクニックを感じるカティンカの殺陣、剛腕によるパワーと気迫を感じるレイフの殺陣は、対照的である。 レイフ「追っ手を始末する為にこの人数か。賊は国家の転覆でも狙っているのか?」  舞台中央で剣を構え直すレイフ。 カティ「何言ってんの。そんなワケないじゃん」  カティンカは彼に背中を預けて、短剣を構える。 カティ「……ぶち壊したいだけだよ。自分の事を台無しにしてきた、何もかもを……」 レイフ「なに……?」 カティ「来るよ!」  再び戦闘。  カティンカは下手に駆け出して一人を斬り付け、その奥の大柄な一人に向かって踏み込む。その鎧を掴み、彼を軸にして方向転換、右へ左へと翻弄しながら、舞台下手側の相手を掃討していく。  一方、レイフの前には大剣を持った男達がやってくる。彼らは剣を打ち合わせるが、王宮剣術の心得があるらしいレイフと違い、闇雲である。  レイフはバインド(※剣同士の刃をぶつけ、固定する技術)を駆使して敵の剣を止め、いなし、一撃の元で葬っていく。  舞台中央に残った最後の敵がオロオロとよたつく。同時にそちらを見たカティンカとレイフが踏み込んで、交錯しながら斬り付け、立ち位置を入れ替える。敵は、あえなくその場に崩れた。  レイフとカティンカはお互い背を向けたまま、レイフは剣の血を大きく払う動作を、カティンカは袖の左肘で血を拭い取る動作をする。 レイフ「カティ」 カティ「なに?」 レイフ「ちゃんと教えてくれないか? 賊の正体……何か、気が付いているんだろう?」 カティ「……どうかな」  短剣を収めながら、カティンカは含み笑いをする。 カティ「レイフはさ、今回の依頼人、一体『何』を取り戻したいんだと思う?」  先の回想場面を思い起こさせる、真面目な口調。 レイフ「……カティは、その取り戻したいものが何なのかを確かめたい。……そういう事なんだな?」 カティ「そーゆー事。さっすが相棒」  カティンカ、嬉しそうに笑う。 レイフ「フフ……」 カティ「なぁに? なにが可笑しいの」 レイフ「いや。……行こう、相棒」 カティ「うん!」  レイフ、カティンカ、中央で軽く見栄。  暗転。  8/遺恨 少年の声「他人の笑顔が憎らしい。そんな風に思っていた」  舞台中央、青いスポットが降りる。  ローブを被った少年。 少年「苦痛と、屈辱に耐えるだけの毎日だった。身体中がアザだらけで、安心して眠れる夜なんて、殆ど無かった。いつもツラい目に遭うのは僕だけだ。他のみんなは笑ってた。僕から笑顔を奪ったアイツも、僕以外のみんなには笑いかけてた。僕には、それが許せなかった」  上手の方へ歩き出す。  その先にスポットが降りる。そこには冒険者風の男女がいる。 少年「だから僕は逃げ出した。自由になる為に。……でも」  彼らの手前で止まる少年。助けを求める手振り。  ところが、少年を指差して、冒険者風の男女は指を差して笑う。 少年「屋敷の外に、僕が求めていた自由は無かった……」  肩を落とし、背を向ける。上手のスポットが消える。 少年「同じ境遇の誰かなら、助けてくれるかも知れないと思った。……でも」  今度は下手の方へと駆け出す。  その先にスポット。使用人風の男女がいる。  助けを求める身振り手振り。  だが、使用人の男は手をかざし、大きく首を振る。 少年「その人たちは、僕とは違った」  スポットが消える。少年は頭を抱える。  そのまま舞台中央へ。 少年「誰も僕の事を助けてくれない。笑って、蔑んで、同情して、嘘つき呼ばわりして……‼︎」  フッと顔を上げる。 少年「……僕の居場所は、どこにもない」  静寂。 少年「そんな酷い話があるかッ‼︎」  少年の背後にスポットが4つ下りる。そこには、フードを被った少年たちがいる。 少年「僕らには何も無かった! 守ってくれる人も、立ち向かえる力も、笑い合える仲間も! 僕だけだ! 何人いようと、それは全部『僕』なんだ‼︎」  両手を広げる。少年の背後に立つ4人も、同じ動作をする。 少年「僕は、元の僕を失くしてしまった。壊してしまった。忘れてしまった。……だから、もうここには、『何もかもを許さない』僕しか残っていない」  少年は懐から、ラーバアゲートのブローチを取り出して掲げる。 少年「だから、お願い。僕に力を貸して。僕が失くしてしまったように、壊してしまったように、忘れてしまったように…………全てを、全てを台無しにしてしまう力を、僕に貸して……!」  暗転。    9/遺跡・2  おどろおどろしい呪文の詠唱が聞こえてくる。  赤い光。朽ちかけた壁に浮かび上がる魔術文字。  舞台中央に赤い光源。その傍らで呪文を詠んでいるカクトゥス。盗んだ魔石を触媒にして、魔獣を召喚しようとしている。  賊ABC、サイルはそれを離れたところから見守っている。  徐々に浮かび上がってくる、四ツ目に山羊の角を持つ狼のような獣の顔。 カクトゥス「星の息吹、天魔の牙城、円環の理、凍土の柩、深淵の波紋、破滅の瘴気、水晶の天秤、永劫の月輪、……岩漿の雫に宿りし無謬の守り手よ、我が呼び掛けに応えよ……‼︎」  地の底から響くような唸り声。  カクトゥスは赤い光に包まれている。  召喚に応じる古代の魔獣は、立ち込める霧の中で少しずつ形を成していく。  世界の終わりすら感じさせる破滅の福音。  彼らの絶望の深さと、憎しみの強さを象徴している。  そこへ、ガラス同士を打ち鳴らしたような音が響き渡り、光り輝く水晶の封印剣が飛来した。舞台のあちこちに垂直に突き立てられる。その数、七本。  獣の魔神の苦悶の表情と呻き声。召喚は中断された。  たちまち晴れる赤い霧、舞台は明るくなり、深緑のローブの賊たちは狼狽する。 レイフの声「そこまでだ」  深く、落ち着いた声。  舞台中央で余裕を見せるカクトゥスを除き、賊たちは下手側に固まって身構える。  上手袖から、獣のように低い姿勢で駆けてきたレイフ、最後は片手を地面につけ、スライドしながら制動する。 賊B「取り戻し屋!」 賊A「どうしてここが⁉︎」 カティ「バカねぇ」  上手袖から、緩やかな足取りでレイフの背後に周るカティンカ。 カティ「あんなに沢山雇ったら、証拠も痕跡も揃うに決まってるじゃん」  言いながら右手を顔の前に、指をわきわきと動かす。 カティ「こう見えて、人の荷物漁るの、得意なんだ」  ニヤリと笑うカティンカ。 カクトゥス「ぬかったな」  低く響くカクトゥスの声。僅かな動揺の色もない。 レイフ「そうでも無い。ただ、お前達の見積もりよりも、俺達は少しばかり腕が立ち……」  ちら、とカティンカの方を見やって、 レイフ「……俺の相棒は優秀だっただけだ」  レイフは前に向き直り、剣を抜いて、その切先を真っ直ぐにカクトゥスに向ける。 カクトゥス「……なるほどな」 レイフ「石を返してもらおう。それと……そこの少年もだ」 サイル「…………え?」  一同が、サイルの方を見る。  サイル、片手でフードを剥いで、怯えるような目で彼らを見た。 サイル「どう、して……?」 カティ「宝物庫からたった一つ、その宝石だけが盗まれていて、賊に心当たりが無いワケがない。依頼人がそれを秘密にする理由は一つだけ。犯人を知っているけど、どうしても隠さなきゃいけない相手だからよ」 レイフ「ハイントン侯爵には子どもがいない。使用人として置いている者たちの中で、君を跡取りにしようと考えていたんだろう。彼らは、そこに目を付けた。自分達の復讐の為に」 サイル「…………」  サイルは周囲の仲間達を見回す。 カティ「目的が復讐なら、手段も復讐。だから、相手にそれが伝わらないと意味が無い。毒を買う時も、始末屋を雇う時もアンタ達は侯爵家に繋がる証拠を残した。『深緑』と『紋章』をね」  つい、と賊達が身につけた深緑のローブを指差すカティンカ。 カクトゥス「そうだ。……これから起こる災厄で生き残った者たちは、その根源が、あの屋敷、あの男……ハイントンであると知らなければならない」 カティ「八つ当たりの復讐なんて、みっともないよ」 レイフ「無関係の者達まで巻き込むな」 カクトゥス「無関係……?」  ピクリ、とその言葉に反応するカクトゥス。 カクトゥス「何を言っている。無関係な者など、この世にいない。俺たちを苦しめた全てが復讐の相手だ。ハイントンも、俺たちと同じ時に屋敷にいながらアイツの本性を見ずに済んだヤツらも、あの屋敷にいた俺たちをゴミを見るような目で見てくるヤツらも、……何もしないまま安穏と暮らしてるヤツらもな……‼︎」  語りながら、徐々に語気を荒げるカクトゥス。 カクトゥス「だから、壊すんだ。公平な世界を、ここから作る為に」  その恨みは、既に目的も手段も超えた強さになっている。 レイフ「……よせ。まだ間に合う」 カクトゥス「間に合わんさ。滅びは始まっている」  カクトゥスは腰から細身の剣を抜く。  二、三度振って腕を慣らすと、厳かに構える。王宮剣術は、ハイントン家で身につけたものだ。  彼の背後に控えた賊ABCも得物を構え直す。 カクトゥス「行け」  小さな号令。  それを合図に、戦闘が開始される。  カクトゥスと賊Aはレイフと、賊BCはカティンカと当たる。相手の急所を的確に狙う高貴な剣術に、レイフとカティンカは手を焼いている様子を見せる。  レイフとカティンカとの戦力差は、始末屋達に比べて少ない。その分、賊達は人数で優勢だ。  戦闘に加われず、剣を両手で握りしめたまま、サイルは狼狽えている。 賊A「サイル! 封印剣を‼︎」  賊Aは剣を振りながら指示を出す。 サイル「う、うん!」  答えて、サイルは誰もいない下手へ駆け出し、突き立った水晶の封印剣を、持っている剣で砕いた。  ドックン。  舞台が、一度赤く明滅する。 レイフ「やめろ!」  レイフはそちらに向かおうとするが、カクトゥスがそれを許さない。  カティンカは疲労から、いつもの軽快さを失っている。  サイルは続けて、近くにあった水晶剣を壊す。  ドクン!  鼓動音、赤い明滅。 カティ「なにしてんの! 後悔するよ、少年!」  カティンカは二人の賊の剣を受けながら、苦しそうに叫ぶ。 サイル「後悔なら、もう全部終わってる……」  うわごとのような、サイルの言葉。 レイフ「いいや、まだだ‼︎」  それを否定するレイフ。  大きく振った剣で、カクトゥス達と間合いを取る。 レイフ「その宝石は、継承の石。世界を破壊した多くの魔石の中で、唯一何にも染まらず、力も放たずに受け継がれてきた、希望の石だ!」  よろめきながら、レイフは続ける。 レイフ「その石を、力を、君は継いだ。その意味を考えるんだ‼︎」 賊C「バカを言うな!」  賊Cは駆け出して、上手側の封印剣を砕く。鼓動、赤い明滅。 賊B「そんなに大層な使命を継いだヤツが、俺達にどんな屈辱を与えたか、お前は知らないだろ!」  賊Bは鍔迫り合いからカティンカを弾き飛ばし、その奥の封印剣を砕く。鼓動、赤い明滅。 賊A「俺達はみんな、生まれた時から、力に押さえつけられ、自由を奪われ続けてきたんだ!」  レイフを、牽制するカクトゥスに任せて、賊Aは上手奥の封印剣を砕く。鼓動、赤い明滅……。  残った封印剣は、二本。  カクトゥスは大きく踏み込んでレイフに斬りかかる。 レイフ「ぐっ……」  レイフはそれを受けて、膝をついた。 カクトゥス「あの男が『俺』を生み出した。そして、ここにあの魔石が落ちてきた。……コイツは運命なんだ」  そう言ってレイフの胸を蹴り飛ばし、カクトゥスは余裕の足取りで封印剣に近づくと、無駄のない動きで剣を振り、それを砕く。  残る封印剣は、あと一本。  ドクン、ドクン。鼓動と赤い明滅。  カクトゥスは、ゆらりとレイフを見下ろす。 カクトゥス「因果ってヤツだ、取り戻し屋。そこで大人しく、報いを受けろ……‼︎」 カティ「ふざけんなッ‼︎」  よろめきながら、カティンカは立ち上がる。 カティ「不幸なんて……どこにでも落ちてるじゃないか。もうアンタたちは自由なのに、いつまで不幸に縋ってるワケ……?」  腕を押さえて、肩で息をする。  サイルはそれを聞き、ビクリと身を震わせる。 カティ「カティは、今の人生……結構気に入ってんだ。そんな理由で壊されるなんて、ゴメンだね」  普段のカティンカとは違う、重い口振り。 カクトゥス「運命には逆らえない」  カクトゥスは声高に言って、舞台中央、最後の封印剣の手前までやってくると、剣を突き付ける。  カティンカは唾を呑み、賊ABC、サイルが緊張から身を乗り出す。 カクトゥス「今、それを教えてやる────」  ギンッ、と地面に剣を突き立てる音。  剣を支えにして、レイフが体を起こす。 レイフ「運命…………運命とは、己の心が決するものだ……」  ぐらり、と揺れながら立ち上がり、剣を構える。 レイフ「選んだ道が、その者の運命になるのだ。君は、数多の可能性から、悲劇の連鎖を選んだだけに過ぎん。逆らう権利は、誰にでもある」  レイフはサイルを一瞥する。彼が迷っていることを見抜いている。 カクトゥス「ならば、踏み躙る。俺が決した運命でな」  カクトゥスは剣を振り上げる。  突如、サイルが走り出し、封印剣を庇うように間に入った。 レイフ「少年!」  駆け出そうとするレイフを、賊ABCが走ってきて遮った。  カクトゥスに背を向ける形で、封印剣を抱きかかえるサイル。 カクトゥス「何をしている、サイル」 サイル「……わからない」  サイルは震えている。 サイル「分からないけど……っ! こんなのは嫌だっ!」 カティ「少年…………」 サイル「ひどい毎日だった。生きていくのだってつらかった。仕返しができるなら、どんなことでもしようと思った。……だけど、だけど……」  サイルは、ギュッと封印剣を抱き締める。 サイル「僕が本当にしたかったのは、こんな事じゃない‼︎」  カクトゥスは無言で彼と封印剣に背を向け、数歩歩き出す。 カクトゥス「お前まで、裏切るのか」 サイル「……えっ……」 カクトゥス「同じだ。……仲間ヅラして、希望に誑かされて、俺を侵そうとする……」  サイルはカクトゥスの方を見る。 サイル「希望の、何がいけないんですか⁉︎」 カクトゥス「希望は何もしてくれない。俺を救ってくれるのは……いつだって絶望だけだ‼︎」  その言葉がキッカケになって、カクトゥスはサイルごと封印剣を斬ろうと踏み込んだ。  ギンッ! カティ「よく言ったよ、少年!」  彼らの間に割って入り、カクトゥスの剣を受けるカティンカ。 カティ「取り戻そう! アンタの心を!」  カクトゥスの剣を押し退け、カティンカは短剣二本を構え直す。 カクトゥス「貴様……ぁ‼︎」  カクトゥスはカティンカに襲い掛かる。先程までの冷静な剣戟ではなく、怒りに任せて隙だらけになっている。 レイフ「うぉおおッ‼︎」  レイフの咆哮。その場で回転斬り。吹き飛ぶ賊ABC。  逆手に構え直した大剣で、立ち上がる賊AとBを斬り伏せる。その脇腹を賊Cが斬りつけた。 レイフ「がっ!」  膝をつくレイフ。  そのまま反撃し、賊Cを倒すと、長剣を投げ捨て、脚を開いて姿勢を低く、右手を地に着いて、左腕を引き絞った。  ぐっと顔を上げ、カティンカと戦っているカクトゥスを睨み付ける。 レイフ「カティ‼︎」  カクトゥスはその声に注意を逸らされる。 カティ「任せて‼︎」  カティンカが短剣でカクトゥスの剣を弾き飛ばした。  ゥルルルロォォ────ッ  レイフは獣の様な雄叫びを上げ、空手のまま突進する。  カクトゥスの脇を通り抜ける瞬間に拳を叩き付け、吹き飛ばした。  レイフはしゃがみ込んだ姿勢のまま、息を吐く。  カクトゥスは倒れた姿勢から起き上がろうと踠くが、そのまま気を失う。  闘いは、終わった。 カティ「お疲れ様、レイフ」 レイフ「……無事か、カティ」 カティ「見ての通りだよ。レイフは?」 レイフ「……あと、十人は、やれるな……」  息も絶え絶えだ。 カティ「ふふっ……素直じゃないなぁ」  カティンカは振り返り、封印剣を守るサイルを見下ろした。 カティ「あとは、キミが決めなよ、少年」 サイル「……はい」 レイフ「これから、どうするんだ?」  レイフは立ち上がる。 サイル「……この石を持って、一度屋敷に戻ります。その後のことは、まだ……」 レイフ「いや、……それで良い」  優しく微笑むレイフ。  宝石を拾い上げ、革袋に仕舞う。  下手へ歩き出す三人。 カティ「じゃあ、帰ろっか! カティお腹空いちゃったよ!」  カティンカの言葉と、相槌を打つレイフ。  ゆっくり暗転。  10/再び、ハイントン侯爵邸 カティの声「亡くなった⁉︎」  舞台が明るくなる。  侯爵の屋敷、使用人風の少年少女達が立ち並び、上手には執事長、向き合う様に下手にはレイフ、カティンカ、その後ろにサイルが控えている。 レイフ「ハイントン殿が……?」 執事長「はい……」  沈痛な面持ちの執事長。サイルは愕然として半歩後退る。 執事長「今朝方の事でございます」 レイフ「そう、だったか……」 カティ「え、えぇと……その場合、この依頼って……」 執事長「ああ、それはご心配なく。亡き主人から一切を預かっております」  そう言って、執事長は懐から封書を取り出し、レイフの前まで歩くと、それを手渡した。  レイフはそれを開き、中身を確認する。  彼が近づいてくる事で、サイルは顔を背けて床に目を落とす。 執事長「そして、これは────」  執事長は言いながら、再び懐に手をやり、もう一通の封書を取り出す。 執事長「あなたに」  それを、サイルに差し出した。 サイル「ぼく、に?」  サイルは恐る恐る受け取る。執事長が頷いて促すと、サイルは封書を開き、目を通す。しばらく読み進め、口元を押さえた。 執事長「畏れながら、筆が持てない主人に代わり、私が代筆を務めさせていただきました。ここのお二方に取り戻していただいた家宝のカメオブローチも、このお屋敷も、ハイントン家の名も、今はもう、その遺書に目を通された、貴方のものです。……『御主人様』……」 カティ「……ごしゅ…………ええっ⁉︎」  飛び上がって驚くカティンカ。 サイル「ぼく、が……? で、でも、僕は!」  何かを言いかけるサイルの前に、執事長は小さく手を翳して遮る。 執事長「……病に侵されてからというもの、亡き先代は常に後悔しておられました。……勿論、それで罪が消える訳ではありませんが、文字通りの意味で、ご自身の全てを、貴方に遺したいとお考えになられていたのは、事実でございます」 サイル「そんな……だって、僕は、あの人に……!」 執事長「いけません」 サイル「……っ!」 執事長「そこから先のお言葉は、どうかご内聞にお願いいたします。先代が生命を掛けて守り抜いた、最後の秘密なのです。……もし、貴方に、この家の全てを継ぐ意志が少しでもお有りなら、どうか……」 サイル「………………」 レイフ「サイル」  レイフの呼び掛けに、サイルは顔を上げる。 レイフ「君が決めるんだ。ハイントン殿の罪も、君の罪も、君の中に残り続ける。それらの全てを世間に伝えても良いし、一切を隠し通す事もできる。だが、選んだ道が、君の運命になる。それが、君が取り戻した、真の自由だ」 サイル「僕の……自由」  その奥で、カティンカがむず痒そうに微笑む。 執事長「レイフ殿、カティンカ殿……お世話になりました」  執事長は深々と頭を下げた。 レイフ「……間に合わなくて、済まなかった」 執事長「いいえ。……先代は、あなた方が必ずやり遂げてくださると信じておりましたから」  執事長はにこやかに笑う。 レイフ「……では、失礼する」 カティ「じゃね、……侯爵さま!」  カティンカはサイルに軽く手を振りながら下手へと歩き出し、レイフもそれに続く。  二人が下手袖に消えると、残されたサイルは、ローブの下に書簡を大事にしまい込む。そして、執事長が差し出した家宝のブローチを、左胸に付けた。 サイル「侯爵家を、預かります」  執事長は、サイルに深く頭を下げる。 サイル「早速ですが、仕事を頼みます」 執事長「はい、なんなりと」 サイル「助けになりたい人たちがいるんです」 執事長「ええ、あのお二人からも、伺っておりました」  執事長が言うと、サイルは優しく微笑んだ。 サイル「僕たちも、取り戻しましょう」  暗転。  11/州境の林道  鳥の囀りが聞こえる林道。舞台中央を、レイフとカティンカが歩いている。 カティ「良かったね。全部上手くいって」 レイフ「そうだな」 カティ「少年、これからどうするのかな」 レイフ「……胸を張って、生きていくさ」 カティ「……だね!」  ニッコリと笑うカティンカ。 レイフ「上機嫌だな、カティ」 カティ「そりゃ〜そうでしょ! 久しぶりに実入りのある仕事だったもん! 煉瓦亭に着いたら、パーッとやろうよ!」  カティンカが両手を振り上げて言う。 レイフ「あー……それなんだが……」  レイフは突然歯切れが悪くなる。 カティ「そうだ! そういえばレイフ、いつの間に水晶の封印剣なんて仕入れてたの? カティ全然知らなかったから、ビックリしたよ!」 レイフ「…………えぇと……」  ぴたりと足を止めるレイフ。  カティンカはキョトンとした顔をしていたが、みるみる表情が変わり、眉間に皺が寄る。 カティ「……レイフ? まさかとは思うけど」 レイフ「な、なんだろうか。俺は何も……」 カティ「いくら?」 レイフ「……うん?」 カティ「あの封印剣、いくらしたの?」 レイフ「……あぁ、まぁ……その……」 カティ「正直に言って‼︎」  ずいっと迫られ、レイフは小さく両手を上げる。 レイフ「さ……」 カティ「さ?」 レイフ「…………ん、まん」 カティ「はあァ⁉︎ さんまん⁉︎ 三万って言った、今ッ⁉︎」 レイフ「……一本」 カティ「一本が⁉︎ え、待って。何本使ったっけ? えぇと、いち……にぃ………………七本っ⁉︎ あの一瞬で二十一万も溶かしたの⁉︎ ウソでしょ⁉︎」  カティンカの迫力に圧倒されるレイフ。 カティ「あれ、待って……? 帰りに寺院に寄ってたよね? あの宝石に刻まれた術式の封印費は?」 レイフ「……七万」 カティ「ななまんッ⁉︎」  ごうっ!と怒り出すカティンカから、レイフは慌てて逃げ出す。 レイフ「だ、だって、他に方法が無かったじゃないか!」 カティ「ナニ開き直ってんのよ! 待てコラ駄犬‼︎」 レイフ「だっ⁉︎ に、二十八万で世界が救えたんだぞ⁉︎」 カティ「残った二万ぽっちじゃ、私の人生が救えないのよ‼︎」  ぐるぐると追いかけ回りながら、二人は下手袖に消えていく……。 N『レイフ=〝ザ・レッド・レトリーバー〟と、  カティンカ=〝ザ・ベルベット・ローグ〟……。  気分次第で依頼を受ける、さすらいの〝取り戻し屋〟……。 〝勇者〟と〝魔王〟を失ったこの世界で、  彼らはこれからも〝取り戻し〟続けていく。  それが、自らの〝役割(ロール)〟だと信じて──』  暗転。                             了

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舞台 赫灼のレトリーバー『獄炎の宝石』

【四季書房】虚鬼 -うろおに-

 神石村とは、帆羽諸島は尾賀島に在った、寂しい漁村である。  岩礁に打ち寄せる波は荒々しかったが、夏は脂の乗ったタカベが獲れ、冬も産卵前のアイナメが獲れる。豊かとは云えないにしても、そう貧しくもない島である。  しかし、村の者たちはと云うと、元は九重藩の善政にすら耐えかね、この島まで逃げ出して来た軟弱者たちの集まりであったので、その生活は卑しかった。  村とは別に、この島の北東の海蝕洞には、鬼が棲んでいた。  悪意の欠片もない無垢で穏やかな心と、立派な角を持っている、大柄で恰幅の良い鬼だ。  鬼は穴倉で、竹酒を嘗めながら大好物の魚を食い、穏やかに暮らすのを何よりの楽しみにしていたが、村の者は鬼を憎んでいた。  理由など無い。強いて云うなら、『鬼だから』だ。  彼らは、自分にとって、家族にとって、村にとって、良くない事が起これば、それは全て鬼の所為と決めて片付けた。  鬼にしてみれば、取るに足らない稚児の戯言のようなものだが、面倒事は嫌いなタチであったので、村の周りには近づかないようにしていた。  鈍色の雲が空を覆った、晩夏の事である。  南の海から、大風と大雨が近づいてきた。やがて島全体を、目を開ける事も適わぬ風雨が襲った。  村の者たちは怯えながら薄木の壁の内に閉じ籠り、口々に「鬼め。鬼め」と怨みごとを呟いた。さもしい日々を過ごしている者たちだから、心の中まで荒み切っていたのだ。  だが、それ故に、童が独り居なくなったことにすら、誰も気が付かなかった。  童は鬼を酷く憎んでいる。  退治してやろうと考えていた。  理由は無い。大人たちの云う事を、よく聞いていた。只それだけである。  小枝のような身体に、祖母の着物を裂いて設えた短い羽織りを掛け、蔦を帯代わりに締め、潮で錆びた鉈を引き摺って、大風と大雨が荒ぶる獣路を駆けていた。  やがて海岸の果て、鬼の棲む洞が見えてくると、童の小さな胸が躍った。  憎っくき鬼めを仕留めれば、万事が解決すると信じて疑わないのだ。  しかし、海の潮でぬるついた足が、細い岩路でつるりと滑った。  童は、「あっ」と声を上げたと思うと、そのまま海に滑落した。  童が目を覚ますと、そこは咽せ返るような磯の臭いで満ちた洞穴の中であった。  身体中、岩場でついた切り傷があり、海水が酷く沁みて、涙が出た。  すると、童の啜り泣く声で、洞窟の奥の岩がグラリと揺れた。  否、それは岩ではない。  それこそが、鬼であった。  ずしり、ずしりと、鬼が近づいてくる。  童は鉈を失くした。丸腰だ。  更に身体中の痛みが、逃げ出す勇気を失わせていた。  鬼は尚も近寄ってくる。  岩壁のような顔が、もう直ぐ目の前にあった。  鍾乳石のような歯の隙間から漏れた息が、童の顔に掛かる。大きく爛々と見開かれた目が、童の顔を覗き込んだ。  喰われる。と、童は思った。  それまで胸中に渦巻いていた、怒りや憎しみ全てが偽物であったと、悟るに至った。  その真っ白になった童を、鬼は丸太の如き腕で、優しく包み込んだ。  鬼は、暖かかった。  肩を抱く腕も、顔を包む胸も、膝に当たる腹も、何もかもが鋼のようであったが、しかし、確かに暖かかった。  鬼は言葉を発しなかったが、童が求めていたものを判っていたのだろう。  童の母は抱擁などしなかった。子を産み、胸から乳が滴るので、仕方なく飲ませていた。そのような親であった。  それ故に、童はその心地良さに懐かしみなど覚えなかったが、その温もりが村の大人たちの云う事が間違いであったこと、鬼が悪でないことを実感させたのだ。  三日三晩が経った。  雨も風も変わらず止む気配が無かったが、童は不安に感じなかった。どちらも鬼の所為で無いのだから、恐ろしがる理由など、とうに無い。  それに、喉が乾けば洞穴の奥にある瓶のような大岩に溜まった水を飲む事が出来たし、腹が空けば鬼が作った干した魚を焼いて食べる事が出来た。それに、洞穴に響く獣の唸り声のような風鳴りに怯えている時は、鬼がその胸に抱いて、一緒に眠ってくれた。  ようやく嵐が収まった朝、洞穴の口から凪いだ海原を眺めながら、童は村に帰ろうと思った。  このまま鬼と一緒に居たい気持ちよりも、僅かに、鬼が悪でない事を、村の者たちに知らせたいと云う思いが優ったのだ。  寂しい顔をする鬼に、童は切々と説いた。 「また直ぐに会える。今度はわしの遊び場で遊ぼう。木苺がたらふく食える、秘密の場所も知っとる。一緒に行こう」  一刻も早く、村の者の誤解を解かねばならぬ。童の頭の中には、そればかりが渦を巻いていた。  童は、来た時と同じ獣路を走った。不思議と心も身体も軽かった。風のように駆け抜けて、あっという間に村に辿り着いた。  村の者は驚嘆した。童は嵐で死んだものとされていたからだ。  童は訳を話した。  鬼を退治せんと村を飛び出した事、足を滑らせ海に落ちた事、嵐の間鬼と共に過ごした事。  そして、とにかく思い付くまま、拙い言葉で必死に訴えたのは、鬼が悪の元凶では無いという事だ。  村の者たちは「わかった」と言い、「今は飯を食い、休め」と童を家に帰した。  本当は今直ぐにでも鬼に会いに行きたいと考えていた童だが、大人たちが己を案じてくれているのだと思う事にした。  家で、母が作るいつもの飯を食べながら、「いつになったら外に出れるのか」と問うと、「まだ、ならん」と返された。  飯を食い終わり、一眠りしてから、「もう出てもいいか」と問うと、「まだ、ならん」と返された。 「いつになったら出れるのじゃ」 「まだ、ならん」  母は一辺倒である。  童は退屈で仕方がない。  いつもは家を空ける母が、なぜか今日ばかりはずっと家にいる。しかし、遊んでくれる訳でもないし、話を聞いてくれる訳でもない。却って、それが不気味であった。  童は、夜更けを待って家を出た。  夜目が利くので、星明かりだけで充分だった。  駆けて、駆けて、駆けていく内に、不安と焦りが襲ってくる。  早く、あの岩壁のような顔に会いたいと思った。  洞窟の中に、鬼は居なかった。  磯の臭いではない、妙な臭いが漂っていた。  夜の底は暗すぎて、童にもよく判らないが、鬼が居たらしい跡は何もない。  鬼が干した魚も、竹の酒もだ。  しかし何故か、岩瓶の近くに鍬と鉈が落ちていた。  ……童は悟った。  ああ…………。  もう、あの鬼は、在ないのだ…………。  間違いなく、ここで起きてしまった事は、己の行いの所為だ。  なんと云う事か、そう悔やんでも、もう遅い。  取り返しが付かぬ事をした。  ただ、ここに棲んでいた鬼が、村の者が云うような鬼でないと知らしめてやりたかっただけなのに。  誤りを正さんとする行いの果てに、不幸が起きてしまう事など、童の頭では、到底受容れられなかった。  童は泣いた。  さめざめと泣いた。  童に出来る事は、それしか無かった。  鬼とは、なんだ。  鬼が悪で、悪が鬼ならば、  鬼とは、村だ。  鬼とは、人だ。  鬼とは、心だ。  鬼とは、己だ。  ……翌る日、神石村は、亡びた。  それは、鬼に拠るものであると言われている。  これが、尾賀島に伝わる、虚鬼の伝承である。                             了

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【四季書房】虚鬼 -うろおに-

【四季書房】伝承

ー むかしむかし、   あるところに………… 【企画概要】 『伝承』……ある集団のなかで古くからある慣習や風俗、信仰、伝説、技術や知識などを受け継いで後世に伝えていくこと、もしくは、そのように伝えられた事柄や物を指す。(Wikipediaより)  今回のテーマは『昔話』です。  英雄が活躍する話や、恋物語、怪奇譚、少し不思議な御伽話などなど……。  和洋異世界問わず、思いのままに綴ってください。  文藝サークルNöveSir‼︎の公式企画です。  サークルメンバー以外の作家さんの参加も、もちろん大歓迎です!  皆様の参加をお待ちしております☺️   【参加方法】  参加は自由で、事前申込みは不要です。  目印の為、作品タイトルの先頭に【四季書房】と付けて投稿してください。  作品を投稿したら、こちらのコメントに作品名を残してください。(当記事を索引とします。) ※強制ではありませんが、参加作品鑑賞後、コメントを残していただけると作者の皆さんも励みになりますので、是非ご協力ください。 【形式】  ・架空の伝承。どこかで聞いた不思議な昔話風のお話  ・1000〜4000字(概ね6〜40頁)程度 【期間】  特に設けませんが、9月23日(月)までに参加された作品については、オススメや総評で紹介させていただこうと思います。 【参加作品】  虚鬼ーうろおにー …… 四季人  棲み処 …… にゃあ🐾  絡新婦悲話 ……積山精々

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【四季書房】伝承

花筏 『落花流水・徐』

 ブランコに揺られて、菓子パンを頬張る。  それを、甘ったるい缶コーヒーで喉の奥に流し込み、夏の日差しを睨め付けた。  木陰のベンチに目をやると、まるで三十年後の自分みたいな、はち切れんばかりの腹をしたシャツ姿の男が横たわっている。そのせいで、今日は腰を下ろせる場所がココしかなかったのだ。  川井 流水(ともみ)は自意識過剰な男だったので、会社の休憩所も食堂もカフェも、近辺の飲食店さえも、『同僚がいるのではないか?』『自分の陰口を叩き、嘲笑われるのではないか?』と思えてしまい、昼食はもっぱら公園でとっていた。  その劣等感に、確かな根拠は無い。  単に他人が恐ろしいだけだ。  そして、その動向が、結果として周囲の人間に『川井 流水は変わった男だ』という印象を与えてしまっている事を、彼はまだ知らなかった。  川井が退勤するのは、フロアの電気が半分以上消えてからである。  さして急ぎでもない仕事をこなしながら、去って行く上司や同僚の背中を見守っている方が、自分がいなくなった後にこのフロアに残った同僚達に噂話をされるよりはマシだと考えていた。  昼間より広く感じるフロアに、自分の手元から響くキーボードを叩く音だけが響くようになると、ようやく川井は表情を弛緩させることができた。  今日も誰かが隠れて自分の事を喋っている場面に居合わせずに済んだ、と、胸を撫で下ろし、PCの電源を落としてデスクを立つ。  川井の人生には、不安と安心しかない。  先頃から気にしているような事が起きて、自分がひどく不安定になってしまうと、この生活を続ける事が出来なくなる。それが漠然とした恐怖だった。  バスを待つ間も、乗っている間も、彼は穏やかな気分にはなれない。  幸福も不幸もないから、心の平穏に縋るしかない。  今年で二十八になるが、川井流水という男は、そのようにして自分は余生を過ごすのだと覚悟していた。    ところが今日、自宅アパートの前までやって来て、川井は青ざめた。  サマージャケットの右ポケットに家の鍵を入れていたのだが、そのジャケットを会社のロッカーに忘れて来てしまったのだ。  日が暮れても暑い、この夏の気候の所為だ。  疲労は頂点だったが、今から戻って、取ってくるしかない。  深い溜め息をつきながら、彼は一旦、重たい鞄を置き配用のボックスに収めに行こうとエレベーターに乗った。  不慮の出来事に耐性が無い彼は、どこに何を入れたかを決めるクセを付けていた。  財布とスマホは、いつもスラックスのポケットに入れている。それらはよく取り出すので、引っ掛けて落としてしまわぬよう、鍵だけは別の場所にしまっていた。今回は、それが仇になってしまったのだ。  融通が利かない、自身の性格が恨めしい。  肩を落としてエレベーターを降りると、ホールの隅に見覚えのない女学生がいた。  糊の効いた白い半袖シャツと、プリーツがピシリと立った紺のスカート。そこから伸びた色白な四肢は、子どものそれよりもスラリと長く、大人のそれよりも細くしなやかであった。  スマホから顔を上げた彼女の大きな瞳が、川井の姿を捕捉する。  その視線にビクリと震えながら、川井はひとつ会釈した。  それを見ても、少女は微動だにしない。  ただ、ジッと、川井の事を見つめていた。  恐ろしくなって、足早に歩く。  不穏な雰囲気に動悸がしたが、心の中で一言、美しかった、と呟いた。  彼は卑屈で、いつも他人を怖がっていたが、かと言って女性が嫌いな訳ではない。  しかし、そこを誤解する人間は、あまり居ない。視線がいつも正直だったからだ。  逃げるようにやってきた自宅の宅配ボックスの中に鞄を収めて振り返ると、すぐ目の前に先刻の少女の姿があり、 「ぅ、わっ⁉︎」  川井は口から心臓が飛び出そうな勢いで驚いて、目を白黒させた。 「こんばんは」  にこやかな表情を浮かべながら、実に落ち着き払った声で、少女はそう言った。 「こ、こんばん、は…………」  川井は狼狽しながら返して、視線を流す。  その様子を見た少女は、どこか満足げであったが、その理由は判らない。 「えっ……と。な、何か、ご用ですか?」  彼の口から、自然と敬語が出た。  歳上である事よりも、社会的立場や、生物学上の劣勢を直感してしまったからだ。  情け無いと自覚している。さりとて、どうにもならない。 「あなた、川井流水さん?」  圧を掛けながら顔を近づけ、少女は言う。 「えっ⁉︎」  見知らぬ人物に名前を言い当てられ、川井は頭が弾け飛びそうになった。  走馬灯のように駆け巡るのは、ここ最近の自分自身の行動である。  どこかで……例えばバスの中や駅の構内で彼女の身体にでも触れてしまったのだろうか。  その罪を糾弾され、金銭を巻き上げられるかも知れない。  いや、それどころか、もしそんな事実があったとして、社会に知れ渡ってしまえば、今度こそ自分に居場所など無い。  川井は青ざめながら唇を震わせたが、どういうわけか、少女は怪訝な顔をして、 「……どうしたの?」  と、今度は心配そうに顔を覗き込んできた。 「す、すいません……」  気圧されて、訳もわからず謝る川井に、 「どうして謝るのよ」  少女はあからさまに不機嫌になる。 「ちゃんと答えて。あなた、川井のおじさまよね?」  ずい、と少女が歩み寄る分、川井は一歩退がる。  これでは埒が明かない。  と、一瞬遅れて、 「え…………おじ、さま?」  彼はそう呟き、はたと止まる。  そして、目の前の少女をしげしげと観察し始めた。  形の良い目に、大きな黒い瞳、スラリと通った鼻筋と、スッキリした頬、それと、小さく可憐な唇。  知らない顔立ちの中に、何かおぼろげに浮かんでくる面影があった。……こちらを見上げて、輝くような笑顔を浮かべる、幼い少女の姿。 「もしかして…………」  川井は、恐る恐る、 「…………はな、ちゃん?」  そう呟く。  すると、少女の表情が、みるみる明るくなっていった。 「思い出してくれた?」  嬉しい時、目を開いて、少しだけ首を右に傾げる癖。  その所作には憶えがある。  ……藤井 花。  歳の離れた姉が良家に嫁いだのは、彼がまだ小学生の時だった。程なくして生まれた姪の花は、まだ中高生だった彼を、わざと『おじさま』と呼んで面白がっていたが、心から慕ってくれていたのは分かっていたし、少々浮いた呼び方のお陰で、自分が彼女にとって特別な人物なのだと実感できた。  それは、およそ自尊心というものを育めなかった川井にとって、とても小さいが、貴重な誇りの記憶であった。  それでも、思い出が綻べば現在との差分を意識してしまう。  懐かしさよりも気恥ずかしさが込み上げて、顔が紅潮していくのが判る。  しかし、年頃の娘がまっすぐ無防備な笑顔を向けてくる、その現実の方が、川井の意識を溶かした。 「大きく、なったね。見違えたよ」  直前までの態度と、昔彼女の前で見せていた筈の余裕との温度差に強く戸惑いを感じながら、彼はぎこちない笑みを浮かべた。 「おじさまは変わらないわ」  それを言う花自身はどうなのだろう。  穏やかな顔は無垢で幼かった頃とは違い、既に大人びたそれになっている。となれば、彼女にはもう、本音と建前を表情から使い分ける事だって出来てしまうはずだ。  ……しかし、今はそんな事よりも。 「どうしてここに?」  川井の率直な疑問に、花は含み笑いをした。 「おばあさまに頼まれて。なかなか帰ってこないから心配したわ」 「母さ…………えっと、母に?」 「ええ。おじさま、お身体はもう平気?」 「あ…………」  川井は思い出した。  つい先日まで、彼は感染症で床に伏していて、それはもう治ったのだが、身体の痛みや倦怠感といった、そこまで重く無い後遺症について、母に話していたのだった。 「一人暮らしをしながらの社会復帰は大変でしょうから、何かお手伝いをと思って。連絡しようとも思ったのだけど、驚かせたくって」 「そう…………そうだったんだね、ありがとう、花ちゃん」  礼は言ったものの、苦笑いになってしまう。正直この歳で母に世話を焼かれるよりも、ずっと居心地が悪い。 「でも、僕は大丈夫だから」 「そうかしら」  花は川井を頭から爪先まで見て言った。  彼は自分の格好を見下ろす。汗を吸ってヨレヨレのシャツの下にあるのは、不摂生故の痩せぎすの身体である。成程、そんな自分の言葉には説得力が無いな、と川井は思う。 「そ、それに、ご迷惑だし」 「あら。私が自分で決めたのよ」  花の言葉には、自分にはない強さがある。言い負かされるのも時間の問題だろう。 「それに、可愛い姪御が奉仕の為に遠出してきたのよ? まさか、そのまま追い返すなんて、そんな酷い事、おじさまはしないわよね?」 「………………」  川井は言葉を無くして、大きく息を吐く。  昔から気丈な娘であったが、その気質は変わるどころか、更に磨きが掛かってしまったらしい。  事前に連絡を寄越さなかった本当の理由は、断る事をさせない為だろう。花の口ぶりからは、そのような計算が窺える。  しかし、 「いや、でも…………凄く言いにくいんだけど」 「なに?」 「……実は、僕、職場に鍵を忘れてきちゃって」  ひどく恥ずかしげに言ったのは、自分でも到底大人らしからぬ失敗だと感じていたからだが、断る理由がある事に、内心安堵もしていた。  ところが、花は目をぱちぱちさせて、 「あら、そんな事」  と、些末な問題だと言わんばかりに、ブランド物のスクールバッグから、小さな鈴のついた鍵を取り出した。 「それ……」  見覚えがある。何かの折、母に渡した合鍵だ。 「おばあさまから借りて来ていたの。私がいて良かったわね、おじさま」  はい、と鍵を川井に差し出し、花は微笑んだ。  それをやむ無く受け取りながら、川井は後悔の気持ちの奥に、何か得体の知れない期待を感じている事に気付いた。  川井が玄関の扉を開けると、花は彼の前を素通りして、さっさと中に入って行った。 「ふぅん。そんなに散らかってないのね」  リビングを見渡して、開口一番の言葉がそれである。不躾とは感じなかった。  イケアのローテーブルにソファ、32型のテレビとシンプルな壁掛け時計。他に物が置かれていない訳ではないが、目立つ物はそれくらいしか無く、住人の趣味がわかる様な物は何も無い。殺風景な室内である。 「おじさま、晩御飯はどうするの? 私、お腹空いちゃった」  ソファの真ん中にちょこんと座り、こちらを見上げる花は、まるで自分の棲処に帰ってきた猫のように泰然自若としていて、逆に家主であるはずの川井の方が、そこに迷い込んだ小動物になってしまったような錯覚に陥った。 「うちには、インスタントとか、レトルトしか無いかな……」  つい申し訳無さそうな言い回しになる。 「そうなの? おじさま料理得意だったでしょう?」  花は不満を隠す気もない。 「そうなんだけど、仕事で疲れて帰ってくる事が多いから」  川井の言い訳は半分だ。本人はあまり自覚していないが、その気質が原因の気疲れのせいでもあった。 「それなら、お手伝いに来て正解ね」  まだ何もしていないのに、花はふふんと鼻を高くする。  川井はついその小さな鼻から、目線をおとがいへ、そして首筋から胸元の方へと移してしまい、慌てて目を逸らした。  普段自分しか居ないその空間に、制服を着た女子高生が居るという違和感が、彼の胸の中をちりちりと炙っている。  理性では毒だと断定しつつ、この時間の甘美さに酔い始めている事に抗えずにいた。 「じゃあ、一番オススメのなのにして。私シャワー浴びてくるね」 「え…………」  川井はドキリとしたが、花の言葉に他意は無い。  彼女は強引で、そのうえ大胆だ。言動は彼の記憶の中にいる花とそこまで変わりないが、変わってしまった彼女の容姿は脳を混乱させるのに充分過ぎた。  しかし、それを意識してしまう訳にはいかない。川井はそう考えているので、本能的に期待してしまう妄想を、無理矢理振り払って平静を装おうと努力した。 「と、泊まっていくのかい?」 「仕方ないじゃない。聞いていたより帰りが遅かったんだもの」 「そんな……。だって、独り身の男の部屋に泊まるだなんて」  川井は狼狽する。  その様子に、 「あら、おじさまったら━━━━」  花は、ほんの少し、嬉しそうに笑い、 「私のコト、そんな目で見てるのね」  肚の底から首筋までを、つう、と撫で上げるような声で、そう言った。 「っ‼︎」  ゾクリとした。  こちらの胸中を、見透かされたような言葉である。  いや、真実そうであっただろう。  花の目は、川井の真の姿をとっくに知っていて、それをからかっている様に見える。それは、他人を直視出来ないあまり、相手の思惑すらも見えていない川井ですら実感できる、あからさまな態度であった。  川井は、花には見せまいとしていた感情からほつれた意図をまんまと摘まれてしまった事を、ひどく恥ずかしく思った。  かといって、どうする事も出来ない。ただ手のひらの上で弄ばれる石ころのように、川井はその運命を他人に委ね続けてきたからだ。  花は、ショックを受けている彼の様子を一瞥して、 「冗談よ」  わかるでしょう? と言わんばかりに微笑んだ。 「あ、ああ。……必要な物が有れば用意するよ」 「それじゃあ、寝巻きに使えるものを。あと、洗濯機借りるわね。汗をかいてしまったわ」 「いいよ。今、何か持ってくる」  川井は会話の空気から逃れたい一心で、慌ただしく動き回った。  チェストを開けて、中を見る。碌な物は入っていない。それも当然の事で、川井は他人と過ごす事も、独りを楽しむ事もしていないので、仕事着以外にはまるで頓着していない。だから、彼が部屋着や寝巻きにしているのはどれも数年以上前に買ったような物ばかりだ。  そんなボロ切れを花に持って行く訳にもいかない。そう思いながら漁っていると、一度か二度しか袖を通していない上等な綿のパジャマが出てきた。誰かから贈られた物だったように思う。  とりあえず、これでなじられる事は避けられそうだ、と、川井はホッとしながら、それを脱衣所の方に持っていった。  カーテン等は無い。洗濯機は静かに回っていて、戸の横にはバスタオルが掛けてあった。  湯が弾ける音が洩れ聞こえる磨りガラスの向こうを見ないよう努めながら、川井は洗濯機の横にパジャマを置いて、早々にその場を後にする。  いつどこで、花に自分の姿が見られているか判らない。それもあったが、自分の理性がまだ正常に働いていると確認したかったからだ。  そして台所に立ち、今度は花の口に合いそうな物を探す。  贅沢したい気分の時に食べようと買っておいた高級スーパーのフレッシュトマト風のパスタソースがあったので、彼は久々に鍋で湯を沸かし、時間や分量に気を遣いながらパスタを作る。悪足掻きのついでに、冷蔵庫につまみとしてストックしてあった未開封のカマンベールをそのまま、フライパンで丁寧に焼く。  皿も、普段は同じ物を使い回しているが、奥にしまってあった青いウエッジウッドにした。 「いい匂いね」  いつの間にか上がっていた花が、川井の手元を覗き込みながら言う。 「もうすぐで出来るよ」  彼は徐々に花との距離感を掴めてきたのか、余裕を見せるように答えた。  盛り付けに夢中になっていたから、花の微妙な表情を見る事はなかった。  二人分のパスタを持ってリビングに行くと、またも花は堂々とソファの真ん中に鎮座している。  長い髪をせっせとタオルで拭う彼女は、パジャマの上だけを着て下を履かず、どこから持ち出したのか判らないドルフィンパンツを履いていた。揃えて床に下ろされた脚は健康的な色香を放っていていたが、誘われてしまうような危うさは無く、ともすれば、美術品としてそこに置かれた大理石の彫像のような、当たり前の美しさがあった。  川井の為に置いたのだろう、ローテーブルを挟んで正面の床には、座布団のようにクッションが一つ置かれていた。彼は仕方なく、その命令に従う事にする。 「いただきます」  そう言った花が、実に美味しそうに食べてくれているのを見て、川井はホッとした。  ただ、その後は、皿に盛られたパスタの上で、半分に切ったカマンベールがトロリと流れていく様を黙って見ていた。そのすぐ上に見えるのは、前屈みでパスタを食べる花の襟元や、白い膝だったからだ。  少しでも目線を動かせば、無防備な姿が目に入ってしまう。川井は惜しむ気持ちを押し殺しながら、ただ黙々とパスタを頬張った。  食べ終えた後の片付けと洗い物は、花が買って出た。当然のように手際は良い。シンクの水滴を丁寧に拭っている姿を見て、川井は目の前のローテーブルもいつの間にか綺麗になっていた事に気づいた。  目立つ言動ばかりに目が行きがちだったが、そのような事をしっかりとこなすのも、藤井花という少女の確かな一面なのだろう。  だからこの感覚は、そのように自立した一人の人間としての花に対する、尊敬なのだ。……川井は、そう思おうとした。そのような逸らかしを胸に留めておかなければ、花に惹かれるのだと自覚し始めていたのだろう。  手持ち無沙汰になった川井はシャワーを浴びてくる事にした。  頭から冷たい水でもかぶらなければ、どうにかなってしまいそうだった。  洗濯機にシャツを放り込もうと蓋を開けると、乾燥が終わった花の下着が目に飛び込んでしまい、慌てて閉めた。心臓がバクバクと跳ねる。  パジャマ姿の花が頭に浮かぶ。制服姿の時と違う、なだらかにつぶれた胸のラインを思い出してしまい、独り赤面した。  彼女の本当の目的は判らないが、川井流水の慌てふためく姿を楽しんでいるのは事実なのだろう。  それが判っていながらも、彼にはどうする事も出来ない。  ただ淡々と歳下の少女が仕掛ける挑発を避け、去なし、何事もない日常に自分自身を引き戻す事しか考えられない。それは倫理観というよりは、やはり他人への恐怖に基づいた自衛本能である。  故に、今更冷水を浴びたところで、頭が真っ当に働くはずもない。  そもそも、大人として冷静な判断が出来ていたのなら、家の中に入れる事をせず、タクシーを呼んで花を無理矢理帰してしまえば済んだのだ。  花の所為にはならない。川井流水という男の一番卑怯な部分であろう。  シャワーを浴びて、くたりと萎れた川井が戻ると、花はそれを喜んで迎えた。 「お疲れでしょ? 肩揉んであげる」  占拠していたソファを明け渡し、その後ろに回り込む。  拒否権など無い。座らなければ、そちらの方が面倒な事になる……。胸の中でごちるのは、そんな『仕方ない』という風合いの言葉ばかりで、それが自分や世間に対しての言い訳である事は、本人が一番判っていない。 「まぁ、すごいガチガチじゃない」  川井の肩に手を置いて、花は感嘆の息を漏らす。  固いのは、緊張してるせいだ。……勿論、そんな本音を言える訳がないが。 「一日中、デスクワークだからね」  リラックスしている風を装おって、川井は答える。  首と肩を繋ぐ筋肉を、優しくなぞりながら揉んでくる花の指先の感触に対して、彼は兎に角鈍感であろうとした。 「お仕事、大変?」 「もう慣れたよ」  そう、仕事は。  そんな含みで皮肉を言うのはやめておいた。自分には似合わない。  年齢の割に、何とかやれている程度の存在が、一端の社会人面をするなんて情けなさ過ぎて、自分が一番許せない。  それでも、身体に触れながらそれを聞いていた花には、何かが伝わってしまったのだろう、 「いつでも言ってね、おじさま」  クスッと笑い、 「……凝ってるところ、全部ほぐしてあげる……」  わざと、耳元で、そう囁いた。 「………………」  息が、止まる。  一瞬遅れて、花の手も止まった。 「やだ、おじさま。……何を想像したの?」  くすくす。  頭の中に、濃霧が立ち込める。 「なに、も…………」  唾を飲み込んで、声の震えを抑える。 「あら、そう?」  こちらの強がりなど、全てお見通しなのだ、と……肩に触れる花の指先が語っている。 「遠慮しないでいいのに。私、その為に来たんだから」  その為に。  その為とは、どの為なのだろうか。  ……それ以上の思考は、川井の頭では上手く掻き回せない。  首や、脚や、腕が、花の指に触れられたがっている。  このしなやかで優しい指にほぐされたら、どんなに気持ちが良いだろう。  だが。それで、それだけで、済むだろうか?  済まない。済むわけがない。  花が? 違う。自分が、だ。  川井は冷静では無かったが、衝動に負けてしまう事も無かった。  それが、他人に拒絶されていると勘違いを繰り返しながら、実質他人を自分から拒絶して生きてきた彼の、唯一の防衛手段であったからだ。  何も答えずにいるのは危険だと、本能が叫ぶ。 「お…………大人を、からかっちゃダメだよ、花ちゃん」  何とかして、その予防線を張ると、川井は静かに息をついた。 「おじさまは、大人なのね。それじゃあ、私はまだ、こども?」 「……そう。そうだよ」 「ふぅん」  花はそれ以上、川井の弱味に付け込もうとはしなかった。  引き際を見たというよりも、今はこのまま続けても面白くならない、と判断したのだろう。  それも、花の素質であった。 「さぁ、もう寝た方がいい。花ちゃんは僕のベッドを使って。僕はこのままソファで寝るから」 「そうね。ありがとう、おじさま」  すっ、と素直に離れて行く花を見ていると、つい名残惜しさを感じてしまう。期待と言い換えてもいい。しかし、やはり衝動に任せてしまおうとは思えない。  それで良いのだ。何も誤りなどない。自分に言い聞かせながら、花を見送り、 「おやすみ、花ちゃん」 「おやすみなさい、おじさま」  微笑み掛けて、 『また、明日━━━━』  川井は、存在すら忘れていた心の中の歯車が、静かに回り出したのを、感じていた。                             了

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花筏 『落花流水・徐』

死沫・セ

【生命倫理のズレた物語です。  厭な気分になる可能性があります】  この国からフライドチキンと唐揚げが消えたのは、新型の鳥インフルエンザの流行で国内の食用鶏の六割が死んでしまい、絶望感に押しつぶされた養鶏業者の多くが『天国行き』を選んだからだ。  唐揚げの代わりに大豆ミートのナゲットが入った弁当を食べながら、校舎の屋上から遠くの景色を見る。  人が減った分、鳩とウミネコが増えた気がする。  真倉線の電車が一日に二十七本に減り、高校近くの開かずの踏切と呼ばれていた場所は随分とスムーズに往来出来るようになった。  どのみち、電車に乗る人も、踏切を渡る人もそんなにいないけれど。 「あれ、悠一ひとりか?」  その声に、ふと空を見上げると、弁当の入った袋を提げた聡が後ろに立ち、こちらを覗き込んできていた。 「……亮太なら『天国』に行った」  俺は無感情に返す。  亮太とは一緒に飯を食う事もあったけど、特別仲が良かったワケじゃない。 「マジかー。またトモダチ減っちゃうとか、キッツいわー」  隣に腰掛けながら、聡はボヤく。 「あんまりそんな事言うなよ。亮太に悪いだろ」 「理由は?」 「聞いてないから知らない。テストの点低かったし、それじゃね」 「ふーん。アイツ、三枝に振られたんだろ?」 「……じゃあ、それかも」  ナゲットを齧って、ため息をつく。  別に、理由なんてどうだって良い。故人の自由は国が保証してる。 「最近また多くね? 天国行き」  聡は芋の天ぷらをじゃきじゃき噛み砕いた。 「仲良いヤツがいなくなったから、みんな会いに行きたいんだろ」 「俺も来週あたり行こうかなー、天国」  聡の独り言に、思わず『やめとけよ』と言いかけて、踏みとどまった。  今の言葉が本気だったとしたら、下手に生を強要するような発言をすると、矯生教唆罪になる。  そうなれば、自死権を剥奪され、どんなに人生がつらくても、最低一年から最長で一生、死ぬ事が許されなくなってしまう。 「……止めねーの?」  ニヤリと笑う聡は、それをわかって煽ってる。 「……その手に乗るかよ」  コレは俺たちが昔からやってるゲームだ。 「弁当の下、レコーダー隠してるだろ」 「バレたかー」  コイツ……俺がうっかり『死ぬなよ』って言うと思ってたのか、録音の準備をしていやがった。  同じような手口で、二年前の受験の時、天国に行きそびれたんだ。  俺の学力で入れそうな高校が無くて絶望してた時、ついうっかりコイツに矯生教唆をした。  幸い、先月で矯生期間は終了しているから、俺の自死権は復活している。  やっぱり、いつでも『天国行き』を選べるっていうのは安心する。 「来週の三十周年記念式でもチケットの抽選会あるんだろ?」  聡が言うチケットというのは、付箋紙くらいの黄色いシートで、噛んで飲み込むと三分後に眠くなって、そのまま天国に行けるという、夢のような代物らしい。 「噂じゃねーの?」 「五年前は本当にあったらしいぜ。俺のいとこがソレで天国行ったって」 「まあ……苦しまないでいけるなら、それに越したことないよな」  その時、遠くで車のスキール音が響いた。  続けて聞こえた、ゴン、という音に、俺も聡も小さく拍手する。 「おめとーざいまーす。……軽自動車っぽいな、今の音」 「ざーす。……わかんねーよ、そんなの」 「あー、でも天国行く前に、車の運転はしてみてーかも」 「免許取るの、わりと面倒くせーってよ?」 「マジか。天国行きたくなるかな」 「さぁ、それはわかんねーけど」  自死権制度が施行されて三十年。  施行当時は厳しかった不幸審査も、翌年の内閣改造で一気に緩和が進み、生死に不自由していた国民は、ようやくその悩みから解放された。  天国に行きたいと思う個人の自由も、『死ぬな』の一言が犯罪になったお陰で、邪魔される事もなくなった。  辛い時に天国行きを選べない時代なんて、今じゃもう考えられない。  最新の調査だと、生まれてくる人間の六割が成人になる前に天国へ行くらしい。  つまり、そもそも人間なんて物は、この世界で生きるのに向いてない動物だって事だ。  だから、この世界は生きる事に貪欲で、クソマジメな連中だけ残って、勝手に回していれば良いのさ。  そもそも政治家なんて、三十代で総白髪になるほど神経が擦り減るような仕事に、わざわざ自分から就いてる物好きばかりなんだし。  判ってやってるんだから、向こうもこっちも自由で公平ってことだ。 「あ、ランドのチケ代また上がるって。キャストが集団で天国行ったからな」 「マジか。先月買っといてよかったわー」 「昔親に聞いたけど、両親がデートで行った時からエリアが四つくらい減ってるんだってさ」 「え、そーなの? 知らんかった。別にいーけど」 「そんな事より悠一、ランド誰と行くん?」 「寺西。なんか親と天国行きが決まったから、その前に行こうって言われた」 「ふーん」  穏やかな気分の昼休みの残りを、雲を見て過ごしていたら、左側からガシャっと金網戸が開く音がした。  視線を動かすと、幼馴染の雪嶋が屋上の隅から天国に行こうとしていた。  飛び降りは痛そうだから、とか先週言ってた気がするけど。    理想郷をもじって、利葬郷なんて言葉を作った人は、その本の発売イベントの直後に天国に行ったらしい。  幸とか不幸とか、そんなことはもう大切じゃないってことだ。  大きくても小さくても、割れる時は割れる泡みたいに、俺たちは自由で、ただ、それだけだ。                             了  

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爆ぜて、消える

 祭囃子が近づいて、高鳴る胸が苦しくて。  たった二週間前まで、ただのクラスメートだった彼女の姿を、楽しそうに笑いながら歩く人波の中に探すのだって、今は満たされた気持ちになる。  すっかりくたびれた兄貴のお古の浴衣が、汗で足に張り付いて、上手く歩けない。 「リア充、爆発しろ」  半笑いの、陰気な声。  細身で眼鏡のTシャツ四人組が、僕の横を過ぎ去っていく。  ……ああ、ごめん。  僕だって、少し前まではそっち側だったのに。  今はもう爆発したって構わないとさえ思ってる。  僕はイヤな奴だ。  噴水の前に来て人集りを見渡していると、そこから一人が飛び出し駆け寄ってきたので、思わず後退りしてしまった。 「わ〜っ、浴衣だぁ!」  僕の格好を見て、目をまんまるにした彼女は飴色の簪を差して、藤色の浴衣を着ていた。  急場凌ぎの僕なんかとは気合いの入り方が全然違っているのに、まんまと言葉を盗まれて、苦笑いする。 「行こ! お腹空いちゃった!」  彼女は袂を揺らして、くるりと返った。  首からかけたファンが、知らない甘い香りを振り撒いて、僕を困らせる。  僕の横に彼女がいるだけで、僕はいつもみたいに下を向かないで済んだ。  お祭を楽しんでいる人たちを見渡しても気持ちが荒まないなんて、すごく久しぶりな感じがする。 「ジャンボたこ焼き食べたい!」  ピッと一点を指差して、彼女は笑う。  何分待てばいいのかまるで想像もつかない程、長く折り返した行列だ。  ちょっと圧倒されてしまう。 「すぐ買えるやつにしない?」 「食べたいの!」  一応してみた提案は却下されたので、それじゃあ、と二人で最後尾に並ぶ。 「お腹空いてるんでしょ?」 「めっちゃ空いてるー!」  この後は、じゃがバター食べて、揚げ餅食べて……と指を折りながら算段する彼女はとても楽しそうで。  それを見てるだけで、待ってる時間はちっともつらくならなかった。  右手にヨーヨーを下げて、左手にいちご飴の串を持って、土手の近くまで歩く。  そこはもう満員で、どこも腰を下ろせる場所はなかった。  家族連れはみんなレジャーシートを広げて、唐揚げと枝豆でビールやジュースを飲んでいる。 「いっぱいだね。折りたたみ座布団持ってくればよかったなぁ。ディズニーで買ったやつ」  下駄を履いた足元を気にしながら彼女が呟いて、僕は一丁前に不甲斐なさを感じた。 「近くのスーパーに何か売ってないかな」 「もういいんじゃない? みんな同じ事考えてるよ」  それもそうか、と苦笑する。  その時、夜空に大輪の花火が咲いた。  一瞬遅れて、破裂音が全身をビリリと震わせる。 「凄い!」  見上げて叫んだ彼女の横顔を、オレンジや緑の光が照らす。  気付かれないように、半歩下がって、彼女を見ていた。  ……花火だったら、また見れる。 「首疲れちゃったね」  その声が、少し遠い。  彼女の顔を見られない。 「……また一緒に見られると、いいのに」  僕が呟くと、彼女は少し困った様子で、 「……う、ん…………どうかな」  耳に髪を掛けた。  僕がその顔を曇らせた。……その事に後悔しながら、それでも気持ちに蓋は出来なかった。 「帰ってくる?」 「約束はできないよ」 「待つよ」 「そんなのダメだよ」 「僕が待ちたいんだ。いいだろ?」 「……困る」  さっきまでの空気が、全部台無しになってしまう会話を、止められない。  ……だって、 「好きなんだ」 「……知ってる」  僕の気持ちは、もう変わらない。 「……大丈夫だよ。来年は新しい彼女と来て?」 「キミじゃなきゃ嫌だ」 「二ヶ月もしたら、今日の事だって━━」 「━━忘れるもんか」  虫が鳴いてる。  ……彼女も、泣いてた。 「━━忘れてよ」  振り返って、笑いながら。  涙が溢れて、頬を伝って。  ……そんな顔、忘れられるワケがないじゃないか。  涙を堪えながら、家まで歩く。  僕は間違いなく幸せだ。  だから、今は泣いちゃダメなんだ。  いつか彼女の為に、この気持ちを捨てなきゃいけない日がやって来たとしても。  ……僕は忘れない。                             了

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爆ぜて、消える

ぽんこつホストは 迫れない④

『たすけて』  スマホの画面、突如ポップアップで現れたメッセージに、僕はドキリとした。 『しんじゃうかも』  続けざまの文言に、慌てて通話ボタンをタップする。  画面に現れたのは、金髪碧眼ホストの宣材写真と、〝ノエル〟の三文字。  コール音の奥で、ドッドッドッと耳に響く鼓動が煩い。 「出ない……!」  苛立ちながらキャンセルを押し、スマホを握りしめたまま、部屋の中をウロウロ歩き回る。  どうすれば……一体、どうすればいい?  指先でこめかみを叩きながら、必死で考える。  けれど、焦りでオーバーヒートを起こしている頭じゃ、何も思い浮かぶはずがなかった。  とにかく、ホストなんて危うい仕事してるヤツの『たすけて』だ。  よっぽど抜き差しならない事態に違いない。  それなのに……!  くそっ! こんな事なら、アイツの勤め先とか色々ちゃんと聞いておくんだった‼︎ (……勤め先⁉︎)  ふと思い立ち、スマホで隣町のホストクラブを検索する。  ノエル、という源氏名から、アイツが働いてる店を割り出せるかも知れない! 「ここか?」  早速、『エル・ドラド』というホストクラブがヒットする。キャスト一覧の下の方には、確かにノエルの顔写真が載っていた。  一歩前進…………でも、そこまでだ。  店はまだ開いていない。ダメ元で電話を掛けてみるけど、スピーカーからは呼び出し音が虚しく響くだけだった。  いや、そもそも、繋がったところで、客ですらない素性の僕の言葉なんて一蹴されてしまうかも知れない……。  だって、僕自身なんて言ったら良いか判らない。 『ノエルの知り合いです』 『近所に住んでる者ですけど』 『友人、です』  最後のなんて、自分でも、違和感しかない。  ……それでも。  …………それでも…………。  と、その時。  ぴんぽーん、とドアチャイムが鳴った。  奇妙な程のタイミングの良さに、僕は慌てて玄関に向かい、転げそうになりながら、ドアを開ける。  すると、 「………………え?」  そこには、彫りの深い顔立ちの銀髪の男が一人立っていた。  思わず僕は、呆気に取られた顔をしてしまう。  ふと、頭の中に、ノエルを初めて部屋に上げた時の光景がリフレインして、なんだか妙な心地がした。  彼も僕の姿を見て、 「あ……っと。ゴメンね。間違えました」  戸惑った様子でそう言って、スマホにチラリと目を落とし、その場を去ろうとする。  瞬間、僕は直感した。  いま、僕の部屋に何の因果も無く〝この人〟が訪ねて来るわけがない。 「あ、あの!」  思わず、引き止める声が上擦ってしまう。 「……もしかして、ノエルに会いに来ました?」  突然呼び止めた僕の言葉に、こちらに背を向けようとしていた彼は、 「ン? そう、だけど……」  ビックリしながら、まじまじと顔を覗き込んできた。  年齢は……多分、だいぶ上。  丁寧なスキンケアにスッキリとしたメイクをしているけれど、鼻につくような単純な若作りとは違う。カッコよく魅せようとするプライドを感じた。  仕立ての良い、高級そうなストライプのスーツを着込み、その尖った雰囲気に引けを取らない貫禄が滲み出てることからも、彼が只者じゃない事は簡単に理解できた。 「……なるほど、分かった。キミが〝藤林クン〟か」  そして、その人はニヤッと笑って、顎を撫でる。  彼とは初対面だけど、僕は彼を知っている。  彼の名前は、アキラ。ついさっき、店のHPのオーナー兼店長の紹介で顔写真を確認したばかりだから、間違いない。  僕が頷いて、 「アイツなら一つ上の階の部屋ですけど……」  そう言うと、彼……アキラさんは一瞬キョトンとした目をして、その後盛大に溜め息を吐いた。 「またか。あのポンコツが……」  静かにそうごちる。……その気持ちは、僕もよく知っているけど、一つ気になるのは、彼が妙に落ち着いた態度でいることだ。 「っていうか、さっきアイツからおかしなメッセが来てて……!」  今にも飛び出して行きたいをグッと堪えて喋っているのが、彼にも伝わったのだろう。 「あぁ、そーゆー事か」 アキラさんは、すぐにくしゃっとした笑顔を浮かべて、かぶりを振った。 「アイツなら、今頃部屋で死んでるよ」  * * * * * 「はぁ……うっまぁ…………。あったまるぅ……」  四十分後。  スウェットの上から、パンパンに膨らんだ真っ白いダウンコートを掛けたノエルは、ネギと生姜がたっぷり入った玉子おじやを口に運んでいた。  その様子を半眼で睨め付けながら、 「いくら外が寒いからって、換気もしないで暖房かけっぱなしとか……そりゃあ風邪もヒドくなるだろ」  僕は溜め息混じりにそう言った。  あの後、アキラさんと一緒に部屋を訪ねてみれば、そこには厚着したまま真っ赤な顔をして廊下で伸びているノエルが発見された。  何のことはない。  ノエルから届いたあの大袈裟なメッセージの真相は驚くほどシンプル且つ馬鹿馬鹿しいもので、つまり、『風邪を引いて動けない』という意味だったのだ。  同様のメッセージは店長のアキラさんにも送っていたらしく、彼はこんな事態を見越してか、解熱剤とスポドリを買ってきてくれていた。  アキラさんに彼の介抱を頼み、僕は一度部屋に戻って汗でベットリしたノエルの部屋着を洗濯し、おじやを作ってくることにした。  あのはた迷惑なメッセージと、アキラさんに間違えた部屋番号を伝えた件については、「熱と頭痛でボーっとしちゃってて……」というのが本人の言い分だったけれど、僕とアキラさんからすると、普段のノエルと何ら変わらない、いつものポンコツ案件だった。  ホント、人騒がせにも程があるけど……まぁ、無事だったのだから、良しとしよう。  ……腹は立つけど。 「飲みモンは二本買っといたから、ちゃんと飲めよ」  ソファに座り、火のついてない煙草を咥えながら、アキラさんは親指で、つい、と冷蔵庫を指した。  口一杯におじやを頬張ったノエルは、喋れないので満面の笑みで親指を立てる。 「じゃ、そろそろ行こうか、藤林君。この部屋にいると、風邪とポンコツが感染るぜ」 「アニキ酷い……」  しゅん……としながら、ノエルはごちた。 「冗談だよ。あ、冷蔵庫にはプリンも入れた。カラメル無しのヤツな」 「アニキ優しい!」 「ダカラとプリンとロキソニン代は給料から引いとくから」 「え、っと……それも冗談?」 「バカ言うな。マジに決まってンだろ。安心しろ、これ以上貸しなんか作らせねェよ」  ケケケ、と意地悪く笑って、アキラさんは玄関に向かう。僕は慌ててその後を追った。 「あ、じゃあね、藤林クン! ありがと!」 「あ、ああ。早く治せよ」  鼻をズビズビ言わせながら小さく手を振るノエルを部屋に残して、僕らは外へ出る。  ガチャンとドアが閉じた瞬間に、アキラさんは煙草に火をつけた。 「……巻き込んで悪かったね」 「いえ、……別に」  彼が吐き出した煙を目で追って、僕は曖昧な返事をする。  ノエルが無事だったと判った瞬間から感じていた安心……ホッとした気持ちの理由を、ぼんやりと考えていた。  あのヘンな隣人に、僕は、どうしてこうも取り乱されてしまったのか。  それこそ、〝友人〟とハッキリ言い切る事もできない、中途半端な関係の相手に。 「時間ある? コーヒーでもどう?」 「じゃあ……頂きます」  アキラさんの誘いに、何となく断るのもはばかられる感じがしたけど、それよりも、ノエルが信頼と尊敬をもって〝アニキ〟と呼ぶ彼に、少なからず興味を惹かれていたから、僕はすぐに頷いた。  * * * * *  僕は煙草を吸わないけれど、喫煙席がある喫茶店には慣れていた。  雰囲気のある、ビクトリア調のフロアを歩いて、奥のソファ席に腰掛けると、まるでこれから悪巧みを始める悪役にでもなったような気分になる。  早々に運ばれてきたブレンドコーヒーは、きっとそのまま飲んだ方が美味しいんだろう。  そんな事を思ってる僕を尻目に、アキラさんは自分のコーヒーカップになみなみとミルクと砂糖を入れていた。 「アイツの面倒見てくれて、ありがとね」  音も立てずスプーンで掻き回し、優しい笑顔でそう言ったアキラさんに、少しだけ違和感をもった。  ノエルの話を聞いてると、厳しいけど面倒見がいい雇い主、ってイメージだったけど、もしかしたら、ノエルと彼は、僕が想像していたような関係ではないのかも知れない。 「なんか……保護者みたいっスね」 「え? ああ……」  僕の言葉に、アキラさんは何かに気がついたような顔をして、苦笑して、コーヒーを啜った。  自分の事を言ったんじゃない。アキラさんの事を言ったんだ。本当は〝彼氏〟って言葉が出てきそうだったけど、そこは堪えた。……その感じも伝わっているのかも知れない。 「いらんことペラペラ喋るくせに、そういう話はしてこなかったんだな、ノエル」 「俺、アイツの名前すら知らないですから。……トモダチってワケでもないし」  自然と、僕は気を張ってしまっている。何が面白くないのか、自分でもよく判らなかった。 「え、知ってるじゃん」 「…………?」 「いや、〝ノエル〟だよ。美作(みまさか)ノエル。それがアイツの本当の名前」 「源氏名じゃないんですか?」 「あー……そこからか」  彼は息を吐く。 「保護者ってのは言い過ぎかもだけど…………いや、そうでもねぇかな」  そして、自嘲気味に笑いながら、煙草に火をつけた。 「俺はアイツがちっちゃい頃から、ちょくちょく様子見てたんだ。……ちょっとした縁だよ。俺の店に置いてるのは、身寄りがなくなっちまったからだ」  ━━━━━━。  美作ノエルは私生児だった。  彼の母親は、まるで氷の女王のような、とても繊細な美しさを持った人だったが、白人の血は流れていないのだから、彼の出自とは〝そういうもの〟なのだろう。  けれど、アキラは決してその事について彼女から聞き出そうとはしなかった。丁度、他の人と同様に、自分も歳を取って老けていくのだという事を知った年頃であったからだ。  そして、アキラが彼らを何となしに見守る立場に収まったのも、ただのタイミングに過ぎなかったのかも知れない。  ノエルの母親がその後どうなったかは判っていないが、頼る人がいなくなった彼にしてみれば、アキラは闇の中で浮かぶ、たった一本の希望の糸だった。  彼ら親子にとって、お互いがどれだけ大きな存在だったかは、想像に難くない。彼が〝ノエル〟という名前を持っている事、そして、その名を煌びやかな虚構の世界に持ち込んだ事からも、それは容易に理解できた。  加えて、何かと手落ちの多い彼が身を滅ぼさずにいられるのも、アキラが自分の目と手の届くところに置いているお陰なのだろう。  ノエルが彼をアニキと呼んで敬うのは、そういう経緯があったからだ。  ━━━━━━。  キラキラとした王子様のようなイメージでしかない、記憶の中のノエルの笑顔が、一変して傷の上に出来たかさぶたのように感じられた。  僕はこの話を聞いてよかったんだろうか、と、疑問に思う。  それでも、アキラさんは困惑する僕を見守りながら、最後まで話してくれた。 「アイツ、ツラは良いけど、あの通りのポンコツだろ? ちゃんとした友だちも彼女もなかなか出来ないんだよ」  そう言うアキラさんは、困った顔を笑いで誤魔化しているようだった。 「だから、まぁ……キミには迷惑なんだろうけど、楽しくメシ食う相手が出来たって聞いて、俺はちょっと嬉しかったワケ」 「そりゃあ、判らなくは、無いですけど……」  僕は言葉に困って、眉根を寄せて見せる。 「……友だちが欲しいなら……そう言や良いんだ。アイツ……」  小さく呟いた声は、しっかりとアキラさんの耳に届いてしまったようで、彼はクスッと笑っていた。 「無理だろ。だって、ポンコツだもん」 「そうっスよね。ポンコツですからね……」  僕は、つられて笑う。 「……でも━━」  僕が知ってるアイツは。 「━━良いヤツですよ」 「そうかい? そう言ってもらえるなら、俺も助かる。……いや、嬉しい、かな」  アキラさんはそう言い直して、テーブルの隅に置いた煙草とライターを懐にしまった。 「まァ、そんなワケだからさ。ほどほどに仲良くしてやって」  ほどほどに、というところを少し強調しながら、彼は席を立つ。ノエルの〝アニキ〟なりの優しさなんだろう。  僕はその背中を目で追って、カップの底に残ったコーヒーを飲み干す。  ポケットの中のスマホが震えて、確認するとノエルからのメッセージが入っていた。 『ごちそうさま!』  それを見た僕は、ホッと胸を撫で下ろして、席を立った。  アキラさんに言われたからじゃない。  僕はノエルと、もう少しちゃんと仲良くしようと……そう思った。  * * * * * 『君に渡しとくよ』  そう言って、アキラさんから渡されたノエルの部屋のカギを、自分の部屋のカギが付いてるキーホルダーに繋ぐ。 『結局、親離れも子離れも出来てなかったんだろうな……』  僕から顔を逸らして呟いた言葉は、寂しそうだった。  カギは一度も使った事がないと言っていたけど、それは今日、僕の部屋を訪ねてきた事で、すでに知ってはいた。  ……でも、もちろんそういう事じゃなくて。  二人の話を聞いた後だと、アキラさんが何に迷っていたのかも、少し判る気がした。  きっと、ノエルの部屋に近付かなかったのは、それが理由なんだと思う。  僕は一度自分の部屋に寄って、乾燥機に放り込んでいたノエルの部屋着を適当に畳んで紙袋に突っ込み、彼の部屋を訪ねた。  改めて、家具は少ないけど、あちこちに積み上げられた、職場で貰ったらしい箱に入ったままの香水や下着やアクセサリーを眺め、アイツがどういう仕事をしてるのかを実感する。  狭い寝室、ノエルはマスクを着けっぱなしのまま、ベッドで寝息を立てていた。  顔は赤いけど、さっきよりずっといい。  僕はベッドの傍のローテーブルの上にに服の入った紙袋をそっと置いて、キッチンで自分の部屋から持ってきた土鍋を探す。  鍋は流しの横の乾燥カゴにあった。……水滴が浮いている。ちゃんと、洗ってくれたらしい。  ……あんなに、辛そうだったのに、律儀なヤツだと思う。  僕は冷蔵庫から新しい冷却シートを取り出して、眠っているノエルの傍に寄った。  おでこに貼ってある、少しカサカサになったシートを剥がしてやると、シーツの隙間からノエルの手が伸びてきて、僕の手に触れた。  熱い。 「………………」  薄っすらと目を開けるノエルには、僕が見えてるだろうか。  ……僕は、彼に顔を寄せると、マスク越しに唇を当てた。  かさり、と味気ない感触に、少しだけ後悔する。 「…………なに?」  ふぅふぅ、と息をつきながら、鼻声で言うノエルに、 「……今日の、飯代」  僕は真面目な顔で、そう答えた。  * * * * *  ……次の日。  ご飯代ついでに、しっかり風邪まで伝染された僕は、自室のベッドの上で大後悔していた。  すっかり良くなったノエルのとんでもない看病で、体力も気力もゴリゴリ削られた事は、言うまでもない。                           つづく

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ぽんこつホストは 迫れない④