夜桜弦音
78 件の小説夢見ノ朝花 〜色褪せぬ夢〜
間もなく置かれたのはマフィンという黄金色の焼き菓子だった。 僕はそっと手に取ると小さく齧る。ほんのりと、やさしい甘さが口の中に広がった。 「ネヴィは、親はいないの?」 「そう。小さい時に両親が流行病で死んだ。昔こそ荒んでたけど、今はさっきの店で働いて生活してる」 リーエラは、そっかと呟くと、お茶を一口飲む。 「私もね、目覚めたのは数ヶ月前なんだ」 なんと、リーエラは気付けば、僕と出会ったあの砂原にいたらしい。 「驚いたよ。辺り一面砂、砂、砂。色の一つも無い」 自分が死んだことによる反動は知っているつもりだったけどね、と彼女は語る。 「生き返って、これからどうするの?」 気になったことを尋ねると、リーエラは薄い笑みを浮かべてみせる。 「この国に災いをもたらす……とか」 「……そうか」 止めないの?と不思議そうに僕を見つめてくる。 「――だって、人間はそれ相応の行いをしたんだ」 ――もし、自分だったらと考える。 国の象徴を陰ながら産み出し、国民もそれに感謝し、自慢に思う。 ……だが、自分たちの命が危機に陥れば、その信仰をもすら覆す。 かつてあの戦は、人間たちの残虐な裏切りだ。 「……ま、しないけどね」 肩を竦めてみせるリーエラは諦めたような表情だった。 「人間の欲とかは知ってたつもりだから。でも、悲しかったのは本当」 だから、と彼女は言葉を続ける。 「そのお返しに、この国を花まみれにしようかな」 その旅についてこないか、と僕に問う。 「一緒に国中を回るの。その土地に合わせた花を咲かせて、今度こそ私はこの国で生きる。その手助けが欲しいんだよね」 もちろんお金は心配しないで、と少し黒い笑みを浮かべるので、僕は不安になってしまう。 ……が、あれほど願った花は、今自分の隣りにいる。 今日初めて出会った、妖しく、怖く、優しいこの人について行ってもいいのかと、心の中で考えるが、答えはもう決まっていた。 「お願い、僕をその旅に連れて行ってください」 ――やはり、夢は叶えるべきだ。 −−続く
夢見ノ朝花 〜優しい温もり〜
昼時の街は、客引きが多い。 あちらこちらから美味しそうな匂いが、風に漂い鼻腔をくすぐってくる。 賑やかな人通りを、僕たちは静かに歩いた。 「……」 先程のこともあり、少し気まずくなって沈黙が生まれる。 「……何食べたい?」 少しして、リーエラが僕の顔を覗く。 「何、だろうな……」 外食なんて、したことがない。 僕みたいな浮浪児の食事は、盗む、奪う、漁る。 ――それも、命がけだ。 捕まれば、殴り殺されるか、身売りに遭うかだ。どちらにしろ、悲惨な未来しか無い。 ❁❁❁❁ 僕も、幼い頃はあちこちの店から盗んだり、ゴミを漁っていた。 周りに気を付けていたが、盗みが見つかった時は本当に肝が冷えた。思わず頭を守ったが、いつまで経っても痛みは感じなかった。 それどころか、優しい手つきで頭を撫でられたのだ。 ――それが、おやじだ。 「盗みを学ぶことよりも、もっと他を学べ」 「技術や知識は、お前の武器になる」と、諭した。 おやじは汚らしい僕を、自分の店に併設した家に連れていき、僕の身体を洗い、食事を食べさせ、服を着せてくれた。 そして、読み書きや計算を教え、店に雇ってくれたのだ。 ――あの時、見つかったのがおやじで良かった。 心の底から、そう思う。 ❁❁❁❁❁ 「――じゃあ、ここでいっか」 リーエラが立ち止まったのは、小さな店。店の入口には木で作った看板があり、メニューが書かれている。 「いらっしゃい!」 恰幅の良い女店主が笑顔で迎えてくれる。 「ここの料理、美味しいんだよ」 何故か自慢げに僕に言ってくる。 窓辺の席に座ると、早速「クリーム煮とバゲット、二人前で」とリーエラが注文する。 数分して、給仕の若い少女が盆に載せて食事を運んでくる。 「お待たせしました」 丁寧な手つきでテーブルに置かれたそれは、湯気を漂わせて良い香りを運んでくる。 両手を組み、神への祈り捧げた後、木のスプーンでそっとスープを掬った。 やさしいミルクの香りと野菜の旨味。 しつこくない。かといって、浅い味付けではなく、しっかり具材の旨味を活かしている。 ――次はスプーンいっぱいに掬う。 人参やジャガイモ、白豆、肉などの具材がゴロゴロ入っていて、口の中がいっぱいになってしまう。 口の中で熱さを逃がしつつゆっくり飲み込むが、スプーンはすでに次を掬っていた。 「ネヴィは美味しそうに食べるね」 リーエラは僕がスープをかき込む姿を見て、クスッと笑うと、自分も食べ始める。 スープをそのまま食べたり、パンに乗せて食べてみたり。 「この店にして良かったよ」 「連れてきてくれてありがと」 いまこの瞬間も、僕はこの味を噛み締めている。 全て食べ終わると、ふぅと息を吐く。 空になった皿が少し寂しい。でも、腹の中は満腹満足だ。 「話しながら、少し摘もうか」 リーエラは再度給仕を呼び、注文した。 −−続く
夢見ノ朝花 〜蝶妖〜
その後。 「どうしてここに来たの?」 リーエラの一言で、忘れかけていた仕事のことを思い出した。 ――正直、すっかり忘れていた。 慌てて、生花に留まった黄金蝶を捕えると、持ってきた銅の虫籠に入れる。 「ごめんね」 リーエラは、虫籠の中の蝶に囁くように呟く。 それから、人差し指をなぞるように動かし、その中に見惚れるような白と薄紅色の花を産みだした。 「この花は?」 「クレオメっていう花だよ。蝶を少し酔わせて、苦しみから離れてもらおうと思って」 まあ、本来のクレオメには無い効力なんだけどね、と口元に人差し指を当てる。 どうやら、神様の力を使ったらしい。 「反対しないの……?」 歩きながら、僕はこの仕事の内容を話した。 リーエラは目を伏せて、口を挟まず静かに聞いていた。 「花の神なら、蝶は眷属みたいなもんじゃない?」 「……そうだね」 重い口を開くように出した声は低い。 「花が生きるには太陽の光が大切だし、繁殖には蝶と蜂なんかの力が無ければできない。確かに、眷属みたいなものかもね」 ――だけど、人間と共生している。 リーエラの声が少し震えた。 「人間が虫達を捕らえたり殺したりしているのをいちいち気にしてたら、体がもたないよ」 だから、と彼女は言葉を続ける。 「植物と虫の毒が人間を殺しても、何とも思わない。お互い様だからね」 薄ら笑いは少し怖いと感じた。 その重い空気を霧散させるように、リーエラはあっと声を上げ、指を指す。 「街が見えて来たよ」 料理屋に虫を持ち込む訳にはいかないので、先におやじの所に寄ることにした。 「おう、ほんとに見つかったのか?」 「運が良かっただけだ」 数少ない木の樹液や果実の汁を吸って生きている蝶は、希少な存在だ。リーエラに出会えて良かった。 虫籠をカウンターに置き、おやじに渡す。 「この依頼主、無理を承知で頼んできたんだ。こんなカビ臭い店にまで来たんだ、諦めの境地に至ってたんだろうさ」 「愛娘のためだろ、羨ましいよ」 そんなに愛されている娘の気持ちは、僕には分からない。 きっと幸せなんだろうな……、と思っていると外套のフードを深く被り、後ろに立っていたリーエラが肩を軽く叩いてきた。 「早く行こう」 その表情はどこか強張っている。 「ん?その娘誰だ?」 おやじの声に、リーエラは肩が跳ねた。 「えっと、さっき知り合ったんだよ。僕と同じ親無しさ」 嘘ではない。僕は急かすようにテーブルに身を乗り出す。 「おやじ、早く報酬金ちょうだい。予定あるから」 「おいおい、急かすなんて怪しいな。もしかして、恋び……」 そこで、おやじは言葉を止めた。目を大きく開き、顔が青ざめる。 振り返ると、リーエラは顔を少しだけ上げ、金茶色の瞳が鋭く異様に輝いていた。 しばらく沈黙がおりた後、おやじは慌てたように「報酬金だな」と呟くとお金を取りに行ったのか店の奥に消えた。 「……何したの?」 「特に何も」 ――なにもない筈がない。神の力の領域なのかもしれない。 しばらくすると、おやじが金の入った麻袋を持ってきた。 「金貨五枚と銀貨十枚だ」 袋の中から金を出して、僕に確認を取る。 僕は浮浪児だけど、多少の読み書きは覚えがある。特に計算は得意だ。それも、仕事をするうえでおやじに全部教えてもらった。感謝しかない。 「……大丈夫だ。けど、改めて見てもすごい金額だな」 金貨一枚あれば、家族は余裕で三ヶ月暮らせるだろう。 「気を付けろよ。何なら分割して渡してやろうか?」 しばらく考え、僕は頷く。 「じゃ、今回は銀貨二枚欲しい」 「分かった」 腰袋に硬貨を入れ、「また明日」と軽く挨拶すると、リーエラに手を引かれるようにして、店を出た。 −−続く
夢見ノ朝花 〜花開く〜
「やっぱり……。でも、何で?処刑されたはずじゃ……」 眉をひそめると、リーエラは妖しい笑みを浮かべた。 焦げ茶色の外套を脱ぐと詰め襟の金ボタンを外す。 露わになったのは白い首筋の赤黒い線。よく見ると古い血痕のようだ。 「二度目はないから」 その冷ややかな声に、何故かドキリとする。 ――花の神と人間。 リーエラと僕の関係はそれだ。 「そう、あの日。私は確かに死んだ」 ……でも、「死んだ」というより、「眠りについた」と言ったほうが正しいと彼女は言った。 「この身体は、いわば人形。私の本体は魂で、死ぬ直前、花の新芽に魂を移した。だから、首がギロチンで斬られたし、人間に死んだと思わせた」 「そんな、大道芸みたいな……」 「確かに大道芸みたいだね」 僕の感想に、リーエラはくすっと笑った。 だが、すぐに表情は無へ変わる。 「人間の手で、神殺し出来ると思ったのが愚かだよ」 瞳に浮かんだ人間への憎しみは、僕には計り知れない。 「大変だったね」と言える立場じゃないし、同情なんて以ての外だ。多分、彼女を傷付けるに違いない。 「そうだね」 そう言うしか、僕にはできない。人間のやったことは許されてはならない所業だ。 だが、そんな暗い雰囲気もすぐに消えた。 リーエラの背中は朝日の光を浴びて、光り輝く。 金色の粒子が辺りに満ち、 地面から、紅や青、黄色などの花々が咲き乱れた。 風が吹き、色とりどりの花弁が舞い踊るように流れる。 「私のいなくなったこの国は、色が消えた。結局戦争は起こったし、私の死も意味がなかったんだ」 「でもね、ネヴィ。これからは花が咲くよ」とリーエラは空高く言った。 僕の視線は、リーエラが産み出す花々に奪われた。 決して、見ることなどできないと思っては願っていた花が、今ここに咲き乱れている。 花を手に取ると、造花にはない温かさを感じた。 瑞々しい緑色の茎と葉、柔らかく美しい花弁。 しかも、なんとそこに黄金蝶が留まったのだ 思わず、ほう、と溜息がこぼれた。 これはそう――。 「……夢みたいだ」 「夢じゃないよ」 彼女はこちらを振り返る。白桜金の髪の毛がフワリと揺れた。 「ね、お腹すいたね。ご飯行こうよ」 「でも、僕お金が……」 「ふふふ、お姉さんに任せておきなさい」 腰に両手を当てて、自慢げにそり返る。 ーー神様って、金も産み出せたりするのか? 「……んじゃ、お願いします」 「ん、それじゃあ行こうか」 これが、僕と花の神リーエラとの始まり。 人間と神が産み出す、希望と絶望の物語だ。 −−続く
夢見ノ朝花 〜花の祝福〜
楽しみと緊張で、足の進む速さは早まる。 心臓の音がやけに大きく聞こえる。 結局最後は小走りで、そこに向かっていた。 「人……?」 着いたそこには、十七歳くらいの一人の少女がいた。 艶のある腰までの長い白桜金の髪。睫毛に縁取られた金茶色の瞳。 彼女を作る色素が、金色を帯びている。 そんな異質な彼女は花を生み出していた。 彼女の白い手から、金色の粒子が生まれている。 地面に向かって回すように手を動かせば、金色の粒子は地面に向かって落ちる。 かと思えば、地面から爽やかな若緑色の芽が出芽し、それはあっという間に成長して、青空色の大きな花を咲かせた。 神の御業、そう思った。 初めて見た、いや、本当で言えばさっき紅い花を見たのだが、間近で見る花はとにかく美しかった。 だからだろうか、反応に遅れた。 「貴方、誰?」 「……ッ!」 ドクンッと心臓が跳ねた。 焦るが、どこかに隠れようにも、建物も何も無い。 「――――えっと、いや、その……」 あたふたする僕が、余計に怪しく見えたのだろう。 「もしかして処刑人?」 「違う!」 「……そう?」 いや、いくら怪しいからといって、急に処刑人扱いはやめてほしい。 彼女は、僕から目線を逸らすと、産み出した花に向かって言葉を紡ぐ。 「もう、ひとりぼっちじゃないからね」 「……」 まるで、我が子に話しかける母のような温かい眼差しで。 ……孤児の自分には、分からないけど。 どうしても、自虐に陥ってしまう自分が醜い。 「あなたは、何者ですか……?」 ようやく絞り出した声は、随分と掠れていた。 彼女は、ゆっくりとこちらを振り返る。 「君は、花に興味があるみたいだね」 「いつか見てみたいとずっと思ってました」 気が付いたら、口が動いていた。 夢を語った自分が恥ずかしくなって、思わず顔を伏せる。 少女は「そっか」とだけ答えると、立ち上がる。 質素なワンピースと外套をまとった神様は、腰に手を当てた。 「名前は?」 蜂蜜のような金茶色の瞳がこちらを見つめてくる。 「……ない。仕事場の親父から、【クロ】って呼ばれてるけど」 名無しの少年は、自虐的な笑みを浮かべた。 「クロか……。いい名前だね」 ああ、やっぱりそう。 僕はいつも【クロ】がお似合いだ。 髪の色も、薄汚れた身体も、心の中も、その中の世界も、 ……――そして、未来さえも。 だが、そこで一筋の光が差し込んだ。 「夜の黒は、安らぎの“クロ”。暗闇の黒は、光を見つけるための“クロ”。だから、祝福って意味があるんだ」 朝日の光が指し、少女の微笑みに。ただただ、心が締め付けられる。 「【クロ】って、古いコルネリシア語で【シヴィ】。優しい祝福って意味」 「……っ」 きっとこの出会いは、人生で最初で最後の奇跡の贈り物なのかもしれない。 「君のこと、【シヴィ】って呼んでも良い?」 一筋の涙を流して、僕はコクリと頷いた。 「私の名前は、リーエラ。――花の神だよ」 ーー続く
夢見ノ朝花 〜朝日の光〜
ーー花。 それは、かつてこの国にあった植物の名前らしい。 だけど、その花というものを国中の誰もが見たことがない。 なぜなら、花の種がもう無いからである。 どこを探しても、見つけることのできない花の種。 そんな花に憧れを持つ、一人の少年がいた。 彼の名は、無い。 千年という長い戦争を終えたばかりの“コルネリシア”というこの国の、いわば孤児といったところの身分である。 現在のコルネリシアという国は、かつての姿を失い、見る影も無かった。 ーー花が奪われた国。 それほど寂しい国はない。 美しいものといえば、宝石などの装飾品くらいだろう。 自然の理に裏切った国は、それでも花の種を探そうとして、時通り、国王の配下達が国外に出向いている。 だからこそ、少年の夢は【花の種を見つけること】でもあった。 花を咲かせることができれば、この泥を啜るような生活から抜け出せると思っていた――――のではなく、単純に好奇心だった。 かつて、戦の源となり、国を滅ぼした”花”とはどれほど美しいものだったのだろうと思うのである。 もう、戦は終わった。 だから、花は存在しなければならない。 むしろ、戦禍の傷痕が残っているからこそ、疲れ切っている国の人々には花という美しいものが必要であったのだ。 神が殺された後。 本来の命を失った花や植物は、徐々にその数を減らしていった。 幸い野菜や数少ない植物は存在するが、それも必要最低限であり、ほとんど絶滅寸前である。 そんな国で皆んな必死に働いているのだ。 ……まぁ、だからと言って余裕のあるお金が懐に入ってくる訳でもなく。 俺は、今日も、雇い主のところに向かう。 仕事は、便利屋だ。飲食店で料理を作るのを手伝ったり、家畜の世話をしたり、掃除をしたりなどなど……。 依頼が舞い込んでくれば、それの殆どは受ける。 というわけで、主人のいるレンガで造られた店に着くと、 「おはようございまーす」 と、挨拶する。 「おう、“クロ”。今日はあんまし良い仕事は無ェぞ」 クロ、というのは、仕事での自分の名である。 食い扶持に困って餓死しかけていたところを運良くこのおやじに拾って貰ったのだ。 そのときに名前を聞かれて、名前はないと答えると、髪の色が烏色だからということでこの名前になった。 ……もう少し格好良いのが良かったけど、おやじが満面の笑みで「我ながら良い名前だ」と呟いていたのを見て、面倒だから反論はしなかった。 「別に。お金貰えればそれで良いし。で、どんな仕事?」 「虫取り」 ……虫。 ……何故? 「なんでも、薬になるそうだ」 ……。 まぁ、昔は薬草が生えていたから、それで良かったが、今は薬草という植物は此の世に無いに等しい。 あるはあるのだが、金貨百枚程に匹敵するほどだ。 ……手が届くとしたら、どこぞの世間知らずの金持ちか、商売に成功した商人くらいだろう。 「別に、知識があるならその依頼人が採りに行けばいいじゃないですか」 「虫が嫌いなんだと」 「知るか」 自分の欲しいものなんだから、それぐらい自分でやれと言いたくなる。 「ちなみに、これくらいの額なんだが……」 「やってやる」 めちゃくちゃ良い。秒で返答していた。 だがしかし、何故そんなことに結構な金を積むのか分からない。虫取りだけだ。そんなことで、農民がひと月暮らせるような金をこんなことに支払うのだから不思議である。 「なんでも、愛娘さんが病だそうでな。金持ちには高く支払わせるのがちょうど良いんだ」 「おやじ最低だな」 貴族は値切ることはない。それを必要としないこともあるが、なんせ気が高い。だから、言い返せないのだ。 まあ、払ってくれるのならばそれで良い。仕事は遂行する。 「行ってくるよ」 「気をつけてな」 店を出ると、かつて森だった砂だけの平原へ向かう。 森に住んでいた人間も多かったからか、いくつも廃墟となった家がある。どれも薄汚れた灰色の壁をしており、冷たいものだった。 と、目の前を何かが横切った。 「見つけた」 運が良い。 早く取って帰ろう。 だがしかし、いたのは羽の生えた強い外骨格に覆われた小さな虫だった。 探しているのは、黄金蝶という黄金色の羽を持った美しい蝶であった。 ただの羽蟲ではない。 その羽に、高い治癒力を持つとされている、自分でさえも知る有名な蝶だ。 けれど、そんな有名な蝶が簡単に見つかるわけでもなく。 ――砂漠で迷った。 「あれ、ここ……、どこ?」 ずいぶん遠くまで来てしまったようだ。 こんなに帰り道がわからなくなることってあるだろうか。 落ち着け、と心の中で自分に言い聞かせる。 こういう時こそ、慌てると事故にあったり死んだりするのだ。 気をつけよう。 あたりを見回し、目に入るものを頭の中で整理する。 広がる平野。 砂。 石。 泥。 誰かに捨てられたゴミ。 紅い花。 おかしなものは無いはずだ。考えながら、ふと足元を見る。 そういえば、足跡が残っている。 自分の足跡を辿れば良いのだ。そうすれば、街に着くだろう。 とその時気が付いた。 先程花が見えなかったか。 「えっ、花ーーーー⁉︎」 ちょっと待て、落ち着け、いや無理である。 視界の前方、数メートル離れた場所に、確かに紅い花が見える。 砂と石くらいしか無いから、余計に紅い花は目立って見える。 行ってみようか、と心が揺れた。 自分が求めていたものがそこにある。 気がつけば、そこにあるかもしれない危険を顧みず、足を進めていたーー。 ーー続く
夢見ノ朝花
「花はね、咲く場所を自分で選ぶんだよ」 夢見ノ朝花 “コルネリシア” そこは、幾多の美しい花が咲く世界。 紅や群青、白雪といった、色とりどりの花々が四季のすべてに咲き誇った。 それは全て、花の神のもたらす奇跡と祝福であった。 綺麗な自然に囲まれる生活。 多くの人々が、その出身であることを誇り、自慢に思っていた。 ーーけれど、それも長くは続かない。 この国の自然を羨み、奪おうと、隣の国が戦争を仕掛けてきたのだ。しかも、国土が広く、軍に力を入れており、コルネリシアは打つ手がなくなってしまう。 コルネリシアは、美しいだけの国。 そんな軍事大国に、武力抵抗などできなかった。 けれどそこに、一人の老婆が現れる。 その老婆は、とうに二百歳を超えるとされる魔女であった。 老婆はこう言った。 「花の命は、一人の娘なり」 ――花の神である娘を捕らえれば、国中の花々は身を隠す。さすれば、戦は逃れることが出来よう。 王命が下り、国中の人間は花の神を探した。 皆、戦から逃れたかったのだ。 一人の命より、皆の命。 花よりも平和が、大切だ。 『花の神への礼として宴を開く』という嘘を吐き、 ……そんな風に、気楽に神を殺そうとしていたのである。 ***** 少女は、簡単に見つかった。 髪は白桜金色、瞳は金茶色。美しい顔に、肢体は長く、まるで神が丁寧に作り上げた人形のようであった。 しかし、その娘は可憐であったが、貧しい身なりで、着ているものは粗末であった。 少女は、こう言った。 「我こそが、花の命―――」 やはり、少女が国中の花を咲かせていたという。 彼女が祈れば、花が咲く。 彼女が笑えば、花が歓喜する。 彼女が泣けば、花は死ぬ。 ……そうして、花の命を産み出してきた。 王は喜んだ。 彼女がいなくなれば、この国の自然を羨ましがれることはない。 宴の日。 強い睡眠薬を飲み物に混ぜ、彼女を眠らせた後、牢屋に入れた。 ーー彼女の命は、まるで生花の様にあっけないものであった。 手首を縛りつけ、断頭台に乗せた。 鈍い銀色の刃が、少女の首へ、無惨にも落ちた。 紅い花が、散る――――。 誰もが彼女の死を悟った。 ―――死んだはずだったのだ。 だが、少女神の首は、今もなお胴体と繋がっていた。 彼女の首に刃が当たってできた少しの切り傷から、緑色の蔓や紅い花々が咲いていたのである。 ーーまるで、彼女を守るように。 ーー「生きたい」という少女の願いが、この世に引き留めているかのように。 少女は言った。 「この恨みを忘れない」と。 はっきりと、そう、口にした。 花の神の瞳は、悲しみと怒りに染まっていた。 自然を操る力。 花を産み出し、コルネリシアを花の国としてきた小さな神様。 散々花を愛して、慈しんできた国民は、自分たちの命が危機に瀕したら、呆気なく裏切った。 ……いや、これが当たり前なのかもしれない。 王は、人外じみた少女を恐ろしく思い、もう一度刃を下すために、処刑人に命じようとしたとき――――。 ドサッッッ―――― 花の神の首が、地面へ落ちた。 ーー続く
…潜伏中… ショートショート
「――ねえ、最近お化け屋敷に本物が紛れ込んでるって噂知ってる?」 わたしは花子さん役に話しかける。 「私が自分で選んだけど、この仕事もなかなか怖くて大変だよね〜」 花子さん役はお岩さん役の方を揺さぶる。 「なんで人間は怖いもの好きなんだろうって私思っちゃいます……」 お岩さん役は、真剣に考え始める。 「なんか、大学の研究とかでありそうだな」 死んだ患者役はケラケラ笑う。 「――まっ、わたしは怖がらせるの楽しいけどね!」 わたしは笑顔になる。 「あ、今日久しぶりにこの三人で食べに行かね?美味い店見つけたんだ〜」 死んだ患者役が提案すると、みんな「行きます!」と喜ぶ。 「あ、もう仕事の時間だね。指定位置につこうか」 「「は〜い」」 「――……ネエ。ワタシハ?」
大嫌いな魔女へ 解説
『大嫌いな魔女へ』を読んで下さった方、心から感謝申し上げます。 今回は、この物語の解説をしたいと思います。 かなり読者様に想像の丸投げをしてしまい、説明不足でよく意味分からない箇所がありました。 ……実は自分でもよく分かってなかったので、整理しながらお届けできればと思います。 〈登場人物〉 ・エルヴィス……十八歳の青年。本来、城の護衛騎士であったが、魔女を捕らえたことで処刑日まで看守として働くことに。 ・イズィーフェ……数百年生きる不老長寿の魔女。城の召使として国王をに近づき、毒殺したことで魔女の身分が暴かれ、投獄された。 ◯看守の青年エルヴィスが魔女イズィーフェを捕らえた理由 エルヴィスは、赤子の時イズイーフェに拾われましたが、魔女狩りの時代であったため、手放さなければなりませんでした。彼が孤児院に預けられたのは六歳ほど。イズィーフェの顔をおぼろげながらも記憶として残っていました。 幼いエルヴィスは、イズィーフェの事情を理解していました。 「危険だとわかっている、それでも良いからずっと一緒にいたい」という思いがあったんです。しかし、自分の意志を汲み取ってくれなかった彼女を少なからず恨んでおり、国王毒殺時「あの魔女は育ての母だ」と分かっていて捕らえました。 ……いや、国王に仕える身として、捕らえなければならなかったのかもしれません。 ◯魔女イズィーフェが簡単に捕らえられてしまった理由 イズィーフェはエルヴィスを手放したものの、使い魔や魔術を使ってずっと陰から見守っていました。そして、騎士になるのを見届けた後、彼女は城に潜り込みました。 エルヴィスが居るように機会を伺い、国王を毒殺し、息子に捕らえさせました。そうすることで、〈魔女狩りの英雄〉となるように仕掛けたのです。 他の騎士には強く抵抗しましたがエルヴィスには簡単に捕まったのでした。 ◯なぜ、処刑の死を求めたのか イズィーフェは不老不死ではなく、【不老長寿】です。ただ見た目や身体が老いないだけで、いつか死にます。だから自殺できるわけですが、どうせ死ぬなら意味のある死に方をしたかったのだと思います。 先ほど説明した通り、息子に自分を捕らえさせることで英雄にしたかったために処刑を選びました。そしてそれは、かつて家族を殺され、なかなか無念を晴らせなかった彼女にとって、恨みを果たす良い機会になったのでした。 息子の成長を見届けること、国王血族への復讐という目的。 それらを果たした彼女にとって、永い人生の終焉はこの処刑にあったのでしょう。 ――説明は以上です。 特に意味不明な部分をピックアップしてお届けしました。 他にも何か気になった所がありましたら、お気軽にご質問下さい。
大嫌いな魔女へ 五日目 −永遠の祝福−
〈五日目〉 ――魔女の死ぬ日は、気持ちが良いほどに晴れた青空だった。 オレは牢屋の鍵を開けると、魔女を乗せて地上へと連れ出す。 「今、生きているのに……。もうすぐ自分が魂の抜け殻になることが信じられませんね」 イズィーフェは、久しぶりに感じた太陽に手を伸ばす。 魔女の公開処刑を見るためだろう。城外に集まった国民たちの怒号や歓喜が聞こえてくる。 ……石の門を潜れば、もう戻れない。 「貴方に会えて、良かったです。きっと、人殺しの私に、神様が最期のお慈悲をくださったのでしょうね」 その言葉に足を止めざるを得なかった。 「エルヴィス。私が……、憎い……?」 ――またか、と、オレは、強く唇を噛み締める。 「己を捨てた、私が憎いでしょう?」 「……ふざけるな」 「恨みなさい。私を、殺しなさい」 「……どうしてッ‼︎」 それは、初めて感情的に出た言葉。 「どうして、どうしてだよッ――‼︎」 自分のことを一度愛して捨てたこと。 国王を殺したこと。 ……オレを、他人として扱った理由。 みんな、分からない。 「心から恨めたら、憎んでいられたら良かった。なのになんでッ!今になってから、オレにあんな話をして、愛してるって言うんだ……」 大粒の涙が、太陽の光を含んで落ちる。 息が苦しい。身体が熱い。みっともない嗚咽は、止まることを知らない。 頭の中はグチャグチャで、無知だったがために彼女を恨んでいられた幼い頃の自分が羨ましい。 ――独りにしないで。 ――ずっと、待ってるんだよ。 子どもというのは、信頼する大人の助けをどうしても必要とする。そうしなければ、生きていけない。だが、そうできない時がある。 ……どちらが、悪いわけではない。 子どもには子どもの、大人には大人の事情がある。 だから、魔女イズィーフェはオレを手放すことを決め、孤児院へと預けた。 分かっていた。幼いながらも、ちゃんと理解していた。それでも、雷の鳴る夜は温かい手で自分を包んで欲しかったし、悪いことをしたら叱られたかった。 ―――小さな願いは、叶うことはなかった。 すると、頬に温かい何かが触れた。霞む視界、見えたのは、一人の女性。 穏やかで、慈愛に満ちた微笑み。両腕を失った彼女は柔らかい頬でオレの頬を優しく撫でた。そして、もたれ掛かるようにしてオレのことを抱きしめる。 「貴方を、生かすためですよ」 イズィーフェは歩み始める。目は見えぬはずなのに、その足取りは紛うこと無く石の向こうへと続いている。 「待って……」 オレは再び、彼女に手を伸ばす。 しかし、魔女は止まらない。 「もう、一人にしないで……」 彼女が国王を毒殺した理由。 ――それは、自分の愛した幼子を手放さなければならない運命を創った国王を恨んだから。オレは彼女のことを知っていて捕らえた。毎晩のように「憎いか」という問いに、どれだけ「そんな事を問う貴方が憎い」と答えたかったか。 だが、あの魔女は、愛も、愛しさも、全て分かっていたうえで、これから死にに行くのだ。 「母さん――ッ!!」 今度こそ、手の届かない場所に行ってしまう前に。 「オレは――――ッッ」 こちらを振り返る優しい母の顔。 一斉に、周囲の全ての音が遠ざかる。 ――嗚呼、この時をずっと昔から待っていた。 「貴方を……」 ――愛する我が子に、「憎い」と言ってもらいたい母に。 そうやって、残虐な言葉を残すのが、親不孝というものだ。 でもきっと、気持ちは、伝わるだろう――――。 「――愛してるよ、母さん」 オレはあの日、城の護衛を辞めて、王都から離れた辺国で、〈物語屋〉という小さくて古臭い店の主人に拾ってもらった。 各地の様々な伝説や寓話などを集め、子ども達や大人達に話し、聞かせる。 ――その仕事は、まだ自分の知らぬ様々な感情を知ることが大切だった。 だからこそ、喜びも悲しみもかつての自分をも受け入れることが出来たのかもしれない。 今では、その仕事に誇りを持ちながら大変ながらも楽しく働いている。 五年前に愛する女性を妻に迎い入れ、二人の我が子と家族四人で慎ましく温かい家庭を築いている。 ――なぁ、母さん。 オレは、本当の親不孝の息子になれただろうか。 親愛なる母イズィーフェへ 貴方を赦します 息子エルヴィスより −−終わり