エアコック
7 件の小説自分が消費したお金のことについて
自分にはある一定の期間で出費が重なりほぼ無一文になる。 その時はお金が欲しいと思うことが多いけど、またお金が入ればそれはなくなる。という当たり前になくなっている欲望を疑問に思う。 何故お金はそれに価値があると信じなければ金属と紙っペラなのにもらえると幸福になるんだろう。 お金がもしなかったら?自分でそれを作ったり取ってきたり。または物々交換をするしかないだろう。 お金は、それの全てを一つで解決できてしまうから価値がある。価値がないものを受け取ろうとは思わないだろう。 結論:お金とは人が生きるために必要な「価値」であると言えるかもしれない。
自己嫌悪シリーズ 自分の特性
自分には休日が嬉しいことにあるが、全然何もせずスマホをみて終わることが非常に多い。 そんな悲しい事実を止めるためギリ自己満出来そうなものを書いていこうと思う。 まず、こうなってしまう理由の一つにゲームの掛け持ちをしていることが挙げられる。 ログボ、周回、お祈り単発ガチャなどすることが多いわけではないがそれでも時間は過ぎる。 しかも3つこれを繰り返すためかなりの時間が食われる。なら消せばいいのではと思うだろうが、消して入れ直そうとするとギガの問題で入れることができなくなる。それが怖いので留めてしまうのも原因。 結論:ゲーム楽しい(ほどほどにしましょう) 二つ目は何も考えていないこと。私の小説の何かしらを読んでいただいた方には何となく伝わっていると思うが前提として私は「アホ」「適当」「忘れっぽい」の3段構えの性格なのである。 何かを頼まれたところで対して話を聞かない。聞いたとしてもすぐには動くが全くもって確実性がない。 家族にも話を聞かず忘れっぽいのにも関わらず再度聞きもしないため恥ずかしながら「宇宙人」とよく言われる。 結論:話をよく聞いてしっかり何度も確認するようにしよう まとめ こんなことをしてるなら散歩したらいいと友達に言われたり暇なら手伝えなど人として抜けてるところが多いため鋳造し直していただきたい。 たまには真面目に行きましょう ハイ。
自己嫌悪シリーズ 悪質な寝相
自分は恥ずかしながら寝相が本当に悪い。 部屋中をゴロゴロ動き回るしいびきがうるさいし、足で蹴りまくる。 とにかく寝相が悪い。 しかし寝ている間は無意識なのでなにも覚えていないというのがかなり悪質だ。 隣で寝ている人は蹴られた挙句大きないびきを聞かされ安眠を妨害されるのだ。 敷布団の下に潜り込んだり人の布団を奪い取ったりとまぁやばい。 普段の寝方が悪く習慣化しているのだろうがいびきは親譲りなので直せない。 じゃあ直せよという人もいるかと思うが疲れてるから時間もないしもう寝るという選択しかなくて直せない。 なにもない日はどうなのかと言えば、…何もないが直すことは頭に無く、ゲームして終わる。 結論、自分の寝相は当分直せないと分かった。
ツマ
何で僕って、こんなに人気がないんだろう。 脇役なのは分かってるんだけど、それでも全体を構成する一部なのだから、愛してほしい。 どうして僕は「ツマ」なのかなぁ。元は大根だったのに。大根はとってもみんなに愛されてるのに。どうして。 僕だけなの? 刺身の下に敷かれて、彼らを持ち上げて頑張って、綺麗に見せているのに。生臭いから?それは刺身が僕の上に乗ってるからなのに。食べてくれる人、好きな人はあんまりいない。 僕がツマだからみんな嫌いなのかな。 ツマって何で存在してるんだろ。 そしたらたまたま僕を作っている人がしゃべってたのを聞いたんだ。 彩りや風味を添えるための「あしらい」として使われていたものが、次第に「主役を引き立てる存在」という意味合いを持つようになり、「妻」という言葉に例えられるようになったって。 やっぱり引き立て役なのは変わらないけれど、自分にだって役割がある。嫌われてるかは関係ない。自分の道を行けばいいって思えたよ。 今日もツマとして頑張ろう。
3人組
自分は昔から一人じゃなかった。 いつも幼馴染の二人がいたから。 バカなことをやったり、歩いて遠出したり。 いつまでも続くと思った関係は、壊れた。 中学生の頃から、一人が学校に来なくなった。 毎日玄関の前で呼び鈴を鳴らしても、出てこない。メールを送っても既読にならない。 そんなことが一年続くと、嫌になり距離を置きたくなった。昔なら考えられなかった。 きっと、嫌なことがあっても3人で遊んで忘れていただろう。…あれ、中学生になってから自分たち、いつ遊んだっけ。 一瞬で走馬灯のような衝撃と共に過去の出来事が浮かび上がる。キャンプで水遊びしたり、学校に忍び込んでかくれんぼしたり。楽しかった思い出は、こうも簡単に終わりを迎えるのかと。冷や汗が止まらなかった。昔の自分と比べるばかりで、未来へのビジョンは見えてこない。 目の前が真っ暗になる。もうだめだと思った。 その瞬間、思い出した。「昔にもこんなことがあった。楽しすぎて忘れただけで、過去にも確かにあった」ことを思い出した。 なら、「昔と同じ」ようにするしかない! そう思い、家を飛び出し幼馴染二人を捕まえて公園まで引っ張った。驚いた顔をしていたが、ただあの方法を試して解決することしか頭になかった。 二人を自分の前に並べ、大声で言う。 「喧嘩をしたら、何か悪いことをしたら、謝って仲直りしろ!」二人は思い出したようだ。5年前言われたことと全く同じだった。 3人はきちんと向かい合い、同時に「ごめん」と謝った。すっきりした。やっと曇りが晴れて空が見えたんだ。 帰り際、3人でアイスをたべながら思った。もう一度これが起こっても、また仲直りしよう。だって世界に二人しかいない、最高の友達なんだから。 これは体験談をもとにしたフィクションです。
リラクゼーションマインド
自分の根本的な考え方っていつもなんだろうと考えるけど、やっぱり自分は"適当"だと思う。 何かを考えたところでそれをする行動力もない、次の瞬間何を考えてたか忘れて目の前にあることを拾いまくる。考えてたことが重要なことだとしても。 友達はみんな落ち着いているとかいうけど、自分はバカなだけ。思ってるより家ではアホなことをしてる。 昔先生から課題を出された時、本気でやったら謎に文句を言われた。それで心が折れて、適当になった。ほんとは褒めて欲しかった、すごいって言って欲しかったのに。期待した言葉は出てこなかった。 そのあとは全部その場しのぎでやってきた。全力を出したって褒められやしなかったんだから、そう思っていた。中2の秋頃、友達に言われたことが自分のスタイルを変えるきっかけになった。「完全に手を抜いて作った作品よりも、忙しくてもめんどくさくても少し休憩して頭がサッパリしてから作った作品の方が100倍いい。少し休憩するだけ。いいだろ?そうすりゃ下手だろうがなんだろうが自分が何も考えてないものよりいいと思えてくるんだ。」その言葉に、新しい考え方が生まれた。物事って力を少し抜けば簡単になったり、いい方に変えられるんだって。高一のとき、「なんでお前ってそんな適当に生きられるの?」と小馬鹿にされたので、こうアドバイスした。 自分の適当は全部めんどくさいからやらない、じゃなくて"適度に力を抜いて気楽に行こう"ってこと。 全力でもいいけど、そんなことしてたら疲れる。たまには休憩できる時に休むのが一番。課題が明日締め切り?今日中にやらなきゃいけないこと?そんなの知らないって、自分の体を休めて、元気になるのがいいの。 自分は友達に対してもそう。たまにめんどくさくなったら理由をつけて行かないことがある。「行けたら行くは定型文」だけど、自分は行けたら行くで何かない限り行く派。 友達が悩んでいたら、冗談を言って笑わせる。心を"気楽"にしてやるのさ。 助けになってるかは知らないけどね。 心は軽く、物事はきちんとする。それだけで人生楽しくなるかもしれない。だったらやってみなよ、少し力を抜くのはタダなんだからさ。
灰色のジャングルより
私の祖父は、東南アジアに飛ばされた日本兵だったという。ジャングルの中はゲリラ、マラリア、玉砕など恐怖しかなかったらしい。そんな中、奇襲に遭い祖父だけ生き残ってしまった。 1人対一軍の圧倒的不利な状況。位置がバレ、もう打たれそうになった時白旗を掲げて降参した。祖父はやってしまったと思った。相手に降参するのは恥であり、自分たちは祖国のために死なないといけないと考えていたからだ。 敵軍は白旗をすんなり受け入れ、粗雑に祖父を塹壕の中に突っ込んだ。祖父はこのまま捕虜になって死ぬのかと諦めていた。 そのまま終戦まで塹壕の中に閉じ込められていたが、敵軍は祖父をアメリカに持ち帰り、豪華な食事を用意してくれたそう。 祖父は何故こんな死に損ないに飯を用意するんだと抗議した。するとアメリカ兵の1人は冷静に「日本が国民を騙して真実を教えなかったからあんたらは嘘の情報を信じてここまで戦いに来てしまったんだろう。辛かったな」とそう言った。祖父は「自分たちが敵だと思っていたこの人たちは、なんて暖かいのだろう。真実を知らなかった自分が恥ずかしい。」と思い涙を流したそうだ。 そのあとはアメリカの工場で働くことになり、数年間楽しく生活していた。その工場は粗悪な環境で、祖父は病気にかかり目が見えなくなったが見えなくなる寸前、世界がはっきりとしたモノクロのように見えたという。 その後帰国し、軍を辞めさせられ田舎で暮らし始めたのだとか。 これは自分の祖父が死ぬ少し前に聞いた話。自分が祖父の立場だったら戦場に行くのすら拒否しようと逃げていただろう。 亡くなってしまったが、人生の先輩はやはりすごいなというのを実感した。