リラクゼーションマインド

自分の根本的な考え方っていつもなんだろうと考えるけど、やっぱり自分は"適当"だと思う。 何かを考えたところでそれをする行動力もない、次の瞬間何を考えてたか忘れて目の前にあることを拾いまくる。考えてたことが重要なことだとしても。 友達はみんな落ち着いているとかいうけど、自分はバカなだけ。思ってるより家ではアホなことをしてる。 昔先生から課題を出された時、本気でやったら謎に文句を言われた。それで心が折れて、適当になった。ほんとは褒めて欲しかった、すごいって言って欲しかったのに。期待した言葉は出てこなかった。 そのあとは全部その場しのぎでやってきた。全力を出したって褒められやしなかったんだから、そう思っていた。中2の秋頃、友達に言われたことが自分のスタイルを変えるきっかけになった。「完全に手を抜いて作った作品よりも、忙しくてもめんどくさくても少し休憩して頭がサッパリしてから作った作品の方が100倍いい。少し休憩するだけ。いいだろ?そうすりゃ下手だろうがなんだろうが自分が何も考えてないものよりいいと思えてくるんだ。」その言葉に、新しい考え方が生まれた。物事って力を少し抜けば簡単になったり、いい方に変えられるんだって。高一のとき、「なんでお前ってそんな適当に生きられるの?」と小馬鹿にされたので、こうアドバイスした。 自分の適当は全部めんどくさいからやらない、じゃなくて"適度に力を抜いて気楽に行こう"ってこと。 全力でもいいけど、そんなことしてたら疲れる。たまには休憩できる時に休むのが一番。課題が明日締め切り?今日中にやらなきゃいけないこと?そんなの知らないって、自分の体を休めて、元気になるのがいいの。 自分は友達に対してもそう。たまにめんどくさくなったら理由をつけて行かないことがある。「行けたら行くは定型文」だけど、自分は行けたら行くで何かない限り行く派。 友達が悩んでいたら、冗談を言って笑わせる。心を"気楽"にしてやるのさ。 助けになってるかは知らないけどね。 心は軽く、物事はきちんとする。それだけで人生楽しくなるかもしれない。だったらやってみなよ、少し力を抜くのはタダなんだからさ。
エアコック
エアコック
どうも。 しょうもないことを小説に書いてます。小馬鹿にしながら何だこれと思って読んでください。コメントとか何かあれば。批判大募集。