イキャメル
19 件の小説人間になりそこなった僕たちに
人間とはなんだろうかと、僕はよく思うことがある。 「お前ら人間じゃねえ」みたいな台詞があるように、人間とは助け合いとか、相手を思う気持ちとか、感心するような行いとか、教養、マナー、倫理みたいな、様々なモノを身に着けた高潔なヒトのこと指し、それらが欠落したヒトは人間じゃないんじゃないかと思った。 しかし、それとともに、人間の美しさには醜さも含まれているとも思う。欲望の末の破滅とか、貧困故の犯罪とか、絶望故の自殺とか。とても文学的で醜さこそ美しく、この醜さこそ人間らしいとも僕は思う。 最早これには答えなどなくて、だからこそ宗教とか思想とかがいくつもあるんじゃないかと思う。 どちらを信じるかは僕次第。 「ねえ、今何考えてるの」 セックスを終えて二人で同じベットで寝ていた。 「僕たちが人間かどうか」 「賢者タイムってことね」 彼女は僕のほっぺをつねって変顔をさせてきた。 「寝かせてくれ」 「キスして良い?」 無理と言おうとしたが、言い終わる前に無理やりキスしてきて、しょうがなく舌を絡ませる。 「亮くんのこと、大好きだよ」 「俺もだよ」 と言いつつも、好きなのかわからなくなった。 僕にはこの女の子との未来が思い描けなかった。 彼女の好意をセックスするために踏みにじって、いつか来る別れを想像する自分自身を、クソだなと思う。 高潔なヒトのことを人間というならば、僕は人間になり損なっている。 そう思うとこの女が邪魔に思えてきた。 ここで別れたほうが、この女のためでもあるだろう。 そう身勝手で自己中心的に相手の気持を決めつけ、明日の朝消えようと決意して寝た。 朝そっと女を起こさないようにとベッドから出て、脱ぎ捨ててあった昨日の服を着て女のアパートを出た。 よれよれで若干臭ったから軽く香水をつけ、コンビニに入った。 サンドウィッチとほぼ佐藤のコーヒーを持ち、レジに向かう。 煙草の棚を見ながら煙草はまだ残ってたよなと思った時、しまったと思った。 女の部屋に煙草とライターを置いてきてしまった。 煙草はいいのだが、ライターがそこそこな値段するもので、捨てるのには惜しいがあそこに戻るのもなと迷った後、しぶしぶ諦めた。 もうこの際煙草もやめよう。 電話がかかってきた。 女からだった。 別れのメッセージを送ってからブロックしたが、別のSNSの方もブロックするのを忘れていた。 「もしもし。どうした?」 「どうしたじゃないよ!私の何が悪かったの!?」 「君は何も悪くないよ。全部俺の問題」 「なにそれ、意味わかんない」 「俺は君のことを好きって感情がわからないんだ」 言ってて手と声が震えてきた。 スマホのスピーカーから音が出ていることだけがわかる。 無意識に電話を切ってしまい、そのまま全部のSNSをブロックした。 やっぱり煙草が吸いたくなって、セブンスターとライターを買った。 僕は大学で化学を専攻していた。 指定校の中でそこそこ偏差値が高いからという理由だけで選んだから、たいして化学には興味がなかった。 幸い、そこそこの交友関係と要領の良さで落第生となることは無かったが、授業が味気なさすぎてずっとYouTubeで猫の動画を観ていた。 いつものように1番外の前から3列目の席に座ると、いつもは空いている隣の席に知らない女が座ってきた。 「君、佐藤くんだよね?」 「そうだけど、君は?」 「同じ専攻の五十嵐だよ。なんで知らないの」 たしかに、よく見ると見たことある顔だった。だが、はじめて見たときよりも垢抜けていて気づかなかった。 「で、何の用?」 「私、美琴の友達」 ああ、怠いのが始まったと思った。 「それで?」 「なんで美琴のこと振ったの」 「別に好きな人ができた」 てきとうな嘘をついた。 「氣分は冷めてたのに美琴とヤって、頃合いを見て振ったってわけ?」 「そうなるね」 「自己中だね」 そうだな 「美琴の友達なら、美琴の部屋に忘れてきたライター取ってきてくんね」 「いいよ。その代わり、ちょっと付き合って」 なにするんだと聞こうとしたタイミングで教授が入ってきて、話が遮られる。 五十嵐が器用にLINEのQRコードを見せてきて、そのQRコードを読み取ると夜の路上で背中を向けて撮った写真のアイコンと五十嵐結愛というフルネームのプロフィールが出てきた。 猫のスタンプを送ると、よろしく、と文字だけ返ってきた。 <今日の六時にサイゼリヤに集合ね <なにするんだ <デート どうやら教える気は無さそうだった。 味気ない授業を聞き流し、家に帰るのも億劫だったから街ブラしてサイゼリヤで飯を食べることにした。 ピザとハンバーグとカタツムリの焼いたやつみたいなのを頼んで、イヤホンをした。 僕はあまりスマホゲームをやらないどころか、SNSもアカウントはあってもアプリをアンインストールしている人間だから、スマホの中の娯楽は音楽を聴くか、小説を書くかのどちらかだった。 僕は小説が好きだ。 物語を書くことで、自分自身を救えると思う。だからこそ物語を完結させたいのだが、どうにも最後まで書けないのだ。 原因は分かっている。 僕はハッピーエンドが書けない。 人の醜さや、悲劇、トリックは書けても、物語のかさ増しのような文章や、主人公や脇役が救われる話を書けない。 それは多分、主人公に自分を投影していて、自分がどういう場面や状況になったら救われるかを想像できないからだと思う。 僕は僕がどうなったら救われるんだろうか。 何を思っても結局虚しいだけなんじゃないか。 「マルゲリータピザとエスカルゴのオーブン焼きです」 店員が注文したものを持ってきたが、僕はその声に聞き覚えがあった。 顔を上げると、サイゼリヤの制服姿の五十嵐がいた。 「お前ここでバイトしてたのかよ」 「そうだよー」 「制服似合ってんな」 「ありがと。あと40分ぐらい待っててね」 五十嵐は美琴よりも整った顔立ちをしていた。 ウルフカットで、前髪を分けていて、インナーをシルバーに染めていた。胸も結構大きい。 そのせいか、別の学部を専攻している友達に彼女のことを聞いても知っていた。 「ああ、あの子ね、知ってる知ってる。五十嵐だっけ?なんか、俺の学部のクズヤリチンと付き合ってるらしいわ」 まあ、あの感じは結構男慣れしてそうだった。 俺俺は五十嵐がなんとなく嫌いだった。 「お待たせー」 「待ちくたびれた」 「ごめんね?」 あざとく上目遣いで言ってきて、なんとなく嫌悪した。 「いいよ。で、何すんの」 「実は、愚痴聞いてほしい」 なんだそれ。 「別に、俺じゃなくたって愚痴聞いてくれる友達ぐらいいるだろ」 「君の話聞いてる感じ、私の彼氏に似てるんだよね」 終わっている。 「クソみたいな情報だな」 「で、愚痴を聞きつつ彼氏目線でアドバイスとか欲しいなって」 「わかったよ」 そうして二人で居酒屋に入った。 「彼氏目線でアドバイスすると、他の男と一対一で居酒屋行ってる時点でだいぶクソだぞ」 「べつに、そんな気なんて無いし」 「それでもだよ」 こいつ終わってんな。 「言っとくけど、お持ち帰りなんてしないでね」 「彼氏持ちに手出す気なんてねえよ」 俺の言葉を聞いて安心したのか、カシオレとレモンサワーをハイペースで飲んですぐに顔を真赤にしていた。 「私の彼氏さー、エッチしたいときにしか連絡こないし、連絡しても既読無視か一日2日経ってから返事したりとかでクソ」 「クソっていうぐらいだったら別れりゃいいだろ」 「離れられないぐらい依存してるし大好きなの」 終わってる。 好きになったら負け、依存したら負けとはよく言ったものだ。 「しかもね、私には他の男の連絡先とは消させて、授業中でも話すの禁止って言ってるくせに、自分は他の女と飲みに行ってるし、やめてって言ったらじゃあわかれるか』って言われて、どうしようもなくて許しちゃってるし」 「ほんといいように扱われてんな」 そして俺も、こいつが彼氏に嫉妬させる材料にしようとしてるのが想像できて嫌になってきた。 「そうだ、ライター返してくれ」 セブンスターの箱から一本取り出し口にくわえると 「火つけてあげる」 と、俺のライターで火をつけてきた。 その様子が手慣れていて聞いた。 「彼氏にも同じことしてんのか?」 「うん。火つけるの上手かったでしょ」 「上手かったよ」 「はじめのうちは上手くつけられなくて、よく切れられたなー」 俺目線でも、こいつの彼氏は結構な屑だし、それに依存してるこいつもクソだな、と思った。 「どうしたら、彼氏にちゃんと扱ってもらえるかな」 「無理だろ」 ここまで従順で、依存してて、かわいい女を自分は対価も払わずに支配できてると現状を、わざわざ対等にすような男はクズ男の中にはいない。 「そっか」 彼女は悲しそうな顔をして、スクリューを注文した。
悲劇に呼ばれて
人は誰しも、なんらかの欲望がある。一番になりたいとか、金持ちになりたいとか。愛されたいもそうだし、時には、誰かを殺したいもある。 だけど、僕たちはその欲望を妥協したり、納得できる理由を見つけて諦めたりしてうまく付き合っていかないといけない。 僕はできなかった。 そして、多くのものを失った。 これは、そんな僕のくだらない青春の話だ。 起p1 <今日久しぶりにあつまらね?> 授業中に一通のLINEが入った。 <私は行けるよ> しばらくしないうちに、成瀬も乗ってきた。 <僕も行けるよ> このメンツで集まるのは久しぶりだった。 <じゃあ、いつものコンビニ前集合な。その後カラオケ> 了解のスタンプを送って、スマホをしまった。 起p2 いつもは長い授業が、今日は早く感じた。 放課のチャイムが鳴ると同時に、小走りで教室を出る。部室に行って顧問に欠席を伝えて高校を出た。 べつに、集合時間にはとても余裕があったから急ぐ必要はなかったが、なんとなく楽しみな気持ちが、僕の体を突き動かしていた。 多分夜まで遊ぶから軽く物を食べたかった。が、冷蔵庫を開けても何も無い。あるのは牛乳とチーズだけだった。しかたなく牛乳とプロテインを混ぜて飲んだ。全然お腹はふくれなかったが、ないよりマシだと思う。 それからシャワーを浴びて、服を着替えて、お財布とかスマホとかを持って家を出た。 約束の時間より20分ぐらい早くコンビニに着いた。 道中は日差しが殺人光線のように照っていて、汗が止まらなかった。 コンビニの中は冷房がしっかり効いていて天国のように涼しくて、コンビニの中で待ってるねと連絡して涼んだ。 お腹が空いていたから、サンドウィッチとオレンジジュースを買った。これだけなのに600円以上もしたのは驚いた。 最近の日本に、将来が全く感じられない。物価はどんどん上がっていくし、異常気象は毎年のように更新されるし、ニュースもSNSも不祥事やら汚職やら、仕事のストレス、男女間戦争で溢れていた。 高校も対して面白くないが、より面白くなさそうな世界にあと数年で放り出されると思うと嫌にもなる。 昔、どこかの黒人がヤシの木に登ってヤシの実をもぎ取って食べている動画を見たことがある。明らかに日本のほうが先進国で豊かではあるが、心の豊かさは彼らのほうがあるだろう。 僕も彼らのように生きたかった。 起p3 そんなことを考えながらサンドウィッチを食べていると、背の高いスラッとした男が入ってきた。茶髪のウルフカットで、少し猫背気味。 僕はその男を知っていた。 男は飲料コーナーに行くとコーラと缶チューハイを手に取り、ビーフジャーキーも摘んでレジに向かった。 少し虚ろな、しかしその行動が普通であるかのような雰囲気で店員に 「701番。袋ください」 と言った。 20歳以上を確認するパネルをなんの躊躇いもなく押し、店員も何も疑問がなさそうに会計を言い、男はSuica払いをしてレジを立ち去った。 男が少し周りを見渡したあと、コンビニを出ようとした時、 「天瀬!」 と彼を呼ぶ声がした。 「成瀬、久しぶり」 「久しぶり!光琉は?」 「見てないな。もういるはずだけど」 「天瀬、成瀬、こっち」 二人に声を掛けた。 二人の視線が僕に向く。 そして、 「光琉ー!久しぶりー!」 「お前相変わらず背ぇ低いなあー!」 と言っていっぺんに抱きついてきた。 成瀬のいい匂いがした。 「ちょ、二人とも、暑い」 ごめんごめんとふたりとも離れ、空いている席に座った。 「このメンバーで集まるのすごい久しぶりだね」 そうな、と、天瀬は買ったコーラを開けて飲んだ。 「光琉は高校どう?」 そう言って僕の瞳を覗く成瀬は可愛かった。 僕がボブヘアが好きなのもあるが、もともと成瀬は万人受けするような顔立ちをしている。 「ぼちぼちかな」 「そっかー、まあ、私がいないしね」 こういう、変に自信のある本音か冗談かわからない言動をよくするんだったと思い出した。 そうかもねと適当に返して、オレンジジュースを口にした。 「光琉はほんとオレンジジュース好きだよな」 「オレンジジュースが好きっていうか、炭酸が飲めないんだ」 「へぇー。もったいな。コーラ美味いのに」 炭酸を飲もうとすると、変にむせてしまうのだ。 「二人とも、昔と変わらないね」 成瀬が感慨深そうに言った。 「昔っつっても一年前ぐらいだろ?そんなんで人が変わるか?」 「そうかもだけど、なんか、すごく久しぶりにあった気がするからさ、」 それもそうな、と返して天瀬は席を立った。 「そろそろカラオケ行こうぜ」 成瀬も立って、ドアの方へ向かう。 「光琉も早く行こ」 そう言われて立った。 サンドウィッチのゴミを捨てて、外に出る。 さっきまでひどく照っていた太陽は山に沈みかけ、きれいな夕焼けができていた。 起p4 カラオケに来るのはそれこそ一年ぶりだ。中学最後に天瀬たちとカラオケに行って以来行っていなかった。 成瀬はお手洗いに行ってくると言ってカラオケルームに入る前に分かれた。 天瀬はカラオケルームに入るや、照明を消し、冷房を最低温度にした。 そして、さっき買っていた缶チューハイを開け、ドリンクバー用のコップに注ぎだした。 「天瀬、酒飲んでるんだな」 「まあな。人生がつまらなすぎてやってらんねー」 その気持は僕も共感できた。 「いつもああやって買ってるの?バレない?」 「この辺は年確されねーよ。街行くとたまにされるけど、持ってないって言ってすぐ出てく」 常習犯っぽさそうだった。 「お前も飲むか?」 今まで飲んだことがなかったから、少し興味はあった。 天瀬は返事を聞く前に僕のコップに酒を注いでしまった。 「成瀬には秘密な。あいつうるせえから」 「わかった」 乾杯!とコップを合わせ、一緒に飲んだ。 レモンの味と少しのアルコール臭。 飲み込もうとした途端、炭酸が喉を襲った。 むせている僕を、天瀬は笑っていた。 「ちょっと!天瀬なにしたの!」 丁度成瀬が戻ってきた。 「別に、なんもしてねーよ」 「大丈夫、コーラ飲んだだけ、」 「そう?何もされてないならいいけど。飲めなさそうだし残りは私が飲んどいてあげるね」 そう言って成瀬は僕や天瀬が止める間もなく、コップに入っていたお酒を一気飲みした。 天瀬は焦ったような顔をしている。 直後、 「コーラじゃないじゃん!てか、お酒じゃん!」 少し驚いたような、怒こったような声で喚いた。 「なんでこんなもの飲んでるの?」 成瀬の顔は暗くて見えないが、怒っているのはわかる。 「いや、その、、」 たじろぎながら天瀬に視線を向けた。 天瀬はそっぽを向いていた。 その視線に成瀬は気づき、 「天瀬が飲ませたの?」 と静かに聞く。 天瀬は答えない。 成瀬は容赦なく天瀬の腹を殴った。 みぞおちに入ったのか、天瀬は長ソファーにうずくまった。 「光琉になに飲ませてんの?殺すよ?」 「別にいいじゃねえかよ。もう高二だぜ?」 「よくない。私達が好きな光琉がどんなか忘れたの?」 天瀬は少し黙ったあと、ごめん、と言いソファーに座り直した。 「じゃ、歌おっか」 さっきとは別人のように成瀬は明るく言った。 「成瀬、さっきお酒一気飲みしてたけど、大丈夫?」 「私はお酒強いし大丈夫だよ」 成瀬もお酒飲むんだ。意外だった。 起p5 天瀬はバカでかい声で失恋曲を熱唱している。言っちゃ悪いが、めちゃくちゃ音痴だった。 それを聴いて成瀬は爆笑している。 点数は63点だった。終わっている。 「天瀬歌下手すぎだろ笑」 「うっせー。じゃあ次お前が歌えよ」 「私カラオケめちゃ上手いの知ってるでしょ?」 そう言って成瀬は最近流行りのアニメの主題歌を入れた。 巷ではめちゃくちゃ難しいと聞く曲だったが、成瀬は宣言通りの上手さで歌っていく。 さっきまでギャーギャー言ってた天瀬も静かに聴いていた。 94点という理解できない得点を叩き出し、余裕そうにストローでカルピスをチューチュー飲んでいる。 「インチキだろ、、」 天瀬は戦慄していた。 僕も、この後に歌いたくはない。 「二人とも歌わないの?ならもう一曲歌っちゃお」 タッチパネルを素早く操り新しい曲を入れていた。 「ちょい、トイレいってくる」 僕も行くと言って天瀬についていった。 小便器に二人並んで用を足す。 さっきまで暗い部屋にいたからわからなかったが、天瀬の皮膚が赤い。 「天瀬酔ってる?」 「いや、そこまで」 「赤いよ」 「お前もな」 そう言われて鏡を見て、初めて自分も赤いことに気づいた。 「家帰った時バレないかな」 「大丈夫だろ。もうすぐ消える」 そういうものなのか。 トイレを出ると、天瀬はカラオケルームに向かわなかった。 「どこ行くの?」 なにも言わなかった。 仕方なくついていくと、外にむき出しの非常階段に出た。 ポケットから煙草の箱を取り出し、器用に一本取って吸い始めた。 とても虚ろな目をしていて、慣れたように煙を吸ったり吐いたりする姿は様になっていた。 「なんていうやつ?」 「セッター。セブンスター」 名前だけは聞き覚えがあった。 「タバコって美味しいの?」 「別に」 「じゃあなんで吸うの?」 「嫌なことを忘れられるから」 ちょっといいな、って思った。 「お前は20になるまで吸うなよ」 「わかってるよ、それくらい。ていうかタバコ嫌いだし」 「なら安心だ」 天瀬は軽く笑った。 承p1 喉が枯れるまで三人で歌った。 天瀬と成瀬は追加の酒を飲んで更にハイになって、めちゃくちゃはしゃいでいた。 僕も飲みたかったけど成瀬が飲ませてくれなかった。 気づけば9時を回っていて、そろそろ解散するかとなった。 帰りにまたコンビニに寄った。 三人でアイスを買って、公園で食べた。 成瀬はブランコに座り、天瀬はすべり台の頂上で煙草を吸っていた。 「天瀬、煙草は辞めろって言ったよな?」 少し怒ったように成瀬が言った。 「お前は自分以外の人間に首を突っ込みすぎだ」 天瀬は軽くあしらう。 「なにそれ、友達の心配して何が悪いの」 「余計なお節介。まだ友達って思ってたんだな」 少し馬鹿にしたように天瀬は言う。 「友達じゃん。なんでそんな事言うの」 成瀬の声は少し震えていた。 「あんなことがあったのに、よく言えるな。俺がお前なら言えないけどな」 「天瀬と私は違うの。一緒にしないで」 「はいはいわかったよ。好きにすればいい。俺は俺の生きたいように生きる」 そう言って天瀬は滑り台を滑り、公園から出ていこうとした。 「じゃあな光琉!また今度な」 さっきと空気が違いすぎて呆気に取られてしまい、上手く返事ができなかった。 承p2 成瀬が泣きながら抱きついてきた。 「私は、天瀬を救いたいだけなのに」 天瀬のような人間を、他人がどうにかできるものなのだろうか。 「やっぱり、私が悪いのかな」 「そんなことはないと思うよ」 わからない。救おうとすることが正しいのか、間違っているのか。 「やっぱ私には無理だよ。ねえ光琉、一つお願いしていい?」 「いいよ」 「天瀬を救って」 承p3 私は中学の時、天瀬と友達だった。 西川という共通の友達がいて、その繋がりで知り合った。 聞いた話では天瀬はサッカー部で、授業は殆ど寝ている。そのくせテストは毎回学年上位。付き合った人数は二桁いってて、女たらしみたいだった。 「成瀬さんであってる?」 彼が初めて声をかけてきたのはカラオケルームでだった。 西川が私達のカラオケに彼を誘ったのだ。 「合ってます。成瀬綾香です」 「いい名前だな。俺も天瀬じゃなくて成瀬が良かった」 「じやあ成瀬と結婚すればー?」 からかうように西川が言う。 「それもいいね」 天瀬が優しく笑いながら言った。 私はその言葉の意味に戸惑っていると 「このクズ。成瀬ー、こいつの言動なんて信じないほうがいいよー」 「そんな事言うなよ。何もしてないじゃん」 と始まった。 「天瀬くんはそんなにクズなの?」 聞くと、 「クズだよー。元カノの妹に手を出したり、浮気したり色々してるよー」 「あんま広めんなって。だるい」 一応本当ではあるんだ。内心噂が本当で驚いている。 「最低だね」 思ったことが口に出てしまった。 天瀬は一瞬傷ついたような顔をした後、馬鹿にするように 「そうだな。死んだほうがいい」 と言った。 それが冗談なのか本心なのかわからなかった。 承p4 少し気まずい雰囲気だったが、 「じゃあ、そろそろ歌うかー!」 と、西川が強引に雰囲気を変えてくれたおかげでなんとかなった。 「ちょっとお手洗い行ってくる」 天瀬は逃げるように行ってしまった。 西川はほっとした表情になり、 「天瀬も結構メンヘラ気質っていうか、病み性っていうか、綾香と似てるからさ、まあ、仲良くしてやってよ」 と漏らした。 私の思うメンヘラはネチネチしていて、根暗で、うるさくないイメージだった。 私から見た天瀬と教えられた天瀬の内面との差が大きくて信じられなかった。 しばらく二人で歌っていると、ドアがおもいっきり開けられて、天瀬が笑顔で入ってきた。 横割りで曲を入れると、コーラを一気飲みして歌い始めた。 音程も歌詞もめちゃくちゃで、歌うというより叫んでいるという方が近かった。 さっきまでとは別人のようで困惑していると、 「おい天瀬!また飲んだのか?」 「うるせぇー!!」 「お前のほうがうるせぇー!」 と、天瀬のマイクを奪い取った。 奪い取られた天瀬は長ソファーに横たわり、幸せそうな表情で目をつぶった。 「飲むなって言っただろ」 「最高の気分」 「私は許可してない」 「これがないと生きてけないよ」 何の話かわからず困惑していると、西川が天瀬のバックから紙箱を取った。 「なにそれ」 「メジコン。天瀬はODやってるんだ」 「ODって、オーバードーズ?」 名前だけは聞いたことがあった。 薬を過剰摂取して気持ちよくなれるって聞いたことがある。 「天瀬くん。ODは駄目だよ」 をつぶっていた天瀬が少し目を開け、瞳の奥を覗くように私の目を見た。 「つまんな」 そう言ってポケットから薬を出して、私に向かって放り投げた。 薬は私の服にあたって、音を立てて床に落ちた。 「ODやめてみるよ」 天瀬はそっぽを向きながら言った 西川はニコニコしながら親指を立ててきて、なんとなく私も親指を立て返した。 「天瀬のこと、頼んだ」 そんな事を言ってきたから 「なんで私?」 と聞き返すと 「天瀬が素直に言う事聞いたから」 「別に、初対面だからじゃないの?」 「いや、天瀬は相手がどうだろうとやりたいように生きるから」 言われてみれば、人に従うような人間ではない。 「よし、俺と親友になろう」 天瀬が握手してきた。 この時、私がODを止めなければ良かったのかもしれなかった。 結果から言えば未来は何も変わらないし、ハッピーエンドなんて訪れなかった。 承p5 「光琉。気をつけてね」 今光琉は、新たな被害者になりつつある。 私の次の依存先として天瀬に認知されていると思う。 私にとっても、光琉はかけがえのない人間だった。 そう思うと自分が憎らしかった。 それでも、私にできることはしようと思う。 「じゃあ、続けるね」 承p6 その日はそのまま時間いっぱい歌って、最後に天瀬とLINEを交換して解散した。 次の日、学校で天瀬が私の教室に来た。 私の学校は生徒数が多く、同学年でも新校舎と旧校舎で分かれている。 天瀬は旧校舎、私のクラスは新校舎にあったから、基本的には同じ校舎内の人間しか見ないのだが、別校舎、しかも天瀬ということでクラスには異様な雰囲気が漂っていた。 「なぁー、面白い漫画か小説ない?」 天瀬はそんな雰囲気も気にせず話しかけてくる。 「『骨が腐るまで』とか『カゲロウデイズ』とか?」 「カゲロウデイズは面白かったな。アニメはじっくり話数をかけてリメイクして欲しい」 意外にも共感できて、その後もアニメとか漫画の話で盛り上がることができた。 好きなアニメ、漫画、本、推しのこととか、好きな音楽とか。 私と天瀬はよく似ていた。 そうして何日も過ぎたある日、いつもとは様子が変な状態で天瀬が来た。 ふらついていて、どこを見ているかわからない。 「天瀬どうしたの」 「薬、飲んだ」 「学校で?」 「うん」 こいつマジか。 学校でも飲んでるとは思わなかった。 「保健室行く?」 「行かない」 「行ったほうがよくない?」 「うるさい。行かないって言ってんだろ」 「ごめん…」 急に当たりが強くなって、反射的に謝ってしまった。 「なあ」 天瀬は震えた声をしていた。 「俺のこと捨てないで」 「捨てないよ」 「嫌いにならないで」 「嫌いにならないよ」 それが本心かは分からない。 だが、それ以外に掛ける言葉は無かった。 天瀬は安心したような顔をして、ありがとうと言ってどこかへ行ってしまった。 承p7 週末、街に来ていた。 天ヶ瀬が学校で薬を飲んだ日の夜、天瀬からLINEが来た。 <今日はごめん> <大丈夫だよ> <今週末、会って話したい> <いいよ。土曜日の13時に駅前のカフェ集合ね> ということで今日に至る。 「よう成瀬」 背後から声がした。 「天瀬、もう来てたんだ」 「成瀬がそれ言うか?」 私達は二人揃って、集合時間の30分前に着いていた。 「まあ、入るか」 天瀬はカフェラテとクッキー、私はソイラテだけ頼んで席に座った。 「じゃあ、何から話す?」 「俺さ、死のうと思うんだ」 予想外の切り出しに困惑する。 「そろそろいいかなーって。退屈からも辛いことからももう逃げ出したい」 「みんな悲しむよ」 「みんなって?」 「親とか、友達とか」 「あんなカス共が悲しむぐらい、どうってことないし、悲しんだとしても今まで金かけたのが無駄になったっていうことぐらいだろ。それに、悲しんでくれるほど仲の良い奴もいないよ」 「両親と仲悪いの?」 「悪いね。俺がこうなった原因の大部分はあいつらだよ」 「なんで?」 「あいつらデキ婚でさ、昔から家庭内紛争。今は休戦して家庭内別居」 「なかなかだね。私の親も結構酷いけど、天瀬の家はもっと酷いね」 「成瀬の家も酷いの?」 「結構な母親は過保護なモラハラ人間でさ、父親は単身赴任でほとんど帰ってこない」 「結構怠いね」 「でしょ」 「まあ、そんなわけだから、人生は退屈だし生きるのは苦しいし、もういいかなって」 「天瀬、頭いいんだし高給取りになって見返せばいいじゃん」 「なんかもう、全部が怠いんだよな。夢とか、希望とか、やりたいこととか、なにもないし、なにも思いつかない。 「これから探せばいいじゃん」 「あるかもわからないもののために、生き地獄を味わい続けろって?」 「違う、私達まだ中学生じゃん。まだ何も知らないクソガキなんだよ。天瀬は世界を知った気になってるだけだよ」 「成瀬もTwitterやってるだろ。大人たちが俺達よりも苦しそうにしてるんだ。みらいに救いはないよ」 「私は天瀬が死んだら悲しいよ」 「だからって、その思いだけで生きるのを頑張れるほど俺は強くない」 「強くなくたっていいんだよ。多分、大多数の人間は弱いよ。だからこそ助け合って、支え合って生きてるじゃん」 「誰に頼ればいいんだよ。俺には頼れるほどの友達なんていない」 「私に頼ればいいじゃん」 「成瀬一人に俺のすべてが支えられるとは思えない」 「少しは頼ってよ」 「頼っていいの?」 「いいよ」 「ありがとう」 「ただ、約束してほしい」 「何を?」 「死なないこと。ODしないこと」 「わかった」 気づいたら結構な時間が過ぎていた。 買い物もしたかったし、そろそろ出たい。 「ねえ、このあと買い物付き合ってよ」 「いいよ。どこ行く?」 承p8 「天瀬は多分、誰かに依存したかったんだと思う」 「そうかもしれないね」 ずっと助けを求めていた。 私がするべきだったのは正論で真っ当な道に進ませることではなく、共感して落ちることだったのかもしれない。 私は彼に依存されると同時に、彼に依存していたのかもしれない。 彼が沈んでいたから私はまともでいられたし、彼が私を頼ってくれたから私は変な優越感に浸って現実逃避してストレスの発散ができた。 「僕はどうすればいいのかな」 「光琉はそのままでいればいいよ」 「そうなのかな」 光琉は、私達には無い何かがある。 私達は光琉のその部分に惹かれた同士だ。 だから、光琉なら天瀬をどうかできるかもしれない。 「そろそろ遅いし、帰らない?」 光琉に言われて時計を見ると、10時を回っていた。 私もある程度気分が落ち着いてきたし、そろそろ帰ろうか。 「また今度話そっか」 「そうだね」 バイバイと言って別れた。 承p9 成瀬がした話が頭から離れない。 あの日からこの一週間、ずっと天瀬のことを考えている。 天瀬は大切な友達だ。 だけど今は天瀬が怖い。 それは多分、天瀬という人間が理解しきれない、得体の知れない存在になってしまったからだと思う。 天瀬と何か話したくてLINEで文章を入れては消してを繰り返していた。 その時、 <なあ、今日の夜会わねえ?> と天瀬からLINEが来た。 元から天瀬のLINEを開いていたから、既読速すぎと突っ込まれてしまった。 <いいけど、どうしたの?> <なんか、二人で会いたくなった> カップルかよ。 <じゃあ、前の公園でいい?> 未だに天瀬はスタンプを買っていないらしく、初期スタンプのOKを送ってきた。 公園に着いたときにはすでに天瀬がいた。 「ごめんな、突然呼び出して」 「いいよ。僕も会いたかった」 天瀬は自販機でコーラを買って、ベンチに座った。 「お前、前集まった後成瀬となんか話した?」 なんて言えばいいのだろうか。まさか、天瀬の暗い過去を聞いたなんて言えない。 「べつに、なにもないよ」 「成瀬が、俺がお前を傷つけたら許さないってLINE来たんだよね」 「ごめん、天瀬の話聞いた」 そっか、と少し悲しそうな笑顔でこぼした。 プシュ、と、コーラのフタを開ける音がした。 「そっか、光琉には隠しておきたかったんだけどな」 「べつに、知ったところで嫌いにならないよ」 「マジ?」 驚いたような、気味悪がるような表情をしていた。 「普通なら引くと思うんだけどな」 「驚きはしたけど、まあ天瀬だし、で納得できる」 それを聞いて天瀬は安心したようにコーラを飲んだ。 「なあ、俺は生きてていいのかな」 天瀬が星を眺めながら言った。 「勝手に産み落とされたんだから、生きる権利はあるんじゃない?」 「俺は沢山の人を傷つけてきた。そして、これからも傷つけていくと思う」 「天瀬はどうしたいの?」 「死にたいし消えたいし、どこか遠くに行きたい」 「暗いな」 「あとは、音楽と、小説を作りたい」 「いいじゃん。天瀬なら何でもできるよ」 「あと、旅に出たい。海の見える街に住みたい」 「それは僕も思うよ」 急に天瀬がハグしてきた。 顔を胸に抱き寄せられると、天瀬の服からは微かに煙草の匂いがした。 「光琉、話がある」 「なに」 「俺はお前が好きだ」 どういう意味かわからなかった。 友達としてなのか、性的なのか、それとも別の何かなのか。 僕が困惑していると、天瀬は続けて言った。 「俺と付き合ってほしい」 承p10 <天瀬に告白された> <え?> <付き合ってほしいって> <で、なんて答えたの?> <OKした> <マジ!?> <なんでよ> <いや、ROMとしてBLカプ誕生したことに歓喜> <そういえば成瀬そういうの好きだったっけね> <ていうか、光琉はゲイでもバイでもなかったよね。なんでOKしたの?> <なんでなのかな、僕にもわからない> <なにそれ> 実際、本当になんでかわからない。 昨日好きって言われた時、僕の中の何かが満たされるのを感じた気がした。 <まあとにかく、気をつけてね> <もっと天瀬のことしりた> 「光琉くん」 文字を打っている最中に名前を呼ばれてはっと顔を上げる。 教師が見回りに来ていて、横の女子がそれを教えてくれていた。 僕の高校は構内でのスマホの使用が禁止されていた。 とはいえ、教師の見えないところでみんな使っているけど。 多分、彼女が教えてくれなければ僕はスマホの使用が見つかっていたと思う。 承p11
夏と罰#7
両親が不仲で、家に居場所がなかった私は、必然的に学校が居場所になった。 だけど、幼少期に親と適切な交流ができなかったから、コミュニケーション能力が欠如していた。 だから、私が他の人と話そうとしてもうまく話せなかった。 多くの人ができる、ありふれた日常会話すら、私には難儀だった。 多分、ここでどうするかが、嫌われる人間になるか、目立たない人間になるかの1つの分岐点になっているんだと思う。 他人との交流を諦めて、自分自身で完結できていれば、ただの目立たない人間に成るだけで済んだのだろう。 問題は、私にはないコミュニケーション能力を使ってコミュニケーションを取ろうとしたことだ。 中学生の頃に「友達じゃないのに無理矢理輪の中に入ろうとするやつ」とか「用がないのに自分の周りをうろついたり、自分をチラチラ見てきたりするやつ」とか「価値観がズレてて話にならないやつ」とかを見たことがある。 私自身、そういう人達は嫌いだ。 でも、小学生だった頃の私は、そういう人間だった。 遊びに行く話をしている輪の中に無理矢理入って 「どこに行くの?私も行かせて」 って勇気を出して言ったけれど、勿論そんなの嫌われるに決まっていた。 そんなこととは知らずに小学校生活を送った。 だから、私は彼らの気持ちもよくわかる。 それでも彼らを見るのは嫌だった。 過去の私を見ているみたいで。 そんな私に変化があったのは中学入学の時だった。 小学校高学年の時点で、人間関係に対する違和感はあった。 周りが一線引いているような感じで、本音で喋ってない感じがしていた。 中学入学と同時にスマホを買い与えてくれた。 そこで、私は人と上手く関われないことについて調べた。 そこには、私の人生を否定するような“正論”が書かれていた。 私は泣いた。 自分がやってきたこと全て裏目に出ていたと知って。 そこで、もう一生懸命人と関わろうとするのはやめよう。そう決めた。 初めのうちは寂しくって、人に話しかけようとする衝動が抑えられなかった。 その度に、お前は人と関わるべき人間じゃない。失敗するだけだ。って思い続けた。 自分を守るための言葉が、いつしか自己否定に変わっていった。 お前は出来損ないだ。努力したって無駄だ。死んだ方がいい人間だ。 もう1人の自分が囁き続けた。 私が静かになった頃、私の周りに人が寄るようになった。 皮肉か? 神様は私を玩具だと思っているらしい。 いくら人が寄ってこようが、私は受け答えしかしなかった。 そうすると、何故か更に人が寄ってきた。 とある、最近読んだ本に 「情報社会となって、スマホからでもなんでも情報を仕入れることができるようになった。その結果、人から情報を欲しがることは減り、相対的に人に話す欲の方が増えた。 だから、現代においては博識よりも聞き上手の方が人間関係においては需要が高まっている」 というような内容のことが書いてあった。 つまり、そういうことなんだろう。 私は受け答えだけしかしない。 人々は話を聞いてくれる人を探している。 私は適任だったのだ。 昔私を避けていた女子達も寄ってくるようになって、そのうちの1人は 「凄く丸くなったね」 と私に言った。 昔の事を聞いたら、赤面してしまうような事ばかりしていて、でも自分は変われたんだと思って嬉しかった。 あんまり周りに人がいると、喋りたくなる気持ちが抑えられなくなる。 そして、喋ってしまった時のみんなの表情。 今でもフラッシュバックする。 ある時、1人の同級生の男子が私の事を好きだという噂が流れた。 その男子は多くの女子から人気があって、人生を謳歌しているような人だった。 私は嬉しさでいっぱいになって、日々の生活が楽しかった。 彼は私に告白してきた。 私はYESと答えて、付き合うことになった。 放課後一緒に帰ったり、週末一緒に出かけたり。 でも、そんな楽しい日々はすぐに終わった。 私を妬んでいた女子達の中に、小学校の頃の「イタイ青木累」を知る人が複数人いた。 噂というか、過去の事実を流し始めた。 イタイとはいっても、過去の話だし誰にでも黒歴史はあるだろうと考えてた。 彼も、そんなことで私を嫌いになんてなるわけないと思ってた。 でも違った。 彼は自分自身の株を守る為に私を振った。 「お前といると俺にまで悪い影響がくる」 って吐き捨てて。 その時、人間の恐ろしさを改めて思い知った。 これが私のトラウマだった。
夏と罰#6
「3ヶ月後ぐらいにお祭りあるって本当?」 ろくに話せる友達がいなかったから、私は祖母に聞いた。 「うん。8月の5日にあるよ」 スマホのカレンダーの8月5日に「お祭り」と書き込んだ。 「友達に一緒に行こうって誘われたんだけど、浴衣とかって持ってないかな」 「えーっと、浴衣ね、あったはずだよ」 祖母は自分の部屋に行き、押し入れの中を探し始めた。 少し待っていると、 「あったよ」 と言って浴衣を見せてくれた。 椿柄の綺麗な浴衣だった。 「昔はよく着たんだけどね、この歳じゃあもう着ることはないから、かさねちゃんにあげるよ」 「ありがとう。大切にする」 「お祭りまでに仕立てておくから、楽しみにしておいてね」 この場所に来てから、私の心は希望に満ちていた。 3ヶ月後のお祭りが待ち遠しくて仕方がなかった。 しかも、男の子と。イケメンの。 他の女子に妬まれるとか、どうでも良くなくなってきた。 けちょんけちょんにされた自己肯定感が少しずつ回復しているのを感じる。 一瞬、そんな自分に嫌気が刺した。 もう1人の自分が言っていた。 「だからお前は虐められるんだ」って そして、私の記憶が蘇った。
夏と罰#5
学校生活にも慣れ始めた。 光瑠のお陰で、入学当初のような異質感は結構薄まっている。 光瑠には感謝しかないが、毎日話しかけられるのは少し嫌だ。 なんか、他の女子からの目線が冷たいように感じる。 「なあ、累の好きなタイプはどんなん?」 なんて聞かれたら日には、背中に刃でも刺されてるんじゃないかってぐらい視線を感じた。 多分、光瑠のことが好きな女子は少なくない。 だからこそ、毎日話しかけられるのは少し嫌なんだ。 というか、少しどころかできれば拒否したいぐらい嫌だ。 新しい高校になったのに疎外されたくない。 「なあ累。今度この地域のお祭りあるけど、一緒に回らん?花火もあるで」 またヘイトを買いそうな誘いが来た。 「お祭りなんてあるんだ。いつ?」 「3ヶ月後」 めっちゃ先の事じゃん。 「すごく先じゃん」 「無理か?」 無理かと聞かれて無理と言うことは私にはできない。 「多分、行ける…」 「よっしゃ決まりな!」 3ヶ月後はちょうど夏休みだ。 お祭りなんて、ほとんど行った事ないな。 浴衣とか着てみたいな。
昔書いていた小説を見つけたので#2
「いつもありがとうね。ゆうちゃん。」 「大丈夫ですよ。また困ったら助けますよ。」 老婆の家まで荷物を運びながらそんな事を言われる。 「じゃあ、僕は行きますので。」 「まって、これ、お小遣い。」 そう言って老婆は財布から2000円を渡そうとしてくる。 「そんな。大丈夫ですよ。ほんの少し人助けをしただけですので。」 「でもゆうちゃん、朝から晩まで働いて、まともに休んでないでしょう?だから受け取って。」 たしかに、朝から晩まで働いているが、それはお金に困っているからではなく、自分が働いていたいからなのだ。誰かの役に立ちたい。それだけなのだ。 「それでは、ありがたくいただきます。ありがとうございます。」 今日の収入。4000円。渋すぎる。1日にだいたい5000円前後稼いで、1ヶ月ほぼ毎日働いているから単純計算月収15万。 「どうしたら効率よく善行を積み重ねられるだろうか」とか考えて「なんでも屋」を始めたが、正直収入はめちゃ渋い。元々さっぱりしてる方が好きだったが、1LDKの俺の住処には何もない。本当に何もない。自炊なんてしないから調理道具もほとんどないし、テレビも冷蔵庫もない。ちゃぶ台と布団だけしかない。ぶっちゃけテレビなんて見ないし、ニュースはスマホでみれるから必要ない。エンタメを観てもドラマを観ても全く楽しめない体になってしまった。この土地が過疎地なこともあって「なんでも屋」の仕事の多くはお年寄りの介護になっている。この土地に来た当時は「介護ってなにすんだよ。」みたいに思っていたが、こなしているうちにノウハウは掴めた。 たまにスズメバチの駆除とか草刈りの手伝いとかがあり、最近では子供の世話まで依頼する人もいる。 「自分でやれよ」とか思うが、子供の世話まで頼めるほど信頼されるようになったと思うとそれはそれで嬉しい。 今日の夕食は何にしようかと考えながらスーパーに立ち寄る。いつも自炊せずに、既製品を買って食べているから、たまには料理するのもいいな。そう思って食材コーナーに入る。ほとんど料理したことがないから簡単なものがいいな。そうだ、カレーにしよう。そうすれば作り置きしておけるし、体にもいいだろう。じゃかいも、人参、玉ねぎ、豚肉をカゴに入れる。ああ、あとカレールー。油もあったかわからないので買っておく。レジで店員さんが話かけてきた。 「悠哉さんじゃないっすか。いつもお世話になってます。食材なんて珍しいですね。カレーですか?いつもは惣菜しか買ってかないのに。」 「そうだね。たまには料理を作ってみてもいいかななんて思ってさ。ただ料理するのは久しぶりだから失敗しそうだよ。」 このスーパーでも、商品を入荷する時の荷物運びなどをよく手伝っている。 「カレーにチョコレート入れるとコクがでますよ。」 「そうなんだ。ちょっと待っててもらってもいいかな。チョコレート取ってくるよ。」 「僕が取ってきますよ。悠哉さんはここで待っててください。」 そう言って若い店員さんは小走りでお菓子コーナーへ向かい、すぐに板チョコを持って帰ってきた。 「チョコレートの種類にも良し悪しがあってですね、ミルクチョコよりもビターチョコの方がいいんですよ。」 「ありがとう。僕の買い物なのに申し訳ない。」 「いいんですよ。いつもお世話になってるんで。あと、板チョコは1ブロックか2ブロックぐらいの少量でいいですよ。」 「それじゃあ今日頑張って作ってみるよ。また手が欲しい時は呼んでね。」 1000円を出して家に帰る。 家といっても、安いアパートで、1LDKの空間しかない。部屋に入り、早速料理しようと思った時、料理するにもこの家には料理をする道具など全くないことを今になって思い出した。どうしようか。この一回の為に道具を買うのはなんか勿体ない気がする。だけど、この家には冷蔵庫もないのでせっかく買った食材がダメになってしまう。 結局、大家さんに借りることにした。本当に申し訳なかった。大家さんに事情を話すと、 「いいのよ、ゆうちゃん。よく夫の農作業も手伝ってくれるしねぇ。いつでも頼ってね。」 と快く貸してくれた。俺は依頼がない日は大家さんの旦那さんの農場の手伝いをしていた。とはいえ、月に数えるほどしかやっていない。それなのに家賃も安くしてくれている。前から思っていたが、歳をとるとどんどん気前よくなっていくのだろうか。どのお年寄りもお菓子だったりお小遣いだったりをいつもくれる。 お礼を伝えて部屋に戻る。改めて厨房に立つ。スマホでレシピを見ながら野菜を切っていく。が、手元から目を離してスマホを見た瞬間、手を軽く切ってしまった。元々手先は器用な方だと思っていたがいつのまにか不器用になったらしい。これくらいの傷ならほっとけば治るが、そのまんまにしておくとお年寄り達が騒ぎ出してしまうような気がしたので一応絆創膏を貼る。それからは順調に作ることができた。 言われた通りにチョコを入れたら本当にコクがでて美味しかった。自炊するのも楽しいな。 皿洗いをし、シャワーを浴びて布団を敷く。布団の中で思い出す。今日した善行の数。4だ。登校の見守り、お年寄りの散歩の付き添い、庭の草刈り、老婆の荷物運び。ノルマの10から6も差がついてしまっている。これで残り7万3695回だ。 なあ。こんな事に意味があるのか?あの日君は「1つの罪悪は100の善行によって赦される」という言葉を俺に残した。だけど本当にそうなのだろうか。僕がたとえ10万回善行を行ったとしても、心が変わっていなければ意味がないんじゃないのか?こんな事を君に言ったら、君は僕に何を言ってくれるだろうか。怒るかな。正しい事を教えてくれるのかな。君に会いたいよ。 病室、君、白井結衣が寝ている。そっとベットに手をかけ、撫でようとした。が、触れた場所が赤く染まった。驚いて自分の手を見たら手が赤く染まっていた。びっくりして後ずさると、足元の「何か」に躓いて転んだ。その「何か」は血を流して倒れている男だった。びっくりしてその場から逃げようとする。でも足が前に出ずにバランスを崩して転ぶ。足をさっきの男が掴んでいる。振りほどこうとするがしっかり掴まれていてほどけない。ゆっくりと引っ張られていく。 突如俺と男のいた場所が穴に変わる。落ちないように何かに掴まろうとするが、何もない。体感10秒ほど落ちると、急に地面が目の前に現れた。びっくりして反射的に目を瞑り衝撃に身構える。が、いつまで経っても激突しない。ゆっくり目を開けると、いつも見る家の天井だった。凄く汗をかいている。またこの夢か。 シャワーで汗を流してから家を出る。いつもよりも1時間ほど早く起きてしまったが、もう一度寝る気にもなれなかった。外はもう陽が登っていて、今日の夢の反対のようないい朝だ。もう10月だというのに全然涼しくない。ひょっとすると11月すら暑いんじゃないかと思ってしまうぐらいだ。冗談じゃない。冗談じゃないといえば、俺が人のために日々を潰している間、国の会議で居眠りしている奴がいるらしいじゃないか。挙げ句の果て に「目が疲れていたので少し目を瞑っていただけ。」「手元の資料が見えづらかったので細目で見ていただけ。」とか言いだすんだろう。なんでそこそこいい地位に立つと私利私欲でくだらないことばっかりするんだろう。本当に冗談じゃない。いや、もしや地位が高くなるからそうなるのではなく、人間は根本的にそうなのではないか?性悪説。そんな気がしてきた。というか、なんかもう疲れてきた。 そもそも誰かに言われて善行をするのは違うんじゃないのか。そんなものに意味などあるのか。もういいじゃないか。過去に囚われるのは。 違う。これは俺が望んでやっているんだ。これは俺がしなければいけないんだ。 気分が悪くなったからコンビニに寄って煙草を買った。普段からよく吸う訳ではないが、こういう、「負の気持ち」に襲われた時はどうしても吸ってしまう。本当は酒が飲みたいが、朝から酔って善行が積めない。それでは生きる意味がない。 気持ちを落ち着けて、子供達の登校ルートに向かう。煙草臭くないだろうか。自分達を見守っているおっさんから煙草の臭いがしたら嫌だろう。しかし、家に帰るにも時間がない。できるだけ息をしないようにしよう。ああ、だけど服にも臭いがついているだろうか。服は防ぎようがない。どうしようか。 そんな事を考えているうちに、自分の担当場所に着いてしまった。まあ、子供達からしたらいつものおっさんぐらいにしか思っていないだろうし、大丈夫か。 「おはようございます。悠哉さん。」 背後で声がした。振り向くと、今日旗振り当番の女性が立っていた。名前は何だったかな。えーと、、思い出せない。まあいいか。 「おはようございます。まだ旗振りの時間でないのに、お早いですね。」 「あ、そ、そうですね、、。今日はなんか早く起きてしまって。」 「そうなんですか?実は僕もなんですよ。悪い夢をみてしまって。朝から大変でした。」 笑いながら返す。そうだ、思い出した。須藤さんだ。須藤凛。たしか俺より歳上だった気がする。 「悠哉さんのような優しくていい人でも悪い夢見るんですね。意外です、。」 爆笑したくなる。優しくていい人か。真反対だよ。 「そんな。いい人だなんて、そんなことありませんよ。でもありがとうございます。」 子供達がバラバラと歩いてきた。 「じゃあ、旗振りよろしくお願いします。」 というか須藤さんは何の仕事をしているのだろうか。7時50分近くまで旗振りをするのにまだスポーツジャージということは、ある程度出勤時間に余裕があるはずだろう。まさかニートな訳でもあるまいし。 ふと、子供達が左右の安全確認をせずに横断歩道を走って渡ろうとしてきた。須藤さんが車を通すように旗を振っているので車は止まらずに進んでいる。すかさず子供達の前に入り込んで止める。そして、こんな時のために用意しておいたセリフを吐く。 「君達。安全確認はしないといけないよ。もし車に轢かれてしまったら、君達の大切な未来が台無しになってしまうかもしれないよ。だから、気をつけてね。わかった?」 心を込めて優しく注意する。ふと今、こんなに近づいたら煙草臭くね?なんていうことが頭によぎる。子供達は「はぁい。」とだけ言って行ってしまった。本当にわかっているのだろうか。でも、少なくとも4人の子供を守った。これは善行4回分とカウントしてもいいだろう。 「あの、悠哉さん。悠哉さんは凄いです。私だったらいつも子供相手に怒鳴ってしまうのに。どうやったらそんな風になれるんですか?」 「そんなことないですよ。むしろ、今みたいな命に関わるところだったら怒鳴った方が良かったと思っています。でも、怒鳴ってしまうことは相手に優しさだと気づかれにくいので、どうしても優しい言い方になってしまうんですよ。僕は嫌われるのが嫌な、自己中心的な人間です。」 「自己中心的だなんて。全然そう見えないですよ。いつも人のために何かしているじゃないですか。」 「これは昔、ある人に言われたんですよ。『人のためになる事をしろ』って。だからこれは結局自分の為なんだと思います。でもありがとうございます。そう言われて僕は嬉しいです。」 危うくボロを出すところだった。これじゃあ「自分は偽善者です。」と言っているようなものじゃないか。悪夢がまだ残っているのか。しっかりしないとな。まだこの土地は去りたくない。 旗振りが終わり、家に戻る。今日の仕事の予定は「お墓参りの手伝い」「犬の散歩」「子供のお迎え」だった。普通、子供のお迎えなんてその子の親でなかったら引き渡しできないだろう。しかし、俺は顔が広いし「優しい若者」で通っている。だから何故か引き渡しをしても大丈夫になっている。一応、今回行く保育園は始めましてなので依頼証明するために手紙なりスクショなりを用意する。 少ししたら家を出て、一件目の「墓参りの手伝い」を依頼した家に向かう。インターホンを押すと「どうぞお入りください。」と静かな声で言われた。「失礼します」と言ってドアを開けると、車椅子のお婆さんがこっちを見ていた。「おはよう御座います。『なんでも屋』の上原悠哉です。今日はよろしくお願いします。」 「ええ。車椅子を押してもらいたいの。よろしく頼むわ。」 玄関の鍵を閉めて渡す。どうやら、ふたつ隣の街にお墓があるのだが、車椅子で1人、電車に乗って行くのはとても大変だし、安全的にも良くないということらしい。 車椅子のお婆さん(名前はシズと言っていた)はお墓に着くまでに色々な思い出を語ってくれた。主人は10年前に寿命で亡くなったこと。優しい笑顔か特徴的だったこと。息子は海外に住んでいて、滅多に帰ってこないため一人暮らしをしていること。去年から車椅子生活になったこと。 「ねぇ。あなたはどうして『なんでも屋』なんてやっているの?」 「誰かの役に立ちたいからですよ。」 「でもあなたからは『誰かの為』っていう匂いがしないの。」 内心ヒヤッとした。 「あなた、本当の事を言ってちょうだい。」 「それは、」 言うかどうか迷う。でも、シズさん相手に嘘が通じる気がしなかった。人の心を見透かす目。彼女にはそんなもがあるように感じた。 「それは、託されたからです。」 「託された?」 「昔、死んでしまった親友に。」 「それはお気の毒に。ごめんなさい。」 そこで会話が途切れてしまった。 無言でお墓に向かう。 お墓のある場所は見晴らしがよかった。だが問題もあった。主人のお墓に行くには階段しかなかった。策はないか考えたが、なにもない。シズさんは仕方なく 「私はここで祈るわ。代わりにこれを置いてきてあげて。」 と言って缶ビールと生花を手渡してきた。バケツに水を汲んで階段を登る。青木という名字のお墓らしい。少し探すと見つけられた。枯れた花と生花を取り換え、柄杓で全体的に水をかける。缶ビールの蓋を開けて置く。最後に手を合わせて心の中で話しかける。 「シズさんの代わりに整理させてもらいました。上原悠哉です。シズさんも来ています。ビールを持ってきたのでぜひ飲んでください。」 昔は墓参りなんて意味ないだろうと思っていたが、実際に結衣の墓参りをしてみた。そしたら「実は生きているんじゃないか」みたいな希望的観測がプチンと切れて、本当に死んでしまったのだという実感に変わった。流れるようにそこに自分の「負の感情」を全て吐き出した。「人助け」の約束もした。自分に付き纏っていた「わるいもの」が全て消えていくようだった。まあ、つまり、墓参りは天国に逝ってしまった人達の為だと言うが、結局は自分の為なんじゃないのか。脳にはキャパシティがあって、どんどん知識や記憶が収納されていき、トリガーがないと思い出せなくなってしまう。人は身近な人が死んでしまっても日々の生活に忙殺されて少しずつ忘れてしまう。そんな時、お墓参りがトリガーになって、もう一度その人のことを思い出せる。だから、全く会ったことがない人のお墓参りをしても何も意味がないのだ。「手を合わせて心で話しかけろ」と会ったこともない曽祖母とかの墓で言われても何をすればいいのかわからない。ただ手を合わせて話しかけている素振りをするだけだ。全く意味がない。はじめから言ってくれればいいんだ。お墓の意味を。と、25歳の、まだ人生の4分の1しか生きていないこの身で思った。 一通り作業。終わらせてシズさんの方に行く。シズさんはまだ手を合わせていた。それだけ大切な人だったんだろう。声をかけるのを躊躇ったが、この後も依頼を遂行しないといけないので声をかけた。帰り道、シズさんはとんでもない事を言った。 「あなた、9年前の事件の人よね。」 びっくりした。報道量も少なく、知っている人なんてほとんどいないと思っていたのに。 「よく知っていますね。そんなに大事にならなかったのに。」 「人を殺している時点で十分大事よ。」 確かにそうだ。 「老後なんて暇でしかないから、新聞とかテレビとかをずっと見てるのよ。」 「僕をみてどう思いました?」 「『想像していたよりも面白い人生を送ってるな』って思った。でも、人は簡単には変われないんだなって思ったわ。」 俺が変わってない?そんなわけないだろう。心を入れ替えて善行をしているんだ。 「そんなに変わっていないですか?」 「今も昔も、あなたは『自分の為』になることしかしていない。」 「今だって人の為に働いているじゃないか!」 「それはあなたのご親友さんに託されたからでしょう?自分から進んでやっている事じゃない。そもそも、『善行をする』っていう言い方自体、まんま偽善じゃないかしら?」 いつもよりも心臓がドキドキしている。偽善で何が悪い。人の役に立ってるだろ。そもそも初対面の人に失礼過ぎないか? 「このまま続けても、なにも変われないわよ。」 なんて返せばいいか分からない。ただ無言で車椅子を押す。特になにも話すことなく電車に乗り、家に着いた。 「気分を悪くさせてごめんなさい。でも、変わりたいなら何かを変えなくちゃならないわよ。」 何を変えればいいんだよ。2000円を受け取って家を出る。 シズさんの言った言葉が心に刺さっている。彼女の言っていたことは否定したいが、正しい。だからこそ余計にモヤモヤ、イライラする。昨日に続けて煙草を吸った。 数本吸って落ち着いたら、2件目の「犬の散歩」を依頼した家に向かう。仕事で家にいないから犬を連れ出していいと言っていたので庭に入る。初めは警戒されたが、家の外に出すと走り回っていた。犬の散歩をしたことがなかったから、とりあえず公園に連れていく。公園には小学生にも満たない子供達が遊んでいた。無邪気に笑い合って遊んでいるのをみて、昔に戻れたらなんて思った。何かをやり直したいんじゃなくて、腐ってしまったこの心すら巻き戻したい。公園の周りをぐるぐる回っていると、1人の男の子が近づいてきた。犬に興味があるのかと思ったが、男の子は犬を見ていないことに気がついた。俺を見ている。じっと。 「どうしたんだ?」 「お兄さんって『なんでも屋』さん?」 「そうだよ。」 「依頼したいことがある。」 近くのベンチに腰掛けて話をする。 「依頼ってなんだ?」 「僕を助けて。お金ならある。」 そう言って封筒を取り出した。 「これだけあれば助けてくれる?」 話が飛躍しすぎだ。 「待て。理由から説明してくれないか。」 「お父さんから逃げたい。」 そう言って彼は上着を脱ぎ始めた。 「ちょ、待てよ。何してるんだよ。」 「証拠。いじめられてんの。」 男の子の背中や腕には痣や火傷の痕が沢山あった。見ていて痛々しい。 「これをお父さんにやられたのか?」 黙って頷く。 「先生とか、警察には相談しないのか?」 「大人はみんな適当にいなして終わりに決まってる。」 決めつけが酷いな。というか俺は大人じゃないのかよ。 「少し考えさせてくれ。スズメバチ駆除とは比にならないぐらい重大な依頼だからさ。」 男の子は明らかに失望したような顔をした。 「一応、名前教えてくれるかな。」 「光。」 とだけ言って立ち去ってしまった。 ある程度散歩させたから犬を家に帰した。現在午後4時。3件目の「子供のお迎え」には少し早い。なんでも、共働きでいつもは仕事を調整してどちらかが迎えに行けるようにしていたのだが、たまたま2人とも夜までになってしまったらしい。9時まで預かっててほしいということも書いてあった。迎えに行くのはどうってことない。ただ、9時まで時間を潰す方法がなかなか思いつかない。家にテレビはないしおもちゃもない。晩御飯にカレーを出せば少しは時間を稼げるが、それでも2時間ほど余ってしまう。スマホで「幼児 遊び 室内」と打つといくつかヒットした。その中に、安くて簡単な遊びがあった。しかも俺の労力はほとんどない。これでいいじゃん。 幼稚園に向かう途中でコンビニに寄り折り紙と色鉛筆を買った。そう、折り紙。これなら折って遊べるだろうし、お絵描きもできる。そして俺は危険がないように見張ってるだけでいい。最高じゃないか。 依頼者が通わせている幼稚園はまだ行ったことがない所だった。家の近くの幼稚園なら依頼確認などしなくても引き取ることができるのだが、俺を知らない人のところに「親御さんの代わりに引き取りに来ました。」なんて言ったら誘拐と勘違いされるだろう。その為に依頼書も持ってきた。その幼稚園はそこそこいいランクの施設だった。新しくて、敷地も広い。俺が通っていた保育園とは真反対みたいだ。敷地内に入り、お迎え待ちをしている子供の所へ行くと、まあびっくり。俺の知っている人がいた。須藤さんだ。ここで働いてたのか。今朝「いつも怒鳴ってしまう」と言っていた内容が腑に落ちた。「こんばんは。」 須藤さんに声をかける。 「えっ?上原さん⁉︎なんでここにいるんですか?」 「実は、お迎えを代わりにして欲しいと頼まれてね。お迎えに来たんだ。」 納得したかのような表情を浮かべ、須藤さんは2人の園児を呼んだ。 「この子達の親御さんが『今日お迎えの代理を頼みます』って連絡してきてねそれがまさか上原さんだなんてびっくりですよ。」 呼ばれた園児は男女の2人の子供だった。 「今日はこのお兄さんがお父さんお母さんの代わりに迎えにきてくれたからね。じゃあまた明日ねー。」 と慣れた口調で優しく言った。子供達は不思議そうに俺を見たが、すぐに近寄ってきて、「おんぶして!」やら「手を繋いで!」やら子供らしい事を言ってきた。家までは歩いて30分はかかる。だからできるだけ長くおんぶしたくなかった。だが、おんぶしてすぐに寝てしまった。不用心にも程がある。でも、これくらい人を疑わず、純粋な心も羨ましく思った。 当たり前だが、子供と大人では歩く速さが違う。それに普通に歩くのと重たいものを持って歩くのでも速さも負荷も違う。結果、30分で着くはずが50分ほどかかってしまった。途中でもう1人の方も「疲れた」と言い出したのでおんぶしている方の子を前に持ってきて、片手で1人を持つように2人を抱っこして歩いた。2人とも寝ている。体は疲労したが、心は癒された。父親はこんな気分なのだろうか。子供の寝顔というものはこうも人を元気にさせるのか。ふと一瞬結婚して家庭を持つ自分の姿が浮かび上がった。だが、犯罪者で仕事も安定しない人間と付き合いたい奴なんていないよな。居たとしても付き合わない。付き合う権利もないんだ。 なんとかアパートに着いた。レンタカーでも借りればよかった。昨日のカレーを再び温めて子供達のところに持っていく。俺は甘口なのでカレールーは甘口にしたが、もしかしたらまだ辛いかもしれない。子供達は「辛いけどおいしいね!」と笑いながら食べている。なんていい子供達なんだ。俺だったら我儘言って突っぱねてたと思う。3人で食事を済ませたあとに用意した折り紙を出してやった。予想通り色んなものを折ったり描いたりしていて楽しそうだった。唯一の誤算は、 「お兄ちゃん見てみて!鶴折れたよ!」 「お兄ちゃん!絵描いた!」 そう。ただ見守る予定が、バリバリ一緒に遊ばされたのだ。最近は保育士とかへの執着希望者が減っているというが、その気持ちもわかった。尽きることのないエネルギーを爆発させられてはこっちの身が持たない。とはいえ、可愛い子供たちが俺の為に折り紙や絵を描いてくれたんだ。嬉しいに決まっている。 「これパパの部屋に飾る!」 どうやら俺のためではないらしい。 本当はお風呂にも入れさせた方が良かったのかもしれない。だが、着替えもないし、ロリコンというわけではないが女児を裸にするのは躊躇われる。それに風呂の中にまで連れ込まれてはしゃがれては、いよいよ本当に身が持たない。だから親御さんには申し訳ないが風呂には入れなかった。 わちゃわちゃしながら時間を潰した。折り紙やお絵描きに飽きた子供達は俺に「飛行機」をやってくれだとか、「お馬さん」になってくれだとかを言ってきた。全く世話が焼ける。こんな肉体労働を世の中の父親達は普段からしていると思うと、父親の大変さに同情してしまう。別にこれは断じて「男性の方が苦労している」と言っているわけではなく、あくまで「父親みたいなこと」をした人間からの意見だ。さっきみたいなことをTwitterとかに呟くと過激派が群がってくるんだろう。なんて醜いんだ。そもそもTwitterはやっていないが。 9時になる手前にインターホンが鳴った。出ると若いスーツ姿の男性が立っていた。 「こんばんは。お待ちしておりました。上原です。」 「こんばんは。子供を預けていた吉野です。夜遅くまですみません。」 「いえいえ。僕も久しぶりに子供とふれあえて楽しかったです。」 手短にご飯は食べさせたこと、風呂には入れさせてないこと体調などの異常はないということなどを伝えた。 「色々ありがとうございます。」 そう言って5000円手渡してきた。 「そんな要らないですよ。3000で大丈夫ですよ。」 「それでは流石に安すぎます。どうか受け取ってください。」 やっぱり引かないか。 「では、ありがたく頂きます。ありがとうございます。」 受け取って子供達を見送る。 「お兄ちゃんまた遊ぼうね!」 「そうだね。また今度な。」 行ってしまった。今日はやけに疲れた。ビールでも飲むか。 最近よくコンビニに行っているような気がする。ビールと一緒につまみを買う。1000円出してお釣りを募金箱に入れる。これも立派な善行…。 ふとシズさんに言われた言葉を思い出した。「善行をする」という考えは、そう考えている時点で偽善なのだと。自分でも薄々気づいていた。 だが、とにかく善行を積んでいた。そうでないと落ち着かないのだ。まるで受験前に勉強をせず、ゲームをしているときのような、「やるべきことはあるだろう」ともう1人の自分に言われているような、そんな不安。 いつからかこの不安は俺に付き纏っていた。 アパートに戻ると、玄関の前に誰かが座っていた。フードを被っていて誰かわからないが、大きさからして子供だろう。 「どうしたんだい。こんなとこに1人で。」 「お兄さんを待ってたよ。」 聞き覚えのある声。その子供はフードを外した。 「光だったか?俺を待ってどうするんだ。」 「家出してきた。泊めて。」 おいおい。これじゃあ未成年者略取罪じゃないか。たとえ本人が同意していても保護者が同意しないと罪に問われるとか。めんどくなりそうだ。 「あのな、未成年者略取罪っていうのがあってな、俺がお前を家に泊めたら罪に問われるんだよ。」 「バレなきゃいいじゃん。めっちゃ寒い。凍え死んじゃうよ。」 昼間は暑いとはいえ、もう10月だ。夜は普通に寒い。なのに光はパーカー1枚。 「どうするかは後で考えるから、とりあえず家の中に入れ。」 「お邪魔しまーす。」 中に入れはしたが、この部屋には暖房などない。しょうがないから俺の上着を羽織らせる。 「おじさん、じゃなくてお兄さん!あったかい飲み物飲みたいな。」 「ココアとミルクティーどっちがいい?」 「ココアがいい。」 やかんに水を入れてコンロにかけ、コップにインスタントココアの粉を入れる。 「光、お前何歳?」 「小4だから10歳かな。」 10歳にしては大人慣れしすぎてないか? 「この後どうするんだ?俺はずっと泊めておくことはできないぞ。」 捕まってまた懲役なんて勘弁だ。 「じゃあ、遠くまで連れてってよ。誰も僕のことを知らない世界まで。」 なんだそれ。警察の力舐めすぎだろ。俺レベルが隠して運んだって絶対バレる。 「なあ、児童相談所とかじゃダメなのか?その傷痕があれば100%父親から逃れられるぜ?」 ココアを渡しながら言う。 「施設に入るのも、知らない親戚のとこに行くのも嫌だ。」 「誰も光を知らない世界に行ったとして、どうやって生きるんだよ。保護してくれる人がいるかもわからない。むしろ危害を加えてくる奴の方が多いだろ。だったら施設とか親戚の方が良くないか?」 「じゃあお兄さんも一緒に来てよ。誰も知らない世界に。」 「いや、だから、匿ったりどこか連れてったら俺が捕まるんだって。」 俺にはまだやらなきゃいけないことがある。善行を積まないと。捕まるわけにはいかない。 「とにかく、泊めてやるのは今夜だけだからな。」 「えー。『なんでも屋』でしょ?お金なら渡すよ?」 「『なんでも屋』だが犯罪をする気はないぞ。明日児童相談所行くぞ。」 「ゔぇ。じゃあ今夜だけでいいよ。あとは自分でどうにかする。」 どうにかするって、どうするんだよ。待ってるのは地獄だぞ。 シャワーを浴びて布団を敷く。この部屋に布団は一つしかない。光が床で寝て体調でも崩したらめんどくさい。 「光。その布団で寝ろ。俺は床で寝るから。」 これが最適解。肌寒いが、持っている服やコートをかければ寝れなくもない。 「お兄さんも一緒に布団で寝ればいいじゃん!まさかショタコンなわけでもあるまいしさ。」 「お前はいいのかよ。得体の知れないオッサンと同じ布団で寝て。」 「いいよ別に。父親のヌクモリティを疑似体験できるし。」 なんだそれ。ヌクモリティ……ああ、温もりのことか。子供と同じ布団で寝るのはコンプライアンス的にどうかと思うが、まあ同性だし恋愛対象でもないし大丈夫か。 電気を消して布団に入る。互いに背を向けるように寝る。誰かと寝るのはいつぶりだったか忘れたが、その違和感は俺を眠りにつかせてくれなかった。こういう眠れない時はいつも昔の事を思い出す。 結衣と最初に出会ったのは高校の入学式の時だった。彼女の苗字は白井で俺の苗字は上原だったから、席が隣だった。黒髪で肩にかかるぐらい長い髪をしていた。顔は白肌で整っていて可愛い。可愛いというよりは美人といった方が正しいか。正直一目惚れ、とまではいかないが、見入ったというか、目を惹きつけられたというか、そんな感じだった。そんなクールな見た目とは裏腹に結構社交的なタイプの人間で、 「ねえ、起きなよ。もうすぐ式始まるよ?あ、起きた。私『白井結衣』っていうの。よろしくね。あなたの名前は?」って隣の席で寝ていた俺に躊躇なく話かけてきた。どちらかというと順番が逆か。先に話しかけられて社交的なタイプだなと思った後にクールなイメージを抱いたのか。 「上原悠哉。よろしく。そしておやすみ。」 また目を瞑る。 「ちょっと!もう。怒られても知らないよ?」 「俺は怒られ慣れてるから大丈夫。おやすみ。」 実際、中学生の時は問題児だった。授業中は寝てるかふざけて授業妨害するかのどちらかで、学校もよくサボってたし、喧嘩やいじめ紛いの事もしていた。また、勉強は結構できる方で、寝ていても常に学年上位には割り込んでいた。オマケに高身長イケメンで運動神経もいい。恵まれた人間だった。まあ、全てにおいて凡人を上回っていた。いや、真面目さは凡人以下だった。だから唯我独尊、自由に自分のやりたいことをやっていた。はじめは教師や真面目な生徒が俺を叱っていたが、なにを取っても勝ち目が無いし、俺は反省してないしで誰も注意しなくなった。だから注意されるのは久しぶりだった。 結局始業式で寝て放課後に担任に若干叱られたが、そんなのは屁でもなかった。 結衣はクラスですぐに人気者になった。入学後1週間で告られた回数は10を超えたとか、先輩にも結衣が気になっている人がいるだとかの噂はよく耳にした。まあ俺も同じような感じだったが。俺は彼女はあまり作らない主義だったから全員振った。なんだろう、俺の自由を縛りつける存在が嫌だった。その代わり全員に「セフレとかならいいよ。」って言った。その時の面食らった表情をした奴、なんのことか分かってない奴。はたまた、それでも一緒にいたいと言ってきた奴。なんなら先輩の1人は告られたその日にヤった。まあこの話はいい。とにかく結衣は自分からクラス委員になった。男子の方はというと、誰も立候補しなかった。結果、担任は「白井。お前の相方になる人間だからお前が推薦していいぞ。」と言って結衣に決定権を渡した。そして結衣は俺を推薦した。入学2日目で俺の本性は知られていなかったのもあるが、結衣は俺が始業式で寝ていたのを知っている。先生も知っている。だから先生は「本当に上原でいいのか?」みたいなことを何回か言っていた。というか俺も拒否した。だが結衣は「『立場は人を変える』とも言いますし、きっと大丈夫ですよ!」と言って無理矢理俺をクラス委員にした。
夏と罰 編集&更新版
プロローグ その日は、夏を嫌悪するには十分すぎる空だった。 汚れのない青がどれほど憎らしかったか。 理解など求めても、無駄だろう。 今日、私は最初で最後の人殺しをする。 両親は仲が悪かった。 じゃあなんで結婚したんだよ、って思う。 私は父が好きだった。父親として。 母親は苦手。 両親の喧嘩は私にまで飛び火してきて、私が出来損ないなのはアンタのせいだ!みたいに母が言うことが昔からよくあった。 なぜそんなにも仲が悪いのか、私は知らない。 内戦状態の家庭に進展があったのは、つい一昨日のことだった。 私が高校進学と同時に、離婚した。 私は父の方について行った。 父は祖父母を頼って地方に移住する事にした。 これが今までの流れ。 今はバスに揺られている。 外は田んぼか家屋かで、トトロが出てきそうなほど田舎だ。 ここまで電車とバスで4時間半ほど。 流石に腰が痛い。 あとどれくらいで着くのだろうと考えてたら、バスが停まった。 「ここで降りるぞ」 父はそう言ってキャリーケースを持って降りて行った。 田舎の空気は澄んでいた。 肺いっぱいに空気を吸って、吐く。 「少し歩くぞ」 都会とは比べ物にならないほどの静けさ。 道端に生える様々な草花。 アスファルトなんかじゃない、少しでこぼこした土の道。 雲一つない、無限に広がる青い空。 全てが新鮮だった。 祖父母は温厚な人達だった。 農業を営む彼らは私たちを温かく迎えてくれた。 昔一度、私が幼稚園児だった頃に会ったことがあるらしいのだが、当の本人である私は何も覚えていない。 長い間この夫婦を守っていたであろうこの木造建築の家が今後の我が家になると思うと、この病んだ心にも明かりが灯った。 柱は角が取れて滑らかになっていて、床はところどころギシギシとは鳴るものの、それもまた年季を感じさせられて感動した。 私の部屋は広かった。元の部屋が狭かったのもあるが、それでも都会の一室よりは全然広い。 タンスに持ってきた服をしまって、ベットに横になる。 ふかふかで太陽に当てたれたいい匂いがした。 このベットは祖父が私のために新しく買ってきてくれたらしい。 殺伐とした環境から一変、思いやりと愛情に触れて泣きそうになった。 私の通う学校はこの田舎全体に一校だけの高校で、小学、中学、高校でほとんど顔ぶれが変わらないらしい。 だから、私が入学した時は既にコミュニティは形成されていて、私は異質な存在みたいだった。 「なあ、どこから来たん?」 後ろから声がした。 振り返ると、笑みを浮かべて興味津々そうな目で私を見ている男子がいた。 「あ、え、えっと、静岡県からです、」 「静岡ってあれよな、蜜柑が美味しいとこよな?」 蜜柑ってどこのも美味しいんじゃないの。 「うん。多分そう」 「へぇ〜。よう遠いとこから来たな」 私はこのタイプの人間が苦手だった。 私自身、目立たないし目立ちたくない。 それを、彼は私の様な人を無理矢理日向に引き摺り出すような人間だった。 だが、苦手とは言ったが嫌いではなかった。 170センチぐらいで、細マッチョみたいな体格をしている。 髪は短髪で、太陽みたいな目をしていた。 イケメン。その言葉に尽きる。 きっと人気者なんだろう。 私の予想を裏付けるように、彼と私の周りには沢山の人がいた。 「青木さんの名前ってなんて読む?“るい”?」 別の人が聞いてきた。 「るいはないやろ。これは多分、“かさね”や」 光瑠が返した。 「うん。かさねで合ってる」 光瑠がガッツポーズをした。 青木累。それが私の名前。 「累。俺は天瀬光瑠っていうんだ。光瑠って呼んでな」 「・・・・・うん」 私は、私の名前が嫌いだった。 累の意味は、縛られて離れられないもの、足手纏いのわずらい。 母が名前を決めたらしい。 生まれた瞬間から祝福されてなかったと思うと、なかなか悲しかった。 今はもう慣れたけど。 私が家に帰る頃には祖父母達も家にいて、テレビを見たり夕食を作ったりしている。 初めこそ緊張したが、半月近く経った今では割と家族のように過ごせている。 この半月で、家が広いことや内戦状態じゃないことの他に感動したことがもう一つあって、それはご飯が美味しいことだ。 何を言っているんだと思うかもしれない。 ただ、私の母は控えめに言って酷い料理しか作らない。 炊飯器のご飯が不味いから嫌だと言って、ご飯を炊く用の鍋を買っていた。 母は適当な人間で、母の炊くご飯は酷く焦げていたり、ぐちょぐちょだったり芯が残っていたりする。 偶に弁当を作ってくれるが、蓋を開けてみれば鍋の底の酷く焦げた米粒をかき集めたようなものばっかりだった。 さらに、おかずには味がしない。仮に味をいうならば、自然の味。 そんな母と長年暮らしているからか、父はとても料理が上手だった。 中華料理に至っては、外で売りにしているお店の商品と遜色ないレベルだった。 しかし、そんな父の料理を食べられるのも1週間に一食あるかないかぐらいで、ほとんどの日は母の料理を食べていた。 よく、「給食は不味い」という人がいる。 私は彼らと一生分かり合えない気がしていた。 祖父母の家に来てからは、毎日美味しい料理を食べることができた。 料理が美味しいと伝えると、これぐらい普通のことだよ。と言いつつも喜んでいた。 生活には慣れ始めたが、心はまだ休めていなかった。 母の影響は強いらしく、もういないんだとわかっていても心は怯えていた。 掛け布団を頭まで被って、イヤホンを耳に詰めて音楽を流す。 もうあいつはいないんだ。 私は自由になったんだ。 そう言い聞かせる夜が何日も続いていた。 光瑠のお陰で、入学当初のような異質感は結構薄まっている。 光瑠には感謝しかないが、毎日話しかけられるのは少し嫌だ。 なんか、他の女子からの目線が冷たいように感じる。 「なあ、累の好きなタイプはどんなん?」 なんて聞かれたら日には、背中に刃でも刺されてるんじゃないかってぐらい視線を感じた。 多分、光瑠のことが好きな女子は少なくない。 だからこそ、毎日話しかけられるのは少し嫌なんだ。 というか、少しどころかできれば拒否したいぐらい嫌だ。 新しい高校になったのに疎外されたくない。 「なあ累。今度この地域のお祭りあるけど、一緒に回らん?花火もあるで」 またヘイトを買いそうな誘いが来た。 「お祭りなんてあるんだ。いつ?」 「3ヶ月後」 めっちゃ先の事じゃん。 「すごく先じゃん」 「無理か?」 無理かと聞かれて無理と言うことは私にはできない。 「多分、行ける…」 「よっしゃ決まりな!」 3ヶ月後はちょうど夏休みだ。 お祭りなんて、ほとんど行った事ないな。 浴衣とか着てみたいな。 「3ヶ月後ぐらいにお祭りあるって本当?」 ろくに話せる友達がいなかったから、私は祖母に聞いた。 「うん。8月の5日にあるよ」 スマホのカレンダーの8月5日に「お祭り」と書き込んだ。 「友達に一緒に行こうって誘われたんだけど、浴衣とかって持ってないかな」 「えーっと、浴衣ね、あったはずだよ」 祖母は自分の部屋に行き、押し入れの中を探し始めた。 少し待っていると、 「あったよ」 と言って浴衣を見せてくれた。 椿柄の綺麗な浴衣だった。 「昔はよく着たんだけどね、この歳じゃあもう着ることはないから、かさねちゃんにあげるよ」 「ありがとう。大切にする」 「お祭りまでに仕立てておくから、楽しみにしておいてね」 この場所に来てから、私の心は希望に満ちていた。 3ヶ月後のお祭りが待ち遠しくて仕方がなかった。 しかも、男の子と。イケメンの。 他の女子に妬まれるとか、どうでも良くなくなってきた。 けちょんけちょんにされた自己肯定感が少しずつ回復しているのを感じる。 一瞬、そんな自分に嫌気が刺した。 もう1人の自分が言っていた。 「だからお前は虐められるんだ」って そして、私の記憶が蘇った。 両親が不仲で、家に居場所がなかった私は、必然的に学校が居場所になった。 だけど、幼少期に親と適切な交流ができなかったから、コミュニケーション能力が欠如していた。 だから、私が他の人と話そうとしてもうまく話せなかった。 多くの人ができる、ありふれた日常会話すら、私には難儀だった。 多分、ここでどうするかが、嫌われる人間になるか、目立たない人間になるかの1つの分岐点になっているんだと思う。 他人との交流を諦めて、自分自身で完結できていれば、ただの目立たない人間に成るだけで済んだのだろう。 問題は、私にはないコミュニケーション能力を使ってコミュニケーションを取ろうとしたことだ。 中学生の頃に「友達じゃないのに無理矢理輪の中に入ろうとするやつ」とか「用がないのに自分の周りをうろついたり、自分をチラチラ見てきたりするやつ」とか「価値観がズレてて話にならないやつ」とかを見たことがある。 私自身、そういう人達は嫌いだ。 でも、小学生だった頃の私は、そういう人間だった。 遊びに行く話をしている輪の中に無理矢理入って 「どこに行くの?私も行かせて」 って勇気を出して言ったけれど、勿論そんなの嫌われるに決まっていた。 そんなこととは知らずに小学校生活を送った。 だから、私は彼らの気持ちもよくわかる。 それでも彼らを見るのは嫌だった。 過去の私を見ているみたいで。 そんな私に変化があったのは中学入学の時だった。 小学校高学年の時点で、人間関係に対する違和感はあった。 周りが一線引いているような感じで、本音で喋ってない感じがしていた。 中学入学と同時にスマホを買い与えてくれた。 そこで、私は人と上手く関われないことについて調べた。 そこには、私の人生を否定するような“正論”が書かれていた。 私は泣いた。 自分がやってきたこと全て裏目に出ていたと知って。 そこで、もう一生懸命人と関わろうとするのはやめよう。そう決めた。 初めのうちは寂しくって、人に話しかけようとする衝動が抑えられなかった。 その度に、お前は人と関わるべき人間じゃない。失敗するだけだ。って思い続けた。 自分を守るための言葉が、いつしか自己否定に変わっていった。 お前は出来損ないだ。努力したって無駄だ。死んだ方がいい人間だ。 もう1人の自分が囁き続けた。 私が静かになった頃、私の周りに人が寄るようになった。 皮肉か? 神様は私を玩具だと思っているらしい。 いくら人が寄ってこようが、私は受け答えしかしなかった。 そうすると、何故か更に人が寄ってきた。 とある、最近読んだ本に 「情報社会となって、スマホからでもなんでも情報を仕入れることができるようになった。その結果、人から情報を欲しがることは減り、相対的に人に話す欲の方が増えた。 だから、現代においては博識よりも聞き上手の方が人間関係においては需要が高まっている」 というような内容のことが書いてあった。 つまり、そういうことなんだろう。 私は受け答えだけしかしない。 人々は話を聞いてくれる人を探している。 私は適任だったのだ。 昔私を避けていた女子達も寄ってくるようになって、そのうちの1人は 「凄く丸くなったね」 と私に言った。 昔の事を聞いたら、赤面してしまうような事ばかりしていて、でも自分は変われたんだと思って嬉しかった。 あんまり周りに人がいると、喋りたくなる気持ちが抑えられなくなる。 そして、喋ってしまった時のみんなの表情。 今でもフラッシュバックする。 ある時、1人の同級生の男子が私の事を好きだという噂が流れた。 その男子は多くの女子から人気があって、人生を謳歌しているような人だった。 私は嬉しさでいっぱいになって、日々の生活が楽しかった。 彼は私に告白してきた。 私はYESと答えて、付き合うことになった。 放課後一緒に帰ったり、週末一緒に出かけたり。 でも、そんな楽しい日々はすぐに終わった。 私を妬んでいた女子達の中に、小学校の頃の「イタイ青木累」を知る人が複数人いた。 噂というか、過去の事実を流し始めた。 イタイとはいっても、過去の話だし誰にでも黒歴史はあるだろうと考えてた。 彼も、そんなことで私を嫌いになんてなるわけないと思ってた。 でも違った。 彼は自分自身の株を守る為に私を振った。 「お前といると俺にまで悪い影響がくる」 って吐き捨てて。 その時、人間の恐ろしさを改めて思い知った。 これが私のトラウマだった。
夏と罰#4
私が家に帰る頃には祖父母達も家にいて、テレビを見たり夕食を作ったりしている。 初めこそ緊張したが、半月近く経った今では割と家族のように過ごせている。 この半月で、家が広いことや内戦状態じゃないことの他に感動したことがもう一つあって、それはご飯が美味しいことだ。 何を言っているんだと思うかもしれない。 ただ、私の母は控えめに言って酷い料理しか作らない。 炊飯器のご飯が不味いから嫌だと言って、ご飯を炊く用の鍋を買っていた。 母は適当な人間で、母の炊くご飯は酷く焦げていたり、ぐちょぐちょだったり芯が残っていたりする。 偶に弁当を作ってくれるが、蓋を開けてみれば鍋の底の酷く焦げた米粒をかき集めたようなものばっかりだった。 さらに、おかずには味がしない。仮に味をいうならば、自然の味。 そんな母と長年暮らしているからか、父はとても料理が上手だった。 中華料理に至っては、外で売りにしているお店の商品と遜色ないレベルだった。 しかし、そんな父の料理を食べられるのも1週間に一食あるかないかぐらいで、ほとんどの日は母の料理を食べていた。 よく、「給食は不味い」という人がいる。 私は彼らと一生分かり合えない気がしていた。 祖父母の家に来てからは、毎日美味しい料理を食べることができた。 料理が美味しいと伝えると、これぐらい普通のことだよ。と言いつつも喜んでいた。 生活には慣れ始めたが、心はまだ休めていなかった。 母の影響は強いらしく、もういないんだとわかっていても心は怯えていた。 掛け布団を頭まで被って、イヤホンを耳に詰めて音楽を流す。 もうあいつはいないんだ。 私は自由になったんだ。 そう言い聞かせる夜が何日も続いていた。
夏と罰#3
私の通う学校はこの田舎全体に一校だけの高校で、小学、中学、高校でほとんど顔ぶれが変わらないらしい。 だから、私が入学した時は既にコミュニティは形成されていて、私は異質な存在みたいだった。 「なあ、どこから来たん?」 後ろから声がした。 振り返ると、笑みを浮かべて興味津々そうな目で私を見ている男子がいた。 「あ、え、えっと、静岡県からです、」 「静岡ってあれよな、蜜柑が美味しいとこよな?」 蜜柑ってどこのも美味しいんじゃないの。 「うん。多分そう」 「へぇ〜。よう遠いとこから来たな」 私はこのタイプの人間が苦手だった。 私自身、目立たないし目立ちたくない。 それを、彼は私の様な人を無理矢理日向に引き摺り出すような人間だった。 だが、苦手とは言ったが嫌いではなかった。 170センチぐらいで、細マッチョみたいな体格をしている。 髪は短髪で、太陽みたいな目をしていた。 イケメン。その言葉に尽きる。 きっと人気者なんだろう。 私の予想を裏付けるように、彼と私の周りには沢山の人がいた。 「青木さんの名前ってなんて読む?“るい”?」 別の人が聞いてきた。 「るいはないやろ。これは多分、“かさね”や」 光瑠が返した。 「うん。かさねで合ってる」 光瑠がガッツポーズをした。 青木累。それが私の名前。 「累。俺は天瀬光瑠っていうんだ。光瑠って呼んでな」 「・・・・・うん」 私は、私の名前が嫌いだった。 累の意味は、縛られて離れられないもの、足手纏いのわずらい。 母が名前を決めたらしい。 生まれた瞬間から祝福されてなかったと思うと、なかなか悲しかった。 今はもう慣れたけど。
夏と罰#2
祖父母は温厚な人達だった。 農業を営む彼らは私たちを温かく迎えてくれた。 昔一度、私が幼稚園児だった頃に会ったことがあるらしいのだが、当の本人である私は何も覚えていない。 長い間この夫婦を守っていたであろうこの木造建築の家が今後の我が家になると思うと、この病んだ心にも明かりが灯った。 柱は角が取れて滑らかになっていて、床はところどころギシギシとは鳴るものの、それもまた年季を感じさせられて感動した。 私の部屋は広かった。元の部屋が狭かったのもあるが、それでも都会の一室よりは全然広い。 タンスに持ってきた服をしまって、ベットに横になる。 ふかふかで太陽に当てたれたいい匂いがした。 このベットは祖父が私のために新しく買ってきてくれたらしい。 殺伐とした環境から一変、思いやりと愛情に触れて泣きそうになった。