世界詩

22 件の小説
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世界詩

初まりの音色

透き通った深蒼の街並みは 日の光を確かに受けながら 全くその蒸し暑さを感じなかった 蝉の鳴く木や 港の向こうの 積乱雲が 確かに 爽やかな夏の訪れを知らせているのに どうも私の心の サイダーの蓋は開かないようだった 溜まった気泡が弾けてしまいそうな 今年の花火もそんな感じで パッと散り行くのだろうか 潮風が吹き運ぶ磯の香りと 駄菓子屋の窓に吊るされた 風鈴の音だけが 夏の暑さをこんなに紛らわしている 本当にただそれだけなのだろうか 私には見える この港の向こうの 沖のずっと底の方 悠々と泳ぐ鯨の群れが 40億年前の 『原初の海』 その静かな胎動が 私の血の 雫の一滴の その遺伝子のずっと奥 初まりの音色は まだ続いている

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初まりの音色

《反実仮想の標本室》

硝子の胎内で眠る骨時計が 七分だけ進んだまま夜を忘れていた 昼の仮面を被った魚が 逆光のベッドで呼吸をやめるころ 雲膜(うんまく)は静かに 眩暈の種子を孕む   君は まだ名のない動詞だった 未発掘の会話の化石を抱きしめて たったひとつの反射角だけで 「私にだけ見える不在」を綴じていた   あのとき頬に触れた風は 実はまだ誰の時間にも属していない 捨てられた視線の残骸たちが いまも空中で密かに議会を開き 最も感情的な沈黙を選出している   きっと 私は《私》を演じる抽象の影だった 首筋に貼りついた記憶の粘膜を そっと剥がしながら 今日も 誰にも贈られなかった手紙の 宛名だけを繰り返し練習している   扉のない日々 きっとこの世界も 既に崩壊し終えていた 君が まだ涙という機能を 正確に取得する もっと以前から…。

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《反実仮想の標本室》

正解

ある少年は言った 世の中は不思議と希望で満ちていると ある青年は言った それでも世の中は不公平だと ある少女は言った そして世の中は理不尽だと あるカップルは言った だが世の中は恋で渦巻いていると ある失恋者が言った やはり世の中の恋とやらは盲目なのだと ある夫婦は言った だからこそ世の中は愛が全てなのだと ある貧民は言った 世の中は私に対してあまりに無慈悲だと ある富豪は言った やはり世の中金こそが全てなのだと 最後にある老夫婦は言った 「それら全てが世の中の全てでもあるのだ。」と。

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正解

フレーバーリップ

香水じゃない 君の香りがした ふくふくの涙袋と 薄い肌の下の血管が透けた 君の黒の瞳が 何だか淡い茶色に見えた 君のまつ毛が下がって 僕の視界も真っ暗になった そして残った もう二度と忘れられない あのリップのフレーバー

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フレーバーリップ

歌うたいのCコード

ピックで弦を弾いた 奏でた拙いメロディに不意に笑みが溢れて その夜を忘れられなかった ヘタクソなコード進行を聞いても それでも君は僕の音色が好きだと すぐ横で鼻歌とあくびをこぼした 陽が出てまた沈んで 部屋の電気を消してはつけて カーテンを開けては閉めた 道端の木々の色や 草花の色も移って たまにはその姿を消した 日々上達するこの手に自惚れて いつしか君を思い出せなくなったら きっと僕だけが子供のままで歌うんだ 君のために始めた歌うたい でも黒い夜の過去はいくつもあった それはきっとお互い様なんでしょ? どうして分かっていて止められない 悲しい、寂しい、切ないが 痛いほどに引き離される二人の末路さえ ほんとに君を思い出せなくなったら 今も初めて引いたあのコードを弾くのさ 6畳の部屋君を隣に弾いたCコード 明るかった、始まりの音 それでも君を思い出せなくなったら 僕はCmを弾こう

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歌うたいのCコード

美麗的風景(愛すべき景色)

濃い霧も晴れて いつかその向こう岸も見えるだろうか 水面に揺れる月は いつかその下に泳ぐ魚たちも魅せるのだろうか 今私の目の前には 老いゆく村の姿があるのだ 長らくこの地とは決別していたが 理由もなくただ思い立ってまた戻ってきた 都市は行き交う人々の喧騒と 立ち並ぶビルの群れにより一層栄える一方 ここはあの頃から何も変わってはいない 元来ここは父の故郷だった 幼い頃は正月になると 家族総出で都会からはるばる出向いては 祖父母と新年を祝ったものだ しかし私も年頃になってから そのようなものは滅多になくなった あぁ 歳月の流れには何人も逆らえはしない 思い出の酸いも甘いも 気付かぬままそれら全てをここへ置いてきてしまった この山並みと そこに生える(映える)木々のように 私だって何も変わってはいないのだ 口ではここをど田舎だと蔑んでいても 心の奥底では都会の冷たさにうんざりしていた そして流離の憂いのみが残り 今だってかの山を仰いで 自然と目から涙を流しているのは 他でもない私なのだ 今宵またこの丘で星を見よう 少なくとも今だけはきっと 老いゆくこの村の行く末を見届けるべきだろう

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美麗的風景(愛すべき景色)

サウダージ 序章

“私が死んだらその亡骸をどこか遠い海の底へ沈めて欲しいー。” “そして、それは君でなければならないー。” 28年前ー。 「知ってるか? 鉛筆一本で線を描ける距離は約56キロらしいぜ。」 彼は唐突に、 私へ向けてくだらない豆知識をひけらかした。 「ピンと来ないわ笑」 私は彼と話したくなかった。 当時の私はひきこもりがち、 彼らのような陽気な会話など得意ではなかった。 ただ彼を突き放すように、背を向けて言い放った。 そしてそのまま立ち去ろうとした。 まさかその選択を28年後までも後悔することになろうとは、 当時の私は思いもしなかった。 「オゾン層よりずっと上!」 私はドキッとした。 それは彼の答えそのものに驚いたのか、 はたまたその声量のためかはしれなかった。 確かなのは、 その場を離れたい一心の私の歩みを止めたという事実だった。 同時に私の未来の何かが変わる気がした。 先程から抽象的なことばかりで申し訳ない。 ただそれこそが、 この物語で最も重要な部分であることも理解しておいて欲しい。 もう過去に戻ることのできない、 悲痛な私の嘆きを聞いて欲しい。 この儚く曖昧な感情を理解できなければ、 きっとこの話は理解できない。 フィルムカメラのあの色味、 あの淡い、暖かな風景があの頃にはあった。

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サウダージ 序章

雲外蒼天

街を取り巻く空気がしっとりと冷たい 雨のひと降りした後の 人々の気配が戻った街の中 交差点や信号 路地裏に室外機 ゴミ箱と雨だまり 今日はどうも綺麗な気持ちになれない 街中の無骨で俗なものばかりを見てしまう 用心深く畳んだ傘を握りしめた私は 近くの民家の窓に健気に吊るされた てるてる坊主を見た ささやかな祈りも届いたのだろうか 依然街を覆い隠す暗い雲の小さな切れ間から さっと一筋の光が差して その窓だけを照らしていた 雨の香りと街の喧騒の中 何か美しいものを見た気がした 大人になって 小さな幸せを忘れていた 私はただその光景に呆然と立ち尽くし 図らずも顔に少しの笑みを浮かべてしまった そしてまた歩き出した 雲に覆われた暗い日だからこそ 繊細な光の奇跡も見えた 長いこと忘れていた 日常の小さな幸せは 皮肉にも 私の嫌いな雨が教えてくれた

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雲外蒼天

ジョバンニのように

草原の静けさに包まれて 目を覚ますと 昼の疲れがまだ残る 本を開いたまま眠り込んでいたのだろう 風がそっと頁をめくっていたようだ 小川のせせらぎが耳に届き その水面に映る星々が まるで手のひらで掬えそうに感じた 星がうっすらと静かに揺れている ふと空を見上げると 満天の星が広がり その輝きはどこか手に届きそうで でも どれも遠すぎる 遠すぎる 手を伸ばしても あの星々は無限の彼方にあり どんなに願っても 人の一生では近づけないことが なんだかとても不思議で 同時に胸がひどく切なくなる 星の光が 遥か遠くの時間を越えて 今ここに届いている その輝きを感じるたび 自分もまた 無限の中に小さく生きていることを ただ静かに受け入れていた

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ジョバンニのように

うららかな日々

音色が咆哮を模しても 壮大な叫びは列仙のみが知った 瞳孔は狭窄して霞み 私はあまたの星座のなかに 忘れかけた日常の営みを見た 日々はうららかだった 雪解け小川も澄み渡れば まだ見ぬ青葉の色も脳裏に浮かんだ 日々はうららかだった もえた緑と謳歌す蝉の声 海のほとりではしゃぐ制服の君が見えた 日々はうららかだった ベージュの服が似合った姿を 青北がそっと吹いた 日々はうららかだった オリオンは高らかに唄い 君は仰ぎ無窮を指差した 私は確かにその日常に彼女と居た それを思い出してもなお 瞳から頬をつたる涙は 私の鼓動が最後のひと刻みを迎えるまで垂れた

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うららかな日々