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フォロバしますが、投稿しなくなったら凹んで外します。

第7回N1決勝『毒も方便』

『右折』 Right 1:右一般 2:権利一般 3:正しさ全般 腐れ縁があってか、かなり奇妙な環境で苦楽を経験している。 作家という職の関係上、巣穴の利便性はたくさんあって足りる事はない。「机と筆があればできる」というのは一般的な発想に他ならなくて、かなり不用心だ。うたた寝と心不全は似ていて、どちらも字書きを機能不全に貶める。だから、僕らには良質なカフェインとエデンの如き寝床は必要不可欠な訳で、それなりの金を要する。 そんな事情を抱えていると立地だとか備え付けだとかを気にする余裕はなくて、僕らは辺鄙な場所への引越しを余儀なくされる。財産が持つ強制力は神にも匹敵するから。 だからが為に生まれたのが我が家の事情で、あつらえられた目論見なんて物はない。 僕の家は螺旋状に広がる樵路の中心にある。勘定してみると、計二十回の右折の末にたどり着けるようになっている。 こうなってくると、必然的に右折が誕生したのか、逆に直線の方が譲歩してくれたのか知る由はない。どちらにしてもかなり不思議な外観なのは確かで、かたつむりの殻を想像してもらえると容易いと思う。 彷徨するにも道は一つしかなくて、撤退しよう物なら漠然とした不安は拭えない。由来不明の感情というのは間々ある。 そんな所に幽閉されているのは、一種の運なのかとも時折思う。 「ガラムとアイスコーヒー、ラージで」 二千と数十年の現在、僕はこの生活に説き伏せられようとしていた。財が強制力なら時は懐柔力とでも言うべきだろうか。それか単にカフェインやニコチンのせいだろうか。抜け落ちる牙を引き止める手法は知らなくて、僕は飼い慣らされている。この異質な集合住宅に、そして僕の自意識に。僕だけじゃない。これもまたきっかり二十人がここに囚われている。バビロン捕囚みたいな。 各々の要因は様々で、困窮という点のみ共通している。中々ユニークな体裁を保っているようで、働き方も多様性に満ちている。コンビニバイトだったり、作家だったり、綺麗好きの下水作業員だったり、サラリーマンだったり、経済学者だったり、無名の演者だったり、官吏だったり、騎士だったり、お役御免の蟹漁師だったりする。その職業の中で一番低い身分の人間が行き着くようになっているのだろう。そんな人間達が、ひたすらに自身の正しさや、生まれながらの権利を主張して右折の一途を辿る。 だからこそ、ここは英語の“Right”になぞらえて、『右手団地』なんて不名誉な名前で呼ばれている。 僕の買ったガラムを我が物顔で吸いながら、ジョニーは言う。「“ライト”には権利だとか正しいって意味があるくせに、“レフト”には義務なんて意味はないし、間違いなんて意味もさらさらない。困った物だ。面白味に欠ける」 「気まぐれがまかり通る社会に、シンメトリーもくそもないよ」 ジョニーは僕の友人で、財力で言えば僕より乏しい。遠くの富豪街から嘲笑しにやってくる少年達は色々捨てていく。彼はそれを漁って日々の糧を得る。酒瓶は振れば雫が出てくるし、舐れば味がするというのが彼の言い分だ。清濁併せ呑むと言うが、僕らはそれを足して零にした、いわゆる中道を行っている。 「だって、無駄じゃないか。無駄は嫌いだね。頭ごなしに単語を増やして、複雑に見せつける。ダイバーシティよろしく。枝先を色々増やしても、せいぜいかっこつけになるだけさ」 「僕からして見れば、煙草代だって無駄かもしれないだろう」 「こっちからしてみればそんな事はないぜ、文學君。人の金で食う肉は総じてご馳走。無料の煙草はドバイの香りがする」 ジョニーは囁くように言う。彼をここに追いやった原因の大元は彼の母にあるのだという。金を稼ごうとしない無一文で、生活を盗みで賄っていた。そんな生活に、毛も生えていない赤ん坊は不要だったのだ。彼はこの街の人に育てられたと聞く。 右手団地に一番近いコンビニエンスストアは、出鱈目と一方通行的なサービスによって名を馳せている。鯖を読んだ消費期限に、腹八分目を残飯で迎える従業員。サーカスの一団だと言われて、反論する余地を僕は陳列された商品以外に知らない。 天井の方が異物であると見せ掛ける雨漏りの量。乱雑に包装された菓子類は湿気っていて、そのおかげか犯罪率は一段と低い。 随分独創的なアイデンティティだと思う。 「執筆の調子はどうだい」 「それなり」 「そうかい」疲弊した歯を見せて、ジョニーは笑う。 「ご馳走様」 気味悪い笑みを浮かべるジョニーに煙草とコーヒーの代金を払って外に出る。これから始まるのは右方向への長旅だ。一定の角度を保って、永遠と右へ進む。が、あくまでも永遠と続くように見えるだけなのだから良い。シーシュポスの神話ではないのだ。時雨が止まないこの季節に、それは優しさなのだと僕は思う。 雑草を避けて歩を進める。誰が見ても異国だと思うこの建築様式は、道に彩りを与える。ヴィクトリアン様式に見えるが、見上げると禅宗様だったり、そうかと思えば隣にロマネスクだったり。詳しく知らなくても、ここにくれば表面的な語句は知れる。 もちろん、摩訶不思議な環境というのはすこぶる役に立つ。話を書くとなった時、架空の舞台を想像しなくとも、ここを舞台にしてしまえば良いからだ。空中にぷかぷか浮かぶ孤島なんて必要ない。設計者の悪戯にしか見えない奇怪な団地。種も仕掛けも御座いません。ただひたすらに螺旋を描いています。悪意はないにせよ、普通はたちが悪い。 バベルの塔然り、自己主張をしたがる建物はネガティブな効果をもたらす。右手団地も呪物の類で、財布の中身を吸い上げているのかもしれない。 夜道をしばらく闊歩して、約十二回目の右折をすると、広めの空き地が見えてくる。元々はそれなりに大きな商店があったのだが、一人のニコニン中毒者が煙草を引火させてから、その姿を消している。その若者は現在どこかに幽閉されており、残飯処理の奉仕活動を命じられているらしい。 そこには人影がある。どこか華奢で悪童じみている。ブロンドの髪をまとめているのは、引火の恐れがあるからではなく単なるお洒落だろう。焼け跡に背中を任せながら、惰眠を貪るように薄く目を開けている。 僕はそれが誰かを知っている。 「あら、お帰り?」 毎日の旅路で、毎度のように突然話しかけてくるのは、街で唯一の令嬢ハリエット。奇妙な団地の所有者である資本家の娘だ。立ち位置は郡司に近い。その娘なのだから、彼女もそれなりに権力を持っている。権利ではない。もっとストレートな力だ。 「お帰りですよ。右折至上主義の根城にね」僕の返答は決まっていて、一言一句変化した試しがない。それに由来した彼女の表情も変わらない。お互い変えようと思わないし、僕としては、金がある人間を好きになるとは思えない。 もっとも、嫌悪は好意に昇華しないが。 「作家さんはお口が達者で」彼女は笑う。 「権力者様は暇つぶしが達者で」僕も笑う。 「貧困は言い訳じゃ解決しないのよ」茶色のコートドレスを着た令嬢は、面白くなさそうに答える。 「馬鹿な脳髄よりは回復の余地がある」なくなりかけのアイスコーヒーを一口飲んで、淡々と返す。時計は平等に進むというのに、廃棄すべき言動の量には差がある。僕は多い方だから、人よりも時間が少ない。追われているのだ。皮肉な事に、追いつかれるのも時間の問題だったりするから困る。 「権力は、金がある程酷くなるのですよ」それが真理だ。 「僕は愚かだから、金を持ってはいけないのですよ。たとえ持ってたとしても、早急に処分してしまいますな。親友に煙草を買ってやったり、上質な紙を買ったり。僕にはその権利がありますからね」 誰だって己の美学を持っている訳で、僕らはそれをひけらかしていたい。日没が迫る小雨の団地は、舞台としてあまりにも出来すぎている。何らかの最終決戦じみているとは僕らもどこかで気づいていた。それでも続けるのは、あの令嬢が退屈していて、僕がライターだからであろう。もちろん書く方のライターだ。どこぞの右を表す単語に接尾語をつけた訳じゃない。 夕焼けに黒いペンキが染み出して、日が暮れようとしている。オレンジ色の球体が地平線の彼方を過ぎていき、僕らは取り残されるようだ。こんな時分に、不法移民は荷造りをして、疲れきった大人は欠伸をして、僕らはこうして立っている。誰もは権利を持ちながら、社会に懐柔して殴りかかろうとしない。抑圧されて、一般的な普通を生きて、至極ノーマルな死を迎える。それをロマンチックに取り繕う術はないに等しい。詐欺に違いないから。 カラスが鳴いて、黒い羽で逃げていく。その羽音と息遣いを感じて、僕らはしんみりと黙る。 そして数刻後、ようやくハリエットは語り出す。 「貴方は私の父に似ている。自己を持っていて、一貫して権利を主張する。意地っ張りな活動家みたいにね。あの人はこの団地を作ると言い出した時、本格的に母に見限られた。悪霊に取り憑かれたという噂が絶えない時もあった。結局、彼はすぐ心不全で死んだけどね。心臓にまでストライキを起こされた訳。残ったお金は使われる事なく、井戸端会議で父の葬式代について賭けていた」 令嬢は、空を見上げながら言うのだった。天空の中に親の影を探すみたく瞳を向けている。薄暗闇の中を雲が流れていき、その隙間からブルーが覗く。涙みたいに。 感傷に浸っているらしい。辺りからは様々な音がし始める。住民達が家に帰り、生活する音。焦げ付いたフライパンの音や、水道の音。様々な音に包まれているだけ、ここは無音になる。 「臆病者の富豪は嫌いなんです」場違いな事を言って、沈黙を打ち破ってみる。 「口だけ達者な作家よりは良いと思うのだけれど」彼女はくすくすと笑い、彩度の高い瞳でこちらに視線を移す。全てを見透かそうとしているように見えて、中々恐ろしい。 真白な手を後ろで組み直して、彼女は言う。 「私も貴方も、いずれ不名誉な方法で死ぬかもしれない。あとは、貴方のお友達もね。あそこの薄汚いコンビニの店員だって、煙草のおかげもあってか心臓病のリスクとしては無視できない程あるでしょう。貴方の行いで、いつか彼を殺すかもしれない。それでも貴方は、譲歩しないで己の道を進むの?」 ハリエットは視線をずらそうともしない。答えを待っているかのようにじっとしている。数多の空気の層で隔てられていても、彼女はそこにいて僕に問う。それは難問のように見えたが、右折を経験し過ぎた僕にとっては、造作もない問いだった。 「愚問ですね」 「僕の人生なのに、あえて権利を放棄し、他人の言いなりになる必要がありますか?」 令嬢ハリエットは大笑いし、目を擦りながら返答する。 「確かに、お互い様ね」 世界が完全に夜になる頃、団地の人々は己の生活のみを楽しんでいた。コンビニ店員のジョニーは自室に戻り、昨晩のワインの瓶を舐り、湿気った菓子を頬張っている。語られない人々も同様。ここは、自分至上主義の右利きしかいないから。でももしかしたら、左利きがいたとしても右折をするのかもしれない。 「今日はこの辺で」 ハリエットは大きく背伸びをして、僕と反対方向に歩き出す。そして、軽く肩がぶつかる。似た者同士で、自分の道を譲ろうとしなかったが為の応酬だった。 その横柄な態度に異議が喉元まで出かかったが、お互いわかっていたのだろう。それきり、言葉を交わす事はなかった。街灯の主張が可視化してしまうこんな夜に、馬鹿らしい会話はお払い箱という訳だ。理性も時雨に霧散してしまうし、続けて良い事はない。阿呆は昼間が似合う。 「机も椅子もいらないかな」 帰巣本能に身を委ねる犬のように、甲高いフラットヒールが後ろへ、胡散臭い革靴は前へ進み、それぞれの帰路に溶けていく。 クレーターだらけの白いビー玉が、奇妙な腐れ縁を嘲笑うように空中を走り出す。 (了)

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第7回N1決勝『毒も方便』

気がつけば、半月

気がつけば、半月。 月面に 霜降り荒む 天の人 大地に萌えて 時空のみ 悠々進む 十五日 始終も過ぎて 昨夜終わり 永芽吹く 濁り酒 水に流れて 清き黄金 拒絶に消える 下女に朝霧 頬を濡らし 大殿篭る 帝の草笛 嗚呼遊子 峠を過ぎて 頬の涙 枯地に消えん 恋心 機縁はなくて 歯黒は最早 布里の彼方

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第7回N1『彼方よ、愚かであれ』

『白い喪服』 「大体、そうやって死を悲しくしてしまう方が無礼というものじゃないのか。避けようのない平等な終末を、なぜお涙頂戴のイベントにしてしまう。自分自身が死んだとき、そう悲しんでもらいたいからか。そっちの方が大無礼じゃないのか」 叔父さんが式場にやって来たのは、蝉が空気を読んでくれない真昼のことであった。 その他親族の猛烈なバッシングに迎えられた叔父さんは、冒頭の論説を繰り広げる。純白のシャツに、純白のスラックス。穢れは一ミクロンも御座いません。黒一式の喪服軍団に対して、彼はレフェリーのような出で立ちだった。 それは叔母の葬式であり、僕にとっての叔母だから、もちろん叔父さんにとっては妻の葬式になる。人伝に聞いたところによると、かの奥方はテトロドトキシンの誤飲に由来する神経麻痺で命を落としたのだという。現場に残されていた大福と湯呑みが全てを物語っていて、それは、叔母が気に食わない男に一泡吹かせるための常套手段だったらしい。僕としては、あまり関わりがない人物であったがために何とも思わなかったので、叔父さんの登場には、困惑すると共に一種の高揚を感じていた。 当たり前だが、対して思い入れのない人間の葬式ほど退屈なものはない。特に僕のような未成年者にとっては、それこそ苦痛に他ならない。それなのに、大人は僕らのことも拘束したがる。負け戦への動員然り。無駄をしないよう育てるくせに、彼ら自身は無駄に取り憑かれている。 だから叔父さんは、僕にとってのメシアそのものだった。 「葉助、行くぞ。こんな可愛げない女の醜態なんて、若者のお前には苦が過ぎるだろう」 騒ぐ大人達を避けて、僕は叔父さんの手を握り駆け出した。その時の彼の笑顔を、僕は今でも忘れられない。 外はやはり暑い。連日晴れが続き、僕ら人類はエアコンの効いた室内への撤退を余儀なくされている。それ自体は別に良い。その様を美談に持っていこうとするのだからよろしくない。もう死んだ伯父の見解によると、地球薬缶化は人類の悪行というより、その網目を掻い潜ることに成功した太陽の躍進になるらしい。 向かう先は海で、そこには、僕らしか知らない秘境がある。ダンボールで作られた簡易的な避暑地で、レモネードの瓶を常駐させようというのは叔父さんの提案だ。冬のうちから建設を開始し、三度の崩壊の末に現在の形を保っている。僕はそこが大好きだった。 歩きながら、叔父さんは突然口を開く。「あいつは、昔良い女だったんだ」 「出身は外国の方でな。治安の悪い地域の生まれだったから、銃に慣れていたんだ。性格も荒れてた。気に食わないことがあると、その原因に穴を開ける。テレビジョンが面白くないなら画面に一発。冗談がつまらなかったら喉元に一発。最近暑いだろう。この季節になると、太陽を撃ち抜こうと天空にマグナム弾を向けていたんだ」 語る様子には、大気にも勝る熱さがあり、強情な母さんに良く似ていた。この一族には、古来の尖兵じみたパワーを感じる。 「だが、ついには改心した。ちょうど姉貴が男を引っかけた時だ。お前が産まれ、それなりに育った時期になる。奴は年齢を理由だと言い張ったが、俺にはわかる」 お前のためだよと最後に言って、叔父さんはそれきり黙ってしまった。これは彼の、『無駄な会話と世間体はお役御免』という信条に由来しており、叔父さんを叔父たらしめる構成要素の一つだ。下手な言語はいらない。言葉で侮辱するぐらいなら拳で殴れ。そんな人間である。だからこそ、多くの親族が彼をあまり好いていないのが現状であり、叔父はさも当然のように看過し続けている。 さて、僕らがそこに着いたのは、相も変わらず蝉の遠吠えが聞こえる午後であった。地球と太陽の一悶着にも区切りがつき、ようやく気温が落ち着いてきたように感じる。 叔父さんも後ろに続く。裾を出して袖をまくり、大して役に立たない弱風を入れながら歩いている。仮にも礼服なのだから、暑いのは当然であった。だから僕らは走った。人を吹き飛ばそうとする潮風が、今だけは恋しかったから。僕はまだ死なないから、感じることには素直でありたいのだ。 眼前に広がるテトラポット。秘密基地はすぐそこだ。塩害を知らない不法移民が作った畑の影に、ひっそりと隠れている。 「おい、葉助」 「死を悲しんで泣いてしまうぐらいなら、生きてることを思い出して笑っとけ。縁もゆかりもない他人に惑わされるぐらいなら、世界に中指を立てちまえ」 息を切らしている叔父の声。無駄を嫌う叔父の習性の中で、スポーツは息をしていた。彼の肺はアマゾンにある原生林のように豊かで、四肢だって負けていない。愚かな死はまだ先だ。叔父は走って逃げられる。 それを知っていたけれど、無駄な念を押してみることにした。 「叔母さんにも、そう言ってやれば良かったのに」 「兄貴の喉元に一発撃ち込んで殺した、あの女にか」 「伯父さんの葬式は、さすがに苦しかったよ」 二人は笑う。 そして叔父さんはギアを上げる。一段と強い潮風が吹いたのだ。横腹を殴りつけるような強風は、涼しくて心地が良い。だから僕らは駆け抜ける。 叔父は叫んだ。 「今死ねば、醜女と不男の喧嘩に巻き込まれるぞ!」 迫り来る夕方を背に、僕らは過ぎ去っていく。 弾丸に貫かれた太陽は、傷跡を隠すように沈んでいった。 (了)

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第7回N1『彼方よ、愚かであれ』

二行集

1 静寂の快晴よりも、私は降雨を選びたい。こゝろを、この身に感じるのです。 2 善人の第一条件は、他者を愛すこと。悪人の第一条件は、愛を知ること。 3 「月は陽光によって生かされている。月が綺麗と言う貴方は、一体誰を愛しているの」 4 「君はこんな私を好いてくれていた。けれど、私は運命に嫌われていたのです」 5 眠りにつくのは、僕が僕だからです。本当は、貴方のように凄みを帯びて起きていたいのです。 6 上手いのが聞きたいんじゃない。ただ、心に聞こえるように歌ってくれる歌手に惹かれるんだ。 7 森に住んでいた化け物は、意を決して、人を食いに里へ行きました。その時には、僕は既に殺されていました。 8 「そろそろ終わりにしよう。じゃないと、誰も始まらないから。僕は愛を叫んだから、もう満足さ」 9 誰も見たことがないのに、酸素は存在している。誰だってみたことあるのに、僕は人という種族名しか貰えない。 10 どこかが雨なら、どこかは晴れなわけで、探し求めれば、僕はいつだって明るくなれるわけで、そんなわけにもいかない。

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生きている時、林檎は赤く実る 死んでいる時は、腐り落ちる レム睡眠とノンレム睡眠 人生は螺。く 旋を描 逆さまになってみても、僕らの人生に花はない 。らかだ無はれそ、てっだ 無は、ひっくり返したところで何も無い 玩具箱は、おもちゃじゃない 神様がいるのなら、。う思とれくして殺 。 ん 生が嫌い』『自分の人 せ 稚児の夢を見ていた いから。 ま 格を否定する』『無駄な人 難し れ とても 忘 さあ、どうやっ は を て忘れ 。それ 脳 ようか 苦 。 これらの文字は芸術だ 悪 だからこれは 人性 だ 善 それでもこれらは命じゃない。 けれども中途半端じゃだめだ。 完璧でなくてはだめなんだ。 これぞまさに文学的いデオロギー 私の活字、君の活字。 眠りに誘え、脳髄を掬え。 だからはやく、はやく 早く

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行間の舞踏人

呼びつけておいて人を待たせる奴を、僕は信用しない。 「いい所なんだ。あと十二ページ待ってくれ」 その理屈において、たった今、彼は僕の信頼を失った。 アルキメデスを殺した兵士も、こんな気持ちだったんだろう。 眼光で本を貫こうとする彼を見て、僕は思った。 「アルキメデスは、幾何学に魂を捧げてた最中にローマ兵士に殺された。最後の言葉は有名だな。『図形に触るな!』だったか。お前もなかなか博識だな」 読書中に平然と返事を寄越す彼は、やはり信用できない。 「だが、少し違うな」 彼は続ける。「わかりやすく言おう」 「友達に不思議な奴がいた。そいつの家系は呪われてて、血を共有する人間は、同時に十人しか存在できない。十一人目が誕生すると同時に誰かがポックリさ。従兄弟でも叔母でも。腹ん中の餓鬼が獄中死することだってある」 「友人も怯えていたんだ。東洋の呪術医にかけあって、赤ん坊が産まれてこなくなる呪いを頼んだりしたらしい。木乃伊の中指でボンビージャを作って、それでマテを飲ませたりしたんだ。だが、それでも子供は産まれ続けた。そして、叔父が死んで、妹が死んで、また別の妹がやってくる」 彼は頁をめくりながら語る。この様をどう受け取るかは人によるだろう。本を読みながら、もう片方の脳髄で思考できる超人。会話に惑わされて読書を疎かにする愚人。僕には、後者のように思えて仕方ない。 残り八ページ。なるほど、確かに目は活字を追っている。 「ここまで聞いて、お前はどう思う」 どう思うと言われても。喉元から飛び出しそうになった彼女を制して、半ば強引に彼は語り出す。「いや、言わなくてもいい。察しがつくからな。日常の些細事にアルキメデスを持ち出す様からわかるさ。常識大好き。ジャンキーというやつだろう、お前は」 ボサボサになった黒髪。全身から太陽が逃げ出してしまったように、肌は真っ白。鋭い眼光をこちらに向けないで。彼は活字から目を離さない。僕は棚の方へと視線をシフトする。 部屋は暗い。彼の両親は生前、彼を嫌っていた。その時の風習が根付いているのだろう。彼は無類の地下好きだ。 彼女は彼の方を見た。続きを待っているのだ。 「よく考えたらわかる」 彼は咳き込みながら続ける。 「その友達は今も元気に生きているよ。天文学的な確率を抜け出して、十三人の兄弟姉妹、全員御存命さ」 そして、さも当然かのように笑いながら一言。「呪いなんてただの嘘っぱちだ。思い込みとそれに見合った強運。俺はその友達にあることを言った。そのおかげであいつは、今頃ドバイの方で女を引っかけて遊んでるだろうな」 彼はいい終えると、同時に本も読了したようだった。重厚なハードカバーを閉じて、顔を両手で包み、彼女の方へ体を向けた。 「本題に入ろうか」 人を待たせておいて、謝罪もなしに本題に入ろうとする奴を、僕は信用しない。でも、彼女は違った。それはいつものルーチンなのだろう。苛立つ素振りすら見せずに、黙って彼を見ている。 そして彼は掌をずらし、薄ら笑みを浮かべる口元だけを晒す。その目元は見えない。先程までの鋭さを保持しているのか、僕は分からない。 そして一言。口を開いた。 「この場に、俺と君以外の第三者がいる」 さらに彼は付け加えた。 「久しぶりの登場。“物書き”だよ。今だって俺達を記述してる」 彼女は驚いた。ストーカーのように人の後をつけて物語を紡ぐ大罪人が、今この部屋のどこかにいるのだという事実を理解できないのだ。彼女は反論を唱えようとする。だが、彼は止める。 「辞めたまえ。頭の悪い君の言葉は、書き記されるに値しないだろう。口には出さなくていい。これからは、気安く名前も使うなよ。多分、奴は君の名前を知らない。どうせ代名詞を使ってるんだろうな。『彼女』とか、ありふれて面白味に欠けるやつ」 僕は彼が嫌いだ。 そんな彼が、知ってか知らずか、僕の方を向いて喋っている。 「奴にとって、俺と君、奴からしたら、『彼と彼女』だろうか。とにかく、奴がどこにいるか、書かれ手である俺達は理解できない。どこかにはいるのだろうが、それが一体全体どこなんだと。 俺は、君の斜め後ろ辺りだと睨んでる訳だが。俺と目線を合わせているか、もしくは…」 彼は続けた。「気まずそうに棚の方を見ているか、だな」 彼は僕を殺そうとしている。 「記述される側を消すのは簡単。動かせばいいだけだ、親指やら、消しゴムやら。だが、実際に手にかけるのは難しい。消しゴムの役割は物語上の抹殺ではなく、完全なる抹消だからだ。奴が紙面にて俺達を殺すには、何千何万もの活字を用いて、シナリオを用意しなければならない」 「だが記述する側はいつだって、こちらに来ることは出来るんだ。ただ単に、作品を一人称にすればいい。例えば主人公を名前ではなく、『僕』として登場させるとかね」 彼は笑った。彼の瞳には全てが見て取れた。それは確信や嘲笑。様々なものを含んで、彼という一人の生命を構成している。 「多分予想通りだよ、物書き君。あの棚の中には、お前が望んでいるもの全てがある。俺の名前、本物の顔写真。彼女の名前、本物の顔写真。お前が俺達を記述する上で大切な、多くの特徴があそこに保存されてる」 「確かに人が殺される時、傷付くのはマネキンの皮膚じゃない。俺の頭蓋だ。色が似ているのは彼女の指輪じゃない。体内を巡る血液自身さ。だけどお前は、それらの主人の名を知らない、知ることはない。可哀想にね」 僕は、人が死ぬ物語を書けなかった。 「彼女が喋らない理由を知りたいかい」 「最初からお前がいたのを知っていたからさ」 「俺が喋っている間、お前は俺しか記述できない。つまりは、俺が語り続ければ、他の人間を記述する隙はできない。同士に二人の状況を、お前単独で演算できない。だから俺は、お前にとっての冒頭で適当な法螺話を披露した」 「お前が愚かだったのはその部分だ。物書きで、唯一の作者であるが為に、ある重大なミスを犯してしまっている。俺がお前に気づいていたという証拠を、見逃したんだ」 僕は気づいた。 「なぜ俺は、地の文であるはずのアルキメデスの話題に反応し、会話を繰り広げたんだろうな」 * 我に返った江崎(=『僕』)は消しゴムを手に取り、原稿用紙を引き裂くように動かすのだった。

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行間の舞踏人

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『踊』という文字を見て、そいつがうやうやしくハカを踊る姿を想像できない。 『猫』という文字を見て、そいつが餅に苦戦して死にかけてる姿を想像することもできない。 平仮名も然り。『こころ』という文字を見て、何故Kの姿が浮かぶのか。それは僕の読書遍歴の流出ということになる。 こうして、字書きの嗜みが生まれる。 僕らの仕事は、文字を使役して様々な情景をコントロールすることにある。『コントロール』という言い方が気に食わないのなら、『創造』としても良い。それが意味するのが、自分に内在している宇宙を表現することであるのに変わりないのだから、結構なことであろう。 だからこそ、僕らの物語には違いがなければならない。ここで言う違いというのは、何もジャンルやストーリー性の類似ではない。そんなことを言ってしまえば、僕らは紫式部をトレースしている訳で、光源氏なんかに提訴されれば勝ち目がないのである。 僕が言いたいのはただ一つ。他者の小説は、教科書なんかではないってこと。彼らのそれは、楽しみでしかないのだ。メロスが走ろうが、ウサイン・ボルトが走ろうが、僕らは僕らだ。李徴子が虎になっても、僕らはただの旅行客に過ぎない。動物園を巡回する一般市民だ。 いいや勿論、そう言う書き手が高尚な存在である訳ではない。字に上手いも下手もない。それはただのアイデンティティだからだ。幼児の落書きに心を動かされる大人がいるのはその為で、その内、世界平和を樹立させる一歳児が誕生しても僕は驚かない。 僕らは、『人間』という十四画の線に収まる存在ではないのだ。 確かに、芋粥を食えない不細工や、K(もちろん前述の奴とは別人)の昇天に考えさせられる日はあるかもしれない。 だけど、それとこれとは別である。他人の内容で考えさせられたのなら、同じくらい自分の言葉を紡ぎ出せということである。 だから、結論としてここに宣言しようと思う。 僕とは、紛れもない己であると。

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魔法をかけて

ある魔法使いが言った。「僕は、みんなを幸せにできる」と。 そして、続けざまにこうも言った。「でも、僕自身は幸せになれないんだ」 自分自身には、どう足掻いても魔法の効果を得られない。綺麗事なんてまやかしだ。他者の喜ぶ姿なんて力にならない。それは彼じゃないから。 魔法使いは、救済の対価として、『その人が持つ二番目に大切な物』を求めた。これから救われる身に慰めが要らないこと、それは自明の理であろう。だからこそ、彼は見返りとしてそれを求めて、今まで無縁だった慈母の愛とした。 しかし、当たり前とも取れるだろうが、それは何の役にも立たなかった。彼は、彼でしかないのだ。 そんな中、一人の少女が現れた。赤毛が綺麗な少女だった。 魔法使いは言った。「君は、僕に何をくれるんだい」 少女は答えた。「そんなの決まってる。魔法だよ」 数年後、魔法使いはそんな事を思い出しながら、腕に抱かれる赤子の額を撫でた。 魔法使いはわかったのだ。「魔法をかけて」とせがむ人々、さらには、その時魔法をかけてあげた僕も孤独であった事。 「人間は、魔法なんだね」 腕に抱かれている子は、まだそれを知らない。

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魔法をかけて

Of.The.Dasein

「存在はない。 宇宙はない。地球はない。大地はない。 生命はない。人間はない。植物はない。 腕も、爪も、細胞ですら、決して存在していない。 『何かがある』のではなく、『何かがない』のだ。各々は、各々の不在を証明する異なった姿の非存在に過ぎない。 即ち、そこには隙間がなかった。そこには『麻子』という、八百万の他者の存在を否定する現象があるのだから。 『麻子』は無意識のうちに動く。そうして結合する。『林檎』と名付けられた隙間の不在現象と結合し、それらは一つの何かと化していく。 まだ止まらない。さらに進んでいく。『麻子』が『林檎』を噛み砕く。歯と名付けられた因子が、赤と名付けられた『透明の不在現象』を飲み込む。そうすることで、『有』が生まれる。その果実は霧散し、『隙間の存在』へと帰属していく。 隙間はある。隙間だけがある。ここに存在するのは、ペテンである存在の否定と、第三者よろしく量産され続ける『活字』の暴走である。 無分別智ではない。分別を失った先で存在している一つのそれすらも否定するのがこれである。 プロタゴラスは言った。『人間は万物の尺度である』と。それでも違う。絶対的な心理がないのと等しく、個別の解釈すらも存在しない。これが指し示すのは不在の顕現、そして存在の消滅。相反する事象同士で対消滅を画策するのがこれである。 故に、この活字内に意味は存在しない。理解なんて、当然の如く存在しない。活字の存在に対抗するように、不在という刃を研いでいる。 矛盾は存在しない。存在しようとする意志が存在していないのだから、それは当たり前の道理であろう。 存在しない。これを読んでいる貴方は存在しない。そちら側から見れば、私も存在しない。そう見えるのは、そうしないと壊れてしまう脳髄の防衛機制に過ぎない。 何をもって存在を証明するというのか。つまるところ、それは誰にも分からない。それは存在しないのだから。 見えていない物ですら存在しないのだから、見えている物は存在しない。それは存在ではなく、何かの不在を証明する現象に過ぎない。現象は存在しない。それは存在ではなく、何かの不在を証明するこれに過ぎない。 だから、そろそろ結論を出そうと思う。 活字は存在しない。これは、紙面の空白の不在を肯定するこれに過ぎない。 『麻子』はそのこれを動かす。そして、結合する。空白の不在を示すこれに触れて、結合する。全て霧散して、二項対立に帰属する。 そうして、不在は存在と融和して、世界は『存在の不在』を知らしめるかのように、存在を否定して消えていく。 つまりは 」は、存在しない。 ∅ 。

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Of.The.Dasein

Dignity

「何か変な感じがするね。実感が湧かないと言うか、慰安旅行をしにいくような心持ちだよ、今」 カワードリスは言った。その気持ちに多少なりとも同情の意を示したのは、紛れもないフリードリヒのみである。その他の乗客は、二人がこれから、永訣の瞬間を迎えることを知らない。 二人が苦楽を共にした、この国においての朝の話である。 カワードリスを窓側の席に座らせて、フリードリヒはその隣に、年老いた体で腰かけた。別の地へ赴くという高揚感は何一つとして存在していない。旅の先で待っているのは、楽しい観光でも、辛い生活でもない。それは平等な終わりであった。各々が持つ生死の権利を、カワードリスは主張しているのだ。そして、その瞬間にフリードリヒがそばにいるのを願った。オランダ行きの飛行機は、二人を天の国へ連れて行く。一人は本来の意味でのその場所へ、もう一人は、精神的な意味合いでのあの世へ連れて行かれるのだ。 「君が悲観することはないさ。これは僕の結論なんだ。それに、なにも自決しようっていうんじゃない。僕はただ、最後まで、自分の意志で物事を決めたっていう誇りを持ちたいんだ」 同乗する老人は何も語ろうとしない。歳が離れているとしても、今から尊厳の精神に殉死する男にできる説法など知らなかった。そして、それはこの場にいる数十人の旅客も同じであった。各々が目的があったとして、それは、まだ先にも人間として生きる予定が見込めるための目的なのだ。 フリードリヒは黙るままである。これではどちらが不治の病なのか、わかったものではないと内心では考えている。 数刻後、やっとのことでフリードリヒは口を開いた。 「あっちに着いたら、まずは美味い飯屋に行こう。最後ぐらい、俺が奢ってやるから。屋台料理とか、お前好きだろう。そうだ、キベリングでも食いに行こう」 対して、カワードリスは平生と変わらない、あまりにも素直な態度をもって応えた。 「気分じゃないな。行くんだったら、景色が綺麗なところがいい」 そんな彼の発言は、老人の心を酷く痛めた。年長者である己よりも先に死ぬ若者が、誰よりも冷静であったことに驚嘆すると共に、半ば恐怖を感じていた。 死に対する畏敬の念の欠如が、どこか彼を人ではない何かに仕立て上げているような気概を感じさせる。それは、インド仏教における輪廻転生からの解脱に近く、超越的に映った。 外は異様に明るい。窓に移る真白な雲が、フリードリヒに一抹の安寧を与える。天と地の中間にて、暗黒の心に灯火を求めた。 「…まったく、やけに甘いコーヒーだな」 考えに耽ける友を見て、カワードリスは呟いた。 この旅路も折り返し地点。それが意味するのは、失ってしまった時間を取り戻すことはできないという一般的な事実と、類似した事象がまた数日後にやってくるという、大して役に立たない防衛機制である。無論、似た事象だと言うのは、全てが同じ出来事は二度起きない、という微々たる差を語る哲学論の話ではない。次を迎えるのは一人だけ。無情なこの事実が、明確な違いを生んでいるのであった。 「例えば、それは人を超えた存在に助けを求めるようなものだよ。何回も言う。僕は死ぬんじゃない。神様に治療してもらうために行くだけさ。そして、それはあんまり特殊な方法だから、姿形が変化して、地上に戻ってくるんだ」 「方便で、私を惑わそうとするのはやめてくれ」 フリードリヒの、偽りの願いであった。本当のことを言ってしまえば、それはお節介というものであるのだ。今はただ、未来の死者から目を離し、人々の動く影を目で追うことしかできない。 「フリードリヒ」 フリードリヒは何も答えられない。 「フリードリヒ」 答えようとしても、気弱な悪魔が喉を縛り上げている。声がせき止められて、顔を上げられない。 「おい、フリードリヒ」 あまりにも、心が病んでいた。 そして、だからこそ彼は、次のカワードリスの一言を忘れることはないだろう。 「君は、僕より先に死んでしまったようだね」 それは紆余曲折することもなく、すんなりとフリードリヒのこころへと突き刺さっていった。罪人を手にかける娼婦、乾きを求めて砂原に不時着する雨。そんな矛盾にまみれた穢れが存在していた。 フリードリヒは本が嫌いであった。結末が観測できる形として存在しているからだ。同じ理由で、映像も嫌いだった。結末の向こう側が描写されることは、まずありえない。 それなのに、カワードリスのことは嫌いになれなかったのだ。 「死んだと同義だろうよ」 彼は言った。今にも死にそうな顔で、囁くように言った。 そして、その後に言葉を付け加えた。 「私は、結末を迎えることが嫌いなわけじゃない。 結末を神格化する風潮が嫌いなんだ」 「いい加減、書くのをやめろ」 彼は言った。だけど、カワードリスは書き続ける。友人と過ごす最後の時間を記録するのは、書き手の仕事だからだ。物書きとして生を授かったのだ。それを全うせずして、何が人間であろうか。 ちなみに、この記録は僕の死亡確認と同時に破棄される予定である。書き残すことが文学ではない。消えてしまう可能性も含有しているから活字なのだ。 「もうすぐ着くよ」 フリードリヒは、もはや精神的な屍と化していた。そんな彼に、僕は言葉を送りたいと思ったので、そうすることにした。 「君は、僕の作品を好いてくれていた。僕はそれを、僕自身が持つ発送の妙のおかげであると捉えていた。だけど違っていたんだね。結末がやってこないという、安心感の表れだったわけだ。エンディングを意識させない文体が、君をゾンビにした」 「だけれど、それでは駄目だ。物事は、終わりがあるから美しいんだ。だから、あえてはっきり言ってあげよう。これ以上、君に情けをかける必要もないからね」 カワードリスは、一人の老人の顔を覗き込み、辛辣で、世界一優しい一言を与えた。 「僕は、死ぬんだ」 この一言をもって、フリードリヒはついに涙を流したのだった。 だから、僕はもう黙ろうと思う。最後の任務を終えたのだ。これ以上、生者への介入はするべきではないのだろう。旅路の中でずっとそうしていたように。 旅客は、夜の柔らかい光に照らされながら未だに眠っている。

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