ot
177 件の小説くぎり
不思議とお腹は空いていない 過となった喜怒哀楽をやり過ごす 不安が清らかな流れとなって ぼくの体内を巡っている どうやって生きよう 辛くなるときはぜったいにくる いつかは涙を流して その中で溺れていく でも怯えていてはいけない 変化を楽しむしか もはや選択肢はない 流れに身をまかせて この広い世界を踏みしめていく 不安は尽きることを知らないけれど 鳥は空を飛ぶし イルカは水面を跳ねていく 少なからず 誰かはその背中を見守っている さあ 旅立ちのときはきた 何かひとつの感情に 執着するのはよそう かけて かけて かけぬけろ 車の荷台は揺れている かけて かけて かけぬけろ
読み書きは湯水の如く【essay】
ことあるごとに不安になる毎日を過ごしてきました。 それは例えば、湯船に浸かったら、そのまま溺れてしまうのではないかとか、小学校では友達ができるかなとか、何か新しい出来事に直面するたびに苛まれていた気がします。 時には不安から、さらに枝分かれするように、新たな不安が生まれることもありました。 小学校で友達ができるのかという不安は、友達ができたことで解決し、その一方で、いじめられるという経験から、これ以上人から嫌われはしないか、という不安に変わりました。これに関しては今もたまに悩まされています。このせいで踏み出せなかった一歩は数えていてはキリがないほどあります。変に挑戦しているところを見て、友達は僕に幻滅しないだろうか、予想だにしなかった失敗によって、他人から嘲笑されないかなど、変化を所望するたびに、小学校の校庭で砂をかけられた記憶が蘇りました。 僕の現在までにおける遍歴の根幹には、他人を気にする不安がありました。小学校低学年から、卒業まで、具体的な解決策も知れずに懊悩していました。 解決策(解決策とはいっても、ただ気を紛らわせてその場しのぎをするだけなのですが)を知ったのは中学に進んでからです。 つまるところ、一冊の本に出会ったのです。 今までも、本を読むことはありました。それこそ小学校高学年の時期には、『シートン動物記』を貪るように読んでいました。ですが、その行為を明確に意識したのは紛れもない中学生の時期なのです。 出会った本というのが、ハインラインの『夏への扉』でした。 ざっくり言うと、親友に裏切られて未来に飛ばされた主人公が、過去を変えるためにタイムマシンを使って過去へ戻る、みたいな感じのお話です。ハード系ではなく、ソフト系のSFで、とにかく読みやすく、主人公の性格が面白くて、終わり方も爽快で気持ちの良い、最高の小説です。 そんな作品を読んでいると、僕も気づきを得るわけで、まあ当たり前かもしれませんが、本を読んでいる間は、嫌な現実を忘れられるのです。 それからというもの、僕は本を読むようになりました。 ハインラインは『夏への扉』を読んで以降新たな作品をとることはありませんでした。その代わりに読み出したのがレイ・ブラッドベリです。どこかのエッセイで書いたかもしれませんが、SFの抒情詩人と呼ばれる彼の作品は、温帯の草原のような穏やかさと、ゆっくりと唸る、曇天下における水面のような不気味さという二面性を持っています。不安や恐怖を感じるのが不快なのは現実だけなようで、僕はそのような異様さに、読書中は魅了されていました。学校でも読み耽りました。その頃にも友達はいました。幸いなことに中学はみんなが優しい素敵な環境でした。それでも読みました。読書中は、他人の目など気にならないのです。 そうして時は過ぎ、僕は一つ目の鬼門にたどり着きました。 高校受験です。 今まで挑戦とは無縁だった僕の人生において、高校受験は恐怖の対象でした。自分だけがそう、みたいな野暮な感性の話ではまったくなくて、他人にとってもそうだというのはわかっていましたが、どこか自分を低く見積もりすぎていたのか、自分はその何倍も恐怖しているに違いない、みたいな、漠然とした優越感(マイナス方向ですが)に浸っていたのです。 勉強はしますが、それでも不安は拭えません。もし落ちたらどうなるのか。大学受験ならまだ説明がつくだろう、だがもし高校受験で落ちてしまったら? 僕は誰にどう説明をすれば落ち着けるのだろうか、みたいな。 読書だけが心の拠り所でした。友達と会話しても、会話する度に頭の片隅には不安がいるのです。こんなことをしてる暇があったらできることがあるだろうに。勉強をすれば少しでも不安は拭えるだろう。けれど、実際に勉強をしても不安は拭えない。さあどうしたものか。認識と現実には大きな齟齬があって、どうも上手いようにはいかない。どうしよう、また不安が増えていく。 高校受験に落ちたらどうなるのだろうか。いいや落ちない、だからそんなことを考えるのはよそう。それなら、試験会場についてはどうだろうか。試験会場の場所がわからなくて、そもそも試験を受けられなかったらどうなるだろうか。どこかで何かをやらかしてどうにかなってしまったらどうしよう。ああ怖い。そもそもこうやって悩んでいる時間が無駄なのでは、それなら僕はどれだけの日数を無駄にしてきたのだろうか。これだけ無駄になってる人生、良くしようとするのはもう遅いのではないか。死んでしまったら別の世界に行けるだろうか。もしそこに行けたら、今度こそは無駄のない人生になるのだろうか。でも死ぬのは怖い。 だから本を読みました。 だから、僕は受験の時勉強をしませんでした。勉強をしようとすると必ず付きまとってくる不安が心底嫌いでした。 レイ・ブラッドベリ、フィリップ・K・ディック、円城塔、アルベール・カミュ。白状すると、この頃はもう面白いと思って読む読書は限られていました。ほとんどは不安を払拭するための道具として扱われました。娯楽として読み耽ったのは、ディックの小説である『ユービック』や円城塔の『Self reference engine』ぐらいです。 高校受験では、無事合格をいただくことができました。 高校では、楽しい日々が待っていました。とにかくいろんな新しいことがあって、学校に自販機があることが新鮮でした。 まあもちろんそれだけではなくて、新しい学校にはどうやって慣れようかとか、やっぱり友達はできるかなとか、不安もたくさんありました。前例と違っていたのは、不安を感じた時には、既に本があったことです。おかげで、少しばかり余裕を取り戻しました。そして、推理小説にはまりだしました。『館シリーズ』がとてつもなく面白かったからなのか、しばらく不安を感じない日々が続きました。 また不安を意識するようになったのは、高校二年生になった春のことです。もちろん、それはまた受験によるものでした。三年ごとにやってくる鬼門が受験で、言ってしまえば不安の源泉なのです。 今度は規模も違います。この前の高校受験は、せいぜい同県の戦いです。だけど大学受験は違います。規模は大きくなって、全国に敵がいます。その中から、僕ははたして行きたい大学に行けるのだろうか。 とにかく、不安の質(悪い方向において)はめちゃくちゃに良くなって、暗い気持ちになることが増えました。某動画投稿サイトでは、エンタメの動画だけではなく、勉強法の動画を流れてきます。それに感化されることは一度たりともなくて、不安を煽られるような心持ちの方が大きくて、とても嫌だったのです。何かしらに秀でている人の生きている様子を見ると、面白いと感じる一方で、とてつもない劣等感に苛まれます。そうしてまた不安は強まっていき、悪循環に陥ってしまうわけです。 そんな中で出会った神器の一つが、小説執筆アプリだったりします。 この頃には、読書においても不安を感じることがありました。不安を払拭する傍らで、将来を本格的に意識するようになったからなのか、小説の登場人物にさえ劣等感を感じるようになったのです。だから、哲学関係の本を読むようになりました。一番面白いと思ったのは、飲茶の『史上最強の哲学入門』という本です。わかりやすいだけではなく、随所でクスッと笑えて楽しく読める一冊でした。この人の本は不安を感じずに読めました。無性に同情してしまうような登場人物がいなかったからです。 ですが、そんな読書をしていると、今度は人肌恋しくなってくると言いますか、言ってしまえばただのワガママなのですが。 同情で不安を感じるのは事実なのですが、それでも、人の一生に触れて、読み解いていくというのは、とても心地良いものなのだなと思います。個人的には、同情するという行為は諸刃の剣だと思います。 そんなときに思いついたのが、自分が創造する側に回るという考えだったのです。 これが我ながら英断だったようで、書いている間だけは自由になれて、それでいて、自分の手中で登場人物を紡ぎ出すのがとても心地良かった。だから僕の中で執筆というのは消費活動なのかもしれません。不安を餌に想像を釣るのです。 さてこそ、読書(効果不良気味)に加え執筆という武器を手に入れた僕は、ゆっくりと大学受験へ向かいます。 勉強をして現実と向き合い、不安を感じたら本を読み、それでもだめなら執筆をするみたいな、いわば最強の布陣が完成したわけでございます。敵が現れたら剣を振って、物理系がだめならメラゾーマぶっぱなすみたいな感じです(わからない人はいないと思いますがドラクエです) ですが、そんな無敵の布陣にも終わりがやってきます。 受験直前期のお話です。 今までの不安は何かしら、わりかしはっきりしていました。友達についてだとか、環境についてだとか。受験直前に現れたのはそんな優しいものではなくて、とてつもなく漠然とした不安でした。 『僕ってどうなるんだろう』という不安は凶悪でした。読書中においては、様々な文章から生まれる思考の隙間をかいくぐって脳みそにアクセスしてきます。 Aさんが走って病院に向かった。その一方で僕はこれからどうなるんだろうか。Aさんの努力のおかげで、Bは元気を取り戻し輝かしい未来へ向かう。その一方で僕はどうなるんだろう。 漠然とした不安というのは、その漠然とした性質上、食い止める手段があまりにも少ない。執筆中も同じでした。ここでこんな文章を挿入しよう。ところで、僕ってどうなるんだろう。ここに句読点を打とう、そうしたらこの文章は削除して、僕ってどうなるんだろう。 漠然とした不安は、アタカンとマホカンどっちも持ってるラスボスなんです(さっきからずっとドラクエで申し訳ない) 僕が下した決断は一つでした。 僕は、死ぬほど本を読んで死ぬほど書きました。 寝て起きて、学校に行ってご飯を食べる。それ以外の時間は本を読みました。そしてそれ以外の時間は執筆をしました。それ以外の時間はそれ以外のことをしましたが、本に関する割合を増大させました。自発的にテンションを上げるように心がけたわけです。アタカンもマホカンもテンション上げたら攻撃通りますから(ドラゴンクエストモンスターズ参照) それに、負けなければ勝ちです。漠然とした不安には完全勝利できないと踏んだ僕は、引き分けに持っていく努力をしました。とりあえず、そうやって受験終了まで耐えたら僕の勝ちです。 たくさん本を読みました。 新たにアンソニー・ホロヴィッツを読みました。そこまで好きなタイプではありませんでした。スタニスワフ・レムを読みました。『ソラリス』しか読んだことないですが、世界観の作り方とか知的な文章が大好きでした。かの有名な『アルジャーノンに花束を』を読んだのもこの時期だった気がします。涙こそ出ませんでしたが、ぐっさりきました。一週間は頭の中に居座られてました。 他にも、グレッグ・イーガン、長谷敏司、ドストエフスキー、上田秋成、西崎憲、小川洋子、スチュアート・タートンなどなど、さまざまな作家の方に救われたようなものでした。 そして同じくらい、執筆しました。 その日に読んだ作品に影響されながら物語を紡ぎました。純文学調の作品を呼んだら、それっぽい雰囲気を感じる作品を目指して書きました。哲学的なものを読んだら、その意味不明さを共有したくて書きました。詩を読んだら詩を書きましたし、戯曲を読んだら戯曲みたいに書いたかもしれません。何度も書いて、何度も消して、そしてまた書いて。そうしている間、やはり僕は不安から多少なりとも脱却できます。読んでくれる人が増えてくれたのも嬉しかったです。 それからも多少の紆余曲折はありましたが、読んで書き、読書と執筆を湯水の如く行使した僕は、結果として無事に大学に合格することができました。 僕のこれまでの人生で、活字は武器でした。激動の時代と周りの大人が持て囃す中、僕が見出した対抗策が活字でした。不安をただの不安で終わらせないために、不安から心を振り向かせるのが読書で、言葉にして紙に記す術が執筆でした。しょうもなく具体的なものから大海のように漠然としたものまで、全てを網羅することができました。そのおかげで、今はなんとなく幸せです。 もちろん、不安に打ち勝ったわけではありません。今度は大学に対する不安、春から始まる一人暮らしへの不安。また尽きることのない不安が押し寄せて、僕を虚にしてしまおうと奮起しています。 僕が思うに、不安を根絶しようとするのは間違っています。それは言ってしまえば、手で抱えられるほどのバケツで、海水を掬い出してしまう行為に似ています。いずれ終わるかもしれないけど、それまでには果てしない時間を要する。馬鹿がすることです。 よく、死んだら楽だと言いますけど、死んで解決するのは肌荒れぐらいに過ぎないと、どうしても僕は思ってしまうわけです。生前で不安に苦悶していたのなら、死後も苛まれるに決まってます。 その代わりに僕が推奨したいのは、手に握った全てをゴミ箱に投げ捨てて、安楽椅子かなんかに身を放り投げ、大きく一回背伸びをして、そのままの勢いで、スナップをきかせて本を手に取ることです。もしくはペン、ノート(スマホの執筆アプリも事実上のノートと仮定します)、想像力。 読んで書いたらもうおしまい。そのまま眠りましょう。 僕はこのエッセイを、不安で頭がおかしくなってしまいそうな十夜の間に書いています。毎日毎日、昨日や一昨日に書いた文章を読んで驚愕します。ドラゴンクエストの比喩なんて使った覚えがありません。それでも今夜も書き続けます。書いた内容なんて、もうどうでもいいです。その行為自体に意味があるんですから。 もう数日もしたら一人暮らしが始まります。正直めちゃくちゃ怖いです。インドア派の性分をしているため、新天地が怖いです。電車怖い、バス怖い、なんかもう腹立つ。書き散らしたら全て解決。人生なんてこんなもんです。 これを読んでる誰かも、何か辛くて、苦しくて、不安に首根っこを掴まれているなら、有無を言わずに活字を持ちましょう。それが全ての解決策です。 皆様の新生活が、素晴らしいものになりますように。 ここまで長々と読んでいただきありがとうございました。 どうやら、もうすぐ僕も新生活が始まるようです。
スヴェトラーナ
1 ぼんやりと空を眺めていると、どこまでが地球で、どこまでが宇宙なのか、まったくもってわからなくなる。そんな面倒なときに限って、スヴェトラーナは姿を表す。 2 身近なところで、なんとなしに人が殺されたりする。愛憎の応酬だとか、愉快犯だとか、各々体裁は違っている。まあべつに、僕が死ぬわけじゃないから、そこまで深刻には思えない。死んだ赤の他人と自分を重ねるのは疲れる。 皿の上では、焼いたソーセージとベーコンの群れが隊列を組んで踊っている。焦がしたポテトは、ばつが悪そうに、どっかり座り込んでいる。 スヴェトラーナは、焦がされたポテトを黙々と食べている。 3 天気が良い日は外が心地良い。悪い日は内が心地良い。雨音を風流に感じる人間ではないにしろ、それが生み出す、停滞したような怠惰の街はなかなか気に入った。薄暗い室内から外を覗いている時間が好きだ。机上に転がっている泡沫を指先でつつきながら、視線はいつだって鈍色の大都会にある。 もう片方の手は、艶があって柔らかい背中を撫でている。獣毛の中には確かな体温があって、それが僕の腕を伝い上がってくる。スヴェトラーナは目を細めて、黙々と惰眠に耽っている。 4 近々、どこかの星が完全に破壊される。そんな気がする。街路樹の数々が惑星に見える。往来を行き交う車や人々が、隕石や流星群で、時々、暗黒物質の中をぶっ飛ばしすぎて惑星に衝突する。 根拠のない憶測と止まることを知らない例え話。人の本質はぼんくらじみた脳みそと、情熱的に動く細胞に違いない。だからといって交合を繰り返して繁殖しても、ただ単に増えていくだけ。 どうにも怖い。スヴェトラーナは疲れたように起き上がる。 5 月が落ちてくる夜には、スヴェトラーナを飲むと気分が静まる。 そんじょそこらの流星群とは規模が違う。空気が振動して、がたがたと音を立てている。その最中に、頑固にも生命は根付いているわけだから、そいつらも震える。耳が割れるような音を立てて月は落ちてくる。空一面を鈍色の球体が占めて、今にも劇を終わらせようとしてくる。デウス・エクス・マキナ。 紫色に輝くスヴェトラーナは、倦怠感を含む醸造酒。 6 「木星には墓標型の生命体がいます」 画面越しに話すスヴェトラーナの声は澄んでいる。解像度の低い彼女の顔と現実感。彼女は機械仕掛けの泡沫で、任務を終えたらもうじきに死んでしまう。任務というのは、つまるところ異星人の発見らしい。 「もうじき私は死ぬでしょうから、私は、このまま木星に突入します。生命体の姿をご覧に入れましょう。ついでに、私が埋葬されるであろう、墓石の姿も」 7 大丈夫だからと、僕は責任を負わないのに言うことができる。 スヴェトラーナは熱を持って喘いでいるというのに、僕はどうすることもできない。薬は尽きた。あるのは質の悪い密造酒と、食いかけの冷めた飯だけ。 出会った日のことを覚えている。ぼんやりと空を眺めて、星がよろしく輝く合間に、手に握った全てを飲み果たして死のうと。冷めきった世界に、スヴェトラーナだけが色を持っていた。 時計は、なんとか二十八時をさしていた。 8 遠い西の方に、スヴェトラーナという街がある。そこは有機物のみが存在する緑豊かなところだった気がする。彼女が死んでしまったら、そこに住もうと思う。 彼女の好きな馬鈴薯を作ろうと思う。収穫できたら、フライパンに油をひいて、塩とスパイスで炒めて食べようと思う。少し辛いくらいが好きだった。 どうにかして彼女を忘れよう。だけどそうしたいなら、木星にでも行った方がいいと思う。 9 信じられないことが起こった。 常識を虚仮にしたような恐ろしい事件、人間なんてちっぽけに思えてしまう。血に染った愉快犯が再び現れて、生命という生命に牙をむいている。対策委員会は武器を地球から買い込み、討伐に向けて奮闘している。もう何千人が悲しい運命を辿ったかわからない。 しかし、食い止めなければいけないのだ。 スヴェトラーナ、もうすぐきみの無念も晴らせる。 10 生き辛い夜に愚痴を吐くように、全てが終わったときには酒を飲む。焼いた肉を頬張って、苦くて甘いその液体で流し込む。 広大な五十七回目の夜に、地球と宇宙の境目を見つけた。それは何もかもに似ていた。窓を挟んで内と外があるのとまったく同じだった。かつて誰かが言っていたように。 もう数分後に空港を離れる。スーツケースには泡沫を詰めた。 今なら生きた心地がする。そう信じなきゃだめだ。 追伸、スヴェトラーナ、ぼくはきみになる。
雑文 4
原因不明の不調が続いてます。それは別に、熱があるとか、咳が出るとかではなくて、文章が書けなかったり、どこか気分が冴えなかったり、なかなか面倒くさいタイプの不調なのでして、どうにも解決のしようがなくてイライラします。 というか、この傾向は今年に突入してからあったのですが、そこで放置していたのがいけなかったのか、もう不調の悪化は止まることを知らず、文字は書けねえ、本は読めねえ、挙句の果てには寝れねえし、もうどうしたらいいんだってばよ。 あと、花粉が最近はひどいですね。朝起きれば一発くしゃみが出て、かと思えば昼も出て、そうと決まれば夜も出て、寝れないからオールして、くしゃみとの攻防は1日中続きます。まあ別にくしゃみ自体嫌いではありませんが、ごくたまにフェイントかけてくるところが腹立たしい。出るかと思ったら入口でちょこまかするだけ。そうゆうところだぞと、僕なんかは思うわけです。 この時期は、いかんせん悩みが増えて仕方がない。 無事大学に合格したはいいものの、一人暮らし怖えよ。 ここだけの話、ありがたいことに特待生として受かりまして、お金なんかもたんまり貰えるわけなんですが、勉強を頑張らないと没収されるらしく、はあもうやんなっちゃう。 何かと辛い日が続きますが、一番のストレスはやはり大学関係かなと。まじで一人暮らし怖えよ。何すりゃいいんだ。下手すりゃ野垂れ死ぬぞ。経験者いたら助言欲しいです。 話変わります。前述の通り本は読めませんが、まったくというわけでもなく、ちびちび読んではいます。 最近はボルヘスを読んでいます。まじで何言ってるかわからないけど、文章が綺麗で好きです。これに関してはただ単に訳者の力量な気もしますが、まあそれはそれでいいと思います、はい。 あと、アーサー・ビナードの新書を読みました。『もしも詩があったら』みたいな感じのタイトルだった気がします。コミカルな語り口で世界中のIFにまつわる詩が紹介されてて、面白かった。 音楽は相変わらず大好きです。 ジャズ系もっと気になるなあと色々聴こうとしてます。それでもアームストロングに戻ります。ジャズが好きというよりサッチモが好きなのかもしれません。でも、フィッツジェラルドはめっちゃ良かった。 あと、最近はモンキーマジックにハマってます。ゴダイゴの方のやつも好きです。よくわかりませんが、モンキーマジックの文字が見えたらとりあえず振り返ってる感じです。スピッツ好き。星野源いいな。マネスキンかっちょええ。直近だと、ファーストテイクの『三月九日』ですかね。もう大好き。 話変わります。卒業式は『旅立ちの日に』を歌いました。ほぼぶっつけ本番だったのに、全員ちゃんと歌えててすごかった。 なんかあっけなく卒業しちゃったなあって感じでした。やりたいことは星の数ほどあったのに、何にも手をつけずに終わりました。ノベリーには同年代の方が多いので、ぜひ後輩に向けて助言をしたいのですが(させろ)、やりたいことは速戦即決でやりましょう。じゃないと何もやらなくなってゲームオーバーです。あと、自分の学校のレベルとか気にするべきじゃないです。沖縄でも天国でもゴキブリはゴキブリです。それが嫌なら何かしらやり遂げましょう。ゴキブリからのアドバイスです。 よし。 満足したので終わります。 またいつか。
機織と宇宙の夜
愛しのヨンネルくん、わたしが、短絡的な懊悩を回避できたのだと知ったとき、この世が綺麗事だけでは語れないと知りながら、それでも、なにか純潔で高尚な、きみだけの美しさを垣間見れたような心持ちがして、嬉しくなった。 きみをこの目で見るのは、時計の針を、美的観点から追うのと等しいものだった。物事を成す上で目的が粘着してくるのは、甚だ堪忍し難いものに違いないが、それですら、きみのためならば許せるのだと思う。だからわたしは、きみに美しさを覚える。 淡く美しい母胎から産み落とされ、その資質を遺憾なく身に覚えている。それは素晴らしいことである一方、度が過ぎてしまえばそれまでだ。過剰から破滅に陥り、不足からは虚無が生まれる。きみは無事中庸の海路にたどりつき、愛されるべき少年へ、その茎を伸ばしていく。わたしの翼がまだ一対あったころ、確かに見ていたように。 きみが言葉を拾い歩くのをよく見ていた。 粟粒ぐらいの活字を次から次へ拾い歩き、その文字に青い瞳を近づけて、鼻から匂いを嗅いで、口の中に放り込んで吟味した。芳醇な甘さを知ることがあれば、同様の頻度で、悲哀という渋味を知ったはずだから、おそらくは、何度も狼狽したことだろう。だが案ずることはない。その全てがきみの遍歴となって、いつか綺麗な月光のもと、あのお星様へと帰属するから。言葉は、天から賜った、淡雪のような清濁のかけらで、知覚が意味するのは、まぎれもない銀河への旅だからだ。積み重なっていく書物の群れは、流星群に違いないのだ。 だから、きみは良く成長した。 父母の愛、書物の聖水と毒。天の川に流れる星。辛い漢字と、卸した大根みたいなことわざ。なかなか上手くいかない世界は鞭となり、そして雨となり、香草の効いた刺激的な外界からきみを守ったその住処は、どうやってきみへの愛を謳うのだろうか。問いの答えは、頭上の暗黒の中で輝いている。 一つ、解決すると思われない問題があるとすれば、きみが空を向くとき、はたしてその瞳に、わたしは映っているのだろうか。どうにもわたしにはわからない。 それとも、対価を求めてしまうのは、強欲だろうか。 わたしができるのはせいぜい、心地の良い道を示すぐらいに留まってしまう。きみの頭の上に坐しているのは傍から見ても滑稽だろうから、不都合極まりないこの生を、わたしは一家の風見として終えようと思う。 ある嵐の日に、私の片翼は落ちてしまった。不格好になってしまっても、わたしは幸いなことに、まだ使い道が残されていた。生物的な構造全てが、本来の意味ではなく、装飾的な意味合いのもとで輝いているのだとわたしは知っていた。 どうにも重くて、風と共に去っていく同族のようにはいかないことなど、とうの昔に理解した。 だからわたしはきみを羨んで、妬みさえした。良く成長したきみはどこにでも羽ばたいて行けるのに、その行為の象徴的な存在であるわたしはそうではない。誰もがわたしを嘲笑しているのではないかと、どうしても、要らぬ憶測がよぎった。電気羊の夢を見る、機械人形のように。 だがきみは、そんなわたしに興味する素振りすら見せず、小道の先を歩いた。無関心はわたしの毒を除いて、少なからず清い存在へわたしを戻した。夢から醒めた。 愛しのヨンネルくん、きみが旅立つのはもうすぐに違いないのだろう。風が撫でるその頬は少しばかり乾いて、硬くなって、成長という文字が刻み込まれているように見える。 広い道を、ひとりで歩かなくてはならないときがきたのだ。 きみが飲み込んできた活字たちを、今度はきみが、生み出していくのです。 創るのは至難の業だ。きみがそれを生み出そうと模索しているあいだ、それはこの世界から根絶する。想像を諦めた瞬間、背中を嘲笑うかのように、空を割いて舞い戻ってくる。飼い慣らすことが重要なのではない。ただ、扱い方を知れば良い。 そうして言葉を紡ぐことに慣れたら、順応した身体は老いて、ゆっくりと終わりに向かっていく。 使用されたものが朽ちていくのは夜の摂理だ。何も怖がることはない。それでも恐れを拭えないのならせめて、永訣の前に、過去の日々に命を寄せるに他はない。父母の愛、書物の聖水と毒。天の川に流れる星。辛い漢字と、卸した大根みたいなことわざ。それらがきみを助けてくれるのだと祈れば、黙々と存在を信じることができれば、何かが変わるかもしれない。その一心で、終幕に対して無関心を装うしかないのだ。遠くの過去に存在していた、風見鶏のように。 だがそれも、風の前を漂う塵のように、儚くも美しい一生の一部であるということを、了解してほしい。わたしが示す、最後の春風として。 さてこそ、きみが旅立つときはきた。 縛るものは何もない。何もないからこそ、何にでもなれる。 その黎明期の最中で、きみがどのように生きるのか。 わたしは月並みに、ここから見ていようと思う。 わたしよりも遥か上空に位置する月よ。 あなたが、可愛げのある一人の人間だったら、わたしたちは不可視の壁に耳をつけて、もしもしと声をかけただろうか。 無論、そうではない。 人々がもしもしとお月様に呼びかけるのは、その荘厳で優雅な外殻と、あまりにも輝かしい瞳とで構成された肉体。美的な観点から見たとき、最上に位置する、宇宙へ向けられた憧れ。 それだけ素晴らしいものには、ぜひ見ていてほしいと願う、一番美しい、顕示欲があるからなのである。
)
活字は、治外法権に産み落とされた隷属に過ぎない。 同様にして、産まれるはずだった感情の数と等しい。 活字の群れが人類に屈服する現象を文學という。 反旗を翻す現象には名前を与えられていなかった。 壮絶な不遇を受けても、文字は反撃する術を知らない。 苦痛を代わりに演じさせる。 それは一種のマリオネットのように。 それを愛とは言えないのか、星が光る夜。 自由を代償に博打に励む、それは言葉。 全知全能である言葉を信仰する文化を、文學という。 文字のために供物を据える。 言葉は人類に豊穣を与えて、それらは阿片になる。 乱れ狂って、交合する。 それはある種の罪人のように。 それを秩序とは言えぬだろう、星が光る夜。 紙の中で笑っている、それは言葉。
物語る【essay】
活字は愛想を尽かしやすい。 相互愛を宣っておきながら、時間が経つにつれて僕の前からいなくなっていく。あれほど簡単に思えた綴りも、今となってはそう上手くはいかない。一文字、また一文字と言葉を紡いでいくはずの我が手腕は、鉛となってしまったかのように動きはしない。 物語ることが救いになるのは分かっている。 それでも止まる手がここにある。 羅針盤に諭されるように東奔西走と文字を書き散らしてきた。 それでも、納得ができない。 理想は人に未来を与え、果てに栄光ある豊穣をもたらすが、それと同時に、選民でもするかのように、終焉を与える。終焉とは、結末それ自体を意味する言葉ではないはずだ。その言葉は、始点から一歩踏み出したその瞬間にゴールが既にある。そんな現象を意味しているに過ぎない。 だから残酷だと思う。 文字を書くという行為は才能に依存するのか。 違う。 努力に依存するのか。 違う。 他者からの攻撃を根源とするのか。 断じて、違う。 全て気まぐれに違いない。 僕の文字があるのも、誰かの言葉があるのも、遠い異国の活字が硬水のように受け入れがたく見えるのも、全ては運命であり、世の常ではない。それをあたかも、辛く感じてしまう。 全て無意味だったのか。 高すぎる理想によって、いつか何物も満たせずに終わってしまうかもしれない。己を高く見積もりすぎて、いっときの愚行によって完全な自己破壊に陥ってしまうのか。 全て違うと信じてると、僕はただ、言葉に残しておく。 自分の文章とは何なのか。自我同一性とは。それは、端的に言えば、自分自身における読書の遍歴を、ただアイデンティティと言って書き記しているに過ぎないのではないか。自分のと信じてやまないものは、芥川龍之介と、ハインラインと、ブラッドベリと、種田山頭火を集め固めた、不純な色の粘土なのでは。 それともそうなのか。それを知っていてアイデンティティと呼んでいるのか。その読書遍歴、好きな作家の組み合わせ。はたまた語彙の選択、語学の選択。その組み合わせによって生まれた不純不潔な色を独自であると呼ぶのか。 何度と枝分かれしていった樹形図もやがて結集し収束し、また一本へと戻っていくのか。そうしたら、その果ての一本筋に現れる何者かが真の作家で、その途中に座している僕ら字書きは、ただ将来の為に生まれた無意味な構成要素に過ぎないのか。 そんなものは辛すぎる。 自分は踏み台にされるのか。 そうなるぐらいなら、より良いものを残していかなければ。 そうして、理想は高くなっていく。 筆を固く握りしめるくらいなら、いっそのこと手放してしまえばいい。どうせ望むものは作れないから。そうするくらいなら、外を見るなり、眠りこけてしまうなり、自身に負荷をかけない過ごし方の方がよろしい。筆は単に握り持つものであり、握りしめて折るようでは先が思いやられる。そう思う。 それで、書けそうになったら、書いてやる。 素直に飲み込まれるのは嫌だから、少しでも抗おうとする。 僕のおかしな文章は、こうして生まれるのだと、今はそう信じている。
よだかの桃源郷
硝子色のむしを捕まえた。虹のような弧を描いて飛ぶそれを捕まえたいと思ったのは、僕という性の人間が、幻想的なものに掬われてしまうような好奇心を持っていたからだ。 硝子色のむしは、僕の手中でのたうち回って、やがて諦めたようにこっちを見た。同情は買われないというのに。 瞳が動いた。 むしは言った。 この世界は鏡像だ。その証拠に、鏡の向こうに見える景色を逆に感じるのだ。自分たちは間違っていないと、これでもかと自己暗示をかけて、いつの間にか、悪を外に疑っている。 むしは言った。あの無色透明の直方体の向こうにこそ、本当の世界があると。 きみが疑っていたもの、それこそが本物だと言い放たれて、気分はどうだ。悪いか。硝子色のむしは冷たく言った。 君はどこから来たの。 硝子色のむしは、僕を見つめる。 それなら、なぜ僕は本当の世界に行けないの。 硝子色のむしはうなずいて、言った。 偽物は檻に閉じ込めていなくてはならないからだ。 それなら、本物の僕はなぜこっちに来ないの。 硝子色の翅がぶんと揺れて、ハイゲインノイズのように、高く囁いた。 本物は、自分の偽物なんて気にしないからだ。 それなら、僕は死ぬのかい。偽物だから。 獄中死という意味でなら。その通りだと、むしは顔も変えずに言い切った。 僕たちは、百年後に執行されるらしい。 硝子色の鱗翅目は言った。きみたちが死ぬのは、罪に問われている罪人だからだと。それでも人権はあるから、最低限の自由が保証されて、反省する時間を与えてもらっている。 それでも、檻に巣食う人間なんて腫れ物のように触りたくないから、勝手に死ぬ分には無視を厭わない。いくらでも走っていい。だけど、そのせいから発作を起こしても、鍵を開けて檻に入って、介抱なんて絶対にしない。 「それは、身勝手じゃないか」 むしは、何も言わない。 鏡の向こうには、罪を犯す文化はない。 誰かを殺しても、それは罪ではない。誰かを殺した人間は、その乱れがどうにか鎮まりますようにと、綺麗に削った御影石を渡される。無事に落ち着きを取り戻したら、それを、殺した相手の家族に渡して、何もなかったかのように日常へ帰属していく。その行く末を見守ったら、御影石は棺の中に詰められて、亡骸と一緒に埋葬される。それは、透明で清らかな川の流れに乗っていき、やがて大海原に出る。海原は、段々と黒く染まっていく。 君たちは、星空を綺麗に思うだろう。 むしは、空を見上げようとしなかった。 一般的な家庭の子供部屋から、罪人の檻に変わってしまった僕の部屋は、随所に埃をかぶりながら、大切に本をしまっている。 本棚に指を差し込み、本を引き寄せる。角度を徐々に変えながら傾いて、僕の掌に本は転がり込んだ。充満する淡い香りは様々なものを内包していて、その一つ一つを僕は鮮明に覚えている。落涙するような思いも、命すら賭けようとする想いも教えられたから。 本の表紙にタイトルはなかった。タイトルを探そうとして、著者名もないことに気づいた。そうして僕は、ここが檻の中で、全てが偽物であることを思い出した。 本を開くと、そこには活字がまだ確かにあった。一度でも目を離すと、しかしすぐになくなってしまう。深い霧中に消えるように忽然と。そして、虫の羽音のように不規則に。 鏡の向こうには、面白い小説はない。 悲しみがない。鏡の向こうには、罪の意識も、それに由来する贖罪思想なんかもないわけで、往来を行く人の顔を見ても、彼らのそれには、小さな幸せも、小さな不幸せも、見つからない。 もうおわかりかと思うがと、むしは言う。 君たちの人間性も、鏡の向こうではおとぎ話だ。 むしは折りたたんだ翼を広げて、僕の掌で悠然と立ち上がる。 鏡の向こうの学校では、おとぎ話を学ぶ。 あるところに、変わった人間がいました。 彼らは、身近な人が死ぬと泣きました。その近くで包丁を見つけると、顔を歪めました。すると、その落涙は、さらに熾烈を極めました。 彼らは、病気の人があると、その人がいつか死ぬことを考えて涙しました。そして、死にませんようにと願います。その時でさえ彼らは泣きました。そして、いつか本当にその人が亡くなると、今度は笑顔を作りました。涙では、人を弔うことなんて不可能だと考えているからです。 硝子色のむしは翼を広げて、嘴を鳴らしながら続ける。 君は、これがおとぎ話だと思うか。 鏡の向こうでは、世界を作る文化がある。 神なんていないから、全てを自分たちで行なう。誰かが深い海を作れば、誰かがそこに魚を浮かべるし、ある人が陸を増やせば、またある人が種を蒔くだろう。協力を礎に据えれば、なんだってできると信じていたから。 だがその中には、全てを一人で完結できる万能人もいる。一人きりで想像し、破壊できる人間が。 ある時、悲しみが実在する世界を作った人がいた。 月を丸めて、太陽に絵の具を垂らして、世界を作った。 人形に血肉を分け与えて、瞳に愛憎を垂らして、そこに放った。 すると、そこは美しく発展して、その創造者の目には、その創造者の目にだけは、鏡の中よりも美しく映ったのだった。 その世界に行ってみたいと、思うようになってしまうほどに。 そうしてついに、彼は入口を作った。それは門の形状をしていない、なんとも妙なものだった。溶解してしまった金属のように曖昧で、そこをくぐってしまえば、自分が自分でいられなくなってしまうような気さえした。 それでも彼は通って、結果として、小さな子供になった。 罪人と同族になったつもりで道を歩いていると、やせ細った猫の死体を、彼は見つけた。 往来の人が足を止めて、その近くにしゃがみこみ、手を合わせていた。 彼もその文化を真似て、手を合わせた。 彼の目尻から、とても澄んだ雫が、ひっそりと落ちた。 それがなんなのか、彼にはわからなかった。 「悲しいんだね。君は、動物が大好きなんだね」 先にいた大人の女性が、彼の頭を撫でながら言った。 彼は徐々に理解するようになった。重厚な悲哀の根源がどこにあって、それがあることによって何が生まれるのかを。長い夢から覚めたように、彼は涙を流すようになった。 鏡の手前には、涙を流す文化がある。 時計の針が一周もする頃、空を見上げると、そこには暗い水面があった。輝く砂粒が散りばめられていて、壮麗な景色だった。 無論、彼は満点の空を見て涙した。だが、その時に彼が知らなかったのは、感動を与える美的事象が、鏡の向こう側から流れ出てきているということだった。 星空を綺麗に思うのは、罪があるからだと、むしは言った。 むしの話を聞いている間にも、時は刻一刻と夜に向かって歩を進めていた。窓を開けて空を見上げると、確かに、翳り一つない青空に、黒色の塗料が溶けだしているような、そんな印象を持った。 硝子色のむしは、蓄えた羽毛を風で揺らしながら空を見上げた。 「真実を知ると、感情を得ても、そこから美しさを見て取ることができない」 人を殺した人間が当たり前のように許されて、その名残が川の流れに乗って、罪人たちの世界に流れ込む。 濁った夜空。それは融解した命と、罪人の名残。 私は、鏡の向こうが怖くて仕方ない。硝子色の硝子は言った。 硝子色のむしをテーブルに寝かせて、罪を隠すような足取りで洗面台に向かう。素足が床に張り付く冷めた感触が、とても鮮明に感じられた。 鏡の端に、小さな穴ぼこが見えた。まだ乾いていないセメントのようで、そこを覗く僕の瞳が、なせか涙ぐんでいるように見える。 人差し指で、軽くそこを撫でる。柔らかく、手にくっついてくる感触。そこは好奇心の源だった。その向こうには、断絶されたはずの真世界が広がっていて、僕が訪れることを脱獄と呼ぶ新世界が広がっている。 指先に力を込める矢先、確かに、僕の人差し指は鏡を貫いて、その先にいるであろう何者かを指差した。罪人に酷似した本物の僕だろうか。詮索しようとする気持ちすら僕のものではない気がして、恐ろしい心持ちを覚えた。指をそっと檻の中に戻して、洗面台を後にした。 鏡に映った姿を、僕は直視できていない。 彼が鏡の向こうに戻ることは決してなかったと、硝子色のむしが言った。 悲しみを知った彼は、鏡の向こうに疑問を覚えるようになった。なぜなら、そこでは猫は死なない。ただ倒れるのだ。女性は誰かを慰めようとしない。みんな笑うからだ。果たしてそれが正しいのかと問い続けて、やがて彼は、猫の死という悲しみを共有した女性に看取られて、獄中で亡くなった。死んだ後になって、その女性は彼に、蝶々という名前をつけた。どこからともなくやってきて、悲しみという蜜の味を知って、そのまま天国へ飛び去っていったから。夢から覚めた後は。むしは言い淀んだ。 硝子色のむしは、鏡の向こう側からやってきた。 むしは、この世界を作った男の、唯一に近い後継者だった。不条理なおとぎ話に異を唱えた、数少ない生命体だった。 むしは、博士に活字を教えてもらった。そして、それが彼の作る世界に注がれるのを、一番近くで見守っていた。巨大な羅針盤の中に、自分が知っているものが組み込まれていく。その感覚が、むしの胸を満足させた。どこかこそばゆくて、純粋な喜びだった。 その黎明期に立ち会えたという事実が、彼に喜びを教えた。そして、その喜びだけで、彼の感情は完成していた。 だがある日、むしが寝ている間に、博士は書き置きを残して永遠に戻らなくなってしまった。 「ただ一言。夜明け前には戻ると書いてあった。真っ赤な嘘だとすぐに気づいた。きっかり十年と二十時間、彼は戻ってこなかった。私がここに来たのは、博士の亡骸を見るためだ」 硝子色のむしは言った。 話を聞いて僕が考えたのは、博士はなにも、嘘をついていないという、ただその事実だった。どう伝えたものか、それだけがわからなかった。 だから一言、亡骸は、多分燃やされていますよと言った。 日々を経るにつれて、硝子色のむしはその姿を変えていった。四肢が伸びて、眼差しに色が宿った。伝染していくように全身へ広がり、やがて成虫へ育ち切るように、人の形を成していった。人というよりも、神だなと思った。 もうじき私は死ぬと、硝子色のむしだったものが言った。 そして、死ぬ前に悲しみを見たいと言った。 だから、僕らは街に繰り出した。実感は湧かなかったが、ここも監獄の中だから、空気が悪そうに彼は過ごしていた。多重構造のように檻の中にも檻があって、ましてや、既に獄中であるというのに警察を自称する輩すらいる。なんという皮肉であろうか。 探していたものは、すぐに見つかった。 煙を上げるトラック車があった。歪に曲がった電柱があった。そして、寝かされている暖かな身体があった。 医者を名乗る罪人が、手は尽くしたといって膝をついた。その隣で泣き喚く人はいなかった。呆然と立ち尽くして現場を見守っている。傍観の罪というものがあるが、これがそれに該当するのか、神のみぞ知る。 硝子は静かに歩み寄って、その女性の近くにしゃがみこんだ。 女性は顔色を変えずに、口元は軽く引き締めるばかりだった。由来が知れない青空の下、彼女は生涯を終えようとしている。 硝子は、猫が人を真似るといった具合に、誰かの見よう見まねで手を合わせて、瞳を固く閉じた。 その姿を見て、女性が何を思ったか僕にはわからない。赤の他人だからだ。だけど硝子には、その言葉の意図が分かったかもしれない。 「あなた、まだ、いたのね。夜明けは、まだなの?」 その問いに対して、全てを理解したのか、硝子の返答は単純ながらも的を得ていた。 「ああ、まだまだ。夜明けは、まだずっと先だ。だから」 硝子は泣かなかった。 夜明けは確かにまだ先だと、硝子が言った。夜明けを拝むには悲しみを知りすぎたと、むしが言った。彼の身体は既に、鏡を越えて元の世界に帰るには大きすぎて、さらに老けすぎていた。皺を生やして老健を語るのは哺乳類の特権。むしも例外に漏れることなく遂行してみせたに他ならない。 硝子は布団に横になった。監獄の冷たく硬い寝具に横になった。 監獄で一生を終えるのはどんな気分だと、僕は聞いた。 僕の何気ない質問に、悲しみを知ってしまった硝子は答えた。 それを書き記すのは、やめにしておく。彼の名誉のために。 僕らには当たり前のことでも、彼にとっては天地がひっくり返るような驚愕なのだ。 その翌日、彼は堪えきれずに死んだ。 彼はその肢体を丸めて、虫がたどるような呆気ない死に様を晒した。得た色彩も夢物語のように失われて、向こうを見通す透明な硝子に戻った。 僕は硝子を、リビングの窓際に置いてやった。彼にとって忌々しいこと限りない、邪智暴虐たる鏡から、一番離れた場所。 慰念の代わりに、本を供えてやった。 それでもなお、鏡の向こうには世界が存在していた。 悲しみの有無を礎に据えて、罪人と非罪人という区別で成り立つ僕らの世界は偽物で、鏡の向こうにこそ本物がある。何度も、何度も、硝子はその事実を主張して、死んでいった。 あなたは誰だったのだろうか。 僕に事実を教えて、何をさせたかったのか。 悲しみを知って、何を思ったのか。 あなたは結局、僕らと同族だったのか。 あの女性の死を見て何を思ったのか。 そして、罪人に罪はあると思うか。 全て、僕は聞けずしまいだった。もっとも、僕に聞くつもりがあったのかと問われると、そういうわけでもない。 自分が住む世界に罪悪感なんて抱きたくないし、おとぎ話はそのままでいてほしい。 だがやはり、僕のそれは幻想的なものに掬われてしまうから。 最後にもう一度、件の好奇心を捨てきれない僕は、それが日課であるかのように鏡の前に立っていた。 硝子色のむしが通ってきたであろう小さな穴ぼこは、まだそこにあった。徐々に固まってきたのだろうか、そのくぼみに映る僕の瞳は、そのまま僕という人間を、湾曲せずに捉えていた。 新世界への入口。 そこに軽く、また触れてみる。感触は変化しておらず、いつでも外敵をそこに誘おうとする気迫がある。 また、指を差し込んでみる。粘度の高いスライムのような手触りを抜けると、冷たい外気に触れたような気がした。 問題はその後だった。 悲しみのある世界とない世界の軋轢は未だ止むことはない。この世界を作ったとされる創造者も言っていた通り、向こうの夜明けはまだ先だ。 だからこそ、無闇な行動は控えるべきだったのかもしれない。 甲高い、ハイゲインノイズのような笑い声。純粋無垢なその声は悲しみを知らないのだ。 鏡が大きく揺れる。閉ざされた扉を叩く警官、借金取り。連想されるものは多々ある。ゆっくりと、それが固体から液状に戻っていき、僕の眼前には、姿形が歪んだ本物の僕が現れる。 そして、どろどろとしたそれを貫いて現れる、六本、三対の脚。 短縮された執行猶予。 執行される、僕の刑罰。 文字通り、身体は掬われてしまい、手中でのたうち回る僕をがしりと掴み、その手は、鏡の向こう側へと帰っていった。 もぬけの殻となった檻に、同族を遺して。
赤セーター
嘘を語れば気のいい男がやってくる 頭の硬い善人は怒ってどっか行く 愛を語れば善人がごった返す 気のいい男は座り込んで 気だるげに煙草を吹かして咳き込む この世に どれほどの都合の良い言葉があるか 全人類を寄せ付けて離そうとしない言葉が 全員に好かれたいこの思いは 僕に抱きついて離れようとしないから 知っていて知らない言葉がいい 知られているだけの言葉じゃ 枠組みに収まる人しかやってこない 興味を唆る人と踊るには 誰にだって知られていない音色を聞かせなくてはいけない 貴婦人が赤い糸で編み物をする どうしたのと僕が近づいて言うとする その人は僕を拒絶して言うかもしれない これ以上赤い糸はいらないの こんなに立派なセーターが編めたから まだ足元が寒いでしょうと僕は言う ニコラウスにはなれなくとも 彼がプレゼントをしまうための靴下になりますよ 知っていて知らない言葉があればどれほど良かったか 赤糸専門の手芸屋さんが 多忙に死んでしまう 暖かいセーターが編めたら プレゼントを詰める靴下を編んで それもできあがってしまったら 残りは絨毯にされてしまう 興味を唆る人と踊れたら 僕は青でも緑でもなれたろうに そうしたら 僕はあなたを暖めるセーターになれるだろうに だから僕は 翌朝には げっそりとした僕は そのまま艶のある赤糸に変わって せいぜいラッピング材を詰め込むための靴下になるんだろう だからあの人は 知らない人と親密になるんだ
雑文3
最近はこうして、なんでもないことしか語れなくなっています。 だから語ります。 最近は映画の影響もあってか、洋楽を狂ったように聴いてます。 ショッキング・ブルーとペギー・リーを聴きました。どちらもネトフリの映画(なのかドラマなのかはわかりませんが)で見つけてから聴きっぱなしです。映画(〃)の名前は『クイーンズ・ギャンビット』です。まーじで死ぬほど面白いです。主人公がかっこいいです。女優のアニャ・テイラー=ジョイに本気で恋しそうになりました。 まじで見た方がいいです。数年前のやつなので、ネトフリユーザーの方はだいたい知っているかもしれませんが。 チェスが好きです。ゲーム性が素晴らしいとか、駆け引きが面白いとか、そんな綺麗事ではなく、すげえかっこいいから好きです。 チェスやってる僕イカしてんなあぐらいのテンションでやってます。だから案の定上手くはないです。負けるとくそ悔しいです。だからやっぱり、ゲーム性も面白いです。 ぜひやってみてください。前述の映画(なのかドラマなのかはわかりませんが)を見たらまず間違いなくハマります。某英語学習アプリにもチェスコースがあるので、おすすめです。 洋楽の話に戻りましょう。 今までの遍歴を振り返ると、僕は様々な曲を聴いてきました。 起源は幼稚園の時から聴いているマイケル・ジャクソンで、そこから始まり、クイーン、ビートルズと進んでいき、マネスキン、マルーンファイブ、エーシー・ディーシーにドハマリして、さらにエルトン・ジョンを聴いて、サチモスを崇拝するようになり、フランク・シナトラを聴いてと、腐るほど音楽を聴いてきました。 そしてつい先日、心にビビッとくる、素晴らしく運命的な出会いを果たしました。 ルイ・アームストロングが良い。 くそいいやんけ。 なんで今まで出会わなかったんだ。 サチモスにハマっていた時、彼らの名前の由来がルイ・アームストロングの愛称であるサッチモからきているという知識から、名前だけは存じ上げていたのですが、聴くまでには至りませんでした。 だけど、某動画配信アプリにておすすめに出てきたのをクリックし、イヤホンをはめて、どれどんなもんやらと再生して、僕の認識は変わりました。コペルニクスなんて生易しいぐらいに。 とにかくまず声がよろしい。今まで聴いてきた人達とは別ベクトルの良さを感じます。(本当に上手い言葉が見当たらなくて泣く泣く使う感じで)悪い例えを使いますが、ニャンちゅう最終形態みたいな。歌唱力と深みにスキルポイントを全振りしたみたいな心地良さです。 そして曲調がはんぱなく良い。波に揺られながら、穏やかな海をぷかぷか漂流しているみたいな、肩の力を抜いて気持ち良く浸れる何かがあります。これは本当に僕の感覚なのですが、誰かが船の上で談笑してて、ある人は僕みたいに海を漂ってて、浮き輪なんかつけてたりして、サッチモ(と、場合によってはフィッツジェラルドとかも)がどっかで歌ってるみたいな。歌ってるのは一人、せいぜい二人なのに、聴いてると周りにはもっといるみたいな、あったかい感じがします。どんなバックグラウンドがあるのかとか、詳しいところはわかりませんが、すごく優しい歌を作るなと思いました。トランペット奏者なんですね。 『チークトゥチーク』が好きです。とても良い気持ちになります。受験期のストレスが太陽系の外まですっ飛んでいったみたいな、爽快さがどこかあります。 ほんとに、最近疲れてる人は必聴だと思います。いや、やっぱり全人類必聴だと思います。疲れてるなんて自覚に頼る判断基準はなしにして、みんなで聴きましょう。まず間違いなく、必須栄養素の一つに組み込まれてるはずですから。 ふう。 よし。 語りたいことは語れたので終わります。次こそは小説書く。 またいつか。