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184 件の小説
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面白い物を読ませてくれる人が好きです。 noteにもいます。 11.4 ~

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良い機会なので、色々語ります。 ①ノベリー始めてどれくらい? 二○二四年の十一月四日から。一年とちょっとくらい。 ②ノベリーを始めたきっかけ 書きたかったからです。頭にたくさん浮かんでくるアイデアを書き記す場が欲しかったので始めました。書きすぎてもう枯渇しましたが。 ③読むジャンル SFとミステリー、あとメタフィクションとか。SFは設定の奇抜さが好き。ミステリーはやっぱりどんでん返し。メタフィクションは普通にアイデア勝ちです。あと近現代の作品も読みます。宮沢賢治、芥川龍之介、夢野久作、森鴎外あたりを最近はちょいちょい読みます。なんというか、あの時代にしかない端正な言葉遣いが好きです。現代にはない独特な雰囲気を感じられますよね。『烏の北斗七星』、『枯野抄』、『瓶詰地獄』、『舞姫』とか好きかな。 ④苦手なジャンル 恋愛系。 羨ましいって。読んでて悲しくなるって。厳しいって。 青春系。 以下同文。 ⑤書くジャンル 内容よりも文章の質を意識してます。尊敬している作家は円城塔先生です。『わからないのに面白い』と言われている作品に魅せられました。なんというか、言葉一つ一つを取ってもストーリーは掴めないけれど、その文章自体に面白さがあるのが好きなんです。高度でめちゃめちゃ難しいのに、チャーミングな文章のおかげで読めるというか、とにかく、そういうのがとても好み。だから僕も、そういうのを書きます。 ⑥名前の由来は? 忘れました。それくらい思い入れがないので、適当に決めすぎたなと悔やんでます。変えたいなあ。 ⑦活動場所は? ノベリーとノート。ノートは忙しくて停滞気味。 ⑧アイコンについて ちょくちょく変わります。大体AIです。 ⑨今後の活動目標 書く。とにかく書く。一にも二にも書いて、三にも四にも書く。 たぶんできない。 あとは企画もしたい。皆でアンソロジーみたいなやつ、またやりたいなと密かに思ってます。この時期は多分全員忙しいから、夏休み頃やるかもしれないしやらないかもしれない。 ⑩ノベリーの好きなところ 人が優しい。癒しです。 年齢層が幅広い。現実であれば年上の方なんて自分から関わることありませんが、こっちは気楽に関われる。もう大好き。 ⑪皆さんに一言 いつも面白い作品をありがとうございます。 だけど、もっと長く書いても、いいのよ? 以上。閉廷。

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雑文5

最近は暑くなったり、寒くなったり色々忙しいですが、なんとか生きてます。半袖の出番がやってきたようですが、僕は半袖がそこまで好きではありません。理由を聞かれるとそれはそれでわかりませんが、とにかく嫌いです。 一人暮らしにもなんとか慣れつつあります。声を大にして言えるほどではありませんが、家事もできるようになりました。ゴールデンウィークはカレーを作りました。しかし残念ながら自炊は一度きりで、他はずっとお菓子を貪ってました。後半は油っこすぎてダウンしてましたが。 そして、ゴールデンウィークの一大イベントはなんだと聞かれれば、僕は声を大にして言いたいことがあります。ゲジゲジです。夕方まで眠りほうけて、ぼんやりと起き上がったところを、奴は床でてくてくやっていたわけです。五分は動けませんでした。 人間は虫を前に動けなくなるときがあります。 あの脚が気持ち悪いです。動き方もなんだかぬめっとしてて気味悪い。マイケル・ジャクソンのムーンウォークみたいな感じです。ああゆうのはほんとに表裏一体で、一歩間違えれば気持ち悪くなります。そのギリギリの塩梅を保ってめちゃくちゃかっこいいマイケルにはほんとに脱帽です。愛してる。 そんなこんなで固まっていたわけですが、殺すのはなんか違う。殺したら殺したで、それはそれで後片付けがめんどくさい。ということで、休戦協定を結ぶに至ります。各々の環境に踏み込まないことを条件に、同棲へと踏み込んだわけです。 そうやって吹っ切れると、今度はゲジゲジが愛らしくみえてくるのですよ。 人間とはどうもめんどくさい生き物のようで、いたら心底嫌うくせに、いなかったらいなかったで寂しい生き物です。僕は時おり、椅子に腰掛けながら後ろを見ます。壁にゲジゲジがいて、チャーミングにだんまりを決め込んでいないかと期待するんです。僕は末期なのでしょうか。けっこう本当に名前をつけてしまおうか悩んでます。ゲジーとかにしようかな。 だから、僕は今ゲジゲジとひとつ屋根の下で暮らしてます。そのうち肩を組んで眠ることでしょう。 それ以外でいえば、NSSでしょうか。この度初めて審査員をやってみようという決断をしました。募集期間も終わり、作品が出揃いましたね。皆さんの作品とても面白いです。読む側に回って感想やアドバイスを書くのはあんまり得意じゃないですが、今のところ上手くいってると思います。そう信じたいです。 先に断っておくと、僕はとても感性が発達しているわけではないので、基本的には文章について書かせてもらってます。期待していた通りのアドバイスや感想ではなかったら申し訳ないです。でも許してよ。僕、こうゆう人間なのよ。 まあこんな感じで適当に生きていますが、とても楽しいです。 ノベリーには優しい人が多いですし、現実でも、嬉しいことに優しい人が多いです。だから僕はどこかで、現実で僕が関わっている人の中に、ノベリーユーザーがいるのではないかと睨んでます。でも、なんだかリアルで関係をもってはあまりにもクソだるすぎるので、睨むだけにします。だから皆さんも、それらしい人がいたら是非気にしないでください。突然友人がゲジゲジを語り出しても、それは僕ではありません。 お腹痛い。お手洗いに行きます。 僕は今幸せです。ゴールデンウィーク明けの憂鬱は別として、有難いことに良い人に囲まれてます。嫌な人はほとんどいません。いたとしても、良い人との会話の中で愚痴って幸せの種にしてます。 音楽もたくさん聞いてます。最近のマイブームは山崎まさよしと矢島美容室です。なんだか永遠とループしてます。とても元気になります。 楽しいことがいっぱいです。嫌なことはほぼありません。タオルからゾンビ臭が抜けなくて一生臭いことぐらいです。逆にいうとそれだけはほんとストレスです。まあ大したことはないです。 ゴールデンウィークもあけ、次の長期休暇は夏休み。それ迄長いですが、どうにか頑張ろうと思います。だから皆さんも、一緒に頑張っていきましょう。どこの誰が何を言ってるんだと思うかもしれませんが、僕もそう思います。だけど忘れないでください。日本のどこかで、一人の人間と一匹のゲジゲジが肩を組んで皆さんを応援しています。 今回の雑文は以上です。 またいつか。

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二十九時

街路樹の隙間を縫って漏れる朝日に、いたずらに目を焼かれるのがどうも好きだった。路地裏の一角に坐して生活していると、籠った空気が悪さをする。享楽の苦い香りと、現実と乖離していくような焦燥とが徒党を組んで襲ってくる。その類は日の光に弱い。太陽が昇る間に僕は救われるのだった。 街路樹を挟んだ向こう側には、僕の知らない世界がある。飛行機や車がてんでばらばらになって、あちこちへと駆け抜けていく。洞窟を抜け、雲の上に消え、最終的には地平線を飛び越えてこの街を離れる。動物だって例に漏れない。逞しい四肢があれば、誰だって旅ができる。 僕には脚がない。それは想像にかたくない事実だった。 脚を失う痛みを、僕は鮮明に覚えているわけじゃないが、脚がゆっくりと繊維に従って解けていくのを黙って見守っていた。それは地面の一部になった。不良品というのはこれだから嫌いだ。 世界はどうにも、僕らに良い顔をしてくれない。 バッテリーが、街に合わせて失われていく。 日が沈む。あちこちに散っていった光沢の欠片が、木々の方へと戻って、太陽へと帰属していく。それを眺めている間、どうにも僕は泣きたくなるのだった。

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酒蔵の夜明け

文句の一つも出ない。無意味に過ぎない文章を作る。『あ』と書いたら、その上からばってんを引いて文字を成形しなおす。意味のないことを重ねていって、いずれなんとなしに心地良いものができると信じている。文字なんて、煮るなり焼くなり好きにすれば良いが、それで不味いものが出来上がっては頂けない。 アール・ブリュットなんて言えるほど崇高なものでもない。言ってしまえばそれはガラクタの寄せ集めに過ぎないわけで、芸術ではない。頭ごなしに言葉を紡いだところで、人類数千年の歴史が独自性を否定する。ようするに、誰が同じことを言っていたのかわからない。それはもしかしたら、かの紫式部が源氏物語の推敲中に、文章の中から除外した一文かもしれない。漱石が猫につけるのを躊躇った名前かもしれない。韓非子が始皇帝を唆すのに使ったセリフかもしれない。完全に否定なんてできるわけがない。完全なんて完全にないわけで、完全を完全に否定できる以上、それはやっぱり完全なのかもしれないが、矛盾が生じる。 『あ』と書いて、これは違うと『い』に直して、『う』の方が良いけれど、形式的に『え』に変えておく。それが一番良かったりするが、周囲との調和を考えるとどこか気持ちが悪いから、苦肉の策で『お』にしておく。形式的に気持ち悪いものは数えるとキリがないほどある。二度目の一、五度目の三。二番煎じも甚だしいが、思い出るままに記していけば、いくらでもその類は現れる。それをどう扱うかは作家次第。川の流れに乗る桜の花弁か、腐った柿の実か。どうにも制御のしようがないから、四季の移ろいぐらいに考えるのが良い。 なけなしの布団に身を包んで、明くる朝まで脚を伸ばす。 作品は知らぬが名前を知っている、荒木田麗女という文人。 ざぶんと轟音を立てて墜落する、滝の音色に身体を遊ばせて。 月は綺麗ですねと綴った、あの先生は何処へ。 雨が降る夜空の月光。上田秋成の姿は脳裏にて霧中。 夢中になるほどの熱はもうない。活字を追う目は腐り始める。 初めて寝た夜のことを思い出せない。それは胎児の頃か、否か。 銀河に思いを馳せた。火星に落ちる七つの衛星。 いつか何物も読めない日がくる。それは明くる朝のことか。 綺麗に綴れることが語彙の豊富さを証明する。それは偽りだ。 偽りだらけの社会に生きるのが宿命だ。 宿命を謳う輩は大抵紛い物だ。 紛い物に包まれて眠る夜はどんなに気持ちが良いことか。 誰かを罵る心地良さの存在は誰にも否定できない。 性格の悪い人間が生き延びていく。 清廉潔白な人間は虫になりました。 虫になって、人に嫌われる道を強制されたのです。 のたうち回る虫に向かって人は宣った。 そう落ちぶれたのはお前の責任だと。 『あ』と書いて、それはいやだから『う』にしました。バーボンを煽りつつ、重い腰を揺らしながらニルコフが言った。彼が身体を痛めても夜遊びをやめないのには、それなりの理由があったのかもしれないし、なかったのかもしれない。救いを求めて聖書の購入を強制されるように、不可抗力なのかもしれなかった。 窓辺の席が特等席だった。綺麗な海が見えると期待して、彼は毎週その席に入り浸っていたが、どうにも明かりがいたずらに彼を邪魔している。せいぜいさざなみが聞こえるぐらいに留まり、綺麗な一面の青色は姿を見せたことがない。 月末の日曜のことである。 『あ』から『ん』までの全てを使って一文を作るとしたら、そんなことは可能かもしれないし、完全に綺麗になるとは言えないかもしれない。珍妙な言葉遊びにしかならなくて、そうゆうのがボードゲームになるのだと思う。ニルコフは考えた。サイコロに全てを任してみるのも良い。バーボンをまたなみなみと注ぐ。毎週のように同じ動作をしていると、何が何だかわからなくなってくる。バーボンとはなんだったか。昔、お酒のディテールとして書いた気がする。だからこれはお酒なのだろう。そうやって一々面倒くさい思考を辿る。サクリファイスでクイーンを失い、ルークとビショップでチェックメイトを頂戴する。そんなのに等しい。 隣の席の巨漢を見やる。もしくはそうしなかった。突き詰めていく度にその存在は曖昧となる。したと考えれば考えるほど、その事実が歪んで、しなかったのかもしれないと脳裏に浮かんでくる。狭い椅子に身を押し込んで、ジョッキを天高く掲げて一気に中身を飲み干す。大きく息を吐く音が聞こえる。 遠くの喧騒こそ、最も良くわからないものだった。顔を上げればその実態を手に取るように把握できたが、そうしなかったのは、その曖昧さを楽しむ自分が他でもないここにあったからだった。なみなみと注がれたその酒の名前を思い出せずに狼狽しつつ、頭は遠い先の声に夢中だった。 『あ』と『ん』が結合し、『え』と『を』が交合する。おもむろにシチリアを思い出す。無意識のうちに身体がリズムを刻む。つま先で床を叩く。指先でグラスを叩く。柔らかい音と、金属的で鋭い音が層を成す。海は相も変わらず見えない。 遠い昔、長いフライトの末にこの大地へやってきたことを思い出す。万象が薄ぼんやりとしていて、生きるということがこれほどまでに不確かなのは初めてだった。若気の至りで自死に至ろうとしたときとはまるで違う不思議な違和感だった。朦朧としたのは己の精神ではなく、外に由来する環境全てだったのだ。地図もなしに敵地へ飛び込むようなものだ。 ただ一人、オリーを置いてきたことが悔やまれる。僕は時おり夢を見るが、いつだって彼女の姿を忘れたことはなかった。それさえ物語の一貫だったのかもしれない。しかし、それでも辛い恋をしていた。判別のつかない顔がいつも物語っていた。薄水のワンピースを着て、つばの大きいハットが目印だった。首より上、帽子より下の位置、つまるところ顔だけが、不自然なくらい情報を保持していなかった。首にくっきりと残る跡は何色だったか。 小さい頃から一緒だった。街を走る車の中に彼女の姿を見た。あちらもニルコフを見ていた。小さく丸い輪郭、髪型は短く乱雑に切られていた。ガソリンと鉄の隙間に、埃の匂いがした。 汚い言葉を美しく紡ぐ方法がある。繊細な狢の穴に糸を通すような行為に近しい。狢と熊は別物だ。相反する言葉を使って、意味を通すのはいとも容易い。明確な筋立てやストーリーを犠牲に捧げれば、なんだって書くことができる。それは辞書みたいで、キーボードのようなもので、話し言葉のようで、セーターの編み目に近い。外観のみを求めるなら、日曜大工でさえ月を建設できる。 オリーの姿は、きっとそうだったに違いない。中身にどのような破裂の兆しが見えようとも、誰だって気にしなかった。獣臭い馬の背中に救いを見出し、いずれ、彼女はその首を供物に……。 風を切る馬の疾走は心地良い。馬の走った後には、きつく踏まれた若草と、淡く酸っぱい獣の香り、その上に活字が成り立つ。馬の瞳を思い出すときは、大抵痛みを忘れたときだった。天井から吊られたのは雨粒という舞台演出か、はたまた人の気配か、もう思い出したくはない。 その夜、僕らは踊っていた。不格好な礼服を着て、あの娘の手を引いて館に忍び込んだ。渋い葡萄酒の味を知った。功名なんてどうでもよいほどに、僕は溺れていた。彼女の手は柔らかかった。僕はその身体に魅了されていたのだ。 手を引くとき、僕は、その肉体が男の堅い肌とは違うのだと知るのだった。細い腰に絶妙な重みが伴うとき、ようやくそれが人であるのだと知るのだった。人ではないように振る舞う彼女の額が、命が死との境界線にあることを暗示していたのに、どうやら僕は気づかなかった。 だから踊ったのだ。香水にまみれ、霧中のような館内で、必死に彼女の手を引いた。舞踊のリズムに合わせて踊るとき、その手は刻一刻と姿を変えていた。品性のある笑い声、会話、その先々にどんなものがあろうと、僕らはそれから退いて歩いていた。 四方から押し寄せてくる波。それに浮かぶ船のように。 がたがたと揺れる荷台の上で唇を重ねた。 何も思い出せない夜が、いつか訪れてしまう。 極刑を言い渡された娼婦とその夫は、先日ついに首を切られた。 バーボンをなみなみと注ぐ。活字にしてしまえば現実的な様は退転してしまうが、ニルコフは今幸せだった。この幸せを崩してしまわないように、彼は、オリーのいたあの地へ戻る便を、ひっそりとキャンセルした。 前へ進めば、過去は退行する。右へ避ければ、さらに距離は遠くなってしまう。手を伸ばせば身を捩って避けられる。どうにも談判ができない。 無意味な文章を書く。 フライト中に思いついた原稿は、機内においてのみその有用性を誇示していた。大きく揺れながら地面に着陸したとき、魅力は既に失われていた。ニルコフはその類の文章を書く作家だった。 外に出た時、夜はすっかり深まり、外気にも冷淡とした雰囲気が鮮明に現れていた。吐く息に白という色彩が生まれ、水面が悶える微かな響きが、寒さを助長させた。 彼は海に身を投げ、凍えるような寒さに浸りたい気持ちだった。 無論、彼はそうしなかった。頭の中を渦巻く酩酊感と虚無の混在が、無闇に行動しようとする己の欺瞞心を諭した。ただ家に帰って眠りたいのだ。そう言い聞かせて、彼は帰路に着いた。 途方に暮れた心の行く末を知るのは、神のみということになる。

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酒蔵の夜明け

until

音を立てて揺れる鍋を覗き込むと、赤黒く染まった液体が香りを吹かせて居座っている。これみよがしに、レードルを差し込んで時計回りに動かすと、香草の存在を主張しながら人参とベーコンが顔を覗かせる。塩味が効いていて、様々な野菜がざっくばらんと入っているスープが彼は好きだった。 傍にあった手頃な器に盛り付ける。カンバスを多彩に塗りたくりながら、彼が口癖のように「中身よりも外観だ」と言っていたのを思い出す。外観を丁寧にしつらえなければ、誰も中身は見ない。彼の教えだ。 外では蝉が泣いている。エアコンの温度、もう少し下げた方がいいかなと、ろくでもない考えが頭に浮かぶ。でもやっぱり、下げた方が安心だなとか思いながら、スープの椀と木製のスプーンを握って、嬉々としてリビングへ戻る。 彼がいるリビングへ。彼がいて、今もいる作業部屋へ。 椅子に腰を下ろしている彼の背中は小さい。疲れ切っているのか丸まっていて、誰がどう見ても猫背が目立つ。筆先は乾ききっていて、濃厚に抉り取られた赤色の絵の具が、カンバスに着地しつつもこっぴりと固まっていた。 「ご飯だよ」 スープを掬い、余分な液体を器に戻して、彼の唇に持っていく。 乾いた唇に潤いを。 味が薄いと口をつけてくれないから、やっぱり彼はスープを好いている。 部屋には人形もたくさんある。私にはどれもこれもが、高校の時授業で習った『ミロのヴィーナス』にしか見えない。背番号でもふってくれればわかりやすいのにと思う。 それでも、彼だけは判別することができるわけで。 そうして、私の一連のルーチンは終わる。 現実を受け入れられずに時は過ぎていき、その償いとして、末期の水を与え続けていた。

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僕を忘れた自分へ

僕のことをわすれたぼくへ 一つだけ届くというのなら、どうか僕の願いを聞いてください。 不可能だとわかっていても、一歩踏み出してください。 あなたから見て遠い未来にいる僕は、その事で、今でも時おり夢を見ます。 大学に通う時。 大学から帰る時。 夕飯をこしらえる時。 眠りにつく時。 頭の中に栄光を手にしたあなたがいる時、それを虚像だと理解するのが苦しいです。 自信を持つ事をやめないでいてくれればいいのです。 あなたが周囲を気にして挑戦しなかった、その絵画コンテスト。きみは思うはずです。こんな絵が最優秀賞なら、僕は何倍も良い物を描いて、賞を取れたと。何事においても犠牲は必要です。犠牲を払って、そのマイナスを凌駕する成功を手にしてください。 どうか、お願いです。 もう一つ届くというのなら、どうかまた願いを聞いてください。 さらに、本を読んでください。 きみは、十分本は読んでいると言うかもしれませんが、そんなんじゃ足りません。暇な時間ができたら頁をめくってください。嫌な事を雑多に掘り起こして死にたくなるなら、ぜひ、手元の頁をめくってください。きみの一番の味方は書物です。二番目の味方が友達です。人は日を経る事に変わるけど、活字は変わりません。 これからの君には、たくさんの大事な事が起こります。君にとってはそう思えないかもしれないけど、今の僕だったら断じて言えます。君が普通だと思っている一つ一つが、実は素晴らしい物なのだったと。故郷を離れ、一人で暮らしていると寂しくなります。どうかぜひ、君が産まれてずっと過ごしてきたあの大地を、脳みそが乾かないように、毎日記憶してください。 僕からのお願いです。 重要な事は言い終えたので、ここからはもっと些細な願望を話します。 変なゲームに課金しないでください。 嘘だと思うだろうけど、あなたが三千円課金したそのゲーム、三日後にサービス終了を発表します。学食を食べる時、そして本を読む時、スキンケアをしてる時、眠ろうとする時。本当に時おりだけど、あの三千円が頭にちらつきます。馬鹿な事はやめてください。それか、するなら相応の覚悟を持ってください。 そしてぜひ、バドミントンをやめないでください。 中学から始めたバドミントン、当然君は高校に入っても続けますが、たったひとときの疲労から、君はバドミントン部を退部。理由は明白でしたね。高校に入学して、何も知らない環境で疲れてしまった。毎日惰性で生きて、辛い事と存じます。 だけど、やめないでください。僕は、毎日バドミントンの動画を見ています。選手たちが高く飛んで、相手のコートに撃ち込むスマッシュ。緩急のつけたショット、華麗なフットワーク。バドミントンが奏でる肢体の舞踊を、僕は心の底から楽しでいます。 君は考えるはずです。見る専で良いって。だけど、絶対にそれではいけません。君は部活をやめて、高校三年間を本気で棒に振る事になります。思い出してください。君は中学からバドミントンを始めて、部内ランキング最下位だったところから、県大会のメンバーに選ばれるまで成長できたはずです。君には才能があります。たった一度の堕落で、最底辺まで堕ちないでください。些細な願いだって最初に書いたけど、今書きながら考えています。もしかしたら、これが一番の願いです。挑戦してください。君は強いです。君が思っているよりも、君は優れている人間です。自分を卑下しないでください。虚無に陥らないでください。 堕落を怖がる日々が、一番の無駄です。 今度こそ、あんまり気にしなくていい願いを書きます。 健康に生きてください。別に不健康でも幸せなら別に良いです。 いっぱい寝てください。寝なくてもいいです。大学生になった今は、大体の授業が二限から始まります。クソ寝れます。 本を読んでください。やっぱりどうでもいいです。君のやりたい事をしてください。ツケは大学生の僕がもちます。 どうか、過去の僕に届きますように。 もし届いたなら、お元気で。 未来に生きる、瀕死の僕より。

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第9回N1 Vasdableparts

『反時計回り』 なによりもまず、Aは過去という未来で消滅してしまうと僕は伝えたい。 書き順というのをご存知だと思うが、どうやらこの不可解で些細な現象は、それに則って進行しているらしい。進行という言い方をしているが、それは事実上の退行なのであって、つまるところ上手い言葉が見つからないだけで、進行という言葉を使うのはちゃんちゃらおかしい。 Aは書き順に従って消滅を続けており、論理積記号みたいな部分を失い、現状は“-”の姿を保っている。 そうやって、世界は日々常々にして変化を続けていく。 どこかの大地で、Aを歌う民族がいたとして。 ある東洋の水面に浮かぶ、Aを吐き出す船があったとして。 それはもはや本来の意味を持っていなくて、それなら世界は本当に上手く回っているのかという話になる。 Aが駄目ならBも然りで、それならCも、Dもと続いて、この期に及んで知らないはずもなく、全ての言語において網羅的に、文字という文字は消滅の一途を辿っている。 だからどうか、稚拙に語り紡ぐことを許してほしい。使用できる語彙は限られていて、その語彙ですら、刻一刻と消えていく。鉄は熱いうちに打つように、僕らは残された時間をこうやって使う。 昔、様々な概念が枯渇した砂漠を、一人の遊子が歩いて、言葉を教えて旅をしていた。空気がKのように固まって、ナイフのような鋭利さを持ち、遊子の肌を引き裂いた。土地に芽吹く人々は、まるでIのように柔軟な慈愛の心を持っていて、いわば傀儡だった。正義と優美を実行するための礎に違いなくて、悪事を志す者に極刑を科した。悪事を善に非ずと捉えないための言葉があったが、彼の存命中には既に消滅していた。 一方で、その土地や民族にはGという伝統芸があって、それは踊りであり、食事であり、異邦人に対する作法だったと、これに関してはかろうじて記録に残っている。 遊子の最期は、何とも形容し難い物に違いなかった。言語を知る者として抗いながらも、世界の冬は寒くて、言葉のない氷河期へと向かっていくのだった。民族のLという長は遊子に全てを託して消滅していった。それはWのようで、Qだった。遊子は老けた身を綻ばせて、最終的にYになった。 世界が最初からそこにあって、生命が芽吹き、言語が生まれて、やがて死していく。卓越した能をもってしても、止められない物はある。枯れていくのは摂理で、摂理に従うのが、抗う事のできない生命の基礎だからだ。 「ここまでが原初期における言語の発達と消滅、そして、我々の未来です」 蔵書の山をかき分けながら、オーウェル氏は僕に向けて講義を続ける。 「ご存知かと思われますがね、わからない物は知らない物なのであってね、だからといって不確定な箇所をそのまま不確定にしちゃってもね、わからないからね。適宜アルファベットに置き換えていますからね。代入というやつをご存知でしょう」 僕は一言はいと返して、そのままになる。 オーウェル氏の講義はさほど人気という訳ではなく、たった一人僕という学生を抱えて運営されている。コーヒー臭いと揶揄される事はあっても、知能においては誰の談判も寄せ付けない実力が彼にはあった。そうでなければ、言語が未来でなくなってしまうと言われて、信じる輩はいない。それに、彼の研究室にて繰り広げられる講義に、僕は一度も遅れた事がない。 研究室は古びている。随所に蜘蛛の巣の兆候が見られる。それについては気にしている様子はない。天井まで届きそうな書物の群れのみが彼を表している。椅子も、机も、カーテンも。オーウェル氏に興味を持たれない哀れな物質たちが、「十三年度卒業生寄贈」という刻印を押されている。つまるところ、書物と人だけが息をしていて、その他全ての類が停滞している。頭の良い人間は大抵変人であり、変人というのは大体妙なこだわりを持っている。彼もその例に漏れる事はなかった。つまるところ、それが彼の性質なのだが、その事実と専門分野を結びつける関係は特に見当たらない。 消滅を遂げた紀元前の言語と、それと類似した未来を持つ現在の言語。とりあえずのところはそれさえ理解していれば良い。 人とVが恋をする文化を持つ、Tという民族。 墓石に己の姓を刻み、それを背負って生涯を過ごすJという無宗教の国家。 YとIとUが密接に絡み合い、R的なBを引き起こす恐ろしい未曾有の災害。 全て過去の話で、歴史に埋もれていったオーパーツ。言語を失った社会は、そうやって煙たがられる。 「少なからず、私だったらそんな反時計回り的な未来を望まないんでね。まあ、若い奴らでよろしくやってくれればいいんですが」 そうやって任されても困るのだが。 「昔、小学生ぐらいの事かな、義母が言ってたんです。人に産まれたのに言葉を嗜まないのは、大地を駆け抜ける楽しさを知らない、野生馬と同じだって」 オーウェル氏の講義が始まる。大抵の場合は定刻に沿った始まり方はしない。突発的にメールが飛んできて僕が呼び出される形で始まる。今回は運が良い。 ぜひ想像してみて欲しい。CとAとNとアポストロフィとTが徒党を組んで不可能を意味している時、いきなりCが急用を思い出して帰って、その次にAが早退して、Nの奥さんに子供が産まれて、気まずくなったTが、適当な理由をつけて帰っていく。残されたアポストロフィは何をどうやって省略しているのか。その部分にはどんな意味が。それについて考えるのが彼の授業だ。 退役した保健室のベッドに身を放り投げて、考える。柔らかいマットレスに印字されたサイズを表す記号、かろうじて見える、天井に残された落書き、そして唇から発せられる、言葉の形をした、洒落た空気。どこにも実態はなくて、跡だけがある。 窓の外では、友達の武久と清子が歩いてゐる。突拍子がなさすぎるだろうか。 「言葉が消えて、文字が消えて、活字が消えて、全てがなくなった世界で、私らはどうやって生きていくと思いますか」 例えばそれは、ひどく非情な世界に見える。道を示す場合において、文字は必然的だった。それがいきなりなくなった瞬間、まるで居直り強盗みたいにやられてはたまった物ではない。 ディストピアだなと、他人事みたいに思う。 言葉も消滅しかけて、もう半分も過ぎたら終わるから、あと少し聞いてほしい。噛み砕いて話そうにも、雀の涙が束になったみたいな言語群じゃ、これ以上噛み砕いてしまえばそれは不可視になる。 遊子が入滅した地には、ありとあらゆる言葉が流れる、いわゆる源泉があった。 そこでは、文字同士が愛し合って新たな言葉を成していた。人間的な社会が築かれていたとも言っていい。モーターが回れば飛行機が動いた。農地を営もうと思えば、案外簡単な事だった。 だって、そこにはEがあった。Oという空想を現実的に仕上げたのはIとKの妙技だった。QがC的Lに陥ったのはDが原因だったかもしれない。その果てにM文明は壊れた。壊れた文明からは汚水が流れて、周辺を汚した。その結果Aの進行に拍車がかかり、結果的に言語は消滅した。aとd、そしてNがいなかったら、その影響は収まる事を知らなかったかもしれない。 そして、とある言葉はいなくなった。 未だかつて、思い出されはしない。 「失われた物を取り戻すのは、嵐に吹かれた後の砂漠で、何かを探すのに等しい。何かが何なのかわからないから、尚更不可能に近しい。時計の範疇に収まらないくらいの過去で起こったのは、そういう類の事ですね」 夕食のテーブルでワインをラッパ飲みしながら、オーウェル氏は僕にそう教える。以上の事を的確に示した古代語もあるという。僕にはよくわからないから、とりあえず“@”と置いた。 「悪くない采配です」 「先生は悲しいと思いますか。知らない単語がある事を」 「そんな事を言ってしまえば、私はドイツ語を学んだ事がありませんよ」 /。 「知らなければ、悶え苦しむ事もありませんからね。何事もほどほどが肝心ですね。死んでしまうくらい辛いなら、知識なんて死神にくれてやればいい。そう思いませんか」 「ただでさえちっぽけな原子の塊なんてくだらないのに、それが生み出した概念的な事象となればさらに、ですよ。昔の人もそうだったのでしょう。散々生み出して、飽きてしまった。色々おもちゃを出しすぎて、片付けをしようにも収拾がつかなくなったから、全部を燃えるゴミの日に投げてしまった」 「どうせその程度の物です。辛いから投げ出した。苦しいから、自分の命を守るために捨てた。それか単に飽きた」 ロバート・F・オーウェル客員教授は、ディナーの後はカラオケで歌い明かす事で有名だが、この日に至ってはその兆候は見られなかった。ワインを二本空けた後は、そのままカーテンに身を包んで眠った。枕にはお徳用のティッシュを採用して、その場しのぎを三十五年続けているらしい。それなりに自覚もあるらしく、よく自分の事は“*”と呼べと聞かされた。どんな意味があるのかは定かではない。単位取得を確認したら教えてやると言われて、かれこれ四年目になる。いつまでも教えてくれないから、それこそが遊子の本名なんだろうなとか適当に構えてはいる。 研究室を出て、階段を駆け下り玄関に向かう。そうしたら入口で清子と合流して、家に帰る。これまでの平均で考えると、それからの発声の量は極端に減少する。いつ消えてしまうかわからないというのに、なんとも悠長だなと自己卑下に陥る事もある。 例えば“;”は、見てわかる通りどうしようもない。僕も、教授の講義がなかったら忘れていた。彼の家系に伝わる古代語らしい。意味は確か、言霊の存在を証明する祭具だった気がする。残念ながら、存在しえない物に関する記憶は、あまり長くもたない。 「ヴェスダブルパーツ」 果たして、意味はなんだったか。綴りしか覚えてない。 存在する物しか存在しない夜がやってくる。この間もAは消え続けているはずで、おそらく今は、“・”の姿で耐えている。 校舎の入口には、確かに清子がいた。美しいワンピースの麗女。 見た事のない顔をしていた。

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くぎり

不思議とお腹は空いていない 過となった喜怒哀楽をやり過ごす 不安が清らかな流れとなって ぼくの体内を巡っている どうやって生きよう 辛くなるときはぜったいにくる いつかは涙を流して その中で溺れていく でも怯えていてはいけない 変化を楽しむしか もはや選択肢はない 流れに身をまかせて この広い世界を踏みしめていく 不安は尽きることを知らないけれど 鳥は空を飛ぶし イルカは水面を跳ねていく 少なからず 誰かはその背中を見守っている さあ 旅立ちのときはきた 何かひとつの感情に 執着するのはよそう かけて かけて かけぬけろ 車の荷台は揺れている かけて かけて かけぬけろ

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読み書きは湯水の如く【essay】

ことあるごとに不安になる毎日を過ごしてきました。 それは例えば、湯船に浸かったら、そのまま溺れてしまうのではないかとか、小学校では友達ができるかなとか、何か新しい出来事に直面するたびに苛まれていた気がします。 時には不安から、さらに枝分かれするように、新たな不安が生まれることもありました。 小学校で友達ができるのかという不安は、友達ができたことで解決し、その一方で、いじめられるという経験から、これ以上人から嫌われはしないか、という不安に変わりました。これに関しては今もたまに悩まされています。このせいで踏み出せなかった一歩は数えていてはキリがないほどあります。変に挑戦しているところを見て、友達は僕に幻滅しないだろうか、予想だにしなかった失敗によって、他人から嘲笑されないかなど、変化を所望するたびに、小学校の校庭で砂をかけられた記憶が蘇りました。 僕の現在までにおける遍歴の根幹には、他人を気にする不安がありました。小学校低学年から、卒業まで、具体的な解決策も知れずに懊悩していました。 解決策(解決策とはいっても、ただ気を紛らわせてその場しのぎをするだけなのですが)を知ったのは中学に進んでからです。 つまるところ、一冊の本に出会ったのです。 今までも、本を読むことはありました。それこそ小学校高学年の時期には、『シートン動物記』を貪るように読んでいました。ですが、その行為を明確に意識したのは紛れもない中学生の時期なのです。 出会った本というのが、ハインラインの『夏への扉』でした。 ざっくり言うと、親友に裏切られて未来に飛ばされた主人公が、過去を変えるためにタイムマシンを使って過去へ戻る、みたいな感じのお話です。ハード系ではなく、ソフト系のSFで、とにかく読みやすく、主人公の性格が面白くて、終わり方も爽快で気持ちの良い、最高の小説です。 そんな作品を読んでいると、僕も気づきを得るわけで、まあ当たり前かもしれませんが、本を読んでいる間は、嫌な現実を忘れられるのです。 それからというもの、僕は本を読むようになりました。 ハインラインは『夏への扉』を読んで以降新たな作品をとることはありませんでした。その代わりに読み出したのがレイ・ブラッドベリです。どこかのエッセイで書いたかもしれませんが、SFの抒情詩人と呼ばれる彼の作品は、温帯の草原のような穏やかさと、ゆっくりと唸る、曇天下における水面のような不気味さという二面性を持っています。不安や恐怖を感じるのが不快なのは現実だけなようで、僕はそのような異様さに、読書中は魅了されていました。学校でも読み耽りました。その頃にも友達はいました。幸いなことに中学はみんなが優しい素敵な環境でした。それでも読みました。読書中は、他人の目など気にならないのです。 そうして時は過ぎ、僕は一つ目の鬼門にたどり着きました。 高校受験です。 今まで挑戦とは無縁だった僕の人生において、高校受験は恐怖の対象でした。自分だけがそう、みたいな野暮な感性の話ではまったくなくて、他人にとってもそうだというのはわかっていましたが、どこか自分を低く見積もりすぎていたのか、自分はその何倍も恐怖しているに違いない、みたいな、漠然とした優越感(マイナス方向ですが)に浸っていたのです。 勉強はしますが、それでも不安は拭えません。もし落ちたらどうなるのか。大学受験ならまだ説明がつくだろう、だがもし高校受験で落ちてしまったら? 僕は誰にどう説明をすれば落ち着けるのだろうか、みたいな。 読書だけが心の拠り所でした。友達と会話しても、会話する度に頭の片隅には不安がいるのです。こんなことをしてる暇があったらできることがあるだろうに。勉強をすれば少しでも不安は拭えるだろう。けれど、実際に勉強をしても不安は拭えない。さあどうしたものか。認識と現実には大きな齟齬があって、どうも上手いようにはいかない。どうしよう、また不安が増えていく。 高校受験に落ちたらどうなるのだろうか。いいや落ちない、だからそんなことを考えるのはよそう。それなら、試験会場についてはどうだろうか。試験会場の場所がわからなくて、そもそも試験を受けられなかったらどうなるだろうか。どこかで何かをやらかしてどうにかなってしまったらどうしよう。ああ怖い。そもそもこうやって悩んでいる時間が無駄なのでは、それなら僕はどれだけの日数を無駄にしてきたのだろうか。これだけ無駄になってる人生、良くしようとするのはもう遅いのではないか。死んでしまったら別の世界に行けるだろうか。もしそこに行けたら、今度こそは無駄のない人生になるのだろうか。でも死ぬのは怖い。 だから本を読みました。 だから、僕は受験の時勉強をしませんでした。勉強をしようとすると必ず付きまとってくる不安が心底嫌いでした。 レイ・ブラッドベリ、フィリップ・K・ディック、円城塔、アルベール・カミュ。白状すると、この頃はもう面白いと思って読む読書は限られていました。ほとんどは不安を払拭するための道具として扱われました。娯楽として読み耽ったのは、ディックの小説である『ユービック』や円城塔の『Self reference engine』ぐらいです。 高校受験では、無事合格をいただくことができました。 高校では、楽しい日々が待っていました。とにかくいろんな新しいことがあって、学校に自販機があることが新鮮でした。 まあもちろんそれだけではなくて、新しい学校にはどうやって慣れようかとか、やっぱり友達はできるかなとか、不安もたくさんありました。前例と違っていたのは、不安を感じた時には、既に本があったことです。おかげで、少しばかり余裕を取り戻しました。そして、推理小説にはまりだしました。『館シリーズ』がとてつもなく面白かったからなのか、しばらく不安を感じない日々が続きました。 また不安を意識するようになったのは、高校二年生になった春のことです。もちろん、それはまた受験によるものでした。三年ごとにやってくる鬼門が受験で、言ってしまえば不安の源泉なのです。 今度は規模も違います。この前の高校受験は、せいぜい同県の戦いです。だけど大学受験は違います。規模は大きくなって、全国に敵がいます。その中から、僕ははたして行きたい大学に行けるのだろうか。 とにかく、不安の質(悪い方向において)はめちゃくちゃに良くなって、暗い気持ちになることが増えました。某動画投稿サイトでは、エンタメの動画だけではなく、勉強法の動画を流れてきます。それに感化されることは一度たりともなくて、不安を煽られるような心持ちの方が大きくて、とても嫌だったのです。何かしらに秀でている人の生きている様子を見ると、面白いと感じる一方で、とてつもない劣等感に苛まれます。そうしてまた不安は強まっていき、悪循環に陥ってしまうわけです。 そんな中で出会った神器の一つが、小説執筆アプリだったりします。 この頃には、読書においても不安を感じることがありました。不安を払拭する傍らで、将来を本格的に意識するようになったからなのか、小説の登場人物にさえ劣等感を感じるようになったのです。だから、哲学関係の本を読むようになりました。一番面白いと思ったのは、飲茶の『史上最強の哲学入門』という本です。わかりやすいだけではなく、随所でクスッと笑えて楽しく読める一冊でした。この人の本は不安を感じずに読めました。無性に同情してしまうような登場人物がいなかったからです。 ですが、そんな読書をしていると、今度は人肌恋しくなってくると言いますか、言ってしまえばただのワガママなのですが。 同情で不安を感じるのは事実なのですが、それでも、人の一生に触れて、読み解いていくというのは、とても心地良いものなのだなと思います。個人的には、同情するという行為は諸刃の剣だと思います。 そんなときに思いついたのが、自分が創造する側に回るという考えだったのです。 これが我ながら英断だったようで、書いている間だけは自由になれて、それでいて、自分の手中で登場人物を紡ぎ出すのがとても心地良かった。だから僕の中で執筆というのは消費活動なのかもしれません。不安を餌に想像を釣るのです。 さてこそ、読書(効果不良気味)に加え執筆という武器を手に入れた僕は、ゆっくりと大学受験へ向かいます。 勉強をして現実と向き合い、不安を感じたら本を読み、それでもだめなら執筆をするみたいな、いわば最強の布陣が完成したわけでございます。敵が現れたら剣を振って、物理系がだめならメラゾーマぶっぱなすみたいな感じです(わからない人はいないと思いますがドラクエです) ですが、そんな無敵の布陣にも終わりがやってきます。 受験直前期のお話です。 今までの不安は何かしら、わりかしはっきりしていました。友達についてだとか、環境についてだとか。受験直前に現れたのはそんな優しいものではなくて、とてつもなく漠然とした不安でした。 『僕ってどうなるんだろう』という不安は凶悪でした。読書中においては、様々な文章から生まれる思考の隙間をかいくぐって脳みそにアクセスしてきます。 Aさんが走って病院に向かった。その一方で僕はこれからどうなるんだろうか。Aさんの努力のおかげで、Bは元気を取り戻し輝かしい未来へ向かう。その一方で僕はどうなるんだろう。 漠然とした不安というのは、その漠然とした性質上、食い止める手段があまりにも少ない。執筆中も同じでした。ここでこんな文章を挿入しよう。ところで、僕ってどうなるんだろう。ここに句読点を打とう、そうしたらこの文章は削除して、僕ってどうなるんだろう。 漠然とした不安は、アタカンとマホカンどっちも持ってるラスボスなんです(さっきからずっとドラクエで申し訳ない) 僕が下した決断は一つでした。 僕は、死ぬほど本を読んで死ぬほど書きました。 寝て起きて、学校に行ってご飯を食べる。それ以外の時間は本を読みました。そしてそれ以外の時間は執筆をしました。それ以外の時間はそれ以外のことをしましたが、本に関する割合を増大させました。自発的にテンションを上げるように心がけたわけです。アタカンもマホカンもテンション上げたら攻撃通りますから(ドラゴンクエストモンスターズ参照) それに、負けなければ勝ちです。漠然とした不安には完全勝利できないと踏んだ僕は、引き分けに持っていく努力をしました。とりあえず、そうやって受験終了まで耐えたら僕の勝ちです。 たくさん本を読みました。 新たにアンソニー・ホロヴィッツを読みました。そこまで好きなタイプではありませんでした。スタニスワフ・レムを読みました。『ソラリス』しか読んだことないですが、世界観の作り方とか知的な文章が大好きでした。かの有名な『アルジャーノンに花束を』を読んだのもこの時期だった気がします。涙こそ出ませんでしたが、ぐっさりきました。一週間は頭の中に居座られてました。 他にも、グレッグ・イーガン、長谷敏司、ドストエフスキー、上田秋成、西崎憲、小川洋子、スチュアート・タートンなどなど、さまざまな作家の方に救われたようなものでした。 そして同じくらい、執筆しました。 その日に読んだ作品に影響されながら物語を紡ぎました。純文学調の作品を呼んだら、それっぽい雰囲気を感じる作品を目指して書きました。哲学的なものを読んだら、その意味不明さを共有したくて書きました。詩を読んだら詩を書きましたし、戯曲を読んだら戯曲みたいに書いたかもしれません。何度も書いて、何度も消して、そしてまた書いて。そうしている間、やはり僕は不安から多少なりとも脱却できます。読んでくれる人が増えてくれたのも嬉しかったです。 それからも多少の紆余曲折はありましたが、読んで書き、読書と執筆を湯水の如く行使した僕は、結果として無事に大学に合格することができました。 僕のこれまでの人生で、活字は武器でした。激動の時代と周りの大人が持て囃す中、僕が見出した対抗策が活字でした。不安をただの不安で終わらせないために、不安から心を振り向かせるのが読書で、言葉にして紙に記す術が執筆でした。しょうもなく具体的なものから大海のように漠然としたものまで、全てを網羅することができました。そのおかげで、今はなんとなく幸せです。 もちろん、不安に打ち勝ったわけではありません。今度は大学に対する不安、春から始まる一人暮らしへの不安。また尽きることのない不安が押し寄せて、僕を虚にしてしまおうと奮起しています。 僕が思うに、不安を根絶しようとするのは間違っています。それは言ってしまえば、手で抱えられるほどのバケツで、海水を掬い出してしまう行為に似ています。いずれ終わるかもしれないけど、それまでには果てしない時間を要する。馬鹿がすることです。 よく、死んだら楽だと言いますけど、死んで解決するのは肌荒れぐらいに過ぎないと、どうしても僕は思ってしまうわけです。生前で不安に苦悶していたのなら、死後も苛まれるに決まってます。 その代わりに僕が推奨したいのは、手に握った全てをゴミ箱に投げ捨てて、安楽椅子かなんかに身を放り投げ、大きく一回背伸びをして、そのままの勢いで、スナップをきかせて本を手に取ることです。もしくはペン、ノート(スマホの執筆アプリも事実上のノートと仮定します)、想像力。 読んで書いたらもうおしまい。そのまま眠りましょう。 僕はこのエッセイを、不安で頭がおかしくなってしまいそうな十夜の間に書いています。毎日毎日、昨日や一昨日に書いた文章を読んで驚愕します。ドラゴンクエストの比喩なんて使った覚えがありません。それでも今夜も書き続けます。書いた内容なんて、もうどうでもいいです。その行為自体に意味があるんですから。 もう数日もしたら一人暮らしが始まります。正直めちゃくちゃ怖いです。インドア派の性分をしているため、新天地が怖いです。電車怖い、バス怖い、なんかもう腹立つ。書き散らしたら全て解決。人生なんてこんなもんです。 これを読んでる誰かも、何か辛くて、苦しくて、不安に首根っこを掴まれているなら、有無を言わずに活字を持ちましょう。それが全ての解決策です。 皆様の新生活が、素晴らしいものになりますように。 ここまで長々と読んでいただきありがとうございました。 どうやら、もうすぐ僕も新生活が始まるようです。

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読み書きは湯水の如く【essay】

スヴェトラーナ

1 ぼんやりと空を眺めていると、どこまでが地球で、どこまでが宇宙なのか、まったくもってわからなくなる。そんな面倒なときに限って、スヴェトラーナは姿を表す。 2 身近なところで、なんとなしに人が殺されたりする。愛憎の応酬だとか、愉快犯だとか、各々体裁は違っている。まあべつに、僕が死ぬわけじゃないから、そこまで深刻には思えない。死んだ赤の他人と自分を重ねるのは疲れる。 皿の上では、焼いたソーセージとベーコンの群れが隊列を組んで踊っている。焦がしたポテトは、ばつが悪そうに、どっかり座り込んでいる。 スヴェトラーナは、焦がされたポテトを黙々と食べている。 3 天気が良い日は外が心地良い。悪い日は内が心地良い。雨音を風流に感じる人間ではないにしろ、それが生み出す、停滞したような怠惰の街はなかなか気に入った。薄暗い室内から外を覗いている時間が好きだ。机上に転がっている泡沫を指先でつつきながら、視線はいつだって鈍色の大都会にある。 もう片方の手は、艶があって柔らかい背中を撫でている。獣毛の中には確かな体温があって、それが僕の腕を伝い上がってくる。スヴェトラーナは目を細めて、黙々と惰眠に耽っている。 4 近々、どこかの星が完全に破壊される。そんな気がする。街路樹の数々が惑星に見える。往来を行き交う車や人々が、隕石や流星群で、時々、暗黒物質の中をぶっ飛ばしすぎて惑星に衝突する。 根拠のない憶測と止まることを知らない例え話。人の本質はぼんくらじみた脳みそと、情熱的に動く細胞に違いない。だからといって交合を繰り返して繁殖しても、ただ単に増えていくだけ。 どうにも怖い。スヴェトラーナは疲れたように起き上がる。 5 月が落ちてくる夜には、スヴェトラーナを飲むと気分が静まる。 そんじょそこらの流星群とは規模が違う。空気が振動して、がたがたと音を立てている。その最中に、頑固にも生命は根付いているわけだから、そいつらも震える。耳が割れるような音を立てて月は落ちてくる。空一面を鈍色の球体が占めて、今にも劇を終わらせようとしてくる。デウス・エクス・マキナ。 紫色に輝くスヴェトラーナは、倦怠感を含む醸造酒。 6 「木星には墓標型の生命体がいます」 画面越しに話すスヴェトラーナの声は澄んでいる。解像度の低い彼女の顔と現実感。彼女は機械仕掛けの泡沫で、任務を終えたらもうじきに死んでしまう。任務というのは、つまるところ異星人の発見らしい。 「もうじき私は死ぬでしょうから、私は、このまま木星に突入します。生命体の姿をご覧に入れましょう。ついでに、私が埋葬されるであろう、墓石の姿も」 7 大丈夫だからと、僕は責任を負わないのに言うことができる。 スヴェトラーナは熱を持って喘いでいるというのに、僕はどうすることもできない。薬は尽きた。あるのは質の悪い密造酒と、食いかけの冷めた飯だけ。 出会った日のことを覚えている。ぼんやりと空を眺めて、星がよろしく輝く合間に、手に握った全てを飲み果たして死のうと。冷めきった世界に、スヴェトラーナだけが色を持っていた。 時計は、なんとか二十八時をさしていた。 8 遠い西の方に、スヴェトラーナという街がある。そこは有機物のみが存在する緑豊かなところだった気がする。彼女が死んでしまったら、そこに住もうと思う。 彼女の好きな馬鈴薯を作ろうと思う。収穫できたら、フライパンに油をひいて、塩とスパイスで炒めて食べようと思う。少し辛いくらいが好きだった。 どうにかして彼女を忘れよう。だけどそうしたいなら、木星にでも行った方がいいと思う。 9 信じられないことが起こった。 常識を虚仮にしたような恐ろしい事件、人間なんてちっぽけに思えてしまう。血に染った愉快犯が再び現れて、生命という生命に牙をむいている。対策委員会は武器を地球から買い込み、討伐に向けて奮闘している。もう何千人が悲しい運命を辿ったかわからない。 しかし、食い止めなければいけないのだ。 スヴェトラーナ、もうすぐきみの無念も晴らせる。 10 生き辛い夜に愚痴を吐くように、全てが終わったときには酒を飲む。焼いた肉を頬張って、苦くて甘いその液体で流し込む。 広大な五十七回目の夜に、地球と宇宙の境目を見つけた。それは何もかもに似ていた。窓を挟んで内と外があるのとまったく同じだった。かつて誰かが言っていたように。 もう数分後に空港を離れる。スーツケースには泡沫を詰めた。 今なら生きた心地がする。そう信じなきゃだめだ。 追伸、スヴェトラーナ、ぼくはきみになる。

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