樫野
6 件の小説赤、黄、緑
赤色が人工的な光にあたってそれが夜の闇に浮かんで。 黄色が冷たい夜風になびく姿は優雅なドレスを纏った貴婦人みたいだ。 緑色は少しだけ寂しそうにまん丸い月のあかりを見上げた。 「来年もまた来ようね」 そう隣で呟いた君を思い出した。 寒空の下で頬を赤く染めて、悴む手を擦り合わせる姿が愛らしくて。 気恥ずかしくなって目を逸らしてみた鮮やかな空を見たげた。 赤、黄、緑、人肌恋しい深い秋の夜。 僕は独り。 吐いたため息が夜の帳に溶けていく。
君の果て
「明日が恋しい」と君は言う。 そんな君が恋しいと僕は思う。 「窓の外は綺麗だね」と君は泣く。 君の涙が綺麗だと僕は泣く。 「今日は月が近いんだね」と君は呟く。 近くて遠い君の手を握り、 「真っ白な世界は静かだね」と僕は目を閉じて。 小さな砂の粒が落ちていく音に耳を済ませながら僕ら二人は深い世界の果てに落ちて行った。
雨
雨の日は君はつまらなそうに微睡む。 雨の日は君は偏頭痛がすると不機嫌そうだ。 雨の日も君はいつもスマホを弄ってる。 雨の日でも君はいつも画面の中を覗き込んでる。 ふと君が顔を上げる。不思議そうな目でこちらを見ている。 「どうしたの?」なんて聞いて「お腹空いたの?」なんてロマンチックの欠片も無い。 撫でるその手が今日はなんだかやけに優しくてむず痒いから君の手からするりと抜け出した。 小さな溜息をついてまたそっぽを向く君。 雨の日の君はいつだって詰まらない。 雨の日だって君は何一つ足りてない。 私は大きな欠伸を一つ、背伸びをして。 垂れる尻尾を揺らしながら鼻歌混じりで雨を眺めた。
君は柴犬になった。
ある日君は柴犬になった。 わんわんと焦ったように鳴いてる君は私の周りで飛び跳ねた。 あまりの出来事に放心状態で頭を撫でるとそれどころではないと、尻尾をふりながらまた一声鳴く。 「寝たら治るかもしれない」と一日寝てみたがそれでも君は犬のままだ。 それから何日経っても変化はない。君はいつまで経っても可愛い柴犬のままだった。 「案外、犬の方がいいかもしれない」と言うと君は不貞腐れて寝たふりをした。 「ごめん、ごめん」と笑いながらドッグフードを置くと君は少しだけ尻尾を振ってこっちに寄ってきた。 それからずっと君は犬だった。いつの間にか散歩コースも決まったし、好きな食べ物もお気に入りの玩具もわかるようになってきた。 元から犬は大好きだったし、大好きな君が犬になったのは不思議な感覚だったけど、つまらない毎日ではなかった。 「ねえ、明美、大丈夫?」 そう聞いたのは私のお姉ちゃん。 何が? そう聞き返すと、少し悲しそうな顔をした。 「亮平さん、居なくなってから空元気で見ててこっちが辛くなるわ」 「リョウヘイサン?」 私は首を傾げて、膝の上に乗っている君の顎の下をヨシヨシと撫でた。 誰のことだろう? 高校の同級生かな? それとも先生? わからないけど、全く覚えてない。 「ねえ、明美。さっきから何を撫でてるの?」 怪訝そうな顔でそう訊ねるお姉ちゃんに私はむっとした。こんな可愛い柴犬を「何」だなんて失礼だし、君だって怒ったように牙を剥き出している。 「何ってこの子は……」 あれ、なんて名前だっけ? 君はなんて名前だっけ? 思い出せない、思い出せない。 思い出したくない。 そんな感情とは裏腹に脳裏にあの日の記憶が蘇る。 雨の中、傘を忘れた君。 駅まで迎えに行ってあげた。 私を見つけて、尻尾を振るように笑顔を見せて手をあげて。 走り出したその先に、信号無視した、赤い、車が。 私はゆっくり視線を腕の中でもぞもぞ動く黒い毛むくじゃらの何かに目を落とす。 「オモイダシタ? アケミ」
日曜日
雨が降る。 風が騒ぐ。 隣で君は寝息を立てる。 日が沈む。 猫が鳴く。 君のおでこにキスをした。 夢で踊る。 静かな声が囁く。 「おはよう」と、君は笑った。
必殺技が出せないサラリーマンと偽者の文学少女
「何か困ってることはない?」 妹の真奈はそう尋ねる。 三つ編みが似合い分厚い眼鏡をかけ、図書室に篭ってそうな見た目は文学少女な彼女。その見た目と裏腹に中身は熱血な正義のヒーローを気取っている。 現国の成績は赤点、他の科目も赤点スレスレ、体育だけは平均点。困ってるのはむしろお前の成績についてだろうと言い返そうとしたが、そこはぐっと飲み込んだ。 「お前に助けてもらうようなことなんてないよ」 社会人にも慣れてきて、ひと回り年上な俺はぶっきらぼうに答える。強いて言うなら上司の中にタイムキーパーお局という渾名の女性がいるのだが、そいつがやけに残業やら納期やらについて頭がおかしくなるほど騒いでくることぐらいだ。 しかし、そんなことこいつに言ったって何にもならない。 そんな俺を横目に真奈は特撮のヒーローのポーズを決めて言い放つ。 「遠慮しないで、安心してよ! 正義のヒーローは必ず勝つんだから!」 ははっと高らかに笑う真奈。 まるで小さい頃の俺みたいだ。友達と正義のヒーローごっこで必殺技を使って友達を倒すふりをしているうちに、俺は強いから将来の夢はヒーローだなんて本気で思っていた。 でもある日言われた「ヒーローってなんかダサいよな」の一言に俺は人生で初めて喧嘩をした。 その時気づいた。いつも勝ててたのは友達が手を抜いてくれてたおかげで、ボロボロ雑巾の様にに負けて泣きじゃくる俺は強い訳じゃないし、必殺技だって出せない。 ヒーローはダサくないがダサい俺にはなれないと気がづいてしまった。 真奈はあの頃の俺によく似ていた。時には暴力もヒーローには必要だと信じてしまっている所も。 ある日の帰宅途中、近所の公園でリンチにあってる真奈を見て、驚きはしたが妙に納得してしまった。 ここのところ、この公園で野良猫が怪我して発見されることが多かった。きっと夜中にたむろしている不良達の仕業だと近所の住民達は察してはいたが、警察にでも通報したところで捕まることはないだろうし、何よりその後の報復が怖かった。 そんな「悪」をヒーローが見過ごすわけがない。 あの日の俺の様にボコボコにされて涙目になっていた偽文学少女は何かを叫んでいる。 「正義の鉄槌パンチ!」 ダサい必殺技を叫ぶ偽文学少女。 不良達はそれを避けては、妹に対して本気で蹴りを入れている。 それでも逃げるどころか、目をぎらつかせて立ち向かう真奈は、目を当てられないぐらい痛々しかった。 「ぜいぎはっ!」 女の子なのに腫れ上がった顔で真奈は諦めず、不良達を睨みつける。 「がならず、かづんだからっ!!」 馬鹿で運動神経もたいして良くないのに諦めない俺の妹は、いつものあのポーズを取りまた不良達に掴みかかった。 きっと彼らだって最初は手加減していたのだろう。それでも何度も立ち上がってくる彼女に彼らはそのうち笑うことを止め、本気な目をしながら暴力を振るっている。 気付いたら俺は通勤で使っていた自転車を担いで喧嘩の輪に入っていった。 本来ならカッコいい必殺技を言いながら自転車を投げつけ真奈を救うはずだったが、咄嗟の事で口から出るのは雄叫びだけだし、鍛えていない、しがないサラリーマンの俺は自転車を投げつける事すら上手くできなかった。 俺は正義のヒーローにはなれない。 だけど、俺の中の「正義のヒーロー」は死んだわけではないのだ。 闘いは接戦だった、わけもなく結論から言うと真奈と俺と自転車はボロボロで惨敗だった。家に帰ると両親に酷く怒られる程に俺らは見窄らしい姿をしていた。 「兄ちゃん」 風呂上がりに声をかけてきた真奈は痛々しく腫れ上がった頬に氷嚢を当てながら誇らしげに笑う。 「必殺技は出せてないけれど、カッコよかったよ」 俺は上がりにくくなった腕を無理やり持ち上げ、真奈の頭を撫でる。 「お前は必殺技を出していたけれど、カッコ悪かったな」 うるさいなと俺の手を払う真奈。 俺に似た妹はあのポーズを決めて高らかに笑う。 「正義の心は不滅なり!」