へいたろう
7 件の小説夏休み始まり・相棒
「あ、あの!!」 声、声が聞こえた。 その声は、本来この場所に響くべきではない声だった。 「……夏休みなのに、どうして男子生徒がここにいるのかしら。忍び込むのは楽しそうだけど、関心はしないよ」 そう口を尖らせる。 事実、ここは旧校舎で。 今は夏休みだから学校に来なくていいのだ。 学ランを着ている普通の男子生徒だった。 見た目が男だからそう思った。 だが、声は声変わりする前の。 女の子らしい、可愛らしいものだった。 「そ、そんなことより!」 必死に、そう男子生徒は指を指す。 一瞬、私に指を指しているのだと思った。 だけど、実際は違った。 「あなたにも、その人が見えるんですか?」 彼が指した先に居たのは。 本来人間に見えない。摩訶不思議な幽霊だった。 ※――※ 名は、ヨシハル。 その男子生徒の名はヨシハルと言った。 「……あなたも、見えているの?」 廊下だった。 旧校舎、二階の廊下。 丁度、理科室の前だった。 そして私は、戦慄した。 なぜなら、幽霊が見える人間を他に見たことがなかったからだ。 驚いた。目を見開いた。 「……なに? わたくしの事が見えているの?」 驚いていると。 隣の幽霊がそう鋭い目を細めた。 ミサト。今日の死者はミサトと名乗った。 前回のように、記憶を失っており。記憶のカケラ探索の最中だった。 その幽霊は。 毅然とした態度。 華奢な体を見せつけながら。 お嬢様口調ので上から目線だった。 「えっと、その……」 ヨシハルは目を泳がせた。 どうやら、こうゆう上から目線の幽霊が怖いのだろう。 気弱そうだし。 「ヨシハルと言ったよね。取り敢えず付いてきて欲しい」 「は、はい……」 反論なし、質問もなし。 謙虚な姿勢だ。 見た目は年下。 案外、可愛いものじゃない。 「取り敢えず、ミサトさんは覚えている範囲の事を話してください」 「はぁ。天使とは言え、あなたみたいな弱そうな見た目の女性に。わたくしは指図をされたく無いのだけどもね」 「そうですか、では大人しく魂を喰われたいですか? 痛いらしいですよ、あれ」 今回も、あまり時間が残っていない。 幽霊のわがままに耳を貸す暇なんて最初から残されていない。 舌打ちをしながら、嫌々ミサトは歩き始める。 「ヨシハルくんは。いつから見えるようになったの?」 廊下を速歩きしながら、そう横目にいる少年に聞いた。 「夏休みに入ってからです。突然見えちゃいけない物が見え始めて……怖くって」 「怖かった?」 「な……何をされるか分からなくって。見えないふりをしていました」 ……気持ちが分かる。同情するよ。 私も最初はそんな感じだった。 だから、声が震えているのだろう。 「基本的に幽霊は無害だよ。話も出来るし、感情むき出しでも、幽霊はこちら側にあまり干渉が出来ない。だから大丈夫」 「そう、なんですね……」 どこか胸を撫で下ろすように、ヨシハルは息を吐いた。 「ちょっと、このわたくしの後ろで雑談しないでもらえる? 気が散るわ。せめて己の使命に勤勉でありなさいよ」 「これでも勤勉な方だと思うよ。怠惰な天使なら、あなたを見つけても放っておくもの。ここは冷たい世界だからね」 鋭い視線と共にミサトの鼻息が荒くなる。 そのプライドをへし折る気は無いのだが。 これも仕事なのだから許容して欲しい。 「そんなあなたは、勤勉なの?」 「わたくしは勤勉よ。なぜなら学年一位を連続で取れるのだから」 うわお。これがドヤ顔か。 「じゃあ、勤勉なら勤勉らしく。早く成仏出来るように記憶を探ってよ」 「今しているのだから、黙ってなさい!」 これくらいの態度で当たらなきゃ、カケラ探しが続かない気がするよ。 まったく、キャラでも無いことさせやがってよぉ! 廊下を歩きながら、三階へと上がる。 幽霊が見える人間など、本当は居ては行けないのだ。 行けない。ダメなんだ。 人間は現世。幽霊は天国で過ごすのがこの世の摂理だ。 だけど、その世界の法則をまるで知らないように。 目の前に少年がいる。 私もいる。 どうやら、この夏は忙しくなりそうだ。 「ここよ、ここが私の部室だった」 そう言いながらミサトは扉の前で止まる。 「……部室?」 「ええ、部室よ。将棋部よ」 ただの空き部屋に見える。 だが、ミサトと言う少女が生きていた時代。その時は部室だったのだろう。 「鍵は開いてるから、中に入ってみましょう」 「言われなくとも、わたくしはやろうとしてたわ」 ……多分この人、生前は嫌な人だったんだろうなぁ。 ――ガチャリ。ドアが開かれた。 やはり空き部屋だった。 将棋部だったその部屋は、狭く、縦長だった。 壁には何かのファイルが棚に並べられ、正面には窓があった。 中央には大きな四角の机が置かれており。 そこには将棋部だった跡は無かった。 ただの資料室の様に私は見えた。 「あの、これって何をしているんですか?」 「あぁ、これね」 可愛らしい声に振り返る。ヨシハルが目を丸くしていた。 「幽霊、地縛霊、そうゆうものは現世に留まる理由がある。それを【未練】って言うの。そして幽霊は、記憶を無くしている場合がある。その理由は分からないけど、そうゆう記憶をどこかにおっことしちゃうんだ」 「なるほど、だからこうして。記憶を探していると」 「察しがいいね」 察しがいいと言うのはありがたい。 説明の手間が省ける。 「記憶のカケラを探し、日落ちまでに幽霊を成仏させる。それが私達、天使の仕事なのよ」 「天使、ですか? あなたは人間じゃないんですか?」 「いずれ話すよ。それは後回しだ」 そう言いながら、正面を向き直す。 そこにはミサトが目を見開き、口を、唇を震わせていた。 カタカタ、タタタ。何かに震えている様に。 「何か、思い出したのね」 「…………」 ……あぁ、きっと、ここで死んだんだなぁ。 死んだ瞬間は怖いものだ。 そんなの死ななきゃわからないと思うが。 死ぬ瞬間を思い出した幽霊を見ていれば分かる。 きっと、トラウマレベルだ。 「私は……ここで」 ミサトは震えた声で言う。 「――ここで、私は殺されたのよ」 ※――※ 幽霊が死んだ場所。 きっと、ここで死んだ幽霊は、この場所が恐ろしくなって。 脚を竦ませ。 顔をひきつらせ。 歯を鳴らし。 「許せない――っ!」 憎しみが、怒りが、思い出したことで溢れ出す。 その瞳には、『憎しみ』を宿し。 ミサトはそう狂ったように取り乱した。 「落ち着いて。あなたはそんな程度で取り乱すほど弱い人間ではないと思うんだけど」 「う、うるさいわ! わたくしだって、わたくしだって! こんな場所で死にたくなかった! 殺されたのよ!」 「憎いでしょ。許せないでしょ。でも、だからって感情的になるのは得策じゃない」 「だ、だからぁって!」 相当、悔しい死に方だったのだろうか。 目からは涙が溢れ、全身が震え、真っ青な顔で取り乱す。 衝撃的な死、だったのだろうか。 ……しばらくすると。ミサトは静かに息を吐いた。 「――ここで、わたくしは殺されたの。嫉妬よ、ただの嫉妬で殺されたの」 「嫉妬?」 「ええ、わたくしは、出来すぎてた。だから刺された。笑ってたわ、あの殺した女は」 なるほど、それがヒント一か。 この幽霊は人の嫉妬によって殺された。 ここから予想できる未練は、なんだろうか。 復讐――。 憎しみ――。 怒り――。 憤り――。 ……どうすればいいのだろうか。 行き詰まった、気がする。 ふと、スマホを取り出す。 日落ちまで――残り二時間。 あぁ、二時間なんて、嫌な数字だ。 「あ、あの!」 すると、語りだしたのはヨシハルだった。 「殺された理由が嫉妬なら、あなたはどうして理科室に居たんですか?」 「は?」 「あなたは一番最初、理科室にいましたよね。それって、理科室に何かあったんじゃないんですか?」 「そんなの、知らないわよ……」 「じゃあミサトさん。まだ、もし、記憶がすべて戻っていないとしたら。他に行くべき場所はどこですか?」 空気が変わった気がした。 その前向きな意見に、幽霊ははっとした。 「今、殺されたと言う記憶が蘇りました。――でも、それだけですか? それと同時に、何か思い出しませんでしたか?」 「……思い出したわ、わたくしは理科室に、大事なものを置いてきたわ」 殺されたと言う気づきは。 きっと幽霊でも辛いのだろう。 それに塗りつぶされて、他のことが見えなくなっていた。 それに気づいて、ヨシハルは一度殺されたことから話を逸した。 「――――っ」 横を見ると、ヨシハルが小さな腕で親指を立てていた。 「やってやりましたよ」と言いたげな顔で、小さく微笑んでいた。 だから、よくやったと言いたげな顔で。私は親指を立てた。 ※――※ 「おや、人が増えているね」 そう、ジャージ姿は、校長室の外にいる人数を数えながら私を部屋に招き入れる。 「説明している暇はありません。手短に」 「そうか、わかったよ天使様」 ここは校長室だ。 その扉を叩いたのは意味がある。 単純に時間が足りないのと。 ここ数年間で殺された生徒はいるのかと言う質問の為だ。 「殺された生徒はいる。お前が来る6年前、『佐々木ミサト』と言う女子生徒が後輩に刺され殺された事件がある」 案外。『ミサト』と『殺された生徒』だけで校長は事件を語りだした。 そんなに、印象的な出来事だったのだろう。 「その話を詳しくお願いします」 「いいだろう。6年前、ネットによる『いじめ』が原因で佐々木ミサトと言う生徒が刺された。刺した後輩はその場で取り押さえられ、今は少年院にいるらしい。で、問題はこれから何だがぁ。佐々木ミサトと言う女子生徒だが、彼女はいじめをしていた生徒ではない。――刺した後輩の勘違いだったんだ。勘違いで殺された」 「……どうして勘違いをしたんですか?」 「さぁ、覚えていない。だが、佐々木ミサトも誰かに利用され殺されたと噂されていたよ」 利用。利用か。 なんだか物騒な言葉に聞こえるな。 「6年前、そんな漫画にありそうな事があったんですか?」 「ああ、その漫画にありそうな展開が。この学校で起こったんだ」 どうやらこの事件。複雑だ。 イジメが原因で殺され、何者かにハメられ佐々木ミサトは殺されることになった。 事件の結末がどうとあれ、この時点で胸糞だ。 だけどおかしい。 幽霊のミサトは嫉妬だと言っていた。 校長も知らない。語られなかった真実があるのだろうか。 「ありがとうございます、校長」 「おう、早く幽霊の元へ行ってあげなさい」 最初からここに来ていればある程度の情報を手に入れられていたのかもしれない。 だが、あくまでミサトと言う名前だけじゃ分からなかったと思う。 殺されたと言う情報は、どちらにせよ必須だったわけだ。 ……その前に。 「校長先生、折り入って聞きたいことがあるのですか……」 ※――※ 「おまたせ、お二人さん」 校長室を後にし、廊下で待たせていた二人と目が合う。 「あらやだ、わたくしがあなたの都合の為に待ってあげたんだから。もう少し言うことがあるのではなくて?」 「ミサトさん。上から目線はダメだよ。この天使さんはミサトさんの為にがんばっているんだからね」 ナイスフォロー少年。恩に着るよ。 「うぅ……ヨシハルくんがそう言うなら」 「…………」 オカシイ、イマ、ミミガオカシカッタ。 「い、痛いですよ!」 「いいから少し来なさいヨシハル」 と、小さな可愛らしい肩を掴んだ。 そのまま耳元で。 「なにをしたのよ」 「なにもしていませんよ。ただ話していたら、なんか仲良くなっちゃって」 「ま、まじか……」 あの上から目線のお嬢様が。こうも丸くなっているとは……。 ショタって強いんだなぁと改めて思った。 「次の場所は理科室です。時間がない、急ぎましょう」 もう一度、あの始まりの場所へ戻ろう。 記憶を取り戻した今の状態なら。 何らかの変化があるのかもしれない。 日落ちまで、残り一時間。 ※――※ 6年前、佐々木ミサトは殺された。 被害者の手によって、被害者になった。 理科室。 旧校舎二階に位置するその場所は。 昔ならではの器具が並び。何より広かった。 そしてどうやら、この場所自体が記憶のカケラというわけではないらしい。 「何も思い出せないわ」 「……おかしいわね。私の予測ではここにカケラがあると思ったんですのに」 「なんか、わたくしの口調が移ってません?」 「気の所為ですわ」 そうよ。気の所為ですわ。 理科室は広い。L路になっているその部屋を奥まで見る。 校舎は上から見ると、中庭を囲うように校舎が建てられている。 そして理科室はその校舎の内側、中庭の前にある教室だった。 「広いから、もう少し歩いてみよう」 「そうですわね。今までの部屋より広いんですから、その無くした記憶が小さいかもしれないし」 記憶のカケラは大きさが異なる。 ガラスの破片の様に小さいものもあれば、部屋全体がカケラだなんてこともある。 「探しましょう。時間は無いのだから、探すしかないの」 まずは理科室入り口近くにあった棚からだ。 数々の資料と、なんて書いてあるか分からない記号が並んだポスターが貼られていた。 「ここらへん……じゃないね」 ここでは無いようだ。 次は理科室のテーブルだ。 理科室のテーブルは普通の木材テーブルなどではなく。 天板が載せられた昔馴染みのテーブルで、横に視線を流すと蛇口があり水が通っている。 まずは椅子の裏だ。 だが何にもない。 蛇口を捻ってみる。 夏場だからだろうか、生ぬるい水が溢れてきた。 「ぐげぇ、生ぬるいの気持ち悪っ」 「天使さん!これはどうですか?」 とその時。ヨシハルの声が私の耳に入った。 振り返ると。 そこには可愛らしい黒いアホ毛を揺らしながら。 「奥の部屋に、この将棋盤があったんですよ」 両手を使い。重そうな将棋盤を胸に持ち上げる。 「確かに、将棋盤が鍵なのかも」 将棋部。 将棋部だったと言う幽霊の証言が正しいなら、もしかしたら。 と思ったのだ。少し安直ではあるがね。 「――なにか見つかりましたの? わたくしを呼ぶということは」 「ミサトさん。この将棋盤、見たこと無い?」 そう言うと――幽霊は瞠目した。 どうやら、当たりだった様だ。 瞠目している幽霊を横目に。 私はヨシハルに予め耳打ちをしておいた。 「――わたくし……わたくしが、イジメたから。殺されたのですね」 一転、幽霊の目からは生気がなくなっていた。 「ど、どうゆうこと?」 「わたくしが、あの子をイジメていたのよ」 ――いいや、違う。 刺した子の証言では佐々木ミサトにいじめられた事はないと言っていた。 佐々木ミサトは、ハメられたのだと。 でも、本人で理解している。『自分がいじめた』と。 どうゆうことだ? 聞いていた情報と辻褄が合わない。 「もういいわ」 「え?」 ミサトは背中を向けた。 その背中は、哀愁漂うものだった。 「もう、いいと言っているのよ。わたくしが……――私がいじめたからこうなったの。だから自業自得でしょ?」 諦め。 諦めを感じた。 真実を知っていくたびに、そのプライドの塊は壊れていった。 加害者と被害者。 被害者と加害者。 6年前の事件だから、今更真実を知り、全てを正す事は出来ない。 なぜならもう手遅れなのだから。 だけど、その諦めは。 私の過去と、同じ匂いがした気がした。 「違うわ」 と、啖呵を切る。 「何よ。天使なんだから、罪深い魂を庇わなくてもいいでしょ。私は、地獄に落ちるべきなんだから」 「それが違うのよ。佐々木ミサト」 その名前を言うと、幽霊は驚きの目で振り返った。 「それ、私の名前?」 「ええ、そうよ。そんな事も覚えていなかったんだ」 「だからって、何にもならないでしょ……」 「いいえ、なるわ。あなたはまだ自分の事を思い出してないのだから」 空気が変わる。確実に変わる。 日落ちの瞬間だった。 太陽が落ちて、世界が暗闇に変わる狭間だった。 ――黄昏時。木々が風に揺れ、薄暗い理科室に優しい音を流した。 「あなたはまだ、全てを思い出した訳じゃない」 自分のフルネームを言えなかった事が。最大の証拠だ。 「まだ知らない。隠された秘密がある」 「……じゃあ、どうするのよ」 目を見た。姿を見た。 綺麗な茶髪を短く切り、ツリ目を鋭く尖らせている。 佐々木ミサト――それが彼女の名前なんだ。 「――だから、私が時間を稼ぐ。そのうちに、もう一度あの『将棋同好会』の部屋を訪れなさい」 「同好会って……」 「この学校に、将棋部なんてものは無い。さっき校長先生に聞いてきたのよ。だけど、こうとも言っていた」 先程、校長室で聞いていた。 この学校に今まで作られ、廃部になった部活をまとめたファイルを見せてもらった。 そしてそこには『将棋部』なんて無かった。 だが代わりに【将棋同好会】ならあったのだ。 「あの部屋が、同好会室なら。もう一度記憶を見られるのかもしれない」 ここからは、タイムアタックだ。 「――悪魔上等、後は天使に任せておきな!」 ※――※ 日落ち。 校舎の影から、ぬるっと動き出す影があった。 ――ケケケ。 ――タタタ。 悪魔が蘇り、魂を貪ろうとよだれを啜る。 『どこォ、だァ――?』 ※――※ 同時刻――旧校舎四階。 「ヨシハルくんは、予め聞いていたのかしら?」 そう走りながら語りかけてくるのは。 幽霊のミサトさんだった。 「ええ、さっき理科室で『間に合わない。私が時間を稼ぐから、幽霊をよろしくね』と」 「いいじゃない。ヨシハルくん信用されてるじゃん」 いいや、今回が初めての僕でも分かる。 ――これはギリギリの戦いだ。 だからこそ、不安要素が多い筈の僕に託すしか無かった。 あの天使と呼ばれていたお姉さんも、焦っていた。 それだけは伝わった。 「四階ですよね。同好会室」 「ええ、そうですわね」 そう言いながら、階段を駆け上がる。 「……どこまで覚えているんですか?ミサトさんは」 「わたくしにもわからない。 同好会だった。というのをさっきまで忘れていたのですから」 何を忘れて、何を覚えているか。 そんなの分かるわけ無いか。 僕も少し頭が混乱してるみたいだ。 「ミサトさん」 「なによ?」 「きっとあの天使さんは、囮になりました」 「え? 囮?」 あの言い草と焦り具合で。 何かの囮になるために行ったと予想できる。 だから急がなきゃいけない。 僕がやらなきゃいけない。 「ミサトさんは、あの人の事をどう思っていますか?」 「えぇ? それは……頼りになる人だな、と」 ……そうだよね。ミサトさんと僕の気持ちは同じだ。 「じゃあ、救いますよ。あなたも、あの人も」 そう言うと同時に、あの部屋に到着した。 息切れをしながら、目を見張る。 「行きますよ、ミサトさん。覚悟の方は?」 「ええ、6年前からバッチリですわ」 ――ガチャリ。ドアが開かれた。 ※――※ 戸坂明美。それが私の名前だ。 天使と偽った、私の名前。 「やぁ悪魔」 『お前ェ、はァ、誰だァ!?』 薄暗い廊下の中、十五メートルほど先にいる悪魔と目があった。 その姿は、醜いほど覚えている最悪の姿だった。 見知った顔だった。 後悔の顔だった。 「そうあんたと、何度も会いたくないんだけどね」 『人間、なのかァ?』 「違うよ、私は天使」 悪魔がピクリと揺れる。 「嘘つきの、天使だよ。悪魔さん」 流石に何度も数日間のうちに悪魔に会うと。 悪魔特有の嫌悪感にも慣れてきた。 精神汚染ってやつなのかな? 息が詰まるのは前回と同じ。 だけど、怖くないのは、前回と違うところだ。 そう、怖くない。 怖くないのだ。 「今回は、色々間に合ったからね」 『これェ、はァ?』 悪魔がそう首を傾げる。 悪魔が、こっちに来れなさそうに目を配る。 ――結界だ。 天使の結界、悪魔の結界。 なんとでも言える。 この結界を発動させるために。 校長先生に走ってもらったのは感謝しかない。 「その結界を解くのに、あなたはどのくらい時間を食うのかしら」 『……天使の結界ィ、厄介、奇怪、アガガ』 思考、しているのだろうか。 悪魔は壊れたように、ガガガと奇っ怪な音を出しながら回る。 そしてふと、悪魔が止まった。 『――大体ィ、あと五分で解けるゥ、なァ』 ぞっとした。背筋に駆け上がる悪寒に思わず目がくらんだ。 五分、結界でも、五分しか防げない。 「……まずい、なぁ」 今日こそはあの追いかけっこをしなくていいと思っていたのに……。 あぁ!うじうじしてられない! そんなら今のうちに、できるだけ距離を離しておくくらいはできそうだ。 「私は天使。あの魂に、加護を授けたのは私よ」 悪魔に、天使と自己紹介する。 そう言うと、 『そうゥ、かぁ。じゃアまっとケ』 不吉な笑みを浮かべている悪魔を横目に、私は走り出した。 ※――※ 部屋は闇に染まっていた。 「――ひっ!」 声がした。ミサトさんの声じゃない。 僕の声だ。 「なにこれ……」 ――赤、赤々。 床一面に染まっている赤い液体が音を立てながら流れてきた。 部室の中心にあった四角い机はひっくり返り。 壁には血生臭い血痕が付いていた。 ――すぐに、これが記憶のカケラだと知った。 グサグサ、サクサク、グジュグジュ、ドロドロ――。 部屋の中心に、2つの影があった。 一人は泣きながら、もう一人の影を刺していた。 様々な音を出しながら、何度も刺していた。 刺されていた人間は、茶髪だった。 そして、人殺しは言う――。 『ごぇ、んなさぁ……ぃ』 目からは涙を流していた。 誤っていた、謝っていた。 相手を誤っていた。相手に謝罪していた。 そして、ぽつりと。 『ありがとう、先輩――』 被害者が、被害者を作り出す。 勘違いで殺してしまった。 ――違う、勘違いなんかじゃない。 「わたくしが、わたしくを殺しなさいと。言ったのよ」 「……どうゆう、事?」 真っ青な顔をしながら、だが口調はそのままで。 「彼女の名前は『レイナ』 可愛い名前でしょ。 自慢の、後輩なんだから」 「ミサト……さん?」 「あの子はひ弱で、運動ができなかった。でも本人は、戦略性がある戦いが好きだった。そうね、スポーツとか、ゲームとか。そうゆうので考えて勝つのが好きだった。あの子は言っていたわ、外でみんなと、笑いながらボールを蹴りたいと」 体を動かしたかった。 達成感を味わいたかった。 そう、ミサトさんは続ける。 「でも彼女は激しく運動出来るほど体が強くなかった。走れば息が荒くなり、すぐに倒れてしまいそうな人だった。それでも、何度も運動部に顔を出して。何度も何度も、グランドをサッカー部と走っていた。すぐにバテて、休憩するくせに。それだけ体を動かしたかったのね」 「そんな人が、どうして……」 「無神経の男子は、すぐバテるくせに毎回走り込みに参加してくる彼女を……馬鹿にしたわ」 「…………」 イジメの、始まり。 異変は少しずつ明確になる。 ゆっくり拗れる関係が、レイナと言う少女を追い込んだのだ。 「サッカー部の走り込みに参加するから、それはもうすごく目立った。当時サッカー部はイケメン男子達のファンクラブがあったんだけど。その女子達も、サッカー部と一緒に走ろうとするレイナをよく思っていなかった。何が起こるか、わかる?」 「……よく、知っていますよ」 「――やがて、孤立した。サッカー部の連中は馬鹿にするし、女子からは軽蔑の視線で見られる。だけど彼女は、諦めなかった。体が弱くても、心は強い人だったの。平気な顔をしてた。あの子なら大丈夫なのかなってわたくしに思わせるくらい。それくらい強い子だったの」 浮いてしまった存在。 どうしようもない世界だった。 少女の夢は人の軽蔑に踏み荒らされ、心はどんどんと汚れていった。 その孤独と、夢の長過ぎる細道を見て。 彼女はどう感じたのだろうか? 「『私は負けません。だって、諦めたら夢も叶いませんし』そう語った彼女の顔は笑っていた。だから大丈夫だと、将棋をしながら思ったの」 「……」 「ある日の事だったわ。あの日、サッカー部の男子とたまたまわたくしが喋る機会があったのよ」 ――――――。 「え? あのいつも一緒に走ろうとしてくる女の事?」 「せめて名前くらいは知りなさいよ」 頭を掻きながら、顔も覚えていないサッカー部エースは答える。 「あんたたち、あの子に変な事したら承知しないからね」 「うわお。あのミサト《オジョウサマ》がそこまでご執心の人だったのか。だからあんなに気味が悪いのか!」 そう叫ぶと、部室から汗臭い大勢の笑い声が響く。 「……気味が悪い?」 「そうだよ。毎回毎回ブツブツと何かを呟きながら俺たちのランニングコースのルートを邪魔してくるんだよ。ブツクサと何言ってんのか聞いてみたらさ。なんたらと一緒に戦うんだってぇ、ずっとお経みたいに唱えてんだもん。正直――気味悪りぃよ」 ペペッ、と。 汚いものに唾を付けるように言う。 流石にその言いようは無いのではないかと言い返そうとした。 だけど、そこでわたくしは口を出せなかった。 理由は簡単だった。 こいつらを敵にすると面倒くさいからだ。 当時の私は、面倒くさいことは出来るだけ避けたい人間だった。 あまり人当たりも良くなかった気がする。 だから知らず知らずに、孤立していることが多かった。 だからこそ、私に絡んでくれるレイナを大切にしていた。 でも、今思えば、全ては私が悪かったんだと思う。 私が、サッカー部と走れば良いと助言した。 私が、サッカー部に一言言えなかった。 私が、大丈夫だと安心しきっていた。 私が、何も止めなかった。 私は――結局、見て見ぬ振りをしていた。 『なんたらと一緒に戦うんだ』って。 『ミサトと一緒に遊ぶんだ』って意味だった事も。 すでに手遅れな時に知った。 ある日の事だった。 「おはよう。レイ……な?」 やつれていた彼女の顔を見た。 疲れ切ったような顔をしていた。 そしてその手には、包丁が強く握られていた。 「――昨日、私は女子にトイレで裸を撮られました」 「え……どうゆう」 その目には何も写っていなかった。 何も灯っていなかった。 暗い、黒い、後悔が渦巻いていた。 その色の渦巻が、彼女を一歩と動かした。 「今から、私は復讐をします。先輩には、最後に挨拶をしておこうと思ってここに来ました」 淡々と、冷静に、落ち着いた口調だった。 顔はボロボロだった。 泣き跡が酷く残り、クマと相まって黒い円になっていた。 顔は肌荒れが酷く、いつもの活気あふれる優しい顔は黒色に染まっていた。 初めてみる衝撃的な顔に、私はここまで追い詰めたのは誰だと考えた。 その場で、その沈黙の場で。 何度も何度も考えた。 幾千、幾度と。 そして、気がついた。 ……私って、彼女のために何をした? 何もしていない。 何も助けていない。 私は彼女を守っていない。 面倒くさいとかの理由で、何もしてない。 「わたくしの……せい、です」 「?」 「わたくしが、レイナを守れなかったせいです」 「そんなの気にしてませんよ。じゃあ私は、行ってきますね」 そう言い、足早に同窓会室のドアに歩き始めた。 だけど、どんどん遠くなる彼女の背中を見てしまうと。 「まって!」 「…………」 最後に、何か出来ることは無いのだろうか。 最後に、彼女に、かけれる言葉は無いだろうか。 彼女が。どうしようもない彼女が。 ……いいや、私のせいなんだ。 止めれる権利なんて。私に持っているわけがない。 くや、しい。 悔しいけど。私には止められない。 私の……せいなのだから。 「――――」 でも、考えてみよう。 もしレイナが、あの運動ができないレイナが。 ナイフを持って暴れられるのか? ……捕まる。すぐに捕まる。 何も成し遂げずに、復讐を忘れることなく捕まる。 そんなの、何もできなかったと同意味。 さらに、レイナを追い詰めてしまうのではないか。 何もできないから、出来るように努力していた。 その結果がこれなんて……。 ――じゃあ、私に復讐をぶつければ良いのではないのだろうか? 私が悪いんだ。私が止めれなかったのが悪いんだ。 【わたくしは、あまり深く考える前に。両手を開いて叫んだ】 「どうせ何も出来ないくせに、わたくしすら倒せない貴方が、どうやってあの女に勝てるのよ」 刹那――。 黒い影が私に飛び乗ってきて。 ナイフが私の喉元にねじ込まれた。 ※――※ ――結界が、突破された。 バリンと言う高い音に、私は遠くに居ながら身震いした。 三分、だった。 悪魔が結界を破るのは、それだけ短い時間で可能だったのだ。 「……まだ悪魔が消えていない」 まだ佐々木ミサトの魂は、成仏できていないということだ。 あの少年に全てを託すのは失敗だったのだろうか。 「いいや、あの子なら、賢いあの子なら。きっと果たしてくれる」 信じよう。信じるのがこの仕事なんだから。 幽霊を信じ、己を信じ、神を信じる。 「悪魔上等! 少し、走るよ――ッ!」 足首をうねらせ、木造の廊下を蹴る。 ――と同時に、悪魔が壁から飛び出し。 さっきまで座っていた場所に爪を立てた。 「あっぶね!」 『人間、俺の気配ィ、感じれるのかァ!?』 壁越しでも感じる嫌悪感には敏感だからね。 「何度もあんたに逃げてるんだから。もうそろそろコツくらい掴んでるのよ」 『なにをいってるのかァ、わからねェ、が。――お前をコロせばァ、うめェめしを食えるんだぜェ!!!』 震え――。恐怖――。 何度も何度も感じてきた。 その圧気に、その居心地の悪いオーラに。 「――悪魔ァ!上等!」 覚悟を決め。私はもう一度走り出した。 ※――※ 「――だから。わたくしが、わたしくを殺しなさいと。言ったのよ」 長い回想だった。 その内容は悲惨なものだった。 まだ幼い僕でも同情するほど。 どうしようもない物語だった。 「……ミサト、さん?」 「……おかしいわ。どうして何も起こらないのよ」 ふと、ミサトさんは疑問を言った。 おかしいと。この状況が。 「これが最後の記憶、の筈なのに。どうして成仏できないの?」 「……それって、記憶を全て思い出したら成仏とかではないからだと思います。あなたがこの世に残した『未練』を思い出して、断ち切らなきゃいけない。でも――」 「これで覚えていることは最後ですわ……わたくしの未練って、なんですの?」 その未練が、本人でもわからないと言うのだろうか? ……本格的に困った。 こんなアクシデントがあるのだろうか。 未練って、どうすれば終わるかなんて幽霊次第だ。 その未練を、幽霊本人が思い出せないなんて。 「……どう、しよう」 こうなった場合、あの人ならどうするんだろう。 頭をよぎったその疑問は、きっと、顔に出てた。 あの人なら、僕たちのために囮になったあの天使なら。 どうするのだろうか。 「ヨシハル……?」 違う。 「……――――」 違、う。 きっとこんな時、あの人なら。 なんて考えちゃいけない。 今は僕が託されたんだ。 だから、ここからは。 「――僕の名前は草壁吉春。天使に頼られた、男なんだ」 草壁吉春。それがこの僕の名前だ。 「今のことじゃない。これを通過点と考えよう。じゃあ記憶を思い出した先に何があるのか、それを考えるんだ」 自分の中にある言葉を、考えを、全て言語化した。 「記憶と言うのは自分自身の元となるリソース。今も最初とやることは変わっていない。記憶を探し、思い出し、そして何をするかを考える。思い出すんじゃない。思考するんだ。考えろ、考えて導き出すんだ。――その答えが細道でも脇道でも、虱潰しでいいから全てを考えろ」 佐々木ミサト。 その女性がいったい何を残したのか。 かわいい後輩に殺された後。 一体何を思い、何を感じ、何を未練としたか。 何をしてほしかったのか。 何を感じたのか。 何を世界に残したのか。 「……ミサトさん。あなたは、今の記憶を思い出して。どう思いましたか?」 何かが埋まっていない。だから、そう聞いた。 「……どこか、やるせない気持ちになったわ。他に方法は無かったのかな、とか。でもその時、深く考える暇はなかった。だから、これは必然で。仕方がなかった事なのかなって――」 「どうしてやるせない気持ちに?」 「どうしてって……」 ふと聞き逃さなかったその言葉を聞いた。 「――だって、わたくしが何かをしていれば。少しは変わったかもしれないのよ?……私がもう少し、優しくって、強かったら。あの子を守れるほど強かったら。また少し、世界が変わったと思うの」 下を見ながら。地面を見ながら。 記憶のカケラに写っている、自分の血溜まりを見ながら。 佐々木ミサトは、そう悲しそうに寂しく言った。 「――下を向いているからだ。もっと、上を見れる場所……」 その瞬間。最後のピースが、埋まっていないパズルにハマった。 ※――※ 「……ここは、屋上?」 夏風が透き通り、涼しい風の音が耳を掠める。 佐々木ミサトは、目線を下にした。 ちゃんとした理由なんてない。 ただ、過去の後悔に駆られ。それどころでは無かったのだ。 「どうして屋上に? ヨシハルくん」 「それは簡単ですよ」 そう少年は、掴めない魂に手を伸ばした。 視点が、回った。 佐々木ミサトの視点が、ぐるん、ぐわんと回ったのだ。 「掴んだ感触はなくっても、干渉は出来るんですね」 「え、どうゆう……」 どうして私を転ばせたのか。それを聞こうとしたと思う。 だけど、その疑問は消えていった。 「――きれい」 「ええ、綺麗でしょ。田舎の特権ですよ」 気づかなかった。 知らなかった。 ここの景色が、こんなに綺麗だとは。 満点の星空だった。 心を奪われた。 目から何か、溢れそうになった。 こんな広い世界に。 私は一人でいるんだって思えた。 「上を見ろ」 「え?」 「――上を見続けろ佐々木ミサト。あなたに今出来るのは、過去に、下ばっか見てることじゃない。時間は待ってくれない。世界は待ってくれない。あなたの時間がどんなに止まっていても、この星空は周り、いずれ太陽に消されていく」 ヨシハルは続ける。 「6年前に置いてきたままの気持ちを、心を。あなたは無くしたわけでは無いはずだ」 「……」 「あなたは、結局。何を願っていたの?」 ――その瞬間。屋上の扉が強引に開かれる。 そこから飛び出してきた影を見た瞬間。 僕はどうしようもない程に安堵した。 「――待たせたかな。ヨシハルくん!」 「天使さん!」 そう、あの時。 『間に合わない。私が時間を稼ぐから、幽霊をよろしくね』 と耳打ちされた時。 『もしどうしてもダメだって思ったときは屋上で待っていなさい。どのみち、あそこが最後の砦になる』 と言われていたのだ。 その話が、今の状況に繋がっている。 「天使さん! 一つ話を聞きたいんですけど!」 「何! いまあまり手を離せないんですけど!」 そこのところを何とか……。 「じゃあ、代わりに僕が囮をやりますよ!」 「えぇ!?ヨシハルくんは無理しなくても――」 『なにィ、話してんだァ!!』 爆風――。 巨大な悪魔が大きな手を地面に乗せる。 その目は恐怖、黄色い獣じみた眼球に思わず身震いする。 『あァ?! お前もォ、まさか天使かァ!? ふざッけんじャねェぞォ――ッ!!!』 そうヨシハルを睨みながら、悪魔は怒りで腕を叩きつける。 ――そうか、勘違いをしているんだ。 この場にいる幽霊意外の存在を、天使だと勘違いしているんだ。 悪魔はそこまで極端で、端的に言うと超が付くほどのドアホだ。 「――これだっ! 天使さん。僕が時間を稼ぐので、あなたはミサトさんをお願いします!!」 そう言いながら、小さな体は走り出した。 「何か、考えがあるのね……――良いわ、私は何を語ればいいの?」 天使――否、明美は少年に向かって走り出す。 そして少年とすれ違いざまに。 「――――」 「……わかった」 その一言で、明美は全てを理解し。 その一声で、吉春は悪魔を睨んだ。 『アァ? お前ェ、弱いそうだァ』 そう舌なめずりをし。 悪魔は吉春を下に見る。 だが、吉春もそう安安と捕まるつもりなど。 最初から、無い。 「ばーか!ばか!!悔しかったら僕を食べてみろこの腰抜け!!」 『お望みィ、通りィ――ッ!!』 悪魔は大きく手を振りかざし、吉春が居た場所に振り下ろす。 だが、吉春もそれをうまく交わし。 一目散に屋上の端っこまで駆け出す。 それと並行し、私は幽霊に話しかけた。 「ヨシハルが!助けてあげてよ!」 「――南条レイナ。あなたを殺した生徒の名前よ」 その刹那、ミサトの視点が天使に移った。 ※――※ 「……知っているの?」 思わず、そう口を出した。 私はその事を、さっき思い出したばかりなのに……。 屋上だった。 満点の星空の下で、巨大な怪物が目の前に居た。 だけどその前に、もう一つの影があった。 「ええ、校長からある程度の詳細を見せてもらった」 あの後、校長室の資料から南条レイナが人を殺したきっかけなどが詳しく書かれた当時の書類を見ていたのだ。 そしてそれが、最後のピースだったのだ。 「――南条レイナ、4年前に女子少年院を出所し。今は都会の有名なお弁当屋さんで働いている」 ……なんの、話よ。 「そこでお弁当屋のお客として来た男性と結婚。今では幸せな家庭で、子供にも恵まれているそうよ」 ――あの校長が、全てを知っていたわけじゃない。 ただ、連絡をしたのだ。 その書類には、当時のレイナと言う女性の電話番号が記されていた。 そこからは賭けだった。 まさか、本当に電話が繋がるとは思いもしなかった。 「わかる? つまりあなたは一人の人間の幸せまでの道を作ったの。――だから失敗じゃない」 「……そんな、はずはないわ。わたくしは、私は。彼女を守れなくって」 「――違う。あなたは彼女を守ったの」 ――その瞬間。私の後悔は晴れるようにどこかへ飛んでいった。 カチッと、チチチっと。 時間が、私の時間が動き出した。 感じた。安堵した。安心した。 「だから、あなたはもう。この世界に居なくても良いんだよ――佐々木ミサト」 「……それが、私の未練?」 「そう。【南条レイナを守れなかった事】があなたの未練。だけど、結果として守れている。南条レイナは、自分の手で幸せを掴んでいる」 ……そっか。 私は、あの子を、守れていたんだ。 「そして、これは南条さんからの伝言」 「……伝言?」 「『――私は幸せです。でも幸せになっちゃいけないと思います。先輩を殺してしまった私は、殺してしまった先輩を、心の隅っこにずっと置いとかなきゃいけない。その動かない先輩を、心に持ち続けなきゃいけない。でも、もし、先輩がそこにいるなら。伝えてください』」 突然、怖くなった。 彼女が、次に言う言葉が。 佐々木ミサトには想像できなかったからだ。 恨み言葉なのかもしれない。 罵倒の言葉なのかもしれない。 だけど、全部違うくて。 【――ありがとう。先輩】 感謝の、言葉だった。 目から。涙が溢れた。 ふと足元を見ると、足先がもう光になって消えていた。 そうか、成仏するんだって思うと。 どこか、寂しかった。 だけど、嬉しくもあった。 「わたし……わたくし、あなたになんと……なんとお礼を言えばいいのか――」 違う。 違うんだよ、佐々木ミサト。 私は、さっき。 可愛い後輩から教えてもらった。 最高の言葉を、知っているでしょ。 だから、言いかけた言葉を否定するように。 顔を二度横に降ってから。 「【――ありがとう。天使様】」 「……明美で良いのよ。お疲れ様。あなたは最後まで、優しかったわ」 ありがとう。 あなたも、幸せにね。 「これが、あなたの仕事ですか」 「そうだよ。給料は出ないけど、やりがいはあるでしょ?」 ――夏の大三角形の下。 少年と少女は、屋上からの景色を見上げながらそう微笑む。 「どう?あなたも、幽霊が見える天使をやってみない?」 「何ですか?その色々混ざってるネーミングは」 はは、と。少年は冗談らしく言う。 「良いでしょ。なんか気に入っちゃってね。物語のタイトルにしては安直だけどさ」 「メタ発言、いただきましたよ」 その激戦を繰り広げた彼らの背中は、少し成長してるように見えた。 「これからよろしくおねがいします。戸坂明美さん」 「ええ、草壁吉春くん」 そして二人の天使は、もう一度。使命を悟った。 ――幽霊が見える天使の話――
夏休み初日・序章
「誰……?」 小さく、優しい鈴のような音色が美術室に響いた。 「……見えるの?」 驚いたような目でそう私を見る。 声が聞こえてる時点でお察しだ。 夏休みにより誰も居ない校舎。 ここは田舎で、暑い日差しにうるさいセミの声が校舎に入ってくる。 そんな中、私は声を聞いた。 それは、夏の幻想と言わんばかりの、摩訶不思議な物語だった。 ※――※ 私の名は明美。今は、明美とだけ名乗っておこう。 「やっと……やっと会えた……」 そして目の前で。 長い髪を下に垂らし、歓喜あまるその気持を抑え込むように顔を伏せている人間がいる。 鼻水をすすり、涙を落とし、肩を震わせ。 そうゆう、人間らしい一面を見せている。 まず、状況説明が先だろうか。 いいや、そんな暇はないだろう。 目の前にいる彼女に、一番に知らせなきゃいけないことがある。 「――1つ、あなたは死んでるわ」 そう言うと、目の前の女性の震えが止まった。 「……え? ……い、いや。ぁ、う」 きっと、彼女にも思い当たるフシがあったのだろう。 唇を震わせながら、疑問の嗚咽を吐いている。 だけど、何かを聞いてくる様子は無い。 自分が死んだのか生きているのか、そうゆうのが分からなかったのだろう。 だから、私がそう言うと。納得してしまった様に言葉が出なくなる。 正直、見ていられない。 「あなたの名前は? どこのどこさんで、ここで何をしているの? 私は人間、生きている人間よ。あなたはここで、未練を残したままで留まっている。言いなさい、どこまで覚えているのかを」 幽霊の中にも種類がある。 己が死んだことに気づかず。ただ彷徨っている者。 死んだことを自覚し、自覚してもなおこの世界に留まっている者。 人はそれを『未練』と言った。 それを断ち切れば、幽霊達は成仏すると。 だが、時に、幽霊は記憶を失っている場合がある。 記憶を失っている幽霊は、自分の未練が何か分からない。 自分が誰なのか、自分がどうしたいのか、自分の名前すら分からないのだ。 「答えなさい」 「…っえと……私の名前、は。ミホ?だった」 疑問形なのが少々引っかかるが、どちらにしろ名前は覚えている。 そう来ると、次に言うべき言葉が決まってくる。 「あなたはここで何をしているの? この美術室で、何を残したの?」 私の記憶の限り。ここ数日で美術室に死人が出たとか学校内で死んだ人がいるとか聞いたこと無い。 そんな大きな事件、耳に入っていないほうがおかしいからだ。 つまり、彼女はここで無いどこかで死に、思いが強いこの場所に留まってしまったと言う訳だ。 あくまで推測に過ぎないが、経験談だ。 「あ、あの!」 顎に手を添え、考え事をしているとき。ミホと言う幽霊は私に声を投げかけた。 「何? できる限りの事しか答えられないわよ」 「その……私、なんでここに居るか分からないんです」 ……なるほど。 つまり、ここに何を残したのかが自分で分からないと。それは少し、厄介だ。 「この学校に通っていたのは覚えているんですが、どこで……死んで。なぜここに居るのか。全く覚えていなくって」 うちの学校に通っていたのは覚えているのか、いい情報を手に入れた。 学校、美術室、死人で洗ってみよう。情報を集めたい、まずは職員室に行くべきか……? 「ま、待ってくださいよ!」 「……なによ」 私が背を向け、美術室から出ようとした時だった。 彼女の姿が、ハッキリ見える。 制服、ここの学校の制服を来ている。私と同じ服だ。 幽霊と言うのは、必ずしも一貫した姿をしていない。 一貫した姿をしていないと言うのは、説明しにくい事だが。 簡単にハショリながら説明すると。 幽霊の見た目、それは見ている人間の印象が反映される。 例えばAさんが幽霊で、私がBとする。 最初は黒い靄がかかって、顔だけのAさん。 そのAさんが、この学校に通っていたと言う情報を私が知る。 すると、その情報通りに幽霊の見た目が変化するのだ。 幽霊の見た目が、見る人の情報や印象に左右される。 生前の姿が反映されない訳ではないが、まぁそこらへんの説明は今じゃなくていいだろう。 「あ、アナタの名前は……何て言うのですか? その、せめて名前くらい……」 ああ、そう言えば名乗っていなかったな。 相手に名前を聞いておきながら、私は自己紹介を忘れてしまった。 これは、気をつけなければ。 「――私は天使よ。あなたを成仏させてあげる」 神の使いの名を名乗り。私、人間の明美は、幽霊成仏を始めた。 ※――※ 職員室に向かう。そこで協力的な知り合い、校長先生に会いに行く。 いい人ではあるが、どこか抜けているので気をつけなければ行けない。 足早に廊下を歩いていると、ミホが疑問の表情で口を開いた。 「だ、誰に会いに行くの?」 「校長先生よ。あの人は協力者だから」 「て、天使って……どうゆう事なの? 人間って言ってたけど……天使って何?」 「人間界に存在する魂の運び人よ。でも体は人間だから」 天使、神の使いの名だ。死者を導き、天界に送る。 そして、魂を輪廻転生させる存在だ。 まぁ、私は天使などでは無い。嘘をついた。 別に悪意とかではない。ちゃんとした理由がある。 どうして私が天使と自分を偽るようになったのか。 それは簡単、幽霊を騙すためだ。 そうするうちに校長室の前に到着する。 雰囲気は、まぁ、田舎なので小さい部屋だ。 校舎も木造だし、一足外に出れば草むらと言い換えることができる道。 ここは、そうゆう所だ。 「校長、天使です」 校長、天使です。と言う馬鹿みたいな単語をノックと同時に伝える。 校長は理解者だ。そして私に、この仕事を託した張本人。 天使と言う単語で、ドア越しに何の用事なのかを察してくれる。 「入れ」 低い声がドアに響き。同時に私はドアを開閉した。 「……ふむ。君は働き者だね」 「いえいえ」 感情がない会話だ。意味はない。 「……今日は、何を聞きに来た?」 詳しくは問わない。それが校長の性格だ。 察しがよく、生徒をよく見る。だから強面なのに学校だけではなく、この村に人気がある人物なのだ。 青いジャージを来て、汗だくな表情のままそう聞いてきた。 「校長、また花壇の手入れですか? 夏休み前に当番を決めておいたほうが良かったのに……」 「ははは。こう見えても、俺は花が好きだからな。生徒だけに独り占めさせんよ。平等が一番だし」 「傾いた平等ですね」 他愛のない話だ。だがこれが、いつもの通過儀礼のような物だった。 「あ、あの……」 前に出たのはミホだ。 「私を……知りませんか? 私はここの学校に居たはずで、何か、こう……その」 「ミホ、校長は君が見えないよ」 「え?」 しばらく、沈黙が流れた。ミホが押し黙る。 校長は、あくまで人間だ。私のように、何故か幽霊が見える存在じゃない。 だが、私が幽霊を見える事を理解し、協力してくれている。 実にありがたい話だ。 「校長。この学校で過去にあった『死亡者』同時に、『ミホ』と言う名前の生徒を知りませんか?」 そう聞くと、校長は顔をしかめた。 「死亡者名簿は前に君に渡したよね。確か、何年前の物だっけ?」 「ここ数年の物しか書いてありません。そして先程、廊下でそれを確認しましたが。ミホ、と言う名前はありませんでした」 廊下で私はスマホを見た。 スマホには、古臭い写真フォルダがあり。それにここ数年の死亡名簿を保存している。 死亡名簿がスマホにあるなんてワード、人生で言うか言わないかのものだ。 まったく、普通の女子高生に何させてんだか。 死亡名簿には、死んだ人の名前と顔写真、そして死因が書かれている。 どうしてそんなものがあるのか、それはここでは語らないでおこう。 「なるほど、少なくとも十年前の幽霊。ということか」 「そう考えたほうがいいと思います」 「……確かに俺は十年前、この校舎で教師をしていた。が、あいにく昔のことをあまり覚えていない」 「……なるほど、そうですか」 数年前とかなら思い出せるのだろう。 校長先生は記憶が良いほうじゃない。 どちらかと言うと、勘で色々片付ける人だから。案外覚えていないことが多いのだろう。 まぁ、十年前の校長なんて想像出来ないけどね。というかしたくないが本音。 え?なんでだって。 この人、お酒呑むと手に負えないからだよ。 「あ、だが十年前。自殺した生徒がいたなぁ」 思い出したように、爆弾発言をする。 そうゆうとこ、もう少し気を使って欲しい。 「自殺、ですか。その生徒の名前は分かりますか?」 「覚えてない」 そんなキメ顔で言われても……。 だが、過去の情報を見る手段がない以上。今校長が言った自殺の線で調べてみるしか無い。 「ミホ。あなた、自分がなんで死んだか。本当に覚えていないんだよね」 「は、はい……さっきまで自分が死んだって気づいてなかったんですから」 まぁ、そうゆうものだ。 奴らに見つかる前に、早めに終わらせたい。 「日落ちまであと何時間ですか」 「あとぉ、ざっと二時間程度だ。行けるか、天使様」 天使様、ね。校長も冗談がうまくなってきたじゃん。 「――なんとかしますよ。それが私の仕事ですから」 ※――※ と言っても、情報が少なすぎる。 「あの、天使様っ! どこに向かっているんですかぁ!?」 「時間が無い。だから手っ取り早い対処法をとっているのよ」 日落ちまで、残り二時間。猶予は二時間と言うことだ。 幽霊発見が遅れたのが痛手と来た。 これは、時間との勝負になりそうだ。 「今から行くのはここ、旧校舎の三階にある教室よ。昔の建物のくせにやけに広く設備が整っているこの場所には、この世ならざる物が住み着く時がある」 「……それが、私ですか?」 「ええ、そうよ」 呪いの旧校舎。なんて呼ばれている場所だ。 何でも、使われる事なんてほとんどないし、なにせ古いからだ。 それがここの特性で、ここが特別な一番の原因。 そしてこの場所は、日落ちすると。 「っ……急ぎましょう。まずはここよ」 「ここって、教室ですか?」 「そうよ、昔の生徒が使っていた。昔ならではの古臭い教室」 そう言いながら、教室のドアをスライドさせる。 中は掃除が行き届いておらず。文字通りの古臭さを感じる一室だ。 ホコリは舞い、日が差し。歩けば床がきしむ。 「幽霊は、記憶をなくしてる場合ある」 教室に入り、机の間を進む。 そこには巨大な黒板があり、ホコリを被りながらそれはある文字が書いてあった。 私にも読めない。悪魔の文字だ。 「記憶を無くす要因は簡単。カケラを落とすこと」 「カケラ、ですか?」 「幽霊は死んだ時、記憶のカケラを落とす事が稀にある。そうゆう場合、だいたいこの校舎の中にカケラが落ちているはずなのよ」 見た感じ、教室の中にガラス破片のようなカケラはない。 だが、カケラは時に人には見えない。 それは、その場の思い出だからだ。 その人が追体験し、場所のカケラで思い出させる。 「どう、何か記憶に変化はない?」 教室の隅に飾ってあった花が揺れる。 白い花びらに、黄色い雄しべ。パンジーと呼ばれる花だ。 本来、パンジーと言う花はあまり香らない。 だが、この旧校舎と言うのは。気密性が高く、温かい。 だから、花の匂いが充満する……。 「……何か、おかしい」 言ったのは。ミホではなく、私だ。 そう、おかしいのだ。この部屋が。 どうして、旧校舎に花が飾ってあるのだ? あの校長が、いつも旧校舎に居座ってる校長が、花が好きなあの校長が。 どうしてこんなに、ホコリがかぶってる部屋に。花を野放しにするんだ? 「――あ」 その時、空気が歪んだ気がした。 「……思い出したのね」 「…………」 そうか、なぜここに花があるのか。 簡単な話、今見えているのが。記憶のカケラだとするなら。 部屋ごと、彼女の、ミホの思い出だとしたら? 「ここ……は。私のクラスの、教室でした」 「そう、ここが記憶のカケラなのね」 人間は、未完成のパズルと同じだと思う。 何かが抜けていて常に間違ったピースで、その空白を埋めようとしている 本当は正解のピースが目の前にあっても、盲目の演技を貫く。 なぜ盲目のフリをするのかって? それはきっと、当人にしかわからないと思う。 「ここ、は……ここは、私の【初恋の人】が居たクラスです」 「……そうか。ミホの未練は【初恋】なのね」 初恋。そうか、初恋か。 私もきっと、死んでいたら、ミホみたいになったのだろうか。 いいや忘れよう。私は生きているんだから、幽霊なんかじゃない。 初恋の相手、それが成仏の鍵だとするなら。 それは――。 「……また行き詰まったわね」 十年前の初恋の人。そんなの分かるわけない。 名前が分かればまだ可能性はあるかもしれないが、それにしても望み薄だ。 タイムリミットは、残り一時間程。旧校舎のくせに広すぎる。 時間切れになる前に、なんとかして未練を絶たなければ。 それにしても、こんな教室が思い出だなんて。救えない話だわ。 ※――※ 「こ、ここは……」 「振り出しに戻りましょう。ここでカケラを探すわよ」 美術室。ミホと言う幽霊が立っていた、曖昧な場所だ。 カケラは色んな形がある。 辛い記憶なら尖っていて、優しい記憶だと尖りがないガラスだ。 大きさも異なる。その人物に、どんなけ影響を与えたかによって大きさが変わるのだ。 さっきの教室が良い例だ、あの教室はミホの初恋が居た教室だった。だからカケラが大きく、大きすぎて、部屋全体が大きな記憶のカケラになっていたのだ。 「どう、何か変わった事は?」 【初恋の人】と言うカケラを手に入れたミホなら、この教室にあるかもしれないカケラが分かるのかもしれない。 何かが欠けたら、きちんと物事を見れなくなる。 最初にここに立っていたミホが、ここにあるかもしれないカケラに反応しなかった理由。 それは【初恋の人】と言う、カケラが空白だったからだ。 「特にありません、天使様」 「……その、様づけ辞めない?なんかこう、むず痒いわ」 「そ、そうなんですか……?さっきの校長先生がそう言っていたので、そう呼んだほうが良いのかと……」 悪影響だ。あの校長、あとで説教してやるわ。 「天使で良いわ、様づけは気持ち悪い」 「は、はい」 「声が小さい」 「はい!!」 全く、しつけが行き届いていないわ。時間があれば調教したのに。 ……見た所、ホコリ臭いだけな気がする。 木でしっかりしてる棚が並び。 奥へ行くと、さっきの教室より小さめの黒板がホコリを被っている。 そこで授業をしていたのだろうか? そして、 「そこが、さっきミホが立っていた場所よ」 「……ここ、ですか」 窓側、丁度、この山上の校舎から、村を覗ける、絶景ポイントだ。 「……」 ここで、ミホは自殺したのだろうか。 憶測でしかない。 だが、彼女の今の表情を見れば分かる。 魂は、嘘をつけない。 「思い、出しました」 「でしょうね」 小さく、震えた声だった。 ポタポタと、何かが地面に落ちる音が聞こえる。 「ここで私は」 「……」 「私、は……」 「……」 記憶が溢れているのだろうか、ミホの顔色が悪い。 死ぬ瞬間の記憶なのだろうか。 怖いのか、痛いのか、苦しいのか。 想像を絶するその光景を、思い出しているのだろうか。 と、私は考えていたのだが。答えは違った。 「――初恋の人と、ここで一目惚れしたんです」 空気が歪み、世界が光り。 そして――。 「お前ら!何してんだ!」 刹那、美術室の扉を勢いよく開けたのは校長だった。 焦った、顔をしていた。震えた声をしていた。 そう、幽霊の姿を見ることが出来ないが、校長は悪い予感を強く感じる体質なのだ。 「校長……何があったんで――」 「時間切れだ」 私が言葉を言い終わる前に。校長は、確かに【時間切れ】だと言った。 勢いよく外を見る。 日が、沈んできている。 わずか数センチ出ているが、あと数秒で完全に日落ちだ。 そう、時間切れだ。 「――ミホ!何か思い出したの?」 ダメだ、焦っちゃダメだ。 落ち着かなきゃ。でも、どうして。 こんなに。呼吸が……。 「お、思い出しました……でも、次に行くべき場所が分かっただけで。ど、どうしてそんなに慌ててるんですか?」 どうして慌てているか。それはもう時期分かる。 この旧校舎には、悪魔が住んでいるからだ。 その悪魔は、ここに未練を残した魂を地獄に喰らう生物――。 いいや、その魂の恐怖と言い換えれる。 【悪魔】は、【神】が世界に残した『太陽』が上がっている時は出てこれない。 【神】の前で、悪知恵や悪行はお見通しだからだ。 でも、その太陽が出ていない間。【悪魔】は自由に暴れられる。 悪魔は恐怖、目の前のウマソウな魂を。見過ごさない。 「校長!結界は!?」 「結界は無理だった! だが、罠は作れた。それで時間を稼ごう!この教室にも嫌な予感がする……」 罠は作れた。そう、ならまだ焦る必要ない。 だけど、急がなきゃいけない事実は変わらない。 校長の最後の言葉を理解する前に、私の口先はミホに向けられた。 「ミホ、次はどこに行くべきなの!?」 次はどこに行くべきか。 それはきっと、ミホの記憶のカケラが理由なのだろう。 最後の記憶のカケラが、一体どこにあるのか。 今のミホなら、分かっている。 「お、屋上です!」 屋上、それはこの旧校舎の、逃げ場のない行き止まりだった。 ※――※ 風が荒れている。夏の夜空が顔を出して、星という天使が笑っている。 どうして、私はここに居るのか。 どうして、私は天使と名乗ったのか。 「ミホ、何か……思い出せそう?」 焦りは禁物だ。 悪魔が姿を表すのは一階部分から。 だから、まだ大丈夫だ。 「…………」 「……み、ほ?」 何かを、思い出しているのだろうか? ……いいや、あの顔は違う。 「――何も、思い出せません」 「っ!?」 今……悪魔の声が、聞こえた気がした。 ヒヒヒと、ケケケと。愉快な笑い方で。 地面が、揺れている。 違う、罠が。 ――突破された音だ。 「――――ッ」 突如、学校のサイレンが鳴り始める。 赤く光るランプが回っている。 校長からの知らせだ。その知らせは簡単な事。 『――ニゲロ』だ。 「ミホ!逃げるわよ!」 「……」 彼女が動かない。 逃げ先なんて無いはずなのに。 私は何を口走っているのだろうか。 「ミホぉ! 早く逃げるわよ!」 何を言ってるんだ。 れ、冷静にならなきゃ。 冷静な言葉を――。 「――ミホ!私に殺されたくなかったら早く何か言いなさいッ!」 違う。 「悪魔が来るのよ!?」 違、う。 そうか、冷静なフリをしてるけど。 この校舎内で一番怖がってるのって。 私、か。 「――思い出しました。カケラの場所はここじゃない!」 そう言った瞬間。ケケケと言う声が、私の背後を通り過ぎようとした。 ミホが、覚悟の目をしていた。 何かを、確実な何かを思い出したんだ。 自分で死んだ彼女が、どうしてこの世に未練を残したのか。 そんな、分かりようもない、手遅れな疑問が頭をよぎった。 私にできることは何だ。 私はどうしてこんな仕事をしている? 私はなぜ、【天使】と名乗ったのか。 思い出せ、私の使命を。 「私は、天使よ――ッ!!」 その言葉と同時に、ミホの数センチ手前に静止した悪魔がこちらを向いた。 悪魔の姿は、そう。幽霊と同じで、見ている人の恐怖が反映される。 悪魔の姿は――私の死んだ恋人だ。 『おめェ、天使、かァ?』 「ええ、その幽霊の魂を悪魔から守り。天使の加護を授けたのは私」 悪魔は首を鳴らしながら考えた。 恋人の姿と言っても、全身じゃない。 恋人の死に顔にコウモリの羽が生えたような見た目だ。 そして、これが、天使と名前を偽る理由。 本来天使は、『天使の加護』と言う、魂を守る術を使える。 その術を使うと、悪魔は魂に干渉出来なくなる。 だが、悪魔はその対処法を知っている。 その対処法を、逆手に取る。 「加護は、天使を殺さなきゃ解けない。それは頭のいいゴミ悪魔なら分かるでしょ?」 『……そうかァ、おめェが――天使かァ!!』 悪魔がみるみると大きくなる。 私を、天使を殺そうと躍起になるのだ。 すかさず私も走り出す。そして、腹いっぱいに空気を吸ってから。 「走れええぇ、ミホ!悪魔は私が、命がけで相手をするから――!!」 その叫びに、ミホも走り出す。 聞き分けのいい子で助かったと心底ほっとする。 私のミホの逆方向、廊下を下り。四階に滑り込んだ。 悪魔に命を狙われるなんて。とんだ馬鹿な状況だと思う。 だけど、私はもう、目の前で人が死ぬのなんて見たくない。 死ぬのも喰われるのも。もう嫌だ。 「こっちにこい!バカ悪魔! てめぇの相手は私で十分なんだよ!」 ……静かだ。 空気が枯れている感覚は悪魔がいる証拠だ。 あ、あれ。まさか天使って、汚い言葉とか使わないとかあったりするかな? まさか、まさか……ね。 ……え?本当に来ないんですけど。 「……え、もしかしてミスった?」 『――ばァ!』 その瞬間。悪魔は私の足元から脅かすように飛び出す。 悪魔は壁をすり抜けられるからだろう。 全く、恐怖心を揺さぶってくる。 これが、悪魔の恐怖、か! 「……こ、怖い。けど、それ以上に守らなきゃいけない物があるから!」 『どこにいくゥ、手間ァ、かけさせやがッて!』 こっちに視線が釘付けだ。囮作戦は大成功、と言っても良いのだろうか。 私はこの仕事をして何度か悪魔とこうゆう状況になるのだが。 悪魔が発する嫌悪感と恐怖には慣れない。 あぁくそ、怖い。 でも、守らなきゃ。 何も失わせない。 「ふぅ、はぁ、ふゥ……」 気がつくと、三階にあった美術室に走り着いていた。 ドアを開けると、夏風が開いたままの窓から流れる。 そう言えば、この教室にも嫌な予感がするって校長が言ってたっけか。 あの時話を聞いておくべきだった。 『もうゥ、逃げられないィ』 「そう、みたいね」 どうやら、ここで時間切れなのだろう。 私は囮としての役割を終えられたのか? いいや、悪魔が目の前にいる。 ミホの魂は、まだ屋上にあるのを分かってる。 ウマソウな魂を、悪魔は野放しにしない。 ミホがすべて思い出して、成仏すれば。上物がなくなったと息を吐き、悪魔は消えるのだろう。 だから、今目の前で、悪魔が消えていないと言う事実だけで。ミホの魂がまだこの校舎にあるって事だ。 「ねぇ悪魔。あんたに、言いたいことがある」 『あァ?』 悪魔が、人間の遺言を聞くのだろうか。 いいや、聞くわけないのだろう。 だけど、今なら吐き出せる。本音を、固めてきた自分を壊せる。 「――私の名は明美、戸坂明美! この学校で、この村で、ただ一人の幽霊が見れる女子高生!」 『トサカ、アケミ?』 「私はあんたらになんか負けない。殺してくれてもいい。だけどそれは私の勝ち逃げとなる、悪魔はどっちを選ぶ?」 『な、天使ィ、じャないのかァ?』 「そうだっつってんだろ!騙されてんだよ!お前のすかした腹は満たされることはない!次またお前が現れる時、それはお前が、お前じゃなくなる!」 『き、きィさまァ!!!』 悪魔は、記憶を持ち越せない。 悪魔はここに、条件付きで封印されているのだから。 「――あばよバカ悪魔、お前の泣きっ面にダブルピースしてやるぜ!」 これが、私だ。 何も冷静じゃない、本当の私だ。 激情に駆られ、自己犠牲の作戦しかねれない。 私の、本質だ。 ※――※ あ、目がおかしいのかな。 いいや、違うや。 私は、ヨミギタミホ。蓬田美浦だ。 今日、私は自殺する。 屋上に来た。親の虐待に、耐えられなかった。 苦しかった。息苦しかった。 空気が欲しかった。太陽を浴びたかった。 負けたんだ、私は。 「……くやしい、なぁ」 やっぱり、目がおかしいんだ。 だっておかしいじゃん。 あんなに死にたいって思ってたのに、いざ死ぬってなったら。 涙が、止まらない。 でも同時に、足が動いた。 この世に、未練なんてない。 風が気持ちいい。 せめてこんな真冬じゃなく、風が気持ちいい夏風が良かったなぁ。 ――足先が、宙を舞った。 堕ちる世界。回る世界。涙が上に浮く。 死ぬんだ、悔しい。と同じくらい。 楽になれる、開放される。と思う。 でも、どこか、フニおちなかった。 こんな人生で良いのかって言う、落ちてる今更考えても仕方ない事。 「あ、だめ……いや、だぁ!」 手遅れだった。 両手を動かしても、脚を動かそうとしても。 落ちている空気に流され助からない。 希望なんてなかった。 逃げたいだけなのに、人生をもう感じれないと思うと。 また更に、苦しくなった。 「――――え」 だけど、その息苦しさは。 校舎三階に差し掛かった所で開放された。 校舎三階、美術室だったと思う。 ――そこで、私は一目惚れした。 その男子は、手に注射器を刺していた。 私と目があった。泣いていた。 彼も、自殺しようとしていると、察せた。 「だめ」 だめ、と。届かない声で彼を止めようとする。 だけど、彼を最後まで薬を押し込んだと同時に、私は二階部分へと落ちた。 そう、か。 私が残した未練って。 あの時美術室で自殺していた、彼を思い出すことだったんだ。 「最後のカケラは、窓の外から見る美術室だった」 美術室にいるのは、天使さんかな? そこは、彼が居た場所だ。 彼は、成仏出来たのかな……。 あっちで会えるなら、私はもう、迷惑をかけられない。 「ミホ!」 天使さんが、涙を流しながら私の名前を叫んだ。 「――あっちで、初恋の人と会ってこい!」 「っ……分かりました!!!」 体が消えていく。幸せだ。 最後に、彼の事を思い出せた。 あの苦しみから開放されて、初恋の人に会えるんだ。 幸せじゃないわけない。 目は、おかしくなかった。 涙は出る。 幽霊になっても、涙は出るんだ。 さようなら、ありがとう。 あなたも、幸せにね。 「全く、死に際に一目惚れとか……どんなけ昭和なんだっつうの」 一人の女子高生が、そう口元に付いた血を片腕で拭く。 その背中は、どこか背徳感を感じる物だった。 「夏の風は、気持ちいなぁ。始まったって感じがする」 満点の星空を眺めながら、少女は。 「幽霊が見える天使って、なんか色々混ざってて馬鹿げてるよね」 自分の使命を、改めて固めた。 ――幽霊が見える天使の物語――
「俺の贖罪」
――その日、俺は初めて人を殺した。 殺したと言っても、あくまで間接的。 だと思っていたが。俺自身の手で手を下したと言ってもいいのだろう。 「――自殺しました」 いつもより震えているセンコーから飛び出してきた言葉は。俺の体を、心臓を止める様に掴んできた。 最初に感じたのは、俺のせいなのかと言う自問自答。一目瞭然だし、明らかに俺のせいだ。だけど、その時の俺は逃げ道を欲した。 学校からの帰り道、正確には帰ろうとした下駄箱で。俺は校長に呼び止められた。 肩を掴まれ、逃げれないように強い力で両肩を抑えられる。 「お前がいじめたのか」 別に校長は悔しがっているわけではない。 ただの事実確認だった。校長は震えた声ではなく、あくまで落ち着いて、淡々と。 「おれ、が……」 カッコいい男ってのは。ここで自首するのだろうのか? 俺はずっと、少年漫画の様な主人公に憧れていた。小さなころに読んだ古臭い冊子。それに描かれたのは、みんなを指揮して、悪を倒すと言うストーリーだった。ある意味、俺は同じことをしているのかもしれない。弱者が悪と決めつけ、俺は悪党刈りのつもりで、楽しんでた。 俺の友達だと思ってた奴らは、俺を裏切った。 当時思っていた正義と悪は。決定的に履き違えてた。 俺は《正義》だと思っていたが、それはあくまで俺視点で、自殺したアイツの目線からしたら俺は《悪》 醜い、醜い自己否定が続いた。俺が発端で起こった事件はニュースになり。俺はみんなから責められた。当たり前だ。俺は人を殺したのだから、俺が殺されても文句を言えない。言えない……言えないはずなのに。 「俺、じゃない…しんじてぇ、くれ」 頭で理解しても自覚しても。俺は自分の罪を否定し続けてしまった。俺が原因なのも、俺がいじめを指揮していたのも分かっている。 自己保身って奴だろう。 気持ち悪い。俺が、あの時の俺が気持ち悪い。だけど。確かなのは、 ――俺が殺した。気に食わなかった笑顔を、二度と見れなくしてしまった。 嫌いだったわけじゃない。好きだったわけじゃない。 ただ強がりたかった。役に徹して、俺は主人公になりたかった。だが結果、俺は捻くれた悪党に転身だ。 俺しか見えてなかった。周りなんて見えなくって、泣いてるアイツを見てなかった。ただ見てたのは、俺のゲスい笑い声。 スマホを覗くと、俺の名前がズラリと並んでいた。 見れば見るほど吐き気がして、見れば見るほど体が動かなくなる。知らぬ間に俺の名前は特定されており。俺はネットと言う『仮想現実』で血祭りにされていた。 なんて楽しそうなのだろう 画面の奥で気持ちよくなりながら俺に文句を投げかけているのが見える。 偽善者、それは俺もだし、コイツらもだ。悪と善を履き違えるだけで、人間はこうも醜くなれる。 俺はどうすれば良かった…...? イジメなければ良かったのは明白だが、今の俺が過去の俺にそれを言った所で止まるわけがない。何故ならイジメていると言う自覚なんて無かったからだ。 人生は長期的に見れば、ただの物語かもしれない。 ただ、短く見てしまえば。それは絶望の連鎖でしかない。 俺に今できること、それは何だろうと考えた時。 「――ごめん…ごめんなさい」 どこかを盲目的に見つめながら、1人で首を括る事だけだった。 ――これは、今から”命を断つ”人間達の物語
「罪と正義」
――その日、私のクラスで自殺者が出た。 唐突、だった。 教室に入るといつものように彼女の机には落書きがしてあり、「死ねや」「消えろ」と言った罵詈雑言が磨いても取れない油性ペンで殴り書きされていた。自然と目を逸らしてしまうその光景を不自然と感じれず。いや、感じていた。 だがそれを認識して、口を開き手を上げ異論を唱える勇気など私には到底無かったのだ。 自殺した。それはいつもより震えている唇から発せられた。 重い空気がクラスに伸し掛かり。顔を埋める者時が止まってしまった者焦っている者の3択だった もちろん、焦っている人間は少数だ。だが、その少数が。確実に、彼女の命を刈り取った。 息が詰まる。 生きた心地がしないと言うのはこういう事だろう。全身から血の気が引いていって、全身が固まった気がした。 最初に湧いて出たのは「私はどうなるのか」と言う疑問 自分本位で醜いのは承知の上だが。人間、自分の安全が確保されない限り、怖がる性なのだ。人間は愚かだと自覚していた。だが、自覚してもなお、いざその愚かな場面に直面すると、下手な言い訳で自覚している愚かさを発揮してしまう。 怖いからだ。 自分の保身。自分が安全と言う『確証』を求めてしまう。 見て見ぬフリは罪に問われるのだろうか……? あの時の私は。今から見ると存外気持ち悪い。 思い出すだけで吐き気がする。自分が好きなのか嫌いなのか、事件の前は自分が嫌いだと思っていた。だが、事件の後。自分の保身が嫌となるほど頭に入り込み、私の思考を塗りつぶした。 焦っていた少数は罪に問われなかった。未成年だからだろうか?それとも、罪に問えない理由があったのだろうか。 私は当時中学生、”少年法”なんて知らないのだ。 私は、彼女の遺族の家に行った。 自分が何をしているのか理解できていなかった。 ただ、見て見ぬフリをしていた罪悪感に押しつぶされそうになり、許しを求めたのだ。当時の私には自分が愚かという自覚があったのにも関わらず、下手な言い訳で愚かな所業を実行した。 「ふざけないで」 殴られた、当たり前だ。 馬鹿なのだ私は。 本気で謝っても、土下座しても、私を許してくださいと嘆いても。それは相手側からしたら譫言でしか無い。相手の方が辛いはずなのに、自分の辛さに耐えられなくなった。罪を背負うしか無い、そう思い知らされた。 家に引きこもった。今でも死んでしまったあの子の笑顔が夢に出る。私はその子と普通に話せる関係だった。それで、それを裏切った。助けを求めていなくとも、苦しいのは目に見えてわかっていた。だが、その先入観に蓋をして。私は彼女の支えにはならなかった。 久しぶりに学校に行くと、クラスの人数が減っていた。 クラスメイトが死んでしまったのだ。体調を崩したり、後悔に苛まれたりと。 焦っていた少数は精神的に病んだそうだ。なんでも、インターネットで普及したSNSと言うもので。彼らの心を無作法に殺されたらしい。彼らの無罪を、ネットの人間は許さなかったのだ。因果応報と言っても良いのだろうか? 当然、私含め。罰は受けるべきだった。彼らも同じだ。だが、正義を気取った一般市民に。正義を盾にした暴言を浴びせられるのは、ある種同士討ちなのではないか? その行為が焦っていた少数を反省させるか、それとも被害者と同じ様に殺すのか。どちらにせよ、楽しんでやっていると言う面では。どちらも同じに見える。 私が言えたギリではない。 私達の課題は、反省し、罪を背負う事。 世間の課題は、それを二度と起こさないように考え、犠牲者を減らすこと。 決して、殺した人間の事を忘れ、勝手に許された気にならないように。 決して、正義と言う私刑を許さないように。 人間は愚かだ。こうも今、自分を正当化しようと口を俊敏に動かしているのだから。 ――無責任な許しを請うな、自覚しろ、お前も加害者なのを ――正義と歪んだ正義感を履き違えるな、あくまで他人と言うことを自覚しろ 『罪』は許される物ではなく背負う物 『正義』は悪人を見定め、罪を秤にかける事 ――これは、今から”命を断つ”人間達の物語
短編小説 『屍の囁き』
とにかく、慌てていた。 最初の異変は、窓の外から見える景色に、人の内臓が転がっていた所から始まった。 「――――ぐぅッ!」 ドンドン、ドン、ドンドン。 そうやって何度も、玄関先を殴る様に叩いてくる異型の生物は。映画でよく見るゾンビの様だったと思う。 鼻先から異臭がして、吐き出しそうな悪臭に全身が突き動かされる。思わず瞠目したその先には、腐りきって、血臭い腕が三、四と伸びてきていた。それを木製ドアで必死に抑えて、俺達の家族はこの数時間生きながらえていた。 「……お、おと、おとぅさん?」 心配そうに息子が聞いてくる。息子はすでに涙目で、腕が震えていた。 「……ごめん。もしかしたら、お父さんもう、無理かもしれない」 限界だった。いいや、とうの昔に限界は超えていたのかもしれない。 何度も諦めかけた。だけど、今だに立っている生きている息子を見ていると、舌を噛んだり、腕を叩きつけたり、大声で叫んだりして。限界を超えてきた。歯噛みをしすぎて歯が欠けて、口の中から吐き出しそうになる鉄分の匂いと味がやんわり広がる。 「お父さんさ、お前の事を守れなかったんだ。本当にごめん、こうなるって知らなかった」 最後の瞬間、俺が何を口走ったか。それは覚えていない。 何か、こう、意味をなしてない何かを馬鹿みたいに嘆いていたと思う。目を見張って、益体もない言葉を、ただひたすらに息子に言っていた。……時には楽しかった思い出も話していたと思う。命の危機だからだろう、走馬灯ってやつかな。そうゆう、楽しかった思い出が馬鹿みたいに溢れてきて。それを息子に喋っていると、不思議と楽しかったんだ。 少しくらい、気を紛らす事しか出来なかった。だけどこの一瞬、一瞬が、最高に幸せだったんだ。 「父さん、さ。お前と入れて楽しかった。少し痛いかもしれないけど、すぐお父さんに会えるから」 どうしようもない妄想。死を受け入れたからこそ縋るものが欲しかった。だから俺は、どこでもない、天国で会おうと息子に言ったんだ。 「い、いやぁ…だ。しぃ…、死にたくぅ、ない。よ……?」 「そうだよなぁ。死にたくないよな。分かッてる、俺はお前のお父さんだ、最後まで一緒だからな」 背中越しに、もう半壊している木製ドアが破裂しそうだった。小さな耐久力にすがって、俺は身を犠牲にしながら戦った。 胸の内からこみ上げるものを感じて、それが俺を熱く、焦がすように焼いた。それを涙だと、自覚した瞬間。 ――ドアは打ち砕かれ、一人の怪物が家に入った。 「――――ア?」 ドアを破ると、異型の怪物は周りを見回した。 古い家だった。手入れが届いておらず、床下は腐れ、天井からは草が垂れ下がっていた。 「――――」 異型の怪物は進んだ。 右腕が無いその怪物は、小さな通路を進んだ。 その際、通路に置いてあったオモチャの電車の模型は。子供が片付け忘れた物だと気がついた。 そうやって、おぼつかない足取りで。怪物はリビングに入った。 「――――」 酷い、有様だった。 玄関のドアこそは頑丈だったが、窓は突き破られ。そこには血痕が爪痕のように続いていた。食器棚に飾られていたと思う、名前を忘れた日用品は。もう分からなくなるほど壊れていた。 「――――アぅ」 異型の怪物は気づいた。 食器棚の横、小さなタンスの上には。何故か倒れている板があった。だけどそれは何か異質な物を兼ね備えている訳ではなく。だけど何故か、怪物はそれを見た瞬間釘付けになった。 反射的だったと思う。 怪物はタンスに足を踏み出した。足がうまく使えないからか動きは遅く。腕は醜くなるほど半壊していた。動くたびに不要な動作が時間を奪い。タンスに辿り着くまで、数分と掛かった。 「――――」 暗く、照明なんて付かないその場所には雨が降りしきり。怪物はずぶ濡れだった。 ゆっくり、気になった板を持ち上げる。 「――――――っ」 人間の写真だ。 人間の家族だろう写真だった。写真の場所は、このリビング。今雨が降っているのと反対に、その写真では眩しい程の逆光が家族を明るく照らし。そこには――三人の家族が、笑顔で写っていた。 この家の息子だろう。まだ七歳で、可愛く、好きなものは、お父さんだった。 この家の母親だろう。華奢な体つきが印象的で、厳しいが、甘え方を知らないだけだ。 この家の、父親だろう。たくましい笑顔だ。自慢の筋肉を息子に見せるのが大好きで、家に活気を作っていたのは父親だった。 みんなが笑っていた。今みたいな暗い世界じゃなく。明るい世界で、幸せそうに。それを見たからと言って、その怪物は何も感じなかった。感情が無いからだ。 「――――」 忘れてはいけない事がある。 「――――っ」 その怪物は、人形だ。 「――――――」 その怪物は、元々人間だった。 「――――ぅ」 その怪物が歩いた先は、壊れたテーブルだった。 三人家族が座る用なのだから、三つの椅子があった。だけどそのうちの二つが壊れていて。それを見て、異型の怪物は安堵した。 「――――ア、う」 異型の怪物は、残った椅子に座った。 そこはあの父親が座っていた椅子だった。 感情がない筈の怪物は。何故か衝動的に、その椅子に座った。 そして、もう欠けて歯がない口で。 「ご……ェん。イ…ょに、ハ。なェ……ぁかァ、た」 回らない口で、欠けた歯で、潰れた喉で。 小さい、囁きに近い懺悔だった。 「ぁモ……れェ、カァ…た。あぇ、ナが……た」 椅子に座り。小さく、荒廃した家で、新築だったはずの家で。 異型の怪物は、座りながらそこで腐った。 短編小説 『屍の囁き』
『イヴと金髪少女の記録』
燦々とした大地 壮大な大地には風が靡き、森の木々達が思わずワルツを踊りだすような軽快さ。 緑の大地に蔓延る邪魔なつる植物。それは大地を緑に染め上げ、その中心に存在していた湖は人魚が暮らせるほどの美しさだった。 「……ぁ」 声、それは幼い幼児の声だった。 自然に似合っている香色のカゴに揺られ、自然の動物を振り向かせるほどの生気を見せた。そしてその生気に、何かが気がついた。 それは奇っ怪なモーター音を鳴らし、カゴの中に居る女児を抱き上げた。 白い肌、その中には沢山の鉄で出来上がった、いわば機械生命体。 「ぁ……あば」 『………』 伸びてきたのは小さな手 機械ながら感じる暖かさに思わず魅了される。 自然豊かで暖かいこの場所で、ただ1つ、1つだけ。冷たい生命体が居た。 冷めた機械音を森に響かせ、その異様さに動物たちが引くレベルの物。 細い腕に抱えられた赤ん坊は白い毛布に包まり、それは純粋無垢の瞳を開いた。 青い瞳、それに見合った美しい金の髪の毛。 機械生命体、通称『イヴ』は。初めて、人間の尊さを感じ取った。 「まま?」 『違います。私は貴方のお母様ではありません』 子供相手に正直に答えるイヴ。だがそれを理解するだけの知能は子供にないのだ。 と言うか、機械生命体と言っても所詮機械なのだから感情なんて物も人も心なんて物も無い。 思いやりも無ければ優しさもない。イヴはこの滅んだ世界で、ただただ存在しているだけだったのだから。 最初は苦労を極めた。 次第に大きくなる女児を養える程、機械は賢いわけではない。 思いやりも愛情も知らない鉄の塊は、ただ困っていた。 「おなか空いた」 『……お腹は空きませんよ?空腹なら空腹と言ってください』 「でもおなかすいたもん」 人間で言う4歳程だろう。 そこまで来ると言語能力を獲得し、そこで初めてイヴと対立をする。 人間で言う例え話というか『感覚』をイヴが持っているわけないので。お腹が空いたと言う文面もまともに理解できない。 何故ならイヴは機械。 どこを触っても冷たい鉄で、温もりと言う物を持っていない。だからイヴは困った。 最初は何とか支えようと面倒を見て居た。だがそれは人間が想像できる面倒をの見方ではなく、あくまで無言を貫き、成長していく女児を見ているだけだった。 非常に合理的、そう演算したのだろう。 だが人間は合理性を求めた末に生まれた存在ではなく、あくまで非合理的だ。 「あそぼ」 『……遊びたいのですか?』 「うん」 大きくその頭部を前後に降る。人間流の肯定サインだ。 この頃になると、子供は好奇心に敏感になる。 あれは何だろう。あれはどうなっているのだろう。 人間の祖先が最初に感じたのが『疑問』だと言われている。疑問を抱きそれを心の枷とする。 その枷を、人間は『答え』という形で外していった。 疑問が明白になると言うのは人間に取って凄く気持ちい感覚。いくら女児と言って、その欲に従順なのが人間の性なのだ。 「ちがう。もっと投げて!」 『投げてはいますが。もっと、とはどう言う意味でしょうか?』 「えっと…だから!もっと…もっと、」 『……もっと?』 川の河川敷。緑の自然に囲まれた世界で唯一流れている美しい川。それに向かって、女児はイヴに話しかける。イヴに手渡したのは小さな石ころ。それをイヴに持たせ、女児は投げろと言った。 もっと、というのは色んな取り方がある。もっと…の後に何が付くのかによって意味が変わってしまうのだ。 もし、もっといっぱい投げて。なら沢山の石を投げろと言うことに他ならない。 もし、もっとスピードを付けて投げて。なら全力で投げればいい。 確かに機械生命体であるイヴは高性能だ。 だが、人間の感覚を理解できないため、考えていることが読めないのが欠点だ。人間の感情を演算なんて、イヴにとっては難題な演算を求めているのと同じだ。 「……もっと、ずきゅーん!って投げてほしい!」 擬音の説明。ここまでヒントを出されると流石のイヴも理解しだした。 なぜここまで女児の言語能力が低いのかと言うと、まだ小さいからと言うのもあるし。何よりイヴが積極的に教えたわけではない。 あくまでイヴは質問されなきゃ答えない。自立し考え何をするか、それに特化した機械など、それはもう人間と同じ感情を備えた機体である。 だがイヴはそうじゃない。自立型であるのは確かだが、感情を持っているかという観点では持っていないと答えるしかないのだ。 だから女児が考えている事も伝えたいことも、全て音声データとしてでしか判別できない。 『ずきゅーん』 「……え?なにしてるのママ」 どうやら、イヴがたどり着いた答えは間違っていたようだ。イヴが取った行動は両腕で全力ハートを作り。何の愛想も感情のない声で『ずきゅーん』と口にするだけだった。 イヴに『ジョーク』をプログラムした覚えはないが。これが彼女なりの答えなのだろうか。 「………」 女児に引かれているではないか。 それから数年がたったある日、ある事件が起きた。 「信じらんない」 『………』 「ママは…ママなんだよ!?」 『私は…母親ではありません。あくまで機械、人間のような暖かさも、人間のような奇想天外もない。ーーただの【人形】なのです』 寂しそうに言うわけでもなく、あくまでハッキリと。 人間の女児、いや、もう少女だろう。それは小さな事から始まった。 少女はあくまで自分を子供として認識していた。 だけど、イヴは機械生命体。 少女の事を自分の子供だと言うのを否定したのだ。 自分が人間と違うと言うのをこの生活で1番感じていたのはイヴだったのだ。 読めない人間の心理 分からない行動原理 1番困り悩んでいた張本人はイヴだった。 この数年、イヴは少女を養い教え育ててきた。だけど、それでも。自分を母親と認められない理由があったのだ。 「私は……! 私は…、貴方に育てられたのよ!貴方に、貴方にだけ育てられた!ねぇ、ママ!」 『………』 必死に諭そうとしてくる。だけどそれでも、イヴは動じなかった。あくまでイヴは音声データしか感知できない。 それが仇となった。人間の感情も、気持ちも、苦しみも、愛情も理解できないのだ。 何故なら、イヴは鉄の人形だから。 『ごめんなさい。私にはわかりません』 「………」 イヴはあくまで母親ではなく、機械なのだ。 温もりも優しさも感情もない。 ただの機械 だから、いずれこうなっていた。 自分を人間じゃないと1番理解している。だからだ。 「もう…しらない」 『………』 少女は、森の奥へと駆け出した。 ーーーーーーーーーー 私の母親は人間じゃない。 「信じ…らんない」 どこを触っても固くって、どこを触っても冷たい。 母さんは自分の事を『機械生命体のイヴ』と言うが、私にとっての母親はあの人なのだ。 「……頑固なんだから」 母親は、自分が人間ではないことを頑なに通そうとする。それは何故なのだろうかわからないがそれが発端で喧嘩をしてしまった。 あの母親なのだから、きっと追いかけては来ないと思う。 あくまで自分はロボット、機械なんだと言い続けてきたのは母自身だ。 合理的な事以外の事をする人ではない。 あの人の最適解はいつも機械的だと思っている。 「馬鹿……ばか」 少し、少しだけ期待していた。 もしかしたら、感情と言うものがあるのではないかと。 空を見れば、もう満点の星空が輝いている。本当に来ないんだ。最初から迎えに来るなんて思考に、至らないんだ。 空は黒く塗りつぶされ、五月蝿い虫の声が森を包んだ。思わず空を見上げ、そのまま考えてみた。 「じゃあ……私のお母さんって誰なのよ」 イヴは私を拾ったと言った。それは本当なんだろう。 では、私を産んだのは誰なのだろう? 自分の母親を知りたかった。 どんな顔してるんだろう。 どんなに優しいのだろう。 どんなに柔らかい肌を持っているのだろう。 何度想像したことか、何度夢見たことか。 いつか迎えに来ると思いたくても、それは思えない。何故なら人間は滅んでいると聞かされたからだ。 イヴもなぜ私が生きていたのか理解できていないと言っていた。私だって分からない。私だけ生きているって言う孤独は、1人だけと言う孤独は、永遠に無くならないのだから。 あんな不器用すぎる母親なら、あんな機械なら、私は本物の母親と一緒に滅んだほうが、まだマシだった。 『ーー探しましたよ』 「え……?」 唐突、背に寄りかかっていた木の裏から出てきたのはいつも見飽きているイヴの顔だった。 ーーーーーーーーーー 「………」 『………』 沈黙。人間の気持ちが分からないアンドロイドだからこそ。沈黙と言うのは困るものだ。 何を思い何を考え、何を求め何を望んでいるのか。 沈黙と言うのは、音声データで物事を判断する私には不向き。最悪な環境だ。 だけど。 『私は、貴方の母親ではありません』 私は。確実に言わなければいけないことがある。 『私は、』 それは自分への肯定。それは自分の確立。 『ーー私はただ、貴方を孤独の地獄に落としたくないんです』 「………」 『私は、この数百年の間ずっと孤独でした。……ずっと、と言うのは難しい言葉と言うのも知らずに、ただ自然を見て来ました。だけど貴方に出会って、初めて理解したのです。ずっと居る、ずっと見ている、ずっと支える。それだけで、私の孤独は埋められました』 機械生命体。AIのイヴ。 孤独と言う言葉を使っているが、それはあくまで例え話。 機械が感情を抱くことも出来ない。それはイヴが1番理解していた。 だけど、ここで言うべき言葉は。何となく演算できた。 この少女と出会ったおかげだろう。この子との生活が、私にとっての経験だった。振り回されたときもあった。我儘を言われたときもあった。だけどそれをどう返せばいいか分からずに困った。だからこそ、彼女の母親を名乗ることが出来なかった。 本当なら、人間の母親なら、もっと上手にできるはずだから。 『私は人間に作られたロボット。機械生命体イヴです。そして、貴方の介添人です。人間の母親じゃなくて申し訳ない。私は人間の心を理解は出来ません。だけど、《一緒に居る》ことは出来ます。貴方を見て聞いて、時に遊んで。それだけなら』 同じ木に背中を預け、そのまま空を見つめる。黒い空を見つめていると、時期に星が見えてくる。 この世界は美しい。この景色を貴方に見せたかった。大きくなった貴方に見せて。 ーーただ、喜ぶ姿を見たかったのです。 『母親らしい事は出来ませんが、貴方を守り、一緒に居ることは出来ますーー介添人として、貴方を守ります』 それは絆だった。暗い森の中で、イヴは少女へ手を差し伸べた。それは決して暖かくも無いし、それは決して柔らかい腕ではない。だけど…。 「しかた……ないわ」 そうへそを曲げながら、渋々と手を絡ませた。よそよそしい手付きで、冷たい鉄の腕を握る。すると――。 「え?何してるの!?」 『……人間の母親が子供に良くする握り方と覚えていたので実行したのですが…不快でしたか?』 俗に言う恋人繋ぎ。指と指を絡ませ、互いの気持ちを確認できると言う。確かに母親が子供に対してやる事だとも言える。だがそれはあくまで介添人のイヴがやっていいものではないはず。 ならなぜ……。 「……ん」 答えは明白 『……分かりました』 少女の心情を組取り、その状態での最適解。 初めて、機械であるイヴが、人間の考えを読んだ時だった。 ゆっくり伸ばしてくる手。それはやはり小さく、まだ子供と言うのを自覚させる。その腕を優しく受け止め、恋人繋ぎをする。 手のひらに感じるのは暖かい生命力。それは優しくって、まだ純粋な感情。 ふと、力が強くなった。 手のひらに感じるのは冷たい鉄。だけどそれは優しくって、冷たいはずなのに、心は暖かくなる。 ふと、力が強くなった。 お互いに感情を理解し、お互いを考えさせた。 ーーーーーーーーーーー そこから更に数年。女児から少女、少女から成人となる頃。 『これは…?』 「……作ってみたんだ。どうかな?」 目の前には、思わず口が開くほどの物が作られていた。 人間は発明の王だ。自身の想像力と知識、そして実行する行動力さえあれば何でも作ってしまう。何でも、何でもだ。それはイヴも含まれる。 「どう、かな?」 木にそって結ばれた草の壁。だが、その草は見た目以上に固く。壁としての役割を全うしていた。 一見、一見だけみた感想は。 『……家、家を作ったんですか?』 「そう」 草で更生されているが、それはあくまで外装だけ。中身はきちんと木材で骨組みが組まれており。思わず言葉を失ってしまう。 人間の創造性には驚かされる。 確かに、家の事を聞かれた。そして外装や作り方を一度だけ語ったことがある。その一度だけでよくここまで作ってくれた…。 ここまで野宿という形で過ごしてきたけど。私自身、それで構わないと思っていた。大雨が触れば洞窟へ、雪が降れば洞窟に穴を彫りそこを住処とした。 「感想も無いの?」 『驚きすぎて言葉を失ってます……』 「なら良かったわ」 言葉こそ少し強いが、その態度は子供そのものだった。顔は赤く染め、人間らしい金髪と青い瞳が揺れている。親孝行と言うのだろうか? 『……私は介添人なんですが』 「いいのいいの。一生一緒に居てくれるんでしょ?なら家くらい……」 ………。 「……どうしたの?」 風、風が流れている。 彼女が、あんな小さかった彼女が。こんなに大きくなって。あんなに少なかった髪の毛も、今では太陽の光を吸ったように輝いている。青い瞳はまるで数年間見ていない海のような広さ。 初めて感じたのは貴方の尊さ。それだけで私は生きてられた。 最初から、死ぬつもりだったのに。 『ーー私の内部バッテリーは。あと半年で切れます』 ーーーーーーーーーー 「イヴ……!」 それは、遠い記憶。 「許してくれ……イヴ」 はか、せ? まだ知能があまりなく、賢さが無かった時代。子供の私に博士は重すぎる使命を課した。 「君の、君の任務は……文明を残す事だ。内部バッテリーは600年で切れる。その間に『ホープチャイルド』を見つけ育てるんだ……!!」 『ホープチャイルド』と言うのは、まだ穢れのない新生児をコールドスリープ状態にして保存を行い。人類滅亡後にも活動できる様に地下深くに収容された子どもたちのことだった。 「それしか……この人類を救う。いいや、発明を、文化を、残したいんだ」 博士はゆっくりとカプセルに近づいてきて。そのまま私を見つめた。 よく見ると、博士は右肩を抑えている。指の間からは鮮血が溢れ、それは深刻な傷として博士の生命を脅かしている。 助けなければ、と言う焦燥感が溢れる前に、博士は最後の言葉を残した。 「ーーまもなく……この国に爆弾が落とされる。この戦争は人を無差別に殺し、無知な命を脅かす最悪だ。お前だけは生きろ。文明を、俺達の無念を!お前に託す。紡いでくれ……頼んだぞ」 腕、手形だ。血の付いた腕は私のカプセルに爪痕を残した。人の手形。それを見た事を皮切りに。 私の意識は底に堕ちた。 目覚めると、そこは朽ちた大地だった。 『……初めて見る景色が、人間ではなく、既に滅んだ世界だとは』 皮肉げに語ったその言葉。それだけ口にして、私は歩き出した。 博士の命令通りに『ホープチャイルド』を起こしに向かってもいい。 だけど、何というか。私は1人で居たかった。 それは博士を失った悲しみ、なのだろうか。目覚めた先は温かい世界だと思っていたのに、思っていたのと180度傾いた結果に。思わず釈然としない感覚を抱く。 私は、森に入った。 別に自然は悪くない、どこを見ても新鮮で美しかった。だけど、いつまで経っても心が満たされない。 100年くらい経っただろう。未だに世界を旅していた。600年も猶予があるのだから好きにしてみたかった。 そのまま200年300年400年と稼働し続けた。 自然は飽きない。同じ場所で、見る位置によってまた別に見える。AIながら美しいと思うのは行けないのだろうか? 感情と言うか、感性と言うか。それだけは私にあった。こんな世界を、朽ちた世界を、美しいと評せる程。私は感性を獲得していた。 そして、579年の歳月が経った。 結局……私は満たされなかった。どんなに美しい景色を見ても、どんなに絶景を見つけても。それを1人で見るだけだったのだ。孤独を感じた。 AIが感情を手に入れたのかと思ったが。何かの間違いだと思う。 『……ここは?』 そこは、『ホープチャイルド』の眠っている場所だった。結局ここまで来てしまった。あと経った21年で。どうしろと言うのだろう。 『………っ』 それは、思わず固唾を飲むほどの美しさだった。 地下へ降ると。広がっているのは無数に置かれたカプセル。その中は未だ稼働している様子で、でも、数々のカプセルは機能を失っているように見えた。 600年だ。壊れてしまうのも仕方がない。 その無数のカプセルの中で、たった1つ。目に映るものが合った。 美しい金髪、そして美しい青い瞳。 それに魅了されたのだ。 「ぁ……あば」 『………』 第一声。赤ん坊にとっての目覚めの場所はあんな暗い空間じゃダメだと思った。 せめて、知ってほしかった。私が見てきたこの世界を。美しさを共有したかった。一緒に語る相手が、欲しかっただけなのだ。 もっとーー。 ーーーーーーーーーー 内部バッテリー 残量『2%』 稼働年数 599年 残り、1時間の命 『残り時間が少ないですね』 「……うん」 もっとーー。 出来たばかりの家の中で、自作のイスに腰を掛けながら。最後の一時を鮮明に感じていた。 彼女は、私に手を尽くしてくれました。でも、私の内部バッテリーの代わりになる物は今の文明レベルでは存在しないのは演算済みでした。人間なりの独創的考えを期待してみましたが、彼女にそこまでの知識は無かったのです。 でも決して、私は生きたいと足掻いているわけではない。 最初から死ぬつもりだった。 『……元々、短命でした。永遠の時を生きれないのは人間も同じです。ーー人は必ず、死んでしまう』 「……そうだね」 人間のエゴを押し付けられ。それに振り回される人生は、息苦しいと思っていた。 『あぁ』 「……?」 そう言えば、忘れていました。 『貴方に、言わなければいけない事があるんでした』 「……なに?」 どうしてか、私は忘れていた。 彼女に託さなければ行けないものがある事を。 それは博士たち人類が望んだ文明の維持ではなく、あくまで個人的な物。 それはアンドロイドである私にとって。大事なことだった。 「……何を、何を…?」 困り顔で私にせがんできました。 そうでしょう。私にとっての遺言を彼女は聞こうと、聞き逃さないようにと集中している。なので私は体を起こし。彼女の耳元に口を近づけーー。 『 ーーあなたの名前、あなたの名前は【イヴ】です 』 女児の名前、少女の名前、そして……あなたの名前。 『私の名前を託します。生きてください。自然を見て回って、私が見せたかった世界を、自分の目で』 「……うん」 泣きそうな声を殺し、小さく頷いた。成人にもなって子供のように泣きじゃくるのは、流石の私でも見たくなかった。 私はこの20年間。彼女に名前を付けていなかったのだ。 だけどこの際だ、彼女に私の名前を託したかった。 それは昔の人類。博士と同じ様なエゴの押し付けなのかもしれない。だけど、私は……。 もっとーー。 『私は何も変わりません。無言で貴方を見ていて、そこに居るだけです。話しかけても答えなくなっただけで。それだけです』 「……う…ん」 【イヴ】と出会えてよかった。 最初から、鮮明に覚えている【イヴ】との思い出。 それは私の人生に置いて、凄く幸せなことだった。 許して欲しい。1人にすることを 忘れないで欲しい。1人ではなかったことを 『 ーーねぇ、イヴ。周りを見て! 』 「え……?」 『 こんなに美しい自然を、イヴに『もっと』見てほしかったわぁ 』 「……その言葉遣い…って」 『 もっと、もっともっとーー。 』 「……ッ……うぅ…うぐッ!」 『 ーーもっと、イヴと一緒に、娘と一緒に居たかった 』 「おかぁ……おかぁさんーーっ!」 母親と、イヴの記録は。ここで終わった。 そして、イヴは歩き出した。 何年の旅になるだろうかーー、 それすらわからないがーー、 少なくともーー。 「あっはは!」 満面の笑みで。楽しそうに、スキップで。 ーー森を後にしたのだった。 小説 『イヴと金髪少女の記録』
死にたくないから、私は弦を弾いた
死にたくないから、私は弦を弾いた 青春の終わりが春風と共に流れて、思わず感傷深く考えてしまう。 学校の鐘が大きく鳴って、それが多分最後の鐘で。 「終わったん……だね」 思わず、短く呟いた。 小さな峠に隔てられた学校。そこで、小さな卒業式が行われた。 桜が私の青春を表すように落ちていって、花だった世界も今日で終わりだ。 受験勉強に追われて。入りたかった学校に入れる事になった。それだけで私は嬉しくって、でもどこか淋しくって。 「これが青春の最後。余韻に浸るのも…終わりかな」 私はこの3年間。一言で表せられない様な生活を送った。 クラスもそれなりに楽しかった。波乱もあって、葛藤もあって。 居るだけで実感する青春は…… ーー今日で終わりを告げたのだ 風、風だけど。違う。 何だろう、このモヤモヤは。 「ーーっ」 その時、ふと耳に引っかかった音があった。 その音は私の脳に響いて、終わったとばかり思っていた青春に…火を付けたのだ。 気がついたら、走り出していた。 どこに向かっているのか私にも分からない。 自分から離れたのに今更都合が良すぎる。 でもなんで、どうして。 「……あつい。どうしてこんなに……ぼやけるのよ」 頬を熱が伝って、私の顔はぐちゃぐちゃになった。 それは、過去の追憶だった。 ーーーーーーーーーー 「よっ」 「……げぇ」 何とも思って無さそうな表情で、私に手を上げた男子がいた。 思わずその平然さにおかしな声が出た。 「なんで居るのよ涼介」 涼介(りょうすけ)。 私の幼馴染で。言ってしまえば頭の中空っぽなバカだ。勉強も出来ないしヤンキーだし。授業はいつもサボってばかりでどうしようもないやつ。 でもそこが、私には良くって、憧れだった。 教室の出入り口に決め顔で立っている涼介は私に満面の笑みを向けながら。 「いつもの場所で集合な」 「……はいはい」 いつもの場所。その言葉が意味する場所はただ一つだった。 夏風が地面の草を踊らせ、昼間近い夕暮れの景色は街を朧気なものに染めている。 セミの鳴き声がその場を制し、空では瞑らな星たちが小さな光を放っていた。 「ほら、お前がやらなきゃ俺も出来ねぇんだよ」 「はぁ……めんどくさ」 涼介は大きめのギターケースから黒色のギターを取り出すと。 私にそれを譲った。 それをいつものように構えて、 「はい。昨日の続きからな」 無邪気な笑顔のまま、涼介は私の背後に立った。 そのまま、私の両手に手を添えながら、二人でギターを引いた。 ここは街が一望できる展望台。普段は人が居なく、なんなら整備すらされていないこの場所は。 絶好の“練習場所”だったのだ。 ーーーーーーーーーー いまどこに走っているのか。 それは自分でも分からない。 ただあの展望台ではないどこか、分からない場所に走っている。 ただ無性に、行きたい場所がある気がした。 「……!」 ふと足を止める。 肩を上下に激しく揺らして深呼吸をしながら、全身が水に濡れたような感覚を感じた。 右腕をうえに上げ片耳に付ける。 するとどうだ 微かに、聞こえてきた音色があった。 あの音色。あのリズム。あの、匂いが。 「……い、居るわけ…無いよね…っ」 息切れしながら。私は目を凝らす。 河川敷。私と彼が出会った場所だ。 そして、彼の、 「……ギター」 誰かが置いていったように。彼のギターが、草原にぽつりと。そのギターを衝動的に持ち上げて。 私は彼を想いながら。 「……っ」 歯を噛み。全身を動かして。時間を思い出す。 その河川敷で、私はギターの弦を弾いた。 「いいじゃん。引けてるよ」 「そう、かな…?涼介みたいには引けてないと思うけど」 そう言うと、反射的に涼介は勢いよく立ち上がった。 「ギターってのは、自分の思いが籠もってれば完璧なんだよ」 自分を謙虚に持とうとしても彼は許さなかった。私にギターを持ち上げながら。どこか空を見たような表情で言い放ったのだ。 「……なに格好つけてんのよ」 そう釘を刺すと、苦笑しながら。 「いや、かっこうつけさせろよ」と彼は笑った。 過去の産物でも。それは彼の証拠だった。 「俺はお前に、俺の曲を引いて欲しいなんて一ミリも思ってない。お前はお前の曲があるんだ。それを聞きたいんだよ」 どこか空を見ながら。彼はもう一度、そう呟いた。 その笑顔が、その妄想が、そんな彼が。 私は、大好きだったんだ。 その思い出は彼の証拠。 彼の“生きた”証拠だ。 気持ちが、溢れた。 どうして、もう居ないの。 どうして、私にギターを教えたの。 どうして、私の曲を聞きたかったの。 どうして、先に死んでんだよ。ばかやろう。 貴方に、聞かせられなかった。 貴方に、教えられなかった。 貴方に、お礼を言えなかった。 何も分からなかった。どうして貴方は、持病で死んだの? 隠してた。私に病気の事を。最後に見たのは、弱々しい彼の笑顔だった。 そんなの嫌だったんだ 私に声を掛けてよ。 私の腕を触ってよ。 私の後ろに立ってよ。 もう一度、私にギターを教えてよ 死にたくないから、私は叫んだ 死にたくないから、私は弦を弾いた 死なせたくなかったから、私は自分の曲を謳った 叫んでも変わること無い。嘆いても過去には戻れない。 一度捨てた音楽なのに昔より腕が動く。 彼と出会った河川敷で、歌えている。昔より。今のほうが歌えている。 口が動く 喉が震える 君の顔が、笑顔が浮かんで あの不器用で、どこか死を悟っていた笑顔が浮かんで 「ーー先に死んでんじゃねええよばかやろう!」 「私の気持ちなんて知らないで、わかったフリして...!」 「置いて行きやがって…許さないから、絶対に許さないから」 「ーー絶対に、貴方を喜ばせるから」 「あんな笑顔をさせないから」 「本当に嬉しい時に出てくる笑顔」 「それを出させてやる!」 「私に笑えよ。後悔なんてさせないから。私の曲に、私の告白に、私の笑顔に」 ーーそして、帰ってこいよ。 いつまでも、私は貴方に 最高の歌を届けるから