鶴さん
5 件の小説落ちてきた子はコウノトリの子?
真っ暗な窓に囲まれて僕は教室で勉強していた。蛍光灯の光が眩しくて、僕は数回瞬きをする。大学ノートに外国語をつらつらと書き込む。僕は少し眠かったけど、こんなところでへこたれる訳にはいかない、大学に行きたいから。大学に行くために貰えるタイプの奨学金を勝ち取り、足りない分はアルバイトで補填できるようにした。本音を言うなら全額欲しかったけど、それは学力が足りない。身の程を弁えて欲張りが出ないようにしたい、そんなことを呟いた気がしたけど、これはまごうこと無き負け惜しみだ。 僕はノートの末尾に日付を記入して、ノートを閉じる。教科書を机の隅に寄せて、学生服のポケットに大切な文房具を押し込んだ。シャーペンがポケットの中で太腿を刺した、痛い。 僕は校舎を出た。既に校門は施錠されていたので、僕は校門をよじ登る。学校の校門は最近は何かと物騒だからと言われるが、この辺りは昔から歓楽街もあったし、昔から物騒だった。僕が今しているアルバイトだって責任の一端はあっただろう。母にだって、僕にだって、でも悪くしているつもりはない、そうしなきゃ生きていけないんだから。 月は僕の真上にあった。いつもよりオレンジ色で、大きくて、世界の終末を思わせる光景をしていた。先生は月が地球に一番近づく、特別な日だと言ってたっけ? でも今日の月は僕の短い人生で見た中で一番大きな月で、隕石として落ちてこないか本気で心配だ。だってよくある映画の地球滅亡のシナリオに月が地球に落ちてくるなんてありふれているから。 「今日世界は滅亡するかもしれない」僕は闇に向かって呟いた。 街灯もまばらで地面だって定かではない、そんな暗闇の中に響いた僕の言葉は静かに消えていく。僕は月を眺めながら歩いた。 僕は目が良いからクレーターの窪みが見えた。何故か僕にはうさぎが餅をついているように見えなくて、いつも鋏のサイズが左右で違う蟹みたいだと思っている。 「蟹みたいだぁ」また僕は呟く。独り言は僕の癖みたいなものだ。 「蟹食べてみたいなぁ」 僕は細くて割れたコンクリートの道路を歩く。 月に小さな黒い影がよぎった。 虫か?いや虫じゃない、もっと遠くで大きな物、実際の大きさは分からないけれど、黒いシルエットはゆっくりと燦然と輝く巨大な月の前を横切った。 「?あれはUFOか?」 UFO、未確認飛行物体。という言葉がよぎった。いや、UFOなんて馬鹿げている、目撃情報なんて見間違いが殆ど、そんなことはあるはずが無い。 シルエットは時間をかけて降下して月の縁を出れば暗闇に紛れて分からなくなった。隕石にしてはゆっくりだったな、でもUFOか、随分と大きく見えるが実際に落下地点に行ってみれば、案外小さくて、小さな羽虫かもしれない。それも数メートル先の落下地点。ロマンはないけれど。 僕は家に着いたのでアパートの階段を登る。月4万の超ボロ屋、激安物件にして最高の治安の悪さを誇るエリアに存在する家。歓楽街の裏手。 アルミでできたドアノブに手を置いた瞬間に背筋が凍った。 嫌な予感がする。 僕の居ないところで取り返しのつかないことが起きている、そんな感じ。 僕の嫌な予感は外れたことがない。 母が半殺しになって帰ってきた日だって、前兆は何もなかったけど、僕は母が玄関の前にに立った瞬間嫌な予感がしたし、父が死んだらしいと電話で聞いた日は電話を取る前に内容が分かった。 そう、このドアノブに触れた瞬間だって僕には扉の裏で何かが起きていると分かる、、 怖い、この扉を開ければ絶望の縁に叩き落とされる。 もう上がってこれないし、取り返しのつかないことを知ってしまう。 だからといって開けない訳にはいかない。 勇気を出さないと。 僕は鍵を差して玄関を開ける。 ぎぃぃぃぃ、と不穏な音を立てて開く玄関。 真っ赤なハイヒールが散乱する玄関に月の光が差し込んだ。 静かで、暖かい月の光。 でも変な匂いがする。 人の匂い。 タバコか?でも人間の身体の、匂い。 僕は知っているんだ、不本意ながら特別な第六感を持っている。 僕はリビングのドアを開ける。 血の匂いが流れ込んできた。 倒れていたのは母で、腹を刺されて死んでいた。 脈を確認するまでもない。刺されて即死だろう。 ほら、そんな予感がしていた。 母の、膨らんだ腹から内臓が出ていた。僕の新しい家族になるはずだった物。もう動くことは無いし、名前を何にしようかなんて考えることもできない。 僕は死体の前に体育座りをして観察する。 ワンエルディーケーの安いアパート、痴話喧嘩で死んだ母、僕が養うはずだった弟。 「死んで清々したよ」僕は呟く。 「毎回まいかい何で俺に頼ってくるんだよ、頭悪いくせにさ、考えたって無駄なくせに、彼氏作って、子供作って、幸せになろうとか考えたってどうせ無駄なくせに、子供ひとり満足に養えないくせに、養って貰う側のくせに、なんで足掻いて苦しくなって、余裕無くなって、結局子供に頼ろうとするかね?」 母は答えない。瞼だって開けたままにして、虚ろな目をして僕の方を見る。表情は苦悶で、痛みと苦しみと、悔しさに溢れていた。血の匂いに惹かれて寄ってきた羽虫が母の周りを飛んでいる。湿気も凄いし、多分数日もすればこの辺りは激臭に見舞われるだろう。 「母さんは頭が悪いんだから、精々俺に、迷惑かけないように生きていれば良かったんだよ。」 僕は立ち上がってリビングから出る。 僕は予感がした。きっと今晩は眠れない。 でもね、頭が悪かったと言っても殺されないように気を付けるくらいはできても良かったよ? 僕の母、あかりは何度も言うが頭が悪かった。 そもそも四則演算すらまともにできないで、まともな進学、就職ができるはずもなかった。勉強はできなくても世渡りが上手い人は多い。しかし、あかりは内気で、偏屈で、見た目だけが取り柄の人間だった。 要するに世渡り上手ではない。 あかりは見た目に釣られた男をひっかえとっかえして金を貰い生活していたが面白い人間でもないのですぐに捨てられる。でもあかりはそれ以上に魅力的で次の相手が見つかった。 そうして、男をひっかえとっかえしていくうちに産まれたのが僕。 僕の呼ぶ父とはそのときあかりが交際していた男のことである。 多分僕と父は血が繋がっていない。 でも父はなぜかあかりを追い出したりしなかった。何か理由でもあったのか? まあ最後はあかりと喧嘩して家から出ていったけど。 出ていったあとは知らなかったけど後ろから刺されて死んだ。 何があったか知らないが、僕は僕に対して無関心であった父のことを知らないのでよく分からない。 父は、陰が薄くて僕に対して叱らなかったし、養育費しか払わなかったし、殆ど家に帰らなかったから顔すら僕はぼんやりとしか覚えていない。 何で僕に養育費を支払ったのか?なぜ母と別れなかったのか?疑問は尽きないが父はもうこの世に居ない。精々僕に出来ることは死を悼むくらいだろう。母と同じように。生まれるはずだった弟。僕にできるのは悲しむことだけだ。 僕は道路に出た。 とぼとぼと歩いて誘蛾灯のように燦然と光るコンビニに入った。 入店音が陽気に響いて、店員がいらっしゃゃいませ、と言った。 僕は店内を回る。別に買うものなんてないし、僕に何か買う金なんてない。 アイス美味しそうだな。 大学は安全圏に入っている。母の手から離れて寮暮らし、もう母に合わなくて良いな、良かった。多分合格する。 僕が次に目を開けて、気が付いたときには長閑な田圃が広がる場所に立っていた。日本の主食に数えられる唯一の米、稲が青々と暗闇の中靡いている。ざあざあと風に乗って、動く稲。僕は荒野を思い浮かべた。永遠のライバルと命を賭けて戦うまるで最終決戦のようではないか。 僕が立っているのは稲穂の靡く田圃より一段上がって、コンクリートで平らに舗装された道路だった。 僕の前には古くて壊れそうな家屋があった。 コンクリートの塀で囲まれていて、手入れのされていない小さな庭、錆びた勝手口に、伸び放題の雑草。 僕は石畳の上に足を乗せた。雑草が石の間に隙間なく生えていて気持ちが悪い。入り口から数歩、歩いたところにある勝手口のドアノブに手を掛けて、ゆっくりと引いたが閉まっていた。僕は作戦を変更して、家の反対側に回って中庭に入る。中庭もやはり僕くらい背のある雑草が鬱蒼と茂っていた、気味が悪い。コンクリート塀が見えなくなるほど背に高い草だった。茎は幹と見紛うほどに太く、真っ直ぐに伸びた一本だけの茎からうじゃうじゃと葉っぱが張り付いている。在来種ではあるまい、僕は暗闇の中ほんの少しの間この不気味な草を見ていた。あまりにも気持ちが悪かったからだ。 僕は雑草の生い茂る中庭を抜けて、勝手口の反対側に回った。丁度リビングに面した部屋があるだろう。そして、隣に廊下があって、トイレがあって、おそらく寝室がある。 リビングの窓は分厚いカーテンが掛けられ、硬く閉じられていたが隙間から明かりが漏れていた。リビングは無しだ、 僕は寝室の窓にに目を向けた、恐らくリビングに全員いる。まだ零時を回っていないこの時間帯には寝ていないだろうと踏んだ。 僕は寝室の窓に手を掛けた、開いている!! 窓のアルミサッシを掴んで家の外壁をローファーで蹴り上げれば登れる、寝室の窓は僕の肩くらいの高さがあって、少し小さめの窓だった。僕はアルミサッシを掴む。僕の爪に少し引っかかって、黒板みたいに嫌な音と感触がした。僕は顔を顰めた、僕はローファーをペンキでホワイトに塗られた壁を蹴る、少しでこぼこしていたのが救いだった、僕は無事、窓枠の上に足を載せる。少しだけ音がしたけれど、リビングに居れば聞こえない、多分寝室にいたらギリギリ聞こえてしまうけど。 僕は慎重に窓を開ける。窓枠が錆びていて、とても開けづらい。部屋の中に明かりがついていないので、人は居ないはず。キリキリと時間をかけて開ける。こういうことで焦ると良いことは一つもない、焦らさず、焦らず、慎重に。 僕一人がやっと入れるくらいの幅を開けた。そろりとカーテンを開ける。中は真っ暗でよく見えない、目が慣れるまで時間がかかるだろう。僕は身を翻して部屋の中に体をすべり込ませる。 僕は部屋に降り立った。学ランだったし、履いていたのはローファーとあって、機能性のあるパーカーやスニーカーを履いてくれば良かったと今更ながらに後悔した。僕は懐の中を確かめる。うん、確かに此処にある。 「忘れ物なし。」小声で呟く。 部屋にはベットが一つと箪笥が置いてあった。パイプ椅子がベットの方に向いている。ベットの上には羽布団がこんもりと敷いてある。 足音を気にしながら抜き足差し足で寝室の扉に近づく。 「あなたはだれ?」 全身総毛立つ、人が居たのだ、見つかった、やばい、殺される、 声の主の方に振り返る。 ベットの上に人がいた。声の主は僕と同じくらいの歳だろうか?彼女は暗がりの中で僕の方を向いていた。 僕には三つの選択肢がある。一つ目、逃げる。この場合目的は未達成でもう一回ここに来なくてはいけない。次の二回目は成功率が落ちるが今ならきっと逃げられる。二つ目、ここで殺す。大声を出されたりしたら、僕はリンチにされて三途の川を渡るだろう、そして女の子を殺すのは心が痛い。三つ目、黙っててもらう。まず交渉する。交渉が決裂しても成功率は一つ目より落ちるがたぶん逃げられる。でもこれが一番穏便だ。僕はもう一回ここに来たくない。一回で終わりにしたい。そのために気になるのは、あいつと女の子の関係。 僕は意を決した。 「、、、君は、誰?」 僕は勤めて冷静に。もしあいつの娘です、とか言われたら交渉決裂、裏切る訳がないだろう、でも僕はあいつに娘がいる訳ないと知っている、だから新しいガールフレンドか何かだろう。 「わかんない」 不安そうな声だった。目が慣れてきた、カーテンから差し込んだ月の光を見て僕は思い出す。 「そういえば今日は満月だった。」僕は呟いた。僕の悪い癖が重要な場面で出てしまった。 「そうだね、月がきれいだね」 僕は彼女をまじまじと見た。彼女はベットに上半身を起こして寝ていた。巨大な満月に照らされて、目が慣れてきた僕にはやっと彼女の風貌が見えてきたのだ。この子は、絶対にあいつの娘ではない。なぜなら彼女は金髪だったからだ。 「君は何でここにいるの?」 娘でないなら僕にとって自明の質問だ。けれど彼女自身の言葉として聞きたかった。 彼女は目を伏せて自分の膝の辺りをみてしばらく考えた。 「わからない、何でだろう?」 僕も意味が分からない。自分がここにいる理由もわからないのか? 「まだ私はあなたが誰なのか聞いてないよ」 ゆっくりで、体の大きさに比してあどけない口調で話す。異様な人物に感じた。この子は誰だ?病気?精神疾患系か?でも見た目はとても綺麗だ。 「………。」 僕は敢えて答えない。まさか『ここの家の住人を殺しに来ました』なんて言えるはずがない。 「ここにさ、男の人がいるよね?その人とどんな関係?」 「男の人って?」 知らない?そんな筈はない。 「腕にハイビスカスの刺青の入った、大きな男の人。」 「わからない」 「ここの前はどこにいたの?」 「うるさいところ」 「うるさいところって?」 「うえ」 そう言って二階を指差す彼女。 ますます意味が分からない。 「うえってどこ?」 「そら」 「そら……。」この質問は無駄だ。もっと聞くのは基本的なこと、例えば名前とか、年齢とか、どこの学校に通っているかとか。 「あなたのなまえは?」 逆に訊かれてしまった。 聞くばかりで答えないからだろうか?僕は観念して答える。 「真幸」 彼女は反芻した。まさき、と。 僕は逆に問うた、 「君、名前は?」 彼女はぼんやりと虚空を眺めた。僕は更に目が暗闇に慣れてきたから彼女がよく見えるようになった。 絵画のように美しい彼女は金髪を羽布団の上に波立たせて、そしてきちんと箪笥の上に揃えられた本の書名をちらりと見る、彼女の碧眼に一瞬知性の光が宿ったことも見逃さなかった。 「わからない」 僕と目が合った。本当に?と聞いてしまいたかったが、なぜぼかした言い方をするのか分からない。 「私はじぶんの名前、知らない。」そして彼女がみせた初めての悲しそうな表情。「たぶん私は名前がない。だからあなたが名前を付けてくれる?」 僕は面食らってしまった。 僕はしばらく悩んだ。咄嗟に名前を付けろと言われても付けられるものではない。 何人かの顔が思い浮かぶ、それはクラスメイトの顔であったり、母の姿だったりした。 「じゃあ、ひかる。」 暗闇の中に佇む、金髪の少女に僕は名前を付けた。 ひかる、と少女は唇を動かして反芻する。 「ひかる」 少しだけ笑った。 「そう、ひかる。」 僕も歯を見せて笑う。ここは笑わないと失礼だと思ったからだ。 ひかるは微笑んで、ぼくのほうを見た。 巨大な満月が窓の外から室内を照らし、彼女の長い金髪がキラキラと輝いた。僕は言葉に詰まって、得意の独り言すら出てこなかった。そして、今僕は殺人計画の最中だったことを思い出す。僕はこうしてはいられないんだ、早くあいつを殺さなければ、タイミングを誤れば死ぬのは自分だ。 「君は、この家の人を殺されれば怒る?」 さっき、ひかるはあいつを知らないと言った。そしてなぜここに居るかも知らないと言っていたし、以前どこにいたかも知らないらしい。 「あなたが殺されればおこるよ」 ここにいたのがひかるで良かった、恐らくひかるは僕があいつを殺したところで、警察の証言する頃には僕のことなんか覚えていないだろう。しかし、僕は名前を名乗ってしまったのが気がかりだ。 僕はひかるのベッドの前を横切って、寝室のドアノブをゆっくりと引いた。窓を開ける時と同様に古くなって軋まないか心配だったが、慎重に時間をかけて開ければ何の問題もなかった。 足元の埃が舞った。僕はゆっくりと扉を開ける手を止めて、月明かりに照らされて床に積もる埃が足跡を形作っていたことに気付く。 僕のローファーの足跡の他に1つ、たぶんあいつの靴下の跡がある。僕の靴のサイズは二十六センチだけど、あいつの足は確実に三十センチある。ひかるではない。だとすればひかるは埃の積もる前から一度も自分の足で歩いていないということ?だとすれば、以前いた場所が思い出せない、ということも少し納得できる。それぐらい昔からいた。でもそしたらあいつの世話を受けざる得ない、歩けない女の子を世話する器量があいつにあるとは思えない。そしたら結局ひかるの正体はあいつに最近になって連れて来られた子、ということになる。こんなに埃が積もっているのに、人間が死なないだけのケアを受けられるとはとても信じられない。 僕は扉を開けて廊下に出る。 その時点で僕は息を吸って、吐いて、手の中に持ち替えた得物を手に収める。 リビングと廊下を繋ぐ扉は閉まっていた。扉には磨りガラスがついていたが、半透明だったので、オレンジ色の光しか確認できなかった。 あいつはテレビを観ていた。バラエティ番組だ。騒々しいだけの意味のなさそうな番組。何の話題か知らないが、司会者の男が怒鳴っていた。 僕は廊下が軋まないように気をつけて、リビングの扉を開ける。 リビングにあいつはいた。 あいつは酒を飲んでいて、机の上には缶チューハイが乗っていた。 僕は畳の縁に足を置く。畳であるのは好都合だ、足音を吸収してくれる。畳の四隅を縁取る紫の紋縁を避けてしまった、まさか 僕にこいつの家を尊重する意思なんてないけれど。 あいつは騒々しいテレビの音量をあげて、僕が背後にいることに気づかないようだった。 左手にハイビスカスの刺青、どこを狙おうか?頭、腕、胸、背中。たくさんある、でも僕の体格から考えてチャンスは一度きり。この一度で致命傷を負わせなければいけない。 僕は背後で得物を振りかぶる。母の腹に刺されていたもの、仇の産物。 包丁の長い刃が椅子に座ったあいつの肩に刺さる。鮮血が空に舞う。 「死ね!!」 大声で叫ぶ。絶叫。 「うわああああああ」驚きと恐怖の混じった情けない声、あいつから、こんな声が出るなんて! 更に力を込めて深くまで刺す。 僕の、体にあるエネルギー全てを包丁に込める。 ここで手を抜けば、最悪僕は死ぬかもしれないし、死ななかったにしても長年に渡って禍根を残すだろう。 「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」 包丁の先から情けない声が出た。僕だって叫びたかったが、こいつとデュエットしたくないので閉口する。 およそ人間から出るとは思えない、絶叫が恐ろしい。 僕だって、刺されたらこんな声を出すのだろうか? あいつは僕の右腕を掴んだ。 僕は恐ろしさで包丁から手を離して後ろに飛び抜いた。 あいつは肩に刺さった包丁を抜こうとしたが、深すぎて諦めたようだった。 「おまえ、何しやがる、、、、」ヒュウヒュウと息が漏れて、今にも死にそうだった。 虫の息。そんな言葉が浮かんだ。 「誰に何したか分かってんのか?」僕と目が合う。 「分かってるよ」 息を整えろ。冷静になれ、下手したら殺されるのはこっちなんだ! 僕の後ろから足音がした。 「ひかる!」 ひかるはリビングのドアの前に立っていて、磨りガラスにひかるの着ているワンピースが目に入る。ひかるはこちらを凝視して、滴り落ちる血を目で追っていた。 「名前を付けたのか?」 肩に始まり、長い包丁の刃は心臓近くまで伸びていた。 「そうだ。」 そうか、、、と呟いてあいつは畳に倒れ込む。どさりと立てた音は大量の水が一気に落ちたようで、聞いてはいけない音を聞いてしまったような気分にさせた。 「ひかるは何でつけたんだ?」足元から声が聞こえてくる。明瞭で、死に際と思えない声だった。 僕は驚いて、後ろに立っているひかるの方に後づさった。まだこいつ喋れるのか。 ひかるは、、、ぱっと浮かんだから付けた。 それ以外に特別な意味はない。 敢えて言うならあかりの顔が浮かんだ、それだけ。 暗闇に金髪がよく映えたな、とかそれくらい。 ふふっとあいつは笑った。 「ひかるって名前はお前が弟に付けようとした名前だろ?顔見りゃわかるんだよ!」楽しそうな声、「まあ、つけられなかったみたいだけどな!?お前は良かったじゃねえか?クズの母も、手間のかかる子供も、俺が全部始末したからな!!」 高笑、僕は頭で冷静を保ち続けた。もしかしたら、もしかしたら、こいつにまだ力が残っているかもしれない。もしかしたらこいつはその残った力で僕を殺しに来るかもしれない。もしかしたらこいつは全然元気なのかもしれない。もしかしたら、を考え続けて冷静になる。このまま何もしなければこいつは死ぬだけだ。死んで、腐って、悪臭がして、普通はここで通報されるけど近所の人も、田んぼしかないここは、分解されて、白骨化して、誰にも見つからない。見つかれば疑われるのは確実に僕だから、見つかれば少年院。悪かったら刑務所だ。乗除酌量がもしかしたら認められるかもしれないけど、僕は何かしらの罰を受ける羽目になるだろう。僕は罰を受けるつもりはない。 「なあ、この子は誰なんだ?」僕は冷たい目線を精一杯作って、ひかるを指差す。「お前が攫ってきたんだろ?お前が死んだらこの子を家に返さなきゃいけない、ひかるは何も覚えていないみたいだから教えろ。教えないとお前を殺す。」 血溜まりの中で笑い続ける。何が可笑しいのか更にヒュウヒュウと喉から漏れた。 「教えてやっても良いが、、たぶん信じねぇぜ?」 「いい、信じるから早く教えろ、殺すぞ」 僕は出血が酷いことに気が付いた。いつ死んでもおかしくないし、十中八九、肺に穴が空いているから喋れているのも不思議だ。 「こいつはお前の家に居たんだぜ、」ヒヒヒヒヒ、と笑って気味が悪かったし、子供に向かって怪談を話すようなニュアンスがあって、こいつらしくないと思った。 しかし、僕にこいつの発した言葉の内容を理解するにつれ、訳がわからなくなった。意味を理解したのにだ。 僕の家でひかるを見つけたって?そんな筈はない、どうやって入ったのか、なぜ居るのか、全く理由がわからない。 そんな、そんなことって 、、 「俺は今夜、お前の母親とお前を殺す気だったんだぜ?」 だから僕はお前を殺しに来たんだ。 「そしたらな、お前が居ない代わりにこいつが居たんだ」 こいつというのはひかるのことだろう。 「リビングにお前の母親と座ってやがった、相手の客かと思ったが、包丁見てもビビりゃしねえ。よく見たら精神もイカれていそうだった、俺は関係ないやつを殺す趣味は無えから俺はこいつを連れてきたのさ。」 僕はじっとあいつを見ていた。ひかるを連れてきてどうしようとしたのか僕は聞かなかった。 「ひかるは、なんで俺の母と一緒にいたんだ?答えろ」 「知らね、、ぇ」 ガクリとあいつは倒れた。 それっきり喋らなくなった。 うつ伏せになって倒れた姿は小さく見えた。 これで終わりだ。 任務完了 僕は死体に背を向ける。 当然の報いを受けたと思った。僕はひかるの手を取る。ひかるは見た目は手を握るような歳じゃないが心は握るような歳なんだ。 ひかるの手を引いて僕は廊下にでる。 ひかるはあいつの血を見て驚いたらしく、直ぐにはその場を動こうとしなかった。 じいっと死体を見て、振り返る。 「おとうさん」 あいつは、僕の父じゃない。 「あいつは俺のおとうさんじゃない」 「わたしの、おとうさん」 激震が走った。 今こいつなんて言った? 「私のおとうさん」? だとすればひかるは僕の、、 「そうなんだ、」 僕の口から出たのは素っ気ない相槌だけだった。 「お前と全然似てないな」 「、、、、、」 「やっぱりあいつのこと知ってたんだな」 「、、、、、」 「お母さんはどうしたんだ?」 僕には答えを聞く気なんか毛頭なかった。 「帰る場所ないんだな、俺が殺しちゃったから」 「そっか、おとうさんか」 「俺には居なかったけど気持ちは分かる。死んだときはと殆ど会ったことがなくても、死んだんだっていう感慨はある。」 僕はひかるの手を取って、ひかるを廊下に連れ出した。 ひかるはトコトコとついてくる。 僕は振り返って父親の顔を見た。 うつ伏せに寝ていて顔が見えない。 これは僕が殺した命。でも、あいつは母さんを殺した。 それだけで、それだけじゃない。大切なものを奪うときは、復讐されるだけのことを覚悟しなくてはいけない。 僕はひかるを家の外に出した。 ひかるは顔を上げる、巨大な月が浮かんでいる。巨大な月はオレンジ色で、まるで世界の終末を思わせる。先生が今日は月が綺麗に見える日だって言っていた。 「月が綺麗だね」 僕は呟いた。 ひかるは足元を見ていた。 ひかるは足元に生える気味の悪い雑草を足でいじくっていた。 「そうだね」 ひかるは僕の目を見ないで答えた。 「月が綺麗だね」
生命の輪廻
今日、チトセは千歳の誕生日を迎えた。 娘、息子、そして孫たちに囲まれて息を引き取った。 千年生きると人間は高位生命体になる。 そして、新たな次元へ招待されるのだ。 招待された先にあるのは生き別れた人との再開。 私が目を覚ますと知らない天井がある。 私を囲んで、父、母、祖母が居た。 祖父は私を見る前に次の次元へ行ってしまったから、 祖母、父、母は次もまた祖父に会えるけれど、 私は永遠に祖父に会うことができない。 祖母は私と数十年過ごすと直ぐに、次の次元へ行ってしまう。 父と母は私が毎回看取って、 やってきた私の子供の頬を撫でてから去ってゆく。 私は父と母がまた高次元の存在になるのが悲しい。 私も早くそっちに行かせてと願うばかりです。
羽の無い天使
我が主人が帰宅するまでの長い時間を大量のレンタルビデオの山で過ごす。それはアクション映画であったり、韓国ドラマ、話題のテレビアニメだったりする。暗い部屋で小さなテレビを抱えるようにしてホラー映画のCDをセットする。録画している物もある。そしてまたTSUTAYAが潰れたらしい。少し前にご主人様が安かったと言って買ってきた。長年TSUTAYAに置いてあっただけあって色褪せていて、経年劣化が激しい。閉店セールの値段はご主人様曰く、閉店日に近くなるほど安いらしい。なのでここにあるビデオも閉店日前日まで残ったクソみたいな内容のビデオしか無いが個人的にどれも好みだ。流石ご主人様、私の趣味を良く分かっている。狭い部屋が臭くて古い、売れ残ったレンタルビデオでいっぱいだが私は幸せを感じていた。下界に降りてきて良かった。良いご主人様に出会えて良かった。 天使はブルーライトに照らされて幸せそうだった。 夏、それは恋の季節。 「付き合って下さい!」 僕は精一杯の勇気を振り絞って言った。 古典的でベタベタな設定で終業式の日に下駄箱に旧校舎裏で待つと書いた手紙を入れて、LINEでもなく好きな女の子に告白した。 相手の女の子の名前は三上さん。三上さんはクラスで一番かわいい。好きになったのはクラスの有志数人でラウンドワンに行ったとき。UFOキャッチャーで一緒にぬいぐるみを取った。「取れないね」とはにかんだその顔が可愛くて可愛くて可愛くて、僕は好きになってしまった。そのときの可愛い三上さんの顔は他の人に一切見せないがその可愛さといったら!もしその顔を見たのが僕でなくとも誰でも好きになってしまうだろう、それだけ彼女は可愛いのだ。 三上さんは可愛い顔ではにかんで戸惑った顔をした。うーん、と可愛く首を傾げて僕も戸惑った。 これは、断られてしまうのか!? 「告白ありがとう。」三上さんは泣きそうだった。 「でも山城くんは友達だから。彼氏じゃない、ごめんね。付き合えない」 僕の初心な恋心は砕け散った。砕け散った末に製粉機に掛けられて粉になってしまった。 泣きながら終業式の高校を出る。 ぎょっとした生徒達が僕を見て振り返るが、失恋したんだ、僕はわんわんと泣き続ける。夏休みの浮かれた空気の中、一人だけお通夜だった。 駅まで歩いているうちに後ろから友人達がやってきた。 「どうしたよ!?」友人達は一斉に僕の顔を見て声を上げる。 僕は泣き腫らした目で親愛なる友人たちを見た。流石僕の友人だ、直ぐに事情を察したらしい。 「大丈夫だよ、結菜ちゃんにフラれたんだろ?別の子また告ればいいさ」 なんて優しい奴らなんだ。でも僕は三上さんじゃないとダメなんだ。三上さん以外を好きになれる気がしない。 「いや、そんなことないよ、◼️◼️◼️…..◼️◼️◼️」 友人達は僕の背中をさすりながら励ましてくれたが僕にその声は聞こえなかった。取れないね、と言ってにかんだ三上さんの笑顔で花開いた僕の心は萎れて、顔と同様に無惨な有様だった。僕の虚ろな精神で夏休みの最悪のスタートを切る。 千鳥足で駅から電車に乗り、友人達と別れ帰路に着いた。殆ど記憶が無いが人間はよく出来たもので、“慣れ”だけで家に帰ることができる。そうやって今日、僕は帰ってきた。 自宅のインターホンを押す。 暫くすると「はーい」と声がして玄関を開けてくれた。 僕の家には居候がいる。 彼女は天使。僕が生まれたときからこの家に居候している。僕の母さんが買ってきたしまむらの服を着こなして、職業:自宅警備員をしてくれている。 僕の泣き腫らした顔を見て、友人達同様に驚いた顔をした。 「どうしたの!誰にやられたの!?」 天使はふかふかのタオルを持ってきて僕の涙を拭こうとしてくれたが僕は「もう泣いてない」と言う。天使は天使のように優しい。 天使は長い金髪を振り回して僕に問う。 「誰に殴られたの?」 「別に、殴られてないし」 「じゃあ、それならどうしたの?」 「言いたくない」 「言ってよ!」 天使は悲しそうな顔をした。それと同時に僕に向けて怒っていた。 「どうしたの」そんな顔をしないでほしい。 「─────────フラれた」 天使は予想外の回答に面食らった。 「意外!」 「トーマにも好きな子いたんだ!」 今日は赤飯だ!と喜びだす。 「だから、フラれたんだって」 僕は力なく階段を登る。天使は一緒に映画を観ようと言ってくる。励まそうとしているんだろうが僕はもう寝たいんだ。冷房の効いた部屋で三上さんのあの笑顔を思い出して泣いて、寝落ちしたいんだ。そっとしといてくれよ、天使。 僕は自分の部屋に入った。冷房が効いていてキンキンだった。天使かな? 泣いて泣いて泣いて、泣いた後に希望通りに寝落ちした。涙の渦に巻き込まれて粉々になった初心な恋心をかき集めているような感覚がした。 夢を見た。 天使が割れた硝子をハート型になるように直している夢。天使は接着剤を器用に使って硝子をハート型にしていた。ハート少しが治るたびに僕の心が楽になった。天使の白くて細い指で硝子を触るたびにくすぐったかった。天使は僕の方を見向きもせずにTSUTAYAのビデオ山のの上に座って夢中でくっつけ続ける。天使は硝子を触っているはずなのに手に傷一つなく、平気な顔をしていた。そして最後の破片を天使が嵌め込んだ。 僕は目が覚めた。 ────天使? 天使が僕を覗き込んでいた。 「大丈夫?楽になった?」笑顔だ。 「トーマ、寒そうだったから冷房の温度上げといたよ」ニコニコ。 「!あれ、元気でた!」 ────天使は魔法でも使ったのかな、なんて。 窓を開ける。 空が青い。夏休みが始まるんだ、 蝉の声がジリジリと聞こえ、生ぬるい風が吹き、冷えた身体には暖かく気持ちがいい。天使は笑顔で、次の恋を探そう、と言ってくる。確かにそうだ、僕はなんて小さなことでうじうじ泣いていたんだ!! 失恋の悲しみは露と消え、高校初の夏休みの喜びが残った。悲しんではばかりは居られないのだ、夏休みを楽しまねば! 「切り替えられたみたいだね。良かった良かった」天使は満足気に頷く。 夏休み初日、僕は最高のスタートを切った。サラダを作って、トーストを家族分トースターで焼き上げ、六枚切りのパンにたっぷり蜂蜜とバターをのっける。天使の分も塗ってあげて家族揃って食べ始める。 「昨日ね!昨日、トーマが好きな女の子にフラれたんだよ!」 やばい、天使に箝口令を敷き忘れた。 天使はミーハーである。何でも知りたがる癖に物事を簡単な形でしか理解できない。口止めをすればできる限り守ろうとしてくれるが、そもそも秘密を抱え込むのに向いていない天使だ。 親も親で息子の恋愛事情に食いついた。「本当に?」とか「誰?」とか分かりもしない癖に聞いてくる、聞くな。 僕はトーストを頬張って「散歩してくる」と言った。両親は「照れてるよ」と笑ったが、天使は不機嫌そうな僕を見て、やっと言わない方が良かったと気づいたと思う。 天使は元気に朝からアクション映画を観て何かの真似をしている。生憎こちらは映画に詳しくないので何の真似か分からないが、天使のテンションがいつもより高かった。 「天使、なんで今日は元気なの?」 散歩に着いてきた天使に聞いた。天使はさっきからずっと謝り続けている。 「ごめんね、ごめんよ、ごめん。?そうかな。テンション今日高いかな?」きっと気のせいだよ。と言った。 山城家の朝は早い。朝日が青空を照らして美しい。天使はハニーズで買った白いワンピースに白いポーチを提げていた。天使曰く、天使コーデだそうだ。 僕はとりあえずコンビニに入った。 店内の冷たい空気が心地良い。アイスを買って、近所の公園で食べようと思った。 「アイス買う!!」 天使は甘いものが大好きだ。天使は迷わずハーゲンダッツを手に取りレジに向かう。僕はクーリッシュのバニラ味にした。 アイスを持って公園に行く。 天使は既にハーゲンダッツを食べ始めていた。 「気が付かなくてごめんね、、」 ハーゲンダッツをありがとう。と天使は笑った。 天使がハーゲンダッツを食べ終わる頃に公園に着いた。 僕が生まれたときから既に山城家には天使が居た。 天使に記憶力が無いのか過去のことを聞いても答えない。 両親は天使をとても可愛がっているが天使との出会いについて記憶が無いようだった。 でも、僕は天使を愛してるし、なにより大切な家族だと思っている。 「ぁぁ────やっちゃった」 天使は珍しく落ち込んでいた。いつもは天真爛漫に振る舞うが陰で疲れていたりする。山城家に良くして貰っている手前、トーマに嫌われたく無かった。 天使は山城家に戻ると自分の部屋の冷房を付けた。 天使の部屋はCDと漫画で埋め尽くされていた。 天使はここ16年余り、居心地の良い日が続いていた。 「もう、お別れだ」 天使はひとりで河川敷を歩いていた。狭い堤防の上の道をトコトコとあるいて青く霞んだ遠くのビル群を眺める。細い小径(こみち)は真っ直ぐに続いて天使の腰辺りまで雑草が生えている。 天使は目を細めて、眩しそうにした。灼熱の熱波が天使の肩を切る、草花がサラサラと心地よい音を立てる。 天使はそろそろ飛び立つときが来たと思った。トーマも知らないことだが天使は羽根を自由自在に出し入れすることができた。 天使は二メートルはある巨大な白い羽根を一対、背中に生やしてみせた。 日光を浴びて熱くなった白い羽根から干したての 布団の匂いがする。 エネルギーはタダでは無い、羽根を生やすにも、大空へ羽ばたくにも、コストがかかる。 下界に来てから16年、溜め続けたエネルギーを解放する。 よーいドン! 天使は覚悟を決めて走り出した。 小柄な運動不足の体にエネルギーを込めて助走をする。天使はこんな映画のシーンを観たことがあった。もしかしたらダーウィンが来た!のフラミンゴの動画だったかもしれない。 天使は疾走する。 大きな羽根を広げて空へ飛び立った、飛び立とうとした。 「待ってよ!!」 天使は驚いて飛び立つのに失敗した。宙から30センチほど浮いて落ちて、尻もちをついてしまった。 目を見開いて振り返った先に居たのはトーマだった。 「おい天使!なに、飛ぼうとしているんだよ!」 おまえ、羽根生やせたのか。と、トーマは言った。 「で、どこに行こうとしたんだ?」 ええと、なんて言えば良いのだろう?天使は立ち上がりながら考える。トーマには何も言わず出てきてしまった。自分のことをすっかり忘れる山城家を見たくなくて、記憶のタイマーをセットして出てきた。しかも、自分が何かトーマに隠してるのを多分気付かれた。 やばいなぁ、と天使ははにかんだ。 「空を散歩しようと思って。何でもないよ、先にかえってて!」 努めて明るくいつもの自分で。 天使は前を向いて再び羽根を広げる。 「いや、お前が空を飛んでいるところを見たことがないから」 トーマは首を傾げて答える。 「秘密にしてたんだよ!実は飛べるんだ」 天使は長い金髪をなびかせて笑った。 実はトーマに天使が隠していることは多い。ズボラに見えた天使は裁縫ができたし、辞めさせられたがアルバイトだってしたことがある。 そして、天使には様々な不思議な力が使えるということ。そして一番の秘密は、、、 「天使、天使は本当に帰ってくる?」 見抜かれた。自分は本当に隠し事が下手だ。 「もちろん、なに当たり前のことを聞くの!?」 「いや、天使がもう帰ってこない気がしたから」 「帰ってくるに決まってる、」 「天使の顔をみたら分かるよ」そりゃあ、といって言葉を続ける「16年一緒に暮らしているからね。」 「そっか」トーマも成長した。 もう言うしかないか。天使は2つ目の覚悟を決めた。 「ばれちゃった」 ててぺろ、を意識して顔を作る。でもきっとすでに全てトーマには見抜かれている、 「実はね、もうお空に帰らなくちゃいけないんだ」 知ってる、と言うようにトーマは頷いた。 「あと僕は天使じゃなくて堕天使なんだ!」 「厨二っぽいな」 「勝手に人間がかっこいいと思ってるだけだよ、まあ”墜ちる”なんてかっこいいけどね」 ははは、とトーマは笑った。ちょっとだけうれしい。 「なぜお空に帰るんだ?今まで楽しかったよね?」 快晴の空に流れた風が、天使とトーマの間を通り抜ける。天使はつとめて笑顔で答える。 「天使は下界に長く居られないんだ。だってさ、トーマは私以外の天使を見たことある?」 「いや、無いけど。」 「ほら、下界に降りる天使なんて好き者で、好きだから降りてきたの」 「そんなに降りる天使は珍しいの?」 「うん、下界に降りた時点で堕ちた判定をされて力が大幅に削られる。」 「だから下界で私だったら山城家に当たるけど、帰るために何処かでお世話になって天に戻るためのエネルギーを貯めるんだよ」 「でもずっとここに居るのは?」 天使は目を閉じた。 ずっとここにはいられないんだよ。これ以上居てもトーマの邪魔になるだけだから、トーマは好きな子もできたし、一人でもう歩いて行ける。そして天使こと私はトーマの感情エネルギーを吸い取って下界で生活しているから!足手まといになるだけなんだ!! 天使は2つ目の覚悟を思い出す。 強い風が吹いて天使の髪が顔を覆う、周りの草がざあぁぁと音を立てて舞った。 「いいや、ずっと一緒には居られない。」 「トーマ!だいすきだよ!!」 そう言って私は後ろを向いて助走をつけるために河川敷を走り出す。 強風が後ろから吹いて、まるで風が背中を押しているみたいだった。 16年間まいにち少しづつ貰ってきたトーマの感情エネルギーを使って飛び立つ。2メートル以上ある巨大な一対の羽根が動いて悠々と浮力を作り、天使は足を地面から離す。 また風が吹いた。 トーマが何か言っている。 「ありがとう!天使!!僕も大好きだよ!!」 天使はまたはにかんだ。そしてわはは、とわらって大空へ飛んでいった。トーマは天使が見えなくなるまで手を振っていた。 天使は故郷に帰った。 天使が仕掛けた記憶のタイマーは作動した。トーマは三上さんにフラれた日同様、無様に泣きながら家に帰ったが泣いて泣いて泣いて、寝落ちしたあと、起きたら天使のことをすっかり、そしてあっけなく忘れていた。 天使の部屋は綺麗にTSUTAYAのビデオと小型テレビが隅に寄せられて、しまむらと天使コーデを始めとした沢山の服は天使が火曜日の燃えるゴミに出した。 天使はTSUTAYAのビデオを残して消えた。 END
私達は脊椎動物
私は山が好きだった、山登りをしては自然に触れていた。あるとき久しぶりの登山で休憩していると、同じ登山客の男性に出会った。 彼の手作りという、水筒入ったお茶を頂いた。水筒から紙コップに移して、私に渡された。 しかし、お茶は酷く濁っていた。茶色の茶葉が大量に浮いている…..。 中国で教わったお茶らしい。確かに横浜の繁華街でそれらしい茶葉が売られていたはずだった。 小心者の私は断ることができなかった。 意を決して飲んだ瞬間、そのお茶は見た目に似合わずとろとろとしていて、寒天だか、片栗粉だかを溶かしたようで、ぞっとした。私はそのとき痩せ我慢してその男性とにこやかに会話していた。 彼は優しそうな中年男性で、今度成人するらしい娘の話をしていた。私はその男性と別れた後も釈然としなかった。何か透明な細い虫のような、細長い魚の稚魚のようなものが茶葉の間を縫って泳いでいるような気がしたから。 そしてそれは今、私の中にいる────── 私は恐ろしくなった。何かおかしな物を飲まされたのではないか? 私は次の日熱を出した。お陰で会社を休むはめになった。39度。 原因はあのお茶に決まっている。 そして、体の中心───脊椎の辺りが恐ろしく痛い。皮膚の表面が腫れているなどではない、体の芯が痛いのだ。 どうしようもない痛みで私は車で病院に行った、異常は特に見つからなかった。その、どうしようもなく痛いということ以外には。 家に帰されていつでも救急車を呼んでくださいと言われた。私は布団をやっとのことで敷いて、部屋で痛みに耐えていた。 考えの回らない体で、ぐるぐると首の辺りをまわる細長い透明な虫がいる感覚を追っていた。そう、ここは────頚椎?頚椎といえば、脳の次に体を司る器官。今私の体の中を頚椎から腰まで円を描くようにして泳いでいる。ぞわぞわした。そう、透明な虫はどうやってお茶から脊椎に入るというのだ?腹を壊すのはまだ良い、理由が分かっている、しかし体の中を虫が泳ぐとはどういうことだ? 頚椎に来ると私の首は酷く痛んだ。私が押し殺した悲鳴を上げると虫はぐりぐりと侵入して来ようとする。脳に入られれば、体を乗っ取られて操られてしまう。 私は布団の中で考えていた────────こいつは私の脳を探している? 私は痛みで気絶した。 私が目を覚ましたのは次の日の夕方だった。 私はあまりの喉の渇きで麦茶を探した。 相変わらず背中を這うような感覚が抜けなかったが、熱は若干ましになった。 私はリビングに向かう。隣の部屋なので、襖を開けるだけだった。 は───────? リビングは机がひっくり返されていて、二脚ある椅子は倒され、机に置いてあった飲みかけの麦茶のコップは割れていた。 私はその場にへたりこんでしまった。私が寝ている間に誰がやったのか? 私がやったのか、? 体の中の透明の虫は私に侵入した。 私の体は虫の意思に従って破壊を実行した。 それはまるで侵略ではないか。 いや、それは妄想が過ぎる。 妄想?おかしなお茶を飲んで、熱を出して、寝込んで起きたら家具が全てひっくり返っている。 私が行くべきは精神科か、内科か。 私は痛みが強くなってまた布団の中に戻った。 何も無いと言われたのだ、行くべきは精神科だろうと、精神科の予約を取った。精神科はどこも予約がいっぱいで二週間後に取るのが精一杯だった。二週間後にはすっかり元気になっているかもしれない。 意識が途切れた。私は眠っていたらしい。私が目覚めたのは家ではなかった。 家から恐ろしく離れた山奥で、あのお茶の入ったペットボトルを握って、山道に、立っていた。 意識はあった、ただ、体が自由に動かなかった。 私はしっかりと、登山着を着て、にこやかに他の登山客にあのお茶を勧めていた。その、私のお茶を飲んだ人がお茶を褒める、私は「ありがとう」を言う、これは私の母に教えて貰ったレシピなんだと話す、熱を出して会社を休んだ話もする。登山客は私もだと共感する、そして登山客は私も一緒に山頂に行かないかと誘う、私はもう少し休みたいからと断る。 私に眠気が襲う。 私はまた眠ってしまったらしい。
旅路の魔法使い
俺の前には沢山の観客がいた。俺達の周りを取り囲んで、ケストの踊りを眺めていた。ケストはくるくると回転してアクロバティックなダンスを披露する。それに合わせて俺はリュートを弾く、ケストの動きに注目して、ケストが次にどんなダンスがしたいか予想する。ケストと予め決めておいたラインナップがあって、その中からケストが動きを決める。そうすると、俺が決めておいた音楽をリュートで弾く。 ケストは俺が見込んでダンサーとして育てた。昔から、故郷で俺が下手な横笛を吹いて遊んでいた時から、ケストはくるくると回って女の子にしては細長い体で踊っていた。 ある日、親友の家で遊んでいたら、ケストがまたくるくると踊っていた。 ダンスには音楽が付き物だから俺は得意のリュートを鳴らしてやった、俺にとって当たり前だったから。そしたらまだ小さかったケストは喜んで、俺はケストとよく、踊るために親友の家に行くようになった。いつの間にか親友より仲良くなったものだから、嫉妬されただろうな。 俺は旅がしたかったんだ。大好きな音楽で生計を立てて、国と国の間を渡り歩く。そんな生活を望んでいた。 今、俺の目の前にはそれがあった。昔の俺が望んだ物は今この前に広がっている、ケストが踊って、俺がリュートを弾き、周りの観客たちが大勢で嬉しそうに手を叩いている。 俺はニヤリと笑った。ケストはそれを見たらしい、クライマックスを踊ろうと俺に伝えた、俺はスピードを上げた、なるべく速くて大きな音を出すように気を付けながら弾く。これで観客は大喜び、歓声を上げて俺達が腰を曲げて帽子を地面に置くと直ぐに沢山の銅貨が放り込まれた。銅貨だけではない、銀貨だって数枚入っていた。 ケストが息を切らしながら、笑って近づいてきた。 「やったね」 「ああ、よかったな」本当に良かった、また上手くなったんじゃないか? 「いくら稼いだ?」 「銅貨は、さんじゅう、37枚だ」 「銀貨は?」 「3枚」 これだけあれば今夜はいい宿に泊まれる。2人で1部屋ではない、1人1部屋。 「あははははははは!やった!!!!」 ケストは持ち前の身体能力で飛び上がった。余りにも高く飛ぶものだから、周りの人間がぎょっとしたようにこちらを見た。 「そうだな。旨いものでも食べに行こう」 ここは古くて今にも壊れそうな大衆食堂───だが、この辺りで一番旨い。 「おっちゃん!粗挽きソーセージのタイピスがけとケストのスープをくれ」 「ケストって!」 ケストは不満そうな顔をしていた。ケストとはメダカの意である、まあ、食用のメダカだが。 「じゃあ!私は!ナジュドのソテーで!!」 大きな声で注文したケストは恰幅の良い店主を呼び止める。 「ナジュドは無いよ」 ナジュドはそこの兄ちゃんだろ、と諭されてケストはつまらなそうだった。 「ナジュドって魚くらい居ると思うんだけど」 「残念だったな」 完全勝利、俺は先に運ばれてきたケストのソテーを啜る。 勝利の余韻に浸りながら俺はケストにスープを少し飲むか聞いた。 「飲む」 ケストがスープを掬って飲んだ。 「共食いだ!」 すかさず弄る。 結局ケストはファコとコーンスープを注文した。 運ばれてきたケストはファコにかぶりつく。 「ちょっと食べる?」 「いや、要らない」 こんなに沢山蜂蜜がかかっていたら、甘すぎて食べられないだろうに。頬張るケストを見て俺は呆れてしまった。 「そうだよね、ナジュドは甘いの食べれないもんねー」 俺が食べないことを分かってこいつ注文しやがった。聞いておいて始めから分けるつもりなんて無かったんだ。 食堂ではまだ12時の針を過ぎたばかりだったが、早くに仕事を切り上げた男たちが早くも酒盛りを始めていた。 俺は酒を注文した。今日は沢山稼いだので良い酒を、ケストには酒が飲めないからジュースを。 長く、俺達はそこに居た。話して、これからの事を話し合って、どうするか決めた。 「シンゲストーンが次の目的地?」 「ああ、そうだ。シンゲストーンは魔法都市だから、魔法使いが多い、魔法学校もある」 「知らなかった。魔法使いって本当に居たんだ」 「故郷にも呪い師がいただろう」 そう、魔法使いのように正しい魔法を使わないが病気に罹ったなら大体は呪い師に頼る。故郷にもひとり中年の女が使えた。 「居たね、そんな人。」 「お前は丈夫だからな、俺は随分お世話になった。」 「ナジュドは子供の頃、体弱かったからね。今とは大違い」 ケストは最後のジュースを飲み干す。コップに残った水滴を指で撫でて、名残惜しそうに舐める。 「なんでまた魔法都市にいくわけ?」 直ぐには答えられなかった。だから俺も最後の酒を飲み干して、少し考えて答える。 「いや、魔法に興味があってさ」 「ナジュドが!?ナジュドは才能無いよ」 「違う。リュートに魔法をかけて貰いたいんだ」 俺は隣に置いてあったリュートを手に取る。 「リュートはいつも調音しなくちゃいけない。弾いてるうちに音が狂い始めるから」 それが許せないんだ。と小さな声で呟く。 少しケストは考えて言った。 「へえ、そんなに繊細な心がナジュドにあったんだ」 「そうか?ガサツだからそう思うんだが」 わかってるじゃん、とケストは笑った。俺もつられて笑ってしまった。 「リュートに魔法はかけられない」 ケストの後ろに居た男が言う。 湯気を上げたリンゴジュースを持つ男に話しかけられた。 「失礼。俺はトビ、ルメルージュ村のトビだ」 怪しい男だと思った。 「なんでかけられないって分かるんだ」 「僕は魔法使いなんだ」 トビはケストの隣に座ろうとする。 「俺の隣座れよ、話を聞かせろ」 好都合だ。 トビと名乗る魔法使いは茶色の髪の毛をしていたが、肌の色はケストと同じように黒かった。そして、肌の色と同じように、黒いローブを着ている──── 「俺は言った通り魔法使いだから、リュートの音を永遠に狂わせない魔法が使える。俺はシンゲストーンの魔法学校の卒業生さ。」 「リュートの音を永遠に狂わせない魔法だったらこんな意味の魔法をかけることになる───“時間を止める”っていうね」 ケストは向かいに座ったトビを見ていた。 「ということは、時間を止めたら音楽を作れない。だから魔法をかけられないってこと?」 「そういうこと」 トビは嬉しそうにThat's Rightと言うように指を指す。 トビは追加でホットリンゴジュースを注文する。 「君たち名前はなんだい?」 ケストが俺の方を見た。 「ナジュド」 「ケスト」 トビの目が光る。こいつは何の目的で俺達に近づいて来た?明らかに怪しい、それともただの親切な魔法使いか────俺のことを知っているか。 「僕は魔法使いと言ったけれども未だ修行の身。少し僕の魔法を見てみないか?」 「良いのか?」 勿論、と答えてトビは「試しにそこの蝋燭に日を灯して見せましょう」と言った。 トビは樫の木で作られた細い杖を手に取って、下を向き、念じるようにした。 ふっと蝋燭に日が灯る。 「凄い!」ケストが声を上げる。 「他には何ができるの?」 「他にはね────鳥になって空を飛んだり、精霊を呼び出したり、幻覚を作り出せる」 「すごいな」つい呟いてしまった。 ははは、とトビは笑ってリンゴジュースを一気に飲み干す。まだとても熱そうだったのに、よく飲めたものだ。 「シンゲストーンに来てもきっと良い体験ができると思う。僕が案内するから一緒に来ないかい?」 俺達は少しふたりで話させてくれ、と言って店を出た。明日には結論を出す、と伝えて。 「私は反対だよ」 意外だった。ケストはトビの話をよく聞いていたし、てっきり魔法に興味があると思っていたからだ。 「あいつは怪しい───何か隠している」 「俺はそうは思わない。案外気の良さそうなやつじゃないか?次の目的地も決まっていないから、トビに案内を頼んで楽をしよう」 「でも、よりにもよって偶然に、魔法使いが、私達に、話しかけてくると思うか?」 「思う。ここは魔法都市シンゲストーンの近くなんだ。魔法使いのひとりやふたりくらい居るだろう」 「確かにそうだけど、」 「これからの旅もあるんだ、トビが居れば火を無くす心配も無ければ、襲われる危険も減る。俺達には行く宛ても無いんだ。数日もあればシンゲストーンに着く」 ケストは見上げて俺をじっくりと見た。 本当に大丈夫かと聞いているのだろう、大丈夫に決まっている。俺がついているのだから…..。 仲間が増えた。仲間の名前はトビ、魔法使いだ。 「一緒に行こう」と酒場で俺が言ったときトビは笑って、「もちろんだ」と言った。 トビの一番得意な魔法は電撃を放つ魔法らしい。もし野党に襲われたとしても、電撃を放てばたちまち意識を失うか、立てなくなる。魔法学校を先月に卒業したばかりで、修行の旅に出たものの隣町まで来たところで俺達に出会ったらしい。 「シンゲストーンは素晴らしいところでさ、どこで魔法を使っても住民は慣れちゃって構いやしないし、俺達魔法使いに優しいんだ」 「多分君達は南下してきたんだろう?シンゲストーンはこの街から南東にあるんだ。」 俺達は街を離れる最後に市場で公演をした。シンゲストーンまでの旅費を稼ぎたかったからだ。 まずは俺がリュートを弾いて、市場に音を響かせる。ケストがくるくると踊り始める。俺ほどではないが、こいつの声はは高くて通る音がするんだ、ケストに呼び込みを任せた方が良い。 「さあ、よってらっしゃい見てらっしゃい。あの!カリンバーン伯爵のお墨付き、この大陸一のダンサー ケストとリュート弾きのナジュドの音楽を観てかないかい?」 ケストはメダカのようにくるくると周って始まりを告げる。俺はリュートを強く握りしめる。 公演を終えて観衆に帽子を差し出すと、銅貨や数枚の銀貨が放り込まれた。観客達は口々に言う「あなた達の演奏は確かに大陸一だった」と!俺はケストと顔を見合わせる。 「最近ナジュドは本当に演奏が上手くなった。私のダンスだけじゃ大陸一にはなれない」 「そうか?」 それはこちらの台詞。笑わせるな、上手くなったのはケストだ。ケストの声には、踊りには華があって、美しい。 「大したものだ」そう言って俺達に近いてきたのはトビだった。 「こんなに素晴らしい演奏を初めて観た」 感心したように言う。 「カリンバーン伯爵のお墨付きさ」 以前カリンバーン伯爵の城に招かれたことがある。伯爵の夕食会で披露した、あんなに豪華な城はこの国には殆どないだろう。 「また観れるかい?」 「ああ、シンゲストーンに行けばまたやる」 俺達は膨らんだ財布を持ってシンゲストーンに行く。 俺は、いつトビに頼むか考えていた。 シンゲストーンまでの道のりは山を四つ越えたところにあるらしい。 「この辺りの森は魔法の森さ。見習い魔法使いが魔法の練習をしていたり、滅多に見ないが魔法生物なんかもいたりする」 「こわいね。」とケスト。 「怖いのか?」確かにお前はお化けが苦手だったっけか。 「怖いよ」 俺とトビが並んで歩く後ろでケストは呟く。 「何をされるか分からない。何が起こるか分からない。何があっても対応できない。」 トビは黒いローブを翻して後ろのケストを見る。 「大丈夫さ、安心してくれ。僕はこの森を知り尽くしているし、何が起こっても対応できる」 ケストは「何をされるか分からない」と言う言葉を飲み込む。 森は深まる。高く聳え立つ木々は俺達を見下ろして、閉じ込めているみたいに見えた。閉じ込められた俺達は、地道にでこぼこした地面を歩く。 トビは後ろで長く、癖の強い黒髪を髷にして結っていた。黒いローブは魔法学校の生徒だと言うことを示す。未だ修行の身である、色褪せた黒。 「僕はね、更に南の方で生まれたのさ」 トビは俺の前を追い抜いて先頭を歩き始める。 「見た通り僕は黒い肌にこの髪の毛だから知っているだろうけど、呪い師の母がいて、才能を見込まれて魔法学校に入学した」 ケストが俺の隣を歩く。木の根に躓きそうだったので、手を貸してやった。ありがとう、とケストは言う。 「僕はね実際才能があった。」 「そうか。」俺は答える 「普通は四年くらいかかるんだけど、僕は二年半で卒業できたのさ」 「凄いな、」 「実際、天才と呼ばれた。」 トビはふふっと笑って、 「才能を試したくて仕方が無いのさ」と言った。 トビはまた俺達の方を振り返って、君達は?と聞くようにする。 俺は頭を搔いて、ケストの肩を強く叩く。バシリと大きな音が響いて、ケストが声を上げる。 「俺は、ケストと同じ村の出身だ。シハ島のバージン村で生まれて───ケストは俺の親友の妹だったんだが、」 「叩かないで!」 「ごめんな───それで、こいつの親が実は大富豪のお貴族様だって分かってな。誰か分からないから本当の親を探して世界中を旅して回っているのさ」上手いもんだろ?本当にお貴族様が居れば良かったんだが。しかし、本当に俺達は大陸一どころか世界一の旅芸人。 ケストは立ち止まって俺の顔を見ていた───ごめんなって、悪かったから。 「へえ?それで色んなところを旅しているのかい?」 「まあ、そんなところだ。こいつに貴族の血が流れているなんて信じられないところだがな。そうだ!こいつの親が残したペンダントもある!」 そう言って俺は昨日買ったネックレスを取り出した、キラキラと青白く輝く宝石が付いている。ケストは目を見開いてネックレスを見つめていた。 「へえ、これは殆どペンダントではなくて、ネックレスじゃないのかい?」 「ははははは、ペンダントもネックレスも同じだろう?」 トビはネックレスを検分するように触る。 ケストに微笑みかけて、「魔法をかければ、どこの貴族が持っていたか分かるよ?」と言った。 「本当に?」大袈裟にケストは驚く。 「本当か?それならお願いしたい。」俺はゆっくりと言う。 じゃあ、ケストがどこの貴族の娘なのか、このネックレスから見てみようか。とまた、樫の木で作られた細い杖を回してトビは呪文を唱える。そして、丸い円を書いてその内側に記号を描き連ねる────やばいな、もうばれたか。 俺はケストの手を握る、冷たい手だった。ケストは緊張した顔でネックレスを見続けていた。 「もし、両親が貴族ではなかったら。どうしようか?」 「何故本当の両親が貴族だと思ったんだい?」 円の中に何かを書きながら続ける────「本当にこれは君の両親の物なのかな?」 魔法の準備は完了した。 トビは魔法陣の前で手を動かす。 「昨日見せた蝋燭に火を灯す魔法は単純だったから魔法陣は特に要らなかったけどさ、今からかける魔法はちょっと複雑なんだ。リュートの音を永遠に狂わせない魔法も魔法陣を使うよ────これは時間を巻き戻す魔法。このネックレスがどんな歴史を辿ってきたのか明らかにする」 魔法陣が、ネックレスが光り、幻影が浮かび上がる。確かにこのネックレスが辿ってきた歴史だった。 「おかしいね、このネックレスは君達を旅に行かせる原因だったはずなのに、このネックレスは昨日君が買ったものじゃないか」 そこに映る幻影は、俺が露店で昨日このネックレスを買った姿。 「ケスト!走るぞ!!!」 ケストの手を握って来た道をUターンして走る。 きゃあああとケストは声を出しながら「なんで嘘を吐いたの、」と聞いてきた。 トビは俺達の後ろから追いかけてきた。 ────速い!、はやすぎる、 「言ったじゃないか、見習い魔法使いがよくこの森で魔法の練習をしているって」 ────僕もこの森のことは何でも知っているんだ! ケストを俺は引きずるようにして走っていたが、ケストは元々ダンサーなだけはあって、身体能力が高い。体勢を整えて、俺の後ろをぴったりと整えて走り出した。 ────「嘘を吐いたらだめじゃないか!!!!」 森の中を木霊する、トビの声。 気付けば、俺、ケスト、トビの順番で列になって走っていた。 追いつかれた。 ケストは見た。トビが一瞬自分達から意識を離して、瞬きするくらい一瞬の間に何かを念じた。 ────電撃! ケストの全身をトビの放った電撃が伝う。 「なにすんだ!!!」俺は咄嗟にトビを殴りにかかる。 ────電撃! 痛い。 それでも俺は拳を止めなかった。 トビをぶん殴る。 トビの顔面に命中した。しかし、 ────電撃! 更に電撃が襲う。 隣には意識を失ったケストが横たわる。 「何しやがる…..。」 トビは顔を擦りながら、ローブをはたく。 「『何しやがる』はこっちの台詞なんだけどさ、、バレちゃったか」 ほら、本性を表しやがった。俺は激痛の中、ケストのほうにゆっくりとだが、歩いて傍に立つ、片膝をついた。 「お前、さっきからずっと怪しいと思ってたんだ。明らかにメリットの無い話しについて来た、何か企んでるだろ!」 そう、こいつは明らかに何か考えている。俺達を使って何か企んでいるが、それでも俺がこいつに着いてきたのは 「取引をしないかい?」トビは言った。 「君は魔法都市シンゲストーンで病気を直して欲しかった、修行中の僕でも直せると思ったが、ケストには秘密にしたかったんだろ?」 「でもさ、僕には君達が必要なんだ」 「何に必要なんだ?」 嫌な予感がする。絶対に良い提案であるはずが無い、こいつはさっきから自分の力を試したくて仕方がないようなことを言っていた…..。 トビは地面に細い杖で大きな円を描いた。 「ケストが大事なんだ?じゃあケストを助けてあげるから、君の体を頂戴、どうせ君は近い未来死ぬ運命にある。」 俺は全身が痛くて片膝をついたままケストの傍らから動けなかった。 トビは念じた。 ────電撃! 俺の全身に電撃が撃たれて、俺は意識を失った。 意識を失ったナジュドを引きずって僕は魔法陣の中心に持って行く。ケストの命だけは可哀想だから助けてあげるつもりだった。ケストはお貴族様の血は引いていないが、僕と同じ南方の血統であるのは確か。同胞を生贄にするのは気が引けた。 ナジュドの体は丈夫で、しぶとかった。 僕はケストの体を魔法陣の脇に寄せて、呪文を唱える。 ────