葉月
6 件の小説葉月
初めまして、よろしくお願いします。 今、このプロフィールを読んでいるそこのあなた!どれか一つでも読んでいっていただけると幸いです。 いいねもコメントもめちゃくちゃ喜びます。ありがとうございます。
別れ話
「別れよう」 そう口にすると、あなたのさっきまでの笑顔が凍りついたようにかたまった。 そうだよね。あなたは、ここで私に別れを切り出されるなんて、きっと思っても見なかったんだろうな。 「もう支え続けられない」 私は今日、それを言うためにきたの。あなたに何を言われてももう揺るがない決心をして。 あなたは案の定、涙を流しながら私に訴える。 「……嫌だ…。別れたくない……。別れたくない。ほんとにごめん、今度こそ変わるから」 泣いてるあなたを見てずきりと痛む胸に気づかないふりをした。 「前もそう言って、でも結局こうなってる」 「今回は違う。だから、あと一回だけ、一回だけチャンスがほしい……」 ふぅー、と深く息を吐き出す。チャンス、ね…。 いつもそう。変わるから変わるからって。具体的なことは言わないくせに、『頑張るから待ってて』って。 もしかしたらあの時みたいに戻れるんじゃないかって私に期待させる。でも結局傷つけられる。かと思えば、そのあとはごめんって優しくされて。 もう無理って思っても、優しくされると期待しちゃう私がばかなだけかもね。 でももう、あの時の純粋な気持ちで、好きでいられないって気づいた。お互いにもうあの頃には戻れないってわかったの。 変わるわけないって言ってるわけじゃない。変わってくれるのかなって期待して待ってられるほど、もうあなたのことを好きじゃなくなってしまったみたい。 もちろん、できることならあなたとうまくやっていきたかった。こんなに私のことを愛してくれた人は初めてだし、私もこんなに人を愛せたのは初めてだった。これからもずっと一緒にいるんだって、信じて疑わなかった。 でも、気付いたらこうなってたね。あなたを支えたいとか、一緒にいたいとか、そういう気持ちがあなたに否定されるたび、薄れていった。 私なりにちゃんと愛を伝えていたつもりだったけど、あなたを不安にさせてしまっていたのは事実だから申し訳ないと思ってる。 だいすきって伝えても、うそつけって言われるの辛かったんだよ。あなたは、初めはそんなこと言う人じゃなかったはずなのに。 またやり直しても、たぶん前みたいに愛を伝えられない。 あなたが私と比較して辛くなってたように、私もつい他人と比較して劣等感を抱いてしまうこともあった。だけど、あなたにはそれを言えなかった。言っても理解してもらえないってわかってたから。 「本当に変わりたいって思ってるんなら、私じゃなくて、もっと心からあなたを応援してくれる人にそばにいてもらった方がいいよ。私はもう、あなたのことを好きじゃ、ない」 初めて口にしたセリフに、あぁ別れるってこういうことなんだな、と実感する。と同時にこれまでのことが頭に蘇った。 ーー大好きをお互いに伝え合った日々。はにかむあなたは、照れてるのを隠そうとしていつも私の胸に顔を埋めてきたよね。私はそんなあなたを愛おしく思いながら、頭を撫でてたっけ。 こんなときに幸せな思い出が蘇るなんて、私の脳も都合が良いにも程があるなぁ、と苦笑いしてしまう。 私に幸せをくれてありがとう。辛いことだけじゃなくて、ちゃんと楽しかった思い出もたくさんあるから、今もこんなに涙が止まらないの。 実を言うとね、今もあなたのことを好きじゃなくなったのか、よくわからない。もしかしたら、まだあなたのこと好きなのかもしれない。 ここまできて、言ってることぐちゃぐちゃだよね。自分でもわかってる。 だけど、私が好きなのは過去のあなただから、これから付き合い続けても幸せになれないんだって、思うことにした。そう言い聞かせないと別れられないから。 本当にごめんね。 背筋を伸ばして、あなたに正面から向き直る。今なお、茫然自失としている様子のあなたに頭を下げて、もし一度告げた。 「お願いします。私と別れてください」
ポニーテールちゃん
やばい、どうしよう。 窓際一番後ろの席にて、私は一人焦っていた。 「よし、じゃあ教科書の百四十八ページ開けー」 先生の声に慌てて机の中を探してみても、やっぱりない。教科書が、ない。 そんなはずは……。いや、でもたしか昨日家で勉強しようと思って机に出した後、カバンにしまった記憶がないな。 英語の先生は忘れ物に厳しいのに…。珍しく真面目に勉強していた昨日の自分が恨めしい。 あぁ、本当にどうしよう。 「どした?」 すると、隣の席で教科書を開いていたあいつが焦った私に気づいて話しかけてきた。 「もしかして、教科書ない?」 う、と言葉に詰まる私の反応をみて、何を思ったのか、そいつは黙って私の机に自分の教科書を置いた。 混乱する私をよそに、そいつは前に向き直って手を挙げた。 待って、と止めようとしたが遅かった。 「せんせー、教科書忘れたので、隣に見せてもらってもいいですかー?」 そいつの大きな声に先生とクラスメイトが後ろを振り向く。先生が呆れた顔になって言った。 「教科書忘れたのかぁ? 隣に見せてもらうのはいいが、忘れ物は内申に響くぞ! 次から気をつけろー」 「あちゃー、勘弁してくださいよ…」 クラス内から少し笑いが起きる。 なに、なんで……。 先生が授業を再開し、クラスメイトの視線も前に向き直っていく中、私は呆然としながらそいつを見つめた。 そいつは机をこちらに移動させながら、「ラッキー、いつもより近づけるじゃん」とかなんとか言っている。 「なんで…」 「ん? 教科書みせて?」 そいつは嬉しそうに笑いかけてくるが、私は申し訳なさでいたたまれない。だって、教科書忘れてないのにあいつの内申に影響するのはおかしい。 やっぱり先生に訂正しよう、と立ち上がりかけたら、そいつに腕を掴まれた。 「いーの、かっこつけさせて」 「でも、あんたに借りをつくりたくない」 そいつが目を見開く。しまった、と思ってつい俯いた。こんなことが言いたいんじゃないのに。 こんなときでも素直に優しさを受け取れない私は、本当にかわいくない。自分でもわかってる。 だからそれを少しでも変えたくて、椅子に座り直し、勇気を振り絞って呟いた。 「あ、ありがと」 声は小さかったが、すぐ隣のそいつには届いたみたいだ。うん、といつになく嬉しそうな返事が聞こえた。 「気にしないで、ポニーテールちゃん」 「なっ!」 なに、その呼び方…。 思わず顔を上げると、そいつは頬杖をついて目を細めていた。視線は、私の高い位置で一つ結びにされた髪に注がれている。 「だってそれ俺のためでしょ?」 「は、」 何を言ってるんだ、こいつは。 「あれ、違った?」 不思議そうにそいつは首を傾げながら、続ける。 「俺のためにポニーテールしてきてくれたから、貸し借りなしでいいよ」 「ば、ばかっ! 誰があんたなんかのために…」 赤くなった顔を隠すように、そいつと反対側の窓の方を向く。いつもと違って、髪で顔を隠せないのがもどかしい。 「えー、違うの?」 あぁ、顔を見なくてもそいつがにやにやしているのがわかる。図星なのが悔しくて、無視を決め込んだ。 −−あいつが私にポニーテールをしてきてほしいと言ってきたのは一週間ほど前のこと。 授業中に急に言われたものだから、からかわれているだけだろうと思った。 それを言われた次の日の朝、家を出る前に少しだけ、ほんっとうに少しだけ迷ったが、結局髪を下ろして行った。 すると、朝登校してきたあいつが私を見つけるや否や、露骨に残念そうな顔をした。 『えー、今日結んでないの? ポニーテールだっけ。あれしてきてくれるのちょっと、いやかなり期待してたんだけど』 『するわけないでしょ』 私はふいっと顔を背けたが、そいつは意に介した様子もなく続けた。 『ざんねん。まぁ、下ろしててもかわいーから結局、俺得なんだけどね。ありがとう』 なぜか感謝されたが、訳がわからないので『あっそ』と返しておいた。 その日以降、ふとしたタイミングでそいつはポニーテールを勧めてくるようになった。 そんなに髪型にこだわるのか、と呆れつつもあいつがポニーテールが好きだというならしてきてみようかな、という気になってもいたのだ。うるさいし。 それに、いっつも私の心を乱してくるあいつの余裕な態度を崩してみたいという思いもあった。 普段そっけない態度を取ってる分、急にあいつの好きな髪型にしたら、あいつもびっくりしていつもの余裕が崩れるのではないか、という魂胆だ。想像しただけで愉快だ。 −−そういうわけで、週が明けた月曜日の今日、張り切ってポニーテールにしてきたわけだが、私の予想に反してあいつは何も言ってこなかった。 特に驚いた顔もせず、かといってからかってくるわけでもなく、なんならいつもよりあんまり話しかけてこなかった。 本当になんなんだ、あいつは。 やっぱり私はからかわれていただけだったのか、と悔しくなった。 だから、六時間目の英語が始まってすぐ、あいつが話しかけてきたときは少し驚いた。 −−思い返していたら、隣からまた声が聞こえてきた。 「俺のためじゃなくても、勝手にそう思っとくね。ありがとう」 ……。無視だ。無視、無視。 「あれ、でも俺が言うまでしてきたことなかったよね?」 「っ!」 無視を決め込んだはずが、めげずにそいつは話しかけてきて、私は思わず振り向いてしまった。 「あ、あんたが! ぜったい似合うって言ったくせに! なのに、いざしてきてみたら何も言わないし! ほんとに…」 なんなの、と続けようとして我に返った。 まずい、これじゃあこいつに褒めてほしいみたいだ……。 内心、冷や汗が止まらない私の前で、案の定そいつはにやっと口角を上げた。 「ふーん?」 私は必死に言い訳を考えるが何も思いつかない。 「俺に褒めて欲しかったんだ? ポニーテールちゃん」 「……その呼び方やめろっ」 なぜかぐいっと顔を近づけてくるそいつから離れるようにして返事をする。 「またまた、照れちゃって。ほんとにかわいーんだから」 「うっさい」 赤くなる頬を隠すようにまた窓の方を向く。 「いや、ほんとはね? 朝、してきてくれたの見て嬉しかったんだけど…」 私は顔を背けつつも、どうしても耳がそいつの声を捉えてしまう。そしてそいつは、いつもより歯切れが悪い。 「……想像以上のかわいさで、声かけられなかった…って言ったら許してくれる?」 驚いてばっとそいつの方に顔を向ける。そして私は目を見開いた。 そいつは、手の甲を口元に当てて顔を隠していたが、耳まで真っ赤なのが見える。 「なに?」 あまりの珍しさに、私がじーっとそいつの顔を見つめていたら、そいつは拗ねたように言った。その姿がいつもの余裕のある様子とは違って、子どもみたいだったから、思わず笑みがこぼれた。 「ふふっ、耳まで真っ赤…」 そいつは驚いたように固まった後、拗ねたように口を開いた。 「何がおかしいの」 いつもは見ないそいつの様子がなんだかおかしくて、また笑いが込み上げてくる。 そいつは顔を真っ赤にしたまま、そんな私をじっと見つめた後、机に突っ伏した。 「もー……。なんでそんなにかわいいの……」 肩を震わせて必死に笑いを堪えていた私の耳にそいつの声は届かなかった。 ーーその後、そいつは授業が終わるまで黙っていた。 私は今日も開け放たれた窓の向こう、どこまでも広く続く青空を眺めながらさっきの出来事を思い返していた。 これからもたまにポニーテールにしてみても悪くないな、と無意識に笑みをこぼした。
恋の行方
俺は恋をしているのかもしれない、多分。いや、絶対している。うん、間違いなく。 でなければ、家から近くもないカフェにわざわざ何度も足を運んだりしない。 毎週日曜日の午後三時、そのカフェに行くと彼女はいる。「いらっしゃいませー」という声とともに彼女のにこやかな笑顔に迎えられると、それだけで一週間の疲れが吹き飛ぶ。 今日もそのカフェにやってきた俺は、一人席の端に腰掛け、店員である彼女にホットコーヒーとサンドウィッチを注文する。彼女が去っていき、いつものように鞄から取り出した読みかけの小説を開いた。 最近、ここのコーヒーを飲みながら、読書をするのが俺の習慣になりつつある。 ちなみに彼女の名前は古川さんというらしい。以前、彼女のネームプレートをみてそれを知った。古風で奥ゆかしさがあって、なんともかわいらしい名字だ。下の名前はなんだろうと想像するのが少し楽しくもある。 ……今これを読んでくれている読者諸君、ちょっと待ってくれ。違うんだ。いや、違くはないか。自分でも気持ち悪いことをしている自覚はあるが、決してストーカーなどではない。だから、俺の話を聞いてほしい。白い目で見ないくれ、頼むから。 彼女目当てにカフェに通うなどストーカーまがいの行為だろうとわかってはいる。だから、彼女の迷惑にならない程度に頻度は週一回に抑えているし、カフェでも静かに本を読んでいるだけだ。執拗な視線を彼女に送るわけでもなければ、連絡先を交換してどうにか繋がりたいなどという思いもない。 彼女と同じ空間にいて、癒されているだけなのである。 ただ、もうここに通い始めて一か月以上経つため、常連客として彼女に認知されているのでは、と淡い期待を抱いてしまっていることは事実だ。 ちら、と本から視線を外して店内をさりげなく観察する。 彼女は、カウンターに戻りながら新しく入ってきた二人組の客に「いらっしゃいませー」とにこやかに挨拶をしていた。 視線を彼女から小説へと戻す。 俺は何も、見た目だけで彼女を好きになったわけではない。 彼女と初めて出会ったのは、ちょうど一か月ほど前の日曜日のことだった。 ◆◇◆ あまりにも天気の良い日だったため、少し外に出てみようとインドア派の俺にしては珍しく、普段あまり行かない場所へと足を伸ばしてみることにした。 新しい本屋を発見したり、公園を散歩したりとなんとものんびりとした時間を過ごしていた俺は、急に降ってきた大雨にそれはもう慌てた。 くそう、さっきまで良い天気だったはずなのに……。 もちろん傘など持ってきているはずもなく、先ほどの本屋で買った小説が濡れないように袋を守りながら、雨を凌げるような場所はないかと辺りを探す。 急な雨に驚いているのは俺だけではないらしく、子供を乗せたママチャリを焦ったように漕ぐ人が横を通り過ぎていく。 困惑しつつも俺は、目の前に見えたカフェに走った。 「いらっしゃいませー」 カランカランという音とともにドアを開けて中に入ると、ゆったりとしたBGMが俺の心を落ち着かせるように耳に流れてくる。 はあはあ、と乱れる息を整えながら店内を見回す。静かでレトロな雰囲気の店だ。ちらほらと客の姿は見えるが、あまり多くはない。 俺は、服も髪も濡れてしまっているのにも関わらず、ハンカチすら持っていない。髪から滴る水滴を拭くなくすべがなく、どうしよう、と突っ立っていた。すると、 「大丈夫ですか…? 良かったらこちら、お使いください」 先ほど「いっらしゃいませー」と挨拶をしてくれた女性の店員さんが、心配そうにタオルを差し出してくれた。 黒い髪を一つに束ねた白い肌の女性。自分を心配そうに見つめる瞳と目が合った瞬間、おかしいくらいに心臓が跳ねた。 「あ、ありがとうございます」 おずおずと受け取って、頭を拭く。 彼女は受け取ってもらえたことに安堵したのか、安心したような笑顔で言った。 「急に雨降ってきて、びっくりですよね。どうぞゆっくりしていってくださいね」 彼女は小さくお辞儀をして、カウンターの方へと戻っていく。 あぁ、と俺は思った。なんだ、あの天使は。いや、女神か? 彼女の後ろ姿が眩しすぎて直視できない。天使の輪っかと背中から生えた羽が見える気がする。 こんなに優しい人が、彼女以外にこの世に存在するのだろうか。するわけがない、などと自問自答しつつ、服も拭いて近くの一人席に腰を下ろす。 すると、彼女がやってきて注文をとってくれる。ホットコーヒーを頼み、タオルを返す際、彼女のネームプレートを確認した。 古川さん、か。 彼女はいくつなんだろうか。見たところ大学生くらいだが…。俺と同い年だったりして、などと考える。 彼女が去っていき、俺は窓の外を眺める。雨は止むどころか、さらに強くなっている気がする。 しかし、俺はそれを憂うどころか、むしろ嬉しく思った。なんなら、もっと降ってくれ。そして止まないでくれ、永遠に。ここに長居する口実が欲しい。 スマホのお天気アプリを確認すれば、いつ止むかわかるかもしれないが、そんなの知りたくもない。 手持ち無沙汰になった俺は、机に置いた袋から新しく買った小説を取り出して、読み始めた。 その後、俺は雨が止んでも気づかないふりをして、読書に没頭し続けた。古川さんが途中で運んできてくれたコーヒーが、飲みかけのままとうに冷めた頃、流石に長居しすぎても申し訳ないという気持ちになり、席を立った。もちろんコーヒーは飲み干してから。 コーヒー一杯で二時間ほど粘った迷惑な客という印象を与えてしまっただろうか、と不安だったが、帰り際に「ありがとうございましたー!」という彼女の明るい挨拶をもらい、少し安堵した。 ◆◇◆ それから、毎週こうして訪れているが、初回の反省以来、滞在時間は一時間程度にしているし、混んでいる日はさらに早めに帰ることを心掛けている。 無論、古川さんに気遣いのできる常連客として認知してもらうためだ。 「お待たせいたしましたー」 そこへ頼んでいたホットコーヒーとサンドウィッチが運ばれてきて、小説を閉じた。 運んできてくれたのが古川さんではないことに少し落胆を覚えつつ、小さくお辞儀を返す。 店員さんが去っていったのを確認して、サンドウィッチを一口齧る。 実は、サンドウィッチを頼むんだのは今回が初めてだ。 ふむ、普通にうまい。待てよ、これはコーヒーと合うぞ。今まで頼まなかったことが悔やまれる。 もう一口頂こうとして、お盆の上に二つ折りにされたメモ書きのような紙が置いてあることに気づく。 ん? なんだこれ。伝票か? いや、でも伝票ならそこに置いてあるしな…。 不思議に思って、サンドウィッチをおいて一応手を拭いてから、紙を開いた。 “いつもお疲れ様です! 古川” ……。ほう? なるほど。ん? いやいや、なんだ、これは。 犬のイラストが描かれた可愛らしいメモ用紙を穴があくほど見つめる。 古川、と書いてある…。古川ってあの古川さんか? 別の店員さんで同じ名字の人いたっけな……と思い返すが、特に心当たりもなく、やはりあの女神のように優しい古川さんだと確信する。 そうだ、優しいからこそ気遣ってメッセージをくれたのか。なんてかわいいんだ……。 そう思うと、にやけが止まらない。はたからみると気持ち悪いことなどわかっているが、馬鹿みたいに舞い上がってしまっている自分がいる。 もしかして、彼女も自分と同じ気持ちなのだろうか。今度このメッセージの意図を聞いてみようか。 いや、直接言えないからこそこうして手紙にして渡してきたに違いない。それをわざわざ聞き出すのも野暮というものか。 やはり奥ゆかしくて、かわいい人だ。 その日は、にやけがいつまで経っても収まらず、小説の内容も全く頭に入ってこなかった。 いつもより長く滞在した後、店を出る時にカップルがいちゃついてるのを見ても嫉妬なんてしなかった。 彼女のメッセージを思い出す。 『いつもお疲れ様です』か……。なんてかわいいんだろう。 来週も会えるのが楽しみだ。 しかし、カフェではいつも読書しかしていない俺に『お疲れ様です』なんて、よっぽど俺が疲れているように見えたんだろうか。 不意に疑問が浮かぶも、それもすぐに喜びにかき消された。 つい鼻歌を歌いながら、帰路についたことは言うまでもない。 ◆◇◆ ーーしまったと思った。 私の書いたメッセージを読んで固まっている常連客の男性を見て、これはまずい、と冷や汗が止まらなくなった。 でも、もう今更間違えましたなんて言えない……。あぁ、どうしよう。変に思われたかもしれない…。 いや、でも店側の常連客に対するサービスだとでも解釈してくれるのでは。事実、うちのカフェは個人経営店であり、店長がフレンドリーなこともあって、常連客にメッセージカードを渡すことも珍しくない。 無理やり自分にそう思い込ませて、気持ちを落ち着かせる。 常連客の男性の近くに座り、参考書を傍に同じサンドウィッチを頬張っている彼の方へと目をやる。 本当は彼に渡すつもりだった。彼は私と同じ高校の先輩で、密かに私が片思いをしている相手でもある。 ここでのバイトを始めた当初、先輩がこのカフェの常連客だと知ったときの喜びは今でも忘れられない。 先輩は決まって休日に来る。基本土日のどちらかだけだが、二日連続で来る日もあって、時間帯もバラバラ。 ただ、入り浸っているわけでもなく、大抵一、二時間勉強して帰る。そして、頼むものは必ずカフェオレとサンドウィッチだ。 私は陰ながら先輩を密かに想っているだけでいい。初めは本当にそう思っていた。 しかし、常連客と店員という関係上、必然的に接する機会が多くなる。 あるとき、お会計の際に「同じ高校ですよね…?」と声をかけられて以来、少し話すようになったのだ。 学校でもたまにすれ違えば、会釈するくらいの間柄にまでなった。 そうして関わっているうちに、今まで抱かなかった感情が芽生えた。 ーーもっと近づきたい、仲良くなりたい。もっと先輩のことを知りたい。見てるだけじゃ、足りない。 ただの店員と常連客のままは嫌だ。 でも、臆病な私には学校で積極的に話しかける勇気も出ず、思いついたのが手紙を書くことだった。 あんまりにも長いとしつこいかな、連絡先まで書くのはいきすぎかな、などと悩みに悩んだ末、あのシンプルなメッセージに行きついた。 “いつもお疲れ様です! 古川” 先輩、どんな反応するかな、と少し緊張しつつ彼に運ぶサンドウィッチのお盆に紙を忍ばせておいた。 ーーつもりだった。 まさか、別のお客さんの方へ行ってしまうとは……。 店長に呼ばれて、運ぶのを他の人に頼んでしまったことを心底後悔した。 まぁ、また書き直せばいいか…。 そう思いながら、あのメモ用紙を持ったまま店を出ていく男性客の背中を「ありがとうございましたー」と言って見送った。
ポニーテール
「髪、結ばねーの?」 不意に横から声がかかり、目をやると隣の席のそいつが私の腰まで伸びた髪をじっと見つめていた。 「は?」 「最近、暑いじゃん」 太陽の光が容赦なく降り注ぐ窓際一番後ろの席に座る私は、確かに暑くて仕方がない。開け放たれた窓の外、青い空の向こうには入道雲が見えている。 黒板の前に立って話す先生の声をかき消すように蝉の鳴き声が遠くから響く。 私は、視線をそいつから先生の方へと移して答える。 「別に、あんたには関係ないでしょ」 「そーだけどさぁ」 授業を全く聞いていない様子のそいつは、項垂れつつも私から視線を逸らさない。 「結んだらぜったいかわいーのに」 どきっと心臓が跳ねる。は、と思わず息が漏れて、咄嗟に窓の方へと顔を向けた。 「あっそ」 どきどきとうるさい胸の鼓動を悟られないよう、なるべくそっけない返事をする。にもかかわらず、そいつはめげずに話しかけてくる。 「ほら、なんかあるじゃん。あの高い位置で一つに結ぶやつ。なんとかてーるみたいな」 「ポニーテール」 「そうそう、それ。ぜったい似合う」 なんなんだ、こいつ……。 「だからなに?」 「んや、それしてきてほしーなって」 「なんで私が」 「だって俺がみたいんだもん」 こいつ、ふざけてる。からかわれているとわかっていても、まんまと頬が赤くなってしまう。それを隠すように、ノートにペンを走らせる。 「うっさい。授業に集中しろ」 「あれれ、照れちゃった? 顔赤くなってるー」 にやっと目を細めてそいつは笑う。消しゴムを投げつけてやろうかと思ったが、避けられるだけだと思い直してやめた。 「かわいー」 頬杖をついてこちらをにこにこと見つめてくるそいつに、また心臓が暴れ出す。 ほんとになんなんだ、こいつは……。 いつもかわいいとからかっては、戸惑う私の反応をみて面白がる。思い通りになるものか、とつっけんどんな態度をとっても、結局はあいつに心を乱されてしまう。 これ以上反応しても無駄だと思い、無視をしてノートを取り続けていると、そいつも諦めたのか、あくびをしつつ前の黒板に向き直った。 蝉の鳴き声が交じる先生の声を聞き流しながら、さっきのあいつの言葉を思い出す。 ーー『ぜったい似合う』 無意識に髪を触りながら、一瞬でも明日ポニーテールにしようかなと思ってしまったことは、ぜったいにあいつには秘密だ。
交差点
「よ、よかったら、その、一緒にお茶しませんか!」 私は今人生で初めて、交差点のど真ん中でイケメンに逆ナンをしている。 なぜこんなことをしているかというと、話は数分前に遡る。 ◆◇◆ 赤信号を待つ多くの人で賑わう交差点。高層ビルに囲まれたそこは、都会特有の急かすような雰囲気が漂っている。 私も、ぼーっと車の行き交う様子を眺めながら信号が変わるのを待つ。 ぱっと信号が赤から青に変わるや否や、人の波が動き出す。その流れにのって、私もなんとなく歩き出した。 不意に前から走ってきた人の肩が私の肩に勢いよくぶつかった。 「いたっ…」 足がもつれて、「あ、これ後ろに倒れるやつだ」と直感した私は、次の瞬間、背中に触れる感触に目を見開く。 「っと、大丈夫ですか?」 頭上から声が降ってきて、見上げると眼鏡をかけたイケメンが私の顔を覗き込んでいた。 「っ!」 どうやら転びそうになった私を、彼が後ろから受け止めてくれたらしい。急に現れた美しい顔面に、しばし硬直してしまう。 「あのー…大丈夫、ですか?」 先ほどと同じ声がかかり、我に返る。急いで彼から体を離して向き合う。 「あっ、大丈夫です。ありがとうございます」 心配そうな表情をしていた彼は、ふわっと優しい笑顔を見せて言った。 「なら、良かったです」 ーーその瞬間、眼鏡の奥に見える優しい瞳にとらわれてしまった。本当に一瞬で、私は恋に落ちてしまったのである。 「では、これで」 「待って! ください!」 これきりにしたくなくて、立ち去ろうとする彼を咄嗟に引き止めた。 「あの、」 引き止めてしまった手前、何か言わなくては。彼が不思議そうに私の言葉を待っている。私は、人生最大の勇気を振り絞って、声を出した。 「よ、よかったら、その、一緒にお茶しませんか!」 ◆◇◆ そして現在に至る。 断りを入れておくが、私はこれまでまともな人生を歩んできた方だと思う。逆ナンなどするような勇気もなければ、ましれやそれが交差点のど真ん中だなんて、考えたこともなかった。 だからこそ、冷静になって冷や汗が止まらない。私はなんてことを…。 「もし時間があればなんですけど、あ、あるわけないですよね。すみません、変なこと言っ「ありますよ」 焦って早口で付け加える私を、彼の声が遮った。「え」と顔を上げると、目の前のイケメンは穏やかに微笑んでいる。 「時間はあるので、私でよければぜひ」 なんと…。人生初の逆ナンは成功した模様。実感が湧かず、ぼけっとしていると、唐突に彼が私の腕を掴んだ。 「とりあえず、ここは危ないので走ってください」 「ぇ、わっ!」 急に走り出す彼に引きずられるようについて行って、交差点を横切る。チカチカと青信号が点滅している。 「はぁっ、はぁ…」 ちょうど私たちが交差点を渡り終えたところで、信号が赤に変わった。止まっていた車が動き出す。 私は、歩道の端で乱れた息を整える。ドクンドクンと鼓動が激しい。これはきっと、いや絶対走ったせいではなく、彼に触れられたせいだ。 彼はふぅと息をつくと、心配そうに私に謝った。 「急に走ってすみません。大丈夫ですか?」 「大丈夫ですっ!」 いや、大丈夫ではない。さっきからあなたのせいで心臓が暴れっぱなしです。 なんて言葉は胸にしまって、彼を見上げる。 彼を言葉で表すなら、優しそうなインテリ系イケメン。まさに誠実という言葉がぴったりな真面目さの雰囲気と整った容貌を持ち合わせている。私のどタイプだ。 「どこ行きます?」 「あ、えっと、どこかカフェ寄りたいです」 特に考えていなかった私は、彼の質問に咄嗟にそう返事をする。 「そうですね。近いところを探しましょう」 二人で歩き出す。歩幅を合わせて横を歩いてくれる彼をちらっと盗み見る。なぜ私の誘いに乗ってくれたのだろう、という疑問が頭の中を占める。 その思考を遮るように、彼がのんびりとした口調で言った。 「それにしても、こんな美人さんに声をかけてもらえるなんて…。緊張しますね」 その言葉に反して、全然緊張していなさそうな笑みをにっこりと浮かべる。 ひぇ、美人さんだなんて。イケメンは顔だけでなく、口もうまいのか。そう思いつつも、喜びで顔がにやける。 「いやいや、そんな…。こちらこそ、すごいかっこよくて緊張します」 「これが俗に言うナンパってやつですか?」 今度は、にやっと意地悪そうに口角を上げた彼に顔を覗き込まれ、どきっと心臓が跳ねる。こんな顔もするのか。 「えっ、いや、そう、かもしれないです…」 顔を真っ赤にして、語尾が小さくなる私を見て彼は、くはっと笑い出す。 初めて見る彼の声を上げて笑う姿にきゅんとするやら、恥ずかしい思いやらで私は「ううっ」と赤面して縮こまる。 私、すごい人を捕まえてしまったかも…。 ◆◇◆ 適当に入ったカフェにて、向かい合わせのテーブル席に座る。彼はコーヒー、私はミルクティーを注文した。 「改めて、自己紹介でもしますか」 彼が微笑んで私を見る。 そうだ。まだ名乗っていなかった。私から声をかけたのだから、私から言わなければ。 「はい! 加古美咲といいます。えっと大学生です!」 「みさきちゃんね」 「はい! 美しいに咲くで美咲です」 「かわいい名前。大学生なんだ」 ナチュラルに褒められて、また心臓が跳ねる。褒められ慣れていない私は、なんだかむずがゆい気持ちになる。それを振り払おうとして、今度は自分から彼に尋ねる。 「あの、あなたは…?」 「あぁ、私は古谷京也。しがない小説家です」 彼は指で眼鏡を押さえながら、眉を下げて微笑む。 「きょうやさん」 「そう。京都の京に也(なり)で京也ね」 誠実そうな彼にぴったりな名前だと思った。 「小説家ってすごいですね」 「いや、あんまり売れてないから恥ずかしいな」 少し照れたように目線を逸らす京也さんがかわいくて、つい聞いてしまう。 「ペンネームはなんですか? 今度、本屋行ったら探してみようかなぁなんて…」 京也さんを正面から見つめると、彼は人差し指を口にあてる仕草をして言った。 「秘密」 急に、妖艶な雰囲気を醸し出す笑顔に、また胸の鼓動がはやくなるのを感じる。この人は一体、いくつ顔を持っているんだろうか。いつの間にか敬語も抜けているし。 「お待たせいたしましたー」 そこへ、ちょうど頼んでいた飲み物たちがやってきた。 コーヒーを飲む姿さえ様になるなぁとミルクティーをちびちびと口にしながら、京也さんを見る。 不意に、さっき気になったことを聞いてみようと思った。 「あの、京也さん」 「ん?」 「なんで、私の誘いに乗ってくれたんですか?」 コーヒーカップをおいて、京也さんは私と目を合わせる。 「んー、美咲ちゃんがかわいいからかな?」 「っ!」 思わず、ミルクティーのカップを落としそうになった。 「冗談ですか…。本気で聞いたんですけど」 「ほんとだって。美咲ちゃんと仲良くなりたいなって思ったんだけど、だめ?」 目を細めて首を傾げる京也さん。そんなことされたら、反論することなど私にできるはずもない。 「だめじゃないです…。私も京也さんと仲良くなりたいです」 「ふっ、よかった」 愛おしいと言わんばかりに、眼鏡の奥の目は細められる。自分が愛されていると錯覚してしまうような視線…。いやいや、自惚れるな、自分。私が一方的に京也さんを好きなだけだ。 ◆◇◆ それから、小一時間ほど二人で色々な話をした。私の大学のことやバイトのことなど他愛もない話をたくさんした。 京也さんのことも色々知れた。マンションで一人暮らしをしていて、犬を二匹飼っているらしい。「いつも、キャンキャン吠えるから大変なんだよね」と困ったように笑っていた。 京也さんのいろんな表情を知れて、さらに沼ってしまった気がする。 窓から夕日がさしてきて、話がひと段落ついたところで「そろそろ出ようか」と提案され、二人で席を立った。 お会計では私も払おうと思ったが、京也さんが頑なに断ったため、結局奢ってもらった。 「今日は本当にありがとうございました!」 店を出て、京也さんに頭を下げる。 「こちらこそ、ありがとう。すごい楽しい時間を過ごさせてもらったよ」 京也さんを見上げると、穏やかな笑顔が夕日のオレンジ色に染まっている。私も自然と笑みが浮かんだ。 「一人で帰れる?」 「帰れますよ! 子供扱いしないでください!」 「はいはい」 京也さんは、ははっと笑ってぽんと私の頭を撫でる。そのさりげない仕草に、また顔が熱くなるのを感じて目を逸らす。 「じゃあ、また連絡するね」 「はい!」 京也さんにお辞儀をして、背を向けて歩き出す。スマホの連絡先に入っている先ほどゲットしたばかりの京也さんの名前を眺めて、顔がにやける。 −出会いは交差点。まさかの自分からの逆ナンがきっかけだったが、これから素敵な恋が始まる。 そんな予感がした。 ◆◇◆ 美咲ちゃんが背を向けて歩き出すのを見送る。その背中が曲がり角に消えて、見えなくなるのを確認すると、自分も反対方向へと歩き出した。 ふぅと息をついて眼鏡を外す。その顔には、先ほどのような穏やかな笑顔はもうない。感情から切り離されたような無表情である。 しかし、ついさっきまで一緒にいた彼女の笑顔を思い出し、口の端がにやりと上がる。スマホを開いて、美咲ちゃんとの真っ白なトーク画面に『今日はありがとう』と送っておく。 そして、ポケットにしまっていた指輪を左手の薬指に付け直し、先ほどとは違うトーク画面を開いて、『今から帰る』とメッセージを送った。
幸せの味
久しぶりにこんな高熱を出した。 一人ベッドの中でうずくまって、何が原因だったのかを思い返す。やはり、昨日美緒を保育園に迎えに行った帰りに大雨に遭ったことだろうか。ママチャリの後ろに乗っていた美緒にはカッパを着させたが、私はママチャリを漕ぎながら傘をさせるほど器用ではない。結局、ずぶ濡れになって帰ってきたのだ。 ベッド脇の時計を見ると、もう正午を過ぎている。いつまでも寝ているわけにはいかない。 「ゔっ」 体を起こすと、節々が痛む。アラフォーにもなると、こんなに辛いのかと痛感する。 なんとかベッドから出て、ふらふらと居間へ向かう。何か口にしなくてはと思い、台所に行き冷蔵庫を開けると、大きな鍋が下の段を陣取っている。取り出してみると、おかゆが入っていた。夫が作ってくれたのだろうか。普段、料理のしない夫がおかゆを作るところなど想像できず、少し戸惑う。 とりあえず、ありがたく頂こうと思い、鍋を火にかける。お皿に分けてテーブルに運ぶと、書き置きの手紙が目に入った。 “ママへ おかゆたべてげんきになつてね 冷蔵庫に入ってるので、温めて食べてください。 パパとみおより” 思わず、ふっと笑みがこぼれた。拙いひらがなが並んだ文の中に、一文だけ夫の字で書かれている。 この前、美緒が保育園の先生にカタカナを教わったと嬉々として報告してくれたのを思い出した。うきうきしながら、手紙を書く美緒の姿が目に浮かぶ。 帰ってきたら、全身全霊で感謝の念を伝えねば。頬が緩むのを抑えようとして、おかゆを口にする。 「味うっす…」 思わず声に出してしまう。私ならもう少し塩気のあるちょうどいい味付けにするのに。心の中で文句を言いつつも、また頬が緩む。そして、スプーンで二口目を食べ、三口目、四口目と食べ進める手は止まらない。 同時に涙も溢れて止まらなかった。なぜだろう。いつからこんなに涙腺が緩くなってしまったのか。味の薄いおかゆなのに、美味しく感じる。 号泣しながらおかゆを食べ続けるおばさんなんて、はたからみたら頭がおかしいに決まっている。自分でもなぜこんなに泣いているのか、おかゆを食べる手が止まらないのか、わからない。自分の気持ちの整理がつかないままだ。 だけど、胸がいっぱいになるようなこの幸せをいつまでも噛み締めていたいと思った。