東真直

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東真直

かいたりうったり。

幽霊屋敷からの脱出

あなたは小学生です 幼くとも勇気を持ったあなたは 幽霊屋敷だと噂の廃墟に 一人で忍び込むことにしました その屋敷には恐ろしい『何か』が 潜んでいるとも知らずに 月が雲に隠れた深い夜 廃墟と化したその一軒家は 住宅街の中にポツリとありました 敷地内の植物は伸び放題で 葉や蔦は廃墟に絡みついています 深夜という時間帯も相まって 異様な雰囲気が漂っていました あなたは月明かりだけを頼りに 木々をかき分け廃墟へと近づきます 蔦の絡まった古びたドアを越えると 灯りは無くなり視界は真っ暗になりました あなたはその静けさに 恐怖よりも安心感を抱いていました あなたはゆっくりと床に手をつき ハイハイするような格好で 少しずつ前へと進んでいきます すると指先に何かが当たり あなたはその場で動きを止めます そうこうしている間に目が慣れてきて 目の前の様子が徐々に浮かび上がります あなたの指先に触れていたのは 硬い器のようなものでした それを拾い上げたあなたは 驚いてそれを落としてしまいます 足元に落ちてひび割れたそれは 頭蓋骨のようでした そのとき後ろから音がしました 誰かがドアノブを回したようです あなたは咄嗟に近くの部屋へ入り 息を潜めて耳に意識を集中させます ギィイイイ 「カチッ」という音と共に 廊下に光が差し込むのが見えました どうやら後から入ってきた何者かは 懐中電灯を持っているようです ギィ、ギィ、ギィ 古びた床を踏み締める音と共に 光源が近づいてくるのがわかります それは興味本位の若者なのか こんな廃墟を警備する人間がいるのか それとも別の『何か』であるのか 判断はつきそうにありませんでしたが あなたは本能的に『怖い』と感じ 逃げ道を探すため辺りを見渡します あなたが逃げ込んだのは居間で 広々とした空間が広がっていました 畳の床、大きめのちゃぶ台、座布団 しかしそれしか物は置かれておらず 別の部屋へ続くドアも見当たりません そうこうしている間にも光が近づきます あなたは急いでちゃぶ台に潜り込み 小さな体を隠すことにしました ちゃぶ台の下に隠れたすぐ後 光がこの部屋を照らしましたが あなたの体は影に隠れたようで 光はあてもなく揺れるばかりでした しかしまだ油断はできません 僅かに侵入者の華奢な足が見えますが 靴は履いておらず素足のようでした するとその足が「ミシッ」と音を立て 一歩ずつこちらに近づいてきます あなたは恐怖のあまり目をつむり ただただ見つからないことを祈ります すると足音はすぐ近くで止みました あなたが恐る恐る目を開けると 見えていたはずの素足が見えません さっきまで部屋を照らしていたはずの 懐中電灯の灯りすら感じませんでした あなたは再び訪れた暗闇に安堵し ちゃぶ台の下から出ようとしました が、その足は何者かに捕まれて ぴくりとも動きませんでした あなたはちゃぶ台に頭をぶつけながら 体を捻って自分の足の方を見ると そこには黒く塗りつぶしたような目で 妙に細い体をした人のような『何か』が その手で自分の足を掴んでいました あなたの本能が全力で それは人ではないと教えていました その妙に細い体の『何か』は あなたの足を引っ張りながら 黒く塗りつぶしたような口を開け 今にも足に食らいつきそうでした あなたは必死に抵抗しますが 足は徐々に引っ張られていきます 『何か』の深く黒い口の底から 悲鳴にも似た鳴き声が聞こえました あなたは必死に抵抗しながら 心の中で「助けて」と叫びました 何度も何度も叫び続けましたが 声に出ることはありませんでした しかしそんな心の叫びは 『彼女』に届いていたのです 突如としてひっくり返されたちゃぶ台 あなたを背中から照らし降り注ぐ光 光に捕らわれたかのように その場に固まり動かない『何か』 「こんなところにいやがったか」 あなたは驚いて振り返りますが その強い光を直視できずに 咄嗟に目を片手で覆います すると華奢な手があなたへと伸びて あなたを引っ張り立たせました 『彼女』は片手であなたを支え 片手で懐中電灯を持っていました 「さようなら、また来世で」 そう言って『彼女』がなにか唱えると 『何か』は断末魔の叫びを上げながら 塵のようになって消えていきました あなたは『何か』の消失を見届けると ハッとして『彼女』の手を振り払い 居間の壁にへばりつきました あなたは『彼女』が恐ろしいのです 『何か』とはまた違った理由で あなたの恐れが伝わったのでしょう 『彼女』は「アンタには効かないよ」 と言いながら懐中電灯を消しました あなたは辺りが暗くなったことに いくらか安心しましたが まだ『彼女』への警戒心は解けません 「アンタはまだ『アレ』とは違うから」 『彼女』はそう言うと踵を返し あなたに背を向け歩き出しました あなたは咄嗟に『彼女』に駆け寄り 裾を掴みますが上手く言葉が出ません 「なんだ、アンタも出るのか?」 あなたは首を横に振りました そうして絞り出すように 時間をかけながら少しずつ わずかな言葉を吐き出しました 『な、んで』 どうして助けてくれたのか これまでずっと生きていたときも 誰も助けてくれなかったのに 誰かに助けを求めることなんて 無駄だと諦めていたのに あなたの幼い勇気は 独りでいる覚悟でもあり また諦めでもありました すると『彼女』はスッとしゃがみ あなたの頭を乱暴に撫で始めました それから頭をポンポンと二度叩くと あなたのおでこにデコピンをしました 「『助けて』って、言っただろ」 『彼女』はそう言って立ち上がりました あなたはデコピンされたおでこを撫でて それから『彼女』の背中を見上げ 駆け寄って『彼女』の手を掴みました それはあなたが初めて感じる 優しい大人の温もりでした 『彼女』は一瞬驚きましたが すぐにその口角は上がり そっとあなたの手を握り返しました そうして廃墟のドアに手をかけます 「帰ろう、新しい家に。  ここは独りで住むには寒過ぎる」 この体になってから この存在になってから あなたは寒さを感じません 感じなかったはずでした けれど今はもう知っています 暖かさを知ったから 『彼女』が廃墟のドアを押すと 「ギィイイイ」という音と共に 蔦の絡まった古びたドアが開きます 外が思ったより明るかったのは 空を覆っていた雲が消えたからです 二人の足元を照らすように 月明かりが微笑んでいました

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幽霊屋敷からの脱出

ハッピーエンドが嫌いだった

 ハッピーエンドが嫌いだった。  嫌いというか、不自然に感じていた。色々あった問題がスッキリ全て解決され、これから明るい毎日が始まるなんて、信じられなかったのだ。現実なんて不条理で不合理で不親切で不愉快で、解決なんてものからは程遠い。 だからこそハッピーエンドを求める気持ちも分かるが、天邪鬼なぼくの心は、ハッピーを求めはしても、納得はできなかったのである。  それに引き換えバッドエンドはいい。どうにもならない現実に対して、どうにもならない結果が残る。希望なんて欠片もなく、理不尽に押し潰された登場人物達を見ているだけで、安心できる自分がいたのだ。  そうだよな。無理だよな、と。  ぼくは無慈悲な現実に対したとき、奮い立たせてくれる希望を求めたのではなく、諦めても仕方がないと思える絶望を欲したわけである。ただ、この卑屈過ぎるぼくの思考に、次第に変化が訪れることとなる。  それはぼくが読み手から、書き手になってしばらくのことだ。  売れない小説家として日々何かを書き続けているぼくは、ふと過去に自らが書いたものを読み返すときがある。未熟な文章を書き直したくなったり、若さ溢れる勢いに圧倒されたり、感じることは様々だ。そして中には、その結末を変えたくなる作品もあるのだが。  結末を変えたくなるのは、決まってバッドエンドの作品なのだ。  それを書いたのは自分である。自分が書いて、自分の意思で、ときに主人公を不幸に陥れ、ときに取り返しのつかない状況にして、場合によっては殺してきた。それを書いた瞬間は、それが一番面白いと信じてのことだと理解している。だが、後から読み返した自分の感想は違うのだ。  救えたはずの世界を、救わなかった。  その世界を書いたのが自分ならば、その世界を救えるのはたった一人、自分だけであるはずだった。それなのにぼくは救わなかった。見捨てた、見殺しにした。それが自然な流れだと言ってしまえばそれまでである。だが嘘の世界で流させた血は、ぼくの手にべったりと張り付き、洗い流せはしないのだ。  だから今はできるだけ、マシな結末にしたいと思っている。  全員がハッピーとはいかないまでも、解決とは程遠くても、少しでもマシな未来を彼ら彼女らに用意したい。それは物語そのものの面白さとはまた別の、書き手としての使命のように感じられた。  バッドエンドが当たり前だからこそ。  納得のいくハッピーエンドを。

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ハッピーエンドが嫌いだった

空になった棺

「この電車、止まりませんよ」 帰宅途中の電車の中で 目の前に立つ男性がそう呟いた 初めは独り言だと思っていたけれど どうやら私に話しかけているらしい 「どこまでも、進むのです」 妙な人に絡まれてしまった 私は手元のスマホに視線を落とし 男性と目を合わせないようにした それからも男性は何か言っていたが 聞こえていないフリをした 最寄駅までの辛抱だ 暫くすると車内にアナウンスが流れ 電車は次の駅へと停車した 降りていく人々の足元を眺めながら 「普通に止まるじゃん」と思った 「あなたは、、、?」 男性は席が空いたのに座りもせず 目の前に立ったままそう言っていた 気味が悪いので私は席を立ち 別の車両へ乗り換えて 隣に誰もいない席に座り直した それなのに隣から声が聞こえた 「どうして、まだ」 驚いて声のする方へ振り向くと そこにはまた別の男性が座っていた 他にも席は空いているのに 隣には誰もいなかったはずなのに 私は席を一つ隣に移動して イヤホンを付けて音楽を流した 電車がゆっくりと動き出す 私は目を閉じて音楽に集中した 早く最寄駅に着けと願いながら それからも電車に揺られている間中 男の声は遠くから聞こえ続けていた 「聞こえ、、、るん、、、しょ」 「く、、、ないと、、、」 「り、、、」 イヤホンで耳を塞いでから どれだけの時間が経っただろう 聞こえる声は少しずつ小さくなり そして何も聞こえなくなった そこでここまでアナウンスを 聞いていないことを思い出した ハッとして目を開けイヤホンを取る 今どこだっけ? そのときちょうどアナウンスが流れ 最寄駅の一つ前であることを知った 通り過ぎていないことに安心すると 次に車内の異変に気がついた 自分以外、誰も乗っていない それどころか電車が駅に着いても 誰も乗り込んでこないのだ ホームの人々はこの車両を見ると 血相を変えて引き返していた 「みんなには降りてもらいました」 急な声に驚いて肩が跳ね上がる さっきまで誰もいなかったはずなのに 声の主らしき男性はドア前で立っていた 「もう残っているのはあなただけ」 すると今度は隣から声が聞こえてきた ドア前とは別の男性が隣に座っていた 驚いて咄嗟に立ち上がると 「どうしてあなたは降りないの?」 今度は吊り革につかまった女性が 顔だけをこちらに向けて声をかけてきた すると車内には他にも人影が浮かび あっという間に私の周囲を取り囲んだ 「降りろ!」 「降りろ!!」 「降りろ!!!」 私は慌てて電車を飛び出して ホームでつまづき転んでしまった 振り返ると車両は人でいっぱいで 全員が血だらけの顔で私を睨んでいた 震える足で少しでも車両から離れる すると人混みの中から一人の少年が現れた 彼はランドセルを背負っていて 額からはうっすらと血が流れていた 「こわがらせて、ごめんなさい」 急いで駅を出た私は 一駅分歩いて自宅へと帰った 震える体をお風呂で温め 湯上がりにテレビをつけると 事故のニュースが流れていた どうやら脱線事故のようだ 事故現場は最寄駅のすぐ近くだった カメラは駆けつけたリポーターと 横転した車両を映していた 『時間帯も幸いしてか、 乗客は誰一人乗っておらずーー』

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空になった棺

嫌いな人の捨て方講座

嫌いな人の捨て方講座 はっじめっるよー! 用意するのは包丁と手袋 ハサミじゃ切れるか不安だし 手袋ないとばっちいからね まず思い切ってお腹をグサリ! 失敗したら怒られちゃうから 落ち着いて確実に仕留めてね 嫌いな人が静かになったら 重いけどお風呂場に運ぼう! 引きずった床が汚れちゃうけど 後でちゃんと拭くので問題なし! お風呂場に着いたら 面倒だけど服を脱がせて 全身をシャワーで流します! ある程度血を洗い流したら ここからはクッキングタイム! 用意した手袋をつけて 包丁でザクザク切っていこう! 一口大くらいにできるといいけど まぁそこはやってみていい感じに 食べるわけじゃないからね きったないし! いい感じのサイズに切れたら 大きいゴミ袋にどんどん詰める! 太ってるから一枚じゃ無理かも 二、三枚あれば安心かな! 全部袋に詰め終わったら 最後にお風呂場をシャワーで流して あとは明日の朝に捨てるだけ! どう?簡単でしょ 「あんたー、部屋にいるのー」 早速帰ってきたみたい はーい!勉強してまーす! 「どうせまた人形と話してたんでしょう。  気味が悪いからさっさと捨てなさい」 はーい! すぐ捨てまーす

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六日目の朝

急になにもかもが無理になって 私は全ての連絡を絶った スマホとパソコンの電源を切って それらを押し入れの奥に押し込む すると一人暮らしの私の世界は あっという間に静かになった それから六日が経過したが 私の世界は静かなままだ 今頃スマホには沢山のメッセージや 不在着信が溜まっていると思う けれどそれらは押し入れの中の 小さな箱に閉じ込められて 私の世界に届くことはなかった 退職してフリーランスになってから こんなに穏やかな日々はなかった 家で自由な時間で働きたい そう思って会社を辞めたのに 待っていたのは四六時中 パソコンと向き合う日々だった 夜中でもメッセージが飛び交い 常に無茶な締切に追われていた 家で仕事をするようになってから 私は心休まる場所を失った だが今にして思えばどうして あんなに思い詰めていたのだろう メッセージを返さなくても 仕事が納期に間に合わなくても 私は何も困ってはいないのに スッピンで散歩に出かけると 小さい子供と母親の姿が目に入った 親子は幼稚園の中に吸い込まれていき 元気な挨拶が外まで聞こえてきた あんなに小さいのに朝早く起きて 毎日決められた場所に集まっている それだけで尊敬せずにはいられなった 私は早起きしたのではなくて 昨日の夜から寝ていないだけだから コンビニへ寄ってから家に帰り 買ってきたカップラーメンを食べる 体も疲れたしお腹もいっぱいになった これなら眠れると布団に潜り込む でも眠れない 六日間も無駄にした時間 失ったであろう仕事の信頼 決して多くはない貯金 真っ暗な未来への不安感 目をつむると辛い現実が 暗闇からいくらでも湧いてきた そんな暗闇から身を隠すように 私は布団を頭から被って身を縮め 涙で湿った枕を力いっぱい抱きしめた 早く眠ってしまえと願いながら 誰かに助けを求めたくても スマホは押し入れで眠ったままだ それから何時間も眠れなかったが ようやく気を失った私は夢を見た 押し入れにしまったはずのスマホが 耳元まで歩いてきて喋る夢だ 『これっていつ納品できますか?』 『明日までとかって可能ですかね?』 『追加料金とかはちょっと、、、』 スマホのバイブレーションが鳴る 数分おきに設定したアラームが鳴る 私は発狂してスマホを叩き割る するとインターホンが鳴った 「いやぁ!」という絶叫と共に 私は勢いよく起き上がった 周囲を見渡してもスマホはない 夢だったことに安心したそのとき インターホンが鳴った 咄嗟に布団の中に身を隠す インターホンは何度も鳴らされた 静かだったこの世界にもついに 誰かが来たのだと思うと恐ろしかった するとドアの向こうにいる誰かは 今度は直接ドアを叩き始めた 郵便物なんて頼んでいない なら取引先の人がわざわざ? 誰でもいいけど早く帰って! 誰も私の世界に入ってこないで! 「あんた?おらんの?」 ドアの向こうから声が聞こえて 私は全身の力が抜けていくのを感じた それからゆっくりと布団から這い出て ふらついた足取りで玄関へ向かう ドアチェーンを外して鍵を開けると そこには母の姿があった 「急に来て悪いねぇ、連絡できんかーー」 母の言葉を待つことなく その場で母に抱きついた 私は言葉が出ずにただ泣きじゃくり 母はそんな私は抱きしめてくれた 「よしよし、がんばったね」 私の頭を撫でる母の手は 朝日よりも暖かかった

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のんきな漂流者

男は風を待っていた 大海原の上でヨットに座り込み ひたすら陸地を見つめていた 陸はすぐ近くのように見えるが ヨットにはオールも動力もない 少しでも風が吹けば 男はそう思わずにいられなかった たまに近くを船が通りがかったが 誰も男のヨットが漂流しているとは思わず ただ通り過ぎていくばかりだった 太い流木を拾い上げ漕いでもみたが 男のヨットは波に流されて 陸からはどんどん遠ざかっていった 男がふいにヨットから身を乗り出すと 海原を泳ぐ魚達の姿が目に止まった 男は空腹でうるさい腹を撫でながら 捕まえようと手を伸ばすが届かない それどころか男は船酔いで海へ嘔吐し 魚達は男の吐瀉物に群がり食べ始めた 男は青白い顔でその様子を ただ眺めていることしかできなかった 男が疲労と空腹でヨットに寝転がると 今度は青空を泳ぐ鳥達の姿が目に入った 逆光で黒い影にしか見えない鳥達は きっと自分を見下し嗤っているのだろう そんな風に男は確信して舌打ちをした そうこうしている間に すっかり陽は沈んでしまった 灯台の灯りが海面を照らしていたが その光が男の元に届くことはなかった 食べ物もなければ飲み物もなく 外気は凍えるほどに冷たくなった 肌を刺すような冷たい風が 男の体温を下げていく 風が、吹いている これでようやく帰れると男は喜んだ しかしいくら寒さを耐えていても 灯台の灯りが近づくことはなかった それどころか遠のいていたのだ 逆風への絶望に追い討ちをかけるように 今度は静かだった海が荒れ始めた 波はヨットを大きく揺さぶり 男は船体にしがみつくのがやっとだった すると大きな波がヨットの横っ腹にぶつかる 小さなヨットはあっという間にひっくり返り 男は夜の海へと放り出されてしまった 男は真っ暗な海に身を沈めながら ほとんどその生を諦めかけていた 男は心の隅でこの結末を予感していた それがただ今訪れたというだけだった はずであったのだが 男の目に水面を漂う流木が映った 生き残る可能性を見つけた男は 靴を脱ぎ捨て最後の力を振り絞り 海面へと泳いで流木につかまった 沈みゆくヨットと浮かび続ける流木 男はそのまま陸を目指して泳ぎ始めた それから間も無く男の意識は途切れる 男が目を覚ましたのは砂浜だった 立ち上がる気力がなかった男は 顔だけを傾け左右に視線を送るが どこまでも白い砂浜が続くばかりで 人らしき影は見当たらなかった だが遠くから車の音は聞こえていた 男はさざ波に足元を濡らされながら 砂浜で寝転がったまま目を瞑る どうせ誰かが自分に気がつき 助けてくれるだろうと思って 男は誰かを待っていた

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今、生まれる

「産まれてこなければよかった」 いつも思っていたことを この日私は初めて言葉にした 私の人生は今日までずっと 母の為だけに存在していた 母が望んだから産まれ 母が望むように生きてきた 友達と遅くまで遊んだことはない 母が帰ってこいと言うから 恋愛なんてロクにしたことはない 母の傍にいないといけないから 父は亡くなってしまったから 今は母の介護と仕事だけの人生だ 家では母に怒鳴られて 職場では若い上司に怒られて そうしていくら頑張っても 感謝されることはなかった 「産まなきゃよかった」 母は口癖のように言っていた それを聞いたとき抱いた感情は 怒りでも憎しみでもなかった 『ごめんなさいーー』 良い子じゃなくてごめんなさい わがままばかりでごめんなさい 仕事ができなくてごめんなさい 産まれてきてごめんなさい 私の心に住み着いた母の呪いは それほど強い力を持っていて 私の人生はそのほとんどが この呪いとの戦いだった 彼氏もいない友達すらいない 本当に無意味な人生だったと思う それでも呪いを振り払いたくて 少しでも母に立ち向かいたくて 勇気を振り絞って言った言葉 「産まれてこなければよかった」 しかしその言葉をかけたとき もう母は息をしていなかった 穏やかな表情でベッドに沈んでいた 私の言葉は最後まで 母に届くことはなかった 母の死を知ったとき 抱いた感情は喜びではなかった 怒りや憎しみでもなくて 悲しみとも少し違った ただ少し肩が軽くなって 外の音が少し大きく聞こえる 私は今、生まれた気がした

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母からの悲鳴

部屋の外から悲鳴が聞こえた それは母の声だったが 特に動揺したりはしなかった 母が突然叫んだり泣き出すのは いつものことだったから 母はすぐにヒステリーを起こす だから必要なときや深夜以外は 俺がリビングに行くことはない そうこう考えている間もずっと 母は何かを叫び続けていた いい加減うるさいなと 怒鳴ろうかと思ったときだった 母の悲鳴が突然止んだ さっきまでの声が嘘のように 今度は物音一つしない ドアに耳を近づけてみても やはり不気味なほど静かだった なにか嫌な予感がして 俺は恐る恐るドアノブを回した 足音を立てないように廊下を歩き リビングの様子をのぞいてみたが 母の姿は見当たらなかった 「母さん?いる、、、?」 だがどこからも返事はなかった トイレにも風呂場にもいない さっきまで確かにいたはずなのに そうして家中を探していると キッチンで倒れている母を見つけた それからのことはよく覚えていない 救急車を呼んだり病院に行ったり とにかく大変だったから ただ病院の待合室で 父に言われたことは覚えている 「勇気が必要だったと思う。  出てきてくれて、ありがとう」 こんなに長く外にいたのは 引きこもりになってから 初めてのことだった

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人形はもう燃えた

買ってきた大量の油を 家のいたるところに撒いていく ソファ、ベッド、本棚、床 一通り終えると私は最後に 自分の頭から油をかけた そこまで臭いは感じなかったが 油が制服に染みて肌に張り付き 髪もべったりとして気持ち悪い だがそれら今だけの不快さなんて 十四年の人生がやっと終わると思えば 思わず笑みが溢れる程度のことだった そしてマッチを取り出し火をつける 目前でゆらめく小さな火と 油まみれの足元を交互に見た 手を離せば火は一気に広がって 私もこの家も全てを燃やすだろう そう思うと恐れる気持ちよりも その光景の美しさに心惹かれた これで母は全てを奪われる 私から全てを奪ってきたように そのとき鍵が開く音が聞こえて 玄関から母が姿を現した どうやら今日はいつもより 早くパートから帰ってきたようだ 母は目を丸くして何か叫んでいたが もう何もかもが遅いのだ 私はマッチから手を離した 幼い頃に買ってもらった人形は 私が唯一何でも話せる相手だった 友達の悩み部活の悩み勉強の悩み 人形は嫌な顔一つすることなく 否定するでもなく聞いてくれた 人形の前でのみ私は私でいられた 母はそれと正反対だった 母は決して厳しい人ではなかったが 不機嫌で人を操ろうとする人だった 母が望まない話をすれば顔が歪み 母が望む話をすれば途端に笑顔になった 部活も受験する高校も交友関係も全て 母の顔色をうかがいながら決めた 自分の気持ちに蓋をすればするほど 人形と話すことが多くなった だがそんな歪な発散の仕方でも まだ心のバランスは取れていた 人形だけは本当の私を知っているから けれど母はそんな最後の話し相手を 燃やしたのだ 部屋中を探しても見つからなくて 母に「あの子はどこ」と訊いてみたら あっさり「燃やしたわよ」と言った 前々から人形に話しかける私を 気味が悪いと思っていたらしい 母は晴々とした表情で私の肩を叩いた 「頼れるお友達とかいないの?  辛いことがあればお母さんに話してね」 頼れるお友達はみんないなくなった あんたが関わるなって言ったから 本当に辛いことを話したら あんたは機嫌が悪くなるじゃないか 母にとって私は都合の良いことだけを話す 人形でしかなかった なのに自分だけは人間として 接していると本気で信じている だから私も母から奪ってやろうと思った あんたの人形も燃やしてやろうと 手から離れたマッチが落ちていく それはあっという間のことのはずで けれど永遠にも似た長さに感じた そうして火が油まみれの床に触れると 花火をバケツに突っ込んだときみたいに マッチの火は一瞬で消えた 母はあたりに投げ捨てられた いくつもの油の容器を見てから 近づいてきて私をそっと抱きしめた 「サラダ油じゃ無理よ、馬鹿な子ね」 母は優しく甘ったるい声でそう言った 母の言う通りだと思った 私って本当に馬鹿だ 一人で勝手に追い詰められて 家ごと自分を燃やそうとして それすら上手くできなくて こんなベトベトになっちゃって 「辛いことがあるなら話してね。  お母さん何でも力になるから」 母だってこう言っている 最初からそうすればよかったんだ 正面から自分の気持ちを正直に ちゃんと伝えるだけでよかったんだ 「ーーぇ、ーーあ」 「ん? なに?」 人形はもう燃えたのだから 「うるせぇ、ババア」

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ドアの向こう側へ

その日父はいつも通りに起きて いつも通りに朝食を食べて いつも通りにスーツに着替え いつも通りの時間に家を出て 二度と帰ってくることはなかった 母のパートだけでは生活は苦しかった ぼくは高校こそ卒業させてもらったが 進学は諦めて就職する道を選んだ 妹には大学に行かせてやりたかったから 慣れない仕事に明け暮れる日々の中で ふと父のことが頭をよぎった どうしてぼくらを捨てたのか 忙しさに紛れたそんな疑問は いつしか憎しみに変わっていった ぼくと母が酒のつまみにしたのは いつも父への恨み言だった 突然家を出るなんて無責任な男だ どうせ浮気していたに違いないと だが妹だけは父の悪口を あまり言いたがらなかった 妹は大学に進学してから あまり家に帰らなくなった 泊まっているのは友達の家か それとも彼氏の家なのか 訊いてもはぐらかされるだけだった 一度久々に帰ってきた妹と 大喧嘩になったことがあった 「悪口ばっか言うの見てらんない」 妹がぼくと母に向かってそう言った 母は「ごめんね」と言っていたけれど 頭に血が昇ったぼくは怒鳴ってしまった 「誰の金で大学行けてると思ってんだ!  働いてないくせに偉そうなこと言うな!」 まさか自分の口からこんな言葉が 出てくるなんて想像もしていなかった 妹は「頼んでないから!」と言って そのまま家を出て行ってしまった あの日の父のように 妹には進学してほしかった でもそれはあくまでエゴだと 頭ではわかっているつもりだった だが実際は心の奥底でずっと 考えてしまうことがあった なんでぼくばっかり 我慢しなくちゃいけないんだ 体が悪くなってきた母の代わりに 進学を諦めて働いて必死に稼いで 家賃も学費もほとんどぼくが払って だから全然自分の手元に残らなくて 高校の友達は大学で遊んでいるのに 金も時間もぼくにあるわけがなくて なのに愚痴すら言っちゃダメなのか 大学で遊んでいるだけのくせに その日から母と二人の時間が増え 父への愚痴はエスカレートしていった 母も一緒になって怒ってくれたが 矛先が妹へ向かうと歯切れが悪くなった 子供を悪く言いたくない気持ちは分かる でもぼくだってあんた達の子供だろうと 怒りは母にも向かうようになった 次第に自分が何の為に働いているのか わからなくなっていった そうしてある日の朝のことだ いつも通りに朝食を食べて いつも通りにスーツに着替え いつも通りの時間に家を出て ふと玄関先で立ち止まった このまま消えてしまいたいと思った 家賃のことも学費のことも 全部忘れて居なくなったら 自由になれるだろうかと考えた あの日の父も同じ想いでぼくらの前から 消えたのかもしれないと思った その日からぼくは家を出るたびに 毎日同じことを考えるようになった 父はいつもこんな想いで 仕事へ向かっていたのだろうか それに父はぼくと違って 愚痴なんか全然言わなかった 仕事の愚痴も家族の愚痴も 父から聞いたことはなかった そんな父に甘えていただけの ぼくもまた能天気な学生だった そうして年の終わりが近づく頃 仕事から帰ってきたぼくは 一人リビングで腰を下ろした 妹は相変わらず帰っておらず 母はパートが長引いているのだろう 夕飯でも作って帰りを待とう そう思ったが立ち上がれなかった 働かない頭でスマホを取り出して 無心でパズルゲームをする 高校生の頃はアニメや漫画が好きだったが 今ではそれらを楽しむ気力すら無かった 楽しみなんてなにもない 生きる為に生きる日々に疲れていた スマホゲームにも飽きてドアを眺める 明日こそ本当にあのドアを出たら そのままどこかへ消えてしまおう そう思っていたときだった ドアが開くと同時に声が聞こえた 「お兄ちゃんただいま!」 玄関から入ってきたのは母と妹だった 状況がわからずにオドオドとしていると 妹が「勤労感謝の日!」とぼくの肩を叩いた 二人は外で買ってきてくれたのであろう 普段は買わない高そうな惣菜をテーブルに並べた なにやら恥ずかしそうにしている妹の肩を 母がニヤつきながら後押しするように叩いた 「この子ね、バイトのお金貯めてるのよ。  お兄ちゃんに学費返したいんだって!」 「ひ、一人暮らしするために貯めてたの!」 ああ、なんだろうこの感じ とても久しぶりな気がする 「お兄ちゃんに借り作りたくないし。  って言っても作りっぱなしなんだけど」 借りなんて思わなくていい 返す必要だってない 今なら心の底からそう思えて さっきまで近くに感じていたドアが 今はずっと遠くにある気がした 「いつもありがとう、お兄ちゃん」 ぼくと母はビール、妹はコーラで 三人の缶を合わせて乾杯した ビールを一気に喉に流し込むと 途端に視界がボヤけた 「な、なんで泣く!?お兄ちゃん!?」 「ああ、なんかお母さんも泣けてきた」 『ありがとう』 たったそれだけの言葉で 全てが報われた気がした 同時にそんなことですら 満足に言えていなかった 父への後悔が押し寄せてきた 「もっと、早く。ちゃんと。  父さんにも言えばよかった」 ぼくらの後悔の涙は遅過ぎたし 父に届くことはもう二度とない 帰ってきてなんて都合が良過ぎるし 謝ることすら今の父には迷惑だろう だからぼくは涙を拭きながら ドアの向こう側へ向けて呟いた こんな当たり前の言葉すら ちゃんと言えていただろうか 「行ってらっしゃい」

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