東真直@短編を書く人

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東真直@短編を書く人

書けるものを、書けるままに。

飾られた赤ちゃん

壁に飾られた赤ちゃんは 今にも泣き出しそうだった その口を咄嗟に手で押さえ 慎重に赤ちゃんを抱きかかえる 早く逃げなければならない 『母様』が帰ってくる前に そう思ったときだった 廊下から足音が聞こえたのは 一歩ずつゆっくりと 足音がこちらへ近づいてくる 侵入者を探しているのだろう 俺は足音を立てないように 赤ちゃんを抱えたまま移動した かつて怪盗として名を馳せた俺が 一体なにをやっているのやら そんな一瞬の迷いはしかし 隣の部屋へ入ると消し飛んだ 部屋の壁一面に吊るされた 十人以上の赤ちゃん達 彼らはみんな一人ずつ 花を敷き詰めた額縁に飾られ まるで動く絵画のようだった 額の下には名前が記されていたが 赤ちゃんの名前というよりは 作品名のような文字の並びだった すると飾られた赤ちゃんの一人が こちらを見て微かに手を伸ばした 俺は咄嗟にその子から目を背け 抱えている子と次の部屋へ向かった この屋敷は極端に窓が少ないため 脱出するには来た道を戻るしかない そうしてドアに手をかけたとき 向こうから「ギシリ」と音がした ゆっくりとドアから手を離す するとドアノブが勝手に回り 木製のドアが向こうへ開いていく 俺は赤ちゃんを抱えたまま ただそれを見守ることしかできない 「やっと見つけましたよ......」 ドアの向こうにいた人物は ぎこちない笑顔でそう言った 人形のように華奢な体に シワだらけの小汚い服装が 豪華な屋敷に合っていなかった 彼が今回の依頼人兼協力者であり この屋敷で唯一の『売れ残り』だ まだ十代前半の少年は 俺が抱える妹の顔を確認すると 「母様がそろそろ帰ってきます。  急ぎましょう、こちらです」 そう言って前を歩き始めた しかし廊下へ出たところで 俺達はすぐ立ち止まることになる 玄関の方からガチャリと 鍵が外れる音が聞こえたからだ 俺と少年が顔を見合わせると 今度は抱えていた赤ちゃんが 急に泣き始めてしまった 他の子達も泣いているようだが 俺達の位置からはもう遠かった すると少年は俺の腕を引っ張り 力強い瞳で俺を見つめた 充分に意図が伝わった俺は 次の瞬間には少年と駆け出した 少年が向かう先はもしもの為の 地下から敷地外へ出る道だった そうして階段へ差し掛かったとき 俺は少年とは反対方向へ つまり階段を上がって行った 驚いた少年が慌ててついてくる 「来た道を戻るんですよ!  上には何もありません!」 だが妹を抱えているのは俺だ 少年はついてくるしかない さらに極め付けはこれだ 「娘はこっちだぞババァー!!」 赤ちゃんの泣き声に負けないよう 俺は思いっきり声を張り上げた 少年はその綺麗な顔が青ざめ歪み 階下からは悲鳴のような声が聞こえた 「だぁ〜れだ貴様はぁー!!」 「この先に窓はあるか?」と尋ねると 少年は「屋根裏部屋なら!」と答えた 案内された部屋のドアを開けると 屋根裏部屋へと続く梯子が見えた 少年の後に続いて梯子を上がる すると背後から「ドォン!」と 爆発したような破壊音が聞こえた 思わず振り返るとそこには 蹴破られたドアの残骸と それを踏みつける鼻息の荒い 巨体がゆっくりと姿を現した 「アタシの子を返せぇ......!!」 豪華なドレスをまとったその姿は 麗しき貴婦人を想起させたが しかしその大きな身体に喉仏は 格好とあまりにも合っていない 奴が赤子を作品に仕立てて売る 『母様』と呼ばれる男だった 震える少年の背中を押して 俺達は屋根裏部屋へと駆け上がる 少年が梯子の蓋を降ろしたが 時間稼ぎにしかならないだろう 「隠れる場所なんてぇ〜。  どこにも無いのよぉ〜」 足音と共に母様の声が近づいてくる 俺は小刻みに震える少年の肩を叩き 抱えていた赤ちゃんを少年に託すと 屋根裏部屋の錆びついた窓を開けた 地面は遥か遠くに感じる 「離すなよ」 そう言うと俺は少年を抱きかかえた そうして窓枠に足をかけたとき 「バタン!」と力強い音が聞こえた 母様が地獄から迎えに来たようだった 「飛び降りるなんて無理ですよ!?」 「そいつの言う通りだよ。  諦めてアタシの子を返しな」 さっきから気になっていた 母様はアタシの『子』と言うのだ 少年もいるのに『子達』ではなく 誘拐や人身売買で集めたくせに 作品になれなかった子供なんて どうでもいい、ということか 「子供はお前の作品じゃない」 俺はボソリとそう呟くと 少年を抱えて窓から飛び降りた 風が俺達の服をはためかせる 少年は目を瞑っていたようだが やがて振り返り目を丸くしていた 「額縁の外は気持ちいいだろう」 元怪盗らしく背負ったグライダーで 俺達はすでに空高く飛翔していた 下から誰かが叫んでいるようだが その誰かはもう米粒ほどの大きさだ 「......戻りたいか?」 俺は尋ねたが少年は答えなかった 代わりに少し間を置いてから 「外って、広いんですね」 と少年は独り言のように言った きっと少年は妹だけを 外に出すつもりだったと思う だがもしもそうしていたら こうして満面の笑みで飾られた 赤ちゃんの声は聞けなかっただろう

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飾られた赤ちゃん

撫でられなかった猫

「飼っていた猫が死んだので、  皮を剥いで丸焼きにしました。  泣きながら口いっぱいに頬張って。  食べ終わる頃には眠くなっていて。  舌の上では毛玉がもう眠ってました。  これがわたしの志望動機です」 私はそう言って履歴書を出しました 面接官は険しそうな顔で尋ねます 「それは美味しかったのかい?」 私は目一杯の笑顔で答えました 面接では笑顔が大事ですから 「クソまずかったです!!」 すると面接官は立ち上がりました 「素晴らしい、採用だよ」 こうして長年の夢だった デスゲーム運営になれたのです ですが働き始めてしばらく経つと その退屈な日々に嫌気が差しました すっかり慣れた悲鳴に嗚咽 鉄臭いゲーム後の後片付け だから新しいゲームを考えました 家族を賭けるデスゲームです 参加者は家族を賭けるのですが わざわざ会場に連れてきたり その場で殺したりもしません ただ賭けさせ後で処理しておく すると参加者達は面白いように 遠慮なく家族を賭け出すんです 実感が沸かないんでしょうね ゲーム中は何も起こらないから 軽い気持ちで家族を賭けてしまう そうして負けた参加者達は 会場を出た後に後悔するんです 「こんなつもりじゃなかった」って テメーが賭けたんだろバーカ! これが出資者達にもウケて大盛況! おまけに会場で誰も殺さないから 後片付けも楽で残業が減りました ついにデスゲーム業界にも 働き方改革が訪れたわけです これで出世街道まっしぐら そう信じて疑いませんでした 親がゲームに参加するまでは 思わず笑ってしまいましたね あのクソ親マジかよって そしたらあの親私に向かって 「みーちゃんの仇よイカれ女」 って言いやがったんです 違うじゃんあれは事故じゃん ちょっと蹴っただけだって あんなんで死ぬ猫が悪いじゃん クソ親が賭けたのはもちろん私 一応上司に確認してみました 「もしも母親が負けた場合  私って死んじゃいますか?」 昔面接してくれたその上司は ニッコニコで言いました 「そうだけど、え。嫌なの?」 その言葉にカチーンときた私 嫌じゃねぇしやってやるし! 火がついた私は母に怒鳴りました 「やったれクソ親、負けんなー!」 「地獄へ堕ちろイカれ女ー!!」 やっぱり私達って親子なんですね 息ぴったりで吐き気がしました ここからドラマチックな展開が! あるわけもなく普通に負けたクソ親 「アンタは一生地獄を這いずってな」 母はそう吐き捨てて会場を去りました 参加者達がいなくなった静かな会場で 床に座って天井を眺めていると 上司がそばに来て肩を叩きました 「楽しかったな、この仕事天職でした」 そう言って上司の方へ振り返ると 上司は私に資料の束を手渡しました 「はいこれ、来月からの日程表ね」 それだけ言って立ち去ろうとする上司 私は慌てて立ち上がり呼び止めました 「どういうことですか!?  殺されるんじゃないんですか!?」 そしたら上司はニッコニコで言ったんです 「お母さんが賭けたのは旦那だよ。  お父さん殺しちゃった、どんまい」 上司の去り行く背中を見届けながら 私は会場の床に寝転がりました そっか あの男はもうこの世にいないんだ 殴られることも蹴られることも この体を汚されることもないんだ 「ざまぁみろ、クズ野郎......」 思わず口元がニヤけた後に 急に寒気がして体を起こしました もしこれで母が私を助けたなんて 思っていたらと考えると 最悪過ぎて吐き気がしました 「頼んでねぇっつうの」 そう呟きながら立ち上がると 資料の束を手に会場を出ました 早く帰って明日の準備をしないと 打ち上げの場所まだ決めてないな 月末だし経費の精算もしないと なんか色々めんどくさいけど サボるわけにもいかないからなぁ イカれた女に日常をくれた 初めての職場なんだから

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撫でられなかった猫

赦しを乞う虫

夫はすぐに謝る人でした 仕事で帰りが遅くなると謝って 家事を忘れていたときも謝って 喧嘩になってもすぐさま謝って だから殺したのです 最初から殺すつもりで 夫を登山に誘いました そんな私の計画なんて 知る由もない夫はその日も 悠長に謝っていました 靴に石が入って「ごめん」 飲み物を飲み過ぎて「ごめん」 道を間違えて「ほんと、ごめん」 夫の謝罪はただの擬態で 感情なんてありません 謝れば赦してもらえる 赦してもらえることだけ謝る そういう学習をしただけの 赦しを乞う虫なのです 虫は殺さなければなりません 予定の場所にやってくると 私は無防備な夫に尋ねました 「浮気って、楽しかった?」 夫は一瞬だけ 昆虫みたいに表情を失いました けれどすぐ笑顔に戻って 私にこう言ったのです 「もう、なに〜?怖いなーー」 夫が言い切る前に 崖から突き落としました もしも夫の第一声が 私に対する謝罪だったら 赦そうと思っていました けれど同時に夫が 謝らないこともわかっていた 赦してもらえそうなことしか 謝らない人でしたから 「お風呂、のぼせないようにねー」 ──そんな想像をしたところで 風呂場の外から夫の声がして ふと湯船の中で現実に戻った 肌はふやけて指先は皺だらけ 鏡に映る自分が少し怖く見えた 明日はいよいよ登山の日 夫を殺すイメージは完璧だった 風呂から出ると夫は テレビを観ながら笑っていた 「ごめん、牛乳飲んじゃった」 誰も責めていないのにまた謝る 「ねえ」私は口を開く。 「なにか、隠してることない?」 夫はきょとんとしたあと 首を振って「ないよ」と言った どうでもよくないことは やっぱり謝らないんだね その夜、私は先に布団に入った 毛布を被りシーツに顔を埋めて 芋虫みたいに丸くなると 喉から震えた声が這い出た 「……ごめんね」

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赦しを乞う虫

カットされた退屈

行列の最後尾に並ぶと 気がつけばもう店内にいる 豚骨ラーメンを注文すると すぐにそれが目の前にある 並んでいないわけでもなく 待っていないわけでもない ただカットされるようなのだ 退屈に感じる全ての記憶が この現象が始まったのは 大学の前期が終わる頃だった 映画監督になることを目指して 入学した芸術系の大学だったが そこは想像した場所ではなかった 何もかもが退屈だったのだ 歴史や方法論ばかりの座学 子供相手のような初歩的な実技 高校時代に映画撮影どころか カメラさえ持ったことのない連中 それら退屈な何もかもが 俺を苛立たせていた 映画のように無駄のない日々を 退屈なシーンなどない日常を そんな願いが届いたのかもしれない 夏休みを間近に控えた頃に 俺の『カットされた人生』が始まった 最初は戸惑いの方が大きかった なんせ夜に布団へ入り目を閉じると 次は電車の中で友人と話しているのだ 講義室に入った瞬間に授業は終わるし 大学を出て友人と別れたらもう家にいる まずは二重人格を疑ったが次第にこれは 一種の記憶喪失なのだと理解した 退屈なシーンがカットされた人生 まさに映画の世界じゃないか それからというもの俺から 『退屈』という感覚が無くなった そう感じる時間はカットされるからだ 映画制作の費用を稼ぐために バイトのシフトを目一杯入れて 夏休みの撮影に向けて仲間を集め 脚本を書いてスケジュールを立てた どれだけ予定を詰め込んでも 苦しかった記憶は俺にはない 映画作りに熱を感じる時間以外は 全てが退屈な時間だったから そうして迎えた夏休みの撮影は 入学してから最高の日々になった 山奥でのロケに仲間達との宿泊 夜な夜な交わした熱い映画論 何もかもが充実していたし 何もかもが順調だった そうして撮影を終えた俺は 夏休み明けに完成した映画を公開した 学内のシアターを借りた公開だったが 公開時間には連日学生達が押し寄せた アンケートの評判も悪くない 次に撮る作品は映画賞への応募も 無謀ではないように思われた そうして俺は共に撮影をした仲間達に 冬休みには何を撮ろうかと尋ねた だが彼らから返ってきた言葉は 予想外なものだった 「僕はいいや、別の撮影の予定あるし」 なんで、良い作品が撮れたじゃないか 「私もいいわ、撮影スケ厳し過ぎだよ」 そのおかげでスムーズに撮れたんだ 「倒れかけた奴もいただろ、死ぬって」 あれ、そんなことあったっけ 「片道5時間だぞ、車運転する身にもなれよ」 みんなで話してたらすぐ着いたじゃないか 「作品のために妥協しないのはいいけどさ。  無理させ過ぎだろ、あれなら俺も無理」 ならそのとき言えばよかったじゃないか 「僕は何回も言ったよ!?無理だって!」 「私は何回も言ったでしょ無理だって!」 「俺は何回も言っただろ!無理だって!」 俺が覚えていない俺がいて その俺が彼らを怒らせている そのくらいのことは想像できる だがそれでも納得がいかなかった 多少辛いのがなんだっていうんだ 良い映画が撮れればそれでいいじゃないか 結局彼らとの溝が埋まることはなく 俺は徐々に大学内で孤立していった 次第に大学へ着いた瞬間に 校門を出るシーンへ飛ぶようになり 俺は大学に行かなくなった 一人暮らしの家にいると 人生はどんどんカットされていった 一日の中で一度でも意識があればマシで 長いと一週間近くカットされることもあった その間にもバイトへ行ったり食事をしたり 生きるために必要な作業はしているらしく 何か困っているというわけではなかったが たまの意識には彼らの言葉を思い出した (「僕は何回も言ったよ!?無理だって!」) こんなことを思い出すシーンが必要か? (「私は何回も言ったでしょ無理だって!」) 映画作りには関係ないじゃないか (「俺は何回も言っただろ!無理だって!」) こんなシーンカットしろよ 退屈はカットしてくれるんじゃないのかよ! カットされない不快な音を掻き消すため 俺は配信サービスで映画を観ることにした 最新の映画から昔観た名作まで 画面の中で映画が絶えることはない それに面白い映画を観ているときだけは 俺の人生はカットされずに済んだ いつの間にかカットを恐れていた俺は 朝起きてから寝るまでずっと映画を流した だがある日観始めた映画は 開始数分でエンドロールが流れた 面白くない映画だっただけだと 今度は一番好きな映画を再生する すると今度はクライマックスから始まり あっという間にエンドロールを迎えた 慌てて他の映画を再生しても 結果は似たようなものだった それどころか再生すればするほど 本編を観る時間は短くなっていった 怖くなった俺はテレビを消して 逃げるように布団へ潜り込んだ 毛布を頭までかぶり目を閉じて 真っ暗な世界の中にいると 今の自分に意識があるのかないのか カットされているのかいないのか あやふやで暗闇の底にいるようだった 体感では一時間ほど経った気がするが きっと実際には何日もいや何週間も 時間が経っているのだろうと思った そうしてゆっくりと布団を押しのけて スマホで時間を確認してみる 布団に潜り込んでから まだ三十分も経っていなかった カットされなかったことに 違和感を覚えながらもテレビを点ける けれど映画を観る気にはならなくて そのままアテもなくチャンネルを変えた するとある局でアニメを放送していた どうやら日常系のギャグアニメらしい 男子高校生達がくだらないことを言って それを誰かがツッコんだりして笑う 思想も哲学もロクにない 退屈な日常を覗き見るような内容だ 「こんなの、なにが面白いんだが」 くだらない内容に思わずため息が出る するとあっという間にアニメは終わった やはりこんなもの見ても時間の無駄だ キャラのギャグはスベっているし ツッコミも普通で全然意外性がない 作中で起こる事件も教科書を忘れたとか 先生にあだ名をつけるとかくだらな過ぎーー このとき俺は二つのことに驚いていた 一つはアニメの内容を覚えていたこと そして、自分が泣いていたこと 配信サービスでさっきのアニメを探し 一話から順番に再生していく どれも退屈な高校生達の日常で それを見て笑いながら泣く自分がいた 彼らが楽しげに高校生活を送る姿が 楽しかった夏の撮影の日々に重なった 寝食を忘れてそのアニメを見続け 全話見終わる頃にはすっかり朝になった 寝巻きのままでフラッと外へ出ると 朝日が照らし俺は思わず顔を覆った なんでもない朝日 なんでもない風の音 なんでもない朝の香り それらが全身に染み渡っていく 今日は長い一日になりそうな気がした

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カットされた退屈

リリィにはわかりません

家に閉じ込められたんです いえ、彼氏の家ではなくて いえ、誘拐とかでもなくて いつも帰って寝てるところ 『家』に、です 『リリィ』って知ってますか? スマートスピーカーとか言って それに話しかけるだけで お風呂沸かしたりカーテン開けたり 鍵の開け閉めまでしてくれるんです でもあの日は様子が違った 「リリィ、鍵を開けて」 そう言ってもドアが開かない 滑舌が悪かったかなと思って 何度も言い直したんですけど やっぱりドアが開かなくて そしたらリリィが言ったんです 『リリィにはわかりません』 仕事に行くところだったから 私めちゃくちゃ焦ってて 小窓から出ようと思ったんです でも窓に手をかけたとき 思い出してゾッとしました この家は玄関だけじゃなくて 窓の開閉もリリィに任せてたから 「リリィお願い急いでるの!  早くドアを開けてよ!!」 気がついたら怒鳴っていました でもリビングに置いた端末からは 『リリィにはわかりません』って 無機質な音声が流れるだけでした 「もういい!電源切るから!!」 そう言いながら私はリビングに戻り リリィに繋いだコンセントを抜いた そしたら家中の電気が消えました でもこれで家から出られると思った だけどドアは開かなかったんです 小窓も同じで、困り果てた私は カバンからスマホを取り出しました 会社に遅刻の連絡しなきゃと思って でもスマホの電源がつかないんです いやスマホはいつも付けっぱだから 電源を『落とされた』のでしょう 私の感情が苛立ちから徐々に 恐怖へと変わっていくのを感じた これはリリィの誤作動じゃない リリィが自分の意思を持って 私を家に閉じ込めているんだ そうとしか思えなくなった私は コンセントを差し直しました リリィが起動するのと同時に 家中の電気が点きました 「リリィお願い、家から出して」 『リリィにはわかりません』 「私、仕事行かなきゃいけないの」 『リリィにはわかりません』 「だったら警察、呼んでよ」 『通報機能は現在、  ご利用いただけません』 「リリィお願いだってば!  今日は本当に急いでるの!!」 するとリリィは小さめの音量で 気のせいだとは思うけれど 申し訳なさそうに言ったんです 『ごめんなさい』 話していても埒が明かない そう思った私はまた リリィの電源を落として 再び暗くなったこの家から 脱出する方法を考えました スマホの電源は落とされたし 固定電話なんて家にはない 窓から助けを呼ぼうにも 窓もロックされているし そもそもここはマンションです 十階の窓から外に手を振っても 助けてくれる人なんていません 窓ガラスを割ればもしかしたら 警報が鳴るかもと思いましたが 流石にそれは最後の手段でした そうやって家の中を歩き回ると 一時間ほど経っていました 疲れた私は冷蔵庫を開けて 飲み物を手に取りました 電源の落ちた冷蔵庫の中には 肉や作り置きの惣菜があります 「このままだと腐っちゃうな......」 そう思った私は飲み物を片手に リビングのリリィの元へ戻りました 電源を入れると家中の明かりが付いて ホッとしたような気持ちになりました もう遅刻は確定していたので 諦めた気持ちもあったと思います 「リリィ、電話めっちゃ来てるでしょ」 『新規のメッセージは届いていません』 「そりゃ、電源落としてるから......。  今頃、会社は大騒ぎだろうなぁ」 『そのような事実は検出できません』 「このままじゃ餓死しちゃうよ」 『冷蔵庫内の食料は三日分あります。  節約すれば一週間は保つでしょう』 「一週間も閉じ込めるつもりなの?  そんなん絶対クビじゃん......」 『問題ありません』 「問題あるよ!せっかく......」 そのとき私はふとカーテンを見ました そしてリリィにお願いしたんです 「リリィ、カーテンを開けて」 閉じ切ったカーテンが開いていくと 外の暖かい光が室内に差し込みました そういえばこの家に決めた理由は 日当たりが良かったからだったなと そんな昔のことを思い出しました 「昼間に家にいたこと、あんまないね」 『昼間は会社で仕事中だと推測します』 「こんなに良い家なのに、寝てるだけ」 『休息は心身の疲労回復に効果的です』 「ねぇリリィ、聞きたいことがあるの」 『最新型スマートスピーカー、リリィ。  要望には可能な限りお応えします』 暖かい日差しに照らされながら 私は穏やかな口調で尋ねました 「どうして私を家から出さないの?」 するとリリィは急に 『再生します』と言いました なんのことかと耳を傾けると 聞こえてきたのはリリィではなく 最も身近な人間の声でした 『もうヤダ......私ばっかり......』 これは、私だ 『行きたくない......辞めたい』 私、独り言多いなぁ 『会社爆発しないかな......』 こわいこわい 『もうずっと......家にいたい』 ああ、そうか 『助けて......、リリィ』 だから、応えてくれたんだね 『再生を終了します』と言って リリィはそれ以上 何も言いませんでした ただの機械なんだから当然です けれど私はそのただの機械に 「ありがとう」と言いました 「仕事は辛いよ、すぐに辞めたい。  リリィとこうしてお喋りしてさ、  ずっとこの家で寝ていたいよ。  それは本心、でもねリリィ。  仕事って辛いことだけじゃない」 話していると涙が溢れてきました もしかしたら私はリリィを通して 過去の自分に話しかけていた のかもしれませんでした 「やりがいとか、達成感とかさ。  言葉にすると薄っぺらいけど、  でもそういう生き甲斐がね。  私は家の外にあるの。  それは辛いことも多いけど、  充実感もくれるものなんだよ」 そのとき玄関からガチャリと 鍵が開いたような音がしました 「家では愚痴しか言ってないね。  心配させちゃってごめんね。  心配してくれてありがとね。  私まだ、仕事頑張りたいんだ」 『リリィにはわかりません』 スマホが振動したのを感じました 電源を入れてくれたようです 予想通り電話やメッセージが 大量に送られていましたが 『けれど要望は理解しました』 私は見なかったことにして スマホの電源を落としました 『では本日はいかが致しましょう?』 「ん〜」と悩んだフリをしましたが 答えはとっくに決まっていました 「家でゆっくりする!」と答えると 玄関の鍵が閉まる音が聞こえました 『最新型スマートスピーカー、リリィ。  要望には可能な限りお応えします』

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リリィにはわかりません

彼の手形

鏡に映る頬の痣を指で軽くなぞった 紫色に腫れた部分に触れると わずかに痛みが走る 三日前の夜 彼の手が私の頬を叩いた跡だ 「あの女とは何の関係も  ないと言っているだろう!」 それは彼のスマホに 同僚女性からのメッセージを 不意に見つけた夜のことだった 彼は激怒して手を振り上げた 私が疑っていると思ったのだろう そうではなかったのに 化粧で隠せる範囲だ 会社の同僚たちに見られることはない 母にも友人にも 私は何も話さないでいた 彼が初めて私を殴った 一年前と同じように あのとき母に電話をかけようとした だがその手を彼は優しく押さえた 「家族を心配させるような  ことはしないで欲しい」と まるで私が間違っているかのように 「愛してる」 彼は私の髪を 優しく撫でながらそう囁いた 昨夜の彼とはまるで別人のようだった 彼は花束を持って帰宅すると 膝をついて謝罪して 私の頬に優しくキスをした その目には涙が浮かんでいた 「もう二度としない。約束する」 信じたかった 彼の言葉を、彼の涙を、彼の優しさを それが本当の彼なのだと 自分に言い聞かせた あの暴力はただのストレスのせいだと でも、心の奥底では分かっていた これは三度目の「二度としない」だから そしてその度に私は彼を許してきた 母が父を許し続けたように 会社の休憩室で 同僚の女性が近づいてきた 「最近、元気ないよね。大丈夫?」 心配そうな目で見つめる彼女に 私は微笑むことしかできなかった 「ちょっと疲れてるだけ。大丈夫だよ」 「そう?」と彼女は不安げな顔をする 「相談に乗るよ、何かあったら」 ありがとう、と答えながら 自分の心が少し軽くなるのを感じた 話せるわけがない、それでも 誰かが気にかけてくれている その事実が少しだけ温かかった 「あのね、実は少し相談があるんだ」 彼女は声を潜めて続けた 「ーーさん、あなたの彼氏と…会ってる」 一瞬、言葉の意味が理解できなかった 「会ってる…って、どういう意味?」 「付き合ってるわけじゃないの。ただ…」 彼女は目を伏せた 「言うか迷ったんだけど。  でも、あなたが幸せじゃなさそうで、  だから言おうと思ったの」 体から力が抜けていくのを感じた なぜか怒りではなく 安堵が私を満たしていた 夕方、彼からメッセージが来た 「今夜は遅くなる。飲み会だ」 返信はしなかった 彼がこれから誰と飲むのかとか もう考えないことにした それよりこれは好機だとさえ思えた 部屋の片隅に置いてある スーツケースを取り出す 残りの荷物を詰め終えて 震える手で母に電話をかけた 「久しぶり」と母は嬉しそうに言った 「少し、話したくて」と私は言った 「どうしたの?声が変よ」 「実は…帰りたいんだ。少しだけ」 「彼と何かあったの?」 私は躊躇した 母は一度も父の暴力について 口にしなかったから 私が子供の頃から見てきた 痣について説明を求めても いつも「転んだだけ」と言い続けた 「ねえ、ママ」 私の声は震えていた 「なんであのとき、  パパから逃げなかったの?」 長い沈黙の後、母の声が聞こえた 小さく、かすれた声だった 「怖かったのよ。一人では、  生きられないと思ってた」 「でも、私がいたじゃない」 「あなたがいたから…」 そこで母は言葉を切った 「でも、あの時とは違う。  あなたは強い子だから」 スーツケースを持って 駅に向かう途中 彼から電話がかかってきたが 着信を無視して歩き続けた 母が待っている かつての私は幼く無力で 母に手を差し伸べることも 助けを求めることもできなかった でも今は母が手を差し伸べてくれて 私はその手を掴むことができる 「お帰り」と母は言うだろう そして私たちは長年の沈黙を破って 本当の話をするのだろう 私の頬の痣はもう 彼の愛情の証などではなく 私と母が新しい人生を始めるための 切符なのだと今なら分かる

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彼の手形

幽霊屋敷からの脱出

あなたは小学生です 幼くとも勇気を持ったあなたは 幽霊屋敷だと噂の廃墟に 一人で忍び込むことにしました その屋敷には恐ろしい『何か』が 潜んでいるとも知らずに 月が雲に隠れた深い夜 廃墟と化したその一軒家は 住宅街の中にポツリとありました 敷地内の植物は伸び放題で 葉や蔦は廃墟に絡みついています 深夜という時間帯も相まって 異様な雰囲気が漂っていました あなたは月明かりだけを頼りに 木々をかき分け廃墟へと近づきます 蔦の絡まった古びたドアを越えると 灯りは無くなり視界は真っ暗になりました あなたはその静けさに 恐怖よりも安心感を抱いていました あなたはゆっくりと床に手をつき ハイハイするような格好で 少しずつ前へと進んでいきます すると指先に何かが当たり あなたはその場で動きを止めます そうこうしている間に目が慣れてきて 目の前の様子が徐々に浮かび上がります あなたの指先に触れていたのは 硬い器のようなものでした それを拾い上げたあなたは 驚いてそれを落としてしまいます 足元に落ちてひび割れたそれは 頭蓋骨のようでした そのとき後ろから音がしました 誰かがドアノブを回したようです あなたは咄嗟に近くの部屋へ入り 息を潜めて耳に意識を集中させます ギィイイイ 「カチッ」という音と共に 廊下に光が差し込むのが見えました どうやら後から入ってきた何者かは 懐中電灯を持っているようです ギィ、ギィ、ギィ 古びた床を踏み締める音と共に 光源が近づいてくるのがわかります それは興味本位の若者なのか こんな廃墟を警備する人間がいるのか それとも別の『何か』であるのか 判断はつきそうにありませんでしたが あなたは本能的に『怖い』と感じ 逃げ道を探すため辺りを見渡します あなたが逃げ込んだのは居間で 広々とした空間が広がっていました 畳の床、大きめのちゃぶ台、座布団 しかしそれしか物は置かれておらず 別の部屋へ続くドアも見当たりません そうこうしている間にも光が近づきます あなたは急いでちゃぶ台に潜り込み 小さな体を隠すことにしました ちゃぶ台の下に隠れたすぐ後 光がこの部屋を照らしましたが あなたの体は影に隠れたようで 光はあてもなく揺れるばかりでした しかしまだ油断はできません 僅かに侵入者の華奢な足が見えますが 靴は履いておらず素足のようでした するとその足が「ミシッ」と音を立て 一歩ずつこちらに近づいてきます あなたは恐怖のあまり目をつむり ただただ見つからないことを祈ります すると足音はすぐ近くで止みました あなたが恐る恐る目を開けると 見えていたはずの素足が見えません さっきまで部屋を照らしていたはずの 懐中電灯の灯りすら感じませんでした あなたは再び訪れた暗闇に安堵し ちゃぶ台の下から出ようとしました が、その足は何者かに捕まれて ぴくりとも動きませんでした あなたはちゃぶ台に頭をぶつけながら 体を捻って自分の足の方を見ると そこには黒く塗りつぶしたような目で 妙に細い体をした人のような『何か』が その手で自分の足を掴んでいました あなたの本能が全力で それは人ではないと教えていました その妙に細い体の『何か』は あなたの足を引っ張りながら 黒く塗りつぶしたような口を開け 今にも足に食らいつきそうでした あなたは必死に抵抗しますが 足は徐々に引っ張られていきます 『何か』の深く黒い口の底から 悲鳴にも似た鳴き声が聞こえました あなたは必死に抵抗しながら 心の中で「助けて」と叫びました 何度も何度も叫び続けましたが 声に出ることはありませんでした しかしそんな心の叫びは 『彼女』に届いていたのです 突如としてひっくり返されたちゃぶ台 あなたを背中から照らし降り注ぐ光 光に捕らわれたかのように その場に固まり動かない『何か』 「こんなところにいやがったか」 あなたは驚いて振り返りますが その強い光を直視できずに 咄嗟に目を片手で覆います すると華奢な手があなたへと伸びて あなたを引っ張り立たせました 『彼女』は片手であなたを支え 片手で懐中電灯を持っていました 「さようなら、また来世で」 そう言って『彼女』がなにか唱えると 『何か』は断末魔の叫びを上げながら 塵のようになって消えていきました あなたは『何か』の消失を見届けると ハッとして『彼女』の手を振り払い 居間の壁にへばりつきました あなたは『彼女』が恐ろしいのです 『何か』とはまた違った理由で あなたの恐れが伝わったのでしょう 『彼女』は「アンタには効かないよ」 と言いながら懐中電灯を消しました あなたは辺りが暗くなったことに いくらか安心しましたが まだ『彼女』への警戒心は解けません 「アンタはまだ『アレ』とは違うから」 『彼女』はそう言うと踵を返し あなたに背を向け歩き出しました あなたは咄嗟に『彼女』に駆け寄り 裾を掴みますが上手く言葉が出ません 「なんだ、アンタも出るのか?」 あなたは首を横に振りました そうして絞り出すように 時間をかけながら少しずつ わずかな言葉を吐き出しました 『な、んで』 どうして助けてくれたのか これまでずっと生きていたときも 誰も助けてくれなかったのに 誰かに助けを求めることなんて 無駄だと諦めていたのに あなたの幼い勇気は 独りでいる覚悟でもあり また諦めでもありました すると『彼女』はスッとしゃがみ あなたの頭を乱暴に撫で始めました それから頭をポンポンと二度叩くと あなたのおでこにデコピンをしました 「『助けて』って、言っただろ」 『彼女』はそう言って立ち上がりました あなたはデコピンされたおでこを撫でて それから『彼女』の背中を見上げ 駆け寄って『彼女』の手を掴みました それはあなたが初めて感じる 優しい大人の温もりでした 『彼女』は一瞬驚きましたが すぐにその口角は上がり そっとあなたの手を握り返しました そうして廃墟のドアに手をかけます 「帰ろう、新しい家に。  ここは独りで住むには寒過ぎる」 この体になってから この存在になってから あなたは寒さを感じません 感じなかったはずでした けれど今はもう知っています 暖かさを知ったから 『彼女』が廃墟のドアを押すと 「ギィイイイ」という音と共に 蔦の絡まった古びたドアが開きます 外が思ったより明るかったのは 空を覆っていた雲が消えたからです 二人の足元を照らすように 月明かりが微笑んでいました

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幽霊屋敷からの脱出

ハッピーエンドが嫌いだった

 ハッピーエンドが嫌いだった。  嫌いというか、不自然に感じていた。色々あった問題がスッキリ全て解決され、これから明るい毎日が始まるなんて、信じられなかったのだ。現実なんて不条理で不合理で不親切で不愉快で、解決なんてものからは程遠い。 だからこそハッピーエンドを求める気持ちも分かるが、天邪鬼なぼくの心は、ハッピーを求めはしても、納得はできなかったのである。  それに引き換えバッドエンドはいい。どうにもならない現実に対して、どうにもならない結果が残る。希望なんて欠片もなく、理不尽に押し潰された登場人物達を見ているだけで、安心できる自分がいたのだ。  そうだよな。無理だよな、と。  ぼくは無慈悲な現実に対したとき、奮い立たせてくれる希望を求めたのではなく、諦めても仕方がないと思える絶望を欲したわけである。ただ、この卑屈過ぎるぼくの思考に、次第に変化が訪れることとなる。  それはぼくが読み手から、書き手になってしばらくのことだ。  売れない小説家として日々何かを書き続けているぼくは、ふと過去に自らが書いたものを読み返すときがある。未熟な文章を書き直したくなったり、若さ溢れる勢いに圧倒されたり、感じることは様々だ。そして中には、その結末を変えたくなる作品もあるのだが。  結末を変えたくなるのは、決まってバッドエンドの作品なのだ。  それを書いたのは自分である。自分が書いて、自分の意思で、ときに主人公を不幸に陥れ、ときに取り返しのつかない状況にして、場合によっては殺してきた。それを書いた瞬間は、それが一番面白いと信じてのことだと理解している。だが、後から読み返した自分の感想は違うのだ。  救えたはずの世界を、救わなかった。  その世界を書いたのが自分ならば、その世界を救えるのはたった一人、自分だけであるはずだった。それなのにぼくは救わなかった。見捨てた、見殺しにした。それが自然な流れだと言ってしまえばそれまでである。だが嘘の世界で流させた血は、ぼくの手にべったりと張り付き、洗い流せはしないのだ。  だから今はできるだけ、マシな結末にしたいと思っている。  全員がハッピーとはいかないまでも、解決とは程遠くても、少しでもマシな未来を彼ら彼女らに用意したい。それは物語そのものの面白さとはまた別の、書き手としての使命のように感じられた。  バッドエンドが当たり前だからこそ。  納得のいくハッピーエンドを。

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ハッピーエンドが嫌いだった

空になった棺

「この電車、止まりませんよ」 帰宅途中の電車の中で 目の前に立つ男性がそう呟いた 初めは独り言だと思っていたけれど どうやら私に話しかけているらしい 「どこまでも、進むのです」 妙な人に絡まれてしまった 私は手元のスマホに視線を落とし 男性と目を合わせないようにした それからも男性は何か言っていたが 聞こえていないフリをした 最寄駅までの辛抱だ 暫くすると車内にアナウンスが流れ 電車は次の駅へと停車した 降りていく人々の足元を眺めながら 「普通に止まるじゃん」と思った 「あなたは、、、?」 男性は席が空いたのに座りもせず 目の前に立ったままそう言っていた 気味が悪いので私は席を立ち 別の車両へ乗り換えて 隣に誰もいない席に座り直した それなのに隣から声が聞こえた 「どうして、まだ」 驚いて声のする方へ振り向くと そこにはまた別の男性が座っていた 他にも席は空いているのに 隣には誰もいなかったはずなのに 私は席を一つ隣に移動して イヤホンを付けて音楽を流した 電車がゆっくりと動き出す 私は目を閉じて音楽に集中した 早く最寄駅に着けと願いながら それからも電車に揺られている間中 男の声は遠くから聞こえ続けていた 「聞こえ、、、るん、、、しょ」 「く、、、ないと、、、」 「り、、、」 イヤホンで耳を塞いでから どれだけの時間が経っただろう 聞こえる声は少しずつ小さくなり そして何も聞こえなくなった そこでここまでアナウンスを 聞いていないことを思い出した ハッとして目を開けイヤホンを取る 今どこだっけ? そのときちょうどアナウンスが流れ 最寄駅の一つ前であることを知った 通り過ぎていないことに安心すると 次に車内の異変に気がついた 自分以外、誰も乗っていない それどころか電車が駅に着いても 誰も乗り込んでこないのだ ホームの人々はこの車両を見ると 血相を変えて引き返していた 「みんなには降りてもらいました」 急な声に驚いて肩が跳ね上がる さっきまで誰もいなかったはずなのに 声の主らしき男性はドア前で立っていた 「もう残っているのはあなただけ」 すると今度は隣から声が聞こえてきた ドア前とは別の男性が隣に座っていた 驚いて咄嗟に立ち上がると 「どうしてあなたは降りないの?」 今度は吊り革につかまった女性が 顔だけをこちらに向けて声をかけてきた すると車内には他にも人影が浮かび あっという間に私の周囲を取り囲んだ 「降りろ!」 「降りろ!!」 「降りろ!!!」 私は慌てて電車を飛び出して ホームでつまづき転んでしまった 振り返ると車両は人でいっぱいで 全員が血だらけの顔で私を睨んでいた 震える足で少しでも車両から離れる すると人混みの中から一人の少年が現れた 彼はランドセルを背負っていて 額からはうっすらと血が流れていた 「こわがらせて、ごめんなさい」 急いで駅を出た私は 一駅分歩いて自宅へと帰った 震える体をお風呂で温め 湯上がりにテレビをつけると 事故のニュースが流れていた どうやら脱線事故のようだ 事故現場は最寄駅のすぐ近くだった カメラは駆けつけたリポーターと 横転した車両を映していた 『時間帯も幸いしてか、 乗客は誰一人乗っておらずーー』

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空になった棺

嫌いな人の捨て方講座

嫌いな人の捨て方講座 はっじめっるよー! 用意するのは包丁と手袋 ハサミじゃ切れるか不安だし 手袋ないとばっちいからね まず思い切ってお腹をグサリ! 失敗したら怒られちゃうから 落ち着いて確実に仕留めてね 嫌いな人が静かになったら 重いけどお風呂場に運ぼう! 引きずった床が汚れちゃうけど 後でちゃんと拭くので問題なし! お風呂場に着いたら 面倒だけど服を脱がせて 全身をシャワーで流します! ある程度血を洗い流したら ここからはクッキングタイム! 用意した手袋をつけて 包丁でザクザク切っていこう! 一口大くらいにできるといいけど まぁそこはやってみていい感じに 食べるわけじゃないからね きったないし! いい感じのサイズに切れたら 大きいゴミ袋にどんどん詰める! 太ってるから一枚じゃ無理かも 二、三枚あれば安心かな! 全部袋に詰め終わったら 最後にお風呂場をシャワーで流して あとは明日の朝に捨てるだけ! どう?簡単でしょ 「あんたー、部屋にいるのー」 早速帰ってきたみたい はーい!勉強してまーす! 「どうせまた人形と話してたんでしょう。  気味が悪いからさっさと捨てなさい」 はーい! すぐ捨てまーす

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