べっこう飴

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べっこう飴

甘いものと二度寝と金曜日の夜が大好きです🫧通勤中に読めるような短編ものを書こうかなって取ってます!!

化けもの

あ、また間違えた。 去っていく後ろ姿を見るまで私はいつも気づくことが出来ない。 今度は、何がだめだったんだろ。 何度目か分からない離別で、それでもわかっているのは心当たりがない自分こそに問題があるということだけだった。 アスペルガーであることを知ったのは中学一年生の時だった。 「みーちゃんといるとしんどい」 「人の心ない」 「なんで空気読めないの」 「大っ嫌い」 誰とも目が合わなくなって初めて悪者は自分であることに気付いた。私は、人間として不完全だったのだ。 小さな頃から何をやっても人並み以上に良く出来た。 教科書を読めばテストで分からない問題はなかった。 一度聞けば同じ曲を再現出来たし、絵を描くのも得意。 体育で特定の競技に苦戦するということもない。 それなのに 人の心というものだけはいつまでたってもよく分からない。 分からないないなら完璧に模倣しようとした。 理解は出来ずとも、人間に極めて近い何かになれば弾き出されずに済むと思ったから。 私だけの人間関係の教科書を作ればいい。 相手の容姿について触れてはいけない。 関係性が深まっていないのに相手の家庭について詳しく聞くのもだめ。プライベートな問題だから。 相手が出来ないことに理由を求めようとしてはいけない。 相手の話を聞く時は相槌を打つ。時々質問も挟む。 書く項目は増える一方だった。 幸い、頭は良いので一度書けばその内容は覚えていられた。 でも、どれだけ精巧な人間に化けることが出来た狐もふとした瞬間に尻尾を出してしまうように 私が時々間違えてしまう距離感も、言ってはいけない場面で発してしまった余計な言葉もたしかに周りの人を遠ざけた。 私に答え合わせをさせて。 私にやり直しをさせて。 ごめん、ごめんなさい。 ねぇ、やっぱり、生きづらいね。 「やっぱり、分からない、上手くいかない。私なりに、頑張ってみたつもりだったけど、やっぱり駄目だった。」 どうしていつも、こうなっちゃうんだろ。 彼女の呟く言葉ひとつひとつを今だけは、拾ってあげたいと思った。滅多に弱音を吐かない子だったから。 剥き出しの傷口から血はとめどなく流れているはずなのに、それさえ当然のことであると受け入れるような女の子。 気付かない傷に絆創膏も包帯も巻けない。 穏やかな口調で語る言葉が鋭利な刃物のように また彼女を削っていってしまうような気さえした。 「本質って、そう簡単には変わらないみたい」 爪弾きにされない存在になりたかった。 気配りの出来る子というものになりたかった。 でも駄目だね。 「化け物は、化けもののまま」 ひび割れた笑い声は泣き声とよく似ていた。 「それは違う」 「翔?」 美莉亜が心の機微を読み取るのが苦手だからといって自分の心がないわけじゃないだろ。 誰かが自分の元を去ったら誰だって悲しい。全てが自分に非があると思って背負っていたら、余計に。 「相手を傷付けた時に傷付くような人が人間じゃないなんて僕は思わない」 夜中に彼女がノートにその日の反省と対策を書き込んでいるのを僕は知ってる。 その教科書みたいに整った文字でぎっしり敷き詰めて どうしたらもっと上手なコミュニケーションを築けるのか、 どうしたら大事だと思った人を傷つけないでいられるか、 十五の夏から書き始めたという彼女の心ノートはもう九冊目にものぼっていた。 あの子の周りが一人一人と去っていく度に彫刻刀で削られていくようにして小さな背中がまた縮んでいってしまっているような気がした。 哀れみなのかと聞かれたことがある。 あの子の隣にいるのは可哀想だからかと。 アスペルガーでなくても人は人を傷付けうる生き物なのだ。 全然違うよ、本当に違う。 僕はただ、あの子が好きなだけだ。 それでももうそんなに頑張らなくていいとは俺は言えない。 一生傍にいる覚悟を決めたからこそ、そんなことは言えない。 それは狡さになってしまうのだろうか。 それでも、そうだとしても。 「僕にとっては一生懸命なところが可愛くて大切な女の子だよ」 化けものなんかじゃない。 僕の好きな女の子だ。 今言えることはそれだけ。

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化けもの

青に透ける

あいつに彼氏が出来た。 肌を削るような寒空の下、白い息を吐く。 イヤフォンから流れる曲はどれも上滑りして耳には届かない。 風呂上がりに開いたインスタグラムに更新された彼女のストーリーには海月の水槽の前に立つ男の後ろ姿があった。 貼られたメンションを押して飛んで隣のクラスの陸上部のやつなのかとか、そんなことを知って 何やってるんだろうな、俺。 彼女と別れたのは去年の夏の終わり、 蝉の声がやけに煩い日だった。 無人駅の青い椅子に二人で並んで座った。 真っ直ぐ俺の顔を見つめる彼女の瞳には清々しい程に俺への想いは残ってなかったように思う。 「…友達に戻りたいなって思って」 友達にさえ戻る気のない、別れの言葉だった。 「隣に居てもずっと寂しかった。でもその寂しさですら今はもう無いの」 だからもう、終わりにしないといけないと思う。 「……ごめん」 子供な俺は彼女の悩みに何ひとつ気付くことが出来なかった。 …いや、嘘だな。 目まぐるしい日常の中で、 狡い俺は何ひとつ気付かないふりをした。 「ううん、私も悪い」 優希も悪いし、私も悪い。 そして、恋の終わりに誰が悪いとか、ないの。 日に照らされた彼女の髪が淡く透ける。 ブラウスの白がやけに眩しくて、俺は彼女の折り目正しいプリーツスカートばかりを見つめて顔を上げることが出来なかった。 「楽しい時も、あったよ」 だから、ありがとう。 電車に乗る彼女の後ろ姿を俺はきっと一生覚えている。 彼女が帰った後、本当は十分後に来るはずだった最寄り駅に着く電車は来なかった。 三十分も、一時間も、来なかった。 俺の滲んだ視界では電車を見ることは出来なかったから。 あの日からずっと、俺はあの青い椅子に座ったままな気がする。 照れた時に耳まで赤くなる子だった。 アイスを片手に笑いながら好きだって言ってくれた。 彼女からはいつも石鹸とお日様みたいな香りがした。 その日あった出来事をきゃらきゃらと楽しそうに話すのに、時々どうしようもないほどに自信のなさげな顔をしていた。 なんで、あの時俺は何も言ってあげられなかったんだろ。 同じクラスなのに教室では全然話をしなかった。 何度も一緒に帰ったのに色んな言い訳をして片手で数える程しか手を繋がなかった。 彼女の好きな色も、食べ物も、友達のことも、 まだ、全然俺は知らない。 あの教室で半径二m以内にたしかに彼女は居たはずなのに あの日の帰り道でいつでも手が触れる距離に居たはずなのに もっと話せば良かった。 もっと触れて置けばよかった。 もっと、もっと、知ろうとすればよかった。あいつのこと。 でも俺、恥ずかしくてさ、 なんか照れくさくてさ、 優しく出来なかった。 大事にしたかった。 でもどうやって大事にしたらいいのか分からなかった。 なぁ、ごめんな。 ああ、痛い。 胸から溢れそうなくらい痛くて苦くて、やっぱり凄く痛いや。 寂しい。悲しい。悲しい。 心をヴェールのように覆う寂寥を俺はまだ何処にも遣りたくなかった。 フォルダには彼女の写っている写真はもうない。 ハイライトも消してしまった。 貰ったプレゼントも手元には残っていない。 俺の隣に彼女が居た証拠はもうこの痛みだけだから だからまだこの青く透ける痛みを抱えていようと思う。

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青に透ける

星を落とす

「髪、切ったんだ」 肩上で緩く巻かれた茶色く染められた髪。 可愛いなんて言ってあげないから。 「彼、ボブ派だって言ってたから」そう照れたように呟く彼女を見てそんなことを思う私は親友失格なのだろうか。 生まれながらに周りからの視線を引き付けてやまない人がいる。 少なくとも彼女はそういう類の人間だった。 高校に入学して間もない頃、 第一志望の高校に合格して完全に浮かれていた私は 初めて揃えたメイク用品 キャラメル色のローファー 青いリボンにグレーのブレザー JKという無敵にも思える肩書き そんなものに胸をときめかせて髪を伸ばしてモテモテ女子高生になれるかな、なんてそんなことを呑気に考えていた。 そして、春の日差しの下で小さく欠伸をしている彼女を見た。 背中まで流れ落ちる絹糸みたいに綺麗な黒い髪。 長い睫毛に覆われた瞳と目が合った時 あ、この子に私は敵わない。 漠然と、そして絶対的にそう思った。 星が散るような笑い声を零して「見られてたか」と彼女が呟く。 あの時に覚えた感情を未だに私は上手く言葉にできない。 痛切な憧れか 猛烈な嫉妬か もしくは諦めか ただ、その日私は彼女とLINEを交換し その後美容院で伸ばしかけの横髪をばっさり切ったことだけが確かな事実だった。 「…髪の手入れ凄い拘ってたのに、良かったの」 「いいの」 短くなった髪を摘んで伏し目がちに微笑む彼女が誰のことを考えているかなんて簡単に想像出来た。 だからこそ私は彼女の顔を見ることが出来ない。 「彼とね今度サカナクションのライブ行くことになったんだ」 「楽しそうだね」 洋楽ばかり好んで聞いていたような子だったのに。 煙草の煙を「寂しい匂い」だと嫌っていた彼女がいつの間にか銘柄に詳しくなっていた。 スマホにぶら下げた派手な色をしたぬいぐるみだって以前の彼女なら絶対に付けなかった。 グラスに浮かんだ水滴を引っ掻いて曖昧な笑みを私は浮かべる。 「絶対向こうは私が好きなことに気付いてるはずなのに決定的なことは何も言ってくれないの」 最近LINEの返信も遅いし。 「やっぱり、脈ナシだよね…」 「でもライブ誘ってくれたんでしょ」 これまで付き合ってた人とのLINEでさえ気にしていたことなんて今まで無かったじゃん。 私は何をそんなにも苛立っているのだろうか。 分かってる、 どう考えたっておかしいのは私だ。 でも面白くない。 だってこんなの「らしく」ない。 私の知る峰本星凪は常に追うのではなくて追われる女性だった。 彼女に切ない視線を送る人 デートに誘って玉砕する人 付き合っては気まぐれに別れを告げられ涙を流す人もいた。 告白される前に釘を刺すのも優しさだって笑う彼女のドライさが結構気に入っていた。 何かに執着するということから一番遠いところに彼女はいた。 彼女が好んで付けていたLANVINの香水の匂いを忘れられないと言う人達を私は何人も知っている。 求められているわけでもないのに彼女を見ていると何かしてあげたくなってしまう、そうやって言ってた子もいた。 あんな誰にでも優しそうな男になんか靡かないでいてよ。 なんて傲慢な苛立ちなんだろう。 なんて自分勝手な解釈違いなんだろう。 だけど 追いつける流れ星に願い事なんてしないじゃない。 掴めてしまえる宝石に美しさなんて感じないじゃない。 私はいつまでも貴方の輝きに目を眩ませていたかったの。 この不満に名前なんて今更必要ない。 嫉妬ともつかない 憧れともつかない 貴方の背中を流れ落ちる黒髪の艶やかさが好きだった。 貴方がいつも身にまとってる香水の匂いが憎かった。 ねぇ、変わらないでいてよ。 変わらないでいて。 なんてね。忘れて。

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星を落とす

ヒロイン症候群

幸せになりたかった。 赤い糸を信じていたあの頃のまま 私はただ、女の子でいたかった。 キャラメルフラペチーノが好き。 メイクを始めたのも好きな人に振り向いて欲しかったから。 恋人から花束を貰ってみたい。 真っ白なウエディングドレスを着てみたい。 好きな人と結婚してずっと仲の良い夫婦でいたい。 子供は欲しい。 私は型遅れな女なのかな。 時代が求めてる女性は私のような人ではないんだろうな。 「女の子らしくていいよね」 この言葉に込められた棘がいつも少しだけ痛い。 女の子でいることがだめみたいで、少しだけ苦しい。 異性の目を気にすることってそんなに悪いこと。 ねぇいつからだろう。 男の為に化粧をしないで、自分の為にお洒落をしましょう。 一途な人なんていません、浮気なんて出来るなら皆します。 結婚なんて、ろくなことない。 結婚式なんてお金が掛かるだけ、あんなの自己満。 子供を育てるなんて大変、本当に育てられるの。 「私は結婚する気がないかな、縛られたくないし」 「男と女は分かり合えないものだから、ずっと互いに思い合うなんて絶対無理だよ」 「男らしい人なんて求めちゃダメ、大体モラハラだから」 「子供はいらない、育てられるほどたいした人間じゃないし」 繰り広げられるカラフルな会話に相槌を打って肯定することが正しい反応で、でも別にそれが嫌なわけじゃ全くなくて。 「そういうのも良いよね」 この言葉には本当に嘘なんてなくて。 それだけは確かで、確かなんだけど 言い出せなくなった、色んなことを。 色んなことに寛容になって、 世界はより多彩になったはずなのに それが悪いことなわけがないはずなのに 私の世界はこんなにも肩身が狭い。 私の夢を語ると決まって彼女達は少しだけ気を悪くする。 「気持ちは分かるけどねー」 「まぁ現実はシビアだからさ」 否定しているつもりはないのに否定しているように聞こえてしまうものなのだろうと勘づいてからは黙るようになった。 私は対立したいわけではないから。 小さなパレットの中で埋まりきらないほどの沢山の色が喧嘩しているような世の中で。 極論が跋扈しすぎて話がしずらいこの世の中で。 何者にも染まらないことが絶対的で依存し合わない関係こそが正しさであると語られる世の中で。 やっぱりまだヒーローではなくてヒロインになりたいと思うのは私のわがままなのかな。

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ヒロイン症候群

神殺し

証拠は揃った。 手にした電話はあと一桁番号を入れれば警察に繋がる。 頬を伝った汗は暑さからではなかった。 人生を掛けてぶっ壊してやりたかったあのカルト宗教を終わらせられるかもしれないと思うと震えが止まらない程の喜びが鋭く迫ってくる。 唯一神キクヨ様。 思えばあんなふざけた名前の神に狂わされた人生だった。 病院にも行けず、食べたいものも食べられず、稼いだお金は全て御布施に消えた。行きたい大学さえ通うことは叶わなかった。 当たり前に学校でも腫れ物扱いだった。 そりゃそうだよな。誰だって訳の分からない宗教に入った親の子供の接し方なんて、知らないだろ。 父も母も怖気が止まらないほど憎らしい。あともう数年すればくたばるだろう。はやく死なないかな、あんな奴ら。 勿論友達も……いやいたな、一人。 菊池悟。 俺の人生に最悪な影響をもたらした菊の会のカルト教祖、菊池守の息子だった。 「……まだ練習してんの」 廃ビルの裏、もう使われてない古い駐車場に行くといつもあいつが舞の練習をしていた。 「うん、今日中に踊れるようにならないとまたご飯食べ損ねる」 「…ふーん」 あいつの父親は多分麻薬中毒者かもしくは病気かなんかだろう。 頭おかしいヤツが見た幻想に縋る信者たちを見ると本当に笑いが止まらない。そんなに救いが欲しいのかよ。 この世は馬鹿ばっかりだ。 多分悟はそんなこと全部気づいていたし、分かっていた。 分かっていて、それでもあいつは健気だった。 訳の分からない念仏らしきものを唱えて踊る姿は滑稽で、 だけど俺はそれを何時間でも見てられると思っていた。 神様なんか降りてこなくてもあいつの舞は綺麗だったから。 ひたむきで、真っ直ぐで。 「背中、庇いながら踊ってる。また殴られた?」 「…昨日は機嫌が少し悪かったんだよ」 服をまくった背中に広がる赤黒い痣の治療法なんて俺は知らなかったし、湿布なんか高価で買えるわけもない。 濡れた布切れで冷やすことくらいしかしてやれなかった。 「こんなの効かないかもな」 「ううん、効くよ」 ありがとう。語尾が少し消え入るあいつの少し高い声。 そうだ俺、本当は医者になりたかったんだ。 医者になれば友達の怪我、全部治せると思ったから。 「翔太!」 いつものように向かった駐車場。 雑に舗装されたコンクリートの地面。 隙間から延びた雑草。 変わらない景色。 でも、俺の知ってる悟だけどこかに行ってしまっていた。 来たんだよ!神様!神が僕の元に降りてきてくれた、! これで父さんに殴られることもない。 信者たちに本当の父の子なのかを疑われることもない。 神様は俺の元に降りてきてくれた。俺は特別だった。俺は神に愛されし子供だ!!ちゃんと選ばれた存在だった! 「ふふっ、あっは…ぶっ、あははははは」 見開いた目はもう何も映さない。 頬を好調させ、唾を飛ばして興奮した声で喋る様子は既に常軌を逸していた。 それでも、友達だったのだ。 「父さん、本当に見えてるのかな…神様」 冬特有の抜けるような青空に白い息を吐く。 「あんな馬鹿げた神様いるわけないだろ」 「そんなの、まだ…分からないかもだろ、」 「悟だって気づいてるくせにさ」 季節にまるで合わない薄着で俺達は身を寄せあった。 翔太と喋ってるとお腹がすいていても気が紛れる。いつかあいつはそうやって言っていた。 神様が居ないならさ。 じゃあそれなら僕はどうすればいい。 何に、縋ったらいい。 あいつは笑顔が下手くそだった。 自身がなさそうに眉を下げて口角を歪ませた拙い表情。俺はその笑顔未満の何かが可哀想で愛おしいと思った。 あの時、俺は何て言えば良かったんだろな。 神様なんていないことを知ってる俺たちは何に縋れば、良かったんだろうな。 手にした受話器が滑り落ちてぐらぐらとぶら下がる。 不安定な苛立ちが込み上げてきて煙草が積み重なった灰皿を投げ割った。 新しく火を付けた煙草は初めて吸った時のように苦い。 俺は、売るのか?あいつを。 二世教祖としてあいつがしたきたことはどれも犯罪紛いなことばかりだ。俺が集めた証拠を警察に見せれば簡単に捕まるだろう。 犯罪者として。加害者として。 でも、あいつは確かに被害者だった。 父親の虐待の末に精神に異常をきたした、被害者だった。 でも正しいだろ、これが。 あんなクソみたいな宗教は無くなった方が良いだろ。 正しいのに。 間違ってないのに。 これが正解なはずなのに。 正しさだけが、俺を救ってくれると思っていた。 でも今、目の前にあるのは真っ暗な闇だけだ。 神殺しでもしようか。 閉じたまぶたの裏に浮かぶあいつの健気な舞。 神降ろしの儀式。 あばらの浮いた細い身体。 あの白い胸に包丁を突き立てれば簡単に死ぬだろうか。 その後は建物全体にガソリンを撒いて火を付けて。 唯一神キクヨ様の御霊とかいうあの玉も粉々に割って。 全部原型を留めないほどに破壊する。 そうすれば無かったことにならないだろうか、全て。 あいつも。神も。俺も。 いや、何を考えているんだ俺は。 それじゃ何も解決しないだろ。 どうすればいい。 どうすればいい。 どうすればいい。 いや。分かってるんだ、本当は。 分かってるよ、分かってる。 一度手を離した受話器を、今度こそ俺はしっかりと握り締めた。 俺は人間の菊池悟にまた会いたい。 どれだけの年月がかかったとしても。 だから俺はあいつの中の神を殺す。

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神殺し

銀の羽では飛べない

一昨日、グレーのコートの女性と歩く彼を見た。 東京の夜は目紛るしい。 冷たい煌びやかさに満ちたビルの明かり。 分かってる。 彼は浮気なんかしないだろう。 「就職先決まったお祝い。プレゼント」 「え!」 来週、私は東京を出る。 東京の無関心さは嫌いじゃなかった。 雑踏の中で聞く音楽も 常夜灯の隙間で蠢く闇も 寂しくて、愛おしくて。 結ばれたリボンを丁寧に解いて開けた小箱の中には銀の蝶のピアスが入っていた。 「前にピアス開けて欲しいって言ってたし丁度いいなって」 「…ほんとに嬉しい!ありがとう」 ピアッサー買ってきた。 そう言ってふわっと笑う彼の笑顔に胸が疼いた。 ピアスホールを空けて欲しいって言ったこと。 私が好んで着けるのはシルバーアクセなこと。 そうやって私が話した一つ一つのことを凛は覚えていてくれる。 私はこの人がどれだけ魅力的な人なのかをよく理解していた。 素敵な人。 だからずっと、不安。 幸せになれば幸せになるほど、 嬉しければ嬉しいほど、 見えない天井が私達の近くにあって きっともう少しでそこに辿り着いてしまう そんな予感がして。 グレーのコートの女性を見た時、思った。 ああ、私はきっとこのことを彼に聞けないだろうなって。 私は大事なことをいつも聞きそびれる。 それは遠距離恋愛をする上であまりにも致命的で 「蝶って縁起がいいんでしたっけ」 「そうそう、飛躍とか上昇とかね」 でももういい。 今隣に居られるならそれで。 地方に行ってしまう私が東京にいるこの人を繋ぎ止めることの出来る自信は何処にも無かった。 取り出した銀の羽は風を含んでいるような軽やかさで揺れる。 「飛んで行ってしまわないかな」 何となく口をついて出た言葉。 特に深い意味はなかった。 「小さい頃に幼虫から成虫になるまで蝶を育てたことがあってさ」 もたれかかってきた彼のさらさらした髪が私の首を擽る。 俺、羽が生えた蝶を空に飛ばすことが出来なかったんだよね。 幼いなりに頑張って世話してたから余計に寂しくなってしまったんだと思う。勇気が出なくて何日も籠の中から出してやれなかった。でもあんな狭い虫籠ではやっぱり長くは生きられなくて。 「後悔、してるの」 「…したよ」 床についていた右手を挙げて彼の頬に指を滑らせた。 重ねられた彼の唇は少しだけ乾燥していたのに私の目頭は熱い。 凛、私のことは解き放つつもりなの。 それとも、貴方が飛び立ってしまうの。 そしたら貴方はきっと私の処へは帰ってこないんでしょ。 季節風に乗って何千キロメートルも旅をする渡り蝶が元居た場所に帰ってくるとは思えなかった。 「後悔したから」 閉じられたカーテンから零れていた光が消えていて、いつのまにか日が暮れていたことに気がつく。 次は殺さないようにしないとなって思った。 「え、」 重ねられた唇はゆっくりと離れていき首筋へと移動する。 広めに心地好い環境を作れば籠の中でも蝶は生きられるからね。 あまりに予想できなかった言葉に私が言葉を失っていると彼は不思議そうに首を傾げる。 彼、今何て言った、。 「ピアス開ける準備はもう出来てるけど、空ける?」 「…うん」 あ、れ。 消毒液の匂いが充満するこの部屋の中で私は自分は何かを見誤ったのではないかという感情に襲われた。 少し冷たいコットンが耳に当てられて僅かにビクついた私の手を大きな彼の手が握り込む。 「…飛ばさないの、蝶々」 「そうだね」 だってなんで俺の目の前以外を飛ぶ必要があるの。 引きずり、込まれる。 ゆっくり弧を描く唇も、 ある種の傲慢さを含んだ目の中に渦巻く独占欲も 知らない。知らなかった。 耳に穴が空く衝撃が頭の中で響く。 「似合うよ」 耳から下がった銀の蝶。 見せられた鏡の中で鈍く輝くそれを捉えて私はようやく自分の間違いに気付いた。 最初から、手放すつもりなんか全くなかったのだ。 「ねぇ、凛」 ドライアイスで冷やされた耳を彼の指がなぞる。 「銀の羽じゃ、何処にも飛べない」 「あぁ、」 その方が、都合がいい。 懐かしい夢を見た。 習慣になってしまった耳で揺れる蝶。 あの人が私の元を去った今もこれをつけているのは何故なのか。 熱い感情と言葉を向けてくる奴ほど直ぐに去ってしまう呪いはきっと現実世界にしか適用されてはいないだろう。 もう慣れてしまった珈琲が今日はやけに苦い。 だって私が好きなのは蜂蜜を三杯入れたカフェオレだったはずだから。珈琲が好きだったのはあの人だ。 立ちのぼる湯気が私の睫毛を僅かに蒸らして何処かに消えてゆく。 「おはよう」 チェストの上の写真立ての中、今日も彼はあの頃と変わらない笑顔を浮かべている。 交通事故だった。即死だった。 『作ってもらってる指輪あともう少しで出来るらしいよ三日後とかかな』 出来上がった二つの指輪を一人で取りに行った。 大好き。そして、大嫌い。 貴方がくれた重すぎる羽を抱えて今日も私は生きている。 銀の羽じゃ、飛び立てないでしょ。

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銀の羽では飛べない

通り雨

「ごめん」 顔の横に突かれた彼の腕が震える。 はらはらと私の頬に零れ落ちた涙は彼のものだった。 背中に感じる生えたばかりの芝生がちくちく痛い。 後ろに広がる青い空は何処までも続いていて、私の気持ちを受け止めるにはあまりにも底がなかった。 彼の瞳から流れる涙は綺麗だった。 人の涙を綺麗だなんて思ったのは、初めてだったから。 だから、ね。 ねぇ凛くん。 終わりなんだね、私たち。 「綺麗になったね、麻衣さん」 震える凛くんの手が私の頬をなぞる。 そこに愛情がないなんて、私は思わない。 ただ、 「麻衣さん、俺と、別れて欲しい」 そこに恋がなかっただけ。 「…うん、凛くん」 別れよう。 一度ボロボロになった私の心をひとつひとつ拾いあげてくれたのは彼だった。 特別な言葉をかけられたわけじゃない。 特別なことをしてもらったわけでもない。 それでも彼の小さな気遣いが、彼の思いやりが、私の壊れた心をもう一度人らしい形に戻してくれたことは確かで。 だからもう、充分。 「結局、俺はどう足掻いたってあの人のことを忘れられないんだ。きっと俺はこれからも麻衣さんの笑顔にあの人の顔を重ねてしまうんだと思う」 三年も前に死んでるのにな。馬鹿だと、思うだろ。でもだめなんだ。どうしても、彼女を忘れられない。 麻衣さんの人生をこんな馬鹿な男の隣で終わらせたくない。 …そんなの、最悪だ。 幸せになって欲しいんだ、本当に。 大事だから、大切だと思うから。 今度こそ、麻衣さんを心の底から大切にしてくれる、貴方を一番に思ってくれる、そんな人と一緒に過ごして欲しい。 それは、俺じゃないんだ。俺じゃないんだよ、 ごめんな。ごめん。 雨のように降りかかる懺悔の言葉。 二番目でもいいから、忘れられなくてもいいからって強引に彼女にしてもらったのは私の方なのに。 利用していれば、良かったのに。 それで私は、いっこうに構わなかったのに。 馬鹿な男。優しくて、優しすぎて。 でもね、そこが好き、大好き。 貴方のその底抜けにお人好しなところが。 眠ってる時に見せるあどけない顔が好き。 ご飯を食べる時の所作の綺麗な手が好き。 抱きしめると意外と大きな背中が好き。 彼を形成する、全てのものを愛している。 「ねぇ凛くん、悪いなんて思わないで」 彼の額に自らの額を合わせた。 彼の柔軟剤の匂い。柔らかな前髪の感触。 「私、嬉しいの」 それが苦しくて、胸が痛くて、どうしようもなく、切なくて。 それでも、貴方に言わなくてはならない。 私は、伝えなくてはならない。 「ありがとう、最後まで私から目を逸らさないでくれて。私をずっと大事にしてくれて」 だってそれって愛だと思うから。 紛れもない、愛情がそこにはあったと思うから。 恋でなくても、それでも。 貴方の好きな人にはなれなかったけど、 大切な人のひとりにはなれたってことでしょ。 「私幸せだったよ、凄く凄く幸せだった」 休日に作ってくれた端の焦げたパンケーキも ソファーで寝ていると掛けてくれたブランケットも 深夜に一緒に食べたカップヌードルも どうしようもなく、どうしようもなく。 枯れた私に水をあげてくれた通り雨を誰が引き止められると言うのだろう。 最後に貴方の体温を忘れない為にぎゅっと抱き締める。 貴方は私には勿体ない。 「幸せでいてね…ずっと幸せでいて」 帰りのバス、横に貴方はいない。 今までの写真とか、消さないと。 スマホの充電が残り少ないことに気付いて鞄からモバイル充電器を探す。そういえば昨日結構使ったから残ってないかも、残り三パーセントとかだった気がする。 「……あれ」 百パーセントの画面をさすモバイル充電器を見つめながら思う。 思えば私は彼といる時にモバイル充電器をコンセントに差したことがなかった。家ではよく充電し忘れるスマホも不思議と彼の家ではし忘れたことがない。 あぁそうか。そういうことか。 どうして私達は失わないと、大事なものに気づけないんだろ。 無意識の涙が頬を伝う。 優しい彼を傷つけない為に流さなかった涙が、今。 そう、彼は優しいのだ。どこまでも。 嘘だよ。全部、嘘なの。 もう充分だなんて全く思ってない。 私、そんなに物分りのいい女じゃない。 世界に私と貴方の二人だけだったらいいのにって思ってた。 私の為だけの愛が欲しかった。 私だけに降る雨でいて。足りない。全然、足りない。 引き止めればよかった。 馬鹿でみっともない女になってもいい。 通り過ぎないでよ、私を。 私、本当に貴方が好きだったの。 まだ、間に合うだろうか。 忘れられそうもない彼の電話番号を私は震える手で押した。

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通り雨

花冷え

好きだと言えない。 口から発した先から温度を失っていきそうで 自信が、なくて。 助手席で鼻歌を口ずさむ彼を横目に見る。 知らないバンドの曲が耳元を通り過ぎた。 センターコンソールに置かれているのは灰皿ではなくてカラフルな果物の飴。 それが甘党な私の為であることはちゃんと分かっていた。 分かって、いるけど いつの間にか頑固になった私の心はなかなか簡単には動いてくれそうになくて。 私は、好きなんだろうか。 この人を。 感情の渦に巻き込まれるには勇気が必要で。 飛び込むには、私は弱くて。 いつの間にか張り巡らせすぎた予防線は私の本音から心を遠ざけてしまっていた。 この想いが本物でなかったらどうしよう。 口にしてしまえばどちらなのか分かってしまう気がした。それを考えたくなかった。 怖かった。 言った言葉を受け止めてくれなかったら、 また、拒絶されたら。 「そういうの、全部しんどい」 かつて好きだった人に付けられた傷はたしかに癒えないまま今日まで私の人生の障壁となっていた。 でもきっと悪いのはあの人じゃない。 永遠を勘違いさせる恋が悪い。 楽しかった旅行の帰り、 駐車場に車を止めて、エンジン音が止むと聞こえる虫の声。 音を立てるお土産の紙袋。 満たされているのに、何かが足りない。 心の奥、何処かの隙間が軋むような違和感。 充実した寂しさ。 帰ってこれたことへの安心と、 帰ってきてしまったことの切なさ。 助手席で眠っている君の涙袋のきらきらと 少し乱れて絡まった髪の毛。 安らかな寝息が聞こえてくる。 静かな夜だった。 僕は暫し、君を起こすのを躊躇う。 そこに、永遠があるような気がした。 どんなものでも何かが終わるのは寂しい。 それがたとえ旅行だったとしても。 上手く言えない。でも伝えたい。 君と、そういう話がしたい。 些細なことを どうでもいいことを 取り留めのない内容を 暖かいものをゆっくりと積み上げていきたいと思った。 きっとそういうものの方が壊れにくいはずだから。 旅行前なのに切りすぎたと怒っていた、いつもより少し短い前髪を撫でる。 「好きだよ」 ゆっくりと口付けた唇は柔らかかった。 「また旅行…行きたいね」 思っていたよりも出てきた言葉は掠れていて、綺麗な音にはならなかった。 下手くそでもダサくても、想いを伝えることを諦めたくない。 だって、せっかく付き合っているんだから。 こんな綺麗な子の隣にいることが出来るんだから。 不確定でも未来は約束したいし 暑くても手はずっと繋いでいたい。 抱き締めていたいし 会った時はキスしたい。 たとえ君が僕をそんなに好きでないとしてもそれは関係ないことなんだ。 僕は君が好きだよ。それが全て。 こんなふうに愛を紡ぐような優しいキスを貰ったのは初めてだった。こんなに暖かいものをくれる人も初めてだった。 愛情を受け取るばかりでは嫌だと思った。 「すきだよ。大好き、こうきくん」 だから傍にいて。 驚いたように見開かれた目元に手を添えてそっとキスをする。 これ以上なく近くにいるはずなのに寂しかった。 心の奥、もっと深く、隅っこでいいから私をずっと置いておいて。私を置いていかないで。 変わりたい。私は変われる。 腹を括ろう。私にまた人を好きになる覚悟を。 全ての言葉は発した先から色を失っていくとしても、 価値が薄れていったとしても、 それでも私は愛を口にする側で居たい。 「…寝てたと思ったから、驚いたよ」 「寝てたよ、さっきまで」 珍しいね。君から好きって言うなんて。 そうだった?きっと、気の所為よ。

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花冷え

綺麗なあの子

真っ白なショートケーキも スワロフスキーの髪飾りも ひらひらフリルのミニスカートも この世の可愛いものは全てあの子の為のもの。 桃が大好きだというあの子。 ふわふわの猫を飼っているというあの子。 それが似合うあの子。 妖精のように華奢な姿と緩やかに巻いている髪の毛を思い出す。 あの色素の薄い髪の一本一本、小さな爪の一つ一つ、きらきらしたくりくりお目目。 全部取り込めたらあの子になれるのかな。 小さな頭のてっぺんからつま先までかぶりついて咀嚼する自分を思い浮かべる。 あの子からはいつも砂糖菓子のような匂いがした。 埋めないと。 補わないと。 私は、欠陥品だから。 あの子のもので、私を埋めて、原型なんか留めないで。 最初は消しゴム。 ペンケースの奥にしまった消しゴムを最初は周りを伺いながらこっそりと使った。 次は花柄のハンカチ その次はハートの鏡 さくらんぼのスマホケース 薔薇の香りのハンドクリーム ピンクのイヤホン ひとつひとつ揃えていった。 明け方までネットを彷徨ってあの子と同じランジェリーを見つけた時は本当に嬉しかった。 「気をつけた方がいいよ」 「あの子莉緒のものばかりパクってて気持ち悪い」 全部その通りだと思った。 私のしていることは間違っている。 全部全部、間違っているのに。 「私本当に桃大好きなんだよね!毎日食べたいくらい」 私は桃アレルギーだった。 それがあの子とはまるでかけ離れた人間であることの証明であるかのように思えて だからあんな馬鹿なことをしたのかも。 震える手で桃を口に運ぶ。 銀のフォークが鈍く光る。 全身がこの禁断の果実を拒絶していることが分かった。 「アレルギーなのに食べたらしいよ」 「え!なんか、そこまでいくと病的じゃない?」 無機質な病室は私の心の中のようだった。 あの子がお見舞いに来た。 「なんで?」 小さなお花のブーケとクラスの皆で書いたのであろう色紙を脇に置いて、真っ直ぐ私を見つめるあの子。 「分かんない、でも」 私、貴方になりたかった。 どうしてもなりたかった。 過不足なく莉緒ちゃんになりたかった。 「…そっか」 不機嫌そうで怒ってるような声。 いつも笑顔の莉緒ちゃんの新鮮な姿。 それがほんの少しだけ嬉しかった。 ずっと私は特別を夢見ている。 「…前髪、そっちの方が私はすき」 無言の時間が続いたあと莉緒ちゃんはそう言い残して帰っていった。 自分の目が嫌いで隠していた前髪は病院の検査の関係もあってピンで止められている。 莉緒ちゃんの持ってきたブーケは可愛いらしいピンクのガーベラだった。 変化があったからといって私が何か変わったわけではない。 相変わらずあの子と同じイヤホンで音楽を聴くし同じ消しゴムで文字を消した。 あの子に依存することで構築したアイデンティティをすぐに変えることはむずかしかった。 でも少し変わったこともある。 「おでこ出してるのいいね」 「そのヘアピン可愛いね」 私の前髪は兎のヘアピンでとめられるようになった。 駅前の雑貨屋さんで私が見つけた白い兎のヘアピン。 「でもスマホケースとかハンカチとか全部莉緒のパクリだよね。そういうのってなんか…」 「違う」 大きくもない声なのにやけに響いた。 莉緒ちゃんが綺麗な髪を耳に掛けて少し微笑む。 「お揃いなだけ」 でも心配してくれたんだよね、ありがとう。 柔らかな肯定。 莉緒ちゃんは綺麗な子だった。 中身も。 綺麗なものを見ると人はどうやら涙が出るらしい。 「…うん、うん」 少しずつ見つけていこうと思う、新しい私を。

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綺麗なあの子

残り香

「本当にいいの」 雨の中でもライターに火は着く。 私は黙って頷くとそれを燃やした。 元彼からの手紙だった。 それは引越しの準備で荷物を整理していた時のこと。 壁に掛けた鏡から出てきた四年越しの白い封筒は綺麗なままで。 なんで、今頃。 四年前の私ならきっと泣くほど嬉しかっただろう。 あいつ、無愛想で何考えてるのか全然分かんない男で。 好きとか滅多に言葉にしてくれなかったし 私が髪の毛を切っても新しい服を着ても気づかないし 女心なんか、全く理解していない。 だから私はあいつによく泣かされた。 歩くのも早く…て けど。 デートの時、脚の長い彼は歩くのが早くて、 慌てて追いかけようとすると、思い出したように振り返っていつもあいつは私に手を伸ばしてくれた。 「…手、貸せ」 ぶっきらぼうな声。 手を繋いだ後の、言い訳じみた「危なっかしいし歩きにくい靴履いてくんな」ていう不器用な照れ隠し。 あいつの大きな手は暖かくて、優しくて 包み込む指が好きだって言ってくれてるような気がして。 だから私はわざといつもヒールのある靴ばかり履いた。 好きだったよ。大好きだった。 でも、あんたが振ったんじゃない。 あんたが、私を置いていったのよ。 「…まだ起きてる?」 私物を殆ど詰め終えた私の部屋は殺風景で寒々しい。 けれど、大人の男女が寝るには少し狭いシングルベッドの中は暖かかった。 掠れた低い声と共に回される腕はあったかい。 まだ止まない雨が窓の外を叩く。 「なぁに」 一昨年から付き合い始めた今の恋人は少しヘタレで、でも優しい人。 明後日、私はこの家を出る。 左手薬指に嵌められた斗真君から貰った婚約指輪を見つめる。 「あ、あのさ…」 二年記念日のデートの帰り、そわそわと差し出された可愛らしいチューリップの花束と指輪。 人生で見たことないくらいに緊張した彼。 震える手と一生懸命な声。 「舞さん、本当に…愛しています。僕と、結婚してくれませんか」 ヘタレなこの人が、どれだけ頑張ってこの言葉を言ってくれてるんだろうと思った。 熱を孕んだ彼の瞳を見つめる。 あぁ、愛おしい。 この人を、傷つけたくないな。 「手紙、どうして読まなかったの」 暗い部屋では彼の表情までは分からない。 けれど、別にわかる必要はなかった。 回された腕をなぞって彼の指にはまる指輪に辿り着く。 私はそれをそっと撫でて彼の額にキスを落とした。 「だって読む必要性がないもの」 気にならなかったかというときっとそれは嘘で。 数年ぶりに見たあいつの角張った懐かしい文字に胸が高鳴らなかったのかというとそれも嘘で。 あいつの不器用な愛情と言葉が懐かしくて、だから少しだけ、寂しくて。 それでも。 そうだとしても。 「私がこの先ずっと好きな人は斗真くんだから」 結婚式をあげるのはまだ先になりそうだけど、お色直しは柔らかい黄色のドレスが良い。 一緒の家に住んで彼が帰ってきたら「お帰りなさい」って抱きしめるの。 甘党の彼の朝食には珈琲なんか似合わないから、ココアを入れてあげたい。 子供は欲しいし、可愛い猫も飼いたい。 結婚記念日はお祝いしたいから忘れられたら拗ねると思う。 「ねぇ、私幸せだよ。ちゃんと」 終わった恋の残り香にすら、私は縋り付く気は無い。 ずっと、不安だった。 あの手紙を見つけたのは本当はもっと前のことで僕はあの人がどれだけ彼女のことを想っていたのかを知っている。 隣にいても、いいのか。 彼女と一緒にいてもいいのか。 僕と一緒にいて、この子は幸せになれる、? だから手紙を渡すことは出来なかった。僕は元の場所に戻しただけだ。きっと書かれていた内容を彼女に話す日は来ないだろう。 だけどそれでもいいのか。 彼女が好きなのは僕なんだと言ってくれている。 この先も、ずっと。 それがなんだかようやく腑に落ちた気がして、終着点の見えない心に光が灯ったかのように思えた。 「僕もだ。人生かけて幸せにしたい人は舞さんだけだよ。」 愛してる。 誰よりも、あの人よりも。 一生分の愛を一瞬で注ぐのではなくて一生かけて君を愛していたい。 ずっと、ずっと、君だけ。 舞へ 映画館に入ればお前が頑なにチュロスを食べたいと言って聞かなかったことを思い出す。 線の細いヒールを見ると支えなきゃいけないと身体が勝手に動く。 新作のフラペチーノが出たら伝えようと思うし桜が咲くとお前が喜ぶ様子が浮かぶ。 何をやっていてもきっと頭から離れることはない。 弾むような足取りも、口を大きく開けて笑う表情も、何事にも一生懸命なその姿勢も 全部全部可愛いと思っているのに俺は不器用だからいつも言うタイミングが分からない。 常に可愛いからいつ言えばいいのか分からない。 愛しいよ、舞のことが。 好きだよ。好きだ。大好きだ。 戯言だ。恥ずかしいと思ってくれて構わない。 もし掃除の時にでも見つけたら俺への優しさだと思ってそっと処分してください。

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