風蓮華
12 件の小説迷いの森-3
紅茶の茶葉の良い匂いが漂ってきた方向を見ると、彼女が大きく足音を立てながら運んできた。 彼女は右手で荒っぽく紅茶を差し出した。席につくと、彼女はスプーンで紅茶をかき混ぜながらねぇ、と声をかけてきた。 「あたしさ、この森から出たことないの」 彼女は突如、自身の話をした。彼女は海を見たことがないらしい。大きなビルも自動車も。 だから、こうして人と話すのは新鮮な内容ばかりでとても楽しいらしい。 「ところでさ、本題に入っていいかい?」 彼女が楽しそうに話している所を申し訳なく、僕がそう聞くと彼女は首を傾げる。 「本題?」 「そう、究極のお菓子についてなんだけど」 突然、彼女は視線を逸らし、手を忙しなく動かし始めた。 「えっとね、あたし影絵作るの得意なんだ」 彼女は必死に手で何か、生き物の形を作り始めた。 脈絡のない話に少しばかり頭にきたが、もう一度聞き返した。 「ねぇ、究極のお菓子ってのは一体どんなお菓子なんだい?」 彼女は冷や汗を流しながらも、僕の話題を逸らさせようとしてきた。 「それよりさ、もっと面白い話が…」 僕はついに痺れを切らした。 「それよりっ!究極のお菓子はどこなんですかっ!?」 まるで地団駄を踏む子供のように声を荒げる。僕は周りから温厚と言われるが、ここまで焦らされるのは好きではない。 彼女は観念したように息を吐く。 「そこにあるじゃない」 すらりとした白い指が僕を指す。慌てて僕は後ろを向いた。喉から手が出るほど欲しかったものがすぐ傍にあると思ったら、体が勝手に動いていた。
意識したら止まらない
薬が効いて精神的にも落ち着いた頃を計ったかのように、それはやってきた。 「あら、先生!偶然ですね」 「は、箱庭さん…おはようございます。偶然なんですね?」 授業準備や部活動の顧問を務めている教師にとって、数少ない休日に本当に#偶然__・__#告白してきた生徒に出会すことがあるのだろうか。疑問を抱えつつも先生としての体裁は崩さないようしっかりと挨拶をした。 箱庭さんはやだなぁ、先生偶然ですよ!と念を押してきた。余計怪しい。これが生徒じゃなければ、警察に突き出したいレベルだ。 「せっかくですし、先生一緒に出掛けません?勿論、誤魔化す内容は思いついているので安心して下さい。懲戒処分などにはなりませんよ」 偶然出会っただけなのに、すでにこの綿密な計画がある時点で怖い。心の中で確信する。やはり偶然なんかじゃない、と。 緊張で汗水が垂れる。 「あはは…箱庭さん。だm「先生、アリスです。アリスと呼んで下さいね」…まずは人の話を聞こうね」 狙ったかのように駄目という言葉に被せてきた。しかも否を言わせないかのような物言いと態度。しかし真剣な瞳。教師としてだが、少しだけ興味を沸いたのが負けだった。 「そんなに名前が気に入っているのかい?だとしても公平さを欠かさない為にもそれは出来ないんだよ」 「名前が気に入っている訳じゃないんですよ。箱庭って苗字を名乗るには私は相応しくない、ただそれだけです」 彼女の哀愁漂う瞳が嘘を語っているようには見えなかった。彼女の家庭事情を深く知っているわけではないが、家庭訪問の際、確かに箱庭さんの親御さんは彼女に完璧を求める様子が伺えた。 「私、姉がいるんです、それもとびっきり完璧な姉が。両親も完璧主義で実際、なんでもこなせますし…それと比べれば私は同じ苗字を名乗るにはまだまだ未熟過ぎます。だからこそ苗字で呼ばれたくはないんです。私はまだ自分自身を箱庭家の一員として認めてはいないので」 あまりの意志の強さにそれ以上、追求することは出来なくなった。同時に苗字で呼ぶことも出来なくなった。
愛し方を知らない少年と愛され方を知らない少女
何時もと変わらない笑顔の君にやっと笑いかけてあげられるようになった。 微かな苦味のある香りも小さく木霊する音色にも慣れてきた。 けれどもまだ、車道寄りの歩道を歩いてしまう。隣に手を差し伸ばしてしまう。 僕の悪い癖だ。君はもういないのに。 会えない君に会おうとするのが、僕の罪。
波にさらわれた恋
好きの言葉は掻き消され、君の淡い栗色の髪が靡く。 近づいては遠のく波の様に君との距離が縮まらない。 どうしてこうなってしまったのだろう。大切なものをなくさないように、汚さないようにと大事に扱っていただけなのに。 彼女はいつの間にか遠い人となった。 僕なんかでは手の届かない、とっても遠いところに行ってしまった。 またいつか、なんて余裕こいて、何もしなくてもそばにいる事を当たり前と思い込んだ。 当たり前がなくなった時にはもう、全てが手遅れだった。 君の冷たい肌と僕の肌が相反する温度で溶け合っていく。触れ合ったところからじんわりと広がる温もりにすら、君は反応しない。 視界が歪み、悲しみと苦しみで溺れそうだ。 嗚呼、大切だったはずなのに。
※※※
暗闇に沈んだ奥底の記憶。断片的に夢の中に流れ込んでくる。 もし翳した小さな少女の手を取ることが出来たのなら、今とは違う未来に辿り着けただろうか。 忘れもしないあの水音。まるで小さな光の粒の様な気泡。 嗚呼、もう忘れてしまいたい。 忌まわしき記憶は、夢となり蘇る。何度も。 青年は息苦しそうに布団から身を起こし、前髪を上げる。艶やかな黒髪から汗の雫が飛び散る。 どうしたらあの子を死なせずに済ませられただろうか。 -愛してる。この言葉を告げられただろうか。 青年はまた底が見えない暗闇へと誘われた。
迷いの森-2
入ると御伽噺の様に現実離れした内装に驚倒する。綺麗に並べられた可愛らしい靴が、あちこちに飾られた小さな灯りが、全てがきらきらと輝いていた。 横目で彼女を見ると、整った顔が台無しとも言えるほど不機嫌そうにしている。気不味い雰囲気に何か問いかけようとするが、彼女は無造作に靴を脱いでいった。気が立っているのだろうか。今は話しかけない方が良いと、頭の中でアラームが鳴り響いていた。 それにしても靴の数が多いな。女性とは皆、靴を多く所持していたいのだろうか。 考え事に夢中になっていると、いつの間にか彼女の姿が消えていた。 どこに行ったんだろう。気が咎めるが僕は近くの部屋を覗き込んでみた。 その部屋は丸い机と座布団だけが、ぽつんと置かれていた。床や壁の所々が少し汚れていて、なんだか入るのに勇気が要る部屋だった。 だが、いざ座布団に座ってみると予想外にふかふかで座り心地は一級品だった。その余韻に浸っていると、更に奥の部屋から先程の少女が二人分の紅茶を運んできた。 「…あっ、勝手に入ってすみません」 彼女は良いんですよ、と微笑んだ。ずっと怖い印象を持っていたので、その可愛らしい笑顔に呆気とられた。 「さっきはごめんなさい」 彼女は席につくなり深々と頭を下げた。金色の髪が波を打つ。 「よく人は訪ねて来るけど…私、人見知りだからつい当たってしまうの」 初対面から胸ぐらを掴むことが果たして人見知りだから、で済むのか。口にはしないが心底、そう思った。 彼女は冷静さを取り戻したようで、ゆっくりと左手で紅茶を差し出した。 「一つ聞いていい?」 僕は無言で頷いた。 出された紅茶を喉に通すとすっきりとした味わいが舌の上に広がり、心が落ち着く。 「あなたは何故求めるの?」 その言葉にふと、故郷の情景が頭に浮かんだ。 「…昔、亡くなった駄菓子屋のばあちゃんのためだ」 腰を悪くしてしまったばあちゃんの顔が脳裏を過る。いつも優しくしてくれたばあちゃんのお菓子は、甘くて病みつきだった。 ばあちゃんは小さい頃に聞いた【究極のお菓子】という物を一度でいいから食べてみたかった、と言った。足腰が弱ってしまったばあちゃんはもうこの町から出ることが出来なかった。 「だから約束したんだ、必ず僕がばあちゃんの元まで持ち帰るって」 幼き頃の自分がしわしわなばあちゃんの手と指切りをした時を思い出す。ばあちゃんはもう居ないけれど、せめてばあちゃんの仏壇にお供えできたら。きっとばあちゃんも喜ぶだろう。 そんな思いでここまでやって来た事を、彼女に全て話した。 「ふふ、そうなのね。あら、紅茶がなくなってしまったわね。新しいの淹れるわ」 僕の話を聞くとまるで逃げるかのように、彼女は静かにキッチンへと向かった。
愛し方を知らない少年と愛され方を知らない少女
貴方に染められていく。 最初は好きでも何でもなかった。ホラー映画も邦楽も。 貴方と共に過ごしていたら、貴方の好きな物は全て好きになった。 世界が広がった気がした。 でも、最初に好きになったのは映画でも音楽でもなくて。 「本当は春くんが最初なんだよ」 小さく呟いた言葉は、夏の暑さに溶けて消えた。
愛し方を知らない少年と愛され方を知らない少女
このシリーズはこの子達しか出ません。 男の子が辻 春斗(つじ はると) 女の子が松川 彩乃(まつかわ あやの)と言います。
迷いの森-1
風が吹けば波紋の様に拡がる木々の騒めき。それは止まる術を知らないようで、光が届かない程、木で覆われた暗闇の中で佇む僕に不安を煽る。 帰りたい。何度もそう思った。 今、僕が立っているこの地は【迷いの森】と呼ばれており、立ち寄った者は誰一人として帰っては来なかった。 それでも人々は、この地へと向かう。なぜなら誰もが欲しがる物がそこにはあるのだ。 震える足を一歩二歩と差し出す。大丈夫だ、と自分に言い聞かせながら深く地を踏む。 幾分かすると、ぽつんと建った小さな家に辿り着いた。まるで絵本の世界から飛び出してきたかのようなログハウスの扉が、ぎこちない音をたてながら開く。こちらを覗き込むように顔を出したのは、花のような少女だった。 少女は長い黄金色の髪を靡かせながら、こちらにゆっくりと近づいて来る。小さな体が僕の前に立ちはだかるやいなや、胸ぐらを掴まれぐっと引き寄せられた。 「誰、あんた」 「ぅえっ?」 急の出来事に頭が処理しきれず、間抜けな返事になってしまった。目の前の鋭い眼差しに僕は反射的に顔を逸らす。彼女のぎゅっと掴まれた右手に恐怖心を感じた。 「僕は…その、きゅっ…【究極のお菓子】を求めて来たんです…だから」 見逃して欲しい、という言葉は少女の睨みによって呑み込むことにした。 「ふぅん、あんたも…ね」 付いてこいと言わんばかりに家の中へと誘導される。おどおどとした足取りでぬかるんだ地を一歩一歩踏み締めた。
【箱庭アリス】
容姿端麗。博識洽聞。非の打ち所がないこの学校の生徒会長。それが箱庭アリスという人間だった。 ブロンドの髪を|靡《なび》かせ、歩けば男女問わず誰もが黄色い悲鳴をあげる。座れば花が咲き誇ったかの様に、周りは頬を赤らめる。 そんな彼女には想いを寄せる男性が二人も存在した。 一人目は周りから箱庭アリスの番犬と呼ばれる、正式な彼氏、滝川 透。 番犬と呼ばれるだけあってか、常に警戒心丸出しの男であった。喧嘩は日常茶飯事だった彼は、箱庭アリスと付き合うことにより喧嘩は一切、関わらなくなったそうだ。けれど両耳で合計十個のピアスや赤い髪色など見た目の派手さや、口の悪さが災いして周りから恐れられている。 二人目は箱庭アリス、滝川透のクラス担任である沼田 |琲羅《ひいら》。 眼鏡をかけた至って凡庸な国語教師である。貴方の身近にも居るのではないか、と問いたくなるほど普通の教師だ。 この二人、年齢や容姿を比べるだけでも天と地との差がある。そんな彼らの唯一の共通点が完璧人間、箱庭アリスに好かれている事。 何故、彼女は彼氏という存在が居ながら、冴えない教師を好いたのか。僕は頭を抱えた。好かれる要素もなければ、そもそも接点が担任以外なかった。担任としての接点ですら、必要最低限だった。 「…これはテストより難しい難問だな」 彼は業務を終えた後、ひっそりとドラックストアで胃薬を買ったらしい。