7 件の小説
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執筆初心者です。

つぶやき

真昼の真夜中。曇り空。ぼやけた視界の中で青いベッドに寝そべる。 理由のないさざ波が押し寄せては引いて、苦しいのにすがってしまう。すがる自分に気づいて不快が喉までせりあがってくる。 できれば溺れて右も左も分からないでいたいのに。消えてなくなりたくなって眠りについた。 目を覚ましたのは誰かが呼びかける声で、手を伸ばしたくなくて眠ったままのふりをした。生ぬるい布団は弱い鎧のようで、居心地が良くて不穏だ。 一人きりでいたいのに寂しい。寂しいわけじゃないのに同情が欲しい。同情は欲しくないのに慰められたい。 もう誰も話しかけないでくれ。脆弱な自分を気づかせないでくれ。逃げ回る私を晒さないでくれ。 苦しい。 苦しい。

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つぶやき

真夜中の呟き

薬でくらくらする頭を枕の上に敷いて、音楽を聴く。 イヤホンから耳に流れこむ甘いギターと深い重低音が余計に脳を溶けさせる。 真っ暗な部屋で小さく光るスマホの画面に、なんとなく自分の孤独感を重ねる。 ただ体の中は愛と哀しさが泥のように混じっていて、むせかえしそうな涙の香りが部屋に充満している。 抱えられた羊のぬいぐるみの目は、多分私の全部を見透かしてる。影が含んだもがき苦しむ姿をじっと見つめる。 世界が全部溶けている。この今の時間だけ。 窓の外から時折差し込んでくる車のライトは、明白な歪みだけを探してる。 馬鹿になってるんだ。馬鹿になっていたい。 酔っている?浸っている? 多分違う。呑み込まれてる。 好き。好き? 会いたい。会いたい? 愛。愛? はっきりしてはいけないものを、混ぜ合わせて熱して信じられないくらい甘くする。 この部屋いっぱいの液体の中で心地よく溺れる。 何時間だって考えられる。感じられる。 不確かなものへの高濃度な淡い堕落。 嘘じゃない。ただ曖昧なだけ。 うるさいのにやめてほしくないんだ、その曲。 ずっと流し続けて欲しい。支配して欲しい。 途切れてしまわないで欲しい。 静かに首を絞められている。 誰も邪魔しないで。 ほんとにだいすきなの、多分、きっと。 誰にも分からないけど。 時折解き方が分からない情緒がゆっくり胸を叩く。私の中に溶け込んでしまう。 混ざりあって混ざりあって混ざりあって。 満タンの箱の中では結局甘いんだ。 漏れだしたら最後、ガラガラと砕けていく世界だから、ゆっくり染み込ませて欲しい。 そうすれば静かに元の部屋に戻る。 永く続かない桃源郷に居続けることはできない。溢れる前に逃げなくてはいけない。 手を伸ばし始めたらそれは終わりの合図だ。 正気は余韻とともにじわっと広がる。 聴いていた曲が知らない曲になる。 色めいた雲は弾けて、床にしたたる。 さっきまでの時間を幻夢と名付けて部屋を出るんだ。マーブルな色を垣間見ても虚無と拘束でドアを閉め切る。 馬鹿馬鹿しい。と。 私はうなじに飴玉を隠して、相変わらない階段をゆく。 きっとこの地下を抜けた先で優しい雨が降る。 そう泣きながら信じて。 綻びてゆく。

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真夜中の呟き

独裁者

?!〇△?、!!!!! あーうるさい。今日も母さんが騒いでる。 一応壁を隔てているのに、やたら甲高い声は耳をつんざく。 少年はティッシュを耳に突っ込んで上から手で塞いだ。 「おい、うるせえぞ?!黙れやお前!」 酒に酔った父親も怒鳴り出した。 お前もうるさいよ父さん… 父親が苛立って物を投げている音もする。 ?!!‪✕‬‪✕‬‪✕‬△?!!□□〇!!! 母親もさらにヒステリーを起こしている。 めんどくさいなぁもう、静かにして欲しいや。 なんでこんなにうちは騒がしいんだ? 学校の友達に話したら他の家ではもっと静かだって聞いたんだけど。 あぁ、ほんとこの家が嫌いだ。 少年は耳に詰めていたティッシュをとって、気だるげに立ち上がった。 「?!〇△?、!!!!!」 妻が甲高い声で叫んでいる。おそらく頭のネジが飛んじまってる。これはもうだいぶ前からだ。 「おい、うるせえぞ?!黙れやお前!」 怒鳴ってみるが変わらない。ひたすら青白い顔で叫んでいる。あぁ、今日も駄目だ。くそくそくそ、どうにもならねえ!! 手元にあったテレビのリモコンを妻に投げつけた。一瞬驚いて固まったがまたさらに叫び出す。 ?!!‪✕‬‪✕‬‪✕‬△?!!□□〇!!! ああこの声量じゃ隣の部屋にも聞こえてんだろう。 酒を飲んでてもこれだけ冷や汗が止まらないのに、この頭のおかしくなる家で、素面で正気を保てるやつなんかいない。 今日も駄目だ。今日も。 ギ…と誰かが立ち上がる音がした。 ガチャりとドアが開いた。 「父さん?」 「あ、あぁ…なんだ」 「ちょっとうるさいんだけど」 「あぁすまん、母さんがな」 「父さんもうるせえよ」 「そうか、すまん、いや」 「母さんのことは父さんが何とかしてって言ったよね?」 「そうだな、父さんが何とかするよ、ああ」 「何とかできてないだろ?うるさいんだよ」 「いや、でもな母さんは」 「何とかできないなら殴ればいいよ」 「それは…」 「殴り方がわかんないの?」 「いやっ、ちが」 少年は床に落ちている焼酎瓶をとった。 「教えてあげようか」 「違うんだ!!!!聞いてくれ!!!母さんはび」 ガッッッッッッ 父親は倒れた。 △△△△△△?!!!!!!‪✕‬‪✕‬‪✕‬‪✕‬‪✕‬!!!? 母親は悲鳴と奇声をあげた。 少年は割れた焼酎の瓶をちらりと見て床に捨てると、自分の部屋に戻った。 「はぁーあ、親ガチャ失敗だわ」 終わり。

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独裁者

レミングの牢獄

私は今日死にます。 この通りを右に行って3つ目の角を曲がった先にある橋の上から、川に飛び込んで死にます。 川は高身長の男性でも足がつかないほど深いです。 また今日は雨が沢山降って川は増水しているでしょうから、助けを呼んでも誰も川には近づかないでしょう。 もし増水していないとしても、人助けのために動く人間は、この街にはいません。 そのような街であるから、私は今日自ら川に飛び込もうと思うのです。 私のような下水に住みついた鼠のような人間が1人死んだからと言って、誰も気にかけないのは分かっています。 大して珍しいことではない上に、私のような人間は生まれた時から命の価値が低いのですから。 私を唯一慈しんでくれたのは母親でした。しかし私が5歳にもならないうちに、彼女は薄汚い路地で高貴な方々に乱暴されて死んでしまいました。 私の命はもう誰にも必要とされていません。 私のただ1つの心残りは、母の亡骸を発見して知らせに来てくれた時から知り合いの、お兄さんのことです。 彼は1人で生き抜くことになった私を何かと気にかけてくれました。 痩せこけた母の遺体をわざわざ埋葬してくれたり、食べ物やお金を少しだけ与えてくれたり、さらには幼い私を連れ出して外の世界を見せてくれるなど、随分お世話になりました。 彼に何も恩返しをできずに今日、人知れず死んでしまうことに、少しだけ胸が痛みます。 でもそれ以上に、私は全てに別れを告げたいのです。 もう私にはこの世界と私という人間とどちらが歪んでいるのか、あるいはその両方なのか判別がつきません。 馬車に乗って優雅に道をゆく方々を見て、この雨の中で私たち野鼠がびしょ濡れで納屋に雨宿りしていることに懐疑を抱くのは、おそらくおかしなことなのです。 私たちが経験してきた酷い絶望による諦めと虚無は、しょうがないもので当たり前のものでした。 人にはそれぞれ神から許された生き方というのがあって、私たちにあてがわれたものはこの人生だったのです。 ああもう何も考えたくはありません。もしそうならば私には嘆くことさえもできませんから。私が神に対して抗う方法はもう、今日果たすのですから。私はあの世で母に会うこともできないのでしょう。神にこの人生を自ら返却するとは、そういうことでしょう。 もう私はこの身体も魂も、どこへ行こうとどうでもいいのです。私が望むのはただ、二度とこの目が開かぬことですから。この先に苦しみしか無いのもそれでいいと思います。頭の中をぐるぐると数多の負の感情が渦巻くより、苦しいと一言で済む方が気が楽です。 最後に私は何をしましょうか。愛する人も財産もなにもないので、遺言ものこせません。強いて言うならお兄さんのことが少しだけ気になります。しかし彼は私たちのような穢れた命を持たないのだし、この世の不条理に目を背けない美しい人柄なので神が彼を幸せにしてくれるのでしょうね。森や花や鳥のさえずりのように美しいものは守られているのですから、彼が美しいままである限り彼はきっと幸せでしょう。 さあもう私に何の未練もありませんね。夜が深くなって雨足がさらに強くなっています。良い日和で最期を迎えることが出来て喜ばしいです。もう私には朝は待っていません。哀しみも惨めさも憤りも、そしていつの日か少しだけはあった愛と芳情も、全て無に帰ります。何も哀しくはありません。ささやかな何かを望むことさえも身に余る私が、勇敢にも自ら死のうとするのです。どうしてそれが哀しいでしょうか。 何もかも失って地獄へ行きましょう。 こんな身でも生んでくれた天国の母へ感謝を。 憎悪と蔑みに満ちたこの世に救いがあらんことを。 「嘆かわしいねえ」 「どうされたんです?」 「1人無力な鼠が死に至ったよ」 「それはなんとまあ可哀想な」 「なんの抵抗にもならないと言うのにね」 「抵抗のための死なのですか?」 「ああ、そうだよ。私たち貴族へのね」 「貴族様には勝てませんのにね」 「そうだね。無意味だよ。ああ、今回はつまらなかったな」 「また他のものをご用意しましょうか」 「お願いするよ。今度はもっと希望を持った子を見つけてきてくれ」 「了解しました」 「あぁ、波乱万丈の人生を見せてくれそうなね」 「えぇ」 「喜劇でも悲劇でも、よりおもしろいものをね」 「もちろん」 「ふふ、次の子はどんな生き様だろうね。楽しみだなあ」 彼が美しいままである限り彼はきっと幸せでしょう。 鼠は全てを知りながら、不均衡で歪な世界から空虚に飛び込んだ。 終わり。

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レミングの牢獄

空の下から愛し子へ

海、船、カラフルな色の飴ちゃん、地面の落書き、ちっちゃな容器に入った口紅。そういやおはぎも好きやったね、懐かしい。 薄桃色の着物でお洒落して、ちょんちょんと飛び跳ねながら見せびらかすんが可愛かった。 あんたほどのべっぴんさんはなかなかおらんかったなあ。贔屓目やないよ?都会の洗練されたんとは全然違うけども、あんたの可愛さは皆の笑みが零れるほどやったよ。 わたしらはいまやっと落ち着いた頃やよ。沢山泣いて泣いて哀しんで、でもそれぞれがみんな、お互いに見せなかったね。今までのはなんやったんやろうって皆思ってるんは伝わったけどね。ちょっとずつちょっとずつ、ずぅっと前の優しい頃をまた始めようとしてるよ。 まるで一度全部割り散らかしたガラスの破片を、いっこいっこ集めてる感じだよ。 いなくなっちゃった破片もあるけど、それはもう仕方がない事やよね。その破片が大事な大事なものやったことには変わらないんやけどね。 ツギハギも欠落が少々目立っても、集められるだけ集めて、ぎゅってしてれば、ね。優しい頃に近づける。 そっちはどうだい?穏やかに暮らせてるかい? 危ないところはないだろうけど、寂しくはないかい?いや、一緒に大勢そっちに行ったもんだから、こっちの方が寂しいかもしれないね。 そうねえ、でもやっぱり心配だから、夏休みになってしばらくしたらおいで。いっぱいおはぎ作っておくから、家族で食べよう。待っとるからどうどうと帰ってきいや。忍び足で来るんと違うで。どすどす廊下歩いて来るんよ。 無邪気な子ぉやったから、言われんでも、障子に穴ほがしてでっかく帰ってきそうやけどね。 お洋服も作っとかないとね。作っても着れるかわからんけど。1着しか持ってないやろう?あんたはお洒落さんやからなあ、何着作っとくとええかなあ。あと、たった1年やそこらやけど、すぐ大きくなったやろうから採寸はどうしたらいいんやろ。まあそんなん考えるんも楽しみやわ。 とにかく、いっぺん会いに来てね。皆里帰りする日に一緒に行けば、迷子にはならんやろ。 うちの家はなんも変わってないからね。 つい最近1人あんたくらいの子を預かり始めたけど、どんな子だがまだ分かってないもんでね。 やっぱりあんたがおるんがいっちゃん幸せやわ。 来た時は会ってやってね、その子とも。仲良うなれたらええね。 あぁ、早く会いたいね。ずっとずっと会いたいよ。何にでもころころ笑うあんたが1人おらんだけで、ぽっかり心に穴が空くよ。あんたは私の一部だったんだろうね。本当に大切だよ。 ありがとうね。たくさんたくさん。ありがとう。 また会おうね、会いに来てね。

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空の下から愛し子へ

妻へ。

美しくないものが嫌いだ。 暖かな陽の光、降りしきる透明な雨、澄み切った森や山。 私の思う美しいものはこれらだ。 我欲にまみれた人間など、以ての外。 人間は、愛だの真理だの信仰だの、幻想にすがりついて、無様に身をよじりつつも生き長らえようとする。 美しくない。実に美しくない。 妻を亡くしてもまだなお、腹が空けば飯を食い、眠くなれば寝て、平然と生きている。 そんな私も、この地球を汚す、哀れで美しくないものの一つだ。 妻の生きていた頃、私はあまり妻に構わなかった。 妻と話す時私が発する言葉は、「夕飯。」「風呂。」「ああ」「うん」 これだけ。 挨拶する日があるだけましな方だ。 甲斐甲斐しく働く妻に、私はありがとうの一言も言ったことがない。 何しろあの頃はその世界では名をはべらした芸術家であったので、そんな暇があるなら作品づくりと向き合っていたかったのだ。名聞を気にしていたこともあって、より素晴らしいものを作りたいという欲が強かった。 蓋を開ければ、私は、たった1人の家族をも大切にできない、くだらない人間だったというのに。 「私のお墓には、毎月違う花を添えてくださいね。 あなたはなぁんにもしない人でしたが、そのくらいできるはずです。 添える花が無くなってしまった頃、またあなたと暮らしたいです。 明子より。」 妻が遺した言葉は、紙きれ1枚分の、これだけだった。 奥ゆかしい微笑みを絶やさない、妻らしい遺言だった。 先月と違う花を、今日また森へ探しにでかける。 踏みしめる土は湿っていて、歩いた跡が深く残る。 明子が亡くなった今も、大の男が、誉を捨て、言いつけを守る子どものように生きている。 ああ、美しくない。美しくない。 人間は、愛だの真理だの信仰だの、幻想にすがりついて、無様に身をよじりつつも生き長らえようとする。 私もそんな人間の1人だ。 雨上がり。 雲の間から青色を覗かせる、泣き笑いのような空を見上げた。 明子、こんな私を許してくれ。 愛してるよ。 終。

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妻へ。

栞の楽譜 1話

小さな、透明な瓶に挿したネモフィラ。 窓枠で形どられた青空。 陽の光で透けた黄色いカーテン。 真っ白なベッド。 毎日毎日、朝が来て、夜になるまで、同じ風景が栞を包んでいる。 だが彼女はそんな日々を見ようとはせず、一心不乱に楽譜を書き続けていた。 栞の一日は長い。なにしろトイレと散歩以外は、ベッドから動かないのだ。食事は看護師が運んでくるし、栞にリハビリの時間は要らない。一日中、ひたすらベッドで過ごさなければならない。 そして栞は、ベッドにいる時間のほとんどを、楽譜を書くことに費やしている。 キュルルル…と病室のドアが開く音がした。 「おーはよ、栞。」 ドアから顔を出したのは、旭だ。 「…おはよー…」 栞は旭にさえ見向きもしない。 旭は気にせず栞のベッドの方へ歩いていく。 「栞、あのさ」 栞は鉛筆を動かしている。 「あの、栞」 栞は何やら考え込んでいる。 「栞…」 栞は膝の上で指をとんとんと動かしている。 「しーーーおーーーりーーーーー!」 「わぁあ、もう、なにいい!?」 ビクッとして鉛筆を落とした。そのまま鉛筆がベッドの上を転がり、小さな音を立てて床へ落ちた。 「あ、旭じゃん。また来たのね」 旭は呆れて肩を落とした。 「今俺だと気づいたのね…しかもまた来たのって…」 旭は栞が落とした鉛筆を拾い上げ、机の上に起きつつため息をついた。 「旭、昨日も来たじゃん。そんなに暇なの?仕事は?」 旭はベッドの横の壁にかかっているカレンダーをトントンと指でつついた。 「今日、日曜日だよ。仕事はない」 「…あ、そうか、日曜日…」 栞の曜日感覚はもうほとんど無いに等しいので、今日が日曜日なんてことは完全に忘れていた。 旭が示したカレンダーの日付をみて、栞は少し目を見開いた。 「……もう5月に入ったの?」 小さく呟く言葉に、旭は一瞬はっとした。 しかし旭はすぐに、 「うん、昨日花畑の写真見ただろ?あの花、5月くらいに咲く花だからね」 と笑顔で栞に言った。 「あぁ、旭が持ってきてくれたやつね…」 窓側の机に置いた、ネモフィラが挿してある瓶を、今気づいたかのように見て、しばらく見つめた。 花を見つめる栞の顔は、旭の方からは見えない。 ぼうっと花を見る栞の痩せた背中を、旭は優しくさすった。 「栞、俺は今月毎日必ず来るから」 栞は旭を振り返った。 「……あんた毎日来てもすることないよ」 「いやっ、栞と話すとか、栞とあそぶとか、栞と散歩するとかいっぱいあるだろっ」 わたわたと話す旭に栞は笑う。 「ごめんって、分かってる。ありがとう。今月末だもんね」 「…うん、」 今月末。残りあと30日。 「栞と話したいこと、沢山あるしね」 30日。それは栞に残された時間だ。 栞のかかった病気は、治療法がない難病だった。 昨年その病気が突然見つかってから、めぐるましく日々は過ぎていった。いくつもの病院を渡り歩いていった。 初めはなんとかして寿命を伸ばせる術を探すため。しかし時間が過ぎていくと徐々に目的は、最期を安静に過ごせる場所をみつけるためになっていった。 結局決めたこの病院は、窓からは畑と山と小さな家しか見えない、ド田舎の病院だ。 栞は待合室にピアノがあるのを見て、この病院に入院することを決めた。 栞が膝の上でピアノを弾きながら楽譜を書き進めるのを横目に、旭はベッドの横で、手土産に持ってきた苺のヘタを取って、皿に盛っていく。 「栞、苺のヘタ取ったよ、食べな」 「うん〜…もうちょっと待って〜…」 そう言いつつ、楽譜から目を離さないまま、栞は苺に手を伸ばしている。 旭は笑って、皿を栞の方に寄せてあげた。 旭は、病気の発見で、通っていた音大を辞めてピアノから離れてしまったことに、栞は未練を感じているだろう、と思った。 高校生の頃に、ピアノの話をきっかけに栞と仲良くなり、音大に行くことも旭が勧めたことだったくらいなので、旭は栞のピアノに対する熱意はよく知っている。 旭もピアノを弾くのはとても好きだが、栞のように向上心を強く持って弾くことは無かったので、旭と栞のピアノの触れ方は少し違っていた。旭は栞の熱意を尊く思い、また楽しさを忘れ険しい顔で練習にふける様子を、理解しがたくも思っていた。 旭は、栞が残り少ない時間を全て楽譜を書くことに使っているのは、最後の最後までどうにか、愛するピアノに全てを捧げたいという気持ちからだと、察していた。 皿の上の苺を半分ほど食べ終わると、栞は手を拭いて、また楽譜を見ながらしばらく考え込み始めた。 「もう食べないの?」 「…」 栞が残した苺をつまもうと旭が手を伸ばし始めたとき、パッと栞がこっちを向いた。 旭がびっくりして手を止めると、 「あとで食べるの!!」 と膨れ顔で栞は言った。 「えぇえ、俺が食べようと思ったのに…」 「だめ!旭は私に持ってきたんでしょ!」 「う、そうだけど…」 旭はじふしぶ手を戻し、ちらりと栞を見た。 諦めた旭を見て、栞は満足そうだ。 そんな栞の顔を、旭は可愛らしく思った。 旭はその日から、毎日栞のもとへ来た。 職場の上司には事情を話して、早く帰れるようにしてもらい、夕飯の前には栞のところへ来て、栞が眠り落ちると家へ帰った。 他愛もない話をして、栞が楽譜を書く横で果物を剥き、栞に食べさせた。 旭は栞と話す時、笑顔を絶やさなかった。 日々が過ぎるのははやかった。 栞は日に日に弱っていった。 ついこの間まで、旭と話す時にはケラケラ笑ったり、怒ったりして元気に過ごしていたのが、今は半身起きるのもやっとで、口数も減ってしまった。 旭が持ってきた果物も、栞はあまり食べなくなった。 でも、楽譜を書く手は止めることは無かった。 ただ、日を追う事に、楽譜と向き合う彼女の顔は陰りが深くなっていった。 その日も栞は、鉛筆を持ったまま、青ざめて思い詰めるように、弱々しい体をいっそう小さくしていた。 「栞、」 栞は重たげに顔を上げて旭を見た。 「ちょっと散歩しにいこうよ」 「私今、歩けないよ…」 「俺が車椅子押すからさ。今の気分じゃ、良い曲も書けないだろ?」 「…うん。」 「な?」 栞は考え込んで、小さく頷いた。 「行く。」 「よし、決まりだ」 旭は笑顔で言った。 そそくさと準備をし、旭は栞を抱き上げて車椅子に座らせ、押しながら病室を出ていった。 開けっ放しの窓から涼しい風が吹いて、カレンダーがひらりと風に舞い上がった。 風はすぐにやんで、カレンダーの1ページ目はまた元の場所に落ち着いた。 栞に残された時間は、あと10日ほどになっていた。 続く。 ------------------------------ 初めて小説投稿しました〜 読んでくれてありがとうございますm(*_ _)m 続きをぼちぼち書いて、また投稿しようと思います。2話か、長くても3話までで完結しようと思います〜 次のお話も読んでくれたら嬉しいです! 菫より

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栞の楽譜    1話