はのん
5 件の小説写真
薄暗い部屋で目を開けた。 カーテンを通り抜けた光が、部屋を少しだけ明るくしている。 スマホのロックを外すと、写真が映し出された。そうだ、写真アプリの整理をしていたんだ。 ずっと前の写真。僕はぎこちない感じだけど、隣に映る女は花が咲いたみたいに笑っていた。 その女は……彼女は、変わっているとよく周りから言われていた。 類は友を呼ぶというのは本当なんだろう。彼女は僕と友達になりたがった。 別に困ることなんかないと思ったから承諾したが、変わっているというのも本当だった。 彼女は気分屋だし、頑固だし、声が大きくてうるさい。でも変わっているのは僕も同じだから、彼女を嫌いになることはなかった。 なんとなく気が合って、僕は正直楽しかった。 「私、引っ越すんだよ!」 だから、突然そう言われたとき上手く言葉が理解できなかった。 「……そっか。またね」 それだけで精一杯だった。いや、勝手に口が動いてくれた。 あまりに僕の返事が素っ気なかったからか、彼女は数秒固まってからぎこちなく笑った。 「引っ越したらメールで新しい住所言うから、遊びに来てよ!」 「気が向いたらね」 本当に「気が向いたら」と思った。どこか他人事に感じたから。 彼女が引っ越してしまう前日、僕達は近くの公園に集まった。 記念にと二人で写真を撮ったけど、僕はどうしても上手く笑えなかった。彼女は、ずっと笑っていたけど。 「遊びに来るときさ、お土産持ってきてよ!」 「何がいい?」 「んー、君から送られてきたって分かるもの?」 冗談めかして彼女は言った。遊びに行ける距離じゃないなんて、言えなかった。 帰るとき、「バイバイ」と放つ彼女の声が、小さく聞こえた。 寝転んだまま写真アプリのゴミ箱マークを押そうとして、やっぱりメッセージアプリを開いた。 ゆっくりと起き上がって、スイッチで部屋を明るくする。買い物に行く用を思い出した。 ついでに、梨でも買おうかと思った。
境界線
時計は見てないけど、夜の十二時前くらい。 隣に寝転がっている水色のペンギンの瞳は、ただの糸のくせに本当に眠っているみたいに見える。 主人より先に寝るなんて生意気。 なんとなくそう思って、寝返りをうって背中を向けた。 このまま眠れば、明日のほうからこっちに来る。今日はどこかに行ってしまう。 星や月も、しばらく会えない。でも、星や月は今日と違ってまた会いにくるから、まだ優しいのかもしれない。 だとすれば何も言わずに去る今日も、勝手に来る明日も、とんだ薄情者だ。 もう一度寝返って君を見る。 君は人間と違って気楽だからいいなあ。 でももしかしたら、私達と違う悩みがあったりするのかもしれない。例えば………タグが邪魔とか。 やっぱりいくらかは気楽なんだろうな。だって平和な悩みしか思い浮かばないから。 夜はおかしな想像ばっかりしてしまう。夜はそういう時間だ。 隣の君を抱きしめた。生意気な君も、これで起きるはず。 布団を頭まで被って秋の肌寒さから逃れる。 目を閉じたら、星の海で泳ぐ水色のペンギンの夢を見るんだ。 もしこの予言が当たれば、数分後に来る明日はどんな反応をするだろう。 薄情な明日も、少しは驚いてくれるかな。
オンシジューム
昔から、踊りの上手い女の子が好きだ。 アイドルはもちろん、歌のお姉さんや、バックダンサーだってそう。 ずっと前から、空に浮かぶ星のような彼女達が1番大好き。 きっとこの気持ちは、いつまでも変わらない。 *** 明るめの長い茶髪。揺れる胸のリボン。琥珀色の瞳。それから、微笑む口元。 視力が良くてよかったと思うのは、今みたいに彼女を見るときくらいだ。 学校帰りの夕暮れ。いつもの河川敷で、いつものように彼女は踊って、私はそれを見る。 いつからだったかもう忘れた。でも、これはもう習慣だ。 それに、私は好きで見ているから。 思わず笑ってしまいそうになると、ふと音楽が止まった。これもいつものこと。 さっきまでくるくると踊っていた彼女は、もう私の目の前にいる。 「ねえ」 「ん」 それだけで会話が成立することを、私達は知っている。 私は自分の荷物から、黄色いカーディガンを引っ張り出す。 「自分で持ってきて」 「やだ」 いつも通りの返事。小鳥みたいな可愛らしい声をしているくせに生意気な彼女に、少しムカついた。 ちょっとした仕返しに、カーディガンを彼女の足元に投げる。……のに、彼女は見事にキャッチした。 「ナイスキャッチ」 「自分で言うな」 私の言葉を無視して彼女はいつもの位置についた。 それからいつもみたいに、カーディガンをマントみたいにしてひらひらと踊る。例えるなら、そう、黄色い蝶が飛び回っている感じ。 人のカーディガンで何やってんだとは思うけど、飛び回る小さな蝶が、どうしても綺麗に見えてしまって仕方ない。 いつもの景色。それなのに、どうしても。 「ねえ」 「!……何」 いつのまにか彼女の琥珀色が目の前にある。 これだっていつものこと……じゃない。いつもはひとしきり踊ったらそのまま勝手に帰りはじめる。 「ほら、踊ろ」 「えっ」 彼女は強引に私の手を引いて定位置に行った。 「ねえ、なんで」 「いいじゃん、別に。適当でいいからさ」 そう言いながら彼女はステップを踏む。私も頑張ってそれに追いつく。 ふと彼女を見ると、夕陽に反射した瞳がキラキラと輝いていた。長い茶髪が、カーディガンが、黄色い光に照らされる。 即興だからか、いつもみたいに上手で綺麗な踊りじゃない。けどそれでも、彼女は嬉しそうに微笑んでいた。 「………ぁ」 —昔から、踊りの上手い女の子が好きだった。 アイドルはもちろん、歌のお姉さんや、バックダンサーだってそう。 ずっと前から、空に浮かぶ星のような彼女達が1番、大好きだった。 でも今は、星よりもっと近くて、もっと輝いている君が— 「ねえ、なんか言った?」 「……んーん、なんでもない」 いや、やっぱり、気づくのはもっと先がいい。
金木犀
朝目が覚めると、庭の金木犀が咲いていた。 何をするより早く庭に出て、今年も咲きましたよ、と心の中で呟く。また、今年も。 何年前だったろうか、あなたに出会ったのは。 確か、大学生のとき。 あなたは先輩のくせに、初対面の後輩に満面の笑みで絡んでいくような人だった。でも優しくて、心まで綺麗な人。 いつも周りに人がいるのが、その証拠だった。 いつのまにか憧れになっていた。僕の手が届くような人ではなかったけれど。 あなたをほとんど知らないけど、確か金木犀が好きな人。 秋に遊ぶと必ず、金木犀の木がある公園に連れて行かれた。 「綺麗だねぇ。いい匂いだねぇ」 金色の絨毯の上であなたは笑った。 「……先輩も綺麗でしょ」 なんてことを言うと、「君はキザだねぇ」と返される。 ずっとそんな関係が、続くと思っていたのに。 あなたと最後に会った日、もう会えないと直感で分かった。 秋の夕日が、あなたの銀の指輪に反射していた。 最後のプレゼントは、金木犀の苗。僕はそれを何も言わず受け取った。あなたもそうだった。 あれから今まで僕は、律儀に金木犀の世話をしている。毎年秋は甘い香りがして、あなたを思い出している。 この金木犀の寿命がきたら、きっとあなたを忘れられる。 そう思いながら、僕は強い香りの小さな花を拾った。
約束
「絶対また、会いに行くから」 君は確かにそう言った。言ったはずだ。言われたから、私はまだ君を待っている。 私はまだ、君を忘れていない。 七月九日。午後の授業中。ふと昔の約束を思い出した。何かその約束に関係するものがあったわけでもなく、本当にふと。 今は数学の授業をしている。でも、私はなぜか先生の話に集中しようとは思えなかった。仕方がないから、私は諦めて、君との記憶を引き寄せることにした。 別に特別じゃなかった。友達の妹で、たまに会うくらいだったから。 すごく素敵な人ってわけでもなかった。どこにでもいるような、普通の子だったから。 年下なのに私より大人っぽかったのは、気に入らなかったけど。 君は友達とよく似た顔で、いつも三つ編みで、いつも微笑んでいた。その表情は好きだった。 でも君は、中二の夏にいなくなった。 「あの子は?」って聞いたら、「入院中」って返ってきた。 驚かなかった。病弱だってことは知っていたから。 「そっか。頑張ってね」 他人事みたいにそう言った。他人事だと思っていた。でも、そういうわけには、いかなかったらしい。 友達に。君の姉に、お見舞いに行くからついてきてと言われた。 真っ白な部屋に、真っ白なベッドがあった。祖母が亡くなったとき以来の光景だった。 君の顔がベッドに負けないくらい白くて、もう死んでしまったのかと思った。 君の右腕に点滴が打たれていた。友達が声をかけると、君は目を開けた。 「ありがとう」 なぜか、私を見てそう言った。微笑んでいた。 友達は君とひとしきり話したあと、病室を出て行った。 私は君と、2人きりになった。 「……あのね」 最初に沈黙を破ったのは君だった。熱があるのか、顔が少し赤かった。 細い三つ編みを触りながら、君は言葉を続けた。 「私もう、長くなくて。さいごに言いたいだけだから、聞き流してもらっていいんだけど」 その瞬間、君が言おうとしている言葉を、悟った。 「…ずっと好きでした」 悲しいことに、予想した通りだった。 私の喉に、透明な壁があるみたいだった。言いたいことが言えなくて、わからなかった。 嬉しいも、嫌だも、待ってもわからなかった。 一瞬でも、「君でいいや」なんて思った自分を恨んだ。 黙り込んだ私を見かねたのか、君は「もう大丈夫。帰っていいよ」と言った。 何か言おうと思って顔を見た。 そのときの君は、私の知らない微笑みを浮かべていた。切れ長の瞳が、わずかに潤んでいた。 いつもより大人っぽく見えた。気に入らない。もう、大人にはなれないくせに。 病室を出る直前、君は言った。 「絶対また、会いに行くから!約束するから、だから、待ってて!」 私は小さな小さな声で、「…うん」とだけ呟いて、部屋を出た。 それが最後だ。その夏にいなくなったんだ、君は。 最後に会ったのは —「七月九日」 「っ!」 急に、意識が連れ戻された気がした。 「…なので、足して十六番の人」 先生がそう言った数秒後、あなたが問いに答えた。 そっか、思い出した。今日は君と最後に会った日だ。 君の命日は知らないから、私はこの日を命日にしている。本当の命日は、あなたが教えてくれなかった。 あなたはノートに落書きをしている。その横顔さえも、綺麗で。 「大丈夫だよ」と、誰かが囁いた気がした。 …本当に気に入らない。 そうやって私を幸せにさせるつもりなんだ。そうやって初恋を続けさせるつもりなんだ。 きっと君がこの日に、私の記憶を無理やり繋いだんだ。 でもきっと、大丈夫じゃない。私とあなたは結ばれない。 君だって分かってるくせに。こんなことのために、会いにこないでよ。約束を果たしたつもりにならないで。 …私を振り向かせようとしてよ。どうせずっと叶わないから。 そう心の中で言って、私は君によく似た顔から目を逸らした。