ペトリコール

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ペトリコール

切ないお話が好きです。ハッピーなお話も好きです。 気まぐれに投稿していきます。フォローも気まぐれなのでお気になさらないでください。 サムネイルのイラストは自作です。

過ぎる、移ろう、無くなっていく。

吹く風に、ほんの少し冷。 夏が終わり始めているなと思う。 「ぬるい」と「涼しい」の間の言葉がほしいと思う。 木陰に立って、そう思う。 ふと気づく。蝉の声が遠いこと。 儚い命があるものだと知る。 どうしようもなく終わっていく。 夏も。私の時間も。 薄くなった空色を見て泣きたくなる。 もう手が届かないな、って理解できる。 季節が変わることを、強く強く惜しむのは。 大人になってしまった証なのだと思う。 私が弱いだけだ。 皆そんなこと理解して前を見ているのに。 私だけがいつまでも、子どもみたいに。 後ろ髪を引かれて、まだ終わってほしくない、なんて。

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過ぎる、移ろう、無くなっていく。

季節の手紙 【二】

手紙の冒頭は普通、お元気ですか、とか書くものだと思いますが、今の貴方には到底似つかわしくない文言でございましょう。 いわゆる繁忙期真っ只中、でしょうか。過酷さは容易に想像できます。お仕事の引き継ぎやらも、貴方は人一倍それが苦手な印象がありますゆえ、気がかりで筆を執った次第であります。 なんとなく、今朝のスコールが、貴方の涙だと直感したのです。 ただ今暇を持て余している小生からこんな手紙を貰っても癪でありましょうが、エゴママでも、労いの言葉を送りたい気持ちのほうが勝りました。“貴方のことを気にかけている者が少なからず居る”という事実で、貴方の心をほんの少しでも救いたいと、らしくもなく自惚れてしまったのです。 ここまで読んでお辛いなら、その手を止めて寝てください。 小生は、貴方の負担が少し軽くなれば、くらいの思いで書いております。 労いの言葉は、心持ち次第で残酷に聞こえる場合もありましょう。これから綴られる言葉は、心の雲間に一筋、光が差した時分にでもお読みください。返事などは結構ですから。 さて、前置きが長くなりましたが、小生は貴方にただ一つ、伝えたいことがあります。 それは、貴方は熱心な人だということ。 小生はご存知の通り薄情でありますから、貴方の熱心さがより素敵に、美しく思えるのであります。 ただ、その熱が空回りしてしまう時には、どうか休んでほしい。 元気がすぎて、自身が気がつかないうちに疲弊し、ふっとあふれ出した涙が止まらない、といった経験を味わってきているでしょう。今は特にそういった場面が多いはずです。最近は晴れの日も少なくなってきて、気持ちが沈む時期でもありますから。 そんな時は遠慮せずにお休みなさい。罪悪感なんて感じる必要はありませんよ。自分のペースで良いのです。世界は、意外とそんなふうに出来ています。この小生が言うのだから信じてよろしいですよ。 一先ず眠って、起きた時に晴れていれば、良いですよね。 調子が良い時は自然が美しく見えるものです。 高くそびえる入道雲、ラムネ瓶の青さ、木陰に吹く風、流水のせせらぎ、セミの声、風鈴の涼しい音。 そんな、世界の小さな風景が何となく良く見えたら、また貴方の熱心な頑張りを存分に発揮させてください。 最後に。 念を押すようですが、小生は貴方のことを、素敵な人だと思っておりますよ。そのことは、何があってもお忘れなきように。 頑張り屋で繊細な貴方に、涼やかな風が吹き渡りますよう。貴方の幸福を心から祈っております。 これからも変わらぬ付き合いを、よろしくお願いいたします。 それでは、また会う日に。 秋より

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季節の手紙 【二】

明日は楽園

「眠ると明日になるから、眠りたくないのよね」 葉ずれの音の隙間から。前方を歩く園子(そのこ)が言った。 ガサガサ。ガサガサ。 現在時刻は午前四時。気温は二度。 吐く息は白いはずだ。見えないけれど。懐中電灯の仄暗い明かりは、足元を照らすのが精一杯だ。 「すみれも、この気持ち分かるでしょう」 声が出なかったから頷いた。 返事はこれで十分だ。園子もこれ以上何も言わなかった。わざわざ返答など期待していないようだった。 これで良い。私たちはお互いのことをよく分かっている。 私と園子は仲良しだ。それは共通点が多いから。 好きな食べ物は給食。飼いたい動物は鳥。父子家庭。世界史が好き。理科が嫌い。クローバーのキーホルダーはお揃い。お腹の青痣もお揃い。明日を望まない人生も、お揃い。 だから、こんな時間にこんな所を一緒に歩くほど仲が良い。 「でも、」 言いかけて、ツン、と空気が喉に張り付く。 瞬間、ゴハッ、と大きく噎せた。 園子が驚いて振り返る。私は身体をくの字に曲げて咳き込み、大量の唾を吐き出した。 気管がむず痒くて堪らなかった。森の中に入ってから飲み物を口にしていなかったから、相当に喉が乾燥していたのだろう。 園子が、「あらあら」と言いながら私の背中を擦る。 「ごめんねぇ。私が引っ張り続けてきたもんね」 今さら身体の心配などしなくていいのだから、園子が謝る必要はないと言いたかった。言いたかったけれど、生理現象には抗えない。咳はしばらく治まらなかった。 ゲホッ、ゲエッ、ゴヒュッ、と、辺りに醜い嗄声が響く。 園子は黙って、私の背中を擦り続けた。 単調な作業で、少し冷静になったのだろう。園子がふいに口を開いた。 「やっぱり……」 刹那、彼女のスカートを握りしめた。 園子は閉口した。 これで良い。その先の言葉など聞きたくはない。 私は顔を上げて、開いた口もそのままに首を横に振った。そんな私を見て、園子はふわりと笑った。細い指先で私の目尻をなぞった。 「涙目でお願いされちゃ、ねぇ」と眉を下げて、困ったような顔をした。暗さと涙でぼんやりとした輪郭は、磨りガラスのように美しかった。 やがて咳は治まった。園子が、スクールバッグから取り出した水筒を私の口にあてがった。 喉が潤い、声が蘇る。砂漠で遭難した果てにオアシスを見つけたら、きっとこういう心情になるのだろうと思った。 「ありがとう、園子」 彼女は、どういたしまして、と済ました顔をした。 「さ、行きましょ」 終わりへ。 樹海の、さらに奥深くへ。 誰も私たちを見つけられない場所へ。 共に。 「楽園へ行こう」と最初に言いだしたのはどちらだったか。もう覚えていない。でもそれで良い。私たちの気持ちはいつだってお揃いだから。 私たちは、この世界に合わない。だから楽園へ行きたい。そう考えるのは自然な成り行きだった。 人間はもともと楽園に住んでいたらしい。歴史の教科書に書いてあった。 でも、アダムとイヴが罪を犯して、楽園を追放されて。その子孫が作った世界を、私たちは生きざるを得ないらしい。 だから私たちは帰る。もと居た場所に。 きっと神様も受け入れてくれる。アダムとイヴなんて頭の回らない奴らなんかより、私と園子の方がずっと優秀だ。 先生曰く、私たちは問題を起こさない、頭の良い子だから。 いじめっ子の今後の人生も考えられる、聞き分けの良い子。 ━━━━ガサガサ。ガサガサ。 ガサッ。 突然、木立が途切れて、少しひらけた場所に出た。 歩みを止める。 ここで良いと直感する。 月明かりの差し込む空間は、ひどく寒かった。 「ねぇ、すみれ」 園子の声にあわせて、吐息が白く輝いて、消えていった。 「さっき、何を言おうとしたの?」 「さっき?」 「歩いてる途中で噎せちゃったとき。何か言いかけてたでしょう?」 あぁ、忘れていた。 その時の自分が何を言おうとしていたか、記憶を辿る。ゆっくりと思考を手繰り寄せる。 葉ずれの音。冷たい空気。 園子の水筒に口づけた、後ろ暗い喜び。 背中を擦ってくれた手の感触。 驚いた園子の、大きな目。 ━━━━眠ると明日になるから、眠りたくないのよね。 ━━━━でも、 「でも、今日は安心して眠れるよ、って言いたかったんだ」 そう言うと、園子は少しだけ目を丸くした。そしてすぐに、ぷっと吹き出してしまった。 あ、かわいい。 やっぱり、笑った顔がいちばん好き。走馬灯のフィナーレがこの光景で良かった。 いっしょに眠ろう。 そう言うと、園子は笑顔で頷いた。 私たちに、もう憂鬱な明日は来ない。

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明日は楽園

大学の学祭でグッズを販売した話

ご無沙汰しております。ペトリコールです。 とっっっても忙しい秋でした。 今もまだ課題作品の締め切りに追われている最中なのですが、ちょっと現実逃避に筆を取りました。 最後の投稿日が九月二十二日。実に一ヶ月以上ぶりの投稿です。 前回に引き続き、今回も近況報告回となっております。 ごゆるりとお読みください。 タイトルの通り、十一月の二日木曜日と、三日金曜日に大学の学祭がありました。 私はお友だちと一緒に物販部門へ参加しまして、手づくりのキーホルダーを販売。名付けて「文学チャーム」。原稿用紙風の透明キーホルダーです。 現物の写真をサムネイルにしているのですが……めちゃくちゃ可愛くないですか? この透明感が本当にお気に入りです。作りながら、売るのがもったいないなぁ、なんて思っていました。 販売ブースに並べたところ、お客さんの反応もとても良かったです。結果的に、制作した個数の九割ほど売れました。やったー! 「自分が作ったものを買ってもらう」という貴重な経験ができました。お客さんとおしゃべり出来るのも楽しかったし、また来年も何かしら作って販売できたらいいなって思います。 とにかく忙しく、楽しかった! 報告は以上です。 作品については、まだまだ投稿は先になりそうです。最近はストーリーズもあまり追えてなくて、ハートを押すだけに留まっている日もありますが元気に生きてます。時間を見つけて、皆さんの作品もちょくちょく読んでいけたら良いですね。 たまーにストーリーズに徘徊しますので、そのときはぜひご反応くださいね。 それでは。

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大学の学祭でグッズを販売した話

執筆停滞期の近況報告

ご無沙汰しております。ペトリコールです。 最近は執筆よりもお絵かきの方の筆が乗っています。サムネイルはいま描いているイラストです。こんな感じで推しの顔面を描くことに幸せを見出しています。 ペトリコールはあまり器用な性格ではないので、バランス良く活動できないのです。なので、ここでの活動は停滞気味になるかと思われます。でも音沙汰が無いよりは、こうやって報告のあった方が生存を把握していただけると思いますので、ここに近況報告します。 またしばらくしたら、絵に飽きて執筆の方の筆が乗る時期がやってくると思います。「下書き」に残しているネタも八個ほどありますので、気が向いたときに書けるといいな。 新しい作品は、気長にお待ちくださると嬉しいです。ストーリーズにはちょくちょく顔を出すと思います。ぜひコメントでお話してくださいね。 以上になります。あ、ちゃんと元気です。 季節の変わり目で何かと忙しい時期ですので、お風邪等お気をつけくださいね。

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執筆停滞期の近況報告

ボクに羽がある理由

「ねぇその羽、邪魔なんだけど」 聞こえた小さな声にふり返る。 メガネのおんなのコ。 「ボクが見えるの?」 「見えてるから邪魔なんでしょ」 こわい顔で睨まれたから、しぶしぶ座っていた机から降りた。 その子はすぐにカリカリとえんぴつを走らせた。マジメだなぁ。なにをそんなに急いでいるのか知りたくて、その子の手元でたわむノートをのぞき込む。 小さな文字がびっしりと並んでいた。白いはずのページが灰色で埋めつくされている。はじめの二行を読んだところであたまがクラクラしてしまった。 そうだったボク、お勉強はにがてだった。 ノートの文字には、読めないむずかしい漢字がたくさん使われていた。 ん? ここって四年生の教室だよな。それならいちおう、おない年のはずだけれど。なんでまだ習っていない漢字をこんなにたくさん書けるんだろう。 休み時間にそのコに聞いたら、 「そんなの塾で習うから書けて当然よ」 って言われてしまった。 なるほど。すごくマジメなコだ。 ノートの表紙には「四年二組 渡氏 みおり」と書かれていた。上の字は読めなかった。 でもこの字、前にどこかで見たことがある気がする。見ているとフシギな気持ちになった。 みおりは、いつも勉強していた。授業中はえんぴつから手を離さないし、休み時間もずっと本を読んでいた。  話しかけても、みおりはいつも素っ気ない返事しかくれなかった。それでもボクは、みおりとおしゃべりがしたかった。みおりを見ていると、あの字のときとおなじ感覚になるからだ。 いやな感じじゃない。胸の奥がきゅっと包まれるような、少しさびしいような、手放したくないフシギな感じ。 それに、ボクの声を聞いてくれる人はずっといなかったから。ボクはボクを知っている人がいるだけで嬉しかったのだ。 毎日が晴れているみたいだった。 そんな日々を過ごしていた、ある日のこと。 屋上に来ていたボクたちは、地べたに座って話していた。 すると、急にみおりが「ちょっと聞いていい?」とまっすぐな目でボクを見た。その真剣な顔に思わずドキッとする。ボクはみおりの目を見つめたまま、言葉を待った。 「あんたは、天使になったの?」 思わず、へ? とまぬけな声が出た。そんなことを聞かれると思わなかったからだ。 意味がよくわからなくて、あたまの中がハテナでいっぱいになった。それには答えず「なんで?」と言うと、「羽生えてるし」と返された。 そうだっけ。 そういえば、最初にみおりに声をかけられたとき、「羽が邪魔」って言われたっけ。自分じゃ背中が見えないから、そんなことすっかり忘れていた。 「羽が生えてたら、天使?」 「自分で分からないの?」 「うーん、わかんない」 「じゃあ、あんたは何なの?」 「ボク?」 「そう。ずっとここに居るんでしょ。父さんから聞いたわ」 ━━━━父さん? 「父さん、って? みおりの?」 「えぇ。渡氏 守(わたらし まもる)って、あんたは良く知ってるはずだけど」 わたらし、まもる。 その名前をつぶやくと、突然、誰かの声が聞こえてきた。 「つばさは、大人になったら何になりたいの」 いや、聞こえたんじゃない。 これは記憶だ。 ボクの記憶だ。 まだ━━━━生きていた、頃の。 「家が神社だからさぁ。俺は神主になんの。まぁそこまで嫌なわけじゃねぇけど」 「お前はいつも自由だよな。あ、嫌味じゃねぇよ! 一緒にいると楽しいって意味!」 「鳥になりてぇなー。空飛ぶって最高に自由じゃん」 “つばさは、俺の分まで自由でいろよ” ━━━━蘇る。    屋上は進入禁止だったけれど、鍵が壊れていて。 ボクとまもるは「秘密基地だ!」ってよくここで遊んで。 あの日、ボクは足を滑らせて。  大人になれなかった。  まもるの分まで自由にならなきゃいけなかったのに。   「……ぜんぶ思い出せたみたいね」  言葉を失ったボクに、みおりはそう言った。 なんで分かるの? と疑問を口にすると「泣いてるから」と返された。    そこで初めて、頬が濡れていることに気がついた。  あぁ。 「みおり、ボク、自分の名前も忘れてたよ。まもるのことも、ここに居る理由も、ぜんぶ」  みおりは、ただ静かにボクの涙声を聞いていた。 「気づいてなかった。死んじゃってたこと。ボク、ユウレイなんだね。そうだよね、みんなボクを見てくれないなんておかしいよね。なんだかフツーになっちゃってた」  言いながら、涙がどんどんあふれてくる。  みおりの顔を見る。涙で滲んでいても、まもるの面影がたしかに感じ取れた。「渡氏」の字を見たときの、あの「手放したくないフシギな感じ」の正体も分かった。 すべてが、懐かしい。 「ねぇみおり、……ちょっと、聞いていい?」 みおりは何も言わず、おもむろに頷く。 その目はどこまでも優しかった。 「まもるは、元気? ……ちゃんと、大人になれた?」 えぇ、と落ち着いた声が耳に届く。 「ちょうど、次につばさに会ったら伝えてくれって言われてたの。『俺は大人になって、神主になって、愛する人たちと今を幸せに生きてるよ』ですって」 そうか。 ボクらは、鳥にはなれなかったね。 でも良いか。 君が幸せなら、それで。 「それが聞けてよかった」 ボクが笑うと、みおりも笑った。    深く、深く呼吸をする。 理解した現実を受け入れるために。 「ボクは……ここに居ちゃ、いけないんだね?」  そう告げると、みおりは優しく微笑んだまま言った。 「つばさは自由が似合うって、父さんが言ってたわ」    その言葉を聞いて、身体がすっと軽くなった。  たぶん、羽が消えたんだ。  鳥の羽。  無くなって初めて、それが重かったことに気づく。 これでボクは、本当に、自由になる。 ありがとう。みおり。 ━━━━まもる。 ボクを心配してくれていた。ずっとここに居ると知って、まもるはどんな気持ちになっただろう。まもるは優しい。だから、みおりにボクのことを頼んだのかもしれない。「俺は幸せだよ」って伝言を託して。   「みおり。まもるに伝えてほしいことがあるんだ」  ボクは、霞ゆく視界に向かって叫ぶ。 「ありがとう。ボクは自由になれたよ、って!」  みおり、聞こえたかな。  聞こえてなくても良い。きっと届いてる。    上を見る。滑り落ちたあの日も晴れていた。吸い込まれるような青。でも今日は怖くない。  果てしない空に手を伸ばす。 指先に太陽が透けて、眩しいなと思った。

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ボクに羽がある理由

あなたの居ない世界は

窓を開けると、少し冷たい空気が顔に触れた。湿っぽさもないし、生暖かい風も吹かない。 静かだと思った。 今は本鈴の鳴る2時間前。まぁ当然だ、こんな早くに登校する生徒なんて私くらいだろう、と一人納得し、椅子に座る。なかなか完成しないデッサンから目を逸らして、頬杖をついた。 はたと、蝉の声がしないことに気が付いた。 ──あぁ、もう去ってしまったの。 あなたは音といっしょに居なくなる。だから、蝉時雨であふれていた私の心は、今や伽藍堂だ。 残るのは音の少ない世界。 でも、陽射しは大体忘れていく。忘れ物にあなたの面影が残っているせいで、私は錯覚する。あなたが此処にいると思い込んで数日が過ぎる。そしていつも、気付いたときにあなたは居ない。 地軸がズレたとか惑星の軌道が狂ったとか、そんな天変地異が起きない限り、あなたは戻って来るのだけれど。 それでも。 夏のいない世界が、こんなにも寂しい。 −あとがき− 高校三年生の夏休みは、およそ十日ほどしかありませんでした。コロナ禍の自粛休みが長引いて、新学期が六月に始まった年のことです。 高校生活最後の夏は、未来が怖かった。大学受験の焦りが募って、将来が不透明で、何のために絵を描いているのか分からなくなって、でも何かしていないと不安で不安で仕方がなかった。だから、貴重な十日間は全てデッサンに費やしました。毎日、美術室でひたすら鉛筆を握っていました。 刹那的で、何の思い出も残らない夏休みでした。 二学期が始まっても、私は美術室へ入り浸っていました。家ではデッサンをする場所も時間も無かったので、始発のバスに乗って朝早く学校へ行き、誰もいない静かな美術室で絵を描いていました。それが私の日課でした。 そんな日々の折、ちょうどこの時期だったと記憶しています。 現実逃避でこの文章を殴り書きました。 メモアプリを読み返していたら懐かしい文章が出てきたので、今回掲載するに至りました。 あぁ終わっちゃったんだ、夏。 哀しい。 虚しい。 取り返しがつかない。 そんな風に考えて、少しだけ泣きました。 夏の終わりが近づくと必ず思い出します。 古いイーゼルの木の匂いと、黒鉛の匂い。 少し冷たい空気と、あの静かな朝の音を。

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8/25 アルバイトしんどかったの日記

今日、久しぶりに朝日を見た。眩しかった。 朝から洗濯をして、さらにキッチンの掃除もした。気持ちがすっとなって、だから今日は良い一日になると思った。 けれど、そう上手く事は運ばない。 今日のバイト、しんどかった。 ケース一: つきまといおじさん 店内の若い女性をじっと見続けたり、レジの女の子の手をあからさまに触ったり、といった迷惑行為が目立つおじさん。 今日は運悪くそれが来店。 品出し中に何回も近くを往復される、レジに入った途端に並ばれる、行こうとしていた店外の倉庫に先回りされている、などのつきまとい行為に遭ったせいで精神的に疲弊した。 リーダーに相談して客前に出ない業務を優先的にさせてもらえたけれど、勤務後に待ち伏せされていないか……と心配で仕方なかった。結果何ごともなく家へ帰宅、今はホッとしている。 風のうわさで、このおじさんは精神的に少し難のある人らしいと聞いた。それを聞いてから、私は一切この人と目を合わせていない。目が合うと「気がある」と勘違いされるらしい。 シンプルにゾッとする。こういう“話の通じない人”が最も怖い。 ケース二: 割引券催促おばさま 私のバイト先には、「ギフト優待券」という割引券がある。従業員が身内や知り合いのみに配ることができ、ある特定の商品が少し安く買えるというものだ。その名の通り、誰にでも手に入るものではない特別な券だから「優待券」なのである。 けれど夜半に来店した二人のおばさま。 「ねえ『優待券』ちょうだい。息子がここで働いてるのよ」と、仕事中の私を呼び止めた。 けれど私とおばさまは知り合いではない。だから差し上げることは規約違反だ。息子が従業員なら、直接その息子から手渡されるべきであり、私に催促するのはお門違いである。 その旨を説明すると、第一声「前は貰えたわよ」。 過去にとらわれるな。 私では手に負えないと判断しリーダーを呼び出し。物言いのハッキリしたリーダーのおかげでおばさま方は渋々、といった感じで退店していった。精神的に疲弊した。 ケース三: お惣菜大量キープおばさん 仕事内容に、ある決まった時刻にお惣菜へ半額シールを貼る業務がある。その時間は多くの人が半額お惣菜を目当てにやってくる。 そして最近、ある客の迷惑行為に対して店にクレームが入ったらしい。 シールを貼る前のお惣菜を大量にカゴの中で取っておき、半額の時間になった途端に従業員へシール貼りをお願いする行為だ。 公平性に欠けるから、という理由で今日から対応を厳しくしなければならなくなった。 正直嫌だった。そんな行為をはたらく人のお願いを断った時点で、穏便な未来は絶対に来ない。私はお店の利益だなんだより、自分の身の安全を確保したい。 でも、よりによって今日はお惣菜ハンターが二人いた。 「実は私も心苦しいんですが……」と“私はあくまであなた側ですよ感”を全面に押し出し、取り置きNGの旨を説明してみる。 すると、 「じゃあカゴから一回出すわ」と、台の上に取り置きしたお惣菜を次々に並べていくおばさん。 人を精神的に疲弊させる才能がある。 「まあ理屈はそうですよね!笑 今日だけ特別ですよ〜」と仕方なくシールを貼るしかなかった。 厳しくする気力は無かったけれど、いちおう「次から取り置きはご遠慮していただけると嬉しいです」と念は押した。でも注意して改善したお客さんなんて今までに見たことがないからたぶん無駄。今日でさえ二件あったのだから、これからも高めの確率で来るだろうな。 これもリーダーに報告。後日店長やチーフらに掛け合ってみるとのこと。たぶん会議になる。 以上、今日のしんどかった事件。あとは倉庫でネズミに遭ったり、制服の袖を強めに汚したり、決済の機械がエラーを起こしたり、なんか大変だった。 だから帰りにケーキを買った。明日はこれを食べながらお絵描きに耽るとしよう。我ながら、自分の機嫌をとるのが上手いと思う。楽しみな明日を思い描いて眠る。 でも、窓に打ちつける雨音に気づいたときに洗濯物をとり忘れていたことを思い出したから、今日はとことんついてないと思った。

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8/22 恋愛に向いていないかもしれない話

ただひたすらに憂鬱だ。 明日はデート。 それも、一年以上ぶりに地元へ帰省した彼と会う貴重な日。 本来ならワクワクそわそわ、上向きな気持ちになるべきだ。けれども、前日の夜に三時間も寝つけず「早く眠れ早く眠れ早く眠れ」と己を呪っている現状は、とてもデートを楽しみにしている彼女の姿ではない。 明日は何時のバスに乗るから何時に起きて……と考えるたびに、胃が重くなる感覚が増していく。運動会の前日のような気分だ。「明日は雨になりますように」と祈っているときの気分。 こんな考えに至るなら、もうこの関係は終わらせたほうがいいのかもしれないな、と最近思う。 そうすれば身軽になれる気がしている。少なくとも私は。 ここから先は愚痴になる。主にお相手へ感じた不満を書き連ねていく形になるはずだ。見るに耐えない主観的な気持ちを、身勝手は承知の上で綴らせてほしい。文章化することで状況を整理して、気持ちの整理整頓をするツールとしてこの日記を活用したい。 そして、せっかく不特定多数に公開することができるので、コメントにて他の客観的意見が聞ければ嬉しい。 きっと当事者では気づきにくいことが多々あるはずだから。 私のお付き合いしているお相手とは、付き合った当初から遠距離恋愛を数年続けている。 付き合い始めの頃はほぼ毎日通話していたが、私の精神不調が現れてくるとどんどん頻度が減った。もともとお互い連絡不精なこともあり、最近の通話は三ヶ月に一度程度の頻度。 ただ、彼が長期休み中に帰省するタイミングで会ってはいる。延々と話すことができて会話は尽きない。 そして大前提として、お相手は私のことを好いてくれている。「一緒に楽しいことをしたい」と思ってくれている。それは会って話をしても通話越しでも、とても伝わってくる。 しかし、私が彼の期待に応えられていない。彼にデートを提案されてもただ億劫なのは、私に「楽しむ土台」が出来ていないせいだ。 たびたびストーリーズや日記に投稿しているのだが、私は少し鬱っぽい。よく睡眠事情に問題が発生するし、趣味にさえも無気力な状態がたびたび起きる。 だから正直、私は「一緒に楽しむ」どころではないのだ。 私が鬱っぽいことはもちろんお相手に相談した。眠れなくて辛い、と。その時は「病院行ったほうが良いんじゃない」と言ってくれた。 けれど、以降こちらを心配する様子はなかった。それから半年ほど経って通話した際、「久しぶりに声聞いた〜」と喜んでいた。 そして、私が半年もの間電話をかけられなかったことに対しては「忙しいのかと思って」と言った。気を遣った結果らしかった。 そこで私は「彼は鬱症状を経験したことがないんだ」と気づき、事情を話した。「鬱っぽくなるとお風呂でさえ億劫になる。だから通話のハードルもすごく高い」と。 だから 「あなたの方から『今日は寝れそう?』って一本電話をかけてほしい」 とお願いした。 けれど、以降も電話がかかってくることは無かった。そんな会話をあと二回ほどしたけれど、まるで暖簾に腕押しだった。 そしてそのまま、明日会うことになっている。正直、どんな顔をして会えばいいか分からない。自分の中で熱も冷めた感覚があるし、楽しめるかどうか不安だ。 でも彼に悪気はない。遠距離だから、恋人の実感がなくて忙しい日常に溶け込んでしまうのだと思う。環境が悪い。致し方ない。 そして、日常生活でさえ億劫な私にデートの約束をするのは、純粋に私に会いたいとだけ考えているからだと思う。「約束事」は鬱症状には逆効果なのだが、楽観的な性格だから、鬱について調べることすらしていないのだと思う。 そう楽観的。だから、長らく音沙汰がなくてもケロリとしているし、私の事情を聞いても電話をかけてこないのは、きっと「休めば大丈夫」と信じているからだと思う。 だから、鬱っぽくなっている私が問題だ。 私が不出来だから。自分のせいで面倒なことが起きている。 でも、身も蓋もなく言えば 「私のこと好きならもっと心配してよ!」 という心境。 この思想は欲深くて愚かだと思う。自分の始末は自分でつけるべきだから、他人をあてにする時点でお門違いだ。期待するから不満が出る。遠距離という時点で「私のこと理解して!」なんて無理に決まっているというのに。 それに、世の中に数多いる女性の中でわざわざ私を選んでくれた相手には感謝すべきなのに。不満を持つなんてすごく自分勝手ではないか。 それでも、眠れない夜に、私を心配してくれる電話が一本でもあればどれだけ、と思ってしまう。 やっぱり、そもそも恋愛においてそんな「鬱」みたいな重い事情を持ち込むこと自体が間違っているのだろう。 私は、一緒に出かけて遊ぶだけなら「友だち」でも出来るから、「恋人」ならもっとお互いの深い事情に関わっていくものだと思っていた。しかし、これが重いのだろう。たぶん彼の肌に合っていない。私が健康であれば何も問題ないのに。 “私は鬱々として熱が冷めているのに、相手は楽しいことだけ考えて私と居ようとする” この気持ちの差が、ひどく面倒に思える。 どうすればいいだろうか。

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靴は綺麗に揃えなさい

私の母は口うるさい人でした。 「帰ってきたら、靴のつま先は外に向けて揃えなさい」 リビングでテレビを見ている途中に小言が飛んできました。 夕方のテレビ番組に私の好きなアイドルが出演するというので、私はその日、学校から走って帰って来ていました。家が見えた頃には番組の始まる二分前。それはもう大急ぎでしたから、玄関のドアを開けるとほとんど転がり込むようにリビングへ向かったのでした。つま先をドアに向けて揃える余裕など、雀の涙ほども存在しませんでした。 そういえばそうだったことを思い出しましたが、私は取り合いませんでした。番組は中盤に入り盛り上がりを見せていましたから、もう画面の前から離れたくなかったのです。 わかったわかった後で直すから、と適当に返事をしました。 母は、 「後で、じゃ意味ないのよ。ああいうのはね、少しでも放置すると良くないの。日頃から身につけておかないと」 と、まともなお説教を述べました。 くどくど煩い、とだけ思いました。 うるさい。アイドルの映る場面を見逃したらどうしてくれるのだ、と苛立ちさえ覚えました。我が家は番組録画にルールがありましたから、あとで見返すことができません。今の私にとっては、お行儀の良さなんかよりもテレビの方が断然に価値がありました。それを理解してくれない母がひどく邪魔者に思えました。 けれど、この気持ちをはみ出してしまえば口論になるのは目に見えています。少しでも画面から目を離したくありませんでしたが、面倒な事態は避けたかったので仕方なく母の目を見ることにしました。 「わかったよ、次から気をつける」 振り向きながら、普段よりも声を張りました。 これで母は私へ疑いの目を残しながらも、去ってくれるだろうと思いました。 けれど母は動きませんでした。 それどころか、その目線は私ではなく、玄関の一点へ注ぎっきりになっていました。 予想外の光景に頭をひねりました。ねぇどうしたの、と言おうとして、 「遅かったみたい」 目線をそのままに、冷たい声が母の口から響きました。 直感的に、背筋が寒くなりました。 母の目線の先を追うと、 玄関に、何かが立っていました。 私の靴を履いているようでした。 つま先が家の中へ向いている、私の靴を。 靴が適当にされてるとね、ああいうのが履いてしまうのよ。 要らないんだって思われるみたい。

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