ガナリ
7 件の小説きはじ
太郎くんはリンゴを5個持っていました。 太郎くんは午前中には着替えが終わり毎分150mの速さで花子さんのお家に向かいました。 花子さんは毎分250mの速さで風のように 家から遠ざかりました。花子さんには太郎くんに会う理由がありませんでした。 それは、太郎くんが悪いと言うより政治のせいでした。 政治が全て悪いのです、花子さんは知っています、昨夜遅くに酔っ払って帰ってきたお父さんから聞いたから間違いありません。 お酒に酔うとお父さんはぶちます、そんなに強くはないですが、ぶたれると痛いし悲しいです。でも結局お母さんはお父さんのことが好きだから花子さんも離れるわけにはいかないようです。 意気揚々と5つのリンゴを持って花子さんのお家に現れた時、その5つのリンゴにそれぞれ名前をつけました。 「秩序」「革命」「混沌」「無関心」そして「愛」です。 そしてそのリンゴのうちひとつをかじりながら花子さんの家のトイレの窓をぶち破りました。 なんせ太郎くんはリンゴは嫌いでした。 フルーツチームのセンターみたいな顔をしているからです。 同じ理由でコロッケが嫌いで、野球は巨人がどうも嫌いでした。 一度なんて理科の実験の日にY染色体を意図的に死滅させるナチュラルキラー細胞の培養し、控えピッチャーの首に注射しようとしたことさえあるんですよ。 それはそれは大変滑稽であると長島監督も太鼓判を押してくれるに違いないと太郎くんは考えていましたがまだなんとなく実行に移せていません。 一方既に脱出に成功している花子さんは自分の父がアメリカ人であることからアレン姓を名乗っていましたが、スラリと抜いたマチェットナイフを自分の生物学的な父親の喉元に突き立てる瞬間までは太郎くんに会うわけには行かないと固く誓い、そしてその怒りが自分の中で少しでも冷めていないことに喜びを覚え、その褐色の血を滾らせていました。 既に家はもぬけの殻であることに気が付いた太郎くんはというとすぐにデンタクに電話しGPS位置情報からハナコ・アレンの場所を特定し最終決戦に臨みます。 50台を超えるバイクがけたたましい音でマンハッタンの街を駆け抜ける先頭を花子さんは走っていました。 彼女にはもう捨てるものはなく、これから自分がすることを考えたら笑いが止まりませんでした。 太郎くんはヘリポートでデンタクの操縦するヘリに乗り花子さんを追いかけます、しかし花子さんを止めるつもりは毛頭ありません。 花子さんがこれから何するかは太郎くんは知っているからです。 そうこうしているうちに花子さん率いる50台のバイク集団とデンタクの操縦するヘリがハドソン川を渡り始めました。 デンタクはバイク集団と横並びになり、太郎くんに花子さんは何処かと問いかけます。 太郎くんは花子さんの顔を知らなかったので、ヘルメットを被り男か女かも分からないバイク乗り目掛け自慢のモシン・ナガンの引き金をえいやとばかりに引き絞りました。 太郎くんの放った7.62×54mm弾は狙った後ろのバイクのガソリンタンクに命中し大爆発。 橋の上は辺り一面は火の海になってしまいました。 太郎くんは一人一人倒れている人間のヘルメットを取り花子さんの可能性がある人を探しました。 意識を取り戻した花子さんは自分が一瞬でも意識を失っていたことを悔やみ、火の海の中で自分を探す太郎くんを気絶したふりをしながら見ていました、太郎くんが気を抜こうものなら首を掻き切ってやると考えていると、別のヘリが橋の上空でホバリングしています。 だるんと垂れ下がった縄梯子から花子さんの父親であるジェームズ・B・アレンが降りてきて太郎くんに言いました。 「良くやった兄弟」 太郎くんは別にお前の為にやったわけじゃないのになと思いましたが、人の親をお前って呼ぶのはきっと良くないだろうと思い言うのをやめました。 差し違える覚悟で探していた父の突然の登場に花子さんは、燃えながら横転しているバスの後ろに隠れ機を伺います。 花子さんのお父さんは太郎くんに一瞥もくれずに続けて言います。 「兄弟よ、こんな虫ケラみたい人間達にも平等に選挙権があるなんて笑えるだろう?こちつらがひり出す1票も日夜靴磨きに新聞配達しながら子供を育てているジョンの魂の1票も同じだなんて世の中間違ってると思うよな」 太郎くんは英語が良く聞き取れないところがあるのでめんどくさくなりモシン・ナガンのショートバレルを花子さんのお父さんに向けました(もっともこの時太郎くんはこの男が花子さんのお父さんだなんて思いもよらなかったことでしょう) 太郎くんはいつもの決め台詞を言いながら引き金を引きます 「Do or do not.」(やるか、やらないかだ) 太郎くんは今も思います。 あの時やったことが正解だったのか、やらなかったことが正解だったのかをね。
頭の打ちどころが悪かっただけのゾンビ
お布団の中で目を覚ますと凄く臭かった 枕じゃなくて自分自身が 昨日噛まれた後がくっきり色鮮やかに自分がゾンビであることを教えてくれる とりあえずゆっくりと珈琲を淹れる 死んだってルーティン 深煎りの豆を粗く引いてハンドドリップでゆっくり落とすんだ オレを噛んだ奴が言っていた そういえば今日は燃えるゴミの日だ オレはどっちだ とりあえず1番上等なスーツを着て 鏡の前に立ってみる ゾンビってのも悪くないもんだな
猫に食べられた男のはなし
さても、さっき腹の中に収まった奴ったら滑稽でないね 暴れ回ってさ 逃げ回ってさ そんで結局収まってやがる 知らないね、知りたくもないね そいつに家族がいようがさ 恋人がいようがさ 収まったんだから 収まるところに 収まるべくして ちんまりと またはちょこねんと 腹の足しにもなりゃしない 昨日中野の駅の前で収まったやつの方がまだマシだったね えぇえぇ、よござんすよ 子供の時ならリンスって言ってたよ 今じゃ一様にコンディショナーだよ 牙も折れたし爪もない 月に収まる日も近い
バスばば2
しばしば天気は比喩に用いられる。 晴れ渡った気分とか嵐のように激しくとか心が曇るとか。 私の心もどこまでも曇っている、その曇は厚く、晴れていたことがあることを忘れてしまったかのように、たまに少し日が差すと人々は歓喜する、本当の快晴はその先にあるというのに。 私はバスに乗ると心が少し晴れる、きっと今日も一本乗り遅らせたからだろう。 私はいつもバスを1つ乗り遅れる、それは間に合わないと言うよりも自分の生き方として乗り遅れるのだ。 1つ後のバスから見える景色はいつも現実を客観視しているように自分とは距離を置いて見える、誰かの不幸な出来事もバスの中から見るとテレビを見ているようになんとも思わないでいられる。きっと大量の札束がバス停に舞っていたとしても私はバスから降りることはせずいつものように眺めているだろう、それこそが私の喜びなのだ。 そんなことを考えているとちょうど窓の外にバスと並走している自転車に目がいく、かわいそうにそんな汗だくになってと私は思う。 彼は何と言っても外の世界の住人なのだ私には関係ない。しかし信号待ちの際、急に彼が振り向き私を見る。 彼はサングラスをかけながらも、ぎょっと目を見開いているのが分かる。 10秒か20秒、そんな風に彼と見つめ合いそして信号が変わりバスが発信する。外の世界と中の世界がリンクしたように見えたが、彼は何もなかったかのように、また前を向いて走り出す、幾分先程より急いで。 私と見つめ合った時間が彼に何をもたらしたのだろうか、私がバスばばであると知っているのだろうか。 しかし頭の奥底で何かが引っかかっている、私に何かを思い出せと記憶の扉を、誰かが蹴飛ばしている。 私は彼を知っている。 だが全く思い出せない、また信号で並ぶ、彼と目が合う。 彼は思い出しているのだろうかやはりサングラスの向こうから私を見ている。 思い出せないまま降りるバス停に着く、もう私にバスを降りる事は出来ない 彼と並走しながら思い出すしかないのだ。 年齢はきっと同じか少し上、仕事ではなくもっとプライベートな関係な気がする そして何度目かの信号、彼がサングラスを外した瞬間記憶の荒波が一気に押し流す 彼だ、まだ私が上京する前、短い期間だが真剣に付き合っていた彼 彼が上京するときについて来て欲しいと言われたがその時の私は母の介護で離れることが出来ず断ってしまった。 あの別れのバス停以来だ。 思わず窓に手を差し伸べる、並走する彼もバスに向かって手を伸ばす。 その薬指には細い指輪が。 そのとき私は月日の重みを感じた、もう時間は戻らないのだ両親がいなくなって同じ東京に来ても、もうこの手を繋ぐことは出来ないのだ。 私は車庫まで行きバスから降りる、もう自転車の彼はいない これで良かったのだ、私はバスばばなのだ、昔好きだっただけの男の幸せを少しも曇らせるわけにはいかない。 涙がこぼれないように太陽を見ながらバスで来た道を歩く、良かった、妖怪と呼ばれても私には涙が枯れていなかった、それがわかっただけでいい、私には涙を流す相手がいる それから私は毎朝二本バスを遅らせることにした。 もう彼とは会うこともない、もし仮にまた自転車で並走していても信号待ちで目を合わせることはないだろう。私の記憶の氷山で凍ったままの彼はそんな形で姿を現わすべきではないのだ、きっと彼も同じことを考えているはずだ。もし彼の左手に指輪がなかったら、そんなこと考えることもない。だが彼の髪の生え際がもう少し前にあったら私はすぐにでもバスを降りて彼に抱きついていたかもしれない。時間とは残酷なものなのだ。
バスばば
私は毎日バスに乗り遅れる。 しかしそれは私が、普段から時間にルーズだったり毎日寝坊していたりしているわけではない。 ただただ毎日バスに乗り遅れるのである。 ある朝は踏み切りに捕まってしまったり、朝のゴミ捨てに手間取ったり原因は様々だ。 スペイン人に道を聞かれて乗り遅れたことだってある。バスを追いかけて走ることほど悲しいことはちょっとない。 だから私は、いつもバスを乗り過ごすことにした、たまに間に合ってもバス停でいつも一本見過ごすのだ。 それが私の習慣になり、乗り過ごさないことには私の1日は始まらなかった。 ふと気付くと、バス停で周りの人が私を変な目で見ている、どうやらいつもバスを見送る私を不審に思っているらしい、私が使うバス停には1つの路線しか来ない。 だからバスに乗る人なら見送る必要がないのだ。 またある時バス停の近所の子供達がヒソヒソ声で私を指差し「バスババだ、バスババだ」と言っているのを聞いた、私は不審に思われるどころか近所の、子供達の怪談話か何かのネタになってしまったのだ。でもまぁ私には家族も友達もいない、都市伝説になろうが、七不思議の1つを任されようが迷惑かける人はいない。要は私は、なんでもいいからバスを見送りたいのだ、乗り遅れたくなんてないのだ。あなたは同じだと言うかもしれない、それは気持ちの問題だ。 その日も私は、バスを見送り2本目に来たバスに乗った。何本も見送る必要なんてないのだ。 いつものシートに座りカバンから単行本を取り出し読むともなく開き膝の上に置く、いつも読もうとページを繰ると職場に着いてしまう。 幾つか目のバス停で少年が乗り込み私の隣りに座る、近所の怪談にまでなっている、私の隣りに座るなんてと思ったがどうやら、彼は近所の子供ではないらしい。それどころか彼の荷物は、どこから見ても家出少年のそれだ。パンパンのリュックと少しくたびれたスニーカー。 彼は少し涙目で、なにかメモ紙を握りしめている。最初は声をかけてみることも考えた、だが私になにが出来るだろう、私は泣く子も黙るバスババなのだ。何もできないどころか、彼にも恐怖心を抱かせてしまうだろう。 バスのアナウンスが響く「次は県立病院下、県立病院下です。田中ファミリー歯科にお越しの方はこちらでお降り下さい」 今の私には、県立病院下にも上にも興味はない、ただ彼が気掛かりだった。大学を出た次の年に両親を火事で失ってから、家族も親しい友人もいない。それがどんなに寂しいことなのか彼はまだ知らないのだ、知らないことはある意味では幸せなことだ、いつか知る日が来るとしても。 彼が隣りに座って30分が過ぎた。相変わらず彼は、目に涙を浮かべメモ紙を握りしめている。私は声をかけることもなく彼に同情していた、彼をそこまで追い詰めた何かに怒りすら感じていた。 もしかしたら私は彼を、生まれてきたかもしれない子供と重ねていたかもしれない。 もし私が七不思議のバスババとしての何か、特殊な能力があるとしたら彼を救いたかった。無条件で彼を抱きしめ大丈夫と言いたかった、どんなに辛いことがあっても必ずそれは、いつかは終わるのだと。 だが、私は所詮、バスババなのだ近所の子供にとって、いや大人達にとっても恐怖の対象なのだ。話しかければ周りの乗客は、彼すらもバスババの仲間だと思うかもしれない。七不思議のもう1つに、家出少年として加えられてしまうかもしれない。そんな私になにが出来るだろう。 そんな時ふと彼の手元から握りしめていたメモ紙の一文が見えた。 「死にたい…」 …あぁ、私は自分のことしか考えていなかった、私がバスババであるかどうかは関係ない。彼は死にに行くのだ彼を生かせるのは私しかいないのだ。バスババでもなんでも構わない、彼をいや生まれてきたかもしれない子供を救うのだ。 そう決心した私は彼に声をかけようとした。すると彼は、おもむろに停車ボタンを押し次のバス停で降りて行く。 彼は迎えに来ていた母親らしき女の車に笑顔で乗り込んで行った。 茫然と見送る私が思ったことは、私が降りるバス停もここだったということ。 私は降りるバス停すら見送っていた。
物忘れと富士山
私達には歴史がない 富士山が見たいと言った彼女の肩を抱きながら私は歩いている、渋谷のどこかなのだろうがここが何処なのかも分からず、次第に頭が空っぽになる恐怖に争うためか、はたまたパトロール中の警官に保護されるのをどこか待っているのか分からずとにかく歩く、84歳と77歳の逃避行。 電車の車内では、手を繋ぐ私達に席を譲りながら若い夫婦が「ずっと仲良しなんですね、羨ましい。」と言った。 きっと長年連れ添った老夫婦だと思ったのだろう。 彼女は若い夫婦にニッコリと微笑み「富士山を見に行くんですよ」と無邪気に言った、彼女の認知症は初めてデイサービスで会った1年前から確実に進み、最近では自分の子供の名前も思い出すのに時間がかかる。 だが、1年前初めて彼女に会った時、この人と一緒になりたいと唐突に思った。77年間で初めての感情だった、その感情を5年生になった孫娘に話すと「素敵ね、おじいちゃんも恋をするんだね」と真剣に聞いてくれた。 何かにつけて富士山を見たいと言う彼女の家に、息子夫婦が買ってくれた電動自転車で向かう、家はデイサービスの送迎車で知っていた。 インターホンを押すと笑って招き入れてくれた彼女に想いを伝える。 「妻に先立たれてからの人生の方が長くなりました。妻が許してくれるとは到底思えないけどあなたを、あなたを愛してしまいそうです。」 彼女は落ち着き払って言う。 「愛って言うのはね、富永さん。」 「佐藤です。」 私はそう訂正するとため息混じりに彼女は言う 「愛って言うのはね、佐藤さん、人生に何回も何回も訪れるものなの、街の喫茶店の店員さんや、近所のハムカツや、公園のカラスにだって愛してしまうことはある。あなたの言う愛ってそう言うこと?」 正直何を言っているか分からなかったが、私は真剣に答える。 「いえ、いやはい。そうかも知れませんが私はずっとあなたのことを考えてしまう、確かに最近の私は下着を汚してしまうことは増えたし、物忘れは酷くなった。だからこそ最後の時をあなたと過ごしたいと思った、身勝手な考えではありますが、一緒にいてはもらえないですか。」 「私もね、富岡さん。」 「佐藤です。」 「佐藤さん、私もね、自分の頭の中が怖いの。デイサービスから帰ってバッグを開けると知らない色鉛筆が入っていたり、一週間前とさっきの出来事の違いが分からなくなる。毎日死んだ主人の仏壇に手を合わせるけど顔も思い出せない。」 「愛されたまま亡くなったご主人が羨ましい。」 それから私達は毎週デイサービスの後こっそり会うようになった、息子夫婦にガスを止められた部屋でコロッケを食べたり、深夜ラジオを聴きながら彼女の部屋でウトウトしたりした。 彼女が私のことを好きかはよく分からない、だが富山とか富原とか呼びながらも隣に座ってくれるようになって、少しづつ昔の話をしてくれるようになった。 「昔ね、息子が生きている時に主人と富士山に行ったの、5合目までだけど雲海が綺麗に見えてねぇでも不思愛は議ね、富士山が全然見えないの。」 「私と富士山を見に行きませんか?明日のデイサービス一緒にサボって電車に乗って、富士山が綺麗に見える公園を知ってるんです。」 そして私達は谷中霊園を越えて電車に乗り、渋谷で降りた、50年前ここで見た富士山が忘れられなかったのだ。 しかし、そこには富士山どころか公園も無くなっていた、馴染みだったバァは駐輪場になり、コッペパンをよく買った店はラブホテルになっていた。 夕暮れが近付く坂を登りきって息を切らしながら彼女に言う、 「富士山、見えなくてすいません。」 「富士山見えなかったわね、あの建物は登れるのかしら?」 それはテレビで見たような初めてのような、とにかく化け物じみたビルジングだった。 私達はなんとか入り口を見つけ47階までエレベーターで上がり、何とかチケットを買い展望広場に出た。 その景色は綺麗かは分からなかったが圧倒的な建物の量と高さだった、そして富士山は見えなかった。 しかし彼女は言う。 「富司さん!見てご覧なさいよ、こんなに美しい世界があったのね」 無邪気にはしゃぐ彼女を見て初めて思う、そうか、彼女は30年前に死んだ妻に似ていたんだ、妻が84歳になったら彼女のようになっていたに違いない。 妻の名前を呼ぶと、彼女が振り返る。 彼女の笑顔がゆっくりと消え、言った 「言ったでしょ?何度も訪れるものなのよ」 それから1年後彼女が入居型施設で亡くなったことを聞いた。 しかしもう私には何も思い出せなくなっていった、彼女の名前も、妻の名前も。
そば
死ぬと決まった日。恐怖も、喜びも、安堵もそこには無かった、目を閉じるとそこには男が立っていた。後ろを向いているその男は私が結婚をした男だ。それは思っていた以上に懐かしさを感じなかった。 50年以上も前、私はその男と出会うことになる。男は見合いとは程遠い風貌で現れた、呆気にとられた私は答えあぐねているうちに周りの人間に話を進められてしまった。後から聞いた話ではその男も断る気でいたらしい。 私は人を愛したことがなかった、人を愛するには私は忙しすぎたのだ、生きていかなければいけなかったのだ。女学校の友人は皆結婚して家庭に入り、子育てをすることしか考えていないようだった、だが私は家族が食べる為に考えることはたくさんあった、とにかく生きるために生きなければいけなかった。 その男と結婚し家庭に入った私は、毎日食卓で男と向き合い座る。私にとって初めてのその男は何を考えて生きているのか分からない。朝になると仕事へ行き帰ってくると蕎麦と酒を飲んで煙草をふかすとぷいと寝てしまう。交わす言葉は私への指示だけだ、言葉少なに「酒」だの「蕎麦」だの言ってあとは黙々と前を向いている。 私は仕事をすると決めた。 仕事をしたいと男に言うと「好きにしろ」と言われた。そして私は結婚前と同じ小学校教員になった。 国家にとってに有益な人間を育成する。 私に与えられた使命だ、はっきり言って私に天下国家を語るほど国のことを想う気持ちはなかった、私は生きることで必死だったのだ。 戦時中、私は子供に軍事教育を施す傍らこっそりと一生懸命に生きなさい、と教えた。国の為に死ねと教えることにも私は正直興味がなかった。言われた通りには教えた、しかしそれは私の口から出ているだけの誰かの言葉だ、それよりも私は1日でも生きる為に生きなさいと教えたかったのだ。 結婚した年の冬、私達は新婚旅行に行った。 行き先は私の親が決めた伊勢だった。 私の親は娘夫婦が伊勢参りをすると近所に自慢したいらしい。 ただ私達は行き先などどこでも良かった、ただこの機会にこの男についてもっと知りたいと思った。 あの男の行動には、一貫して「こうするべき」という暗示とも取れる思考しかなかった。 例えば現金の入った財布を拾ったら「もらってしまおう」とか「いや警察に届けなければ」と言う葛藤がない。まず「届けるべきだ、ではどこに届けるべきか」と思考する、では男には自我はないのか、と言えば自我はある。しかしその自我すらも「こうするべき」のある種フィルターを通して行われているように見える。 それは封建時代で言う「義」なのだが、聞こえはいいが時代遅れの思考停止させる為の自己暗示でしかない。 そして、更に驚いたことに、そのフィルターはどうやら私にもあるようで、この男と生活するまで気が付かなかったのだ。そしてそのフィルターは物事をぼかして見る為のものではなく、空っぽの本心を埋める為のものだったのだ。 私達は伊勢に着くなり、伊勢神宮に行く。2人とも今回の旅行の目的は土産話を世話になった親にして喜んでもらう為で、食事や景色なんてものは副産物だった。 参道を歩き男の顔を見る、男は黙って前を向いている、お参りする前に「お団子でも召し上がりますか」と聞くと「そうだな」と答える。互いに互いのこうするべきを実行する。歩き疲れてもいないし腹も減っていない。だが私はそう聞いた方がいいと思ったし、男はそう答えた方がいいと思ったのだろう。 団子が目の前に置かれ、男が手に取るのを見てから自分の分を取る、しばらく咀嚼していると男が「退屈じゃないか?」と聞く。 私は考えていなかった質問に驚き「退屈って何ですか?」と答えると、男は「退屈じゃないならいい」と言ってまた団子を口に入れる。 境内に入り、お参りをし3泊4日の予定の目的を達成した後、私達は宿に向かった。 宿では部屋に案内してくれた中居が「新婚さんですか?よござんすね」と下品な笑いでお茶を入れてくれる、2人とも何も答えずただ礼を言って小銭を握らせ帰ってもらう。 「飯の前に風呂に行くか」と男がぼそりと言い、私達は離れにある浴場へ行った。 2人はそれぞれの風呂に行くが、私は、男は上がるのが早いだろうから急がねばと、入浴もそこそこに風呂を出、離れの外で待つことにした。 男は中々出て来なかった、その内雪が降り始め、離れの縁側は濡れ始めた。私はしっかり髪を乾かさなかったことを後悔しながら男を待ち、暇つぶしに降る雪の数を黙々と数えていた。 男は20分あまりあとに出てきた、出てくるなり雪が白く染めた縁側に座る私に驚いたようだったが、すぐに自分の役割に戻り「ありがとな」と言った。「悪かった」でも「寒かっただろう」でもなく「ありがとな」と言ったのだ。私はまた驚き、思わず笑ってしまう。その笑いに男は罰が悪そうな顔で「晩飯は蕎麦だといいのにな」と笑いながらぼそりと言った。晩御飯は鍋だった。 子供達がまた子供達をつくり、私たちはおじいちゃんとおばあちゃんになる。 おじいちゃん、おばあちゃんになっても私達のすることは変わらない。 役割を全うするだけだ、2人にとってこうするべきを続けた。 息子たち嫁たちが私達夫婦をどう思ってるかなんて関係なかった、私達は役割を演じ続けることで夫であり妻であり、家族であった。 その男が単身赴任で別居していても別段寂しいとは思わなかった、母親の役割を果たさなければいけなかったからだ、私は寝る前にいつも暖かい気持ちになった。 今日も母親でいれた。 そう思うとよく眠れるのだ。 その内に寝たきりだった私の母が亡くなった、私は娘という役割が終わったことに寂しさは感じたが母がいなくなる悲しさには耐えられた。ここでさめざめと泣けば誰かに後ろ指を刺されるかもしれない。 そして孫娘が死んだ夜、私達家族は深い悲しみに覆われる。 嫁の嫁らしからぬ嗚咽を含んだ号泣、孫達の戸惑い、親戚の心ない言葉。 私の中の何かにヒビのようなものを感じた、それは祖母という役割なんかではなく。 プライドなんて安い言葉でもなく、私の人生だった。 あの男も、息子も、葬式では一切涙を見せなかった。 そういうものだ、それこそが2人の役割だ、と胸を少し暖めていると親戚が歌を歌い出す、嫁が提案した歌だ。首も座らずに死んでしまった孫に童謡を教えてあげたいらしい。 葬儀屋も困惑している、私も少し興醒めであの男を見た、すると目に涙を浮かべ大きな声で歌っていた。あの男の歌声なんて聞いたことなかった、ひどく音を外しながらも男は歌う。しかし一粒も涙は溢さなかった。 私のそこでの役割は泣くことであろう、涙が頬を伝う。 良かった、泣いてもいいんだ、私は弱くなったわけではない泣くことが役割なんだ。 それにしては涙がとまらない、男の歌声がする。私の役割がうたうことであったなら。 それからも月日はどんどん過ぎる。 戦い疲れた男は身体を壊しどんどん弱くなる、それに従って笑顔が多くなる、私には見せたことない顔で孫くらいの女の介護士にありがとうと言っている。 一度ちゃんと聞いてみたかった、あなたの役割は何ですか。と、男はなんというだろうそれを聞いた時私は、あの伊勢の夜のようにちゃんと笑えるだろうか。 今の私の役割は、あの男の最期を看取ることだ。その為には私が先に倒れるわけにはいかない、男は酒もタバコも辞め、医者の言うことを素直に聞いている。 歩けなくなり耳も遠くなった男は、ベッドでせめて歌を歌いなさいと言われた。 私は笑いそうになる、医者はこの男の役割を知らないのだ、男はそんなことするはずがないのだ。 男は歌った、昔以上に音を外しあの日の童謡を歌う大きな声で。 男は生きながらえたいのだろうか、成長した孫はめったに顔を出さない、庭の飼い犬は懐かない。息子の建てた家の片隅で小さくなる身体で歌う男を見ていると、私には。 私にはその男を愛していたか分からない、そもそも人を愛したことがないから、これが愛なのかどうかも分からない。 ただ一つ言えることは食卓で言葉少なに「蕎麦」だの「酒」だの言われていた時の私は幸せだった。男が食後に必ず言う「あぁ美味しかった」を聞くと男に見られないように隠れて笑った。 その男も死んだ。危篤になってから1週間後しっかりと役割を果たした。 私には嫁という役割がなくなった、息子夫婦に迷惑かけないよう施設に入り、写経をしたりあの男の写真を眺めて過ごす。 役割ってなんだったのだろう、出来るだけ長患いせず静かに逝くことが役割だと思う。 あぁラーメンが食べたい、嫁に小言を言いたい、息子に叱られたい、孫の顔が見たい、あの男の手を握りたい。 いまではあの男が歌った意味がわかった気がする。 1日でも生きるために生きなさい。 昔の教え子に話した言葉が全てだったのかもしれない。 生きるために… 生きるために… 生きるために… 生きるために… あの男の、声がする。 「道が混んでると間に合わなくなると行けないからな。早めに来たぞ」 「はい」 「息子たちに挨拶、しなくていいのか?」 「役割を果たすよりもしたいことがありまして」 男は後ろを向いたまま少し驚いた様子で振り向く。 「なんだ?」 「手を握ってもよろしいでしょうか。」 男は何でもなさそうに装いながらも言う 「そんなことか一本道だからはぐれないとは思うけどな。」 「夕飯は…」 私が言いかけると 「お前の食べたいものを食おう。」 私はびっくりして男の手を見つめ 「蕎麦だといいですね」