そば

そば
死ぬと決まった日。恐怖も、喜びも、安堵もそこには無かった、目を閉じるとそこには男が立っていた。後ろを向いているその男は私が結婚をした男だ。それは思っていた以上に懐かしさを感じなかった。 50年以上も前、私はその男と出会うことになる。男は見合いとは程遠い風貌で現れた、呆気にとられた私は答えあぐねているうちに周りの人間に話を進められてしまった。後から聞いた話ではその男も断る気でいたらしい。 私は人を愛したことがなかった、人を愛するには私は忙しすぎたのだ、生きていかなければいけなかったのだ。女学校の友人は皆結婚して家庭に入り、子育てをすることしか考えていないようだった、だが私は家族が食べる為に考えることはたくさんあった、とにかく生きるために生きなければいけなかった。 その男と結婚し家庭に入った私は、毎日食卓で男と向き合い座る。私にとって初めてのその男は何を考えて生きているのか分からない。朝になると仕事へ行き帰ってくると蕎麦と酒を飲んで煙草をふかすとぷいと寝てしまう。交わす言葉は私への指示だけだ、言葉少なに「酒」だの「蕎麦」だの言ってあとは黙々と前を向いている。 私は仕事をすると決めた。
ガナリ
ガナリ