羽生.
16 件の小説それは笹舟
まっしろい 天井を見ていた。 私は明日もうまくいく。と、心の中で思った。 そう 今までも、毎日。 寝る前に天井の隅に集まる影を見つめていた。 どんなに願っても時間は戻らないと知った。 心の中で いっしょうのおねがい を唱えても、過去は変えられないと覚えた。 流れていくものには抗えないと学んだ。 だから毎日、寝る前に天井を見ながら思うことにする。 私は明日もうまくいく。 私は私で、そうやってきたのに。 最近は私のテンポを乱すものがある。 あらゆるものが、あらゆる角度から。私を焦らせようとする。 これからどうするのか 何者になりたいのか それはまだ、毎日を歩みながら見つけていくつもりだから。 だから大丈夫。 私の目の前にある好奇心を追いかけた先にしか、本当の未来は待っていないのだから。 流れに逆らって戻ろうとしたり、無理やり進もうとしても無駄なのだから。 ただぼうっと流されることのないように、私は目の前の全てに全力なのだから。 そう、だから大丈夫。 私は明日もうまくいくの。
悪友
「こら!!まぁたあんたたちね!待ちなさい!!」 真夏の蒸し暑い空気を切り裂くような金切り声が俺たち二人の耳をつんざいた。 「やべ」 「おい!にげるぞ!」 俺たちは思いっきり右足を踏み込んで、小石を散らして地面を蹴り上げた。 「南小学校の生徒でしょ?!戻ってきなさい!!」 「げ。」 しかし俺たちは止まれない。 なぜなら、この暑い夏の日に大人はダッシュできないことを知っているから。 このまま走れば捕まることはまずないということがわかっているから。 熱気を放つコンクリートにあてられながら駆け込んだ公園は楽園のような涼しさだった。 たくさんの青々しい葉をこさえた大木の影に二人して滑り込む。 止まった瞬間にぶわりと汗が噴き出すのはなぜなのか、そういえばずっと不思議だった。 「あいつ、ぜったい学校にいうよな」 俺が言った。 「木村のやつ、ピンポンダッシュしたらめっちゃキレるからだるいなぁ」 ユウトが言った。ユウトは俺といつも悪いことする仲間だ。それと木村っていうのは俺らの担任。 あいつが保健室の優菜先生と付き合ってるってのは俺たち二人しか知らない秘密。これはいざってとき"こうしょうざいりょう"になるってユウトが言ってた。 「どうする?あやまる?」 「はぁ?んなことしても怒られて居残りもさせられるのがオチだよ」 ユウトはこの「〜〜がオチだよ」という表現に最近ハマっているっぽい。ドラマかなんかで最近覚えたんだろう。 「じゃあ、どうするの?」 「俺にいい考えがある」 にやりと片口角をあげて笑うユウトは大抵悪いことを考えている。 「あらっ!!あなたたち学校の時間でしょう?!学校はどうしたの!!」 「やべっ!」 俺の家とユウトの家のちょうど真ん中くらいにある駄菓子屋はいつも俺たちの集合場所だった。 そこの駄菓子屋のおばさんにバレてしまったみたいだ。 そして俺たちはまたいつもの公園の木の下に滑り込む。 「お前の母ちゃん今日仕事?」 ユウトが聞いてきた。 「うん。とおちゃんも。ユウトは?」 「俺のとこもどっちも仕事」 俺たちは学校に行かなかった。いってきますと元気に家を出てから、あの駄菓子屋の前で落ちあってこの公園で時間を潰すと言う計画だった。 あまりに小学生らしい浅はかなこのプランは、もちろん穏便な未来が待ち受けているわけもなく。 学校から親に連絡が行き、どちらの親も仕事を途中で切り上げて戻ってこなきゃならなくなり、もう大惨事。隠れたりはしていなかったし家からも離れていなかったためあっさり見つかり、それはそれはこっぴどく叱られた。もう、それはそれは。 しかし、流石というべきか俺たちは懲りなかった。というか、やめられなかった。 結局ユウトとはしばらく小さな悪さを企み続ける仲だった。 しかし中学に上がってからお互い新しい友達もできて、悪さなんてするような気も起きなくなって。その気まずい雰囲気を軽く引きずったまま、俺は親が離婚して、その都合で中学2年の時東京に引っ越した。 そのまま俺たちは再会することもなく大人になった。あの頃はお互い小学生でスマホも持っていないから当然連絡先の交換なんてしていなかった。家の場所も正確には覚えていない。もう他人のこの関係も、所詮悪友と思って仕舞えばノスタルジーを感じることもない。 そのはずなのに、この季節になると昨日のように思い出すアスファルトの熱気、蝉の声、そしていつも隣にいた男の生意気な笑顔。 「ねえ。俺ちょっと地元帰ろうかな」 休日の朝を優雅に過ごす妻に一言そう告げた。 「え?」 妻は驚いたようにこちらに向き直る。 「いや、かあさんたちに会うわけじゃなくて。ちょっと昔の……悪友?に会えないかなって。」 「ふーん。私も行く」 「え?」 「明日から9月だし、夏っぽいことしたいじゃん?」 「夏っぽくはないと思うけど」 「夫の生まれ育った町を見れるんだよ?夏っぽいよ。」 「どんな人だったの?」 「んー。悪知恵がよくはたらくやつで、同い年にしてはかなりマセてた。」 「ふーん。それでそれで?」 「んーいや、別に友達だったわけではないからあんまり覚えてないな」 「え、友達だったわけじゃないの?」 「まぁ、なんか一緒に悪いことする仲、って感じ。」 ユウトと俺は、それぞれ親から虐待を受けていた。 俺は父親から、ユウトは両親から、殴られ蹴られ罵られる毎日だった。 そんな日々の中で、二人して"ちょっと悪いこと"をすることで、なんとか生きてきた。 今思うと、俺たちは大人の気を引きたかったのかもしれない。 「ユウトくんも虐待を受けていたんだったら、なおさら実家にはいないんじゃない?」 「うん。まぁ、そうなんだけど。行くだけ行ってみたくて。」 「変わったなぁ」 初めはいつもの公園に来てみた。あの時とは想像がつかないほどゴミが不法投棄されている光景が痛々しかった。しかしあの大木だけはびっくりするほど20年前とは変わらずそのままで、あの時の心臓の昂りが蘇るようだった。 「あれ、ない。」 俺たちのいつもの集合場所である駄菓子屋はもうなくなっていた。最近駄菓子屋はどんどん減ってきているし、まあ対して珍しいことでもない。 「掲示板だ笑 こんなの残ってんだ…」 なんとなくユウトの家があった場所に歩いて行くと、道路の端っこにこじんまりと掲示板が佇んでいた。しばらくみていなかったそれだけは、あの時のまま時間が止まっているみたい。 掲示板の中身は、ちょうど俺が引っ越したあたりの時から時が進んでいなかった。 夏祭りのお知らせや、のど自慢大会。新年の餅つきフェス。ねこの迷子情報。 子供の行方不明のチラシ。 「行方、ふめい…」 「どうしたの?」 妻が俺の顔を覗き込んできた。 「え。ゆくえふめい、って…」 掲示板の右下。錆びた画鋲に止められているくたびれた紙には、紛れもないあの時のユウトの写真があった。 「え?まって、もしかして、これが…ユウトくん?」 その問いかけに、黙って頷いた俺をみた妻も、俺と同様言葉を失っていた。 「ちょっ……と、ごめん、図書館行ってもいい?」 「すいません、20年くらい前の新聞とかってありますか?」 「ありますよ。少々お待ちください」 しばらくして、ファイリングされた新聞が出てきた。なぜか少しの焦りを感じている自分に困惑しながら、ページを捲る手が震えるのに気がつかないふりをした。 しばらくして、妻の手がバンっと、俺がもうめくろうとしていたページに叩きつけられた。 「まって。行方不明って文字見えた」 そう言われてそのページをよくみてみると、見落としても仕方ないくらいの控えめなスペースに『行方不明から二ヶ月。ついに発見』の見出しがあった。 心臓がどっどっどっ、と耳の奥で響いていた。 『芥川悠人くん(13)』『南中学校二年生』『行方不明から一ヶ月』 自分はどんな言葉が出てくるのを求めているのか、なにを期待しているのか。どこか焦ったように飛ばし飛ばし読み進める。 「ちょっと、…」 ヒュッと喉が鳴った。 隣にいた妻も、文字通り息を呑んだのを感じた。 俺たちがこの文章を読んだのは、おそらく同時だった。 『8月31日。南中学校の裏にある森のなかで、遺体が発見されました』 「ちょっと待ってよ……」 パニックで、頭が回らなかった。 昔からただの悪友だと言い聞かせていたが、俺は現にユウトのフルネームを覚えていた。顔も鮮明に覚えていた。20年経っても色褪せることなく。 きっと罪悪感はあった。 中学に上がり、俺が落ち着いてきているのにも関わらず、ユウトだけは一人でヤンチャしている様子をみんなと一緒に軽蔑するフリをしながら。 だって彼が両親から虐待を受けていることを知っているのは俺だけ。彼がどうして危険な遊び方がやめられないのか、俺だけはうっすら知っていたはずだった。 俺だって同じ感情を持っていたはずだった。 そんな彼と距離を取ったまま、転校することに俺は少し安堵していた。知っているのに知らないフリをしながら抱えていた罪悪感からも、ユウト本人からも、逃げ出せると思っていたからだ。 実際、目を逸らすことはできた。ユウトの姿が目に入ることもないし、ユウトの日頃の行いを耳に入れることもない生活は、俺の中に燻る罪悪感を薄めていった。 しかし無くしてはくれなかった。 その証拠に、俺は今日ここに戻ってきてしまっている。 俺が逃げたから。目を逸らしたから。 ユウトは命を落とした。 いつもの危険な遊び方が原因なのか、はたまた彼の故意なのか。それは俺にはわかる術がない。 ただ、俺が彼の良き理解者であるべきだったことはわかる。そうなるべきだったんだ。 俺は逃げた。そうなれなかった。 妻が、あなたのせいじゃないよと俺の背中を撫でていたが、その言葉は右から左へと流れていった。生きた心地がしなかった。 しかし、ある男の人の声が俺の耳に入ってきた。すこしだけ、聞き覚えのある。 「え?木村先生…」 そこには、俺たちが小学生だった頃の担任の先生。木村先生が立っていた。 木村先生は、学年が変わり担任じゃなくなってからも、なんだかんだ卒業まで俺たちの学年にはいた。だから特に印象が強い。 「帰ってきてたんだね」 「お久しぶりです…」 衝撃的な再会に気を遣った妻が、先に車に戻ってると言って図書館を後にした。 先程の出来事がまだ飲み込めていないのと、突然の元担任の登場に理解が追いつかない俺と比べて、先生は冷静だった。 「今日は、芥川の遺体が見つかった日だろ。」 「そっ、…か、31日…」 「来れる年は、毎年来てる。あれから何百人もの生徒を持ったが、芥川のことはずっと忘れられないんだよ。」 それから先生は、ずっとひとりで抱えてきた罪悪感を俺に肩代わりさせるかのように、ぽつぽつと語り出した。 木村先生は俺たちの親の虐待に気がついていたらしい。しかし新任で権力もなく、時代的にも見守るしかなかったと。 ここはすごく田舎だから、中学に上がってからのユウトの素行も風の噂で耳に入っていたそうだ。 俺と同じじゃねえか。 全部。全部全部。 「それで、これ。」 先生が出したの一冊のボロいノート。あくたがわ ゆうと。と名前が書かれている。 嫌な予感がした。 先生は、最後まで罪の意識を俺になすりつけてきた。 「なんすか、これ…」 「日記だ。亡くなる直前まで残ってると思う。俺は、最後まで読めてない。」 それだけ言い残して、先生はいなくなった。 とんだ御涙頂戴展開だ。どうせ来年からは来ないだろう。ユウトを想って通い詰めてたんじゃない、ただの罪滅ぼしだ。自己満足だ。 だけど自分も背負ってる罪は同じだから。強くは言えない。 だからせめて。この日記は全て読み切ろう。 もう逃げない。 ぺらり、一枚一枚。めくっていく。 日付は飛ばし飛ばしだが、継続的に書かれていた。 別にユウトは馬鹿なわけじゃない。だから文法もしっかりしているし、字も綺麗だった。 ついに最期の年になった。 7月14日 そろそろ夏休み。来年の夏休みは受験勉強だろう。母は働けと言っていた。パチンコのお金が底を尽きてきたのかもしれない。 父はいい大学に行けと言っていた。父さんは学歴がいいから、息子の俺の学歴で恥をかきたくないのかもしれない。 ユウトの父親と母親は、この頃ちょうど別居を始めて離婚裁判を控えていたのだけは知っていた。 ユウトの母が失業して不倫相手からお金をもらっていたことが原因だった、とこの日記を読んでわかった。 7月17日 大人になりたくない。おとなになりたくない。いやだ。いやだ。わからない。 ユウトは、大人になりたくなかった。 両親からは主にネグレクトという虐待を受け愛情不足。親権がどちらに渡っても親のための進路に進まなければいけないことが確定していた。ただ親からの愛情を諦めきれず求めていたユウトは逃げることもできず、大人に相談することもできず。 ユウトは、やむを得ず大人にならない道を選んだのかもしれなかった。 大人になりたくないユウトを、大人が救えるはずなんてないってわかっていたはずだった。 後悔してもしきれない。 だけど、どうしても考えてしまう。 あの時俺がユウトの手を掴んで、「おい!逃げるぞ!」と、連れ出してやれたなら。 こんなオチにはならなかったかもしれない、と。
20回の約束
「…やっと20回怒られ終わったか。」 どういう意図で私に話しかけたのか、どういう意図でその言葉を発したのか。どんなに考えてもわからなかった。 ただ、彼はいとも簡単に私を10年前に引き戻した。 誰もいない夕方のバス停。今日のバスはもうない。近くの海が波を立て、森の蝉が音を上げる。ぽかんとその場に立ち尽くす私を見て、彼は焦った様に顔を引き攣らせた。 「もしかして俺の名前忘れた?」 「……けんちゃん、?」 「なんだよ覚えてんのかよ」 びっくりさせんなよと、胸を撫で下ろす彼は昔の幼馴染だ。苗字は思い出せない。だが彼はけんちゃんだ。それだけはわかった。 「あんた、まだこっちにいたの」 「まあ、いろいろあって親父の畑仕事手伝ってる。」 「そっか、」 いろいろあって。 そう、ふくみを持たせて気まずそうに笑ったけんちゃんを見て、涙が出そうだった。一緒に坂を駆け降りて、木に登って。ただひたすらに今を生きていたはずの私たちは、大人になってしまったんだ。その事実を痛いほど突きつけてくる。 「こっちも、いろいろあって。」 溢れそうだった涙を誤魔化す様に目をゴシゴシ擦って私はそう言った。けんちゃんの前で涙を誤魔化すのは、昔からの癖なのか、はたまたもう大人だからなのか。 「とりあえず、秘密基地行く?」 「え、残ってるの?」 「残ってるでしょ。」 「行き方忘れたよ」 「俺はわかる」 「一旦荷物だけ置きに帰る」 「そうしよ」 けんちゃんは私の実家まで着いてきてくれた。 鍵を開けて家に入ると、その懐かしい匂いと景色にまた涙が溢れそうになる。昔の記憶が思いっきり押し寄せてきて、懐かしいやら悲しいやら寂しいやら嬉しいやら。正体不明の感情が、訳のわからないまま膨らんでいった。 リビングのテーブルの上には置き手紙があって、 "車で買い出しに行ってます。18:00ごろには帰ります。" 昔小学校で書道を教えていた母の、丁寧な字だった。 「お母さんが帰るまで後2時間ある。」 「おっけ。18時には帰れる様にしよっか」 「ありがと」 私はキャリーケースと肩にかけてたボストンバックを玄関に下ろす。癖でローファーを履いてきていたことに気がついた私は、ボストンバックを開けて下の方に沈んでいるビニール袋を引っ張り出した。 「なにそれ」 けんちゃんはふしぎそう。 「ビーサン。高校の時の。あんた絶対見たことあるよ」 出てきたのは履き古されたピンクのビーチサンダル。上京する時になぜか持っていたが、やはり一度も履かなかった。 「うわ懐かしい。それしか履いてなかったよな」 「うん。」 懐かしのビーサンをつっかけて、けんちゃんの後ろについて行く。 坂道や、険しい山道は、記憶より遥かにキツく、衰えを感じた。 秘密基地というくらいなので、なかなかの険しい道をクリアしないと辿り着けないのである。 「こんなに遠かったっけ…?」 息も絶え絶え私が尋ねると、 「もうつく。」 これまた息絶え絶えのけんちゃんが返事をした。 けんちゃんの言う通り、その後すぐに私たちの秘密基地に到着した。 ちょっとした崖になっていて、そこに木のベンチが置かれている。ペンキは随分と剥がれていたが、まだ座れそうであった。 「ベンチ、こんなちっちゃかったっけ」 「ね。大人二人だと、流石にきついな」 二人並んであの時みたいにベンチに座って、向こう側の広い広い海を見た。 しばらく波の音を聞いていた。静寂というのは、薄い壁の向こうで車の走る音やクラクションの音が鳴ることではない。波が音をたて、蝉が鳴くことであった。ここまでの心地よい沈黙を、私は10年ぶりに味わっているのだ。 「20回の約束。忘れたん」 けんちゃんが少し訛った。けんちゃんもきっと上京してたんだろう。そして、方言を馬鹿にされたんだろう。私と同じで。 私たちの地域は方言が強い方ではなかったけど、東京の人からしたら関西弁でも標準語でもない方言は異様なのかもしれない。 「聞いとる?」 「約束?なんの?」 「お前、東京で上司に20回怒られたらこっち帰ってくるっていっとったべ」 「……」 そうだ。私は昔から怒られるのが嫌いだったんだ。 「そうだ…。言ったね。そんなこと。」 「ほんで。ちゃんと20回で帰ってきたんやろな。」 ちょっとした悪戯ならけんちゃんと一緒になって大人から逃げ回ってた。 怒られるのなんて大っ嫌い。だから大人にだけはなりたくなかった。死んだ父ちゃんが、東京ではいっぱい怒られていっぱい頭を下げるってよく愚痴ってたから。 だから、18でここを出ることになった時、このベンチの上で私はふざけてけんちゃんに言ったんだ。 20回怒られたら、逃げ帰ってくるから。と。 「………」 気がつくと、涙が止まらなくなっていた。 ここにきて2度は我慢したその涙も、もう耐えられなくなっていた。 号泣する私に見向きもせず、けんちゃんは海を見ていた。 私も真似して、海を見た。水平線を視線でなぞった。 忘れていた。 数えきれないほど怒られた。20回なんてとうの昔に越していて、悪くもないことで謝ったし理不尽にもたくさん苦しめられた。 忘れていた。20回の約束。 忘れていた。逃げれるってこと。 逃げれる場所が、ここにあったということ。 「いつからかなぁ…。なんでこうなっちゃったんだろうなぁ…」 どんどん海に溶けてゆく太陽を眺めながら、溢れて止まらない涙を拭うのをやめた。 「助けやんくてごめん」 「助けやんかったんじゃ無くて、助けれやんかったんやろ?」 けんちゃんの声も震えてた。 私は知ってる。けんちゃんもきっと大変だったということを。私たちはそれぞれの道を選んで、それぞれの道を歩み、そして帰ってきたんだ。 「私もごめん」 「え?」 「わたしも。けんちゃんのこと、助けられやんかった。」 「………ええんよ。別に」 別に聞かない。何があったとか、なんで帰ってきたんとか。聞かないから。 けんちゃんが私にそうしてくれたみたいに。 「…泣きすぎや。」 「けんちゃんもや。」 私たちは二人してわんわん泣いた。 自分をわかってくれる人が、ただ隣にいるという。そんな、当たり前の日常だったはずのことが。ただ嬉しくて。 泣く暇もなくすぎた10年の涙を取り返すみたいに。私たちは、泣き続けた。 「ぼちぼち時間や、」 けんちゃんが腕時計を見た。 私もけんちゃんの腕時計を覗き込む。ちょうど18:00になるころだった。 「ほんまや」 「じゃ、俺帰るわ」 「私のお母さんに会っていきなよ。」 「いや、いい。明日行く。明日は、んーそうやな、…スイカ割りしよ」 一度止まりかけていたはずの涙が、また堰を切ったように止まらなくなる。 ほとんど音にならないような声で小さく「わかった」と返事すると、けんちゃんは優しい顔で頷いて、自分の家に帰って行った。 昔と同じ。むかしとおなじ。 私は帰って来れた。ここに帰って来れたんだ。 私は遠ざかって行くけんちゃんの背中を見て、そう思った。 自分が、小さな小さな幸せに囲まれながら生きてきたことを今日思い知る。 親友が私を待っていてくれる幸せ。 お母さんのご飯を食べられる幸せ。 波の音を聞ける幸せ。 先のことを何も考えずに夏を楽しめる幸せ。 そういう、ちいさなしあわせに囲まれて。私は生きてきたということ。 私に必要なのは、 ちいさなしあわせを守るために、 何かを手放す 勇気だった。 「仕事…やめるかあ…笑」 20回の約束
死ぬほど生きてる
「あーー、どうしよ。ごめん。」 壁が薄くて、薄暗くて、狭くて、ちょっと蒸し暑い部屋で、テロテロのキャミソール引っ被った女がべそかいてるから、隣の男はどうも不思議そう。 「なに。なんで泣いてんの」 「いや、あの、ごめんほんとごめん。」 男は気怠そうでもなく、かといって心配そうでもなく、ただ私と同じように壁に背中預けて隣でタバコを吸い始める。 だけど、私は髪をぐちゃぐちゃにして膝に頭埋めて。心の中も頭の中もとっちらかってるから、何を言えばいいかわからない。 「いやだからなんで謝んの」 男は急かさない。だけど、私を逃しはしなかった。 「ごめんまじで死にたい」 くぐもった小さな声で、私がそう漏らすと、男は『あーそういうこと。』と言ってタバコをもう一口。 「ほんとごめん」 「なんのごめん。」 言葉が出ない。たいして黙ってた時間は長くないだろうが、ぐるぐると頭の中であーでもないこーでもないと言葉を選んでいるといつもより早く時が流れていると感じる。 「"同性愛者辛いから死にたい"って思ってごめんってこと?」 「………もうちょっと待ってくれてもよかったのに」 訂正、男はやはりせっかちだったかもしれない。 「でもあってる?」 「あってるよ」 私の素直な反応を聞いてか、男が鼻でふっと笑ったのがわかった。 「あんたの人生まで否定してるわけじゃないから」 「そんなのわかってる」 「…だよね。」 迷いがなく堂々とした男の受け答えを聞いていると、なんだか自分が恥ずかしくなってきた。顔を上げ、少し姿勢を正してみた。 「俺も死にたいって思ったことあるよ。」 「同性愛者だから死にたいって?」 「そうだよ。なんで俺ばっかりこんな辛い思いしなきゃいけないんだって。幸せまでの道のりが、俺だけハードすぎるだろって。」 言葉が出ない。自分もそうだった。 自分が同性愛者であることは、今日この男に打ち明けるまで、ずっと一人で抱えてきたハンデのようなものだった。 「まあ俺の話聞いてもしょうがないだろうから。とりあえずいい曲教えてあげるよ」 「は?曲?」 あまりに唐突で驚いた。この男、音楽なんて聞くのかという驚きもあった。 そして曲で慰めようだなんて、あまりにベタで少し呆れた。音楽なんて嫌いだった。 世の中、不特定多数に寄り添うような知ったか顔ソングばかりじゃないか。自分以外の誰かにも向けられているということがわかると、一気に冷める、めんどくさい性分だったのだ。 そんな私をよそに男は自分のスマホを有線ヘッドフォンに繋げ、私の頭に嵌め込んだ。 ボーカルは男か女かわかららなかった。音楽の知識はないが、ベースもギターもドラムもめちゃくちゃで、よくいえば型破りな演奏。 そしてなにより、私だけに向けて歌われてるようだった。豪快なのに、ひっそりとした曲。 死にたい夜をぶっ殺すようなその音楽が、その声が、 「恥ずかしいくらい刺さる……」 そんな"今"を、自分は生きていると、わからさられるような感覚だった。 「お前泣きすぎだよ笑」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「好きなアーティスト?」 「そう!」 私とは真反対なファッションセンスのかわいらしい女が、身を乗り出してきた。 この女には今日会ったばかりだけど、このタイプの人間が、私の好きな音楽がわかるわけないと確信している。 「いや絶対知らないよ」 「私以外と詳しいの!とりあえず言ってみてよ!!」 そのかわいらしいおねだりに絆されて、ぽろりとこぼしたのはあの夜から私を生かすアーティストの名前。 案の定、目の前の女は困惑の色を示し、『ちょっとごめんね!』といって急いでスマホを開く。きっと検索をかけたりなんなりしてるんだろう。 やはりやめておけばよかった。 このなんとも言えない空気。私の判断次第で避けられたはずなのに。 もうちょっとこのアーティストが売れていればよかったのだろうか。そうすれば、話の種として会話はもっと盛り上がったかもしれない。 いいや、でも、知る人ぞ知るだからいいのかもしれない。そういう、誰からもスポットライトを当てられていないところが、私にガツンと刺さったのかも知れなかった。 すると目の前の女はパッとスマホから顔を離した。 「歌詞が素敵!!絶対今度聴いてくる!感想言うから聞いてね?」 「今度?」 「そう!次会うときに!」 「あぁ、そう。でもこういう音楽あまり好みじゃないでしょ?」 「まだわかんないじゃん!それに、この音楽聴いたら、あなたのこともっと知れるきがするから」 そうだ。確かにそうだ。なにより、これを好きな私のことを、私は好きになれたのだから。 好きならそれでいいのだ。 私の好きなものもまとめて一緒に愛してくれる人が、いつか。いや、もう現れているかもしれない。 あぁ、なるほど。こういうのを、人は生きているというのかもしれない。 死にながら生きてたような自分は、今音楽に生かされ、誰かと生きようとしている。 死ぬほど生きてる。 そう、生きてる。 今日の私も、死ぬほど生きているだけ。 — 私の歌/Creep Hyp
二回目のお別れ
「どうだった」 「感情の同調圧力感じて冷めた」 「ほんとに寂しがってる人もいたかも」 「いねぇよ。」 「卒業式ってそんなもんでしょ」 かく言う自分らも、卒業式の後のクラス会に参加せずに、いわゆる“思い出の場所”にきているのでかなりベタに感傷に浸っている感じにはなっている。 「久しぶりに来たな。ここ」 「私は先週も来たよ。」 「まじか。」 「だってもうここにはこれないし。」 「いついくの。東京。」 「明後日。」 ここでこうやって海を前にするといつも嘘がつけなくて。海に向かってたくさん相談をした。なんども、他の誰にも話せないようなことたくさん聞いてもらった。 海は口がないから話せない。何も言わない。ただしずかに私の話をきいてくれた。 「先週は海に何話したの」 「内緒だよ」 「けちだな。」 「気が向いたらあんたにも話す。」 「わかったよ」 もうここにはこない。ありがとう。寂しくなる。 卒業式では一滴も流れなかった涙が、さらさらと目から流れてきて止められなくなっていた。チラリと隣を見るとあいつも嗚咽しながら泣いていた。私より泣いているから、可笑しくなってくすりと笑ってしまった。 「笑うなよ…」 「ごめん笑。じゃあもういこうか。」 「もういいのか?」 「うん。ちゃんとお別れ言った」 「そっか。」 「じゃあね。海。」 線香が燃え切ったのを確認した私たちは海のお墓に手を合わせた。 海の苗字が刻まれたそのお墓に背を向けると、なんだか背中をぐっと押されるようで、私たちは振り返ることなく前へ前へと歩みを進めるのだった。 二回目のお別れ
ひとりぼっちの貴女へ
あんたは間違ってないよ。 第一志望の高校に落ち、静かに見守ってお金を出してくれた親に申し訳なくて。悔しくて、不甲斐なくて。 でもそれを受け入れられないのはダサいから。 一生懸命飲み込んだんだよね。 大丈夫。大丈夫。縁がなかった、それだけの話。この経験を次に活かそう。と無理やり前を向いたでしょ? 親には後悔ないと言った。やり切ったと。 その言葉に嘘はない。けど。 悔しくないのかと言われたら、それはもちろん悔しかったよね。 でもあなたは、どうしようもない過去を悔やむのは嫌いだから無理やり前向いたんでしょ。 だから、私が代わりに言ってあげるから。 悔しかったよ。すっごく悔しかったんだよ。 第二志望の高校はすごく楽しくて、信頼できる人にも出会えて、やりたいことやれてて。毎日楽しいけど。 ふと、夢に向かって頑張ってる人を見ると。全力で夢に食らいついている人をみると、あの時を思い出して苦しかったよね。 頑張ってる人を見ると、自分には努力が足りなかったんだと苦しくなったね。 どんなに今の環境に満足してても、所詮私はあそこに入れなかった人間で、自分の夢のために十分な努力もできない。 でも自分が今歩んでる道を否定したくなくて、自分は間違ってないと思いたくて、過去を引きずる自分を見ないふりしたでしょ。 そんなに怖らがらなくて大丈夫。 湯船につかりながら、スマホで見たオーディション番組の知らない人に自分を重ねて、悔しくて悔しくてたまらなくて涙が止まらなかった夜のことは私しか知らないから大丈夫。 大丈夫だから。 今私は心の底から、ここまで歩んできた道を誇りに思ってる。 あなたが今悩んでることや苦しんでることは、全部私がちゃんと大事に持ってるから。 無駄になんかしてないから。 だから、大丈夫だから。 あんたは、間違ってないんだよ。
しゅうまつ
「いや、だから。どっち?」 「え、それはどっちか食べなきゃダメなやつ?」 「当たり前でしょ」 林檎と毒林檎。 どちらか食べなければならないとしたら、どっち食べる? 「それ毒林檎食べるメリットあんの?」 「ある」 「なに」 「…運命の人に会えたりぃ、人生変えられたり。いろいろ。」 「今考えた?」 「ちげえよ」 「じゃあ毒林檎のデメリットは?」 「ワンチャン死ぬ」 「えぐい。」 答えもなければ正解もない。ただそんな会話をしているしかないほどには、俺たちは暇を持て余していた。 「いや悩むなあ」 「え悩むの?」 「じゃあお前はどっち食うの」 「無論毒林檎」 「やっぱ?そうだよなあ。そうなんだよな。 人生変わるったって" 今 "がこんな状態なんじゃ、 今より悪くなりようがないもんな」 重い頭をもたげてもう見飽きた景色を見渡す。 初めは見るに耐えない悲惨な灰色の荒野に頭痛すらしたはずなのに。 慣れというのは恐ろしい。 「死んだら死んだで、別にねえ。」 「俺らほぼ亡霊だからな。本来なら死んでるはずの、死に損ないだよ。」 「絶対言い過ぎ」 「事実そうだろ」 「まあそうだけども。」 「うーん、運命の人との出会いってことは、俺らの他の死に損ないと出会えるってことか」 「んは笑」 「こりゃ毒林檎一択だな」 " 運命の人 "とやらに本当に出会えたら、いずれ小さな村ができて技術が発展し、子孫繁栄ののち、いずれ都市ができ、静かに死ぬことができるのだろうか。 ついこないだまでは、安易に想像できたはずの未来。 静かな部屋で眠るように息を引き取るという、そんな未来。 今じゃ夢のまた夢とも言える。 「林檎食べたくなっちゃった…」 「俺も。」 「できれば毒林檎。」 「わかる。」 林檎なんていつでも食べれたはずなのに。 二畳半ほどのオンボロアパートの一室から出て、カンカンと足音が響く廊下を突き当たりまで歩き、今にも崩れそうな階段を降りる。 敷地から出て直ぐ右に曲がり、飛び出し注意の看板のところで左に曲がる。 赤色屋根の一軒家を少し超えたところに24時間営業のコンビニがあった。入って一番奥の棚にはフルーツが陳列しており、たしか下の方の棚にカット林檎があったと思う。 ついこの前までは、の話だが。 「真面目な話、毒林檎がほしいっていうかさ。」 「ん?」 「このままなんもせず、なんも起きず終わるってのが、まあなんていうか、癪。」 「それ。結局それ。」 「結局爪痕残したいんだよな俺ら。」 「誰も見てねぇのにな」 「それな。」 オンボロアパートも、看板も、赤色屋根の一軒家もコンビニも、全てぺっちゃんこ。 何もかもが全ていっしょくたになった今。毒林檎は愚か、ただのカット林檎さえ簡単に手に入らない。 「な。毒林檎の木でも探して歩く?」 「あり。」 「そろそろこの景色も飽きてきたしね。」 歩いても歩いても、きっと景色は変わらないだろう。 ずっと先の地平線をぼーっと眺めその先に毒林檎の木があることを願いながら俺たちは重い腰を上げた。 俺たちは木の存在を疑う理由も、そんな勇気も持ち合わせていなかった。 今の俺たちは、ただただ毒林檎の木にむかって歩くだけである。 「いくか。」 「いくかぁー」
身の丈暮らし。
13:52 今日は無駄に早起きしてしまったから、溜まってるタスクを終わらせて充実した1日にする予定だったのに気がついたら正午を過ぎていた。 まあ、今から始めれば問題ないだろう。 立ちあがろうと、手をついたはいいがサラサラと音を立てて手が沈んでいった。これだからビーズクッションには座らないようにしていたのに。 ビーズクッションに沈んだ自分の体はまるで鉛のようで、立ち上がるのに五分ほど時間を要した。 開け放っていた窓から流れ込んでくる風は涼しい風。流れ込む光は、先ほどの豪雨からは想像もできないほどキラキラしていた。 しらこい顔しやがって、と太陽にまで悪態をつく始末。 昨日の夜ご飯は何か残っていただろうか。フライパンの蓋を開けるとほとんど残っていないホットサラダが顔を出した。 トマトなんて干からびてるぜ。 この田舎とも呼べないが都会とも呼べない自宅から買い出しに行こうとすると、一番近くて15分かかるスーパーだ。そもそも材料があっても今から作るなんて面倒なことはできないし、米も炊きたくないし、この絶妙な量のホットサラダを無駄にするのも忍びない。 冷え切ったホットサラダに弱火を当てた。 なんだか物足りない気がしてチーズをかけてみた。 火が通るのを待っている間、スマホで音楽アプリを開いてスピーカーに繋ぐ。 ノーミュージック、ノーライフ。 午前中自分が使い物にならなかったのは音楽をかけていなかったからだな、なんてどこまでも他責思考な自分にもうため息すら出ない。 そうこうしているうちに火が通っただろう。皿にホットサラダを移した。 机に置いてから、ふと物足りなさを感じて冷凍庫にポテトがあることを思い出す。 見るとトースターでできるらしく、こんな便利なもの誰が買ったんだと小さな笑い声が漏れた。 静かな部屋でふと出た自分の声ほど虚しい気持ちになる物はないが、今は音楽がある。その虚しさもいくらかマシだ。 アルミホイルを敷いて三つポテトを出した。 8分から9分。 どっちだよ。 トースターは8分と9分の間、みたいな器用なことはできないらしいから、9分に設定した。 トースターがジーっと鳴き始めてから気がつく。 何気に長いじゃないか。 ジー。トースターが音を立てて内側をどんどん赤くしていく。 さっき皿に移したホットサラダの元までいって一口口に運んだ。 少し。濃い。 チンッ。トースターが音を出した。 ポテトを皿に移すのが面倒で、そこからのそのまま箸でポテトを食べた。 ゆっくり咀嚼している間、一層音楽の音が大きくなった気がした。無論、気のせいである。 私はもう一度ホットサラダの元まで戻る。 二口目を食べる。 あー。冷めてる。 右足を椅子の下でぶらぶらと遊ばせ、左膝を抱えたままもう一口。 足を立てて食べるなんて素行が悪いにも程があるってものだ。 直さないけど。 まだ寝巻きのスウェットを纏う私には、窓からの風が寒く感じた。さっきまでは、少し気持ちいい風だと思っていたのに。 ふと窓の外を見た。 窓の淵に止まったのは白い鳥。手のひらサイズで黒色で模様が入っていた。 じぃとその鳥を見ていると、なんだか聞き覚えのある鳴き方をする。 しかし大変残念なことに、私は鳥の種類なんて見てもわからん。 やがてパタパタと音を立てて鳥が飛び立った。 私も鳥を眺めるのに飽きた頃だったからちょうどいい。 あー。 少し掠れた自分の声が脳内に響いた。 真上を向いた時頭の重さに耐えられずガクンと頭が後ろに倒れたから喉が潰れてるんだ。 あーー。 なんもしてねぇのに疲れた。 大きく息を吸うと、雨上がりの空気が肺を駆け巡り脳を浄化するようだった。 あー。すっきり。 目を閉じて大きく大きく伸びをした。 丁寧な暮らしは、私にはまだ早いらしい。
運命
運命なんてあると思いますか? 私は、んなのクソだと思いますけど、『ない』とは思いませんね。 人間相手に運命なんて感じたことないですけど、絵とか、本とか、音楽とか、そういう、 いつも私の人生を変えてきた奴らとの間には、確実に運命があったと言えますね。 つまり何が言いたいかと言いますと、 世界はかなり単純だということです。 こうしたらこうなってしまうかもしれない。 こう言ったらこう思われるかもしれない。 そんなのは所詮妄想であり、もし自分の選んだ道が間違いだとも思えるほど困難であっても、そんなもんはその先のクライマックスをさらに劇的にするための 演出でしかない。 そう思って生きて仕舞えば良い。だって実際そうだし 世界はほんとに、単純だから。
今はこうしていたい。
「なぁ、もうやめねぇ?」 「帰っていいよ。俺1人で探す」 高校三年生の8月。夏休み部活に来ていた俺と幼馴染の勇人(ハヤト)はプール掃除の当番だった。 もう水は張ってあって、プールサイドを掃除するだけだったから楽な仕事なはずだった。 夕方にはもう家にいる頃なはずだった。 しかし現在の時刻は7:35もう少しで8:00。 「見つからねぇよ」 「は?見つけるよ」 俺たちがこんな時間まで熱心に探しているのは、勇人の落としたネックレスだ。 あれは、勇人が毎日つけてるやつだから大事なもんだろうと思い2人して必死に探していたがなかなか見つからない。 そろそろ諦めてもいい頃合いだ。 それなのに 「絶対見つける」 勇人は妙に必死だった。 「なぁ、でも…」 「絶対…!みつける」 勇人のくっきりとした瞳が俺の方をキッと睨んだ。彫りが深く、褐色肌の勇人は少し日本人離れしていてこう真正面から睨まれると迫力がある。 しかしよく見ると、月光に照らされて瞳がキラッと光った。 こいつ泣く。 勇人が泣くところは見たことがないから見てみたい気もする。剣道部の負け知らずは、嬉し涙も悔し涙も見せたことがないのだ。 だけど、幼馴染を泣かせるなんてことはできない。 「わかった。探そ」 俺はプールに飛び込んだ。 「おいっ!大輝!ばか!」 「お前も来い!!プールサイドにねぇなら中だ!」 勇人もプールに飛び込んだ。 水が跳ねて、プールサイドがびちゃびちゃになる。 月が水面に映りゆらゆらと揺れ動く中、俺たちはネックレスを探した。 邪魔な前髪をかき分けて、へばりつくワイシャツに気づかないふりをして、塩素で痛む目を無理やり開けて、水の中を探し回った。 月に見守れながら。広いプールの中を俺たちは探しまわった。 それでも見つからなかった。 少し遠くにいる勇人と目があった。俺はプールの水の抵抗に抗いながら彼の元まで行くと、ずっと思っていたことを口にした。 「なんでそんなにあのネックレスにこだわんの」 「っ…」 「流石に気になるわ。なぁ、勇人」 力を込めて勇人、と名前を呼んだ。俯いていた勇人の肩がびくっと跳ねる。 プールの水面が静かになるくらい、沈黙が続いた後、勇人は勢いよく顔を上げた。瞳に膜を張った水と、髪から跳ね飛んだ水滴がきらりと光って俺は息を呑んだ。眉間に皺を寄せて、苦虫を噛み潰したような顔。切なくて苦しい顔。 勇人は俺が息を吐く間も無くわぁっと口を大きく開けた。綺麗な彼の瞳がぐんっと大きくなった。 「お前が初めてくれた誕生日プレゼントだよ!ばか!」 水面が震えるかと思うほどの、魂の叫びに聞こえた。心の底から出た勇人の声は、俺の体の芯に響いて全身の毛が逆立つ感覚を覚えた。 またも勇人は俺に隙を与えぬはやさで思い切り俺に水をぶっかけた。しかしその直前に俺はみた、勇人の瞳から溢れ出る水を。 あれがプールの水でないなら、俺が初めてみた彼の涙なら、溢れ出たのはきっと俺のせいだ。 __「おいっ、何。だっ…」 ぐんと距離を縮めた俺に驚いたのか、勇人は俺の名前を呼ぼうとした。でも、今度は俺がそんな隙を与えぬ速さで勇人の言葉を押し込んだ。 勇人の唇はプールの水か、それか彼の涙で濡れていた。 「なにしてっ…」 勇人の瞳は、俺を睨んだ時とは違う弱々しく揺れていて、どうしても愛おしくて俺の右手は彼の左頬に滑らせた。 また、彼は肩を震わせて少し警戒したように俺のことを見上げた。 「あんなのずっと大事にしてたなんて…しらなかった…笑」 「うるせっ、…」 俺が遠い昔、中学生くらいの時に自分のお金で買ってプレゼントしたネックレス。姉ちゃんのセンスを借りて、頑張って選んだ。俺すらも忘れてたそれを勇人はずっと大事に持っていた。 いつもネックレスはワイシャツの中にしまわれていてほとんど見えなかったし、気がつかなかったのも無理はないと思う。きっと、勇人も俺に気づかれたくなかった。 でも、 やっぱり、 「うれしい。」 「は?」 「すげぇうれしい。大好き勇人。」 「なっ、やめろ、」 「探そ」 「…うん、」 俺たちは探し始めた。あんなの新しいの買ってやるのに、これからもっともっとたくさんプレゼントしてやれるのに。でも俺たちは、あいつは、俺は、あのネックレスが良かった。 よかったね。って言って、彼の首にかけてあげたい。似合ってるって言って、もう一度キスをしたい。 だから、だから見つける。だからさがす。 「くそっ、どこだよ」 俺が小さく毒を吐いた時、俺の小指に何か絡まった。 足に絡まる何かを、手で掴み上げるとそれはあの昔のまんまのネックレス。 「はやと!!!」 「あった!!!笑」 泣きそうな顔してる勇人にダイブして、2人してぶくぶく水に沈んで、2人同時に顔を上げた。 勇人の首に巻きつけて、俺は彼を抱きしめた。 彼の顔は水だらけでよくわからないけど絶対泣いてる。 「もう一回、キスさせて」 「嫌って言ってもするくせに」 「…でも、嫌じゃないからいいよ」 イタズラげな笑みを浮かべた、勇人は自分から唇を合わせた。 俺からのネックレス。 勇人からのキス。 俺たちこうやって与えて与えられて満たされていけばいい。死ぬまで俺たちだけで、丁寧に満たされていればいい。 でも今だけは、少しの間だけは、溢れるくらいの幸せでぐちゃぐちゃになりながら、水の中で手を繋いでいたい。 いずれ綺麗に仕切り直すから。 だから。 −『今はこうしていたい』