枇榔井うみ(ひろい・うみ)
4 件の小説裏の小川にて
私の家の裏に、小さな小川があった。幼かった私はその小川は大きな川に繋がっていて、やがて海に繋がっているものだと信じて疑わなかったから、いつも駄菓子屋で買ったプラスティックで出来たラムネの小さな小瓶に手紙に一言書いて、願いを込めて流していた。 手紙の内容は子どもらしいどうでも良い事ばかりだった。この手紙を拾ったひとは私に連絡下さい。私のいちばん大切なものをあげます。そんな感じで。 子どもだから、大切なものなんて拾ったビー玉やお母さんからもらった可愛い人形くらいだけれど、大切なものを知らない人にあげれば、知らない人も私に大切なものをくれると勝手に考えていた。 でも、その考えはあさはかであったと後日判明する。 夏休み、誰もいない裏の小川、いつものようにラムネの小瓶に一言書いて流す。小さな小川をゆるゆると流れる小瓶を私は麦わら帽子の鍔を掴みながらそれを見ていた。 ふと、小川の対岸にこちらを見ている黒い影が見えた。その時、私のまだ7年しか生きていない全ての人生が一つの回転軸に乗った気がした。そしてくるりと世界が反転し、銀色の羅針盤の針が未来から終わりへと逆を向いたような気がして私は静かに肩で呼吸した。 最初は見間違いかと思って首を横に激しく振ったあと、もう一度黒い影を目を見開いてじっと見たが、白い目だけがはっきりとわかる全身黒いその影は、やがてゆっくり鎌を振り上げ、小川を越えて私に振り落とそうとする。 私がいけなかった、私のいちばん大切なものは拾ったビー玉でもない、人形ではない、母が産んでくれたこの命なのではないだろうか? それを誰が拾うかなんて想像もしないで、軽い気持ちで大切なものをあげますなんて書いて小川に流したから、黒いそれはその言葉を拾って白昼堂々私の前に現れた。 「あれは死神だ」 もう、私はボトルを小川なんかに流さない。
【お題】わたしのZXR
筑波山の風返し峠に私はいた。愛車はカワサキカラー、緑のフルカウル4気筒ZXR250。これは母からもらったものだ。 「風になりたい」 高校一年生の夏休み、茨城のおばあちゃんちに夜行バスで関西から母と二人で帰省した私は、縁側に腰掛けて砂糖の入ったあまーい麦茶を飲みながら、冷たい井戸水を表面張力ができるほど入れたビニールプールで足を冷やしながら夏空を見上げた。両手で持っているコップの氷が、私と夏の熱でゆっくり溶けてカラカラと底に落ちてゆく。 「風になりたいならバイクの免許取ったら? おっきなバイク気持ちいいよ〜」 私の後ろで畳に寝そべって、ダルそうにうちわを扇いでいる母が言う。 「私が16歳の頃はね〜、彼氏とタンデムしたくてバイクの免許取ったんだよねぇ」 「んんん? お母さんが後ろに彼氏を乗せる? の?」 ちょっと頭が混乱した。 「そうだよ〜。彼氏乗っけて風返し峠行ったり大洗海岸行ったり。海は楽しかったなぁ」 母は寝そべったまま両腕を真上に伸ばすとぶぅんぶぅんと右手を捻り左手でクラッチを切る仕草をした。 私には彼氏はいないが夏休みが暇なため、おばあちゃんちから徒歩10分の教習所に通うことにした。本当はオーキャンに行くとか課題があるとか高校生としてやらねばならないことは沢山あったけど、高校受験から解放されたばかりの夏休みにそんなの全然やりたくなかった。やるなら自分にとって有意義なことがやりたい! それが普通自動二輪の免許取得! 田舎の教習所はのんびりまったりだった。 「なんでぇ女子高生がバイクの免許なんか取るんだ?」 40代男性教官の茨城訛りがめっちゃ可愛いかった。 「後ろにですね、いつか彼氏が出来たら乗せたいんです」 「は? あなたが乗せるの? いない彼氏を? いやどーも! 長いこと教官やってるけど男乗せたいから免許取るって初めて聞いたっぺよ!」 「まあ、今の時代彼氏が男とは限らないですけどね!」 「はー? 今の子は何言ってんだかわがんないな! とにかくあなたが運転するんじゃしっかり教えてやんべ!」 教官は本当に親切丁寧に教えてくれた。私が一本橋から落ちて派手に転んでも、バイクごと立ちごけして頭を打っても「いつか彼氏乗せるんだっぺ! 負けんじゃねぇ!」そういつも叱咤激励してくれた。 そうして夏休みいっぱい使って無事免許を取得することが出来た。私は本当に嬉しかった。免許センターからぴょんぴょん跳ねながらおばあちゃんちに帰宅すると、母はとうもろこしを食べながらこう言うのだ。 「あんたに言い忘れてたけど、彼女の後ろに乗るの恥ずかしいって振られたんだよねぇ、大洗海岸の帰り」 ええええー! それはよゆーてや! バイク乗ってる女ってモテへんの⁉︎ ゆるゆるキャンプしてるなんたらちゃんはバイクで伊豆回っとるやないかい! 私がプルプル震えていると、母は「あれは原付でしょーよ」と笑った。 だったら原付で良かったやん! 後日、バイクの好きな親戚のおじさんが母が昔乗ってたZXRを軽トラに乗せてやってきた。 「おじさん大切にしてたからまだ走るべ! 筑波山行ってきたら!」 私はZXRにまたがり、幻の6速にギアを入れながら(そんなギアありません)風返し峠にいった。確かにここは風を感じる。 かつて母が走った道をかつて母が乗っていたバイクで走る。ゆるくカーブを下った時、関東平野が目の前に広がった。なんだか清々しい。母もこの風景を見ただろうか? 帰ったら聞いてみよう。知らなかった風景を知って、沢山話したいことあるな。 なんだかんだ楽しかった、思い出深い私の高校一年生の夏休みの話。
宇宙から降る星
筑波山の麓に住んでいた頃、わたしの目の前に星が降ってきた事がある。 わたしが住んでいた家はものすごい森の中で、庭にはよく野生の雉が遊んでいた。雉はこーんといった感じに高い声で鳴くから、庭にあるいちご畑で赤くて小さなバケツをぶらぶら持って夢中でいちご摘みをしているわたしの背後で突然鳴かれると、びっくりして『わあ』って声を上げてよく転んでしまった。恐らくわたしは三歳くらいだったと思う。 「雉くらいでそんなに驚かないの!」 母はそう言っていたけれど、幼いわたしには野生の雉は体が大きく、のっしのっしと歩くあれは紛れもない恐竜だった。そんな田舎だから夜になると家の周りは暗闇と静寂に包まれる。大きな道も無い森の中の一軒家、そこには車の走る音も人の話し声も聞こえない。その静寂と暗闇を母は天然のプラネタリウムと呼んでいた。そして晴れた夜は決まってわたしの小さな体を庭にぽーんと放り出し、今夜もお星様見ようねと掬うようにわたしを抱き上げ強引に夜空を見上げるように仕向けるのだ。 夜空を見上げる、これマジでこわいの! 母は何時間も見ていたら沢山星が落ちてくるのが見えるし、人工衛星? が軌道を通るのも分かるし、筑波山によく出没するUFOに会えちゃうかも! なんて脳天気な事言ってるからこいつは正気なのか⁉︎ と心の中で母にツッコミを入れたけれど、幼いわたしは母の決定に従うしかなく、仕方なく母の腕の中から夜空を見上げた。 春の筑波山麓は無茶苦茶寒い。 「ほらうみちゃん、すごいでしょう? お星さまいーっぱい」 母もあの頃はまだ二十代だったから魂がぴょんぴょんしていて満点の星空に興奮していたと思われる。わたしは近所の洋品店で買ってもらったクマの黄色いポンチョの中に首をすくめてチラリと目だけ動かして夜空を見上げた。夜空には三百六十度隙間なくきらきらと赤や白に点滅している星が見える。それをわたしには綺麗と言うよりかは《夜空に浮かぶ恐怖の異質》として捉えていたから、うまく表現できないけれどなんだかすごく怖かった。それに母は生まれも育ちも筑波なんだから、今さら満点の星空にそんなに興奮しなくてもよがっぺよともわたしは思ったけれど、わたしはもみじみたいな小さな手で《夜空に浮かぶ恐怖の異質》を自分の目に映らないように目を塞ぐのに精一杯で母には何も言えなかった。 わたしには前世の記憶は無いけれど、生まれてくる前の記憶があった。生まれてくる前はこんな星空みたいな場所で生活をしていたような気がする。そして夜に寝ている間に何度もあっちの世界に帰っていたように思う。花畑の中を銀河鉄道みたいな鉄道に乗って帰る、みたいな感じだった。 でもたまに不安がわたしを襲った。せっかくこの世に生まれたのに何故生まれる前の世界に帰らなければならないんだと。 それに気付いたら、わたしはもうずっとこっちの世界に居たいんだよと夜中にわあわあと大きな声で泣いた。 「あらあらうみちゃん、また夜泣き?」 母がそう言ってよしよしと言って抱き上げてあやしてくれる。それを懲りずに齢三歳まで毎晩繰り返していた。だからわたしは二十歳になった今でも、自分がどっちの世界にいるか曖昧な感覚になる。今、わたしは【ここ】にいるけれど、時々、違う世界にいる、みたいな。 兎にも角にも母と星空を眺めていたら、突如筑波山の裏の方から大きくて銀色の流れ星が現れた。 「わあ! うみちゃん! でっかい流れ星!」 母の声にもみじの手のひらを目から外してわたしも夜空を見上げた。本当にめっちゃ大きい流れ星だった。 しかしこの日の流れ星は様子が違う。いつもなら数秒で消えるのに、消えないのである。銀色の尾を引いてこちらに向かって来ているではないか! イメージを明確に描くなら《君の名は》のティアマト彗星が落ちてくるそれである。 「わ⁈ わわー‼︎」 母も流石にちょっとやばいなと思って焦ってはいたけれど『そんなもん近くにあるようで遠くにあるやろ、でかい満月みたいに』と思っていたんだろう。焦りながらも全く逃げる気配は無かった。 そのうち流れ星は天空で二つに割れて、銀色から虹色みたいな色に変わる。天体の事とか宇宙の事情とか全く知識は無いけれど『なんだかやばい』だけは幼女のわたしでも分かった。 「わー⁉︎」 「ママー?」 母にしがみつくと、母もぎゅっとわたしを抱きしめた。わたしを抱きしめた母の腕の力強さから『今さら逃げても仕方ないよな』という諦めと覚悟の気持ちがあった。わたしは時々あの世に帰っていたから、このまま流れ星にぶつかって死んでも別にいいや! って気持ちだったけれど、当時二十代だった母はそうじゃなかったらしい。 「えー、やだあ、うみちゃん、わたしらここで死ぬのぉぉぉ⁉︎ あたしまだ冷蔵庫に食べかけのモヤシが残ってるんだけどぉお⁉︎」 と、モヤシの心配をしていた。 『母よ、心配するのはそれじゃねえだろうよ』 三歳にしては意識がはっきりしていたから母に二度目のツッコミを入れる。 二つに割れた隕石の片割れがこちらに向かってくる。赤と青に燃えていて、石の形がはっきり目視できたのだから結構近いはず。 母と二人で黙ってそれを見ていた。 『星が降る、なんてほんまにあるんかいな』 関西人の父ならそうツッコむだろう。しかしわたしたちは茨城弁しか喋れないから 「まーじでやばいべよ‼︎」 と、叫んだ。 そう叫んだら、その光る石は目の前の森に音も無くスッと吸い込まれていった。 後に残ったのはいつもの暗闇と静寂だった。 「助かった……」 そう呟いて、母はしばらく放心していてた。うまく事態が飲み込めていないようで長い間わたしを抱きしめたまま動かず何も言わなかった。だって星なんて普通降らないし目の前に落ちてこないでしょう? わたしはなんとなくまた夜空を見上げる。なーんだ、死ななかったんだ。また神様の所に帰るんだと思ったのに! と。 その時、夜空にふわふわ浮かぶ光るものがこちらに向かって少しずつ近付いてくるのが見えた。それはなんとなく形が宇宙船で、こちらを見ているのだとわたしは思った。そしてその宇宙船があの世行きの銀河鉄道の雰囲気に似ていたものだから、その宇宙船に乗っているのはもしかしたら未来の自分なのでは? とも思った。何故かは分からないけど。 イメージはパラレルワールドで世界が崩壊して、何処かに逃げる為に最後に自分に会いに来た、だ。そう感じてわたしは空に両手をあげると大きく手を振ってみせた。それが宇宙船から見えたのか、しばらくしたら方向を変えて一度大きく光ると夜空に消えて行った。 それが流れ星と何の関係があったかは分からないけれど、たぶんわたしはあの宇宙船にいるわたしと今も何かで繋がっているのだと時々思う。 だから世界は、たぶんいくつもある。
神々の宿る山にて
「私はもう死んでしまおう」 掛かりつけの歯科医院で定期検診を受けながら、私は突発的に思った。歯科医が丁寧に歯の間にフロスを入れて私の歯を磨いてくれている時にだ。 「歯は大事にしましょうね、若いうちから虫歯予防に努め八十歳まで自分の歯で噛みましょうね」 「そうですね」 なんて会話をしている患者が死んでしまおうなんて思ってるなんて歯科医は思いもしないだろう。しかしいつだって人は前々から決めていた事よりも、感情に突き動かされ突発的に行動する方を選びがちだ。だから死にたいって思ったら居ても立っても居られなくて、診察台から起き上がって今すぐ走り出したかった。そしてその時に自分はああやっぱり私は動物なんだ、と実感する。目の前に餌があるのに理性で何たら考えて食べるのを我慢するよりも、さっさと食っちまえよと。 カウンターで治療費を支払い次の検診の予約を入れる。これから死ぬと決めたのに三ヶ月先の予約を済ますなんてどうかしているな、私はまだ生きていたいと思う部分があるのか、などと心の中でツッコミなどしてみる。 行き先は生駒山と決めていた。以前心霊系YouTuberが最強に怖いと言っていた場所だ。私は関西人の心霊系YouTuberが好きだ。というか関西人の作るYouTubeはだいたい面白い。何故かって? それは完璧なオチがあるから。関西人の創造物には必ずオチがある。だったら私が死のうと思って向かうその生駒山の最強に怖い場所に完璧なオチがあるのか? 私が死ぬ以外に? あの山奥に? 外はざあざあ降りの嵐の日である。だから古い歯科医院の窓硝子がガタガタと揺れていた。受付のおばちゃんに『おばちゃんいつか硝子割れるで』って帰り際に言ったら『歯科医のおっちゃんが死ぬか硝子が先に死ぬかだから問題あらへん』言うからここにも生死があるんかいな、と思いながら位置情報を消す為にスマホの電源を切り、ハイカットの黒いコンバースに足を入れるとその紐を私の生駒山に向かうという決意と共にキツく結んだ。 そう言えば昨日、TVでお天気キャスターが明日はひどい雨だからお出掛けは向きません、山なんか行ったら危険なんでやめましょうって言ってたな。いくら休日と言ってもそんな日に山なんか登るやつおらんやろ思いながら満月ポン齧り、桜文鳥の【ちくわ】を右手でにぎにぎしながら思っていたが、その山に登るやつは次の日の自分なのだから笑っちゃうね。 目的地の生駒山までは自転車で三十分くらいとGoogleマップに出ていた。乗っていく自転車は母のロードバイクANCHORだ。家族に見つからないよう庭からそれをそっと出す。某自転車漫画が好きな母が推しのキャラクターが乗るANCHORを大枚叩いて買ったのだ。これなら簡単に生駒山でヒルクライムが出来る。あの髪が緑のなんたら先輩みたいに右に左に激しく車体を傾けながら漕げるかは知らんけど、嵐の日にロードバイクの聖地十三峠にすら人がおらんのに私はもっと人の居ない所謂『心霊スポット』へ向けてヒルクライムをするんだから、お伊勢参りで暗峠を越え奈良へ向かった江戸時代のええじゃないかもびっくりしてくれるやろう。 強風と大雨にずぶ濡れになりながらロードバイクのギアをチェンジし、花園ラグビー場あたりから恩智川の橋を越える。ここら辺から生駒山が目の前に迫ってきて何故か気持ちがワクワクしてきた。こんな台風みたいな日にずぶ濡れでロードバイク全力で漕いで馬鹿だなこの女、みたいな顔する外環で信号待ちをしているトラックドライバーの目線が心地良い。死ぬと決めた女には怖いものなんか無いんだ。今、私は世界で一番自由な女なんだから! 自由が嬉しくて両手離して自転車漕いでロードレースでテープを切るポーズをしたいくらいだ。全てから解き放たれ、もう辛いと思う事なんかいっこもないししなくてよし。 枚岡神社で一旦自転車を置く。ここから登山しながら八尾方向まで登る。雨がざあざあ音を立てて枚岡神社の境内に落ちて石畳を雨水が流れていく。確か枚岡神社の入り口はYouTubeでライブ配信してたな、と思い出し『みんな、みてるー?』的にカメラに向かって両手を振る。きっとライブ配信見てる奴らはずぶ濡れゾンビみたいな女がこっちに全力で手を振りながら口を開けて笑ってるんだからめっちゃヤバい奴おるやん! ってなってるだろうけれど、まあだいたいライブ配信見てる奴ほぼおらんからな、私を見た奴はまじでラッキーと思えよ。 枚岡神社裏の梅林あたりから登山して目的地までコンバースで登る。苔むした石の階段で時々足を滑らすが森に飲み込まれていく感覚が心地よくて足元なんかどうでも良かった。雨がざぶざぶ、風で草木がざぶざぶ、山鳩がデデっぽ鳴いてる声が響く。 生駒山は朝鮮寺とかの廃寺や龍神様の神社、何かの廃屋が点在し霊山の雰囲気を盛り上げている。日本書紀の神武天皇がナガスネヒコと対峙したのも生駒山だっけ。 草木を掻き分け、八尾まで縦走する。足取りは軽かった。森の中はひんやりしていたけれど、山を歩くうちにどんどん体温が上昇し汗も出てきた。着ていたものが弟のカンタベリーの保温してくれるジャージだったから余計にだったかも。 進めば進むほど生駒山の森に優しく抱かれているような感覚がして頭の中にEnyaのBook Of Daysが流れてくる。 和訳はこうだ 一日、一夜、ほんの一瞬 私の夢はもう、明日にでも 一歩、一退、揺れる一事 東へ西へ、地も海も越え 一路、それが私の旅路 そして、綴られゆく一頁 繰る日々こそ、我が旅路なり 我が前に在るは遠き路なり 繰る夜もまた、我が旅路なり 其が物語、永遠に続かじ 病める日、凍てる夜、惑える時も 挑む私を止められはしない 項垂れ、崩れ、心震え その先にこそ我が日が在ると 遙か先まで 遠く先まで そうだ、挑む私を止められる奴はいない。この衝動は、私だけの衝動だ。 山道を歩き八尾に入るとそこからいつの時代からあるのか分からない石の仏像や鳥居が並ぶ。生駒山の湿度でどれも青く苔むし、その先に修行場の滝も見える。私はポップステップしながら滝に近づく。大雨に伴い水量がやばい事になっていてどばばばと大迫力で水が落ちてくる。 そう言えば私は昔から自分にとって大切な用事がある日には必ず雨が降る。それが天気予報で降水確率0でもだ。それを母の実家がある茨城に住むおばあちゃんが『龍神様がついているからだ』と言っていた。龍神様がついてる人は大切な日に祝福の雨が降ると。おばあちゃんは龍神様を信仰している人だっからそれを私が引き継いだのかもしれない。私も幼少期は茨城に住んでいたから、父の仕事の都合で大阪に引っ越すまではおばあちゃんとよく龍神様のいる滝不動尊に出かけた。ここで願う事は必ず叶うよ。ほら、あんたのじーちゃん白血病で東京の大学病院にまで行かなきゃならんほどひどかったけど、ばあちゃんがここで願ったから治ったべ、と。 だから私は滝に頭を下げた。生駒山の龍神様が私をここに呼んだんですね、私は歯医者さんでデンタルフロスをしながら衝動的にここに来ましたが、これはあなたが私を抱きしめてくれようとしたからですか、と。 それから勢いある水に触れてみた。人差し指がもぎれるほどの力強い水圧だった。なんだかそれに生命を感じた。 死と生は常に隣り合わせで、いつか死ぬから人は輝く訳で、もしこの命が永遠だったら輝いたりしないだろう。永遠に誰が生きたいと思うの? とQueenも言ってるではないか! その滝から少し進んで、やっと心霊系YouTuberが言っていた最強に怖い場所に辿り着いた。何度も言うけど嵐の日の生駒山、人里からかなり離れていてこの場所はgoogleマップにも載っていないからたぶん心霊系YouTuberと私しか知らないと思う。 苔むす仏像全てに手を合わせながら先に進む。時々背後から何かが抱きつく感覚があったけれどここは神域、悪いモノではないと分かっているから抱きついてきたモノの頭がある辺りの空中をヨシヨシと撫でながら進む。茨城の山奥育ちだからこの世のものでないモノに違和感を抱いた事はない。田舎では不思議な出来事は日常茶飯事で、それをいつもおばあちゃんや母からその話を聞かされていたから少しも恐怖を感じたことはなかった。人の魂に入れ物があるか無いかは私にはどうでも良い。入れ物が無い魂でも、空中を撫でれば気持ち良い顔で笑っているのが頭の中に浮かぶ。あなたは私より背が低いのね、いつからこの山に住んでるの? ねえ、あなたは神武天皇は見た? 伝説じゃなく実在した? 色々話しかけながらどんどん山を登る。 地図にも無いここならば、死んでもしばらく私は見つからないだろう、そう想像しながら雨の森を見上げる。朽ち果てる自分も想像してみた。以前茨城の山奥の墓地で朽ち果てている幽霊に会った事がある。あんな感じになるんだろうかと思ったらちょっとグロくて面白いな。 山を登れば登るほど風が強まり、木が生き物みたいにくねくねと踊っている。進めば進むほど手入れされていない森林は腐食して倒れた木、そしてそれらに薙ぎ倒された木が重なり細い獣道を遮いでいる。そこをびっしょりに濡れたコンバースで足をつるつる滑らせながら登ったり小さく身体を折りたたんで倒木の隙間を潜ったりして進む。そして数々の困難を乗り越え、目的地の祠に着いた。日中とはいえ、嵐の午後二時である。当然人なんて居るはずがない。いるのは私の後ろを付いてきた霊だけだ。 祠には東屋みたいな屋根がある。いつ誰がこんな奥地に、と思うが東屋の柱に建立昭和五十年とあるからあの時代ならまだ朝鮮寺にも人が多かっただろうしこの山奥まで人が来たのだろうなと思う。しかし今は人を拒み、ひっそりとこの祠は生駒の森を守っている。きっとこの先、何千年先も。 激しい息をしながら一気に祠まで駆け上がった。祠まであと三メートル! 私はここを死場所に決めたんだ、すごいだろう。木々の隙間から大阪平野が見え、あの下にある沢山の生を見下ろしながら自分の死を見つめる。なんて贅沢なんだ! と、思ったのはここまでで、ここから思いもよらない事態が発生する。 人がいたのである。 詳しく説明するならば、そこに登山でも何でもないポロシャツにスラックス、みたいな至って普通の服装をした七十歳くらいのおじいちゃんがいたのである。 しかも、キツネうどんとバッテラを食べている。それは弁当箱みたいなものに入っている訳ではなく、普通のどんぶりに入って湯気が出ていたから驚きだ。 おじいちゃんはまさかこんな嵐の日にこんな山奥に人が来ると思ってなかったようで、食べる箸を止めてこちらを凝視したまま固まった。私も髪からポタポタ雨水を落としながら祠のある東屋にいるおじいちゃんを見上げる。そしてお互いの存在を脳が理解するまで微動だにしないで見つめ合った。時間にすれば一分も無いのにそれは一時間はあったように思えた。今思えばあれは時空が歪んでいたのだと思う。 「あの、こんちには」 歯科医院を出てから、初めて口を開いた。 「今日は雨がようけ降りよるな」 おじいちゃんはそんなような事を言ってたと思う。何故、こんな所に? とはお互い言わなかった。この時点でお互いに思った事はこうだ。 《この人、生きてるのか? それとも?》 もしかしたら私はもう死んでるのか? 自分を疑った。そして次にこの嵐の山奥にどうやってそのキツネうどんを運んだのか、と考えた。おじいちゃんがキャンプ用品をここに運んで調理をした感じには見えなかった。キツネうどんは本当に家の台所からそのままお盆に載せて運んで来たふうのありきたりなものだったし、バッテラも近所のスーパーにありそうなやつを鯉の絵柄のある白い小皿に盛りつけた、といった見た目だったからだ。 「うどん、食べるか?」 おじいちゃんがそう言って湯気立つキツネうどんを差し出す。私は顎に右人差し指を当ててしばらく『うーん』と少し悩んでから恐る恐る近づいてそのどんぶりを両手で受け取った。温かい。それはこの神域ではあり得ない熱いキツネうどんだった。しかしこんな山奥で突然食べろと言われても毒が入っているかも知れないと躊躇う。死に来たにも関わらず。 「毒なんて入っとらんがな」 おじいちゃんの言葉を半信半疑で受け取りながら死んでもいいか! と一口スープを啜る。味は関西人お馴染みの粉末のうどんスープだった。食べ慣れた味に気付いたら芯まで身体が冷えていた私の体に再び命が宿る気がした。少し左胸がオレンジに光ったようにも感じる。 「このまま後ろにいる木霊を連れて日が暮れる前に帰りや」 「木霊…」 「その子はあなたの命となってあなたを守ってくれるから」 「私が何をしにここに来たか分かるんですか?」 私の目から自然と涙を流れる。 「分かるとも。ここは生駒山。神々が宿る山やからな」そう言っておじいちゃんがニッカリ笑い「生きてまたここでキツネうどん食べよう」 そのおじいちゃんの笑顔に何だか力が抜けて、キツネうどんを持ったまま私は声を上げて子どものように泣いた。自分でもびっくりするくらい咽び泣いて、おじいちゃんが優しくトントンと私の背中を叩いてくれていた。 ……こんなに泣くなんて私の魂は本当は生きたがっていたんだ。どんなに苦しくてもしてもどんなに先が見えなくても、どんなにこの世界に絶望しても! だから、いつか寿命が来る日まで、死んでしまいたい気持ちはこの神域に置いていこう。そう決めた。 私は、おじいちゃんが何者か聞かず、キツネうどんを一気に食べると『ありがとう』と言ってどんぶりをおじいちゃんに手渡した。触れた手は温かくて生きてる人間のように思えた。 おじいちゃんは黙って頷き、下の方を指差しながら 「この下を真っ直ぐ行けるようにしたから、早く下山しいや」 とだけ言って手を振ってくれた。私も手を振り、木霊を背負って急いで下山する。 どこをどう通ったかハッキリ覚えてはいないけれど、登った時間より早く下山出来たと思う。枚岡神社に着いた頃には雨が止み、遠くあべのハルカス方向の雲の隙間から赤い夕日が見えた。 彼らを綴って、筆を仕舞おう 来る明日もまた、その先もまた 頁が尽きる、その日が来るまで Enyaの歌の最後はこの言葉で終わる。 私は死にたくなった理由もやりたかった残酷な自殺の方法も明かさないけれど、この経験は残しておきたくて筆を手に取り彼を綴った。 彼は今日も生駒の山奥でキツネうどんを食べている。バッテラも一緒にね。