しんきユーザー
21 件の小説死んだ推しへのラブレター
私はある作品のあらすじを聞いた。 その作品のあらすじはこうだ。若き男女が結婚して、夫の上司に処女権を奪われ、家来たちからも陵辱された。 身も心も傷つけられた彼女は夫の元へ帰った。 その先には悪魔がいた。それ以降悪魔は彼女を傷つけ、身体を貪っていった。 彼女は悪魔と契約して、魔女になった。病に苦しんでいた人達を助けたのに、魔女狩りと称して、最後は火炙りで死んでしまった。 なんて悲痛な終わり方だと私は体が震えた。誰が幸せになるんだ、誰が好きになるんだ、こんな話。 私は聞くことしかできない、読むことしかできない私(自分)に、やるせなさを強く感じた。 私は耐えきれなかった。 作品の話なのに、私は創作上のものとして、なにもできない第三者であることにやりきれなかった。 どうして第三者の私は彼女を幸せにできないのだろう。 どうして私は彼女の夫じゃないのだろう。 第三者の私が一番彼女を愛し、幸せにしたいのに。 どうにか彼女を幸せにできないものかと、私は数日ほど悩み続けた。 大袈裟なのは千も承知。だが耐えきれない。 あれほどお美しい上に献身的な女性が。 酷い目に遭う姿は。 私を悩み、狂わせるには充分だった。 そこで私は、二次創作で助ければいいのではと考えついた。 私は書いた。書き続けた。彼女が幸せになる話を。彼女が辛い目に遭わないで幸せになる話を。生まれてから死ぬまで、幸せになってもらう話を考え、書き続けた。 完成度なんてどうでもいい。彼女が幸せになればいい。 彼女が生まれ、生きて、最後まで幸せでいてくれればいい。 誰の手でもいいから、幸せになって欲しかった。身も心も傷つけられずに、大切にされ、愛されたまま幸せになって欲しかった。 二次創作なんて、馬鹿げてる。オリジナルの悲劇を塗り替えるなんてことはできない。自己満足な所業であることだってわかっている。 わかっている……っ!! だが書かずにいられなかった。 彼女という「ヒロイン」を幸せにしたい私は彼女が幸せでいる姿を読みたくて、聞きたくて、見たかった以上に。 彼女を私の中にある楽園(二次創作)で永遠にしたくなったのだ
ウェザーウォーズ
プロローグ まず初めに地球があった。地球の表面には岩石が溶けたマグマの海「マグマオーシャン」と共にあった。マグマオーシャンは仰った。 空に水蒸気、窒素、二酸化炭素などのガスでできたのを 「原始大気」というのだと。地表面の温度は非常に高く、水はすべて水蒸気として大気中に存在していた。 その後 数億年かけて地球の温度が徐々に下がってくると、 原始大気中の水蒸気が冷やされて水滴となり、地上に降り注ぐようになった。 これにより、現在の気象現象の基礎となる水の循環が始まった。 雨は生まれたばかりは海をできるまで泣いていた。 今では人類の洗濯に悩ませる天気の王道となっている。 マグマオーシャンはマントルから地殻となって、下から我が子たちである天気と共に生きる我々、生命の誕生から死まで見上げているのだ。
回転寿司
寿司を食べるなら回らない寿司。と、リッチな家庭にいるお坊ちゃんお嬢さんは言う。 本当に回ってるんだーとパチパチする姿に、私と同じ庶民暮らしをしている友人は苛立ちを表すように舌打ちしていた。 いいではないか。 あいつらは回転寿司で喜ぶような文化がないのだぞ?いい脂がノッてる魚、高級な海の幸に対して喜ぶだけなのだぞ? 無論、私とて高級な海の幸で口の中を満たしたい。回らない寿司は正直言って憧れる。 だがしかし、回転寿司は人間性によってよくよく楽しめる 何も大袈裟に言っているのではない。回転寿司に行ったことがある者達はわかるだろう。 相手が注文した寿司を渡したり、 わさびや割り箸、コップを配ったり、 お茶を作ったり、 水を取ってきたりと。 相手を慮る回転寿司文化は庶民の人間性を磨く機会を寿司を食べた分以上に与えてくれるのだ。 かといって、回らない寿司は多くなっている。 回らない寿司は伝統的かつ、高級寿司店のイメージが強調されているが(作者のように)。 立ち食い寿司店がいい例だろう。去年あたり渋谷とか東京の中でも人の出入りが多い場所でも見られている。 理由は環境問題に熱心な社会にある。 一つ目、注文を受けた後に、売れ残ってネタを廃棄する必要がなくなり、と言う点がフードロス削減につながる。 二つ目、レーン上で一定時間以上流れている寿司を廃棄する必要がなくなり、衛生的な状態を保ちやすくなる。 と言った2点が重要。他にも経営面では回転率が上がり、客目線ではスピーディーに注文ができる。 回らない寿司を謳歌しているであろう。 リッチなご家庭にいるお坊ちゃんお嬢ちゃんよ 回転寿司が庶民の味方と謳う庶民達よ 回らない寿司も庶民の文化に入ろうとしているんだぜ? 回ってる寿司も今のうちかもしれないぜ? 寿司が回ってる間に回転寿司に行きましょうや。 誰かの奢りで。
私と辞書
わからない言葉を見たり、聞いたりすると、私はよく辞書を開く。ネットで調べてもいいのであろうが私は辞書を使う。 ネットでは調べた言葉そのものに、意味から例文まで表記されているが、それだけである ネットは正確さの保証は表記されていない。一つの言葉を調べるのに広告に時間を取られる。 一つの言葉で充電までも奪われる。減るものに時間プラスアルファなど含まれないでほしいものである。 と記述してるが、ネットで調べるなとは言わない。ネットで調べる人を否定しない。 ただ、ただ作者はネットの情報量とその代償に割が合わない気がするという、違和感から逃れられないのである。 さて、ネットと比較した紙の辞書。作者個人では紙の辞書の方が好ましい。今から記述する理由は、一見馬鹿馬鹿しく思われるかもしれない。 ぱらぱらとめくる音を聞くのが好きだ。 言葉という知識を身につける体験を指で感じられるのが好きだ。 一つの言葉を調べた前後に散りばめられる言葉達が好きだ。 一を知るのに十を知れる機会を辞書はギブしてくれるのだ。 お察しかもしれないが、私の中で紙の辞書の株はそこらの銘柄より高いだろう。 かといって辞書であればなんでもいいわけではない。通常の辞書が文庫サイズに縮小されている辞書。 あれは文字が小さい割には通常の辞書と対して変わらないからピンとこない。(作者にはピントが合わないの間違いかもしれないが) 紙の辞書にはただの国語辞典で調べられない単語もある。(世界史用語集ではヒッタイト、理科年表ではプロトニウム等、二つがそれに当たる) 専門用語だと調べられない場合もあるので、ただの国語辞典には記載されてないだろうと予想できるのであれば、ネットで調べる方が効率的な気はする。私もネットを使用。 だがしかし、専門用語に合った辞書を集めると国語辞典と同じように一を知るのに十を知れる機会を得られる。 言葉を調べるにあたって、ネットだけじゃなくてもいいのでは? 辞書を使ってみてはどうだろうか
天国郵便局
天国郵便局。広報部がお送りします。 初めまして。僕は天国郵便局の日本地域で配達員をしているよ。 もうすぐで正社員。 天国郵便局は生物の視覚では見えない空気状のドームにあるから、見たことないのが普通かな。 あ、僕の名前はマッケラン。長いと思うからマックでもいいよ。 配達員は文字通り郵便局に手紙や小包を届ける。品物の時もあるよ。さて、天国郵便局で一番届けるモノは、人から神様達への願い事かな。なんとこれは小さいぼやきのも届くことがあるから配達する側からすればすごく疲れる。まあ、いい具合に仕事を割り振れない管理部も管理部なんだけどね。 おっと、僕の仕事への姿勢より、業務内容。 さっき言ったように神様達へ届ける願い事が多い。 ざっくりだけどいくつか挙げるよ! 4月は「友達がたくさん作れますように」が多い。天国の下では学生の入学式とか新学期の時期だもんね。 5月は「五月病を治したい」、「ゴールデンウィークは終わらないでほしい」とか。僕も仕事を時々サボりたい時があるから気持ちはわかる。 6月は「梅雨が鬱陶しい」とか主に女子高生か女子大生の願い事が多いかな。でもこれ愚痴にしか聞こえないから僕は「愚痴ごと」って勝手に命名してる。 7月は特に忙しい。なんせ七夕がある。彦星兄さんと織姫姉さんも忙しい。 七夕へは季節や環境に関するモノ以外のことまで願い事に書かれることも多い。 ジャンルが幅広いから、全部読み切るの大変らしいんだよね。「山田君と付き合えますように」、「宝くじが当たりますように」。「世界平和」まであるから願い事をジャンル分けする機械を取り入れればいいのにね。最近は科学技術が発達してるんだから。 内容のものによっては実現しないといけないから、その際の編集部、管理部もたあいへん。僕は配達員だから気楽なもんだけどね。 8月はお盆が入って終わるまで僕達配達員が忙しいかも。「先祖様にお供えするもの」という小包がほとんどだけど先祖の数まであるから忙しい忙しい。 届け先では死んだ後も供えをもらって気分がいいのか喜ばれる。だからってマウントを取られるのはウザい。マウントは受けてつけてません。 9月はお彼岸に関する願い事が多いかな。具体的な文章より小包とか先祖様に供養するものを届けてる。お盆の時と同じかな。 10月以降も話したいところなんだけど、広報部の都合で一旦ここでストップだって。 詳しいことを聞きたい人、働きたい人は天国までいらっしゃーい
初恋
初恋は知らないものです いつ来るかわからないものです 誰に対して起きるかわからないものです どこで起きるかわからないものです 恋愛に興味のない私にはわからないものです 恋とは相手に乞うものです 私をそんな惨めにさせるものです 興味など持てるわけがありません 初恋は素敵と聞くものです 私もよく聞いたものです そうとは言えないものです 素敵だけではないものです 初恋を経た人が言うものです 経てない人など虚しいものです 初恋ばかりが残るものです 私に恋を教えるものです それだけなんです 私に何もくれないものです 初恋で得られるものなど知りません 初恋は得られるより残るものです 残り続けて忘れないものです 損得で考えられないものです 何度大損したものか 何度得したことか 何度この身が苦しんだことか 何度日常に満ち足りたことか 初恋が起きたその日から 私の二面性を引き出すものです そんな初恋を私は嫌いです 私の叶わなかったこの恋を 好きになってなるものか
ただの好きなカプ話2
私の好きなものになってしまいますが。 真面目で実直。悪く言えば生真面目な優等生が、生徒にキツい態度とか、ぞんざいな振る舞いをしてるのを、近所のお姉さんとか学校の先輩とかに嗜められてるのを見守るのが好きな自分がいる。 「人としての徳を積むためにも、絆を育まなければなりません。そのためには、まず言葉、考えを豊かに。 言葉には、相手への配慮が示されるんですよ?」 と、いかにも説得力のある大人びた雰囲気、できれば美人に嗜められてると尚良い。 周りが「お、学年のマドンナだ!」「あ、学校一のモテ男だ」と褒めそやす中、「モテる存在に」にやっかみでもなく、僻みでもなく、興味を持たずに一人で図書室で本を読んだり、屋上で昼寝している。 そんな一匹狼にモテることで天狗になってる人達を「モテるって万能ですか?」と真面目に聞かれて、戸惑いながらも惹かれていくというカップルも好き。 誰にでも優しい、物腰柔らかな美人が恋愛で本気になると複雑な恋愛感情を拗らせてるのが好きな自分がいる。 そして向けられてるのが美人を好きな大人数の一人だと思ってる無自覚聖人君子とか「好きな子には優しくしたいから」と言ってる純情青年とかだといい。 美人が純情青年を揶揄う時はあれど、精一杯の愛情表現だったら作者が萌える。 またもただの創作語り。地雷を踏ましたら悪しからず
偏見ができた時
偏見でモノを言うな。と言う言葉を聞きます。なんでも、偏見は差別の問題を深刻化させるらしいです。 しかし、これを聞くと私は「うーん」と唸ってしまいます。 「〇〇はこうだ」「〇〇はそういうことをする」 聞き覚えは違和感を感じたり、不快になる方はいるかもしれませんが、偏見がなかったら身を守ることすらできないと思います。 偏見があることで、危ない道から離れ、危機を回避、苦手な描写を回避、嫌いな内容を聞くことも回避できる(偏見と根拠の基準が曖昧な作者が書いていても説得力に欠けるかもしれないが)。 偏見という先入観や思い込みは、「群れに属すことによる安心感」、「異質なものへの恐れ」による、心理的な一種の防衛反応に繋がっているのだと思ったわけでございます。 かと言って偏見でモノを言っていいわけではありません。相手のことを考えて発言をした方がはるかに問題も少なければ、不要な揉め事回避になります。 ただ、頭ごなしに偏見をよくないと発言するのはいかがなものかと思った次第。 それに、偏見は人間の一種の特徴であり、個性です。偏見を否定されたことがある人、ない人。偏見は持っても良いと思います。ただし、それを相手に押し付けるのは、世間がよく言う「個性の尊重」の妨げになるので、窮屈な世の中で、揉め事を起こしたい人はご自由にどうぞ。 偏見の話の、ついでになりますが、差別も全く悪いことではないと、作者個人は思います。 ここまで読んでてわかってるとは思いますが、差別も先程記述した、心理的な一種の防衛本能です。差別をすることで自分と類似性のある問題から離れることが可能になり、まさに自分達のことを考えられる環境にもつながります。 ここでも差別を表に出して良いというより、理由もなしに差別をする、しないと決めない方が、世間が批判している本当の差別にはならないと思ったわけでございます。 またも差別を相手に押し付けたら、こんな窮屈な世の中では誰かの火種に着火してしまうので、火消しは自己責任でお願いします。 というわけでみなさん。 偏見と差別は、自分の中では持っても良い、だが表に出すかは自己責任。では失敬
レディーファースト
0時を回った夜中にスーツ姿の男が頭を掻きながらビルを出た。残業していたのだろうか。男は過労を表したように顔色を悪くしていた。 男はトボトボと重い足取りで帰路に向かっていた。 そんな男に誰かが「ぴゅー」と口笛を吹いていた。 彼は口笛が聞こえた方に振り向くと、カシュクールタイプのワンピースを着た若い美人を見つけた。男は美人の方に同じく口笛を吹いた。 美人は男に近づいてヒソヒソと話しかけた。男は最初は驚いていたが、美人と腕を組んで機嫌良さそうに歩き出した。 子供を抱えたキャリアウーマンや、キャリーケースを持ってキビキビと歩く妊婦達は美人の方を睨んでいた。 男の家に着くと、美人は笑顔で先に出迎えるように、男のカバンやら上着を受け取り、洗面所に持って行った。それを見届けた男は美人をキッチンの方へ促した後、寝室に入った。美人はキッチンの方から、寝台で横たわった男にお茶を渡した。 男はお茶を飲んだ後、美人を寝台に座るように促した。美人は首を振った。 「重罪よ?」 「なんだよ!後払いで良いって言ったくせに!」 男は声を荒げながら、お茶が入っていたカップを乱暴に飛ばした。美人は様子を見るように立ち止まっていた。男はそれに腹が立ったのか、更に声を荒げた。 「なんだよ立ちすくんで!片付けろよ!」 「そんなこともできないの?自分が壊したくせに」 「うるさいっ!口答えするな!」 美人は掃除するように破片を拾い出した。それに満足したのか、男は寝返りを打って体勢を変えた。その隙に、美人は集めた破片で男の頭に がつん!! 殴打した。そして男を寝台から下ろして、ずるずると玄関に置いた。そして電話を取り出した。 「課長。連続犯人を確保しました」 課長と呼ばれた人は眉を顰めながら言った。 「C段階に入ってないだろうな?」 「御心配なく。A段階の出迎えは好意の関心を感じさせる、B段階はリラックス効果と労られる満足感を得させる。C段階、性的欲求を満たさせる範囲には入っていませんよ」 「ならいいだろう。さっさとその男を拘束しろ。 なんせそいつは単独出産ができる社会の温情で働いてる男達の敵なのだから」 目が覚めた男は翌日、「女性を性犯罪の共犯にさせた罪」で逮捕 終わり
私は、お父さんが嫌い
タイトルの通りに捉えて構いません。 私は、お父さんが嫌いです。と言っても、お父さんの存在を否定するほどではありません。お父さんという存在が重要なことであるのはわかってます、はい。 お父さんは様々なジャンルの本を持っていて、自分の遊びにも付き合ってくれます。世間ではノリがいいお父さんと言うそうな。 しかし、どうにも我慢ならないことはあるもので。 出した皿は洗わない。椅子の位置を戻さない。夜中にテレビをつけっぱなし。トイレットペーパーを逆にして、直してと言ってるのにちっとも直らない! と言った内容を友人兼先生に愚痴をこぼしたら「そうゆう細かいところじゃなくて。もう少し大きいことらないの?」と言われた。 私の姉や同級生なら先生を酷いと返しただろう。だがそうはしなかった。なぜなら、我ながら小さいこととは思っていたもので。 酔っ払ったら大声で姉と口論になる。口論になることはまだいい。長く暮らしていたら口論になることはあるものです。しかし、大声はいただけない。なぜなら耳鳴りになったからです。 声量を小さくするか、上品な大声を出すか、どっちかにしてもらいたいものです。