みお

6 件の小説

みお

うわき

その時聞き慣れた着信音が部屋に鳴り響いた。 画面を確認すると、彼の名前が表示されていた。 それを見た瞬間、動悸は激しくなり冷や汗が止まらなくなった。小刻みに震える手は彼との通話を本能的に拒否していることを示していた。 着信を拒否すると手の震えや動悸はまるでなかったかのようにすっと引いた。 私は彼が怖いのだろうか。 いや、きっと違う。 また裏切られるのが嫌なのだ。 自分のことも、彼のことも、あの女のことも、全部全部気持ち悪かった。 何も考えたくない。 ただただ眠っていたかった。 何も考えず幸せなまま、眠っていたい。 少しだけ意識を飛ばすつもりが、目が覚めると日は沈み夜を迎えていた。 スマホには彼からのメッセージや着信を知らせる通知が大量に来ていたけれど、見る気は起きなかった。 近くにあった鏡に何となく自分の顔を映す。 泣き腫らし、メイクも崩れたボロボロの顔は思わず笑ってしまうほどに酷かった。 そのまま視線を部屋全体へと移す。 彼との思い出が詰まったこの部屋。 改めて見返すと至る所に彼と住んでいたことを示す跡が刻まれていた。 この部屋に彼は浮気相手を連れ込んだのだろうか。 私にくれた愛の言葉をあの女にも同じように囁いたのだろうか。 そんなことを考えられるほど自分が冷静になったことに少し驚く。 それでもやっぱり彼への未練は消えない訳で。 あの女への憎しみは増加するだけな訳で。 この部屋にいるのがこれ程までに辛いだなんて。今まではそんなこと、片時も思ったことは無かったのに。 出て行ってしまおうか。実家に帰れば母さんも父さんもいる。私も働いているし、貯蓄だって少しはあるからお金には困らないだろう。 少し考えて決心ができた。 元々この部屋は私名義で借りていたものだから勝手に解約しても彼に文句を言われる義理はない。 だったら手放そうじゃないか。 実家に帰れば私のこの断ち切れない未練も少しはましになるはずだ。 母さんに電話をかける。 少しコールが鳴った後、母さんはいつも通りの声で電話に出た。 どうしたの?あんたがかけてくるなんて久しぶりじゃない。 その普通の声が、その柔らかな声が心に刺さって涙が出た。 きっとこれは安心の涙だろう。 彼と別れてからまだ1日しか経っていないけれど、私の心はたったそれだけの言葉に泣けるほど疲弊していたのだと実感した。

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うわき

夜が明けた。 あれ程執着していた彼への愛情もなくなった。 残っているのは少しの虚しさだけだった。 スマホに残っている彼の写真。 それを視界に入れたこと自体がとても穢らわしい行為に思えた。 ねぇ!待って! メイクが崩れた顔で必死に彼の背中に言い続けた。あれはもう過去のこと。 それでも、去り際のあの女の勝ち誇った顔だけは忘れられない。 あんな女と友達だったなんて、私は本当に選択ミスが多い。 これだけ憎悪を煮えたぎらせているのに、どうしてだろう。目からは涙がとめどなく溢れている。 あんな奴、もうどうでもいいのに。 過去のことなのに。 収まりの効かない心を落ち着ける。頭の中では今までの彼との記憶がゆったりと流れた。 甘いひと時を過ごしたデート。 初めてキスをしたのはどこだったろう。 彼からの告白。 あんな言葉は結局ただの妄言だったんだと。 なんの意味も持ってはいなかったのだと。 痛感した。 彼との記憶が蘇って来ると、同時にあの女との記憶までもが掘り起こされた。 いつも笑みを絶やさなかったあの子。 彼との惚気話もにこにこしながら聞いていた。あの笑みの裏では私のことを嘲笑っていたのだろうか。 2人のことを思い返す度に怒りと哀しさと過去の愛しさが激しく行き交い、私の心を大きく揺り動かした。 一生かけて愛します。よければ俺と、付き合ってくれませんか? 彼からの告白の言葉は確かこうだった。真っ赤な顔で言っていたことを思い出す。 そして、そこには赤色のアネモネの花が添えられていた。彼らしい真っ直ぐなけれど、少したどたどしい言葉だった。 私は気恥ずかしい気持ちと嬉しさでいっぱいのまま彼からの申し入れを了承した。 その言葉を受け取った時の私はまさに有頂天だった。これからの彼との未来を信じて疑わなかった。 それが、一瞬で崩れるなんて。 最悪の形で最愛の人が、いなくなるなんて。 赤のアネモネの花言葉は君を愛す。 彼は、私のことを愛してくれていたのかな。 アネモネには儚い恋という花言葉もある。 初めて知った時は関係ないと思っていたけれど、本当に儚かった。 抵抗する間もなく散っていった。 ここまで考えて、ようやく気づいた。 私は彼に未練があるんだ。幸せだった頃の気持ちを捨てきれていないんだ。 そう自覚すると一気に自分が彼らと同じ下等な人達と同じに思えて気持ち悪くなった。 あの女は気持ち悪い。私の彼をとっていった。 彼も気持ち悪い。私への言葉を一切守らなかった。 私は覚えている言葉。彼はきっと覚えていない。 覚えていたら、こんな風に私を捨てたりなんかしない。 愛してるってなんなんだよ。 所詮、言葉なんか信じられない。 男なんか信じられない。 友達なんか信じられない。 周りなんて信じられない。 もう、誰のことも信じたくない。

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子よ

母が命を懸けて産んだ子よ どうか健やかに育ってください 1人願うはあなたの健康 母の祝福を受けて産まれた子よ どうか幸せに育ってください 天に願うはあなたの幸福 母に幸せを感じさせてくれた子よ どうか優しさに触れ育ってください 切に願うはあなたの笑顔 どうか、どうか生き抜いてください 生きづらい世の中をどうか 疲れたのなら休んでいい 信用できるのならば周りを頼って 信用できならならば母の元へ来なさい いつでもいいですから 母が唯一愛した子よ 少しばかりお別れです また会えますから 絶対、会えますから 母はあなたを愛しています あなたから離れてしまう母を許して どれだけ離れていても母はあなたを愛していますから あなたを愛さなくなる時は訪れません 母はお空にいますから いつでもあなたを見守っています 辛くなったならば母を呼んでくださいな 絶対に応えます それでは少しさようなら 母の愛する子よ

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雪に彩をつけましょう

「ねぇ、死んでよ」 そう言われないよう、見捨てられないよう、私はずっと人の顔色を窺って生きてきた。 小さい頃は彩鮮やかに見えた世界は親の言う通りに何彩にも染まらないようにしていると、ほんの少しの彩しかなくなった。 それは、僕の記憶にある中で1番古い言葉。そして、1番傷ついた言葉。 幼心にそれが両親の本音だと悟った。 常に酒に酔って、暴言を吐く絵に書いたような毒親。それが僕の親。 昔から親に嫌われないよう必死だった。辛そうな素振りを見せれば怒鳴られる。いつの間にか辛い時に笑う癖ができた。笑うと気持ちが楽になった。どれだけ怒鳴られても僕は親が好きだ。たまに優しくなって僕のことを褒めてくれるから。それに少し暴言を吐くだけだ。子供に手を挙げる親に比べたらよっぽど優しい。それに、本当は僕を愛してくれている。だから、高校に行かせてくれた。 だから、僕が飛び降りて死のうとするのは親のせいじゃない。ただ疲れたからなんだ。 けど、だめだ。覚悟を決めたはずなのに、足が竦んでしまう。 それからも何度か挑戦したが、やはり同じように手が震え、足が竦む。 いつか死ねる時が来るかもしれないという淡い期待を持って僕は今も屋上を訪れ続けている。 一昨年、志望校に落ち滑り止めに入学した。 両親が望む賢さを持たなかった私は高校入学時に絶縁された。 絶縁は私の心の枷を壊し世界を彩鮮やかに映し出した。そして私の中の醜い部分を顕にした。 友達は醜い私を嫌い離れていった。 先生は何度叱っても問題行動を起こす私をやがて叱らなくなった。 私の悪評は学校中に広まり、誰もが私の姿を隠れて見ては陰で何かを囁いた ネットに逃げ込んでもこの性格で避けられた。 リアルでもネットでも嫌われるなら私はどこに行けばいい? 段々と世界がまたモノクロになっていく。どんなに綺麗だと言われる彩も気持ち悪く感じた。 どこか人がいない所。人に嫌われない所。 そうだ地獄に行こう。不孝者の私には妥当だ。死後の世界がないならそれでいい。もう離れていく背中を見たくない。 自殺の方法を考えてみても、出来そうなものは少なかった。 首吊りは準備が大変だろうし、練炭は苦しいと聞く。睡眠薬は沢山飲むのが辛いらしいし、リスカは部屋を血で汚してしまう。どこかから飛び降りようか。確か高校の屋上はそれなり高く、転落防止柵もそこまで高くなかった。 飛び降りようと決め、遺書を書きポストに投函した。 「両親へ 私は死にます。学校やあなた達は関係ありません。 子供が欲しくなったら優秀な子を養子にでも迎えてください。 今まで沢山お金をかけて貰った恩を仇で返すような落ちこぼれになってしまってすみません。葬儀も仏壇も墓も望みません。 最後まで親不孝者でごめんなさい。十七年間育ててくれてありがとう。」 その時、空からは途切れることのない雪が降っていた。 ある時、屋上に1人の女の子が現れた。学校内ではとても有名な女の子。 薬物をしている。先生を殴った。妊娠と中絶を繰り返している。人を殺した事がある。 彼女を取り巻く黒い噂を上げればキリがない。 記憶の中の彼女は陰口や孤独に臆さない、気の強そうな顔をしていた。けれど、今の女の子は前の面影もないほどにやつれてしまっていて、触れたら壊れてしまうような脆さがあった。 今日も虚ろな目をした彼女は、ふらふらとフェンスに近づき、少ししてしゃがんだ。 彼女が今にも死にそうだったからだろうか。 気がついたら声をかけていた。 「最近よくいるけど、どうしたの?」 彼女は視線を伏せたまま 「別に」 と、か細い声で返事をした。 「死にたいとか思ってない?」 唐突に言い当てられた私は、思わず「関係ないでしょ」と口走ってしまった。慌てて「そんなこと思ってない」と付け足すと男の子は興味を無くしたのか 「ならいいや。じゃーね」 と言った。 もうこれ以上会話は続けられない。僕はそう思って立ち上がった。けれど、言いたいことが見つかってしまい、もう一度声をかけた。 「ねぇ、明日も来る?」 私はなんでそんなことを聞くのかと尋ねた。 理由なんか決まっている。「明日も生きてて欲しいから。」ただそれだけだ。 女の子は少し困ったような顔をしたあと、一言「あっそ」とだけ言った。 彼は軽く笑って 「ねぇ、死なないでよ?」と言った。 私が「そんなことしない。」と答えると、 「それはよかった。またね」と言って彼は立ち去った。 それからも女の子はいて、濁った空を眺めながら二人並んで他愛ない話をした。 僕は彼女を君と呼び、彼女は僕をあんたと呼んだ。 名前も知らない女の子。けれど、彼女と話している時間はとても心地よかった。 私はいつしか死にたくないと思うようになり、モノクロだった世界にまた彩が付いた。 それから、私を死に引き留める唯一の鎖だった遺書が受取拒絶になって戻ってきた。絶縁した元娘からだったから親が受け取りを拒否したのだろう。 私は自殺をしなかったし、きっとこれからもしない。それは私に生きたいと思わせてくれた彼のお陰だ。 日々元気になる女の子とは対照的に僕は段々疲れていった。女の子のせいじゃない。僕自身の問題だ。 最近親は今までにも増して暴言を吐くようになった。そして、手も挙げるようになった。 親に嫌われたくなくて耐えていたけれど、それでも限界は近づいていた。 ある日、つい目の前の女の子に本音を漏らしてしまった。 「もうさぁ。全部疲れちゃった」 彼の声と表情は明るい笑顔で取り繕われていたけれど、生きることに疲れたという本音は隠しきれていなかった。 君は、全て分かっているようだった。 私に彩りをくれた彼の死だけは何が何でも止めたかったが、今私が真面目な顔で死ぬなと言って錘を載せれば彼はきっと潰れてしまう。 だから私はいつかの彼のように冗談めかしながら言う。 ほんと、君には敵わないなぁ。 今まで過去の僕が隠してきた弱音が全部零れちゃうじゃないか。 「ねぇ、死なないでよ?」 次は私が彼の世界に彩を足す番だ。

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ほんと、敵わない

死んでよ。 僕の記憶の中の1番古い言葉。そして、1番傷ついた言葉。 幼心にそれが両親の本音だと思った。 常に酒に酔って、常に暴言を吐いている絵に書いたような毒親。それが僕の親だった。 僕は昔から親に嫌われないよう必死だった。少しでも辛そうな素振りを見せれば怒鳴られる。だから、辛い時に笑う癖ができた。笑っていると気持ちが少し軽くなるから。 それにどれだけ怒鳴られても僕は親が好きだ。たまに優しくなるから。僕のことを褒めてくれるから。 親は暴言は吐くけれど手を挙げたことは無い。子供に手を挙げる親に比べたらよっぽど優しい。それに、本当は僕を愛してくれている。だから、高校に行かせてくれた。 だから、僕が今屋上から飛び降りて死のうとしているのは親のせいじゃない。ただ疲れたからなんだ。 けど、だめだ。覚悟を決めたはずなのに、足が竦んでしまう。結局僕は死ねなかった。 それからも何度か挑戦したが、やはり同じように手が震え、足が竦む。 いつか死ねる時が来るかもしれないという淡い期待を持って今も屋上を訪れ続けている。 そんな時、女の子が現れた。学校内ではとても有名な女の子。けれど、いい意味ではない。 援交をしている。親に捨てられた。妊娠と中絶を繰り返している。人を殺した事がある。 彼女を取り巻く噂を上げればキリがない。 記憶の中の彼女は芯の強そうな顔をしていて、怒鳴る先生や陰口、孤独にも臆すことがなかった。 そんな彼女の姿をここ最近何度か屋上で見かけた。そして、見る度にやつれていっていた。今の彼女には触れたら壊れてしまうような脆さがあった。今日も彼女は虚ろな目をして、ふらふらとフェンスに近づき、少ししてしゃがんだ。 彼女が今にも死にそうだったからだろうか。 気がついたら声をかけていた。 「最近よくいるけど、どうしたの?」 彼女はこちらを見て、すぐに視線を伏せ、 「別に」 か細い声で返事をしてくれた。 「死にたいとか思ってない?」 そう聞くと、彼女は ついといった様子で「関係ないでしょ」といくらか強く言ったあとにまた弱々しい声で「そんなこと思ってない」と付け足した。 もうこれ以上会話は続けられない。そう思った僕は「ならいいや。じゃあね」といって立ち上がった。 けれど、言いたいことが見つかってしまい、もう一度声をかけた。 「ねぇ、明日も来る?」そう聞くと、女の子は不思議そうに「なんでそんなことを聞くの?」と言った。 理由なんか決まっている。「明日も生きてて欲しいから。」ただそれだけだ。 女の子は少し困ったような顔をしたあと、一言「あっそ」とだけ言った。 そして、彼女にいちばん伝えたかった言葉を声に出した。 「ねぇ、死なないでよ?」 なるべく軽く、なるべく重くならないように。 すると今度は食い気味に 「そんなことはしない」と言われた。 これで明日は大丈夫だろう。そう思って僕は立ち去った。 次の日も、女の子がいた。また話しかけると今度は前よりもスムーズな会話ができた。 それからも女の子はいて、僕も話しかけ続けた。最初に比べるとよく笑ってくれるようになった。 そんな女の子とは対照的に僕は日に日に疲れていった。女の子のせいじゃない。僕自身の問題だ。正確には僕と親の問題。 最近は今までにも増して暴言を吐くようになった。そして、手を挙げるようにもなった。 褒められる事を期待しながら耐えていたけれど、それでも限界は近づいていた。 そんなことになってから数日、 「もうさぁ。全部疲れちゃった」 つい目の前の女の子に本音を漏らしてしまった。今までの癖が抜けず、笑った顔しか出来なかった。けれど、女の子には、僕が死にたくなったことも、僕が笑うしか出来ないことも全て分かっているようだった。その言葉で今まで過去の僕が隠してきた弱音が雫となってこぼれ落ち、頬を伝った。ほんと「敵わないなぁ…」 「ねぇ、死なないでよ?」

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空白の世界に彩を足す

「ねぇ、死なないでよ?」 君が薄く笑って放った言葉で過去の俺が必死で隠し続けた弱音が溢れ、雫として頬を伝った。 親がこう言ったから。友達がこう言ったから。先生がこう言ったから。 私はずっと人の顔色を窺って生きてきた。機嫌を損ねれば見捨てられてしまうから。 それが親なら生きられず、友達なら孤立し、先生なら私を導く人はいなくなる。 私は昔から親の言う通りに視界から彩を拒絶し何彩にも染まらないようにしていた。小さい頃は彩鮮やかに見えた世界にはいつしかほんの少しの彩しかなくなった。 一昨年第一志望の高校に落ち、滑り止めに入学した。 両親が望む程度の賢さを持たなかった私は高校入学時に絶縁された。 絶縁は私の心の枷を壊し、私の中の醜い部分を顕にした。 友達は醜くなった私を嫌い離れていった。 先生は何度叱っても問題行動を起こす私をやがて叱らなくなった。 そして私の悪評は学校中に広まり、誰もが私の姿を隠れて見ては陰で何かを囁いた ネットに逃げ込んでもこの性格で避けられた。 リアルでもネットでも嫌われるなら私はどこに行けばいい? 段々と世界が完全なモノクロになっていく。どんなに綺麗だと言われる彩も気持ち悪く感じた。 モノクロの世界で考える。どこか人がいない所。学生の私でも行ける場所。 そうだ地獄に行こう。親不孝者の私には妥当だ。死後の世界がないならそれでいい。もう離れていく背中を見たくない。 「両親へ 私は死にます。地獄に行きたくなりました。学校やあなた達は関係ありません。 子供が欲しくなったら優秀な子を養子にでも迎えてください。 育てて貰った恩を仇で返すような落ちこぼれにはお金を使いたくないでしょうから葬儀も仏壇も墓もいりません。 今まで無駄なお金を沢山使わせた分、お金をかけずに生涯を終えます。その分のお金は自由にして下さい。 最後まで親不孝者でごめんなさい。十七年間育ててくれてありがとう。」 実家宛に出そうとしたところでまだ死に方を決めていないと気づいた。 首吊りは準備が大変だろうし、練炭は苦しいと聞く。睡眠薬は沢山飲むのが辛いらしいし、リスカは部屋を血で汚してしまう。どこかから飛び降りようか。確か高校の屋上はそれなり高く、転落防止柵もそこまで高くなかった。 静かに、けれど途切れることなく降る雪を見ながら飛び降りようと決め、遺書をポストへ投函した。届くまでには時間がかかるから死に急ぐこともないだろう。 翌日、屋上の転落防止柵が意外と高いと知った。乗り越えられなくはないがそのまま体勢を崩しそうだと思った。死ぬことに抵抗はないが、靴の踵を揃え気持ちを整える時間は欲しい。 次の日は休み時間毎に屋上へ行き、人がいない時間を調べた。その結果いつも複数人いることと、放課後は男の子1人以外はいないと分かった。 それからも男の子は屋上に現れた。そしてある日、座って休憩していた私に声をかけてきた。 「最近よくいるけど、どうしたの?」男の子にしては少し高い声だった。 「別に。」 「死にたいとか思ってない?」 唐突に言い当てられ、思わず「関係ないでしょ」と口走ってしまった。 慌てて「そんなこと思ってない」と付け足すと男の子は興味を無くしたのか 「ならいいや。じゃーね」 と言って立ち上がった。歩き出すかと思いきや 「明日も来る?」と聞いてきた。 なんでそんなことを聞くのかと尋ねると 「明日も生きててほしいから」と答えた。 男の子の答えが予想外で返答に困り「あっそ。」と言うと彼は軽く笑って 「ねぇ、死なないでよ?」と言った。 「そんなことはしない。」と答えると、彼は 「それはよかった。またね」と言って立ち去った。 それ以降の放課後、彼はいつも屋上にいて私も必ず屋上に向かった。 濁った空を眺めながら二人並んで他愛ない話をした。 彼は私を君と呼び、私は彼をあんたと呼んだ。 名前も知らない男の子。けれど、彼と話している時間はとても心地よかった。 いつしか、死にたくないと思うようになった。そして、モノクロだった世界に彩が付いた。 今はもう実家に送った遺書一枚が私を死に引き留める鎖だった。 けれど遺書は受取拒絶になって戻ってきた。親が受け取りを拒否したのだろう。 絶縁した元娘からの手紙なのだから当然だ。ともあれ、これで私の鎖はなくなった。 結局私は自殺をしなかったし、期待した訳でもないけど彼との関係も変わっていない。 きっと私がこれから自殺を考えることはない。それは私に生きたいと思わせてくれた彼のお陰だ。 それから何か月か経ったある日、彼はいつものように明るく言った。 「なんかさ。もう全部疲れちゃった」 その声色とは違い表情はとても辛そうで、彼が本気で生きることに疲れたのだと直感した。 死だけは何が何でも止めたかったが、ここで私が真剣な顔をするのは違うと思った。 今私が真面目な顔で死ぬなと言って錘を載せれば彼はきっと潰れてしまう。 だから私はいつかの彼のように冗談めかしながら言う。 「ねぇ、死なないでよ?」 次は私が彼の世界に彩を足す番だ。

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