獅勇

29 件の小説
Profile picture

獅勇

はじめまして だいぶ下手ですが良い作品を書けるように頑張ります!

『午前零時、存在しない駅で』

 午前零時。  終電を逃した僕は、見知らぬ駅に迷い込んだ。  駅名標には、『忘却駅』と書かれている。 「ここは、人生で一度だけ過去をやり直せる駅です」  駅員は一枚の切符を差し出した。 「ただし、代償として最も大切な記憶を失います」  僕は迷わず切符を受け取った。  もう一度、妹に会いたかったから。  目を覚ますと、三年前の雨の日だった。 「お兄ちゃん、どうしたの?」  目の前には、亡くなったはずの妹、美咲がいた。  僕は美咲を抱きしめた。 「ごめん……あの日、ひどいことを言って」 「……もう怒ってないよ?」  美咲は笑った。  その笑顔を守るためなら、何だって失っていい。  僕は美咲を家へ連れて帰った。  三年後。  美咲は元気で暮らしていた。  けれど、僕は時々、胸に穴が空いたような気持ちになる。  ある夜、僕は再び忘却駅を訪れた。 「僕は何を失ったんですか?」  駅員は静かに答えた。 「妹さんとの思い出です」  僕は息を呑んだ。 「あなたは、彼女を救うために、彼女と過ごした記憶を代償にしたのです」  涙がこぼれた。  それでも、僕は後悔していなかった。  記憶がなくても、僕は美咲を大切にしている。  その理由が、今なら分かる気がした。  翌朝。 「お兄ちゃん、今日はどこに行くの?」  美咲が笑う。 「……二人で、思い出を作りに行こう」 「うん!」  僕たちは手を繋いで歩き出した。  過去は戻らない。  失った記憶も、きっと戻らない。  それでも。  僕たちには、これからの未来がある。  午前零時。  忘却駅の時計が、静かに動き始めた。

5
0

『この異世界には、ラスボスが存在しません』

第一章 魔王がいない世界 「……ここ、どこだ?」 目を開けた瞬間、俺の視界に飛び込んできたのは、見覚えのない青空だった。 雲一つない空。 頬を撫でる柔らかな風。 そして、目の前に広がる見知らぬ草原。 俺はしばらく、その場から動けなかった。 「いやいやいや……待て待て」 状況を整理しよう。 確か昨日は、自宅でゲームをしていたはずだ。 深夜まで遊んで、ゲームでは勝ったが眠気には負けてベッドに倒れ込んだ。 そこまでは覚えている。 だが、目が覚めたら草原のど真ん中。 どう考えても普通ではない。 「……まさか」 俺は恐る恐る自分の手を見た。 いつもと変わらない手。 服装も昨日のままだ。 ただ、一つだけ違うことがあった。 視界の端に、半透明の文字が浮かんでいたのだ。 STATUS 名前:黒瀬カイト 年齢:17歳 種族:人間 職業:未設定 魔力:測定不能 スキル:なし 「……うん。異世界転移ってやつか」 思わず乾いた笑いが漏れた。 ゲームや小説では何度も見た展開だ。 まさか自分が当事者になるとは思わなかったが。 「それにしても、魔力測定不能って何だよ。せめてチート能力くらいくれよ……」 そんな独り言を呟いていると、遠くから人の声が聞こえてきた。 「そこの人! 大丈夫ですかー!」 振り返ると、銀色の髪をなびかせた少女がこちらに走ってくる。 白銀の鎧に身を包み、腰には立派な剣を携えていた。 まるでゲームの世界から飛び出してきた騎士のようだ。 「怪我はありませんか?」 少女は俺の前で足を止めた。 「えっと……大丈夫です」 「そうですか。よかった」 少女は安心したように微笑んだ。 「私はセリア。王国騎士団に所属しています。あなたは?」 「黒瀬カイトです」 「クロセ……珍しい名前ですね」 「まあ、そうですね」 「この近くの村から来たのですか?」 「いや、気がついたらここに」 「……気がついたら?」 セリアは不思議そうに首を傾げた。 どうやら転移という概念を説明しても理解してもらえそうにない。 俺は適当に話を合わせることにした。 「ちょっと事情がありまして」 「そうですか。なら、ひとまず王都まで案内します」 「いいんですか?」 「困っている人を助けるのも騎士の仕事ですから」 なるほど。 異世界の騎士は親切らしい。 こうして俺は、セリアとともに王都へ向かうことになった。 その時の俺は、まだ知らなかった。 この出会いが、世界の歴史を覆すことになるなんて。 王都へ向かう道中、俺はセリアにいくつか質問をした。 「この世界って、魔王とかいるんですか?」 「魔王?」 セリアは少し驚いた顔をした。 「昔はいたそうですよ。でも、今から約三百年前に勇者様が討伐しました」 「勇者が?」 「はい。勇者アレクシス様です。魔王を倒し、世界に平和をもたらした英雄ですよ」 なるほど。 ありがちな異世界設定だ。 勇者が魔王を倒し、世界は平和になった。 しかし、そこで一つ疑問が浮かんだ。 「じゃあ、今は魔物とかもいないんですか?」 「ほとんどいませんね」 「ほとんど?」 「森の奥などには少数残っているそうですが、人々を脅かすほどではありません」 「へえ……」 それにしても平和すぎる。 普通、魔王がいなくなった世界でも、魔物や魔族が残っていたりするものではないだろうか。 「セリアさん」 「はい?」 「この世界って、本当に平和なんですね」 「ええ。勇者様のおかげですから」 彼女は誇らしげに笑った。 その笑顔を見て、俺はそれ以上何も言わなかった。 やがて、遠くに大きな城壁が見えてきた。 王都。 高い石壁に囲まれた街の中には、たくさんの人々が行き交っている。 露店には果物やパンが並び、子供たちが笑いながら走り回っていた。 まさに平和そのもの。 「すごいな……」 思わず声が漏れる。 「気に入りましたか?」 「うん。いい街だと思う」 「ふふっ。そう言ってもらえると嬉しいです」 セリアは笑った。 しかし、その直後だった。 街の中央広場に設置された巨大な石像が目に入った。 剣を掲げ、堂々と立つ一人の男性。 その足元には、巨大な怪物が横たわっている。 どうやら勇者アレクシスの像らしい。 「これが勇者様の像です」 セリアが説明する。 「三百年前、魔王を討ち取った瞬間を再現しているそうですよ」 俺は石像を見上げた。 立派な像だった。 だが、何かが引っかかる。 勇者の顔は、なぜか不自然なほど綺麗に削られているように見えた。 まるで、最初から顔など存在しなかったかのように。 「……なあ、セリアさん」 「はい?」 「この像、顔が見えないんだけど」 「ああ、それですか」 彼女は何でもないことのように答えた。 「昔の戦いで傷ついてしまったそうです」 「修復しないの?」 「さあ……どうしてでしょうね」 セリアは首を傾げた。 そのとき。 広場にいた老人が、俺たちの会話を聞いていたのか、突然口を開いた。 「修復など、する必要はない」 「え?」 俺とセリアは老人を振り返った。 老人は勇者の石像を見つめていた。 その表情には、深い悲しみが浮かんでいる。 「英雄の顔など、誰も知らないのだからな」 「おじいさん?」 セリアが声をかける。 しかし、老人はそれ以上何も言わず、人混みの中へと消えていった。 俺はその背中を見つめていた。 ーー英雄の顔など、誰も知らない。 その言葉が、妙に頭から離れなかった。 その日の夜。 セリアの紹介で、俺は王都の宿屋に泊まることになった。 部屋に荷物を置き、窓から街を眺める。 夜になっても街は明るかった。 魔法による街灯が道を照らし、人々の笑い声が遠くから聞こえてくる。 「本当に平和だな……」 そう呟いたとき、昼間の老人の言葉を思い出した。 英雄の顔など、誰も知らない。 気になった俺は、宿屋の主人に勇者について尋ねてみることにした。 「すみません。勇者アレクシスについて書かれた本ってありますか?」 「勇者様の本かい?」 「はい。歴史とか、魔王との戦いについて知りたくて」 主人は少し考えたあと、棚から一冊の古い本を取り出した。 「これなんかどうだ?」 表紙には『勇者アレクシスの伝説』と書かれている。 俺は礼を言って本を受け取った。 部屋に戻り、ページをめくる。 そこには、勇者と魔王の戦いが記されていた。 しかし、読み進めるうちに違和感が強くなっていく。 魔王の名前が一切書かれていない。 魔王の姿も、能力も、どこで戦ったのかさえ記録されていない。 書かれているのは、たった一つの結論だけだった。 『勇者アレクシスは魔王を討伐し、世界に永遠の平和をもたらした』 「……なんだこれ」 あまりにも情報が少ない。 まるで、結論だけを後から書き足したような文章だった。 さらにページをめくる。 すると、最後のページに小さな文字が書かれているのを見つけた。 印刷された文字とは違う。 誰かが後から書き込んだものらしい。 俺は目を凝らした。 そこには、こう書かれていた。 『魔王は、最後まで人間を守ろうとしていた』 「……は?」 思わず声が出た。 どういう意味だ? 魔王が人間を守ろうとしていた? そんな話は、どのゲームや物語でも聞いたことがない。 そのときだった。 コンコン。 突然、部屋の扉がノックされた。 「カイトさん、起きていますか?」 セリアの声だった。 「起きてるよ。どうした?」 扉を開けると、彼女は少し困ったような顔をして立っていた。 「実は、明日の朝に王都の図書館へ行こうと思っているのですが……一緒に来ませんか?」 「図書館?」 「はい。勇者様の歴史について調べたいことができまして」 俺は手に持っていた本を見せた。 「奇遇だな。俺もちょうど調べてたところ」 セリアは本の表紙を見て、少しだけ表情を曇らせた。 「……それを読んだんですね」 「何か問題でも?」 「いえ。ただ、その本には少し気になるところがあるんです」 「どこ?」 セリアは周囲を確認してから、小さな声で言った。 「実は、王立図書館には勇者様の歴史が詳しく記された本が一冊だけ保管されているんです」 「それなら、そっちを読めばいいじゃん」 「ですが……」 彼女は一度言葉を止めた。 「その本は、閲覧禁止になっているんです」 「どうして?」 「分かりません。ただ、図書館の司書はこう言っていました」 セリアは俺の目を見た。 「ーー勇者の歴史を知りすぎてはいけない、と」 部屋に静寂が訪れた。 窓の外では、街灯の光が静かに揺れている。 俺は手元の本に視線を落とした。 そこには、あの一文が残されていた。 『魔王は、最後まで人間を守ろうとしていた』 そして、その下には。 小さく、もう一つの文章が書かれていた。 『本当の怪物は、魔王ではない』

0
0

『桜の木の下で』

春になると、町の小さな公園には一本の大きな桜が咲く。 その桜の下で、僕は毎年同じ女の子と会っていた。 名前は美咲。 小さい頃からの幼なじみで、不思議なことに、会えるのは桜が満開の日だけだった。 「今年も来たね。」 彼女はいつも変わらない笑顔でそう言う。 僕たちはベンチに座り、学校のことや将来の夢、くだらない話をして笑い合う。 「来年もまたここで。」 別れ際、必ず同じ約束を交わした。 高校三年生になった春。 進路に悩み、自信をなくしていた僕は、今年も桜の木へ向かった。 美咲はいつものように笑っていた。 「元気ないね。」 「将来が不安なんだ。」 「大丈夫。あなたならきっと、自分の道を見つけられるよ。」 不思議なくらい、その言葉は心に響いた。 帰り際、美咲は少し寂しそうに笑った。 「もし来年、私が来なくても……ちゃんと笑ってね。」 「何言ってるんだよ。また会えるだろ?」 彼女は答えず、桜を見上げていた。 数日後。 家で昔のアルバムを見ていると、一枚の写真が目に留まった。 幼い僕と美咲が桜の木の下で笑っている写真。 その裏には母の字で、こう書かれていた。 『事故の一週間前、最後のお花見。』 僕は意味が分からなかった。 慌てて母に聞くと、母は静かに話し始めた。 「美咲ちゃんは、小学四年生の春に交通事故で亡くなったの。」 頭が真っ白になった。 「そんな……。」 「あなたはあまりにショックが大きくて、そのことを受け止められなかった。でも毎年桜の季節になると、あなたは公園へ行って帰ってきて、『今年も美咲に会えた』って笑うの。」 信じられなかった。 でも思い返すと、美咲と会っていたのは、いつも桜の下だけだった。 翌年。 僕は一人で桜の木へ向かった。 そこには誰もいない。 風が吹き、花びらが静かに舞う。 「やっぱり……来ないんだな。」 そうつぶやいた瞬間、風の音に混じって、聞き覚えのある声がした気がした。 「泣かないで。」 顔を上げると、桜の花びらが光に包まれ、まるで誰かが笑って手を振っているように見えた。 僕は目を閉じ、小さく笑う。 「ありがとう。」 「今度は僕が、ちゃんと前を向いて生きるよ。」 風が優しく吹き抜ける。 花びらは空へ舞い上がり、青空に溶けるように消えていった。 それ以来、僕は毎年この桜を見に来る。 悲しいからじゃない。 大切な人との思い出は、失うものじゃない。胸の中で、生き続けるものだと知ったから。 そして今年も桜は満開だった。 まるで、どこかで美咲が笑っているように。🌸

1
0

『既読がつかなくなった日』

 美咲とのLINEは、呼吸みたいなものだった。  「眠い」  「わかる」  「今日の英語むずくない?」  「それな」  中身なんてない。意味もない。なのに、気づけば一日の終わりはいつもそのやり取りで締めくくられていた。  高校三年の春。席替えで隣になってから、自然と会話が増えて、いつの間にかLINEを交換して、いつの間にか毎日連絡を取るようになった。  話題はほとんど美咲から振ってきた。俺は返すだけ。それでも会話は続いた。続けてくれていた。  その夜も、いつも通りだった。  「明日の小テストやばい」  「もう諦めた」  「はや」  「おやすみ」  「また明日な」  それが、俺の最後の送信だった。  既読は、つかなかった。  最初は気にもしなかった。寝落ちだろう、くらいに思っていた。美咲はよく、寝落ちするタイプだったから。  次の日の朝も未読のまま。学校に来ていなかった。  「体調悪いんじゃない?」と友達が言った。俺もそう思った。  その次の日も、そのまた次の日も、美咲は来なかった。LINEも未読のまま。電話も出ない。SNSの更新も止まっている。  少しだけ、嫌な予感がした。  けど、どこかで思っていた。  そのうち「ごめん寝てたー」って、いつもみたいに返信が来ると。  当たり前が、当たり前すぎたから。  暇つぶしに、トーク履歴を遡った。  なんとなく、スクロールしただけだった。  でも、指が止まった。  話題を振っているのは、ほとんど美咲だった。  「今日元気ない?」  「なんかあった?」  「無理してない?」  「ちゃんと寝なよ」  俺が既読をつけるのが遅いと、いつも向こうから気にしていた。  俺が「だるい」と送った日は、やけに長く話してくれていた。  俺はただ、返していただけだった。  続けてくれていたのは、美咲だった。  その事実が、やけに胸に刺さった。  数日後、担任に呼ばれた。  職員室の空気は、妙に静かだった。  「朝倉のこと、聞いているか?」  首を横に振ると、先生は少し迷ってから話し始めた。  美咲は数ヶ月前から入退院を繰り返していたこと。  クラスの誰にも言わないでほしいと、本人に頼まれていたこと。  最近、容体が急変したこと。  頭の中が、真っ白になった。  そんな素振り、一度も見せなかった。  いつも通り笑って、いつも通り話して、いつも通りLINEして。  「心配かけたくないから、って言ってたよ」  先生の言葉が、やけに遠く聞こえた。  帰り道、スマホを開いた。  未読のままのトーク画面。  俺が最後に送った言葉。  『また明日な』  その“明日”が、もう来ないかもしれないことを、ようやく理解した。  指が震えた。  初めて、長い文章を打った。  今まで言わなかったこと。  気づかなかったこと。  ありがとうも、ごめんも、全部。  送信ボタンを押す。  既読は、つかない。  それでも、初めてちゃんと美咲に話しかけられた気がした。  数日後、訃報を聞いた。  涙は出なかった。現実味がなかった。  家に帰って、ベッドに寝転んで、またLINEを開いた。  未読のままの画面。  スクロールすると、いつものやり取りが並んでいる。  どうでもいい会話。意味のない言葉。  でも、その全部が、今はどうしようもなく愛おしかった。  最後のメッセージの下に、自分の長文がある。  読まれることのない文章。  それでも、そこに確かに気持ちが残っている。  俺はスマホを胸に押し当てた。  もし、既読がついていたら。  もし、あの時もう少し気づけていたら。  考えても仕方のないことばかり浮かぶ。  だけど、ひとつだけ分かったことがある。  あの「どうでもいい会話」は、  どうでもよくなんかなかった。  あれが、俺にとっての大切な時間だった。  美咲がくれた、かけがえのない毎日だった。  未読のままの画面を見つめながら、俺は小さく呟いた。 「また明日な」  今度は、返事が来ないと分かっていながら。      

13
0

『モンスターしかいない森で、パン屋を始めました』

森の朝は、白い息から始まる。 まだ日が昇りきらないうちに、ユウは小さな石窯に火を入れた。乾いた薪がぱちりと鳴り、火はゆっくりと息をするみたいに広がっていく。粉を量り、水を注ぎ、塩をひとつまみ。指先で混ぜると、生地はやわらかくまとまって、掌の温度を覚えていく。 「今日は少し、水を多めにしようかな」 独り言は、森に吸い込まれていく。ここには、人間の客はいない。けれど、焼き立ての匂いは、ちゃんと届く。 ぷるん、と音を立てて、入口の影から青い塊が跳ねた。 「おはよう、スラ」 スライムのスラは、嬉しそうに揺れながら、こね台の端に乗る。生地に触れると、器用に押し伸ばし、折りたたむ。まるで長年の職人みたいな手つきだ。ユウは笑って、任せる。 外では、ゴブが薪を割っている。規則正しい音。無口なゴブリンは、毎朝きっちり同じ量だけ薪を用意してくれる。頼んだことは一度もないのに、欠かしたこともない。 店先では、フェンが丸くなって眠っていた。大きな体を小さく畳み、尻尾で鼻先を隠している。番犬のつもりらしいけれど、パンの匂いが濃くなると、いつも先に起きる。 やがて、生地はふくらみ、窯に入る。しばらくして、甘く香ばしい匂いが、森へ流れ出す。 その瞬間、三匹の動きが変わる。 スラはぴょん、と跳ね、ゴブは手を止め、フェンは目を開ける。 ――匂いを、覚えているみたいだ。 ユウは、焼き上がった丸パンを木の皿に並べた。まだ湯気が立っている。 「はい、どうぞ」 スラは表面をつつき、ぷるりと震える。ゴブは両手で大事そうに持ち、フェンは鼻を寄せて、ゆっくりとかじる。 そのとき、いつも思う。 彼らは、ただ食べているだけじゃない。 どこか懐かしむように、噛みしめている。 * 森の奥へ薪を拾いに行った帰り道、ユウはそれを見つけた。 小さな靴だった。 子ども用の、革靴。苔に半分埋もれているのに、なぜか最近まで履かれていたような気配がある。紐はほどけ、つま先には泥の跡。 こんな場所に、人間の子どもが来るはずがない。 胸の奥が、ざわついた。 さらに奥へ進むと、蔦に覆われた石碑があった。文字は風化して読みにくい。それでも、かろうじて残っている。 ――この地、リューネ村。 ――災厄により、姿を変えられし者たちを、忘れるな。 ユウは、靴を握りしめた。 振り返ると、フェンが少し離れたところに立っている。いつの間にかついてきていたらしい。赤い瞳が、靴を見つめていた。 「……知ってるの?」 フェンは答えない。ただ、ゆっくりと近づき、靴をくわえた。 やさしく。まるで、壊れ物みたいに。 * その日から、ユウはパンを焼く時間を増やした。 水の量を変え、焼き加減を変え、匂いがより強く広がるように工夫する。森の奥まで届くように。 スラは生地をこねる時間が長くなり、ゴブは薪を山のように積み、フェンは森へ何度も往復するようになった。 数日後。 ゴブが、パンを受け取ったときだった。 いつも通り、両手で持ち、口元へ運ぶ。そのまま、ぴたりと止まる。 喉が、震えた。 「……あ、り……」 かすれた、音。 ユウは息を呑む。 ゴブの目が、大きく見開かれている。自分でも信じられないという顔で、口を押さえる。 「が……」 最後の音は、風に溶けた。 それでも、はっきり聞こえた。 ありがとう。 スラが、ぽたり、と雫を落とす。涙みたいに。フェンは静かに座り、靴をユウの足元に置いた。 ユウの目が、熱くなる。 「……やっぱり」 確信はなかった。けれど、信じられる。 ここは、かつて人間の村だった。 彼らは、姿と記憶と言葉を奪われただけ。 パンの匂いが、その奥に触れている。 ユウは、もう一度窯に火を入れた。 今日は、たくさん焼こう。 思い出せる分だけ、思い出してもらえるように。 森に、あたたかな匂いが満ちていく。 その中で、スラが嬉しそうに跳ね、ゴブがぎこちなく頭を下げ、フェンが目を細める。 ここはもう、モンスターの森じゃない。 小さなパン屋のある、帰る場所だ。

1
0

『このクラスには、犯人が二人いる』

 クラス費が消えた日のことを、僕は妙に細かく覚えている。  放課後、職員室の前で立ち止まったとき、ドアの向こうから榊先生の声が聞こえた。 「おかしいな……確かにここに置いたはずなんだけど」  やがて騒ぎになり、なくなったのは期末行事用の封筒だと分かった。三万円。 職員室の鍵は閉まっていた。こじ開けた跡もない。  出入りできたのは、放課後に用事で職員室へ行った数名だけ。  その中に、三宅がいた。 「俺じゃねーって。ピッキングなんて都市伝説だろ」  笑っているけど、クラスの視線は冷たい。三宅は手先が器用で、文化祭のときに壊れた南京錠を開けてみせたことがある。  証拠は揃いすぎていた。  だけど僕は、違和感を拭えなかった。  職員室のドアはオートロック。外から開けるには鍵かピッキングしかない。 三宅なら可能だ。  でも。  ーー同じことができる人が、もう一人いる。 「ねえ、柊。あの日、職員室行ったよね」 「うん。提出物を出しに」  学級委員の柊は、さらりと答えた。  柊は知られていないだけで、鍵開けが得意だ。以前、ロッカーの鍵をなくした子のために、ヘアピンで開けていたのを僕は見ている。  つまり。  三宅も柊も、職員室に“痕跡を残さず”入れる。  もし二人が同じ日に、同じことをしたら?  片方の出入り時間が、もう片方のアリバイになる。  先生の証言はこうだ。 「五時過ぎに一度、職員室のドアが開いた音がした」  それは、どちらの音だ?  三宅が入った音か。柊が入った音か。  どちらにしても、もう一人はその時間、教室にいたことになる。  互いの存在が、完璧なアリバイを作る。  僕は二人を呼び出した。 「二人とも、封筒取ったよね」  沈黙。 「共犯じゃない。ただ、偶然、同じ日に、同じ方法で」  柊が小さく息を吐いた。 「……三宅くん、なの?」 「は? お前も?」  その瞬間、二人の表情が同時に崩れた。  動機は別だった。  三宅は妹の誕生日プレゼントのため。柊は、家庭の事情で塾代を払うため。  誰にも相談できなかった。だから盗んだ。  そして最悪な偶然が、二人を守ってしまった。  僕は言った。 「先生に話そう。二人分、僕も一緒に行く」  そのとき初めて、二人は同じ顔で笑った。  皮肉だ。  このクラスには、犯人が二人いる。  でも、誰も気づかなければ、犯人は一人もいなかった。

2
0

『魔王城の清掃員、実は歴代最強でした』その2

翌朝。 アルトはいつものようにバケツに水を汲み、鼻歌まじりで廊下を歩いていた。 最近は紫のモヤを見つけるのが少し楽しい。 見つけるたびに体が軽くなるからだ。 「お、ここにも」 雑巾でひと拭き。 ぞわり、と空気が震えた。 その瞬間、城全体がわずかに揺れる。 遠くで警鐘が鳴った。 「……え?」 けたたましい鐘の音が廊下に響き渡る。 《勇者軍、侵入! 勇者軍、侵入!》 アルトはきょろきょろした。 「ゆ、勇者って、あの勇者?」 慌ただしく魔族たちが走り抜けていく。 そこへ、あの鎧の大男ーー四天王リグナが現れた。 「アルト! ここにいたか!」 「え、はい!」 「ここから動くな。廊下は安全だ。絶対に外に出るなよ!」 言い残し、リグナは走り去る。 アルトはぽつんと取り残された。 (やることないな……) とりあえず、目の前の掃除を続けることにした。 ひと拭き、ふた拭き。 紫のモヤが消えるたびに、体の奥が熱くなる。 その頃、魔王城正門。 勇者と魔王、四天王たちが激突していた。 剣と魔法がぶつかり、空気が歪む。 だが魔王は違和感を覚えていた。 (力が……出ぬ) 四天王リグナも同じだった。 (魔力の巡りが、異様に軽い……いや、薄い?) 勇者が剣を振り下ろす。 魔王は受け止めるが、押し込まれる。 「魔王! 終わりだ!」 その瞬間。 魔王城の奥から、途方もない魔力の奔流が巻き起こった。 全員の動きが止まる。 勇者が顔をしかめる。 「な、なんだこの圧は……」 リグナが振り返る。 「城内から……?」 一方その頃。 「うわ、今日めっちゃ取れるな」 アルトは夢中で床をこすっていた。 気づけば、紫のモヤはほとんど消えかけている。 最後のひと拭きをした瞬間。 ーードンッ!! 衝撃波が廊下を駆け抜けた。 アルトの体から、見えない何かが溢れ出す。 廊下の窓ガラスがビリビリと震え、壁の燭台が砕け散る。 「……え?」 本人だけが、何もわかっていない。 そのとき、勇者軍が廊下へ雪崩れ込んできた。 「奥に魔力源があるぞ!」 兵士たちがアルトを見つける。 「いたぞ! 魔族だ!」 「え、清掃員ですけど」 剣が振り下ろされる。 反射的にモップで受け止めた。 キィンッ!! 金属音。 剣が粉々に砕け散った。 「……あれ?」 兵士が目を見開く。 アルトも目を見開く。 「モップ、硬くない?」 次の瞬間、兵士たちが一斉に吹き飛んだ。 アルトは何もしていない。 ただ、立っていただけだった。 廊下の奥から、リグナが駆けつける。 そして、目にした。 清掃員の周囲に渦巻く、歴代魔王すべての魔力。 「……ばかな」 アルトが振り向く。 「あ、リグナさん。勇者来ちゃってますよ」 リグナは震える声で言った。 「アルト……お前、いったい何者だ」

3
2

『魔王城の清掃員、実は歴代最強でした』

ーー目が覚めたら、天井がやけに高かった。 白でも木目でもない、黒曜石みたいに鈍く光る天井。 しかも、ゆらゆらと紫の光が漂っている。 「……ここ、どこ?」 体を起こした瞬間、ズルッと手が滑った。床がやけにツルツルしている。まるでワックスを何十回も塗ったみたいに。 そのとき、頭の奥に声が響いた。  《ようこそ魔王城へ。あなたは本日より清掃員です》 「は?」 状況説明が雑すぎる。 だが次の瞬間、目の前に制服が出現した。黒いエプロン、モップ、バケツ。 そして名札。 アルト 魔王城清掃係 「……いやいやいや」 転生って、普通もうちょっとこう、勇者とか賢者とかじゃないのか。 よりにもよって清掃員。 しかし腹が減っては何とやらだ。とりあえず廊下に出てみる。 すると、信じられないほど長い廊下が続いていた。赤い絨毯、禍々しい彫像、壁に灯る紫の炎。 完全に、魔王の城だった。 そこへ鎧姿の大男が通りかかる。 「お、新入りか。掃除係だな?よろしく頼む」 普通に挨拶された。 怖い顔なのに、やたら礼儀正しい。 「え、あ、はい……」 「廊下は特に念入りにな。床の“汚れ”は触れるなよ。危険だからな」 そう言って去っていった。 床を見る。 黒い石の隙間に、紫色のモヤみたいなものが溜まっている。 (あれが汚れか?) 雑巾でこすってみる。 するり、と取れた。 同時に、体の奥がカッと熱くなった。 「……あれ?」 なんか、元気になった気がする。 まあ気のせいだろう。掃除を続ける。 取るたびに、なぜか体が軽くなる。疲れない。むしろ気持ちいい。 「この仕事、楽すぎないか?」 それから数日。 アルトは誰よりも真面目に掃除した。 廊下、階段、壁、天井。 紫のモヤは見つけ次第こすり落とした。 そして気づけばーー モップをかけただけで石床が新品みたいに輝くようになっていた。 本人は「掃除のコツを掴んだ」と思っている。 だがその頃。 魔王城・作戦会議室。 四天王リグナは、深刻な顔で魔王に報告していた。 「魔王様。城の魔力濃度が、異常な速度で減少しています」 「……ほう」 玉座に座る魔王は目を細める。 「結界維持に影響は?」 「まだありません。しかしこの減り方は異常です。まるで、誰かが吸い取っているような……」 沈黙。 魔王はゆっくりと立ち上がる。 「調査せよ。城の内部に原因がある」 その頃、原因はというと。 「よし、今日もピカピカ!」 満面の笑みで廊下を磨いていた。

2
6

『余命三時間の勇者』

 魔王を討った直後、世界は不自然なほど静まり返っていた。  歓声も、祝福もない。あるのは、胸の奥を焼くような痛みだけ。 「……これが、呪いか」  勇者カイルは荒野に膝をつき、剣を地面に突き立てた。  体の奥から、命が削られていく感覚がする。  頭の中に、声が響いた。 ーー余命、三時間。 「三時間……か。短いな」  仲間の顔が浮かぶ。帰りを待つ人々の顔が浮かぶ。  だが足は動かない。この場から一歩も動けないほど、体は重かった。  そのとき、風が揺れた。 「あなたは、優しすぎます」  振り向いた先に、ひとりの少女が立っていた。  白い髪、赤い瞳。見間違えるはずがない。 「……魔王の、娘」 「セレス、と申します」  なぜここにいるのか。なぜ生きているのか。問いは山ほどあった。  だが、それより先に彼女は言った。 「呪いを解く方法があります」  カイルは目を見開く。 「禁術『時逆の詠』。時間を、少しだけ巻き戻せます」 「代償は」 「私の存在です」  迷いのない声だった。 「だめだ」  カイルの声は、初めて強く響いた。 「そんなもの、許せるわけがない!」  セレスは、静かに微笑んだ。 「私は、あなたに生きてほしいのです」 「俺は、お前に消えてほしくない!」 「それでも」  彼女は一歩、近づく。 「あなたが生きる未来を、見たい」  詠唱が始まった。空気が震え、光が舞い上がる。 「やめろ、セレス!」  伸ばした手は、彼女に触れられない。 「ありがとう、勇者さま」  その言葉を最後に、世界は白に染まった。  気づくと、カイルは魔王城の前に立っていた。  体の痛みは消えている。呪いもない。  時間が、戻っている。  仲間たちが駆け寄ってきた。歓声。祝福。涙。  けれど。 「なあ……セレスは、どこだ?」 「誰だ、それ?」  誰も知らない。誰も覚えていない。  カイルだけが、覚えている。  荒野で微笑んだ、白い髪の少女を。 「……ありがとう」  空に向かって、カイルはつぶやいた。  その頬を、静かに涙が伝っていた。

5
0

『拾った家が、最強でした』

 目が覚めたら、森の中だった。  スマホもない。道路もない。代わりに、やたらと澄んだ空気と、聞いたことのない鳥の鳴き声がある。 「……これ、異世界ってやつじゃないか?」  半日ほどさまよって、俺は一軒の家を見つけた。  ツタに覆われ、屋根は抜け、窓ガラスも割れている。どう見ても廃屋だ。  でも、雨風をしのげるだけで十分だった。 「今日からここが俺の家、か……」  そうつぶやいた瞬間、家の中がふわりと光った。  床の埃が消え、折れていた机が元に戻り、壁のヒビがすうっと塞がっていく。 「え?」  あっという間に、家は“普通に住める状態”になっていた。  意味が分からないまま、井戸で水を汲む。飲んだ瞬間、体の疲れが一気に消えた。 「……ポーション?」  さらに裏庭を見ると、小さな畑があった。とりあえず種らしきものを埋めて寝た。  翌朝。 「育ってる!?」  一晩で野菜が収穫時期を迎えていた。  台所に持っていくと、勝手に鍋に火がつき、見たことのない料理が出来上がる。  うまい。異常にうまい。 「なんだこの家……」  その日から、俺のスローライフが始まった。  三日後、森で倒れている女騎士を見つけた。  鎧はボロボロで、腕から血を流している。 「おい、大丈夫か!?」  家まで運び、風呂に入れてやる。  湯から上がった彼女は、傷一つない体でぽかんとしていた。 「傷が……消えている……?」  井戸水を飲ませると、さらに驚いた顔になる。 「これは、王都の秘薬よりも効くぞ……」  彼女はしばらくここに滞在することになった。  次に来たのは、追放されたというエルフの薬師。 「この家の水、借りていい?」  試しに薬を作った彼女は、震えながら言った。 「これ……伝説級の霊薬ができたんだけど……」  さらに、旅に疲れた商人がやってきて、一泊した翌日には元気いっぱいで帰っていった。  その商人が噂を広めたらしい。  気づけば、この家は「癒しの家」と呼ばれていた。  俺は何もしていない。ただ、住んでいるだけだ。  ある日、女騎士が真面目な顔で言った。 「この家はな……大賢者アストレアの魔法住宅だ」  昔、戦いに疲れた人を救うために作られた家。  持ち主がいなくなり、長い間放置されていたらしい。 「ここにいるだけで、人は救われる。お前は気づいていないが……多くの人を助けている」  そんな大それたこと、しているつもりはない。  でも。  裏庭でみんなが笑いながら野菜を収穫し、  縁側で昼寝し、  風呂上がりに幸せそうな顔をしているのを見るとーー  悪くないな、と思った。 「今日の晩ごはん、できたぞー」  呼ぶと、三人が嬉しそうに駆けてくる。  森の奥のボロ家で始まった俺の生活は、  いつの間にか、誰かの帰る場所になっていた。  戦わない。競わない。  それでも、人は救えるらしい。  俺は今日も、最強の家で、のんびり暮らす。

4
0