せい

4 件の小説
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せい

まわりまわって。①

ここはどこだろう。 目はたしかに開いているのに、なにも見えない。 どこかで聞いたことのある地響きや人々のざわめきが私を不安にする。 「またか───。」 最近私は同じ夢をずっと見る。 懐かしいような苦しいような心細いような気持ちで細くて生温かい道を一人で歩いている夢だ。周りの音は聞こえているはずなのに、目をあけているはずなのに、何も見えないし触れないのだ。 小さく伸びをして、サイズを間違えて買ったスウェットパンツを引き摺りながら洗面所に向かう。 「まだいいよ〜。」 欠伸のような声で私のことをベッドから呼ぶ声に少し鬱陶しさを覚える。彼とは私が25歳になった年に同棲を始めた。私たちが住むアパートは駅から徒歩10分程の閑静な住宅街の中にある。 「あと40分後には出ないとだから。春くんも早く身支度しちゃいなよ。コーヒー淹れるよ。」 私が淡々と言うと、少し拗ねた様子で後ろから腰に腕をまわされた。 「コーヒーはいいよー。コーヒーを飲むその5分間を、花緒ちゃんのことを愛す時間に充てるの!」 「はいはいわかった、どいてどいて。」 まだ不満げに何か呟く彼を無理矢理払いのけてドレッサーの前に座る。 「げっ、またクマが濃くなってる。」 化粧で必死にクマを隠せば隠すほど色素沈着して濃くなるのだから、皮肉なものだ。 適当に化粧を済ませた私は、スラックスとクリーム色のカーディガンを身に纏い、踵にだいぶ傷のついたパンプスを引っ掛けて玄関のドアを開ける。 「行ってきます。」 彼は今は休職中で、暫くは私の稼ぎと彼が働いていたときの貯金で生計を立てている。 私の勤める会社はあまり名の知れていない小さな出版社だ。そこで編集プロダクションのアシスタントディレクターをしている。 ②へ続く

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まわりまわって。①

ラナンキュラスは橙色

私にはもうずっとぴったりなものがありませんでした。 先月買った青いシャツも、生地は柔らかくて心地よいのですが襟の形がどうもしっくりきませんでした。 私が今まで出会ったひとや、本や、食べものを思い返すと、ぴったりなものはあまりなかったように思います。 強いていうなら、給食のココア揚げパン。休日に母がかける掃除機の音。放課後の校庭の砂埃。 でもそれらは全て遠い昔の記憶です。 さて、そんな私はついに今日、久しぶりのぴったりに出逢いました。 “橙色のラナンキュラス” それは、幼い頃に和紙でつくった飾りの花によく似ているのです。花弁一枚はさらさらと軽く、それらが何重にも重なってずしんとたっぷりと存在している姿が私の眼にはとても素敵にうつりました。まるで、太陽のようなそれは私の心にぴったりでした。

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とある日の備忘録

私は満員電車が嫌いで、帰り道も嫌いです。 帰り道よりかは、向かう道が好きなのです。 そんなことを言うとみんなに驚かれます。 全てが終わって帰路につくのが幸せなんだと。 でも、帰り道は頭やお腹や肩がずしんと重くないですか。 一日のうちに私というカラダに溜まっていった周りの人の言葉や、大学の講義で聞いた教授の話、恋人からのメッセージ。そんなものたちが、アタマにぎゅうぎゅうに詰め込まれて、行き場を失ったそれらが徐々にアタマから肩へ、お腹へ、流れ込んできます。 こんなにも言葉と感情で溢れかえっているのに、孤独を感じるのが辛いのです。

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重なる

私はよく夢を見ていました。夢の中で私はいつも静かな柔らかな何かを見つめ、大きく息を吸っています。何処からか溢れる物悲しさと、静けさが一緒になって私を覆い、もう戻れない日々への切望と彼の黄色いシャツの手触りが思い出されます。 私は15歳の冬に人生ではじめて恋人ができました。 彼はいつも窓際の席に座っていました。 何度席替えをしても彼の席は必ず窓際にあるのでした。 ある日の帰り道、私は彼に聞きました。 「なぜいつも窓際の席になるの?」 彼は少しイタズラっぽく笑って、そして寂しそうな満足気なような顔で言いました。 「確率で言ったらそんな低くないんだよ、窓際の席に連続でなるのは。窓際って言っても全部で8個あるだろ。」 私はそのときの彼の顔が忘れられません。今でも夢に出てきます。あーあ、つまらない人。それか私が馬鹿なのかしら。地球の内部にある見えない力が彼を窓際に引っ張るんじゃないかしら、実は彼は生まれた時から窓際に縁がある設定にして神様がつくったんじゃないかしら。そんな話を彼としたかったのです。 私のその日の夜の晩御飯は生姜焼きで、彼もそうだったことを私は知りません。

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