うかこ

6 件の小説

うかこ

痛みを抱える人へ言葉を綴っています。 ひとりで泣いている夜に、届きますように。

残された私たちへ

「もしかしたら、助けられたんじゃないか」 その言葉が、何年経っても頭から離れない人がいる。 私も、そのひとりだ。 はじめに ※ この文章には、自殺や、大切な人を失った経験についての描写が含まれています。 もし、あなたが今その出来事の直後にいたり、読むことでつらい記憶が強く蘇りそうなら、無理をせず、今は読むことをやめてください。 それでももし、同じような経験をして「残された側」の苦しさを抱えている人がいたなら。 わたしの言葉で、あなたが自分を責め続ける時間を少しでも軽くできたらと思っています。 プロローグ この文章は、大切な人を失ったあなたへ向けて書いています。 もし今、 「あの時こうしていれば」 「自分だけが生きていていいのか」 そんなふうに、自分を責め続けているのなら。 どうか少しだけ、このまま読み進めてみてください。 これは、大好きな人を救えなかった私が、長い時間をかけて辿り着いた答えの話です。 第一章  保健室という避難場所 高校の頃、私は教室に居場所がなかった。 教室の空気は、いつも少し息苦しかった。 誰かの視線を気にして、誰かの言葉に傷ついて。 みんな同じ空間にいるのに、私だけがずっと神経を張り詰めているような感覚だった。 だから私はよく、保健室に逃げていた。 保健室のドアを開けると、教室とは違う空気が流れていた。 静かで、少しゆっくり時間が進むような場所。 そこに、あの子がいた。 クラスは違ったけれど、私たちは毎日保健室で一緒にお弁当を食べていた。 教室に居場所がなくても、保健室に行けばあの子がいた。 それだけで、少し安心できた。 私たちはそれを「保健室友達」と呼んでいた。 友達って言葉が少し照れくさくて。 でも本当は、ちゃんと友達だったと思う。 お互い下の名前を呼び捨てで呼び合っていた。 あの子はメガネをかけていて、長い髪で顔が少し隠れていた。 静かな子だった。 大声で笑うタイプではなくて、笑う時は口元が少しゆるむくらい。 でも、お弁当を食べている私をこっそり写真で撮ることがあった。 「ちょっとやめてよ」って言うと、あの子はクスッと笑う。 大きな声ではない、静かな笑い方。 私はその笑い方が好きだった。 あの子は、食べ方が綺麗だった。 お弁当を残しているところを私は一度も見たことがなかった。 私は食べるのが遅くて「あ、まだそんな残ってる」と言われながら笑われたりしていた。 でもその笑い方は意地悪じゃなかった。 優しい笑い方だった。 あの子は、私の話を最後まで聞いてくれる子だった。 途中で遮らない。 否定もしない。 ただ、ちゃんと聞いてくれる。 それだけで、どれだけ救われていたか。 第二章  アンパンマンの手 保健室で過ごした時間の中で、今でもはっきりと覚えている昼休みがある。 その日も私たちは、保健室でお弁当を食べていた。 あの子はいつも通り静かで、私はいつも通り少し食べるのが遅かった。 先に食べ終わったあの子は、お弁当箱を片付け始めていた私におどけた様子で声をかけてきた。 「ねえねえ、これ知ってる?」 そう言いながら、少し楽しそうな顔をしていた。 「人差し指、中指、薬指の三本の指出して」 私は言われるがまま、三本の指を差し出した。 すると、あの子の手が私の指をそっと包んだ。 「こうして、三本の指を私の人差し指と親指で包むとね…」 「アンパンマンになるの!」 そう言われて手元を見ると、彼女の手に包まれた私の三本の指先が、確かにアンパンマンの鼻とほっぺたの、あの3つの丸に見えた。 「こうして、ここに眉毛と目を書いたら〜…」 そう言って、自分の人差し指の側面にペンでアンパンマンの眉毛と目を描いて見せてきた。 「ほら!完全にアンパンマン!」 あの子は、ニコニコしながら言った。 その時の顔を、私は今でも覚えている。 首を傾げて静かに嬉しそうに笑う顔。 窓から差し込む光で、あの子の髪が虹色に光っていた。 それから私たちは、アンパンマンになった二人の手を写真で撮った。 ただそれだけのことだった。 でも。 その日の帰り道、私はなんだか少しだけ嬉しい気持ちになっていた。 そして家に帰ってからLINEを開くと、あの子の背景画像が変わっていることに気づいた。 それは、昼休みに撮ったあのアンパンマンの手の写真だった。 第三章  卒業 高校を卒業すると、私たちはそれぞれ違う道に進んだ。 もう保健室で一緒にお弁当を食べることもない。 「保健室友達」と呼ぶこともなくなった。 それでも私は、これからも友達でいられると思っていた。 環境が変わっても、きっとこれからも。 困った時には連絡を取り合える関係でいられると思っていた。 だから、あの日のLINEを見たとき。 私は一瞬で頭が真っ白になった。 第四章  最後の普通の会話 卒業してからも、私たちは時々LINEをしていた。 毎日連絡を取るほどではなかったけれど、ふと思い出したようにぽつり、ぽつりとメッセージを送り合うような関係だった。 「元気?」とか。 「最近どう?」とか。 特別な話ではない。 でも、そういう何でもないやり取りが私は好きだった。 ある日、あの子が 「最近どう?」と送ってきた。 私は「まあまあかな」と返した気がする。 正直、細かい会話の内容はもうあまり覚えていない。 でも、あの時は本当に普通の会話だった。 まさかその後に、こんなことになるなんて思いもしなかった。 もしあの時、未来が少しだけ見えていたら。 私はもっと違う言葉を送っていたのかな。 「大丈夫?」と聞けていたのかな。 そんなことを後になって何度も考えた。 でもきっと。 あの時の私は、あの時の私にできる普通の会話しかできなかったのだと思う。 第五章 深夜のLINE その日、私は家に一人でいた。 深夜1時か2時くらいだったと思う。 部屋は静かで、スマホの通知音だけがやけに大きく響いた。 画面を見ると、あの子からLINEが来ていた。 「ごめんね、先にいくね」 その一言だけだった。 死ぬとか、自殺とか。 そんな言葉はどこにも書いていなかった。 でも、なぜか私にはすぐに分かった。 あの子は今、死のうとしている。 鼓動が怖いくらいに速くなった。 冷や汗が出て、身体が震え始めた。 震える手で必死にメッセージを打った。 「いまどこにいるの?」 するとすぐに返信が来た。 「本当にごめんね、大好きだよ」 その文章を見た瞬間、息がうまく吸えなくなった。 これは、本当に終わりの言葉だ。 そう思った。 私は過呼吸になりかけながら、何度も電話をかけた。 お願い。 出て。 お願いだから。 でも、出ない。 何度かけても、出ない。 焦りと恐怖で頭の中がぐちゃぐちゃだった。 「お願い、出て」 「お願いだから」 祈るような気持ちで電話をかけ続けた。 でも、それからもう二度と、声を聞けることも、既読がつくこともなかった。 第六章  祈り続けた夜 その夜、私は一睡もできなかった。 ずっとスマホを握りしめて画面を見続けていた。 お願い。 お願いだから。 「嘘だよ」って返信してきて。 「ドッキリでした」って笑って謝ってきて。 笑えない冗談だって、私は思いきり怒ると思う。 でも、許すから。 全部許すから。 だから帰ってきてよ。 私は5年経った今でも、そのLINEのトーク履歴を消せずにいる。 見返すこともできない。 でも、消すこともできない。 ただそのまま、スマホの中に残してある。 なんとなく、消してしまったら本当にいなくなってしまう気がして。 だから、そのままにしている。 第七章  数日後 数日後、共通の友達から連絡が来た。 あの子が亡くなったことを知った。 自殺だった。 どうやら、私に送ってきたあのLINEが最後の連絡だったらしい。 そこからの日々は、後悔と罪悪感の連続だった。 もっと早く返信していたら。 すぐに会いに行っていたら。 異変に気づけていたら。 何か出来たんじゃないか。 そんなことばかり考えていた。 あの子は、不登校になりながらも頑張って高校を卒業した。 いじめの環境からやっと解放されたのに。 生きてさえいればなんとかなるのに、なったのに。 死んだら、全部終わりなのに。 私はずっと「生きてさえいれば」そればかり思っていた。 第八章  私だけ生きていていいの? それからしばらく、私はずっと同じことを考えていた。 どうして私じゃなかったんだろう。 どうしてあの子だったんだろう。 私だけ、生きていていいのかな。 そんなことを何度も思った。 でも、時間が少しずつ過ぎていく中で気づいたことがある。 私が自分を責め続けても、あの子は戻ってこない。 そしてきっとあの子は、私が一生苦しむことを望んでいない。 あの子は、優しい子だったから。 第九章  彼の涙 あの子の訃報を聞いたのは、彼とドライブをしているときだった。 私は、言葉が出なかった。 ただ無言でスマホの画面を彼に見せた。 彼はそれを見てただ一言。 「コンビニに1回車停めるから、ちょっとだけ待ってね」 そう言って車を走らせた。 車が止まった瞬間、私は助手席で泣き崩れた。 声を上げて、泣きじゃくった。 彼は何も言わず、ただ何度も力強く抱きしめてくれた。 そして、ふと顔を上げたとき、彼の頬にも大粒の涙が流れていた。 彼はあの子に会ったこともない。 でも、彼は私が保健室友達の話をしていたことも、音信不通になったと不安になっていたことも、全部覚えてくれていた。 だからきっと、私の絶望を見て自分のことのように泣いてくれたのだろう。 彼は言った。 「これは、あなたが一人で背負うにはあまりにも大きすぎるよ」 「分けてなんて簡単には言えないけど」 「それでも、無理やりにでも分けてほしい」 「あなたまで壊れるから」 あの時、彼が隣にいてくれたから。 私は、その場で壊れずに済んだのだと思う。 彼の言葉に、私は少しだけ救われた。 第十章  逃げてきてほしかった クラスは違っても。 保健室に行けば、あの子がいた。 保健室に行けば、友達でいられた。 卒業して、もう保健室で会えなくなっても。 私は、本当の友達でいたつもりだった。 環境が変わっても、ずっとそばにいるつもりだった。 だから。 そんな死なんかに逃げなくたって。 保健室に逃げられなくたって。 私のところに、逃げてきてほしかった。 第十一章  残された私たちへ 残された私たちが生きることは、決して罪なんかじゃない。 それは、当たり前の権利だ。 もし、あなたが大切な誰かを失った今。 「自分だけ生きていていいのかな」 そう思っているなら。 どうか聞いてほしい。 その人は、あなたが自分を責め続けて生きることを望んでいるだろうか。 きっと違う。 「生きて」「幸せになって」 きっと、そう言ってくれると思う。 失ったその人が、どんな人か私は知らない。 でも、あなたに大切にされたその人は、きっとそう言ってくれるだろう。 だから、自分を責めるのは、もう終わりにしていい。 あなたが生きていることは、裏切りじゃない。 残された私たちも、前を向いていい。 あなたには、あなたの人生がある。 生きていい。 笑っていい。 幸せになっていい。 だからどうか、生きていてほしい。 エピローグ あの子へ。 私はきっと、これからも時々あなたを思い出しては泣いてしまうでしょう。 これからも悔いは消えない、後悔してもし切れない。 寂しさも消えない。 それでも、ちゃんと前を向いて生きていくね。 あなたが生きられなかった未来を私は大切に生きる。 だから、安心してね。 私も、ずっと大好きだよ。

8
0

家の中で否定されてきた人へ。

〜誰に否定されても、あなたはあなたのままでいい〜 プロローグ ・好きな服や髪色を否定されてきた人 ・「そのメイク怖い」と言われたことがある人 ・あなたの"好き"を笑われた人 ・両親が怖かった人 ・家の中に居場所がないと感じていた人 この中にひとつでも、胸がざわつく言葉があったなら。 きっとこれは、あなたの話です。 第一章 褒めてほしかっただけ テストで平均以上の点数を取った日。 私は少しだけ誇らしかった。 特別すごい点を取ったわけではない。 でも、ちゃんと頑張った結果だった。 これなら、褒めてもらえるかもしれない。 そう思って、答案用紙を持って母の元へ走った。 「見て。」 少し弾んだ声で差し出した紙を、母は一瞬だけ見てこう言った。 「平均が低かったんやろ?」 その一言で、胸の奥がすっと冷えた。 褒めてもらえると思っていた私は、なんだか急に恥ずかしいことをしたみたいになった。 高得点を取ったときも 「たまたまやろ」 「カンニングしてへんやろな?」 「明日、雪降るんちゃう」 笑いながら言われるその言葉たちは、冗談の顔をして、しっかりと私の胸を突き刺していた。 私はただ、一言ほしかっただけなのに。 「頑張ったね」と。 テストの答案用紙を握ったまま、私は少しずつ学んでいった。 期待しなければ、傷つかないこと。 喜ばなければ、潰されないこと。 第二章 怒らせない子ども ごはんを食べるのが遅いと、父に頬を叩かれた。 だから私は、常に急いで食べるようになった。 味なんて覚えていない。 「噛む」より先に「終わらせる」を覚えた。 箸を一度置いただけでも叩かれるから、置かないようにした。 お腹がいっぱいでも「もう無理」とは言わなかった。 言えば怒られるから。 「今日、学校休みたい」 勇気を出してそう言った日があった。 でも返ってきたのは「行け」の一言と、髪の毛を引っ張られる痛みだった。 その日から私は、体調よりも、気持ちよりも"怒らせないこと"を優先するようになった。 家の中には、いつも見えない緊張があった。 お父さんを刺激してはいけない。 お母さんの機嫌を読む。 「ねーママ」と話しかけるだけで、苛立った表情をした母が「なに」と冷たく放つ。 その一言に、喉がきゅっと縮む。 言いたいことは、飲み込むのが癖になった。 母は機嫌が悪いと、ドアや扉を強く閉める。 ビシッ。 あの音が、今でも苦手だ。 大きな音が鳴ると、心臓が一瞬だけ昔に戻る。 家なのに、落ち着けなかった。 安心するはずの場所は、常に気を張る場所だった。 私は悪い子だったのだろうか。 食べるのが遅いから? 空気を読めなかったから? 甘えようとしたから? 違う。 今なら分かる。 私はただ、子どもだった。 怒られないように生きることに必死で、褒められないことに慣れて、否定されることを受け入れていった。 そして、いつの間にか思い込んだ。 私は、たいしたことない。 私は、期待されない人間。 私は、少し我慢すればいい。 それが普通だと思っていた。 第三章 好きと言えない それから大きくなって、少しずつ自分の「好き」が見つかり始めた。 メイクが好きだった。 新しい色のリップ。 少し強めのアイライン。 鏡の前で、昨日より少しだけ自信が持てる瞬間。 やっと、"自分の顔"を自分で作れる気がした。 でも「そのメイク怖い」「目、こわ」「人食ったみたいな色の唇やな」 笑いながら言われるその言葉に、また胸が静かに冷えた。 好きなだけなのに。 怖がらせたいわけではないのに。 どうして私は"好き"を選ぶだけで否定されるのだろう。 派手にしているつもりはなかった。 ただ、自分を少しだけ好きになりたかった。 それでも、家の中で私はいつも「やりすぎ」の人だった。 だからいつしか、本当に好きな色よりも「怒られない色」を選ぶようになった。 自分の基準よりも、誰かの顔色を優先するようになった。 ある日、勇気を出して言った。 「心理カウンセラーになりたい」 初めて、自分の将来を口にした日だった。 返ってきたのは「どうやってなるんやな笑」 笑い混じりの、軽い否定。 無理だろうというニュアンスの言葉。 その瞬間、自分の中の何かが萎れた気がした。 ああ、私の夢は本気で聞いてもらえるほどの価値もないんだ。 そう思った。 本当は、笑ってほしかったんじゃない。 「いいじゃん」って。 「応援するよ」って。 ただそれだけでよかった。 否定されることに慣れた私は、だんだん自分の気持ちを 自分で疑うようになった。 これ、やりたいって思ってるけど…私なんかが? 可愛いって思ったけど…似合ってないかも。 好きって言われたけど…本当に? 自信はいつも、どこか他人の許可制だった。 第四章 愛とは呼べない何か そしてそんな自分のまま、私は恋をした。 最初は、優しかった。 でも少しずつ、返信が遅いと不安になり、機嫌が悪いと自分のせいにして、嫌われないように言葉を選び、怒らせないように空気を読んだ。 彼を失うのが怖いんじゃない。 "また否定される"のが怖かった。 「やっぱりお前はダメだ」と証明されるのが怖かった。 だから我慢した。 寂しくても、傷ついても「これくらい普通」と言い聞かせた。 家で学んだことを、そのまま恋愛で繰り返していた。 怒らせないこと。 嫌われないこと。 否定されないこと。 でも、そんなものは恋でも愛でもなかった。 だからいつもの間にか傷つく余白すらなくなり、その恋とも呼べない何かは終わりを告げた。 そうやって傷つきながら、ある日ふと思った。 どうして私は「安心」より「不安」に慣れているんだろう。 どうして大切にされるより、削られる方が落ち着くんだろう。 答えは、もう分かっていた。 私はずっと、否定される前提で生きてきた。 褒められないことに慣れ、怒らせないことを最優先にして「私はこの程度」と自分に言い聞かせてきた。 自己肯定感が低いというより、自己肯定感を育てる時間がなかった。 ただ、それだけだった。 けれど、人生はそこで終わらなかった。 第五章 安心を知る それから少しして、私は依存しなくても大丈夫な人に出会った。 返信が遅くても不安にならない。 機嫌を伺わなくていい。 「そのままでいいよ」と本当にそのままを受け止めてくれる人。 最初は戸惑った。 こんなに安心していいの? 試されていない? いつか本性出るんじゃない? 疑う癖は簡単には抜けなかった。 でも彼は、変わらなかった。 静かで、穏やかで、誠実だった。 この人と結婚するかもしれない。 そう思ったとき、ひとつだけ引っかかった。 家族。 第六章 10年間の空白 父とは、10年間の空白があった。 手を挙げられたあの日から、私は父に自然と背を向けるようになった。 そして一切口をきかなくなった。 怒りというより、恐怖だった。 でも結婚するなら、 家族に認めてもらいたい。 彼と、家族に、同じ空間で笑ってほしい。 そう思った。 だから決めた。 まずは、私が向き合う。 声のかけ方すら忘れた父に、10年ぶりに話しかけた。 最初はぎこちなかった。 でも少しずつ、10年分の空白を埋めるように会話した。 父は、私に頭を下げて謝った。 後悔していると、言った。 母も、謝った。 他の誰かが見れば「謝ったからといって、決して許されることじゃない」と言うかもしれない。 それでも私は、許すことを選んだ。 なぜなら、憎み続ける方が、ずっと苦しかったから。 私の一番の願いは、ただ、家族みんなで笑って暮らすことだったから。 今は、彼もよく実家に泊まりに来る。 父と彼は、車の話で盛り上がっている。 あのビシッというドアの音に怯えていた家で、笑い声が響く。 あの時、向き合っていなかったら、溝はきっと深まる一方だった。 きっかけをくれた彼にも、向き合ってくれた両親にも、心から感謝している。 第七章 取り戻す 両親と和解をしても、傷はすぐには消えなかった。 大きな音に心臓が跳ねることもあった。 でも少しずつ変わった。 ある日、新しいリップを塗って実家に帰った。 母は言った。 「その色、似合ってるやん」 たったそれだけで、涙が出そうになった。 私はずっと、この一言が欲しかった。 私は、否定されてきた過去を持っている。 でも今は、大好きなピンクを大好きでいられる。 思いきりメイクを楽しめる。 好きな服を着て笑える。 結婚を認めてもらえた。 何より、自分のことが大好きになった。 休日のリビングからは、相変わらず車の話で盛り上がる父と彼の声が聞こえる。 それを、嬉しそうな顔をして眺めている母がいる。 あの頃の私が見たら、きっと信じられない光景だろう。 でも、これは夢じゃない。 私が選び続けた結果。 家族と、過去と、これからと向き合うことを選んだ。 逃げないことを選んだ。 許すことを選んだ。 そして、自分を小さくしないことを選び続けた。 最終章 家の中で否定されてきたあなたへ。 あなたは悪くない。 あなたは壊れていない。 今は、少し縮こまっているだけ。 ただ、安心を知らなかっただけ。 あなたはただ、褒めてほしかっただけ。 認めてほしかっただけ。 好きなものを好きと言いたかっただけ。 けれど、安心は後からでも知れる。 好きは、後からでも取り戻せる。 自己肯定感は、あとからでも育て直せる。 過去は消えない。 でも未来は選べる。 あなたは、もう怒られない生き方をしていい。 もう、自分を小さくしなくていい。 あなたの人生は、家庭環境だけで決まるものではない。家の中だけで終わらない。 過去がどうだったとしても、今からでも自分だけは自分の味方になってあげられる。 そして、自分の味方をしてくれる新しい人にも出会える。 あなたが安心してのびのびと羽を伸ばせる環境にも、きっと出会う。 好きな色を選んでいい。 好きな服を着ていい。 好きな夢を語っていい。 誰かが否定したとしても、あなたの価値は変わらない。 家族と向き合うことも、距離を取ることも、許すことも、許さないことも、全部あなたが選んでいい。 ただひとつだけ覚えていて。 あなたは、最初からずっと大切にされるべき存在だった。 家だけが、家族だけが、あなたの世界じゃない。 あなたの世界は、これから無限に広がる。

4
0

泣く恋は、今日で終わり。

〜あなたが選び直したその瞬間から、あなたは幸せになれる〜 プロローグ 恋愛とは、本来はとても幸せなものだと思う。 誰かを好きになって、誰かに大切にされて、その時間の中で、自分のことも少しずつ好きになっていく。 本当は、笑顔が増えるもの。 本当は、安心できるもの。 本当は、ふとした瞬間に「幸せすぎる」と涙が出るようなもの。 けれど、どうして恋人なのに毎日不安で、スマホの通知に怯えて、会えない時間は疑いばかりで、泣く回数のほうが多くなる、そんな人が居るのだろう。 片想いには、苦しみも付き物だと思う。 でも、両想いなのに、恋人同士なのに苦しいのは異常だ。 それはもう、恋愛の形をしているだけで、中身は愛ではない。 もしあなたが今、 「好きなのに辛い」 「一緒にいるのに寂しい」 「恋人なのに安心できない」 そんな恋をしているなら、少しだけ立ち止まってほしい。 あなたが悪いわけではない。 でも、選び方は間違っているのかもしれない。 恋愛は、あなたを削るものではない。 あなたを満たすものだ。 この作品は、傷つく恋を繰り返してきた人に向けて書く。 依存を愛と呼んでしまった人に。 クズを優しさと勘違いしてしまった人に。 不安を好きの証拠だと思ってしまった人に。 届いてほしい、目を覚ましてほしい。 幸せな恋は、ちゃんと存在する。 そしてそれは、特別な人にだけ訪れるものではない。 あなたが、選び直せばいいだけだ。 不安を愛と呼ばないで 好きな人ができると、不安も一緒にやってくる。 既読がつかないだけでそわそわして、返信が遅いだけで嫌われた気がして、SNSに知らない名前があれば胸がざわつく。 それを「好きだから仕方ない」と思っていないだろうか。 「それだけ好きな証拠だ」と思っていないだろうか。 でも、少し冷静に考えてみてほしい。 安心できない恋は、健全ではない。 もちろん、人を好きになれば多少の不安はある。 大切だからこそ失いたくないと思うし、独占したくなる気持ちだってゼロではない。 でも、その不安が日常になるなら話は別だ。 ・スマホを見たい衝動が止まらない ・相手の交友関係が全部気になる ・会っていない時間が苦しい ・常に何かを疑っている それは好きの証拠ではなく、心が危険信号を出しているサインだ。 スマホを覗くという選択 「見なければよかった」 スマホを覗いた人のほとんどが、そう口にする。 それは当たり前だ。 一度知ってしまえば、もう二度と知らなかった頃の自分には戻れないのだから。 既に怪しい行動があって、浮気や不倫の証拠集めの為にスマホを覗くのとは違う。 怪しいことが何もないのに、ただ不安を消したくて覗くのは自分から傷つきにいく行為だ。 自分から不幸を迎えにいかないでほしい。 知らない部分を知らないままでも信じられる人を選ぶこと。 それが一番の近道なのに、不安な恋をしているとなぜか自分から地雷を踏みにいく。 本当に大事なのは「覗かなくても平気な相手かどうか」 疑わなくてもいい人を選ぶこと。 離れていても安心できるかどうかが答え 恋愛は会っている時間より、会っていない時間で本質が分かる。 会っている時が楽しいのは当たり前。 笑って、触れて、好きって言って。 でも本当に大事なのは、その後。 一人でいる時間に、あなたの心がどうなっているか。 離れている時間に「次会えるまで頑張ろう」と思えるか。 それとも「何してるんだろう」「誰といるんだろう」と不安でいっぱいになるか。 恋人なのに、安心できない。 それは普通ではないと気づいて。 恋愛はあなたを削らない 好きなのに辛い。 一緒にいるのに苦しい。 連絡が来ないだけで泣きそうになる。 それを「恋はそんなもの」と言う人もいる。 でも違う。 恋愛はあなたを削らない。 削るのは、依存か、相性の悪さか、もしくは相手の誠実さの欠如だ。 本来の恋愛は、あなたの自己肯定感を下げない。 むしろ「この人と居る時の自分、ちょっと好きだな」と、自分を肯定できるようになるものだ。 もし今、自分をどんどん嫌いになっているのなら、それは立ち止まるサイン。 好きでいる努力よりも、安心できる相手を選ぶ努力を。 不安を愛と勘違いしないでほしい。 愛は、静かで、あたたかくて、あなたを落ち着かせるものだから。 クズの見極め方-優しさに騙されないで 優しい人が好き。 これはみんな同じだと思う。 ドアを開けてくれる。 ソファー席を譲ってくれる。 車道側を歩いてくれる。 荷物を持ってくれる。 食事を奢ってくれる。 たくさん褒めてくれる。 そういう"分かりやすい優しさ"に、人は弱い。 でも、ひとつ気づいてほしい。 それは、愛がなくてもできる。 知識さえあればできる。 恋愛経験があればできる。 モテたいと思えばできる。 本当の優しさなのか、パフォーマンスの優しさなのかを見極めてほしい。 本当の優しさかどうかは「してくれたこと」では分からない。 見るべきなのは、しないでくれることだ。 奢ってくれることより大事なことは、あなたが傷つくことをしないこと。 褒めてくれることより大事なことは、あなたを不安にさせないこと。 手を繋ぐことより大事なことは、裏切らないこと。 派手な優しさより、静かな誠実さを選んでほしい。 クズは派手だ。 本物は地味だ。 でも、本物はあなたを泣かせない。 面倒な時にどうする人か クズは、面倒なことを避ける。 あなたの心が不安定なとき。 生理でイライラしているとき。 仕事で落ち込んでいるとき。 話し合いを持ちかけたとき。 そういう“楽しくない時間”にどう向き合うかで本質が分かる。 ・大事な話をはぐらかす ・「重い」と片付ける ・機嫌が悪いと放置する ・自分が悪くても謝らない ・向き合う前に逃げる これがあるなら、どれだけ普段あなたに優しくても、そこに愛はない。 本当に大事なのは、あなたの涙を無視しないこと。 あなたを不安にさせたら向き合うこと。 傷つけたら誠実に謝ること。 面倒でも逃げないこと。 愛は、楽しい時だけ発揮されるものではない。 人生のピンチや、ドン底の時でもなんだかんだ笑えて、楽しませてくれる人を選んでほしい。 お金がなくても、病気になっても、なんだかんだこの人が一緒にいてくれたら大丈夫だと思える人を選んでほしい。 好きな相手なのだから、楽しい時に幸せを感じるのは当たり前だ。不幸な時こそ、ささやかな幸せを与えてくれる人を選んでほしい。 思い出に恋をしないで 「最初は優しかったんです」 よく聞く言葉。 でも、今あなたの目の前にいる人がその人。 優しかった頃の記憶にしがみついて、今の彼を見ないふりしていない? 好きなのは、今の彼? それとも、あの頃の彼? もはや好きになった当初とは別人なのに、思い出の中の優しさに恋をしているだけということはよくある。 恋愛は"過去の人"とするものではない。 今のその人と向き合うものだ。 苦しい恋を続ける理由 苦しくても離れられないのは、嫌われたくないから? 一人になりたくないから? 自分の価値を否定されたくないから? 自分を守るためにしがみつく恋は、あなたを今よりもっと傷つける。 そうやって、自分の保身の為に相手を縛って、傷つく覚悟を持たずに愛そうとしても上手くはいかない。 それは我が身可愛さが勝つ程度の愛なのだから。 愛されたいのなら、まず見極める力を持ってほしい。 傷つく覚悟、離れる覚悟も持ってほしい。 優しさに酔わないこと。 言葉より行動を見ること。 楽しい時間より、向き合う姿勢を見ること。 本物の愛は、あなたを安心させる。 あなたを混乱させるのは、愛ではない。 愛は、あなたの生活を壊さない 健康な恋愛は、あなたの生活を奪わない。 仕事に集中できる。 友達と笑える。 趣味も楽しめる。 一人の時間も心地いい。 そして、ふとした時に思い出して 「あ、好きだな」と思う。 それくらいでいい。 一方で、不安な恋は違う。 予定を全部その人基準で動かす。 連絡が来ないと何も手につかない。 自分の機嫌が相手次第になる。 それは恋愛ではなく、感情の人質。 あなたの人生のハンドルを、他人に渡してしまっている状態。 大事にされている人は、落ち着いている 周りを見てみて。 本当に大事にされている人は、どこか落ち着いている。 必死になっていない。 追いかけていない。 疑っていない。 余裕がある。 なぜなら、不安にさせられていないから。 「好きでいてもらえるかな」と常に心配しなくていい関係は、心を消耗しない。 「付き合っているのに不安」は普通ではない 恋人同士なのに ・愛されている実感がない ・連絡が来るか常に不安 ・他の異性の影がちらつく ・会えない理由が曖昧 ・将来の話を避けられる それで毎日しんどい。 それを「恋ってそういうもの」と自分に言い聞かせていない? 両想いって、本来は安心がベース。 ドキドキはあるけど、土台にちゃんと安定がある。 嫌でも愛されている、大事にされていると感じられるものだ。 常に崖っぷちのような感覚で続けるものではない。 追いかけ続ける関係は対等じゃない いつも自分から連絡している。 いつも自分が予定を合わせている。 いつも自分が謝っている。 いつも自分が不安になっている。 それは対等ではない。 恋愛はキャッチボール。 片方だけが投げ続けるのは、もう恋愛ではない。 あなたが必死に繋ぎ止めないと続かない関係なら、それはもう、あなた一人の努力で成り立っている関係。 愛は、片側だけでは維持できない。 「好きだから我慢」は危険 ・浮気未遂だけど許した ・暴言を吐かれたけど我慢した ・連絡を放置されても待った ・都合のいい扱いでも受け入れた 「好きだから仕方ない」 その言葉、自分を守るために使っていない? 好きでも、ダメなものはダメ。 あなたの心が削れていく恋は、続ければ続けるほど自己肯定感を奪う。 "彼を失う怖さ"より"自分を失う怖さ"を大事にして。 依存から抜ける覚悟 ここまで読んで「分かってるけどやめられない」と思っていない? それが依存。 好きだから離れられないのではなく、その人がいない自分が怖いだけ。 彼を失うことが怖い? それとも、自分に価値がないと思うのが怖い? 依存の正体は、自己不信。 ・他にこんなに好きになれる人いないかも ・こんなに好きって言ってくれる人いないかも ・私なんて他に選ばれないかも そう思っていると、どんな扱いでも耐えてしまう。 でもそれは、彼が特別なわけではない。 あなたが自分を低く見積もっているだけ。 「いなくなったら生きていけない」は愛ではない 愛は「いなくなったら寂しい」 「生きていけない」ではない。 ・精神が崩れる ・生活が回らない ・何も手につかなくなる それは恋人ではなく、心の支柱を一本にしてしまっている状態。 本当は、あなたは一人でも立てる。 ただ、それを忘れているだけ。 思い出して、彼に出会う前のあなたは一人でもしっかり生きていたはず。 依存から抜ける最初の一歩 1. 予定を相手中心にしない 2. 連絡が来なくても予定通り動く 3. スマホを置く時間を作る 4. 自分の世界を広げる 5. 期待しない、見返りを求めない 最初は苦しい。 でもその苦しさは禁断症状。 愛を失う痛みではない。 依存を手放す痛み。 愛される覚悟は離れる覚悟。 これが一番大事。 本当に愛されたいなら「大事にされないなら離れる」という覚悟が必要。 失う勇気がない人は、雑に扱われ続ける。 「私は大事にされたい」と本気で思えた瞬間、選ぶ相手が変わる。 態度が変わる。 言葉が変わる。 そして何より、あなたの目が変わる。 愛は、コントロールしない 好きになると、相手を変えたくなる。 もっと連絡してほしい。 もっと安心させてほしい。 もっと私を優先してほしい。 もっとこうしてほしい。 その気持ちは自然。 でも、相手をコントロールしようとした瞬間に、関係は歪んでいく。 恋愛がうまくいかなくなる理由のひとつは「好き」が強くなりすぎて「支配」に変わってしまうこと。 気づかないうちに、相手を"理想の形"にしようとしてしまう。 価値観は違って当たり前 価値観の違いで別れることは本当に勿体ないことだ。 "価値観の違いを擦り合わせる程の愛情がなかったから別れた"なら分かるけれど、価値観なんて違うのが当たり前だ。 運命の人とか相性がいいと呼ばれる相手とは、価値観が最初からぴったり合う人の事ではなくて、合わない価値観をその人の為なら折れてもいい、譲ってもいい、自分が合わせてもいいから何とか上手くやっていきたいと思える相手の事だ。擦り合わせではどうにもならないくらい根本的な常識的感覚や、考えが合わないのならそれは価値観のズレの範囲ではなく、別問題。 「普通はこうでしょ?」 この言葉が出たら、一度冷静になってほしい。 あなたの普通は、あなたの育ってきた環境と、経験で出来上がったもの。 相手には相手の普通がある。 連絡の頻度。 金銭感覚。 異性との距離感。 仕事への向き合い方。 違って当然。 問題なのは違うことではない。 違いを認めずに、どちらかが正しいと決めつけること。 自分の思う正しいを相手に押し付けること。 恋愛は勝ち負けではない。 価値観が違えど、違いも含めてその人なんだ、そんな人を選んだのは自分だと受け入れられる器と、自分の考えがどうであれ大切な人が嫌がることはしないというシンプルな考えだけでいい。 ぶつかる時点で、折れたくないのはお互い同じなのだから、自分の正しいを突き通そうとするのは相手を傷つけることに繋がる。 大事なのは、それぞれが自分だけの正しいを押し付け合い決めつけることではなく、歩み寄り、すり合わせられるかどうか。 落ち着いて話し合えるかどうか。 二人にとってバランスのいい妥協案や、二人にとっての一番良い形を見つけ出せるかどうかだ。 伝え方で未来は変わる 「なんで連絡くれないの?」と責めるのか。 「連絡が少ないと不安になるから、もう少し連絡頻度を増やしてほしい」と伝えるのか。 同じ内容でも、未来はまるで違う。 責められると人は逃げたくなり、防御する。 本音を言われると人は考え、向き合う。 感情をぶつけるのは簡単。 でもそれは自分が一瞬スッキリするだけ。 強く出れば折れてもらえるわけではない。 不機嫌そうに黙っていれば察してもらえるわけでもない。 大人の恋愛は感情をぶつけるのではなく、どうして欲しいのかを具体的に説明するべきだ。 変えようとするな、選び直せ 何度話しても、何度伝えても、向き合う姿勢をとってくれない人もいる。 何度話しても変わらない人は変わらない。 その時に必要なことは「どうすれば変わってくれるか」ではない。 「私はこのままで幸せか?」という問い。 相手を変えようとするな。 選び直せ。 恋愛は、相手を教育する場所ではない。 合わない人に執着するより、合う人を探す方がずっと健全だ。 愛があれば変わるは幻想。 変わらない人を変えようとするのは、時間の無駄。 変わらないなら、あなたが選び直すだけ。 恋愛は、相手を矯正するゲームじゃない。 愛は、自由の中にある 本当に愛がある関係は、縛らなくても続く。 監視しなくても信じられる。 制限しなくても離れない。 コントロールは不安から生まれる。 愛は安心から生まれる。 あなたが不安で誰かを縛りたくなったら、まず自分の心に聞いてみてほしい。 その不安は、相手のせい? それとも、自分の傷? ここに向き合えた人から、恋愛は変わる。 いくら恋人だからといって、相手の人間関係をコントロールする権利はない。 もともとあった人間関係を切らせたり、厳しすぎる束縛をしたり。 仮に結婚する気があっても、人はいつ別れるか分からないのが現実だ。 だからもし別れたら、相手は恋人も友達も失った状態に置かれる。 そうなった時に責任を取れないのだから、恋人の人間関係に安易に口出しするべきではない。 コントロールしないと不安で、縛っていないとよそ見してしまうような人はそもそも何をしたって幸せにはしてくれない。 縛りのない自由な環境下で自分だけを愛してくれる人こそが信用できる相手だ。 恋愛は、あなたを幸せにするためにある 恋愛とは、誰かに認めてもらうためのものではない。 寂しさを埋めるためのものでもない。 自分の価値を証明するためのものでもない。 恋愛は、あなたが、もっとあなたを好きになるためにある。 好きな人ができると、世界が少し優しく見える。 「頑張ろう」と思えたり、綺麗でいたいと思えたり、ちゃんと眠ろうと思えたり。 それは、誰かを好きになったからではない。 "好きになれた自分"がいるから。 本来、恋愛はそういうもの。 あなたの人生に光を足すもの。 光を奪うものではない。 苦しい恋をしてきた人ほど「これが恋愛なんだ」と思い込んでしまう。 でも違う。 それはただ、合わなかったか、大事にされなかっただけだ。 恋愛が悪いのではない。 間違った相手に、自分を預けただけだ。 安心できる人は、刺激は少ないかもしれない。 ドキドキよりも、じんわりとした温かさかもしれない。 けれど、一緒にいて落ち着く人と笑う時間は、あなたの人生を必ず豊かにする。 追いかけなくていい。 疑わなくていい。 泣かなくていい。 それが本来の恋愛。 あなたは、泣くために恋をするのではない。 あなたは、削られるために愛されるのではない。 あなたは、大事にされるために生きている。 そして最後に。 苦しい恋から抜けられた人だけが知ることがある。 「本当に愛されるって、こんなに静かなんだ」と。 派手でもない。 劇的でもない。 それでも、安心して眠れる。 それが愛。 この人を好きになって良かったと思える瞬間に溢れていて、恋愛ってこんな風に安心しきって心穏やかに出来るものなんだと驚く。 明日死んでも後悔ないくらいに全力で愛そうと思える。 これが愛。 もし今、あなたが不安でいっぱいなら。 その不安は、あなたが弱いからではない。 あなたが、本当はちゃんと幸せになりたい人だから。 恋愛は、あなたを幸せにするためにある。 それをどうか忘れないで。 あとがき ここまで読んでくれて、ありがとう。 もしかしたら、読んでいる途中で胸が痛くなった人もいるかもしれない。 図星だった人もいるかもしれない。 心当たりがあって、頷いてくれた人もいるかもしれない。 でも、それはあなたがダメだからではない。 本気で誰かを好きになったことがある人ほど、 この作品は刺さると思う、刺さってほしい。 私も、忘れられない苦しい恋をしたことがある。 泣きながらスマホを握りしめた夜もあるし、それを「これが恋愛なんだ」と思い込んでいた時期もある。 でも今なら分かる。 恋愛は、自分をすり減らすものではなかった。 安心して笑えること。 ちゃんと向き合ってもらえること。 自分のままでいられること。 それが本当の幸せだった。 もし今、あなたが苦しい恋の中にいるなら、無理に強くならなくていい。 でも、忘れないでいてほしい。 あなたは、雑に扱われるために生きていない。 あなたは、大事にされる価値がある。 この言葉が、あなたの未来の選択を少しでも変えられたら嬉しい。 恋愛は、あなたを幸せにするためにある。 どうか、あなたがあなたを大切にできる恋を。

1
0

世界が私を壊そうとした日々のこと

〜人生は壊されたところから意味を持ち始める〜 世界は、私を壊そうとした。 みんなの目は、いつも冷たかった。 第一章 私が壊れ始めた日 朝、教室に入った瞬間に空気が一瞬だけ私を避けた。 「おはよう」と言った声は確かにそこに放たれたのに、返事は返ってこなかった。 聞こえなかったはずのない距離で、誰一人こちらを見なかった。 私は自分の席に向かいながら「今日もか」と思った。 もう驚きもしなかった。 驚かなくなったこと自体が一番怖い変化だった。 机に座ると、後ろからガンと鈍い音がした。 誰かが私の机を蹴った音だった。 振り向くと、目が合った瞬間に「目障りなんだよ」と吐き捨てるように言われた。 そして教室中に笑い声が響いた。 クラスメイトが私の顔を見るなりこう言った。 「その顔でよく学校来れるよね」「神様の失敗作じゃん」 そんな言葉が、当たり前のように飛んできた。 私は何も言わなかった。 過去には言い返したこともあった。 でもその度に、状況は悪くなった。 ある日から、私はバイ菌と呼ばれるようになった。 近づくと大げさに避けられ、私が触ったドアノブを汚いと言いながら雑巾で拭かれる。 私物は踏まれ、投げられ、教科書には落書きが増えた。 いつの間にか、スマホを向けられていることにも気づいた。 後でSNSを見て、自分の顔写真と一緒に並ぶ「死ね」「学校やめろ」という文字を見つけた時、胸の奥が冷たくなった。 教室では、ペアを作る授業が一番怖かった。 「はい、二人組になって」 その一言で世界から取り残される。 誰も動かない。 視線だけが私を避けて流れる。 しばらくして、仕方なく私と組んだ子がみんなに聞こえる声で言う。 「最悪なんだけどー」 そしてまた、笑い声。 私は、いないものみたいにその場に立っていた。 先生は、全部見ていたはずだった。 机を蹴られるのも、暴言も、無視も。 でも、何も言わなかった。 「気のせいじゃない?」「みんな仲良くしようね」 その言葉が、私を守ることは一度もなかった。 ある日の放課後、クラスメイトから呼び出された。 「もし誰かにチクったら、今よりもっといじめるからね」 静かな声だった。 だから余計に本気だと分かった。 私はその日から何も言えなくなった。 死にたいと思うようになった。 でも正確には、消えたいというより、消されたいに近かった。 自分で終わらせる勇気もなくて、ただ、この世界からいなくなれたらいいのにと思っていた。 それでも朝は来て、私はまた学校に行った。 「なんで生きてるんだろう」 そう思いながら。 その頃の私はまだ知らなかった。 この地獄みたいな時間が、未来の私の価値観を根こそぎ作り替えることになるなんて。 この痛みが、誰かの痛みに触れるための感覚になるなんて。 そのときの私は、ただ壊れていくだけだった。 第二章 生きてしまう朝 朝が来るのが怖かった。 目を開けた瞬間「あ、今日も生きてる」そう思ってしまう自分が、もう嫌だった。 眠っている時間だけが唯一、何も考えなくていい時間だった。 だから夜は遅くまで起きていた。 眠りたくないわけではない。 朝が来てほしくなかった。 布団の中で今日の予定を思い出す。 学校、教室、席、人の声。 それだけで、胸がぎゅっと縮こまった。 鏡を見るのも怖かった。 映っている顔が、誰かに「神様の失敗作」と言われた顔に 見えてしまうから。 自分で自分を見ているはずなのに、いつの間にか他人の目を借りて自分を見ていた。 「きもい」「目障り」「死ね」 もう実際に言われていなくても、その言葉たちは私の頭の中で勝手に再生された。 教室に行く前から、もう責められていた。 学校に向かう道で何度も考えた。 今日、行かなかったらどうなるんだろう。 今日、このまま消えたらどうなるんだろう。 でも、足は止まらなかった。 止め方が分からなかった。 「死にたい」という言葉は、ある日突然強く思ったわけではない。 最初は「いなくなれたらいいな」それくらいだった。 それが、毎日、毎日、積み重なって、気づいた時には「死にたい」が当たり前の思考になっていた。 ごはんを食べながら。 歩きながら。 授業を受けながら。 ふとした瞬間に、呼吸をするようにその言葉が浮かぶ。 それが怖いと思えなくなった頃、私はもうかなり深いところまで沈んでいたのだと思う。 それでも、朝は来る。 制服を着て、靴を履いて、家を出る。 誰かに強制されていなくても、体は勝手に動く。 「生きたい」とは思っていないのに「生きてしまう」 その事実が私を一番苦しめた。 夜、布団に入って今日も死ななかったなと思う。 それは安心ではなく、失望だった。 また明日が来る。 また同じことを考える。 また同じ場所に行く。 終わらないことが、何より残酷だった。 この頃の私は、未来という言葉を信じていなかった。 明日が今日より良くなるなんて、思えなかった。 ただ、今日を耐える。 それだけ。 それだけを繰り返す毎日だった。 まだこのときの私は知らない。 この「耐えるしかなかった時間」が、いつか誰かの痛みを 理解するための感覚になることを。 この地獄を生き延びた自分が「生きていてよかった」と 言える日が来ることを。 その頃の私は、ただ必死に今日をやり過ごしていた。 第三章 言葉にならなかった叫び ある日、何がきっかけだったのかは覚えていない。 特別につらい出来事があったわけでも、劇的な何かが起きたわけでもなかった。 ただ、胸の奥に溜まりすぎたものが、もう入りきらなくなった。 授業中、ノートを見つめながら文字が一つも頭に入ってこなかった。 代わりに浮かんでいたのは「どうして、私だけ」という言葉だった。 でも、その続きを私は知らなかった。 どうして、私だけ—— どうして、私だけ、何? どうして、私だけ、こんな目に遭うの? どうして、私だけ、生きづらいの? 問いは浮かぶのに、答えに辿り着けない。 私は自分の気持ちを言葉にするのが下手だった。 苦しいという一言では足りなくて、つらいという言葉では軽すぎて、でもそれ以上の表現を知らなかった。 だから、誰にも伝えられなかった。 泣くことすら、うまくできなかった。 ある日、図書室に逃げ込んだ。 理由はなかった。 ただ、教室にいられなかった。 静かな空間で何気なく手に取った本の中に、 「心」「傷」「回復」 そんな言葉が並んでいた。 内容は、ほとんど覚えていない。 でも、一文だけなぜか引っかかった。 「人は、理解されることで少しだけ楽になる」 その一文を読んだとき、胸の奥がほんの少しだけゆるんだ気がした。 理解される。 それは、ずっと欲しかったのに一度も手に入らなかったものだった。 その日から、私は少しずつ心に関する本を読むようになった。 心理学。 カウンセリング。 感情。 そこには、「弱い人」や「おかしい人」ではなく「傷ついた人」という言葉があった。 自分のことを、初めて責められていない言葉で説明してもらえた気がした。 私はまだ救われてはいなかった。 死にたい気持ちも消えていなかった。 でも、ほんの小さな変化があった。 「もしかしたら、私が悪いわけではないのかもしれない」 その考えが一瞬だけ頭をよぎった。 その一瞬はすぐに消えたけれど、確かにそこにあった。 それはまるで、暗闇の中で見つけた小さな点のようなものだった。 まだ光とは呼べない。 でも、完全な闇でもなくなった。 私はまだ生きる理由を見つけていない。 ただ「誰かに理解される」ということが、人を少しだけ救うらしいと知った。 その事実が、この頃の私をぎりぎりのところで生かしていた。 第四章 それでも朝は来る 限界という言葉はずっと前に通り過ぎていた。 泣きたくても涙は出なくて、苦しいとも思えなくなっていた。 ただ、何も感じない。 それが一番怖かった。 死にたいという言葉すらもう強い感情を伴わなかった。 「死にたい」 それは願いというより、生活音のようなものになっていた。 朝起きて、顔を洗って、制服を着て、死にたいと思う。 それだけ。 生きていることと、死にたいと思うことが、同時に存在していた。 私は自分が怖かった。 こんな風に考える人間は、きっとおかしいんだろうと思った。 だから、誰にも言えなかった。 「大丈夫?」と聞かれても「大丈夫」と答えた。 大丈夫じゃないことを説明する気力がもう残っていなかった。 ある日、帰り道で立ち止まった。 車が通り過ぎる音を聞きながら、ぼんやりと思った。 このまま全部終わったら楽なんだろうな、と。 でも、その先が想像できなかった。 楽になる自分も、救われる自分も思い浮かばなかった。 ただ「終わる」という言葉だけが宙に浮いていた。 結局、その日も家に帰った。 布団に入って、天井を見つめて、また思う。 今日も死ななかった。 それは、誇らしいことではなかった。 「今日もできなかった」という感覚だった。 生きることを失敗のように感じていた。 私は、自分の人生がもう取り返しのつかないところまで 壊れてしまったと思っていた。 学校にも居場所がなくて、未来にも希望がなくて、自分自身の価値も分からない。 この先、何になれるのかも分からない。 何の役にも立たないまま、ただ苦しい時間だけが続いていく気がしていた。 この頃の私は「生きていたい」と思えなかった。 でも同時に「死にたい」と強く願う力も、もう残っていなかった。 ただ、疲れていた。 心も、体も、全部。 それでも朝は来る。 それが、どんな罰よりも残酷だった。 第五章 画面の向こうで、初めて肯定された 本当に、偶然だった。 何かを探していたわけでも、助けを求めていたわけでもない。 ただ、何も考えずにスマホを眺めていただけだった。 親指が無意識に画面を滑らせて、動画がひとつ再生された。 そこに映っていたのは心理カウンセラーの女性だった。 落ち着いた声で、穏やかな表情で、その人はこう言った。 「傷ついた経験がある人ほど、人の痛みに気づけるようになります」 その一言で、私は画面から目を離せなくなった。 「いじめられた経験」 「否定され続けた時間」 「自分を責めてしまう癖」 その人が話す言葉は、まるで私のことを見てきたみたいだった。 でも、不思議と怖くなかった。 否定されなかったから。 「あなたが弱いからじゃない」 「あなたが悪いからじゃない」 その言葉を、初めて疑わずに聞くことができた。 画面の向こうのその人は、私の名前も、顔も、何も知らない。 それなのに、世界で初めてちゃんと私の話を聞いてくれている気がした。 涙が出た。 声を出して泣くほどの力はなくて、ただ、ぽろぽろと涙が落ちた。 「つらかったですね」 動画の中のその言葉は、誰に向けられたものなのか分からない。 でも、その瞬間私はそれを自分に向けられた言葉として受け取った。 つらかった。 本当に、つらかった。 誰にも認められなかったその事実を、やっと自分で認めてもいい気がした。 動画を見終わった後もしばらくスマホを置けなかった。 胸の奥にずっと居座っていた重たいものが、ほんの少しだけ位置を変えた気がした。 消えたわけじゃない。 楽になったわけでもない。 でも「この苦しさには、名前がある」 そう思えた。 それは、私を責める言葉じゃなかった。 傷。 トラウマ。 心の防衛反応。 そこには「ダメな人間」というレッテルは貼られていなかった。 私は、その日からその人の動画を見るようになった。 何度も、何度も。 つらくなるためじゃない。 生き延びるために。 「経験したからこそ、できる支援がある」 その言葉が胸の奥に残った。 私には何も誇れるものがないと思っていた。 でも、この地獄みたいな経験だけは、確かに私の人生だった。 もし、同じように苦しんでいる人がいるなら。 もし、「ひとりだ」と思って今も耐えている人がいるなら。 私は、その人の話をちゃんと聞ける気がした。 分かったふりじゃなくて、上から目線でもなくて。 ただ、「分かるよ」って言える気がした。 そのとき初めて、未来という言葉が、ほんの少しだけ 現実味を帯びた。 私はまだ、心理カウンセラーを目指すとはっきり決めたわけではない。 でも、「この経験が、誰かの役に立つかもしれない」 そう思えたことが生きる理由の芽になった。 死にたかった私が、初めて「生きていてもいいのかもしれない」と思えた瞬間だった。 第六章 傷を抱えたまま、前を見るという選択 動画を見続けたからといって、世界が優しくなったわけではない。 朝起きれば、今日も息をするだけで疲れて。 外に出れば、人の視線が怖くて。 過去の言葉が何度も頭の中で再生された。 「神様の失敗作」 「死ね」 「目障りなんだよ」 理解されたからといって、傷が消えるわけではない。 それでも、決定的に変わったことがあった。 自分を責める回数が少しだけ減った。 以前の私は、苦しいときほど自分を殴るように考えていた。 「私が悪い」 「私が弱いから」 「私に価値がないから」 でも、動画の中の言葉がその思考に割って入ってきた。 ――それは、あなたのせいじゃない。 その声が、頭の中で小さく響く。 最初は信じられなかった。 何度も打ち消した。 でも、何度も何度も聞いているうちに「もしかしたら」 が生まれた。 もしかしたら、私が壊れたんじゃなくて壊されたのかもしれない。 もしかしたら、弱いんじゃなくて耐えすぎただけなのかもしれない。 その「もしかしたら」は、私の人生を一気に変えるほどの力はなかった。 でも、崖の縁に立たされていた私を一歩だけ、内側に戻してくれた。 それだけで十分だった。 そして、心理カウンセラーという言葉を初めてちゃんと調べた。 資格のこと。 勉強内容。 向いている人。 そこに書かれていたのは「強い人」ではなかった。 「人の話を否定せずに聞ける人」 「痛みに共感できる人」 「答えを押しつけない人」 どれも、私がずっと欲しかったものだった。 私は、誰かに答えを押しつけられて何度も傷ついた。 「気にしすぎ」 「考えすぎ」 「みんな我慢してる」 その言葉が、どれだけ人を孤独にするのか私は知っている。 だから、同じことはしたくなかった。 誰かの苦しみを、軽く扱わない人間になりたかった。 「それは、つらかったね」 その一言を、ちゃんと心から言える人になりたかった。 その時、気づいたことがある。 人生で起こる出来事に、意味のないことなんて、本当は一つもないのかもしれない。 あんなにも苦しくて、消えたくて、全部を奪われたと思っていた時間も。 視野を、価値観を、人の痛みへの感度を、否応なく広げていた。 楽しいだけの人生を歩んできた人より、私は人の涙の重さを知っている。 人に踏みにじられる悔しさも、助けを求められない苦しさも、声をあげられない夜の長さも。 それは、誇らしいことじゃない。 でも、無価値でもない。 辛いことが起きた時には今でも落ち込む。 泣くし、動けなくなる日もある。 でも、前のように「人生終わりだ」とは思わなくなった。 代わりに、こう思うようになった。 ――また一つ私はレベルアップするのかもしれない。 綺麗ごとじゃない。 強がりでもない。 そう思わないと、生きられなかった。 でも、その思考は私を前に進ませてくれた。 もし、今この文章を読んでいるあなたが苦しみの真ん中にいるのなら。 覚えていてほしい。 あなたのその経験は、あなたを壊すためだけに存在しているわけではない。 今は意味が分からなくていい。 前向きになれなくていい。 ただ「これで終わりじゃない」その言葉だけ、心の端に置いてほしい。 私は、死にたいと思っていた。 でも今、生きていてよかったと思える道を確かに歩いている。 だから、あなたにも言いたい。 今日だけでいい。 もう少しだけ、生きてみて。 それを繰り返していけば、いつか景色は変わる。 死んだら、本当に、そこで終わってしまう。 でも、生きていれば、必ず物語は続く。 第七章 救われた経験が、私を「救う側」へ向かわせた 心理カウンセラーになりたい。 そう口にした瞬間、胸の奥で何かが震えた。 それは、夢を語るときの高揚感ではなかった。 むしろ、怖さに近かった。 だって私は、まだ完全には立ち直っていなかったから。 夜になると、過去の言葉が蘇るし、人の声が刺さる日もある。 「こんな私が、誰かを救えるの?」 何度もそう思った。 でも、同時にこうも思った。 ――こんな私だからこそ、分かる苦しみがある。 誰かに「大丈夫?」って聞かれたとき、本当に欲しかったのは解決策ではなかった。 「それは、あなたが悪いんじゃない」 その一言だった。 「つらかったね」 ただ、それだけでよかった。 私はそれをもらえなかった。 だからこそ、それを渡せる人になりたかった。 心理学の本を読み始めた。 専門用語は難しくて、ページをめくる手が止まることもあった。 でも、不思議とやめたいとは思わなかった。 人の心には理由がある。 理不尽に壊れたように見える感情にも、必ず背景がある。 その考え方は、私自身を救ってくれた。 「あのとき、あんなに苦しかったのは弱かったからじゃない」 「限界を超えるほど、追い詰められていただけ」 そう思えた時、過去の自分を初めて抱きしめられた気がした。 いじめられていた自分。 泣きながら学校に行っていた自分。 消えたいと願っていた自分。 全部、無駄じゃなかった。 私はその経験を「黒歴史」にしない。 むしろ、武器にする。 誰かが「死にたい」と呟いたとき。 私は、慌てて否定しない。 「そんなこと言わないで」 なんて、軽々しく言わない。 ただ、隣に座って、同じ高さで言う。 「そこまで追い込まれたんだね」 その一言が、どれだけ人を救うかを私は知っている。 過去の私が、その言葉を求めていたから。 心理カウンセラーになる道は簡単ではない。 勉強も沢山必要で、自分自身と向き合う時間も増える。 正直、不安も大きい。 また傷が疼くかもしれない。 でも、それでもいいと思えた。 私はもう「何もできない被害者」ではない。 痛みを知っている人間として、誰かの人生に寄り添える存在になりたい。 もし、この物語を読んでいるあなたが、今も苦しんでいるのなら。 覚えていて。 あなたが経験しているその痛みは、いつか誰かを救う力になるかもしれない。 今は、そんな未来信じられなくていい。 私だって、信じられなかった。 それでも生きていたから、この場所に辿り着いた。 死ななくてよかった。 本当に、そう思っている。 だから今、死にたいと思っているあなたにも言いたい。 あなたが生きている限り、物語は終わらない。 今日が、人生の底だとしても。 底があるということは、あとは上がるだけだ。 最終章 それでも、生きている 今の私は、昔の私が想像もしなかった場所に立っている。 完璧に強くなったわけではない。 傷が全て消えたわけでもない。 今でも、人の視線が怖くなる日があるし、ふとした言葉で心がざわつくこともある。 でも、あの頃と決定的に違うことは、生きている理由があるということだ。 私は、あの日々を「なかったこと」にしない。 無視されたことも、汚い言葉を投げつけられたことも、 机を蹴られた音も、笑い声の中でひとり立ち尽くしていたあの時間も。 全部、私の人生だ。 誰かに壊された時間じゃない。 私が必死に耐えて、生き延びた時間だ。 心理カウンセラーを目指すと決めた今も不安だ。 人の苦しみに触れるたび、自分の傷が疼くかもしれない。 目の前の誰かの苦しみに心を傾ける度、過去の自分と重ねて一緒に苦しくなるかもしれない。 それでも私は、目を背けない。 なぜなら、あのときの私が誰かに目を背けられて、どれほど孤独だったかを知っているから。 もし、過去に戻れるとしても私は過去の自分にこう言う。 「今は何も信じられなくていい」 「未来のことなんて考えなくていい」 「ただ、生きて」 それだけでいい、と。 生きてさえいれば、世界は、ほんの少しずつ形を変える。 理解してくれる人に出会えるかもしれない。 あなたの痛みを「分かる」と言ってくれる人が現れるかもしれない。 そしていつか、あなた自身が、誰かの暗闇を照らす側になるかもしれない。 私は、いじめられた過去を誇りにはしない。 でも、恥だとも思っていない。 あれは、私が「生きる意味」を見つけるために必要だった遠回りだ。 この物語が今、苦しんでいる誰かの目に触れたなら。 どうか、今日だけでいいから生きてほしい。 明日のことは、明日のあなたに任せたらいい。 人生は、一気に好転はしないけれど、ほんの少しでも、息ができる場所に辿り着ければそれでいい。 私は今、胸を張って言える。 死にたいと思っていたあの日の私が必死に生き延びてくれたから、今の私がここにいる。 だから、生きているだけでもう十分あなたは勝っている。 死にたいと思った日がある人ほど、生きる意味を知っている。 絶望よりもずっと強いものがあるとしたら。 それは、今日も生きているあなた自身だ。

2
2

分からないままでも、生きていい

〜世界のルールブックを持たない私〜 ※この物語は、自身に自閉症スペクトラム障害の可能性があることを知った私の実体験をもとに書いています。 同じように今「分からなさ」を抱えて生きている誰かに、そっと届いてくれたら嬉しいです。 〈あらすじ〉 空気が読めない。 冗談が分からない。 みんなが自然にできることが、どうしてもできない。 そんな私が「もしかして自閉症かもしれない」と知り、それでも大切な人に愛され、幸せに生きている今に辿り着くまでの物語。 分からないままでも、生きていい。 そう思えなかった過去の私と、同じ場所にいる誰かへ。 第一章 自分だけが、世界のルールブックを持っていなかった この世界には、 知らないうちに守られている約束事がたくさんある。 私は、その存在に気づかないまま育った。 中学生の頃、私はクラスの中で誰よりも近くにいたはずの人のことを、誰よりも知らなかった。 昼休み、教室の隅で友達が何気なく言った。 「〇〇ちゃんと△△くん、付き合ってるんだよね」 その〇〇ちゃんと呼ばれる彼女は私の親友だった。 私はその名前を聞いて、少し間を置いてから聞き返した。 「え、そうなの?」 一瞬、空気が止まった。 驚いた顔がいくつも私に向けられる。 「え、知らなかったの?」 「まじで?」 私は、何がそんなにおかしいのか分からないまま、正直に答えた。 「だって、誰も教えてくれなかったから」 すると、その中の一人が本当に不思議そうな顔でこう言った。 「見てれば分かるじゃん」 その言葉は、責めるでもなく、 ただ“当然のこと”として放たれた。 でも私には、その「当然」が分からなかった。 見てはいた。 毎日、同じ教室で。 隣の席で笑い合って、放課後も一緒に帰って、 二人の距離が近いことも、仲がいいことも、ちゃんと見ていた。 それなのに、どうして私はそこから「付き合っている」という答えに辿り着けなかったのだろう。 私は笑って誤魔化した。 「そっか〜、全然気づかなかった」 でも心の中では、小さな違和感がじっと居座っていた。 みんなに出来て、私には出来ないことがある。 その正体が何なのか、どうして出来ないのか、どうすれば出来るようになるのか。 そのどれもが、分からなかった。 それから少しずつ私は「空気が読めない」と言われるようになった。 冗談を真に受けてしまったり、みんなが笑っている場面で、自分一人だけが話の意味を理解できなかったり。 「いや、今の冗談だから」 そう言われて初めて、ああ、今の笑うところだったんだと気づく。 でも、そう気づいた頃には笑うタイミングはもう過ぎていて、私はまた一人ズレた場所に立っている。 暗黙の了解という言葉も、私にはよく分からなかった。 説明されていないことを、どうしてみんなは同じように理解できるんだろう。 「普通は分かるでしょ」 その「普通」が、私にはどうしても分からなかった。 私はいつも、自分だけが世界のルールブックを持っていないような気分だった。 みんなは最初から持っていて、ページをめくりながら自然に生きているのに私のは白紙で、めくるページもない。 ズレているという自覚だけはあった。 でも、何がどうズレているのかが分からない。 分からないから、直しようもない。 それが一番苦しかった。 それでも私は、「気にしすぎなだけ」「考えすぎ」 そう言い聞かせながら笑って過ごしていた。 自分が何か決定的に違うなんて、その時はまだ思っていなかった。 この世界が生きづらい理由に、名前があるなんて知る由もなかった。 第二章 みんなが知っていることを、私だけ知らなかった 「○○ってさ、空気読めないよね」 その言葉を、私は何度か聞いた。 でも、最初に言われた日のことは今でもはっきりと覚えている。 放課後の教室だった。 何人かで集まって、他愛もない話をしていた時のことだ。 誰かが冗談を言って、みんなが笑った。 少し遅れて、私も笑った。 すると、隣にいた子が小さく言った。 「今の、冗談だよ?」 私は一瞬、何を言われたのか分からなかった。 冗談だということは分かっている。 でも、どこがどう冗談だったのかが分からない。 「うん、分かってるよ」 そう答えたけれど、その声は自分でも分かるくらいに少し震えていた。 別の日には、こんなこともあった。 誰かが言った言葉をそのまま受け取って、私は真面目に答えた。 すると、周りがどっと笑った。 「ちがうちがう、そういう意味じゃないから」 「本気にしないでよ」 私は、何が間違っていたのか分からないまま、ただ一緒に笑うふりをした。 あとから、また言われる。 「空気読めないよね」 その言葉は怒っているわけでも、強く責めているわけでもなかった。 だからこそ、余計に困った。 空気って、何だろう。 読むって、どうやるんだろう。 教科書に載っていない。 誰も、やり方を教えてくれない。 なのに、出来ないと「変」になる。 私はだんだん発言しなくなった。 何か言おうとしても、頭の中で一度止まる。 これ、言っていいのかな。 今、真面目に返して大丈夫かな。 冗談だったらどうしよう。 考えているうちに話題は次に移ってしまう。 気づけば私は聞く側に回ることが増えていた。 それでも「見ていれば分かる」世界は、私には最後まで分からなかった。 雰囲気で察する。 その“雰囲気”が私には見えない。 みんなが同じ方向を見て、同じタイミングで理解していく中で、私はいつも半拍遅れて立ち止まっていた。 ズレている。 でも、どこがズレているのか分からない。 間違えた理由が分からないから、次にどうすればいいのかも分からない。 私は、何度も自分に問いかけた。 どうして、みんなには分かるんだろう。 どうして、私だけ分からないんだろう。 努力が足りないのかな。 ちゃんと見ていないからかな。 考えが浅いからかな。 答えはどこにもなかった。 ただ一つ分かったのは、私はこの世界で生き方を間違えている気がするという感覚だけだった。 私は「そんなことないよ」と言ってほしかったわけではない。 ただ、分からない理由を知りたかった。 第三章 説明されないことばかりの世界で 「もういいよ」 その言葉を聞く度に、私の頭は一瞬で真っ白になる。 何か頼まれ事をこなしている時に相手が私に投げかけるこの言葉。 何が、もう、なのか。 どこまでやればいいのか。 終わっていいのか、続けていいのか。 それとも代わってほしいという意味なのか。 言葉は短いのに選択肢だけが頭の中に増えていく。 「適当にやっといて」 適当って、どこからどこまでだろう。 失敗しない範囲? 怒られない程度? それとも、完璧じゃなくていいという意味? 私はその度に心の中でいくつも質問を並べる。 でも、それを口に出す前に相手の表情を見てしまう。 今、聞いたら面倒かな。 また細かいって思われるかな。 そう思って、何も聞けなくなる。 結果、間違える。 「そうじゃない」 「違うって言ったじゃん」 違うの中身が分からない。 何が違って、どこを直せばいいのか。 その説明はいつも省略されている。 私はいくつかのことを一度に頼まれることがある。 仕事でも、日常生活でも。 「これとこれとこれ、お願い」 頭の中でそれらが一気に並ぶ。 でも、どれから手をつければいいのかが分からない。 「どれからやればいい?」 そう聞くと、だいたい返ってくる言葉は決まっていた。 「どれからでもいいよ」 その瞬間、私は動けなくなる。 どれからでもいいという自由は、私にとっては一番難しい指示だった。 順番が決まっていないと、何を基準に選べばいいのか分からない。 早さ?重要度?気分? みんなが自然にやっているその判断が、私には出来なかった。 だから私は、いつも一歩遅れる。 周りが動き出したあとで、ようやく最初の一歩を出す。 それを見て、誰かがため息をつく。 「まだやってないの?」 「ぼーっとしてた?」 違う。 ぼーっとなんてしていない。 頭の中では必死に考えている。 間違えないように。 怒られないように。 ちゃんと正解に辿り着けるように。 でも、その考える時間は誰にも見えない。 だから私は、人からは怠けているように見える。 考えが足りないように見える。 理解力がないように見える。 私はだんだん自分でもそう思うようになった。 私が悪いんだ。 私の頭が足りないんだ。 私はいつも謝っていた。 何に対してのごめんなのか自分でも分からないまま。 謝ることで場が収まるならそれでいいと思っていた。 でも、心の中ではずっと同じ疑問が残っていた。 どうして、説明してくれないんだろう。 どうして、分かる前提で話すんだろう。 私はいつも一歩手前で取り残されていた。 まるで、自分だけが授業を教わらないままテスト会場に放り込まれているみたいだった。 答えの書き方も、採点基準も知らされない。 それでも、間違えれば×はつく。 私はその×を、全部自分の価値だと思っていた。 この頃の私はまだ「私が悪い」という答えしか持っていなかった。 第四章 分からない理由が、分からなかった。 中学を卒業すれば、 高校生になれば、 大人になれば。 時間が経てば、自然と分かるようになると思っていた。 「慣れれば大丈夫」 「経験を積めばできるようになる」 そう言われる度に、私はそれを信じようとした。 でも、何も変わらなかった。 場の空気を読めない。 冗談や暗黙の了解を理解できない。 本音と建前が分からない。 曖昧な指示にいつも立ち止まってしまう。 むしろ、大人になるほど苦しくなっていった。 子どもの頃は「まだ分からなくても仕方ない」で済んだことが、大人になると許されなくなる。 「そのくらい分かるでしょ」 「いちいち聞かなくてもさ」 その言葉が、胸に刺さる。 私は、分からないことを分からないままにするのが怖くて何度も確認した。 でも確認すればするほど、「細かい」「面倒」「考えすぎ」 そんな空気が伝わってくる。 だから、聞くのをやめた。 分からないまま勘で動くようになった。 当然、間違える。 「なんでそうなるの?」 「普通、そうはならないよね」 普通。 その言葉が、私を一番追い詰めた。 普通って、何だろう。 普通じゃない私は、どこに立てばいいんだろう。 私は少しずつ、自分の感覚を信じなくなった。 どう思うかより、どう思うべきか。 どう感じるかより、どう振る舞えば正解か。 そうやって生きているうちに、自分の輪郭が少しずつ曖昧になっていった。 それでも私は「ちゃんとしている人」になりたかった。 みんなと同じように、自然に会話して、自然に笑って、自然に生きたかった。 でも、どれだけ頑張っても、どこかで必ずズレる。 その度に心の中で小さく音がした。 また失敗した。 またできなかった。 私は「分からない自分」を必死で隠すようになった。 分かったふりをして、曖昧に頷いて、なんとなくやり過ごす。 それは、生きるための術だった。 でも同時に、自分を削る行為でもあった。 夜、一人になると、どっと疲れが押し寄せる。 今日もちゃんと出来なかった。 今日もどこかおかしかった。 そんな日々が当たり前になっていった。 この頃の私は 「自分は努力不足なんだ」「理解力がないんだ」 そうやって、自分を説明していた。 他に理由があるなんて考えもしなかった。 分からないことに、名前があるなんて。 それが、この人生の折り返し地点だなんて。 私はまだ知らなかった。 第五章 欠点だと思っていたものの名前 彼と出会ったのは、私がもう「自分を諦めること」に慣れ始めていた頃だった。 最初は、特別な何かを期待していたわけじゃない。 ただ、一緒にいて楽だった。 沈黙が苦じゃなくて、無理に話題を探さなくてもよくて、 私が少しズレたことを言っても笑って流してくれた。 それだけで、十分だった。 付き合い始めてしばらくは穏やかな時間が続いた。 でも、一緒に過ごす時間が増えるにつれて少しずつ違和感が浮き彫りになっていった。 「これ、やっといて」 「あとで適当にやってくれればいいよ」 その言葉に、私は動けなくなる。 何を? いつ? どこまで? 頭の中で質問が渋滞して、体が固まる。 彼は不思議そうな顔で言った。 「え、そんなに難しいこと言ってないけど」 その瞬間、胸がきゅっと縮む。 まただ。 また、分からない。 私は勇気を出して聞く。 「どこからやればいい?」 「これは、今?後で?」 すると彼は、少し苛立ったように息を吐いた。 「どれからでもいいよ」 「普通、分かるでしょ」 その「普通」が私には分からない。 でも、それを説明できない。 「なんで分からないの?」 そう聞かれても、私自身が一番知りたかった。 なんで分からないのか。 喧嘩は、いつも同じ形だった。 彼は「伝えたつもり」になっている。 私は「何も受け取れていない」 説明が足りないと言えば、彼を責めているみたいで言えなかった。 分からないと言えば、呆れられる気がして怖かった。 だから私は黙ってしまう。 黙ると、彼は言う。 「何考えてるか分からない」 「ちゃんと言ってよ」 言いたい。 でも、言葉が見つからない。 その夜、私は布団の中で泣いた。 分かり合えない。 好きなのに、一緒にいたいのに、どうしても噛み合わない。 「私が悪いんだ」 結局そう思うのが、一番楽だった。 だって、原因が自分なら直せるかもしれないから。 でも直し方が分からない。 私は、出口のない場所でぐるぐると同じところを回っていた。 それでも彼は、私から離れなかった。 怒った後でも、黙ったままの私の隣に座っていた。 「ごめん」 「俺も言い方悪かった」 その言葉に胸が痛くなる。 私のせいで優しい人を傷つけている。 この関係もいつか壊れるのだろうか。 そんな不安を抱えたまま、私たちは一緒に時間を重ねていった。 まだこの時は、知らなかった。 彼が、少しずつ考え始めてくれていたことを。 「もしかして、分からないんじゃなくて、分かり方が違うだけなんじゃないか」 その問いが、すべてを変えていくことを。 第六章 もしかして、という言葉 ある日、彼がぽつりと言った。 「前から、ちょっと思ってたことがあるんだけどさ」 その声は、責めるでもなく、決めつけるでもなく、ただ慎重だった。 私は、少し身構えた。 また私が変だという話だろうか。 「怒らないでほしいんだけど」 彼はそう前置きしてからゆっくり続けた。 「分からないんじゃなくて、俺と“考え方の道順”が違うだけなんじゃないかなって」 道順。 その言葉が、胸に残った。 「例えばさ、俺は一から十まで頭の中で勝手に補って進むけど、あなたはちゃんと一から順番に並んでないと進めない」 私は、何も言えずに頷いた。 「それってさ、どっちが正しいとかじゃないと思うんだよ」 そして私は、自分でも驚くほど静かな声で言った。 「私、発達障害なのかな」 彼は少し照れたように笑って、こう言った。 「正直に言うとね、出会ったときから“もしかして?” って思ってた」 心臓が、どくんと鳴った。 「会話がたまに噛み合わなかったり、冗談が通じなかったり、行動がちょっと子供っぽかったり」 私は、思わず視線を落とした。 恥ずかしさと、怖さが一緒に込み上げる。 でも彼は、すぐに続けた。 「でもさ、それが可愛いって思った」 顔を上げると、彼は真っ直ぐ私の目を見ていた。 「おもちゃ屋で目をキラキラさせるところとか、シール貼って遊んでるところとか、ぬいぐるみ大事にしてるところとか」 「普通に考えたら、子供っぽいって言われるのかもしれないけど」 彼は少し困ったように笑った。 「俺は、そういうところに惹かれて好きになったんだよ」 心がじんわり熱くなる。 「だからね、もし自閉症だったとしても、今さら何も変わらない」 「分かってた上で、好きになったみたいなもんだし」 その言葉は、私の中でゆっくり沈んでいった。 「まぁ変わるとしたら、俺のやり方かな」 彼はそう言って、少し考えてから言った。 「これからは、一から十まで説明するよ」 「主語も省かないし、冗談も、ちゃんと冗談って言う」 「分からなかったら、分からないって言っていい」 その一つ一つが、今まで欲しかった言葉だった。 それでも、私はまだ怖かった。 本当に、そんな風にうまくいくんだろうか。 彼に理解してもらえたとしても、私は、私を受け入れられるのだろうか。 その答えはまだ見えなかった。 でも、初めてだった。 「私が変なわけじゃないかもしれない」 そう思えたのは。 第七章 光は、許可を取ってから 自閉症という言葉を知ってから、私は自分の中にある違和感を少しずつ言葉にできるようになった。 光の眩しさが、人よりもずっと強く刺さること。 朝、まだ夢と現実の境目にいるとき、突然カーテンを開けられたり何も言わずに電気をつけられると頭が真っ白になってしまうこと。 説明しなければ、きっと誰にも伝わらない。 だって「朝は明るい方がいい」「朝起きたら日光を浴びた方がいい」 それが、この世界の常識だから。 自閉症には、感覚過敏という特徴がある。 光、音、匂い、触感。 人によって違うけれど、私の場合は光だった。 太陽の光も、蛍光灯の白さも、予測できていないとそれは痛みに近い感覚になる。 それを彼に話したとき、彼は驚いた顔をしてから静かに頷いた。 「そっか…嫌っていうより、つらいんだね」 翌朝。 私は、いつものように布団の中でうっすら目を覚ましていた。 「電気、つけてもいい?」 その声が、耳に届いた。 一瞬ではその言葉を理解できなかった。 今まで、そんなことを聞かれたことはなかったから。 「…うん」 私がそう答えてから、電気がついた。 明るさは変わらないのに、世界はまるで違って見えた。 カーテンも同じだった。 「カーテン、開けるね」 たったそれだけ。 でも、心の奥に溜まっていた緊張がすっと抜けた。 予測できる光は、痛くなかった。 彼は何も大げさなことは言わなかった。 ただ、当たり前のように続けた。 「今日はこれから、洗濯して、買い物に行って、そのあとご飯を作るけど」 「順番は、洗濯→買い物→ご飯でいい?」 私は、その場で泣きそうになった。 これとこれとこれをやってと言われると混乱していた私に、初めて道順が示された。 「どれからでもいいよ」 その言葉に、今まで何度も立ち尽くしてきた。 でも彼は、もう言わなかった。 「分からなかったら、止まっていいからね」 その一言で、世界は少し優しくなった。 第八章 ぶつかって、壊れそうになって それでも、突然全てがうまくいくわけじゃなかった。 ある夜、彼が説明してくれた話を私は理解できなかった。 頭の中で、言葉が絡まってほどけなくなった。 「…ごめん、分からない」 そう言った瞬間、彼の表情が曇った。 「え、ここまで説明してるのに?」 その言葉に、胸が締め付けられた。 「なんで分からないの?」 なんでって言われても、分からない。 分からない理由が、分からない。 私は黙り込んだ。 彼は苛立ったように、ため息を吐いた。 その空気は、昔と同じだった。 「やっぱり、私が悪いんだ」 頭の中で、そう思った。 自閉症かもしれないと知っても、長年染みついた自己否定は簡単には消えなかった。 でも、彼はその場を離れた後、しばらくして戻ってきた。 「ごめん」 その声は、低くて、まっすぐだった。 「俺、“分からない”って言われると、自分を否定された気になってた。俺の説明が下手なんだって。」 彼は、私の隣に座った。 「でもさ、分からないのはあなたのせいじゃない」 私は、涙をこらえながら頷いた。 「一回、最初から話そう」 「一から、本当に一からでいい?」 その言葉に、胸が震えた。 「…うん」 この人は、変わろうとしてくれている。 私のために。 第九章 ルールブックを分けてもらえた日 昔、私は思っていた。 自分だけが世界のルールブックを持っていない。 みんなが自然に守っている規則が私には見えなかった。 察する、空気を読む、暗黙の了解。 全部、私のには載っていない。白紙のページだった。 でも今は違う。 彼は、ルールブックを私の前に広げてくれる。 「ここは、こういう意味だよ」 「これは、冗談ね」 「これは、今じゃなくていい」 隣で一緒に、ページをめくってくれる。 私の表情を確かめながら一つずつ教えてくれる。 完璧じゃない。 時々、またぶつかる。 それでも、私は、もう一人じゃなかった。 第十章 名前がつく前の宙ぶらりん 私はそんな日々の中で、ようやく覚悟を決めて検査を受けに病院へ行った。 様々なテストや検査を受け、結果を聞くまでの時間は思ったよりも長く感じた。 頭では腑に落ちて納得しているはずなのに、心のどこかでは名前がつくことを恐れている自分がいた。 もし、「自閉症スペクトラム障害です」そう言われたら。 私は、安心するんだろうか。 それとも、壊れてしまうんだろうか。 頭では分かっていた。 今までの苦しかった理由に、説明がつくだけだということ。 私の努力不足でも、性格の欠陥でもなかった。 それでも「自閉症」という言葉を自分に当てはめるのが、 どうしても怖かった。 だって、私はずっと“普通”になろうとして生きてきたから。 彼は、そんな私をよく見ていた。 「無理に受け入れなくていいと思うよ」 そう言って、私の手を握った。 「名前がついても、つかなくてもあなたがあなたであることは、何も変わらない」 「どんなあなたも、俺の中ではずっと可愛くて大好きな女の子だよ」 それは、簡単な慰めの言葉じゃなかった。 一緒に悩んで、一緒にぶつかって、 それでも離れなかった人の言葉だった。 第十一章 それでも、幸せはここにある 私は、今も完璧じゃない。 冗談は相変わらず分からないことが多い。 「適当にやっといて」と言われると未だに立ち止まってしまう。 予定が急に変わると、心が追いつかない。 眩しさは、今も苦手だ。 でも、朝「電気つけるよ」「カーテン開けるね」 その一言があるだけで一日は穏やかに始まる。 彼は、私を特別扱いしているつもりはない。 ただ、私に合うやり方を選んでいるだけだ。 「これから何する?」 「まずこれ、次にこれでいい?」 それだけで、私はちゃんと動ける。 世界は、変わっていない。 変わったのは、私の隣にいる人と私自身の見方だった。 第十二章 子供っぽさという宝物 私は、今も子供っぽい。 おもちゃ屋が好きで、シールを集めて、ぬいぐるみを並べて、幼稚園児が描くような絵を描く。 昔は、それを恥ずかしいと思っていた。 大人なのにどうしてできないんだろうって。 でも彼は、笑って言う。 「それ、あなたの才能だと思うよ」 「そのまま好きなものを好きって言えるところ」 「世界を、ちゃんと面白がれるところ」 私は、初めて思った。 子供っぽさは欠点じゃない。 私が、世界を感じるための大事な感覚なんだって。 最終章 分からないまま、愛されていた 今でも、私は思う。 自分だけが、世界のルールブックを持っていなかったんだって。 でも今は、違うページを読んでいるだけだ。 人より時間がかかってもいい。 一から十まで、説明してもらってもいい。 立ち止まっても、混乱してもいい。 私には、隣で一緒に読んでくれる人がいる。 そしてもしこの物語を、どこかで誰かが読んでいるなら。 同じように、世界が分からなくて、苦しくて、自分を責めている人がいるなら。 伝えたい。 あなたが悪いんじゃない。 あなたは、人と違うルールで生きているだけ。 そして、幸せになる権利はちゃんとある。 私は今、幸せだ。 不器用でも、分からないことが多くても。 ちゃんと、愛されている。 世界のルールは最後まで分からなかったけど、それでも私は、愛される場所にちゃんと辿り着いていた。

7
1

彼の隣で、息をしている

あの頃の私は、先のことを考えないようにして生きていた。 未来を思い描かなければ、失望もせずに済むと思っていたからだ。 朝が来ることに理由はなく、夜が明けることにも意味はなかった。 ただ日々をやり過ごしながら、心だけがどこにも辿り着けないまま立ち止まっていた。 今振り返るとあれは「生きている」というより「終わらせないでいるだけ」の時間だったのだと思う。 そんな私は美容室の椅子に座ったあの日、人生が変わるなんて思ってもいなかった。 いつか振り返る日のために私は今、この瞬間を書き留めようとしている。 第一章 出会い 高校を卒業した私は、少しだけ大人になった気がして初めてその美容室を訪れた。 流行りのKーPOPが流れる店内、スタッフはキラキラしたお兄さんとお姉さんばかりで、どこか落ち着かない空気が漂っていた。スタッフは全員マスクをしていて、みんな同じように見える。その中で特別輝く人がいた。 目元しか見えないその彼と、ほんの一瞬目が合っただけだった。 それだけで胸の奥に張り付いていた重たい何かがすっと緩んだような気がした。 そしてあまりにも自然に「あ、好きかもしれない」と思った。 不思議なことに、その気持ちは私の中だけのものではなかったらしい。 後に彼から聞いた話では彼自身も、同じ瞬間に、同じような感覚を抱いていたのだという。 なぜその時、そのような感覚を抱いたのか理由は分からなかった。 ただ、その瞬間私は久しぶりに「ここに居ていい」と思えた。 恋に落ちたという言葉では足りない。 救われたというほど劇的でもない。 それはもっと小さくて、もっと確かな感覚だった。 まるで止めていた呼吸を、ほんの少しだけ思い出したようなそんな出会いだった。 第二章 今、ここにいる私 私は今、人生の中でいちばん穏やかな場所に立っている。 あの頃の自分が想像もしなかった場所にいる。 朝、目を覚まして、隣で眠る彼の呼吸を確かめるように聞きながら今日という一日を始めている。 特別な出来事があったわけではない。 派手な幸せがあるわけでもない。 それでも、心には確かな温度がある。 ただ、彼が隣にいる。それだけで私の世界は静かに整っていった。 いつの間にか、当たり前のように彼の声を探す自分がいた。 幸せは突然やってくるものではなく、気づいた時にはもうそこにあるものなのだと思う。 もちろん不安が完全になくなったわけではない。 心が揺れる日も、弱くなる瞬間も、今でもある。 それでも私は、もう一人で立ち尽くしてはいない。 彼は、私の全てを変えたわけではない。 私の世界に静かに根を張って、何度も現実へ引き戻してくれただけだ。 ここに居ていいよと、言葉にせずともそう伝えてくれる存在が私の隣にいる。 幸せすぎて涙が溢れる夜がある。 これはきっと幸せを感じられることで、ちゃんと生きているという実感が胸いっぱいに広がるからだろう。 私は、彼と出会ってから未来を考えることを少しずつ怖がらなくなった。 明日が来ることを、ただ耐えるだけの日々ではなくなった。 ここまで書いた物語は、私がまだ幸せを知らなかった頃の話だ。 でも、この物語を読み進めるあなたにはもう分かってほしい。 私は今、ちゃんとここにいる。 第三章 少しずつ、特別になる それから私は、迷うことなくその美容室に通うようになった。 髪を整える理由はいつも同じなのに、予約を入れる度に少しだけ気持ちが弾んだ。 その日、彼は出勤しているだろうかと。 ドアを開けて店内を見渡し、彼の姿を見つけるとそれだけで一日がうまくいく気がした。 なにかを期待しているわけではない。 ただ、同じ空間に居られることが嬉しかった。 数回通った頃、ふと美容室のインスタグラムを覗いた。 投稿を遡っていくうちに彼のアカウントを見つけた。 少しだけ迷って、それから思い切って、そのアカウントにメッセージを送った。 ほんの短い挨拶だけの文章だったのに送信ボタンを押した後、心臓がうるさくて仕方なかった。 返事は思っていたよりもずっと早く私の元に届いた。 画面に彼の名前が表示された瞬間、嬉しさのあまり私は一人でそっと笑ってしまった。 それから私たちは言葉を重ねるようになった。 最初は丁寧で少し距離のあるやり取り。 それが次第に冗談が混ざり、一日の終わりに連絡を取ることが自然になっていった。 それから一緒に食事に行くようになり、休みの日に会うようになった。 美容師と客だった関係は、気づけばもう名前で呼び合う関係になっていた。 一緒に笑って、他愛もない会話をして、帰り道で「またね」と言う。 それだけのことなのに心がじんわりと満たされていく。 彼はまだアシスタントで、忙しそうな日も多かった。 それでも、会える時間を大切にしてくれていることが態度で伝わってきた。 私は、いつの間にか「次はいつ会えるかな」ではなく、「この人とこれからも一緒にいたいな」と思うようになっていた。 繰り返す日々の中で、私はいつからか彼がいる日常を前提に物事を考えるようになっていた。 恋に落ちたというより、気づけばもう戻れないところまできていた。 それでも不安はなかった。 焦りも、疑いもなかった。 ただ、静かに確信だけが育っていった。 ーこの人は、私にとって特別になる。  第四章 海の音だけが聞こえていた ある夜、突然彼から会いたいと連絡がきた。 その日は会う約束をしていなかったので、私はそのイレギュラーなお誘いに心が躍った。 彼の車でドライブをして、着いたのは静かな夜の海だった。 私は、海に連れてきてくれたことの意味を深く考えていなかった。 ただ、夜の海が好きだと何気なく話したことを彼が覚えていてくれただけだと思った。 駐車場に停めた車の中で波の音が遠くに聞こえていた。 静かで、穏やかで、時間がゆっくり流れているようだった。 少しして、彼が口を開いた。 「…ずっと、ちゃんと伝えたかった。」 その声は、仕事中よりも、普段よりも少しだけ低く震えていた。 「俺はあなたことが好き、遅くなってごめんね。」 「絶対悲しい思いはさせないから付き合ってほしい。」 車の中はやけに静かで、私の心臓の音だけが大きく響いていた。 その言葉を聞いた私は、驚きよりも、安心が先にきた。 ああ、やっぱり私たちは同じところを見ていたんだ。 私は、しっかりと頷いた。 言葉にせずとも、答えは一つしかなかった。 彼がほっとしたように優しく笑って、私たちは顔を見合わせた。 その瞬間、胸の奥にあった最後の重さが静かにほどけていくのを感じた。 私は、この人と同じ場所に立てたんだ。 海の音は変わらないのに世界だけが、少し明るくなった気がした。 私たちの恋は、その夜何かを始めたというより、やっと同じ名前を持った。 第五章 当たり前になっていく光 恋人になったからといって、世界が急に変わったわけではなかった。 それでも、朝起きてスマホを見ると彼からの短いメッセージが届いている。 それだけで、私が一日を始められる理由になった。 お互いに忙しい日もあった。 会えない時間が続くこともあった。 それでも、次に会える日を指折り数えるだけで心はちゃんと前を向いていた。  彼は、相変わらず美容師として成長していった。 疲れた顔で帰ってくる日もあれば、うまくいった話を嬉しそうに聞かせてくれる日もあった。 私はただ、その隣にいた。 話を聞いて、頷いて、時々「えらいね」と言うだけだった。 それなのに彼はよく言った。 「あなたがいるから頑張れる」と。 その言葉を聞く度に胸がじんわりと温かくなった。 私も、同じだったから。 彼がいるだけで、心が現実に繋ぎ止められる感覚があった。 以前の私は、ただ今日を乗り越えることだけで精いっぱいだった。 明日を考える余裕なんて、なかった。 そんな私がいつの間にか「来月」や「来年」の話を自然にするようになっていた。 どこへ行こうか。 何を食べようか。 そんな小さな未来の話が、こんなにも心を安心させるなんて知らなかった。 夜、彼の隣で過ごす時間が増えるにつれて、私は少しずつ自分の弱さを隠さなくなった。 不安になること。 気持ちが沈む日があること。 うまく言葉にできない日があること。 彼は、すべてを聞こうとはしなかった。 ただ、離れずにいてくれた。 それが、どれほど救いだったのかを私は何度も噛みしめた。 ある日、何気なく過ごしていた時間の中で私たちは同じタイミングで同じものを見て笑った。 その時、はっきりと分かった。 私はもう、一人じゃない。 恋というものは、激しくひたすらに燃え続けるものだと思っていた。 だけど本当は、こうして静かに灯り続けるものなのかもしれない。 消えないように、守るように、ただ隣で生きていく。 そんな日々の中で、私たちは特別な話し合いをしたわけでもなく、大きな約束をしたわけでもなく、それでもいつの間にか「これから先」を同じ向きで見るようになっていた。 第六章 今、ここにある幸せ 私は今、信じられないほど幸せだ。 これを大袈裟だと思う人がいたとしても構わない。 本当に胸がいっぱいになって、涙が出るほど幸せだ。 やはり幸せは音を立ててやってくるものではなかった。 気づけば私の中に自然に根を張っていた。 彼が隣にいるだけで、世界は優しくなる。 未来を考えることが怖くなくなる。  この恋が特別なのは、劇的だからではない。 朝の挨拶や、他愛もない会話、帰り道の空気まで、すべてが自然に愛おしくなったからだ。 私は今、そんな日々の真ん中にいる。 この人がいなければ生きていけないなんて言葉は使いたくなかった。 依存のように聞こえるそれが嫌だった。私は強くいたかった。 それでも今は、はっきりと胸を張って言える。 この人は私の人生に必要不可欠な存在だ。 隣にいる時の安心感も、何気ない会話も、沈黙さえも、すべてが自然だった。 無理をしなくていい。飾らなくていい。 私はただ、私のままで、彼の隣にいられる。 あの時、美容室の椅子に座っていた私がこんな未来を想像できただろうか。 たった一度、目が合っただけの出会いから、ここまで続く恋になるなんて。 その時の私に、今なら伝えたい。 その出会いは、あなたの人生をそっと変えるよ。 私たちは、結婚の約束をしている。 大袈裟な言葉も、派手な演出もなかった。 ただ、自然な流れの中で「これから先も一緒にいる」という選択を同じ温度で重ねただけだ。 ああ、私はこの人に生きる前提をもらったんだ。 誰かと未来について話すこと。 誰かと時間を重ねていくこと。 それを「当たり前」にしてくれた人。 未来が怖くないのは初めてだ。 何が起きても、この人となら乗り越えられると迷いなく思えるからだ。 この先、どんな日々が待っていたとしても、あの日の一目惚れを信じて良かったと何度でも思うのだろう。 約束は、指輪でも書類でもなく、もっと前からここにあった。 同じ方向を見て、同じ速さで歩いて、立ち止まるときは隣にいる。 それだけで十分だと心から思えた。 彼がいる人生を選べたことが私の人生で一番の財産だ。 私は、彼の隣で息を吸った。 ちゃんと、深く、生きるための呼吸を。 ーこの人生を、彼と生きると決めた。 最終章 彼の隣で、息をしている 今、私は彼の隣にいる。 特別な場所じゃない。 何度も過ごしてきた部屋で、変わらない日常の中に、変わらない安心がある。 彼は、いつも通りの声で話して、いつも通りの手つきで私の存在を確かめるみたいに触れてくる。 それだけでいい。 昔の私は、生きる理由を探し続けていた。 見つからない答えを握りしめたまま今日をやり過ごすことに必死だった。 未来は遠くて、明日は重くて、呼吸をすることさえ時々難しかった。 そんな私が、誰かの隣でこんな風に穏やかに息をしている。 それは奇跡みたいな出来事で、同時に、とても静かで自然なことだった。 彼は、深い闇の底から私を無理に引き上げたりはしなかった。 何もできない夜も、言葉が出てこない日も、変わらずそこにいてくれた。 その時間が私を生かした。 「生きなきゃ」ではなく、「生きたい」と思える場所をくれた。 一目惚れなんて本当は信じていなかった。 それなのに、あの一瞬から始まったこの恋がこんなにも長く、深く、私の人生に根を張っている。 私はもう、終わらせることを考えて生きていない。 この先の時間をどう過ごすかを彼と話している。 今日も私は、この人と生きる人生を選び続ける。 迷いながらも、手を離さずに。 彼の隣で。 今日も私は、彼に生かされ、彼の隣で、息をしている。

1
0