まつり

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まつり

雪と春

初めはいけ好かない奴だった。紹介も素っ気なくてまるでこっちを品定めしてるようなそんな目が印象的で大人しそうで冷たそうな女だった。 「きよあき〜あの転入生、どう思う?」 昼休み。話しかけてきたのは隣の席の祐介(ゆうすけ)。誰とでも男女関わらず話す明るいのが俺の祐介への印象だ。転入生が来たとなれば真っ先に声をかけて一緒に飯でも食おうぜ!と誘うのがいつもの流れだった。そんな祐介がこんな探るようなことを言うなんて俺の感覚はやっぱりおかしくなかったらしい。 「話してもないしなんとも言えないけど……俺はあんまり合わないかもな」 「俺も。なんか直感的に無理だったわ。なんか、怖ぇ」 「それ。なんて言うんだろう。……冷たい?みたいな」 陰口のようで褒められたものじゃないが、そんな話をしながら祐介と昼飯を食った。冷えた飯は固く、喉に詰まらせた。胸の当たりを叩き、急いでお茶を飲む。ふぅ……何とか窒息せずに済んだ。顔を上げた時違和感がいた。オーロラのような人影が目の前をよぎった。その前には転入生。そういうことか。 「おーい。大丈夫かー?喉詰まらせて酸素回ってないのかー?」 「ごめん祐介。ちょっとトイレ」 「お、おう。行ってらっしゃい」 あの転入生は……。昼休みの廊下は人が多い。見失ってしまった。確かにこっちに。 「私の事、探してるの?」 急に耳元で声がしたのでひっ!っと情けない声が出てしまう。声の方を振り返ると転入生がいた。 「て、転入生」 「失礼ね。転入生なんて。松戸雪(まつどゆき)って自己紹介したはずだけど。同じクラスでしょ。真ん中の列の1番後ろの人」 相変わらず冷たい雰囲気の松戸は口調も冷たかった。言葉が淡々としていて言葉一つ一つに角を感じる。 「松戸さんだって俺の事、名前で呼んでないじゃん。って、まだ自己紹介してなかったね。俺は」 「別にいいわ。学級日誌読んだから名前は知ってるし。それにどうせここも長くないから」 「え?それってどういうこと」 「人の事情に突っ込まないでよ。貴方に話す義理が無いわ。で、私に用があったの?私の事追いかけて廊下に出たでしょ」 「あ、あぁ。えっと。松戸さんってどうしてうちの高校来たの?」 「別に。ここが学力的にもちょうど良さそうだっただけだけど」 「そっか。……すごく失礼なこと聞くんだけど。もしかして、前の高校で嫌なことあった?」 「……知ってるの?」 その時、俺は突き飛ばされたように後ろに倒れた。もちろん、松戸にじゃない。その後ろにいるそれにだ。 振り返った時からオーロラのように美しくて、靄みたいに曖昧でしか見えない人型のそれが松戸の後ろに見えていた。この様子だとそれのことを松戸も知らないようだ。 「ちょっと君!いきなり押し倒すなんて!おい、大丈夫か?打ちどころが悪かったら脱臼や骨折だって有り得るんだぞ!わかってるのか!」 首を突っ込んできたのは体育教師の東谷(あずまや)だった。熱血漢で人情深く、ユーモアもあるので生徒には人気だ。でも、今はタイミングがあまりにも悪かった。 「あ、東屋先生!俺は大丈夫ですから!それに押し倒されたんじゃなくて俺が急に足つっちゃって。そのままバランス崩して倒れただけなんですよ!」 「本当か?……お前がそう言うならそうなのか。いきなり怒って悪かったな」 東谷は松戸に向けて深く頭を下げどこかへ行った。でも、こんなに周りの人が居る時にこの騒動は良くない。 「松戸さ」 「寄らないで!……今度は本当に怪我させちゃうから。もう寄らないで」 彼女はそのまま廊下を走っていった。 「ねぇ。今のは無くない?」 「怒られてあの態度はね……」 「てかあの人誰?知ってる?」 「あれ、うちのクラスに来た転入生じゃね?」 「初日から暴力騒動とか……」 「前の高校でもあんなんだったんじゃね?」 「あぁ〜。だから……」 周りの偏見が強くなる。これは本当にまずいかも。キーンコーンカーンコーン。予鈴がなった。とりあえず教室に帰らないと。 次の授業、松戸は出なかった。その次も、その次も。担任に聞くと体調がすぐれないらしく3時間とも保健室に居たらしい。いつもより手短にホームルームが終わった。担任は足早に教室を出て行く。多分、松戸のところだろう。担任とは違う道で急いで保健室に向かう。松戸のことを聞いて松戸の所まで行くという一連の流れを担任に見られると面倒を押し付けられる気がしたから、あえて担任と違う道を通る。保健室が見えたところで扉が閉じた。多分担任も今入ったんだろう。聞き耳を立てると会話がうっすらと聞こえる。 「松戸さん。クラスはどうかな?」 「……まだなんとも」 「明日は授業出れそう?」 「……頑張ります」 「そう。前の学校のことは事故なんでしょう?貴方が悪いんじゃないならそんなに気に病まなくていいのよ」 「……はい」 「今日の学校は終わったからなるべく早く帰りなさいね」 会話が終わったらしく急いで右手側の階段裏に隠れる。担任は左手側の職員室に向かったのだろう。担任の姿が見えなくなったところで保健室に入る。 「松戸さん。いる?」 「なんであんたが来たの?今日の昼に痛い目見たでしょ?」 「松戸さんがやったんじゃないだろ?」 「でも……近づくなって言ったじゃない」 「松戸さん。俺、見えてるよ。そいつのこと」 「え?」 「俺、昔からお化けとかそういうのが見えるんだ。松戸さんは?見える?」 「いいえ。見えないわ」 「松戸さん。お父さん亡くしてるでしょ」 「……えぇ。小さい頃に、お父さんは死んだわ」 「松戸さん、今日ずっと気を張ってるでしょ」 こういうのはもう慣れてる。なんとなく必要なことはわかってる。まず、心を開いてもらわないと。 「どれくらいそれに悩まされてる?」 「……中学3年生の時に初めてそういうことが起きたわ。私、他の人と合わせるとか足並みを揃えるとか苦手なの。相手の気持ちを分かろうとはしてる。でも、気遣って接したら余計なことばっかりって言われて。それでも、友達は居たわ。でも、その子たちにも呆れられちゃて。友達として居るのも面倒って言われたの。その時2人怪我させたわ。状況的にも私が悪者で。そりゃそうよね。だって、お化けがやったなんて誰も信じるわけないじゃない。それから中学校に通うのが嫌になって。勉強はできたから高校受験には困らなかった。高校は中学区から離れたところにしたから私の事を知ってる人なんていない。そう思ってた。高校一年生の夏休み前まではみんな普通に接してくれてたのに夏休みを開けたら私は孤立してたわ。中学の時に同級生を病院送りにしたって噂が立ち始めたの。多分前のあれに尾ひれが着いたんだろうけど、おかげで私は頭のイカれたヤバいやつっていう偏見が染み付いたわ。そんな時、クラスの男子が私に聞いてきたの。お前、なんで高校来たのって。初めは意味がよく分からなかった。バカにされてることはわかるけど……みたいな。でも、その意味を理解しちゃったのよね……。彼は人に危害を加える犯罪者が何のうのうと高校に来てるんだって言いたいのよ。その時、彼が吹き飛ばされたわ。でも、場所が悪くてね。教室だったから机に思い切り頭を打っちゃって。教室は血の海になったわ。救急車を呼んで、何とか彼は一命を取り留めた。でも、私の居場所は完全に無くなったわ。お母さんには泣きつかれた。どうしてって。たみんな、私が悪いって決めつけたの。今日だってそうじゃない」 「松戸さん」 「これが今までの話。で?お祓いでもしてくれるの?あんたが解決してくれるわけ?」 「……」 「ほら、できないでしょ。だったら、早く帰って。私はこれを制御出来ないから。昼間みたいに怪我したくないでしょ?」 「松戸さんの後ろにはね綺麗な人影が付いてるんだ」 「は?」 「これってレアなんだよ。それは守護霊で、特にあなたの事を強く思ってる。普通は人間にはそんなことそうそう起きないんだ」 「その守護霊が私を苦しめてるの?」 「守護霊は守ろうとしてるだけなんだよ。ただ、やりすぎちゃってるだけなんだけどね。不器用らしい」 「でも、そのせいで私は……」 「本当に松戸さんはお母さんそっくりなんだね」 「え?」 「その守護霊。お母さんの生霊なんだ。初めは亡くなったお父さんだと思ってたんだけど影が合わなくて。それで、気づいたんだ。お父さんが亡くなった後、お母さんは貴方のことばかり考えてたのかもって。お母さんは女手一つで松戸さんを……雪さんを育てる覚悟を決めたんだよ。それがどれくらい大変かお母さんもわかってたけどそれでも。こんな形になったし不器用な愛情かもしれない。それでも、たくさん愛情を注いで貰ったんじゃない?」 松戸は下を向いて居るだけ。後ろにいる影はただじっと俺を見ている。もう、突き飛ばしたりするような感じもない。警戒はされてないらしい。 「雪さん。俺はその生霊を祓える。正確には元の場所に戻せる。戻したところでお母さんに何か起きるわけじゃない。これから、今日みたいなことは無くなる。でも、この話を聞いても祓いたい?」 「……これを祓えば私は楽になるかな?」 「今日みたいな日は無くなるよ。でも、それだけが雪さんの楽になるかは分からない」 「そっか。……祓わないで。このままでいい」 「これからも辛いことは起きるかもしれない。それでもいい?」 「お母さんが心配だから私に生霊として付いてるんでしょ?私がお母さんに心配かけないようにする。そうしたら、いつか、消えないかな」 「それも有り得るね。悪いものじゃないから悪影響は本来無いし。いつかいなくなるかも」 「それなら、私は私の行動でこれを克服したい」 「わかったよ」 そう言って松戸の背中に触れる。 「ちょ!何触ってるのよ!変態!」 「黙って……」 ゆっくりと念じる。呼吸をするように湧いてくる言葉を語りかけるように念じる。 「これで大丈夫」 「え?何したのよあんた」 「お母さんの生霊をコンパクトにした」 「え?」 「だぁ〜てさ、君のお母さんの生霊めちゃ強いんだもん。まじで。雪、病気とか全然ならないでしょ。それ全部お母さんのおかげ。これすごいことなんだからね」 「は、はぁ……今、呼び捨てした?」 「これ野放しってのもやばいけど、野ざらしっていうのもやばいね。しかも、嫌なこと言われるだけで反応するんでしょ?センサー広すぎるってぇ〜俺、そこそこ体が丈夫だからセーフだったけどそりゃ怪我人も出るよ。まじ車に突進されたかと思った」 「え、なんか急にフランクじゃん」 「いや、いつまでも硬いのも疲れるじゃん。本当はこれくらいのテンション感が好きなんだよね。気楽で」 「は、はぇ〜」 「ま、とりあえず。お母さんの生霊を他の人に危害加えないくらいの力に小さくしといたからこれから問題になることはよっぽど無いんじゃないかな〜あ、お母さんの心配が無くなったら生霊消えるってのはそのままだから。それ目指して頑張ってね」 「あ……はい」 「んじゃ。帰ろっか。俺、お腹すいたんだよね」 怒涛の1日だった。転入初日に怪我させたとか言ったらお母さんまた泣きついてたよね。でも、いい話も聞けた。明日会ったらまたお礼言わなきゃ。 「ただいま〜」 「お帰り、雪。お腹すいたでしょ。ご飯作ってあるわよ〜」 「お母さん今日仕事じゃなかった?」 「それがねなんか急にお休みになっちゃって。まあ、といっても特に変わらず平凡な1日を過ごしてたわ」 「なにそれ〜あー!お母さん!お鍋!煙すごいことなってる!」 「あ……やっばぁ〜うわぁ。肉じゃが焦げちゃった。夜、味噌汁と白米だけでいい?」 「えぇ。いいよ。その肉じゃがも食べる」 「焦げちゃってるわよ?」 「焦げもひとつの調味料!知らないの?」 少しつまんでみるとザクザクという食感と苦味と焦げ臭さが口の中に広がって思わず変な声が出てしまった。 「も〜。なんでわざわざ焦げてるところだけ食べるのよ」 「あはは。……お母さん。私の事、大事?」 「何よ急に。あ、お小遣いは増やさないわよ」 「そういうのじゃないから!」 「ふふ。大事に決まってるじゃない」 「お母さん……ありがとう!」 朝、教室に付くと昨日までと机の配置が違う。ひとつ足りないような気がする。 「ほーらー。ホームルーム始めるわよ〜まずは出席確認からね」 名簿番号が1番から順に名前を呼ばれ、返事をしていく。あいつは確か結構前のはず。 「4番 秋山祐介くん」 「はーい」 「5番井上すずめさん」 「はい」 あれ?あいつ飛ばされた?聴き逃した? 「37番松戸雪さん」 「あ、はい!」 そのまま出席確認は終わってしまった。あいつがいない。そんなのおかしい。ホームルームが終わり、出席確認表を見る。が、そこには目当ての名前が載っていない。いやいや。そんなわけないじゃん。そういえば、あいつと話してたな。 「あ、秋山くん。ちょっといいかな?」 「ん?どーした?」 「昨日話してたあいつ、今日居ないの?」 「昨日話してた?誰のこと?」 「あの、隣の男子よ」 「隣の男子って。端だから隣は女子の井上さんしかいないよ」 「え、あぁ。確かに」 「そいつの名前は?わかる?」 確かに。名前を言えばいいのにどうして言わなかったんだ?確か……いや、音が分からない。 「えっと、読み方分からなくて」 「漢字は?分かりそう?ここ書いてみていいよ」 「ありがとう。えっと確か」 そこに書き出した名前は 安倍晴明 だった。

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トロイアの木馬

披露宴 「お姉ちゃん。結婚おめでとう!」 「ありがとう。こんなおっきな披露宴にするつもりはなかったんだけどね。夫が張り切っちゃって」 「夫って。もう夫婦感出してる。いいなぁ。私も結婚したーい」 「じゃあまず彼氏つくりなさいよ」 「わたし、そんな簡単になびく安い女じゃないから」 「なにそれ。早く見つけないと婚期逃すわよ」 「付き合って何年目だっけ。四?」 「ろく~。もうこんなにおばさんになっちゃったわ」 結婚式から1年前 「お前、俺以外に男がいるだろ。」 寝耳に水だった。 「は?何言ってんの。」 「俺見たんだよ。お前、この前雄二といただろ。嬉しそうに話して。何してたんだよ。」 「なんで雄二と買い物しちゃダメなのよ。私の勝手じゃない。」 「私の勝手?俺がいるのにか?俺がいつもそばに居るのにか!」 啓介は近くの靴箱を思い切り叩いた。旅行で買ったお土産のシーサーの置物は地面に落ちて粉々になってしまった。啓介もやってしまったと思ったのか少し間が開いたが変なスイッチが入ったのか余計に顔を赤くして怒鳴り散らかした。 「俺は、俺はお前のために!俺らのためにこんなに言ってるんだからな!」 私は何も言わず欠片を拾い上げる。 「やめろ!」 手を叩かれ拾った欠片が全て落ちてしまった。欠片は落下した衝撃でさらに割れ、革靴で粉微塵になるまで踏みつぶされた。二人の思い出は見るも無残な姿になってしまった。 「何なの。」 「あ?」 「何なのよ!そんなに雄二と付き合っちゃダメ?」 「当たり前だろ!何考えて」 「それはあんたよ。何も関係ないじゃない。あんたは雄二のただの兄貴でしょ!」 結婚式から4年前 初めて雄二の家族に会った時はすごく好印象だった。お母さんは優しいし、お父さんも私のことを気に入ってくれた。お兄さんもいるらしいがその時は居なかった。私は雄二の二つ上で、二人ともアラサー目前だった。結婚も視野に入れていた。 「ただいま。」 雄二の兄、啓介が帰ってきた。啓介は私と高校が一緒だった。高校の時、告白してきた相手だった。はじめはお互い驚き、高校生ぶりだねなんて話していた。 途中お手洗いに行った。用を足し終え、戻ろうと扉を開けたら目の前に啓介がいた。 「ヒッ。びっくりした。居るなら言ってよ」 「なあ、覚えてるか?高校の時、俺が明に告白してさ」 「……うん。覚えてるよ。すごく嬉しかったけど、あんまり関わりなかったからさ。その時は……ごめん」 「いや、いいんだよ」 いきなりそんな話するとは思ってなかったし、何か掘り返されるのは嫌だった。少し警戒していたもののよくわからない話で終わると思った。 「俺、まだお前のこと好きなんだ。雄二がいるのは分かってる。でも、考えてみてくれないか」 「は?何言ってんの」 「なぁ、お願いだよ。俺、本気なんだ。本当にお前のことを愛してるんだよ」 「い、いや。考えてみなよ。雄二は啓介の弟だよ?あんた今、弟の彼女を取ろうとしてるんだよ?」 「……雄二は関係ないだろ。たまたま弟だっただけ。俺があいつと関係あるのはそれだけだろ」 異常だ。まともじゃない。 「そうだ。……赤ちゃんできたら、もうそれは俺のもんだよな」 「何言ってんの。冗談でも怒るよ。」 啓介の表情は本気であり、私の腕を掴もうとしてきた。とっさに避けようと後ずさった時にスカートを踏み、転んでしまった。 「へー。紫か。」 終わった。この体制じゃ逃げられない。 「大丈夫?なんか音したんだけど。」 「あぁ。明がこけちゃってさ。トイレ、俺が待ってて、出てきたときにいきなり俺がいたから驚いちゃったらしくて」 「そうなの?兄貴、気を付けてよ。大丈夫?明さん?ケガとかしてない?」 「う、うん。ちょっとびっくりしただけ」 その時のにやついた顔は忘れられないだろうし、二度と見たくない。 それから、啓介と“偶然”会うようになった。もちろん話すわけではない。目も合わせず逃げるように道を変える。しかし、2年前くらいから自宅に啓介が来るようになった。 はじめは外から家の中をじっと睨むだけなのがピンポンを鳴らしてくるようになった。同じくらいの頃から下着もたびたび無くなるようになり、路上にべたッとした何かがついて捨てられていることもあった。警察や雄二に相談しようと思ったが「家族にそんな奴がいるなんて知ったら雄二に別れを切り出されそう」、「後ろめたさから婚約を拒否されたらどうしよう」など考えてこなかった不安が湧き、余計に精神を削ってくるようにもなった。 だが、この問題を解決しないで雄二と結婚はできない。私は決心した。 今日もピンポンとチャイムを鳴らしてきた。 いつもは居留守を決め込むが今日は出てやった。 結婚式から1年前 何を言い出すかと思ったら浮気をしてるだと?この私が?と苛立って仕方なかったが水に流すことにした。こいつの口ぶりはまるで彼氏の様で逆鱗をなで続けている。粉々にされたシーサーは惜しいがこれも決別のためと言い聞かせた。 「ただいま~明さん、ちゃんとご飯買って……兄貴?なにしてんの?」 「おう、ちょっとな。あぁ……。お前に用があって。」 「また嘘つくのね。」 「え、なになに。嘘ってどういうこと?兄貴呼んだの明さん?」 「ねぇ。雄二。こっち来て」 「え、あ。うん」 簡単だった。こいつに見られるのは癪だがこれで諦めさせられるなら本当に簡単だった。 「私が啓介を呼んだの。実は高校一緒でさ、そのころも仲良かったの」 「え、そんなの初耳だよ!兄貴もそれ知ってて黙ってたの?」 「お、おう。今更掘り返すのもなんか気が向かなくてな」 「それでね、私、啓介に雄二の兄としてお願いしたいことがあるの。そのために今日呼んだんだ」 何も聞かされていない状況で目をきらきらと輝かせ子供のように「なに?なに?」と待つ雄二と何をされるのか、暴露されるのかと冷や冷やが止まらないであろう啓介を同時に見れるのは性悪だが心地の良いものだった。 「雄二。これにサインしてほしい」 「これって、婚姻届け?え、ほんとに?」 「もう付き合って長くなるし、だいぶ仕事も落ち着いてきていい頃合いかなって。ね、結婚しよう。私、雄二と家族になりたい」 「……」 啓介は以外にも何も反応していなかった。叫んだり泣き出したりしたら面倒臭いなと思っていたが何が起きているのかわかっていないというような様子だった。間抜けな顔をして呆けていた。 「じゃあ、兄貴を呼んだのって」 「婚姻届けに証人を書いてもらう人が必要でしょ。私の事も雄二の事も知っている啓介になってほしくて。もちろんなってくれるわよね?」 「あ、あぁ。それで呼ばれたのか。はは。そっか。そっか。」 「どうしたの。震えてるわよ。そんなに弟の結婚が嬉しいの?お義兄さん。」 結婚式当日 今日、私は結婚式を挙げる。家族に見守られて、婚約する。 「今日、兄貴も来てほしかったな。海外出張だからどうしても来れないなんて。それくらい休み取ってほしいのに」 「仕方ないでしょ。啓介には他の人も知らないプロポーズ見てもらってんだからそれでトントン」 「そっか。あ、もうこんな時間か。それじゃあ、先にチャペル向かってるね!」 「うん。綺麗なお嫁さんになってくるからかっこよく迎えてね」 披露宴 「てか、私彼氏いるし。お姉ちゃんみたいにゆったりじゃなくてサクッと結婚しちゃおうかな」 「ちゃんと相手を見なさいよ。お金とか大変なんだから」 「相手年上だし、お金もそこそこあるから大丈夫だよ」 「お母さんとお父さんにちゃんと話しときなよ。そんな急に娘が二人とも家出たらお父さん泣くかもよ?」 「いい加減、子離れしろって。ちゃんともう話してあるから大丈夫」 結婚して4年後 世界的な流行り病がやっと落ち着いた。こんな時期に生んでしまって可哀そうだ。 「おかあさん。どこいくの?」 「おばあちゃんとおじいちゃんに会いに行くんだよ~」 結婚式以来、両親には会えてなかった。赤ちゃんが生まれたばかりでこんなご時世なんだからしばらく会えないねと言ってもう4年。娘の小春もだいぶ大きくなってしまった。孫の顔は写真でたくさん見せたが、赤子の時に抱きたかっただろう。両親には寂しい思いをさせてしまったな。 「ただいま」 「おかえりなさい。あら、あなたが小春ちゃんね。雄二君もわざわざ来てくれてありがとう。外寒いでしょ?早くおこたで温まって」 「ありがとうございます。これ、お土産です。よかったら召し上がってください。ここのバウムクーヘン好きなんですよ」 「あら、それじゃあ夜ご飯の後のデザートにしましょうかね」 小春は、縮こまってしまい俯きながら私の手をぎゅっと握っていた。 「ほら、小春。おばあちゃんだよ。挨拶は?」 「こ、こんばんは」 「はい。こんばんは。たくさん美味しいもの用意してあるからみんなのところで待っててね」 ガチャっと後ろの玄関扉が開いた。 「ただいま~うぅ。外寒すぎておかしくなりそう」 「あら、夕菜。おかえりなさい」 「彼氏連れてきたよ!」 「お邪魔します。」 私も雄二もよく知った声だった。私たちの婚約を見届けたそいつは私の妹の彼氏らしい。

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ルーツ・ループ③(終)

2年目11か月 「恵梨香。今日が最終日の予定だが体調はどうだ?」 「大丈夫だよ。お父さん。」 「先生は……今日は来ないそうだ。」 「そう。」 先生と別れてから約9か月。別れた次の日から先生は彼氏ではなく、ただの先生になった。以前はウキウキだったカウンセリングもそれがあってからは退屈な時間になり、日々の楽しみは何も無くなってしまった。 先生とも何もなくリセットまで一日になった。特別な一日だけども何もできないのでいつも通り過ごした。先生の有無はいつもと違うけど、こんなタイミングなんだ。逆にありがたかった。けど、本当に何も言えずに終わっていいのか後悔がもやもやと残る最後の日だった。 「もういい時間だな。そろそろ眠るか」 時刻は23時30分ごろ。面会時間ももう終わるころ。次に目覚めたら私は違う私になって、また先生とカウンセリングをするのかな。先生に何も、少なくともお礼さえ言えなかった。 「それじゃあ、父さんと母さん帰るな」 「うん。」 何も言わないでなんてさみしいよね。 「まって!」 お父さんとお母さんを引き留めようとしたとき机のささくれに引っかかりミサンガが切れてしまった。 「どうしたの恵梨香」 「先生に伝言、お願いしてもいいかな」 「伝言?なんて伝えたらいい?」 すごく簡単な誰でも知っているたった5文字。それだけで伝言は十分だ。あまり重たいと先生がこれから困ってしまうかもしれないから。ただ“ありがとう”の五文字を伝えたい。 もう一度、先生に会えるなら。私のままで、先生に会えたなら。そんな奇跡、起こらないとわかっていても、最後には願ってしまう。たくさんの文句と一緒にまた笑い合いたい。 「恵梨香は眠りました」 「もう大丈夫よ。入ってきて。達哉くん」 「ばれてました?」 「今回も娘の事、ありがとう」 「何もしてません。また、何も出来ませんで した」 「伝言、聞くかい?」 「いえ。今聞くと、折れてしまいそうなんで。」 「前回もそうだったね。」 「そうですね。まだ終わるわけにはいかないんで。」 「この前の話だが、どうする?君の人生だ。この病院の医院長の娘さんに言い寄られているという事は聞いているよ。下世話かもしれないが、今後の君が心配だ。君ももういい年だ。他の方との交際も考えてみたらどうだろう?君が娘の彼氏だという事もわかる。だが、もう7年だろう?君を縛るのは娘が怒りそうだ。もう、娘の専属医なんてやらなくてもいいんだよ?」 19年前 病院は嫌いだった。父さんも母さんもよく来るけど、ここはいつも人の匂いがしない。綺麗すぎて、それが嫌だった。どこか冷たい檻のように感じていた。 「父さん、また入院?」 「あぁ。済まないな。もうちょっとで運動会だったろ?母さんと一緒に行くはずだったのに、本当にごめんな」 「別にいいよ。それは仕方ないし、山田先生とこの家族が来てくれるって」 「山田先生のとこか。こりゃ先生に足を向けて寝れないな」 父さんはいつも元気だった。なのに入退院を繰り返していた。いつも会いに行くとこっちの事ばかり心配して、自分の事はまっぴらだった。すっかり禿げ上がった頭を「もうじじいになっちまったな」と笑いのネタにしていた。 その日は母さんだけが病院に行く日だった。帰ってきた母さんは赤く目元が腫れていて、化粧が拭われるように落ちていた。 一か月後の運動会に僕は参加せず、お経を聞いていた。父さんは膵臓癌だった。見つかった時はすでに手遅れで選んだ道は延命のための抗がん剤治療。「せめて達哉が中学に上がるまでは」そればかり唱えて、治療に耐えていたそうだ。 それからすぐ、山田先生は僕の新しい父さんになった。不倫とかそういう悪い意味ではなく学費や生活費を支えてくれるようになった。 元々、山田先生と父さんは中学からの親友だったらしい。山田先生は聞いてきた。 「君はまだ何にでも成れる。君は何になりたい?」 力強く、でも優しい声だった。数秒数えて、ひねり出した答えは大雑把な「父さんみたいな人を助けたい」だった。 その時に僕は医者になる道だけ人生のレールに引いた。 13年前 恵梨香さんに初めて会った時のことはまだ覚えている。朗らかな口調とスタイルの良さ、美形な顔立ち、モデルの様だった。何か理由もなく、好きになってしまった。それが最初で最後の一目惚れだ。 「山田先生、彼女は?」 「生方さんか。私の患者で、将来的に君に託そうと思っている患者だよ」 「え?」 「君も知っての通り私は後数年でこの病院を出る。しかし、あの患者はその間には治せそうもない。少なくとも、私ではね」 「そんな、無責任な」 「そうだね。しかし、医学の進歩が彼女を救えるほど簡単な病じゃない。病院のシステムに捕らわれた私じゃ尚更治せないだろう。だから、お前に頼むんだ」 「僕ですか?まだ、医者でもない、学生の僕に?」 「まだ学生で何も病院の汚れを知らないお前だからだよ」 「……僕は彼女に恋をしています。だから、僕は彼女の医者として不誠実です」 「ほぉ。いつから」 「今です。一目惚れです」 「それは誠実な関係ではないか?」 「僕は誠実だと思えません」 「医者はそんなに誠実な生き物か?」 「この場合は誠実でないといけないのでは?」 「恋は万病の薬かもしれんぞ?」 「人間関係を壊す癌の間違いでは?」 「薬にも毒にもなるだろ。どう使うかも君次第だ。その感情をどう処理するかも君次第。どちらにしろ、私は君に引き継ぐからな。」 七年前 父親が入退院を繰り返し、山田先生が贔屓してくれた分、両親と僕の名前だけが独り歩きしていた。「藤村ってあの時の。」「山田先生と仲良かったからってあんなに入退院繰り返してねぇ。」「その息子が同じ病院にわざわざ来るかね。」「未練でもあるのかね。」 周りの医者は皆そう言う。仕方ないけど、仕方ないじゃないか。 確かに父親は入退院ばかり繰り返し、病床の数がギリギリのうちの病院でそんなに頻繁に入退院が繰り返されると他の患者が入ってこず、病院的に負担である。それに腕の立つ山田先生をほとんど独占の様な状態にしていたのも事実だ。それは山田先生のご厚意で、それに甘んじていた。僕が医者になるため今、勉強できるのも山田先生のおかげである。だから、陰口を言われても仕方ない。 だけど、山田先生のもとで医学を学んでいるんだ。その人の元で学んでいるのに、他の病院で実習をしようとはならないだろう。だから、この病院に医学生として通うのも仕方がないだろう。 そんなことが悶々と胸の中を巡っていた。こんな生活がもう6年ほど。はじめは気にしていたがもうこれはどうしようもないと諦めてからは何もかもに消極的になっていた。 それに、目の前には昔好きになった人。先生はそれを知りながら結局恵梨香さんの専門医を僕にした。 「それじゃあ恵梨香さん。今日からこの子も一緒にカウンセリングをしていくからな。」 「よろしくお願いします。藤村達哉です。」 「生方恵梨香です。お願いします」 相変わらず綺麗な人だ。だけども、以前と雰囲気が変わったように思う。一年で見かけるのは両手で足りるくらい。それでもわかるほど彼女は定期的に雰囲気が変わっている。なのに、依然と変わらず美しいのは不思議だ。 「藤村先生。」 「え、あ、はい。」 「好きです。付き合いましょ」 綺麗な茶色い目がじっとりと見つめてくる感覚は少し怖くて、この場で答えろと言う圧をひしひしと感じる。唐突なことに戸惑っていると恵梨香さんは話を続けた。 「今回の私はあなたのことをずっと追いかけていました。それにあなたも私のことを見ていたでしょ?」 「なんでそれを」 「人目にはすぐに気づくんです。よく色物で見られるので。」 恵梨香さんは自分の胸をわざとゆさゆさと揺らしてほらほらと挑発してきた。 「やめてください。」 「そういうとこですよ。好きなのは」 「はい?」 「あなただけなんです。他の人は、特に男性は私のことを性的にばかり見ます。でも、あなたはなんか違ったんです。だから、あなたに見られるのは嫌な気がしませんでした。」 この人の言う“なんか“とはおそらく好意のことで、やけに曖昧な台詞にもっと何かあるのではと勘ぐってしまう。医者が患者と付き合うのは良くないのではないか、でも、恋愛感情が治療に役立つという例もある。医者として、自分の天使と悪魔とを話し合う。 「わかりました。駄目なんですね。潔く諦め ます。それじゃあ今日の」 「いいですよ。お付き合いしましょう。」 結局は勢い任せで、こんな風でもいいのか不安になったが「ありがとうございます」とほほ笑む彼女にやられたと思った。でも、彼女のそんな狡猾さも嫌いじゃなかった。 初めてのデートは睦実海岸。恵梨香さんが冬なのに海が見たいって聞かないから寒い中散歩しに行った。 「僕なんかのどこが好きなんですか?」 「すらっとしてて、眼鏡が似合っていて、後その腕も。女の私が羨むくらい綺麗で、線が通っていて、好みです」 「本当に、よくわからない人ですね」 その次にした大きなデートは悠永安の滝。 海岸線を抜け、少しハイキングをし、荘厳な滝を眺めた。 「ここ、すごく好きです」 「藤村先生はこういう自然的な場所が好みなんですか?」 「特段そういうわけじゃありませんけど、ここは落ち着きます」 「私にはあまりない感性ですね」 「どうしてです?」 「私はすぐに忘れてしまうので。だから、長い年月とか自然の移り変わりの風美はあまりそそられませんね」 「それじゃあ、僕が好きなのも気まぐれですか?」 「意地悪なこと聞きますね」 少しむすっとした表情をしながらも手を握る彼女にテクニシャンな娼婦のように感じてしまった。 「気まぐれで落ちる程安い女じゃないですよ」 彼女らしいその返事に魅了されていた。 最後の大きなデートはやまの公園。昔から動物が好きだった僕はついはしゃいでしまい、恵梨香さんはそれを見て笑っていた。 「なんですか」 「子供っぽい所もあるんだなって。可愛いと思ってました」 「すごくストレートですね」 「好きですから」 「そうですか。」 土産屋さんに行くと懐かしいおもちゃがたくさんあった。子供の頃、何よりもカッコよく見えた車の模型に昔は買ってもらえなかったけどこんなに安かったんだとふと思った。 こんなタイミングで思い出すなんてとため息を吐くと恵梨香さんが駆け寄ってきた。 「お待たせしました、先生。お土産買えました」 「もう買ってきたんですか?」 「意外と考えた方ですよ」 そんな会話をして、駐車場まで向かった。 恵梨香さんに申し訳なさを感じるようになったのは少し前からだった。看護師が僕と恵梨香さんがデートしているところを見たらしい。 「藤村先生と生方さんデキてるっぽいわよ」 「嫌ね、やらしい。医者になるって言うんだからこの病院にいるのに、そういう目的なのね」 「それに生方さんもあのスタイルでしょ。どうせそれ目的だったのよ。胸が大きくてキツイからって勝手に病院服やめて、私服にして。それを許してるのも、どうせあの先生の趣味でしょ。ほんと嫌だわ」 「まあまあ、先生も男ですし」 何も根拠のない憶測だけで話が勝手に進んでいることはいつもの事だが、恵梨香さんにそれを巻き込むことは嫌だった。 「恵梨香さん。少しいいですか?」 「なんですか。やっと襲ってくれるんですか?」 「もう、こんな関係やめましょう」 「……どうしてですか?」 「あなたも知ってるでしょ。僕の父親の事とか、山田先生との関係とか。それに、僕たちの陰口とか」 「はい」 「僕はあなたが好きです。でも、周りに陰口を、それも何も根拠のない暴論を言われるの は……」 「それ、関係ありますか?」 「あるでしょう」 「何がですか。そんなに周りの言葉って大切なんですか?」 「それは……」 「はぁ。車、乗ってください」 え?と思ったが手を引かれ半ば詰め込まれるように車に乗せられた。 「いきなりなんですか」 恵梨香さんは優しく抱いてくれた。 「恋人だけの時間です。知らない人にこんな姿、見られたくなかったので。」 耳元に恵梨香さんの息が触れる。声も震えていた。話を切り出した僕の様だ。彼女も怖いのだ。 「先生の過去とか、家族の事とか話しか知りません。でも、先生の優しい所とか、可愛い所、頼りになるところ、私しか知らないとこ ろ。いろんな先生を私は知ってます。他の人の意見なんてどうでもいいです。私が好きで、好きで仕方ないのは藤村達哉。あなただけです。だから、そんなつまらない理由で終わらせないでください。」 彼女のためとかっこつけて、結局は陰口から逃げていたことに気づかされた。僕のことはどうでもいいと言いながら、僕自身の家族の事、山田先生との事もすべて一緒くたにして“恵梨香さんが嫌な思いをしないように”という理由に転嫁させ、終わらせようとしていた。 「もう一度、考えてください。本当に私と別れたいですか」 「……」 「先生!」 「嫌……嫌です」 「なら、まだ一緒に居ましょうよ。私の事を考えてくれたのかもしれないですが、いつも気負わなくていいんです。少なくとも私といる時くらい」 お互いが落ち着いたころに「これを」と恵梨香さんは紙袋を渡してくれた。 「これは……ミサンガですか?」 「はい。何かお揃いの物が欲しくて、これくらいなら先生もいつでも付けられるかなって思って」 その時の彼女の微笑みが忘れられなかった。彼女は左腕、僕は右腕につけていた。このミサンガが切れる頃には、この病が治ることを祈って。 それから一か月して、僕は初めて彼女のリセット現象を目の当たりにした。 「ここはどこですか?それにあなたも、誰です?」 顔立ちも姿も全部彼女なのに中身だけが別の誰かに変わったようだった。 「山田先生。どうして、僕に彼女を任せたんですか?」 「昔も話したぞ。凝り固まった病院の歯車には彼女は治せないからだ。」 「僕にできると思ったんですか?」 「君は彼女との関係をどう使う?」 「もう彼女は僕のことを覚えていません」 「じゃあ、君でも無理か」 「……いえ。だから、思い出を思い出せるように僕が治療します」 僕が医者になった理由は父さんみたいな人 を救うためだった。でも、この時から彼女を 救うために代わっていた。 リセット後1日目 外からの日差しで起きた。肩が重い。ブラも窮屈だし、汗ばんでいて気持ちが悪い。冬とはいえこれは着すぎだ。数秒して自分に違和感を覚えた。ベッドから降りてスリッパも履かずに立ち上がる。 病院の中を走るなんて迷惑なことだと知っているがそれどころではなかった。突き当りまで行き階段を駆け上ったところで見える手前の部屋。はぁ。はぁ。呼吸が荒い。こんなに走ったのも久々だ。 引き扉の持ち手を掴み、息を整える。はぁ。はぁ。……ふぅ。と一呼吸おいて扉を引く。ガンっとすぐに止まってしまった。 「え?あれ?」 何度もガンガンと引くが扉は開かない。 「何しているんですか?」 後ろから声が聞こえる。後ろにいるのはすらっとした男性。眼鏡をクイッと上げる左腕には何もついていない。 「あなた、今日から僕の」 「先生」 「……」 「大好きです。藤村先生」 数か月後 彼女は今までの症状が嘘のように全ての思い出を取り戻した。子供の頃から現在に至るまで本当に全て。急激に大量の情報を認識したためか頭部の鈍痛をしばらくは訴えたがそれも今では改善している。 「先生、私ちゃんと思い出しましたよ」 「何をです?」 「先生、私の胸でエッチなこと考えてたでしょ」 「いつのどこの話ですか」 「先生が研修生の時、私の胸の使って聴診器の練習してたでしょ。その時です。いろんな場所でやったらいいのにいろんな角度からペタペタ聴診器付けて。あれ意外と恥ずかしかったんですからね」 「練習ですから仕方ないじゃないですか。それに胸以外にも背中とかにもやりましたよ。同意も得てるのでセーフです」 「恥ずかしくて嫌って言えなかっただけかもしれませんよ?」 「だって、あなたほど胸が大きい方の診療するの初めてだったんですよ?仕方ないじゃないですか」 「エッチなこと考えることがですか?」 「そうじゃなくて、どこにどう当てる方が正確に聞こえるかなとかいろいろ考えるんですよ」 「実験みたいじゃないですか。セクハラか不正医療どっちで訴えましょうか」 「どっちでも僕の人生終わりですね」 「じゃあ、弱みを握っているので意地悪させてください」 「なんですか?」 「結婚を前提に、もう一度お付き合いしてください。もう、患者と医者じゃなくて、今度こそただのカップルとして真剣に交際してください」 「……一つ、訂正です。僕は以前から真剣ですよ。中途半端な気持ちでお付き合いするほど腐ってません。前回もその前も。やり過ぎたのは認めますが」 「これからはどうですか?真剣にお付き合いしてくれますか?」 「……これからもですよ」 手を繋いで銀杏並木の通りを歩く。落ちる葉はまだ半分くらい緑で、でも、斑に黄色くなっている。 エンドロール 僕はいつも君を想う。 私はいつもあなたを想う。 いつかの過去に焦がれ。 いつかの未来を願い。

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ルーツ・ループ②

1年5か月目 「今日は晴れてよかったですね。ピクニックにはちょうど良いくらいの気温ですし」 「そうですね。恵梨香さん、寒くないです?今日は晴れてますけど、恵梨香さん寒がりでしたよね?」 「今日くらいの気温なら大丈夫ですよ。それに、初めてのデートなんですから!こんな気温だけで病院に籠れません」 「そうですね。一緒に楽しみましょう」 いつもの笑顔に安心し外を眺める。カウンセリングの延長という名目でこの日は睦実海岸に来た。流石にまだ水温が低く、泳いだりはできないが手を繋ぎながら砂浜を歩いた。 はじめはぎこちない感じだったが最後には恋人つなぎをしてルンルンと歩いていた。先生の少しごつごつとして暖かい手にまた安心を覚える。 「先生の手、暖かいですね」 「そうですか?恵梨香さんは末端冷え性なので冷たいですね」 「知らないんですか?手が冷たい人は暖かいんですよ」 「それはどこの情報がソースですか?ちゃんと根拠があるんでしょう?」 フッフッフッと意地悪な笑みと一緒に難しい質問をする先生に意地悪だなぁと悪態をつく。でも、表情は悪戯好きな子供の様で可愛 かった。 「色々食べ過ぎましたね。イカ焼きにアイスクリーム。お土産も買いましたしそろそろ病院に戻りましょうか」 「もうですか?先生~もう少し周りましょうよ」 「もうすぐ日没です。そういう海は危ないですし、外も寒くなってきました。風邪をひく前に帰りましょう」 「……わかりました。おとなしく帰ります」 先生との時間は夢のように幸せで、夢のように一瞬だった。知らない一面を見れたこともポイントが高く、意外にも子供っぽい部分があるそのギャップにまた魅力を感じて、これが恋の喜びなのかなと海岸を見つめながらゆっくりと味わう。それと共に昔の私も今の私が知らない誰かとこんな経験をしたのかなとも思う。 今までは記憶を呼び起こす手段の一つとしてしか過去の彼氏について気にならなかった。でも、今の自分が恋をしているなら過去の恋も気になる。どんな経験をして、どんな時間を過ごしたのか。ぐるぐる脳を回しながら、左腕を夕日に向けてあげて、オレンジに染まったミサンガを見る。 1年10か月目 デートは前から決めていた悠永安の滝にミニ旅行として行くことにした。今回もカウンセリングという名目だ。関係が特殊だからどうしてもこのような形でしかデートができませんとは事前に聞いていたがそれも仕方ない。むしろ、そこだけ我慢すれば先生と一日中一緒にいれるというだけで万々歳だ。 日帰りだが朝から夜まで先生と一緒に居れるというのはレアな日でこの日が楽しみで仕方なかった。 だが、秋の紅葉も終わってきて本格的に冬に移りだして車内でも肌寒い。 「大丈夫ですか?車なら暖房も効くし大丈夫かと思ったんですけど」 「だ、大丈夫です。久々のデートなんですか ら」 「じゃあ、我慢しないでください。これで風邪でも引かれるとこういうデートができなくなります。我慢せずに寒かったら寒いって言ってくださいね」 「えぇ。……わかりました。」 以前と変わらず、子供とその親の様な状態のままでいつもこういう小さなことでばつが悪くなる。でも、ただでさえ数少ないデートなんだ。こんなことで台無しにしたくない。 何となく先生とは仲が良かったしすぐに仲のいいカップルになれると思っていた。が、ずっと“医者と患者”から変わっていない気がした。タイムリミットがある私にとって時間がかかるというのは問題だ。 助手席からぼーっと外を見ていると海が出てきた。昨日の雨のせいで一段と荒れていて、遠くからでも荒い波がわかる。でも、その割に目立つ青さとこの画角に覚えがある気がした。 「この海の見える道って以前も通りましたっけ」 「ん?そうですね… … 前のデートも海でしたしそれを思い出したんじゃないですか?」 「いや、この道。というかこの画角に覚えがあるんです。……あ、あれです!前に話した夢の景色!あれはまさにこんな感じでした!」 「この画角ですか?」 「はい。今は先生が運転してくれてますけどそこに誰か男性が居て、もう少し穏やかな海が見えるんです。多分もう少しで」 どれも潮風に当てられているのに一つだけ仲間外れにされたような茶色い錆だらけのガードレールが視界を流れていった。 「ほら!前に話した通りじゃないですか!本当にあった場所だったんですね」 「恵梨香さん。少し先にコンビニがあります。そこに少し止まりますね。その話、もう一度ちゃんと聞かせてください」 先生の出した仮説は、私はやはり記憶できるしその記憶もどこかにある。しかし、三年経つと思い出せなくなる。古い記憶を呼び起こすこともできるがそれは夢の中でだけ。ここのロジックがわかれば記憶を呼び起こすこともできるかもしれない。だ。 「これから夢日記をつけていきましょう。起きたら夢を覚えている限り日記に記してください。もっと早くこのことに気が付けば……」 「いえ、先生は何も悪くないですよ。それに少し進んだじゃないですか」 「恵梨香さんのお手柄ですよ」 「え?」 「恵梨香さんが告白してくれたから今日ここに来れた。恵梨香さんが夢の話を相談してくれたからその話に信憑性を持てた。どれも恵梨香さんが動いた結果です。本当に、本当に素晴らしい結果ですよ」 先生は喜んでくれた。先生の役に立った。ずっといけないことをしている気がして、不安もあったけど何か役に立ったという今回の経験はその不安を拭ってくれた。 ある程度話した後にちゃんと悠永安の滝に行った。入口の売店でおにぎりと飲み物を買い滝までの山道を歩く。そんなに大変な道でもなく、道もしっかり舗装されていたため簡単なハイキングだった。途中途中の自然の写真を取ったり、マイナスイオンを感じようと深呼吸をしたり。こんな自然の良さがわかるなんて私は大人だなぁと上機嫌になっていたり。 ほどなくして着いた滝は荘厳だった。滝の近くは柵で覆われ安全整備がされていて行けるのは飛沫がかかるほどまで。腕のミサンガが濡れると気持ち悪いので濡らさないよう気を付けて近くに行くとひんやりとしていて寒がりの私らしくもなく、水の冷たさが心地よかった。先生は私ほど近づかず後ろにいる。 「先生、こっち来ましょうよ!」 俯く先生のもとに行ってから気が付いた。先生が泣いている。さっきまで普通に話していて、そんな素振りが微塵もなかったからびっくりして、急いで駆け寄る。 「せ、先生!?大丈夫ですか?どうしました?」 「え?……あぁ。泣いてました?あはは、恥ずかしいところ見られちゃいましたね」 先生は涙をぬぐい、鼻をすすりながら「もう大丈夫だから」と私に返事する。まただ。 今日の車中でもそうだった。先生は私と何か壁を作っている。ずっと気にしていたが、我慢できなかった。 「なんでですか……」 「え?」 「どうして私を遠ざけるんですか?ずっと私だけが先生にばかり甘えて。ずっと私が子供みたいで。」 このままだと言いすぎてしまう。辞めなきゃと思った時、先生は強く抱きしめてくれた。「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです。今のはただ、不安にさせたくなかっただけなんです」 先生のぬくもりは自然よりも心地よくて、狡いと思ってしまった。 「ここに昔、お付き合いしていた人と来たことがあったんです」 「元カノってやつですか?」 「そんな感じです」 それ以外があるのかと思ったがそんなことを聞いていたらまた揉めそうなので口を結んでいた。 「その人を多分、思い返してしまって。自分でも無意識に泣いていたものですからあんな態度を取ってしまいました。変に知られて、喧嘩とかしたくなかったので」 「別に秘密にしなくてもいいですよ。先生もそこそこの歳ですし、恋人くらいいたことありますよね」 「……そんなものですか?」 「私にも昔お付き合いしていた人がいるんでしょう?それを先生は知っていて、私は先生の昔のことを知らないなんて不公平ですよ」 「……あなたのそういうところがいいんです よ」 「え?何です?」 「昔、相手の方が言ってました。ややこしい昔や周りの人の言葉を無視して恵梨香さんは接してくれる。それが相手の方にとっては嬉しかったらしくて。そんな前向きな恵梨香さんが好きだ。と」 「プライバシーを守るんではなかったんですか?」 「これだけでは特定できないのでちゃんと守ってますよ」 「そうですか。その時の私は、幸せだったんですね」 「今は幸せではないですか?」 「幸せですけど、思い出がなくてもお金の重さというものは分かりますし、年齢の重みもわかります。恋愛は楽しいですけど、生活には不安が付きまといます」 「そんなこと考えなくていいくらい、僕が幸せにしますよ」 「本当ですか?」 「本当ですよ」 「絶対ですか」 「絶対です。医者の名誉にかけて」 「……先生らしいです。先生らしくて、ちょっと残念です」 こんな時くらい、「医者じゃなくて彼氏として」って言って欲しかった。でも、今日一日で先生との距離はかなり縮まった。 前回のリセットから2年目が近づいている。あと1年でまた思い出はリセットされるのか。そんな不安をかき消したくて先生の腕をミサンガごとぎゅっと握った。 2年目 春に移り変わり最初のデートはやまの公園だった。 「ここ、私が元カレと来たところじゃないですか」 「嫌でした?」 「それを知っていながらここに誘うあたりが嫌です。やっぱり先生は意地悪ですね」 「そんなことないですよ。ほら、動物園コーナー行きましょ!」 先生は動物に興味津々だった。いつもの冷静な先生はどこかに行ってしまい、代わりに先生を操っているのは5歳の子供かもしれない。 「そんなに動物好きだったんですか?」 「はい。昔から動物だけじゃなくて、昆虫とか魚とか生き物なら何でも好きでしたね」 「なのに、学者じゃなくて、お医者さんになったんですか?」 「そうですね。昔から病には詳しかったんです」 「ご両親がお医者さんだったとか?」 「……父親が早くに病死したんです。」 きっぱりと言い切った先生はどこか寂しそうな顔をしていた。少し遠くを見て、父親の事を思っているのか。 「それに、昔から思っている、いや今は思っていたですね。そんなお姉さんがいて、その人も病気だったんです」 「身の回りにそういう人が多かったんですね」 「はい。それでよく病院に行くようになって、僕の医者としての先生、山田先生とも子供の時に仲良くなりました。」 「そうなんですか」 「えぇ。僕の父親を担当してくれました。父親が亡くなった後、僕の父親代わりになろうと頑張ってくれて。それに、医学の勉強を僕に教えてくれたのも山田先生でした」 「医者の英才教育ですか?」 「そうですね。僕から頼んだんです。あの時の先生が頼もしくて、父親が死んでも患者の息子の僕を悲しませまいと親身になってくれました。気が付くと、その姿に憧れてしまいましたね」 「先生は夢を叶えたんですね」 「えぇ。だから、今回も叶えます。恵梨香さんの病気を治すという医者としての……彼氏としての僕の夢を」 自分の夢を叶え、新しく私を救うことを“夢”にした先生にかっこいいと思う気持ちと“またか”と冷たい気持ちが混ざり合っていた。 2年2か月目 先生は焦るようになっていた。 「今日もデート行きましょう」 それが口癖になっていた。 「ここは以前、あなたがデートに来たところで」 そればかりになっていた。少し前から先生は私たちの恋愛と医学を無理に掛け合わせるようになっていた。はじめは気にしなくなったがことあるごとにそんなことをされるので徐々に先生のその態度に嫌気がさしていた。 「先生、別れましょう」 「どうしてですか」 「私たちの間に、恋愛感情はもう、無いでしょう」 「そんなことないです。僕は、君を愛していますよ」 「じゃあ、どうしてデートをチャンスのように使うんですか?」 「それは……」 「なんで、過去に私がお付き合いしてた人と訪れた場所ばかりを巡るのですか」 「もしかしたら、記憶が戻るかもと思って」 「ほら」 「え?」 「それは、今の私ですか?」 「……どういうことですか」 「私は、先生が好きで先生に告白しました。勇気を振り絞りました。なのに、先生はずっと私の治療のために“デート“というチャンスを使うばかりじゃないですか」 「それは、少しでもと思って」 「要らないです!」 プルプルと震える私を先生はもう前のように抱きしめてはくれない。 「私のため“なんて要らないです。今の私が好きなのは先生で過去の人じゃない。愛しているあなたと、恋人だけの時間を過ごしたかったのにそんな時間はほとんど無かったじゃないですか」 「……」 「先生、知っていますか?」 自分でもわかる。凄く冷たい目を今している。敵意に近く、じっと先生を睨んでいる。 「大好きな人に思いが伝わらない辛さが。」 「……」 「好きな人が、大切な人がまるで別の他人のように感じ、好きが嫌いに少しずつ、でも確かに変わっていく怖さが。」 「……」 もう、先生も言い返してこない。本当にこれで私たちの関係は終わりなんだ。 「もう、二人とも楽になりましょう。……さっきは言いすぎたかもしれません。先生が私のことを思う気持ちを無下にしたいんじゃありません。でも、先生の行動は私の思いを無下にしている。そう思ってしまったんです。」 さっきまで晴れていたはずのに、雨が降りだした。 先生にも雨が降ってくれたらよかったのに。

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ルーツ・ループ①

プロローグ 今日も僕は君を待つ。 今日も私はあなたを思う。 “いつか“に想いを馳せて。 “いつか”に思いを馳せて。 1年3カ月目 「こんにちは。最近はどうです?なにか思い出せそうですか」 「いえ。なにも。昔、好きな人と行ったって聞いたのでやまの公園に行ってきたんですけど、何も思い出せなくて。あ、これ良かったら。お土産です」 「え~いいんですか?ありがとうございます。いつもどこかどこかに行かれるとお土産買ってきてくれますよね」 「先生にはお世話になってるので。それ、可愛いでしょう。熊があの辺は名物らしくて、その子を見たらなんだか先生みたいだなって思ったんです」 「これが僕ですか。えぇ、僕こんなに可愛いですかね?」 「いや。全然。そのぬいぐるみの方が断然かわいいですよ」 「恵梨香さん、だいぶ毒を吐くようになりましたよね。これも信頼関係ですかね」 「先生ならこれくらいフランクに話してみてもいいかなって」 「フランクですか」 「……怒りました?」 「いや、一年前はこんなに笑わなかったので、こんなに話してくれなかったなと思って」 「……先生と話すとなんか落ち着くんです。それに話したくなるんです。子供みたいですけど聞いてほしくなってしまうんですよね」 「あらら?まるで恋の様ですね」 「恋ですか?」 「前に話したようにあなたには思い人がいたんですよ。昔の、記憶を無くす前のあなたもそんな気持ちだったのかもしれませんね」 そんな何気ない会話をカウンセリングと呼び、その日も先生との時間を終える。 私は以前の思い出を無くした。他に症例の無い、そういう病気らしい。名前も確立しておらず、リセット症候群と呼んでいる。 私が思い出を無くしたのはこれで10回目らしい。私は3年ごとに思い出が無くなる。 あくまでも無くすのは思い出の記憶だけ。言語能力や計算、体の使い方など生きていくた めに必要な能力は覚えていられる。だから日常生活を送るという面では支障はないが私はここから出ることができない。私の両親はお金持ちらしくこの病院の一部屋と先生を買い取ったらしい。 お気に入りのクマのぬいぐるみも3年したら興味が無くなる。先生は「過去の思い出を捨ててはいけないよ」と綺麗に保管してくれているが思い出が戻らないなら、それらはただの置き物ではないかと思ってしまう。 起きた時から縛られていた左腕のミサンガは「縁起物だから」と母が言い、誰からもらったかわからないがそのままつけておく事にした。 一日後 「おはようございます。恵梨香さん」 「おはようございます。もう出勤ですか?お 医者さんは忙しいんですね」 まだ寝起きでお手洗いに行くところだったので寝癖が付いてないかなと気づかれないように何となく髪を整えてみる。 「大丈夫ですよ。寝癖とかついてないです」 「あ、あちゃ~ばれてました?」 「昔からの癖はやはり抜けないんですね」 「どういうことです?」 「昔のあなたも私に会うとよくそんな素振りをしました。昔はどうしました?と聞いていましたがそれが寝癖を気にしているあなたの素振りなんだなってすぐに気づきましたよ」 昔の私。今の治療の第一段階は古い思い出を思い出すこと。仮に記憶できる時間的拘束が私にあるのならどうにもならないが記憶容量的な問題ならそれを拡張すれば症状が改善するかもしれない。そういう先生の仮説を信じて今回の私は治療を受けている。 先生はいつも私と話す時にこにこと笑ってまるで子供の相手をする親の様に私とのカウんセリングをする。そのことに怒りは無い。自分の病気を治すなら自分が一番の被検体であり、世間知らずな私は年齢関係なく子供なのだろう。 だから、たまに変化を求めて子供の様な事を 聞いてしまう。 「先生。少し不思議なことがあって。話を聞 いてくれませんか」 どうしましたと先生はいつものように優しく笑い、聞いてくれる。 「最近夢を見るんです。私が助手席に座って 車に乗っている夢です」 「ほほう。どこかに行かれたんですか?」 「海が見えました。私は助手席で外を見ると穏やかな海。それとガードレールがあって。全部真っ白なのに一か所だけ今にも折れそうなほど茶色くさび付いたのがあるんです。それで、気が付くと散歩をしていて、車はどこかに消えてしまって、横には私より少し若い人がいるんです」 「その人は男性か女性かわかりますか?」 「何となく男性であるってわかるんですよね。でも、話さないし、服装もあいまいで……本当にその人の何を見て男性だと思ったかわか らないんです」 「顔は分かりますか?」 「それも… … わかりません。その人の顔を意識的に見ないようにしている気もするし、男性の方を向くと…。えっと。顔の端って言うんですかね。顎のラインや頬とかそういうものが少しくらい見えると思うんですけどぼやけちゃって。カメラで顔じゃないところにピントが合っちゃったみたいにぼやぁっとしています。」 それはまた。と先生は頭を悩ませている。ただの夢の話が病気の克服に繋がるなんて私も思っていない。しかし、先生はむぅぅと唸り、思った以上に難しい顔をしながら悩むので話題を変えようと違う質問をしてみる。 「先生は私のこと、もう何年くらい見ている んですか。」 「え、あぁ、そうですね。うーん。もう7年くらいですかね。はじめの1年は前の人と一緒にこんなカウンセリングをしていたので。研修みたいなものですね」 「私のお付き合いしていた方のことを先生は知っているんですか」 先生はまた難しい顔をした。 「……秘密という答えはいいですか?」 「え?」 「医者として患者のプライバシーを守る義務があります。それは、あなたのも、相手の方のも。だから、あまり簡単に話せないんですよ」 「そういうことですか。わかりました」 「昨日は信頼関係だ何だと言ったのは私なのに、すいません。あ、今日は14時からまたカウンセリングですからね。遅れずに来てください」 「私が遅刻したことありましたっけ?」 「ふふ。ないですね。一応、声をかけるのも医者の仕事なので」 最近、先生に会うと嬉しくなる。カウンセリングは毎日あるし、必ず会えるのに、会うだけで嬉しくなって終わり際は寂しくなる。先生の言ってくれる「また明日」が嬉しくて、寂しい。すらっとしていて、肌が雪のようにきれいで、気を抜くとついミサンガを付けた細くてきれいな腕に目が行ってしまう。 昨日、まるで恋みたいと言われたとき、こんなものも恋なのかもしれないと思ってしまう。 1年4か月目13日 「藤村先生。娘の容態はどうです」 「残念ながら改善しているようには思えませんね。」 「そうですか……そうですか」 「そんなに気を落とさないでください。恵梨香さん自身は健康です。記憶に関しては他に例がないだけで治らないわけじゃないですから。時間はかかるかもしれませんが、治しますから」 父はこの話を聞く時いつも残念そうな顔をする。父ももう私が治らないかもしれないことを覚悟している。それでも娘の奇病を治そうとしてくれる先生がいるのならその優しさを希望にしてしまう。だから、改善がないと言われると裏切られたように感じるのだろう。 「恵梨香さん。少し席を外してもらえますか?お父さんとお金に関するお話があるので」 先生はいつものように優しく微笑み、私に 気を使ってくれる。 お金持ちとはいえこんな生活をしていたら莫大な金額がかかる。私にあまりお金を意識してほしくないという先生の優しさだ。両親もお金のことは気にするなと言うだけで私にいくら掛かっているのか教えてはくれない。早く病を治したい。それで両親を私から解放したい。いつも外に出されると寂しくなる。焦ってしまう。早く“普通”にならないと。と。 1年目4か月16日 「先生。お話があります。」 「なんですか?恵梨香さん」 「私と、その… … 私の恋人になってくれないでしょうか」 冷やかしのつもりはなかった。でも、罪悪感はあった。やはり相手が自分の専門医なんて良くないのでは、こんなこと父も母も喜ばないのでは。でも、自分にその気持ちがあって、もしこれで治るかもしれないならば試してみたかった。 「そうですか。……すぐにはお返事できません。待たせてしまってごめんなさい。一日だけお時間もらえないでしょうか」 「え。あ、あぁ。もうそれは全然大丈夫なんですけど。」 「どうかしました?」 「悩んでくれるんだと思って。こういう関係ですし、すぐに振られると思っていたので……その、驚きました」 「医者も患者も人間です。それに、驚いたのは私もですよ。そんな風に思ってくれていたなんて」 「すごく、何というか間違っている気もしたんですけど、それにこれも恋なのかもしれないと気づいたのもつい最近で。先生にこれが恋の様と言われた時で。でも、これが恋なら体験したいなって。ほら!言葉とか私いつも覚えているじゃないですか。もしかしたら恋も経験したら次もまた先生のことを好きになるとか起きたらそれは症状の改善じゃないですか?」 「……そうですね。そんな反応が起きたらびっくりですね」 次の日のカウンセリングで先生はいつも通り「こんにちは」とはじめ、その次に「お付き合いしましょう」と簡単に言った。

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偶然

 私は今落ちている。物理的にだ。耳に風の音が入り込んでくる。 「嫌だ…やめてくれ、お願いだか…」  また一人昇っていった。そしてそのまま爆ぜた。赤色が落ちてきて私の服にかかる。でも、別に構わない。かかってもわからないから。あと少しで下を向けそうだ。でも、今日もここで終わってしまった。  いつもそこで目が覚める。これは私が見る夢だ。いつも私はどこか空で落ちている。誰か知らない人が風船のように浮いていき、風船のように割れる。下を向こうとする。月に10回ほど。もう3年になる。  「またこの夢か。もう…364回め。」  現実にいることを確認するように独り言をこぼした。ニャァと返事が返ってくる。  「おはよう。マタ。」  今度は返事がなかった。寂しいなぁ。布団から抜け出し、カレンダーにチェックをつける。この夢を見た日はカレンダーにチェックをつけることにしている。寝汗もひどく、シャワーを浴びようと服を脱ぐ。鏡に映る私の首が赤くなっている。いつものことだ。この夢を見るとこうなる。ストレスかなぁ。顔を洗い、朝食を摂り、薬を飲み、仕事着に着替え会社に向かう。  ビルが立ち並ぶ道を歩き、オフィスに向かう。今日も取引先の人来るかなぁ。無茶なお願いされてまも対応できないって。そんなことを思っていると人が落ちてきた。自分の十数メートル先。なにこれ。ちょうど工事中で、その事故のよう。落ちてきた人は多分もう死んでいる。でも、その顔にはなんとなく見覚えがあった。夢で見た人だ…と思った。  「朝から災難でしたね。そんな事故を見ちゃうなんて。一応、こちらとしても聞きたいことは聞き終わりましたしもう行ってもらって大丈夫ですよ。」  「あ、はい。ご苦労様です…」  警察に私が見たままの状況を説明して会社に向かった。もちろん仕事なんてろくに出来なかった。頭の中にはあの人が死んだのは“私のせいなんじゃないか”という疑問と“もしそうだったらどうしよう”という解消のしようが無い不安でパンパンだった。会社も事故現場を見たという私の状況を知っているため、早めに帰宅させてもらうことになった。  どうしても気になり前のあの夢を見た日に落下事故がなかったか検索してみた。そうすると何件か見つかった。そりゃそうだ。こんなにたくさん人がいる世の中だ。落下事故なんて何件も起こる。明日も仕事はある。今日みたいな調子では仕事にならない。早く寝てしまおう。  また、私は落ちている。横には子供が1人いる。もしこの子が昇ったらこの子は死ぬのだろうか。それは許せなかった。  数年前まで私は結婚していた。夫がいた。夫は子供を欲しがっていた。そして、私たち夫婦の間に子供ができた。でも、流産してしまった。それからだった。この夢を見るようになったのは。この夢は人の命に関わる何かがある。そして横にいるこの子を死なせるわけにはいかない。いつもならこの夢は下を向こうとすれば終わる。今回だって。  下を向こうとする。でも、風が強く体がうまく動かせない。押し上げられ下を向くことができない。子供がゆっくりと昇っているように見える。いけない。このままでは、また私は人を。腕をバタつかせなんとか背中の方に腕が回った。そのまま髪の毛を掴み、思いきり引っ張った。これで下を向け、夢が終わるはずだ。 「もう30年も前になる事件だが、夢終市のマンションで女性の変死体が発見された事故を知っているかな。女性は自分で自分の髪を掴み勢いよく引っ張ったことで頚椎骨折をし、そのまま死亡した事故であると警察は断定し事故処理とした。発見理由は猫型のペットロボットの音声が鳴り止まず不審に思った隣人からの通報。しかし、その前日に女性は落下事故現場を目撃してしまった。また、数年前に夫はを亡くし、同じ時期から変な夢を見ると知人に話していたこともわかっている。私はこれを研究したい。私の専門分野は確率論が中心だ。このようなことが起きた原因になにがあったのか。確率として、人間の起こす科学として私はこの偶然を研究したいのだよ。」

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