なみだくん

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なみだくん

『泣きながら生まれてきたんだから、最後は笑って終わりたい』

絶対に花見に行かない男の話

4月。 日本では至る所で満開の桜を拝むことができるこの季節。 人々は天気のいい週末にこぞって花見をしに行く計画を立てていることだろう。 かく言う僕もその一人だ。 だがしかし、今年も花見は諦めることになりそうだった。 「花見?……行かねぇよ。」 男がそう吐き捨てる。 そしてそのまま机に突っ伏してしまった。 去年もだったが、今年も相変わらず取り付く島がない。 この机に突っ伏しているぶっきらぼうな男は一応僕の親友である。 そして、毎年僕が花見に誘っても絶対に断る男でもあった。 今年の花見もやはりと言うべきかしっかりと断られてしまう。 少しがっかりするが、半分諦めてもいたためショックは少ない。 僕は机の上にある男の頭を見つめた。 窓から暖かい風が舞い込んで男の短い黒髪をそよそよと揺らす。 その光景を眺めながら僕は静かに問うた。 「花見、なんで行かないの。」 「…。」 男の返答は沈黙。 きっともう眠りについているのだろう。 男の耳にはもう僕の声が聞こえないのをいいことに僕は本音を零した。 「…一緒に、いきたかったな。」 ━━━━━━━ 男の話 ━━━━━━━━ 「…一緒に、いきたかったな。」 ぼそりと吐き出されたその言葉に、無意識に手へ力が篭もる。 これがきっとこいつの本音だ。 机で寝たフリをする俺に、先の言葉と一緒に落胆のため息を零す男。 この男は俺の親友だった。 毎年毎年この時期に俺を花見に誘ってくるしつこい奴だ。 そのくせ、俺が毎日毎日こいつに声をかけても応えやしないからもう意味がわからない。 花見に取り憑かれすぎだろう。 ……いや、違うか。 こいつは俺に、花見をさせたかったんじゃない。 俺と、一緒に過ごしたかったんだ。 分かってる。でも、行けない。 去年と同様、こいつは今年も俺を花見に誘ってきた。 そして俺も去年と同様、こいつの花見の誘いを断った。 今年の4月1日もこうして終わりを迎えるのだろう。 廃病院の一室。 埃っぽい空気。 机付きの古びたベッドの上。 舞い込む風がカーテンを揺らし、淡い桜色の光が差し込む。 俺は静かに目を閉じた。 5年前の今日と同じように。

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絶対に花見に行かない男の話

君と一緒に。 1

「おい、お前たち!さっさと出ろ!」 怒声が車内に響き、俺は夢の淵から無理やり引き戻された。 目を開けた瞬間、意識は現実へと急降下する。 薄暗い車内。天井近くの壁に嵌められた鉄骨の隙間からは微かな光が差し込んでいる。 昨夜までのガタガタとうるさかった振動音は消えており、今の車内は異様な程に静まり返っていた。 まだ夜明け前なのだろう。 夜明け前特有の青白い空気が、この空間を支配しているかのように、隅々まで行き渡っている。 「何をぐずぐずしている!ここはお遊び場じゃないぞ!」 そんな静寂な空気を打ち破るように、怒鳴り声が再び響いた。その低い怒声の持ち主が俺のいる車に近づいているのが足音で分かる。 重く、無骨な足音。その音は、耳のいい俺にしか聞こえなくて、音がするたびに俺は胸を小さく震わせた。 音は、やがて車の扉の隙間から差し込む光と影が重なる場所で止まった。 一瞬の間を置いて、扉の隙間の光が大きく揺れる。 そして、鋭い風が吹き込む音が聞こえたかと思うと、次の瞬間には、車の扉が勢いよく開かれた。 車内に冷たい空気が一気に流れ込む。 その風には、鉄と土の匂いが混じり、僅かな塩味さえ含んでいた。 開いた扉の先に立っていたのは一人の大男だった。 「降りろ。」 男はまるで罪人を相手にしているかのように、俺たちに短く、そう命じた。 ダークブラウンの髪に、深い青色の瞳をした五十代前半の大男。 黒い軍服に包まれた体は、まるで鋼の塊のようだ。 その目は鋭く、あたかも生きた獲物を狩る肉食獣のような威圧感を漂わせている。 「さっさとしろ!時間は待ってくれんぞ。」 男の言葉に、誰もが無視をするという選択肢を持たなかった。 言葉だけでなく、その圧倒的な存在が、それを許さなかったのだ。 車内にいるのは、俺を含めた十五人の少年少女。 「着いた…のか。」 その中の誰とも知れぬ声が震えながらに漏れる。 その声は車内全体に波紋のように広がり、全員の覚悟を無理やり現実に引き戻した。 とうとう――着いたのだ。 ここが、戦場。 そこは、生きた者の気配より、むしろ死の予感が濃厚に漂っている場所だった。 外から吹き込む風は容赦なく冷たい。 荒野の乾いた匂いが鼻腔を刺し、生気のない世界の気配を詳らかに伝えてくる。 誰であってもこの先へ進みたいとは思わないだろう。 それでも、俺たちには前に進むしか選択肢がないのだ。 この扉の先の大男に「出ろ」言われたからだけじゃない。 俺たちは、この国の“兵器”なのだから。 「覚悟を決めろ、ガキ共。次に帰る時、生きていられるかどうかはお前たち次第だ。」 大男の言う通り、俺たちは五体満足で生きて帰ってこられるかは分からない。 それに、生きて帰ってこられたとしても、その先に待っているのは、また訓練、実験の地獄の日々だ。 それでも死にたくはないから。 いつか自由になるその日まで生きていたいから。 俺は覚悟を決めて、深く息を吐き出した。 冷えた金属の床を踏みしめながら、俺は一歩目を踏み出した。

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君と一緒に。 1

翡翠の笑顔

「まじでお前のそういうところ本当に嫌い」 それは、秋を感じ始めるような肌寒いある夜の日のことだった。 2人で歩く自宅までの帰り道。 道端にポツポツと建つ電柱の灯りのみが、行く先を照らす帰り道。 そんな静かで暗い夜の中に、ドボンと岩を投じるように、紫音は言葉を吐き出した。 「いつもヘラヘラふざけてばっか」 「少しは、人の気持ちも考えろよ……!」 微かに震える紫音の声。 何かを我慢するような、苦しそうな紫音の声。 それは到底偽物なんかではなくて。 ああ、冗談抜きで本当に紫音は僕のことが嫌いなんだ、と。 この時はじめて、そう切々と感じた。 『……。』 二人の間に無言の時間が訪れる。 耳が痛くなるほどの静寂に包まれたこの空間。 ドクドクドクドク、と。 この心臓の音までもが紫音に聴こえてしまいそうで。 僕がこれまで隠してきた事を全て曝け出してしまいそうで。 吐き出す息が無意識に震えて、震えて止まらなかった。 「…………ごめん」 やっとのことで絞り出した僕の声。 紫音と一緒で微かに震えていて、だけど、紫音とは違いその声は余りにも小さくて。 「……何?」 紫音に僕の言葉は上手く届かなかったようだった。 「いや、……帰ってって言った。用事思い出したから」 閑散とした住宅街にただ一つ、僕の懺悔だけが誰にも気づかれずに取り残されていく。 もし、この時。 もう少し僕に勇気があれば。 もう一度同じ言葉を届けられていれば。 なんて。 今更後悔したってもう遅いのに。 「鮫島翡翠さん。落ち着いて聞いてください。あなたは二十歳まで生きられないかもしれません」 そう言われた時から、僕の世界は黒く染まっていた。 中学二年の夏。 家で倒れていた僕を両親が病院に連れていった日。 僕は余命宣告を受けた。 脳に異常があると言われた。 効果的な治療法は現在、存在しないと言われた。 長く生きられる可能性は限りなく低く、頑張っても二十歳が限界だと言われた。 その時の僕の世界は、まるでバケツの水に黒の絵の具をぶち込んだ時のように歪み穢れていた。 その黒は視界いっぱいに広がって、広がり続けて止まらなくて。 やがて、その黒は決壊した。 先生の話を聞きながら、僕の瞳からは黒が溢れ続けた。 父さんと母さんの瞳からも同じものが流れているはずなのに、どうして僕のはこんなに黒いんだろう。 多分これが異常なのだと、そこで僕は理解した。 それからのこと。 僕は日常生活中でも、頭痛と吐き気を常に催すようになった。 原因はもちろん僕の脳の異常。 視界の明滅が激しいせいで、脳の情報処理が間に合わないことからくるものらしかった。 病院で処方された痛み止めを服用してみるも、全くの効果なし。 その事で両親は思い悩み眠れない日が続いた。 日に日に、目に見えるように疲弊していく二人。 それが申し訳なくて、僕も苦しくて。 その頃から、僕は自分に嘘をつくようになった。 「痛くないの?」 と聞かれると、 もちろん痛い。頭が割れそう、と答えたくなるのを我慢して。 「んー?ぜーんぜん痛くないよ」 そう言って笑った。 僕が笑うと、両親二人も安心したように笑うから。 二人が笑ってくれると僕も嬉しくて、一瞬だけ痛みを忘れることが出来たから。 だから、僕は人前では常に笑顔でいるように心がけた。 そしていつの間にかそれは癖になっていた。 楽しいから笑う。 嬉しいから笑う。 怒っていても笑う。 苦しくても笑う。 悲しくても笑う。 馬鹿にされても笑う。 怒られても笑う。 悲しまれても笑う。 嫌われても、笑う。 「あれ……、おかしいな」 紫音と別れて、一人歩く帰り道。 電柱の灯りも見えない真っ黒な帰り道。 顔に手を触れて確認する。 僕はちゃんと笑えているだろうかと。 その触れた頬は生温かく濡れていた。 静かで暗い夜の中に、ドボンと岩を投じるように、吐き出された紫音の言葉は、波紋をつくり僕の中で広がり続ける。 小さかったはずの痛みは大きく大きく変わっていって。 「あれ、どうやって笑えばいいんだっけ……」 そのまま僕は黒の世界に身を投じた。 それが僕の最後だった。 鮫島翡翠。享年十八歳。 「紫音くん、今まで翡翠のことありがとう」 真っ赤な目に真っ赤な鼻で、翡翠の両親が俺に礼を言ってくる。 二人の諦めたような、絶望したようなその笑顔は翡翠にそっくりだと思った。 今日は翡翠の葬式、翡翠との別れの日。 秋を感じ始めるような肌寒い先日の夜、翡翠は死んだ。 道で倒れている所を発見されて、すぐに死亡が確認されたのだとか。 その日は俺と翡翠が一緒に帰っていた日だった。 「翡翠は……、殺されたんですか」 声が震えているのが嫌でもわかる。 あの日、多分最後まで一緒にいたのは俺だった。 もし、途中で翡翠と別れていなければ、こんな事にはならなかったのかもしれない。 ……なんて。 遅すぎる後悔が大渦になって俺を襲って視界が歪む。 なんで、あの日に限ってあんな事を言ってしまったのだろうか、と。 「え…、紫音くん何を言ってるの?」 しかし、そんな後悔に押し潰されそうな俺に返ってきた答えは思いもよらないものだった。 「……病気?」 「そう。中学2年の頃からね。おばさん紫音くんはもう知ってるものだと思ってたわ」 そう言って翡翠の母は遠い過去を思い出すかのように目を閉じる。 穏やかな表情の翡翠の母。 それとは対称的に、俺は内心大荒れだった。 知らない。 知らなかった。 翡翠が余命宣告を受けるほどの病気を患っているなんて、知らなかった。 ずっと一緒にいたのに分からなかった。 だって翡翠はいつも笑ってて、元気そうで…。 「あの子はいつも笑っててくれてね。本当は一番苦しいはずなのに、そんな素振り一切見せてくれないの」 俺の内心と翡翠の母の言葉が重なる。 同じような内容なのに、こうも見え方が違っていたのか。 目の奥が熱くなって、視界がグニャリと歪んだ。 ドクリドクリと、心臓が嫌な音を立てはじめる。 「でも紫音くんの話をしているときは、本当にとっても楽しそうで、おばさんも嬉しかったのよ」 そう言って、翡翠の母はゆっくりと目を開けた。 翡翠の母と目が合う。 その目に、あの夜の日のことが全て見透かされているみたいで。 「それからね、」 「すみません、……もう、いいです。大丈夫です」 俺は怖くなって、その場から逃げ出した。 できるだけ足早に葬儀場内を横切っていく。 心臓の嫌な音はどんどんと大きくなっていき、体内の臓器を全て吐き出してしまいそうな気持ち悪さに襲われた。 葬儀場内から脱出して、今度は駐車場の隅の方まで全力で走る。 誰にどんな目で見られていようとどうでもいいと言わんばかりに俺は走った。 なんとか人目につかなそうな所に着いて、俺は耐えきれずそこでうずくまり胃酸を吐き出す。 瞳からはとめどなく透明な水が溢れ出してきた。 陽の光を反射してキラリと輝く俺の涙。 だけど、透明なはずのその液体が、俺の目には黒く、汚らわしく写った。 「翡翠……、ごめん。」 掠れた俺のこの言葉は、もう届けたい人には届かない。 あの夜の日、翡翠を殺したのは俺だった。 俺が翡翠を傷つけて、たくさん傷つけて殺したんだ。 俺にはお前のために泣く資格なんてないのに、涙は留まることを知らない。 「俺、いっつも笑ってばっかのお前が……、なんにも考えてないみたいで嫌いだった……」 「けど、人一倍苦しんでたのは、お前、だった……」 「本当に……ごめん。」 こんなのは自己満足でしかない。 もうこの言葉が届かない相手に向かって、俺は俺が楽になるために謝っているようなものだ。 たとえ、ここに翡翠がいたとしても。 それはそれで、あいつは笑って許してしまうのだろう。 翡翠がいない街に、俺の懺悔だけが誰にも気づかれずに取り残されていった。

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翡翠の笑顔

頑張りすぎる君へ

君はいつも何かを抱えている。 それは仕事であったり、小さな子どもであったり、大きな夢であったり。 多分、君にとって大切なもの。 だけどそれは傍からしたら、これっぽっちも価値が分からないもの。 そんなものを君はいつも大事に大事に抱えている。 折れてしまいそうな細い腕で頑張って抱えている。 どうしてそんなものをいつまでも抱えているんだろうか。 抱えすぎて押しつぶされそうになっているのに。 もう全て投げ出したいと苦しんでいるのに。 細い腕で抱えるその重い荷物を下ろしてしまってはいけないのだろうか。 君の代わりに僕がその重い荷物を持ってあげることはできないのだろうか。 きっと君は、僕がそう言っても笑顔で首を横に振るんだろう。 絶対に下ろすものか。 絶対に渡すものか。 と。 たとえ腕が折れてしまっても、君は意地でもそれを抱え続けるんだろう。 君は頑張りすぎる人。 1人で頑張りすぎる人。 腕いっぱいに抱えた大事なものを守り続けて、壊れてしまう人。 だから、たまには抱えたものを下ろして、少し休憩しよう。 それからまた抱えればいい。 頑張りすぎる君へ。 「僕と少しお話しませんか?」

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頑張りすぎる君へ

傷つけ愛、歪み愛、愛し合い。

きっと、僕らは出逢うべきではなかった。 磁石のS極とN極みたいな、正反対な僕と君。 全く違う僕ら同士だからこそ、互いに惹かれあってしまった。 だけどそれは間違いだった。 僕たちはたとえ何処かで出逢ったとしても、惹かれ合うべきではなかったんだ。 “ああ、またか” 君と出逢い、恋に落ちてから何度も何度もそう思った。 君の触れる指先が冷たいことに気づく度にそう思った。 君が無理して笑う度にそう思った。 夜、君が声を押し殺し1人で泣いている度にそう思った。 君の荒れ狂った部屋を見る度にそう思った。 君の身体に傷が増える度にそう思った。 でも、それはきっと君も同じ。 “ああ、またか” 同じような言葉を君の口から何度も聞いたことがある。 「ねぇ!またなの!?」 と。 怒気を含むヒステリックな金切り声で。 頭に直接キンキンと響く君の声で。 それは僕にとって不快以外の何者でもなかった。 だからその声が聞こえる日は、君の口を塞ぐことにした。 君の口に息も出来なくなるくらいしっかりと蓋をしてあげる。 そうすると、最初の方は嫌がって暴れていても、次第に大人しくなって、最後には穏やかに眠りにつくのだ。 眠っている間の静かな君は愛おしく思う。 温かくて柔らかくて、起きている間の冷たく痛々しいのとは真反対だ。 どうかこのままいつまでも眠っていてくれたら。 なんて。 それが歪んだ想いであることくらいは自覚している。 だから常々思うのだ。 きっと、僕らは出逢うべきではなかった。 と。 自身も他者も傷つけてまで、僕の気を惹こうとする君。 そんなことをする君よりも、人形のように静かで動かない君を愛する僕。 お互い正気の沙汰ではない。 いつか壊れる日が来るのは明白だった。 合わないはずのパズルのピースを無理やりはめ込んでいるのだ。 そう遠くないうちに僕と君は、2人で作り上げたこの歪な幸せの世界をたった一瞬で崩壊させるだろう。 作り上げた大きなジグソーパズルをバラバラと崩してしまうかのように。 だけどそれは悪いことばかりではないのかもしれない。 僕らは合わないピース同士。 だけどやり直しのとき、僕らの偽りの幸せが崩壊したとき。 僕ではない誰か、君と合うピースと出逢えるかもしれないのだ。 それが正しく愛し合える人。 傷つける愛じゃない。 歪んだ愛じゃない。 本当の意味で愛し合うことが出来る。 きっと、僕らはそんな人と出逢うべきだ。

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傷つけ愛、歪み愛、愛し合い。

壊れた

ガタンと大きな音を立て、棚が壊れた。 ドンッと思いきり床に落として、パソコンが壊れた。 バキリと嫌な音がして、車が壊れた。 ドクリと心臓が鼓動して、友情が壊れた。 あははははははと笑い声を上げて、人格が壊れた。 プツと何かの拍子で、心が、壊れた。 遠くの方でガラガラガラガラ鳴っている。 心が崩れる音が鳴っている。 この音はどうやったら止まるのか。 ガラガラガラガラ。 煩くて気が狂いそう。 『全部お前のせいだから』 ガラガラガラガラ、また一つ。 『俺じゃない、コイツがそう言ったんだ!』 ガラガラガラガラ、また一つ。 『もう二度と関わるな』 ガラガラガラガラ、、またひとつ。 『最低』 『消えろ』 『不愉快』 『邪魔者』 『気色悪い』 『狂ってる』 『大っ嫌い』 ガラガラガラガラ、、、、、また、、いくつ? いつの間にか、ガラガラの音が聞こえなくなって、耳が壊れた。 いつの間にか、食べたものの味が分からなくなって、舌が壊れた。 いつの間にか、人との会話が出来なくなって、口が壊れた。 ある日、信号の色が全部同じに見えて、目が壊れた。 その日、たくさんの赤が流れているのに何も感じなくて、神経が壊れた。 目が覚めて。 ああ、もう全部壊れてたんだって気がついた。 白い檻のベッドの中で気がついた。 ピーーーと変な音がして、僕が壊れた。

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壊れた

アイコンのイラスト描きました✏️

タイトルの通りです。 前使っていたイラストをちゃんと描き上げてみました。 どうでしょうか…?

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アイコンのイラスト描きました✏️

消したい記憶

怪我をしたら、傷口を流水で洗って、消毒して、ガーゼとかでバイ菌が入らないように塞いで、治るまで待つ。 体内では血小板がカサブタを作って、入ってきたバイ菌は白血球とかがやっつけて、自然治癒できるように作用する。 これは学校で習ったこと。 じゃあ、心が怪我をしたら、傷ついたら、どうやって治せばいい? 心が傷ついたとき、傷口をどうやって綺麗にしたらいい? 傷口が開かないようにするにはどうしたらいい? 体内の細胞たちは心の傷を治してくれる? そんなこと学校では教えてくれない。 だから心の傷は治らない。 時間を経るごとにどんどん化膿して、どんどん痛くなって、どんどん何も感じなくなる。 するといつの間にか痛みも感じなくなって、そうして私たちは傷口を忘れてしまう。 だけど、ふとした時。 ものすごく心が痛いと思う。 それは傷口が開いた時。 傷口にバイ菌が入った時。 そのせいでまた心に傷が増える。 この繰り返し。 心の傷は治らない。 増えて増えて増えていく。 それで、もうこれ以上ないくらい傷だらけになって限界が来たら、 彼女はそこで言葉を切って、少しだけ笑った。 悲しそうな、安心したような微笑みだった。 握った手のひらは冷たく、震えていた。 放課後。 屋上。 フェンス越しで握った手。 もうダメなんだと悟った。 彼女を止めるには、余りにも遅すぎた。 傷つきすぎた彼女の心にはもう何を言っても届かない。 “僕が話を聞くから” なんて。 たまたまその場に居合わせただけの僕に言う資格なんて微塵もない。 中学3年の6月。 じんわりと湿気に包まれていたあの日。 夕日が綺麗だったあの日。 僕は心にこの先治ることはない傷を負わされた。 日頃から、僕は生活態度が悪いと言われていた。 遅刻欠席は当たり前。 授業はサボるわ、家で揉め事ばかり起こすわ、校則を破ってバイトしてるわ、と。 今思っても救いようの無いクソガキだった。 まあだから、立ち入り禁止の屋上に勝手に入ることもわけない訳で。 放課後はバイトの時間になるまで屋上で時間を潰していた。 屋上は職員室からもよく見ないと見えないような位置にあったから、無断侵入も別にバレることはなかった。 教室にいたら無駄に変な目で見られて何か言われるし、家に帰ればクソみたいな奴が何か言ってくるしな日常で、屋上に居座るこの時間はなんだかんだ心落ち着く時間だった。 そんな日々を過ごしていた時。 5月頃から屋上にその人が来るようになった。 名前も学年も知らない女。 いつも屋上に僕より後から来て、僕より先に出ていく女。 彼女は屋上にいる間はずっと夕日を眺めて過ごしていた。 はじめは変な奴だと思った。 夕日を見つめて何が楽しいんだろうか、と。 そこから段々と、分からないモノに対する好奇心が募って。 僕は、彼女が屋上へ来るたび彼女のことを観察するようになった。 そんな彼女の内情が知れたのは、制服が夏服に変わり始める5月の終わり頃のこと。 涼しそうな白の半袖のセーラー服を着た彼女が屋上に現れた。 白くて細くて折れそうな彼女のその腕には、無数の赤い線が引かれていた。 手首から肘辺りにかけて、何本も。 それを見て、僕はなんとなく彼女が屋上に来る理由に察しがついた。 「ねえ、もしかして飛び降りようとしてる?」 彼女が夏服になったその日、僕は初めて彼女に声をかけた。 びっくりした顔で彼女は僕を見る。 そして段々と焦ったような顔になって、彼女はそのまま屋上を出ていった。 まさか何も言わずに出ていくとは思わなくて、僕も驚いたのを覚えている。 その日から、僕と彼女はたまに言葉を交わす仲になった。 「あなたはなんでここに居るの?」 「暇つぶし」 「今日はなんだか天気悪いね」 「明日は雨でも降るんじゃない?」 「ここ、全然先生来ないね」 「ザルいよね」 お互いに自分のことは話さない。 相手のこともあまり聞かない。 それは不思議な関係だった。 話し始めてから分かった事だが、彼女は思ったよりもまともな人間だった。 でも、そういう人間ほど病みを抱えやすいとか聞くし、そんなものなんだろうと僕は思った。 6月。 日付まではもう覚えていないが、あの日とうとう、彼女は屋上から飛び降りた。 あの日の出来事は忘れたくても忘れられない。 ありがとうも、ごめんなさいも、さよならも何も言わず。 ただ、心の傷は治らないという話をして、飛び降りた。 僕の目の前で飛び降りた。 彼女は何がしたかったのか。 僕に、僕の心に治らない傷を残して。 それで、どうしたかったのか。 自分が死んでも誰かに覚えていて欲しかったとか? 本当は僕のことが嫌いでトラウマを植え付けたかったとか? 飛び降りても死にたくはないから、すぐに助けてもらえる状況で飛び降りたかったとか? 分からない。 幸いなことに彼女は別に死にはしなかった。 たまたま電線という障害物のおかげで即死は免れ、すぐに救急車がきたため骨折、失明はしたが命に別状はないということだった。 彼女は……、本当に何がしたかったのだろう。 今でも、僕の心にはあの日の出来事が絡みついて離れない。 今、彼女が生きているかどうかは分からないが、僕は生きている。 生きている限り、あの日の光景はずっと僕の中で留まり続け僕を苛み続ける。 彼女を飛び降りさせないようにできたのではないか、と。 罪悪感というものなのか。 何故、名前も知らない、今生きているかも分からない彼女のために僕は今も悩み続けているのだろう。 多分、これが彼女の伝えたかった「心の傷は治らない」ということなのだ。

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消したい記憶

描く。 (起)

始まりは中学3年生の頃。 きっかけは……何だったか。 もうよく覚えていない。 だけど、僕がそれに熱中した原因はよく覚えている。 口喧嘩の絶えない父と母と祖母に嫌気が差した。 ただそれだけ。 『描く』ことは僕を現実から引き離してくれた。 紙の上の線はどこまでも自由で、縛られるものなどひとつも無い。 それがどこか心地良かった。 描き始めの頃はずっと翼を描いていた。 翼を広げた鳥。 翼を持ち羽ばたく人間。 天使。 そして、悪魔。 お世辞にも上手いとは言えない。 だけど、どれも他者に見せるには勿体無い僕だけの宝物だった。 自身が満足しきるところまで描き上げて、それを光にかざしてみる。 するとどうだろう。 空色がうっすら透けて、彼らは本当に飛び立ったのだ。 嬉しかった。 本当に嬉しかった。 この感情が後に『達成感』というものだと理解するのだが、そんなことはどうでもよくて。 この瞬間が僕は涙が出るほどに大好きだった。 そうして僕は『描く』ことにハマったのだ。 僕のこの宝物は奴らに見つかると厄介な事になると、当時の僕は理解していた。 だから僕はこの宝物をファイルの中に入れ、机の引き出しの奥に隠し、鍵をかけて保管していた。 奴らに見つからないように。 誰にも見つけられないように。 真夜中。 奴らが全員寝静まった頃。 僕はベッドからそっと身を起こし、閉ざされた扉を開け放つための鍵を握りしめる。 当時の僕はその鍵を常に肌身離さず持ち歩いていた。 部屋の外の電気が全て消えていること、奴らの寝息が聴こえることを確認する。 そうして確認が終わればとうとう“儀式”の始まりだった。 音を立てないよう、ゆったりとした動作で引き出しを開けそれらを取り出す。 それらとはもちろん僕の宝物たちだ。 一挙手一投足に神経を研ぎ澄ませ、宝物を床いっぱいに広げる。 鳥。 翼を持ったヒトモドキ。 天使。 悪魔。 前日にはグリフォンも追加された。 一つ一つ床に広げられた宝物の絵たちを眺めて一息つく。 ここまでが“儀式”の一連の流れだった。 そこからは宝物たちを片付けてベッドに戻る日もあれば、 真っ白なコピー用紙を持ち出してきてまた1つ宝物を増やす日もあった。 新しい宝物が増えると何故だか心が安定した。 日が上れば、また罵声怒声の日常がやってくる。 安心なんて程遠い。 安寧なんて来るはずがない。 そう信じて疑わない日々だった。 そんな中で、 “儀式”は当時の擦り減った僕の心を癒してくれた。 その頃の『描く』ことは僕にとっての希望だった。

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描く。 (起)

僕は抗うよ。

4年くらい前の話だ。 当時コロナ禍で暇を持て余していた僕は、自身のスマホにカラオケアプリをインストールして遊んでいた。 試しに歌を歌ってみては、それを聴き返して「これは違う」などとアーティストにでもなった気分で言ってみる。 何度か同じ曲を歌い重ねて、その中で一番気に入った歌声を自由にネットに載せる。 それらの行為からは別に何も生まれない。 ただ、コロナ禍という無限と感じるような空白の時間に色を付けることは出来た。 それで十分だった。 だから顔も知らない誰かからの『いいね』もコメントも、心底どうでもよくて全て無視を貫いた。 それがあまり良くなかったのかもしれない。 ある日1件のDMが僕宛てに届いた。 「調子に乗るな」という内容だった。 当時の僕には思い当たる節もなく、訳の分からなさにDMを送ってきた相手を即座にブロックした。 それからだ。 似たようなDMが毎日毎日毎日毎日。 僕宛てに、色々な人から届くようになった。 調子に乗るな。 イキるな。 別に上手くもないくせに。 本当に訳が分からなかった。 僕は何もしていないのに、何故こんなにも誰かから非難されないといけないのか。 そう、僕は何もしていないのに……。 「何もしていないからこんな事になったんだろう?」 それは僕の親友の言葉だった。 この男は人に対する興味が極めて薄く、相手のことを何も考えずにズケズケと言ってしまう短所があるが、この時ばかりは良い方向に作用した。 「何もしなかったからダメだったのか?それならどうすれば良かったんだ?」 そう問いかける僕に奴はこう返した。 「抗うんだよ」 と、ただ一言。 それから奴はもう興味が無くなったのか手に持っていたマンガへ目を落とし読み始めた。 奴との会話はそれで終わり。 だけど、僕の心はどこか曇りが晴れたように清々しかった。 抗う。 そんな単純なことを何故しなかったのか。 よく考えてみれば不審な点はあった。 DMを送ってきた1人目を僕がブロックした後、どうして似たような人間が増えていったのか。 それは、1人目が僕にブロックされたことをどこかで誰かに伝えたからではないのか。 「調子に乗るな」という訳の分からない内容のDMが送られてくること。 それは、僕が調子に乗っていると勝手に言いふらしている人間がいるからなのではないか。 そんな疑惑を胸にDMを送り付けてくる人間の共通項を探してみた。 共通項はすぐに見つかった。 余りにもあっさり見つかって少し落胆した。 元凶は同じカラオケアプリで活動している1人の女だった。 女は数千という大人数のフォロワーに囲まれていた。 僕に誹謗中傷されたという理由で。 そこでなんとなくこの出来事の全容が分かってしまった。 女のプロフィール欄にはしっかりと僕のユーザー名とアカウントアドレス付きで「この人に誹謗中傷された者です」と書かれていた。 僕はそんな事したこともないのに。 証拠もないのに。 それなのに、その嘘を信じてしまった人間がこんなにも居たのだ。 その頃の僕は、例の女よりも少し少ないがまあまあな人数のフォロワーがいた。 ファンがいるところにはアンチもいる。 きっと初めは僕のアンチ的な存在がこの女を嬉々として持ち上げていたのだろう。 それが時間を経て悪化した。 僕が何もしなかったから。 僕の反応が無いのをいいことに、こいつらは好き勝手やったのだろう。 嘘の言葉はこいつらにとって本当の言葉になってしまった。 これはもう、僕が何を言ってもこいつらには届かない。 そんな気がした。 人間は正しい正しくない関係なく信じたいものを信じるのだ。 だから僕は一言。 「何を言われても僕は誹謗中傷したという事実は無いことを主張します」 そう言葉を紡いだ。 僕自身の声で。 歌声以外の声で。 それはこの場所で初めて僕の意思を持った声。 理不尽に抗うために。 僕は産声を上げたんだ。 何もしないはもうやめた。

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僕は抗うよ。