ごとばいん。
5 件の小説その恋、悪魔憑きにて
放課後の閑静とした教室は、単調なペンの擦れる音を静かに享受し続けている。 「……高梨さん、カワイイなァ」 笑みを浮かべ、『悪魔』は俺に囁いた。 俺は、前方に坐している『すきなひと』を程程に見つめながらの自習というまったく有意義な方法でこの退屈な時間を過ごしていた───────。 『高梨佳澄』。これで「かすみ」と読むのだ。身長156センチ。誕生日は12月5日。血液型はAB型。好きな食べ物は抹茶のチョコレート、苦いのが好きらしい。 ふだんは長めのボブだが、運動と食事をする時は後ろで小綺麗にひとつに結っている。くっきりとした二重で、整えられた長いまつ毛が特にかわいらしい。 彼女が俺の好意を察しているのかは分からないが、頻繁に会話はしていたし、好きなお菓子もたまに交換している。俺にとって誰よりも特別な存在だ。 もちろん、俺が恋に堕ちたのは、『一目惚れ』などというばかな理由などではない。 彼女の誰よりも熱心に勉学に取り組む姿勢に徐々に惹かれていったのだ。 悪魔は俺に言った。「恋は盲目。それで良い」と。 奴が俺に与えてくれたのは、常に自分に正直になれる臆病な勇気。そして、重度の愛だった。 陽はさらに傾き寂寥とした夕空を明日の色に染める。俺は机に片肘突いて彼女を眺めながら「はぁ」と短い嘆息をもらした。好い人との距離が縮まっているのは固より疑いはない。然し、果たしてこの恋が成功するのか。というのは依然として複雑なアポリアである。 思いがけず、彼女の矯正のかけられた整然たる髪が一斉に風に靡いた。淡い橙色の光を帯びた一本いっぽんが鮮明に識別できるほどに艶やかだ。後ろからでも、黙々とペンを動かしているきゃしゃな指の細部に至るまでもがくっきり見える。紅梅色の若い唇は時々緩み、歯をのぞかせるのがわかった。 ───────俺の「らぶ」は、既にして深刻な病。寛解は困難だ。高梨さんが他の男子と楽しくおしゃべりしているとなぜか無性に妬ましい。以前に、級友のサイトウには「カスミちゃん?まだ『付き合ってもいない』のに重くない?(笑)」と言われたこともあった。 今ややさしい月の気配が差し込む教室を俯瞰すると、他のクラスメートは1人残らず立ち去り、畢竟、部屋に残っているのは俺と彼女の2人になっていた。オレンジのLEDライトは薄いリノリウムの床に反射して、初月の光波と共に3層に重なり、彼女だけのステージを形創っている。まるで、ライブの最前席で主役を独り占めしているような気分だ。 暗がりの窓の外を心配そうに見つめると、彼女は立ち上がった。膝が隠れるほどのスカートは、長時間に亙る窮屈な臀部の圧迫から開放され、生温い夜風に当たって揚々と流動する。胸ポケットの可愛い赤のスマホケースがちらりと顔をのぞかせた。 『─────っ』 両手を絡ませ、凝った体を4方へ大きく伸ばすと 『はーぁ』 と深く呼吸をした。 「マジでステキだねェ、高梨さん」 俺の悪魔は、こんなシチュエーションが好きだ。奴は俺のボイラー室で薪を焚べている。心音が早まり、耳たぶの赤は頬や顔全体に染み渡っていた。 『んー、シライシくんもがんばったね、おつかれさまだよ。』 彼女が無邪気な笑顔で俺の名前を呼んだ。 むろん、2人の間の沈黙は気まずいと言えよう。だのにこの恋とかいうヤツは、まさに「すてきな沈黙」とでも名を冠したくなるような瞬間を持っているから侮れないのだ。 ───彼女のセリフを幾度か反芻したのちに俺はこの『すてきな沈黙』を破り、口を開いた。 「ね、高梨さん。もう結構暗いし、もしよかったら、一緒に──────」 がらがらと、前方の戸が荒々しい音を立て、ガタイのいい男が廊下の白色蛍光灯の薄明るさと共に這入りこんできた。 「D組も、残っている奴はすみやかに帰宅しなさい」 確か、国語科主任のヤマダだ。バレー部の顧問をしている。放課からはかなり時間が経っていたため、俺は彼の突然の登場に少し驚いた。 「シライシ君、よくこんなに遅くまで、1人でやってたね」 ヤマダはやや呆れ顔で左の頭を2度かいた。 「いえ、俺は高梨さんと…」 照明がちかちかと3度ほど点滅した。 「タカナシ………?」 ヤマダは怪訝そうに俺を睨んだ。 「今うしろで支度してるじゃあないですか。先生」 続けて、彼がみせたのは驚懼の目だ。狂犬病に罹った野犬でも見るような哀れみの目。わなわなと唇を震わせ、ヤマダは再び、ゆっくりとした口調で言った。 「シライシ君。先生、言ったでしょ」 「タカナシは、先週、事故で、亡くなった。ってさ」 「──ぇ」 幻想が、恋心が、靄のように消えてゆく。俺は、黙って教室を飛び出した。 すべては悪魔の『うそ』だったのだ。 「だましたな」 愛という名の邪心は、一途な悪だった。俺は、このクソッタレの感情に、いまの今まで踊らされていたとでとでもいうのか。 「だましたとは人聞きが悪ィな。今日も楽しかったろ。『片想い』は」 「全部。お前のせいだ。この外道」 「でも明日も高梨佳澄に会えると思うとウレシイだろ」 「黙れ。タカナシさんは、もういない────いなかったんだよ」 「…ちぇッ、せっかく俺ァお前ェに、あいつを、好きでいさせてやってたのによ」 ヤツはいつのまにか、闇夜に消えていた。俺は独り、顔の無い街並みを進んでいる。 …… パート、アルバイト募集!【18歳~ 時給は時間帯により異なります。】 …… 迷い猫、探してます(メスの三毛猫、3さい。見つけ次第連絡ください) …… 車の飛び出し注意!※付近で事故が多発しています。 ……。 カツ。カツ。と、夜道は、ただ、俺の単調な靴音を虚しく反響していた。 『高梨 カスミ』。身長はちょっと小柄で、誕生日は12月のはじめごろ。血液型は、覚えてない。生前は、抹茶のチョコレートがすきだったんだ。 たしか、甘いヤツ、だったかな。
羅城門と青年
鉛色の空。朱雀大路の向こうから、額に汗を流しながら奔ってくる2人の男。 彼らは目前に聳え立つ門から郊外へと出ようとする矢先、門前に立っているひとりの青年の刺すような視線に気がついた。 白い狩衣を来た彼は、おそらく“検非違使”───太政官より賜った官職で、宮中や京の警備に就いている者だと思われる。 青年は、男たちをみると、形のいい眉をひそめ、その黒い瞳孔で彼らをにらんで。 「貴様等。盗人だな。手に持っているその袋を見せてみよ」 澄んでいるようで、それでいてどこか威圧的な青年の声色に、盗人どもはたじろいだ。 華奢な体躯に合わぬ長い聖柄、檜皮色の柄からは、時折、まるで雪景色のような刃が顔を覗かせている。 「この門の名前はなんだと思う」 彼は門の看板に背中を預け、盗人たちに尋ねた。都に住まうものであれば知らぬものは居ないだろうというニュアンスを含んで。 「そんなの決まっている!羅城も……」 割れた石畳に鮮血が飛ぶ。青年の瞳と聖柄の雪に一滴の赤が落ちた。ひとりの檜皮色の着物を着た方が血を流しその場に倒れ込む。 「……もう一度問う。この門の名は」 青年は、もう1人の男へ刀を突き立てて再び尋ねる。 盗人は思い出した。以前、仲間内で耳にした、ある噂のことを。 「ら………『羅生門』……っ」 恐る恐る、震える唇で言葉を発すると。 「通ってよし」 厳かな声色でそう言った青年は、掛けていた門の看板から背を上げると、その手を男の元へ差し出した。 「……………」 冷や汗で顔の覆われた盗人の男は物怪顔で青年と目を合わせ。 直ぐにその意図を理解した。 「ここを通してやるから金や何か食べ物を置いてゆけ」ということらしい。 「……あんた、検非違使だろ。都を護る立場のもんが、どうしてこんな非道いことするんだ」 声色をわなわなと震わせて男は尋ねる。 青年は、にわかに空を見上げ、小さく嘆息して、語り始めた。 「夜討に強盗、偽綸旨……当人の盗人どものような愚れ者にはわからぬと思うが、時の帝のひとり政治により、京のみならず、国中が混乱に陥っている。『関白』や『検非違使』と言った官職も帝により既に廃止された。」 盗人は驚いた。自分の無知なことより更に、元・検非違使という立場でありながら、このような悪行を働くこの青年をたいそう不思議に思った。 「今、この混沌とした都には善悪を裁するものはない」 彼は、青年に対する畏怖の念により、ついには荷物を手放してどこかへ走り去ってしまった。 さて、ここに残ったのはこの青年ともう1人の男の死骸だけである。 小糠雨が包むこの門のまわり、秋口に差し掛かったというのに鳴いているきりぎりすなども無く、路も、人の気配を隠しているようにすら思えるほど静かだ。門の甍には、烏の糞がこびりついており、皮肉にも紅い漆の柱と黒ずんだ瓦との絶妙なコントラストを生みだしている。 青年は、残った男の死体の処理について考えた。そこで目をやったのがこの梯子───門の上の樓へと続く丹塗の梯子だ。 かつて、天平の時代には、流行病で死に伏した遺体が此処に運ばれ、死蝋と化していたという。それを模倣してみるというのだ。 すると青年は、聖柄の太刀と、白の袖に気をつけながら、そのまま梯子に脚をかけ、鼠のように一気に上へと駆け上がった。 彼は、樓の上には腐った死体も、ましてや生身の人間など居る訳もないだろうと高を括っていた。 だが、その最上段まで上り、振り向いて様子を窺うと、ゆくりなく、青年の黒い瞳に写ったのは「赤」だった。 その「赤」というのは着物の赤。先に青年がみた、血の臙脂色とは真反対の、猩々色の鮮やかな「赤」である。 それは、女だった。艶やかな長髪の後ろ姿。どこか静謐とした雰囲気を纏っていた。 青年は、窃視を続けていた。畢竟、彼女の姿に見惚れていたと言った方が正しいかもしれない。 彼は疑問に思った。この女、どうみてもこの薄汚い樓に住んでいるとは思えない。ましてや、普段自分が見回っているこの門では。 更には、身なりから推測するに、貴族か、はたまた宮中の女だろう。 もっとよく観たい。そう思い、男が身体を捻じると、聖柄が梯子に当たり、鈍い音がなった。 「誰……ですか」 女は青年の存在に気づき、否、気づかされて振り向いた。 逆に、青年もあることに気づく。 その女の目は、涙のあとで赤く腫れ、白粉がそれを擦った腕にまで付着していたというのだ。
チーズバーガーと、ピクルスと。
「ピクルス、私が食べよっか」 チーズバーガー。 私と、一緒に住んでいた彼とのお決まりのメニュー。 彼はピクルスが苦手だったから、いつも代わりにわたしがとって食べてあげていた。 1番上のバンズの蓋を、ちょっと慎重に開くと露になるのは、すこし茶色がかった緑の野菜。 やっぱり人には好き嫌いがあるんだなぁと感心しながらも、心の中では、私はその行為を、まるで私と彼だけの秘密の合言葉のように密かに楽しんでいた。 でも1年前に、彼と私、は同棲を辞めた。 彼の浮気が私に露呈したのは、ほんとうに突然の事だったから。 薄暗い部屋でひとり、荷造りした段ボールの蓋を閉める彼は、結局最後まで私に顔をみせなかった。 チーズバーガー。 好きって言ったじゃん。また、一緒に食べたいって、こないだ言ったばっかりじゃん。 必竟、愛に正解なんて無いし、過ぎた事をずっと悔恨するのはやはりどこまでいっても無益な事だと思う。 彼との別れから1年が経った今は、私もまた新しく、大切にしたい人が出来た。そうしてまた、引き寄せられるように『あの店』へハンバーガーを食べに来た。 頼んだのは、チーズバーガーをふたつ。 「ピクルス、食べれるの?」 「ちょっと苦手、かな」 「それ、私が食べよっか」 「ううん、頑張るから大丈夫だよ」 もう会えないかな。私の、ちょっぴり酸っぱい思い出と、秘密の合言葉。
和歌が繋ぐものがたり
午後1時の白い陽光は、ワタシを安らかなる眠りへと誘う。 コツ、コツ、コツ。 「『筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹みざる間に─』 ……と、これが、最初に男が女に詠んだ歌です。まず、この『伊勢物語』というのは、主人公として…………」 古典の先生が、ゆっくり歩き回りながらブツブツ何かを言っている。昼下がりの授業。もちろん、ワタシの意識は既に『そこ』には無いのであった。 「そして、今回の『筒井筒』という話には………… おい、起きろ~『和泉 宮子』〜っ」 ───ベチン!! 「い、痛でッ!!」 突如、ブ厚い古典の教科書で時代遅れの攻撃が飛んでくる。自慢のお団子ヘアーを持っても軽減しきれないその衝撃に、ワタシは突ッ伏していた机から飛び跳ねるように顔を上げた。 「まったく……か弱い『おなご』をぶん殴るなんて酷ですよ!先生ッ!」 「授業中に大いびきかいて寝てるやつのどこが『か弱い』だっ!余裕こいてるようだが、今度のテストは大丈夫なんだろうな?」 鋭い指摘が入る。無論。大丈夫ではない。 「うーん……でも、古典の授業ってす〜ぐ眠くなっちゃうんですよ。大体、なんで1000年以上も昔の人間の書いたよく分からない読み物を勉強しなきゃ行けないんですか!!」 ワタシ、イズミ ミヤコは古典が大の苦手である。テストの得点はいつも真赤。テスト明けは、補習の常連として、その界隈では親しまれているのだ。 「それはお前が授業を寝てるからだぞ……1度でいいから、もっと覚悟をもってテストに挑んだらどうだ……」 先生が呆れた顔で言った。 「わかりました。ピーナッツ食います。」 「…………?」 「今度のテスト、赤点……否、『平均超え』、否否ッ…『9割』取れなかったら…ワタシ、目でピーナッツ食ってやりますからッ!!」 バン!と机に両手を叩きつける。まるで追い詰められた容疑者が叫ぶような迫真の一声に、クラス中の視線がワタシの元へと突き刺さる。 キーン……コーン…… 終業のチャイムが、まるでワタシの宣言に呼応するかのように同時に鳴り響いた。 ノート、教科書をバッグいっぱいに詰め込んで、帰路に着く。そしてようやく、ワタシはこの宣言の無謀なことに気づいた。 「まじでどうしよう…ワタシ9割なんかとれるわきゃねぇって!」 陰鬱としたワタシの気持ちには無関心な秋口のオレンジ空を、いわし雲は悠悠と泳いでいた。 「……どうしたんですかミヤコちゃん、顔が暗いですよ」 ふと、声を掛けてきたのは、天然パーマで目つきの鋭いこの男。 「あ……タケル…!」 この天パ男────『小野 尊』は所謂ワタシの幼馴染。というヤツだ。 「あ!……まーたネクタイがズレてますよ!ミヤコちゃんはッ!だらしないです」 「あーごめんごめん……ワタシ慣れてなくて…」 うちの高校は男女共にネクタイを着用することになっている。ワタシは緩く結ばれたワタシのネクタイを尊にキツく締め直して貰った。 ふぅ、と小さく溜息をついて、尊は話を仕切り直す。 「ミヤコちゃんがいつもみたいにおバカな顔してないってことは、『また』なんかやらかしちゃったんですか?」 また、じゃないわい! ……遂にワタシは、事の顛末を正直に述べた。 「次の古典のテストで9割とれなかったら目でピーナッツ食べるんですか?!」 尊は驚愕していた。同時にこう告げた。 「もうテスト、来週じゃあないですか! 『一刻を争う』ってヤツです。さあ、今からでも勉強して行きましょう」 ワタシは、死刑を言い渡された罪人のように固まった……なぜなら…… 今日は!新作ゲームの発売日だからッッ! 「え〜ッ!い!や!だ!ワタシこそ、一刻も早くイカした世界に飛び込んでナワバリ争いしたいの〜ッ!」 「だめです!ミヤコちゃんの古典嫌いこそ、直ぐになおさなきゃあいけません」 そういった尊は既に教科書を取り出しワタシの目をじっと見、待つ。 「ううっ……あまりに非情じゃなイカ…」 目でピーナッツと、ス○ラトゥーン。 2つを天秤にかけるには、前者の背負う膨大なリスクこそ、あまりに大きすぎたのだ。 こうして尊センセイの授業が始まった… 「それじゃ、まずはこの『伊勢物語』……ジャンルとしては『歌物語』にカテゴライズされます。」 「ほ、ほお……歌物語…?」 「物語の途中に登場する『和歌』に注目すると、より話の厚みというか、深みというかが増して行くはずですよ」 和歌───物語を繋ぐ、まさに心の臓のような大切な要素の1つ。キャラクター達の感情、そして『未来』さえも、それが握っているのだ。 「『筒井筒 井筒 にかけし まろがたけ すぎにけらしな 妹みざるまに』───」 然し、尊が口を開き、和歌を詠みはじめると、辺りはいきなり眩い光で包まれた。 「────ぇ」 たったの三十一文字。 畢竟この物語は、和歌よりはじまり、和歌により終る …… 『文字どうり』だった。これから、ワタシ達が体験する、数奇な、『歌物語』の世界は──。 ワタシが目を再び開けると、辺りは一面の森だった。街頭なんてものは1本も見当たらず、 現代の夜景の光から開放された月は妙に存在感を増していた。 先程まで隣にいたワタシの幼馴染も姿を消し、ワタシはそのに独り取り残されていた。 ここは日本だろう…でも、どう考えたって『令和』じゃあないッ! 背後に幽邃と聳える山からは、野犬の遠吠えが淋しく響いていた………。
絵仏師良秀、コミケへ行く。
現代を生きるイラストレーター、良秀は、其のイラストの精巧なタッチと嶄然たるキャラクターの描写から、界隈では『絵仏師』と称される男である───────。 「ど〜しても、か…描けねぇ……」 男は苦悩していた。彼は今、夏の『コミックマーケット』──通称『コミケ』に向けて、同人作品をせっせと練りあげている最中である。 彼が描いているのは大人気スマートフォン向け古典文学アクションRPG『宇治拾遺クロニクル』の人気キャラクター『不動明王ちゃん』のイラスト集…… 不動明王ちゃん───通称、不動ちゃんは『宇治クロ』のなかでも特にファンが多く、世の中には漫画、イラスト、夢小説等等…数多の二次創作が生み出されている。 ネットでは『えぶつし。』というペンネームで活動している良秀の描く不動ちゃんは宇治クロ界ではトップクラスの人気を博しており、ファン達は常に彼の絵を心待ちにしているのだ。 ところが、男はある1つの事に延々と悩まされていた。それが不動ちゃんの纏う『炎』である。 不動ちゃんは幼女のなりをしているが、大剣を右手に構え、背中には荒々しい炎が常に燃え上がっている。その不動ちゃんのこそ炎が、この男を悩ませる要因となっていた。 もちろん、既に素人目から見れば誰もが感嘆し、息をのむような出来栄えである。だが、この『絵仏師』良秀の心は満ち足りることは無く、ペンタブにペンを撃ち込むように描き続けた。 ───然し、無慈悲にも、刻々と迫る時間は良秀の作品の最終的な完成を待ってはくれなかった。 いよいよ、夏のコミックマーケット当日。 良秀はひとり、まるで阿修羅像のような顔をしてブースに坐していた。その恐ろしい表情に、彼の周りのみ凄まじい熱気が漂っているようにも見えた。 「いつも応援してますっ!『まんがでよじり不動ちゃん』1冊いいですか?」 「Twitter拝見させてもらってます。えぶつし。さんの不動ちゃん、僕すごい好きです!」 「………………。」 男は黙っていた。果たしてこんな未完成の作品を、大切な客に渡して良いのだろうか。そういった思考が彼の脳みそを廻っていた。 良秀はポケットから、煙草用のライターを取り出し、ピンに指を掛けた。嗚呼、このリアルな炎こそ、不動ちゃんの背において燃ゆるのが美しいのだろう…… そう思った矢先である。 つるり。と、熱気の汗で蒸れた彼の掌から、そのライターがこぼれ落ちた。 「─────ぁ。」 あろうことか、その炎は積み上げられた『まんがでよじり不動ちゃん』へと引火した。 赫奕と燃え盛る彼のブースとその作品。 机には、彼が常日頃家宝のように大切にしていた『不動ちゃんマウスパッド』や『不動ちゃんアクリルスタンドセット』もその中にある。見ると、炎はすでにそれらにも燃え移っており、煙は立ち上り向かいのブースまで広がっていた。 「どうしたんですか!えぶつしさん!早く逃げないと……っ!」 だが、良秀は動じなかった。それどころか、彼は、彼の不動ちゃんたちが焼けるのを見て、うんうんと頷き、そして時々笑っていた。 「あぁ、儲けもんだ。長い間書けなかった、不動ちゃんの『炎』さ。長い間、おれは気づかなかったんだ。」 「なぜ突っ立ってる!悪霊にでも取り憑かれてるのか!あの人……」 参加者たちは逃げ惑い、口を揃えて彼にこう言った。 「いやいや。人聞きの悪いな。おれは気づいたんだ。炎はこうやって燃える……否、『萌える』んだなあ。ってさ。」 笑顔の不動ちゃんの背中からは、確かに炎が美しく燃……萌えている。 「この萌え盛る炎を描くことができれば、100人、1000人もの不動ちゃんが建つだろう!そこで困惑してるお前たちこそ、おれのような才をお持ちでないからそういうことを言えるのだろうな!。」 と、彼は高らかに笑っていた。 ──今でも良秀の描く不動ちゃんは、度々賞賛の嵐を呼び、遂には彼自身までもが『よじり不動ちゃん』とも呼ばれるほどとなったのである。