ハリスのデスク

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ハリスのデスク

気分転換に書き始めた小説です。 国語と現文3だった人間の、完全自己満足作品です。 読みづらい、まとまっていない、オチ弱い。 色々なご不満が出てくるかと思いますが、良かったら…覚悟してご覧ください…!! 一応タイトルが違う物も、お話がリンクするようになっています。 時系列が古いものから載せていくので、楽しんでいただけたらと思います。 22/12~pixivに載せている内容をこちらにまとめました! 都市伝説/ホラー/実体験/R18/グロ表現/ちょこっと恋愛 定期的に読み返して気になる部分を修正していく予定です。

朱緋色の恋/朱築side

六角屋 朱築side ーー箱庭で働きたい 長にそう伝えたその日、俺はまだ高校生だった。 俺には、過去の記憶がない。 正確には、断片的に抜けている。 確か、酷く嫌な思いをして、意識が途切れた。 眼が覚めたら、「鳥籠」と呼ばれる療養施設で眠っていた。 誰も俺に何があったのか教えてくれなかった。 ただ、事実として知らされたことは 父さん以外の家族を殺されてしまったこと。 とても悲しいはずなのに、家族の記憶が無いから実感がわかなかった。 父さんがくれた家族写真を見ても、何も思い出せなかった。 家族と過ごしていた中学生までの俺は、一体どんな性格だったんだろう。 思い出そうとすると意識が遠くなる。 頭にモヤがかかったように何も分からなくなる。 家族とはきっと仲が良かったし、大切な存在だったはずだ。 そんな人たちの存在を、最期を、俺は忘れてしまっている。 それがただただ悲しかった。 鳥籠で療養中、靂(レキ)と出会った。 その頃の俺は高校入学を一年見送っていて、心身ともに回復するために治療をしていた。 なぜ、鳥籠にいるのかも、なぜ、こんなに心身共に大打撃を負っているのかも分からないまま弱りきっていた。 もどかしいくらい上手く話すことが出来なくて、感情を、表情を出すことが出来なくなっていた。 靂は、外で仕事をしながら箱庭に出入りしていた。 ある日、突然話しかけてきて知り合いになった。 目付きが鋭く、冷たい雰囲気を醸し出す靂を初めて見た時は怖かった。 工場勤務だと言う彼は、作業服を着ていることが多くて風貌がイカついお兄さんだったから尚更だった。 でも、なぜか、よく面倒を見てくれた。 無理に話したりせず、ただただ傍にいてくれた。 過去の記憶がなく、訳が分からないまま傷ついて弱っていた俺にはそれが有り難かった。 俺は、女の人が怖かった。 看護師さんが近づくと何故か固まってしまった。 採血や治療のために身体に触られるだけで鳥肌が立った。 理由は分からないけど、抜けている記憶が原因なんだと思っていた。 理由は、俺のからだの傷だ。 全身に、故意につけられた痣や切り傷があった。 色々なところに正の字と数字がが刻まれていた。 …これは、なんだ? なかなか消えないその傷は気味が悪かった。 触ってみても、見つめてみてもやっぱり、何も思い出せなかった。 過去のことを思い出すことを諦めかけていたある日、夢を見た。 髪の長い女の人が、俺の上に乗っていた。 同年代か、少し歳上の世代の人だろうか。 綺麗な、整った顔を歪ませて俺を見下ろして笑っていた。 …俺は、この人を知っている。 でも、なぜ知っているのかは分からなかった。 身体が動かない。 たまらなく怖くて、呼吸が浅くなる。 笑いながら髪の毛を掴まれた。 そして思いっきり、殴られた。 夢のはずなのに痛かった。 「朱築君、私のこと、忘れないで」 怖くて固まってる俺の首を絞めて楽しそうにそう笑った。 彼女に名前を呼ばれた瞬間、家族の死体がフラッシュバックした。 みんな、苦痛に顔を歪ませていた。 小さな女の子が、俺の腕の中で吐血しながら息絶えていた。 …俺は、家族の最期の現場にいたのか…? じゃあ、あの女の人は、何か知っているのか? そんなことを考えている内にいつの間にか目が覚めた。 眼が覚めたあとも、髪に、首に感触が残っていた。 未だに残る無数の身体の傷が痛む。 切り傷が燃えるように熱かった。 夢に出てきた、あの女の人に会うことが、記憶を取り戻す手がかりになるのかもしれない。 なんとなく、そう思った。 そこから俺の目標は、早く回復して記憶を取り戻すために外に出ることになった。 夢に出てきた女の人は、きっと俺にとってキーパーソンだ。 彼女に会うことが、俺にとって大きな第一歩になるんじゃないか。 そんなことを考えていた矢先、靂が箱庭で働きたいと打ち明けてきた。 「死んだ姉さんと…約束したんだ。 目の前の人間を助けて、守るって。 俺自身、それが俺の生かされた役目だと思ってる。 ここなら、その目的を果たすことが出来るから」 普段あまり自分のことを話さない靂がポツリポツリと打ち明けてくれた。 「それに、早く…霹(ヘキ)を助けたいんだ」 霹さんは確か靂のお兄さんだったはずだ。 詳しくは知らないけど今はお寺の住職をしていると聞いていた。 何故、靂が霹さんを「助けたい」と思っているのかまでは分からない。 何て言えば良いのか分からず、俺は黙って聞いていた。 「朱は、高校を卒業したらどうする?」 話を振られて、一瞬固まってしまった。 「俺は…」 …どうしたいんだ? 父さんに高校は卒業しておけと言われた。 だから今の俺の目の前の目標は「高校卒業資格の取得」だった。 そこから…こんな状態で俺は社会で働けるのだろうか。 夢に出てきた女の人を探すにしても、不安なことが山積みだ。 何より、靂と離れることが今の俺には不安だった。 色々と考え込む俺を、靂は何も言わず待ってくれていた。 「……記憶を…取り戻し、たい… それが、どんなに辛いことでも…俺に起こった出来事、を、無かったことにして…生きることは、違うと思う…」 言葉を一つずつ必死に紡いで、俺は本心を伝えた。 今度は靂が言葉を考えている。 「…俺も、箱庭で、働こう…かな」 俺はそう呟いていた。 ここに残してもらえるなら、と甘えもあったんだと思う。 その言葉に、靂は珍しく驚いた顔をした。 「…意思がないと、続かんぞ。 下手したら死ぬ。 お前は親父さんを大切にするべきだと思う」 心配を含む言葉に、俺は少し考えて靂に夢のことを話した。 「鳥籠で、治療を、受けている…てことは、俺の記憶がない、ことや、家族が…死んだことは…きっと呪術が関係して、いるんだろ? 記憶を、取り戻すには…ここにいることが…近道なのかなって…」 そう伝えて、靂に初めて身体の傷を見せた。 「…」 靂は少し戸惑っていたが、黙って傷を見つめていた。 「普通じゃないだろ、こんな傷。 夢…を見た日、燃えるように、痛みが…走った。 事情を、知っているはずの、大人は、誰も…俺に…何も、教えてくれない… だったら…自分で…手がかりを…探すしかないだろ」 懇願するような目で靂を見つめた。 「お前は…霊感や特殊な体質じゃないだろ。 すぐ死ぬ。簡単に、死ぬんだ…やめておけ」 あまり否定的なことを言わない靂が、俺が箱庭で働くことに関しては反対姿勢を崩さなかった。 「必ず、俺でも…役に立つ方法を、見つける。 記憶を…取り戻したいんだ… 靂と一緒に、俺も…長に…頼みに行く…」 少しの沈黙があった。 二人で無言で見つめ合う。 と、靂はため息を付いた。 「…お前は…反対しても聞かんだろうな…」 結局、靂が折れる結果で話は終わった。 心底、不満そうな表情で俺を見る。 俺は口元だけ笑って見せた。 >> 高校卒業後。 箱庭の組員になるために靂と神々廻家に通うことになった。 箱庭で働くための基礎的なことを教えてもらうためだ。 その傍らで、現場の仕事を見学させてもらった。 現場を任せられる人間がまだ箱庭には少ないらしい。 依頼があったら長や知り合いの霊能者さんが対応していた。 みんな自分達の仕事の合間で依頼をこなしている状態。 でも、俺が出来ることなんて限られている…というよりほぼゼロだ。 現場でも、皆に守られながら見ていることしか出来なかった。 「人手が足りないのは事実だけど、まだ設立して数年しか経ってないから依頼自体が少ないのも事実だよ。 大丈夫、私一人でも対処できる数だし、片付けは宝来さんや葬君がやってくれる」 長は優しく笑ってそう言ってくれた。 長は、出会った頃から優しかった。 女の人が怖くて警戒し、怯えていた俺に折れることなく気さくに話しかけてくれた。 だから俺も少し慣れることができた。 神々廻家は、とても大きくて歴史のあるお寺だった。 住職の寿康さんと奥さんの刀千香さん。 二人の息子である葬。 除霊やお祓いはもちろんだけど、メインの仕事として寺院葬を執り行っていた。 みんな当たり前のように霊感や不思議な能力を持っていた。 「霊感はある程度なら高めることが出来るよ」 初めて会った時、葬は柔らかな笑顔で教えてくれた。 「霊感よりも、きっと現場仕事である火の組に配属になる二人に必要なのは体術じゃないかな」 「体術…」 「霊に取りつかれている人間はね、凄まじい力で襲ってきたり予知できない動きをすることがある。 長みたいな特殊な人は関係なくねじ伏せることが出来るかもしれないけど、私達は違うからね。 ある程度対応できるように今日からしっかり鍛えていこう」 葬は体格の良さと大きさから相撲や柔道等を教えてくれるのかと思っていたけど、剣道を勧めてきた。 「意外かな?」 そう言いながら俺と靂に竹刀を渡す。 「精神統一、集中力、判断力、瞬発力。 全てを満遍なく鍛えるなら剣術が合うと思ってね。 それは第六感を鋭くすることにも繋がるから」 ふふっと柔らかく笑いながら葬は竹刀を構えた。 その立ち姿が、少し怖かった。 学校の体育くらいしか身体を動かす機会がなかった俺は、着いていけるか不安が大きかった。 「大丈夫、本格的な対応術や護身術は専門の先生を呼ぶから」 そんな心配をよそに、葬は話を進める。 「先生?」 「そう、宝来さんという人が元警察官でね、取り抑える技を教えてくれるから!」 俺と靂の修行のような毎日が始まった。 神々廻家で葬儀屋の仕事とお守りの物販のアルバイトをしながら、葬と宝来さんから訓練を受ける。 体術の他に、霊の種類、呪術の基本的な知識を座学として叩き込まれた。 暇があれば自主トレとして箱庭内のスポーツジムで身体を鍛える。 そんな毎日だった。 体力は上がったけど、霊感は向上しているのか、イマイチ分からなかった。 ただ、なんとなく勘が当たるようになった。 それが進歩なのか…分からなかったけど頑張るしかないと覚悟はしていた。 そんな生活が続いて一年ちょっと経った時、神々廻家で女の子を紹介された。 葬のいとこの御菩薩池 緋南さん。 赤に近い茶色の眼を持つ不思議な人だった。 気の強そうな、凛々しい顔でこちらを見つめていた。 葬の家はお寺、仏教だけど、御菩薩池家は神社で緋南さんのお父さんが宮司らしい。 身内で宗教が違うものなのか、そう思ったけど俺にはよく分からなかったし詳しくなかったから黙っていた。 緋南さんはちょこちょこ神々廻家に遊びに来ていた。 一緒にご飯を食べたり寿康さんとテレビを見たりしている。 …家族の仲が良いんだな。 そう思っていた。 俺は特に話したりはしなかった。 話さない理由はないけど、話す理由もなかった。 彼女は、神職家系と言う言葉が似合う、不思議な雰囲気を持つ人だった。 葬のお母さんである刀千香さんは、女の人に苦手意識のある俺に根気よく付き合ってくれた。 初めて会った時はまともに挨拶も出来ず、話しかけられても俯いて答えられない俺を、嫌いにならないでくれた。 「六角屋君っ!おはようっ!」 毎日、嬉しそうに挨拶をしてくれた。 俺の言葉で答えなくても良いようにイエスかノーの質問以外はしてこなかった。 刀千香さんが、どこまでも優しくて暖かい人だと分かるのに、上手く会話を返せなかったり、固まってしまう自分がもどかしかった。 葬と宝来さんのおかけで以前より身体が丈夫になったし、直接霊を見ることは出来なくても、なんとなく勘が鋭くなったのに。 「女性」というだけで、優しくしてくれる人を避けてしまう未熟さにイラついていた。 いつものように神々廻家の道場で練習をしていた。 防具を付ける前の、ウォーミングアップの時間。 胴着に着替えず、ジャージのまま素振りをしていた。 まっすぐに背筋を伸ばして竹刀をしっかり振り下ろす。 ピタッと止める瞬間、竹刀がぶれないように力加減を調整する。 空気を切るように、一直線に宙を割く音に混じって タタタッ 軽い足音が聞こえた。 「…?」 何の気なしに外に目線をやると…緋南さんが走って帰ろうとしていた。 制服のまま、スクールバックを握りしめ俯いて走って行く。 …泣いていた? そう思うと何故か異様に気になってしまった。 「朱、どうかしたの?」 葬の声に、俺はハッと振り返る。 葬と、靂がこちらを見ていた。 「…ちょっと…お手洗い、に、行ってくる…」 「分かったよ、靂と先に始めていても良い?」 葬は突然の俺の発言を怒らず、静かに頷いてそう聞いてきた。 「申し訳ない…」 俺はそういうと竹刀を置いて道場を出た。 スニーカーに履き替えて緋南さんが通っていった道の方に向かって歩いてみる。 (…何をしてるんだ俺は…) そう思いながらも、何故か追いかけた方が良いという気持ちが勝った。 泣いていたのが勘違いでも、直接本人を見て納得した方がいいだろう。 女性は苦手だけど、緋南さんは神々廻家の人達の大切な家族。 まだ高校生の彼女に何かあったら、良くない。 しばらく歩いていると、日が暮れてきた。 暗がりに寂れた公園が見えた。 何の気なしに目線を向けると、制服を着た少年数名が公衆トイレに向かって歩いているのが見えた。 昨年まで俺も高校生だった。 父さんが探してくれた通信制の高校を卒業した。 自由に通学していた俺は、あまり高校生の感覚が掴めない。 制服も無かったし、友達もほとんどいなかった。 「青春」という言葉がよく似合う年代の時期を、俺はただ心身を休めるために使っていた。 それが、その時の俺には一番大切なことだったんだけれど。 「…」 特に気に止めず通りすぎようとした時、背筋が凍るような感覚がした。 「え…」 思わず、声が漏れた。 何か、嫌な予感がする。 「…公衆トイレか?」 何故か公園の公衆トイレから禍々しい空気を感じた。 そこは、さっき高校生が入っていった場所。 不審に思いつつ、一旦向かってみることにした。 足音を殺し、男性側のトイレへ向かうと、そこには驚きの光景が広がっていた。 薄暗く、汚いトイレの床に、緋南さんが押し倒されていた。 それを後ろから押さえ込む男子が一人。 跨がり、身体を触っている男子が一人。 すぐ後ろでスマホで撮影している男子が一人。 手洗い場付近で見ている男子が一人。 それを見た瞬間 自分の中に何か分からない感情が生まれた。 お腹の底がヒヤリと冷たくなって、怒りで興奮しているはずなのに、頭は冴えて冷静。 そんな、嫌な感情。 殺意に似た、憎しみが沸々と沸き上がる。 緋南さんとはまともに話したことはない。 葬や寿康さん、刀千香さんの大切な存在だから助けなきゃとは思うけど。 この男子高校生達が最低だとも思うけど。 ここまで強い怒りを覚える理由が分からない。 だとしたら… 俺自身に、俺の過去と関係してるのか? どちらにせよ、こいつらを…罰しなければならないと思う。 葬や宝来さんに教えてもらった基本の体術を無視して、俺は自分より年下の未成年に感情のままに手をあげてしまった。 入院する必要は…多分無い程度の怪我だから、あのままトイレに放置しておいても問題はないだろう。 救出した緋南さんは…泣いてしまった。 当たり前だ。 同年代とはいえ複数人の男性に乱暴されそうになったんだ。 怖いに決まっている。 そんな中で、彼女は咄嗟に結界を作り出して攻撃の隙を狙っていた。 …さすがに優秀だと思った…。 「失恋した」 密かに感心した矢先、彼女から突然そう打ち明けられた。 …失恋か 俺にはあまり縁の無い話だから口出しできない。 ポツリポツリと聞かれたことに答えながら、彼女が落ち着くのを待つ。 「じゃあさ、付き合おうよ」 予想外の緋南さんからの提案に一瞬固まった。 感情的になっている緋南さんを見るのは珍しい気がした。 失恋したばかりで、心細いのかもしれない。 そう俺が思ってしまうほど、ポロポロと涙を溢しながらこちらを見ていた。 (…まだ高校生だ、あんなことがあった後だし、一時的な気の迷いかもしれんな) 自分が高校生時代、通信制だったこともあって、あまり同年代の女子と関わることがなかった。 だから、本心は分からないし共感が出来ない。 でも、 大人の女性に対する恐怖感を、緋南さんからは感じなかった。 (俺自身、女性に対する恐怖心や、会話を今以上に克服する良いチャンスかもしれん) そう思い、承諾した。 緋南さんは驚いていたけど、関係を深めるつもりはない。 ただ、言うことを聞いてあげればいい。 俺の意思は、関係ないだろう。 戸惑う彼女を送り届ける。 緋南さんのお母さんは、帰りの遅い彼女を心配していたらしく叱っていた。 でも、緋南さんが落ち込んでいるのを見て優しく問いかけようとしゃがんで目線を合わせた。 (…俺の母さんも、あんな感じの人だったのかな) 思い出せない自分の母親のことを想い、切なくなる。 泣きそうな緋南さんに代わり、精一杯頭をフル回転させて会話をする。 大人の女性を目の前にしているのに、自分でも驚くほどスラスラと言葉が出てきた。 不思議な感覚だった。 緋南さんのお母さんに、嘘を付くのは心苦しかったけど納得してもらえるくらい話すことが出来た。 彼女とはあくまで形だけの関係。 何か要望を言われたら、対応すれば良い。 そんな呑気な俺の気持ちは、緋南さんを傷つけたらしい。 久しぶりに神々廻家で会った時に、彼女は俺を呼びつけた。 長い渡り廊下に出ると、責めるように壁に追いやられる。 「ねぇ、付き合ってるんだよ?」 そう、怒られてしまった。 確かに、彼女を助けて送り届けた日以来会っていなかった。 言われるまで、彼女の連絡先すら知らなかった。 いくら形ばかりの関係性でも冷たすぎたかもしれない。 「…そうだな」 彼女の剣幕に戸惑い、謝罪もできずにいる俺のスマホを取り上げ、緋南さんはラインのQRコードを操作して自分のアカウントと交換させた。 さすが現役高校生。 手際が早い…。 そして 「私も靂さんみたいに朱って呼ぶ。 緋南って呼んで」 まだ不満そうな顔のまま、彼女は俺にスマホを返してきた。 「…わかった」 俺の返事を聞く前に、彼女はパタパタとリビングへ戻ってしまった。 「緋南…にマックに呼び出された」 練習終わり、彼女からのラインについて靂に打ち明けると 「…どういう状況だ」 と不審そうな顔で聞かれた。 俺は今までの経緯、事情を打ち明けた。 「それなら行けば良いだろう。 お前と二人で、外で会いたいから連絡してきたんだろ」 靂はそう言って、ため息を付いた。 「…靂も来て」 話が続かないし、正直不安だった俺は子供のように靂に頼んだ。 俺はずっと、緋南を怒らせてばかりな気がするし。 「…俺は構わんが、彼女は良いのか?」 「俺だけだと、多分、また怒らせてしまう」 「…」 結局、靂は付いてきてくれた。 緋南は驚いていたが、靂と楽しそうに話していたから間違っていなかったと安心した。 それから緋南と会う時は、靂も一緒に来てくれるようになった。 「…俺も、人の思念が多い場所に慣れる必要がある」 そう言う靂もなんだかんだ楽しそうだった。 靂は特殊な体質から、人混みや商業施設を避けていた。 葬儀のバイトも、ご遺体の最期の迎え方によっては、近くで働くのが辛そうだった。 それでも 「生きている限り付き合っていかないといけない身体だから」 そう言って一人で耐えていた。 葬は、そんな靂を止めなかった。 ただ見守り、受け入れる場所を提供してくれていた。 俺より長い時間を生きてきた靂は、俺より辛い試練を与えられている。 おそらく、それなりに辛かったであろう過去を忘れた俺は、その記憶が消えてしまっているから前を向けているのだろうか。 「気持ちがなくても、二人で遊んでみれば良いだろ」 ある日、靂にそう言われた。 「…お互い、恋愛感情が、ないのに?」 俺は、緋南のことが好きだ。 でもそれは、靂や葬、神々廻家の人達に思う好きの感情と同じだ。 だから、彼女とは手を繋いだこともない。 せいぜい隣の席に座ったことがあるくらいだ。 「緋南は外で会う時、お前に毎回LINEしてるんだろ? 二人で話したいことがあるのかもしれんだろ。 毎度俺が付いていって良いのか、正直なところ分からん」 靂は、彼なりに緋南のことを心配していたみたいだった。 「…葬が休み、なら…4人で遊びに、行くのは? それなら、2対2の…状況も作れるし…」 そう話を変えた。 「…お前、本当に気づかんのか」 俺の提案に、靂は怪訝そうな顔で俺を見た。 「…何に?」 「緋南の失恋した相手は、葬だぞ」 靂の言葉に、俺はポカンとしてしまった。 「……そうだったのか」 初めて知った事実に戸惑っているのを察した靂は、ため息を付く。 「3人で会っている時、共通の知り合いである神々廻家の人間の話題が一向に出てこないのは、そういうことだろ」 「…」 そうなると、俺には反省点が多すぎる。 あの日、神々廻家から辛そうに走って出ていった緋南。 公園で涙を流しながら「失恋した」と呟いた時…俺は何を考えていた? 自分の都合しか考えず、目の前の大切な知り合いと向き合えていなかったんじゃないか? 確かに、あの日を境に緋南はあまり神々廻家に来ない。 俺達と会うのも、ほぼ外ばかりだ。 一歩引いた状態で接してきた靂も分かった事実に今の今まで気づけなかった。 「気の迷いでも、埋めて欲しい相手にお前を選んだんだ。 それを了承した以上、傍で向き合ってやれよ」 靂の言葉に、俺は黙って頷くしかなかった。 意を決して、緋南にラインで連絡をいれた。 「二人で出掛けたい」と。 そして、父さんにも電話を掛けた。 コールしてすぐ、父さんは出てくれた。 「お!朱築~どうした?」 嬉しそうな声が聞こえてくる。 「あの…さ」 どう説明して良いのか、何も考えずに電話してしまった俺は、少しだけ黙ってしまった。 「…?どうした?何かあったか?」 明るかった声は、心配の色を含んだ。 緋南のお母さんと同じ、優しさを含んだ声。 「今度、行っても良い?」 なんとかそう伝える。 主語がなく断片的な俺の言葉に父さんは、少し黙ってから笑った。 「なんだよ、そんなことか! 許可なんか要らないから、いつでも来てくれれば良いんだよ」 嬉しそうに笑い、優しい声でそう言った。 記憶を失くしてから、多分父さんと距離が出来た。 父さんは、家族を失った理由や原因を知っているのかもしれない。 でも、それを絶対に教えてくれなかった。 前職の和菓子職人を辞めて、小さな喫茶店を営んでいる。 いつも優しくて穏やかな父さんは、俺のことを自由にしてくれた。 箱庭で働くことを伝えてもすんなりと了承してくれた。 「人を…連れていくから」 電話口でそう伝える。 「お?友達か?」 「…うん、お世話になっている人の、知り合いの子」 「分かったよ、待ってるからな。 どうやってくる?開店前なら迎えに行くよ」 「…車借りる」 「そうか、まぁ困ったら連絡してくれ。 気を付けてくるんだぞ」 嬉しそうな父さんの声を聞いて、少し心が落ち着いた俺は本題に入る。 「あのさ…あと」 「うん?」 「その、連れていく人が父さんの羊羮が凄く美味しかったって…」 公園で緋南がお礼を言ってくれた時、家族の話をしたくなくて遮ってしまったことを思い出した。 「………それは嬉しいな」 「…他のお菓子も食べさせてあげれたら…と思って」 「ふふ…分かったよ、用意するから日にちが決まったら言いなさい」 「うん」 父さんとの電話を終えて、緋南の学校がお休みの日と、俺の休みをラインで話し合った。 約束した日、緋南はいつもと雰囲気が違った。 制服以外の格好を見る機会が少ないから、尚更そう思ったのかもしれない。 緊張しているみたいだったが、移動中はいつもより楽しそうでもあった。 父さんの喫茶店に連れていった時も、 父さんに勧められたハニーラテを飲んでいる時も、 帰りの車で和菓子のお重を見た時も、 笑顔を見せてくれた。 二人で出掛けて大丈夫か不安だったけど、車内に二人きりになっても俺は平常心でいられた。 緋南の緊張感のある鋭い赤目は、柔らかく優しく光っていた。 家の近くまで車で送り届ける。 彼女の楽しそうな雰囲気に安心した俺は、最後の最後で墓穴を掘った。 「葬を忘れられるまで傍にいる」 と、言ってしまったのだ。 緋南の楽しそうな顔が一瞬固まる。 (…バカか、俺は) 彼女を見たまま俺も固まってしまった。 「…知ってたの?」 みるみるうちに険しい顔になる緋南。 「…割と最近だ」 俺はバカ正直に答えていた。 「…ふーん、私のこと、可哀想だと思った?」 俯いて、すぐに顔をあげた彼女は精一杯明るく聞いてきた。 「…?何で」 「だって、葬君は身内だよ?いとこ。 しかも彼女いるみたいだし。 そんな人に片想いして、失恋して泣くって…バカだしイタいよね」 なるべく気丈に、明るく話す緋南。 でも、あまり俺と目が合わない。 また、泣きそうになっているのかもしれない。 「珍しく…弱気、だな」 俺はさっきから、焦って余計なことばかり言っていないか? 「…知ったみたいな口聞かないでよ」 語尾に怒りの色を感じる。 今まで精一杯笑顔だった緋南は、またいつもの気の強そうな顔に戻っていた。 「…」 俺は困ってしまい、黙った。 「…ごめん、やつあたり。 でもバレてるならもうこの関係やめよ。 まぁ最初からあってなかったようなもんだけど。 知られてる上に同情されて傍にいられるとか、辛い」 そう言うと、緋南は車から降りようとドアを開けた。 「私のわがままに振り回してごめん。 もう、葬君の家には行かないから、朱は靂さんと稽古頑張ってね」 あの時と同じように俯き泣きそうな顔。 俺の返事を待たず、車のドアを閉めて走り去ろうとした。 俺は、車から降りてそれを追いかけた。 彼女の手首を掴み、動きを制止する。 初めて、自分から女の人に触れた。 怖く、なかった。 「…何?離してよ」 冷たくそう言う緋南はこちらを見ない。 「俺の、言い分は、聞かない…のか?」 無計画に引き留めた俺は、咄嗟にそう言った。 「…何?まさか、好きになったとか?」 吐き捨てるように、冷たくそう言われた。 「…」 違うと言えば失礼だし、そうだと言えば嘘になる。 固まってしまった俺を、緋南はやっと見てくれた。 「…ごめん、私、朱と話すと酷いことばかり言ってしまう。 自分の嫌な部分が、わがままな部分が全部言葉になって出てしまう…」 目に涙を溜めて、緋南はこちらを見つめた。 「…お願い、これ以上嫌な私を知られたくない。 もうほっておいて…」 そう言うと、手首を掴む俺の手をゆっくり掴み、自分から離した。 「…言葉足らずで、悪かった」 緋南から一歩離れて、俺は謝った。 「何に対して謝ってんの…?」 「俺も、緋南を、利用した」 「…え?」 「…車で話さないか?」 緋南ばかりに、打ち明けさせてしまった。 俺も、ちゃんと自分のことを話さなければ。 そう思い、俺は意を決した。 緋南を再び車に乗せ、近くの自販機でジュースを買った。 「落ち着いたか?」 そう聞く俺に、静かに頷いた。 「…ごめん」 「いや、傷つけるような、言い方をした」 「そんなことないよ、いつも黙って私のわがまま聞いてくれてありがとう」 ジュースを受けとり、自分の膝に置く。 「…俺の、話を、聞いてくれるか」 「…うん」 俯き、頷く緋南に俺は話し始めた。 「俺は、過去の記憶が、一部無い」 「…え?」 驚いてこちらを見る彼女を横目に、話を続ける。 「気が、ついたら…鳥籠で…療養していた。 覚えているのは、父さん以外の家族が…殺されたことだけだ」 「…」 「靂が、支えてくれて、記憶を、取り戻すためにも…箱庭で働こうと決めた。 だから高校卒業後、葬の家族に…お世話に、なることになった」 「…」 「理由は分からないけど、年上の、大人の女性が、怖くて仕方ない。 刀千香さん…みたいに、根気よく、距離を縮めて…くれないと…固まってしまう」 ポツポツと言葉を紡ぐ俺の話を、緋南は黙って聞いてくれる。 「緋南を公園で助けた時、近くにいても、その恐怖が無かった。 もしかすると…克服する良い機会だと思った。 俺は、君の悲しい気持ちに寄り添うことをせず、自分の考えを優先した…」 ごめん、彼女を見てと呟き、頭を下げる。 「そんなこと…」 緋南は首を振って、否定してくれた。 「最低で、わがままなのは俺の方だ… 最近まで、葬のことを…想っていたなんて、知りもしなかった。 だから、同情なんか、していない。 自分の都合で君に了承した。それだけだ…」 そう話して、俺は俯いた。 「…朱は優しいね」 緋南の言葉に、驚いてしまった。 「優しくなんか、無い」 「だって、全部知った上で…私をお父さんの喫茶店に連れていってくれたんでしょ? 和菓子だって、用意してくれた。 今日はただただ、私を喜ばせようとしてくれたんだよね。 私が身勝手に怒っても、言い返したりしないで引き留めてくれた」 「それは…」 次に続く言葉が、俺には出てこない。 「辛い話を打ち明けてくれて、私と向き合おうとしてくれてありがとう」 「…」 「葬君のこと、見るとまだちょっと辛いけど、朱や靂さんが一緒に遊んでくれたお陰で大分楽になったんだよ」 緋南の目は、いつの間にか涙が消えていた。 笑ってこちらを見ながら話す彼女は、もう怒ったり、悲しんでいない。 「…そうか」 「朱は、私といて、改善出来そう?」 「…うん」 なぜ、緋南を触っても大丈夫だったのか。 それは分からない。 けど、今までの状況から前進のは事実だ。 「良かった」 そう言うと、俺が渡したジュースを開けて一口飲む。 「これからは、仲間として傍にいてくれる?」 緋南は笑って、そう聞いてきた。 「関係性の名前が変わっただけで、俺の気持ちは変わらない。 緋南は、大切だよ」 俺も、なるべく笑顔になろうと口角をあげた。 うまく笑えているか分からない。 でも、心がホッとした。 「…ありがとう」 緋南の嬉しそうな顔に、話して良かったと思った。 「またさ、靂さんも含めて遊ぼう。 免許持ってるなら、おでかけしたい。 どこか連れて行ってよ」 「そうだな」 「決まりだね。私イチゴ狩り行きたい」 そう言って緋南はスマホでイチゴ狩り特集のサイトを見せてきた。 「…休みを調整しておく」 そう答えると、パアッと嬉しそうに目を輝かせた。 神秘的な赤色の目が、優しく光を帯びている。 彼女はこの関係の最後の日に、今までで一番の笑顔を見せてくれた。

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朱緋色の恋/緋南side

[uploadedimage:13720107] 片想いをしていた。 小さい頃から、ずっと彼の事が好きだった。 いつも傍にいてくれて、私を肯定してくれる。 いつの間にかそれが当たり前になった。 日常の一部と化した彼の存在。 私より少しお兄さんで、私より圧倒的に背が高い。 私より穏やかで誰にでも怖いくらい優しい。 努力家で、弱音を吐かない真面目さと強さを尊敬していた。 いつか、私に対する「好き」の感情が、私と同じ熱量になって欲しかった。 でも、彼は従兄弟であり、家族。 法律上結婚はできても誰が納得して、賛成してくれるんだろう。 血筋を絶さず、後世に遺す必要がある神職家系の私達には難しかった。 何よりも彼、葬君はそれを望んでいない。 特別な気持ちを持っているのはあくまで私だけだった。 彼の優しさは、あくまで家族としてのもの。 私に向けられる優しい視線や言葉の数々は、平等に他の家族や親族にも向けられていた。 諦めるしかない。 痛いくらいそれが分かっているから、辛かった。 だから私は修行に打ち込んだ。 家を継ぐために、親族に実力を認められるために。 立派な巫女になれるように。 葬君を忘れて、外で好きな人を見つけるために。 自分のために強くなろうと努力を重ねてきた。 ーー 「一組の御菩薩池(ミボサツ)って美人だよな」 「それな!胸もでかくね?付き合いてぇしヤりてぇ笑」 「バカ!声でかいって。 やめておけよ。あいつ、性格めっちゃキツイらしいぞ」 「え、まじで? …でも確かに、4組の安藤フラられた時泣いてたな! 翌日からけっこう学校休んだし」 「俺は泣かされても良いから付き合いてぇよ。 可愛い子と色んなことしてぇもん~」 「お前くらいだよ!そんなバカ!」 お昼休みの食堂で、耳障りな笑い声が聞こえてきた。 バカみたいに騒いでいるのは他のクラスの男子達。 私の名前を含む会話が聞こえてきて苛立ちを覚える。 自然と眉間に皺が寄り、ため息が漏れた。 ー本当に、低レベル。 私の名前を公衆の面前で出さないで欲しい。 苛々する心を落ち着かせようとお弁当の玉子焼きに箸を突き刺した。 無心でそれを頬張る。 お母さんが作ってくれた甘い玉子焼きはお弁当のレギュラーおかずだ。 お砂糖と出汁で味付けされた優しい味に癒される。 心が緩み、私は心の中で男子達に毒づき始めた。 ー安藤君だっけ? 彼は告白を断ってもその場で中々諦めなかった。 「本気で好きなんだ、考えてくれないか?」 「うん、だから、悪いけど無理。 貴方のこと知らないし。初対面だよね?」 「いや、何度か廊下ですれ違ったことが…」 「それって初対面と大差なくない? 私は貴方のこと認識していなかったんだけど」 心底うんざりして、早く帰りたかった私は話を終わらせようと冷たく返した。 ただ、彼は何かと理由をつけて引き下がらなかった。 終いには泣き出して、帰るに帰れなかった記憶がある。 めんどくさい奴だなってため息が出た。 しつこいし、鬱陶しいし、挙げ句の果てに女々しいと来た。 自分の気持ちを押し付けて感情的になるような男はろくでもないと思っている。 だから、丁度タイミング良く見え隠れした浮遊霊に私は目を着けた。 霊感が強いお父さんと、無自覚な超特殊体質なお母さんの血をしっかり引き継いだ私も霊感は強い方だった。 だから、人間に取り込んでも大丈夫な無害な霊か否か、判断することに自信はあった。 俯いて泣き続ける彼に聞こえないように印を切り、息を吐く。 自我がほぼ消滅した霊は、容易く安藤君の身体に吸い込まれた。 霊感の無い、耐性の無い健康体に異物が入り込むことは決して穏やかなことではない。 体調の異変を感じた彼は、私のことなんか忘れてしまったかのようにすぐに視界から消えてくれた。 翌日から3日くらい学校を休んだらしい。 霊の体入による発熱、悪夢、怠惰感、頭痛。 それらが原因でうなされている安藤君を想像して「ざまあみろ」と思った。 学校では会わないし、諦めてくれたみたいだから、存在自体薄れかけていた。 嫌なこと、思い出させやがって。 何組かも知らない男子達のせいで、せっかくのお昼休みが不愉快な時間に変わってしまった。 顔だけで付き合いたいってことは、もっと可愛い子から告白されたらそっちに流れる。 てか、ヤりたいって…大きな声で下品だし気持ち悪い。 なんで男子って当たり前に女子を選ぶ立場だと思ってるの? 振られたら絶対負け惜しみで容姿や性格の悪口言いふらすし。自分で選んで入った高校だけどバカばっかりで嫌になる…。 家から近いし、何より制服が似合っていると葬君が褒めてくれた。 だから喜んで入学したのに、蓋を開けてみたらこんな奴ばっかり。 同い年の男子なんて、低レベルすぎて絶対に付き合えない。 そんなことを考えているうちに、更に険しい顔になっていたらしい。 「ヒナ?どうしたー?」 一緒にテーブルを囲んでいた友達に心配されてしまった。 入学して初めて出来た友人。 彼女といつも一緒に行動している。 言葉が端的で、相手に冷たい印象を与えやすい私を受け入れてくれる優しい子だ。 「ううん、何でもない。午後の授業嫌だなって」 私は静かに笑って肩をすくめた。 「あー分かる!! 川村の授業まじで何言ってるか意味不明だよね! 昼からだと余計眠いし最悪~!」 不満そうに口を尖らせ、教師の物真似をする彼女を見て、自然と笑みが溢れる。 天真爛漫な彼女が友人で良かった。 気づけばお昼休みは終わりに近づいている。 私は慌ててお弁当を食べ終えると、午後の授業の準備に向かった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 葬君は今、自分の寺を継いで、その傍らで武道を教えている。 葬君のお父さんで、私の叔父に当たる寿康おじちゃんが、ある施設を援助している関係らしい。 おじちゃんの提案で、「箱庭」と呼ばれるその施設で暮らしている人達に体術や呪術を教える先生をしているんだって。 その箱庭って場所の偉い人に、私も会ったことがある。 早乙女 珠琵さんと言う綺麗な女性の人。 葬君の実家であるお寺に来て、そこで初めて会った。 一目惚れのような、それに近い感情になったことを覚えている。 笑顔を向けられて、心臓がキュッと締め付けられた。 「凄く、強い力を持っているのね。 貴女はとても特別。 その力で困っている人を助けてあげてね」 初対面の第一声で、静かに優しく、そう言われた。 葬君のことを忘れたくて、書物を読み漁ったり、舞いや結界の練習にストイックになっていた私の肩の力を抜いてくれた。 彼女のことがすごく、好きだなって思った。 彼女と働いてみたい。 出会った日から、そう意識するようになった。 早乙女さんと働くと言うことは、間接的に葬君とも繋がっていられる。 そんな浅はかな気持ちもあった。 頭では諦めると思っていても、結局本心を変えることは難しかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「ヒナちゃん、葬君に差し入れ持っていってあげて!」 学校から帰宅後、神社周辺を掃除をしているとお母さんに声をかけられた。 「良いけど、何?この箱」 掃除を中断し、家の中庭まで戻ってくるとお重箱と風呂敷が用意されていた。 中を開けると、ぎっしりおにぎりが敷き詰められている。 三段のお重一面に、真っ黒なのり巻きおにぎりで埋まっていた。 「なぜ…おにぎりが大量に…」 私が不審がっていると、お母さんが教えてくれる。 「今日、おばちゃんが外泊するみたいでね、お米炊き忘れてたって連絡が来たの。 だから葬君と生徒さんの夜ご飯を作ったのよ、 あ、もちろんおじちゃんの分もね。 おかずは作り置きしてるみたいだからこれだけ届けて来てくれない? おじちゃんが好きな梅おかかは一番左の列って教えてあげてね」 葬君のお父さん、寿康おじちゃんと私のお母さんは兄妹。 歳の離れた兄妹だから、おじちゃんはもうおじいちゃんと呼ばれる年代になってきているけど。 そしてお母さんの友達だった刀千香(ニチカ)おばちゃんと結婚して葬君が産まれた。 だから、私達の親族はとても仲が良いし距離感が近い。 「なるほどね、わかった~」 私は返事をすると素早く髪の毛を直し、リップを塗り直した。 「ヒナちゃんの好きなツナマヨも作ったよ! 葬君達と食べてくるなら持たせるけどどうする? 家帰ってきてから食べる?」 お母さんは洗い物をしながら聞いてくる。 もちろん一緒に食べたいけど、他にも生徒さんがいるとなると、なんか気まずいな…。 それに、生徒さんが女の人だったらやきもち焼いてしまうかもしれない。 早く帰りたいなって辛くなるくらいなら家で食べた方が賢明だ。 数秒の間に、そんなことを脳内で考えた。 「…いいよ。帰ってから食べるから」 「はいはーい! じゃ、よろしくね~!遅くならないように帰ってきなさいよ~」 私の返答を、お母さんは特に気に止めることもなく、こちらを見ずに手を振った。 私はおにぎりが入ったお重を風呂敷で包み、寺に向かって歩き始めた。 ーー インターホンを鳴らすと、すぐにおじちゃんが出た。 「どちらさんかな」 「あ、おじちゃん。ヒナです」 「おお!ヒナちゃんかぁ、わざわざ来てもらって悪かったなぁ。 すぐ開けるから待っていてくれなぁ」 嬉しそうなおじちゃんの声に口元が緩む。 (いい加減モニターフォンにすればいいのに…) そんなどうでも良いことを考えながら私は玄関が開くまでの数秒を待っていた。 間も無く玄関が開けられ、初老の男性が顔を出す。 ツルツルの坊主頭にうっすら白髪がまじった眉毛。 柔らかな笑顔は葬君と似ている。 優しくて明るい、おじちゃん。 私と目が合うとパアッと表情が笑顔に変わった。 「よく来てくれたなぁ」 そう言いながら玄関の中に入るよう促される。 私は会釈をしながら中に入り、靴を脱ぐ。 「別に暇だったし。これお母さんから。 おにぎり。おじちゃんの梅おかかは一番左列ね」 私は淡々とそう告げて、お重箱を手渡した。 (またやっちゃった…) 人との会話で、どうしても冷たい言い方になってしまう。 意識してマイルドな表現を心がけても、言葉の端に冷たさが残る。 相手を傷つけてしまったり戸惑わせてしまうこともあった。 更に、顔の印象も可愛いタイプではない。 切れ長の目に、赤色の瞳。 冷たく怖い印象を与えてしまうには充分だった。 中学まで、そんな会話の口調が原因で友達が出来なかったしクラスの女子に嫌がらせをされることもあったな。 高校で、今の友人に出会うまで私は常に、独りだった。 そんなこともあって家族や親戚と過ごす時間が多かったし、葬君と会う時間も必然的に多かった。 だから、好きになるのも自然なことだと思っていたけど。 (私がもっと変わっていれば世界が広がっていたのかもしれない) 高校に入学して、ありのままの私を受け入れて傍にいてくれる友人の顔が頭に浮かぶ。 彼女のためにも、変わりたいなって思うけど。 「すまんなぁ。いただくのが楽しみだ」 おじちゃんの呑気そうな、穏やかな声色にハッとする。 いつの間にか、自己嫌悪から考え込み、暗い顔をしていたらしい。 私が差し出したお重を嬉しそうに抱えると、リビングへ向かい歩き出した。 こちらを見て、相変わらず優しい表情で招き入れてくれる。 「ほれ、お茶でも飲んでいきな」 笑顔でそう言われて、私は頷き、玄関へ入った。 おじちゃんに続き、広くて重厚感のあるリビングに着いた。 暖かみのある茶色を基調とした高級家具がたくさん置かれている。 無地の大きな革のソファと、向かい合うように配置された、これまた大きな薄型テレビ。 ここはおじちゃんの特等席だった。 夕方になると時代劇やサスペンスを観ることが楽しみらしい。 リビングに続く大きな食事テーブルにおじちゃんはお重を置いた。 「お腹空いてないかい?良かったらお茶菓子もあるよ」 「ありがとう、いただくね」 私の返事を聞くとルンルンと鼻歌交じりでお茶を沸かし、冷蔵庫から小さな箱を取り出すおじちゃん。 おじちゃんは小さい頃からとにかく私に甘い。 葬君が叱られることも、私なら笑って許してくれた。 もちろん、息子と姪では関係値が全然違うけれど。 私のことを娘…というよりは孫みたいに可愛がってくれている。 時刻は…5時半。 葬君はきっと、まだ稽古中。 …せっかくなら会って帰ろうかな。 …一応会えると思って来たわけだし。 そんなことを考えながら私は食卓のテーブルに肘を付き、スマホをぼーっと見ていた。 友人とのラインに返信をしてSNSを意味もなくスクロールする。 と、目の前に熱い緑茶と羊羮が出された。 おじちゃんが用意してくれた本日のおもてなしセット。 「え、美味しそう」 思わず言葉として溢れていた。 それくらい、目の前に置かれた羊羮は美しかった。 色ムラのない、漆黒に近い紫色の餡が光に反射してキラキラと上品に輝いている。 「今、稽古に来とる坊主の親父さんがな、有名な和菓子職人さんだったんだよ。 今は引退しているがなぁ…こうして時々お茶菓子の差し入れてくださるんだ」 私の反応を見て、おじちゃんが嬉しそうに教えてくれた。 「へぇ…凄い。本当にめっちゃ美味しそうだし、こんな綺麗な羊羮初めて見たかも」 「だろぅ?わしも一緒に食べちゃおうかなぁ」 いつの間にか自分の分も用意して向かいに座っていたおじちゃん。 …子供みたい。 私はクスッと笑って両手を合わせた。 「いただきます」 淹れてくれたお茶が熱くて、まだ飲めそうにないから、宝石のような艶感のある羊羮からいただくことにした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー おにぎりを届けたらすぐ帰るってお母さんに言っちゃったけど 「帰りは車を出すから、ゆっくりしていきなさい。 せっかく来たんだから」 おじちゃんにそう言われて、お言葉に甘えることにした。 お母さんにラインをして、おじちゃんとのんびりテレビを見る。 …羊羮、とても美味しかったな。 今まで食べた中で一番と言っても過言ではない。 それくらいの感動だった。 あまりにも美味しくてあっという間に食べてしまったことを後悔する。 もっと味わってゆっくりいただけばよかったかな。 葬君に会いたいのもあったけど、和菓子を差し入れてくれた生徒さんにもお礼が言いたい。 そう思った。 有名な和菓子職人さんの息子ってことは、彼も後継ぎを目指していたのかな? そんな人がどうして呪術の世界にきたんだろう。 色々とお話しできるかな。 そんなことを考えながら稽古が終わるのを待っていた。 「そろそろだろう」 そんな私の気持ちを知る由もないのに、おじちゃんがポツリと呟く。 「え?」 「竹刀の音が鳴り止んで、一時間経つからなぁ、そろそろ戻ってくるよ」 その直後、本当にゾロゾロと足音が近づいてきた。 扉の方を振り返ると、丁度葬君が入ってきた。 「あ…」 「おや、ヒナが来ていましたか」 その声にドキッとする。 稽古を終えてお風呂から上がったであろう葬君と、その生徒さん達。 葬君は私を見ると、嬉しそうに笑いかけてくれた。 いつも彼は優しく笑いかけてくれる。 嬉しくて、好きな気持ちが溢れて切なくなる。 だから、私は気持ちを殺すようにあえて口角だけ上げて会釈した。 「母さんがご飯を炊き忘れたらしくてなぁ、ヒナちゃんがおにぎりを届けてくれたんだよ。 お前さん達の稽古が終わるのを一緒に待っていたんだよなぁ」 おじさんは笑顔でこちらを向いた。 「作ったのは私じゃなくてお母さんだけど」 私は照れる気持ちと緊張を隠すように、また少しツンッとした言い方をしてしまった。 「おばさんに迷惑をかけましたね。 ご飯くらい、言ってくれれば私が炊いたのに…。 ヒナも、学校終わりなのにありがとう。 夜ご飯はまだだよね。一緒に食べていきなさい。 帰りは私が送っていくから」 優しい顔でこちらを見ながらそう言われた。 「わしもそう言ったんだよ。なぁ、ヒナちゃん! 田神に車を出させるから心配せずゆっくりしていけば良いぞ」 田神さんは神々廻家の専属運転手さんだ。 神々廻家と別館に住んでいる。 同じ敷地内で一緒に暮らしているから何かあったらすぐに対応してくれる優しいお兄さんだった。 彼は、霊感もなければ私たちの血筋でもない。 でも、適応能力と空気を読む力、「察する力」に優れている気がする。 私が、葬君のことを好きだってすぐにバレてしまった。 だから、車を出してもらう時は話を聞いてもらっていた。 どうすれば諦めがつくのか。 こんなに苦しいのに報われない、辛いって好きなだけ愚痴を言ってしまっても、ただ、聞いてくれた。 「ありがと。 葬君は疲れているだろうし、田神さんに送ってもらえるなら安心だから大丈夫。 じゃあ、ご飯の準備手伝うよ」 「そう?ありがとね。 あ、二人のことを紹介しておくよ。 こちらは鎧塚靂(ヨロイヅカ レキ)君。 こちらは六角屋朱築(ムスミヤ アカツキ)君。 今ね、うちに通って呪式や武術を色々勉強しているんだよ。 ヒナよりちょっとお兄さんだけど、同年代だから良かったら仲良くしてあげてね」 そう言って、紹介された二人の少年。 私はこっそり、霊視の真似事をしてみる。 久しぶりに親族以外の関係者に会った。 鎧塚さんは、葬君と同じように坊主頭をしたお兄さんだった。 目付きが鋭く、眉毛がない。 威圧感のある見た目と無表情の顔が怖い。 それに、彼は凄い霊媒体質だと思う。 身体中に何か…緊張した空気を纏っている。 霊を跳ね除けるバリア?のようなものが視えた。 何か、特別に霊を寄せ付けない工夫をしているのかもしれない。 私と目が合うと、一瞬戸惑った表情をして、すぐに一礼してくれた。 礼儀正しくお辞儀をすると、少し表情を和らげてくれた気がした。 キツそうな見た目と裏腹に、優しそうな印象を受ける。 私もすぐにお辞儀をした。 一方の六角屋さんは、黒色の髪の毛を肩の辺りまで伸ばし、それをハーフアップにしている。 私と同じ、切れ長の目には光が灯っていない。 憂いを帯びた雰囲気と気だるそうな表情から、少しだけ取っ付きにくそうな印象を受けた。 鎧塚さんより年下だと思う。 私と、より年齢は近い気がした。 何かフィルターのようなものが邪魔して彼からは何も感じ取れない。 こんなことは珍しかった。 私と目を合わせようとはせず、自然と鎧塚さんの影に隠れた。 …人見知りなのかな。 挨拶も早々に5人で食卓を囲む。 自然と葬君の隣に座れた私は少し緊張しながらも嬉しかった。 お母さんが作ったおにぎりと、刀千香おばちゃんの作り置きしていったおかずはどれも美味しかった。 好きな人や、みんなで食べることが出来たから尚更かもしれない。 「葬さん、おかわりはいかがですか」 鎧塚さんがとても自然な流れでさりげなく聞く。 葬君のお味噌汁のお椀が空になっていたからだ。 「うん。いただこうかな。靂ありがとうね」 「いえ。寿康さんはお茶、まだ飲まれますか?」 鎧塚さんは食事中かなり気を使っているように見受けられた。 お世話になっているからなのかな。 それか、元々そういう質なのかもしれないけど。 そんなことを考えていると、彼と目が合った。 「ヒナさんもお茶は?」 穏やかな口調で聞かれ、私は自然と微笑んだ。 「あ、ありがと…ございます。いただきます」 うん、と頷いた彼に、湯呑みを渡す。 年下の私にも葬君やおじちゃんと同じくらい丁寧な対応をしてくれて照れ臭かったし、嬉しかった。 湯呑みを渡す一瞬、彼の指に私の指が触れる。 優しく気遣える性格とは裏腹に、触れた瞬間感じたのは「嫌悪感」。 バチバチと稲妻が走ったような衝撃と、強い悪霊特有の空気の重さ。 (…なに、この感覚…) やっぱり、彼はかなり特異な体質なんだろうな…。 どんな、生き方をしてきたんだろう。 礼儀正しく、初対面の私に気を使ってくれる優しさを知った今、切なく感じた。 「靂は本当によく働くね、社会人の頃の名残かな」 葬君が嬉しそうに笑ってそう言った。 …社会人の頃の名残。 社会に出て働いたことがあるんだ。 (凄いな…) 私が感心していると、鎧塚さんは遠慮気味に首を振った。 少しだけ、耳が赤くなっているので恐らく照れているのだろう。 「いえ、朱と一緒に…無償でお世話になっているので。 これくらいのことは…」 そう言いながら、お茶を私の前に置く。 朱と呼ばれていたのは六角屋さん。 彼は、一言も話さずお味噌汁をゆっくり飲んでいた。 「六角屋どうしたぁ、今日はあまり食べないなぁ。疲れたか?」 おじちゃんが六角屋さんに優しく話しかける。 「…平気です」 初めて聞いた彼の声は、淡々としていて一定音。 生きた感じがしなかった。 機械が発生した音みたい。 「ヒナちゃんがいるから緊張してるなぁ?人見知りだなぁ」 いたずらにそう笑い、おじちゃんはおにぎりに手を伸ばした。 …おじちゃん。余計なこと言わないでよ。 「今日は少し稽古時間が長かったからね。 朱が疲れるのも無理ないかもしれない。 明日は休みだから体を休めてね」 葬君が間に入って、フォローする。 朱さんは小さく頷くと伏し目がちに食事を続けていた。 おじちゃんはおにぎりを食べ終えると食卓を離れ、リビングへ向かった。 「お!間に合った…5チャンネル…」 特等席にドカッと腰掛けるとテレビをつけて時代劇を観始める。 テレビの音をBGMに、私達の食事は続く。 4人で囲む食卓はとても静かだった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー そこから何回か、鎧塚さんと六角屋さんも含めて神々廻家で食事をした。 正直、葬君に会いたかったし、いつか六角屋さんに和菓子のお礼をしたかった。 残念ながらなかなか話す機会がなくてずっと言いそびれていたけど。 彼と話すタイミングが全く無いから。 六角屋さんは私のことが苦手なのかな。 もしかすると、私単体ではなく女の子が苦手なのかもしれない。 それくらい目が合わないし、私と話をしてくれない。 でも、嫌な態度を取るわけではないから一緒に食事をすることは大丈夫だった。 私が視線を送ると、彼は分かりやすく戸惑っていた。 「ヒナちゃんがいると食卓が華やぐわぁ! やっぱり女の子がいると楽しいわね! ほら!どんどん食べて!」 刀千香おばちゃんが嬉しそうに話してくる。 おばちゃんがいるだけで、食卓がとても賑やかになる。 おばちゃんは明るくカラッとした性格で、空気を軽くしてくれるからだと思う。 それに元々お母さんの友達だからか、私のことを娘のように可愛がってくれた。 私も刀千香おばちゃんのことをお母さんと同じような存在として認識しているし、甘えている。 無自覚特異体質のお母さんとは近い、刀千香おばちゃんは自覚のある例能力者だ。 「ヒナちゃんのお母さんと初めて出会ったとき、びっくりしちゃった」 そう言っていたずらに笑ったおばちゃん。 何の流れか忘れてしまったけれど、昔の話をしてくれたことがあった。 「あまりにも悪いものを跳ね退ける力が凄くて、驚いていたら友達になっちゃうし。 彼女は私の能力を知らずに近づいてきた唯一の人だったから、最初はびっくりしたよ。 怖がられるか、悪徳商法に使おうとされるか…ってパターンが多かったからね。 戸惑いながらも波長が合うなって学生時代からずっと一緒に行動していたら自分のお兄ちゃんを彼氏候補として紹介してくるし。 寿康おじちゃんの霊能力も、多分わかってないんだろうね。 それがもう、なんか彼女らしくて、……大好きなの。 そしたらね、いつの間にかおじちゃんとも家族になっちゃってた。 人生って不思議だよね」 まさか、友達と親族になるとは思っていなかったおばちゃんは面白そうに笑っていた。 お母さんのことも、おじちゃんのことも大好きなんだな。 おばちゃんが話してくれる昔の話は、私にとって新鮮だった。 鎧塚さんと私は何度も顔を合わせて食事をしていくうちに、お互いがだいぶ慣れてきたと思う。 何気ない会話が出来るようになった。 家族以外の異性で、こうして話が出来る存在は初めてだったから素直に嬉しかった。 彼は体質が特殊なだけで性格は親しみやすいのかもしれない。 私の口調や、平常運転の冷たい表情も、気にしている様子はなかった。 高校の友人と同じく、全てを受け入れる優しさを持っていた。 私を「ヒナさん」と呼んでくれるので、私も名前で、「靂さん」と呼ぶようになった。 私の諦めの悪さに天罰が下った。 それは、ある日突然だった。 いつものように、神々廻家にお邪魔していた。 靂さんと気軽に会話が出来るようになってから、友人が増えた感覚になっていた私は、神々廻家に通う頻度が以前より増していた。 葬君に関しては、早く諦めなくちゃと思う気持ちより、少しでも一緒に過ごしたいと言う思いの方が、もうずっと勝っていた。 学校終わり、私はそのまま神々廻家へ直帰した。 葬君達の稽古を待っている間、おじちゃんとおばちゃんとテレビを観ていた。 二人は、私が遊びに来ることは靂さんや六角屋さんと友達になったからだと思っている。 だから喜んで迎えてくれたし、お菓子を出してくれた。 何の気なしに、観ていたニュースは結婚式場の特集。 学校終わりのこの時間は、ドラマの再放送かニュースしかやっていない。 色々な式場を女性レポーターさんが楽しそうに紹介している内容を、私はお茶を飲みながら観ていた。 …いいな。 素直に、結婚式を挙げる人が羨ましかった。 結婚は、好きな人と両想いになれた人の特権だ。 好きな人と両想いになれるだけでも奇跡なのに、一緒になろうと約束してくれるなんて…どんなに幸せなことなんだろう。 そんなことを思いながら見ていた。 少し、切ない気持ちになりながら。 「まぁ、今は式場の種類が多いのねぇ」 おばちゃんが洗い物を終えてテレビのあるリビングに戻ってきた。 「まぁ、素敵なドレス! おばちゃんの時代はここまで種類が多くなかったから羨ましいわ」 そう呟きながら嬉しそうにテレビを眺めているおばちゃん。 私はその横顔を見た。 優しくて穏やかな笑顔。 その笑顔が、次の瞬間こちらを向いた。 「ヒナちゃんは…好い人や彼がいるのかしら?」 嬉しそうな、いたずらな顔で聞いてくるおばちゃんの雰囲気は、親友である私のお母さんにそっくりだ。 ニヤニヤと嬉しそうな顔で質問してくる時の顔。 恋人一緒で、友達も仲が良いと似てくるのかな。 「え、いない」 私は淡々と答える。 いるけど、おばちゃんには言えない相手だし。 「あら!JKを満喫して楽しめてる? 今しか若い時はないんだから!男の子とデートしなきゃ!」 「私は良いよ、そういうの 興味ないし、男子苦手だし」 そう言うとお茶を飲み、出してくれたお菓子を頬張った。 そんな様子を見ておばちゃんはまだニヤニヤしている。 もう、おばちゃん完全に私の反応楽しんでる。 てか、JKって…今や死語だし。 男の子とデートって言われても想像つかないんだよね。 みんな幼稚でつまらないし、好きな人以外と遊ぶとか…無理かも。 時間の無駄だもん。 そんなことを思いながら、私はスマホに視線を落とした。 「ヒナちゃんもだけど、葬も一回くらい、彼女さんを連れてきてくれれば良いのに」 おばちゃんの独り言のようなその言葉。 それは、私には、ダメージが強すぎた。 一瞬、時間が止まった気がした。 おばちゃんの言葉が、数秒は理解できなかった。 ああ、そっか…そうなんだ。 葬君、大切な人がいるんだ。 そのあと、すぐに自分を守るために心が勝手に言い訳を並べ始める。 そりゃ、そうだよね。 だって、葬君は私と違ってもう大人だもん。 恋人がいてもおかしくない。 本来は結婚していたっておかしくない年齢なんだから。 心臓がキュウッと押し潰されそうになった。 心が、苦しい。 …なんで気づかなかったんだろう。 自分の気持ちに精一杯で葬君のこと、冷静に考えられなかったのかな。 今までだって、言わないだけで彼女がいた時期があるかもしれない。 それを、考えようとしなかった。 「へー、葬君って彼女いるんだ…」 バカな私は、自分から話を広げてしまった。 平然を装って自爆行為をしている。 「そうなのよ! チラッと聞いただけなんだけどね。 なかなか紹介してくれないから気になっちゃって」 おばちゃんは自分のことのように照れていた。 わくわくしているような、楽しそうな表情。 「ふーん…」 私はなるべくショックを見破られないように必死だった。 今から葬君に会ったら、気持ちが追い付かなくて泣いてしまうかもしれない。 ニュースはいつの間にか終わっていて、夕方のサスペンスドラマが始まっていた。 会話に入ってこず、珍しく静かなおじちゃんは、うたた寝している。 「なんか…お母さんが出掛けるから帰ってこいって言ってる…」 私はスマホを見ながら独り言のように言った。 もちろん、咄嗟に作った嘘だった。 これ以上ここにいたら…辛くて惨めなだけ。 「あら、珍しいじゃない。 お母さんのお願いなら仕方ないわね。 一人で帰れる? 夕方になると一気に暗くなるし…送っていこうか? おばちゃん、ついでに買い出しに行こうかな」 おばちゃんが心配そうに聞いてくる。 「んー、大丈夫…ダッシュで帰る」 私は逃げるように荷物をまとめて、玄関に向かって歩き出す。 「そう?気を付けてねー! また遊びにおいでっ」 おばちゃんの声を聞きながら、玄関を開けて外に出る。 竹刀のぶつかる音が聞こえた。 稽古中らしい激しい衝撃音は鳴り止む様子がない。 玄関を出て道路に向かう途中、どうしても道場を通らないといけない。 今、葬君を見たら…色々と耐えられないかも。 なるべく道場を見ないように、そして誰にも気づかれないようにしたい。 涙を堪えながら、俯いて走った。 帰り道を、とぼとぼと歩く。 陽射しが傾き、空の色は鮮やかで強いオレンジ色になっていた。 私の気持ちとは裏腹に、夕暮れが強く輝き…綺麗だった。 葬君と絶対に結ばれない。 そんなこと、頭ではちゃんと分かっていた。 けど、やっぱりショックだった。 現実を突き付けられると、こんなに苦しいんだ。 無理だよ、って言い聞かせながらも全然諦めてなかった自分に改めて呆れる。 さっきから…ため息が止まらない。 何となく、すぐに帰りたくなくてコンビニに寄ってみた。 適当な飲み物を買って、近くの公園に向かう。 小さい頃から馴染みのある近所の公園だ。 いつもは子供達で賑わっているけど、さすがにこの時間は誰もいなかった。 一人で、落ち着きたかったから丁度良かったかも。 公園の敷地内に入り、ブランコに向かう。 スクールバックを仕切りの柵にかけて、ビニール袋からジュースを取り出し、座る。 再度大きなため息を付き、パックジュースにストローを通した。 ブランコに揺られながら静かに、ゆっくりとジュースを飲み、気持ちが落ち着くのを待った。 キコキコと音を立てながら、ブランコは私を支えてくれる。 夕暮れから夕闇に変わる絶妙な時間帯に、失恋して一人で黄昏る。 そんな日が…こんなに早く来るなんて。 …悲しいし、辛い。 「あーぁ……キッツいなぁ…」 葬君の隣で、笑う権利のある女性が羨ましい。 会う時に、いちいち理由が必要ないのが、羨ましい。 好きだから、恋人だから。 当たり前に傍にいることが出来る権利。 笑顔も、困った顔も、泣き顔も全部当たり前に見ることが出来る。 全て共有できて、独り占めできる唯一の存在。 それを、葬君から許されている。 良いなぁ。 全部を、独り占め出来る。 もし、血筋が違ったら…葬君は私を選んでくれたのかな。 でも、血筋が一緒だから出会えたのかもしれない。 あまりにも長い初恋で、片想いだった。 そして生まれて初めての失恋だった。 だから、乗り越え方がいまいち分からない。 それに、また同じくらい人を好きになれるのか、正直不安。 「この先、私に好きな人なんか出来るのかな…」 気持ちは言葉として無意識に溢れ落ちていた。 静かに頬に涙が伝う。 …はぁ、高校生にもなって一人で黄昏ながら公園で泣くなんて。 友達が出来なかったり、クラスの女子に嫌がらせをされても、泣かなかったのに。 意外と私って、乙女だったんだな。 「あれ?御菩薩池じゃん」 ビクッと、身体が驚きで反応する。 一気に気持ちが冷める、現実に意識がシフトチェンジする…そんな嫌な声が聞こえた。 さりげない動作で涙をふいて、心を身構えさせる。 声が聞こえた方に顔を向けると、そこには食堂で騒いでいた別のクラスの男子がいた。 偶然同じ年に同じ学校に入学しただけの人間。 私と付き合いたいって大声で騒いでいた低レベルな連中の一人。 私の名前を、顔を、一方的に覚えている相手。 「何してんのー?…つか、泣いてたっしょ?どうした?」 ヒラヒラと手を振りながらこちらに近づいてくる。 「…何か用?」 質問に答えず、冷たく接した。 正直あんまり絡みたくない。 …もう帰ろう。 「いや、別に用はないけどさ~ 部活帰りなんだよね、俺。 奇遇じゃん、こんな時間に会うなんて。 せっかくだから何か話そうよ! 何飲んでるの?」 馴れ馴れしく笑いながら隣のブランコに腰かけてきた彼は、あれこれ質問してくる。 私はそれを無視して荷物をまとめた。 別に、この人と話したくない。 話す理由もない。 悲しみから一転、苛立ちが心に襲い掛かってくる。 なんか、感情がぐちゃぐちゃだ。 「えーなんだよ~冷たいなぁ帰んの?」 「うん、暗くなってきたし。お母さん心配するから」 素早く荷物をまとめて、ブランコから離れようとする。 「ちょっと待てって!まじで冷たいな、調子乗りすぎ」 そう言うと、背後から腕を捕まれて引き寄せられた。 突然思いっきり引っ張るので、反応できずよろけてしまう。 それを支えるように後ろから抱き締められた。 全身を襲う嫌悪感と鳥肌。 彼の行動が気持ち悪くて、吐き気がする。 「は?なんのつもり?離せよっ」 私はなるべく冷たい口調と低い声で言った。 「もう怒んなって! いやぁさぁ…聞こえちゃったんだよね。 この先好きな人ができるかなって… まさかの失恋?!って思ってさぁ お前みたいにタメの男バカにしてるやつがさ! フラれたってウケんだけど」 「…は?」 私は彼に抱き締めらたまま固まった。 悪意のある言い方に、怒りを覚えると当時に…傷ついた。 口喧嘩は強い方だと思っていたけど、次に続く言葉が出てこない。 「あれ? 反抗してこねぇの? …まぁさ、失恋には新しい恋だって! 俺でさ、試してみたら? 同い年だし、高校も一緒だから毎日一緒にいられるじゃん? 俺がお前の見下した態度を徹底的に直してやるよ」 耳元で、低い声でそう言われてゾッとした。 こいつは…さっきから何を言っているの? 身の危険を感じた私はスクールバックを振り回して彼に攻撃しようとした。 けれど、後ろから羽交い締めにされているせいで思うように動けない。 身長も体格も体力も、帰宅部の私と運動部のこいつでは差がありすぎる。 力ずくでスクールバックを奪われ、数メートル先に投げられた。 もどかしさと苛立ちから声が荒くなる。 「っ…離せよ!!さっきからキモいんだけど!!」 私の反応を、彼はクスクスと笑いながら楽しんでいる。 思考も、言葉も、行動も。 全部が拒絶の対象だ。 そんな奴に、さっきから見下されて遊ばれている自分が心底嫌になった。 「さっさと離せよ!!大声出すよ!」 暗くなりつつある人気の無い公園で、その行動に意味があるかはわからないけど。 仕事帰りのサラリーマンや、散歩してる近所の人が通る可能性もある。 でも。 片腕で私をがっしり掴み、動きを固定していた彼の、もう片方の手が私の口を塞いだ。 片腕だけなのに、力が強くて振りほどけない。 私に体力がないのもあるけど、さっきみたいに抵抗する力が残っていない。 「出せよ、ほら。 キャアァッって女らしく悲鳴だしてみろよ」 興奮を隠すように耳元で呟く声に、私はまた鳥肌が走った。 少し、呼吸が荒い彼とこれ以上一緒にいたら何をされるか分からない。 「ぐっ…んんっ」 それなのに、私の必死の抵抗は、さっきから体力を無駄に消費しているだけだ。 どうしよう。 …この前告ってきた安藤みたいにテキトーな霊を取り憑かせることは可能だ。 公園は人の念が集まりやすい。 子供の楽しい姿や声に、純粋無垢な気に、引き寄せられた低級霊達がウヨウヨいる。 でも、距離が近すぎて私まで影響が出る。 自身の除霊のやり方はまだ知らない。 誰かに…家族に頼むしかない。 両親には、私がいたずらに霊を使うことを知られたくない。 特に、お母さんには。 徐霊が得意な神々廻家にバレることも絶対に嫌だ。 葬君に、こんなこと…知られたくない。 「あれ?お前先に帰ったんじゃねーの?」 「おいおい!!何夜の公園でイチャついてんだよ」 私が必死で男子を剥がそうとしていると食堂にいた他の男子達が近づいてきた。 …こいつら、部活一緒なんだ。 3人の男子高校生がこちらに近づいてきた。 …最悪の展開。 「つか御菩薩池?!!え、まじかよ!」 「今回はSランクのやつだな!」 下品にはしゃぐ男子達。 …私が後ろから羽交い締めにされて口を塞がれているのに、彼らは何故驚かないの? 普通、友達ならびっくりして止めない…? 同じ高校の女子が力ずくで嫌がらせされてるのに。 彼らの反応に違和感を覚えた。 同時に、得たいの知れない恐怖も。 それにさっき言っていた「今回はSランク」ってどういう意味? 不安で大人しくなった私を取り囲む彼らはニヤニヤと嫌な笑い方をしている。 口を塞がれている私に、 「この人数でさ、女一人、いつものツンとした態度を貫ける?」 一人の男子がそう話してきた。 「安藤が世話になったからな」 「御菩薩池の家って有名な神社なんだろ? 安藤が急に体調崩して寝込んだの、お前の仕業だろ?」 そう言うと、私の口を塞いでいた手が離れた。 「…証拠があんの? てか、これ学校にバレたら大問題だから。 退学なりたくなかったらいい加減離せよ」 私は出来る限り強い口調でそう話した。 「まだ自分の立場わかってないの? 人の友達潰しといてタダで済むわけないじゃん。 それに、誰かが付き合った女の子は、みんなで共有して「仲良く」するって決めてんのよ俺達」 「…は?誰が付き合ってっ」 私の反論を遮るように身体が宙に浮く。 そのまま担がれて、公衆トイレへ向かって無理矢理連れて行かれる。 「スクバ持っていけよ」 私を担ぐ男子が、他の男子へ楽しそうに言う。 投げ出された私のスクールバックを一人が持ち、ニヤニヤと後に続く。 「離せ!!ふざけんなっクソ野郎!」 じたばたと暴れる私の抵抗虚しく、意図も簡単に男子トイレへ引きずり込まれた。 「久しぶりに輪すな」 その声が聞こえて、私は固まった。。 ーーー最低。 こいつら単体じゃ何も出来ないから、群れて、力でどうにかしようとしてるの? しかも…私が初めてじゃないんだ…。 私と同年代の女の子が…過去に傷ついたってことだよね? もしかすると、騙されたり、今みたいに力付くで…? 酷い。 酷すぎる。 それに、同い年で、こんな卑劣な行為や思考を持っている奴らがいるなんて衝撃だった。 男性トイレに連れ込まれると、地面に投げ出された。 固く冷たいそこに身体が当たり、鈍い痛みが走る。 …こんな奴らに、好き勝手されたくない。絶対に。 でも、どうしたら…? この人数相手に、私に出来ることは何? 葬君…!! ふと、先ほど失恋したばかりの従兄弟の顔が思い浮かんだ。 いや、ダメだ。 こんなこと、絶対に知られたくない。 頭をフル回転させる。 何か、何か出来るはずだ。 スマホでこっそり誰かに連絡が出来れば…!! 制服のポケットに手を入れるより先に、地面に寝かされて私の両手を押さえつけられた。 そのまま一人の男子が上に跨がり、突然片方の胸を鷲掴みにした。 「っ…!!!!」 突然のことに身体が固まる。 「やっぱでけぇわ」 そう言って笑うと、手をゆっくり回すように動かす。 それを見て、クスクスと笑う他の男子達。 怒りで固まり、私は言葉を発することも出来なかった。 「気持ちいい?もしかして処女?」 私を上から見下ろし、口角だけ上がった表情で聞かれる。 ーこいつら全員、死ねばいい。 全神経を集中させ、公園にいる浮遊霊をトイレに引き寄せる。 抵抗せず、静かにしている私に男子達は安心しきっている。 口を微かに動かして、天井に印をつくる。 呼び寄せた霊を集める為の霊道。 お札がない、印も切れない、そんな状態で出来る一番簡易的な結界。 血が強いから出来る、私の切り札。 こんなことに使うなんて不本意だけど。 でもこれって、正当防衛だよね? 制服のボタンを外され、キャミソールを胸の上まで上げられる。 ブラジャーの上から、再度胸を触られる。 何度か揉まれた後、ブラジャーの中に手を入れられ先端を摘ままれた。 ーーーーー死ね。 そんな怒りの気持ちを込めて、寄せ集めて一体化させた大きな浮遊霊を男子に移そうとした時だった。 ーードカッ トイレの出入り口を塞いでいた男子が、壁に激突してうつ伏せに倒れている。 壁には血が、ついていた。 「ーーーーえ」 全員が動きを止め、血を流して倒れた男子を見る。 殴りか、蹴りか、どうやったかは分からない。 けど確かに一発で、170センチ近くある男子がぶっ飛んだ… 「あ…」 その犯人が誰か、認識した私から声が漏れた。 私と男子達の視線の先にはーーー六角屋さんがいた。 「なっ…」 スマホ撮影をしていた男子が動揺から声を上げる。 と、六角屋さんはギロッと彼を睨み、次の瞬間ぶん殴った。 手洗い場に頭を顔をぶつけ、悶絶している彼からスマートフォンを奪い取り、地面に叩き付ける。 粉々になった液晶画面を、更にスニーカーで踏みつけて完全に破壊した。 そのまま、静かに、ゆっくり、顔を上げる。 無表情で男子達を見つめる彼の目から今までに無い殺気が伝わってきた。 「ひっ…」 私に股がっていた男子が瞬時に立ち上がり、逃げようとする。 同様に、私の両手首を押さえつけていた男子も立ち上がった。 二人とも心底怯えた表情だった。 当たり前だ。 知らない男性が突然現れたと思ったら、友達が二人ぶっ飛んで気絶した。 そんなシチュエーション、なかなか経験できないだろう。 私だって…怖い。 「制服、直せ」 単語を繋いで、発した言葉。 それが私に向けられていると気付き、私は慌ててブラを整えてキャミソールを戻す。 そのまま制服を引き寄せ前を隠した。 六角屋さんは、身構える男子二人を尻目に、私の前に膝を着く。 そのまま着ていたジャージを、肩から羽織らせてくれた。 すっぽりと肩を包むそれは、暖かかった。 「…っ」 安心して、泣きそうになる。 「くそっ…」 男子二人が隙を見て逃げようと走り出した。 が、六角屋さんはそれを見逃さず、瞬時に一人を足をかけて転ばせる。 もう一人は制服の襟を掴み手洗い場に向かって投げ飛ばした。 …あまりにも無駄の無い動きに、私は見とれていた。 洗面台に投げ飛ばされた男子は、そのまま首を掴まれ、手洗い場の蛇口に顔を近づけさせられた。 制服のネクタイを蛇口に結ばれ顔を固定させられた次の瞬間、容赦なく水を出され、鼻と口の両方の呼吸を塞がれていた。 「ごぼっ、っぐっおっ、げっ!!!がっはっっ」 六角屋さんは、男子に抵抗されて身体を殴られたり服を引っ張られたりと激しく抵抗されているのに、全く動じない。 数秒激しく抵抗していた男子は、暫くして大人しくなってきた。 溺れる寸前で蛇口の水を止め、ぐったりと膝を着く男子をそのまま放置する。 足を引っ掻けて転ばされた男子は、打ち所が悪かったのか大人しく痛みに耐えて倒れていた。 そいつに近づくと、 「言うなよ、死ぬぞ」 ゆっくり、そう言葉を発した。 その声に、心の底からゾッとした。 私に向けられた言葉じゃないのに鳥肌が立ってしまった。 脅しではなさそうな本気の声色。 「はい…」 震える声で、必死に頷いていた。 彼はおでこから流血していた。 六角屋さんは、私のスクールバックを持って男性トイレの出入り口に向かって歩き出した。 それを追いかけるように私も立ち上がり、後に続く。 トイレから出て、公園の入り口まで無言で歩いた。 もう、外は真っ暗だった。 …今、何時だろ…。 「当分、動けない」 不意に、六角屋さんが言葉を発した。 「…あ、えと、あいつらのこと?」 私が恐る恐る聞くと、こちらを見ずに頷いた。 …助けてくれたんだよね。 私が、襲われそうになったのを。 彼が来てくれたお陰で、私はいたずらに力を使わなくて済んだし、あれ以上身体を弄ばれずに終わった。 緊張の線が切れ、安心してしまった。 正直、怖かった。 六角屋さんが来てなかったら、人数と力に負けて…気持ちが折れて、好き勝手に輪されていたかもしれない。 色々な感情が一気に込み上げてきた。 お礼の言葉より先に、涙が溢れてくる。 「…ありが…と」 泣いているのがバレないように俯いて、そう伝えるのが精一杯だった。 嗚咽を漏らし感情を吐き出す私に、六角屋さんは何も言わなかった。 「……なんで、私がここにいるって分かったの…?」 「帰る時、泣いてたから」 彼からの返答は予想外だった。 …葬君の家から帰るのを見られていたんだ。 私は俯いていたから全然気づかなかった。 「そっか…」 恥ずかしくて、力なく笑った。 「私、今日失恋したの。 ずっと、好きだった人に。 片思いしてた人に…。 それでここで一人で落ち込んでいたら高校の男子に絡まれて…嫌なことされそうになった。 まじで最悪だし運悪いよね」 いつのまにか、私は彼に聞かれてもいない経緯を話していた。 初めてまともに会話が出来たのに、こんなことになるなんて。 「…」 「好きな人に、好きな人がいるって分かると凄く辛いね。 叶わないの知っていたから諦めないとって思っていたんだけどね」 なぜ、このタイミングで、六角屋さんにこんなことを話そうと思ったか、分からなかった。 多分、気持ちが動転していた。 あんな姿を見られて、心底気まずかったのもある。 だから私は勝手に話し続けた。 「…両想いになりたかった。無理だけど」 「…」 六角屋さんは一言も話さずに聞いていた。 暗がりであまり表情が分からなかったけれど、空気はピリピリしていなかったから、話し続けていた。 「六角屋さんは彼女とか好きな人とかはいるの?」 「…いない」 「……だよね」 肯定するのは失礼かもしれないけれど、納得してしまった。 彼の雰囲気や立ち振舞いで彼女がいたらびっくりだった。 「じゃあさ、一緒にいてくれないかな… 助けたついでに。 あんな場面見られちゃったし、正直、またあんなことになったら一人じゃ怖い。 守ってくれる人がいると思えば安心できるし」 自分でも、よくそんな意味不明でわがままな提案が出来たもんだと呆れた。 でも言ってしまったものは仕方ない。 六角屋さんには自分の弱さをこんなにも出してしまったから。 これじゃあ当分神々廻家に行けないな。 「わかった」 六角屋さんの、声が聞こえた。 彼は確かに、「わかった」と発音した。 「ーーーーーは?」 それは、私の「交際への申し込み」に対する肯定的な答えってこと? …とてもすんなりと了承された。 本当に、すんなりと。 「…私、付き合ってって言ったよ?良いの?」 自分から言っておきながら焦ってしまい、確認した。 絶対断られると思ったのに。 冗談だよって笑うつもりだったのに。 「かまわん」 そう言って、彼は初めて私をちゃんと見た。 暗がりだけど、彼が私をちゃんと見ていることが分かる。 「…付き合うことがどういうことか分かっているよね?」 今日、初めてまともに会話が出来た彼と付き合うなんて。 しかも、長年片想いしていた相手に失恋した日に。 …そもそも、付き合う気なんてない。 珍しく、勢いで発してしまった言葉だった。  断られると思っていたから。 惨めでバカな女だと笑ってほしかった。 「一通りはわかる」 心底興味無さそうな声色で、まるで作業肯定の確認に対する返答のような言葉を返された。 六角屋さんにとって、誰かと付き合うことはあまり大切なことではないのかもしれない。 それくらいフランクなら、私の心の隙間を埋めてくれるかもしれない。 それに、仲良くなれるチャンスかもしれない。 本当に心に変化が起こる可能性だって…ゼロではない。 そう、一瞬思ってしまった。 「…じゃあ、今日から六角屋さんは私の、彼氏」 私の言葉を、彼は否定も肯定もしなかった。 葬君を忘れるのには丁度良いのかもしれない。 自分の気持ちに嘘をつくことになるけど。 彼を利用して私は心の回復を待とうとしている。 高校生だから許される、人の心を利用する残酷さ。 彼は無言で頷いた。 「付き合うの初めて?」 「そうだな」 「…六角屋さんって今いくつなの?」 「20」 私の3つ上…。あまり年齢は変わらないな。 付き合うのが初めてってことは、あまり女の子に興味がないんだろうな。 「私、今17の高2。未成年だから、そこはよろしく」 「わかった」 抑揚のない、興味の無さそうな返答。 「あと、ちょっと前のことだけどみんなを待っている時にね、羊羮をいただいたの。 凄く美味しかった。…ありがとうを伝えてなかったね」 話を突然変えてしまったけど、ずっと言いたかったことが言えた。 「…よかったな」 少しだけ間があって、彼はこちらを見ずに呟いた。 「六角屋さんのお父さんが作ったって聞いたよ。 凄いね、あんな美味しい羊羮初めて食べた。 昔職人さんだったって…」 「早く帰った方が良い」 ピシャリと言葉を遮られて私はびっくりしてしまった。 彼にとって、あまり話したくない内容だったのかな。 「…そうだね、 ……あの、あいつらあのままで…本当に大丈夫かな」 私は、六角屋さんがボコボコに痛め付けてくれた男子4人の存在が気がかりだった。 私への輪姦未遂を棚に上げ、口裏を合わせて、六角屋さんを悪者にする可能性は十分ある。 成人男性が高校生に暴行を働いたことは事実だし、不利だ。 「かまわん」 「ま、待ってよ、 無実…ではないけど、逮捕されたら刑務所行きかもしれないんだよ」 「うん」 「うんって…」 私は半分呆れながら、それ以上言葉を続けなかった。 辺りはもう既に真っ暗。 早く帰らないとお母さんが心配する。 し、嘘ついて神々廻家を飛び出したのがバレてしまう。 「六角屋さんは葬君の家に帰る?」 話題を変えようと、私はまた彼に話しかけた。 「そうだな」 「私も帰らなくちゃ。 六角屋さん、助けてくれて本当にありがとう。 気を付けて帰って。 稽古の途中で、抜け出すことになってしまったのはごめんなさい」 そう言うと、私は彼にジャージを返した。 無言でそれを受け取る。 「ほら、帰ろ」 そう呼び掛けると、六角屋さんは 「さすがに送る」 そう言って、私の横を通りすぎると先に歩き始めた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー お互い特に話すこともなく、夜道を歩く。 正直、彼の気遣いは嬉しかった。 ただでさえ失恋して傷心していたのに、それに加えて暴行未遂までされたんだ。 感情がぐちゃぐちゃで、思い出すと怖いし不安だった。 何も言わず、傍にいてくれるだけで大分心が落ち着ける。 「ここだから」 私の家に着き、六角屋さんに伝える。 彼は、私が玄関に入るまで確認するつもりらしい。 鍵を開けて玄関を開く。 と、すぐにお母さんが出てきた。 「ヒナちゃん!もう!!!!!遅いから心配したんだよ! おじちゃんおばちゃんに連絡したら私とおでかけだから帰るって言ったらしいね。 テキトーに話し合わせたけど、今まで何してたの?! 電話もラインも帰ってこないから…お母さん何かあったのかなって…!! 帰りが遅くなるならちゃんと連絡してくれなきゃっ」 私を見た途端、言葉が溢れて止まらないお母さん。 怒っているような、安心したような口調だった。 スマホを握りしめて出てきたのを見ると、私からの連絡通知をずっと待っていたのかもしれない。 そんなお母さんを見て、私はまた泣きそうになってしまった。 「…ごめんなさい」 「…どうしたの?何かあったの?」 私は今、悲しい顔をしているのかな。 さっきまで私を叱っていたお母さんの顔が嘘のように優しくなった。 「私…」 それ以上は言葉が続かなかった。 何を言っても、涙が出てきそうだった。 ここで泣いたら…きっと止まらなくなる。 そう思い俯いて堪えていると、 「遅くまで連れ回してすみませんでした」 いつの間にか六角屋さんが後ろに立っていた。 「え…?」 私と話す時からは考えられないくらい、しっかりと生気の入った発音と人間らしい抑揚に、一瞬彼だと分からなかった。 「え!あ、あら、あなたは?」 お母さんがびっくりしたように彼の方を向く。 「六角屋と言います。 ヒナさんととお付き合いをさせていだだいています。 俺が色々と連れ回してしまいました」 スラスラと平気で嘘をつく六角屋さん。 無理して作った笑顔かもしれないけど、限りなく自然に近かった。 そんな彼を、私はポカンと口を開けて見ていた。 溢れかけていた涙は引っ込み、お母さんをチラッと見る。 …お母さんは、うちの家系では珍しく霊感がない。 だから六角屋さんの内に秘めた違和感を感じることはない。 その代わり、霊を避けつけない、跳ね退ける能力が強い。 存在自体が私達、御菩薩池家の強力結界。 おじちゃんに、「視える」「感じる」能力を全振りされてしまったのかもしれない。 そんな天然地雷のお母さんは六角屋さんの嘘をすっかり信じ込み、何故か照れ臭そうにモジモジし始めた。 「ま、まぁ…ごめんなさいね、うちの子が。 私ったら感情的になって…恥ずかしいところをお見せしたわね。 もうヒナちゃんったらちゃんと言ってよ!」 何やら嬉しそうに六角屋さんに笑顔を向けた。 「夜ご飯食べていく?良かったら上がって行って!」 「いえ、ヒナさんは明日も学校でしょう。 俺はこれで失礼します。 迷惑をかけてしまい、すみませんでした」 お母さんの誘いを丁寧に断って、六角屋さんは笑顔で一礼した。 夜の闇に消える彼を、私は玄関を半分開けて見送る。 …彼と言う存在が、ますます分からなくなった。 あんなに自然とコミュニケーションが取れるのに、どうして普段は無感情で話し方も機械みたいなのかな? そんなことを漠然と思いながら、私は玄関の鍵を閉めた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー [uploadedimage:480342] [uploadedimage:13720137] 六角屋さんに送ってもらった日から、お母さんの私に対する態度がうざくなった。 幸い、私は学校に休まず通っていたし、六角屋さんが警察に通報される事もなかった。 私を襲った男子達は数日間休んでいたけど、大人しく学校に通っているところを見かけた。 まるで、あの日の事はなかったかのように。 学校から帰るのが遅いと 「…彼とデート?」 と聞いてきたり、ラインの通知がくると、 「…あら?」 と嬉しそうに笑ってくる。 …流石、おじちゃんの妹。 葬君の家には、さすがに行く回数を減らした。 突然行かなくなると、不自然かと思い、少しずつ減らしていくことにした。 まだ、葬君の顔を見ると胸が痛む。 やっぱり好きだって思ってしまうから。 気持ちが、戻ってしまわないように少し距離を開けなければと思った。 あまりにも葬君は私の日常だった。 無理矢理それを失くすことでぽっかり、穴が開いてしまった。 でも、失ったものばかりではなくて、意外な人物がその穴を埋めてくれるようになった。 六角屋さん改め、朱と靂さん。 朱は、私のことを名前で呼んでくれるようになった。 だから私も、名前で呼ぶようになった。 失恋したからと言って、神々廻家と縁が切れるわけではない。 お母さんに頼まれた用事があって立ち寄った時、久しぶりに葬君と二人で接する機会が多かった。 以前の私なら嬉しくて幸せだったけど、葬君に彼女がいると知ってしまった以上は逆だ。 私は自分の気持ちを隠すことに必死で、苦しくて辛かった。 その反動で、朱に対して感情的になってしまっていた。 あまり感情を表に出さず、永遠と話を聞いてくれる彼に、いつの間にか甘えるようになっていた。 だから、葬君との時間で消費された心を、朱に八つ当たりすることによって埋めてしまうことがあった。 ーー付き合ってるんだよね? と朱に聞いたことがあった。 責めるような口調で。 それがきっかけになったのか、その日から朱は私のことを「ヒナ」と呼んでくれるようになった。 ラインも、半ば強引に聞き出しても怒ったりしなかった。 「好きな時に呼んでくれれば、会いに行く」 静かな口調で、そう言ってくれた。 だから、私は学校帰りにさっそく朱にラインをした。 「16:30に駅前のマックに来て」 朱ともっと話したかった。 葬君を忘れるくらい、外で楽しみたかった。 マックには、ちゃんと朱がいた。 そして、なぜか靂さんもいた。 「学校、お疲れ様」 靂さんはそう言って、うっすら笑ってくれた。 私は最初こそ戸惑ったけど、朱より先に仲良くなって、朱より数倍話しやすい靂さんがいることは嬉しかった。 何気ない話をしているだけで心が落ち着くことが出来た。 靂さんは学校の話をたくさん聞いてくれたし、箱庭の話を教えてくれた。 それから神々廻家で稽古がない日は、3人でファミレスに行ったり、私のおでかけに付き合ってくれた。 だから時間がある時は、私が得意な結界の印の切り方や円陣の書き方、護符の作り方を教えてあげた。 靂さんは特異体質で霊感もあるから結界にすぐ、霊力を込めることが出来た。 朱は地頭が良いのか飲み込みが早くて基本的なことをすぐに覚えてしまった。 私が突然2人と外で会うようになったこと、そこに絶対葬君がいない理由を、靂さんは多分気づいている。 私達にとって唯一の共通の話題である葬君や神々廻家のことを彼は一切話題に出してこなかった。 朱とは付き合っていると言いながら特に何も進展は無かった。 結局、私が彼を呼び出せば必ず靂さんが付いてくる。 それは嫌ではなかったけど、朱に二人になることを避けられている気がしてしまった。 お互い、恋愛感情は無い。 私は、私のわがままと身勝手さで朱のことを利用している。 葬君を忘れたくて、その埋め合わせになるものが欲しかった。 彼と形だけでも付き合うメリットがある。 でも、朱はどうして私に付き合ってくれているんだろ。 彼にとって、大切なことってなんなんだろう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「2人で出かけたい」 朱にLINEでそう言われて、久しぶりに驚いた。 そこから返信を考えている間に電話がかかってきて、さらに驚いた。 意を決して通話ボタンを押し、スマホを耳に押し当てる。 「…電話、珍しいね」 「そうだな」 「出掛けるの、良いけど、行きたいところがあるの?」 「ある。公園で待ち合わせな」 それだけ言われて、電話は終わった。 通話時間、わずか15秒。 朱らしくて苦笑いしてしまった。 …これは、デートってやつなんじゃない? 好きな相手じゃないのにドキドキしてしまった。 生まれて初めて、同年代の男性と2人でお出掛けするんだから。 葬君と、過去に何度か2人で出掛けたけどその時のドキドキとはまた違う緊張だった。 待ち合わせ当日。 …ちょっとだけ女の子らしい格好をして玄関の姿見で最終チェックをしている私を見て、お母さんは嬉しそうに手を振った。 少し早めに公園に着いてしまった。 ベンチに腰掛け、SNSを見ていた。 と、遠くから私の方へ向かってくる朱に気がついた。 いつもトレーニングウェアやジャージ姿しか見ていないから、私服姿の朱が新鮮だった。 朱は、私と目が合うなり 「車が停めてある」 そう言って手招きした。 公園の近くに路駐してある一台の車。 ドアを開けてくれた助手席に乗り込む。 乗り込んだは良いけれど、どこに連れていかれるんだろう。 「今日どこ行くの?」 なんとなく、不安になり聞いてみる。 「喫茶店」 エンジンをかけ、ナビを設定している朱はこちらを見ずに答えた。 …喫茶店?時刻は11時前。遅めの朝ごはん? 「朱が、よく行く店?」 「そうだな」 そう言って、車を走らせる。 走っている間、手持ち無沙汰な私は朱にあれこれ話しかけてみた。 「車持ってたんだ」 「レンタカー」 「え、借りたの?電車でも良かったのに。 車の方が行きやすい場所?」 「最寄り駅から遠いからな」 「そっか」 朱はあまり話さない。 3人で会っている時はほぼ私と靂さんで話をしていた。 靂さんがいない今、無理に話す必要はないけど、なんとなく会話を続けていた。 嫌がってる様子はないし。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 車で数十分。 結構かかった気がする。 パーキングエリアに車を止め、二人で歩く。 狭い道に入っていく。 路地裏に、小さな喫茶店が見えた。 扉の前に立つと、朱は私を見た。 「ここ?」 私が聞くと、ゆっくり頷く。 そのまま扉を開けて、彼は先に中に入った。 後から入る時、なんとなく意識が後ろに持っていかれた。 …お札? お店の横の壁にお札が貼ってあった。 …結構強力な結界印。 何重にもバリアが張られている。 なんで、こんなに守られてるんだろ?事故物件とか? でも、嫌な気配はしない。 私が中々入ってこない間も、朱は、扉を開けたまま待っていてくれる。 少し、不思議そうな顔で。 …まぁ、別に良いか。 そう切り替えて朱の後に続いた。 店の奥に入っていくと、そこにはマスターらしき中年の男性が一人見えた。 カウンター席の奥で、ティーカップを綺麗に拭いている。 「いらっしゃ…あ、朱築か」 私達を見ると、驚いた顔をした。 …朱と知り合いなのかな。 その人は、嬉しそうに朱を見ていた。 「そちらのお嬢さんは?」 私に気づくと、笑顔を向けてくれた。 フフっと優しく笑うその顔がとても暖かくて、なんだか安心できた。 私はペコリとお辞儀をする。 「こんにちは。 朱築の父親の六角屋紅虎です。 朱築の彼じょ……お友達…かな?よく来てくれたね」 そう優しい口調で挨拶をされた。 朱の…お父さん。 確かになんとなく顔が似ている気がする。 「…御菩薩池緋南と言います。はじめまして」 私が挨拶すると、再びニコッと笑い紅虎さんはカウンター席に座るよう私達を促した。 「さぁ、ここに座って。メニューをどうぞ」 紅虎さんは、ずっとニコニコしていた。 来てくれたことが相当嬉しかったのかな。 そう思うくらい、楽しそうな雰囲気だった。 テーブルに置かれたメニューをパラパラとめくってみる。 飲み物とデザートのメニューがメインみたいだ。 あとは軽食がちょこっとだけ。 喫茶店はあまり入ったことが無いから、何を頼もうか悩んでしまう。 「好きなものを遠慮せずに頼んでね。 ヒナちゃんはコーヒー飲めるかな?」 「あ、ブラックは飲んだことなくて…」 すみません、と私は頭を下げた。 「なぜ謝るの? じゃあハニーラテはどうかな? コーヒーに蜂蜜とミルクを入れてマイルドにしたんだ。 女性のお客さんに人気があるんだけど、飲んでみない?」 「あ、それ飲んでみたいです」 「よーし!準備するから待っててね。 朱築はいつもので良いよね」 紅虎さんがそう聞くと、朱は黙ったまま頷いた。 準備しようと店の奥に引っ込もうとした紅虎さんの背中に向かって、 「朝ごはん、食べてない」 と朱が告げた。 紅虎さんは一瞬キョトンとしたがすぐに楽しそうに笑った。 「テキトーに作ってくるから、待ってなさい」 カウンターに2人で並んで座って紅虎さんを待つ。 「飲みたいもの、無かったのか」 ふいに、朱に話しかけられた。 「え?なに?」 完全に油断してメニューを見ていた私は、彼の言葉をイマイチ理解できなかった。 「勝手に決められてた」 「え?飲みたかったけど、ハニーラテ」 紅虎さんが特定のものを一つだけ勧めてきたことを気にしていたのかな? 「コーヒー、こだわっているから飲んでほしかったんだと思う」 こちらを見ずに、朱は話続ける。 「そう、じゃあ楽しみだな、蜂蜜好きだし」 飲み物…迷ってしまったから紅虎さんが決めてくれて助かった。 でも、朱からしてみたらお父さんが強引にお勧めしちゃったと思ってしまったのかな。 …意外と、そういうところ気を遣うんだ。 そんな新しい発見だった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私の前に、アイスのハニーラテが置かれた。 それと、ホットサンド。 朱の前にはホットのミルクティーと同じくホットサンド。 とっても美味しそう。 「待たせてしまったね。召し上がれ!」 そう言われて、私は最初にハニーラテに手を伸ばした。 …美味しい。 蜂蜜の風味が凄く利いているのに、全然くどくない。 飲みやすいコーヒーを使用しているのか口当たりがとてもスッキリしていた。 「…美味しいです!!」 私は紅虎さんを見て伝えた。 「それは良かった!嬉しいよ」 紅虎さんは安心したように、満足げに笑った。 ホットサンドも美味しかった。 中に、厚切りのハムとポテトサラダ、チーズが入っていて食べ手応え抜群だった。 ちょこっとだけ朝ごはんを食べてきたけど、それでも全然気にならなかった。 美味しくてペロッと食べてしまった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ランチの時間に差し掛かり、お客さんが来店し始めた。 紅虎さんは、狭いお店だから一人でやってると教えてくれた。いくら小さなお店でも邪魔になってしまったら申し訳ない。 私達は店を出ることにした。 紅虎さんにお礼を言い、椅子から立ち上がる。 と、紅虎さんが何かを思い出したかのように慌てて裏からタッパーを持ってきた。 「忘れてたよ、頼まれていたもの! また遊びにおいでね、ヒナさん!」 そう言って、タッパーを持たせてくれた。 朱は頷くと店を出ていった。 私も再度お辞儀をして店を出た。 車に乗ると、朱が帰り道を設定し始めた。 私も紅虎さんから渡されたタッパーを膝に置いて、シートベルトを絞めた。 静かに車を走らせる彼の横で私はタッパーを大切に持っていた。 「美味しかったね」 そう彼に話しかけると、うんと呟いた。 信号で止まった時、私はタッパーの中身が気になってじっと見つめていた。 何が入っているんだろう。 朱に頼まれていたって言っていたから神々廻に持っていくお菓子とか? でも、私に向かって渡してくれたよな…。 そんなことを考えていると、 「開けたら」 静かにそう言われ、私は恐る恐る中を開けてみた。 「あ…」 そこには、神々廻家で食べた羊羮や彩り豊かな和菓子が敷き詰められていた。 カラフルで、可愛くて、見ていて心が弾むような和菓子達。 「綺麗…」 思わず呟いていた。 「これ、紅虎さんが作ってくれたの?」 そう聞くと、朱は頷いた。 「好きだって言ったら、喜んでた」 家族の話は、朱にはしない方が良いと思っていたけど、ちゃんと覚えていてくれたんだ。 「ありがと、嬉しい」 私の声に、朱は黙って頷いた。 タッパーの中身を眺めて私は静かに笑っていた。 家の近くまで送ってもらった。 「今日はありがと、嬉しかった」 そう伝えるとまた、朱が頷いた。 「優しくしてくれてありがと。 まぁ、一応付き合ってるもんね。 彼氏っぽいことしてくれて嬉しかった」 照れ隠しで冗談っぽく言うと、朱も薄く笑って 「そうだな」 と呟くように言った。 朱が、初めて会話の中で感情を出してくれた気がして嬉しかった。 なのに、次の瞬間、 「葬のことを忘れられるまで傍にいるのはかまわない」 そう、言われて一瞬時間が止まった。

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視たい女。見えない女

木の組 中長 白鳥あい 箱庭にくる前の備忘録 「このぼったくり!テキトーなこと言ってんじゃないわよ!」 突然、ヒステリックな怒鳴り声が、夜の繁華街に響き渡った。 その甲高い声に、道行く人が何事かとギョッとしている。 立ち止まりまではしないけれど、チラチラと私達の方を怪訝な顔で見ながら通り過ぎていくのを見て、私は勝手に気まずくなっていた。 「あんた話聞いてなかったの?!私は来月結婚するの! プロポーズされたっつってんでしょ?! 浮気なんてしてるわけないじゃない!この大嘘つきっ!」 高級ブランドの財布を乱暴にテーブルに叩きつけ、私に威嚇する若い女性。 私を真っ直ぐ睨む目力の強さから、心底怒っているのが伺えた。 怒り心頭の彼女の左薬指には、確かに指輪が輝いている。 婚約の事実は嘘ではない。 「彼との未来を教えて。いつ子供が出来るかも」 数分前、彼女に高圧的な態度で話しかけられた。 占い師である私は、路面で水晶を弄りながら暇をもて余していた。 彼女はそんな私の前に突然現れて、許可なく椅子に座り、足を組んで結果を待っている。 私は驚きながらも彼女の要望に応えて、私はいつも通り占いをした。 水晶玉を見つめる。 それっぽく手を動かして。 水晶占いじゃなくても私は別に構わなかった。 >> 私は、小さい頃から存在しないものが見えた。 小さい頃はそれが「存在しないもの」って分からなかったんだけど。 家族や友達の周りに、いつも人の形をした…モヤが漂っているのが見えた。 怖くはなかった。 けど、みんなに言うとキョトンとされてしまうので、いつの間にか、自分の中に止めておくようになった。 自分だけ違うみたいで、少し寂しかったのを覚えている。 物心ついた頃、興味本意でそれに意識を集中させてみた。 モヤについて、もっと知りたいって思ったから。 すると、憑いている人について、モヤは教えてくれた。 さまざまな情報を、感じとることが出来た。 その人の記憶が、映像として頭の中に流れてくる。 断片的だけど、ある程度の人となりを理解出来た。 その人自身の事だったり、時には関係者の思念だったり。 これは、大きな衝撃だった。 敵でも味方でもないと思っていたモヤは、私にとって友好的に働いてくれたんだから。 少しずつ、私はモヤから人の情報を読み取る頻度や時間を増やしていった。 その力は、年を重ねるごとにどんどん強力になった。 私はそれを「霊視」と位置付けて何か役立てることは出来ないか考えた。 その結果が、占いだった。 人間につく、モヤ。 その人の守護霊なのかもしれないけど、ちょっと違うのかな? 私にもよく分からない。 はっきりしているのもあればぼんやりしているのもあるから。 人によって本当にさまざまだった。 私に怒鳴った女性のモヤからは、彼女自身の情報ではなく、結婚相手である彼の素行がどんどん出てきた。 浮気をしているし、ギャンブルや夜遊びもしている。 裕福な家庭で甘やかされた人特有の金遣いの荒さ… 女性が女性なら、相手も相当タチが悪い。 使えるお金が無限に溢れ出てくると本気で信じているタイプの人間。 親の功績に甘えて、大して何も出来ないのに自分も勝ち組だと思っている。 だから、働いている一般人は自動的に全員「負け組」であり、「好きに使っていい人間」だと思っている。 敬ってもらう、丁寧に対応してもらう、 自分の事を褒め称えて頭を下げてもらう、 全てが彼らにとって当たり前。 正直このタイプの人間が苦手だ。 お金がなくなった瞬間、この人達には何が残るのだろう。 私はため息をついた。 彼女はまだ、私に対してブツブツと文句を言っている。 そんなんだからこんな汚い場所でしか働けない どうせ、独身だろ負け組女 自分が男がいないから悔しいだけだ …そんなことを大きな声で言っている。 …今月、何回目だろ。 何回お客さんを怒らせても学習せずに、バカ正直に視えたものを言ってしまう。 それが、相手にとって最善だと思うから。 でも、お客さんは決まって嫌な顔をする。 彼女のように怒り出す人も多い。 それは、自分が欲しかった言葉じゃないから。 知りたかったであろう真実を伝えているのに。 みんな、未来が不安で来ているはずなのに。 誰一人現実を見ようとはしない。 その矛盾が、もどかしかった。 「…気を悪くされたなら謝ります。 しかし、彼が浮気をしているのは事実ですよ。 この水晶は正直です」 いい加減彼女に嫌気が差して、私の語尾が強くなった。 だって、私の人間性や容姿は否定される筋合いがない。 し、週末の繁華街で一目を気にせず暴れられたら営業妨害だ。 「証拠見せなさいよ…! 何が根拠で私の彼が浮気しているって言えるのよ!」 彼女はさっきよりも更にキッと私を睨む。 私が一向に謝らないことに苛々しているのもあるだろう。 おそらく、今までは謝ってもらえていたんだろうな。 だって、こんな派手で高圧的な客が来たら「関わりたくない」「機嫌良くさっさと終わらせたい」大抵の人はそう思うでしょうし。 「バカでも分かるように説明してあげるわ。 よく見なさい、この指輪を。 世界に3つしかない宝石で作った最高級の婚約指輪なの。 分かる?世界よ? 後の2つは王室や世界的なセレブが持っているの。 そんな指輪を彼は私にプレゼントしてくれた。 永遠の愛のしるしとして。 ……なのに何? あんたのその安上がりな水晶は、そんな彼が浮気をしていると言うの?」 私を完全にイカれた女扱いして、懇切丁寧に聞いてもいない説明してくれている。 …呆れた。 そんな都合の言い指輪なんてあるわけがない。 そして、仮にあったとしても、その指輪をあなた程度の小金持ちが持てる日は残念ながら現世では来ない。 私はまたため息をついた。 「…そんな大きな声で、こんな目立つ場所で。 その貴重な指輪を見せびらかすのはあまり賢い選択とは思えません。 ここは繁華街の夜市です。 物騒な方々がうじゃうじゃ出入りしているんですよ。 貴女諸々売り飛ばされても私は責任を取りません」 私は冷たく言い放った。 もうお金は要らないから帰って欲しい。 そして、二度と会いたくない…。 「…こっちが大人しくしてれば調子にのって…!! あんたのせいでしょ? あんたがお金を取ってデタラメ言うから私は怒っているの! あんたが悪い! 詐欺占い師!! それと、私に何かあったら責任取りなさいよ!!」 また顔を真っ赤にしてヒステリックに騒ぎ始める。 私はそろそろうんざりしていた。 嫌な噂は広がりやすい。 ただでさえ、何度かお客さんを怒らせている。 結局彼女は疲れてきたのか、 「ぼったくり!!二度と来ないわよ!詐欺占い師!!」 と散々お店の外で叫んで帰って行った。 私は彼女への対応に疲れてしまい、早々に店終いをした。 週末はお客さんの量が増え、稼ぎ時ではあるけど、今日はもういいや。 こういう事があると…もうこの仕事辞めようかな、と思ってしまう。 自分の能力を活かせると思って選んだけど、正直に視た事を言えば必ずと言って良いほどトラブルになることが多い。 言い方を変えながら真実に誘導しようとすると、色々と言い過ぎて逆に不自然になってしまう。 最初は占い師の派遣の会社と契約していたけど、クレームが何回かあって契約を切られてしまった。 だからフリーで、ここの場所を借りて占いをしている状態。 場所を貸してくれたのはすぐ隣の喫茶店のマスター。 彼には悪いけど、私は向いていない気がする。 「あいちゃんが言っていることは真実なんだろ? 怒っている人は、ただムカついているんじゃなくて、図星だから誤魔化すために強がってるんだよ。 だから、あいちゃんのやり方を分かってくれるお客さんは必ずいるよ。 現に全員のお客とトラブルになっているわけではないんだろ?」 マスターは、そう笑って励ましてくれた。 いつも私を、私の占いを信じていてくれた。 でも、さすがに今日のはへこんだな。 個人に向けられた怒りのパワーって凄い。 私は分かりやすく、それを吸収してしまった。 はぁ、憂鬱だ。 それに、疲れた。 私は早々に店を閉じ終わると、隣の喫茶店へ入る。 この喫茶店は地元のご年配客でいつも賑わっている。 私を見ると、会釈してくれる笑顔が可愛い常連客の人もいる。 私はカウンター席の端に座った。 私にとっての特等席。 裏で料理を作っていたマスターは、私にすぐ気づいてくれた。 「おっ!お疲れ」 そう笑顔で言うと、何も言わずにコーヒーを煎れてくれた。 「今日は早かったね。 その疲れた顔、またお客と喧嘩でもしたの?」 私を見て更に笑うマスター。 どうやらあの女性の怒鳴り声は、店内には聞こえていなかったみたい。 正直、安心した。 お世話になっているマスターに、あんな現場を見られたくないし聞かれたくなかった。 「うん、私、やっぱり向いてないのかなぁ。 真実も現実も分かった上で、お金を払って嘘を必要としている人だっているんだよね。 なのに、見えたものを正直に真実を伝えてしまう。 自分の正義を曲げられないんだよね…頭固すぎ…」 私は自嘲するように言った。 言った後、自然と深く大きなため息が溢れた。 そのまま沈むように机に突っ伏する。 「まぁまぁ、占い師は大変だね。 今は娯楽と化しているからなぁ。 確かに嘘でも自分に必要なことだけ、都合よく聞きたい人が多いと思う。 でも、未来が見えたり分かるのは夢がある。 それに救われる人だっている。 真実にすがりたい人がいるのも確かだと思うよ」 マスターが話ながら、可愛いティーカップに注いだコーヒーを置いてくれる。 私は顔を上げると早速それを飲んだ。 安心する香りと酸味が強く飲みやすい味。 私はここのコーヒーが大好きだ。 私が顔を綻ばせてコーヒーを飲んでいると、マスターは話を続けた。 「あいちゃんは後者の、真実を知りたい人だけを相手に商売をすればいいんじゃないか? 予約制にするとか、紹介で客を広げるとか…全ての要望に答えようとするから苦しいんだと思うなぁ。 娯楽や勇気づけはさ、それが得意な占いの先生に任せたら良いんじゃない?」 真実を知りたい相手だけ…。 確かに、私の今の占いスタイルは、来てくれたお客さん全員を視ている。 だから慰めが欲しい人や娯楽を求めている人には答えがズレてしまう。 でも、本気で真相を求めている人ばかりを相手にすれば…話は変わってくる。 「そうだね、それはありかも」 私はコーヒーカップをゆっくり置いて、マスターの方を見た。 マスターはニコッとして話を続けてくれる。 「あくまで俺の勝手な提案だけどさ。 会員制にしたり、占う人を限定するなら、プライバシーがかなり大事になるだろ? 露店よりさ、ちゃんとした個室を設けた方が良いと思う。 良かったら店の中の一角を使っていいよ。 店内は静かだし外だと人が多いから客も緊張するだろうし」 まさかの提案に私は慌てて手を振った。 「いやいやいや、場所を貸してもらっているだけでも有り難いのにマスターの店を借りるなんて! またトラブルになったら迷惑をかけてしまうからダメだよ」 マスターの大切にしている店で、さっきみたいにお客に騒がれるなんて絶対に嫌だった。 「トラブルにならないように、話し方や人を視る目を養うのもあいちゃんの仕事だろ? 真実を伝えるのも大切だけどさ、あいちゃんはそれを通して客にどうなって欲しいんだ?」 「…それは」 考えたこともなかった。 私は自分の力を活かしたくて、聞かれたことに応えることが仕事だと思っていたから。 それをしたことで相手がどう思うかなんて全然考えていなかったかも…。 私は、私のためだけにお客さんを利用していたのかもしれない。 そんな身勝手な気持ちは、言葉の端や対応できっと伝わっていたよね。 「占いも俺と同じ客商売だ。 俺は、俺の煎れるコーヒーと、この場所を提供することでお客にホッとして欲しい。 俺の店に来る客は老人が殆どだ。 金はあっても行動範囲も思考も体力も若い頃のようにはいかねぇ。 家族が既に他界していたり、別居中で毎日寂しい思いをしている人も多い。 そんな人達が寂しさを忘れられるように、ここにいる時は安心できるように、俺はコーヒーを煎れる。 いつも色々と考えているんだ。これでもな!」 最後の方はおどけたように笑って見せた。 真剣すぎないように、お説教みたいにならないように話してくれるマスターは優しい人だと思う。 …確かにマスターはお客さんとの距離を大切にしている気がする。 マスターの店のメニューはオシャレな物より家庭料理が多い。 家庭的な優しい味のご飯。 新聞、雑誌、書籍、絵本も普通の喫茶店に比べて圧倒的に多い。 ほぼ個室のようなパーテーションの区切り方で気兼ねなく地元民同士でお喋りできる。 クリスマスやバレンタイン等、季節に合わせたイベント開催もしている。 「ま、従業員には時々めんどくさがられるけどさ。 けっこう楽しいよ、一緒に映画観たりカラオケしたり」 マスターは楽しそうに笑った。 「全部を参考にしろとは言わんけどさ、あいちゃんもあいちゃんのお客さんとの距離を大切にしてみたらどうかな?」 そう言って、また笑っていた。 マスターのモヤはひだまりみたいに暖かい。 柔らかくてふわふわしている。 この喫茶店のお客さんが穏やかなのは、きっとマスターのことが大好きだからだろうな。 >> マスターのお言葉に甘えて、部屋の一角を借りることにした。 占いのスタイルを一新するために、私は準備を始めた。 準備期間中は喫茶店でアルバイトをさせてもらうことにした。 そこで、少しずつ接客での言葉遣いやマスターのお客さんとの接し方を学んでいった。 私は占いのやり方を変えることにした。 まず、SNSを使って自分の占いを宣伝した。 世界観を創り上げて、私の占いに興味のあるお客さんをかなり限定した。 フォロワーさんが増えてきたら個人サイトを開設してメールでメッセージのやり取りを出来るようにした。 本当に悩んでいる人、この先光が見えない人を厳選した。 冷やかしを避けるために、占う料金もグンッと上げた。 かなり強気の値段設定にしたから、私自身ドキドキした。 お客さんだって興味があっても躊躇したと思う。 だからこそ、私は…お金に見合った霊視をしなくちゃ。 私はモヤを視る時の意識を変えた。 今までは流れてくる内容をそのまま受け取って、そのまま伝えていた。 でも、それじゃあダメだと分かった。 悩みを打ち明けてくれて、お金を払ってくれたからには良い方向に向かって欲しい。 幸せの価値観はみんな違うから、お客さんが「これで良かった」と納得できる結末を迎えて欲しかった。 モヤから読み取れるものは、その人の思念や関わった人の感情。 視えたものの「どこをどの角度から伝えるか」をかなり考えた。 積み重ねとは非常に大切なもので徐々に結果が出てきた。 人を、モヤを視る目がずば抜けて成長したのが自分でも分かった。 気持ちを落ち着かせて、しっかり眼を見て、お客さんを視る。 私を選んでお金を出してくれたことへの感謝と、絶対に力になりたい、助けたいと言う気持ち。 それを、常に大切にしていた。 それだけで、私の視る力はどんどん覚醒していった。 「あいちゃん、雰囲気変わったかい? 立派な先生って感じになったね、凄いよ」 マスターが私の変化に驚いて褒めてくれた。 自分の事のように喜んでくれた。 「全部、マスターのおかげだよ」 私は嬉しくて笑顔で答えていた。 会員制でお客さんの紹介以外は受け付けない。 完全予約制を徹底していたから最初は本当に厳しかった。 占いより喫茶店の手伝いの方がメインだった。 それでも常連のお客さんが出来た。 定期的に会いに来てくれたり、身内や友人で悩んでいる人を紹介してくれた。 喫茶店内の片隅。 マスターが選んでくれた、キラキラと輝くサテンのカーテンの中。 私は今度こそ占い師として人を視ることが出来た。 >> せっかく順調だったのに突然その生活が壊れ始めた。 昼下がり、常連客名簿を整頓していた時に、勢いよくカーテンが開いた。 咄嗟のことでびっくりした私の目の前には、全然再会したくない、いつかの彼女が、鬼のような形相でこちらを見ていた。 相変わらずブランドの鞄を持っていて、濃くて強気なメイクをしている彼女は、やつれているように見えた。 私はびっくりしたけれど、自分を守ろうと無意識に霊視をしてしまいモヤから全てを悟ってしまった。 「あっ…」 …この人、婚約破棄されたんだ。 「あんたの…あんたのせいよ…」 私を見る怒り狂った顔が、不意に崩れて、涙でいっぱいになった。 「浮気されたんじゃない…この私がされるわけない…。 浮気なんてされるわけないでしょ…? あんたが仕組んだの…? そうやって金儲けしてるんだ…」 とんだ言い掛かりに私は言葉が出ず、黙ってしまった。 「…落ち着いてもらえませんか。ここはお店の中です」 なんとかそう伝えることが出来たけど、彼女には全然聞こえていないみたいだった。 ブツブツと声にならない独り言を呟いている彼女は眼の焦点が合っていない。 うわ、やばいかも。 危険を察知した私は椅子から静かに立ち上がり、逃げる準備をした。 「…そう、あんたが私をはめようとして。 上手くいったと思ったわけ?バレバレだから…」 泣きながら私を見た目は嫌な光り方をしている。 ……襲われる!! そう思った直後 「許せない…許せない…ああぁあぁあぁぁ!!!!!」 突然物凄い力で私に襲いかかってきた。 足がすくんでしまい、瞬時に避けることが出来なかった。 思いっきり床に突き飛ばされた私は馬乗りになった彼女に首を絞められる。 「あ…ぁあ…う…!」 必死に抵抗してもやめてくれない。 力が強くなり、私の意識が遠退く。 こんな時でも私は、彼女のモヤを視ていた。 流れ込んできたのは彼女の過去。 私は彼女の婚約者も含めて、裕福な人間だと思っていた。 お金に苦労せず高圧的な態度でも許されて生きていける「勝ち組」の方々。 …でも彼女は違った。 一般家庭、生活がギリギリの家庭に生まれた女性は貧乏を拒絶していた。 玉の輿に乗るために婚活パーティーで出会った彼に嘘をつき取り入った。 高級ブランドを身に付け、上品な見た目を装った。 学歴も職場も嘘。 ブランド品を纏うため多額の借金をしていた。 結婚すればきっと彼に取り繕って返してもらえる。 私は本当の金持ちの仲間入り。 自由に生活していける。 ーーーそんな気持ちが伝わってきた。 彼女のモヤから婚約者の思念も読み取れた。 彼は彼女のことを金持ちのお嬢様だと思っていたから婚約した。 でも、不自然な点が多かった。 あまりにも態度が横暴だったり時々、会話中に目が泳ぐ。 金持ち同士でくっつけば親も含めて利益が増える。 なのに、社長令嬢だと言う彼女は、両親に一度も会わせてくれなかった。 結婚の挨拶をしたいと言ったら 「両親は海外に住んでいて会えない」 と断られた。 会いに行くと伝えてもはぐらかされた。 その時から彼女に対する不信感が強くなっていった。 だから酷いとは思ったけど婚約指輪ですぐ冗談と分かるようなカマをかけた。 婚約者が贈った婚約指輪は若者に人気のブランド。 高級ではないかもしれないけど、デザイン性が高く使いやすい。 それを世界で数個しかない宝石を使った特別なリングだと伝えた。 でも彼女は正直に信じた。 疑いは確信に変わり、幻滅した。 彼女は高級ブランドに眼を取られて、ファストブランドに疎かった。 金持ちでも、宝石の価値や値段の感覚はある。 自分がどのレベルなのかも一応自覚はしている。 それが彼女には一切なかった。 それがきっかけで正式に身元調査をされ、正体がバレてしまった。 裏切り者、嘘つき、詐欺師。 私が彼女に言われた言葉を、彼女も婚約者に言われてしまったんだ。 私の占いをしに来た時期と重なったから 「私が自分の名前を売るために彼女を陥れた」 という解釈になったらしい。 …大変迷惑な上に、滅茶苦茶だけど。 全てを知ったところで私には全く関係ない。 …事情を知って可哀相だとは思うけど。 それに、こんなことでこの人に絞め殺されるのはごめんだ。 必死に抵抗していると駆けつけたマスターが助けてくれて、通報してくれた。 私は倒れた時の打撲以外、怪我はなかった。 殺人未遂で現行犯逮捕されそうになった彼女を見て、 「うちのお客さんで、ちょっと感情的になってしまっただけです。 占いではよくあることなんで、大丈夫ですよ」 と庇っていた。 警察の人は不審そうな顔をしていたが、私が無理矢理説得して渋々納得してくれた。 私に二度と接触しない約束で彼女は解放された。 この一件から私は拠点を変えることにした。 「あいちゃんのせいじゃないだろ? 今回のことは気にする必要ないって! 別にお客さんからクレーム来てないしさ…」 あんな騒動を起こしたのに、喫茶店のお客さんは誰一人クレームを入れなかった。 驚かせたし怖い思いをさせたのに…申し訳なかった。 だから、マスターは必死に止めてくれたけど断った。 「私の力不足、口下手が生んだトラブルだよ。 マスターや、お店のお客さんに迷惑をかけるようなことは絶対嫌だったのに。 警察が来るような騒ぎになってしまって… 申し訳なくてここのお客さんにも顔向け出来ないよ」 私のことをいつも心配そうに見守ってくれている常連さんの顔が浮かぶ。 おじいちゃんおばあちゃんが多いこのお店で、二度とあんな事件を起こしてはダメだ。 最後の場所代を払い、繁華街を去る日が来た。 常連顧客にはメールで連絡して、当分は占いをお休みにさせてもらった。 次の場所が見つかるまで。 どうしても相談したい人は電話やテレビ通話で分かる範囲を応えることにした。 私は挨拶をするためにマスターの喫茶店にお客としてきていた。 マスターは寂しそうだったけど何も言わなかった。 いつものようにコーヒーをいただく。 「…あいちゃんはよく頑張っているよ。 救われている人がたくさんいるのは事実だから自信を持ってな。 からだにも気を付けて。 女の子なんだからあんまり変な場所で仕事するなよ」 そう言って笑ってくれた。 いつもより少し寂しそうな顔で。 「ありがとう、マスターは心配しすぎ! またコーヒーを飲みにくるね。 …本当にお世話になりました! 今の私があるのはマスターのおかげだよ」 コーヒーを飲み終えた私は姿勢を正して深々とおじきをした。 正式に、ただのニートになってしまった。 私は夜を迎えようとしている繁華街をのんびり歩いて回ることにした。 食べ歩きをしたり異国の香り漂う雑貨屋やお土産屋を巡ってみる。 占いをしている時は、決まった休みはなかった。 暇があればマスターのお店を手伝っていたし、こうしてのんびり好きなことが出来るのは、楽しかった。 なんか、こういう何もない日って久々かも。 心が休まる。 落ち着くな。 能天気に私はふらふらと探索を続けていた。 骨董屋が目について、何気なく入店した。 中には古本や壺、不気味な面、掛軸などが置かれている。 なんだか…不思議なお店。 置いてあるものも少し不気味だし。 でも、嫌な気は全然しなかった。 なんというか…切ない感じ? 感傷的になる空間だな…。 なんでだろう。 そんなことを思いながらうろうろと店内を見ていると、あるものが目に留まった。 「…これ」 あの彼女がしていた指輪が売りに出されていた。 4桁単位の値段をつけられた指輪を手に取る。 …彼女、どうしているのかな。 絶対もう会いたくないけど気になるのも事実。 だって、婚約破棄されて絶望してた。 今どうしてるのか少し心配になる。 私は集中して指輪を視た。 人に憑くモヤからしか情報を読み取れなかったけど、もしかしたら思念が強い「物」なら視えるかもしれない。 そう思い、じっと集中してみる。 ーーーーー視えた。 人ほど鮮明ではないけど、ちゃんと私に伝えてくれる。 …彼女、相当やばい状況かも。 「お嬢さん、その指輪買い取ってくれんか?」 はっと我に戻り振り替えると、困り顔のご老人がいた。 この店の主人…かな。 「うちは全国から取り寄せた歴史のある品を取り扱っているんだがね、この指輪は若い娘さんがどうしても買ってくれと聞かなくて仕方なく値段をつけたものなんよ… あまりにも必死で、疲れた格好だったもんで可哀相でなぁ… 1日分の食事代くらいの値段で買い取ったんだがね…」 主人は決まり悪そうに言った。 申し訳なさそうな、困ったような言い方。 私は指輪を買った。 そしてすっかり暗くなりつつある、繁華街に繰り出した。 指輪を握り向かったのは違法経営で有名なクラブ。 よく、警察に摘出されないなと思うくらい黒い噂が多い。 この夜のお店の通りは普段なら絶対近寄らない。 でも、今日は勢いで、身一つで乗り込んだ。 黒服のお兄さんは私を不思議そうな顔で見ている。 何しに来たんだこのガキ くらいの顔。 一応成人しているから堂々と私は入店し、飾られた写真から彼女を探した。 ーやっぱりあった。 私は彼女を指名した。 通された席で待っている。 私みたいな普通の女の子が一人で座っている席なんて…ない。 薄暗い店内には爆音で音楽がかかっている。 一応パーティションで区切られてはいるけど、裸に近い格好のお姉さんがお客さんと交わっているのが確認できて目を逸らす…。 声や音は、店内BGMでかき消されるから黙認状態。 お触り禁止なんて寝言以下なんだろうな…。 それにしても…結構どの卓も過激な絡み方してるな…。 目のやり場に困りながら、私はため息をつく。 あーもう最悪。 なにやってんだろ私。 ニート生活初日でこんな危ないお店にいるとは…。 自分にうんざりしてしまったけれど、でも、多分私は間違っていない。 と、 「ご指名ありがとうございます」 露出の高いドレス姿に、ひどく疲れた顔の彼女が現れた。 俯いて歩きながらこちらに近づき、私に深々とお辞儀をする。 顔を上げて私を見た彼女は、青ざめて顔をひきつらせた。 「襲ってこないでよ。 ここで騒ぎを起こしたらあんたは仕事を失うんだからね」 私は心底めんどくさそうな顔をしていたと思う。 「…人を笑いに来たわけ?惨めな負け組の私を…」 彼女は震えていた。 悔しくて泣きそうな顔をして。 「バカだとは思うけど、わざわざそんなことのために殺されそうになった女に会いに来ないよ」 私は彼女に指輪を差し出した。 固まる彼女に話す。 「…世界に3つだけの高級宝石じゃなくてもこれは確かにあんたの元婚約者が自腹で買った指輪だよ。 バカみたいに親の金を散財していた男が自分の働いたお金で買った、婚約指輪。 このブランドは、私らくらいの年代には王道のブランドなの。 金持ちのボンボンだけど、見栄を張らず自分の給料で買えるもん選んであんたに贈ったんだよ。 利益云々ではなくちゃんと気持ちがあったんだよ。 やらしい嘘ついたことは誉められたもんじゃないし浮気も最低だけど。 あんたはその前から騙してたんだからお互い様。 人生の教訓に取っておけば?」 自分でもよく喋るなって思ったけど一気に全部話してしまった。 久しぶりにバカみたいに直球に事実を伝えた。 彼女は震えていたけれど、何かが切れたように泣き出してしまった。 慌ててボーイが走って来て事情も聞かずに私の前で彼女をビンタした。 「…え」 何叩いてんの…。 私は驚きとドン引きで声が出ていた。 「お客様、申し訳ございません。 すぐに他を用意しますんで、今しばらくお待ちを」 ボーイは耳元で彼女に何か呟くと、髪を引っ張って連れていこうとした。 瞬間的にこれから何をされるか察した私は、友人だと嘘をついてボーイから彼女を引き離した。 違法クラブだと聞いていたけど無茶苦茶すぎる。 ここで働く女の子は物以下だ。 お客の前で暴力振るうなんて頭がおかしいし。 多分日常茶飯事なのであろうこの異常事態に、私は怖くなりながらも怯むわけにはいかなかった。 泣いている彼女は、ファンデーションで隠してるけど打撲や切り傷が身体のあちこちにある。 ここで諦めて帰るわけにはいかないのだ。 私は霊視が出来るだけで力はない。 人を操る能力もない。 トレーニングをして体術が出来るわけでもない。 だから何とかお願いして彼女を席に付かせてもらった。 成人してはいるけどお酒を飲みに来た訳じゃない。 自分にノンアルカクテル、彼女にも同じものを頼んだ。 ノンアルカクテルでもまぁ良いお値段。 相場を知らないけどビックリしてしまった。 「落ち着いた?」 私はチマチマとグラスに口を付けながら彼女に問いかけた。 私が聞くと黙って頷く。 「…このクラブ、噂は聞いていたけど、ぼったくりだし対応がめちゃくちゃだし、乱交は起きてるしやばいね。 あんたちゃんと仕事できてるの?お金貰えてるの?」 彼女は固まっていた。 「ここしか雇って貰えなかった」 それからポツポツと自分の話をしてくれた。 婚約破棄され追い出されてからはとにかくその日を生き抜くのに必死だった。 借金があるから実家には帰れない。 仕事先も見つからず、高時給の水商売をすることになった。 ただ、癖になってしまった横暴で高飛車な態度が抜けず、すぐにクビになり最終的にこのクラブにたどり着いたらしい。 安い給料で長時間働かされる。 遅刻をしたりミスをすると店長やボーイに容赦なく暴力をふるわれる。 客に触られるのは容認されており、そのまま最後まで出来るよう部屋が用意されている。 最後までして初めてちゃんとした給料が貰える。 彼女はもうその部屋の常連と化していた。 「そうでもしないと私は生きていけないの」 ぶっきらぼうに吐き捨てる彼女は痛ましかった。 下着が見えそうなミニドレスから至るところからアザや傷が見えてしまっている。 「私だってフリーターだよ。 あんたのおかげで職場失ったんだから。 貧乏節約生活しなきゃ家賃払えなくなるのも時間の問題なんだけど」 私はいじわるに言っていた。 「…悪かったわよ。正直、自分を見失っていた。 婚約破棄されて先が見えなくなっていたの!」 俯いて苦しそうに言う彼女を見て、今までされたことがどうでもよくなった。 それくらい同情してしまった。 「…別にもういいよ。 てかさ、なんでそんなに金持ちにこだわるの? 別にちゃんと就職して仕事していれば普通の生活できる環境下にいたじゃん、あんた」 私は何気なく聞いていた。 別に裕福ではなかったけど、散財しなければここまで追い込まれることもなかったと思う。 そんな家庭環境だったから。 なぜそんなことを知っているのか、彼女は聞いてこなかった。 もうそんな細かいことを聞く余裕がなかったのかもしれない。 「…親がいい加減だったから。 父はギャンブル好きだったから生活費を勝手に使っちゃったし。 母がその分パートしてたけど生活が厳しくていつも気持ちに余裕がなくてイライラしていた。 いつも八つ当たりされていたの。 家の中にいたくなかった」 「…」 「友達の家が羨ましかった。 特に裕福な子は欲しいものはなんでも買って貰えて。 お休みにはおでかけして、お誕生日はホールケーキを買って貰って。 毎年サンタさんがくるお家。 それが当たり前だと思える環境が、親が、私だって欲しかったよ」 「…貴女の家は違ったの?」 「ええ、生活費でやっとの毎日だったし。 誕生日を祝ってもらう余裕なんてなかった。 もちろんサンタさんなんて来ない。 高校は私立だと行かせて貰えなかったから受験のプレッシャーが辛かった。 公立高校に受かったらおめでとうではなく、バイトしてお金入れてって言われたの」 「そう…」 合格した安堵から親に笑顔で報告したのだろう。 なのに親はやっと生活の足しが出来ると思ったのかな。 それは…辛いよね。 「私のバイト代は全部生活にまわされていた。 父は相変わらずギャンブルにはまっていたし多分借金もしていた。 母のパートなんかじゃ追い付けない」 私は黙って話を聞いていた。 「高校を卒業する間近、私は就職先が決まって安心したの。 これで絶対家を出てやるって。 その頃になると両親はもう私を生活費としか見ていないくらい追い込まれて依存していたから。 私は絶対こんな大人にはなりたくない。 友達みたいに裕福で子供に不自由させない金持ちになるって決めたの。 そのためには金持ちの旦那が必要って。 私一人が頑張ったって母の二の舞になるだけだから」 「…だから、身分を偽って婚活パーティーに参加したの?」 「そうだよ。 男性は年収3000万の人しか参加できない。 女性は裕福で社長令嬢以外は参加できないパーティー。 友達の免許証を借りて偽造して参加したの。 …上手くいって安心した反面凄く辛くて寂しかったけど。 だって世界が違いすぎて話が全然分からないんだもん。 同じラインで話せる日は来ないんだろうなって」 苦笑いをする彼女。 「婚約者はね、典型的な金持ちの甘やかされた長男だったから親のカードでポンポン買い物するし周りの人に対しても偉そうだった。 …でも、優しかった。嫌いじゃなかった」 私が渡した婚約指輪を見つめる。 「…これ、彼が自分の給料で買ってくれたんだね。 親のカードだと思っていたから意外だった。 給料全部その日に使っちゃうような人だから」 ゆっくりと左薬指に再びめられた指輪。 貰った時、彼女は心の底から幸せだったのだろうか。 「…バカだなぁ、せっかく社会人になって自由になれたんだから普通の幸せを、自分なりに探すべきだったわ。 自分で働いたお金を自分のために使う楽しさを少しずつ味わえばよかった…」 彼女は再び泣いていた。 「でももう無理だよ… 私、ちゃんとした金融会社じゃなくて闇金融から借金してるの。 ヤクザだよ。逃げられない。 全然減らないんだもん… お店で本番までやってるのに。何回も何回も…」 静かに泣く彼女はもう限界だと悟った。 … … … 「仕事辞めなよ」 私は静かにそう言った。 「無理に決まってんでしょ。あんた今の話し聞いてた?」 涙を拭いながら、彼女は呆れたように吐き捨てた。 「聞いてた。だから辞めろって言ってんの」 私は立ち上がる。 「ちょっと待ってて」 「…は?」 不審そうな彼女を残して私は一度店を出る。 そしてスマホをとりだし、実家にダイヤルした。 「…もしもし、白鳥です」 すぐに電話は出た。 ふわっとした柔らかな中年女性の声。 「あ…私。あい」 「あい!久しぶりね、元気だった? 全然連絡くれないんだもの…」 久しぶりに聞く母の声はいつもと変わらず優しい。 私の声だと分かるととても嬉しそうな、弾んだ声になった。 「ママ、ごめん。私…」 「何…?どうしたの??」 私は事情を全てを話した。 久しぶりに連絡してきたと思ったら、こんな話で申し訳ないけど。 母は、私の話を黙って聞いてくれていた。 「…その女の子はどれくらいお金が必要なの?」 「分からない。でも、返しきれないって言ってる…」 「…億単位じゃないなら嬉しいわ。 お父さんと話してみるから待ってて」 数分の沈黙 「あい」 受話器から久しぶりに聞く父の声がした。 「パパ…ごめんなさい」 父の声が聞こえてすぐ、私は謝っていた。 怖いからではない。 優しい父を、こんな時だけ頼りにすることへの罪悪感からだった。 「…まったく君って子は…大人しく家業を継いでいればこんなことに巻き込まれなくて済んだんだよ。 …あいの能力を信じて応援しようと決めたのはパパだけど、まさかそんな危ないことになるなんて…」 「…ごめんなさい。 でも関わったからにはほっておけないの。 私とあまり変わらない年の子だから…」 「…わかったよ。 とにかく、その子を連れて一度家に戻ってきなさい」 「ありがとう、パパ」 父の優しさと甘さに心から感謝した。 それと同時にダメな娘でごめんね。 そう心の中で呟いた。 私はクラブに戻り再び彼女に言った。 彼女の前に立つと、深呼吸をして静かに告げる。 「今日でここ辞めて。今すぐ辞めて。そして私と一緒に来て」 彼女が返事をせず、キョトンとしているのを無視して腕を掴む。 そのままぐいぐいと連れ出そうとする。 ボーイがあわてて引き留めようとするのを振り切り店を出た。 そのまま彼女を引っ張るように無理矢理走る。 「いいのよ。あんな違法なクラブ」 無銭飲食になっちゃったけど。 …立派な犯罪だけど。 私は逃げながら電話でタクシーを呼んだ。 店からボーイが追ってくるのを巻いてすぐに車で逃げられるように。 指定した位置まで止まることなく走り続けた。 タクシーはすでに待っていてくれた。 急いで乗り込み住所を告げる。 何がなんだか分からないと不安そうな彼女に自分の着ていたカーディガンを着せた。 「…ちょっと…何考えてるの…?」 彼女は恐怖で震えていた。 私の腕を掴む手が弱々しく震えている。 「これであのお店とは、さよなら」 私は彼女に向かってヒラヒラと手を振った。 「…私の住所や銀行口座だって押さえられてるのよ?」 「もう戻らないし、家って賃貸でしょ? どうせ何も残ってないんだから後から退去手続きしてあげるよ」 「何勝手なこと言って…私…殺される……」 マスターの店に乗り込んでからまだ一ヶ月ちょっとした経っていないだろうに、どんなひどい扱いを受けていたんだろう。 「んー…、とりあえず、今は寝たら?」 「こんな状況で寝れるわけないでしょ…」 「大丈夫だよ。 そんなやつれて痩せてさ、疲れてるでしょ? おやすみ!」 私は彼女にそう言って黙らせた。 不安そうだった彼女だが、よほど疲れていたのか車内の揺れと暖かさでいつの間にか寝息を立てていた。 久しぶりに帰った実家。 タクシーの運転手に支払いをして彼女を起こす。 眼が覚めた彼女は私の家を見てフリーズ中。 私は、私の家は超大金持ち。 高級な住宅や老舗デパートがひしめく土地の地主の娘である母。 有名な上場企業の代表取締役の父。 兄はその跡取りで企業の世界進出を進めている。 姉はモデル、女優として芸能活動をしている。 そんな家族だった。 私の霊視を知っても「まぁ特別な力ね」とさほど気にせず、良い意味で呑気にとらえて褒めてくれた母。 末っ子の女の子ということでとにかく甘やかしてくれた父。 責任感の強い兄は何かと理由をつけてよく面倒を見てくれた。 美人で優しい姉は、お化粧やヘアセットをしてくれて、自慢の存在だった。 私は、彼女と違って何不自由なく育った。 だからこそ、自分の力を過信して自力で生活できると信じて疑わなかった。 高校卒業と同時に家を出ると言った。 母は生活費全てを払うと言ったし、父は心配だからと孟反対した。 私はそれを断り絶対に大丈夫とはねのけた。 そしてマスターと、喫茶店と出会ったのだ。 マスターの助言もあり、これからどんどん上手く行くと思ったのに。 軌道に乗ってきてやっと良い報告が出来ると思っていたのに。  このお騒がせ彼女のせいで私はまた振り出しだ。 …ただ、彼女のお陰で分かったこともある。 私は確実に霊視能力が上がっている。 人間に憑くモヤ以外ーーー彼女の指輪からでも情報が読み取れた。 かなり集中しないとまだ難しいし情報も僅かだった。 物にも、思念が宿る。 そしてそれは思いが強いほど強力で周囲や持ち主に影響する。 私は彼女が売った婚約指輪のお陰で新しい発見をした。 ーーーー夜遅くだったけど両親は出迎えてくれた。 母は久しぶりに私を嬉しそうなのと同時に、痩せて疲れ切った全身痛ましい彼女を見てショックを受けていた。 「…疲れたでしょ?遠くまで来てくれてありがとう。 温かい飲み物を用意するから待っててね」 客間に通し、彼女にそう言うと母は出ていった。 少しして、父と母が揃って入ってきた。 久しぶりに会う父は困ったように笑って私と彼女を見た。 私達の向かいに座って小さくため息をつく。 「話は大体あいから聞いたよ。 全く、バカなことをしたもんだ」 彼女に向けた少しキツイ口調。 でも事実だから彼女は反論せず、俯いている。 「あいに聞いたよ。 君はまだ20歳そこらだろう、自分の体を傷つけて、すり減らすような真似はやめなさい」 私や姉に話すよう静かに彼女に告げる。 彼女は俯いたまま小さく返事をした。 「悪い大人からお金を借りていると聞いたよ。 いくらあるのか教えて貰えないかな?」 彼女は泣きそうな顔で震えている。 なんだか私も居たたまれなくなって俯いてしまった。 「…1800万」 ボソッと答えた額に眼が覚める。 1800万?! 「…あんた何に使ったのよバカじゃないの…」 すっかり一緒に叱られている気持ちで俯いている私が、彼女に向かって小声でクレームをいれた。 「っ!仕方ないでしょ。 最初にブランドものをある程度揃えないと、婚活パーティーで信じて貰えなかったし。 定期的に流行りのものは手にいれておかないといけなかったんだから! それに…婚約破棄した後は生活だってあったし…!」 小声でそう返されて呆れてしまった。 というか最初の占いでそれを全く見抜けなかった自分の節穴加減も恥ずかしかった。 父がそのやりとり見て苦笑いしていた。 「期間が短かったからその額で済んだんだよ。 これに懲りて二度とこんなバカな真似はしないこと。 お金はね、使えば使うほど消えていく。 決して戻ってこない。当たり前のことだよね。 私たちは確かに裕福であるけれど、それは必要以外、お金を使わないからだ。 たくさん稼ぐのではなく、無駄使いしない。 本当にお金がある人は物欲なんて少ないからね。 変にお金を持ってしまった人の方が、執着してしまい欲望に負けてしまう。 それだけのことだよ」 …私も彼女も黙って俯いていた。 「まぁまぁお父さん、あいが悪い訳じゃないしそれくらいにしてあげてください。 お隣のお嬢さんだって、大変な生活から抜け出したかっただけなのよね」 母が助け船を出して、父はため息をついた。 「お金は私が出す。 全く。私の趣味が貯金で良かったね…」 私に甘いのは自負していたけど、まさか本当に全額払ってくれると思っていなかった。 「…パパ、私…」 さすがに申し訳なくなって私は顔を上げる。 「いいんだよ。 絶対に大丈夫と意見を曲げずに出ていったあいが折れたんだ。 今まで一度も私達に助けを求めず生活していたのに。 相当考えたんだよね。 しかも知り合いでもないお嬢さんのために。 何か思うものがあったんだよね。 明日お金を卸してくる。 お嬢さん、口座を教えて貰うからね。 あと、その悪い金融会社の連絡先も」 「で、でも…あの…相手はヤクザで…」 消えそうな声でそう答える彼女に父は優しく質問をした。 「なんて名前の会社かな?君の働いていたお店も教えてくれる?」 「…○○組、店の名前はclub○△です…」 「お嬢さん、○○組はね、悪い人たちのフリをしてお金を巻き上げることで有名な会社だよ。 私達の間でも有名な詐欺グループだ。 ヤクザじゃない」 「…え」 「多分、足元見られて嘘をつかれたんだね。 余裕がない時に強面のお兄さん達を並べて、それっぽい脅し方をされたら信じてしまうのは仕方ない。 大丈夫。お金を払えば後追いはしないさ。 下手にしつこくすれば自分達が危なくなるからね」 「私…騙されて…」 彼女は安心と悔しさからポロポロと涙を流していた。 「もうそんな危ない連中と関わっちゃダメだからね。 明日返金しておしまいだよ。 念のため住居は移しなさい。 大丈夫、今住んでる地域に一人で行かせたりしないから。 あいと息子も一緒に行くから安心して準備をしてね」 お兄ちゃんが一緒なら安心だ。 父の言葉を聞きながら、私は頷いていた。 「…ありがとうございます。 ご恩は忘れません。本当にありがとうございます!」 突然彼女は椅子から降り、土下座して泣きながらお礼を言った。 私は急な出来事に驚いて固まってしまった。 父がびっくりして椅子から立ち上がったが、それより先に母が慌てて駆け寄っていた。 「ほら、もう大丈夫だから。頭を上げて。 もう、困った時はお互い様なんだから。 そんなに泣かないの」 母が頭を撫でながら彼女を落ち着かせようとする。 えんえんと声を上げて泣く彼女の横で 「パパ、ごめんなさい。ありがとうございます」 私も立ち上がり深く頭を下げた。 父はただ、優しく笑っていた。 >> 落ち着くまで、私と彼女は実家で生活することになった。 気を遣うからと彼女は別館で一人部屋を用意された。 だから実質毎日一緒にいたわけではないけど、なんとなく彼女との距離が縮まった気がした。 少しして、私は彼女にルームシェアをしようと提案した。 お互いが各々に自立するより、まずは二人でちゃんと生活力を養った方が良い気がした。 特に私達は人とのコミュニケーションが不器用な部分が多いから、人に気を遣ったり気持ちを考えて行動する力を身に付ける必要があった。 彼女の名前は叶倭(トワ)といった。 叶倭はあまり乗り気ではなかったけど、今までの私への態度や後ろめたさから渋々頷いてくれた。 部屋を借りた当初はかなり気まずそうにしていた。 でも私がズカズカと土足で彼女のパーソナルスペースへ入り込むので徐々に話すようになってくれた。 「ありがとう、あんたに助けて貰えてよかった。 ご両親にも。本当に感謝している…」 ある日突然そう言われてびっくりした。 二人で部屋の片付けをしていた時に、ポロッと溢れた言葉だった。 照れ臭そうにいう叶倭を見て、私も恥ずかしかった。 「…別に良いよ。 初めて会った時、あんたの背景に気づけなかった私が未熟だった。 言葉も足らなかったからお互いぶつかってしまっただけだよ。 私は、今まで散々周りに守って貰って生きてきたって分からずになんでも自力で出来ると思っていたから。 どこかでお客を見下していたのかもしれない。 本当に視なきゃ行けないものが視えなかった。 それに不思議だけど変わるきっかけを見つけるとき、いつもあんたがいるんだもん。 私こそ感謝してるよ」 そう言うと、叶倭は笑っていた。 私も恥ずかしくて、くすぐったくて笑った。 しばらくアルバイトをして生活をしていた。 二人で仕事をする準備のために。 そして今、私はまた自分のマンションの部屋で占いという名の霊視をしている。 ありがたいことに、お客さんはほとんど戻ってきた。 私の事をちゃんと待っていてくれた。 身勝手に突然、辞めてしまったのに。 占いに加えてもう一つ、私は訳アリな物を浄化、保管する仕事も始めた。 心霊写真や恋人から貰った捨てられない物、故人の私物。 誰かの思念が宿る物は何でも受け取った。 霊視して念の強さを判断し、受け取り料を貰う。 明らかにヤバそうなものはその都度お寺で供養してもらい軽度のものは私が預かった。 その物が望む保管方法や処理方法を読み取り実行した。 叶倭は最初は怖くてビビっていた。 「ちょ、ちょっと。 あい…私は初心者なんだから無理だよ…」 そう怖がって物品に近づかなかった。 けど、私の霊視能力を信じてくれて、少しずつ手伝ってくれた。 私に影響され叶倭も少し、霊耐性がついたのかもしれない。 霊的なものは見えないし感じないけど、彼女は影響もされなかった。 「ちょっと!!それ触っちゃダメだから!!」 そう私が悲鳴をあげるような物を持ってもケロッとしていた。 「え?!これ? あ…ごめん。お客さんからの頼まれ物だと思わなくて…」 「…何ともないの?」 「うんー…特には」 素手で強い思念を宿す品に触っても彼女には特に影響がなかった。 仕事の噂はどんどん広まった。 雑誌やメディアの取材、インタビューのアポが入るようになったけど、全て断った。 私も叶倭も、ただ自分達だけで自立した生活ができるという自信が欲しかっただけだった。 それに私は自分の力を使って、人の役に立てていれば幸せだった。 叶倭はバイトに明け暮れ、自分を偽った昔を取り戻すかのように休みの日は勉強をしていた。 社会人に役立ちそうな資格も挑戦していた。 「自分に合った生活が出来る安心感がすごく嬉しい。 あいの役に立てるように私、ちゃんとした会社勤めをしてお金を稼ぐよ。 そしたら大きなマンションに引っ越せるでしょ? お客さんから引き取れる物品数も増える。 供養費の足しにもして欲しい…」 そう言ってくれた。 そんな叶倭の気持ちが嬉しかった。 私たちはお互いのため、そして訪れるお客さんのためにそれぞれ頑張っていた。 >> 早乙女珠琶という女性が来たのは、それから少ししてからだ。 高級そうなパンツスーツに切れ長の目が特徴的な、引き込まれるオーラを持つ女性だった。 最初は何かのセールスや勧誘かと思ったけど、 「貴女達の事をネットで知ったの」 そう言われて玄関を開けることにした。 彼女の声はとても透き通っていて魅力的だった。 私はこっそり珠琵さんを視ようとした。 けど、何も見えなかった。 真っ白だった。 情報が何もわからない。 「視えないよ。意図的にそうしてるの。 貴女が人や物から思念を読み取れるのと同じように、思念を読み取られないように出来る人間もいるんだよ」 私の気持ちを読みきったように言われて驚いた。 びっくりする私にいたずらな、無邪気な笑顔を向ける。 「あ…今日はどのようなご用件で…」 私は焦っていた。 自分より明らかに能力が高い人が目の前にいる。 玄関先で突っ立って、緊張してしまった。 「あい…」 少し後ろで叶倭が心配そうに私を見ている。 「…そうね、ごめんなさい。 単刀直入に言うね。貴女達、私の元で働かない?」 「…え?」 珠琵さんの突然の提案に戸惑ってしまった。 とりあえず、ランチを奢るから話を聞いてもらえないかと提案された。 近くのカフェで3人で詳しく話すことにした。 珠琵さんの話をまとめると、 ・彼女は大きな施設内で霊や怪異、それに取り憑かれた人間を相手に仕事をしている。 ・霊障に侵された人や物の相手をするため、それに耐性がある特異能力者を集っている。 ・まだ開業して間もなく、一緒に働いてくれる人を探していた時にSNSで私たちの仕事の口コミを目にしたらしい。 「突然でごめんなさい。 あいさん、貴女には私の施設内で私達が関わった怪事件の遺品や訳あり品の管理をして欲しい。 貴女のその霊視力と自力で開設したその管理能力は素晴らしいものだと思う。 是非私たちの力になって欲しくて…」 珠琵さんはしっかり目を見てお願いしてきた。 …正直、とても魅力的な話だった。 今よりもっと仕事の幅が増やせたら私はもっと視る力が強くなるんじゃないのかな。 そしたら「私じゃ無理」と諦めて断ってしまったり、お寺に丸投げしてしまうような事態を免れる。 私を信じて助けを求めてくれた人に、最後まで責任をもって関わることが出来る。 …それに自分と同じような人達と会ってみたい気持ちもある。 でも、 「私は叶倭と仕事がしたいので…」 私の元でずっと手伝ってくれた叶倭を置いていけない。 いつの間にか、叶倭は私にとって大切な親友であり、パートナーになっていた。 叶倭がサポートしてくれるから、元気付けてくれるから頑張れている部分もある。 断るために謝ろうとすると、叶倭が言葉を被せてくる。 「あい、バカなこと言わないでよ。 私があんたの足引っ張るようなことは絶対嫌。 私にはわかる。 あい、珠琵さんの下で働きたいんでしょ? だったら行くべきだよ。私は大丈夫だから。 ちゃんと勉強して、ちゃんと社会に出て働く。 もうバカなことしないよ」 「だって…でも…!」 私の言葉を遮るように叶倭が続けた。 「あたしには特別な力なんかない。 でも、ちゃんと社会人として頑張れるだけの資格も自信もあるつもりだよ! だから…1人でも大丈夫」 自分に言い聞かせるような言葉の数々。 寂しそうなのを我慢して笑う叶倭。 「うん?話が進んじゃってるけど、私は貴女にも来て欲しいと思っているよ、叶倭さん」 珠琵さんが不思議そうに言った。 「え?」 叶倭と私は声が重なった。 「叶倭さん、貴女は特別な力はないと言ったけど、あれだけ複数の思念が詰まった空間で全く霊障が出ない時点でそれは立派な能力だと思う。 だからね、あいさんと一緒に来て欲しい」 叶倭は驚いて私を見た。 私もポカンと口を開けて彼女を見つめ返した。 「貴女が必要なの」 ニコッと笑う珠琵さんは綺麗で、可愛らしくて凄く不思議な魅力があった。 >> 私達は珠琵さんの元で働くと決断した。 すぐに両親に報告した。 二人は心配していたけれど、やっぱり応援してくれた。 占い師の仕事は正式に辞めることにした。 突然だったから、顧客全員への今後のフォローのメッセージや最後の占いの予約でてんてこ舞いだった。 二度の裏切り行為。 それでも怒ったりせず、理解してくれるお客さんに私は感謝しきれなかった。 だから、それぞれのお客さんに今後の拠り所を出来る限りの紹介した。 私が霊視して探した相性の良さそうな占いの先生。 きっと助けてくれる本の著者。 悩みに適切に答えてくれる動画チャンネル。 探し漁った。 それが最善か分からなかったけど。 綺麗なガラス張りのオフィスビルの1フロア。 丸々仕事場として使わせて貰うことになった。 厳重な扉で二重に封じられた何もない空間。 ここはいずれ、思念渦巻く品々で埋め尽くされることになる。 私はこれまで以上に考えないといけない。 自分の能力を、これまで以上に研ぎ澄ましていく必要がある。 でもそれは重荷ではなかった。 だって、私の働くフロアの上で、叶倭も頑張っている。 叶倭は珠琵さんの仕事の運営事務所で働くことになった。 運営事務所の社長秘書として働く。 今まで頑張って勉強した基礎が役立ち、なんとか仕事をこなしているそうだ。 珠琵さんはとても喜んで、感謝してくれた。 私と叶倭は毎日一緒に食堂でお昼ごはんを食べた。 仕事の報告や相談、色々な話をした。 すごく、充実した毎日だった。 箱庭での生活から数年経った。 私の仕事が順調に続いていることに安心し、そして珠琵さんが超有名な神職家系の巫女と知り、感激した父は援助金を箱庭に出している。 ーーーこっそり叶倭にお小遣いもあげていた。 「叶倭ちゃんは本当に成長した。 それに毎日仕事を頑張っている。 叶倭ちゃんのご両親がしてやれなかったことを今やってあげても良いじゃないかと思って」 私にバレた時に父は照れ臭そうにそう白状した。 私は貰ってないんですけど… と思いつつ、叶倭のことを家族のように大切にしている父を誇りに思った。 私は珠琵さんの次に偉い「中長」という職位になった。 木の組は私一人しかいないから、私が中長になるのは当たり前なんだけど。 そんな私にも、しばらくすると部下も出来た。 占い師時代の顧客だった女の子。 まさか、その子と働くことになるなんて… 人生は何が起こるか分からないな。 私の霊視能力なんてまだまだ半人前ってことだね。 私を先生、師匠と慕ってくれる可愛い女の子。 女々(メメ)って名前も可愛い。 彼女も叶倭と同じ、霊耐性が強い。 それに、色々とここに来るべく事情持ちだ。 悲しい事件を経て、人の死臭を察するようになってしまった。 辛い仕事だと思ったけど、痛みや辛さを理解できる女々だからこそ、訳あり品を大切に扱い、寄り添ってくれる。 叶倭は昔が嘘のようなバリバリのキャリアウーマンになっていた。 綺麗に手入れされたロングヘアーをハーフアップにし、ガッツリマツエクが施されていた目元はナチュラルになっていた。 鋭く光る銀のフレームのメガネをして知的で美人な女性へ変貌を遂げていた。 言葉遣いも落ち着き、ピシッと的確に指示をしている。 クールな印象の叶倭は男性から人気があった。 「ちょっと~カッコいいじゃん」 そう私が言うと恥ずかしそうにしている。 「昔の反動だよね。 なんか…こういう女性も良いなって。 見た目ピシッとキメておくと、中身が追い付けるように頑張らなきゃって思えるし」 そうボソボソ教えてくれた。 まじめでまっすぐな叶倭らしいと思った。 お互い忙しいけど、私達は今でも一緒にお昼ご飯を食べている。 その時だけは私達は昔に戻れた。 二十歳前後の、若くて気の強い、未熟だった私達。 二人で言い合い、笑い合ったあの時に。 叶倭は律儀に父が返済した自分の借金を、今度は父に返済していた。 父は断っていたけど、自分なりのけじめだったらしい。 完済した日は二人で箱庭内の高級なレストランでお酒を飲んで、お祝いの食事をした。 「あんたって結構まじめだし、律儀だよね」 私は父に返済した話を聞いて、驚きからそう伝えた。 「当たり前でしょ。無償で私を助けて、責任を取ってくれた人だよ。 まぁ…あんたも恩人だけど。 やっと借りを返せた。ここからが恩返しだよ」 そう言って笑う叶倭はかっこよくて美しかった。 「私への恩返しは、今度ランチ奢ってくれたらそれで良いよ」 「しょうがないな。デザート付けてあげるわ。 その代わりさっさと報告書と経費精算、出して」 「…それは…まだ待ってよ…」 そんな話をしながら毎日が過ぎていった。 ここには、色々な人がいる。 初めて中長会議に参加した時は正直、憔悴した。 私はここに場違いなんじゃないのかと思うくらいオーラが明らかに違う異次元人間の集まりだった。 自分と同じような能力の人に会ってみたい… とウキウキしていた昔の自分にため息をつく。 珠琵さんは優しくて綺麗でいたずらっぽく笑う人。 相変わらず、モヤから何も読み取れなかった。 「レディの心を読み取ろうなんてダメよ!」 とふざけて交わされてしまう。 …私がどのタイミングで視ようとしているのかさえ、彼女にはお見通しだった。 火の組の鎧塚さんは見た目のインパクトが凄すぎて圧倒されてしまった。 モヤが黒くてなんだか怖かった。 多分、優しい人なんだと思うけど、深く視れなかった。 …あと話してもどこか凄みがあって年下だけど緊張してしまった。。 土の組のロイさんはヘラヘラしているけど珠琵さん同様モヤが見えない。 あんなに親近感のある優しいおじさまなのに何も感じ取れなかった。 優しいのに、冷たい。 楽しそうなのに、悲しい。 不思議な人だった。 水の組の九条先生は知的で冷静、雰囲気が優しい人なのに凄く怒っている。 霊に対する憎悪が凄まじくて直視できなかった。 先生は、火の組の人達にいつも任務より自分の命を優先するように口酸っぱく言っていた。 お願いだから死なないで、と。 当たり前のことだけど、なんとなく引っ掛かる。 そんな言い方をしている人だった。 金の組の百々海さんは叶倭の直属の上司だったから勝手に知り合い感覚でいた。 仕事の出来る人格者。 口は悪いけど、人情深くて仲間を大切にする人だった。 モヤは一般人と同じように視ることが出来たし、他の人達みたいに特別な感覚はなかった。 噂だと彼は珠琵さんのパートナーらしい。 仕事の上司、頼れるおじさん。 …でも、何か違う。 上手く言えない違和感がある。 それが何か分からなかった。 中長会議はいつも疲れていた。 中長じゃなくても箱庭には個性派が多い。 お地蔵様顔で中身は仏様のような神々廻さん。 従姉妹のヒナさんは珠琵さん同様神職家系の末裔で年齢の割に達観している。 人生2週目感が凄い。 眠ることで自力で霊障や邪気避けをやってのける睡君は私と同じように霊視が出来る。 そして自分で邪気を吸収する、かなりリスキーな能力の持ち主。 香にも詳しくて浄化と癒し効果のある香水を作ってくれた。 効果がしっかりあるからびっくりしたし、次からお金を出そうと思っている。 愛弟子の女々と雰囲気の似ている乙桃さんはとても可愛らしい、そして強力な守護霊を憑けている。 「守る」ことと「相乗効果」に特化した優しい神様。 彼女自身がとても優しいから、神様にもきっと愛されてるんだろうな。 オーラが見えるサク君は火の組への仲間愛が凄い。 彼のモヤは周囲の人間のオーラに影響されていつもカラフルだったし波長が細かかった。 いつも笑顔の六角屋君はモヤから殺意のようなものが漏れ出ている。 集中すると悲鳴や断末魔が聞こえたことがあり、ゾッとした。 …多分、殺供養のせいだと思う。 話すと良い人だから余計怖い。 そして最近箱庭に来た傘さんは一般人なのに邪視能力が強くて読み取れない。 眼が、守られているようなバリアを張られているような感じ。 傘さん自体は今時のちょっと気弱な女性だった。 繊細で落ち着いた雰囲気の彼女はとても呪いの力が強いとは思えない。 不思議だった。 出会ったことのない能力に驚いたり人疲れすることもあるけど凄く充実もしていた。 叶倭と、ここに来れて良かった。 自分の力を、使える場所に巡り合えて良かった。 機会があったら今度は私の所属する、木の組の仕事内容について、詳しく話していきたい。

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木の組/白鳥あいの中長会議

月に一度の中長ランチミーティングの日。 ああ、今月もこの日が来てしまった。 私はこの会議がが結構苦手。 だってみんな…なんか、異次元なんだもん……。 自分だけ、場違いな気がしてしまって、気疲れしてしまう。 私の霊視能力は、一般人に比べたら「強力」だし、それを仕事に生活をしていけるくらい能力があることは自負している。 でも。 他の組の人達は異常だ。 一般社会では上手く生活できないくらい能力が高くて、個性的なメンバー。 うう…なんだか今から緊張する。 私以外、みんな男性だし。 毎月、会議の場所は中長が順番で決めて予約する。 今回は金の組。 百々海(ドドミ)さんの番だったから、きっと叶倭(トワ)が予約すると思う。 叶倭は、箱庭に来る前からの付き合いだった。 彼女と一緒に生活して、お互い頑張って働いて、一緒に箱庭に来ることが出来た。 叶倭にラインをしてみる。 「ミーティングのお店、もう決めた?」 比較的早く返信が来る。 「今回は勢兆庵にした!」 勢兆庵(セッチョウアン)。 うん、和食ね。 ナイスチョイス。 勢兆庵は箱庭の近くにある高級和食屋。 箱庭に来た当初、長である珠琵さんが連れて行ってくださった。 何を食べても美味しくて、定期的に行きたくなるお店だった。 「ありがとう、天ぷらの気分だった」 あそこの天ぷら大好きなんだよね。 叶倭とも数回一緒に食べに行ったから気を遣ってくれたのかな。 嬉しくて上機嫌で返信する。 ハートの絵文字つき。 「ランチコースは天ぷら付いてないよ」 あれ?そうだっけ。 えー…そうなのか…。 まぁ、別に良いんだけど。 私が勝手に期待しただけだし。 でも、天ぷらのコースもあったよ確か… 「え~」 不満たっぷりの絵文字つきで返信する。 「百々海さんがダイエット中なの。 コレステロールを気にしているからヘルシーなメニュー中心のコースです。 我慢しなさい大人でしょ」 彼女からの返信が…冷たい…。 ただでさえ憂鬱なのに、叶倭め…。 しょうがないなぁ、お給料が出たら叶倭を誘って天ぷらのコースを食べに行くか。 そんな呑気なことを考えながらミーティングの資料をまとめていた。 そして気がついた。 「待って…次のお店、私が予約する番…?」 もう回ってきてしまうのか…早すぎる…。 やばい、会議よりもっと気を使う…。 お店の予約ってその人の性格が出るからなぁ。 金の組の百々海さん…というか彼の秘書である叶倭は、老舗や高級店を予約してくれる。 目上の人が集まって、真剣な話をする時間。 接客や、パフォーマンスが良いお店を選ぼうと彼女なりの気遣いだと思う。 完全個室でメニューまで予約してくれているからスムーズなのも助かっていた。 さすが、百々海さんの秘書をやってるだけあるわ。 百々海さんは優しい人だと思うんだけど言葉がキツかったり、ちょっと乱雑な部分があって私は緊張しちゃうんだよね。 彼に淡々と意見を伝えて仕事をこなせる親友の度胸が羨ましかった。 火の組の鎧塚さんは組の行きつけの定食屋さん一択。 土窯で出てくるご飯がとっても美味しくて、セットのおかずもハズレなし。 体育会系な火の組メンバーが好きそうな感じのお店だった。 身体を丈夫に、大きくしたい彼らにとって、部活飯のようにボリュームがあって栄養も取れる定食屋はお気に入りなんだろうな。 「ここは誰が見つけてきたんですか?」 勇気を出して、恐る恐る鎧塚さんに聞いたことがあった。 全身に悪霊避けの刺青を入れて、表情が固い彼を初めて見た時、衝撃でフリーズしてしまったのを覚えている。 彼に漂う雰囲気や、空気も怖い。 でも、見た目のインパクトが凄いだけで内面はキツくなかった。 だから、思いきって話しかけてみた。 「…組の部下が」 表情がほぼ動かず、抑揚もあまりない彼の返事だったけれど、少しだけ嬉しそうな空気が含まれていた。 火の組は「問題児の集まり」と言われていてかなり個性的なメンバーだ。 それを取りまとめる長だからそれなりに苦労もあると思う。 …大切なんだろうな、大好きなんだろうな、と思う。 それが、彼の嬉しげな空気から伝わってきた。 土の組のロイさんはコーヒーが大好きな人で、選ぶお店は喫茶店が多かった。 だから軽食というか、飲み物だけの時もある。 「今日はスタバの気分だよね~」 とへらへら笑って箱庭のオフィスに買ってきたりする。 最初は百々海さんが 「ランチミーティングの意味がわからんのか?」 と、怒っていたけど、最近は諦めたのかロイさんが選ぶ月は食事を取ってからミーティングに来るようになった。 立場的に、百々海さんとロイさんと、水の組の九条先生はほぼ対等みたいだからロイさんも遠慮がない。 九条先生は忙しい人だから、箱庭のショッピングモールの中で決まったお店をローテーションしていた。 お洒落なイタリアンか、中華料理。 予約をしてくれて、領収書もそのまま金の組に回すように電話で伝えてくれている。 先生は霊や怪異、呪物の存在を心底嫌っているけど、普段はとても穏やかで優しくて人格者の印象だった。 冷静で、みんなに平等だった。 私はというと…いつもバラバラ。 個性が強い男性4人に囲まれて数時間かけて食事と会議をする。 しかも、それぞれの能力値が高くて圧や醸し出す空気で緊張する。 だから、そんな時くらい自分が食べたいものをその時の気分で選びたい。 一応、これでもお嬢様育ち。 自分で言うのは恥ずかしいけど、地主の末っ子娘だから基本はわがままで自由気ままだ。 家族の中でも意見を優先してもらえる立場だったから、こういう時に、気を遣うことが苦手。 どうすれば正解か分からない。 叶倭くらいズカズカと指摘してくれたり、部下の女々(メメ)くらい柔軟で私を好きでいてくれる人でないと、付き合いが不安になるくらいだ。 最初は不安でびくびくしていたけど、誰一人お店に対して文句は言わないし、あくまだ大切なのはミーティング内容だから最近は少し馴れてきた。 多少はね。 やっぱり悩むけど。 あとは会議でヘマせず大人しく、意見を聞く立場を貫ければ…! いつもそんなことを考えたいた。 勢兆庵につくと、店員さんが個室に案内してくれた。 私が一番乗り。良かった。 遅刻もせず、ビリでもない。 中長歴が一番短いし、一応最年少。 なるべく早めに到着しておきたかった。 案内してくれな店員さんが、すぐにお茶を出してくれて、それを飲みながら待っていた。 空調が整えられた綺麗な個室で、お茶を飲みながら資料を眺める。 そこに 最初に来たのはロイさんだった。 ワイシャツにお洒落なジャケットを合わせている。 色付きのサングラスが似合っていた。 「あれ!あいちゃんの方が早かったかぁ」 呑気な声。 彼はいつも、笑顔で気さくに接してくれる。 「はい、お疲れ様です」 私が笑顔で返すと、ニヤッと色っぽく笑ってくれた。 ロイさんは…凄く不思議な人。 いつもヘラヘラしていてテキトーな感じ。 一番話しやすくて雰囲気も優しいけど彼は、人間への興味が一番薄くて距離を感じてしまう。 誰にも期待していないから、何が起きても驚きも恐怖もない。 ロイさんは、箱庭の中でも霊感や第六感と区分される能力は、そこまで高くないと思う。 霊障の回復力も人並みだ。 それでも、こうして働けるのは恐怖心や精神的疲労という概念がないからだと思う。 それは、とても、恐ろしいし異常だ。 だから、話しやすいし親切にはしてくれるけど、緊張感はなくならなかった。 「ヤロー共は遅刻かぁ」 そう言いながら私の斜め前に座った。 「ロイさんはいつも、時間通りにいらっしゃいますね」 「まぁね~土の組はヒマだからさ~」 またニヤッと笑い、出されたお茶を飲む。 「今日は百々海だからここだと思ったよ。 季節のランチコース。叶倭ちゃんセレクトだろ?」 私に合わせて叶倭の話をしてくれる。 「えぇ。彼女セレクトです。 私は天ぷらが食べたかったけどこのランチコースには付いていないみたいで残念です」 ふふっと笑うと、ロイさんもニヤっと笑い返した。 「ここのは美味しいからねぇ。追加で頼む?」 「あ!い、いえ!またの楽しみに取っておきますっ」 そんな話をしていると、次に来たのは鎧塚さんだった。 黒のブランドパーカーに黒のジョガーパンツ。 グレーのマスクをした彼は、どこぞの芸能人かと思うような格好。 「お疲れ~」 ロイさんにそう声をかけられても反応は薄い。 「鎧塚さん、お疲れ様です」 私も慌てて挨拶をした。 こちらを見て、会釈してくれる彼は、ロイさんの正面に座ってからマスクを取りパーカーをはずした。 彼は全身に刺青を施している。 顔や、坊主にしている頭にも。 人目につかないように、なるべくマスクやフード、帽子等で誤魔化していた。 磁石のように霊を引き寄せる、酷い特殊体質らしい。 見た目の強烈さと無口で怖い雰囲気。 でも、前述したように心が暖かいと私は思う。 「道に迷った」 素直にそう言うとフーッとため息を着いた。 「なんだよ、一緒に行ってやったのに~」 ロイさんがいたずらそうな声で笑った。 二人は同期だから話す時はため口。 「ここは毎回入り口がわかりづらくて迷う。 でも着いたから良い」 淡々と話をしている彼は、ロイさんより年下で、私とあまり年齢は変わらない。 「白鳥さん、お茶のおかわりは大丈夫ですか? 俺がもらう時一緒に頼みますが…」 敬語で、まるで上司のように気を使ってくれる彼に私はドギマギする。 「大丈夫です。 ありがとう…ございます」 そう言うと、それ以上は何も言わなかった。 彼は、木の組の仕事が、私の仕事が、凄いと褒めてくれた。 物につく、思念怨念を浄化し霊魂を休めさせ、供養する仕事。 「俺のは、ただの体質だけど白鳥さんは自分の生まれ持った力を最大限に活かして貢献している。 その為に、努力している。 誰にでもできることではない。 …尊敬します」 出逢った当初、そんなことをストレートに、しっかり目を見て話してくれた。 静かな口調と落ち着いた声。 私が怖がらないようになるべく穏やかな表情で、柔らかく話す彼を思い出す。 ロイさんが彼を「色男」と呼ぶ理由も分かる。 実際、刺青がなかったらイケメンだし、彼を好きな人は多いのかも。 私も…ドキドキしてしまった。 「あとは水と金か」 呟くような鎧塚さんの言葉。 ロイさんは、あの二人は来ねぇよと笑っていた。 百々海さんと九条先生は忙しいからな…。 二人とも、自分の仕事と別に箱庭内の施設を運営していかなければならないし。 ロイさんと鎧塚さんの雑談にちょこちょこ入れてもらいながら二人を待つことにした。 カツカツと早歩きの音が聞こえ、集合時間から15分遅れでやって来たのは百々海さんだった。 「すまん。遅れた」 そう言って私の正面にかけた。 お茶を持ってきた店員さんに「コースを始めてくれ」と頼む。 「ちょっとまだ九条先生来てないよ~」 ロイさんが言うと 「一般病棟の応援で遅れるそうだ」 そう言っておしぼりで手を拭いていた。 私と目が合うと、 「待たせたな、腹減ってるだろ」 と笑いかけてくれた。 百々海さんは中長だけど、実質は日和会の会長のような立場だ。 日和会は、箱庭で働く従業員の組織。 私達のように霊感系の仕事をしている人達以外にも、ショッピングモールや病院、ビル管理、スポーツジムトレーナーをしている一般人も会員になる。 私達がちゃんと箱庭で働けるように、鳥籠で被害者やその遺族が安心して心を休めるように動いてくれている、トップの人。 驚くべきは、彼は一切霊感がない。 特異体質でもない。 本当に、運営経営のみの仕事の人だ。 それなのに難なく働いているし、心身ともに影響がない。 とても、不思議だった。 長である珠琵さんの幼馴染みであり、パートナー。 そして彼は憐嘉(レンカ)ちゃんのパパ。 長は、業界の中でもずば抜けて力が強くカリスマ性もある人だから、その血族を絶やすわけにはいかないと上層部が焦っていたと聞いた。 唯一、巫女としての能力で追い付けそうなのが火の組の御菩薩池(ミゾロゲ)さんらしいのだけど、彼女自身、上に立つことを嫌っている。 だから、百々海さんとの間に子供をつくるよう圧力がかかったと。 あくまで噂だけど多分、事実。 憐嘉ちゃんが厳重に守られているのもその為なんだと思う。 百々海さんのスペックは謎だらけ。 でも、長のお守りだけで箱庭で働けていることは奇跡だから、何かしらの力は持っている。 普通のおじさんじゃないんだよね。 私はそんなことを考えながら百々海さんを見つめていたらしい。 「…なんだ、白鳥…そんなに腹減ってたのか?悪かったって」 「え?!」 百々海さんが戸惑った顔をしながら謝ってくる。 私は赤くなってしまった。 無意識に凝視してしまっていたみたい…恥ずかしい…。 「すまんな、ショッピングモールの入店先と話してたら時間がかかってしまってな、これでも急いできたんだよ」 「いや、全然待ってないです!」 私が焦って弁解していると 「あいちゃん一番に来てたもんねぇ」 ロイさんが愉しそうに口を挟んできた。 ああ…そんな追い討ちを…。 「天ぷらでも付けてあげたら?百々ちゃ~ん」 ロイさんが続けて加えた。 「…天ぷらか、分かった。食え食え!」 そう言いながらメニューを渡してくる。 ロイさん、ありがたいけど、本当に恥ずかしい…! 私が渡されたメニューを見ていると、 「ごめんね、遅れた」 九条先生が息を切らして入ってきた。 「今日一般病棟が忙しくてね、この時期は風邪が流行るから」 そう言いながら先生はお手拭きを使い、アルコールスプレーで手を消毒していた。 「コース始めてる?」 百々海さんに聞きながらお茶を飲む九条先生。 「今さっき頼んだところだ。良いタイミングで到着したな」 百々海さんに言われて先生はホッとしていた。 「良かった、迷惑をかけたね…」 そう言うとニコッと笑った。 「全員揃ったな。 じゃあ、各組の1ヶ月の報告からだ。 飯食いながらで良いから、耳を傾けてくれ」 百々海さんがそう言うと、なんとなく空気がヒヤッとした。 「火の組から頼む。それと、白鳥」 ふいに名指しされてびっくりした。 「は、はい!」 私は背筋をピンっと伸ばして返事をする。 「天ぷらどうすんだ」 「へ?あ、あぁ!頼みます!」 すっとんきょうな声を出すと、九条先生が優しく笑ってくれた。 今回の会議は、火の組の報告がメインだった。 一般人が闇マーケットで入手した藁人形で2回に渡り呪術を実行。 その結果、3人の命が失われた。 そのうちの一人は殺供養だった。 殺供養(アヤメクヨウ)。 私にはあまりにも縁のない仕事だった。 物を対象に仕事をしている私には現場で人を相手にしている火と土の人達の苦労や思いを理解しきれない所がある。 だからこその報告会なのだけど、六角屋君の精神面が心配だった。 だって、いくら仕事とは言え人の命を…。 国のお偉いさんはなんでこんな事を許して、依頼しているのかな。 お金が払えないなら邪魔だから要らない。 私達は、物じゃないのに。 報告の内容で気持ちが沈んでしまった。 葬君の家で訓練を受けている奉日本さんの事も心配だった。 不倫相手に呪殺されそうになっただけでも恐ろしいし、とても辛いことなのに大切な家族を失って、命の決断を、その場で迫られた。 なかなか出来ることじゃない。 どうして、病院で専門の先生が診ることもなく、その場で判断したのかなって思う部分もあったけど、もう助からないくらい酷かったんだろう。 たった数ヵ月で、あまりにも色々起こりすぎて奉日本さんは…気の毒だったな…。 それなのに、彼女は自ら箱庭を選んだ。 神様を憑けていたとしても無自覚なら一般人と感覚は同じはず。 心が、タフなんだろうな…。 色々思うことがあって暗い表情になっていると、タイミングを計ったかのように私のもとに天ぷらの盛り合わせが届いた。 揚げたてホヤホヤ秋の味覚。 茄子、南瓜、さつまいも、舞茸、海老、秋刀魚。 黄金色の衣が艶々と輝いている。 お、美味しそう過ぎる…。 火の組の報告も終わったし… でも九条先生は上司だから話してる横でサクサク言わせたら失礼だよね…。 そう思っていると百々海さんが小声で 「冷めるぞ、早いうちに食えよ?」 と天汁を注いでくれた。 「でっでも…」 小声で返すと、百々海さんは一瞬不審そうな顔をして、すぐに「…ああ!」と納得した。 「白鳥、お前天ぷらは塩派か…。 ヘルシーだな。 俺も、そうすれば橘に怒られずに油もん食えるのかな…。 鎧塚、塩取ってやれ。」 九条先生が話す横で、鎧塚さんは普通に塩を渡してくれた。 九条先生は特に気にする様子もない。 本当に自由なおじさん達だな…。 なんとか自分の報告までに天ぷらを味わい、食べ終えた私は、自分の資料を他の中長達に配った。 今回はそこまで大きな報告もなければお知らせもない。 だから、木の組で預かれるものの紹介と説明をまとめて共有してもらうことにした。 物に着く念は、中には厄介なものもある。 放置したことで、持ち主や空間に悪影響を与える悪霊もいる。 だからちゃんと供養して浄化した方が良いものをまとめてみた。 会議が無事に終わって、ロイさんと鎧塚さんと紅虎さんの喫茶店に行くことになった。 天ぷらを食べておいて、今度は甘味に釣られた。 我ながら食い意地が、すごい…。 紅虎さんの喫茶店は…神聖だ。 長の、強力な結界が張ってある。 だから、邪気が一切ない。 紅虎さんの雰囲気も合間って、とにかく落ち着ける場所になっていた。 ロイさんが通っている理由も分かる。 私は詳しく知らないけれど、多分、ここまで彼と彼の店を守っているのは六角屋君の過去が関係しているんだろうな。 私には、読み取れないけれど。 でも、知らない方がいいよね。 箱庭で働く仲間だからと言って、全部知らなきゃいけないって理由はない。 私の過去だって、聞かれない限り自分から言うことはない。 仲間だからって全部を晒け出す必要はない。 私はただ、目の前の、与えられた仕事を大切にするんだ。 今日、二人から話を聞いて奉日本さんに会ってみたくなった。 ロイさんいわく、可愛くてモデル体型。 精神的にしっかりしている部分もあって、強力な赤ちゃんの神様つき。 守護霊としてお母さんの近くに残っているくらい、奉日本さんは愛情深かったのかな。 「赤ちゃんは名前が決まっていたんですか?」 紅虎さんの喫茶店からの帰り道。 箱庭に着くちょっと前、私は何の気なしに質問してみた。 「さぁね~産まれる前にさよならしちゃったからさ~ 彼女の性格上、性別も楽しみに聞かずにいたらしいから、考えてなかったかもしれないねぇ」 ロイさんはそう答えて静かに笑った。 その様子に、私も寂しくなってしまった。 「…逢世」 「え?」 鎧塚さんがボソッと言った。 「乙桃の子供の名前だ」 逢世(オウセ)。 奉日本 逢世(タカモト オウセ)。 なんか、本当に神様みたいな神聖な名前だな…。 「名前、ちゃんと考えていたんですね」 私が安心して、笑って彼に話すと、ロイさんが 「聞いてないねぇ~後で決めたのかな?」 とふふふっと笑った。 ロイさんも、心なしか嬉しそうだ。 「今世で逢いたかった。 と、あの世でちゃんと、逢いましょう。 の想いを込めたそうだ」 逢世君か…。 そうだよね。 一緒にいるからには、ちゃんと名前で呼びたいよね。 家族だもん。 奉日本さんの中で、逢世君はかけがえのない存在なんだろうな。 「何?お前やけに詳しいねぇ」 ロイさんの笑顔がどんどんいじわるな物に変わっていく。 「…一緒に考えた」 その視線に耐えられなかったのか、鎧塚さんは伏し目がちに呟いた。 「はぁ?ちょっと~何よ。 いつから付き合ってんの? やっぱり人妻好きの面食いだったんだな!この色男!」 ロイさんは嬉しそうに鎧塚さんに後ろから抱きついてじゃれている。 「…なぜそうなる。暑いから離れろ」 鎧塚さんのウンザリした口調と表情が伺える。 二人の会話を聞きながら私は何だか暖かい気持ちになっていた。 出会い方が特殊だったから、奉日本さんは鎧塚さんの事を信頼してるんだろうなぁ。 彼女の能力的に火の組だろうし、鎧塚さんも、心配なんだろう。 私も…改めて、自分の与えられた使命を大切にしようと思えた。 組は違うけど、刺激を貰えてよかった。 うん、今日は、良い日だったかも。 …天ぷらも食べれたし、紅虎さんの喫茶店で新作のスイーツもいただいたし。 今度叶倭を誘って、また食べに行かなきゃね。

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火の組/鎧塚靂の中長会議

…道に迷った。 時間に余裕はあるから、なんとかなるだろ。 月に一度行われる、各組長による報告会。 通称、中長会議。 今回は金の組指定の老舗和食屋に集まることとなった。 この店が会員制で隠れ家みたいだから、毎度たどり着くのに苦労する。 …10月とはいえ、まだまだ暑い。 自分の格好にも原因はあるだろうけど、ウロウロと当てにならないマップを頼りに歩き続けて汗が伝う。 箱庭から出る時は、極力顔を見られないように完全防備している。 一年中長袖長ズボン、フードを被ってマスクも欠かさない。 …おかげで、何度職質を受けたか。 警察も毎度ご苦労なことだし、大変だと思う。 同じ地域をパトロールしてるならいい加減、覚えてくれても良いんじゃないか。 怪しい奴は多いかもしれないけど、俺みたいに顔面まで刺青を入れた奴は多くないだろうに。 箱庭の名刺を見せると、毎度渋々解放してくれる。 全身を刺青に侵食された俺の顔を、人間ではないものを見ているような目で見る。 未だに少し不快だ。 …好きでこうなったわけじゃない。 生まれつきの酷い霊媒体質が原因だ。 なんでもかんでも、引き寄せてしまう。 俺の意思関係なく、隙あらば俺の中に入り込もうとしてくる質の悪い悪霊もいる。 中学くらいまでは、死産だった実の姉さんが近くで守ってくれていた。 守護霊として、俺が霊の存在を認識しないようバリアを貼ってくれていた。 でも年々強くなる体質と、悪霊に負けて姉さんは消えてしまった。 そこから俺は恐怖に負けて心が荒みまくった。 とんでもない過ちを起こした。 高3の夏、地元で絶対に近づくなと言われていた廃墟に胆試しに行った。 そこで惨殺され悪霊と化した女の子に気に入られてしまった。 一緒に行ったメンバーは全員自殺。 連れていかれた。 俺は幸運にも長と、長のお父さんに助けてもらってなんとか生きている。 でも、俺のせいで父さんと母さんは連れていかれてしまった。 「家族が欲しい」と、女の子が言っていたからだ。 俺の就職祝を買いに都市部まで二人で出掛けた日だった。 ひき逃げだった。 犯人は、悪霊の女の子に半分操られていて自分がひき逃げをした数十分の記憶がなかった。 気がついたら知らない駐車場に停車していたらしい。 不思議に思い降りてみると、車は酷くへこみ損傷。 …所々血痕を発見して、恐怖で警察を呼んだ。 その時初めて、自分がひき逃げをしていて犯人だと判明した。 だから犯人と言っているけど、その人だって被害者みたいなものだった。 …恨めなかった。 何も分からないまま刑務所行きになったんだ。 女の子は今、兄である霹(ヘキ)と一緒にいる。 自分の身体を依り代にして封印する箱となり、閉じ込めてくれた。 兄は俺と違って普通の人間だ。 ただ、異常に飲み込みが早くて何でも人並み以上に出来てしまうだけの。 だから、神道に進むと決めてから大学を受験し直し、厳しい修行を終えるまでかなり早かった。 俺から女の子を引き離すために、住職になった。 現在は鬼門の近くにある寺に住んでいる。 俺が絶対に近寄れないのを知っていて、あえてそこのお寺を選んだ。 高学歴、名門大のアメフト部キャプテン。 プロから声もかかっていた。 キャリアを全て捨てて俺を守ってくれた。 今も、自分のからだに閉じ込めて女の子を鎮めてくれている。 何年も。 何年も。 たった、一人で。 それが…何よりも苦しい。 家族が命がけで俺を守ってくれたから今度は俺が助ける番だ。 この体質を克服して霹と、霹の体に封印されている女の子の魂を助ける方法を探さないといけない。 何年かかっても。 それが、俺の人生をかけた目標だから。 その為に、まずは箱庭で自分と向き合い、コントロールする力を付けないといけない。 「道が長いな…」 思わず口にして呟いていた。 と、いつの間にか勢兆庵に着いていた。 …案外テキトーに歩けば何とかなるもんだな。 中に入ると、従業員がすぐに気付き、席へ案内してくれた。 個室には、すでに人がいた。 「お!お疲れ~お早い到着でぇ!」 笑いながら話しかけてきたのは土の組の中長で同期の宝来。 「あ、鎧塚さん、お疲れ様です…」 あとから遠慮気味に挨拶をしてくれたのが木の組の中長の白鳥さんだった。 2人とも時間より早く到着している事が多い。 宝来は、暇が口癖だけど警察とのパイプ役や、忌み地への定期的な浄化巡回があるので決して時間に余裕があるわけではない。 常にヘラヘラ笑っているが、多忙だろうし意外と真面目な男だと思う。 白鳥さんは、自分が一番下っ端だと思っているから常に俺達に気を使っている女性だ。 会議もほとんど一番に到着していた。 もともと霊感が強かったそうだが、それを活かそうと努力して今の仕事を確立した凄い人だ。 ただ体質が異質な俺とは違う。 自分の能力を強みとして活かしながら、箱庭や人々に貢献している。 だから、年下でも歴が短くても尊敬している存在だった。 家柄なのか、いつも上品でお洒落な服装をしていて、きちんと髪の毛をまとめている上品な人だ。 「あとは水と金か…」 俺は呟きながら席に座る。 「無理無理~絶対来ないよー、あの二人。 組のワークバランス考えた方がいいよねぇ 人で足りてないのかな?」 宝来は相変わらずヘラヘラしながらそう言った。 3人で雑談しながら百々海さんと九条先生を待つ。 二人とも忙しい人達だから会議に遅れることなんてもう誰も気にしない。 金の組の百々海さんは箱庭設立からいる男性だ。 一般人なのに、長から貰ったお守りだけで長年働いているから、何かしらの素質があるんだろう。 彼は箱庭の運営が主な仕事だから、あまり心霊や呪術に直接関わることはない。 箱庭で働く人達の総称、日和会役員が快適に生活できるように動いてくれている。 よく出張に行くが、大体の目的は新しいお店の出店依頼や下見らしい。 訳あって箱庭から出られない人の為に、少しでも中の生活を充実させようと努めている。 ぶっきらぼうだけど、優しい人だ。 水の組の九条先生も、いつも優しくて、穏やかだった。 彼は箱庭の中にある病院の院長先生で、呪術や霊障により出来た怪我の治療をしてくれる。 現場仕事の火の組一同、九条先生の病院には大変お世話になっていた。 「無茶をしないこと。 逃げることは恥じることではないよ。 この世界ではね、危険を感じたら引くことが何よりも賢明だよ」 と、口酸っぱく火の組に言ってくれていた。 ーーーーーーーーーーーーーーー 会議開始、予定時間から約30分。 ようやく全員揃った。 百々海さんも九条先生も仕事から急いで抜け出してきたらしい。 ランチのコースがスタートして、1ヶ月の各組の報告が始まる。 俺が中長を務める火の組の報告が一番最初だった。 …今月は、少し憂鬱な内容の報告がある。 奉日本乙桃(タカモトオト)の家族が起こした呪術について報告しなくてはならない。 月始めから葬(ソウ)の家で預かっている彼女は一般人が行った呪術の被害者だ。 彼女自身も一般人。 かなり珍しいのは、彼女が…中絶してしまった子供が守り神として彼女自身に憑いていることだ。 しかも、かなり強力な守護霊として。 だから、少しの入院とヒナのお祓いで日常生活が送れるくらいまで自力で回復できた。 内蔵がぐちゃぐちゃにされて、膣が損傷されていたのに、だ。 その呪術を行った元配偶者の男性とその新しい妻が、呪いに取り込まれて亡くなったことを、報告する。 妻である、井上寧々(イノウエネネ)は呪術の力に負けて体内破損で亡くなった。 元配偶者の立川倫太郎は、自我崩壊した状態で発見された。 正直、回復は望めないくらい呪術に魅入られてしまっていた。 病院に一生閉じ込めておくくらいしか対処方法がない状態だった。 乙桃の許可を得て、火の組のメンバーである朱築(アカツキ)が絶命させた。 資料にまとめ、口頭で補足する。 内容が重たかったからか、誰一人、コースに手を付けず聞いていた。 「…六角屋(ムスミヤ)君は、大丈夫?」 全部聞き終わったあと、白鳥さんが沈黙を破った。 「…はい、特に気に病んでいる様子はありません」 「そうですか…なら良かったです。 役職とはいえ、人命が絡んでいるから負担が大きいですよね」 白鳥さんは心配そうな顔で言った。 人命。 そうだ。 決して簡単に判断できるものではない。 それなのに、朱はそれがあまり理解できていない。 人を呪うことは悪いことだから、悪いことをした人は罰しても良い。 呪術で人を殺したのだから、殺されたって仕方ない。 朱は、そういう思考だった。 「あいちゃん、大丈夫だよ~ 朱は後悔も罪悪感もないからね~」 宝来が口を挟んだ。 事件現場に一緒にいたから、立川を処殺する現場を知っている。 「あいつ、呪術を殺害目的で行った奴等は人間として認めてないから。 むしろ、殺したくてウズウズしてるかもよ?」 そう言うと、おもむろに宝来はコースの料理に手を付け始めた。 「…不謹慎だぞ」 一応否定はするが、間違いではなかった。 朱は呪術自体を心底憎んでいる。 だから、火の組に「殺供養」が取り入れられた時に、自ら進んで引き受けた。 …あの現場でも、乙桃の許可を得る前に殺供養を提案していた。 「その、被害者の奉日本乙桃さんは今どうしているの?」 俺が後の言葉を上手く説明出来ずにいると九条先生が質問をしてきた。 「今は、神々廻(シシバ)と、ご両親が面倒を見てくれています。能力と本人の意思を検討して、ゆくゆくは組に来てもらうつもりです」 「そっか、彼女が無事なら良かったよ。 それにしても、憑き護が自分の子供で神様なんて珍しいね。 箱庭で上手く調和して働けると良いね」 そう言うと、九条先生は少し笑った。 はい、と俺も頷く。 乙桃のことへと話題が移ったことで俺は少し安心していた。 と、 「鎧塚、六角屋は呪術の被害者を殺供養できるのか?」 百々海さんからの質問に、俺は詰まった。 被害者…を殺供養する…。 「まだ、実例がないので何とも…」 戸惑い、一瞬言葉が詰まってしまった。 正直にそう話すと、百々海さんは小さく息を吐いた。 「呪術を殺意に利用し、呪い返しで壊れ果てた者を殺供養できるのは、まぁ…百歩譲って理解できる。 が、被害を受け、もう助からず苦しみ続ける人達を、送ることが出来ないなら、役職を変えるのを検討した方がいい。 火の組に与えられたこの役目は、個人の殺戮の欲望に利用するものではない」 「…」 百々海さんの言いたいことは分かる。 でも、 「他に、適任者がいません…」 「靂がやればいいじゃない?」 宝来が口を挟む。 …俺が? 宝来の方を見るとニタニタしながらこちらを見ていた。 「こんな重たい役割はさ、組の責任者がやるべきなんじゃないの? なーんで立候補制にしちゃったのかしら?」 「それは…」 「お前ちょっと朱に甘過ぎる所あるよ~?」 「そりゃ…役割を担うのを許可したのは俺だから… 六角屋が暴走したら、その時は考えるが…」 そう言ったけど、自信なかった。 国に守られた役目だとしても人の命を、奪えるのか?俺が? あの時、乙桃が泣きながら立川を 「楽にしてあげて」 と俺に懇願した。 朱は一瞬で殺った。 でも、じゃあ、俺は…出来るのか? もし、あの場で立川に共鳴した乙桃が狂ってしまったら? 立川と同じような回復を望めない状態まで堕ちてしまった彼女を、俺は…殺めることなんて出来るのか? 「あの、そもそも…その役目は必要ですか…?」 俺が思考を巡らせていると、遠慮気味に白鳥さんが発言した。 「…国のお偉いさんの意向だからね。 納税も出来ず、労働力にもならない。 世間に公表できない理由で再起不能になった人間にかける情けはないらしいよ~」 俺の代わりに、宝来が白鳥さんに答える。 「…そんな…」 白鳥さんは呟くようにそう言った。 とても悲しそうな、ショックを受けている表情だった。 「…鎧塚。 六角屋が暴走したり、精神的負担が大きくなるようなら早乙女にすぐ報告しろよ。 お偉いさんにこの役目の在り方を再度検討してもらった方が良いかもしれんからな」 百々海さんがフォローするように言う。 「分かりました」 「他に、今月組で変わったことは?」 百々海さんが続けて聞く。 「特に、変わりありません」 「お前自身、何かあったか?」 百々海さんの声が少し柔らかくなった。 「…いえ、ありがとうございます」 「なら、良いな。 この話は俺からも少し早乙女に伝える。 何かあったらすぐ言えよ」 「…はい」 「じゃあ次は水の組な」 百々海さんが切り替えてくれて俺の報告は終わった。 白鳥さんは不安そうな、悲しそうな顔でちまちまと料理をつまんでいる。 会議前に照れ臭そうに頼んでいた天婦羅の盛り合わせを、遠慮気味に、少し寂しそうに食べ続けていた。 彼女は、人の命を救うために、霊視能力を必死に上げて繁華街で占い師をしていた。 今も亡くなった後に物にすがる、人間の思念や怨念とも向き合い、浄化活動をしている。 そんな彼女からしたら、不要なものは処分して終わり。のやり方は納得いかないのかもしれない。 今回の会議は、俺の組以外は大きな報告はなかった。 百々海さんの金の組に至ってはショッピングモールに新しく入店する服屋とアイスクリーム屋の宣伝だった。 一番重い内容の俺の組がトップバッターだったから、会議終了に向かって徐々に空気が軽くなっていくのが分かった。 「れ~き~。お疲れついでに一杯どう?」 会議終了後、早速宝来が絡んでくる。 食後の珈琲のお誘いだった。 宝来は大の珈琲好きだ。 会議の後は決まってどこかでお茶をしようと誘ってくる。 「なるべく人気のない店がいい」 明るい時間帯にチェーン店で顔を晒すのは抵抗があった。 半個室になっているお店か、箱庭内のお店以外はやはり人の目が気になる。 「もう~分かってるって! 本日の問題児のパパの店はどう?」 …紅虎(ベニトラ)さんの喫茶店か。 「分かった」 「あいちゃんもどう?行くでしょ?」 「え?!私ですか?!」 やっと上司達からの重圧から解放されて安心しきっている白鳥さんが、すっとんきょうな声を出した。 「あそこのどら焼きすきでしょ? アフタートーク、どう?」 笑顔で手招きをする宝来を見て、百々海さんと九条さんは じゃ!お疲れ!と足早に帰っていった。 アフタートークって…街コンみたいなノリで部下を誘うなよ… 結局3人で紅虎さんの店に向かった。 朱の、親父さんの店に。 紅虎さんの営む喫茶店は、徒歩で10分前後歩いたところにある。 何度か宝来に連れて行ってもらい、紅虎さんとも顔見知りになれた。 俺達の仕事のことを、紅虎さんはあまり理解していない。 とりあえず、俺も宝来も「仕事の上司」ということになっていた。 朱は、あまり家族の話をしないから、何となく彼の父親と知り合いになったことを言えずにいた。 「いらっしゃい、お!ちょうど良いところに!」 柔らかい笑顔と、嬉しそうな声。 どこか雰囲気が朱に似ている中年男性が出迎えてくれた。 でも、醸し出す優しさや暖かい人間味は紅虎さん独自のものだった。 「このメンツは…今日は定期会議だったのかな? お疲れ様ついでに新作のお菓子の味見をしてほしいんだ。 さぁ座って」 笑顔で椅子を引いてくれる。 カウンターに三人で並んで座る。 「宝来さんはブレンドでいい?」 慣れた口調で、嬉しそうに3人をそれぞれ見渡す紅虎さん。 「もちろん!」 宝来は嬉しそうな声を出し、サングラスを外した。 「白鳥さんは、今日はどうしよう?」 朱によく似たつり目が彼女を見つめる。 「あ、じゃあアイスラテで…」 照れ臭そうに顔を傾け、白鳥さんは笑顔で頼んでいた。 「良いチョイスだね、こんな暑い日はラテが美味しいから。 ガムシロは入れても大丈夫?」 「あ…はい、お願いします」 ふふっと嬉しそうな声を漏らし、白鳥さんは頷いた。 紅虎さんさ笑いながら今度は俺を向く。 「靂君は、何にしよう?」 「アイスコーヒーでお願いします」 「お!今日は良い豆が入ったからね、期待してて!」 優しく微笑んで準備に取りかかる彼を見ると、本当に朱の親なのか疑問に思う時がある。 表情が固定され、記憶障害も出てる朱と違い、本当の心の柔らかさと笑顔だ。 朱に何があったのか、紅虎さんは詳しく知らない。 俺も、あまり詳しく知らない。 詳細を知っているのは、長と百々海さんと宝来だけ。 それで、良いと思う。 朱が望んでいないから。 それに紅虎さんだって、ある日突然全てを失った被害者だ。 大切な子供、奥さん、師匠であり、同志である義両親家族。 超有名老舗和菓子メーカーの肩書き。 それを、一瞬で失った。 訳も分からない理由で。 なのに、俺達にこうして優しい笑顔で接してくれる。 朱のことを、俺達を信頼して任せてくれている。 真実を探ったり、しつこく聞いたりもしない。 彼なりの強さを、俺は尊敬していた。 時間帯だろうか。 今、このお店の中には俺達以外のお客がいない。 穏やかなジャズの音楽が店内に心地よく響く。 ここは…本当に心が落ち着く。 それは、紅虎さんの存在はもちろん、この喫茶店がしっかり魔除けしてあるのも要因の一つだろう。 俺のような体質でも心地よく感じられる、浄化された空間。 この強力な魔除けは、おそらく長によるものだろうな。 俺はホッと一息つき、白鳥さんに向く。 「会議、お疲れ様でした」 頼んだメニューを待っている間、スマートフォンを使い、電子書籍で本を読んでいた白鳥さんがハッと俺の方へ向く。 俺と宝来に挟まれて、少し緊張気味の様子だったが、読書をして少し落ち着いていたらしい。 「こ、こちらこそ、お疲れ様でした」 スマホを膝に伏せて置き、俺に笑顔を向ける。 品良く笑う彼女は、本当に年下なのだろうか。 「…俺の組の話、不愉快でしたよね」 「そんなことないです。 しっかりと、考えないといけない問題なのに、自分の軸で考えて発言してすみませんでした」 白鳥さんは、さっきのような不安な表情ではなく、リラックスしている笑顔で返してくれた。 それに安心して俺は頷いた。 「白鳥さんが言ったことは、正しくて。 殺供養は、本来…必要かどうかのラインが危うい。 上の意向で、火の組に白羽の矢が立っただけで、良いように使われているのかもしれません」 「…深く考えず、発言してしまったので鎧塚さんは気になさらないでください。 それに、今回の殺供養で救われた人がいるなら全否定することもできません。 結局、どちらを選んでも議論になったり後悔が残ると思いますし。 それよりも、それを何度も執行している…彼が心配で…」 白鳥さんは朱の名前を伏せた。 紅虎さんは、準備のために奥に籠っているが、それでも聞こえた時のことを心配したのだろう。 「…俺以外にも神々廻や、神々廻家で預かっている姫宮が常に傍で見ているので、きっと大丈夫です」 「あら、そのメンバーは心強いですね。 私にできることがあったら、いつでも言ってください」 白鳥さんは安心したようにふわりと笑った。 「俺もいるから大丈夫よ~」 宝来がニヤッと笑って、白鳥さん越しにこちらにウインクした。 「心配だ」 冷たくそう言うと宝来がわざと傷ついたように泣くフリをした。 「ちょっと~俺が一番あの問題児君と付き合い長いのに?」 こちらをチラチラ見ながら泣き真似をしていたが、飽きたのかすぐにヘラッと笑う宝来。 「なんだか愉しそうだね」 そう言いながら紅虎さんが飲み物を運んできた。 それぞれ頼んだ飲み物を手前に置く。 目の前に置かれたアイスコーヒー。 透明のグラスに注がれたそれは、大きな丸い氷をプカプカ浮かせていた。 黒くて細いストローを差し、一口飲む。 スッキリとした後味でとても飲みやすい。 「さぁ!試作品を召し上がれ」 紅虎さんがお皿に乗った、二つのお茶菓子を用意してくれた。 「カボチャの餡入りパイとサツマイモとリンゴのシフォンケーキです」 フフっと笑い、俺達を見る紅虎さん。 「わぁ…凄いです…!いただきます」 嬉しそうに白鳥さんがフォークを持った。 「和菓子はやめたの?」 宝来が聞くと、紅虎さんは笑った。 「珈琲のお供を練習中なんだ。 一応お茶や抹茶もメニューにあるから和菓子は継続で作っているよ。 もちろんリクエストがあればいつでも!」 「困ったねぇ~俺は洋菓子も和菓子も好きだからさ」 楽しそうに話す二人の会話を聞きながら俺も試作品をいただくことにした。 「靂君も、白鳥さんも、気になるお茶菓子があったら遠慮なく言うんだよ? 朱に持たせることも出来るし、こうして来てくれたらいつでも振る舞うからね」 「…ありがとうございます」 高3で両親を失くした俺にとって、百々海さんや紅虎さんは父親のような存在だった。 宝来は、人の感情を察するのがうまい。 だから、今回の会議で色々と心が揺らいでしまった俺と、少し落ち込んでいた白鳥さんをそのまま箱庭に帰らせたくなかったのかもしれない。 紅虎さんの優しさに触れて、俺は少し落ち着いた。 こういう時は、自分が「普通」に思えて安心する。 この店を出る時、俺は見た目も中身も異物になる…んだよな。 世間の目は、俺を「異常」と捉える。 刺青をしているだけなのに…と思っていたが、怪異に毒された嫌な気も纏っているから更に悪目立ちしているのかもしれない。 「靂君、美味しいかい?」 紅虎さんがニコニコ顔で聞いてくる。 「…はい、美味しいです」 「あ~良かった!ちなみにどっちが好き?」 「俺は…シフォンケーキが好みです」 「あ!私もです!! このふわふわ感とさつまいもの風味…リンゴペーストも絶妙です!」 白鳥さんが嬉しそうに話しかけてくる。 「ありがとね~おじさん頑張って良かった…」 紅虎さんが泣く真似をしておどけて見せた。 各組のメンバーへの差し入れをいただいて俺達3人は喫茶店を後にした。 「秋の新メニュー、一足先にいただけてとっても嬉しかったです!!宝来さん!お誘いありがとうございます!」 ふふっと笑いながら上機嫌の白鳥さん。 「良いの良いの! あいちゃんのその笑顔が見れておじさん感激!!」 嬉しそうに笑う宝来と白鳥さんを交互に見ながら一歩後ろを歩く俺。 「来月はあいちゃんがお店選ぶんだろ?楽しみにしてるよ~」 「うっ…あんまり期待しないでくださいね…」 「大丈夫だって! 中長達なんてみーんな舌馬鹿なおじさんなんだから、何食べても美味しい美味しい言うって」 はしゃぎながら歩く二人は楽しそうに笑っていた。 なぜか分からないけど、それが火の組のメンバーの笑顔と重なった。 早く、いただいた差し入れのお菓子を届けてあげたい。 …乙桃のいる神々廻家にも持って行くか。 神々廻のご両親にはいつもお世話になっているし葬には俺個人も世話になった。 土の組の人間なのに、火の組の教育を任せっきりにしている。 おそらく、乙桃の配属は火の組だろう。 彼女を護る赤子の神は、生きた人間をある程度守ったりコントロールする力がある。 そうなると現場向きだ。 霊感以外の能力が平均的な朱とペアにさせるのも良いと思ったが、乙桃自体、まだまだ分からないことが多すぎる。 コミュニケーションが不器用な朱では聞きづらいことも出てくるだろう。 それに朱は長と面談を控えているサクを可愛がっている。 多分、サクと組みたいだろう。 ありがたいことに、サクは朱の扱いがうまい。 感情の変化を色として認識できる彼は、俺達では気づきにくい朱の感情を上手く拾ってフォローしている。 そうなると、適任はヒナか…。 長の後継者と言われるくらい能力値が並外れているヒナ。 彼女と初めてあった時はまだ高校生だった。 その頃から一通りの結界や守護印、祓い舞いを身に付けていて、教えてくれた。 男陣への対応は冷たいが、乙桃のことは大切にしているみたいだからおそらく上手くやっていけるだろう。 本来彼女が中長だと俺は思っているが、まだ幼さが残る年齢であることと、ヒナ自体人の上に立ちたくない性格だ。 「私は結界張るくらいしか出来ないし、取り憑かれて暴走する人を止める技術も体術もない。 女子だからって言いたくないけど。 靂さんに支えてもらいたい。 トップに立つ人は、被害者側の痛みを知っている人の方がいい…と思う。 私は…理解は出来ても分からないから」 そう言われたことがある。 彼女なりに色々と組のことを考えてくれているのだろう。 「ちょっとちょっと鎧塚さん? なーに気難しそうな顔してんの?腹痛か?」 神妙な顔をしていたのだろうか。 宝来が笑いながら肩を組んできた。 「考え事だ」 「…あ!わかった!乙桃ちゃんのことでしょ? 何よ、お前人妻好き?」 「…お前は本当に不謹慎だな」 なぜそこで乙桃が出てくる。 というか、あの事件以降、何かあったらこいつは乙桃の名前を出してくる。 「もう~照れるなよ~可愛いよな~あの笑顔… モデルみたいなスタイルしてるし。 半端ない神様つけてるギャップも…お前面食いだろ?」 「もうお前とは話さない」 こういう話は苦手だ。 からかわれるのも、どう対応して良いのか分からないから戸惑う。 「ちょっと~冗談じゃん~」 宝来が笑いながら背中を叩く。 白鳥さんは笑いながら俺達を見ている。 「私も奉日本さんに会ってみたいです!」 「多分、近々見れると思うよ。 姫宮と一緒に挨拶回りかもね~」 姫宮はサクのことだ。 そんなすぐに、配属できるか不安だが…。 「火の組二人も増えたら安泰じゃん」 「…まぁな」 「俺の組にも誰か来ないかなぁ…可愛い女の子がいいなぁ…」 「あーそうだな」 早々に話を切り上げて箱庭へと向かう。 宝来のこのテキトーさや雑さが俺にはバランスが良いのかもしれない。 不安材料や、俺自身の問題は山積みだが、こうした時間に救われている。 人と、関われることは大切だな。 普通の生活ではないけれど、幸せを感じていた。 でも俺ばかりが幸せで良いはずがない。 早く、霹とあの子を解放するためにも俺はもっと精進しなくてはと誓った。

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桃色護り神8~終の刻

階段で5階まで行く。 小さなマンションで各フロアに3室までだった。 ロイさんが502号室のインターホンを鳴らす。 反応はない。 まぁ、当たり前だよね。 時刻は深夜4時。 大抵の人間は寝ている。 「…寅の刻」 朱が腕を組んで姿勢良く呟いた。 さっきの柔らかさが嘘のような張り付いた笑顔。 彼はなぜ、こんな作り笑いをしてるのか。 …まぁ、真顔が怖そうだけど。 「こんな時間に客が来たら誰だって開けないよね」 ヒナちゃんが答える。 「どうする?」 靂さんに聞くヒナちゃん。 「鍵が閉まっている以上開けてもらうしかないな」 「俺がピッキングしようか?」 ヘラヘラと笑いながらロイさんが話すのを無視し、靂さんはインターホンを鳴らす。 と同時に何か呟いたように見えた。 ピンポーン ピンポーン ピンポーン もう押していないのにインターホンの音が止まらない。 …え?!怖っなんで??! 私は何が起こっているか分からず呆然とした。 というか同じフロアの人達めっちゃ迷惑なんじゃ… そう思い振り替えると、朱とヒナちゃんが小さなお札を張り付けていた。 「巻き込まれたら気の毒だからな。 本来何も関係ない人達なんだ。 外の音は聞こえないし、事が済むまで出られない本能的に出ようとも思わない」 朱がそう、教えてくれた。 …なるほど。 これで気兼ねなくインターホンを鳴らし続けられますね…。 部屋の他に階段や床、ロイさんが思いっきりジャンプして天井にも札を数ヶ所貼っていた。 それが終わると同時に靂さんがまた何か呟く。 インターホンの音は驚くほど大きくなり玄関を思いっきり叩く音まで追加された。 ピンポーン ピンポーン ドンドンっ ドンドンドンドンドンドンドンドン ピンポーン もし自分がこれをされたら通報しているだろうな。 それでも出てない元旦那夫婦。 靂さんはため息をした。 「最終手段だな」 と呟くと私を見た。 「…え?」 私ですか? 目が合って驚き、間抜けな声を出す私。 彼においでおいでと手招きされる。 恐る恐る靂さんの近くにくると 「すまんがまた触るぞ」 そう言ってアザのある手首を握られた。 そして自分の喉に手を当てて大きく息を吸う。 「倫君、開けて!!私だよ!帰ったよ!!」 …井上寧々子の声が大音量で響いた。 呆気に取られる私を無表情のまま見て 「さすがに出てくるだろう」 と話した。 その瞬間ドタバタとこちらに近づく足音が聞こえ、勢い良く扉が開いた。 ドアが開く瞬間、靂さんが私を自分の後ろに隠し、盾となってくれた。 …物凄い怖い人だけどドキドキしてしまう。 こんな状況なんだけど。 「ぁあああぁお帰り!!!!!どこに逝っっテぃたんだ?!ずっと部屋にぃなイとっ苦九ぁ%&\/☆¥*※%$※\*※%$※$」 途中から言葉じゃなくなった。 久しぶりに見た倫太郎はもはや別人だった。 やつれて酷いクマのある顔には生気がない。 目は虚ろで焦点があっていない。 呼吸は浅く手先は震えている。 「は?!!お前ら誰だょ…誰だヨなァア!!」 ブツブツ呟き4人を見つめる。 ロイさんは 「ひっでーなこりゃ!」 と笑い 「こんばんは!警察でーす」 と警察手帳を見せていた。 「はぁあぁあああぁあ??!!!!!俺の!!!!なにカっ逝けナイですカ?!殺す%¥:!$てめ¥÷¥¥#"だ:¥ろうが¥※〒#、!!」 どなり散らす倫太郎を初めて見た。 異様な雰囲気と成人男性の大声に恐怖を抱き思わず 「ひっ」 と声が漏れた。 するとピクッとそれに反応し、靂さんに隠される私と目があった。 「手メェの仕業かぁぁぁあぁあぁあ&¥"!#※@」=):!このクソアマがぁあぁあ!!、!!お前がおとなしくいいこに死んでいればなぁ&☆$!!アレが俺の!!し!せpm@m俺ハァぁあ!!」 何か言葉を発して靂さん越しの私に向かって来ようとした。 怖くて固まってしまう。 このままじゃ靂さんごと襲われる…どうしようっ!? そう思っていたのに次の瞬間、倫太郎は気絶していた。 ーーー朱がにこやかに私を見た。 「乙桃はもっと男を見る目を養うべきだ」 私がポカンとしているとそのまま倫太郎をズルズルと引きずり玄関の中に入っていく。 それに続きヒナちゃんが 「お邪魔します」 と礼儀正しく靴を脱ぎ、後に続いた。 「じゃ、タイミングよく警察に来てもらえるようにお電話タイムね~」 そう言ってロイさんがスマホを持ち出した。 私と目が合うとウインクしてくれた。 最後に靂さんが 「君はここで待っていなさい」 と私に言うと中に入っていこうとした。 とっさに手を掴む。 私も、中に行かなきゃいけない気がした。 一緒に行きたいと伝える前に、 「…危険なことは避けたい」 先に靂さんが言葉を発した。 少し、困った顔をしている。 「っ…知りたいんです!!妹のために、納得したい。 妹をちゃんと弔いたいんです」 震えて泣きそうなのを我慢してそう伝える。 私の真剣さが伝わったのか、靂さんは少し考えてから私の目線までしゃがんだ。 じっと目を見つめられる。 何も感じない濁った瞳に見据えられて心の底から怖かったし身体が冷えた。 「君はヒナに祓ってもらってから何事もなく、完治したと聞いている」 「…?あ、は、はい!」 「…赤ん坊が守り神になっているな。 お腹にいる時、神社に連れていったり聖水を飲んだか?」 …確かに、安産の有名な神社やパワースポット、ご利益のある場所には体調がいい日に片っ端から行った。 伝統のある聖水や食べ物を中心に全国、海外からも取り寄せをしまくっていた。 保存液や着色剤などの類いは一切避けて健康的な生活をかなり徹底した。 「…かなり、ストイックになっていました。 今思えば異常なほど。 取り憑かれたように…」 私の返答を聞いて、また少し考え込む靂さん。 「…神に気に入られて、連れて行かれたのかもしれない。 修行僧のような生活で赤ん坊の体内は混じり気のない綺麗な養分だけで満たされた。 それが、一番いい状態になった時に召されたんだろう。 だから呪力から君を守れたし呪術後も寄せ付けなかった」 靂さんの言葉は少し難しかったけど何となく分かった。 「今でも君のことをずっと近くで守ってくれていると思う。 供養してくれたことも喜んでいるし、愛情をたくさん注いでくれたことを感謝している。 …良いお母さんだな」 靂さんの言葉に、私の頬に涙が伝った。。 「本当は、一般人は全員避難が原則だが…」 靂さんは少し困ったように考えている。 と、そこに 「ちょっと~お二人さん。 何を見つめあっていちゃついてるの!」 電話を終えたロイさんがニヤニヤ笑いながらと戻ってきた。 そして私をというよりは、私の少し後ろの方を見て 「おバカなパパは早い所どうにかして、大人しくしてもらいたいよなぁ ママもそれを望んでいるから手伝ってくれるかい?」 笑いながらそう言った。 靂さんはため息をつくと 「危険を感じたら俺の後ろに逃げなさい。 なるべく、俺の回りを離れないこと」 それだけ言うと玄関の中に入り、私が入るのを待ってくれていた。 「大丈夫! 乙桃ちゃんの子供、ちゃんと守ってくれるから! はい、入った入った! 肝試しの始まりだよ~」 ロイさんがおどけて安心させてくれる。 「…ママも頑張る。行くね」 私は呟き、真っ暗な室内へと足を踏み入れた。 部屋の中は異様な空気だった。 空気が重たくて、寒かった。 恐る恐る寝室に向かう。 入る瞬間、アザのあった場所と釘を打ち込まれた身体の数ヵ所にあの時と同じ激痛が走った。 「っ…!」 一瞬の痛みになんとか踏ん張り、中に入る。 と、衝撃で悲鳴をあげそうになった。 ベッドには何やら魔方陣のような不気味なマークが書かれている。 多分、血…だと思う。 その真ん中に井上寧々子が膝をつき天井を見上げて息耐えていた。 腐敗が進んでいて肌が変色しかけている。 口からは内蔵が飛び出し子宮が膣から出ていた。 私の時と同じように白目を剥き、髪の毛を握り死んでいる。 衝撃の光景にガタガタと震えが止まらない。 「ひっ…い、いや…」 崩れそうになる私を靂さんが支え、 「後ろにいなさい」 と死体から隠してくれた。 「2回も強力な呪物を使って人を殺そうとすれば呪い返しがあって当たり前だよ。 乙桃ちゃんの赤ちゃんが、もう呪術を出来ないように食い止めていたのに旦那さんの方が強行突破したんじゃないかな。 義妹さんをやったのは彼女の意思は薄そう」 ヒナちゃんが死体を観察しながら言う。 「魔方陣の血は旦那さんの方だよね。 おそらく旦那さんの方が呪いに魅了されて彼女を使って呪術をやった。 義妹さんが邪魔だったから。 で、その代償を全部親切に彼女がかぶって死んでくれたって所かな…」 最後の方は呆れながら言うと 「事故物件にしたら最悪だよこの部屋」 とロイさんを見て言った。 「…んふ~ひっでぇよなぁ。 まぁ、時間をくれればさ! 土の組は優秀だから! 通常の事故物件まで戻せるよん」 ヘラヘラと笑いヒナちゃんに言うロイさん。 …こんな状況が平気なんだ。 私は空気感と恐怖で震えが止まらないのに。 「とりあえず事故で処理してもらうからさ。 …で、部屋は綺麗にお掃除するとしてこの問題児君はどうすればいいの?」 ロイさんは倫太郎を見る。 いつの間にか目を覚ました彼は、朱にロープでぐるぐる巻きにされて床に座らされていた。 ブツブツと言葉にならない音を発している。 「元には戻らんぞ~これ」 ロイさんが観察しながらうぇーっと言った。 「…殺すか」 突然、朱の何の感情も持たない言葉に一瞬シンッとする。 空気が一層重くなった気がした。 「生きていても仕方がない人間だ」 冷たく抑揚の無い朱の言葉は機械音に聞こえた。 「真実を知ったら残された家族が気の毒だ」 …確かに。 実の娘を殺した犯人が息子だったなんて。 あの優しい義両親に耐えられないと思う。 「不運な事故として片付ければまだ救いはあるだろう」 朱は淡々と、倫太郎が死んだ方がいい理由を述べ続ける。 はじめから、倫太郎を生かすつもりはないのかもしれない。 まだ会って数時間だけど、呪術に対して   厳しいと言うか、感情的な印象がある。 私は、彼に対して何も言えなかった。 「お前の欲望で勝手に人命を奪うことは絶対に許されない。 職務乱用をするなら長に報告するぞ」 キツく、冷たい靂さんの声が室内に響いた。 ヒナちゃんはもちろん、先ほどまで楽しそうに笑っていたロイさんですら何も言わなかった。 「乙桃が判断し、こいつの命を決める。 乙桃にはそれをする権利がある。 お前が人を殺めるのは、依頼者が懇願した時だ。 お前の意思ではない。朱築」 靂さんが静かに言った。 「落ち着け。感情的になるな」 そう付け加えてから今度は私を見た。 「乙桃、君が彼を終わらせたいと思えばその瞬間朱が容赦なく殺めるだろう。 でも、君が生かしたいと思うなら俺達は全力で取りきれる邪気を祓う。 元に戻すのは…ほぼ不可能だが、生き続けることはできる」 靂さんにそう聞かれた。 朱は笑顔のまま、反論しなかった。 ただ、彼を取り巻く空気が物凄く殺気立っているのは分かった。 …そんなこと、私には決められないよ… 「生き続けるのはあくまで檻の中だ。 両親は死ぬまで医療費を払い続け、会えるのは状態が良くなった日だけ。 ではないと、両親も取り込まれてしまう。 回復するのは年に一回かもしれない。 10年後かもしれない。 でももしかすると明日かもしれない。 それくらい霊障は複雑なんだ」 「そんな…」 …そんなに酷いんだ。 倫太郎の状態。 でも、そうだよね。 ファミレスで見たときから関わっちゃいけないって身体が黄色信号出してたもんね。 でも…私が彼の命の決定をするなんて無理だよ。 だって倫太郎は…まだ生きてるんだもん。 長い長い沈黙。 誰もなにも言わない。 ヒナちゃんが心配そうに私を見ていた。 倫太郎は、ずっと何か声を発している。 命の決断なんて…無理だよ。 責任が取れない。 どちらが正解か分からない。 手先が震えて、キュッと目を瞑った。 私の様子を見かねたであろう靂さんが 「長に、鳥籠に空きがあるか確認するか?」 とロイさんと小声で話しているのが聞こえる。 「大丈夫」 ーー次の瞬間、どこからか声がした。 「ママ、大丈夫」 暖かい声。 まだ小さな子供のような幼さの残る声だった。 心までポカポカする声が確かに聞こえる。 ふと目を開けて前を見ると、倫太郎の後ろに小さな光が見えた。 ふわふわと光る柔らかいピンク色のような優しい光。 「大丈夫だよ。僕に任せて」 信じられないかもしれないけど、私はすぐにそれが自分の子だと分かった。 …赤ちゃんは、男の子だったんだね。 私は自然に、また泣いていた。 性別が分かる週に入っても出産日に、知りたくて。 あえて先生に聞かずにいた。 今日はずっと泣いてばかりだな。 「パパはね、悪いことしたから天国には行けないけど…ゆっくり反省して来世へ行けるように見守っているよ。 だからパパを僕に預けてくれないかな」 そう、確かに聞こえた。 私が泣きながら頷くと光は消えた。 数秒の出来事だった。 「乙桃ちゃん…」 私の涙に気づいたヒナちゃんが、心配そうに声をかけてきた。 気がつくと、相変わらず酷い状態の寝室に突っ立っていた。 「すまない、俺が詰めすぎた…」 靂さんも、私が泣いているのに気づいて声をかける。 私は、深呼吸をしてそんな彼を靂さんを見つめた。 「…楽にしてあげてほしい…」 小さな声でそう、伝えた。 「…良いんだな?」 靂さんは一瞬驚いた顔をして、すぐに確認した。 私の前にしゃがみ、目をしっかり見つめる。 「…はい。もう楽にしてあげて欲しい」 そう言い終わると同時に、倫太郎の声が止まった。 彼の方を見ると、すでに…死んでいた。 やつれて酷いクマだけど、確かに数年前、私の横で眠っていた横顔だった。 来世で、幸せになってね。 また人に生まれ変われたらだけど。 その為にあの世で…罪を償ってね。 …ごめんなさい。 貴方と向き合えなくて。 自分勝手に怒ったり、わがまま言って倫太郎の気持ちを無視してごめんなさい。 元は、私の身勝手さだったから。 お互いの夫婦の将来に対する温度差を埋めることなく突き進んでしまったから。 言いたいこと、たくさんあったよね。 こんな結果になって本当に、ごめんなさい。 でも。私が背負っていくから。 生きている限り私は貴方を弔って貴方の家族も大切にする。 貴方の命を終わらせた代償は私がしっかり受け止める。 だから、後悔しない。 ふと朱を見ると相変わらず笑顔で立っていた。 「痛みはない。一瞬で今頃三途の川」 「…朱、ありがとう」 「感謝はしなくて良い。 俺は、呪いが嫌いだから」 冷たく言うと、彼は寝室を後にした。 ロイさんが呼んだ警察が到着する前に私とヒナちゃん、靂さん、朱はその場を去った。 結局二人は無理心中ということで事件は終了。 後日、清掃業者が部屋をあらかた綺麗にした後でロイさんが部屋を事故物件として住めるように回復作業をしたと、ヒナちゃんが教えてくれた。 ヒナちゃん含め、靂さんと朱の三人は「火の組」といって、霊や呪物に巻き込まれた人間を助ける仕事をしているんだって。 ロイさんだけ「土の組」といって今回みたいな惨劇の起きた部屋、空間の浄化、お祓いをして元に戻すのが仕事なんだって。 私にはイマイチわからなかったけど、役職がビミョーに違うらしい。 今回の件を受けて私は再度、ヒナちゃんにお祓いをしてもらった。 ヒナちゃんの神社で色々と話をしていると、突然思い出したように 「貴女に渡したいものがあるの」 そう行って小さな箱の包みを持ってきた。 開けてみると、そこには綺麗なマーブル模様のまが玉が入っていた。 柔らかいミルキーピンクの可愛い色と質感。 それがネックレスになっている。 「乙桃ちゃんの子供、とても可愛らしい男の子だった。 ママを守るんだ!ってすごく頑張ったんだよ。 神様でも、まだ赤ちゃんだもん。 休む場所が必要だと思って…」 少し恥ずかしそうに言った。 …ヒナちゃんの優しさが嬉しくてまた泣きそうになっていた。 「ちゃんと原石から選んで、一番しっくりくる石を加工してもらったの。 浄化と…私が得意な結界張りを応用した邪気避けの効力のある石なんだ。 乙桃ちゃんを悪い物から守って、オトちゃんの子供がちゃんと休めるはず」 半泣きの私に代わり、ヒナちゃんがネックレスをつけてくれた。 つけるとちょうど、心臓の辺りで止まるまが玉は太陽の光を反射してキラリと輝いている。 「心臓は、一番生命を感じられる場所でしょ。 暖かくて抱っこしてもらっている感覚になれる…かなって…」 恥ずかしそうに話すヒナちゃん。 「ヒナちゃん…ありがとう…!!」 私は半泣きでお礼を言い、考えていたことを聞いてみた。 「あのね、今回の件で考えたの… 私に手伝えることはないかなって…」 予想外だったらしく驚いた表情のヒナちゃんは言葉に詰まっていた。 「私、もう二度と私と同じような目に合う人を見たくない。 私みたいな選択をさせたくない。 未然に防ぎたい。 その為に、役に立ちたいの…」 ーーーー 数週間前。 蘭子の葬儀に行けなかった私は久しぶりに義両親の家を訪ねた。 たった数日で二人の子供を失った義両親は当たり前だけど、分かりやすく弱っていた。 「乙桃ちゃん…」 お義母さんの泣き張らした顔を見て私まで苦しくなった。 「…お線香を上げても…良いですか…」 そう言うと快く家に入れてくれた。 二人がどうやって死んだのか、真実を言うことはできなかった。 憔悴している二人にこれ以上の心にダメージを負わせたくなかった。 「蘭子ね、本当に乙桃ちゃんに懐いてて… 姉妹がいなかったから嬉しかったんだと思うの …よくしてくれてありがとう」 お義母さんがそう話しながらお茶を出してくれた。 「…お世話になったのは私です。 蘭子がいたから私はこうして普通の生活が送れています。 いつも一緒にいてくれたとても大切な存在でした…」 私は蘭子の写真を見つめて涙を堪えた。 「お義母さん、お義母さんもです。 いつも、私の事を大切にしてくれた。 本当に嬉しかったです。 大事にしてくれて幸せでした。 厚かましいことは承知の上です。 …恩返しをさせてください…」 私の言葉にお義母さんは顔を震わせて泣きそうになっていた。 「私は倫太郎さんと、蘭子の弔いのために生きていきます。 私を大切にしてくれお義母さんお義父さんに今度は私が何かさせて下さい」 私が頭を下げるとお義母さんは慌てた。 「乙桃ちゃん、自分のために生きて。 倫太郎のしたことは許されないことだよ。 蘭子だって、貴女のせいじゃない。 貴女は貴女の幸せを考えなさい」 「っ…私のせいなんです。 私のせいで二人は…」 「例えそうだとしても私達は貴女を恨んだりしないから。 乙桃ちゃんのその気持ちだけで十分だよ」 泣き笑いしながらそう言うお義母さん。 「…時間が、薄れさせてくれる。 麻痺させてくれる。 だから大丈夫。 ね、乙桃ちゃん、泣かないで」 お義母さんは子供に言うように優しく話してくれた。 帰り際までお義父さんには会えなかった。 体調を崩して寝込んでいるらしい。 二人が平穏に暮らせるように私が出来ることはなんだろう。 せめてもう、悲しいことが起こらないように私も特別な力があればよかったな… そんなもどかしい気持ちになっていた。 ーーーー 「私に特別な力はないけど、出来ることはなんでもする…」 私の言葉に、ヒナちゃんは困ったように黙っている。 「…確かに、貴女はまぁまぁ強い守護霊がついている。 神職家系でもなく霊感もない人間に、これは、かなり珍しいことだと思う。 それと別に、呪いを完治させたのは貴女自身が霊の影響を受けにくい体質なのもあるとは…思う」 静かに言葉にしてくれた。 「でも、…危険すぎる。 あの時はロイさんと靂さんがいた。 二人はね、各役職のトップの人達なの。 普段外に出て現場で働く人達ではないの。 朱も、本来別の子とペアを組んでいる。 …人を殺めることに躊躇しない。 唯一国から守られて命を殺める仕事を任されている。だから、呼んだ」 …知らなかった。 ヒナちゃんは私のために最善を尽くせるようにしてくれたんだ。 「貴女が私達と働くには足りないものがまだまだ多すぎる」 「っ…」 身の程を知らずに無茶を言ってしまったようだった。 恥ずかしくて俯く。 「…だから、まずは基本を身に付けることから始めて欲しい」 ヒナちゃんが静かに告げた。 …え? 「私、働けるの?」 「うん。多分、適性はあるはず。 あ、私の従兄弟がね、寺の跡取りなんだけど、私達と同じように働いているの。 人に教えるのが上手な人だから話をしてみる。 もちろん、私も仕事のない日に付き合うよ。 おじさんとおばさんはとても親切な人だから…うん、きっと大丈夫!」 「あ、えっとヒナちゃん…」 突然どんどん話が進んでいくので少し戸惑ってしまった。 「私達と働くには、ある人と面談して了承を得る必要があるの。 だから、生半可な気持ちじゃダメだよ」 「う、うん!ヒナちゃんの顔に泥を塗るようなことは絶対しない! ありがとう…何から何まで…!」 私がお礼を言うとヒナちゃんは笑った。 安心したような可愛い笑顔だった。 私が、あの夜のみんなのように能力を使いこなして仕事を出来る未来が来るのかな。 数日後、 私は京都にある大きなお寺にいた。 両親には就職先が決まって研修があると言って出てきた。 お寺の敷地内に平屋建ての屋敷があった。 大きくて庭園のような建物。 恐る恐るチャイムを鳴らしてみる。 と、お相撲さんのような体格の、お地蔵様みたいな顔の男性が出迎えたくれた。 背が高くて驚いてしまい、数歩引く。 「こんにちは、はじめまして。 ヒナの言っていたの君ですね、私は神々廻葬(シシバソウ)といいます。 どうぞよろしくお願いします」 礼儀正しく話す神々廻さんは物凄く穏やかな人だった。 「奉日本乙桃(タカモトオト)です! ヒナちゃんにお世話になっています。 こちらこそよろしくお願いします!」 私もお辞儀をし、挨拶をすると 「遠くまで疲れたでしょう。 どうぞ上がってください。 今日はゆっくり休んで、明日から色々と教えて差し上げます」 神々廻さんは私の持ってきた大荷物をヒョイッと持ち上げ、すたすたと歩き出す。 そして屋敷内の一室に案内された。 「乙桃さんはここの部屋をしばらく使って下さい。 これ、鍵ですから失くさないように。 夕方にはヒナが来るので、女湯やお手洗い、着替え等はその時に教えてもらってくださいね」 物凄く広い寺だと思ってはいたけど、まさか女湯があるなんて…呆気に取られていると部屋に荷物を置いた神々廻さんは 「食事の用意をしてあるので落ち着いたら正面扉、見えますかね? あちらのドアの奥へおいでください。 父と母、あと今日はお客が来ているのでみんなで昼食にしましょう。 母の作るご飯は美味しいですよ。 お口に合うと私も嬉しいです」 ホクホク笑う顔は本当にお地蔵様のようで思わず拝みたくなってしまった。 …物凄く穏やかで優しい。 こんな人が存在するんだ…。 お礼を言うと、礼儀正しくお辞儀をして彼は出ていった。 神々廻さんと別れてから、部屋で荷物を整頓していた。 「葬さんのご両親に挨拶しなきゃな…」 正面扉へ向かう途中、何やら聞き慣れない音がしたから気になってそちらに向かってみた。 奥へ進むと大きな道場が見えた。 激しく何かがぶつかる音。 おそるおそる扉を覗くと二人の男性が剣道の稽古をしていた。 動きが物凄く素早い。 時代劇を見ているみたいで圧倒された。 「わぁ…凄い…」  私は感動して声が漏れていた。 と、一人がこちらに気付き、手を止めた。 嘘…稽古中、私のちょっとした呟きが聞こえたの…?? どちらにしても邪魔しちゃったよね。 私は一礼して慌てて逃げようとした。 すると、 「乙桃!」 聞き覚えのある声。 え?と顔を上げると素早く面を外した一人の男性。 「あっ!朱!」 と、言い終わると同時に足音少なく目の前に移動していた。 …びっくりした。 今さっきまで稽古をしていた為か物凄い熱気を感じる。 肩まである髪の毛から汗が落ち、首筋を流れるのを見てしまった。 うわぁ…なんかちょっと…私が恥ずかしくなっちゃうな。 ドキドキしてしまい、たじろいでいると、もう一人もこちらに向かってきた。 「知り合いっすか~?」 面を取ったもう一人は、まだ10代後半くらいの若い男の子だった。 今時の、モテそうな爽やか君。 「ヒナの友人。 一度仕事を手伝ってくれた」 「…へぇ」 爽やか君がこちらをじっとみる。 私、というより私の少し後ろ。 そしてハッと驚いた顔をした。 「すっげぇ、なんで神様憑けてるんすか?」 キラキラした目で私を見る爽やか君。 この子も何かしら凄い力を持っているのかな… 私がなんとか笑顔を見せると朱が紹介してくれた。 「彼は朔(サク)。俺の後輩だ。 人のオーラや空気の色を読み取れる超感覚知覚を持っている。 サク。こちらは乙桃。 ここへ来たってことはおそらくこの先一緒に働くことになる。 色々と教えてあげるように」 瞬時に私がここにいる理由を察して説明してくれた。 オーラが見える…とは? 超感覚知覚なんて言葉も…正直よく分かっていない。 靂さんといい、サク君といい信じられない。 聞きなれないワードばかりだよ。 「ヒナの友人すか…? あいつ本当に生意気っすから… なんかむかつくこと言われたら俺に言ってくださいね!」 サク君が不満そうにブツブツ話した。 ヒナちゃん、男子には強そうだもんね… そういえばロイさんへの対応もちょっと冷たい感じだったな… 「あ、ありがとうございます…」 私はお辞儀をした。 「あーあー敬語じゃなくていいっす! 朱さんと対等に話すってことは年上さんだし、呼び捨てで構いません! サクでOKす!もちろん敬語も無しで!」 圧倒的後輩キャラの爽やか君。 その屈託のない笑顔は…モテるんだろうなぁ。 「ありがとう…よろしくね」 「はい!すっげぇ! 柔らかいピンク色の神様なんて初めて視ましたよ! あれ……えと、赤ちゃんすか?」 サクの言葉に胸が熱くなった。 不思議な感覚。 そういえばヒナちゃんがくれたまが玉も白濁食とクリアなピンクのマーブルだった。 「ピンクは母性愛の象徴っすからね。 自己犠牲や慈しみなんて意味もあるんすよ。 乙桃さんが優しいから、神様もきっと凄い暖かくって優しいんでしょうね」 …不意に泣きそうになった。 まっすぐ言葉にされると切なくて泣けてきちゃうんだよね…。 と、朱が遮るように 「サク、そろそろ昼食の時間だから先に着替えろ。 乙桃、ここは広い。 後で一緒に行かないか?」 涙が頬を伝うのをサクに見せないように私の前を塞いだ。 サクは特に気にすることもなく 「了解っす! 確かにめっちゃ腹減った~ 朱さんとの稽古は長いんすよ~」 とブーブー言っている。 「…3分以内に準備できなかったら明日から打ち込み100本追加だ」 低めにの声で脅されたサクは、ダッシュで道場から出ていった。 足速っ…。 広い道場に二人でポツンと立つ。 「サクは裏表のない正直な子だから、動揺させてすまなかったな」 後ろを向いたまま朱が話してきた。 あの時よりも、なんとなく柔らかい口調と雰囲気に思えた。 「ううん、嬉しくて泣きそうになっただけ。 気を使わせてごめんね、ありがとう」 えへへと涙を拭ってお礼を伝える。 朱はそうかと軽く笑った。 「ヒナちゃんに、ここを紹介されたの」 「そうか」 「神々廻さんって人、物凄く親切だね。 あんな優しい人がいるなんてびっくりだよ」 「そうだな葬は誰よりも優しい」 そう話しながら防具を外していく朱。 「朱も優しいよ」 「…そうか」 また笑った。 笑顔だけど少し陰った表情。 まずいこと言っちゃったかな? 「…私には、皆みたいに特殊な力はないけど役に立てるように努力する! だから朱も何かあったら教えて欲しいし指摘して欲しいな…」 そう話すとうーんと話すように呟いた。 「特殊な力がないのは俺も同じだ」 「え?そうなの?」 「俺は一般人だ」 「…うそ」 だとしたら、一般人のレベルが高すぎる。 「ちょっと人より耐性があっただけだ」 「一瞬で移動できるよね?」 「誰でもできる」 …誰でも出来ないって。 もう既に感覚がおかしい。 「一瞬で人を三途の川に送れるのも?」 「可能だ。 それに、君は一般人ではない。 ちゃんと神様が憑いているだろ。 その時点で、適職なんじゃないか」 「え、で、でも」 ヒナちゃんは、私には足りないものが多いと言っていた。 応援してくれているけど不安そうだったからもしかすると図々しかったのかなって。 「ヒナは心配だったんだろう。 誰だって好きな人や、友人には危険な目にあって欲しくないものだ」 「…本当はね、もう関わりたくないって怖い気持ちも大きかったんだよ。 あまりにも短期間で身近な人がいなくなってしまったから。 でも、残された人の辛い気持ちを思うとどんな形でも力になりたくって… 蘭子のような被害者をもう、見たくない。 朱が、供養してくれた倫太郎のことも責任を取りたいの…」 「それは、乙桃の本心か? 相手方の両親への罪悪感か?」 「…わかんない。 でも、誰かに言われたからとか、申し訳ないから…ってだけじゃないよ。 私の意思だと…覚悟してるつもり。 だから、ここに来たの」 自分に言い聞かせるようにそう言うと朱はうーんと呟いた。 「乙桃は、あの男を許せるか?」 「……うん。 半分は、私の責任だから。 私の弱さや、甘えが彼をあそこまで悪い方へ向かわせてしまった。 井上さんも、被害者だよ。 蘭子への仕打ちは許せないけど、最初に隙を与えたのは私の身勝手さなの」 恵まれた自分の環境に甘えて、もっともっと、欲しがってしまった。 赤ちゃんが欲しかったのは事実だけど、赤ちゃんを産めばもっともっと、幸せを実感できるから。 周囲が喜んでくれるから。 そんな、自分勝手さを正当化していた。 なのに、そんな私のことをお母さんとして見てくれて神様として私の傍にいてくれる。 この子のおかげで、私は前を向ける。 「…乙桃は、強いんだな」 「え?そ、そう?えへへ…」 朱に褒められるのは初めてだったから、びっくりしたけど嬉しかった。 「俺は、許せないんだ」 「…全員が全員、許さなくても言いと思うよ」 幼い妹さんを殺した呪い。 許せないのは当然だよ。 「朱は、妹さんの弔いで来たの?」 自分と重ねてしまったわけじゃないけど、なんとなく状況が近いのかなって思って聞いてみた。 「…記憶を取り戻すためだ」 「…え?」 記憶? 「家族を父親以外殺された。 その場にいたのに。 俺だけ、呪いが効かなかった。 生き残ってしまった。 犯人は…わかってるけど近づけない。 散々ひどいことをされて、長から会うことを禁じられている。 家族の顔が思い出せない。 妹の顔も、よく…わからないんだ」 「…え?」 あまりにも、突然衝撃的なことを言うから私は固まってしまった。 淡々と、他人事のような言い方だった。 「朱…」 「俺は、呪いが許せない。 耐性があるのに、大した能力もなくて人殺ししか出来ない自分も許せない。 家族の顔を、最期を思い出せないのも…許せない」 「朱…! 私は感謝してるよ… あの状態の倫太郎を楽にしてくれた。 私や彼の両親を救ってくれた。 ただの人殺しなんかじゃないよ!!」 「俺は、自分の為に殺した。 あの時、靂が言ったように自分の気持ちを優先して提案した。 乙桃の気持ちを考えられなかった」 「っ…だとしても、私は救われたの。 だから感謝してるんだよ。 だから、そんな風に自分のことを責めないで」 悲しみや辛さは誰かと比べるものじゃないし重みが違うから答えがでない。 でも、明らかに朱のは、比較できないくらい重い。 私の言葉なんて薄っぺらで彼に届かないかもしれない。 でも、あの時の優しい笑顔の彼を知ってしまったら、助けたいって思う。 朱はゆっくり深呼吸をした。 「話しすぎた」 「…そんなことないよ。 辛いこと言わせたのは私だよ。 ごめんなさい」 「お腹が空いてると、よくないな」 無理矢理話を終わらせていたからもう、これ以上話題に突っ込むことをやめた。 「…わ、私もお腹すいたかも。 京都の名物もね、結局全然食べれずここに来ちゃった」 なるべく明るく話を続けた。 と、 「3分」 「へ?」 突然の一言に戸惑った。 そこにサクがダッシュでこちらに向かってくる。 あ、そうだった。 私達サクを待っていたんだよね。 「3分と18秒。 今日は早く寝て明日に備えろ」 話しながら防具を脱ぎ、綺麗にまとめた朱はスタスタと歩き始めた。 「あああああっ鬼!!」 サクがショックで頭をかかている。 「俺も着替えてくる。 葬が待っているからな」 サクは絶望して騒いでいた。 こうして見ていると普通の仲良しの先輩後輩だ。 サクは、朱の過去を知っているのかな。 明日からの稽古に絶望してブーブー言う彼はどこにでもいる普通の子。 朱のこと、好きなんだなって伝わってくる。 「ふふ」 笑うとサクがこっちを見た。 まじまじと顔を見つめられて面食らう。 「…乙桃さんは笑顔が似合いますね」 ふいにそう言われて照れてしまった。 「えっ?そ、そうかな…」 「…箱庭は色々な事情を持った人が集まって働く場所だから、乙桃さんみたいに心から綺麗に笑える人は珍しいと思います」 「…ごめん、」 朱の笑顔を思い出した。 そして、さっきの話。 いつも明るく接してくれるロイさんや、靂さんの刺青だって、きっと事情がある。 「えっ、なんで謝るんすか! 貴重ってことですよ! 笑顔ほど原動力になるものはありません! 怒りや憎しみではなく、笑顔が一番重要で、力になるんすよ!!」 サクが必死にフォローしてくれた。 …良い子なんだろうな。 まっすぐに気持ちを伝えてくれる。 「俺もサクが早く一人前になって長との面談に合格したら心から笑顔になれる気がするな」 いつの間にか着替えてた朱が真後ろから話してきた。 「うわぁあぁ!もう!本当に朱さんのおばけ!!」 「おばけではない。 人間だ。 乙桃、昼食を食べに行こう。 今度、京都の観光もしよう」 そう言って私を見た笑顔は、あの時と同じ本物だった。

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桃色護り神8~終の刻

桃色護り神5~7の刻

それからまもなく、倫太郎と離婚した。 私から切り出した。 もちろん倫太郎はOKを出した。 彼から私に切り出すとすると、親や蘭子のことがある。 私が負傷した原因を蘭子は知っている。 とてもじゃないけど、離婚を切り出すことなんて出来なかっただろう。 だから、安心したんじゃないかな。 私からさよならをしたいと言ってもらえるのは理想だったと思う。 私は清々していたけれど、入院したこともあったし、両親には離婚理由を少ししつこく聞かれた。 「すれ違い」じゃ信じてもらえなかった。 特にお母さんは、嘘だと見抜いていた。 …観念した私は、事実を伝えることにした。 「私、メンタルが参っているのは事実だけど、今から言うことは妄想じゃないから…話すからには受け止めて欲しい」 倫太郎の不倫。 不倫相手から間接的な重症を負わされたこと。 その怪我のせいで、もう妊娠はできないこと。 だから彼とは一緒にいたくないこと。 お母さんは、ショックで顔をひきつらせていた。 入院した時の診断書を見てもらい、かすかに残る腕の痣も見せた。 そうなると、私が狂言を言っている訳ではないと信じざるを得なかったらしい。 黙って優しく抱き締めてくれた。 「ごめんなさい…私、たくさん迷惑かけて結婚式のお金だって…たくさん出してもらって… もう、赤ちゃん産めないから…二人に孫を見せられない… ごめんなさ…」 お母さんに抱き締められるなんて何年ぶりだろう。 懐かしさと申し訳なさで、言いながら泣きそうになる私にかぶせるようにお母さんは話し始めた。 「乙桃、怖かったね。 お母さんもお父さんも、貴女が元気ならそれで良いの。 身体がちゃんと治って、こうして元気になってくれて良かったよ。 …お母さん、何も知らなくて…一人で抱えて辛かったね」 お母さんの声は震えていた。 黙って聞いていたお父さんは、 「また乙桃と夜ご飯が食べれて嬉しいよ」 と呟いた。 両親は一秒でも早く実家に戻ってくるように準備を手伝ってくれた。 原因はあくまで倫太郎で、義理の家族は悪くないから、となるべく関わったりせずに縁を切ることにした。 借りていた部屋から自分の荷物を全て片付けて実家に帰った日。 久しぶりに三人でご飯を食べた。 ずっと、倫太郎とはすれ違いだったから人とご飯を食べること自体が久々で、とてもあたたかい気持ちになった。 私は義両親に謝罪とお別れを言いに向かった。 倫太郎のことは残念だけど、私はやっぱり義両親が好きだったから。 もうこれで、会えなくなると思うと寂しかった。 インターホンを鳴らし、鍵を開けてもらった。 お義母さんが出てくれて、お義父さんを呼んだ。 二人揃って会うのは久しぶりで、少し切なくなった。 私がなるべく明るく挨拶をして、持参した手土産を渡そうとした時だった。 突然、義両親は私の前で土下座をして泣きながら謝り始めた。 びっくりして、慌てて二人を立たせようとした。 「乙桃ちゃん、本当に…うちの倫太郎が…ごめんなさいっ!!」 お義母さんが震える声で何度も謝っていて、その姿がが悲しくて見ていられなかった。 「お義母さん…!!やめてください…っ」 「乙桃さん、本当に申し訳なかった… 身体も…本当に酷いことを…」 普段無口なお義父さんも悲痛な声で頭を下げていて、見ていて苦しかった。 蘭子が数步後ろで立ち尽くしている。 おそらく彼女から離婚の原因や不倫の話を聞いたらしい。 …正直見ていられなかった。 倫太郎以外、優しく接してくれた3人にこんな思いをさせてしまったことを心から申し訳なく思った。 「私…お二人に謝って欲しいなんて思ったことありません…!! 本当の両親のように私を大切にしてくれて…嬉しかったんです。 これからも、お二人のこと…大好きです… 倫太郎さんと上手く関係を続けられなかったのは私にも原因がたくさんあります。 だから、もう顔を上げてください」 二人にそう言いながら、泣きそうになってしまった。 こんな姿を見たくて挨拶にきた訳じゃない。 私の言葉に、義両親は顔を上げてくれた。 泣きそうな私を見て、お義母さんは背中を優しくさすってくれた。 倫太郎は離婚後すぐに愛人である井上寧々子と逃亡したらしい。 家族すらどこにいるか知らないと。 義両親への挨拶の後に蘭子が教えてくれた。 二人で住んでいたマンションはおそらく全部解約してくれたんだと思う。 さよならも言わず出ていってしまった彼の対応に少しだけ傷ついてしまったけど、自分の気持ちを優先して周りが見えなくなっていた私も悪かった。 お互い、歩み寄ろうとしなかった。 ごめんね、と言えなかった。 私は…まだまだ子供だったんだな。 実家に戻ってからも蘭子とは連絡を取っていた。 家族ではなくなってしまったけど、大切な存在には変わり無い。 これからも遊んだりご飯に行こうねって約束していた。 蘭子は以前と変わらず、ずっと私の味方でいてくれた。 体調を心配したり、就活を手伝ってくれた。 そう、私は結婚を機に寿退社してるから離婚をした今、ただのニート。 就活中(仮)のニートは時間に余裕がある。 ヒナさんの神社に訪れて一緒に赤ちゃんにお線香を上げた。 「元気そうでよかった」 連絡を取っていたこともあり、少し距離を縮めた話し方をしてくれるようになったヒナさん。 とても嬉しかった。 「ありがとうございます! ヒナさんと、この子のお陰です」 神社の地下にある納骨堂。 そこで眠る我が子に目を向けた。 小さな白い坪に入れられた赤ちゃんの遺骨。 「喜んでると思う」 そう言ってヒナさんも微笑んだ。 「…ヒナさんは霊が見えるの?」 「うん、私の家系はほぼ皆見えるよ」 「え!?凄いです…」 「血筋だから私が凄い訳じゃないけど、褒めてもらえるとやっぱり照れちゃうな」 嬉しそうな顔で話すヒナさんは年相応の若い女の子に見えた。 私には分からない、「家系」や「血筋」の話。 きっと色々な苦労があるんだろうな。 だから若いのにこんなに落ち着いているし、お祓いが出来るのかな。 そんなことを思いながら、彼女と会話を交わした。 そしてお堂の中で赤ちゃんとの時間を大切にした。 持参したお花やおもちゃを飾り、少しだけお話をする。 「…また来るね」 そう呟き、地上への階段へ向かった。 ゆるゆると就活に励みながら毎日が平穏に過ぎた。 色々とあって、気が抜けてしまった私はあまり真剣に仕事を見つけられず、お小遣い稼ぎでデパ地下でレジ打ちをしていた。 時々余った洋菓子やケーキを持ち帰らせてもらえるから家族や蘭子、ヒナさんにおすそわけしていた。 ある日、バイト終わりに蘭子からラインが来ていた。 「兄の居場所がわかった」 そう、メッセージには書かれていた。 ドキッとした。 久しぶりに思い出した倫太郎の名前。 …蘭子はずっと探してくれていたんだ。 蘭子の中ではどうしても謝罪させたかったらしい。 「もういいのに」 私は遠慮気味に返した。 「私は許せないの!」 即、返信が来た。 「今更会ったところでどう話せばいいか分からないよ」 「私が一緒に行く!!私もお父さんお母さんも、兄のことが許せないの。 その不倫女のこともだよ。 謝りもせず逃げたことだってズルい!!」 私は正直もう関わりたかなかったけど蘭子の気持ちを組んで会うことに決めた。 蘭子が車を出してくれて向かったのは県外。 高速道路移動だった。 「どうやって探しだしたの?!」 てっきり市外で隠れて住んでいると思っていた私はびっくりして彼女に聞いていた。 だって、倫太郎の勤め先はマンションからすぐだったし…。 「今は便利な時代だからね、SNSから飛んだ! 兄貴の相手の女、まだ若いからか隙ありすぎ。 不倫の略奪愛のくせに呑気に実名でSNSやってるんだから。 更新ペースと時間、内容からまだ職場は同じっぽい。 友達や仕事仲間の人に飛んでそこからはネット掲示板の特定班に依頼した。 もちろん報酬付きで!」 スラスラと話す蘭子。 「あなたの執念が凄いよ…」 「そう?世の中便利になったよね」 蘭子は、ニヤッと笑った。 笑っているけど、その、執念は怒りややるせなさから来るものだと分かる。 私を思ってのことだと分かっているから、ありがたいけど申し訳なかった。 倫太郎は愛人の井上と再婚して市営マンションで暮らしていた。 蘭子が見せてくれたSNSに、井上が婚約指輪を誇らしげに載せていた。 他にも作ったご飯や、綺麗に畳んだペアルック。 お洒落に撮影してInstagramに載せられていた。 「まじでムカつく。 個人情報ガバガバでバカ丸出しのくせに誇らしげに良妻ぶってんなよ」 それに心底ムカついている蘭子。 「ま、まぁまぁ…落ち着いて」 なぜか私がなだめるような形になっていた ここまで公開してるのか… 私は呆れて苦笑いしてしまった。 井上はまだ20歳。 高卒で、倫太郎の会社に就職したらしい。 彼らのマンションの近くのコンビニで私たちは車を止めた。 車を降りて蘭子とこっそり物陰からマンションを見る。 蘭子が特定班に大金つかって調べさせた二人の愛の巣。 写真の背景、影、日の辺りからよくここまで分かるよね。 今のSNSってめっちゃ怖い…。 と、二人が出てきた。 久しぶりに見る倫太郎は少し痩せたみたい。 それもそうかもしれない。 ここ、彼の職場まで高速使っても2時間くらいかかる。 いくら若くて可愛い奥さんと暮らせても毎日の通勤はしんどいよね。 そして彼の隣を歩くのは、若くて華奢な女の子。 彼女が、井上寧々子。 とても可愛らしいのに顔つきは気が強そうな子だった。 綺麗なストレートヘアーは柔らかい茶色に染められていて、目元はキラキラしている。 「地雷メイク」って言うのかな。 お人形さんみたいな顔をしていた。 でも、あまり顔色は良さそうではない。 私に馬乗りになって呪術の釘を打ち込んでいた女だったけど、あの憎しみに満ちた形相からは、表情も雰囲気もかけ離れている。 トラウマを思い出すことも、恐怖心を抱くこともなかった。 二人の後をこっそりと追う。 腕を組み、徒歩で向かった先はファミレス。 時間的にお昼ごはんだろうか。 「…呑気に外食ですか」 蘭子は小声で言うと舌打ちした。 もう、行動一つ一つが気に食わないのだろう。 二人に続き、私達も店内に入る。 店員さんが笑顔で出迎えてくれて席に案内された。 と、突然蘭子が二人の席に乗り込んでいた。 慌てて私もそれを追う。 店内は空いていてのんびりした時間が過ぎていく。 ーはずなのに、一席だけ修羅場が始まろうとしていた。 「お久しぶりだね、恥さらし」 蘭子は周囲に聞こえるくらい大きな声で二人に挨拶をして、井上の隣に座った。 蘭子を見る倫太郎の顔は驚いていたが、すぐに「迷惑」に変わった。 まるで汚いものを見るような嫌な表情。 その後に追って入ってきた私を見て、今度は青ざめていた。 「…なんでいるんだよ」 ため息をつき、顔を覆う。 井上は私を見て、物凄く怒っていた。 ああ…これはあの時と同じ顔。 少しだけ、身体が痛みを感じていた。 怒りという感情の全てを私に向けているような眼。 「誰ですか?お宅ら。 自分達の席に座ってくださーい」 心底嫌そうに言い放って座席にもたれる井上。 蘭子のことをわざとらしく避けて大きなため息をついた。 それでも蘭子は動じない。 座ったまま二人を責め始めた。 「乙桃ちゃん、死にそうだったんだよ? 知ってるよね?この人殺し女。 やり方が卑怯なんだよ。 直接手を下さず人の命を奪おうとするなんて。 大体さ、乙桃ちゃんがあんなことにならない限りあんたはずーっと2番目だったんだよ? 離婚した後だって誰にもお祝いされず大好きな旦那さんの家族に嫌われてる。 逃げるようにボロアパートで生活しているよね。 取り繕ったインスタとは真逆の哀れでバカな女。 性格の悪さが顔に出てるよ? どうやって兄貴に取り入ったか知らないけど、どうせ体使って誘惑しただけでしょ? そんなの後、数年したら飽きられて終わりがくる。 捨てられるだけだよ? 知ってる?こいつは若い女が好きなだけ。 お前には今しか用が無いんだよ? 乙桃ちゃんみたいに可愛いわけでもないし、堂々と出来ない上に数年後には独りぼっち。 本当にお疲れ様!人生詰んだね」 淡々と一気に話す蘭子は、私の知ってる明るくて楽しい義妹ではなかった。 …彼女が私の味方で良かった。 倫太郎は自分の妹の発言をポカンと口を開けて見ているだけだった。 井上は物凄い形相で蘭子を睨んだ。 私に向けた怒りの矛先を、今度は蘭子に向ける。 それでも、蘭子には無意味だった。 フンと鼻で笑い、倫太郎を睨み付ける。 「兄貴、あんたはもう私たちの家族じゃない。 籍、抜いてよね。 このゴミ屑。 それと、私の家族も乙桃ちゃんの家族も正式に慰謝料を要求するから。 弁護士使って徹底的にやるからね。 あと、会社に今回の事は実名でファックスしておいたから。 これから就活頑張ってね。 乙桃ちゃんだけあんな目に合うなんて私は納得できない。 絶対に二人の事、許さないから。 一生苦しめ屑達」 井上の睨みに負けないくらい、倫太郎を睨み返して蘭子は言葉を吐き捨てた。 私はその迫力に負けて、きょとんとしていた。 どこまで本当かは分からないけど、この様子じゃ本当に会社にファックスは、送っているんだろうな。 多分、井上とは事実婚。 社内には秘密にしているはずだ。 立場的に、言えるはずがないし。 倫太郎は青ざめて震えていた。 「なんてこと…してくれたんだ…お前…ただでさえ、毎日高速で通うはめになっているのに…」 そう呟きながら絶望していた。 「倫君、大丈夫?」 甘えたような声で彼に話しかける井上。 それをガン無視して絶対にどかない蘭子。 それを突っ立って見ている私。 異様な空気に店員さんも注意に入ってこない。 …謝罪なんて要らないからこの場からすぐに立ち去りたい。 正直もう、この二人に関わりたくない。 身体が拒絶反抗を起こしていた。 子どもはもう出来ない身体になってしまった。 でも、私のために全力で守ってくれたあの子がいるから、その事実だけで充分だった。 私のことを想って頑張ってくれたんだもん。 これからは一生懸命働いてあの子に恥ずかしくない人間として生きていこうと思っているし、その為に、この人達に関わってはいけない。 だから、深呼吸して蘭子の肩に手を置いた。 「ありがとね、蘭子。 全部言ってくれて。 でもね、私はお金は要らない。 もう関わりたくないの。 私はあの子が助けてくれたしお祓いとしてもらったから奇跡的に通常の生活を出来ているけど…井上さん…あなた、私を呪った時に自分にも呪いがかかったんじゃない?」 私は井上の目をまっすぐ見てそう言った。 睨み付ける目に動揺が見えた。 あの子が泣き叫び、呪術をはね除けた時、泡をふいて白目になった彼女の姿を見たから確信していた。 「お祓いには行った? 病院には行った? 顔色が悪くてなんだか雰囲気が怖いよ? 素人があんな大きな儀式をしたら身体に支障をきたすのは目に見えてるけど…」 ヒナさんから教えてもらったことを聞いてみる。 呪術の大きさは、実行する人間の能力に比例する。 釣り合わなければ、成功しない。 必ず、報復がある。 怒りと…恐怖で震える井上。 図星、だよね。 黙って怒っていた彼女が突然立ち上がる。 と、私に向かってお冷の入った水を投げつけてきた。 私はとっさに避けたが胸から下へ水を被ってしまった。 ーーー冷たい。 腹の底からひんやりする。 蘭子が慌てて立ち上がりおしぼりでふいてくれる。 「何すんだよ!!くそ女!!」 蘭子は井上に向かって叫んだ。 それを無視して井上も叫ぶ。 「うるさいんだよ! くそばばあどもがっっ!! お前の産めなかったガキのせいで私はもう普通の生活が出来てねぇよ!」 そういうと急に服をめくりあげた。 突然の行動に驚いた蘭子と私はそれを正面から見た。 彼女の胸から下は、真っ黒だった。 渦巻きのような模様をした皮膚のただれ。 真ん中に小さな手形があった。 赤ちゃんの手のようだった。 「このアザだけならまだマシ。 寝ると赤ん坊の泣き声が耳から離れないの! いつもあんたのガキが私を監視してる…!! せっかく倫君を手にいれたのに!!何も出来ない! チューしたり、エッチしようとするとお腹が焼けるように…熱くなるの…!! そのまま、燃えて死ぬんじゃないかと思うくらい苦しいんだよ!!」 ヒステリックに、一気に叫んだ。 ファミレスの店員さんがこちらを迷惑そうに見ているので、そろそろ追い出されるかもしれない。 それでも、衝撃的な彼女の身体に蘭子と私は絶句して固まっていた。 「寧々子、いいんだ。 俺は、お前が近くにいてくれるだけで…」 悲鳴に近い声で怒鳴った彼女を落ち着かせるように倫太郎は優しく話しかけた。 「君の身体はとても綺麗だよ…… 美しくてずっと見ていたくなる。 そのアザは特別だよ? 俺のために、身体を張ってくれた証。 だから結婚したんだろ?」 言い聞かせるように優しく話す倫太郎。 …なんか、気味が悪い言い方をする。 こんな人だったっけ…。 「赤ん坊の泣き声がするのは俺も同じだよ。 お前は親失格。 人間失格。 さっさと死ね。 そう俺に言ってる気がする。 俺は、赤ん坊のパパなのに…ひどいよな…? 乙桃、どうせお前が仕向けたんだろ?」 私に敵意を向けたこの男は本当に倫太郎なの? 目が合った時の嫌悪感で鳥肌が立った。 蘭子もさっきの勢いが嘘みたいに気味悪がっている。 「…謝る気が無くても、慰謝料は払ってね。 二度と私たちを家族だと思わないで。 その女の子供連れて絶対帰ってくんなよ」 そう言って私に帰ろうと呟いた。 私は頷いて二人でその場を立ち去った。 「乙桃、パパは悲しいって伝えといてくれ」 去り際に、やけに明るい口調が背中に話しかける。 気持ちが悪かった。 一体何を言っているの…? 二人を残してファミレスを出た。 止めてある車で向かう間、私達は無言だった。 帰りの車内は空気が重かった。 「蘭子、ありがとね…」 私はなるべく明るく言った。 「ううん、私の自己満足だったのかも… 義姉さんに会わせるべきじゃなかったよね あんな…異常だよ二人とも」 蘭子はまだ気味悪がっていて元気がなかった。 家まで送ってもらった私は蘭子にお礼を言い帰宅した。 …忘れよう。 今日見たものは、全て忘れる。 今度こそ切り替えて私はまた人生計画を建て直す。 前向きな気持ちにならなきゃね。 と、とりあえず就職先を考えないと…! 福利厚生がしっかりしていて蘭子と遊べるように …土日休みかな? あ、履歴書って100円ショップに売ってるかなぁ… そんなことを考えて、無理矢理思考を切り替えた。 倫太郎も井上も違和感だらけだったのに。 彼女の身体はあきらかに呪術の後遺症で大変なことになっているのに。 ヒナさんに報告や相談をしようとは思わなかった。 それから間もなくして蘭子が死んだ。 私と同じように内蔵と子宮がぐちゃぐちゃで。 …心臓に穴が開いていたと、駆けつけた病院で聞いた。 立ち合った先生が私を診てくれた人だったからこっそり教えてくれた。 …あの、藁人形の呪いだ。 蘭子は、最後まで…心臓に釘を打たれたんだ。 私の、せいだ。 私はすぐさまヒナさんに連絡した。 「一旦、会って話をしたいです。 今夜、来れませんか?」 ヒナさんの返信を見てすぐに承諾した。 いてもたってもいられずにタクシーで指定された時間に彼女の神社へ向かい、詳しい事情を必死に説明した。 また、井上が呪術をやったんだ… 蘭子のことが気に食わなかったから? それとも蘭子が座った時に顔をちゃんと覚えたから? 仮に髪の毛とか、何か対象のからだの一部が必要だったとしたらファミレスで隣に座ったからきっと手に入る。 私のせい…? 私は取り乱しそうなのを必死に抑えた。 ヒナさんは話を聞くと、 「少し待っていてください」 そう言って誰かに連絡をしているみたいだった。 「1時間以内に人が来ます。 お堂で少し待って欲しい…」 そう言われて私は頷いた。 私たちはお互い話さず、移動したお堂で座っていた。 蘭子。 数日前までちょこちょこラインしていた。 私の可愛い義妹はもうこの世にいない。 実の妹みたいな存在だった。 私の受けた呪いを真っ先に信じて支えてくれた。 私の代わりに怒ってくれた。 …やっぱり私のせいじゃん… 私がウジウジしているから、ちゃんと関わりを切らず放置していたから? あんな風に本気で怒ってくれたから蘭子は呪われたのかな。 義両親が心配だった。 旦那が駆け落ちのように逃げてしまい蘭子が変死してしまった。 私の事だって、きっと心に大きなダメージがあっただろうに。 お線香上げに行って良いのかな…… さよならしに行って良いのかな… さよなら、したいよ…蘭子。 そんなことを黙って考えていた。 必死に、蘭子の死を受け止めようとしていた。 頭が追い付いていないからか、涙が出なかった。 頭では理解していると思っていた。 彼女の死を。 もう、会えないってことを。 でも、実感が沸かない。 いつもみたいにラインの返信待ちでそのうち通知がくるんじゃないかってまだ思ってしまう。 ヒナさんは、無理に慰めたり話しかけてこなかった。 お堂の中で、離れて座り、ただただ、時間が過ぎるのを待っていた。 40分くらい経った時 「着いたって」 そう言ったヒナさんと外に出て、彼女が呼んだ「誰か」を出迎える。 遠くに3人の男性が見えた。 カウボーイハットをかぶったワイシャツ姿の男性が、ヒナさんを見つけると嬉しそうに手を振る。 30代くらいでアゴヒゲやを生やしている。 夜なのにサングラスをかけた男性だった。 彼が嬉しそうにこちらに向かってくるその少し後ろを、二人の男性が続く。 一人は全身に、顔にまで刺青が入った背の高い坊主の男性。 黒のパーカーに黒のジャガーパンツを合わせたその人は夜の暗闇でも分かるくらい圧があった。 正直直視するのが怖かった。 刺青は見たことあるけど頭や顔にまで入ってる人は初めてだった。 しかもデザインがなんか怖い…。 無言でスーッと歩くその人は下駄みたいな草履なのに足音があまりしなかった。 もう一人は肩くらいの黒髪をハーフアップにした、私と同じか年下くらいの男性。 Tシャツにパーカーを羽織り、下はジャージ。 大学の運動部みたいな格好をしていた。 …この人は、よく見たら黒目が一切動かない。 目があった瞬間、なぜか「殺される」と思ってしまうくらい本能的に怖かった。 だ、大丈夫。 ヒナさんの知り合いだから。 私が怖がる必要はないよ…。 そう言い聞かせるしかなかった。 私が固まっている間に合流する。 「ヒナちゃんからお呼びだしなんてどうしたの~」 カウボーイハットの男性が嬉しそうに言った。 一番話しやすそうな雰囲気の彼は笑顔も本物だと思う。 「しかもこんな綺麗なお姉さんもいるし。 貴女は誰かな?」 私を見て、また嬉しそうに言った。 凄みも圧もない、敵意のない優しい話し方に安心する。 私が会釈すると笑って返してくれた。 「ま、俺だけじゃなくて火の組のヤロー二人がついてきたけどさ! あー車内が暑苦しかった~」 不満そうにそう付け加えた。 「事情は話したでしょ、貴方は警察からも聞いているんだから詳しく知ってるはず」 ヒナさんは私に話すよりも冷たい声で言った。 「なんだよ~ヒナちゃんは相変わらず冷たいな~ まぁそこが可愛いんだけどさぁ。 変死した若い娘さんのことだろ? あれは完全に俺達関係の事件だよね。 だって体内から破損してるんだもん。 しかも心臓に穴あいてんだよ? 多分、藁人形系でしょ?」 …蘭子のことだ。 ドクンッと心臓が大きく動く。 「使用されたであろう藁人形が出回った闇マーケットを調べたが今は閉鎖されている。 運営期間が短かったが金の組に頼めば購入人数などの詳細が分かるかもしれんぞ」 いつの間にか合流していた刺青の男性が続けて話した。 聞き取りやすい淡々とした声だった。 私と目が合うと 「貴女は無事でよかった」 とうっすらと笑った。 私がまだ、何者か紹介されていないのに、彼は、確かにそう言った。 ドキッとした。 それに、心が暖かい不思議な感覚を覚えた。 ヒナさんが 「殺されたのは彼女の妹なの」 と静かに言うと彼らは何も言わずにこちらを見た。 「…犯人に心当たりはあるか?」 刺青の男性に再度声をかけられ、私は緊張と不安な気持ちのまま頷いた。 話せば話すほど、蘭子が死んでしまったことを確認し、受け入れなければいけなくなる。 それが、たまらなくしんどかった。 彼らと話すのが不安なのではなく、自分が受け止めきれるかが不安だったんだと思う。 なぜか、彼らが助けてくれると確信していたから。 うまく話せる自信がない私に変わって大方の説明をヒナさんがしてくれた。 「…それは、どちらかというと男の方が完全に取り込まれているな。 呪力に魅入られもうどうしようもない」 相変わらず淡々と刺青の人がそう呟く。 そしてチラッとこちらを見たと同時に音もなく一瞬で私の前まで来た。 「申し訳ないが、少し触れるぞ」 つい数ヵ月前までアザのあった手首を掴んだ。 冷たくて何も感じない手。 触られている感覚がほぼないくらい軽く触れられている。 「呪いの力に味をしめて、取り込まれた女がおそらくもう一度藁人形を使ったのだろう。 その女はもう生きていないな。 かすかなアザの残りから呪力の元凶の生命反応がない」 私には何を入っているのかさっぱり分からなかったけど他三人が「でしょうね」って顔で頷いたので黙っていた。 「この人の元旦那が厄介な事になる前にさっさと片付けた方が良い。 家は分かるか?」 手首を持ったまま至近距離で見つめられて物凄く怖くて怯んでしまった。 でも…刺青がなかったらおそらくとても綺麗な顔にドキドキしながら頷いた。 カウボーイハットをかぶった人が「ロイタ」 刺青の男性が「靂(レキ)」 黒髪のハーフアップが「朱築(アカツキ)」という名前らしい。 不思議な名前ばかり。 本名かな? 朱さんは年下だから呼び捨てで良いとヒナさんに言われた。 ヒナさんも年下だから本来は呼び捨てで良いと言ってくれたけど、私にとって彼女は恩人だから抵抗があった。 間を取って「ヒナちゃん」と呼ぶことにした。 ヒナちゃんと呼ぶと、彼女は少し照れ臭そうにしていた。 どれも珍しい名前だと思っていたけど、私の名前をいうと 「変わった名前だな」 とストレートに朱に言われた。 朱は見た目の圧が凄くて怖かったけど敵意があるわけでもないし、話すと裏表のない人で安心した。 ロイさんの車で移動することになった。 助手席には靂さんが座っている。 二人は同期で仲が良いと朱が教えてくれた。 朱を真ん中に後ろは三人で座った。 ロイさんに 「朱~両手に花じゃねぇか! 俺なんか治安の悪い刺青野郎が隣だってんのにずるいぞ~」 と笑っていた。 ロイさんは親戚のおじさんみたいな雰囲気を持っている。 優しいし、気さくだし、身内に一人いそうな感じ。 暗くならないようにしてくれてるのかな。 私がクスクス笑うと、それを見てロイさんも笑ってくれた。 朱は抑揚なく笑った。 本当に、一定音で「はははは」と言った。 そして「花ではなく、人間だ」とハッキリ答えた。 …冗談が通じない人らしい。 やっぱりちょっと、変わってるかも。 なんとも言えないため息が出た。 ふと、奥を見るとヒナちゃんは疲れているのか寝てしまった。 そうだよね、神社の仕事もあるのに突然私から連絡が来て、一緒に待っていてくれた。 疲れちゃったよね。 朱側にヒナちゃんがもたれ掛かるとロイさんに茶化されていた。 高速を使っても、目的のマンションまではけっこうかかる。 前の二人は何やら世間話をしていた。 所々ワードを聞こえてきても私にはさっぱり分からない。 仕方ないから窓から外を見ていた。 蘭子、夢じゃないんだね。 もう、会えないんだね。 「…」 受け止めるだけじゃなくて受け入れなきゃ。 分かっているはずなのに。 小さくため息をつく。 すると、 「俺も妹を失った」 突然、朱がこちらを見ずに話かけてきた。 …妹さんがいたんだ。 「…そうだったの、辛いね」 私はなんと言えば良いか分からず、そう答えた。 「7歳だった。 君の妹と同じく、呪い殺された」 朱はまっすぐ前を見たまま話した。 「そんな小さな子を…?酷い」 どんな呪術なのか分からないけど、体験したから分かる。 怖くて、辛くて、痛くて。 そのまま死んでしまうなんて…酷すぎる。 「だから俺は、この仕事をしている」 「…そっか」 続く言葉が見つからず、私は黙ってしまった。 まだ、私はこの人達の仕事も、ヒナちゃんが呼んだ経緯も分からない。 でも、ヒナちゃんと同じく専門の人なのは分かる。 何と言えば良いのかわからないけど明らかに今まで出会った人達と雰囲気が違う。 ロイさんがまだ一番私に近い気がする。 ヒナちゃんは巫女さんだからってフィルターがかかっていたけど雰囲気が少し不思議だと思う。 怖いとかではなく、神聖な感じ。 靂さんが一番人間っぽさが感じられない。 手首を触れられたときも笑ってくれた時も「物体」というのか、とにかく同じ生き物に感じにくかった。 …なのに、とてもドキドキした。 それに優しいんだろうなって思ってしまった。 不思議な感覚。 朱はとにかく人間的な柔らかさがない。 目は据わっていてほとんど動かない。 動揺したり考えたりする時に人間の目は動くはずなのにそれがない。 動きもコマ送りで遠くにいたと思った瞬間隣にいる。 まぁ彼は、ただただ変わった人なのかもだけど。 でも、こうして自分のことを打ち明けてくれた。 だから、決して悪い人ではないと分かる。 「…私は貴方と違って義理の妹なの。 付き合いもまだ数年で、辛いし悲しいことは確かだけど。 実の家族を殺される方が、…ずっと悲しいね」 辛い過去を話してくれた朱を、気遣ったつもりだった。 彼は幼い妹を失っているから。 呪殺ってことは…きっと悲惨な最期だと思ったから。 「なぜ、決めつける?」 それなのに、彼の声は同意ではなく、ピンっと張り詰めて冷たかった。 「話を聞く限り、君の義妹は誰よりも君を思い、君のために動いた」 機械のように淡々と話す彼の言葉が心に刺さる。 …そんなこと、分かっている。 いつも傍にいてくれた私の大切な子。 本当に色々な場面で支えてくれた。 「婚約者の兄ではなく、元々他人であった君のために泣いて笑って喜んで助けた存在は立派な家族だ。 血の濃さは家族の定義に関係はない」 …そうだよね。 私のために蘭子は周りも気にせず怒ってくれた。 私の変わりに、全て言ってくれた。 ああ、やばい。 蘭子がもういないことをどんどん実感してきた…。 「本当にショックを受けたとき、人間は泣けないし呼吸を忘れる。 君の目には涙の跡が見られなかった」 「…!」 胸がキュッと締め付けられるようだった。 「俺も、まだ泣けていないんだ。 自分と向き合う前にセーブしてしまったから。 もう、数年前の事だが。 ただ、それは間違っていると思う」 私と朱の会話を聞いていたのか、バックミラー越しに靂さんがこちらを見た気がした。  「君は今、妹さんの死を受け止めた方がいい。 そして前進するために感情を吐き出す必要がある」 まっすぐ前を見ていた朱がこちらを向いた。 目があった時にニコっと笑ってくれた。 さっきまでとは違う暖かくて優しい顔。 「大丈夫。初対面だが、傍にいる」 この人は、本来こんなに暖かい表情なのかな。 仕事柄感情を抑えているのかな。 ーーーどれだけ辛い思いをしたのかな。 そう思ったら抑えていた色々なものが込み上げてきた。 泣いて良いんだ。 受け止めて蘭子を、弔いたい。 私を助けて守ってくれた彼女のためにこの呪いを終わらせたい。 「っ…うん、ありがとう…」 私は朱にお礼を伝えた。 と、朱が自分の着ていた上着を私に被せた。 「隣がヒナでなくて申し訳ない」 そう言うと頭をポンッと優しく叩かれた。 私は朱の上着を頭からかぶり、泣いた。 声を出して泣いてしまった。 たくさん助けてくれてたくさん支えてくれて私のためにいつも動いてくれた大切な妹。 どんなに苦しかったんだろう。 痛くて絶望したよね。 怖かったよね。 私は何も出来なかった。 ごめんね。 悔しくて辛くて許せない。 全部全部感情に任せて泣いた。 ロイさんも靂さんもこちらを伺ってこなかった。 ヒナちゃんは起きなかったし、朱はそれ以上何も言ってこなかった。 いつの間にか泣き疲れて眠っていた私を朱が起こしてくれた。 数日前に行った、元旦那のマンションに着いたらしい。 5人で玄関まで行く。 運良くオートロックではなかったけど、何号室かまではさすがに分からない。 このご時世、名字が書いてあることは珍しい。 「問題ない」 靂さんが言った。ポストをじっと見る。 と、「502号室」 …え、なんでわかるの?というか本当にそこなの? 「ちょっと~格好いいとこ見せちゃって色男~」 ロイさんが茶化す。 「ちぇー俺の出番無し!」 悔しそうにファイリングした資料をちらつかせる。 「…ちなみに正解♪」 いやいやいや、なんで分かったの。 ロイさんが楽しそうに言うと、靂さんを先頭にぞろぞろ階段に向かって歩き出した。 呆然とする私にヒナちゃんが 「靂さんは透視が使えるの。 乙桃ちゃんにさっき触った呪力を記憶したから、それと同じものをポストから感じ取った。 …治りかけのアザから見つけ出すなんてあの人くらいしか出来ないと思うけど」 そう、教えてくれた。 説明してくれたけど! 理屈はまぁ理解できるけど! …怖すぎる。  透視ってテレビでよく見るインチキだと思っていたから…ただただ驚いてしまった。 ひきつった顔で話を聞いているとヒナちゃんはフフっと笑い 「ちなみにロイさんは元警察なの。 未だに難解な事件に協力しているから内部にちゃんと仲間がいるんだよ。 さっきの資料も関係者を全部洗い出してまとめてもらった。 私が電話してからすぐにまとめて持ってきてもらったんだよ。 靂さんがいなくてもなんとかなるよう最終手段。カンペみたいな感じかな」 そう付け加えてくれた。 …ってことは、私が教えなかったとしてもこのマンションも本当は分かっていたってこと? 「でも、全てを頼っていたら自分で考えて動く力が鈍ってしまうから。 それは私達のような仕事では致命傷なの。 なるべく警察に頼らずに解決しないとね」 呆然としている私に向かって、ヒナちゃんはいたずらっぽく笑った。 物凄く可愛い笑顔だった。

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桃色護り神5~7の刻

桃色護り神1~3の刻

箱庭に来る前、私は本当にどこにでもいる人間だった。 学力も運動神経も「普通」くらい。 お父さんとお母さんと3人暮らし。 友達と、時々彼氏がいた。 大学を卒業した後に一般企業に就職し、そこの上司と恋に落ちた。 社会人一年目であっという間に社内結婚をして寿退社。 お母さんは 「せっかく働き出したかと思ったらすぐに辞めてしまうんだもの、何のために大学まで出したんだか」 と呆れていたが、その何倍も喜んでくれた。 お祝いにたくさんのプレゼントと結婚式の資金を用意してくれた。 豪華で盛大な結婚式。 たくさんの人に見守られながら、チャペルで愛を誓った。 友達に、勤め先の同僚に、大切な家族にお祝いされて幸せだった。 この幸せがずっと続くと思っていた。 優しい両親。 優しくてカッコいい旦那さん、倫太郎。 実の娘のように可愛がってくれる義両親。 しっかり者で頼りになる可愛い義妹、蘭子(ランコ)。 みんなが大好きだった。 でも、この幸せに慣れるのは早かった。 すぐに物足りなくなった。 優しくて大切にしてくれるのが当たり前で、それだけでは満たされなくなった。 幸せなはずなのに、私は寂しかったのかもしれない。 周りの友達は、社会人として楽しそうだったから。 新婚生活の話を楽しそうに聞いてくれるけど、仕事の話になるとついていけなかった。 自分のお金で買ったブランド物の財布やバック。 整えられたネイルや、可愛いアクセサリー。 専業主婦になって、倫太郎からのお小遣いで買い物をしている私には持てないものばかりだった。 羨ましさと少しの嫉妬心。 いつの間にか「子供」に執着してしまうようになった。 結婚でしか手に入れられない幸せだと思ったから。 私にも、幸せだって自信を持って話せる内容が欲しかった。 結婚して一年経っても、私達夫婦には子供がいなかった。 何度トライしてもなかなか恵まれない。 なるべく、早く欲しかった。 だから生理が来る度に焦っていた。 「今回もダメだった」 そう思いながら毎月へこんでしまう。 手を洗いながら洗面所の鏡の前で深いため息を吐く。 ブライダルチェックで特に引っ掛かる項目はなかった。 至って健康体で大きな病気もしていない。 なのに、どうして。 モヤモヤと心に黒い感情が蓄積されていく私とは違い、倫太郎は呑気だった。 「まだ新婚なんだし、二人の時間を楽しもうよ!! 乙桃は俺より若いし、焦る必要ないじゃん。 まだまだ遊びたいしさ俺」 と、笑っていた。 二人の時間…。 倫太郎は仕事が忙しくて休みの日はほぼ寝ている。 おでかけは中々出来ないし、外食も滅多にしなくなった。 夫婦になってから、デートも旅行も全然行っていない。 それなのに、彼からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。 彼の収入だけで生活しているから、強くは言えない。 大手企業に勤める彼のお給料は高い。 私がパートにでなくても不自由なく生きていけるくらいに。 倫太郎は、この生活からまだ変化したくないのかな。 確かに私はまだ24歳。 子どもがいても不思議ではない年齢であると同時に、まだ結婚せずに遊んでいてもおかしくない年齢。 でも、子どもがいればもっと生活が楽しくなると思うから。 両親だって、初孫を結婚以上に喜んでくれる。 両親が私にしてくれたみたいに大切に育てて愛してあげたい。 若くて体力があるうちに子育てをしておけば、将来倫太郎との時間もたくさんできる。 家族の思い出も、たくさんできる。 「赤ちゃんが、欲しい」 きっと、もっと幸せになれる。 親孝行ができる。 私にしか味わえない幸せに…浸りたい。 そしたらきっと、寂しくなくなる。 25歳で絶対妊娠して出産したい。 そんな私の願望は、いつの間にか意地に変わった。 子供を宿すことへの執着心が生まれていた。 一人で妊活を始めた。 ネットでおすすめされている食べ物、サプリ、水、体操、生活スタイル。 片っ端から試した。 ご利益のある神社やパワースポットに出向き、倫太郎からのお小遣いに加えて預かっている生活費も使った。 検温を欠かさず行い、周期を徹底把握した。 赤ちゃんが出来そうな日は倫太郎の都合関係なく絶対に寝ないで彼の帰りを待っていた。 倫太郎はだんだん私の真剣さに距離を置いていった。 「仕事で疲れてるんだから寝させてくれよ」 うんざりした顔でそう言われる。 「なんで?私のこと大切じゃないの?!」 私はそんな事を言いながら引き下がらなかった。 行為が義務に変わっても、そこに寂しさを感じない程の執着心。 ーーーなんで、倫太郎と結婚したんだっけ? 私、倫太郎のどこが好きだったんだっけ? そんなことを思うようになっていた。 妊娠したのは26歳を迎える直前だった。 やっと、やっと願いが叶った。 神様に、私の気持ちが届いたんだ…。 病院で懐妊を聞いた時、嬉しくてその場で泣いた。 すぐに倫太郎にLINEをする。 安定期に入るまでは大々的に言わない方が良い、 ーーと言う倫太郎の助言を無視して、両家族に報告した。 両親は喜んでくれた。 義両親はすぐにお祝い金を用意してくれた。 「何よりも身体を大切にね」 そう言って笑顔で祝福してくれた。 お父さん、お母さん。 そしてお義父さん、お義母さん。 みんなの笑顔が優しくて、とても嬉しい。 …心が暖かくなり満たされていった。 蘭子は安定期に入る前から赤ちゃんグッズを色々と買ってくれていた。 女の子でも男の子でも使える靴下、よだれかけ、おもちゃ。 自分のことのように生き生きとしている蘭子が愛おしかった。 会う度に、何かしらプレゼントをくれる可愛い義妹。 妊娠してからは身体を気遣って、よく家事の手伝いに来てくれた。 「義姉さんに似たら性別はどっちでも可愛いね」 そう言ってお腹をなでてくれた。 持ってきてくれたお茶菓子を食べながら、のんびり過ごす。 最近は倫太郎より蘭子とテーブルを囲む事の方が多くなっていた。 「ありがとう、まだ信じられないの… やっと、私達のところに来てくれたんだよね… 早く会いたいなぁ」 蘭子と同じく、私もお腹を撫でた。 倫太郎とは、妊活中に少し距離が出来た気がする。 私が、子作りに積極的過ぎた事が原因だと思う。 でも、仕方なかったと思ってる。 倫太郎と二人暮らしなのに、彼は帰りが遅い。 休みの日はゆっくり寝ているからデートもない。 二人の時間が少なくなっていた。 一日中、家事をして買い出し以外は基本自宅で一人ぼっち。 たまに友達と遊んでも、彼女達は仕事に恋に忙しそうで生き生きしている。 会話をする度に、遠いところへ置いていかれた気分を味わっていた。 私の方が、先に幸せを手に入れた筈なのに。 みんな、羨ましがってくれているのに。 とても…寂しい。 倫太郎が満たしてくれないなら、子供を授かって家族に専念するしかない。 だからたくさん行動して、お願いして、頑張ったの。 きっと赤ちゃんが産まれれば、倫太郎は変わってくれるはず。 二人で協力して育てていこうって歩み寄ってくれる。 だから…赤ちゃんを産むまでの辛抱だ。 私はもう、一人じゃない。 寂しくも…ない。 妊娠中の体には徹底的に気を使った。 食べるもの、身に付けるもの、スキンケア、触れるもの。 とにかくこだわった。 思い返せば、怖いくらいの真剣さだったかもしれない。 可愛いくて皆に愛される赤ちゃんを産みたかったから。 誰よりも健やかに育ってほしかったから。 私の身体に負担がかかることは、赤ちゃんにも負担がかかる。 私が体内に取り入れるものは、そのまま赤ちゃんの栄養になる。 そう思うと、今まで意識していなかった何気ないことが突然怖くなった。 スーパーで買った食材の荷物を持ってくれないだけで、倫太郎にその場で怒ってしまったり、飲み会でたばこの匂いをつけて帰ってきた日は、ヒステリックになってしまい泣きわめいて寝室にとじこもった。 最初は謝ってくれていた倫太郎もいつの間にか、ため息混じりにあしらって逃げるようになっていた。 私が妊娠したことをあまり喜んでくれていないのかな。 なんとなく、非協力的に感じていた。 私のことを異常者を見る目で見ている。 お腹が大きくなっていく私に対して特に興味無さそうで、寂しかった。 …倫太郎は分からないんだね。 二年かかってやっとできた待望の大切な赤ちゃんなのに。 必死になるのは、当たり前なのに。 きっと実感できる術がないから平気で夜遅くまで飲み歩けるし、何事にも私に気を使えないんだよね。 …異常なのはそっちじゃん。 私もそんな考え方をしてしまい、話し合ったり、倫太郎の考えていることを知ろうともしなかった。 赤ちゃんに代わりはいないから。 この子は私しかいないから。 出産したら生活費として、一緒にいれば良い。 それくらいの覚悟はできてる。 彼のことを損得勘定で見られるようになったことが不思議だった。 数年前は倫太郎の事で頭が一杯だったのに。 新入社員の私に対して、いつも優しくフォローしてくれた上司。 残業していたら一緒に残って手伝ってくれた。 付き合ってからはまるでお姫様みたいに大切に接してくれた。 プロポーズされた時、世界で一番幸せだって心の底から思ったのに。 彼はきっと、もう私のことめんどくさい嫁くらいにしか思っていない。 でも、いいの。 あと数ヵ月で会える。 赤ちゃんとの対面を楽しみに生きていくんだ。 なのに。 私は流産した。 あれだけ気を使っていたのに。 原因がわからないって言われた。 安定期に入っていたのに。 先生も言葉を濁していた。 原因不明なんだって。 現実を受け止められず私は荒れに荒れた。 中絶手術の日、私はずっと身体が震えていた。 私の今まではなんだったの? 赤ちゃんは、私を選んで来てくれたのに。 どこで間違えた? 何を失敗した? 何がいけなかった? なんで? 赤ちゃんが、苦しい思いをしなくちゃいけないの? 私のせいで、生まれる前に死んでしまう。 ごめんなさい。 ごめんなさい。 どれだけ考えても分からなかった。 堕胎した日からぽっかり心に穴が開いてしまった。 両親は何も言わず私を支えてくれた。 辛かったら実家に帰ってくるよう何度も提案された。 「少し身体を休めなさい、お父さんと3人で美味しいもの食べよう」 そう言ってお母さんは定期的に電話してくれた。 義両親も気を使い、出産祝いに用意してくれたお金を自分の好きに使うよう言ってくれた。 誰一人、責めたりしなかった。 蘭子は、ずっとそばにいてくれた。 一緒に泣いてくれた。 「義姉さんは何も悪くないよ、誰も悪くないから、泣かないで」 そう言って抱き締めてくれた。 倫太郎だけは知らん顔だった。 「赤ちゃんが、死んじゃった」 体調を壊して病院へ行った日。 赤ちゃんが、もう動いてないと言われた日。 勇気を出して、そう、精一杯伝えた。 でも、 「そっか…また頑張ろう」 こちらを見ずに返してきた。 スマホから、目を離さずに。 本当に、興味が無いって痛感する態度だった。 手術の日も夜遅くまで帰ってこなかった。 悲しいはずなのに、倫太郎の態度が、私への気持ちが、あまりにも分かりやすくて感情が追い付かなかった。 赤ちゃんの遺骨を神社に持って行って供養することを蘭子からすすめられた。 離れられなくて、ずっと私が手元に置いていたから。 「義姉さんが嫌じゃなかったら、私も行くよ? ダメかな?」 そう言ってくれたけど 「もう少しだけ待って」 そう断ってしまった。 離れたくない。 確かに私のお腹の中で生きていた赤ちゃん。 供養してしまったら、本当にサヨナラをしているみたいだったから。 もう、私にはこの子しかいないの。 いつの間にか倫太郎は、不倫している。 彼から香る、女物の香水。 隠す気がないのかと思うくらい彼は家に帰ってこない。 …独りになっちゃったな。 寂しくて悲しくて自分がとても必要の無い人間に思えてしまった。 それでも離婚はしなかった。 いや、できなかった。 そんな気力はなかったし、義両親と蘭子は、私のことをとても大切にしてくれていて大好きでいてくれたから。 「乙桃ちゃん、身体キツくない? 夜ご飯のおかず作ったからどうぞ!」 お義母さんは何かと理由をつけて、会いに来てくれた。 だから、あまり迷惑をかけたくなかった。 私のことを彼の家族が好きでいてくれるのを倫太郎も知っていたから、こんな時期に離婚なんて、とてもじゃないけど無理だったと思う。 それでかな。 なかなか倫太郎と離婚しない私に耐えかねた不倫相手の女の子が、呪いの力で私を殺そうとした。 それはある日突然だった。 いつものように家で塞ぎ込んでいた。 最低限の家事をして、ベッドの中で丸くなって泣いていた。 それが、嫌なルーティンになってしまった。 赤ちゃんのことが悲しいのはもちろんだけど、この先が見えなくて、怖かった。 ひとしきり泣いて、気持ちを落ち着かせる。 ため息をついて、ベッドから出ようとした。 その時だった。 突然体が、ビンっとのびた。 凄い力で手足が引っ張られるような感覚があった。 「ーーっ?!!」 私は仰向けで大の字になった。 体の関節が曲がらない。 しっかりと手足が伸びた、綺麗な大の字。 抵抗することが出来なかった。 呼吸以外、何も出来なかった。 目を閉じることすら出来ない。 え…なんなのこれ……落ち着いて。 落ち着かなきゃ。 大丈夫。多分、金縛りだよ。 自分に必死にそう言い聞かせる。 なんとかパニクらずにいられたけど、怖くて震えが止まらない。 大丈夫。 金縛りは科学的に証明されていて疲れていて夢と現実の狭間にいる睡眠の質が関係しているって。 テレビで聞いた気がする。 だから大丈夫、大丈夫だから落ち着かなきゃ。 そう思いたかった。 明らかにこれは違うと分かっていた。 突然身体が伸びて、ベッドに倒れこんだ。 怖くて分からないフリをしたかった。 体が動かないままベッドに張り付けられている現状を考えたくなかった。 何も分からず、ただ浅い呼吸を繰り返していた。 それから数分後、静かにガチャ…とドアが開いた。 鼓動が早くなる。 変質者…? 倫太郎、玄関の鍵をかけていかなかったの? 私の事がどうでも良いとしても戸締まりくらいはちゃんとしていってよ…。 怒りのおかげか、少し冷静になれた。 とにかく、この金縛り状態を解かないと。 これじゃ襲われても抵抗も逃げることもできない。 でも、残念ながらどうあがいても身体は動かなかった。 それに、ドアが開いただけで一向に誰も入ってこない。 …怖い。 不安に思っていると突然、何かが身体の上に乗る感覚があった。 「ひっ…」 声にならない悲鳴が漏れた。 心臓が止まるかと思った。 姿が見えない「ナニカ」がいる。 それが下腹あたりに乗っている。 と、 カーン 乾いた、何かを打ち付けるような音がした。 音と同時にお腹に走る激痛。 「カッ…はっ…!」 カーン 何かが身体に打ち込まれている。 太くて鋭利なナニカが。 姿が見えないのに。 カーン カーン  何度も何度も、同じ場所に打ち込まれている感覚。 音と同時に腹部に走る鋭い痛み。 意識が朦朧と…しない。 だめだ。 気絶できない。 痛くて痛くて仕方ないのに。  少しの間があって カーン また打ち込まれる音。 お腹の次は、お臍の辺り。 「っ…」 声も出せず痛みが走る度、絶望する。 だんだん打ち付けられる箇所が下がっていく。 次の場所は…おそらく子宮。 カーン 案の定、赤ちゃんのいた場所に痛みが走った。 怖さと痛さと悲しさ涙が出てきた。 嫌だ、そこは、やめて。 カーン カーン カーン 子宮の位置に何度も激痛が走る。 痛い。 嫌だ。 まるで藁人形だと思った。 何度も身体を抵抗する術なく痛め付けられている私は、呑気にもそんなことを思っていた。 必死に耐え続けると少し慣れてきた。 もう、何十分も身体に痛みを打ち込まれている。 …アドレナリンでも出ているのかな。 それとも覚醒状態になったのかな。 乗っている人物が見える気がする。 …若い女の子。 ものすごい形相で私を睨んでいる様だった。 手には大きな釘と金槌。 よく目を凝らすと、…倫太郎と同じ会社の胸章。 名札には「井上寧々子」と書いてあった。 この子が…彼の不倫相手なのかな。 私が寿退社した時代には居なかった。 きっと、倫太郎は私の時みたいに優しく近づいたんだろうな。 そんなことを朦朧としながら考えていると、ピンと動かない太ももに手が添えられる感触がした。 「粗大ごみ、捨てられろ」 耳のすぐ近くでそう聞こえて、一気に意識が冴える。 冷たくて、低い女の子の声だった。 そしてすぐ、ゴリゴリと膣に何かが食い込んでくる感覚がした。 「あっ…がっ…」 感じたことのない痛みと圧迫感。 下半身が裂けてしまうのではないかと思った。 そして…赤ちゃんを取り出した時の感覚を何故か思い出してしまった。 思い出して涙が溢れてきた。 痛い。 それに、悲しくて悔しくて堪らない。 カーン 「ぅ…うぅ…っ」 そのまま金槌で打たれる感覚。 子宮を破り、内蔵まで届く痛み。 誰か… 誰か助けて。 涙で滲む視界に見えるのは、相変わらず私の上に乗っている女性。 彼女は、笑っていた。 釘が突き刺さった感触が残ったまま私は呆然とする。 助けて。 身体が動かないの。 お腹も、膣も、痛くて感覚が鈍いのに、意識が途切れないの。 無抵抗で下半身から突き破られるような痛みに耐え続けていると、彼女の持つ釘が、ついに心臓に止まったように見えた。 (嫌…) 私は青ざめた顔で涙を流した。 懇願するように彼女の顔を見ると、口元をニタリと広げ、一直線にそして振り下ろされた。 …死ぬ。 瞬間的に察した。 嫌だ。 嫌だ。 嫌だ。 嫌だ。 死にたくない。 私はまだ、赤ちゃんを供養できていない。 ちゃんと、さよならできないまま、死ぬなんて… そんなの嫌だ!! 自分が許せないよ… 誰か…!!!!!!!!! 「たすけてっ」 そう叫んだはずなのに、声にならなかった。 杭が心臓に突き刺さろうとする、その時にだった。 「ギャアアアアアアア」 赤ちゃんの泣き声が耳をつんざき空間を揺らした。 ビリビリと痙攣する寝室。 振動で揺れるベッド。 あまりの衝動に私は、動けない身体を気力で踏ん張って、なんとか耐えていた。 ふと上を見上げると、私の上で彼女は苦しそうに痙攣している様に見えた。 驚いて衝撃を受けている顔。 白目を向いて頭を抱え泡を吹いていた。 私は理解が追い付かず、ただただ全身を震わせたまま失神した。 ピンポーン いつの間にか意識を失っていた私はインターホンの音で目が覚めた。 …体が、動く。 安心すると同時に小さく悲鳴をあげた。 身体が物凄く痛い。 特に打ち付けられた内蔵、子宮、膣は熱をもち猛烈に痛い。 「うう…」 痛みで唸り声を上げながら、何とかベッドから降りようと試みる。 (救急車…) スマートフォンを取ろうと手を伸ばしてギョッとした。 手首に、縄で縛られたような痕がくっきりついていたから。 「なにこれ…」 痛々しく残る痕が怖くて、とにかく助けを求めたかった。 ピンポーン インターホンが鳴った。 (…倫太郎…?それと…蘭子かな…) 誰でも良い。 とにかく玄関先の人間に助けを求めよう。 そう思い、必死に体を動かした。 「っ…」 動く度に痛みと身体の重さで諦めたくなる。 でも、今ここで心が折れたら、私は助からないかもしれない。 そう、思い気力で玄関先までたどり着いた。 モニターを確認せず玄関を開ける。 訪問者は蘭子だった。 ずるずると床を這いずり、出てきた私の姿を見て案の定、驚き悲鳴をあげた。 「義姉さん?!うそ…ちょっと!!」 弱々しく床に倒れる私は、その場で気絶した。 後から聞いた話によると、その時の私は手首に縛られたような痕を付け、膣からは出血していたみたい。 すぐに救急車で搬送された。 緊急手術を受け、なんとか一命を取り留めた。 でも、内蔵はえぐられたような穴が開いて損傷していたらしい。 時に子宮はぐちゃぐちゃになっていて ーーーーーーもう二度と妊娠は出来ない状態だった。 なのに、日常生活を送れるまで私は回復はした。 翌日には目を覚まし、意識がしっかりしていた。 もちろん、しばらくは絶対安静だったけど。 先生は言葉を濁しながら私の身体の状態を伝えてくれた。 言葉は、理解しているはずなのに分からなかった。 全然上手く飲み込めなかったし、考えられなかった。 原因はよく分からなかった。 内蔵も子宮も、大ダメージを受けたのに私はちゃんと生きている。 痛みも少ないし、身体がちゃんと動く。 …こんなこと、起こりうるんだ。 なんて思いながら病室のベッドでぼーっとしていた。 手首に付いた痕は青アザになり、消えなかった。 原因が分からない、こんなことは初めてだと担当してくれた先生は気味悪そうにしていた。 倫太郎は見舞いに来なかった。 仮にお見舞いに来られても追い返すと思う。 だって、原因は多分…彼の愛人。 倫太郎の顔を見たら、あの時の痛みや恐怖を思い出して私はパニックを起こすと思う。 こんなひどい怪我をしたのに、お見舞いに来ないのは罪悪感からなのかな。 なんとなく、冷静にそう思えた。 蘭子は時間をつくってたくさん来てくれた。 「回復してよかったよ… 義姉さんを見た時、本当にびっくりして、命に関わるような怪我だったらどうしようって…怖かった。 …ねぇ、一体何があったの…?」 可愛い義妹は、私に会う度に泣きそうな顔でそう聞いてきた。 だから私は、正直に話してしまった。 一人で抱え込めなかったし、蘭子なら受け止めてくれるかもって思ったから。 蘭子は驚き、ショックを受けていた。 けど、私の話を信じてくれた。 「義姉さん、退院したら、お祓いに行こう…!! 気休めかもしれないけど、そんなことが起こるなんてどう考えても異常だよ。 このままじゃ、また…いつ、どこでその人に何されるか分かんないよ! お願い…!!私が一緒に行くからっ!」 蘭子は泣きながらそう言った。 私はその提案に、頷くことしか出来なかった。 「義姉さん、まだ赤ちゃんの納骨もしていないでしょ? それも含めてちゃんとした神社に行こうよ… 私、ちゃんとした所探しておくから!」 そう言われて、再度頷いた。 彼女の優しさが嬉しかった。 一ヶ月後。 私の内蔵は、子宮は、膣はほぼ完治していた。 内蔵は本来の機能を取り戻し、食事も運動も普段通りにして良いと許可が降りた。 子宮は、形こそ元通りになったけど、機能していないと言われた。 これが…あの女性の目的であり、呪いなのかな。 私から倫太郎を奪うには、子供は邪魔になる。 二度と私が妊娠できないような身体になれば離婚する確率が上がる。 お互い愛していない夫婦が一緒にいる理由が少ないから。 そう、考えたのかもしれない。 …そんなことしなくても、言ってくれれば離婚するのに。 私は倫太郎を奪われただけでなく、今後の希望も奪われたんだよ。 もう、赤ちゃんが産めない。 その現実に理解が追い付かず、悲しむことも泣くことも出来なかった。 退院して向かった神社は、水子供養もしてくれる、とても大きくて歴史のある所だった。 蘭子が必死に探してくれて、連れてきてくれた。 私は今回の事で、赤ちゃんとさよならをする決心がついた。 いつ、自分が死ぬか分からない。 そう痛感したから。 大切な存在とのお別れは、ちゃんとしておきたい。 赤ちゃんのことで…後悔したくない。 そう思えるようになった。 神社の受付場所で蘭子が事情を話すと、中に案内された。 待合室のような場所に通され、そこで座って待つように言われた。 静かな空間に、蘭子と隣同士でポツンと座る。 緊張するな… お祓いって初めてだし。 そう思い蘭子を見ると、彼女も心なしか緊張しているようだった。 しばらく待っていると、若くて綺麗な女の子が入ってきた。 私より年下のその子は、凛とした空気を纏っていた。 20歳前後…かな? 蘭子と同じくらいに見えるけど。 巫女装束を着て私たちの前に立った彼女は、私を見て一言、 「貴女…呪われていますね」 とハッキリ言った。 突然の一言に私と蘭子は困惑した。 「何があったか教えてもらえませんか?」 その女の子は淡々とした口調で更にそう言った。 とてもクールで冷めた感じだけど、嫌な言い方ではなかった。 私はポツポツと、事情を話した。 巫女姿のその子は、最後まで口を挟まずに話を聞いてくれた。 「…その不倫相手が貴女を呪っています。 藁人形を使って貴女を殺そうとした。 そしてそれを…貴女の亡くなったお子さんが助けてくれたのでしょうね」 持ってきた赤ちゃんの遺骨を見て、そう言った。 とても自然だったからびっくりした。 確かにあの時、赤ちゃんの泣き声が聞こえた… から信じられないわけではない。 …そっか。 私のために、亡くなってからも頑張ってくれたんだ。 そう思うと、もう無理なのに、無性に赤ちゃんに会いたくなってしまった。 いつの間にか、涙が頬を伝っていた。 色々な思いが込み上げてきて、私は泣いてしまった。 すぐに私の様子に気がついた蘭子が、手を繋いでくれた。 その様子を見て、巫女姿の女の子が静かに口を開く。 「私がお祓いをします。 貴女の赤ちゃんも、責任をもってここで供養します。 …たくさんお母さんのために頑張ってちょっと疲れちゃったみたいなので、ゆっくりと休んでもらえるように守っていきますから、安心してください」 「っ…ありがとう…ございます…」 産まれる前から、私のせいで頑張らせてしまった。 私はまだ、赤ちゃんに何も出来ていなかったのに。 小さくて、まだ不完全だったのに。 私以上に苦しかっただろうに。 ちゃんと供養もせず、毎日泣き顔を見せてしまった。 それなのに、自分勝手な私のために頑張ってくれた。 そう思うと、悲しくて寂しくて辛かった。 声を上げて泣く私を、巫女姿の女の子は黙って見つめていた。 「義姉さん、大丈夫だよ…」 いつの間にか蘭子も一緒に泣いていた。 背中をさすって落ち着かせようとしてくれている。 「…気持ちが落ち着いたら、お堂でお祓いを致しますので、今は全部、吐き出してくださいね。 準備が出来たら、部屋から出てください」 巫女姿の女の子はそう言うと、一礼して部屋を後にした。 泣きじゃくる私の代わりに、蘭子が返事をしてお辞儀をしてくれた。 お祓いは初めてだった、どれくらいで終わるものなのか分からないけど、おそらくかなり時間がかかった。 私は大きなお堂に正座して目を瞑っていた。 巫女姿の女の子の唄と舞を、耳と気配で感じながら必死に終わるのを待っていた。 終わった後、女の子は少しぐったりした顔で疲れているように見えたから相当「呪い」が大きかったのかな。 お堂から出る頃には身体がとても軽かったし、すっきりと晴れやかな気持ちだった。 赤ちゃんは、巫女さんが水子供養の専用墓に納骨してくれる。 毎月ちゃんと供養の念を唱えて、寂しくないようにおもちゃやお花を飾って、管理してくれるって。 なるべく定期的に会いに訪れたいと思った。 幸いにも、この神社は家から遠いわけではない。 電車やバスでも行ける距離だった。 青く痛々しかったアザはいつの間にかだいぶ薄くなっていた。 「大変お世話になりました」 深くお辞儀をして巫女姿の女の子にお礼を言い、帰ろうとすると、呼び止められた。 蘭子は気を遣ったのか、車で待ってると言ってくれた。 二人きりで向き合う。 無言の時間が数秒続いた。 「あの…?」 私がまだ何かあるのかと不安に思い、声をかけると、女の子は、名前と携帯番号を書いた名刺をくれた。 裏には、神社の住所と電話番号も書かれていた。 「普通のお祓いとは違い、少し特殊なケースだったので… 何かあった時にまた、ご連絡いただけたらと思って… 緊急の場合は私の携帯の方が判断が早いかと思います」 「そんな…ご丁寧にありがとうございます…!!」 私は再度、深くお辞儀をしてお礼を伝えた。 御菩薩池 緋南と書かれた名前は、なんて読むか分からない。 ただ、この巫女さんと合っている名前だと思った。 私が名刺を見つめていると、 「ヒナって言います」 と笑いながら教えてくれた。 …ヒナさんは年下なのに凄く落ち着いていて達観しているような雰囲気だった。 巫女装束が凄く似合う神聖な見た目。 それに、すごく珍しい赤みの強い色の瞳。 引き込まれそうな、素敵な人だ。 「あ…わ、私は乙桃です」 私も慌てて下の名前で自己紹介をした。 受付では、名字しか伝えていなかったから。 「おと…?」 「はい、珍しいってよく言われます」 照れ臭くて笑うとヒナさんも 「素敵な名前で羨ましいです。 また何かあったらいつでも連絡くださいね」 そう言って笑ってくれた。 その後、蘭子に自宅まで送ってもらい私は寝室へ向かった。 退院して間もなくの外出だったから少し疲れてしまった。 遅くなるといけないからと、倫太郎の夜ご飯は用意してある。 私が先に寝ていても、勝手に温めて食べられるように準備してあれば文句もないだろう。 ご飯もちゃんと炊いてあるし。 パジャマに着替えてベッドに横たわりスマホを開く。 ヒナさんの携帯番号を登録すると、ラインの友達かもに出てきた。 迷ったけど、思いきって友達追加した。 いつのまにか、ヒナさんに惹かれていた。 たった数時間しか会っていないし、そんなに話もしていないけど、縁を、なんとかして繋げたかった。 「こんばんは。 今日供養とお祓いでお邪魔しました乙桃です。 勝手に追加させてもらいました。 改めて、ありがとうございました」 たったこれだけの文章を考えるのに手間取った。 何度も文字を打ち込み、消して、打ち込み… 緊張しながら送信して、スマホを閉じる。 ため息をついて顔を枕に埋めた。 まるで片想いの人に初めてラインを送った様なドキドキだった。 勝手に追加するの、うざかったかな。 気持ち悪いって思われたかな。 そもそも緊急の時以外に連絡するなんて…非常識だったかな。 枕をかかえながら、私は一人で考え込んでいた。 数分後、 ピコンッ LINEの通知が来た。 急いでスマートフォンを開いて確認すると、ヒナさんからだった。 「こちらこそ、今日は来てくれてありがとうございました。 ゆっくり休んで、また様子を報告しに来てください」 返信が来たことと、その内容に安心して口元が緩む。 絵文字やスタンプがない、シンプルな文章がヒナさんらしくて嬉しかった。 そこから時々ヒナさんと連絡を取り合っていた。 そこで私が受けた呪いの話になった。 やっぱり、私はあの時藁人形に見立てて痛みを受けていたらしい。 呪いに利用された藁人形が「本物」で、本来はその道のプロが、組織単位で呪術を行う際に用いるような代物だったんじゃないかと言われた。 だから私は普通はあり得ないような身体の破壊があったみたい。 なぜ一般社会に出てしまったか分からないけど、闇マーケットか何かで売られていたのかもしれない、と。 だから本来は後遺症もなく健康体に戻れないらしい。 「あなたの体質なのか、呪術を行ったのが一般人だったことで完全に成功しなかったのか、赤ちゃんが守ってくれたのか、正解は分からない。 でも、完全に手を出せなかったのは事実だから。 きっとこの先も、何か攻撃を受けても大丈夫」 そう言ってヒナさんは安心させてくれた。 「でも何か体に異変を感じたら連絡を下さい。 どんな些細なことでも、絶対に」 念を押されたけど、この先はもう、ヒナさんに呪い関係でお世話になるのは嫌だな… 怖いのはもちろん、二度とあんな痛い思いしたくない…。 そう思いながら「分かりました」と返信をした。

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桃色護り神1~3の刻

箱庭挨拶回り(終)火と土の組/翌日談

ビルから少し歩いた所に、大きな神社があった。 朱色が鮮やかで美しい鳥居。 それをくぐり、大きな石の階段を上りきった先には、睡蓮の花が咲き乱れる大きな池があった。 優雅に鯉が泳いでいる。 近くには墓苑があり、小花がたくさん咲いている。 この空間は「極楽浄土」という言葉がぴったりだった。 それくらい、なんだかきれいな場所だった。 「ここは私の職場である土の組。 斎螺、君が働く場所だよ」 葬さんが教えてくれた。 こんな綺麗な場所が仕事場…?本当に? 呆気にとられていると、 「今日はみんないるから。 といっても2人だけどね。  すぐに挨拶できちゃうよ」 と笑って葬さんは、先を歩いていった。 神社の近くに、公民館のような小さな建物があった。 中に入ると、人が2人。 入ってすぐある大きなテーブルで、一人はコーヒーを飲みながらテレビを見ている。 もう一人はクッションに顔を埋めて寝ている。 葬さんが 「おまたせ。 傘を連れてきたよ」 そういうと長髪の男性がこちらを見た。 こちらははコーヒーを飲んでいた方。 「お~待っていたぜ~傘ちゃんよ~」 テレビを切って、こっちに向き直り立ち上がった。 長髪のパーマ髪を1つで縛ったその男性はどことなく宝来さんに似ている。 「俺は宝来路ヰ多。 ロイさんって呼ばれてるけど、好きに呼んでくれよ~よろしくなぁ」 …同じ名字だからもしかすると家族なのかな。 息子さんとか? ちょっとワイルドな感じの見た目。 宝来さん同様、ガハガハと豪快に笑った。 気の良いおじさんって感じがする。 「ロイさんが土の組の中長だよ。 お面を取って、顔を見せてあげて」 優しく葬さんに言われて素直に面を取る。 「おう、どうぞどうぞ! 眼を見てお話ししようぜ~」 そう言いながら、私の顔を優しく見つめていた。 と、お面を外した私と目があった瞬間、ロイさんは突然こちらにズカズカ近づいてきた。 「ひっ」勢いに驚き葬さんの後ろに逃げようとする。 けど、間に合わずに肩をしっかり掴まれてしまった。 「え?!」 私が驚いていると、 「おいおいおいおい…葬!! お前は良いご身分だなぁ! こんなべっぴんさんのお世話を四六時中してたのかよ! 斎螺ちゃん、大丈夫だ!! 俺が中長として面倒見てやる! 邪視なんざどうにかしてやるから頑張ろうな!」 そう言って肩をぶんぶん揺らす。 「あっは、はいっ!!」 私はびっくりしながらなんとか返事をした。 近い…!! 大人の男性の…セクシーな香水の香りがする。 葬さんが珍しくあきれたように笑い、私とロイさんを引き剥がしてくれた。 「これでも凄い人なんだよ。 ちょっとだけ…若い女性が好きな人でね… 困ったらなんでもしてくれるから遠慮なく言いなさい」 と、こそっと教えてくれた。 「おーい!睡(スイ)、起きろ!お前も挨拶しろよ! 新しい同僚さんなんだから!」 睡と呼ばれた男の子は机にクッションを置いてつっぷしていた方。 と、よく見ると近くに…蚕蛾?がいる。 クッションの近くにいたことと、大きさが、普通のそれとかけ離れていて全然気がつかなかった。 蚕蛾は指にちょこんと乗るサイズが一般的なのにこの子は、寝ている彼の頭くらいある。 …生きてるよね? ぬいぐるみみたいで、ふわふわもふもふ。 キョトンとした顔でこちらを見た。 まるで、意思があるみたいに見つめてくる。 か、可愛いけど…虫…ちょっと苦手かも…。 そんなことを思いながら恐る恐る彼に近づく。 「あの…はじめまして。 傘斎螺です…」 私がなるべく蚕蛾を見ないように遠慮気味に挨拶をした。 彼はまだ、クッションに突っ伏したまま。 「お面をつけてくれない?」 消えそうな、儚い声。 男の子…だよね? そう思うくらいか細くて中性的な声だった。 そして、慌てて面をつけて 「付けました」と伝える。 するとゆっくり睡君はこちらを見た。 眠そうなおっとりした顔。 童顔で、濁った灰色の瞳がこちらを見た。 「ごめんね、 僕は面をつけて貰えないと君と話が出来ないからさ」 ふわふわした口調。 こっちまで眠くなってしまいそうだった。 「僕は蝶影睡(テフエイスイ)。 大学生だから毎日ここにいるわけじゃないけど、なんかあったら言ってね。 一応、先輩になるっぽいし」 「ありがとうございます…」 私は不思議な気持ちのままぺこっとお礼をした。 睡君は、出会ったことのない不思議な雰囲気を持っている。 「コットン」 「…へ?」 コットン?わ、綿? 私が戸惑っていると、あの大きな蚕蛾を持ち上げて私に向ける。 「こいつの名前。 ぬいぐるみだから、こんなでかいの。 挨拶できないから僕が変わりに言っておくよ」 「は、はい……え?ぬいぐるみなんですか?」 まじまじとコットンを見ると、確かに、材質がぬいぐるみだった。 ーーーーえ?動いてるよね…? 「うん、植物園で買ってきたぬいぐるみに、魂を移してもらったの。 本来、未来があった、死ぬ必要のない魂を」 「へ、へぇ~」 私は呆気にとられて睡君の話を聞いていた。 そんなことが…可能なんですか…? コットンはこっちを見ている。 私は恐る恐る手を差し出してみた。 嬉しそうに頭を擦り寄せてくる感触は、確かにぬいぐるみだ。 「不思議です…」 「最初は戸惑うかもね。 友達にわがまま言って、こうしてもらった。 僕の、唯一の家族で、友達だから仲良くしてあげてね」 「は、はい、もちろん…!」 コットンは、一体何の魂なんだろう? 私の指を嬉しそうに触って遊んでいる。 ちょっと、可愛いかも。 「僕は、霊の嫌な空気や呪いを吸収して、寝ることで自力で浄化させている。 それが、僕の土の組でのやり方なんだ。 だから、学校とバイト以外は基本寝ている。 遠慮なく起こしてくれて良いよ。 寝起き悪くないし」 …今、とんでもない能力言われた気がした。 呆然としていると、睡君はまた眠ってしまった。 終始不思議な彼にペースを掴まれて私は驚いてばかりだった。 ロイさんは、睡君が話しているのを黙ったまま見守っている。 ロイさんに再度挨拶して次に向かう。 「斎螺ちゃーん!バイバイ~!火の組頑張れよ~!!」 大きく手を振って見送ってくれた。 ロイさんは、火の組に知り合いが多いと葬さんが言っていた。 だから、付いてきて欲しかったけど、仕事が片付かなくて同行できないと謝られた。 …テレビ見ていましたよね? と思ったけど、初対面だし私みたいな素人には分からない仕事なのかもしれない。 階段を下りながら葬さんが 「私の同僚はどうだった? これから斎螺の同僚になるよ?」 と話しかけてきた。 「楽しい人達です、それに凄かった…」 何て言えば良いのか分からずテキトーな返しになってしまったかな。 睡君の能力が、現実離れしていて呆気にとられてしまった。 それに、コットンも… 超最先端ロボットじゃないんだよね? ぬいぐるみが…動いていた…。 「楽しいと思うよ。 個性は強いけど、仕事に対してはまっすぐな人達だから斎螺も勉強になると思う」 葬さんが言った。 睡さんにもコットンにも触れず、説明無し。 「あの、葬さん…コットンって、あれは…」 恐る恐る私が聞くと 「ふふっ睡の言っていたことが真実だよ」 いたずらな声で笑っていた。 「…」 「いつか、睡から話してくれると思うよ」 「…なら、待ちます」 「うん、優しくて、繊細な子だから、初対面であれだけ話せて良かったよ。 斎螺の優しい雰囲気に、安心したのかもしれないね」 「そ、そんな…」 私が照れて戸惑ってしまった。 でも、本当なら嬉しいな。 これから一緒に働くことになる人に安心してもらえるなら嬉しい。 「最後は火の組に行くよ」 葬さんが話しかけてくる。 火の組。 九条先生の言葉を思い出す。 「問題児の集まり」 …凄く緊張してきてしまった。 どうしよう。 問題児って、怖い人ばっかりなのかな。 多分朱さんは火の組なんだよね。 …朱さんみたいな人しかいなかったら…嫌だな。 そんなことを考えながら葬さんに続く。 「大丈夫、良い人達だよ」 緊張で黙ってしまった私に葬さんが優しく話しかけてきた。 「はい…」 私はなんとか返事をして笑った。 神社を後にして歩く。 竹林に、ポツンと灯籠が立っていた。 そこに一本の道があって、林の中へ続いている。 葬さんがこっちだよと目配せして一本道を歩いていく。 風が吹くと、竹が揺れて音がする。 涼しくて、癒される空間だった。 少し歩くと人工的な柵が見えてきた。 竹の柵には提灯がくくりつけられていて、そこを抜けると、大きな道場が現れた。 ここが、火の組の職場? 大きくて、重厚感のある建物。 葬さんが玄関のインターホンを押す。 すぐにパタパタと足音がして、ドアが開いた。 「はーい!お待たせしました!」 そう言って、出迎えてくれたのは綺麗な女の人。 葬さんが笑顔で会釈すると 「わ~!葬さん! お話は伺っていますよ! わざわざ足を運んでいただいてありがとうござます。ささっどうぞ!上がってください!」 葬さんにとびきりの笑顔を見せて嬉しそうに挨拶をする女性。 この人、どこが問題児なの…? 全然そんな感じがしない。 女々さんと同じくらいスラッと背が高く、メリハリのあるモデルみたいな体型。 女性が憧れるスタイルの良さだった。 自己紹介してくれた「乙桃(オト)」という名前も可愛かった。 移動しながらふと私を見ると 「私には分かります!傘さんは絶対に可愛い!」 と笑ってくれた。 「あ、ありがとうございます」 「ほら~!まず、声が可愛い!」 そう言って、更に笑ってくれた。 とても明るくて華のある人だと思った。 「みなさんに集まって貰っているので、一気にご紹介頂けるかと思います!」 そう言いながら案内されたのは会議室と書かれたドアの前。 ガチャリと音を立てて、ドアを開けてくれる。 そこには、6人の男女がいた。 12の瞳が一斉にこちらを見る。 私はまた葬さんに隠れそうになった。 その視線、目力に圧迫されそうになる。 なんとなくだけど、九条先生が問題児の集まりと言った意味がわかる気がする…。 すると、「傘」と聞き覚えのある声が私を呼んだ。 ふと、顔を上がると、朱さんがいた。 鳥籠で話して以来、朱さんには会っていなかったから久々だった。 私はどうして良いか分からず会釈した。 朱さんは私が顔をあげる瞬間、目の前まで移動してきた。 笑顔を張り付けた顔でこちらを見る。 真顔でスマートフォンを触っていたあの夜が嘘みたいだった。 「うわぁあっ」 驚いて、まぬけな声を出してしまう。 「久々だな!」 私の小さな悲鳴を無視して朱さんは言った。 葬さんがコラッと苦笑いをして朱さんとの間に入ってくれた。 彼は、勢いがあるし、近い。 怖いけど朱さんは…ちょっとカッコいいからドキドキしてしまう。 彼には色々な感情が混じって、会うだけで疲れてしまうけど…知り合いがいてくれて正直少し安心した。 乙桃さんが椅子を用意してくれて9人で会議机の椅子に座った。 乙桃さんはその後すぐにお茶を用意している。 すごく、気がつく人だと思う。  優しくて柔らかい雰囲気が、今この状況にはとてもありがたい。 暖かいほうじ茶をいただいた。 乙桃さんがリードして、火の組のメンバーを順番に 紹介してくれることになっていた。 まず、中長の鎧塚靂さん。 全身に刺青をしているスキンヘッドのお兄さん。 土の組の中長、ロイさんの同期らしい。 ーー正直怖くて直視できない。 一つは刺青が毒々しいから。 独特な絵柄で和柄が描かれているし。 菊の花、蓮、手鞠、彼岸花、タコ。 どこを見て良いのか分からずに、私は面を付けていることも忘れて目が泳いでしまっていた。 そしてもう一つは初めて会った夜の朱さんと同じくらいの殺意や怒りに似た重圧を感じる。 鋭い目力と険しい表情。 乙桃さんに紹介されている時も表情は変わらなかった。 「葬から話は聞いている。 困ったことがあったら言えば良い」 声が低くて、淡々としている。 「…ありがとうございます」 私はやっとの思いでその一言が言えた。 ビリビリとした空気になんとか耐えた。 と、その横で乙桃さんが靂さんを、キラキラした目で見ていた。 恋人を見るような、好きな人を見るような、そんな目。 え、嘘…まさか…? 靂さんはその視線を気づいているけどスルーしていた。 「……乙桃、そんなに見つめんでも俺はいなくならん。 次を紹介しろ」 数秒間、沈黙が続いてしまったので靂さんがしびれを切らして言っていた。 「あ…えと…!すみません…、じゃあ次は…」 顔を真っ赤にしている乙桃さん。 そうなんだ…。 乙桃さん、靂さんのこと好きなんだ…。 睡君&コットンと同じくらいの衝撃を、私は黙って感じていた。 次に紹介されたのは若い双子の男の子達。 羽流(ハル)君と水都(ナツ)君。 乙桃さんが名前を紹介してくれた。 顔はそっくりだけど雰囲気が違う。 ハル君はニコニコしていておだやかな感じ。 ナツ君が気が強そうでしっかり者の感じだった。 「俺らは学生だからほとんどいないけど、卒業したら正式にここで働くんで、そん時はよろしくお願いします。 あ、睡と同じ大学だからさ、言いにくいことあったら伝言残してよ」 ナツ君が話している間、ハル君はニコニコしていた。 ハル君は、話さないのかな? そんな私の目線に気がついたのか、ナツ君が話し始める。 「ハルは、生まれつき声帯が不自由で話せない。 でも目も耳も良いし、会話はちゃんと分かるよ。 筆談とか、ラインでやりとりしてる」 そう教えてくれた。 ハル君はナツ君の説明を受けて近くにあったノートにすらすらとペンを動かす。 「よろしくね」と女の子みたいな丸っこくて可愛い字。 私がお礼の意味を込めてお辞儀をした。 ナツ君が安心したような顔でハル君を見てる。 今までもずっと、ナツ君がフォローしてきたのかもしれない。 普通に、2人とも親切そうな良い子達。 「問題児」という印象は受けなかった。 様子を見ていた乙桃さんがニコニコ笑顔で 「今日はナツ君、とってもお利口さんだね! いつもは火の玉出したり、日本人形動かしたりしていたずらしてるのに! 女の子の前だと大人しいんだから!」 と、びっくりする内容を話してきた。 …え? 「今日はそういう気分じゃないし。 つか初対面に俺の能力ばらさないでよ」 私がフリーズしていると、ため息をついてナツ君が話し始めた。 「…俺の能力はそこら辺にうじゃうじゃしている浮遊霊やら低級霊を、物体に移すこと。 そして、それの解除がハルの役目。 俺らは二人で一つの能力なんだよね。 もちろん、生き物に霊を移すことは出来ないし、出来ても禁止事項だからやらんけどね。 魂が混合してしまうと、生物のからだは影響が出てしまう。 解除して、魂を抜いても後遺症が残るんだ」 す、すごい。そんなことも出来るの…? …もしかして、コットンに魂を移したのはナツ君なのかな。 「傘さん、誰かに酷いことされたり嫌なこと言われたら俺が霊を閉じ込めたぬいぐるみとか藁人形作ってあげるからいつでも言ってよ。 低級霊って、ゴロツキみたいな奴とか意思のないやつが多いからちゃんと暴れてくれるだよね。 俺の知り合いにYouTuberがいるから カメラ仕込んで怖がらせてさ、怯えた姿撮影して全世界に公開してやろ?」 本性がバレたナツ君は、いたずらっ子の顔になっていた。 …いたずらっ子で済ませて良いのかギリギリの発言をしているけど…。 「あ、ありがとうございます…」 私とナツ君の会話をハル君は笑って聞いていた。 二人の挨拶が終わると乙桃さんが 「私は歩くうちにお話しました! 可愛いらしい雰囲気の方で話してる私まで嬉しくなっちゃいました! これからよろしくお願いしますね」 嬉しそうにそのまま感想を言われて、凄く恥ずかしかった。 …本当に恥ずかしい。 こんな重たい空気の中でも平気なんだな…乙桃さん。 一人だけ、天真爛漫な感じがする。 「あ、次はサクだね、お待たせ!」 乙桃さんに話しかけられるまで、サクと呼ばれた男の子は一言も発しなかった。 自己紹介を促された彼は、少しの間黙っていた。 聞こえていなかったのかな? と思ってしまう数秒の沈黙。 「…なんなんすか」 やっと発した言葉は、怒ったような不満そうな声。 私をキッと睨むように見てきた。 …ドキッとした。 人にまっすぐ悪意を向けられたのは久しぶりだったから。 乙桃さんが戸惑った顔をしている。 「私、まずいことしましたか?」 と、葬さんに小声で確認しているのが聞こえた。 ナツ君とハル君はキョトンとしてサク君を見ていた。 靂さんと朱さん、そして巫女姿の女の子は表情を一切変えずに黙っていた。 葬さんは少し困った顔をして、乙桃さんに 「大丈夫だよ」と話していた。 …サク君は今時の顔というのかな。 爽やかで整った顔の青年だった。 短髪をワックスで遊ばせている。 私服もオシャレな雰囲気だった。 きっと、学生時代はモテたであろうその顔で全力で私のことを睨んでいる。 「みんな見て分かってるでしょ、この人、呪殺を故意にやったんすよ。 箱庭で働く人が呪術を悪戯にやるのは禁止なのに。 制裁対象なのに!犯罪と一緒なんすよ! なんでそんな人がいるんすか?」 一気に捲し立てる。 私と言うよりも、他のメンバーに向かって投げ掛けていた。 私を睨んではいるけど、存在を認めていない感じがした。 彼の発言に、しんとする空気。 私は…何も言えなかった。 どうしよう、と困惑するところで思考が停止してしまった。 「それに、この人のオーラはなんか…変っす! 人間以外に…ナニカが混ざっている感じ。 普通じゃないっすよ! 葬さんはなんで、そんな人の面倒見てるんすか?!」 私はお面をつけたまま俯いてしまった。 葬さんまで責められている。 なのに、説明する勇気がない。 というか、なんて言えば良いのか分からない。 私の過去を、事情を、葬さん以外に知られたくない…。 と、 「うるさい」 凛とした声。 巫女姿の女の子が、サク君を一括した。 室内の空気がピリッとするような不思議と響く声だった。 「は?!なんだよヒナ!」 サク君は自分に向けられた言葉に驚いて、荒々しく言った。 「事情も知らないくせに、バカみたいに騒がないでよ。 うるさい。耳障り。黙れ。日本語不自由」 直球ストレート。 朱さんが一定音で笑った。 葬さんは安心のため息をついていた。 ヒナと呼ばれた女の子が続ける。 「それに葬君と挨拶回りしているってことは長と面談して箱庭で働く許可を得ているんだから私達が口出しすることじゃないでしょ。 そのくらい考えて喋りなさいよ」 ピシャっと言い放つとサク君は反論をグッとこらえた。 「…なんだよ納得いかねぇ!」 不満そうな声と表情。 それでもそれ以上言わなかったのは、物凄い冷たい目で靂さんがサク君を睨んでいたから。 「バカが失礼なことを言ってごめんなさい。 気にしないで欲しい。 私達火の組は、貴女を敵対するような幼稚な人はいないから安心して」 ヒナさんはまっすぐ私の方を向き、ハッキリと伝えてくれた。 「…ありがとうございます」 私は急いでお礼を言った。 あと数秒遅かったら、泣きそうな震える声をここにいる全員に聞かれるところだった。 「私はヒナ。 大体の貴女の事情は知っている」 ヒナさんは巫女装束を着ていて、赤黒い髪の毛を肩まで伸ばしていて前髪を流していた。 目が赤いガラス玉のような色をしていて、それがとても似合う顔立ちをしている。 冷たい表情も、どこか神秘的だった。 「貴女に突っかかったバカはサクって言うの。 人のオーラが見えたり、纏っている空気から感情を読める超感覚を持っているから偉そうなだけだよ。 傘さんより年下だからパシって良いからね」 フンッとサク君を突き放すように言った。 サク君は不満そうだけど、もう私を睨んでこなかった。 「認めない」という意思を態度で表している。 …お面を付けていても私が呪術をしたことを、瞬間的に察し、邪視がもつ嫌な空気もサク君は、見抜いたんだ…。 問題児と言うよりは能力がみんな強くて「やばい」んじゃ…。 一通り自己紹介が終わると朱さんが話す。 「傘、俺は葬がいない時に君のことを任されている。サクは俺のペアだから必然的に一緒になることが多いだろう。 仲良くなってくれたら助かる。 頑張れ」 朱さんが抑揚なく、全然聞きたくないことを言ってきた。 えー… それは、大変申し訳ない…。 「はぁ!?俺は聞いてないっす! え、てかなんで朱さんまで容認してんすか!?」 朱さんの言葉に、サク君の熱が再発。 また怒っている。 …すみません、本当に私のせいで。 私はもう、あまり話さない方が良いかもと、俯き気味で聞いていた。 「葬からの頼みだからだ」 抑揚なくサク君の質問に返す朱さん。 「っ!葬さん!なんで朱さんなんすか!」 「適任かと思ってね」 相変わらず穏やかな葬さんに、サク君は本気で怒っている。 「呪殺をやった犯罪者のお守りが適任…?! 朱さんを苦しめるんすか?! 友達じゃないんすか?!」 「おい、朔助(サクスケ)。 大概にしろ」 興奮気味に話すサク君に、靂さんが今度こそ怒りの雷を落とした。 彼の声と、纏う空気の圧。 自分が叱られた訳じゃないのにトラウマになりそうなくらい怖かった。 一瞬でピタリと静かになる会議室。 空気が悪い。 私のせいで。 また、泣きそうになってしまって必死に堪えていると、それを察したのか、見かねた葬さんが靂さんに向かい、 「時間を作ってくれてありがとう。 忙しいのに全員を集合させてくれて本当に感謝しているよ。 斎螺はまだ働ける状態ではないから私の元で訓練をしていくつもり。 火の組は忙しいし色々大変だと思うけど、目にかけてやって欲しい」 そう言って頭を下げた。 靂さんは「当然だ」と葬さんに一礼していた。 「そろそろ失礼するね」と言うと、私に席を立つよう促した。 私は再度おじきをした。 ヒナさんが小さく手を振ってくれた。 ハル君は相変わらずニコニコしている。 ナツ君が帰り際に 「サクのことムカついたからいつでも呪魂入りの人形用意するから!遠慮せず言ってね! サク、虫が苦手なんだよ!! ゴキブリの人形買っとくから!」 そう叫んでニヤリと笑っていた。 その後サク君にどつかれていたけど。 「いってーな、サク怖いんだよお前!」 ナツ君に言われ、サク君は無視していた。 靂さんは二人の喧嘩を無視して無表情でこちらを見ている。 面ごしに私と目が合った気がした。 何も感じない、濁った瞳だった。 玄関までは乙桃さんが送ってくれた。 「斎螺ちゃん! サクは本当はとっても優しくて良い子なの! だから、許してあげて! あんな失礼なことを言うなんて…ごめんね… 本当に、嫌な気持ちにさせて…」 ずっとパタパタと歩きながら私に謝ってきた。 「大丈夫です、呪術をしたことは事実だし、当然の反応だと思います。 みなさんが優しすぎるんです… 乙桃さんも親切にしてくれてありがとうございます」 私は謝る乙桃さんに焦って言った。 「まさかあんなに怒るなんて思わなくて。 二人が気まずくならないといけど…」 「サクは仲間思いだからね。 素直に情報を受け取って、咄嗟に守ろうとしてしまったんだろうなぁ」 葬さんは困ったように笑い、私を見た。 「大丈夫。 事情が分かればサクも理解してくれる」 事情。 サク君は、火の組の人を…朱さんを、とても大切にしているっぽいよね。 それなら、本当のことは言えない。 だって、呪術の方法と壺を渡してきたのが自分の組の人で、しかもペアの人。 いつも一緒に働いている人。 ショックだろうし、朱さんの居場所を奪ってしまう。 箱庭にいられなくなるのかもしれない。 別に、思い入れはない。 正直、知り合ったばかりの人を心配するほど私に余裕はない。 でも、箱庭のメンバーや、葬さんは悲しむよね。 自分の存在と、朱さんを天秤にかけた時私の中で、朱さんが優先されたから、多分、サク君に真実を言わないと思う。 乙桃さんは玄関まで送ってくれた。 道場を出て、竹林を歩く。 すっかり日が暮れて、提灯に火が灯っていた。 私の様子を気にしたのか、葬さんが 「お疲れ様。 目まぐるしくて、疲れたよね。 夕食を取って帰ろうか」 ーと、優しい口調で提案してきた。 私は素直に頷いた。 1日に大勢の人と出会った経験が初めてで思った以上に疲れてしまった。 それに最後の最後で、自分の存在や、過ちを改めて突きつけられてしまった。 今、酷く悲しくて寂しかった。 美味しいご飯を食べて帰れるならきっと、落ち着けるから嬉しい。 ーーーーーと、 「俺も付き合う」 いつから後ろにいたのか…気配もなくいつのまにか私の真後ろに朱さんが立っていた。 葬さんが苦笑いをして 「朱は仕事終わったの?」 と聞いている。 「靂に傘を送るように言われた。 後輩が失礼か態度を取ったからな」 そう言うと私を見た。 いつもの笑顔。 サク君のこと、だよね。 靂さん、気にかけてくださったんだ…。 本日2回目のショッピングモール。 地下にある喫茶店に3人で来た。 席がパーティションで区切られている。 お客さんはほとんどいない。 案内されたのは、ちょっと小さめの4人席だった。 葬さんと並んで座ると、私でも狭く感じる。 朱さんの隣に座らせて貰った。 代謝が良いのか、基礎体温が高いのか、彼は暖かい空気を纏っていた。 「面を取っても、ここなら見えない」 突然、主語もなく言われて私に話しかけていると認識するまで少し時間がかかってしまった。 「そ、そうですね!」 私はお言葉に甘えて面を取った。 「…不思議な香りがするな」 朱さんが再度私に話しかける。 こちらを向いている彼と目があった。 私のことを、何の感情も読み取れない不思議な顔で見ていた。 「…葬さんのお母さんに、練り香水をいただいたんです。 それを、今日は付けています」 私の答えを聞いても、表情の変化はなかった。 「刀千香さんか」 ポツリと呟き、前を向く。 朱さんと葬さんのご両親は知り合いなんだよね。 朱さんのお父さんの和菓子を買っていたし。 家族ぐるみの付き合いなのかな? 聞いて良いのか分からなかった私はメニューを真剣に選ぶフリをした。 この喫茶店は、ご飯もののメニューが結構豊富な気がする。 どうしよう、何にしようかな。 「斎螺、朱にもメニューを見せてあげなさい」 ふいに、葬さんの声が聞こえた。 「…どうぞ」 テーブルに広げて、彼の方へメニューを指し出す。 「傘はもう何を頼むか決まったか?」 「いえ、でも良かったらお先に…」 私が更にメニューを彼に近づけると   「二人で見れば良いだろ…」 呆れたような、不思議そうな声でからだ半分くらい近づいて座り直した。 恥ずかしくて背筋を伸ばす。 すぐ横に、メニューを見つめる朱さんが座っている…。 固まる私を楽しそうに見ている葬さん。 時々、葬さんは放任主義になる。 特に、朱さんが絡むとあまり口出ししてこないみたいに思った。 私はオムライスを頼んだ。 定番、食べやすい、万人受け、美味しい。 初対面でも評価が分かれないオムライス。 メニューにあって良かった…。 朱さんと食事するのは初めてではないけれど、まだ緊張する。 近いし。 葬さんは鉄板ナポリタンを大盛りで頼んでいた。 「普段、和食が多いからたまにはこういうのも良いと思ってね」 少し、照れ臭そうな様子だった。 でも笑う顔は嬉しそうだった。 神々廻家は和食メインだからかな。 私は好き嫌いが多いから和食はほとんど食べられない。 刀千香さんの料理はめちゃめちゃ美味しいし、レパートリーが多いから食べれるけど。 葬さんはいつも健康な食事をしているから羨ましい…。 朱さんは日替わり定食を頼んでいた。 色々メニュー見た結果、結局決められなかったらしい。 喫茶店のメニューはどれも魅力的。 朱さんの気持ちも分かる気がした。 オムライスはとっても美味しかった。 朱さんは食べるのが早くて私がオムライスを半分食べ終えた頃には定食を食べ終えてお茶を飲んでいた。 「食後のコーヒーでも頼むか…」 と、またメニューを見ている。 葬さん同様、食べ方も綺麗だった。 「食べるの早いですね」 「火の組はいつ駆り出されるかわからんからな。 せっかくの食事を残すなんて出来んだろ」 こちらを見ず、メニューを見ながらそう言った。 私はふと羊羮のことを思い出した。 「葬さんの家で…六角屋さん?の羊羮をいただきました。」 「………そうか」 少し、困ったような声に聞こえた。 「とても美味しかったです。 朱さんのお父さん凄いですね…」 私が言うと少し、間があって 「父に伝えておく」 それだけ言った。 こちらを見ず、メニューをパラパラ捲りながら。 あまり話を広げない方が良いかな。 私が困惑していると、 「朱、今度斎螺を喫茶店に連れていってあげたら?」 葬さんが話に入ってくれた。 「…傘は、まだ外に出れないだろ」 「車で行けば良いんじゃないかな。 私の家が出すよ」 「…」 いつもの笑顔だし、空気も普通だけどあきらかに話したくないのが伝わってくる。 朱さんにとって、この話は地雷なのかな。 そんな気がして、私は黙ってしまった。 「斎螺、また和菓子が食べたいよね」 特に気にしていない様子の葬さんが  私に話しかけてきた。 「あ…は、はい!!」 「今度朱のお父さんの喫茶店に行こうか。 珈琲も好きって言っていたもんね」 行ってみたい気持ちはあるけど… 私は朱さんをチラッと見た。 朱さんはメニューを見ている。 「行きたい…です。 自力で外に出られるようになったら」 「そうだね、ご褒美として行こう」 うんうん、と笑って葬さんが答えてくれた。 朱さんは、相変わらずメニューを見ている。 「…その時は、朱さんも一緒に行ってくれますか…?」 何故、そんな大胆な質問をしてしまったのか自分でも分からない。 けど、葬さんと朱さんと3人で行きたかった。 「そうだな」 すぐに返事は来たけど、あまり乗り気じゃないのが分かる言い方だった。 少しだけ寂しくなって、それ以上話を広げずに私は残りのオムライスに集中することにした。 私が食べ終える頃には朱さんは食後のコーヒーとデザートでシフォンケーキまで美味しく食べ終えてた。 葬さんと、朱さんが何気ない会話をしていたけど、私はそれに入らなかった。 時々葬さんが話を振ってくれたけどそれ以外は話して良いのか分からず黙っていた。 夕食は葬さんが奢ってくれた。 「今日は1日よく頑張ったね。 たくさん人に会ったから気疲れしたでしょ? そのご褒美だよ」 そう笑う葬さんは本当に仏様みたいだった。 「俺はいい」 朱さんがレシートを確認して財布を出した。 「いいよ。 久しぶりに君と食事が出来て嬉しかったよ。 それよりも私がいない時にちゃんと斎螺の面倒を見てね」 「それは約束したから分かってる」 「約束だからではなくて、自分の意思で行動して」 「…わかってる」 葬さんに言われて、朱さんは頷いた。 私の面倒って言っても葬さんがいない時は基本土の組の本殿か自室にいると思うからお世話になることは少なそうだけどなぁ。 朱さんだって、忙しいと思うし。 解散後、葬さんが寮の近くまで送ってくれた。 「明日はお休みだからゆっくりしなさい。 私は1日留守にしているから困ったら朱か、ロイさんに電話してみてね。 これ土の組の固定電話だから。 ロイさんは基本あそこにいるから出てくれると思うよ」 そう言って電話番号のメモをくれた。 「ありがとうございます。 葬さん、私のために、1日すみませんでした」 同僚であり、上司になるとは言え葬さんはかなり手厚く準備してくれた。 全組にアポをとり、案内してくれた。 …本当に、親切な人だと思う。 「なぜ謝るの、久しぶりにみんなと会えて私も楽しかったから良いんだよ。 おやすみなさい」 ふふっと笑う葬さん。 「今日は本当に、ありがとうございました。 …おやすみなさい」 うん、と頷き背を向けられた。 葬さんは自分の寮へと帰った後、みんなから貰った名刺やアドレスをスマホに登録して一旦挨拶文を送ってみる。 橘さんと女々さん以外に、乙桃さんもラインを教えてくれた。 ロイさんと睡君は同僚だからって葬さんがグループラインに招待してくれて追加させて貰った。 女々さんからすぐ返信が着た。 「わ~!傘さん!これからよろしくです(*>∀<*)」 見た目もだけど文章まで可愛らしい。 人の周辺の死期とその影響を感じ取れる霊感を持っている彼女は、今の私から邪視の呪力ではなく冷音とかぐらの死を感じ取った。 それが、なぜかとても嬉しかった。 呪いの影響や特別扱いじゃなくてちゃんと一人の人間として見て貰えたのかなって思ったから。 女々さんは、今度ショッピングモールでお買い物に付き合ってくれると約束してくれた。 一緒にお茶をしたり、食事をしたりは出来ないから、お買い物をして楽しもうって言ってくれた。 箱庭に来て、初めての楽しみが出来た。 翌日、私は早速ショッピングモールにいた。 自室でゆっくり過ごすのも良いと思ったけどなんとなく、外に出たかった。 昨日、葬さんと少し見て回った時気になったお店に立ち寄ってみる。 今はお買い物するお金がないから見るだけ。 アクセサリーや服を見るのは好きだから見るだけでも楽しい。 それに、お面をしているせいか店員さんは会釈だけして話しかけて来ず見守っている。 モール内の人は、一般人も多いと葬さんが言っていたからあえて距離を置いているんだよね…。 私、今後お会計する時って普通に話しかけても大丈夫なんだよね? お面つけてるし、目を合わせなければなんとかなるんだよね…? こんな大きなショッピングモールが近くにあるのに通販生活は避けたい…。 贅沢かもしれないけどそんな不安を覚えながらウインドウショッピングを楽しんだ。 建物内を見て回っているうちに本屋さんに辿り着いた。 ここは普通の書籍類とは別に、民族伝承や怪異、心霊関連の本のコーナーが多めに設けられていた。 私の邪視も何か分かるかな… そう思い、コーナーに立ち入ってみる。 三日月君みたいに、元からこういった情報に詳しいわけでも興味があるわけでも無かったから、どの本を読めば良いのかあまりよく分からなかった。 都市伝説…ではないよね? 日本の伝承には…無いか…。 うーん…。 割りと真剣に本を選んで数十分。 何冊か厳選して購入してみることにした。 来月、初任給があると信じてクレジットカード解禁。 お休みの日は色々調べてみよう。 エコバックに本を入れてお店を後にする。 と、誰かとすれ違う。 ドキッとした。 …サク君だった。 気がつかないふりして通りすぎようと思ったけど、 「ちょっと待って欲しいっす」 明らかに不機嫌な声で呼び止められた。 …最悪かも。 昨日の、彼との初対面が蘇る。 私はどうして良いか分からずとりあえず止まって、会釈した。 こっちに向かって歩いてくるサク君。 ああ…どうしよう。 彼にとって、私はただの犯罪者。 まぁ、間違いではないんだけど。 火の組の仕事柄、そう思われて当然。 仲間を大切に思っているからこその私への怒りや不信感だと思う。 諦めてそこに突っ立っていた。 怖いし緊張する。 彼は、オーラや感情を色で認識して判断できると聞いたから、 今の私は何色なんだろう…。 「昨日は感情的に失礼なことを言ったっす。 犯罪者とか言ってごめんなさい」 複雑そうな顔で謝られた。 …靂さんに叱れたのかな。 「あ、えと…いえ…貴方の言ったことは事実だから、私こそ、嫌な気持ちにさせてごめんなさい…」 素直に伝えた。 「靂さんに言われて、少し反省したっすけど、やっぱり俺は呪術をした人を認められない。 …死んでるんでしょ?呪った相手」 私は何もいえなくて黙って頷いた。 「ここに来る人は呪殺の被害者遺族や、大切な人を怪異の影響で亡くした人が大半す。 自分だけ、助かってしまった悲しい人もいる。 自分の能力や体質に、大切なものを失って気づいた人達もいるんすよ」 …そうだったんだ。 いや、そうだよね。 だからみんな、人にとても優しくできるのかな。 私みたいな人にも。 「葬さんやヒナは代々神職家系だから事情が違うかもしれないっすけど、靂さんや、乙桃さんだって…」 悲しそうな、でも怒っているような顔。…サク君は、乙桃さんが言った通りとても優しい子なんだと痛感して自分の存在が悲しく思えた。 私、何でここにいるんだろう。 なんで、助かってしまったんだろう。 冷音やかぐらの友達や家族に憎まれても文句が言えないような存在になってしまったのに。 「朱さんだって、家族を惨殺されたのに。 なんで、味方してるのか意味分からないっす…」 「っえ…」 呟くように言った言葉が衝撃的で私は驚きの声をあげてしまった。 朱さんの…家族が惨殺された…? 「…あっ…と、とにかく! 俺は あんたが朱さんや他のみんなに何かしたら規則違反でも何でも、許さないっすから…! 俺が、ここから追い出すんで、覚えておいてほしいっすね、そこは」 語尾の口調がキツくて、言葉がグッと心にのし掛かってきた。 黙っている私を置いて、くるっと踵を返してサク君は消えていった。 私はしばらくその場にフリーズしていた。 多分、サク君は口が滑ったんだと思う。 朱さんは、どうして私に呪術をすすめたんだろう… 自分の家族の命を奪った殺害方法を他人に拡散するような…ことを…何故…? ううん、そんなことは、どうでもいい。 私の中に二人に対して「殺意」が明らかにあった。 それだけのことだ。 …ここにいて、良いのかな。 ふと、全部が嫌になった。 心配してくれた女々さんは、真実を知ったら、もう話しかけてくれないよね。 優しくしてくれた乙桃さんだって、全てを知ったら怖がって嫌いになってしまうかもしれない。 私を庇うことで、葬さんの立場が危うくなってしまう可能性もある。 本当はこんな私は…泣く資格もないのかもしれない… でも、気づいたら目から涙が止まらなかった。 自分で呪殺をして呪い返しを受けて大変なことになった。 本当に、自業自得。 その原因を知りたくて、少しでも今の状態でも役に立ちたくてここで頑張ろうって思ったけどその資格なんて、初めから無かった。 大人しく、出ていった方が良いのかもしれない。 でも、どうやって生きていけば良いの…? 家族には会えない。 素顔を、晒すことが出来ない。 でも。 …このお面があれば。 このお面を取らなければ。 また、ヨルノミカタで働けるかな。 身体はだいぶ元気になったし、オーナーに頼めば…。 そんなことが頭の中でぐるぐる回った。 数分前に購入した本と、少し前向きな気持ちになった自分が物凄く惨めに感じた。 とりあえず、帰ろう。 ここで泣いていても仕方ない。 部屋でゆっくり考えよう。 止まらない涙を拭くことすら出来ず、私は足早に出入り口へ歩き始めた。涙とお面で視界がぼやける。 怖くて、不安で、悲しくて 走りに近い早歩きでモールを出ようとした。 ーーーと、 「傘」 今、あまり会いたくない人に名前を呼ばれた気がした。 反射的に立ち止まる。 …振り返ると、朱さんがいた。 嫌だな。 もう、一秒でも早く帰りたい。 「買い物か?」 私の持っているエコバックを見ている気がした。 視界がぼやけているけどなんとなく、間違っていないと思った。 声を出すと、本格的に泣いてしまいそうで私はゆっくり頷いた。 朱さんは紙袋を持って立っている。 火の組の隊服ではなく、私服だった。 彼も、お休みだったのだろうか。 「…失礼します」 やっとの思いでそれだけ言って足早にその場を去ろうと朱さんを横切った。 と、手首を掴まれる。 驚いて朱さんを振り向くと同時に、面を取った。 視界が開ける。 でも、ここはモールの出入り口。 人が多い場所。 「…朱さん、お面を」 泣き顔を見られないように、周囲に顔を見られないようように私は下を向いて話した。 「サクに、会ったか?」 ドキッとした。 なんで分かったのかな? 「…ここで、お面がないのは困ります」 私は質問に答えずお面を返して貰おうとした。 「さっきまでサクと一緒にいたんだ。 解散して帰ろうとした時、傘と話しているのを見かけた」 会話が成り立っていない。 …嫌だな。 私が全部悪いのに、呪術をしてもしなくても私には、いつも救いがない気がする。 どちらも自分の行動した要因が自分の弱さだからかもしれない。 「…だったら何なの…」 朱さんに、こんな口の聞き方をするなんて思ってもいなかった。 今の私は、どうしようもなく感情的だ。 「…傘、サクに何か言われたか?」 私の口調をスルーして、朱さんは私の顔まで目線を落とした。 心配してくれてるのかもしれない。 でも、心配される資格はないからほっといてほしいって思ってしまった。 「あいつは誤解してる。 気にする必要はない」 ゆっくりと言い聞かせるような口調。 気を使ってくれているのに、今の私には無意味な気がしてしまった。 なんだろう。 …さっきから、身体がおかしい。 身体が熱い。 目が、燃えるように熱い。 嫌な、予感がする。 怖い。 底知れない恐怖を感じてしまう。 動悸がして手先が震えた。 …今、朱さんと目を合わせたら絶対にダメだと思った。 「帰ります…」 とにかく、部屋に戻らないと。 なのに、異変を感じたのか朱さんは手を離してくれなかった。 「…気持ちを落ち着かせろ、何か飲むか?」 そう言ってくれたけど、無理だと思った。 身体が、遠くに感じる。 「ー傘、」 下を向き、浅い呼吸を繰り返す私を引っ張って人気の無い場所まで歩く朱さん。 地下へ続く階段まで来たけど、その時には私はもう、自分の身体がよく分からなかった。 「何を言われた?どうした?」 相変わらず朱さんが話しかけてくる。 私の目線まで腰を落として、ゆっくり、いつもより抑揚のある言葉で。 朱さんは、被害者なのに。 私とは、違うのに。 目があったら死んでしまうかもしれない、 そんな呪われた目を持った人間と、罪の重さも生きていく世界線も違う。 なんだかさっきから…幽体離脱したような感覚。 私の中に、何かが入ってこようしてる。 何かが、戻ってこようとしてる。 誰か。 「この女にかまうな」 ーーーえ? 私の口から、私じゃない人の声が出た。 …聞き覚えがある声。 朱さんが、フリーズしているのが分かった。 「俺の血筋だ。 ひっこんでいろガキ」 私の口から、夢であった、軍服の男性の声がする。 なぜか、すぐにあの時の人だと思い出せた。 血筋ー? 何のことなんだろう。 でも、別に考えなくても良いか。 そんな諦めの気持ちが強くなって、このまま眠ってしまおうと思った。 なぜか、とても眠たかった。 泣き疲れた後みたいな疲労感があった。 でも、 「傘!!!!!」 朱さんの、叫び声に近い大声が私を呼び戻した。 水をぶっかけられたみたいな衝撃があった。 そのおかげか、意識がクリアになった。 目の前に、朱さんがいる。 目を、ちゃんと見ている。 「…朱さん」 ちゃんと、自分の声で話していた。 私の声を聞くと、彼は大きくため息をついた。 「…傘、大丈夫か?」 その場にしゃがみ安心したように聞いてきた。 いつのまにか、彼の手にはお札と石?が握られていて、少し疲労しているようだった。 「…はい。おかげさまで」 何がどうなったのか、よく分からなかったけど自分が危険な状態に堕ちていたことは分かった。 「目の……元凶が出てきてたぞ…」 「…すみませんでした」 「いや、いい。大丈夫なら良かった…」 安心した声に、私はまた泣きそうになった。 「朱さん…お面を…」 「落ち着くまで、意味を成さない」 「でも、返してください…もし誰か通ったら…」 「ここは、滅多に人が通らない」 「でも、お面がないと…」 「今、無理に制御すると影響が出る。 心が落ち着いて、思考が平常に戻るまで呪物に頼らん方がいい」 キッパリ言われて、階段の方へ歩く。 私に背を向けて座った。 「今は、俺でも目を合わせると危険だ。 さっき、数秒見つめただけで、少し辛かった。 落ち着くまで座って待とう」 「…はい」 素直に従うしかなかった。 朱さんは階段に座り、私は防火扉にもたれて黙って座っていた。 長い沈黙。 …帰りたい。 私はまた、静かに泣いていた。 よく分からず、感情的になり色々な不安から泣けてしまった。 なるべく泣いているのを知られないように声を殺し咳き込むふりをした。 自分が、とにかく嫌になった。 死にたく、なった。 朱さんは何も言わなかった。 「もう面をつけても良いだろう」 数十分して、朱さんが面を返してくれた。 私は受け取り、面をつけた。 泣き疲れて気力がなかった。 こんな悲しい泣き方をしたのは騙されたって分かって吐いた時と、風俗で初めて、給料が振り込まれた時。 …疲れた。 私は立ち上がり、朱さんに向いた。 「助けていただき、ありがとうございました」 お礼を言うと、今度こそモールの出口に向かう。 ここを、出ていこう。 怖くて仕方ないのに、 「終わりにしたい。死にたい」 そんな気持ちが頭を支配していた。 とりあえず、サングラスを買って外を歩くのを誤魔化そう。 葬さんには…どんな言葉でも謝りきれないけど生きていたらいけない。 そんな気持ちが頭を支配する。 自分が怖い。 「傘、」 朱さんが呼ぶ声を無視して歩き続ける。 ここから出て、静かに終われる場所を探しに行きたい。 ここが、どこか分からないけど京都って聞いたから神社や竹林に向かってみよう。 傘、 朱さんがまた、呼んでいた。 ごめんなさい。 朱さんには、この先嫌な気持ちを心に残してしまうかもしれない。 でも、気にしないでほしい、 遅かれ早かれ私は、こうしていたかもしれない。 借金を返済出来た時の自分が、想像できなかったのは、払い終わったら、もう生きてる意味が見出だせなかったからかもしれない。 「傘!!!」 大声で私を呼び止める朱さん。 そして、後ろから抱き締める… と、いうより捕獲するような形で私の動きを止めた。 少女漫画に出てくるような優しくて甘いバックハグではなく犯人の動きを止めるように上半身と足の動きを抑え込まれる。 「うぐっ…な…なんですか」 完全に動きを止められた私は諦めて彼に聞く。 「……アイスを食べないか?」 「…え?」 全く予想していなかった提案に私は間抜けな声を出した。 「おやつの時間だろ」 割りと真剣にそう言われて、私はそのままフードコートに連行された。 カップに入ったチョコレートのアイスを見つめながら私はただ、座っていた。 フードコートのカウンター席。 窓際はお店に背を向けるような形になる。 隣同士で2人で座る。 「死にたくなった時は、甘いものを食べた方がいい」 私の気持ちを見透かしたようにさらっとそう言うと、自分の抹茶アイスをチマチマとつまんでいる朱さん。 「…」 「溶けるぞ」 「…いただきます」 お面をそっと外してアイスを食べる。 ひんやりとした甘さ控えめのチョコレート味。 美味しくて、気持ちが落ち着いた気がする。 「感情的になっている時に、色々と考えるべきじゃない。 あと、夜も深刻なことを考えない方がいい。 傘の場合は特に。 精神的な弱さにつけ込まれる。 一度中に入ったらなかなか取り出せん。 邪視の元凶と混ざると厄介だ」 私の横でずっと話している朱さん。 「…朱さん」 「うん」 「今日はよく話しますね」 「俺はいつもこれくらい話す」 早々にアイスを食べ終えると、手持ち無沙汰にイスにもたれ掛かった。 「…ありがとうございます」 心配してくれているのが分かった。 「…サクが、悪かったな」 呟くようにそう言った。 「…事実だから、何言われても仕方ないです」 「あいつにはちゃんと話す」 「話さなくて大丈夫です。 それに、せっかく挨拶の時間をいただきましたけど、ここを出ていこうと思います…」 「………………………それは」 ややあって、彼はそれだけ言った。 「はじめから間違っていたんです。 私がここで働こうなんて。 身体も元気になったし、元のお店ならお面をつけたまま働けます」 しんみりしないように、なるべく明るい口調で話す。 「今、傘がつけている面は普通のそれとは違う強力な結界で邪視の影響を外に出さないように調整している。 メンテナンスも必要だから一枚じゃ回せんぞ」 「…」 スラスラと、少しキツい口調で言われて私は口ごもってしまった。 「今の傘がここを出るのは自殺行為だ。 せっかく土の組に就けたんだからここにいればいい」 「でも、サク君は私を視ただけで呪殺をしたことや相手が死んでしまったことを読み取りました。 自分勝手だけど私の罪を、これ以上知られたくないです…」 「サクの能力は稀だ。 それに、見ただけで察することができても基本それはタブーとされている。 ここでは過去や生い立ちは関係ない」 「朱さんは、本当にそう思えますか?」 もし、サク君が呟いた言葉が本当なら彼にとって、私は敵対対象。 …自分が元凶だとしても。 「…俺の気持ちは関係ない。 それが規則だ」 「私には…出来ないです」 「すぐに出来なくてもいい。 気持ちや考え方が変わるまで俺や葬が傍にいる。 だから出ていく必要はない」 …傍にいる。 それは、凄くありがたいことだけど、その資格はあるのかな。 「…」 「死にたくなったり、感情的になったら人を頼ればいい。 俺や、葬以外じゃなくても乙桃やヒナがいる。 ここに敵はいない。 サクのことは一旦任せてほしい。 それで、どうだろうか」 「…」 私は何も言えず黙っていた。 ここを、出ていかなくて良い。 そう間接的に言ってくれてる気がした。 …良いのかな? 本当に、良いのかな…? 私が黙っていると、朱さんがこちらを見た。 「どうだろう?」 再度そう言うと、少しだけ、彼は笑った。 私はただ、頷くことしか出来なかった。 二人で窓の外を見る。 お互い黙って、広々とした箱庭の景色を見ていた。

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箱庭挨拶回り2水/木/金の組

挨拶回りの日はすぐに決まった。 前日、私は緊張してなかなか寝付けなかった。 挨拶回りってなにするんだろう? 何か能力見せろって言われたらどうしよう。 それに、私自身を認めてもらえなかったら? ネガティブなことをたくさん考えてしまい、自然とため息が出る。 ここで生きていこうと自分で決めたのに。 頑張ろうと覚悟したのに、不安すぐに揺らいでしまう。 不安だと家族に、会いたくなってしまう。 無理だって分かっているのに。 …会うためには、解決策を見つけないと。 …じゃあ、頑張らないと。 そうだよ、頑張らないと会えないんだよ。 道季花の結婚式に出るんでしょ…? 嫌なループが続き、最終的には無理矢理自分を納得させて眠ることにした。 翌日。 刀千花(ニチカ)さんからいただいた鏡を使い、いつもよりちゃんとメイクをする。 自分の顔をちゃんと確認しながらメイクを施せるのが、こんなに便利なんだと嬉しくなった。 いただいた櫛で念入りに髪の毛をとかし、能面を付けて葬さんとの集合場所へ向かう。 勝負下着と同じ。 お面で見えなくても、気持ちが大切なんだ。 ちゃんとメイクをしたことで気持ちがピシッとできた。 練り香水を耳たぶに気持ち程度に忍ばせる。 刀千花さんからのいただきものは全部大切なお守り。 「おはよう」 先に到着していた葬さんが、柔らかい雰囲気で話しかけてきた。 「おはようございます…」 「斎螺、緊張してるの?」 「少し…」 「大丈夫だよ、前にも言ったけど、みんな良い人だから。 朝ご飯は食べてきた?」 集合時間は9時。 箱庭の住宅街に移ることになってから食事は自分で用意することになっている。 緊張から食欲が湧かず、何も食べられなかった。 私は首を静かに首を振る。 「…少し、お茶でも飲まない? 今は緊張してるかもしれないけどお腹が空いていると集中力が続かないよ」 葬さんはいつも通り優しかった。 当たり前だけど、ありがたいことだと思う。 緊張する私を落ち着かせようと、ショッピングモールの中のカフェに向かうことを提案された。 朝だからモール内はとても空いていて、静かな店内でメニューを広げる。 暖かいカフェラテは美味しかった。 葬さんがカップケーキを頼んでくれて二人で半分こして食べる。 食事中は面を外さないといけないから葬さん相手でも、伏し目がちになる。 「今日はいつもと雰囲気が違うね。 母の手鏡が役に立ったみたいで良かった」 ホットコーヒーを飲みながら、葬さんに優しい顔でそう言われた。 褒めてくれてるのかな? 久しぶりにお化粧頑張って良かったかも。 照れ臭くて赤くなった顔を誤魔化してカフェラテを飲む。 「斎螺は26歳だったか。 いつもは年齢より幼く感じるけど化粧するとちゃんと大人の女性になるね。 斎螺なりに今日のことを思ってくれてるなら付いて回る私も嬉しい。 お面をしてしまうけど、とても美人さんだよ」 …葬さんは本当にストレートに言うから困る。 男性に言われると、人によっては抵抗のある褒め方だけど、葬さんならすんなりと受け止めることができた。 美人だなんて、今まで言われたことない。 お世辞でも、嬉しかった。 軽食を終えてカフェから出る。 ショッピングモールに来たついでに中を軽く見て回ることになった。 どこにでもある、イオンやパルコみたいな建物。 違いは霊避けアイテムの取り扱いが多いことと、私のように面をつけていたりマスクで顔を隠している人がお客さんとして買い物をしていること。 こんな私が、ちゃんと馴染んでいる。 違和感なく歩けるし、誰も不審がらない。 私が嬉しくて葬さんの方を見ると、笑顔で頷いてくれた。 10時になった。 「そろそろ挨拶に向かおうか」 私が洋服やアクセサリーに目移りしているのを葬さんは急かしたりせず、付き合ってくれた。 そのおかげで気づいたら1時間経っていたらしい。 「すみません、行きましょう…」 少し恥ずかしくなってしまい小さな声で答えた。 眠れないくらい緊張していたのに、買い物にはしゃぐなんて…。 最初に来たのは大きなオフィスビル。 お茶屋さんに行った時に、チラッと見えた建物だった。 「内勤の人は、みんなここのビルで働いているよ。 ほとんどここで挨拶が終わるから、それが終わったらご飯を食べようね」 葬さんがICカードをかざして正面入口の自動ドアを解錠し、中に入る。 入ってすぐ、警備の人がいた。 葬さんと顔見知りなのか、笑って会釈する。 私を見ると、同じように会釈してくれた。 透明なエレベーターで上に昇る。 私は子供みたいにガラス窓にひっついて見とれていた。 「最上階の12階は珠琵さんの仕事部屋だよ。 面談の時に行ったよね。 その下が、今から行く金の組。 箱庭と斎螺のいた鳥籠の運営をしている主軸組織で、怪異事件や呪術関係を見つけて指示、振り分けをするのもここ」 説明してくれている間にエレベーターが止まった。 降りるとそこは、ガラス張りのオシャレなオフィスだった。 「わぁ…」 私は声を漏らし感動していた。 箱庭が見渡せる広くてきれいな仕事場所。 私も一般事務の仕事をしていたけど、こんな綺麗なオフィスで働けるなんてとっても羨ましいな…。 柔らかなライトグレーのカーペットを葬さんと歩き、透明の中扉を開く。 5つのデスクがそれぞれが忙しそうにデスクワーク音をさせていた。 少し離れた場所に、隔離されたデスクがひとつ。 合計6人がカタカタと音をさせながらパソコンを触り、書類を確認していた。 フロアに、たった5人…? でも、広くて寂しい感じはしなかった。 それは多分、凄まじい量の資料と本?やファイルが本棚に収納されているからだと思った。 それに一人一人のデスクが、とにかく広い。もしかして、選ばれたエリートが働いているのかな…? 中扉を開けた音で、隔離されたデスクでパソコンを見ていた女性がこちらを見た。 すっと立ち上がり、すぐにこちらへ向かってくる。 ダークグレーのパンツスーツに、繊細なレースが美しい白のキャミソールを合わせていて、足下は黒色のピンヒール。 ハーフアップにしたロングヘアーは艶やかな焦げ茶色に綺麗に染められていた。 銀縁のメガネをかけた彼女はいかにも仕事が出来そうな見た目だった。 「神々廻さん、ご無沙汰しております」 私達の前まで来ると、礼儀正しくお辞儀をした。 葬さんもお辞儀をする。 「事前にお伝えしていた、傘の挨拶で伺いました。 お忙しい中、時間を作っていただきありがとうございます」 葬さんが挨拶をすると、女性はこちらを見る。 クールなルックスに、切れ長のキツそうな目で見つめられ、私は少し緊張した。 「貴女が傘さんですね。 ここのフロア責任者の橘叶倭(タチバナ トワ)です」 きびきびとした口調で挨拶をし、一礼される。 所作の綺麗さや、橘さんの美しさに見とれた私は、数秒あってから慌ててお辞儀をした。 「か、傘斎螺と言います。 仕事中なのに時間をつくっていただいてありがとうございます」 少し早口でそれだけ言って、再度お辞儀した。 橘さんはそんな私を見て、小さく頷く。 「簡単ではありますが、神々廻さんに事情を伺っています。 私含め、ここの組は事務仕事です。 霊感があるのではなく、最低ボーダーの霊障への耐性があるだけの人もいます。 だから、貴女の顔を見ることが出来なくて…残念です。 でも、いつか目を見てお話しできる日を楽しみにしています。 生活の中で困ったことがありましたら遠慮なく教えてください。 名刺を渡しておきますので、電話でもメールでも結構ですよ」 橘さんは一気に、淡々と話し、名刺を差し出してきた。 名前と電話番号、ビジネス用のメールアドレス。 その後ろにラインのIDが書いてあった。 私がそれに気づいて彼女の方を見ると少し照れた笑い方をして、 「言いにくいこともあると思うので、一応…ではありますけど」 そう言って片手でメガネを直した。 照れ隠しであろうその仕草が、彼女に親近感を覚えさせる。 私は名刺を両手で大切に持ち、橘さんをお面越しに見た。 「ありがとうございます」 そう言うと、橘さんはわずかに微笑んで頷いてくれた。 「みなさん聞いてください」 他の人に一声かけた。 デスクで仕事をしていた4人が作業を止めてこちらを見る。 パソコンを叩く音、資料をめくる音、 様々な動作音がピタリと止まり、静まり返った。 私はその静けさに一瞬、息を止めて緊張を圧し殺した。 「朝礼でお話ししていた傘さんです。 これから箱庭で働きます。 サポートして差し上げてくださいね」 それだけ言うと4人が各々頷いた。 橘さんは私達の方を向くと 「後はお好きに。 時間は気にせず挨拶と、お話ししてくださいね。 残念ながら百々海(ドドミ)中長は出張中でして… 席を外していますので、また別の機会に」 そう言うと私に一礼して自分のデスクへ戻った。 …百々海さん?という人とは今日は会えないのか。 橘さんは、仕事モードに切り替えたのか淡々とパソコンのキーボードを叩き始めた。 「順番にデスクを回ろう」 葬さんに小声で促されて、私は頷いた。 一人目は、銀色の長髪を一つにまとめた見た目60代くらいの男性だった。 「ダンディー」という言葉が似合う彼は彫りが深く、顔立ちがハッキリしている。 渋いおじさんの雰囲気だった。 男性は宝来さんといった。 「よろしくねぇ、能面のお嬢ちゃん。 俺と同じ銀髪なんて粋じゃねぇか!」 そう言うとガハガハと笑った。 品よく着こなしたスーツには、似合わない豪快な笑い声。 私が自分の言葉で自己紹介をすると、うんうんと聞いてくれた。 「俺は土の組を引退してここで働いてんだ! だから神々廻とも仲良しなんだよなぁ!」 葬さんの方も見て、とても楽しそうに話す。 葬さんはいつも通りの笑顔でフフッと笑った。 「今は一日中ネットの掲示板漁ってんのよ。 変な噂が流れている場所や、心霊スポットを訪れてホンモノかガセか確認するのが俺の仕事!! ま、アルバイトだけどな!」 そう言ってまた笑っていた。 よく笑う、気さくな人なんだろうな。 「凄いですね、心霊スポット行くんですか?」 すっかり宝来さんの親しみやすいキャラに安心した私は聞いてみることにした。 「おうよ! まぁ、俺の場合は昼間に行って確認だけして報告する役割だからさ、まじもんならそこからは火の組の仕事だよ」 「そうなんですね。 昼間でも、結構怖そうですね…」 心霊スポットに行ったことはないけど、昼間でも何か感じるものはありそうだ。 ましてや一人で行くなんて…私には絶対無理だ…。 「ちなみに、俺の本職はタクシー運転手だから! ここでの仕事も、そのついでみたいなもんだな! 今日は報告書作らなきゃいけないもんでオフィス来てるけど、月の半分もいないんだ。 運良く嬢ちゃんの挨拶回りに立ち合えたね~」 そう言うと嬉しそうに私に笑いかけた。 「嬢ちゃんも外に出る時は遠慮なく言えよ! 箱庭の人間はタダで送ってやるからよう」 「え?!タダ?! い、良いんですか…?」 「もちろんよ! ボケ防止もかねてさ、ネットも運転も頑張りたいからよぉ」 話しやすい宝来さんと、三人で少しだけ会話を楽しんだ。 「染さんありがとうございます。 傘のこと、よろしくお願いします」 葬さんがタイミングを計って話をまとめる。 「おう!もちろんだよ。 下手したら孫くらいの年代の子だからな! 危ないことさせるなよ神々廻!」 葬さんと同じ組だと言っていたけど、付き合いが古いのか、とても仲が良さそうだった。 さっぱりした中身と上品でダンディーな見た目。 ギャップの大きい宝来さんは、性格が豪快で気さくな良い人だった。 デスクには仕切りがあって、仕事中のお互いの姿が見えづらくなっている。 パソコンが3台は置ける大きなデスク。 宝来さんのデスクには地図や歴史の本が数札置かれていたな。 土地関連の資料もあったし、タクシー運転手は表向きで、ちゃんと箱庭の専門の仕事なんだと勝手に思った。 次の席に座っていたのはお母さんと同じくらいの中年女性。 人当たりの良さそうな雰囲気をしている。 ミディアムヘアにパーマをかけて橘さんと同じようにハーフアップにしていた。 紺色のカーディガンを羽織って水玉のブラウスを来ている彼女は私に気づくとニコッと笑った。 「あら、次は私の番ね。 はじめまして、傘さん。 私は榊吏世(サカキ リヨ)と言います」 優しくて聞き取りやすい声。 心が暖かくて、なんだか照れ臭い気持ちになる。 不思議な魅力を持つ声だった。 「よろしくお願いします。 傘斎螺と言います」 私は深々とお辞儀をして自己紹介をした。 榊さんは箱庭で働く人達のカウンセラーとして働いていると教えてくれた。 鳥籠の職員さん達の派遣や、退院後の病院紹介も榊さんのお仕事。 私達の心の健康状態を管理して、そのついでとして金の組で雑務を手伝っているんだって。 「よろしくね。 ここで働くと色々と気持ちが疲れちゃうことが多いから、定期的にカウンセリングを予約して貰います。 2階のカウンセリング室にいることが多いから困ったことや悩みごとがあったらおいでね。 美味しい紅茶と焼き菓子がいつでもあるよ! お話だけでも聞かせてくれると嬉しいな」 すこしおどけて、柔らかく笑う榊さん。 やっぱり、声がとても綺麗で癒される。 安心するし心が暖かくなる。 「榊さんの声が、とても癒されます…」 正直に私が伝えると、榊さんは笑った。 「まぁ、ありがとう。 私は言霊を拡張して故意に声に乗せているの。 仕事柄、心が限界な人や追い詰められてる人の気持ちを受け止めてお話しするから。 だから傘さんがそう感じてくれて嬉しいわ」 優しく笑いながら榊さんが説明してくれた。 意味は分かるけど、そんなことが可能なの? 当たり前のように話してくれたし、その言霊の効果なのか言葉がストンっと入ってきた。 「凄いです…」 私はそう言って笑うしかなかった。 「傘さんはもちろんだけど、神々廻君! あなたずーっとお仕事を理由にカウンセリング先伸ばしてるんだから。 自分のことも心配して! いい加減一度お話しの機会を儲けてもらいますよ~」 榊さんが葬さんにつっこむ。 いたずらな笑顔で問い詰められ、葬さんは「すみません」と 少し焦ったように笑っていた。 榊さんのデスクにはファイルがたくさんあった。 火の組、水の組、木の組、土の組、 鳥籠、モール取引先職員… 色分けされてテープが貼られたファイルがカウンセリングの資料なのかな…。 これを一人で管理してるなら忙しそう。 でも、一人でも自分のことを気にかけてくれる存在がいると知れば、頑張れそうな気がした。 榊さんの存在は、打たれ弱い私には有り難いな。 再度挨拶をして、次のデスクへ向かう。 席にいたのは、私より少し若い女の子だった。 私の面を見ても何の驚きも嫌悪感も示さない。 お人形のように大きな目には綺麗にマスカラが塗られ、目の周りにキラキラとグリッターが適度にちりばめられている。 リップは顔全体が華やかに見える優しいピンク色。 それに合わせてほんのりチークをのせた頬。 光でピンク色に輝く茶色の髪の毛を緩く巻いて、肩の少し下におろしている。 メイクや髪に合うように、優しいパステルカラーのブラウスとスモーキーブラウンのタイトスカートを合わせていた。 万人が「可愛い」と言うであろう圧倒的ルックスの良さ。 静かにゆっくり私達を見るその雰囲気は、本当に人形のようだった。 「こんにちは」 そう一言発した声はアニメに出てくるキャラクターみたいに可愛いのに、笑顔は薄い。 私と同じ、人見知りなのかな?と瞬時に思った。 「柊…羅夢(ヒイラギ ラム)、です」 彼女はポツリと名前を言うと、目を伏せた。 「傘齋螺です。 これからよろしくお願いします」 「…」 柊さんはモジモジと指をいじっている。 綺麗にジェルネイルを施された彼女の爪を見つめながら、私は少し緊張してしまった。 私も初対面の人への対応が苦手。 宝来さんと榊さんは気さくで、積極的に話してくれた。 だから私も話せたし、なんとかなった。 柊さんは多分、私と同じタイプ。 困って葬さんを見たけど、何も言わない。 あくまで見守る側の立場みたい。 嫌な沈黙が、続いている。 柊さんのデスクにはパソコンと電話が一台ずつ。 それに加えてタブレットにイヤホンが刺さったまま置いてあった。 壁にかかったホワイトボードには誰かの名前と連絡先がメモされている。 私がデスクを見ている視線に気づいたのか、柊さんがポツポツと話し始めた。 「…私の仕事は、宝来さんが見つけてきたホンモノの忌み地や心霊スポットに火の組のメンバーを手配することで… 突然発生した怪異の情報伝達なんかもしてる… あとは、警察では処理しきれない事件や通報を回してもらって、それの電話対応も…一応してるかな」 ポツリポツリと自分の仕事内容の紹介をしてくれた。 「とっても忙しそうですね…」 私はうまい返しが出てこなかった。 それに、本当に仕事の内容が大変そうだった。 「全然…忙しくないですよ。 怪異事件や呪術系の案件は特定されるまで時間がかかるし。 毎日バタバタすることはないです…」 そう言うと引き出しから分厚い図鑑のような本を引っ張り出して私達に見せてくれた。 「なので、基本私はこれを読んでお勉強をしています。 霊感も、耐性も知識もそんなに無いので…」 「怪異図鑑全集」と書かれたそれは所々付箋紙が貼ってある。 「私はここへ来る前、ただのフリーターだったから。 正直まだ分からないことの方が多いです…」 そう言って、また伏し目がちになった。 「傘さんの眼のことは、朝礼で聞きました。 お互い色々と…頑張りましょう…」 恥ずかしそうにそう言うと図鑑を引き出しへ戻した。 柊さんなりに、頑張って色々と話してくれたのが伝わってくる。 そう思うと凄く嬉しくて、私はなんだか彼女に強く惹かれた。 「ありがとうございます、頑張りましょう… 心霊現象や呪術について私にも教えてください」 少し弾んだ声で返すと、また私を見てくれた。 真ん丸のキラキラした瞳。 心なしか、さっきより表情が明るく見えた。 「羅夢、ありがとうね」 黙って聞いていた葬さんが優しく柊さんに話しかけると、安心したように笑顔を見せてくれた。 柊さんが私と同じようなタイプなら、葬さんの存在や接し方は安心するのも分かる。 「お仕事頑張ってね。 お勉強も、無理無い程度にね。 良かったら斎螺のこともよろしくね」 葬さんは柊さんにそう言うと、次のデスクに私を促した。 私が会釈すると柊さんは小さく手を振ってくれた。 そのしぐさがとても可愛らしくて、嬉しかった。 最後のデスクには若い男の子がいた。 「こっこんにちは!三日月類(ミカヅキ ルイ)です!」 私達が彼の前に出向くと即、自己紹介してくれた彼は物凄く、焦った様子だった。 もしかして私の能面が怖いのかな。 びくびくした様子で遠慮気味に私を見ている。 三日月くんは、ふわふわのパーマによく似合う、オシャレな丸メガネをしていた。 デスクには、妖怪やおばけのフィギュア、グッズがたくさん飾られている。 パソコンは正面に大きい画面が一台。 横にノートパソコン一台。 もう一台は監視カメラみたいだった。 第一印象でもしかしたら「オタク君」なのかな、と、感じた。 「あの、ぼぼぼぼ僕は! 全然バイトみたいなもんなんですけどっ」 緊張しているのに勇気を振り絞って話しているような三日月君は、悪い子には見えなくて安心した。 葬さんと二人で、必死に伝えようとしてくれる彼の言葉を黙って聞いた。 「アルバイトでも…凄いです。 あの、パソコンがたくさんありますね。 全部使って仕事をするんですか?」 質問しながら彼のデスクに視線が向ける。 監視カメラのモニターのような画面はなんだか陰湿な場所を撮している気がする…。 ーーーー霊安室? なぜ咄嗟にそう思ったのか分からないけど薄暗くてベッドが数台置いてあるそこは霊安室にしか見えなかった。 私が監視カメラ映像を見ていることに気づいて三日月君はまた慌てていた。 「こ、これは!箱庭の地下の死体安置所です! け、けして僕の趣味ではありませんよ!仕事!!」 テンパって早口で私に伝えてくる。 「だ、大丈夫です! そんな、趣味とか思ってませんよ、本当です!」 私は慌ててフォローするように返した。 苦笑しながら葬さんが 「類は心霊関係に詳しいからね。 異変が起こりやすい場所を常に観察してもらっているんだよ。 恐怖や偏見無く映像を確認できるからみんな助かっているよ」 私に加えてフォローしていた。 「都市伝説や怪異現象が昔から好きでして… 好きすぎて働くことになってしまいました… ただのオタクなんです…僕。 あ、あはは…」 恥ずかしそうにそう言って笑う三日月君。 「君は邪視なんですよね? とても珍しい能力の方に… 会えるなんて生きていて良かった…」 うっとりと照れ臭そうに私を見る彼の目は輝いていた。 「生で目を見ることは出来ないけれど、こんな貴重な体験が出来て光栄です… ああ…仕事、頑張れます…」 うっとりした表情で私を見ている彼は少し不思議な人なのかもしれない。 ふと横を見ると、柊さんがこちらを見ていた。 三日月君のことを、呆れたような冷たい目で見ていたから普段からこんな感じなのかな。 「類、分かってると思うけど、メガネを細工したからと言って齋螺の目を見ることは出来ないよ。 好奇心で自分を殺さないようにしてね?」 優しく彼に釘を指している葬さん。 三日月君はギクッとした顔をした後、素直に頷いていた。 「メガネ…ですか?」 私が言うと三日月君は嬉しそうにかけていたメガネを差し出す。 「僕のメガネ、ちょっと細工がしてあるんです! 僕の視力に合わせて、霊の気配がオーラとして感知できるようになっているんですよ! 実態や細かいデティールは見えませんがオーラの色からどんなタイプかは特定できます!」 少し誇らしげに話す三日月君。 心霊関係が好きなら尚更魔法のようなメガネかもしれない。 凄い、そんなことが可能なんだ…。 「火の組の、姫宮さんが監修していてオーラの種類や、色と感情の関係性をまとめた資料をくれたんです!!」 「…凄いですね、そんなことが出来るんですか…」 私は感心しながらメガネを見つめる。 「傘さんをこのレンズ越しに見ても悪霊の色が写りませんでした。 もちろん、目だけは危険を知らせる色と表示が出ましたけどね! だから、怖くないですよ! 気味悪がるようなこともありません! 僕ですらそれが判断できるからみなさん受け入れてくれると思います! いやー安心ですねぇ!」 さっきと違って上機嫌で話す三日月君。 「最初はその、恥ずかしながら能面の顔が怖かったんですが、慣れたからもう平気です、えへへ…」 気まずそうな顔でそう言われて私は思わず笑ってしまった。 葬さんも、私達の会話を聞いて笑っていた。 三日月君にメガネを返してお辞儀をする。 「また遊びに来てくださいね! 僕、一日中ここにいるんで! 都市伝説や心霊関係で聞きたいことがあったら是非! いつでもご説明します!!」 そう言って、彼も手を振ってくれた。 葬さんと金の組フロアを出た。 エレベーターに乗ると葬さんが話しかけてきた。 「一番一般人に近い感覚の人達だよ。 とても気さくで優しい人ばかりなんだ。 普通に話せたでしょ?」 「はい。 最初の組の方々で緊張しましたけど…。 みなさん親切な感じがして嬉しかったです」 エレベーター内で金の組を振りかえる。 エレベーターはどんどん下がっていく。 着いたのは2階。 さっき、榊さんがカウンセリングをしていると言っていたフロアだ。 「ここは水の組の職場だよ。 いわゆる箱庭の職員の専用病院」 確かに病院みたいな雰囲気だった。 真っ白でしんっとした空間。 透明の自動ドアには「一般病棟」と書かれていてその隣の黒の扉は「箱庭職員専用」と書かれていた。 箱庭専用の扉だけICカードをかざす所があった。 「一般の人も出入りしてるからね。 場所が分かれているんだよ」 そう言うとICカードをかざし、扉を解錠した。 自動ドアではなく、手で開けるドアだった。 間違えて、一般の人が入れないように徹底されたしくみ。 扉を開けて、中に入る。 中は相変わらず真っ白の病棟だった。 しんっと冷たい空気と、消毒液の匂い。 私がいた療養施設、鳥籠とは雰囲気が少し違う気がする。 もっと、冷たくて固い感じ。 葬さんの一歩後ろを歩きながら、私はキョロキョロと病院内を見回していた。 やがて一室の扉の前で彼が止まる。 病室のような扉をノックしてから静かに開けた。 「神々廻君か、待っていたよ」 すぐに、声がした。 ドアを開けると背の高い細身の男性がいた。 「お時間いただいてありがとうございます。 九条先生」 ひょろっとしていて手足が長いその男性は私を見てニコリと笑った。 この人も優しそうな雰囲気…。 清潔感漂う短髪に、銀縁の眼鏡をかけている。 白衣の下はワイシャツにネクタイだった。 「傘さんだね、長から話を聞いているよ。 僕はここの責任者、九条生居(クジョウ ウイ)。 ここは総合病院のようなものだから怪我をしたり、熱が出たら来なね」 九条先生は優しく説明してくれた。 私はお礼と一緒に挨拶をしてお辞儀をする。 「九条先生は中長と呼ばれる組の最高責任者だから、斎螺の目を見ても平気だと思うよ。 高い能力を持っている人なんだ。 眼を、看てもらわない?」 葬さんが提案してきた。 確かに、ここで人を治療するってことは何かしら能力があるんだろうな。 「治療」も、霊障が原因のものから来ている人もいると思うし…。 もしかすると、私も眠っている間に診てもらったのかもしれない。 私はゆっくりとお面を取って、先生の方を見た。 先生は、特に動揺もせず見つめている。 「後天性の邪視とは興味深いね。 君自信の能力と言うより、目に呪いがかかったのかな?」 そう言いながら考えている。 目の、呪い。 自分がやった呪術を思い出して心がチクチクした。 「僕の仕事は怪異による外傷の治療だから呪いを取り除くことは出来ない。 力になれるか分からないけど、体調面でいつでも相談に乗るよ。 目に違和感を感じたり、痛みがあったらすぐに教えてね」 「ありがとうございます」 「普通のお嬢さんで安心した」 九条先生が笑い、葬さんの方を向く。 「全部、回ってきたの?」 「いえ、これから木、土、火を回ります」 「そうか、木の組は白鳥だから安心だね。 彼女は前職のこともあって、しっかり人とコミュニケーションが取れる。 対応も大人だから。 土はまぁ…そもそも君の所属している組だからね。 宝来も…あんな感じだけど打ち解けやすい方かもしれない。 問題は…火の組か」 九条先生の苦笑いに釣られて葬さんも苦笑いをした。 「靂は悪いやつじゃない。 ただ、あそこは所謂、問題児しか集まっていない。 能力値はずば抜けてみんな高いけど人間性が…個性的すぎるかもしれないね。 その…二人で平気かい?」 私は会話に入れず黙っている。 オロオロと九条先生と葬さんの会話を聞いているだけだった。 「一応、六角屋とは顔見知りなのでフォローしてくれると願っています」 笑いながら葬さんは呟いた。 「…それは、よかったよ。 一番の難点をクリアしてるなら」 「彼は大丈夫です。 この子の呪術も容認しています」 「…それは、意外だな」 九条先生に、私は再度見つめられる。 「君の邪視は実行した呪術の呪い返しだと思っていたが、もしかして…被害者なのかい?」 私は、なんて答えて良いか分からなかった。 九条先生は私を少し見ただけで、呪術を実行したのが私だと気づいた。 それによる天罰だと。 戸惑い、質問の意味を間違えてはいけない気がして固まってしまった。 「彼女は…被害者です。 心の隙に漬け込まれて、利用されてしまったんです。 それに、邪視は彼女が実行した呪術と別物だと思っているんです」 葬さんが、代わりに答えてくれた。 「そうか…それならあまり気張らず過ごしなさい。 あ、あと健康診断あるから資料をもらってくれるかな」 先生はそう言うと引き出しから資料を出した。 「あ、はい!」 私は慌ててファイリングされた資料を受け取った。 先生は、私を否定したり責めたりしなかった。 私が資料を見ていると、病室の扉がガラッと勢いよく開いた。 「せんせーっ呼びましたかー?お待たせでーす! 良つかまえて走ってきちゃった~!」 扉を思いっきり開けて入ってきた二人組。 …そこにいたのは同年代くらいの派手な女性と、その女性に腕を捕まれた若い男の子。 慌てて私は面を付けた。 「セナ、病院内を走るんじゃない。 それと良、君は電話に出なさい。 今日は話をしていた傘さんの挨拶回りの日って事前に伝えてあったでしょ?」 それぞれ先生に叱られた後、私を見る二人。 クラスにいたら派手なグループに所属しているであろう彼らは、私からしたら最も苦手なタイプだ…。 単純に怖くて上手く会話が出来ない。 「わー!能面?やば!!逆にオシャレなんだけど!うける!!」 セナと呼ばれていた彼女はテンション高く私を見て笑う。 悪意は無く、本当にウケているみたい…。 今の私…面白い見た目になっているの…?! 動揺して固まっていると、まじまじと全体を見つめられる。 「つかやば! 髪の毛白じゃん!?つか銀色?! 何回ブリーチしたのー?」 私は面で見えないが、顔をひきつらせて愛想笑いをしていた。 怖いし、賑やかだし、どう話せば良いかわからない…。 ~葬さん…!! 彼に助けを求めようとチラリと見ると、相変わらず穏やかに笑っていた。 私がセナさんの言葉に圧倒されていると、近くにいる良と呼ばれていた男の子が割って入ってきた。 「初対面に向かってウケる!は失礼だろうよ! ったくセナさんは本当に無神経だなぁ」 そう言って毅然とした態度で注意する。 口調も見た目もヤンキーっぽい彼が怒るとやっぱり怖い。 「は?オシャレだって褒めてんじゃん! 良のそのだっさい眉毛とモテない髪型見せる方が初対面には無神経じゃんね? モテないやつがよくする見た目じゃん」 「はぁ?!なんで俺がモテないってなんの?! モテてるし!小中高全部彼女いた!! 元カノ全員クラスで可愛いって言われてた子だったし! 部活もキャプテンやってたし!」 「そんなガキ時代の恋愛をカウントしてる時点でモテない感がすげーわ、やっぱ! クラスで可愛いって、あくまでクラスでしょ? しかもあんた地元ド田舎じゃん。 人数すっくな。 範囲狭すぎじゃね? 部活のキャプテンも人数少ないからただの消去法っしょ?」 「まって、すっげーうざいわ。 なんでこんな無神経な人が勉強できんの? なんか変なもん食べたんでしょ。 突然変異!拾い食いしてそうだもんなぁ!?」 「あ?素人童貞が何騒いでんの?」 「誰が素人童貞だよ! つか傘さんの前でなんて事言ってんだよ!」 ぎゃあぎゃあ騒ぐ2人を、私はただただ見ていた。 …似てる。 冷音と、禾倉の言い合いを思い出してしまう。 幼馴染みで、彼等は仲が良くて。 お互いのことをある程度知っているからこそ出来る暴言と会話。 3人でご飯を食べに行ったり、遊んだ時のことを思い出して、酷く心が冷たくなった気がした。 「二人とも、静かにしなさい。 凄く失礼だよ」 ピンっと空気が張ったような感覚になる、九条先生の冷たい声。 一瞬で静かになったセナさんと良君は不満そうにお互いを見ている。 「傘さん、騒がしくてごめんね。 これでもちゃんと病院で働く社会人なんだ。 セナは看護師免許を持っていて、簡単な処置なら一人で任せられる。 良は医療事務のバイトだけど、同じく簡単な手当てなら出来るから遠慮無く2人のことも頼って欲しい。 水の組のフロアは1-3階まである。 2階のカウンセリング室の向かいは保健室で、そこに良がメインでいるからね。 その他には一般の病院としても開放しているから看護師や医者が数名いる。 あまり関わることがないとは思うけど、怪異関係で被害者が大勢出た時にはフォローしてもらうから存在を覚えておくと良いよ」 「はっはい! ありがとうございます。よ、よろしくお願いします!」 私がお辞儀をするとセナさんが「よろしくね~」と笑顔で手を振った。 …セナさんは一言で言うとギャル。 茶髪に交えて白に近い銀メッシュが入った派手な髪の毛をポニーテールにしている。 医療職だからネイルはしていないけど爪がとても綺麗に整えられていた。 メイクは濃い。 し、顔のパーツが大きいから顔の印象が強い。 友達として関わることがなかったタイプ。 「あたしは霊とかおばけとか見たこと無いし全然信じてないけどさ、存在するから傘っちみたいに能面が必要な子がいるんだもんねー まじうけるけど手当てならいつでもするから! 転んだり血出たら遊び来てよ!」 傘っち…。 初めて呼ばれた…。 「変なあだ名つけてんじゃねーよ! あっ!いや、傘さんの名字が変な訳じゃねぇよ! この人の言い方が変なだけ!!」 …良君はヤンキーみたいで怖いけど、セナさんへの返しや、言葉からちゃんと人を想って、言葉を選んでいる感じがした。 総じて、二人は悪い人じゃないと思った。 騒がしくて派手な感じがして最初は戸惑ったけど、頼もしい思った。 葬さんと再度挨拶をして病室を出る。 出入り口に向かって歩いていると、扉の奥でぎゃあぎゃあ騒ぐ声がした。 葬さんはふふっと笑い 「水の組はにぎやかだなぁ」 と楽しそうに呟いた。 「なんか、学校の先生と生徒みたい…」 私も独り言のように話す。 「九条先生が優しいからね。 二人とものびのび仕事できるんだと思うよ」 そう言いながら二人でエレベーターに乗り込む。 「如月さん…セナさんは自分でも言っていた通り、ここで働いている人には珍しく、霊や呪術を一切信じていない。 ただ存在自体を否定もしない。 信じていないからこそ、客観的に考えられて時々とても参考になる意見をくれるんだ。 ちょっと変わっているけど悪い子ではないし、仕事が出来る看護師さんなんだ」 セナさんは私をバカにしたり、変な目では見なかった。 何かあったらおいでと言ってくれたことも嬉しかったし、何かあったら頼って良いんだと思える対応をしてくれた。 …怪我や病気はしたくないけど、どんな風に手当てしてくれるのか気になってしまう。 「一ノ瀬…良のことだが、彼は霊感がないし、アルバイトだから箱庭の外で暮らしているんだ。 ただ、霊媒体質でね、色々と大変なことに巻き込まれやすくて、九条先生が面倒を見ているんだ。 高齢の親御さんの面倒を見ながらここで医療や介護について勉強してるんだよ。 そのうち彼も正式に働くかもしれないね」 優しく笑いながら説明してくれる葬さん。 彼はここの人達のことをよく知っている。 古くからここで働いているからかもしれないけれど、一人一人を受け入れて大切にしているようだった。 話を聞く限り、みんな色々な事情でここに来ている。 …私も相当訳アリだけど、経緯が全然違う。 私のは、ただの自業自得。 そして…加害者だ。 だから、安心なんてしちゃダメだよ、私。 そんなことを思っていると次のフロアに着いた。 エレベーターが開く。 ここは…B1。地下だ。 カフェラテ色の床にアイボリーの壁。 なんだか、幼稚園やこども園のような可愛らしい色合いの空間。 なのに、凄く空気が冷たい。 「ここは木の組。 いわく付きの品や、遺品を預かって浄化、処理をしているんだ。 …斎螺、大丈夫?」 葬さんに言われて、なんとか頷く。 …そうか、なんとなく納得できた。 他のフロアに比べて空気が冷たく鳥肌が立つ。 頭が重く、耳鳴りがする。 何…ここ…? 何とか耐えながら、葬さんと並んで歩く。 エレベーターを出て少し歩くと大きな扉が一つ。 このドアは、葬さんが持っているICカードでは開かないみたい。 扉のすぐ近くにインターホンがあった。 葬さんがそれを鳴らすと、少しして解錠した音がした。 そして扉が自動で開いた。 扉を大きく開けて一歩中へと踏み込むと、そこはもっと寒かった。 ビリビリと空気が重くなっていく。 相変わらず、可愛らしいパステルカラーの色合いが続く空間。 目ではとても癒されるはずなのに、怖くて仕方がない。 葬さんの後ろにぴったりついて歩く。 彼と少しでも距離を開けてしまうと、パニックを起こしてしまうんじゃないかと思った。 なんとか歩いていると、また扉が現れた。 葬さんがノックをすると 「どうぞ」 すぐに女性の声がした。 葬さんがゆっくりとドアを開ける。 次の瞬間、私はとっさに彼の服を掴んだ。 怖い…空気が異常だ。 軍服の男性の目を見た時のような底知れぬ恐怖の感覚。 身体の震えが止まらない。 「…斎螺、大丈夫?」 葬さんが少し焦った声で話しかけてきた。 私の肩に手を起き、扉の中の空気からかばうように背を向けた。 「…申し訳ありません。 今日、新しい品が入ってきたのですが少々厄介な物でして…。 邪気が共鳴してしまい、こんな状態です。 …ご連絡しておけば良かったです」 奥の方から、女性の声がする。 葬さんの隙間から奥を覗く。 ナース服のような、メイド服のようなコスチュームを着た女性が見える。 黒く艶やかな長髪はポニーテールにしていた。 前髪はまっすぐ切り揃えられてる。 切れ長の目と高い頬骨。 エキゾチックな顔が、こちらを悲しそうに、申し訳なさそうに見つめている。 少しキツめな顔つきなのになぜ優しそうに見えるのだろう。 私は震えながらもそんなことを思っていた。 「…場所を移しましょう。 呼び出しておいて本当に申し訳ございません。 彼女、震えています…」 私を見て、その人は葬さんに言った。 その女性も、葬さんも至って平気そうなのに。 私にとってこの空間は耐えられそうにない。 これが、一般人と箱庭の人の違いなのかな…。 葬さんは静かに頷いて、私の背中を持つ。 「斎螺、歩ける?」 足早にエレベーターまで戻りながら葬さんは私に尋ねる。 無言で頷いて、私も必死に歩き続ける。 エレベーターに乗り込むと葬さんは、まだ震えている私に印を切った。 少し楽になって、大きくため息をする。 「…気づけなくてごめんね」 安心したような表情で葬さんは謝ると、8階のボタンを押した。 先程の女性とは食堂で再度会うことになった。 広々とした食堂は、各々が好きに過ごしている。 さっきと違ってとても落ち着いたフロアだった。 食事をしたり、 読書したり、 ゲームしたり、 談笑したり。 事務職をしていた頃の社員食堂を思い出した。 座って休んでいる私の前に、葬さんが紙コップのココアを置いてくれた。 「配慮が足りなかった。 …怖い思いをさせてごめんね」 申し訳なさそうに、再度頭を下げて謝られた。 「そんな、私こそ…! 勝手に服を掴んだりして失礼なことを…すみませんでした」 「そんなこと気にならないよ。 あそこに集約されている物は悲しい過去が多い。 だから強い思念が持ち込まれると共鳴しやすいんだ。 びっくりさせてしまったね。 私もあまり入らないから気がつかなかった」 葬さんが本当に申し訳なさそうにシュンとしている。 「もう謝らないでください。 確かに怖かったしびっくりしましたけど、ちゃんと意識をもって立っていられたし、すぐにお二人が気づいてくれて助かりました。 本当にもう平気なんですよ!」 なるべく明るく伝えた。 「ーー私からも謝ります。 貴女に配慮できなかった」 いつのまにか先程の女性が後ろにいた。 本当に、箱庭の人達は気配が少ない。 びっくりして一瞬固まってしまった。 「邪気避けのスプレーをして来ました。 あの空間に朝からいましたけど、今は何も感じないでしょう?」 にこっと笑うこの女性は、やっぱり優しい人だと思った。 木の組の中長、白鳥あいさん。 ゆっくりと、優しく話す彼女はここに来る前は繁華街で占い師として生きていたらしい。 「私は元々霊感が強くて霊視ができたから占いの仕事もやりやすかったの。 過去も、未来への軌道がわかるから。 でもね、本当のこと言うと怒っちゃうお客も多くて… みんな、本当のことなんて気にしていない。 今、かけて欲しい言葉を聞きに、占いに来ていたみたいで。 霊視ができても、それにはなかなか気づけなかったから… 向いてなかったのかもしれないね」 苦笑いしながらコーヒーを飲むあいさん。 その仕草、落ち着いた声のトーン、色々と経験してきたであろう深みのある笑顔、全てがとても大人の女性に感じた。 「珠琵さんがここで働くことをすすめてくれて、あの部屋で物の浄化を仕事にしているの。 完全に祓いきれた物品は依頼主に返すんだよ。 無理なものは地下にある霊堂で保管する。 もちろん、金銭が発生するからね、依頼主にはシビアな人が多いの。 まだ何か嫌な気配がする~!って霊感がないのに怒り出す人もいるんだよ?」 おどけて明るく私に説明してくれる。 さっきは木の組のフロアの重さに必死で頭が回らなかったけど、三日月君が見ていた監視映像の一つは多分木の組の物品だ。 彼は、あの不思議なメガネで物品の何を視ているんだろう。 私があいさんの言葉に笑うと、安心したように微笑んでくれた。 「よかった、笑ってくれているみたいね。 これからよろしく、傘さん」 「こちらこそ…。 よろしくお願いします」 「あのね、傘さん。 長と葬君に事前に邪視のことを聞いているの。 私はほぼ毎日あそこで邪気を相手にしているから多分…貴女の眼を見ても平気だと思うんだけど、嫌じゃなかったらお面を取ってもらえないかな?」 私は少し戸惑って、葬さんの方を見る。 「あいさんは、霊視の力が中長の中でもずば抜けている。 斎螺の邪視は後天性のものだから、何が原因か知りたい気持ちは私も一緒なんだ。 力になって下さると思うから…視てもらおう」 「は、はい…」 葬さんは、自分が私を預かっている時に邪視になったり、髪色が変わって療養することになってしまったことに罪悪感を感じすぎている気がする。 彼のせいでは絶対に無いのに。 全て私の、せいなのに。 ゆっくりと、面を外す。 あいさんはその間集中して私の顔を見つめている。 と、一瞬はっとした顔をした。 やばいかな、と戸惑いと焦りからすぐに目を逸らしたけど、 「大丈夫よ」 と瞬時に言われた。 フゥと呼吸をして、再度私と目をしっかり合わせた。 「ごめんなさい、戸惑わせたよね。 大丈夫、あなたは身体も心も取り込まれていないし、なんていうんだろう…邪力が上手く調和してる。 あなたの中に、大人しく住み着いてる感じなのかな?」 「そ、そうなんですか…?」 「ええ、ふふっ。 それにあなた凄く可愛い顔をしてる。 お面で隠しちゃうのが勿体ないくらい。 見れる人が限定されている特別な感じは、それはそれで良いのかしら?」 あいさんはにやにやといたずらに笑い、葬さんを見た。 葬さんはお茶を飲みながら「ふふ」と笑ったまま黙っていた。 ここの中では、今まで通り目を見てくれる人が多いから時々自分の立場を忘れそうになる。 どんな時も大丈夫だよって笑ってくれるから。 見た目も、中身も肯定してくれる。 箱庭の中は、ひどく優しい人が多い気がした。 そこからは普通に雑談をしていた。 あいさんの占い師時代のお話や、私の髪色に合う洋服を少し譲ってくれると言う。 まるでお姉ちゃんのように、面倒見が良くて優しいあいさんに私は一瞬で懐いていた。 そこに、 「あいさーん!お待たせしましたー!」 パタパタとこちらに向かってくる、一人の女の子。 あいさんはそれに気づくと、笑顔で手を振る。 そしてこそっと 「傘さん、お面をつけて」 と言った。 慌ててお面をつけて背筋を伸ばす。 彼女も、木の組の人なのかな。 あいさんと同じ、可愛らしい制服を着ているし…。 栗色のショートカットヘアの彼女は背が高く、170センチ近くある。 顔が小さくてモデルのような女の子だった。 一重の目に優しいオレンジブラウンのアイシャドウが塗られ、しっかりマスカラで睫が上がっている。 アジアンな雰囲気と、素朴な雰囲気が混ざっている今時の顔。 「物品の整理を終わらせてきました!」 嬉しそうに報告する彼女がこちらに気づく。 私を見るとハッとして 「あ!もういらっしゃったんですね! 一人で勝手に話して、失礼しました!」 彼女は慌てて私に向かってぺこっと頭を下げた。 私は「い、いえっ」とテンパって答えた。 「私、木の組の天ノ川女々(アマノカワ メメ)です! はじめまして!」 女々さんは、感情がとても正直だった。 そして、あいさんのことが大好きなのが初対面でも伝わってくるくらい、あいさんを見る目が輝いている。 「傘斉螺です、はじめまして」 私もしっかり挨拶をした。 女々さんは、私の自己紹介にぱぁーっと明るい笑顔を見せた。 「あいさん、新しくいらした方はこんな若い女の人だったんですね! なんかこう、神様みたいな見た目ですね…。 しかも甘くて良い匂い賀します… あっご、ごめんなさい!」 女々さんは表情がコロコロ変わって本当に可愛い人だ。 香りは多分、刀千花さんからいただいた香水だ。 褒められて凄く嬉しかった。 あいさんは彼女を見て相変わらず笑っていた。 「…仲良しなんですね」 私は思ったことをそのまま口に出していた。 あいさんは柔らかい笑顔で頷いてくれたけれど、女々さんは慌てて話し始めた。 「なっ!!仲良しだなんて…! あいさんは私の先生で、上司で師匠で…! 私の、人生を助けて繋げてくれた恩人が友達なんて…! 嬉し…じゃなくておこがましいです…!」 私は友達とは言っていないけど、女々さんは一人で照れてる。 「女々、落ち着いて。 お仕事お疲れ様でした。 少しお茶してからフロアに戻りましょうか」 あいさんに言われて女々さんは相変わらず嬉しそうだった。 私達がお辞儀をして、2人の元を去ろうとすると、女々さんが私を呼び止めた。 さっきまでの明るい顔ではなく、少し真剣な顔だった。 葬さんは、気を使ってくれたのか少し離れる。 「初対面で、失礼を承知で聞きます。 傘さんは、周りで人が亡くなりましたか?」 「えっ…」 突然の質問に私は止まった。 「…はい、でも、親しい人ではないかも…です」 私は、少し言葉を濁した。 自分に言い聞かせるように、親しさを否定して。 ははっと空笑いをして俯く。 「すみません、嫌なことを聞いて。 …私の話しになるんですけど、婚約者が死んでしまって」 女々さんが、悲しそうな顔で話し始める。 ドキッとした。 自然と冷音と重ねている自分がいた。 「その時から、なんとなく周りで人が亡くなった人を雰囲気や空気でわかるようになったんです」 女々さんをよく見ると、シルバーのリングが2つ、ネックレスになっていた。 「どんな理由でお面をつけているか、わからないけど、大丈夫ですか? 傘さんからは、その空気が強いと言うか、重いと言うか… しんどかったんじゃないかなって。 私で良かったら話してください」 そう言って電話番号とメールアドレスを書いたメモを渡してくれた。 「どんな人でも知り合いが亡くなるのは精神に影響します。 私みたいな微弱な霊感持ちでも分かる…」 私の肩に触れ、泣きそうな顔で笑う女々さん。 「…っありがとうございます…」 私はいつの間にか泣いていた。 涙が、頬をゆっくり伝う。 悟られないように、また笑っていた。 この涙を女々さんは多分気づいている。 でも、何も言わず肩を撫でてくれた。 「いつでも連絡ください! あ!今度買い物でも! 箱庭案内しますよ~!!」 そう言うと、あいさんの元へ戻っていった。 さっきまでの天真爛漫なものに戻っていた。 私は頷いて静かに手を振る。 そしてエレベーター付近で待っていてくれた葬さんの元へ足早に向かった。 「…何話してたの?」 エレベーターに乗り込むと葬さんが聞いてきた。 「…内緒です」 私は照れ臭くてそう答えていた。 「それは失礼しました」 葬さんは嬉しそうに笑っていた。 二人で笑いながら私達はオフィスビルを後にした。 「あと2組だから今日中に回ってしまおうね」 葬さんは頑張って、と笑いながら言った。 「はい!」 私は少し元気が出て、弾むような声で葬さんに答えた。

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