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第2話:不可視の天秤(インビジブル・スケール)

【PM 15:30 都市セフィロト・第7居住区 中央公園】 昨日まで市民の憩いの場だった噴水広場は、いまや「概念の空白地帯」と化していた。 周囲には物理管理局(MA)の黄色い電子封鎖線(ポリス・ライン)が張られ、本来そこにあるはずの数トンの大理石像が、土台ごと消失している。 「……ひどいもんね。削り取られたっていうより、この空間の『質量という定義』だけが、綺麗にデリートされてるわ」 エリアが眼鏡のホログラム・ディスプレイを操作し、残留ノイズをスキャンする。 ナギは封鎖線を軽々と飛び越え、噴水があったはずの「空洞」に手を伸ばした。 「重くない……いや、ライトでもない。『手応え』がゼロなんだ。ここに何かがあったっていう記憶すら、空気が拒絶してるみたい」 ナギが指先にチャクラムを回転させ、微細な重心振動を周囲に放つ。 反響定位<エコー・ロケーション>の要領で「重さの残滓」を探ると、空間の歪みの底に、鈍く光る「銀色の小さな杭」が突き刺さっているのを見つけた。 「エリア、これ! 昨日のコンテナにあった、あの三角形のエンブレム……!」 ナギがその杭に触れようとした瞬間――。 背後から、鼓膜を劈くような「高周波の駆動音」が響いた。 「――触るな、バグ。それは管理局の管理物だ」 振り返ると、そこには漆黒のライダースーツに身を包んだ男、七大天使・第一部隊長ゼノが立っていた。彼のデジタル・バイザーには、ナギの全身の物理ベクトルが赤い線で無数に投影されている。 「あーあ、嫌な奴が来た。ミカエルのお抱え犬、ゼノじゃない」 ナギが不敵に笑い、チャクラムを構える。 「悪いけど、これは私たちの『依頼』の一部なの。あんたたちMAが隠蔽<フォーマット>する前に、真実を固定させてもらうよ!」 「……問答無用か。ならば、その『重さ』ごと、虚空へ叩き落としてやる」 ゼノが指を鳴らす。 瞬間、ナギが踏みしめていた地面のベクトルが「上」へと反転した。 「おっと……!」 ナギは咄嗟に自分の重心を「下」に最大出力で固定し、浮き上がる体を無理やり地面に縫い付ける。 「ナギ、後ろ! ミストも来てるわ!」 エリアの声と同時に、周囲の空気の摩擦係数が「0」に書き換えられた。 踏ん張ろうとしたナギの足元が、氷の上よりも滑らかに滑り、姿勢が崩れる。 「っ、この……! 重心を右足一点にマッピング……!」 「無駄だ。お前の『重さ』がどこにあろうと、俺がその『向き』を変えれば、お前はただの肉の塊に過ぎない」 ゼノの手のひらがナギに向けられる。 ナギの重心操作 vs ゼノのベクトル操作。 物理法則の主導権を奪い合う、超高速の演算戦闘が火蓋を切った――。

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第1話 消失する質量

ー消失する質量<ロスト・ウェイト>ー 【PM 14:12 都市セフィロト・中層 第7居住区「ギルド・エリア」】 昨夜の激闘から半日。ナギとエリアの拠点は、古びたジャンク屋の2階にある『UN-DEFINED 探偵事務所』だ。 部屋の中には、ホログラムの演算パネルと、半分分解されたチャクラム、そして飲みかけのカフェラテが散乱している。 「……いでで、エリア、もっと優しくしてよ」 ナギがソファーで声を上げる。リアが医療用ナノマシンを浸透させたガーゼを、ナギの肩の傷口に押し当てていた。 「動かないで。昨日の『黒い結晶』、傷口の細胞レベルで物理定義を書き換えようとしていたわ。放置すれば、あなたの肩の重さが『マイナス』になって、腕が千切れ飛んでいたところよ」 エリアは眼鏡をクイと押し上げ、デスクに置かれたあの「銀色のコンテナ」を凝視した。 「……ねえ、エリア。あの三角形のマーク、ルチアなら何か知ってるんじゃない?」 「パンドラに行く前に、一つ片付ける仕事があるわ。今朝、管理局から直々に『依頼』が来たの。公式なログには残せない、裏の仕事よ」 エリアが空中にパネルを展開する。そこには、第7居住区にある巨大な公園のホログラムが映し出されていた。 「事件の内容は……『噴水の消失』。水が消えたんじゃない。噴水を構成する数トンの石材と、その周囲の重力が、跡形もなく『0』になって消えたのよ。目撃者のログはすべてガブリエルに消去<フォーマット>されているけれど、現場にはまだ『残留ノイズ』があるわ」 ナギが立ち上がり、チャクラムを腰のホルダーにガチリと固定する。 「噴水が丸ごと消えた? ミカエルの仕業にしては派手すぎるね。……よし、行こう。肩の借りは、その『外の世界のバグ』に返してやる」

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プロローグ:座標外の遺物(アウト・オブ・データ)

【AM 02:44 都市セフィロト・第9層 廃棄区画】 ホログラムのネオンが雨に濡れ、バグを起こした原色のノイズが路地裏の泥水に溶け出している。 「ハァ、ハァ……ッ!」 一人の男が、背後を何度も振り返りながら駆けていた。その腕には、物理管理局(MA)の検閲を逃れるための重重な電磁シールドが施された「銀色のコンテナ」が抱えられている。 「……逃げ切れると、本気で思ってるの?」 頭上から、鈴の鳴るような、しかしドスの利いた女の声が降ってきた。 男が仰ぎ見ると、錆びついた鉄骨の上に、一人の少女がしゃがみ込んでいた。フード付きのジャケット、露出した腹部には青く光る物理定義のライン。アンカー(祖月輪 凪)だ。 「よっと!」 彼女は迷いなく、地上30メートルからダイブした。重力加速度を無視するように、空中で不自然なほど急加速し、男の目の前に着地する。 「お、お前は……パンドラのバグ探偵……!」 「探偵、っていうか。あんたが盗んだその『定義』、返してもらう係。……エリア、座標は?」 ナギの耳元にある通信機から、冷静で知的な女性の声が返る。エリア(理亜・フォレスト)だ。 『……完了。彼の周囲3メートル、空間ログの書き換えを検知。ナギ、気をつけて。そのコンテナ、このドメインの数値じゃない。』 「えっ、どういうこと?」 『定義が……「存在しない」のよ。』 その言葉と同時に、男がコンテナをこじ開けた。 中から溢れ出したのは、黒い泥のような液体。しかし、それは地面に落ちることなく、空中に「四角い結晶」となって静止した。 セフィロトの重力定数を完全に無視した、異様な光景。 「死ねッ! 物理の奴隷どもめ!」 男が叫ぶと、黒い結晶が弾丸となってナギへ襲いかかる。 ナギは直感でワイヤーを放った。チャクラムが空を切る。しかし、「定義」がないその結晶に対し、彼女の重心操作は空振りを起こした。 「チッ、手応えがねえ……!」 ガツン、とナギの肩を黒い結晶がかすめ、鮮血が舞う。 『ナギ!』 エリアの声が響くと同時に、ナギの背後に青いグリッチが走った。空間が裂け、ハルバードを構えたエリアが、計算し尽くされたタイミングでゲートから飛び出してくる。 「空間定義、強制再編(オーバーライド)! ……そこにあるはずのない座標を、私が『ここ』に固定する!」 ハルバードが空中の黒い結晶を「空間ごと」切り裂いた。 物理法則が狂い、火花が散る。その一瞬の隙を見逃さず、ナギが地面を蹴った。 「重心(アンカー)、一点集中――最大出力!」 チャクラムが、男の足元の「地面」に叩きつけられる。 男の周囲だけ、重力が100倍に跳ね上がった。 「ぎ、ぎああああッ!?」 男は自分の重さに耐えきれず、コンクリートに沈み込むように圧壊した。 沈黙。 雨音だけが戻ってきた路地裏で、エリアがコンテナを拾い上げる。 「……ナギ、これを見て。」 「なによ、もう。肩、痛いんだけど……。」 コンテナの底には、管理局(MA)の紋章とは異なる、見たこともない「三角形のエンブレム」が刻印されていた。 「……セフィロトの外。別のドメインの『物理』よ。……私たちの仕事、ここからが本番みたいね。」 二人の頭上、厚い雲の向こう側で、巨大な「監視の目(メタトロン)」が、赤く点滅した。 『演算都市のUN-DEFINED』 ――そのバグ(未定義)は、世界の理を書き換える。

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