こより

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こより

ᴴᴱᴸᴸᴼ¨̮

月に返してやるものか

 好きな人を例えるならば、なんだろう。この世の全ての美しい言葉を集めたってこの人は形容できないけれど、ひとつ選ぶなら。それはきっと『月』だ。夜闇に喘ぐ人々をやわらかな光で明るく照らしてくれる。そういう人だもの。  そんなことを考えながら隣で眠る好きな人を見る。彼女の寝顔は世界で一番静かで厳かで神聖で、祈り慈しむべき絵画のよう。  声が聞きたい。触れてほしい。そう思った瞬間、わたしの頭は使い物にならなくなった。否、もとからそうなのかもしれない。  起きてほしい。起きて、わたしに触れて、やわらかく笑ってよ。莫迦みたいに彼女のことしか考えられない。この世のものとは思えないほど美しい彼女を前に、彼女を渇望してやまない自分の欲深さに頭を掻き毟るほどに絶望した。わかっている。眠りについた彼女を起こすなんて、なんて罪深いのだろう。浅ましいのだろう。  それでも。 「……ごめんね、耐えられないの。耐えられなかったの。あなたがいないことに」  本当に、苦しかった。彼女を喪ってからの日々は、どうしようもない地獄が肚の底に住み着いて息ができなかった。あの子がいない世界はこんなにも暗闇に包まれていることに、あの優しいやわらかな光が二度と手に入らないことに、深く絶望した。    土の中から掘り返した冷たい彼女の体を抱きながら、いつか彼女が語ってくれた話を思い出す。昔の人は月の満ち欠けに「死と再生」の連続性を見出していたらしい。新月は死、満月は魂の再生のシンボルとしていたとか。 「生き返らせるには最適な天気だな。あなたは許してくれないだろうけどね……それでもいいよ」 どんなに怒られても恨まれても、あなたがいない世界よりずっといいんだ。 今日は一番大きな満月。やわらかな光が満ちてる。

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月に返してやるものか

贈り物

「はぁ。また贈り物ですか」 「ええ。サメが知らせてくれました。人手が増えるのはありがたいですね」 「うーん……」  ありがたいような、そうでないような。ぶつぶつと呟く乙姫とは対照的に、報告に来た亀は鷹揚に笑った。 「何が姫様を悩ませていますの?」 「悩んではいませんが……どうせ今回も手を焼く方でしょう?」 「そうですねぇ……確かに、ご気性は少し荒いですが、重労働でも意欲的な方ですよ。私なんかの前鰭では竜宮城の補修改善や増築は難しいですし」  そう言って亀はふわふわと微笑む。その包容力たるや。亀の甲より年の功とはよく言ったものだ、と思う。  いつの頃からか、時折、地上から人間が贈られてくることがあった。簡素で味気ないラッピングとは対照的に、龍や鯉などの美しいペイントを施されてやってくる贈り物──もとい、人間たちは竜宮城の存在も知らずに贈られてくるのだ。同意がない。それは、少し可哀想じゃないかと思う。別に乙姫は人間を寄越せと言ったことはないのに。無理やりは良くないんじゃないか。それに。 「人間ってもう少し柔らかな雰囲気の方はいらっしゃらないのかしら? それこそ浦島太郎様みたいな正義感溢れる方でも良いわ。──なんと言うか、こう、地上から送って頂く方々って、ウツボみたいな荒くれ者の魚相をしているんだもの」 「人間たちは人相(にんそう)と呼ぶらしいですよ」  そうじゃなくてね、論点はそこじゃなくてね。言いかけた言葉も、言語化できない違和感も泡になって、海面へと駆けた。このまま泡が地上まで上がって、音になって、贈り物をしてくださる方に伝わってくれないかしら、と現実逃避。 「でもまあ、ラッピングも贈り物のセンスもありませんわよね」 「そう思う?」 「ええ、両足をコンクリートで固めるなんて包装の仕方、美しくはないですもの」 「それは本当にそうね。─── それに、なぜ全員血塗れの状態なんでしょうね?」

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贈り物

I needed you

 土砂降りの雨が窓を叩く。夜はすっかり暗く溶け切った。その闇はより一層のこと暗く、深い。互いに身じろぐ度に擦れるシーツの音と、それに伴って舞う清潔な石鹸の香り。それからCHANELのN°5。  暗闇に仄白く浮かぶ彼女の背中の隆起は陶器のよう。散らばる髪は絹の川。創りものみたいな美しさ。しかれど、何かが足りない。そういう気持ちにさせた。   喩えるならば、サモトラケのニケ。ミロのヴィーナス。彼女の容貌は、玲瓏な声は、まるで美術品のように完成されている。こんなにも完璧で美しく、ただ一つの作品のような見て呉れで、なのに何かが欠けている。そう思わざるを得ない不確定要素が、どうしようもなく私の心をざわめかせている。 「なにが不安?」 「……なんで?」 「そういう表情してる」 「わかるの? 背中向けてるのに」 「わかるよ。あなたのことならなんでも」  超能力じゃん、と戯れてみせようとして、振り返った彼女に呼吸ごと奪われた。頬を撫ぜる指先。からみあう前髪。重なる唇の温度が同じ熱さだった。さっきまでの行為の名残がお互いに強く在る。深く求めあう毎、パズルみたいにかたちを変えた。生きている人間の生々しさ。それが、嬉しい。   元々そういう一つの身体だったかのように、足りないものを補い合っている。補ったり、奪ったり、与えたり、水の流れのように形を変えながら愛情をふくよかなものへと育てていく。  私も負けじと彼女の片手を探して彷徨う。心得ているかのように、捕まって、指先の温度を与えてくれた。柔らかな感触と、その表面の温度の懸隔の美しいこと。彼女の指の股を割って貝みたくぴったり交わりあって。  すきだよ。だいすき。私のぜんぶあげてもいいの。すきでたまらない。言いたいことがうんとたくさん溢れてくる。好きだって、愛しているって。溢れてしまいそうになり、口をひらけば遮るようにして舌が動く。意地悪め。  共鳴する心臓、脈動の強さ。皮膚の薄さが生命の眩しさを伝えてくれる。わたしたちは、今、確かに此処にいて、幸せをわかちあっている。  私はそのままゆっくりお腹の方へ手を伸ばす。形の良い縦長のお臍を思い出しながら、その下の頼りない産毛をなぞった。 「今日はもうしない」 「えー」 「えーじゃないの」 「ケチ」 「もう寝な」  ばさりと毛布をかけられた。ふたりぶんのいのちの温もりを宿したそれは、世界で一番幸福な芸術作品だと思う。甘やかな彼女の香り。それは随分と質量を持っているもののように感じた。ゆっくり、沈殿するみたく、それでいて軽やかに漂うように、肺の奥底で渦巻いている。 「ねえ、」 「なあに」 「だいすき」 「ふふ。わたしも」 「……さっき、なにか考えてた気がするのに」 「うん」  脳みそが隅々まで春に浮遊してる。抱きしめあう素膚が甘くて、思考をうやむやに溶かした。 「おやすみ。愛してるよ」 「…………私も、わたしのほうが」  やわらかに意識の輪郭が堕ちる。彼女の隣こそがこの世で一番あたたかで幸福な場所であり、私の名を呼ぶ彼女の声こそが何よりも甘い音だった。此処に居る限り、雨は身体を冷やさないし、私たちを隔てる世間の声も聞こえない。  忽ち、この空間が教会にも、墓地にも見えた。二人だけだ。抽象的な表現方法で漠然と誓い合って。抱き寄せた彼女の背は小さくて頼りない。それが、どうしようもなく寂しくて、美しいと思えた。

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I needed you

終末に口紅

凡そ一週間ぶりの我が家は、他人行儀な香りがした。否、自分が気付いていなかっただけで、これがこの家の匂いだったのだろう。めぐる生活のなかで鼻が慣れきっていたことを今更作る。なんだか、無性に嬉しかった。この家の住人であると、そう思わせてくれるみたいで。 「おかえり」 ドアを開く音を聞いた女が小走りで出迎えてくれた。その体温を腕の中に感じる。久々の香りは、確かに家に漂う香りと同じだった。 肩に埋まった顔。震える睫毛。連綿と紡ぐ呼吸。七日ぶりに抱いた女の肩はこんなに小さいものだっただろうか、と思う。細胞の全てが彼女の存在に歓喜して、触れた箇所が粟立っている。同時に、虚しい。普通に暮らしていれば、これまた普通に享受できる幸せを、彼女にはこれっぽっちも感じさせてやれない。そしてそこまで理解していながら戻ることも変わることも私はできない。停滞した感傷は、それでも新鮮に私を蝕む。 「ごめんね、長い間帰ってこれなくて。アイツら頭硬くってさあ」 「いいよ。帰ってきてくれるなら、それで」「何も状況は変わんなかったのに」 「いいってば。わたしは理解されたいなんて思ってない」 「だめだよ、それは」 「ねえ」 そっと頬を撫でられた。ついで、名前を呼ばれる。愛していると、言われた気がした。彼女の一挙手一投足、それから柔らかな瞳であるとか、円やかな愛を含んだ声色だとか、触れる手つきだとか。彼女の生み出すもの全てが私という命を肯定していた。それは決して勘違いではない。事実として、私たちはこんなにも愛しあっているのに。 「でも私はやっぱり両家に納得して欲しい。そのために今回も起いたのに。だって、このままじゃ一生きみは軟禁生活だよ」 「でもあなたがいる。他に何か必要?両親たちの理解?外界の知識?社会との繋がり?......ばかみたい。そんなの全部いらない!」 吐き捨てた彼女の瞳が悲痛に揺れていた。なんだか堪らなくなって唇を塞ぐ。このまま呼吸を忘れたい。彼女の隣にそっと横たわって生きて、死にたい。ただそれだけの話なのに。なんでこんなに否定されるんだろう。 「わたしたちを認めてくれない社会が決めたものなんか、なんの価値もないよ」 「そうだとしても、足掻くのをやめることはできない」 「わかってる」 あと何度こんな生活を繰り返す?あと何日彼女を閉じ込めていれば世界は変わる?自間自答を繰り返しても、返ってくるのは伽藍堂。 嫌になるくらい同じ毎日は、私たちが愛し合うことを認めてくれない。今はただ、誰もわたしたちを引き剥がすことのできないよう、強く抱きしめあうことしかできなかった…………………………

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終末に口紅