叶夢 衣緒。/海月様の猫

650 件の小説
Profile picture

叶夢 衣緒。/海月様の猫

綺麗事が救いにならない夜の話。 正しさに置いていかれた感情と、 救われなかった青春の残骸。 優しい言葉ほど、いちばん痛い。 2023年 2月27日start 3月3日初投稿

しぬまでにやりたかったこと

みんなが走るグラウンドで 僕だけは窓の内側 空気みたいに、そこにいるだけだった 黒板の文字よりも 背中に刺さる笑い声の方が ずっとよく見えた 「生きてる意味あんの?」 って言葉は たぶん質問じゃなくて 確認だった それでも 家に帰れば 家族がいる それだけでよかった 叩かれる手も 怒鳴る声も ちゃんと僕に向いてる証拠で 僕が出来損ないだから 当たり前なんだ 親友が 「先に行ってるね」って 冗談みたいに言ったあの日 その意味を あとから知るのは あまりにも遅すぎた 僕がはまだ ここにいる 生きてるっていうより 残ってるだけだけど それでも 朝が来るたびに 少しだけ期待してしまう もしかしたら今日こそ どれかひとつくらい 叶うんじゃないかって でもきっと 全部叶わないまま 終わるんだと思う だからせめて この上でだけは 全部、やったことにする 笑ったことも 愛されたことも ちゃんと、あったことにする ねえ 僕の人生は ちゃんと 「生きてた」って言っていいかな それだけが 最後にやりたかったことだから

5
0

【第9回N 1】過去時計

教室の時計は、壊れているわけでもないのにどこかぎこちなく時を刻んでいた。 秒針が進むたび、わずかにためらう。その一瞬の引っかかりが、僕はやけに気になっていた。 「逆に回ったらいいのにね」 窓際の席で、彼女は唐突にそう言った。名前は朝比奈。春の終わりに転校してきたばかりでまだ誰とも深く話していないはずなのに、なぜか僕にはよく話しかけてくる。 「時間が?」 「うん。反時計回り。そしたら、ちょっとくらいはやり直せるでしょ」 冗談みたいに笑うけれど、その目は冗談を言う人のものじゃなかった。 僕は曖昧にうなずいた。やり直したいことなんて、誰にでもある。でもそれを口に出すのは思っているよりずっと苦しい。 放課後、校舎裏の自販機の前で、彼女はまた同じ話をした。炭酸の抜けかけたサイダーを飲みながら、ぽつりぽつりと。 「ねえ、もし本当に逆に回せたらさ、どこまで戻る?」 「さあ…昨日とか?」 「つまんない。もっと戻ればいいのに。入学式とか、小学校とか、いっそ生まれる前とか」 軽やかに言うけれど、その言葉の先にあるものは軽くなかった。 僕は返事を探して結局何も言えなかった。 沈黙の代わりに、風が吹いた。 グラウンドの砂を巻き上げて校舎の壁にぶつかる。春の終わりの風は、どこか夏の匂いが混じっていて少しだけ息苦しい。 「苦しいよね、前に進むのって」 彼女は空を見上げたまま言った。 「でも止まるのも、もっと苦しい」 そのとき初めて、僕は彼女が何かから逃げているんじゃなくて、何かを必死に追いかけているんだと気づいた。見えない時間の流れを逆走するみたいに。 それから僕たちは、放課後に会うようになった。特別なことは何もしない。ただ歩くだけ。川沿いの道を、駅とは逆方向へ。人の少ないほうへ、夕日が沈むほうへ。 「なんで逆に行くの?」 ある日、僕が聞くと、彼女は少し考えてから言った。 「流れに乗るのって楽じゃん。でも、それだとどこに行くか自分で決められない気がして」 「じゃあ、逆らってれば決められるの?」 「わかんない。でも、少なくとも“選んでる”感じはする」 その言葉は、不思議と胸に残った。選ぶことは、苦しい。でも選ばないまま流されるのも別の苦しさがある。 六月の終わり、雨の日が続いた。川は濁って、流れも速くなる。僕たちは橋の上に立って、しばらく水面を見ていた。 「ねえ」 彼女が言った。 「ほんとはさ、戻りたい日があるの」 「…どこ?」 「一年前の。今日」 雨音に紛れて、彼女の声は少しだけ震えていた。 「大事な約束、破っちゃったの。どうでもいいことで、後回しにして。そのまま会えなくなった」 僕は何も言えなかった。言葉にできることはたいてい薄っぺらい。 「だからさ、せめて歩く方向くらいは逆にしようと思って」 彼女は笑った。泣いているのか笑っているのか、よくわからない顔だった。 「時間は戻らないけど気持ちはちょっとだけ逆らえるでしょ」 その日、僕たちは初めて駅のほうへ歩いた。 人の流れに紛れて、いつもの逆を行くのをやめてみた。 不思議なことに、苦しさはあまり変わらなかった。でも、少しだけ風が通った気がした。 夏休みの前日、彼女はまた転校することになったと言った。 理由は聞かなかった。聞けば、たぶん何かが決定的に終わってしまう気がしたから。 「最後にさ」 校門の前で、彼女は振り返った。 「一回だけ時計、逆に回そうよ」 「どうやって?」 「こうやって」 彼女は腕時計を外して、くるりと逆向きに回した。秒針は当然、前にしか進まない。それでも彼女は満足そうにうなずいた。 「ほら、ちょっとだけ戻った気しない?」 僕も真似してみた。何も変わらないはずなのに、ほんの一瞬だけ、昨日より前に立っているような気がした。 「ね」 彼女は言った。 「戻れないから、進めるんだよ」 風が吹いた。今度は、少しだけ涼しかった。 彼女がいなくなったあとも、教室の時計は相変わらずぎこちなく動いている。秒針は、やっぱり時々ためらう。 でもその一瞬の引っかかりが今は少しだけ好きだ。そこに、小さな“逆向き”がある気がするから。 僕は今日も歩く。 前に進みながら、ときどき心の中でだけ反時計回りに。苦しさを抱えたまま、それでもどこかで風を感じながら。

9
0

明日、ー

屋上の柵は、思っていたより低かった。 乗り越えようと思えば、簡単に越えられる高さだった。 風が強くて、シャツの裾がばたつく。グラウンドの声は遠くて、別の世界みたいに聞こえた。 「ここから飛んだら、どうなるんだろうな」 独り言のつもりだった。 「普通に死ぬんじゃない?」 後ろから声がした。 振り返ると、見たことない男子が、給水塔にもたれて立っていた。 いつからいたのか分からない。 「……誰」 「同じクラス」 そう言って、面倒くさそうに目を細めた。 「教室行ったことないんだけど」 ああ、と思った。名前も顔も知らない“出席番号だけ存在するやつ”。そういうのが、確かにいた気がする。 「で、飛ぶの?」 軽い口調だった。 止めるでもなく、驚くでもなく、本当にただの確認みたいに。 「…まだ」 「まだ、か」 彼は近づいてきて、僕の隣じゃなく、少し離れたところで立ち止まった。 柵の内側で。 「やめといた方がいいよ」 「なんで」 「めんどいから」 予想外の答えだった。 「死ぬのも、生きるのも、大体めんどいけどさ」 空を見上げる。 「その中でわざわざ“飛ぶ”っていうイベント挟むの、コスパ悪くない?」 思わず、少しだけ笑った。 何だそれ。 それが最初だった。 次の日も、僕は屋上に行った。 彼はいた。 その次の日も、そのまた次も。 「お前、なんで毎日来てんの」 「なんでだろね」 「屋上ってそんな魅力ないぞ」 彼はいつも適当だった。 名前も名乗らないし、僕の名前も聞かない。会話も、途切れ途切れで、意味があるのかないのか分からない。 でも、気づいたら僕はそこに行くのが当たり前になっていた。 「お前さ」 ある日、彼が言った。 「頑張りすぎじゃない?」 唐突だった。 「別に」 「嘘」 即答された。 「顔に出てる」 むかついた。 でも、否定できなかった。 「ちゃんとやらないとダメだろ」 そう言うと、彼は肩をすくめた。 「誰が決めたの、それ」 「…普通はそうだろ」 「“普通”って便利だよな」 彼は笑った。 「自分が決めたことを、人のせいにできるから」 言い返せなかった。 それから、少しずつ話すことが増えた。 家のことは言わなかった。でも、学校のことは話した。 うまくやれないこと。頑張っても空回りすること。誰にも必要とされてない気がすること。 彼は、ほとんど共感しなかった。 「ふーん」 「まあ、そういう日もあるんじゃない」 それだけだった。 でも、なぜかそれで十分だった。 否定されないことが、こんなに楽だとは思わなかった。 もう僕は柵に手をかけなかった。 ただ、空を見ていた。 「飛ばないの」 彼が言う。 「飛ばない」 「そっか」 それだけ。 でも、その一言で、何かが少し変わった気がした。 「なあ」 僕は言った。 「もしさ、あの時飛んでたらどうなってたかな」 彼は少し考えてから言った。 「さあ」 いつもの答え。 でも、そのあとで続けた。 「でもまあ」 「今、生きてるなら、それでいいんじゃない」 その日、初めて思った。 もう少し、生きてもいいかもしれない って。 数日後。 帰り道だった。 特別な日じゃなかった。いつも通りの、つまらない一日だった。 でも、前より少しだけ、嫌じゃなかった。 信号を待ちながら、ふと空を見る。 屋上から見たのと、同じ空だった。 そのとき— ブレーキの音がした。 次に目を開けたとき、真っ白な世界にいた。 知らない場所。 体は動かなかった。 音が遠い。 誰かが何か言っている。 でも、意味が入ってこない。 次に屋上に行けたのは、いつだったのか分からない。 時間の感覚が曖昧だった。 でも、気づいたらそこに立っていた。 いつもの場所。 風。 空。 そして— 彼がいた。 「遅い」 いつも通りの声だった。 「…ああ」 なぜか、少し笑ってしまった。 「ごめん」 彼は僕の顔を見て、少しだけ目を細めた。 「今日でお別れ?」 あまりにも軽くて、現実感がなかった。 「……たぶん」 「そっか」 それだけだった。 しばらく、何も話さなかった。 風の音だけがする。 「なあ」 僕は言った。 「僕さ」 少しだけ、言葉を選ぶ。 「生きようって、思ってたんだ」 彼は頷いた。 「知ってる」 「なんで」 「顔に出てた」 少しだけ、悔しかった。 「理不尽だよな」 ぽつりとこぼす。 「まあね」 彼はあっさり言った。 「でもさ」 空を見る。 「そんなもんじゃない?」 「…軽いな」 「重くしても、変わんないし」 そのとき、ふと思った。 ずっと引っかかっていたこと。 「お前さ」 「ん?」 「なんで、あの日、声かけたの」 「なんでだろうな」 最後の最後まで軽くて。適当で。 だけど最期に見えたのは彼の初めて見る寂しそうな笑顔だったー

8
0

“卒業式”

卒業式の朝は、少しだけ世界が静かになる。 体育館へ向かう廊下の窓から、春の光が斜めに差し込んでいた。 床に伸びる光の帯を、俺はゆっくり跨いで歩く。 今日で、全部終わる。 三年間通ったこの校舎も、放課後に無意味に残った教室も、屋上の錆びたフェンスも。 全部「思い出」になる。 「……おはよ」 声がして振り向くと、そこにあいつが立っていた。 制服の襟は少し曲がっていて、ネクタイは相変わらず緩い。 髪も寝癖がついたままだ。 いつも通りだった。 「遅いぞ」 「今日くらい許せよ」 俺が言うと、あいつは笑った。 三年の間、ずっと一緒だった。 クラスが離れても、昼はなぜか同じ場所で弁当を食って、帰り道もだいたい同じ。 特別な理由なんてない。ただ、気づけば隣にいた。 体育館に向かう途中、あいつが言う。 「なあ」 「ん?」 「卒業したらさ、お前どうすんの」 「大学」 「ふーん」 あいつは窓の外を見た。 校庭では、在校生が卒業式の準備をしている。 「俺さ」 そこで言葉が途切れる。 「なんだよ」 「……いや、なんでもない」 変なやつだと思った。 昔から、あいつはたまにそういう顔をする。 言葉の続きを、飲み込むみたいな顔。 体育館の前に着くと、人の流れが止まった。 列を作って入場するらしい。 ざわざわした空気の中で、あいつが急に言った。 「なあ、覚えてる?」 「何を」 「二年の夏」 「あー……花火?」 「そう」 河川敷で見た、でかいやつ。 帰り道、コンビニでアイスを買って。 溶ける前に食えって競争して。 「あれさ」 あいつは少し笑った。 「俺、すげえ楽しかった」 「俺も」 そう言うと、なぜかあいつは少し驚いた顔をした。 「そっか」 それだけ言って、前を向く。 列が動く。 体育館の扉が開いて、拍手が聞こえる。 卒業生入場。 俺は一歩踏み出した。 ―そのとき。 ふと気づいた。 隣に、あいつがいない。 振り返る。 誰もいない。 「……?」 おかしい。 さっきまで、 「どうした?」 後ろのやつに言われて、俺は慌てて歩き出した。 席に座ってからも、ずっと周りを見ていた。 でも、あいつの姿は見つからない。 式が始まる。 校長の話。 来賓の祝辞。 卒業証書授与。 名前が一人ずつ呼ばれていく。 「――三年二組」 俺はぼんやり聞いていた。 「……」 そして。 一つの名前で、空気が少し止まった。 「――欠席」 それだけだった。 ざわめきが、すぐに消える。 俺の手が、膝の上で固まった。 そうだった。 思い出した。 三日前。 交通事故。 夜。 自転車。 ニュースみたいに、先生が説明していた。 葬式も、もう終わった。 俺は、ちゃんと聞いていたはずだった。 なのに。 なのにさっきまで―― 「遅いぞ」 「今日くらい許せよ」 声が、まだ耳に残っている。 式の終わり、体育館の外に出ると、春の風が吹いていた。 校庭には笑い声と、写真を撮る声。 みんな未来の話をしている。 俺は校舎の裏へ回った。 屋上のフェンスが見える場所。 放課後、よく座っていた段差に腰を下ろす。 空は、やけに青かった。 ポケットに手を入れると、何かが触れた。 コンビニのレシート。 昨日のものじゃない。 もっと前。 二年の夏。 アイス二本。 その裏に、落書きみたいな字。 「負けたやつジュースおごり」 あいつの字だった。 俺は思わず笑った。 「……バカだな」 風が吹く。 遠くで、卒業式の歌が聞こえる。 ふと、隣に気配がした気がした。 振り向く。 もちろん、誰もいない。 でも。 なんとなく、わかる。 あいつは多分、ちゃんと卒業したんだ。 俺と一緒に。 だから俺は立ち上がる。 「じゃあな」 誰もいない空に向かって言う。 「またどっかで」 春の空は、少しだけ優しかった。

9
0

奇跡

花屋で働くようになって、花言葉を覚えた。 赤いバラは「愛」。 カスミソウは「感謝」。 そして、青いバラ。 花言葉は——「奇跡」。 彼女が店に来るのは、いつも金曜日だった。 「青いバラ、一本ください」 最初は不思議だった。 青いバラは、あまりプレゼントに選ばない。 でも彼女は、毎週必ずそれを買う。 「贈り物ですか?」 そう聞くと、彼女は微笑んだ。 「好きな人に」 その笑顔が、なぜか寂しそうだった。 季節が三つ変わる頃には、 僕は彼女のことを好きになっていた。 名前も知らないのに。 金曜日が来るのが楽しみで、 彼女が帰ると少し寂しかった。 ある日、僕は勇気を出した。 「その人、幸せですね」 彼女は不思議そうに聞いた。 「どうして?」 「だって、こんなに想われてる」 彼女は少しだけ黙って、そして言った。 「……会えない人なの」 それを知ったのは、偶然だった。 配達の帰り道、墓地を通ったとき。 見覚えのある後ろ姿があった。 彼女だった。 墓石の前に、青いバラを一本置いている。 僕はその場で立ち止まった。 風の中で、彼女の声が聞こえた。 「今日も来たよ」 墓石に刻まれていた文字。 享年 二十三 胸が締めつけられた。 次の金曜日。 彼女は、いつも通り店に来た。 「青いバラ、ありますか?」 僕はうなずいた。 でも渡す前に言った。 「……あの、この前お墓の前で偶然ー」 彼女は少し驚いた顔をした。 沈黙のあと、彼女は小さく笑った。 「そっか。あのね」 彼女は言った。 「私、ずっと待ってるの」 「なにを、」 僕が聞くと、彼女はうなずいた。 「奇跡を。夢でもいいから、もう一回会えたらって」 その言葉が、彼女の真っ直ぐな目が痛かった。 僕はその日、青いバラを二本渡した。 「一本多いですよ?」 彼女は言った。 僕は笑った。 「サービスです」 彼女は少し驚いて、でも嬉しそうに笑った。 その笑顔を見て、思った。 きっと僕は、この人を一生好きなんだろう。 次の金曜日。 彼女は来なかった。 その次も。 その次の週も。 心配になって、僕は墓地へ行った。 あの墓の前に。 そこには青いバラが一本あった。 そして、その隣に 新しい花が置かれていた。 白い花。 墓石の前に、もう一つの名前が刻まれていた。 常連の女の人が教えてくれた。 小さな事故だったらしい。 僕は青いバラを一本置いた。 そして、やっと気づいた。 彼女は言っていた。 「奇跡を待ってる」って。 もしかしたら。 本当に奇跡が起きたのかもしれない。 青いバラの花言葉は 「奇跡」。 二本で 「2人だけの世界。」 遠くで風が吹いた。 青い花びらが揺れた。 まるで誰かが笑ったみたいに。

14
4
奇跡

あの日の話

朝六時、父の目覚ましが鳴る。 止める音が乱暴で、それで目が覚める。僕の部屋には時計がないから、父さんの機嫌で時間を知る。 キッチンから音がする。 母さんはいつも無言で朝ごはんを作る。 僕はゆっくり起き上がる。 少し早い鼓動を気のせいだと落ち着ける。 「いつまで寝てるの」 扉の向こうから声が飛ぶ。 「ごめんなさい」 そう答えると、静かにため息をつかれる。何が正解かなんてわからない。 朝ご飯は食べない。食欲なんて全くなくて食べれない。 父さんは新聞を読んでいる。 僕が座っても、目を上げない。 「昨日の復習は」 いきなり聞かれる。 「しました」 「何時まで」 「十時半」 新聞がぱさりと鳴る。 「遅いな。無駄が多いんじゃないか」 無駄、という言葉は便利だ。 何にでも使える。 テストで一位を取っても、 病院から戻ってきても、 熱が下がっても。 全部、「無駄が多い」で片付く。 妹が起きてくる。 スマホを片手に明るく挨拶をする。 「××と比べてあんたは出来損ないだから」 耳にタコができるほど聞いた言葉。 「テストで一位とれたからって偉いわけじゃないのよ。上には上がいるんだから」 自分が偉いなんて思ったことない。 “出来損ない”その通りだと思う。 家では一番下だ。 それが、うちの決まりみたいだ。 学校から帰る。寄り道なんてしない。友達もいない。 逃げれない。 少しでも横になると、「また?」と言われる。 だから、机に座る。 鉛筆を持つ手がだるい。 でも、それを理由にしたら負けだ。 父さんは仕事から帰ると、僕の机をのぞく。 「姿勢が悪い」 背中を押される。 ぐっと前に押される。 一瞬、息が詰まる。 「そんなだから体も弱い」 全部、つながっているらしい。 僕の体調も、成績も、性格も、 全部、僕のせいで、全部、努力不足。 夕飯のとき、テレビはついている。 ニュースで、どこかの誰かが賞を取った話をしている。 「ほら、同い年だ」 母さんが言う。 「世界で活躍してる子もいるのよ」 僕は味噌汁を飲む。 熱い。 舌が少し痛い。 でも、顔には出さない。 出したら、「大げさ」と言われるから。 お腹なんて空いてない。少し食べただけで気持ち悪い。 食べなきゃ体調は良くならない。 食べなきゃ元気になれない。 知ってる。僕が一番分かってる。 父が言う。 「お前は環境に恵まれてるんだ。塾にも行かせてる。飯も食わせてる。何が不満だ」 不満なんて、ない。 あるとしたら、それを言えないことくらいだ。 でも、それは不満とは呼ばないらしい。 夜、咳が出る。 止まらなくなる。 呼吸の仕方がわからなくなる。 一回だけ。 扉の向こうで、舌打ちがする。 それだけで、次の咳を飲み込む。 胸がひりひりする。 布団の中で、天井を見つめる。 僕は考える。 このまま息が止まればいいのに。 殴られる日のほうが、まだわかりやすい。 音がして、痛くて、終わる。 でも、何も起きない日のほうが長い。 怒鳴られない日。 叩かれない日。 刃物を、向けられない日。 ただ、少しずつ削られる日。 「もっと頑張れ」 「甘えるな」 「普通にしろ」 普通って、何だろう。 僕はたぶん、壊れてはいない。 だから、この家では問題はないことになっている。 暴力も、怒鳴るのも、指導のうち。 体が弱いのは、僕の責任。 ちゃんと理屈が通っている。 だから誰も困らない。 僕以外は。 眠る前、静かな家の音を聞く。 冷蔵庫の低い唸り声。 父さんのいびき。 母さんの寝返り。 妹のスマホから漏れている音楽。 僕の咳だけが、いらない音みたいだ。 僕の存在だけがいらない。 音を立てなければ。 できるだけ、存在しないみたいに。

7
0

たとえ明日が来なくても、

どうして大人は生まれ方は教えてくれるのに死に方は教えてくれないのかー この問いに答えられる、答えてくれる先生はいますか この問いに模範解答はありますか どうして生きているのか どうして生まれてくるのか それは運命でもなんでもない 僕が生まれてきたのは ただの間違いです 僕はただの失敗作です 完璧な人間がいないというように きっと神や世界を作った“何か”も 完璧ではないのかもしれません だから生まれてしまった失敗作 普通に 普通に 生きようとしてきたはずなのに 頑張って 頑張って 生きてきたはずなのに どうして今 こんなことになってるのか 何もできなくて 何をするのも怖くて もういなくなるしかないのに いなくなる方法もありません 真っ白な世界で 逃れられない真っ白な世界で 僕はずっと終わりが来ることを願うことしかできないのですか

7
1

あの日の屋上

夕方の屋上は、いつも風が強い。 俺―相澤湊は、フェンスにもたれて空を見ていた。 学校は嫌いだ。 だけどこの場所だけは嫌いじゃなかった。 「またここにいた」 後ろから声がする。 振り向かなくても、誰だか分かる。 相沢 円華。 同じクラスで、同じ名字で、だけど俺なんかとは正反対の明るい生徒会長。 「うん」 相沢と初めてちゃんと話したのは、入学して一か月くらい経った頃だった。 体育祭の練習中、俺が突然息ができなくなって座り込んだ時、 誰も近寄らなかった中で、相沢だけが水を持ってきた。 「無理しないで。倒れても誰も責任取らないよ」 その言い方が、やけに優しかった。 相沢はあまり自分のことを話さない。 俺も、聞かれない限り話さなかった。 でも、不思議と沈黙は苦じゃなかった。 「なあ、相沢。」 「なに」 「生きてる感じ、するか?」 突然、そんな質問が口をついて出た。 「…分かんないな」 「だよな」 相沢はフェンス越しに街を見下ろした。 「私さ、自分が透明みたいに思える時があるんだよね。声出しても、触っても、誰にも届かない感じ」 その言葉が、胸に刺さった。 俺も同じだったから。 誰かと一緒にいても、 どこか一人で、世界から少しずれている感覚。 学校では普通に笑ってるやつらが、 まるで別の生き物みたいに見える。 少し前までは相沢もその1人だと、いやその中心だと思ってた。 「私たち、変なのかな」 「変でもいいだろ」 「そういう問題かな」 相沢は苦笑した。 秋が深まるにつれて、相沢は少しずつ壊れていった。 遅刻も欠席もしない優等生、じゃなくなった。 遅刻が増え、授業中はぼーっとして、 ノートは真っ白のまま。 友達に囲まれて笑う笑顔が心なしか影っていた。 そして、屋上に来る回数が増えた。 「夜、寝れないんだよね」 「不眠?」 「寝るとさ、終わる気がしてさ、」 俺は何も言えなかった。 言葉を選んでいるうちに、 相沢は続けた。 「湊はさ、消えたいって思ったことある?」 胸が、ぎゅっと縮む。 「……ある」 「うん私も。」 それだけで、少し救われた顔をした。 冬が来る直前の夜。 風が冷たくて、息が白い。 俺が屋上に着いた時相沢はフェンスの内側に立っていた。 「ねえ」 「危ないから下がれよ」 「落ちたらどうなると思う?」 俺は駆け寄って、相沢の腕を掴んだ。 「やめろ」 「怖い?」 「怖いに決まってるだろ!」 相沢は、少し驚いた顔をした。 「……私のこと、そんなふうに思ってくれる人、初めてだ」 その言葉で、力が抜けた。 俺は気づいた。 相沢を止めたかったんじゃない。 相沢がいなくなる世界に、耐えられなかっただけだ。 「生きろとか言わない」 俺は震える声で言った。 「でも、今日だけはここにいろ」 相沢はしばらく黙っていた。 やがて、フェンスから降りた。 その場に座り込んで、顔を覆った。 俺は何も言わず、隣に座った。 夜が終わるまで、二人で。 春。 二年生になる。 相沢はまだ不安定だし、 俺も相変わらず息が苦しくなる時がある。 でも、屋上に行けば、誰かがいる。 世界は相変わらず冷たいけど、 少なくとも、俺たちは互いを見失っていない。 青春って、多分こういうものだ。 輝かなくて、楽しくなくて、 それでも手放せない時間。 夜が終わる前に、 俺たちは今日も、ここにいる。

6
0

なんで生きてるのかな なんで息してるのかな どれだけの人に迷惑かけて どれだけの人に死んで欲しいって思われたか 分かってるのに バカだよね 死んでれば良かったのにね ごめんなさい ごめんなさい もう訳わかんないよ 起きる気力ないのに 全部思い出しちゃって 寝れなくて 物とか人とか音とか声とか 全部怖くて 何もできなくて 話せなくなっちゃって 目を見れなくなっちゃって 目を閉じるだけで 鮮明に思い出せるんだよね あの瞬間を

8
0

第3回NSS ふたご

俺と兄は双子だ。生まれた日も背の高さも同じなのに、両親の離婚で、別々に暮らすことになった。兄は父の元へ、俺は母と残る。俺たちには選択肢なんてなかった。決まった日の夜、兄はいつもより無口だった。テレビでは、ふたご座流星群が見頃だと言っている。まるで俺たちをからかうみたいで、俺は少し腹が立った。 ベランダに並んで座ると、冬の空気が肺に刺さる。流星が続けて沢山落ちていく。兄は空を見たまま言った。 「双子ってさ、離れても消えないんだよな。ふたご座の元になってるギリシャ神話の双子って切っても切れないぐらい仲良かったんだってな」 俺は返事をしなかった。胸が詰まって声が出なかった。 置いていかないで、って叫びたかった。 それ以外の願い事なんて浮かばない。ただ、この瞬間だけが長く続けばいいと思った。 別れの朝、兄は靴を履きながら振り返り、笑って言った。 「同じ空見てたら、それで十分だろ」 ドアが閉まったあと、寂しさは確かに残った。でも夜空を見上げるたび、胸の奥が少し暖かくなる。双子の片割れは、今もどこかで、同じ星を見ている気がしたから。

11
1