叶夢 衣緒。/海月様の猫
707 件の小説理想
かすかな潮の香りが、村外れの道にまで漂っていた。 昨夜の雨で濡れた土はやわらかく、歩くたびに微かな音を立てる。 こんな静かな朝は久しぶりだった。胸の奥のざわつきだけが、やけに現実味を帯びていた。 今日、この村を離れる。 そう決めたのは昨日でもなければ、誰かに言われたからでもない。 ずっと前から胸の内で形だけはあったはずの決意が、ようやく輪郭を持ちはじめた。それだけのことだった。 荷物は少ししかない。 本当に持っていきたいものは、どうしても手では持てなかった。 記憶とか、声とか、笑い方とか――そういうものはどうしても持ち運べないらしい。 代わりに、旅の間の支えになるはずだと自分に言い聞かせた古びた地図を鞄に押し込んだ。 村の中央にある古い給水塔に差しかかったとき、塔の影に誰かが立っているのが見えた。 マヤだった。 彼女は早朝にもかかわらず、いつものようにひとつに結んだ髪が揺れ、いつものように気づかないふりをして私を待っていた。 「行くんでしょ。」 「……ああ。」 それ以上の会話はいらなかった。 マヤは、私が何を考え、何を捨て、何に怯えているか全部知っていた。 それでも引き止めなかった。きっと、それが彼女の優しさなのだろう。 彼女は掌ほどの小さな布袋を差し出した。 「お守り。役に立つかどうかは知らないけど、ないよりはましだから。」 袋の中身は軽く、指で押すと柔らかい感触が伝わる。 何が入っているのかは聞かなかった。 聞いてしまえば、それを捨てられなくなる気がしたからだ。 「気をつけてね。」 短く、それだけ。 その声が、意外なくらい落ち着いていたのが逆に胸に沁みた。 私は深く息をして、彼女に背を向けた。 ここから先は、私の物語だ。 責任も、後悔も、全部抱えて歩いていくしかない。
こころぐすり。
左手首に 赤い線を描いて 手首だけでは物足りなくて 満たされなくて 気づけば キャンバスは真っ赤に染まる 刃だけでは満たされなくて 気づけばカプセルに手が伸びる 口に含んで 流し込んで ふわふわしてくるこの感覚 これが 僕にとって最高の治療 心の薬だー
光
シャッターを切る音が、放課後の屋上に響いた。 夕日の光がゆっくりと傾いて、校舎の影を長く伸ばしていく。 「なあ、透。お前、なんでそんなに空ばっか撮るの?」 俺の隣でカメラを構えるのは、友人の蓮。 いつもは無口なくせに、レンズを向けるとやたら喋るタイプだった。 「空を見てるとできないことなんてないって思えるから。」 「お前、ポエマーかよ。」 そう言うと蓮は笑った。 その笑顔に、何枚もシャッターを切りたくなった。 写真部の部員は二人だけ。 俺と蓮。 部室という名の物置みたいな小さな部屋に、古い現像機と使いかけの印画紙がある。 文化祭に出す展示の準備で、俺たちは毎日ここにこもっていた。 「俺さ、卒業したら東京行くわ。」 突然、蓮が言った。 「専門学校、映像系のやつ。映画とか撮ってみたいんだ。」 「……マジで?」 「うん。お前も来いよ。二人でやったら絶対面白い。」 俺は曖昧に笑った。 けど、行けないことは分かってた。 家の事情も、金の問題も。 そして何より、俺は“ここ”が好きだった。 小さな街。変わらない空。 写真に残したいのは、いつもこの場所の光だった。 文化祭当日。 展示室には、俺と蓮の写真が並んでいた。 空と街と人。 どれも日常の風景だけど、不思議と温かかった。 来場者が増えてくると、蓮は照れくさそうに笑いながら言った。 「お前の写真、優しすぎるんだよ。見てると泣きそうになる。」 「透のはなんか、ずっと走ってる感じ。明るい気持ちになれる。」 「いいじゃん、対照的で。」 俺たちは、たぶんすごく似てた。 でも、向いてる方向が少し違っただけなんだと思う。 冬の初め。 蓮が事故に遭った。 飲酒運転の車にぶつけられて、即死だったと聞いた。 現実なんて、そんなにあっけない。 人の人生なんてこんなに一瞬で壊れてしまうんだ。 10数年生きてきて初めて気づいた。 部室のドアを開けたとき、机の上に彼のカメラが置いてあった。 中には、現像されていない光が閉じ込められていた。 葬式のあと、蓮の母さんが俺に言った。 「これ、蓮の机に置いてあって。」 小さな封筒の中には、プリントされた一枚の写真。 そこには俺がいた。 屋上で空を撮っている俺の後ろ姿。 空は、やけに青くて、広かった。 春。 俺は写真部の部室にひとり残っていた。 古い現像液の匂いが鼻を刺す。 机の上には、蓮が最後に撮った写真。 慎重に水にくぐらせ、光を当てる。 少しずつ浮かび上がってくる影の中に、 知らない空があった。 雲が裂けて、光が降り注いでいた。 蓮が撮った「最後の空」。 そこには、確かに“生きよう”としていた光があった。 俺はその写真を拭い、文化祭の展示パネルの裏に貼りつけた。 誰の目にもつかない場所に、そっと。 「お前の光、ちゃんとここにあるよ。」 窓を開けると、春の風が入ってきた。 カーテンが揺れ、埃がきらめく。 その瞬間だけ、時間が止まったような気がした。 俺はカメラを構えた。 シャッターを押す。 光がまた、ひとつ、閉じ込められた。 その写真には、何も写っていないように見える。 けれど、見つめていると、 あのときの風の音と、蓮の笑い声が確かに蘇る。 俺は気づいた。 写真って、残すためじゃなくて、 忘れないために撮るんだって。 空を見上げる。 あの日と同じ色の青が、広がっていた。 ──光は止まらない。 それでも、俺たちは、止まった時間の中で、生きていく。
贖罪
放課後の屋上。 フェンス越しに見える空は、どこまでも青かった。 「なぁ、なんでみんな、そんなに生きたがるんだろうな。」 風にかき消されるように、俺はつぶやいた。 誰もいない屋上。部活の声も、笑い声も、もう届かない。 ポケットの中には、クシャクシャになった退学届。 先生には何も言ってない。家にも、もう帰ってない。 誰かに止めてほしかったのかもしれない。 でも、そんな都合のいい物語みたいな奇跡なんて、俺には降ってこなかった。 フェンスの向こうの世界は、やけに静かだ。 まるで、全部が止まって見える。 こんなにもきれいな空が俺には灰色に見えていた。 ──あのとき。 駅のホームで泣いていたあいつに、声をかけられていたら。 もしかしたら、何か変わってたのかな。 笑い方も忘れたまま、時間だけが過ぎた。 勉強も、部活も、夢も。 全部「誰かが決めた正解」に縛られて、息ができなくなった。 俺はゆっくりとフェンスに手をかけた。 鉄の冷たさが、やけに優しく感じた。 「……もう、いっか。」 足元に広がる風の音。 空が、すぐそこにあるような錯覚。 それだけで、少し救われた気がした。 俺の自己満足の贖罪。 ──誰か、俺のこと、少しでも覚えててくれたらいいな。 そして、世界は再び、静かになった。
立ち入り禁止
昼休みの教室。 屋上は立入禁止だけど、鍵が壊れているのを知っているのは、たぶん俺と隼だけだ。 「また来たな、真」 「だって静かだし、風が気持ちいいだろ」 風に揺れる制服の袖。 隼は柵にもたれて、空を見上げている。 何かを考えてるときの、あの無表情が妙に絵になるやつだ。 俺たちは同じクラスだけど、特別仲が良いわけでもない。 ただ、二年の春に偶然この屋上で一緒になって、以来なんとなく、昼はここで過ごすようになった。 話すのはたいてい、くだらないことばかり。 「最近、勉強してんのか?」 「してねぇよ。どうせ推薦だし」 「お前ずるいな。俺、テスト死にそうだわ」 「じゃ、俺のノート見ろよ」 そう言って、隼は青いペンでびっしり書かれたノートを差し出す。 文字が整っていて、読みやすい。 俺が何気なく感心していると、隼は少しだけ笑った。 「……お前が見るなら、書く甲斐あるわ」 その言葉が、やけに引っかかった。 冬の期末テストが終わると、隼が学校に来なくなった。 風邪でも引いたのかと思ったが、担任はそれ以上何も言わない。 年が明けて、三学期。隼の席は空いたままだった。 俺は屋上に行かなくなった。 寒すぎるのもあるけど、あの場所に一人で行く気がしなかった。 卒業式の日。 机を片付けていると、教科書の間に一枚の紙が挟まっていた。 青いペンの文字。 「ノート、貸したままだよな。 もう返さなくていい。 真が見てくれたなら、それでいい。 またね。」 日付は十二月二十日。 たぶん、最後に隼が学校に来た日だ。 俺は屋上に向かった。 春の風が、少し冷たい。 柵の前に立つと、青いボールペンが転がっていた。 「……バカ」 胸の奥で、何かがふっと溶けた気がした。 隼のノートは、今も俺の机の引き出しにある。 青い文字で埋め尽くされたページを開くたび、 あの日の風の匂いが、少しだけ戻ってくる。
夜が明ければ
夏の終わりの夜、校舎の屋上には風が吹いていた。 文化祭の準備を抜け出して、僕らは並んで夜景を見下ろしていた。 「なあ、卒業してもさ、こうして集まれるかな」 りとが笑いながら言った。 「無理だろ。お前はバンドで東京行くし」 「お前は美大だっけ?遠いな」 笑い声が少し悲しい夜空に溶けていく。 屋上から見える街の灯りは、まるで手が届きそうで届かない星のようだった。 あの夜、僕らは未来に怯えながらも、まだ何にでもなれる気がしていた。 ――あれから十年。 僕は地元に戻ってきた。 駅前のコンビニで働く夜勤中、ふと流れてきた深夜ラジオ。 「さて、今夜のリクエスト。『あの屋上の風』、今話題沸騰中地元出身のシンガー、リトのデビュー曲です」 商品を整頓していた指先が止まった。 懐かしいメロディが静かに流れ出す。 声は、間違いなくあの夜のりとのものだった。 胸の奥が熱くなった。 “夢を追いかけたやつ”と、“追いかけられなかったやつ”の距離を、音が埋めていく。 ふと、コンビニのガラスに映る夜空を見上げる。 流れ星がひとつ、音もなく落ちていった。 ポケットからスマホを取り出し数年前で止まったりととのメッセージ画面を開く。 ――「久しぶり。ラジオ聴いてる?」 期待を込めた指先で送信ボタンを押す。 【この番号は現在使われておりません】 画面の下に、小さく表示されていた。 耳元にはまだ、りとの声が残っている。 「夜を抜けたら、また会えるさ」 外に出ると、街灯の下を風が吹き抜けた。 十年前の夜と同じ風の匂いがした。 僕は小さく笑い、空に向かって呟いた。 「お前、ちゃんと聞こえてるよ」 夜は静かに更けていった。 風だけが、あの頃の僕らを知っていた。
お空の君たちへ
ねぇ、見えてますか、 僕のこと見守ってくれてますか 本当不思議なグループだったよね 年齢だって住んでる場所だって 全部ばらばらで だけどそうなる運命だったように 繋がった僕たち 一番年上で 一番しっかりしてて だけど一番元気だった君。 弱いとこなんて見せないで ずっと僕たちを支えてくれて だからこそだよ。 だから忘れられないんだよ。 君の最後の瞬間を 初めてみた涙。 雨の中で揺れる長い髪。 フェンスにかけた 泥で汚れた靴、 あと一歩。 あと少しで届くところで 君は遠い遠い場所に行ってしまった。 何もできなかったことが 悔しかった 君がいなくなってしまったことが ただ悲しかった。 これ以上こんな思いをしたくない 優しくなりたい そう願ったのに また守れなかったよ 君を追って 親友が行っちゃったよ 誰よりも優しい人が どうして死ななきゃ いけないのか 僕はわかんないよ でも今はゆっくり休んでください お空の上の2人が 幸せに楽しく過ごせていますように 大好きでしたー 僕は忘れない 忘れれないくらい大切な時間だったから
ココロの扉。#13 宮前 七瀬
「飛雄馬、全部私の気持ちを押し付けちゃってたよね…飛雄馬の気持ち考えたことなかったなって、、本当にごめんなさい。だけどね、これは飛雄馬のためをおもってー」 立て続けに言い訳をし続ける飛雄馬くんのお母さん。 飛雄馬くんは何かを諦めたように黙って液晶を見つめていた。 「だから、早く戻ってきて。もうすぐ先生が来てしまうから、、」 聞いていられなくなって思わず隣のヒロを見た。ヒロは俯いていた、ら 飛雄馬くんは黙って電話をぷつりと切った。 「…変わんないなぁ」 沈黙を破りそう言った飛雄馬くんの声は震えていた。 「僕が…おかしかったのかな。僕が、間違ってたのかな。諦めるしか、ないのかな、ぁ、」 何も言えない自分がもどかしかった。いつでもそうだ大切な時に限って言葉は出てこなくて。 「あのさ、さっき果音さんが聞いてたように飛雄馬くん、したいことってある?夢とか…」 ヒロが口を開いた。 「夢…僕…物語を書いてみたい、、」 「ものがたり、?」 「作家になりたいって、ずっと思ってて…そんな簡単になれるものじゃないって分かってるんです、だけど、、小説が好きでずっと救われてきて、なれないです、なれるわけないです、」 気づいたら俺は飛雄馬くんの声を遮っていた。 「絶対、なれるよ。絶対。行動してみないと、!」 また、無責任なことを言ってしまったーなんて後悔しそうになった瞬間飛雄馬くんがばっと顔を上げた。 「僕、一つお話書いてみようかな、それで、家族に見せてー」 みんなが嬉しそうに頷いている。 飛雄馬くんの進む道がどうなるのかはわからない。 だけど俺の言葉で前を向けたという事実がどうしようもなく嬉しかった。
君の小惑星【星憶図書館】
放課後の理科棟の屋上は、風が強かった。 冬の気配が少しずつ近づいている。空は透きとおって、星がひとつ、またひとつと顔を出していた。 古びたドームの中で、天文部の望遠鏡が低いモーター音を立てて動く。 「これ、動いてない?」 画面をのぞき込みながら、星来が言った。 パソコンに映る星図の一角、ひとつの光点が他の星とは違う軌道を描いていた。 「多分……人工衛星じゃない。動きが速すぎる」 俺は目を細めて確認する。モニターに写る淡い光は、数分ごとに位置を変えていった。 「小惑星かもしれないね」 「ほんと?すごくない…!」 星来の声が少し弾んだ。彼女の髪が風に揺れ、ほのかにシャンプーの匂いがした。 天文部。部員は二人しかいない。望遠鏡も年季が入っているが、それでも夜空をのぞく時間は好きだった。 広くて静かな宇宙に、自分の小さな悩みが溶けていく気がした。 数日後、俺たちは観測データを提出した。先生も驚いていた。もし本当に新しい小惑星なら、発見者として名前が残るかもしれない。 「名前、どうする?」 「うーん……。まず本当に見つかってからでしょ」 星来が笑った。その笑顔を、俺はたぶん一生忘れない。 けれど、一週間後の朝、彼女は通学途中に事故に遭った。 横断歩道でトラックにひかれて、そのまま帰らぬ人になった。 信じられなかった。前日の夕方まで連絡をとっていたのに。 夜、布団の中で何度も携帯を見返した。最後のメッセージは「今夜も晴れるね」だった。 それからの記憶は、正直あまりない。 気づけば、天文部の部室でひとり、パソコンの画面を見つめていた。 あの時見つけた光点は、まだ淡く光っている。 「仮符号:2025 A51」——それが今の名前。まだ誰のものでもない、小さな岩の塊。 夜風が頬を刺す。校舎の明かりがすっかり消えた後も、俺は屋上に残って望遠鏡をのぞいた。 星来がいたら、きっと隣で笑っていたはずだ。 「ねぇ、これ、本当に私たちが見つけたんだよ。すごくない?」 あの声が、今も耳の奥で響く。 春が過ぎ、夏が来て、秋になった。 文化祭の準備でにぎやかな校舎の片隅、俺は顧問の先生に呼び止められた。 「国際天文学連合から連絡があった。あの小惑星、正式に登録されたって」 「……ほんとですか」 「発見者の一人として、君の名前も載るよ」 俺はうなずいた。でも心の奥では、喜びよりも静かな痛みのほうが大きかった。 夜、屋上に上がった。 星がきらきら瞬いている。風が冷たい。 パソコンを開くと、登録情報が表示された。そこには、見慣れない英語の文字列があった。 20251 SERA。 2025年5月1日せら。先生がそうしてくれたのだろう。俺の提案を覚えていて。 モニターを見つめながら、胸が締めつけられた。 星来の名前を持つ小惑星が、今もどこかで静かに地球のそばを通っている。 永遠に近い時間を、ただ黙って回り続けている。 俺たちが生きている間、二度と見えないかもしれない距離を旅しながら。 「今夜も晴れるね」 ふと、その言葉が浮かんだ。 望遠鏡の向こうの星空に、俺はそっとつぶやく。 「うん。今日も晴れてるよ。」 風が吹き抜ける。校庭の隅で、部活帰りの誰かが笑う声が聞こえる。 その音の中に、星来の笑い声が少しだけ混じっている気がした。 俺は望遠鏡から目を離さず、心の中で名前を呼んだ。 ——せら、 彼女の小惑星が、遠い宇宙で小さく光っている。 いつか誰かがまたその光を見つけるとき、その人もきっと、少し切なく笑うのだろう。 そしてその光の奥で、あの笑顔がそっと瞬く。
「終わり、」
「なぁ、瑞葉。後一年しか生きれないなんて言われたら何する?」 夕暮れ時、静かな帰路に2人の影が伸びる…なんてロマンチックな事はない普通の帰宅ラッシュで混み合った電車で隣に立つ幼馴染が聞いてきた。 高校2年。幼馴染とは物心つく前から一緒にいたー道原海斗。家が近いこともあり今でも一緒に帰っている。 「ん?何急に(笑)怖いんだけど〜」 「いや、、気になっただけ、」 見慣れたはずの整った横顔が見たことのない悲しげな表情を浮かべているように見えた。 「…んー。1年だったら受験しなくていいんだし思いっきり遊ぶよね(笑)楽しむしかないじゃん。生きれる80年分くらいを1年にまとめないといけないんだから忙しくなりそうだね。」 「そう、だな。」 いつも以上に冴えない海斗の受け答えに疑問を抱きながらもその日は解散となった。 次の週だった、“今から会えない?”そう海斗からメッセージが来たのは。 “なにー?家来てくんない?” そう返した10分後海斗は誰もいない家のリビングに向かい合う形で座っていた。 「リンゴジュースしかないんだけどいい〜?」 「何もいらないよ」 そう断る海斗を無視して2人分のリンゴジュースを注ぎ席についた。 「で、突然何?」 俯いている海斗を急かす。 「…あのさ、俺死ぬんだってさー」 「は…?」 あまりに流れるように言うから言葉の意味が理解できなかった。 「だから死ぬんだって。後一年以内に」 「なんで?」 驚きよりも理解ができなくて普通の質問が口をついて出た。 「病気だって。俺もわかんねぇんだよな…?世界で初とか?なんか免疫がどうとか?まぁ、死ぬんだってさ。」 海斗が病気で?それも世界初の病気?それで死ぬ? 物語の世界かな…なんて薄っすら思って腕をつねってみる。痛い。 「…今日はそれが伝えたかっただけ!さ、ゲームでもしよっかな」 人の家で勝手にテレビの下の棚を慣れた手つきで漁り戦闘ゲームを接続した。 「……嫌だよ。海斗が死ぬなんて!本当なわけないじゃん!ドッキリでしょ?面白くない!」 気づいたら私は泣きながら叫んでいた。そんなことぶつけてもどうしようもない。 だけど信じられない気持ちと嘘だと言って欲しいという願いで気付けば行動してしまっていた。 「…驚かせたよな。ごめん」 涙で滲んだ視界に海斗の悲しげな顔が見えて言ってしまった…そう後悔した。 誰より辛いのは海斗だ。誰より信じたくないのは海斗だ。昔から優しくて真面目な幼馴染がそんなドッキリする訳ない。私が一番知ってるはずだった。 「っ、ごめん。なんでもない…」 「今日は、帰るね。」 静かにゲーム機を片付けてカバンを持って出て行った。 バタン、ドアが閉まる音が聞こえた瞬間私は思わず追いかけていた。 玄関で自分の言ったことを思い出して、追いかけるのをやめた。 その日はお姉ちゃんが仕事から帰ってくるまで廊下で泣き続けていた。こんなに泣いたのはいつぶりだろう。 「瑞葉!?どうしたの?」 お姉ちゃんの声で我に返り顔をあげると沈みかけていた日は完全に沈み外は真っ暗になっていた。 「なんでもない…」 枯れた声で言いふらふらする足に力を入れてまだ何か言っている姉を無視して2階に上がる。 電気もつけず自分の部屋のベッドに体を投げる。 何分経っただろうか。そのまま天井を見つめ続けていた。 コンコンコン3回ノックが聞こえて姉の声が聞こえた。「ご飯置いとくね」と。 静かになった足音を聞き届けてから廊下に出た。丁寧に置かれた夜ご飯とメモ。 “いつでも話聞くからね。” 心はいっぱいなのに泣き疲れた体でお腹は空いていて。まだほんのりと暖かい唐揚げを1人ベッドで食べる。 この家に光がなくなったのはいつからだろう。 3年前、両親が事故で死んだ。 あの時の私はまだ中学生だった。 「瑞葉雨降り出しちゃったから駅まで車でお父さんのお迎え行ってくるね」 いつも通り部活から帰りリビングでだらだらスマホを見ているとそうお母さんから声をかけられた。 「うん」 適当な返事をしてそのままスマホを触りながら寝てしまっていたようだった。 「瑞葉!瑞葉!」 揺り起こされてまだぼんやりとした頭を上げる。 お姉ちゃんの金髪の長いサラサラの髪が視界に入った。 その頃のお姉ちゃんは大学をサボってずっと遊んでばかりいた。昔から真面目ではなかったし、高校に上がる頃にはすでに校則を破って髪を染めていた。そんな姉だった。 だからあまり話す事はなかったし、帰ってくる時間だってすごく遅かった。そんなお姉ちゃんが泣いていた。泣きながら何かを必死に叫んでいた。 「おかあさんと、おとおさんが!事故に遭ってっ!」 気がついた時には真っ白な病室で姉と一緒に泣いていた。 そこからの記憶は途切れ途切れだ。 お葬式が終わって、長い煙が空まで上がって行って。みんな黒い服を着て泣いていて。 大人の女の人が家に来た。お姉ちゃんと真剣に話していた。 お母さんにもお父さんにも兄弟はいなくて、祖父母も高齢だった。 私が施設に行くかどうかの話だったと思う。 お姉ちゃんが髪を黒く染めた。大学を辞めた。 働き始めた。 毎日海斗が家のポストに課題やプリントを入れてくれた。 毎日綺麗な字で手紙を書いてくれていた。 学校に戻った。みんな心配してくれた。 私は笑えていた。 ふざけられた。だけど心は空っぽだった。 お姉ちゃんは変わった。私のために毎日毎日一生懸命働いてくれている。 だから心配かけたくなかった。 家でも私は笑った。 だけど海斗の前でだけはありのままの自分を出せた。なんでも、何時間でも話を聞いてくれた。 時と共に少しずつ海斗のことを別の意味で好きになって行った。 朝いつも通り制服に腕を通した。 泣き疲れて腫れた目を分らないように洗った。 長い黒髪を一つに結んだ。 いつも通りの私がいた。だけどいつものようには笑えなかった。 「おはよう!」 「…おはよう」 いつも通り何もなかったかのように笑ってくれる姉の優しさにまた涙が溢れそうになった。 「あのさ、、お姉ちゃんごめんね」 「え?」 「私がいるせいで大学も辞めたきゃいけなくなって、私がいなかったら今も遊べてたのに…」 ずっと思ってたこと。ずっと申し訳なかった。 「そんなことない瑞葉がいるから今はすごく楽しいよ」 お姉ちゃんの笑顔が眩しかった。 朝ごはんを食べて鞄を持って靴をいていると 「瑞葉は先にいかないでよ、」 「…ごめん」 小さく呟いた声はお姉ちゃんにはきっと届かなかった。 「かーいと!お昼一緒に食べよ」 私はいつも通りだ。 人気のない屋上に海斗を誘い2人でお弁当を広げる。 たわいもない話が途切れたとき、海斗がぽつりと言った。 「…俺、死ぬのが怖いよ」 それが聞きたかった答えだ。 「じゃあ、私が見せてあげる!」 ばいばい。世界 “”