Natume
232 件の小説喰魔
凪が刀で切り掛かるが体が硬くて切りきれなかった。 「...。かぐり。いけ。」 かぐりが地面を蹴りバルグロスの元へ殴りかかった。 「やっぱり拳っしょ〜!」 凪が目を細めて動きを見極める。 バルグロスがかぐりを木で包み込もうとした。 「かぐりっ!避けろっ!」 「うおっ!あっぶねぇ…!」 「...いでよ。久久能智。」 木の神、久久能智が勢いよくバルグロスに飛びかかった。 (これが通用しなかったらおそらく真神の使い手...。) 「凪っ。どうしたらいい?」 「一旦待て。話はそれからだ。俺の神が通用するかどうか。」 久久能智がバルグロスを噛み砕こうとした。 「グヌァァァッ!」 バルグロスが久久能智を引き剥がした。 「やっぱりか。かぐり。黙示だ。」 「はーい。」 かぐりが気だるそうな顔をしてバルグロスの元へ飛びかかった。 「黙示っ!」 かぐりが銃のバルグロスへと変身した。 「バンバンッ!」 確かにバルグロスには効いていたがすぐに修復されていた。 「そういう系かよっ!だったら最初から全部ぶっ壊してやらぁっ!」 かぐりが指で銃の形を作り指先に力を込めた。 「…バンッ!」 一気に大きい弾に変わりバルグロスの体の真ん中に大きい穴が開いた。 「よっしゃぁっっ!」 かぐりが素早く穴の中へ入った。 「アイツ…危険って言葉知らないのか。」 かぐりが穴の中に入った瞬間脳に声が響いた。 (かぐりちゃん。一緒に戦おう?) 「ッ!?」 「おいかぐりっ!…反応がねぇ…。チッ。」 凪がかぐりの元へ行った。 「ヒヒッ。ドカンっ。」 バルグロスが内部から爆ぜた。 「グアアアアアアッ!」 バルグロスの叫び声と爆風が響いた。 「くっ…!」 凪が穴の端を掴んで中を覗いた。 「おいかぐりっ!」 「あー!凪っちじゃん!また会ったね。」 かぐりの人格がすずになっていた。 「…チッ。かぐりは?」 すずがニヤついて言った。 「この中にちゃんといるよぉ?かぐりちゃん大胆すぎてさぁ、私が守らないとって思って。変わっちゃった♡」 「おい。よく聞け。誰からの許可も得ずに勝手に人格交代すんな。そんくらいガキでもわかる。」 「…えーでも私今回かぐりちゃんの命救った側だよね。」 「チッ」 凪がすずを足で押し倒した。 「そういうこと言ってんじゃねぇよアホ。あ?任務に支障が出るからやめろって言ってんの。わかるか?」 「…へぇー。凪くんこわ〜い。女の子相手に」 すずが凪の足を引っ掛けた。 「…。」 凪がぎりぎりのところで交わした。 「…やんの?俺はいいけど。」 「ヒヒ。じゃあ、やる?どっちかが死ぬまで。」 「…来いよ。」 (バーカ!なんでやるんだよぉっ!) 人格がかぐりに戻った。 「はぁ、はぁ、たっくすずのやつ!」 「…ダメだな。」 凪が不満気に言った。 「え?」 −「なるほどね。かぐりちゃんの中の違う人格のせいで任務に支障が出てるわけだ。一筋縄じゃ行かなかったかぁ。」 「おい凪っ!なんで氷室玲に言うんだよぉっ!」 かぐりが焦った顔で言った。 「しょうがないだろ。」 「かぐりちゃん。貴方はこれから任務をお休みしようか。」 「ええ!?」 「任務に支障が出るのは…ねぇ。」 凪が口を開いた。 「かぐりはこれからなにを?」 「"特訓だね"」 −「…。」 『1人だと流石に任務はできないから新人の吉良ちゃんと桜くんのサポートに回ってあげてね。』 『わかりました。』 『凪いっ!行くなぁっ!特訓なんかいやだぁっ!』 「新人のサポートとか、めんどくさ。」 凪がタバコに火をつけた。 「はあ…。」 「タバコ、辞めたんじゃなかった?」 麗香が話しかけてきた。 「…先輩。…たまには吸いたくなるもんですね。」 「わかる〜。やめようと思ってもやめられないよね。煙草って。ニコチンこわぁーい。…まだ氷室さんのこと好きなの?」 「…さぁ。」 「好きじゃん!氷室さんに恋をしてる人多いよね。なんでだろう。綺麗だから?」 「…それもありますし、何より芯がぶれない。」 「あー。納得だわ。…あ、任務だ。」 「…そういえば白鳥さんってあれから誰と組んでるんですか?」 「一課の人だよ。あっちも丁度いっぱい死んじゃったらしくて人数合わないんだって。相変わらず一課はプライド高いね〜。じゃ、行くね。生きてたら会おう!」 「…生きてるくせに。」
走れ、愛すべき人よ
「バンド、入んね?」 「……。」 (俺がバンドに入ることで未来が変わるのかな。) 晴樹は難しそうな顔をしていった。 「今は、それどころじゃない。他を当たってくれ。」 「おーい、頼むよー!ボーカルだけが今いないんだ!ボーカルがいないと成り立たないんだよぉ!」 「無理なもんは無理だ。」 健が晴樹にしがみついた。 「待ってくれ!わかった。なら、条件を出そう。」 「条件?」 晴樹は足を止めた。 「そうだ。…なんでもする!」 「どうせしないだろ。」 「するする!するから!お前に好きな人ができたら全力で協力もする!な!?」 「帰る。」 健が絶望的な顔をした。 「この薄情ものがぁーっっ!」 −「ねぇ凪!久しぶりに遊ぼうよ!」 派手な見た目の女子生徒が凪に話しかけた。 「えー。めんどくさい。」 「ひっどぉ〜!お願い!絶対楽しいから!」 「えぇ〜。やだよぉ〜。」 凪の目に歩いてる絵麻が映った。 「ごめん。ちょっと用事。」 「えっ!?」 凪が走って絵麻に近づいた。 「絵ー麻ちゃん。」 「凪くん?どうしたの?」 「なんとなく。てか凪って呼んでよ。」 「…凪!」 「……。」 凪の顔が揺らいだ。 「ふふふっ。じゃーね。"凪"」 そう言って絵麻は走って行った。 「…はっ、…まじかよ。俺。」 −「まず絵麻を外に出させない…。くそぉー…。前の俺だったらできてたんだけどなぁ。今は友達でもないから難しい…。」 晴樹は頭をかきながらノートに書いて考えた。 「うーん…。」 その時インターホンが鳴った。 「…あ、はーい!」 ドアを開けるといたのは健だった。 「お前かよ。」 「悪かったな俺で。」 健が目を開いて言った。 「頼む!バンドに入ってくれ!」 「またその話か…。言っただろ今はそれどころじゃないって。」 「そのそれどころじゃない話はなんなんだ!?」 「それは…言わねぇよ!」 「頼むよ〜!本当になんでもするからよぉ!」 健が土下座をした振動で机にあったノートが落ちた。 「なんだこれ。…貯水池、…絵麻?行かせない?」 晴樹が慌てて取り返した。 「か、勝手に見るな!」 「…お前それ、なんだ?」 「……あ、」 −「ごめん晴樹、お前は一回精神科に行け。」 「だから違うんだって!」 晴樹が怒った顔で言った。 「いや、だっていきなり好きな女の子を救うためにタイムリープしてきましたって信じられるわけないだろ!?」 2人は口論しあった。 「ほんとなんだって!あー!わかった。じゃあお前のバンド名を当てるぞ?俺は1周目でそのバンドに入ってたからな。」 「おおいいぞ当ててみろ!?それが本当だったら信じてやる!」 「lite4!お前が書いた曲は"君の笑顔"で事務所にボツにされた曲だ!」 「嘘だろ…当たってる。ん?てか俺たち、事務所入ったのか!?前世で!」 「いいから信じろよ!」 健の顔から、さっきまでのふざけた表情が消えていた。 「……マジなんだな。」 晴樹は少しだけ肩で息をしながら言った。 「だから言ってるだろ。」 健はしばらく黙っていた。 机の上のノートをちらっと見る。 「貯水池。」 「……。」 「絵麻。」 「……。」 健がゆっくり顔を上げた。 そして—— にやっと笑った。 「おもしれぇじゃん。」 晴樹が眉をひそめる。 「は?」 「未来変えようとしてんだろ?」 健は腕を組んだ。 「だったら俺も乗る。」 「……は?」 「その運命改変作戦。」 晴樹は呆れた顔をした。 「お前さ…」 「疑ってたくせに。」 健は肩をすくめた。 「だって当たってたじゃん。」 「バンド名。」 「曲。」 「事務所。」 少し間。 「……さすがに信じるわ。」 晴樹は少し黙った。 (こいつ…。) 「……別に巻き込むつもりはない。」 健は即答した。 「もう巻き込まれてる。」 晴樹がため息をついた。 「はぁ…。」 健が真顔で聞く。 「で?」 「絵麻はいつ死ぬんだ。」 その言葉で、空気が変わった。 晴樹の表情が固まる。 数秒の沈黙。 そして小さく言った。 「……近いうちだ。」 健の眉が上がる。 「場所は?」 晴樹はノートを見た。 そこに書いてある文字。 貯水池 「ここだ。」 健が息を吐いた。 「拉致?」 「……ああ。」 「犯人は?」 「わからない。」 健が少し考えた。 「じゃあ簡単だな。」 晴樹が顔を上げる。 「何が。」 健はあっさり言った。 「絵麻をそこに行かせなきゃいい。」 晴樹は苦い顔をした。 「それが出来ねぇんだよ。」 「なんで?」 「俺と絵麻、今ほとんど他人だ。」 健が一瞬止まった。 「あー。」 「そりゃきついな。」 晴樹は頭をかいた。 「前の人生なら止められた。」 「でも今は——」 その時。 健がにやっと笑った。 「ならさ。」 「理由作ればいい。」 晴樹 「……は?」 健が指を立てた。 「バンド。」 「ライブやる。」 晴樹が呆れた顔をする。 「は?」 健 「ライブの日にすればいい。」 「その日。」 「絵麻は絶対そこに来る。」 晴樹の思考が止まった。 (未来が——) (変わる?)
走れ、愛すべき人よ
——職員室前 「……だからな、柳楽!何度言わせるんだ!」 職員室の中から怒鳴り声が廊下まで響いていた。 「はーい、すみませーん。」 まったく反省していない軽い声。 (また凪くん怒られてる…) プリントを持った絵麻は、少しだけ眉を下げた。 ガラッ—— 「失礼します。」 恐る恐る扉を開ける。 中では、腕を組んだ教師の前に凪が立っていた。 「長谷川か。どうした?」 「あ、提出物…持ってきました。」 「そこ置いとけ。」 「はい。」 机にプリントを置いて、そそくさと出ようとした、その時。 「……。」 ふと視線が合った。 凪が、面白そうにこちらを見ている。 (……何。) 居心地の悪さに、絵麻は小さく目を逸らした。 「お前はもう戻れ!次やったら停学だからな!」 「えー、こわ。」 まったく響いていない返事。 凪はくるりと踵を返し、職員室を出た。 ——玄関 スタスタと歩いていく凪の背中。 (……。) 絵麻は一瞬だけ迷って、足を速めた。 「……ねえ。」 凪が足を止める。 ゆっくり振り向いた。 「……?」 絵麻は凪の前まで来ると、じっと顔を見上げて—— 「アホ。」 ぺしっ。 軽いデコピンが凪の額に入った。 凪の動きが、ぴたりと止まる。 「……。」 絵麻はくすっと小さく笑った。 「凪くんがそんな問題児だって知ったら、インスタのファン達どう思うかね。」 返事は、ない。 凪はただ、黙ったまま絵麻を見下ろしている。 (……あれ。) 一瞬だけ、絵麻の眉がわずかに動いた。 次の瞬間。 絵麻がぐいっと凪の頬を両手で掴んだ。 「……っ。」 凪の呼吸が、ほんの少しだけ乱れる。 至近距離。 逃げ場ゼロ。 絵麻は真っ直ぐ凪の目を見て言った。 「これから、もう問題起こさないこと。」 静かな声。 「……。」 「わかった?」 ——沈黙。 凪の喉が、ゆっくり上下した。 そして。 ほんの少しだけ、凪の手が動く。 絵麻の手首に、そっと触れた。 「……っ?」 そのまま—— 低く、掠れた声。 「……命令?」 一瞬。 空気が、変わった。 凪の目が、わずかに細まる。 さっきまでの無言の動揺が、全部奥に沈んで—— 代わりに滲んだのは、余裕とも、余裕じゃない何か。 「……。」 絵麻の指先が、ほんの少しだけ強ばる。 凪は視線を外さないまま、さらに一歩だけ距離を詰めた。 「——わかった。」 低く、短く。 それだけ言って。 凪は絵麻の手首から、ゆっくり指を離した。 すれ違いざま、ほんの一瞬だけ—— 「……次は、デコピン以外で頼む。」 ぼそっと落として。 何事もなかったみたいに、凪は廊下を歩いていった。 後に残された絵麻だけが、 「……は?」 と、少しだけ固まっていた。 ——屋上 フェンス越しに、夕焼けが滲んでいる。 「……なあ、健。」 晴樹が珍しく真面目な声で言った。 自販機の缶を開けていた健が、眉を上げる。 「ん?どした急に。顔こえーぞ。」 「もしさ。」 一拍。 晴樹は視線を空に逃がしたまま続けた。 「未来から来た男が、死ぬ運命の女の未来を変えたいって思ったら——どうする?」 プシュ。 炭酸の音だけがやけに響いた。 健は無言で晴樹を見つめる。 数秒の沈黙。 「……。」 「……。」 そして健は、ものすごく真顔で言った。 「お前さ。」 「……。」 「それ、漫画の話?」 ——ピシッ。 空気が止まった。 次の瞬間。 「っ、は……」 晴樹の肩が震える。 「はは……」 口元が歪んで。 「はははははっ!!」 屋上に大袈裟な笑い声が響いた。 健がドン引きした顔をする。 「いや笑いすぎだろ怖ぇよ!!」 晴樹は目尻に滲んだ涙を指で拭いながら、まだ笑っている。 「……っは、悪い悪い。」 呼吸を整えて、少しだけ間。 それから—— 「……まあ、漫画みたいなもんだな。」 あっさり、認めた。 健の目が細くなる。 (……こいつ。) 少しだけ真面目な空気が落ちる。 健は缶をフェンスに置いて、空を見上げた。 「……変えたいならさ。」 晴樹の視線が動く。 「その“死ぬ未来”に繋がる原因——」 健は指でトン、と空を突いた。 「それ、片っ端から潰すしかなくね?」 「……!」 「事故なら事故。人なら人。選択ミスなら、その選択させなきゃいい。」 淡々としてるのに、やけに核心を突く声。 晴樹の瞳が、ゆっくり見開かれていく。 (……そうだ。) (俺がやることは——) その時。 健がふっと口角を上げた。 空気が、少しだけ軽くなる。 「ま、漫画脳の相談乗ってやった代わりにさ。」 「……は?」 健はポケットに手を突っ込んだまま、にやっと笑った。 「晴樹。」 一拍。 「——バンド、入んね?」 夕焼けの風が、二人の間をすり抜けた。
走れ、愛すべき人よ
「は、はあ!?」 陸上部の顧問が驚いた顔をして叫んだ。 「そ、それ本気で言ってんのか!?」 「はい。本気です。俺、陸上部やめます。」 晴樹が平然そうな顔をして言った。 「おい晴樹考え直せって!」 「お前はうちの部のエースだろ!?」 他の陸上部の生徒も必死な顔をして退部を止めた。 「お前っ、なんで急に辞めるとか言い出すんだ!」 (足の怪我がこれから再発するのと、絵麻を守るためには部活なんかやってられない…とは言えないか。) 「…やりたいことが見つかったんです。」 「やりたいこと?」 「はい。だから辞めます。今までありがとうございました。」 晴樹が歩き出した。 「ちょっ!おい待て!お前ら止めろ!」 「うわあああっ!」 複数の生徒が晴樹に飛びかかって足止めをした。 「お前らぁっ!離せよぉっ!」 「辞めさせないぞぉっ!」 「一緒に汗を流した仲だろぉっ!」 「くそっ…」 晴樹は何か閃いた顔をした。 「あっ!あそこにガッキーがいる!」 「えっ!?どこだっ!?」 他のみんなが夢中になって探している間に晴樹は逃げた。 「はぁっはぁっ、なんとか逃げれた…。」 「えー!好きー!」 女子の声が聞こえた。 「凪は?私のこと好き?」 「どーだろうね。」 凪がめんどくさそうな顔をして答えていた。 「…。」 (朝とテンションが違う?) 「えー教えてよー!」 女子生徒が上目遣いで可愛く言った。 「じゃーね絵麻!また明日!」 絵麻の友達の紗奈の声が聞こえた。 (絵麻っ!?) 「俺用事あるから行くね。じゃ。」 凪がその場のしのぎの言い訳なのか、そう吐き捨てて歩いて行った。 「…絵…ダメか。今まで通りには行かないんだったな。」 「絵ー麻ちゃんっ。」 凪がスキップしながら絵麻の肩を叩いた。 「ッ!?」 「…あ、名前なんでしたっけ?」 「やだなぁー。俺有名なのにわからない?柳楽凪!」 「ああ、紗奈からなんか聞いたことあるような…。で、どうしたんですか?」 「いたから話しかけただけー。てか敬語やめてよ。タメでよくない?」 「…うん。」 (あまり絵麻を困らせるなよぉ!?) 「LINEやってる?2回目だよね。言うの。」 「やってない。誰にでもこういうこと言ってるんでしょ。」 「んー、そうでもないと思うけど。LINEはあっちから追加されること多いよ?」 「そういうんじゃなくて。…いいや。あっ、バス来るから帰る。」 「あ!…行っちゃった。バイクで送ってったのに。」 凪が肩をすくめて立ち尽くしているのを、少し離れた場所から晴樹は睨みつけていた。 (バイクで送る…?何様だよアイツ…) 無意識に拳に力が入る。 だが—— (今はそれどころじゃないだろ、俺。) 晴樹は小さく舌打ちすると、絵麻の背中を追って走り出した。 ⸻ −バス停− 「はぁっ…はぁっ…」 ギリギリで滑り込むと、ちょうど絵麻がICカードをタッチするところだった。 (間に合った…!) 晴樹は息を整えながら後に続く。 車内は放課後の生徒でそこそこ埋まっていた。 「……。」 空席を探して視線を泳がせる。 ——その時。 (……あ。) 窓側に座る絵麻の隣が、一席だけ空いていた。 胸がドクン、と大きく鳴る。 (……行くしかないだろ。) 晴樹は覚悟を決めて、その席の前に立った。 (近い……) 座った瞬間、ふわっとシャンプーの匂いがした。 懐かしくて、胸の奥がきしむ。 沈黙。 バスのエンジン音だけが揺れている。 「……あのさ。」 先に口を開いたのは、絵麻だった。 晴樹の肩がわずかに跳ねる。 「朝も思ったんだけど。」 「……?」 絵麻は少し首を傾げて、まっすぐ晴樹を見た。 「どっかで会ったことある?」 ——心臓が、止まりかけた。 「えっ?」 「ずっと、思ってた。」 (嘘だろ。おい。) 「見たことある顔だなって。」 (こんなこと、あり得るのか?) 「あっ、思い出した。」 「絵麻ッ!」 「家隣だよね?」 「えっ?家?」 「う、うん。違った?」 (なんだ、家か。) 「あっ、いや。合ってる。隣。うん隣だよね。」 「急に大声出すからびっくりした…。」 「ごっごめん。」 「ふああ。」 絵麻が大きな口を開けてあくびをした。 「…眠。」 (何かもっと話題を!なんかないか…。あっ、そうだ。八百屋!) 「今お店は…ど…う。」 晴樹の肩に絵麻の頭がくっついた。 「…寝ちゃったのか。」 「……。」 気持ち良さそうに寝ている絵麻を見ていると思わず笑みが溢れた。 「寝るのが本当に好きなんだな。…絵麻。今度は俺が守る番だからな。」
走れ、愛すべき人よ
俺は迷わずボタンを押した。 すると目の前が眩しくなり目の前の光景が一気に変わった。 「ここは、」 【おはようございます。今日は2023年6月23日です。】 俺が初めて絵麻と関わった次の日だった。 「ほんとに、戻ってる…!絵麻はこうして3回も…。」 「おい、遅刻するぞ?」 「あっ、お父さん。…若!?」 「お小遣いが欲しいのか?あげないから早く行け。」 「違うから!とりあえず、行ってきます。」 −学校に行くと見覚えのある後ろ姿があった。 「はっ…。」 友達と話していたその横顔は間違いなく絵麻だった。 僕が愛した絵麻。僕を愛した絵麻。 「絵麻…。」 絵麻が生きてるよ。 「あ!絵麻!あの人!私が言ってた人!」 絵麻の友達が僕を指差した。 「かっこいいでしょ!陸上部のエースよ!」 「ふーん。別に特別かっこいいとは思わないけど。」 「うっ。」 「あんたは理想が高いのよー。」 「そうかな?」 「そうよ。」 「おはよう晴樹。」 「健?…久しぶり。」 「あ?昨日会ったばっかだろ?寝ぼけてるのか?」 「そうだった…。ああもうややこしい!」 「おかしくなったのか?!」 −「はあ。にしてもこれからどうしろっていうんだよ。」 『絵麻ね、犯人に殺されたの。』 「死なせない…!絵麻だけは絶対に。…これからどうする。俺!」 廊下に出たら絵麻がいた。 「……。」 やっぱり生きてる。 それだけで俺は嬉しい。 「絵麻。」 「えっ?…気のせいか。」 「しまった…!うっかり名前を!何してんだよ!俺!今は絵麻は俺のことを知らないんだ!ちゃんとしろ!もう付き合ってないんだ!あ、」 この事実を知ってしまった、、、。 −翌日− 「はあ。もう昔みたいに絵麻を抱きしめることもできないんだな。俺は。」 前を向くとバスに乗る絵麻が見えた。 「……!」 絵麻に目を奪われているとバスが発車した。 「あっ!あのバス俺が乗るやつ!!」 −「バスが発車します。ご注意ください。」 「絵麻!おはよう!」 「絵麻ちゃんおはよー。」 「おはよ!今日もラブラブですね。」 「そうかなぁー?」 「あそこ空いてるから座って。」 「はーい。」 「はぁ、なんか眠いな。」 ふと窓の方を見ると男子高校生が走っていた。 「……!?」 「はぁっはぁっ!」 「足早…!」 その時目が合った。 「……。」 男子高校生は私から目を逸さずに見ていた。 無視しようと思ったけどなんだか放って置けなかった。 「あの!乗る人います!!」 バスが止まった。 「久しぶりにこんな大きな声出した…。」 男子高校生がバスに乗ってきた。 私の隣しか席が空いてなかったため隣に座ってきた。 「あ、ありがとう!」 「…全然。」 「…。」 人見知りなのか? 「…あー…えっと、A塔の生徒だよね?」 「えっ、…まあ、はい。」 「俺たまに部活でA塔の方に行くんだ。…また会ったら...よろしく。」 絵麻は不審者を見るような目で俺のことを見てきた。 (何やってんだよ俺!ただのナンパじゃん!) 「うわっ!ホンモノ!」 「今日は時間通り来たんだね。」 女子生徒が徐々に騒ぎ出した。 「なんだ?」 みんなの目の先を見るとそこにいたのは柳楽凪だった。 (コイツ!) 「凪くんっ!おはよう!」 「おはよ♡」 凪が女子生徒に向けてウインクをした。 「きゃあーっ!席空いてたらなぁ。隣座れたのに。チッなんであんたが座ってんの?」 女子生徒の隣に座っていたTHE•チー牛が困った顔をした。 「ええ。」 (こう見ると凪ってイケメン…なのか?) 「東高校前です。ご乗車ありがとうございました。」 絵麻が席を立った。 「あっ、」 絵麻がバスを出ると凪が絵麻に話しかけた。 「ッ!!」 −「そこの可愛い人!これ落としたよ。」 絵麻が振り向いた。 「私?」 凪が微笑んだ。 「可愛さ、ここに落ちてたんだけど君の?」 絵麻が顔を顰めた。 「何言ってるの?」 凪が再び微笑んで、ゆっくりと絵麻の方へ近づいた。 「キミ。可愛いね。LINEやってる?」 慣れてるような口調で言った。 「ナンパとかいいんで。じゃ。」 絵麻は鷹のような目で睨みつけ校舎の方へと歩いて行った。 その一方で晴樹は爪をかみながらその光景を見つめていた。 「アイツ…!軽々しく絵麻に話しかけやがって!」 晴樹の目は驚くほどに見開いていた。 「ふっ。でも絵麻はお前みたいなチャラ男は相手しないんだよ!ハッハハ!ハッハハ!」 さっきまでの怒りはどこかへ行ったかのように晴樹は大きく口を開けて笑った。 「…お前何してんの?」 その光景を見てた健が見下すような顔で言った。 「見なかったことにしろ。」 放課後になり、絵麻は家の八百屋で店番をしていた。 「合計2000円です。」 小太りの中年男性が会計をしていた。 「はいはい。…よいしょ。」 「丁度ですね。ありがとうございましたー!」 「絵麻ちゃんは偉いなぁ。店番なんかして。うちの娘なんかもう30になるのにフリーターで…。まったく。」 「あ、あははー。」 顔を顰め知らない人の愚痴を15分間聞いてやっと客は帰った。 「…やっと帰ったぁ。疲れた…。…眠たい。」 大きなあくびをして手に顔を乗っけた。 「1分だけ…。」 その時ドアの開閉音が鳴った。 だが絵麻はもう眠りに落ちようとしており、手の力が抜け机に頭がぶつかろうとしていた。 「あっ…!」 誰かが頭が机にぶつかる寸前で手で受け止めた。 「っぶね…!」 その相手は晴樹だった。 「……。」 絵麻は完全に眠りに落ちていた。 「すぅ…。」 晴樹が絵麻の前に座って絵麻の寝顔を見つめた。 「…ふっ笑かわいい。」 『…会いたいよ。』 「ッ…。」 晴樹は絵麻の頭をそっと撫でた。 「今度は、俺が守るから。」
喰魔
「おい凪。」 朝早くに凪の家にかぐりがきた。 「ふぁぁ、なんだよ。せっかく気持ちよく寝てたっていうのに。」 かぐりが深刻そうな顔で言った。 「昨日の任務の帰りに聞こえたんだ。」 「聞こえた?何がだよ。」 「“かぐりちゃん”って……あの声。すずの声だった。」 「ッ……!」 凪は一瞬言葉を失い、眠気が吹き飛んだ。 「馬鹿言うなよ。すずは死んだんだ。真神に味方して、最後は……お前が血を飲んだのもそのせいだろ。」 「わかってる……!わかってるけど……確かに聞こえたんだ。」 かぐりは震える拳を膝に押し当てる。 「昨日血を飲んだ時から、体の奥が変なんだ。胸の中で、もうひとり誰かが笑ってるみたいな……」 「……」 「凪、私、狂ったのかな。」 凪はしばらく黙ったまま、かぐりを見つめた。彼の目は冗談を言っている時のそれじゃなかった。 「……氷室さんに話すか?」 「駄目だッ!絶対に……!もし本当にすずが私の中にいるんだったら、取り出されて殺されちまうかもしれないだろ!」 かぐりの声は必死だった。 「……」 凪は深いため息をついた。 「お前が言ってることが本当なら……やっかいなことになるな。」 「……頼む、凪。言わないでくれ。」 「…。」 −「氷室さん。コイツの中に火の魔人がいます。」 「えええええっ!?なんで言うんだよ!?殺される殺されるぅ!」 「殺しましょう。コイツ。」 「なんで凪は前向きに私を殺そうとするの!?もう嫌い!」 「そっか。じゃあその状態で今まで通りやってね。」 「…はい?」 「え?」 「そのまんまの意味だよ。殺さなくていい。かぐりちゃんは今まで通り続けて。」 「やったぁぁっ!」 かぐりはハイテンションで幹部室を後にした。 「凪くんは残って。」 「えっはい。」 「なんで殺さないかわかる?」 「…わかりま…せん。」 「火の魔人は既に私に屈服しているからだよ。」 「それって…やっぱり氷室さんが殺したんですか?火の魔人。」 「そういうことになるね。今のかぐりちゃんは殺すどころか、更に重宝すべき存在になった。」 「え?」 「真神の情報を持つ者が仲間になったんだよ。」 「ッ!」 「凪くん。真神を殺すためにここに入ったんでしょ?だったら彼女をうまく利用しなさい。一応言っとくけど柊すずの本名は炎川幽。真神の直近ではないけど相当関わっていた。」 「…。」 −「かぐり。任務だ。」 「はーいっ!」 着いたのは廃工場だった。 「またここか。」 「来たことあるのか?」 「ああ、魔人の呪いを処理するために。」 「すげっ。」 足を踏み込むと床下から熱気のようなものが伝わった。 「うわっ!なんかあったかい!」 「気をつけろ。…来るぞ。」 凪が指を切り刀を作った。 次の瞬間、床板が爆ぜるように弾け飛び、赤黒い炎を纏った魔人が姿を現した。 その巨体は人の二倍以上。両腕は岩のようにごつく、目は灼熱に焼ける炭火のように光っていた。 「わぁお……ゴツいのキターッ!」 かぐりは嬉しそうに叫んだ。 「前回逃げて処理し忘れた溶岩の魔人か。」 「ッ!凪っ!」 「どうしたっ?」 かぐりの動きがフリーズした。 「かぐり!?」 その間にも溶岩の魔人は攻めてきていた。 「ッ…。」 かぐりが急に意識を取り戻した。 「かぐりっ、」 「閻羅。止まりなさい。」 溶岩の悪魔が止まった。 「はっ?」 「ドカン」 かぐりが指を鳴らすと溶岩の魔人が爆発で消滅した。 「くっ…!かぐりっ、まさかっ!」 「今はかぐりちゃんじゃないよぉ。すずだよ。」 「身体を乗っ取ったのか?」 「乗っ取ったっていうか…まぁ、そんな感じかもっ!」 凪が刀を構えた。 『火の魔人は既に私に屈服しているからだよ。』 「ッ…!」 「やだなぁ。刀下ろしてよ。凪っち?」 (凪っち?) 《くっそぉ〜!お前なに身体乗っ取ってんだよぉ!》 体の内側から声が聞こえた。 「かぐりっ!?意識はあるのか!?」 「かぐりちゃんは身体の中にいるだけで意識はあるよぉ。ね〜!かぐりちゃん。」 《早く交代しろぉ!》 「ごーめんね。後もうちょっとだけ!」 「…何がしたいんだ。」 「私ね、鼻が利くの。」 「は?」 「この奥にもっと強い魔人がいる。」 「…。」 「ねぇ凪っち。私と協力しない?」 「断る。」 「バディじゃん。」 「炎川幽とはバディではない。」 「…へぇ。名前知ってるんだ。協力してくれないなら私1人で進めちゃうよ?」 すずが指を鳴らした。 「ッ!おいバカ!」 爆弾で何層もの壁を吹き飛ばした。 「いたぁ♡」 遠くにいたのは炎のような毛並みを持つ獣型の魔人が姿を現した。 全身を赤と黒の溶岩で覆い、背中から無数の火柱が噴き出している。 先ほどの溶岩魔人とは比べものにならない、圧倒的な“王”の気配だった。 「これ凪くん1人で戦えるかなぁ?」 「クソが。十分戦える。」 「ふふっ。じゃあ、戦ってみて?」 火の魔人が火花を大量に降らせた。 「これ、どうみても私の出番でしょぉー。」 「斬。」 凪の言葉と共に閃光が火花を貫いた。 床を蹴った彼の身体は炎を裂き、巨獣の懐に飛び込んでいた。 赤黒い毛並みを刀で引き裂くと、熱を帯びた血が飛び散る。 「は……?」 すずの瞳が見開かれる。 獣魔人が咆哮し、炎の腕を振り下ろす。 だが凪は一歩も退かず、逆に踏み込んで斬り上げた。 その刃は灼熱の肉体をも断ち切り、爆ぜる炎を逆巻く風で散らす。 「うそでしょ……あれ、本気で1人でやれてる……?」 次の瞬間。 凪は渾身の力で大地を蹴り、魔人の胸を真一文字に裂いた。 炎が爆ぜ、巨体が地響きを立てて崩れ落ちる。 あたりは赤黒い煙と熱気に包まれた。 「……ハァ……。」 凪が肩で息をし、刀を払う。 「……見たか。」 振り返ったその眼差しは鋭く、すずを射抜いた。 「引くんだけど…。あれ1人でやったんだ。」 《黙れ!私の方が強い!》 身体の内部からかぐりが叫んだ。 「ごめんね。かぐりちゃん。そうだよね。かぐりちゃんのほうが強いよね。」 その瞬間すずの動きがフリーズして再び動か出した。 「ぐっぬぁぁっ!ずるいぞ!凪!お前だけで倒すなんて!」 「知らねえよ。お前が勝手に人格交代したんだろ。」 「うるさいうるさいっ!なんで制御が効かないんだよ!」 「はいはい。いいから戻るぞ。」 「チッ。その前に飯だ。」 「勝手に行っとけ。」 「財布持ってない。」 「クソだな。」 −「こちらキング牛丼になります。」 「うまそぉー!」 「…お前、戦えんのか?」 凪が牛丼を食べながら言った 「え?なにが?うまっ。」 「炎…すずの制御が効かなかったらまともに戦えないだろ。」 「あー…ま、大丈夫っしょ!私の勘がそう言っている。」 「信用ないな…。」 凪のスマホが鳴った。 「もしもし。…はい。わかりました。…おい。任務だ。」 「はぁー!?また?多すぎだろ!」 「つべこべ言わずこい。」 「チェ。」 −「コイツかぁ。バルグロスってより、人?いや、人ではないか。」 鼠色の木の人型の形をしたバルグロスだった。 「…まずはなんのバルグロスか見分けるか。」 凪が手を切り血で刀を作り切りかかった。
綾 前編
大学2年生の秋。私は恋をした。 図書館の静かな午後。窓から差し込む光が、本棚の影をやわらかく揺らしていた。私は席に腰を下ろし、ノートを開く。授業の課題を進めるつもりだった。 「あの…これ貴方のですか?」 「えっ?」 私より年上の眼鏡をかけた男性が私に消しゴムを差し出した。 「あっ、ありがとうございます。」 「いえいえ。」 彼は微笑んで私の後ろの席に座った。 私は少し心臓が早くなるのを感じた。 「…。」 だがそれはすぐに収まり、課題を進めて帰ろうと席を立った。 さりげなく彼が座っていた後ろの席をみると空席になっていた。彼はもう帰っていた。 「…帰ったのか。」 さほど気に留めることはなく、図書館を出た先に彼の後ろ姿があった。 「あ、」 私の足音に気づいた彼が後ろを向いた。 「あ、偶然ですね。」 さっきと同じように微笑んだ。 「で、ですね。」 彼は缶コーヒーを飲んでおり大人の貫禄が感じられた。 「ここの大学生さんですか?」 「あっ、はい。」 「図書館なんて、偉いなぁ。俺が大学生の時なんかずっとゲーセンかネカフェに篭ってましたよ。」 「そうなんですか?」 「恥ずかしいことにね。今日はたまたま読みたい本を思い出してここに来たんです。」 「読みたい本って、なんですか?」 私は必死に会話を広げるように話した。 彼は子供の話に付き合うかのように話に乗ってくれた。 「モルグ街の殺人。って知ってますか?」 「…。」 「ははっ、知らないですよね。今時の大学生は小説なんか読まないだろうし。おっと、もう時間だ。」 「時間?」 「実はこれから待ち合わせをしてるんです。それでは!」 彼が手を振った左手の薬指に指輪が見えた。 「ッ…。」 なんとも言えない気持ちになった。まだ出会って少ししか経ってないのに。私は何を期待してたのだろうか。 図書館を出た後、私はその場に立ち尽くした。 手のひらがじんわりと熱を帯び、胸の奥がざわつく。 指輪。あの左手の薬指。 頭では理解している。彼には家庭がある。 でも、心はその現実を拒否するかのように、彼の笑顔を反芻していた。 声のトーン、仕草、微笑み。どれも普段見かけない大人の余裕に満ちていて、知らず知らず惹かれていた。 私は思わず、目を閉じて深呼吸をした。 「…なんで、こんなに動揺してるんだろう」 翌日、私は講義のため大学に行き友人の紗江に昨日あったことを話した。 「真希それ一目惚れってやつだよ。」 「やっぱり?」 紗江は短い髪の毛を耳にかけながら言った。 「でもその相手が既婚者ってあんたなかなか可哀想だね。ていうか、一目惚れって漫画みたいだね。もしかして恋愛体質?」 「全然。むしろ今まで恋愛をしたことなんか少ないよ…。」 私は机にもたれた。 「まー元気出しなよ!今日は飲みに行くぞ〜!」 「紗江〜。」 その日の午後、講義が終わると紗江と学内のカフェに向かった。 小さな窓際の席に座り、私たちはメニューを開くふりをしても、話題は昨日のことに戻る。 「でさ、あの人、どんな感じだったの?」 紗江が目を輝かせながら聞く。 「うーん、とにかく大人って感じだった。笑った顔が優しくて…。」 「ほら〜!やっぱ一目惚れだって!」 紗江は笑いながら、でもどこか羨ましそうに私を見ていた。 「でも既婚者だし。あの人のことは忘れるよ!」 紗江と長い間雑談を話しそれぞれの帰路に入った。 バスを待つためベンチに座ると隣に昨日と同じ男性が座っていた。 「あっ。」 カジュアルなシャツにジーンズ。昨日より少しラフな印象だ。 「…昨日の。また会いましたね。」 あの時と変わらない顔で微笑んでくれた。 「はいっ!あのっ、いつもこのバス乗るんですか?」 「今日は車を検車に出してるので今日だけですね。」 「そうなんですか…。」 下を向いた私の目に入ったのは彼の指輪だった。 「指輪…。結婚してるんですね。」 「あ、まぁ。」 彼は照れくさそうに笑った。 「お名前なんて言うんですか?聞いてませんでしたよね。」 「ああ、確かに。坂本龍之介です。貴方は?」 「工藤真希…です。」 「いい名前ですね。あ、バス来ましたよ。」 「…あのっ!」 「どうしました?」 「バスで、少し話しませんかっ!?」 「はい。いいですよ。」 「…。」 彼は私の気持ちに気づいているのだろうか。 バスに乗り込むと、私たちは座席に腰を下ろした。 隣に座る龍之介の存在が、妙に近く感じる。 指輪がちらりと見えるたび、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。 「昨日は本当に偶然でしたね」 私の声は少し震えていた。 「本当ですね。でも、こうやってまた会えたのも何かの縁かもしれませんね」 その言葉に、胸の奥が少し温かくなる。 窓の外を流れる景色を見ながら、私はどうにか会話を続けようとした。 「龍之介さんは、普段はどんなお仕事をされているんですか?」 「営業をしています。結構忙しいですが、今日みたいに少し時間ができることもあります」 落ち着いた声に、自然と私の肩の力が抜ける。 でも同時に、指輪の存在が胸の奥で小さく痛む 「奥さんの…写真みたいです。」 「写真?いいですよ。」 スマホの画面にはピースをしている綺麗なロングの女性が笑顔で笑っていた。 「綺麗…。」 「でしょう。大学生の時に会ったんです。ちょうど工藤さんと同じ2年生かな。」 「へぇ…大学の時から、ずっと一緒なんですね。」 自分でも驚くほど、声がかすれていた。 坂本さんは小さく頷いて、目を細めた。 「そうなんです。もう10年近くになりますね。…まぁ、喧嘩もするけど。」 穏やかに話す彼の横顔は、どこか遠くを見つめていて── その視線の先に、私の居場所はないんだと悟った。 胸の奥が、じわりと熱くなる。 でも、それを隠すように笑顔を作った。 「なんか、いいですね。そういうの、ちょっと憧れます。」 「工藤さんは、彼氏いないんですか?」 「え、あ、はい。いないです。…今まで、あんまりそういうの、なかったんで。」 「意外ですね。なんか…モテそうなのに。」 不意打ちだった。 バスの振動に合わせて、心臓まで揺れる気がした。 「そ、そんなことないですよ!」 「はは、冗談ですよ。」 彼は優しく笑って、窓の外に目を向けた。 その横顔を、私はこっそり見つめてしまう。 ──ダメだってわかってるのに、目が離せなかった。 夕陽が差し込むバスの車内は、オレンジ色に染まっていた。 坂本さんの横顔にも、その光がやわらかく反射していて、まるで映画のワンシーンのようだった。 「……このバス、いつもこんなに空いてるんですか?」 「そうですね、この時間は学生も会社員も中途半端だから、割と空いてますよ。」 「へぇ……なんか、落ち着きますね。」 「うん。僕もこの雰囲気、結構好きなんですよ。」 静かに交わされる会話。 距離は近いのに、まるで別の世界にいるみたいな不思議な感覚だった。 「……坂本さんって、いつもこの辺に来るんですか?」 「仕事がこの近くで。たまに大学にも来るんですよ、共同研究の関係で。」 「そうなんだ……」 まさか、こんな偶然が重なるなんて。 心のどこかで「運命」なんて言葉を浮かべてしまう自分が怖かった。 「工藤さんは、何を勉強してるんですか?」 「心理学です。……将来、人の気持ちを理解できる仕事がしたくて。」 「なるほど。なんか、工藤さんらしいですね。」 「え?」 「なんていうか……話してると、空気がやわらかくなるというか。」 ──まただ。 何気ない一言に、心がふわりと浮き上がる。 「……ありがとうございます。」 「こちらこそ。話してて、なんか楽しいです。」 彼の笑顔に、完全にやられてしまっていた。 この人は、きっと誰にでも優しいんだ。 そうわかっていても──胸の鼓動は止まってくれなかった。 バスが停まり、アナウンスが響く。 「……あ、僕、ここで降ります。」 「え、あ、はい……」 「また、会えるといいですね。」 そう言って手を軽く振って、坂本さんはバスを降りた。 残された私は、窓越しにその背中を見つめながら、唇を噛みしめた。 ──また、会いたい。 そう思ってしまった時点で、もう引き返せない気がした。 これでもう本当に坂本さんと会えなくなるのだろうか。 これで最後なのだろうか? 「…ッ、すみません降りますっ!」 私は駆け足でバスを降りて坂本さんを大声で呼んだ。 「あのっっ!」 突然の出来事に坂本さんは驚いた顔で自分を見た。 「結婚してるって、家庭を持ってるって、わかってます。」 地面のコンクリートに涙が溢れた。 「だけどっ、だけど…好きになっちゃいましたぁっ!」 好きな人の前で、大事な気持ちを伝える場面で大泣きしながらも私は確かに自分の思いを伝えた。 坂本さんは、一瞬、何も言わずに私を見つめた。 夕暮れの街の喧騒が遠のいて、二人だけの空間になったような気がした。 「……工藤さん。」 低くて、でも優しい声。 その声が、胸の奥にじんわりと染み込んでいく。 「そんなふうに、真正面から想いをぶつけられたの……いつ以来だろう。」 坂本さんは少し視線を落とし、苦しそうに微笑んだ。 その表情を見た瞬間、胸がギュッと締め付けられる。 「俺、結婚してる。ちゃんとした家庭もある。君の気持ちに応えるのは、間違ってるってわかってるんだ。」 「……わかってます。でも……でも、気持ちは止められないんです。」 声が震える。涙で視界が滲んで、彼の顔がうまく見えない。 坂本さんは、そんな私にゆっくり近づいてきて、ハンカチを差し出した。 「泣かないで。君は何も悪くないよ。」 その優しさが、余計に残酷だった。 突き放してくれたほうが、きっと楽だったのに。 「……バカですよね、私。」 「いや。まっすぐで……すごく、素敵だと思う。」 「そうやって…期待させる言葉言っちゃって、ホントにずるいですっ。」 鼻水を啜りながら言った。 「私、一目惚れどころか恋愛なんかするのホントに久しぶりでっ、だからかわからないけどっ、この気持ち抑えきれませんっ。」 坂本さんの表情が、ふっと曇った。 私の言葉を受け止めるようにゆっくり瞬きをして、ため息をひとつ、夜風に溶かした。 「……ずるい、か。たしかに、そうだね。」 彼は目を伏せながら苦笑いを浮かべた。 その笑顔は、最初に図書館で見たときの余裕のある大人の微笑みとは違って、どこか自分を責めるような色を帯びていた。 「工藤さん。…俺には妻がいる。今ここで君の気持ちに応えたらきっと俺はクズ人間になる。だから君の理想の俺で終わって欲しい。」 「ッ…!」 「ごめん。工藤さん。気をつけて帰るんだよ。」 彼はそう言い残して、夜の街へと背を向けた。 その背中を、私は何も言えずにただ見送るしかなかった。 心臓の鼓動だけが、やけにうるさい。 ──理屈ではわかっている。 彼には家庭がある。私はただの大学生で、立ち入ってはいけない世界がある。 わかっているのに、涙は止まらなかった。 「……バカみたい。」 その夜、ベッドの上で何度も天井を見上げながら、自分に言い聞かせた。 「忘れよう」 「終わったんだ」 「これは恋じゃない」 ──でも、何度繰り返しても、図書館で見たあの穏やかな笑顔が頭から離れなかった。 −「ただいま。」 「お帰りなさい。貴方。遅かったわね。」 俺には妻がいる。綺麗な妻だ。学生の時はマドンナと呼ばれていた。そんな最高な妻が俺にはいる。 「…バスが遅延してね。やっぱ車なきゃ不便だな。」 「ご飯できてるよ。早く食べよう?」 「うん。」 食卓に並べられたオムライスを食べながら妻、杏奈が話した。 「近所の長谷川さん達いるじゃない。今旦那さんが不倫して大喧嘩してるらしいわよ。」 「ッ…。そうか。あそこ仲良かったのにね。」 「ねぇ。なんで不倫ってするんだろう。いいことなんて一つもないのに。あ、そうだ。今日駅でね、モンブラン買ったの。貴方好きでしょ?」 こんな最高な妻がいるというのに、なぜ俺はあの時気持ちが少し傾いてしまったのだろうか。 「今食べる?」 「……。」 「ちょっ、いきなり抱きしめて何よ〜!」 「…もうちょっと、このままで。」 「...なんかあったの?」 「別に、何もないよ。」 杏奈の華奢な背中に腕を回しながら、俺は彼女の体温を確かめるように目を閉じた。 柔らかくて、あたたかい——この安心感を、俺は何年も当然のように享受してきた。 「もう……仕事、疲れてるんでしょ?」 杏奈は優しく笑いながら、俺の背中をぽんぽんと叩いた。 いつもと同じ、変わらない夜。 俺を信じ、疑うことなんて一度もしない妻の無防備な笑顔が、胸に刺さる。 ──俺は、最低だ。 つい数日前、あの図書館で見た大学生の女の子。 まっすぐな瞳で、泣きながら「好きです」と叫んだ工藤真希の顔が、ふと脳裏に蘇る。 「……坂本さん。」 彼女が俺を呼んだ声。涙混じりの必死な表情。 胸の奥が、微かに疼いた。 「貴方? どうしたの? ずっと黙って。」 杏奈が心配そうに顔を覗き込んでくる。 「……いや、本当に何でもない。」 そう言って、無理に笑ってみせた。 「ふふ、変なの〜。とにかく、モンブラン冷蔵庫にあるからね!」 杏奈は無邪気に笑いながら皿を片付けはじめた。 その横顔を見つめながら、胸の内で渦巻く感情がどうしようもなく膨らんでいく。 俺はちゃんとした男でいたい。 家庭を守る夫でいたい。 けれど—— (あの子の涙が、頭から離れない……) 罪悪感と、抑えきれない感情の狭間で、静かに夜が更けていった。 *** 数日後、仕事帰りの夕方。 大学近くの歩道を車で通りかかったとき、視界の端に見覚えのある横顔が映った。 工藤真希。 イヤホンをつけて歩いている。 髪が秋の風になびいて、俺の胸の奥に再び小さな火が灯る。 ブレーキを踏んで、窓を少しだけ開けた。 「……工藤さん。」 真希が驚いた顔で振り向いた。 あの瞬間——何かが、音を立てて戻ってきた気がした。 「なんでここにっ?」 「君を見かけたんだ。」 「…私、まだ坂本さん忘れられませんっ。私たちこうやって何度も会うのって、もう絶対運命だと思うんですよっ!」 工藤さんが俺の手を握った。 「私、坂本さんのことが好き…。」 彼女は泣きそうな顔で言った。 「俺…この数日事あるたびに工藤さんの顔が頭に浮かびました。あの好きな本を読む時だって工藤さんと初めて会った時のことを思い出す。」 「えっ?」 「俺…クズ人間になってもいいんでしょうか?」 真希の心臓が一気に跳ねた。 信号の赤が、フロントガラス越しに滲んで見える。雨が降り出したのか、車の屋根をコツコツと叩く音がした。 「……いいに、決まってます……っ」 震える声で、それでもはっきりと答えた。 彼の手を握る指先に、力がこもる。もう、引き返せない——そんな予感が胸を満たしていった。 坂本はゆっくりとシートベルトを外し、助手席に視線を移す。 そこには、あの日図書館で見かけた真希とは全く違う、恋に溺れた大人の顔をした彼女がいた。 「俺も……ずっと我慢してた。」 低く、かすれた声が、車内に落ちた。 彼は身を乗り出し、真希の頬に手を添える。その距離がゆっくりと縮まって—— 「……坂本さん……」 唇が触れた瞬間、真希の全身が熱を帯びた。 窓の外の世界が遠のき、車内には二人の鼓動だけが響いていた。 「……これで、もう戻れませんよ」 真希が囁くと、坂本は少しだけ目を伏せて苦笑いを浮かべた。 「最初から……戻る気なんてなかったのかもしれない。」 ——こうして、二人の禁断の関係が始まった。 夜の街は、昼間とはまるで違う顔を見せていた。 静かなホテルのロビーに二人が並んで立つと、まるで時間がゆっくりと溶けていくようだった。 フロントで坂本が名前を告げ、部屋のカードキーを受け取る。 真希はその横顔を、ただぼんやりと見つめていた。胸の奥が、甘く、痛いくらいに締めつけられる。 「……行こうか。」 エレベーターの中、二人きりになると、途端に空気が変わった。 無言のまま見つめ合い、何かを確かめるように、彼の指先が真希の手をそっと絡める。 その温もりに、真希は小さく息を呑んだ。 部屋に入ると、柔らかい照明が二人を包み込む。 坂本はドアを閉め、鍵をかけた。その音がやけに大きく響いた気がして、真希の心臓が跳ねた。 「……真希さん。」 名前を呼ばれた瞬間、涙がこぼれそうになった。 理性も、常識も、全部この部屋の外に置いてきた。今ここにあるのは、彼と自分だけ。 「今日……ここに来たこと、後悔してない?」 「してません……っ。むしろ……嬉しいです……」 その言葉に、坂本は優しく微笑み、真希を抱き寄せた。 大きな手が、背中を包み込む。心臓の鼓動が重なり合い、二人の距離は自然と近づいていった。 「……真希さん、可愛い……」 囁きながら、彼の指先が真希の頬をなぞる。視線が絡まり、唇が触れ合う。 最初はそっと、確かめるように。やがてそれは、何度も求め合う深いキスへと変わっていく。 真希は彼の胸に顔を埋め、ただその温もりに溶けていった。 罪悪感さえ、この夜の甘さに飲み込まれていくようだった——。 朝の光がカーテンの隙間から差し込む。 柔らかくて温かい光の中で、隣に坂本が眠っていることに、真希は小さく息を呑んだ。 昨夜のことが夢じゃなかったと、体の芯で実感する。 肩越しに触れる腕の感触、呼吸のリズム——全部がまだ生々しく、胸の奥が甘く疼いた。 でも同時に、頭の片隅で理性の声が囁く。 「彼には家庭がある。妻がいる。これは……間違っている」 ゆっくりと息を整え、真希はそっと身を起こす。 坂本を起こさないように、カーテンを少し開けて外を見る。 街はいつも通り動き、学生や会社員が忙しなく行き交っている。 ――この世界は、昨夜の二人だけの夜とは、もう違う。 小さく震える手で、自分のスマートフォンを握りしめる。 昨夜の甘さは現実に飲み込まれ、胸の奥にはほのかな切なさと、次に会えるかもしれない期待が混じっていた。 「……でも、また会えるよね」 小声でそう呟くと、窓の外の光が少しだけ温かく感じられた。 背徳と甘美。夢のような夜が現実と交錯し、二人の物語は静かに、でも確実に動き始める——。 背徳と甘美。夢のような夜が現実と交錯し、二人の物語は静かに、でも確実に動き始める——。 「…起きてたんだ。」 いつも眼鏡をかけていた彼だから、少し眼鏡をかけていない顔に違和感があった。 「起こしちゃいましたか?」 「ううん。いつもこのくらいの時間に起きるから…。」 「…奥さん心配してませんでした?」 「残業で泊まるって言ったから大丈夫。」 「そうですか…。」 「…そろそろ準備しようか。」 「はっ、はい。」 お互いもう目の前で着替えるなど気にしてなかった。 「準備できた?送るよ。」 「えっ、大丈夫ですっ!迷惑ですし。」 「そんな事ないよ笑行こう。」 彼が私の手を引いた。 「ッ…!」 彼の温もりを感じられて、幸せだった。 坂本の高そうな車に2人は乗った。 「今日は講義あるの?」 「ないです!」 「そっか。家ってどこらへん?」 昨日のことが嘘みたいに坂本さんは私に話しかけた。 意識してるのは私だけ? 「着いたよ。」 「送ってくれてありがとうございました。じゃあ、」 "また"って言おうとしたけど坂本さんは次会う気があるのだろうか。 「バイバイ。ありがとう。」 そう言って坂本さんは車を走らせた。 「あんなにあっさり…。」 大人の余裕とはこういうものなのだろうか? 「……また、会えるのかな」 ポケットの中でスマートフォンを握りしめ、彼の名前を何度も呟いた。 目を閉じると、夜のホテルでの温もり、手を重ねた感触、ささやき声——全部が鮮明に蘇る。 でも、理性が静かに警告する。 「彼には奥さんがいる。これは……間違いだ」 胸の奥に小さな痛みを覚えつつも、心のどこかでは、再び坂本に会える瞬間を夢見てしまう。 バス停まで歩きながら、真希は思った。 ――この感情を、どう扱えばいいのだろう。 甘く、背徳的で、危うい感情。 でも、それが彼の存在によってしか感じられないのなら—— 真希はそっと目を細め、心の中で決めた。 「……もう、逃げない」 その日、大学では普段通りに講義を受け、友人と談笑しながらも、頭の片隅には常に坂本のことがあった。 メールも電話もまだないのに、心の中で彼との会話を再生しては、ほのかに頬が熱くなる。 甘く、切なく、そして少し危険な――二人の関係の始まりを、真希は静かに噛み締めていた。 翌日。大学のキャンパスは、いつも通りの活気に満ちていた。 でも、真希の心はどこか落ち着かず、授業の内容が頭に入ってこない。 ポケットの中のスマートフォンに、昨日の夜の余韻がまだ残っている気がした。 ——「おはよう。昨日はありがとう。」 画面には、坂本からの短いメッセージが届いていた。 真希は思わず笑みを零す。 (え、昨日だけじゃなかった……) 返事を打つ指が少し震える。 ——「こちらこそ、送ってくれてありがとう。」 送信ボタンを押すと、すぐに返信が返ってきた。 ——「また近いうちに会えるといいね。」 心臓が跳ねた。 彼の言葉は、昼間の大学という現実の中に、甘く危険な色を差し込む。 授業が終わると、真希は友人の紗江とカフェへ向かった。 でも、心ここにあらずで、カップの中のカフェラテがぼやけて見える。 紗江が笑いながら話しかけても、真希の意識は画面の向こうの坂本に釘付けだった。 ——また会える日まで、あと何時間だろう。 その日の夜、真希は指定された小さなカフェのテラス席で待っていた。 坂本が現れると、自然と体が前に出る。 目が合った瞬間、二人は笑みを交わす。 「来てくれたんだ」 「はい……坂本さんに会いたくて。」 会話は他愛もないものだけど、触れ合う手の距離、視線の絡み、笑い声のトーン——全てが甘く、背徳的な香りを帯びていた。 人目があるのに、心は二人だけの世界に沈んでいく。 ——こうして、坂本との日常が少しずつ、静かに、確実に侵食していくのだった。 車を運転しながら、坂本はふと昨夜のことを思い返した。 ホテルの部屋で、あの柔らかい照明の下、真希の手を握った瞬間の感触。 名前を呼ばれ、微笑まれ、視線が絡んだあの瞬間—— 「……なんで、こんな気持ちになるんだろう」 妻、杏奈の顔が脳裏に浮かぶ。 きれいで優しくて、いつも自分を支えてくれる人。 それなのに、心の奥底では真希のことを考えてしまう自分がいた。 「俺は……クズだな」 窓の外の街灯が流れるたびに、自分の胸の奥でぐるぐると渦巻く感情が見える。 甘く、危険で、罪深い—— でも真希の笑顔を思い出すと、理性よりも強く、胸を締めつける。 電話やメールでやり取りするだけで、心臓が跳ね、指先が熱くなる。 昨日の夜の余韻が、今も手のひらに残っているようで、思わず握りしめたくなる。 理性はそう囁く。 家庭も、責任も、すべて忘れてしまったら、どれだけ傷つく人がいるか。 それでも、真希の存在は、心の奥で確実に大きくなっていた。 坂本は深く息を吐き、ハンドルを握る手に力を込める。 「……どうしようもないんだ。俺は、もう、彼女から目を逸らせない」 車の中の静けさが、胸の奥のざわめきを際立たせる。 甘美で危うく、そして切ない——坂本の心は、すでに真希に囚われていた。 理性は警告する。妻がいること、責任があること、家庭を壊せば傷つく人がたくさんいること。 でも、心の奥では真希への想いがどんどん膨らみ、理性の声はかき消される。 スマートフォンに届く真希からの短いメッセージ。 たった一言でも、胸の奥が締めつけられ、呼吸が少し速くなる。 会っていない時間でさえ、彼女のことを考えずにはいられなかった。 「……これ、完全にアウトだな」 甘い罪悪感が、坂本を押し潰す。 それでも、目の前で笑う真希の存在は、理性よりも強く心を揺さぶる。 胸の奥で、確かに、逃げられない感情が渦巻いていた。 「……どうしても、離れられない」 坂本はハンドルを握りしめ、深く息をつく。 外の街の光は、いつも通りに流れている。 でも、心の中はもう、甘美で危険な感情に支配されていた。 彼は知っていた。 この関係が正しくないことも、長くは続かないことも。 それでも、真希の存在は、坂本の理性と背徳心の狭間で、確実に彼を動かしていた——。
喰魔
「今日から配属になりました。月臣桜です!よろしくお願いします!」 「烏丸吉良で〜す。よろしくお願いしま〜す。」 「桜くん。吉良ちゃん。よろしくね。」 麗香が説明し始めた。 「聞いたと思うけど2課は生憎火の魔人のせいでそれなりに人死んじゃったんだよね。だから今は深刻な人手不足って訳。だから、忙しいと思うけどそれ以上やりがいがある仕事だから頑張って。」 「はい!ありがとうございます!」 「2人の異能は?」 凪が食い気味に聞いた。 「あ、えっと、俺は異能っていうのかわからないんですけど俺の体内に暴力のバルグロスの血が混じってて、それを使うことができるって感じです。」 「結構良さそうじゃない?」 「烏丸はっ?」 「私特に異能とか使えないんですよ〜。でも攻撃能力は人より自信ありますよぉ。」 「…そうか。」 「資料によるとこの2人が研修生で実力TOPだったんだって。」 「…それでも前みたいな魔人が来られたらすぐに殺されますよ。」 「…ごめんね!コイツ先輩大勢失ってさぁ、気滅入ってんだわ!許してやって。」 「…火の魔人ってどれくらい強かったんですかぁ?」 「そりゃもうすごいよ。私殺されそうになったもんね。」 『大丈夫かっ!』 『短い間だったが…ありがとう。』 「あっ、ちょっとごめん。トイレ行ってくる。」 「……。」 凪が様子を見に行くと麗香が隅っこでこっそり泣いていた。 「私のせいで…。」 「……。」 あの一件から心に深い傷を負った隊員が多かった。 「かぐり。」 「……。」 かぐりも例外ではなかった。 「任務に行くぞ。」 「うん。」 -「こちら2課。c班。バルグロスを退治しました。」 「ねぇ凪。」 「なんだ。」 「あん時はすずを倒すことしか考えてなかったからわからなかったけどさ、すずって結局何がしたかったんだろうね。地獄で今何やってんだろうね。」 「…知らないけど、少しは反省してたらいいな。」 「…もう一度、会いたいなぁ。意外と楽しかったんだよね。」 「…あ、おい。」 「なに?」 「これ。氷室さんから。」 すずの血が入った小瓶を差し出した。 「…何これ。」 「火の魔人の血だ。火の魔人の異能をお前のものにしろって。」 「ッ!…すずの…血?」 かぐりは急いで血を飲んだ。 「はぁっ、はぁっ。」 血が巡っていく感覚がはっきりとわかった。 「うぅっ!」 「かぐりっ?どうしたっ!」 「…はぁっ、はぁっ、いや、なんでもない。大丈夫ッ。」 かぐりは近くの壁に手をついて歩いた。 「無理するなよっ。本当に大丈夫なのか?」 「…大丈夫。」 −翌日− 新人2人の初任務にかぐりと凪が見守りについていた。 「今回倒すのは雪のバルグロスだ。」 「は〜い。」 「おい!もっと緊張感持てよ…!死ぬかもしれないんだぞ!」 「大丈夫だって。なんとかなるでしょ。」 「コイツら…。」 「あ、いたぞ!」 かぐりが声をあげた。 見た目は白くて大きいだけのシンプルなバルグロスだった。 (俺らなら簡単に殺せるが新人2人だとどうだ…。) 「は〜ん。ただの白くて大きいだけのやつってわけね。先にあんた行ってよ。」 「は!?なんで俺なんだよ!」 「いいじゃん!私異能使えないし!ヘルプ係ってことで!」 「まじお前終わってるだろ!」 「任務での口喧嘩はやめろ。」 「ああもうわかったよ!行ってやるよ!ラーメン奢りなっ!」 「はいはーい。」 「コロス!ニンゲン!」 「おっりゃぁっ!」 桜が足を蹴った。 「いくらなんでも体格差ってもんがある…って、」 雪のバルグロスの足が反対方向に捻じ曲がっていた。 「どんな脚力してんだアイツ…。」 凪が顔を歪ませた。 「グオオオオッ!」 桜が木を伝って飛んで雪のバルグロスの顔面に拳を連続で殴りつけた。 「グッ…」 「烏丸ッ!頼んだ!」 「は〜い。」 吉良が包丁を取り出した。 「ヒヒッ!」 雪のバルグロスの体を素早く伝って見事な包丁さばきで心臓を斬った。 「アハハハッ!アハハハッ!」 吉良は心臓はもう動いてないというのに何度も心臓を切っていた。 「オエ…!」 「かぐり、吐くならあっちで吐け…。」 「何だって吐きそうな顔してんじゃん…!」 「うるさい、」 「アイツどうみてもさぁ!」 「ああ、サイコパスだな。」 「おい!烏丸!もうやめろ!」 「なんでよぉっ!楽しいじゃんっ!」 「くっ…!先輩らがみてるだろうがぁ!」 桜が吉良の頭を殴った。 「いったぁ!女の子相手になにすんだよ!」 「うっせぇ!先陣切ってやったんだ!感謝しろよ!」 「け、喧嘩はやめろぉーっ!先輩からの命令だぁっ!」 「…はぁ、わかりましたあ。」 「飯いくぞぉー!飯飯!凪の奢り!」 「なんで俺なんだよ!」 「フッフーン。いくぞ!」 {かぐりちゃん。} 「ッ!」 かぐりは素早く後ろを向き何もないところに拳を振った。 「かぐり?どうしたんだ?」 「…なんでもない!」
喰魔
「…ん、…はっ!ここはっ?」 かぐりの異能で遥か遠くへ飛ばされた後すずはあの山で眠っていた。 (全身が痛い…。でもまだ戦える。あの心臓を取らなきゃ…。) 足が止まった。 (かぐりちゃんの心臓を取ってどうするの?取って終わり?あの人に渡して終わり?) 『私と友達になってくれる?』 「はっ…バカみたい。」 『おう!』 「ッ!」 すずは胸を押さえ、ガクリとその場に膝をついた。 燃えるようだった心臓の奥に、冷たいものが入り込む感覚。 「……なんで今さら……あんな顔……思い出すのよ……」 頬をつたう涙が、火傷した皮膚に触れてチリ、と音を立てた。 (私、なにやってるんだろ……) 山風が吹き、彼女の赤い髪を乱した。燃えかけていた炎が、弱々しく消えていく。 「もう、いいや。心臓いらないよ、かぐりちゃんに…謝らないと。…そしてもう一回、友達になりたいっ、。」 その時風が吹き多くの落ち葉が風で浮いた。 「ッ…!」 落ち葉が人型の形になり落ち葉が落ちた。 現れたのは氷室玲だった。 「ッ!?」 (なんで、アイツが。) 「私も海が好き。海は音、景色。全て美しいから。見た目は綺麗でも中身は?」 「……。」 「海は外面はいいけど内面はゴミが大量にあったり、たまには人の死体が沈んでることもある。」 「何が言いたいの。」 「貴方だってそうでしょ?外面はよく見せておいて、内面はゴミばかりの汚い人。地球もそうなの。地球だって宇宙から見たら綺麗だけどいざ住んでみると汚い世界。」 すずは手首の紐を引っ張ろうとした。 「だから私が整理してあげたいの。」 すずの右手が見えないうちに斬られた。 「ッ…!」 「私もたまにボランティアで海のゴミ拾いにたまに行くんだけどね、」 すずが素早く氷室の背後に回って左手に持ったナイフで殺そうとした。 「ゴミを拾い終わって海が綺麗になったのを見るととても気持ちがいいの。でも数日後にはまた汚くなってる。ゴミを捨てる人のせいで。だから私がその根源を消してあげてる。」 再び見えない内に左手を斬られた。 「ッ…!?」 (再生しろ…!) 「貴方の才能は認めてあげる。確か名前は…炎川幽。」 「なんで名前をッ!」 「さようなら。炎川幽。実に良い魔人でした。」 氷室は幽の心臓を素早く取った。 氷室は去っていった。 「ッ…。」 (ごめんね。かぐりちゃん。私、信じてもらえないかもしれないけど最後にホントのこと話したかったな。私ね、あのね、かぐりちゃんと過ごしてる時間が生きている時間ね1番楽しかったの。もし、また会えたら話したいって思ってた。) −「はぁっ、はぁっ、」 凪は訓練所でトレーニングをしていた。 「凪くん。頑張ってるね。」 氷室玲が凪の前に現れた。 「氷室さんっ!?なんでここにっ」 「来ちゃ悪かったかな。」 「いっいえ!全然そんなことは!」 「今日ここに来たのはちゃんと理由があるんだ。」 「なんですか?」 氷室が凪に赤い液体の入った小瓶を渡した。 「これをかぐりちゃんに飲ませなさい。」 「…なんですか、これ。」 「火の悪魔の血です。」 「ッ!?死んだんですかッ?」 「はい。死にました。」 「…氷室さんが?」 「それは秘密。火の悪魔の異能をかぐりちゃんのものにして、かぐりちゃんをもっと強くさせる。」 「かぐりはそんなにたくさんの異能を持っても大丈夫なんですか?」 「大丈夫だよ。私が血を飲みすぎたと判断したら血抜きをする。」 「そ、そうですか。」 「それと2課は随分な人数が死んじゃったから、新人を入れることにしたんだ。」 「そうですか。」 「…あ、凪くん。今子供みたいだよ。」 「えっ?」 「泣くの、我慢してるでしょ。凪くんが入った時からいたもんね。」 「ッ…!いえ、泣いてません。」 「じゃあ私が訓練付き合ってあげる。全力で来ていいよ。」 「でもっ、」 「いいから。」 氷室はそう言うと、赤い小瓶をポケットに仕舞い、ゆっくりと髪をかきあげた。笑顔は柔らかいのに、瞳の奥は氷のように澄んでいて何も映していないようだった。 「凪くん、構えなさい。」 「……っ、はい!」 凪は涙の跡をぐっと袖で拭って、構えを取る。訓練所の空気が一気に張り詰めた。 氷室は軽く指を鳴らし、空気に微かなひび割れのようなものが走る。凪の肌が粟立った。 「——全力で来ていいって言ったでしょう?」 「行きます!」 凪は一気に間合いを詰め、拳を突き出した。 しかし氷室は、その拳を軽く受け止め、凪の腕を掴むと小さく笑った。 「まだ、力んでる。泣くのを我慢するみたいに、攻撃も我慢してる。」 「っ……」 「感情ごとぶつけなさい。そうしなければ、かぐりちゃんを守れない。」 氷室の声は柔らかいが、その手のひらは冷たく硬い氷のようだった。 凪は一瞬迷ったが、目を閉じ、深呼吸した。 「——っ、うおおおおおッ!」 叫び声とともに全力の一撃を放つ。 その瞬間、氷室は一歩も動かず、微笑んだままその拳を受け止める。 「そう、それでいい。」 低く響く声が、訓練所の床にしみこんでいくようだった。 氷室の瞳には一瞬、憐れみとも期待ともつかない光がちらりと揺らめいた。。
喰魔
「タイマンだよ。」 「かぐりちゃんとタイマンだなんて…ゾクゾクする♡」 「…あいつ。タイマンで勝てんのか。」 「タイマンって言っても少し凪に指示してもらうけどな。」 「なにそれぇ。タイマンじゃないじゃん。」 「…ったく。かぐり。行け!」 かぐりは地面を蹴った。 「後ろから周りこめっ!」 「きゃはっ!おもしろ〜い!」 すずは嬉しそうに火を撒き散らす。 「うるせぇっ!」 かぐりの指先に閃光が走り弾丸が真っ直ぐにすずの胸元を狙った。 「うん。すごいね。でもね?」 すずの炎の壁が瞬時に立ち上がり、弾丸を呑み込む。だが、すぐに壁の奥で爆ぜた。 「あらっ!?」 「二段構えだよバァーカッ!」 かぐりが叫ぶと同時に、弾丸の内部から冷気が弾け、炎を逆に凍らせていった 「何これぇ!冷たい!…あの男邪魔だなぁ。」 すずが自身の炎から火の獣を作り出した。 「見て見て。可愛いでしょ♡私のペット!」 「どこが可愛いんだよ。」 「えぇ〜?可愛くない?ま、いいや。あの青い髪の男。殺して?」 「ガオオオオッ!」 「凪!気をつけろ!」 「言われなくてもわかってる。俺に指図するな。俺がお前を指図する立場だ。」 炎の獣が勢いよく凪に飛びついた。 「八岐大蛇。」 地割れと共に、八つ首の巨大な水龍が姿を現す。轟々と水を吐き、炎の獣の体を呑み込む。 「グゥアアアッ!」 獣の咆哮と共に、炎が水を蒸発させて白い霧が辺りを覆った。 「チッ。こんなのではやはり収まらないか。」 凪は霧の中で目を閉じ、次の名を呼ぶ。 「風神!」 突如、渦を巻く暴風が生まれ、霧を切り裂き、炎の突進を横へと逸らした。炎の獣は地面を削りながら横倒しになる。 「ほらどうした、獣風情が。」 怒りに燃えるように、炎の獣が立ち上がる。 「面倒だな…。だったらこれで終わりにする。」 凪は手を天に掲げた。 「雷神ッ!」 空が裂け、稲妻が幾筋も走る。轟音と共に雷雲が渦を巻き、一本の巨大な雷が炎の獣へと落ちた。 「ガァァァァァァアッ!!!」 炎と雷がぶつかり合い、世界が一瞬白く光に包まれる。 雷鳴が収まった時、そこに立っていたのは焦げ跡を残して消えかけた炎の獣と、息を切らしながらも冷静な目をした凪だった。 「このバルグロス…術で作り上げたものだとしても強すぎるな。てことはあいつは真神の仲間で間違いない。」 −「かぐりちゃあんっ!こっちだよぉっ!」 「オラァッ!」 かぐりが容赦なく銃を撃つ。 「かぐりちゃん予想以上に粘ってるねぇっ!私も本気出しちゃおうかなっ!」 かぐりは炎の弾を避けながら攻撃していった。 「私はまだ本気じゃねえぞっ!」 「はははっ!そういう強がりなところホントに面白いっ!でもそれも今だけだよぉっ!」 すずが大きな熱風を巻き起こした。 「ッ!?」 かぐりが風の勢いでビルに衝突した。 「捕まるのも何もなかったし衝突するのは無理もないよ。」 「ッ…」 かぐりが体を動かそうとしても体力の限界で動かなかった。 『喰え。バルグロスを喰ったら力になる。』 『…ゲロマズ』 「あっ…」 「かぐりちゃんの心臓。もらうねぇ〜!」 その時大きな爆発が起きた。 「…なに?これ。」 「ヒャッハハハハッ!アハハハハハ!イッヒヒヒヒヒ!」 「かぐりちゃんどうしたの?そんなに気持ち悪い笑い方して。」 「お前、私がB.Hだというのを見逃していたな!」 「いや、忘れてないけど。…どうやって体を復活させたの?」 「そんなこと聞いてる場合か?」 「え?」 無数の触手がすずに飛びついた。 「ッ!」 触手が腕を拘束して異能を使えないようにさせた。 「くっ…!かぐりちゃぁん、これ外して?」 「外すわけないだろ。」 「チッ。」 足で触手を切った。 「ほら、あの触手も切っちゃった…よ…ッ」 すずの足が動かなくなった。 「フッ。どうだこのかぐりさまの異能は!蝕みのバルグロスの力だ!」 「ホントッ…かぐりちゃんって…バカだね…。こんなこと…思いつくなんて…。あっ、そうよっ、私のペットがまだっ、」 「あのお前の言うペットは殺したぞ。なかなかいい腕してたけどな。」 「ホントッ…ずるい。そもそも…タイマンじゃ…ないし…。」 「……。」 「ねぇ、かぐりちゃんっ。…私たち…友達…だよ…ね?助けてよ……。」 「お前なんか友達じゃない。」 「ッ!…最悪…。力を使えないし。体が腐ってくる感じする。」 (最後の力で…行けるかな。) 「ドカ…」 すずの顔が銃に撃たれた。 「あの…クソ女。」 麗香が撃った弾だった。 「死ねッ!」 麗香の撃った弾丸がすずの顔を貫いた瞬間、蝕みの触手が一斉に爆ぜ、すずの体を押し飛ばすように弾き返した。 「ッ……!」 すずはよろめきながらも、最後の炎を纏った拳を振り抜こうとした。しかし腐食する肉体が動きを鈍らせ、拳が空を切った瞬間、かぐりの冷気を帯びた触手が再び襲いかかる。 「がっ……!?」 そのまま強烈な衝撃波と爆音が重なり、すずの体が空高く跳ね上がるように吹き飛ばされた。 「バカなっ……まだ終わってな……」 すずの声がかすれ、炎が消えかける。蝕みの力が彼女の体内に残った異能の核をじわじわと侵食し、全身が崩れ落ちるように光と炎の欠片になって散っていく。 「……ッ!!」 最後に炎の羽のようなものを広げたすずの影が、遠くの高層ビル群の彼方へ弾かれるように飛ばされ、そのまま赤い軌跡を引いて暗い空の奥に消えていった。 「……行ったか。」 かぐりは肩で息をしながら呟いた。 麗香が駆け寄ってくる。 「……かぐり、大丈夫?」 かぐりは返事をせず、吹き飛んでいった赤い光の軌跡を黙って見つめていた。