末子 鷹蹴
8 件の小説独身(32)
もしも、今、私が不審な死を遂げたなら、この小説は遺書とでも捉えられてしまうのではないか。 そんなことがふと頭をかすめる。 弱っているのか? 別にそういう訳ではない。 不吉な考えをかき消すように、頭を左右に揺らす。 私はロウソクに火をつけた。 私しか見ることのないケーキの上の灯火は、どこか哀しげに揺れている。 あの頃はケーキの上の小さな灯りが胸を熱くしていた。 いけない、感傷に浸るな。 自らを現在に引き戻すように、缶ビールを口へと運ぶ。 勢いよく手を伸ばした弾みで、柿の種をばら撒いてしまった。 柿の種をこぼしても独り 私が保育園に通っていた頃、園庭の滑り台の横に柿の木があった。秋になると熟れた柿が落ちてきて、柿の種が拾えた。 私はその種を二つ拾った。 一つは、その木の横に埋めて、もう一つは水道の蛇口で洗って、ちり紙にくるんで持って帰った。 家に帰って、母に柿の種を植えたことを話して、いつ実がなるのか、わくわくしながら聞いた。 「桃栗三年柿八年」という言葉を教えてもらった。 八年か。 もう一生来ないような気がした。 ちり紙の柿の種を植えることはなかった。 四十路まであと八年。 八年か。 あっという間に来てしまうような気がしている。 あの頃のように、ロウソクの灯火を消したなら、何処からともなく沸いて出る、この焦燥感も消えてくれるのではないか。 そんな子供じみた期待を胸に、電気を消しに向かう。 ジャリッ 足下には粉々になった柿の種が散らばっていた。
コップの水が教えてくれた
ラーメン屋さんを出る前に、少し喉乾いたなって時あるでしょ? ちょっとできる男性はね、 「入れよっか?」 って、コップに水を入れてくれるの。 素直にありがとうって言うし、思うんだけど、最後の方はちょっと無理して飲むの。残したらなんか悪いかなと思って。 ラーメン屋さんのコップって、窪みみたいな部分あるじゃない? 彼はね、その窪みのちょっと上らへんまで水を入れてくれたの。 ちょうど良く飲み干せる量だった。 その時ね、なんとなく、本当になんとなくなんだけど、 この人と結婚したら幸せだろうなって思ったの。 まさか、本当にこうなるとは思ってなかったけどね。
あなたは全てを肉と呼ぶ
「この肉美味しい〜!」 「あっ、こっちの肉も美味しい〜!」 それはサガリでこっちはミスジ。 あなたにとっては、カルビもハラミも、牛や豚でさえも全て“肉”なのだろう。 「食べてる?」 「食べな食べな〜!」 それはまだ食べ頃じゃない。 なんて大雑把な人なんだ。 この人とは合わないな。 もう会わないな。 手際の悪い店員にも、ただ声だけがでかい自称ムードメーカーの隣の客にも、そして、私にも 「面白い人だね!」 とあなたは言う。 やっぱり大雑把な人だ。 この人とは合わないな。 また会いたいな。
生憎の天気ね
「生憎の天気ね。」 電車を待つ、駅のホームで隣のご婦人がスピーカーの向こうの人物に言っておりました。 『あいにく 意味』 私は素早く検索しました。 『期待や目的にそぐわないさま。都合の悪いさま。』 なるほど、このご婦人にとって本日の天気は、期待にそぐわない、都合の悪いものだったのか。 雨は、ある人の楽しい気持ちに水を差すのですね。 ふと顔を上げると、向かいのホームにうずくまり、小さく肩を震わせている女性がおりました。 雨は、ある人が哀しい気持ちでいる時に、一緒に泣いてくれるのですね。
最期のボタン
もし、地球を滅亡させることのできるボタンがあって… それが私の手元に回ってきたならば、 私はそれを押さないだろう。 もし、地球を滅亡させることのできるボタンがあって… 悪意をもった誰かが、そのボタンを押そうとしたならば、 私はきっと無我夢中で止めるだろう。 もし、地球を滅亡させることのできるボタンがあって… 何も知らない無垢な少年が、そのボタンを押そうとしたならば、 私はきっと止めることができないだろう。 「イジメはなかった。」 どこかの中学校の校長が、テレビの中で言っている。 最期のボタンを押したのは誰なんだろう…
罪の鼓動
ベッドの奥に小さな地響きを感じる。 『地震が来る。』 それなりの確信とささやかな高揚感がぽっと浮かび上がる。 『不謹慎だ。』 そう頭では思っていても、心臓は徐々に脈打つ速度を上げていく。 2011年の震災の日。まだ幼かった私は、非日常的な出来事にお祭りの日のような特別な感情を抱いていた。 普段は遅くに帰ってくる父も、早々に帰宅していた。 そんな父と、日頃は滅多に会話を交わさない母も、その日はよく父と話していた。 いつも私を邪険に扱ってくる兄に至っては、ことあるごとに私を気にかけ、今後一生分程もありそうな、優しさを私に注いでくれた。 地響きが遠くなっていく。 どうやら、大きな地震ではなかったようだ。 再び静まり返ったベッドの中で、罪の鼓動だけが小さく響いている。
捻れ音
「先輩の彼女さんってどんな人なんですか?」 この子は世渡り上手な子だな。 そう思ってしまうのは、私がやはり捻くれた人間であるからだろうか。 「先輩って、彼女とかいますか?」 ではなく、 「先輩の彼女さんってどんな人なんですか?」 である。 恋人がいること前提で質問することで、相手を立てられていること、はたまた彼女に、『さん』をつけることで、敬いを忘れないこと、やはり達者である。 素直に、自尊心をくすぐられていることができたなら、人としていくらか可愛いかったであろう。 しかし、私は、言葉を紡ぎ出す際の配慮と、幾分かの計算に過剰に反応し、警戒に似た感情で構えてしまうのである。 お察しの通り、私には恋人などいない。けれど、 「恋人なんていないよ。」 と素直に答えてしまったなら、 「え?いないんですか?絶対いると思ってました!」 などと、事前に用意していた、わざとらしいフレーズを、再生させてしまいそうで、また、彼女の手のひらの上で転がされているようで何だか癪だ。 「君はイルミネーション好き?」 私からの不意な質問に、多少たじろいだ後、 「話逸らさないでくださいよ〜!」 「でも、好きですよ、イルミネーション。綺麗ですよね。」 そう答えた彼女はどこか嬉しそうだ。 誘い文句の前置きとでも捉えたのだろうか。 期待させてしまったのなら申し訳ないことをした。 「僕の恋人は、イルミネーションを見て『これ、電気代凄そうだね。』と言って、ラムネの瓶のくびれに引っ掛かっているガラス玉を見て『綺麗だね。』と言う人だよ。」 ああ、捻くれ者だな。 バツが悪そうな笑顔の裏で、また一つ捻れる音がした。
奇跡
目の前にこんな奇跡が転がっているというのに、貴方たちは何をしているのですか? そんなにサイケデリックな灯りが楽しいのでしょうか。 おそらくこの車両の中で、この奇跡に気が付いているのは私だけでしょう。 両隣りはやはり、手のひらの上の四角い液晶を具に見つめております。 ああ、なんて勿体無いのでしょう。 目の前の席の3人が、揃って同じモデルの靴の、同じカラーを履いているというのに。 しかも、3人それぞれ赤の他人なのです。 どうしてそんなことがわかるのかと言いますと、私は見ていたのです。 2人目が座り、リーチになった瞬間を。 そして、3人揃ってビンゴになった瞬間を。 3人目が腰をかけた時の、あの高揚感はなんとも形容し難いものでありました。 そんなことで『奇跡』と言うなど大袈裟だと言われてしまいそうですね。 ああ、そうでしたね。 あなた方は、そこまで贔屓にしていない、ブラウン管に映る人物を街で偶然見かけて、『奇跡』だと仰り、低確率に設定されたアイテムが手に入って『奇跡』と仰るのでしたね。 別に、誰かを非難したい訳では決してありません。 はたまた、私の感性というものに酔いしれ、披露したい訳でも決してありません。 そういうものなのです。 私には幸い、この『奇跡』を喜んで聞いてくれる人がおります。 きっと、この話をしたならば、自ら目撃した訳ではなくとも、ハイタッチをして喜んでくれることでありましょう。