犬狸
7 件の小説辛っ
登る湯気さえ赤になりそうなほど赤に塗れた器が活気があるのかないのか微妙な声色と共に目の前に運ばれた。 「ご注文の品以上でお揃いでしょうかー」 「ぁ、はい、ありがとうございます」 条件反射の感謝と笑う顔、引き攣る内面。 少しの規則的さを持った傾きを見せる箸入れの中の箸を適当に2本手に取り、その動作のついでに手を合わせた。この動作も律儀にしてしまうのもなんだかなぁなんて。 箸をスープにグッと入れ薬味の下の麺を探し持ち上げる。スープの赤が少し染みた麺にさらにラー油の艶ある赤がまとわりつく。上がる湯気がまだ出迎えていない喉を刺激して涎が出る。熱さを冷ます為に少し長めに息を吹きかけた後、勢い付けのように短く息をし出迎えた麺。唇がじんわり熱くひりつく。刺してくる辛味は喉に。痛みか辛みか、涙が溢れてくる。 「悩みなんてなさそうでお前はいいよな」 鼻奥がつんとなる台詞。それでも返す言葉を吐く俺の表情は悩みなんてなさそうなヘラヘラ顔。怒ったところで場違い、空気読めてないノリ悪い奴。だったらその場凌いでもいいだろう。笑って流せば、その場の空気も相手の機嫌も俺の評価も悪くならないから。ただ少し息苦しいだけ。 「あっつ」 ネクタイ緩めてきっちり締めていた第一ボタンを外した。刺激を噛み飲み込んだ口内に、辛味よりも先に熱が残り追って体から汗が噴き出る。そして喉に迫り上がる辛味。しかし水で流し込むには惜しい刺激。薬味の白髪ネギと麺を絡ませる為に二度ほど混ぜ、また一段と上がる湯気ごと麺を食う。白髪ネギのつんとくる独特の辛味がラー油の辛味をさらに引き立たせ、辛味の奥の旨味に変える。 「毎日楽しそうでいいね」 楽しく笑って生きていけたら万々歳だ。へらへら笑って愚痴も吐かずに適当に仕事して、休憩って言い張る煙草休憩中に同期の不幸話に分かってないくせに「わかるよ」なんて言葉返して、適度な距離感と信頼感も得て、飲み会では上司に最後まで付き合って目掛けてもらって。人間関係も悪くない卒なくこなせる人生、最高だろ。少しくらい貼り付けた笑顔作る度に皺寄る内面があったって。 「……」 薬味と麺のコラボにスープの追い込み。レンゲでスープ掬って一口二口。辛味の爆弾が刺激を撒き散らしながら喉から胃に滑り落ちていく。唇も少し腫れたような気さえする。水を飲みたくなるが最後まで。かき混ぜた拍子に底に沈んだひき肉もスープと一緒に掬って麺と一緒に口に放り込む。辛味に引き出された肉の油の甘味が救いになる。 刺激なんてなくて、ただ平凡になろうと打たれる杭にならないようにだけ必死にしがみついてた結果、誰よりも平均だと思い知らされただけ。突出する部分も持たないし持てないただの小心者。だけどその事実すら笑って気づかないふりしていたかった。でも気づかないふりしてるとずっと分かってしまっていた。そこから何か変わりたいと思い出して、それでも今までを変えるのが怖くて。 気づけば踏み出した一歩は初めて入る辛さ売りの店。 激辛までは手が出せなかったけど、ちょっと背伸びした辛さ選びした今、汗だくで渋い顔しながらがむしゃらに麺を啜る。 なんも変わってないけど踏み出した先の良さは少しだけど味わった。また変わらずへらへらした顔で仕事に向かうだろうけどまぁいいか。 スープに沈むひき肉も全て食べ終えまた最後にスープを飲み、締めにと水を一気に流し込んだ。 「はぁ、辛っ……」
映す
写真を撮る事が好きな君と、 一度も写真を撮りませんでした。 好きな人ができ、 好きな人と付き合って、 好きな人と一緒に居て、 好きな人が好きな人の話を聞いた。 どういう人だった、 どういう事をした、 どういうところが好きだった。 そんな事を話す、君が好きだった。 思い出を話す声も、 思い返した光景を映す瞳も、 その過去に戻って愛おしそうに微笑む時間も。 その表情も時間も大好きだった。 そして、大好きな人が僕じゃない事に安堵した。 時折見つかる好きな人との思い出の欠片を、 君は申し訳なさそうに、 寂しそうに。 けれど懐かしく慈しむような仕草で仕舞い込んだ。 大切な物を手離せない君はずっと、 それがある限り思い出し、 懐かしくなり、悲しむんだろう。 僕は君の好きな人じゃない、 君は気づいていないだろうけど。 だけどいつか僕と離れる時、 出来るだけ君が傷つかないように。 悲しむものが残らないように、 君の好きに入り込む事はしないようにと。 だから写真を撮る事が好きな君と、 僕は一度も写真を撮らなかった。 好きな物を好きな君が僕は好きだった。 好きな物を好きだと言える君が好きだった。 君が好きだという中に僕も居たのに気づかないまま。 フィルターを通して見ていたのはずっと僕の方だった。 来るかもわからないいつかにピントを合わせ続けて、 今僕を好きだという君を映さないままだった。 「あなたの瞳に映りたかった」 考え続けたいつかだけが焼き付いた。
手作り
食べることが好き。 口にする物は体に合った、そしておいしい物がいい。 食べ物や飲み物だけではなく、それらを運ぶ食器も口に触れる物で。触れた時の良し悪しも食事の質を決めると思う。 だから私は理想の食器を求め、それと向き合う。 今日はコップを作ろう。一つ前に作った形はストンと直線的だったから、今回は少し角度を付けてみようかな。ざらつきの少ない、かと言って滑らかすぎない。厚みは薄すぎると返って気になるからやりすぎのないように。 少しひんやりとした粘土を形成しやすい硬さになるまで捏ねて捏ねて。ちょうどいい柔らかさになったら拳くらいの大きさを取ってまた捏ね、薄く伸ばす。ろくろで底の大きさを決め、そこから腰、胴と粘土を重ねていく。口縁まで重ね終わったら、ろくろを回し凹凸を綺麗に平す。 取手はどうしよう。上向きに膨らみがあるものにしようか。それとも綺麗な半月型。無くても可愛らしいかもしれない。 悩みながらも口元は緩む。同じ形を作っているはずだけど、少しずつ変わる形。さらにこれから乾燥させて、また変わる。 出来上がるまで続く楽しみ。 寝かせて注いで口付けるまで。
おなか、すきましたか?
きれいだとおもった。 今日の糧を口にし、食み、味わい、飲み込むその姿が。 「こんばんは」 「こんばんは」 「月がきれいですね」 「そこでなにを?」 「お恥ずかしいことに足を怪我してしまい、ここで休んでいたんです」 「それは大変だ」 「岩影のここならば安全かと思ったんですが甘かったようです」 「甘い?」 「これから私は食べられてしまうんでしょう?」 「そんなこと誰か言いましたか?」 「ちがうのですか?」 「疑問ばかりですねこの会話」 「おかしいですか?」 「また疑問ですね」 「笑わないでくださいよ」 「すみません、つい」 「答え聞いてもよろしいですか?」 「確かに、可愛らしいあなたを食べてしまいたい気はします。 けれど生憎、先程食事をしたばかりで胃の空きはほんの少しも残されていません。 だからあなたを食べることはないですよ。少なくても今は」 「そう、なんですね」 「はい、残念ながら」 「でしたら図々しいお願いではありますが、もう少しここで休んでもかまいませんか? あなたのお腹が空いてしまうまで」 「ええ、私のお腹が空くまでは」 きれいだとおもった。 今日の糧を口にし、食み、味わい、飲み込むその姿が。 愛らしいと思った。 舌で草を絡め取りゆっくりと噛み切り咀嚼する姿が。 食べてほしいとおもった。 牙がこの身を割いて、あなたの糧になってしまえるならと。 食べてしまいたくないと思った。 今日も明日もその糧を食べる姿を眺めていたいと。 「怪我良くなりましたか?」 「いいえ、まだ」 「お腹空きましたか?」 「いいえ、まだまだ」
美味しいお肉
お肉は美味しい。 鶏肉、豚肉、牛肉、猪、馬、鹿、鯨… 部位ごとに食感も味も喉越しも変わって。 がっつり食べたい時は油で揚げ、 他の食材との組み合わせを楽しむなら炒めて、 あっさりなら鍋、 たまの贅沢に生肉でユッケなんて。 美味しい美味しいお肉。 食べることで心も体も満たされる。 だけどよく考えてみれば僕自身も肉な訳で。 試しに口の中をゆっくり噛んでみた。 なんの味もしない。 痛みもない。誤って噛んだ時は泣くほど痛いのに。不思議。 肉も噛み締めて出てくる肉汁も旨味も何もない。 出てくるのは唾液と自身の血。 美味しくない。 仮に調理したら美味しくなるんだろうか。 生食には不向きなのだろうか。 人によっては乗る脂の量が変わるから、初めて試すなら中肉中背がいいな。脂のしつこさでもう少し減らすか増やすか、考えよう。 筋肉も重要か。あまり硬すぎると噛み切るだけで疲れてしまう。 けれど豚もちゃんと運動して体脂肪14%くらいだと聞いたことがあるから、ないと困る。難しいな。 美味しいか、美味しくないか。 新しい味覚の開拓だ。考えるだけで楽しい。気持ちの高まりが治らない。涎も溢れ出てきた。ああ食べたい。満たされたい。 「Hey Siri. 近くの生肉店」
ピーナッツ
僕には食べられないものがある。嫌いや苦手ではなくアレルギー。それは僕にとって匂いですら天敵で、戦っても勝てないから防戦一方。給食に出てくる前にメニュー表から探し出し、攻撃をもらう前に撤退してもらっていた。戦わずして勝つ、というより戦いになる前から白旗降参。 周りの子はなんなくそれを食べたり嫌ったり、自分でそれとの距離を決めている。羨ましい気もしたが、だからといって対峙する気にもなれない。無くても生きていけるし、いや、無くしてるから生きていられるんだけど。 そんなこんなで僕とそれの戦いは離乳食期から始まっていたが、ただ僕が食べるか食べないかだけだと思っていた。 この戦いが僕だけの戦いではないと気づいたのは中学生になった頃、母との買い物で食材を選び新製品が出てる、なんて会話してる時だった。 「一つお願いがあるんだけど……」 「え、なに?」 「これ、買ってもいい?」 母が指差したのはパンにつけるジャムやクリームが並ぶ棚、その中の僕の天敵、ピーナッツバタークリーム。 「食べさせたりはしないし、あれならいない時に食べるから、ね」 申し訳なさそうな提案だった。 あれからさらに10年以上時を重ね、相変わらず僕とそれの戦いはある。変わったのは僕も親になったということ。 ありがたいことに子供には食べ物の敵はできなかった。がつがつ飲んでも食べる子の選択肢にヤツも紛れているが、幾分うまく付き合えるようになった。僕の領分には侵入を断ってはいるが、隣で美味しそうに食べる子の口周りの天敵を拭き、食べ終わった皿を片付ける。匂い攻撃には鼻に栓。触覚への痒み攻撃にはゴム手袋。時々起こる不意に口の中に突っ込まれる天敵と子供のタッグ攻撃も、冷静に飲み込まず薬に手を伸ばす。 今もあの時もあるのは美味しい物を頬張る嬉しそうな顔。 今度は揃って食べてもらおう。あの日は分かち合えなかったけど、今なら一緒に楽しめる相手もできた。 僕の天敵、母と子の好きな物。
夢について、僕の話を
夢、を見るようになった。 まだ不確かで現実味もないような、 だけどこうなりたいこうしたいと思える夢を。 “これくらいのもの誰にでもできる” “これよりももっとすごい物を作る人はいっぱいいる” “才能なんて持ってるわけない” いつから僕は誰かが言った言葉で考えるようになっていたのか。 いつから僕は夢を見るより、 息するように諦めを探すようになったのか。 もう覚えてもいないけれど やりたい事をやる為の理由を探していた。 やれない理由を見つけて安堵してた。やっぱり無理だと。 なんで無理なんだ。やってもないくせに。 やりたい事をやる理由なんて、最初からやりたいからに決まっていたのに。 これに気づくまでに何年もかかってしまった。 だけどまだ何年もある。 やりたいが見つかった。 見つけたらならやればいい。 僕はこれがやりたい作りたい。 だからこの文ができた作った。 そしてもっと次の文を書きたい作りたい。 僕の夢は、僕の話になる。 僕が作る話は、僕の夢になる。 プロローグはここまで 次からは本編です。