アレックス

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アレックス

哀悼、そして日常は続く

ある日、私は学校を休んだ。 「哀華、早く着替えなさい。」 朝、母に促されるがまま制服に袖を通す。 着替えを終えた私は、リビングに降りて行く。 両親の顔は、なんだかぼやけて見えていた。 −先日……幼い頃からずっと仲の良かった親友が亡くなった……交通事故だった……。聞かされた瞬間、私は放心した……。− 暫くすると迎えが来て、私と両親は家を出る。 青く晴れた空と心地よい風が、私には嫌味に思えた。 車に乗せられて数分ー否、数十分だろうか…? 「さぁ、着いたよ。」 親戚のおじさんの声が前からする。 私は車から降りて徐に歩く。 会場に入ると、そこにはすでに大勢の人々が集まっていた。 久しぶりに見る顔ぶれもあれば、初めて見る顔ぶれもある。 私の心中は綯交ぜで、整理がつかない。 軽く返した会釈も、自分では上手くできていたのかすらも分からない。 そして私は、和室に準備された椅子に座るよう促される。制服の布越しでも冷たさを感じた。 やがて私は係の人に呼ばれて、徐に襖を開く。 「ツ………………」 そこには、変わり果てた親友の姿があった……。 その表情はとても柔らかくて、まるで眠っているだけのようにも見えた。 今にも目を覚まして、私に笑いかけてくれるような気さえした。 でも湯灌で触れると、肌は硬く冷たかった。 私の中の甘い絵空事は、目の前で破られる…。 私は、命も魂も抜けた親友のその空っぽな身をそっと撫でる…。 次の日の朝、虚げな心のまま制服に袖を通す。 今日も、親戚のおじさんの車で会場まで向かう。 道中、車に揺られながら私の心は朧げにゆらゆらと揺れていた。 今日が、親友を親友の姿で見ることの出来る最期の日になる……。 係の人が忙しなく動き回っていた。 その日の顔ぶれは、昨日とほぼ変わっていない。 係の人が、皆に一輪ずつ花を渡していく。 そして、それを親友の周りに供えていく。 私も、皆に倣って花を棺に納めた。 −棺の中の貴方が、花で鮮やかに埋まっていく……。− 目を背けるようにそっと瞼を閉じる。 私の頬を涙が伝った。 そして…棺は閉じられ、外から鍵がかけられた。 「皆様、長らくお疲れ様でした。これより故人様を火葬場へと丁重にお運びさせていただきます。」 係の人が皆に深く会釈してそう告げた。 −貴方の入った棺は、ゆっくりと運び出されて霊柩車の荷台に運び込まれていく……。私は、それをただただ眺めている……。− まだ夏は先のはずなのに、蝉の声が聞こえる。 まるで、私の心の穴を埋めようとしているみたいに……。 私と両親は、おじさんの車に乗って霊柩車を後ろから追いかける。 他の人達は、用意されたマイクロバスに乗っておじさんの車を追いかけた。 やがて、火葬場に到着する。先に入り口に到着した霊柩車の後ろから、棺が下ろされる。 私と両親はその後をついて行った。 「これより火葬に入らせていただきます。故人様が姿を保たれる最期の機会となりますので、思い残しのある方がおられましたら最期にもう一度、お顔の方をご覧になってあげて下さい。」 そう係の人の言葉に、親友の両親を含めた何人かの人が棺の中を覗き込む。 何故か私の足は動かなかった。 「哀華は…もういいの?これがお友達の顔をちゃんと見られる最期の機会よ…?」 「哀華…?」 「うん……そう…だね……」 両親に「最期にもう一度お別れをしなさい」と諭されたような気がして、私は覚束ない足取りで棺に近づく。 −覗き込めば……そこには本当に眠っているだけにしか思えない貴方の姿……− 「……はぁ………はぁ………うっ…くっ…んっ…」 それを見ているだけで、私は自然と目が熱くなってくる。 やがて、火葬が執り行われる。 棺は、焼却炉の中にゆっくりと吸い込まれていく。それと同時に別れが少しずつ近づいてくる……。 「うっ……あ……はぁ…はぁ……ぐっ……ぇぅ………ぐすっ………うっ……ふ……ぇぇ………」 −止められないほどに溢れる何か……。それが汗なのか、それとも涙なのか、私には分からない……。− 火葬が完全に終わるまでの間、私と両親とおじさんは待合室に通される。 「はい。これでも飲みな。」 「すん………あ、ありがとう…ございます…」 おじさんが側にある自販機でジュースを奢ってくれる。 私は、泣き腫らした顔でおじさんを見上げ、ジュースを受け取った。 蓋を開け、ゆっくりと嚥下する。でも何故か味がしない。 缶を伝って結露が床に落ちて爆ぜる。僅かに寒気のようなものが走った。 「辛いだろうが、お友達の為にもちゃんと前を向かなきゃいけないよ……?」 おじさんのその言葉に、私は無言で頷いた。 −それから暫くして、係の人に呼ばれる…。− 私と両親は奥の部屋に通される。 程なくして、火葬が終わった親友が運ばれてくる。 肌は果て、欠片になってしまっていた。 長い箸を使って、骨を骨壷に納めていく。 −貴方は……すっかり小さくなってしまった……。− ふと、冷たい汗が肌を伝って落ちる。 −そして……小さくなってしまった貴方を抱えて私は歩く……。− 親友の両親が、私にとお願いしてきた。 これが夢なのか、それとも現実なのか……私はあやふやな感覚に落ちる。 骨を納めている時にできた火傷がヒリヒリと痛んだ。 −まるで……私に「これが現実なのだ」と突き付けるように……水を差すように……。− 帰り道、車の窓から見た夕焼けは私の心とは対照的にとても鮮やかな色をしていた。 とても憎らしいほどに……。 次の日の朝、私は眠たげな表情で制服に袖を通す。 −瞼の下が腫れている……。私はそれをコンシーラーで隠す……。− 私は、鞄を抱えると小さく「行ってきます」と言ってドアを開けた。 空は快晴で、澄んだ青がどこまでも広がっていた。

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哀悼、そして日常は続く

終電

今日もまた、私は終電を逃した。 「あぁ……まただ……」 ホームまで全力疾走したダメージが今になって襲ってきた私は、ホームのベンチに重い腰を下ろす。 家に帰る手段を無くした私は、仕方なくタクシーで帰ろうと思いホームを出ようとした。 その時、向かい側のホームに若い男性会社員が立っていた。 その男性はその場にじっと立ったまま微動だにしなかった。 「……なんか…きみ悪いなぁ……」 そう独り言ち、私はそそくさとホームを後にし、駅を出ようとした。 しかし、不意にさっきの男性のことが無性に引っかかって私は思わず引き返し、反対側のホームに駆け上がる。 「はぁっ…はぁっ…はぁっ…」 肩で息をして呼吸を整えた私は周囲を見渡す。 「あ、居た…あのっ」 私は勇気を出して男性に声を掛ける。その時− 「ツっ!ちょっ!」 男性は線路に身を投げようとした。 私は慌てて駆け寄って男性の体を必死に掴んで食い止める。 「貴方何してんのっ!?止めてっ!」 「はっ!?ちょっ!?な、なんだよアンタ!」 突然の出来事に非常に面食らった男性は、しがみつく私を振り払おうとする。 「離せっ!離せよっ!おいっ!」 私も負けじと男性の力に懸命に抗う。 「嫌っ!!絶対に離さないっ!!こんなところで死ぬなんて駄目っ!!絶対に駄目だよっ!!」 「もう疲れたんだよっ!頼むから離してくれっ!!いいから死なせてくれぇぇぇ!!」 −パシィィィンッ− 気づけば私は、無意識のうちに男性に強烈な平手打ちを浴びせていた。 衝撃で男性は、ホームの内側に倒れると頬を押さえ、驚いた目で私を見上げる。 「あっご、ごめんなさい!大丈夫ですか!?」 そう侘びつつ、私は手を差し出す。男性は俯き加減で小さく頷くと私の手を取って立つ。 今ので少しは落ち着きを取り戻してくれたようだった。 「良かったら、何があったのか話してくれませんか?」 私は彼をベンチに座らせ、自分も隣に腰を下ろすとそう彼に述べた。 彼は僅かに躊躇うそぶりを見せるも、やがてポツリポツリと話し出す。 入って一年になる会社が、蓋を開けて見れば典型的なブラック企業だったこと。 毎日のように上司や先輩、同僚から到底捌き切れない量の仕事を振られたり、侮蔑を受けていること。 挙げ句の果てにずっと残業を強要されていたこと。 そのせいで、心身共にに疲弊していったこと。 そして、仕事に行くことはおろか、生きることすらも嫌になって、自ら命を絶とうとしたこと。 全て包み隠さず私に打ち明けてくれた。 私は彼の話を黙って聞いていた。 「………ごめんなさい……。こんなこと、今日会ったばかりの貴方に話したって、困らせるだけだって分かってるんですけど………」 そう言って彼は私から目を逸らす。 少し間を置いた私は小さく息を吐いて口を開く。 「良かった…。私だけじゃなかった…」 「はい?」 唐突にそう言った私に対し、彼は訝しむ。 私は彼の目を見て話し始める。 「私が今勤めてる会社も同じ感じなんです…。侮辱されたり誹謗中傷みたいなことはないけど、でも毎日上司や先輩や同僚から雑務を押し付けられて……私に断る隙さえも与えてくれない…。 終電で帰ることなんて日常茶飯事、酷い時は終電を逃してしまうから、会社で寝泊まりして……例え終電で帰れたとしても、朝は始発で出社して、そこからほぼ休みなしで働いて……毎日その繰り返し……私も貴方と同じ苦しみを抱えてる1人なんです。」 「そう……だったんですね………」 私の話を聞き終えた男性はそう呟いた。 「私達、同じですね。」 「はい……そうですね。」 私のその言葉に頷く彼の表情には、僅かに明るさが戻ったような気がした。 結局、その日も終電を逃した私は、男性と共に近くのビジネスホテルに一泊した。 勿論部屋は別々で。 数時間後、朝が来て私達は早々にホテルを後にして、それぞれの会社へと向かう。 別れ際− 「あのっ!」 −男性が私を呼び止めた。 「はい?」 「また、会えるでしょうか?」 「ええ。また会えます多分。」 「だったら嬉しいです。………決めました。僕、思い切って転職します。思えばもっと早くにこうすれば良かったんですよね。貴方のおかげでようやく覚悟を決めることができました。」 「私も、今同じことを考えていました。でも、そうしたら貴方とはもう……会えなくなるかもですね…」 「それでも、またいつかどこかでお会いできたら嬉しいです。貴方は、僕の命の恩人ですから!」 そう言って彼は笑った。その彼の眩しい笑顔に負けないように私も負けじと笑顔を浮かべる。 そして、私と彼はその場で別れるのだった。 −新しい一歩を踏み出すために……。−

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終電

恋愛鬱

皆は、恋愛鬱って言葉、聞いたことある? 言葉の通り恋愛関係で鬱になることなんだけど、人によってかかる原因はバラバラだったりするの。 例えばある人は、彼氏あるいは彼女に振られたことによる失恋から、またある人は対人関係が上手に築けないことで想いを告げられないことから、恋愛鬱になるケースがある。 恋愛鬱の症状は、一般的に知られている鬱病の症状とほぼ同じ。 (抑うつ気分、意欲・興味の喪失、不眠、食欲の変化など) 多分だけど、僕も恋愛鬱にかかってると思う。 認めたくはないけど……。 でもおかしいよね。自分の中で恋愛なんてとっくに諦めたしそんな気持ちはとっくに捨てれいると思っていたのに……。 それなのに……なんかすごくモヤモヤすると言うか、苦しいと言うか………。 でも、周りの人から見ればこんなことで悩む僕って馬鹿なんだろうね。 だからこそ、誰にも言えないし言わない。 言ってもさ、「だったらもっと積極的になれ」って言われるのがオチだろうし。 この世から恋愛って概念が消えたなら、こんな苦しい思いをしなくて済むのかなぁ………? 皆は……どう思う?

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恋愛鬱

歪み愛 −歪ミオワリ−

−何で……どうして……− 私と九重さんとの友情が壊れたあの日から、私の日常は一変した……。ううん違う……。元に戻ったと言った方がいいか……。 あの日以降、私は周囲に怯えながら登校する日々を送っている。 −ドンッ!− 「ゔぁっ……痛ったぁ………」 「あらごめんやす〜!あまりにも影薄うて見えへんかったわぁ〜!」 「ツ………う………」 「どんくさ……クスクスクスッ」 あれから九重さんは取り巻きを使って私に陰湿なイジメをして来るようになった。 朝は毎日のように突き飛ばされたり足をかけられたりして転ばされる。 持ち物を隠したり壊される。 鞄やノートや教科書に暴言を書かれる。 人気のない所に連れて行って恐喝される。 水を掛けられる。 昼食の時間に弁当を奪われて捨てられる。 こんなことが毎日のように続いた。始めは何とか耐えようとしたが日を追うごとに私の心は少しずつ壊れていく。 2週間経つ頃には私は学校の時間の殆どをトイレで過ごすようになった。 誰も使わなくなった校舎奥の錆びれたトイレに………。 私にとってもはやそこしか安息できる場所がなかった。 今やクラスだけでなく、学校中の生徒からも白い目で見られたり後ろ指を刺されるようになった。 担任も他の教員達も九重さんを恐れてか見て見ぬふり。 私に味方してくれる人など誰一人として居なかった。 「何で……どうして……私ばかりこんな目に………もうやだ……やだよぉ……うっ……ぐす……」 毎日のように突きつけられる苦しみと絶望感に耐え切れずに私は身体を震わせて泣いた。 はっきり言ってもう疲れた……。 今こうして自分が生きている理由さえも見失いかけていた……。 「あぁ……疲れたなぁ……もういっそ………死んでしまいたい………」 心で思ったことを私は無意識のうちに声にしていた。それに気づいた私は重く息を吐く。 「そんなら死なはったらどないどす?ビッチさん……」 「ツっ⁉︎」 扉越しに今一番聞きたくなかった声が聞こえた。 「あ……嘘………⁉︎な、何で……⁉︎」 「ウチがここを知らんとでも思うてはったん?ウチはアンタよりも長うここに通うとるんどすえ?知らんはずおまへん。 この学校はウチの庭も同然……逃げようとしはっても無駄どす。諦めなはれ。」 九重さんがそう告げた刹那、頭上から水が降って来る。 「きゃっ!い、嫌ぁぁ!やめてっ!やだぁぁっ!いやぁぁぁっ!」 「ふふふふっあはははははっ!相変わらずええ声で泣きはるわぁ〜。それでこそいじめ甲斐があるゆうもんどすなぁ〜。」 苦しむ私を前に九重さんは愉快だとばかりに嘲笑をした。 「あ〜また楽しませてもろたわぁ。お礼に今回はこのくらいで堪忍したるさかい。ほなまた。さぁ行こか。」 「ほなねぇ〜!ビッチちゃん〜!あはははっ」 気が済んだのか九重さんは取り巻きを連れてその場から立ち去った。 一人残された私はびしょびしょに濡れたままの自分を震える手でギュッと抱きしめ、嗚咽を漏らす。 「うっ…くっ……う…あぁぁ……ひうっ……うあぁぁ…ぁ……」 私の中で心が壊れる音がした……。 (もう無理……!限界だよ……!) 「もう……これ以上は………」 −◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇− いじめに耐え切れなくなった私は、次の日から学校に行かなくなった。 「愛衣?大丈夫?体調悪い?」 心配した母が様子を見に来てくれるも私は返事を返すことが出来なかった。 少しして部屋の前から気配が消える。 「ごめん……お母さん………」 ベッドの中で私は静かに泣いた。 これからどうすればいいのかさえも分からなくなった。 それから私は毎日をベッドの中で過ごしていた。 母が作って持って来てくれる食事も喉を通らずにほぼ残してしまう。 心配して掛けてくれる言葉すらも聴覚器官を素通りしていく。 今となっては生きる気力すらも湧いて来ない。 抜け殻のようにただ息をするだけの毎日が続いた。 そうして私は日を追うごとにやつれていった。 それから数日経ったある日、誰かが訪ねて来たようで微かにインターホンの音が聞こえた。 程なくして母が来て部屋のドアを軽く叩くと告げる。 「愛衣、お友達が心配して来てくれたわよ。」 「鬱井さん、だんないやろか?急に堪忍なぁ。心配でついあがらしてもらいました。」 「ツっ⁉︎な、何で……九重さんが……⁉︎」 ドア越しに聞こえた声……聞き間違えようのない艶のある優美な声……私が今一番聞きたくないものだった。 「ここずっと体の調子良うないて聞いてたさかい見舞いに来させてもらいましたえ。来るん遅うなって堪忍なぁ。嫌やなかったらでええさかいお顔、見せてもらえへんやろか?」 「ツ…………」 (何よ今更……!私にあれだけのことをしておいてよくも抜け抜けとっ……!) 内心、私ははらわたが煮え繰り返りそうになる。 私を散々苦しめて不登校にまで追い込んでおきながら平然と会いに、それも部屋の前まで上がり込める神経の図太さに怒りが込み上げた。 「……って……!」 「え?何?もう一回言うて?」 「帰ってっ!二度と来ないでっ!」 「え……?何で……?何でそないなこと言うん……?ウチはただ鬱井さんに大事ないか心配で……」 「今更何よっ!ふざけないでっ!いいから帰ってっ!」 −バァンッ− 私は側にあった雑誌をドア目掛けて投げつけた。 「はぁっ……はぁっはぁっ……はぁっ……」 憤るあまり私は軽く過呼吸になり、肩で呼吸した。 数秒の沈黙の後、九重さんが口を開く。 「あ……その……ホンマ堪忍なぁ……急に来てしもたからびっくりしはったんかな……?ウチ、もう帰るね……ほなまたね……」 部屋の前から気配が遠のいていく。 母は彼女を見送った。 「ごめんなさいね。普段はあんな子じゃないんだけど……」 「いやええですええです。ウチが急に来てしもたんが悪いですから。愛衣さんにしっかり養生して下さいてつさお伝えください。ほなまた来ますさかい。」 そう母に言い残して九重さんは出て行った。 小さく息を吐いた母はそのまま私の部屋まで戻る。 「愛衣!貴方お友達に何てこと言うの!わざわざ心配して来てくれたのに!何であんなことを−」 「何であの人を家にあげたのっ!何で部屋の前まで連れて来たのよっ!」 母が言い終わらないうちに私は怒鳴っていた。 今まで聞いたことのない私の怒鳴り声に母は面喰らう。 「あ、愛衣⁉︎」 「私が今こうなってるのあの人が原因なんだよっ⁉︎あの人のせいで私今学校行けてないんだよっ⁉︎それなのに何でなのっ⁉︎」 「あの子がどうしたの…⁉︎あの子に何かされたの⁉︎愛衣!答えなさいっ!」 「お母さんに話したって……分かるわけないよ……私の苦しみなんて……もういい……一人にして……あっち行って……!」 「愛衣……」 それ以上、母は何も言えず部屋の前から離れた。 「何で……どうして……私を苦しめるの……⁉︎」 (もう嫌……死にたい……死んで……楽になりたいよ……) 「死ねば……楽に……なれる……もう何も………恐れなくて済む………死んで…しまえば……」 自殺願望が私の思考を支配する……。 ベッドに横たわった私は机の上に視線を動かす。 ふと視界にカッターナイフが映った。 私は震える手でカッターナイフを手に取り、首元に押し当てる。 そしてそのまま力を込めた。 その時− 「いいの……?このまま死んでしまっても……」 突然誰かが私にそう問い掛けて来た。 「ツっ⁉︎だ、誰っ⁉︎」 私は怯えて周囲を見渡す。しかし部屋には誰もいない。 「どこっ⁉︎どこにいるのっ⁉︎」 「こっちよ………」 「えっ……?」 声は下から聞こえた。 私は恐る恐るカッターナイフに目線を落とす。 「えっ……わ、わ…たし……⁉︎」 カッターナイフの刃に映るもう一人の私が私に問い掛ける。 「貴方が死んでも……彼女達は悲しんではくれないよ………?それどころか………嘲笑うだけ………それでも……死ぬの……?」 「やめて……やめてよっ!」 そう叫んで私はカッターナイフを投げ捨てる。 「それが……本当に正しいことなの………?」 姿見に映った私が問い掛ける。 「だったらどうしたらいいのっ!このままずっと私に苦しめって言いたいのっ⁉︎ふざけないでよっ!」 −パリィィィンッ− 怒りが頂点に達した私は床に落ちていたヘアブラシを姿見に向かって投げつけた。 割れた破片が四方に飛び散る。 「はぁっ……はぁっ……はぁっはぁっ……」 「彼女があそこまで貴方に酷い仕打ちをした理由……分かる……?」 「はぁっ⁉︎そんなの分かる訳ないじゃないっ!」 次いで窓に映り込んだ私の問いかけに私はそう声を荒げた。 窓に映り込んだもう一人の私は不敵に口角を上げると言った。 「そう……なら教えてあげる……。彼女はね……貴方のことが好きなのよ……。好きで好きでたまらないの……。ほら……よくあるじゃない……?好きな相手ほど虐めたくなるってやつ……ふふふふっ……」 「九重さんが……私を……好き……?だから……私にあんな酷いことばかり……?」 「ええ……その通りよ……。だから……貴方はその返事をしないといけない……貴方自身の手でねぇ………」 「九重さんが……私を好き……だから私は……彼女の愛に応えないといけない………」 「ええ……その通り……」 「ふ……ふふ……ふふふふふっ……そっか……そうだったんだね……ようやく分かった……理解できたよ………」 もう一人の私から告げられた言葉で私の中に複雑に散らばっていた点がようやく線で繋がる。 同時に私の中にある何かが歪んだ。 私は徐に窓に歩み寄るともう一人の私に問い掛ける。 「明日……九重さんの気持ちに応える……ねぇ……貴方も一緒に見届けてくれる……?」 「ええ……勿論よ……だって私は貴方……貴方は私……私達は一心同体なんだから……」 「そっか……そうだよね……ありがとう……もう一人の私……私に……勇気をくれて……」 そうお礼を述べた私に対し、もう一人の私は小さく笑うと姿を消した。 −◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇− 翌日、制服姿で降りて来た私を見て母は酷く驚いていた。 「あ、愛衣⁉︎貴方学校行くの⁉︎」 「うん……。九重さんに会いに行かなくちゃ……ふふ……ふふふ……」 「あ、愛衣……⁉︎」 昨日までとは打って変わって不気味な雰囲気を漂わせる私に母は恐怖と不安を覚えて眉を顰めた。 私はそのまま朝食も食べず靴すらも履かずに家を出て学校へと向かった。 「えっ⁉︎何あの子⁉︎何で靴履いてはらへんの⁉︎」 「うっわ……ありえへん…しかも何やずっと笑うてはるし……」 「きったな……きんも……」 私の姿を見て生徒達は奇異の視線を送った。 そのまま私は教室へと向かう。 途中、漆野君を見かけた私は彼に声を掛けた。 「漆野君……おはよう……」 「鬱井さんっ⁉︎もう大丈夫なの⁉︎ずっと休んでたって聞いて俺、ずっと心配でーツ⁉︎鬱井さん靴どうしたの︎⁉︎」 「ん?なぁに?」 「上履き履いてないじゃん!それにドロドロだし!まさか鬱井さん……家からずっと靴下のままで来たの⁉︎」 「あーこれぇ?いいじゃないどうでも……。それより私……漆野君に聞きたいことあるんだぁ……聞いてもいい………?」 「な、何?」 そう問い掛ける私に漆野君は異様な空気と恐怖を覚える。 「漆野君って……九重さんと付き合ってるの……?前にそう聞いたんだけど……?」 「は……⁉︎九重さんと俺が……⁉︎付き合ってる……⁉︎誰がそんなことを……⁉︎」 「九重さんの取り巻きがそう教えてくれたよ……?違うの……?」 その返答を聞いて私は目の色を変えると徐に彼に近寄る。 漆野君は無意識のうちに後ずさっていた。 「付き合ってない!確かに過去に一回彼女から告白されたけど俺は断ったよ!」 「……本当に……?嘘……ついてない……?」 「嘘なんてついてない!本当だ!」 「九重さんと漆野君は……付き合ってない……?じゃあ九重さん……私に嘘ついてたってことなんだね……なのに私に……あんなにも酷いことしたんだぁ……ふふ……ふふふっ……ふふふふふふふっ………」 「鬱井さん……⁉︎」 狂ったように嗤う私の姿を見て漆野君は恐怖と困惑の表情で私を凝視した。 「そっか……九重さん……そんなにも私のことが………そっかぁ……そっかぁ………あんな嘘ついてまで……私のことが……あぁ……あは……あはははっあははははははっ!」 私はその場で堪え切れないとばかりに哄笑する。 「鬱井さんどうしたの⁉︎落ち着いて!」 身をよじって嗤い続ける私を彼が制する。いつの間にかその場に人集りが出来ていた。 ひとしきり嗤った私は彼の手を振り解くと教室へと向かう。 「待って鬱井さん!何かあるなら聞かせて?俺で良ければ話聞くからっ」 「貴方じゃ……無理……」 「ツっ!」 そう言って引き止めようとした彼は、暗く澱んだ私の虚ろな眼と無機質な機械音みたいな声から発せられたその一言を見聞きして手を離してしまう。 私は覚束ない足取りで再び教室へ向けて歩みを進めた。 途中、階段の踊り場で私は足元に視線を落とす。 白のソックスは汚れて黒くなっていた。 私はその場で靴下を脱ぎ捨てて再び歩みを進めた。 「…………」 私はドア越しに教室の中を窺う。 「………あはっ………」 視線を動かした先に九重さん達の姿が映った。 「おはよぉ……九重さん……」 「へっ⁉︎う、鬱井さんっ⁉︎……っては、裸足⁉︎」 「この前はごめんね……でも……来てくれて嬉しかったよぉ………あは……あははっ……」 「う、鬱井さん……⁉︎どないしはったん……⁉︎」 「んー?何がぁ……?」 「まるで別人やないの……!」 すっかり雰囲気が変わった私に九重さんは戸惑っているようだった。 私は妖しく嗤うと言った。 「私を変えたのは九重さん……貴方なんだよ……ふふふ……ふふふふっ………」 そう告げて私は九重さんの頬に手を伸ばす。 「ひっ!触らんといて!」 九重さんは悲鳴を上げて私の手をはたいた。 「何なんアンタ!急に来て!仕返しに来はったん⁉︎やめて!美月に近づかんといて!」 「部外者は引っ込んでて……!私は今、九重さんと話してるの……!」 「ツっ‼︎」 そう声を荒げる取り巻きの一人を私はそう言って黙らせる。 私は九重さんの方に向き直ると問い掛ける。 「それはそうと九重さん……私ね、九重さんに聞きたいことあるんだぁ……九重さんが漆野君と付き合ってるって本当……?」 「はっ⁉︎急に何⁉︎今そんなんどうでもっ−」 「いいから……答えて……?あ、でも嘘ついたら……私……怒るからね……?」 「つ、付き合うてますけど……⁉︎前にもそう言うたやないの……!」 「嘘だっ‼︎」 「うあぁぁっ!」 九重さんの返答を聞いた私はそう叫ぶと彼女に飛びかかって馬乗りになった。 「何で嘘つくのかなぁ……?漆野君と九重さん……付き合ってないでしょ……?だってさっき……漆野君本人からそう聞いたんだもん……」 「嘘……⁉︎な、何で……⁉︎ち、違う…!ウチと彼は確かにっ……」 私の口から出た真実に九重さんは酷く動揺する。そんな彼女に私は追い討ちをかけるように言葉を紡ぐ。 「ひょっとして九重さん……勘違いしてたんじゃない……?それとも……振られたことが信じられなくて……現実逃避してたのかなぁ……?可哀想ぉ……」 「や、やめて……やめてっ……」 「哀れで可哀想な九重さん……誰からも愛されない惨めな九重さん……ふふ……ふふふ……」 「やめてっ……やめてっやめて!やめてやめてやめてぇぇぇーー‼︎」 私の下で九重さんはめちゃくちゃに暴れ回った。 さすがにまずいと思ったクラスメイトの一人が担任を呼びに向かった。 ードンッー 「うっ!」 「アンタホンマいい加減にしぃや!これ以上美月苦しめて何がしたいん!アンタやっぱり復讐に来はったんやろ!そうやろ!」 取り巻きの一人が私を突き飛ばしてそう怒鳴る。 私はゆっくりと立ち上がると九重さん達に目線を向けた。 「復讐……?まさか……そんなんじゃないよ……私はただ……九重の想いに応えに来ただけだよ……」 「想い……⁉︎想いって何のこと⁉︎」 「九重さん……私のことが好きなんでしょ……?だから……私にあんな酷いことしたんだよね……?」 「は⁉︎何でそうなるんよっ!ありえへんわっ!」 「隠さなくていいんだよ……?だってあれでしょ……?好きな子をついつい虐めたくなっちゃうってやつなんでしょ……?だから私を虐めてたんだよね………?」 「は⁉︎何こいつ⁉︎」 「キッショ……!何でそんな発想に至るん……⁉︎」 「信じられへん……!」 九重さんの周りにいた子達は私の言葉に引いていた。 本人すらも私の言葉を理解できていないようで驚きのあまり目を見開く。 そして次には怒りをあらわにした口調で私に告げた。 「ウチが⁉︎アンタを好き⁉︎そんなけったいなことある訳あらへんやろ!アホとちゃうん⁉︎この際や言うといたるさかい、ウチは初めて会うた時からずっとアンタが鬱陶しかった!「何でアンタみたいな人がウチの学校の制服着て同じ空間にいてはるんやろ」てずっと思うとった! アンタみたいなやすけない人はウチの学校に相応しない!この学校にアンタみたいな人必要ありまへん!」 「好き……じゃない……⁉︎九重さんは……私が……好きじゃない……⁉︎」 衝撃のあまり私は後ろによろめく。改めて教室を見渡した時、クラスメイト全員が私を白い目で見ているのが分かった。 全員の目が「お前はこのクラスに必要ない」と告げていた。 それを悟った私はその場に座り込んで項垂れる。 「私を……好きじゃない……九重さんは……私が嫌い……⁉︎私は……こんなに好きなのに……⁉︎何で……⁉︎何で……⁉︎何で⁉︎何でっ⁉︎何で何で何でっ‼︎」 半ば狂乱状態になる私を見てその場にいた全員が恐怖する。 「う、鬱井さん……⁉︎」 「あはっ………はははっ………そっか……九重さん……私こと捨てるんだ……なら……もういいや……」 そう呟いた私はスカートのポケットから折りたたみナイフを取り出し、九重さんを刺した。 「ゔぅっ……ああぁっ‼︎」 その光景を目の当たりにして周囲に戦慄が走る。 その場に崩れ落ちた九重さんは体を引きずりながら何とか逃げようとした。 当然ながら私は見逃さない。 「駄目だよぉ……逃げちゃぁ………」 「ゔぁあああっ‼︎」 私は彼女の背にナイフを突き立てた。何度も、何度も。 九重さんが息絶える瞬間まで……。 「ぅ……ぁ………」 九重さんが動かなくなったのを確認すると、今度はクラスメイトに視線を移す。 「次は……誰がいい……?あはっ……あはははっ……」 「きゃああああーーーー‼︎‼︎」 クラスメイトは一斉にその場から逃げ出す。 騒ぎを聞きつけた他のクラスの生徒も自体を把握すると避難する。 数分後には教職員にも事の次第が伝わった。 教頭はすぐさま警察に通報し、他の教員達は生徒の避難誘導に努めた。 その頃、私は冷たくなった九重さんを抱きしめ、愛撫していた。 「ようやく……二人っきりになれたね……九重さん……あはは……はははは………」 「鬱井さん……⁉︎何だよ……これ……⁉︎」 突如、背後から誰かが私の名前を呼んだ。徐に振り返った私の視界に漆野君が映る。 「あれ………?漆野君……?どうしたの……?」 「鬱井さんこそどうしたんだよ……⁉︎何で九重さん血だらけに……⁉︎まさか鬱井さんがやったの⁉︎」 「ふふ……ふふふ……うん……そうだよぉ……私が……殺したの………あははっ……」 「何で……⁉︎どうしてっ⁉︎鬱井さんっ‼︎」 悲痛な表情で問い掛けてくる彼に私はニタリと口角を上げて答える。 「私を振ったから……私の愛を否定したから……だから……殺したの……だってぇ……私の愛を拒む九重さんなんて私には要らないもの……それに……殺してしまえば九重さんは私を拒めない……必然的に私の物になる……ふふ……ふふふっふふふふふっ」 「そんな……そんなことで君は彼女の命を奪ったの⁉︎そんな自分勝手な理屈で九重さんを殺したの⁉︎」 「……貴方に分かってもらおうなんて思わないよ……ただの傍観者の貴方には……漆野君、薄々気づいてたんでしょ……?私が九重さん達からいじめを受けていたこと……なのに貴方は私を助けてくれなかった……九重さんが怖かったからなんでしょ……?私を助けたことで周りからハブられるのが恐ろしかったんでしょ……?だから私を見捨てた……私が虐められる原因を作ったのは貴方なのに……!」 「そ、それはっ……」 私に詰められ、彼は言葉を失う。 「ほら黙った……図星だからだよねぇ……?だから……私は貴方のことも赦さない……!」 「ツっ‼︎」 私はナイフを構えると彼に飛びかろうと一歩踏み出した。 その時− 「警察やっ!ナイフを捨てろっ!」 −数人の警官を連れて担任が現れる。 「鬱井さん!ナイフを置いて自首しなさい!親御さんももうすぐここに来はる!」 「何で邪魔するの……?大人っていつもそう……!いつも……いつもいつも……!いつもいつもいつもいつもいつも自分たちにとって都合のいい方にしか考えないでっ!私が今日までどんな思いで過ごして来たのか分かろうともしないでっ!嫌い……!嫌い……!嫌い……!嫌い嫌い嫌い嫌い嫌いっ!嫌いぃぃぃぃーーー‼︎‼︎」 私は再び錯乱状態になる。 その隙をついて警官が私を取り押さえようと駆け寄って来る。 それに気づいた私は警官にナイフを突きつける。 それを見た警官は腰に吊っていた警棒を取り出し、私を牽制する。 「ナイフをほかしなさい!危ないやろ!そんなもん子どもが持つんやない!」 「………」 警告を無視して私はナイフを構え続ける。 お互い対峙したまま動くことなく数分が経過した。 やがて応援の警官も駆けつけ、私を取り囲む人数は4人に増えた。 ここまで来れば当然ながら逃げられるとは思っていない。 (ここまで……か……) 私は心の中でそう呟くと持っていたナイフで頸動脈を切り、自殺した。 僅かに反応が遅れた警官に止める術などなかった。 私はそのまま九重さんの隣に崩れ落ちた。 意識を失う直前、私は九重さんの手にそっと自分の手を重ねた。 (私もすぐにそっちに行くから……待っててね……九重さん……) 「ー続いてのニュースです。昨日、京都府内の中学校にて少女が同級生をナイフで刺して殺害するという事件が発生しました。 なお容疑者の少女は警察に逮捕される直前に自殺を図り、搬送先の病院で死亡が確認されました。」 事件の内容はその後数日に渡っていろんなニュース番組で報道された。 −こうして私は14年という短い生涯に幕を下ろした……。−

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歪み愛 −歪ミオワリ−

歪み愛 −歪ミハジメ−

「東京から来ました…鬱井愛衣です…よろしくお願いします…」 私、−鬱井愛衣−は三日前に京都にある「府立三条第二中学校」に転校してきた。 前の学校でのいじめに耐え切れず、親に頼んで転校させてもらったのだ。 新天地で心機一転しようと思っていたが、前の学校での忌まわしい記憶が未だ脳裏に焼き付いているせいで明るく振る舞えなかった。 名前を言うだけの短い私の自己紹介に、クラスがやや騒ついているのが分かった。 −「え?そんだけ?」− −「なんやえらい暗い子やなぁ」− −「おもんな…」− そんな陰口もどこからか聞こえた。 (私…来ちゃいけなかったかな……) 内心ビクビクしながらも私は教えられた席に座った。 「初めやさかい、緊張しはったんと違う?大丈夫。ゆっくりクラスに馴染んでいかはったらええよ。」 「あ……ぇ………っ………」 隣の席の子が気を遣ってか声を掛けてくれた。 しかしながら私は過去のトラウマから人と上手く接することが出来なくなっており、そのせいでその子の気遣いに上手く言葉を返せなかった。 彼女は少しばかり気まずそうに笑う。 「あ…はは……いきなり知らん人から声かけられたらそらびっくりするなぁ…急にかんにんなぁ……」 「い、いえ……」 「は?あの子なんなん?九重さんがせっかく話しかけてはるのにシカト?」 「ほんまになぁ。九重さんも不憫やわぁ…」 「ツっ……!」 「こらっ!そないなこと言うたらあきまへん!鬱井さん転校してきはって間もないさかいまだクラスに馴染めへんのは当たり前どす!堪忍しとくれやすな!」 彼女−九重さんにそう咎められた二人の女子生徒は渋々私に詫びる。それに対し私は「もう大丈夫」という意味で首を縦に振った。 それを見て二人は少し不機嫌そうにそっぽを向く。 「ホンマ堪忍なぁ。根は悪い子らやないさかい仲良うしたって。」 「う、うん………」 申し訳なさ気にそう詫びる九重さんに私は小さくそう返すのだった。 その日は1日九重さんに助けられた。内心では嬉しい反面申し訳なさも感じていたが、感情表現が上手く出来なかった私は彼女を慕っている他の女子からは白い目で見られた。 当然ながら陰口や悪口をヒソヒソと溢す子もいた。 私自身聞こえない振りをしてやり過ごそうとするのだが、決まって九重さんが私を庇って周りの子達に怒ってくれる。 勿論ありがたかったけど、でもそれ以上にやはり申し訳ない気持ちの方が勝ってしまう。 私の中でモヤモヤとした何かが渦巻いた。 「あ、あの……九重さん……」 「ん?何?」 「何で九重さんは……私なんかにこんなに優しくしてくれるの……?」 「そんなん決まっとるやん。ウチと鬱井さんはもう友達やさかい。友達のこと思いやるんは当たり前やろ?」 「友達……?私と……九重さんが……?」 「あ、あら?違うた?ひょっとしてウチの早とちりやった?」 私のその反応を見て九重さんは眉を顰めてそう訊いてくる。 それに対し、私は慌てて首を横に振った。 それを見て九重さんは表情を明るくして「良かったぁ」と安堵する。 「せやんね!ウチと鬱井さんはもう友達やんね!せやさかい困ったこととか嫌なことがあったらいくらでもウチに言うたらええよ。ちゃんと聞くさかい。」 「う、うん……ありがとう……」 「うん!ほなまた、明日からもよろしゅうなぁ。ほなさいなら。」 「うん……さよなら……」 そう言って軽く手を振る彼女に私も小さく手を振り返したのだった。 −◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇− 翌日、私は少し早めに登校する。 教室に入るとすでに九重さんが居た。 「あっ鬱井さんおはよぉ!なんやえらい早いんやね。」 「あ…うん……このくらいなら……九重さん居るかなって……」 「えっ何何?ウチに会いとおてこんな早ようから来たん?」 「う…うん……迷惑だった……かな……?」 私は内心ビクビクしながらそう尋ねた。それに対し九重さんは首を横に振ると私をギュッと抱きしめて言った。 「ううん迷惑なんてこと全くあらへんよ!むしろ嬉しいわぁ!それってウチにちょっとだけでも心開いてくれたっちゅうことやろ?」 「そう……なのかな……?でも……九重さんの隣は……なんだか安心するの……」 少し照れくさそうに言う私に九重さんは私の髪を優しく撫でて− 「うんうん。そう思うてくれるだけでウチは嬉しい思うさかい。いつでも頼ってくれてええよ。」 −と優しくそう述べた。彼女が私にくれる言葉はそのどれもが温かくて、私の中に巣食うモヤモヤを浄化していく。 生きてきた14年の月日の中でこんなにも信頼できる人と出会えるなんて以前の私は全く思いもしなかった。 そして、気がつけば私の瞳から涙が溢れ出ていた。 それは止めどなく私の白い頬を伝って床に落ちる。 「うっ……ううっ……ぐすっ………ひっく………」 「ええっ⁉︎ちょちょちょっ!鬱井さんどないしたん⁉︎泣かんで!」 急に泣きだす私を見て九重さんは思わずたじたじになる。 九重さんがあまりに優しくて……温かくて……何より初めて信頼できる相手に出会えたことがたまらなく嬉しかった。 ひとしきり泣いた私は指で目尻に溜まった涙を拭うと照れ笑いを浮かべる。 「急にごめんね……でももう大丈夫……」 「そ、そう?そないならええけど……」 そう述べる私に九重さんは安堵したのだった。 それから私は毎日同じ時間に登校して授業が始まるまでの間、九重さんとのトークに花を咲かせた。 授業中も九重さんは私を気遣って何度も助け船を出してくれた。 九重さんと一緒に居るとつい時間を忘れてしまう。 そして気がつけば隣に九重さんが居ることが当たり前になっていた。 しかし、私が九重さんとの仲を深めれば深めるほど周りからの当たりは強くなっていく。 最近では後ろから小突かれたりすれ違いざまに暴言を吐かれたりすることも増えた。 それは日に日にエスカレートして行き、いじめの一歩手前の状態まで悪化していた。 九重さんは何度も何度も私を庇ってクラスの子達に注意してくれている。しかしそれでも状況は好転しない。 むしろ悪化する一方だった。 そんな日々を1ヶ月続けていた私の中に少しずつ九重さんに対する後ろめたさが膨らんでいった。 放課後、帰る前にお手洗いを済ませた私が教室に入ろうとした時、九重さんとクラスの女子数人が口論している声が聞こえた。 私は咄嗟に身を隠す。 「なんでなん美月っ!なんであんな奴に優しゅうするんよ!あんな暗い奴美月に相応しない!」 「せや!あんな地味で根暗な女に九重さんと仲良うする資格あれへんわ!」 「アンタらホンマ堪忍しぃや!資格って何?友達になるんに何で資格がいるん?アンタらホンマどないしはったん?」 「はぁ⁉︎」 「何言うてんの!皆アンタの為や思うて言うてんのに!」 「そうか。それはえらいお世話になっとるどすなぁ。」 「なんやてっ⁉︎」 売り言葉に買い言葉で口論はヒートアップしていく。 さすがに止めなければまずいと思った私は思わず彼女達の間に割って入った。 「もうやめてっ!それ以上九重さんを責めないでっ!」 「鬱井さん⁉︎今の聞いとったん⁉︎」 「は?アンタ何言うてんの?そもそもアンタが美月に引っ付いていちびっとんのが悪い言うてんの分からはれん?アンタホンマけったいな人やわぁ〜!」 「ホンマそう!アンタなんて九重さんが居てはれへんかったら何も出来へんくせに!」 「何でアンタみたいな人がウチの学校に来はったん?浮いてはるの分からへん?」 クラスの女子達は私を視界に入れるや否や容赦なく言葉の暴力を浴びせてくる。 私は何も言い返すことが出来なかった。 しかし彼女達のそれに九重さんの堪忍袋の尾が切れる 「ホンマ堪忍してっ!もうええ!アンタらとは付き合ってられへん!鬱井さん行こ!」 「あっ」 そう啖呵を切った九重さんは私の腕を掴むと教室を飛び出した。 そして慌ただしく靴を履き替えて手を繋いだまま全力疾走する。 「はぁっはぁっはぁっ」 「っはぁ……はぁはぁ……んくっ……はぁはぁ……」 「はぁっはぁっ……ここまで来たらもう大丈夫……。鬱井さんホンマごめんなさい!また嫌な思いさせてしもて……」 「ううん……九重さんは悪くないよ……。元はと言えば私がよそ者なのがいけないんだし……」 「そないなことあれへん!鬱井さんのせいやないよ!」 「うん……ありがとう……。それじゃ私、こっちだから……。九重さんまた明日……」 「あ、うん……さいなら……」 私は悶々とした気持ちのまま九重さんと別れる。 (やっぱり私は……どこにいっても……邪魔者なんだ……) 改めて私はひどく思い知らされた。自分がいかによそ者で、クラスにとって迷惑な存在なのかを……。 翌日から私は九重さんと徐々に距離を置くようになった。 −◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇− 「あっ鬱井さんおはよぉ!最近なんやえらい来るん遅いけど何でなん?それに最近全然ウチと口聞いてくれへんしなんやずっと避けられとる気ぃするし、ホンマどないしたん?」 「……………」 「ん?鬱井さん?何で黙るん?」 「九重さん……あんまり私に話しかけない方が良いよ……」 「え?何で?何でそないなこと言うん?ウチなんかしてしもた?それともまた誰かになんや変なこと言われたんか?」 不安気に眉をひそめてそう訊いてくる九重さんに対し私は徐に首を横に振って答える。 「違う……私と居ると……九重さんに迷惑かけるから……だからもう……話しかけないでください………」 「ツっ…!」 そう冷たく告げる私の言葉に九重さんは面喰らうと次には哀しげに表情を曇らせて席に戻って行った。 「うっわぁ……あの女ホンマ性格悪いわぁ……」 「ホンマそう……九重さんも不憫になぁ……」 「は?あの子マジ何なん……?」 やり取りの一部始終を見聞きしていたクラスメイトから私に非難の声と視線が浴びせられる。 「ツ………………」 私にはただ黙って耐えることしか出来なかった…。 「はぁ……」 昼休み、教室に居づらかった私は一人屋上で風に当たっていた。 その時− 「こんなところで一人でどうしたの?」 −背後から誰かが声を掛けてきた。 私は驚いて振り返る。 「驚かせてごめん。風にあたりに来たら見かけない子が居て思わず声掛けちゃった。」 −優し気な口調と優し気な笑顔に私は思わず目の前の彼に見惚れた。 「俺、漆野遥希。君は?」 「え……鬱井愛衣……です……」 「そっか。よろしく鬱井さん。」 そう言って差し出された手を私は恐る恐る掴む。 漆野君は爽やかにはにかんだ。 「ねぇ、ちょっと話さない?俺もっと鬱井さんのこと知りたい!」 「え…?あ……う、うん……」 彼の圧におされた私は不承不承ながらも頷いた。 そうして私と彼は昼休みが終わるまで話した。とは言え一方的に彼が話すのを私はただ聞いていただけだが…。 でも漆野君の話には何故か聞き入ってしまう不思議な魅力があった。自分でも気づかないうちに笑みが溢れるほどに。さっきまでのモヤモヤした気持ちも、彼が話しているのを聞いていると不思議と忘れられた。 だから私は気づけなかった…。九重さんといつも一緒にいる女子の一人が私と彼の様子を盗み見ていたことを……。 −キーンコーン− 「あー昼休み終わったかぁ〜。もっと話してたかったけどしょうがない。教室戻ろうか鬱井さん。」 「う、うん。」 私と漆野君は一緒に校内に戻る。 とは言えクラスは別なので私と彼は廊下で別れた。 (漆野遥希君か……なんか不思議な人だったなぁ……) そんなことを考えながら私は教室に入った。 刹那ー −ドンッ!− 「うっ!……痛ったぁ……」 ー唐突に私は誰かに突き飛ばされた。 床に倒れ込んだ私は徐に振り返る。 「え……な、何でっ……⁉︎」 私の視線の先にいたのは九重さんだった。 彼女は凍てつくほどに冷たい視線で私を見下ろす。 「ウチの質問に答えて……?漆野君と今の今まで屋上に居はったってホンマ……?」 「九重……さん……⁉︎急に何……⁉︎」 「ええから答えておくれやす……!遥希君と一緒に居はったことはホンマ……?」 突如として豹変する彼女に驚きと恐怖を覚えるも嘘はつけずに私は是と頷いた。 それを見て九重さんは私を睨む眼光を強める。 「漆野君は九重さんの彼氏なんよっ⁉︎アンタ人の男に手ぇ出してタダで済む思うとるんっ!」 (嘘……⁉︎漆野君が……九重さんの彼氏……⁉︎) 「今まで何で気付かへんかったんやろなぁ……まさか鬱井さん、アンタが人の男に色目使うて、ちょっかいかけるようなビッチやったやなんて……。ようやっと分かったわ……。何でクラスの皆がアンタのことあそこまで邪険にしとったんかが……なるほどなぁそういうことやったんやね……皆堪忍なぁ〜ウチ、とんだアホやったわぁ〜」 「んも〜気い付くん遅いわぁ!」 「せやせや!あんだけウチらも皆も関わるん止めとき言うたってたやん!」 九重さんとクラスの子達との掛け合いが進むにつれて九重さんの中の「私」がどんどん醜く歪んでいく。 私はどうにかして彼女の誤解を解こうとした。 「ち、ちがうの九重さんっ!誤解なのっ!私知らなかったんだよっ!彼が九重さんと付き合ってるなんて知らなかったのっ!さっきたまたま屋上で会っただけで私はっ!」 「せやから何?知らへんかったで済んだら法律なんて入りまへんえ?しかもアンタここずーっとウチのこと避けてはりましたなぁ! ウチのことは蔑ろにしはったのに人の男には絡みはるん?まぁまぁそれはまたえらい肝の据わったお人どすなぁ〜!ホンマ面白いわぁ〜! まぁええ……。アンタの化けの皮が剥がれた以上この教室に……ひいてはこの学校にもうアンタの居場所なんてあらへんもんやと思うとってくださいねぇ……このビッチが……!」 「あ……あ…ぁ…………」 私の必死の訴えが、九重さんに届くことはなかった……。 無惨にも突きつけられる過酷な現実に私の心は再び絶望の色に染まる……。 −そうして…………その日から私の地獄のような日々が始まるのだった………。−                 −続−

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歪み愛 −歪ミハジメ−

黒タクシー −第五送迎−

−もう二度と私と同じ思いをする人を出さない……。それが私が黒タクシーを立ち上げた理由……。 そして……私達を苦しめ、絶望の底へと堕とした奴らに復讐する為に……。− 「紗夜姉様……黄泉送りの依頼が入りましたので確認をお願い致しますわ………」 「ええ……。ツっ⁉︎この2人……まさか……」 「紗夜姉様……?どうか致しましたか……?」 渡された紙に記載されていた名前を見て紗夜は血相を変えた。 それを目にしたレイシアは紗夜に尋ねる。 「……この2人を担当するのは誰……?」 レイシアの問いに紗夜は逆にそう訊き返した。彼女は顎に手をやって答える。 「確か……リュークが向かうと言っていましたわ………」 「リュークに伝えて……。一度ここにこの2人を連れて来るようにと……」 「え……?宜しいのでして……?」 「構わないわ……。連れて来させて……」 「承知致しました……。直ちにリュークに伝えますわ……」 ある二人の人物を送迎していたリュークはレイシアからの無線を受け、そのまま本部へと戻った。 「例の二人を連れて参りました……!」 「ご苦労様……さて……お二方……紗夜姉様がお待ちですわ……さぁこちらへ……」 リュークから二人の身柄を預かり、レイシアは紗夜の元へとその二人を連れて行った。 −コンコン− 「失礼致します……紗夜姉様、連れて参りましたわ……」 「ありがとう……。もう下がって良いわ……」 「はい……」 レイシアは恭しく一礼して部屋を出て行った。 「お、おいっ!ここは一体何処なんだっ⁉︎俺達をどうしようってんだっ⁉︎」 「今すぐ解放しろっ!お前こんなことしてタダで済むと思ってんのかっ!」 「………。」 「テメェっ!何とか言いやがれっ!ここに俺達を連れてくるよう指示したのはテメェなんだろっ!」 二人のうち、柄の悪い男はそう言って声を荒げる。それに対し、紗夜はゆっくりと振り返った。 「その様子だと、やっぱり覚えていないようね……。私のこと……」 「はぁ⁉︎テメェのような奴のことなんか知らねぇよっ!一体何だってんだっ!」 「「御厨」……この名前も忘れちゃった……?」 紗夜は冷たい目線で二人を見てそう問いかける。 それに対し少し柄の悪そうな男は首を傾げるが、もう一人のスーツの男は彼女をじっと凝視する。ふと何かに気づいたようで途端に顔を青くした。 「お、お前っ……まさか10年前のっ…⁉︎」 「ふふっ……ふふふふふっ……やっと気づいたのね……。萩山浩二……でも貴方はまだ思い出せてないみたいね……若狭亮介……」 −萩山浩二。37歳。地面師。− −若狭亮介。45歳。詐欺師。− 「テメェ何で俺の名前をっ……ま、まさかテメェはっ!」 「やっと気づいたようね……。私のこと……」 「あ、あり得ねぇっ!テメェは10年前に死んだはずだろっ!何で生きてやがんだっ!」 「私は死んだわよ……。10年前のあの日……確かにね……」 「で、では何故今俺たちの目の前にいるんだ⁉︎」 萩山の問いかけに紗夜は口角を上げて言った。 「冥府から甦ったからよ……。契約を結んでね……私の目的はただ一つ……。私を……私の家族を絶望へと追いやった奴らに復讐するため……!そして……貴方達が最後の二人なのよ……!」 「はぁっ⁉︎」 「な、何だとっ⁉︎」 「私と私の両親が死んだのは……お前達のせいなのよ……!お前達が私達を殺したのよっ‼︎だから……私自らの手でお前達を殺してやるっ‼︎」 そう言って紗夜は隠し持っていたナイフを二人に突きつけた。 「ま、待てっ!落ち着けっ!ここは話し合おうじゃないかっ!」 「話し合う……?今更何を話し合うというの……?今更五択を並べるつもり……?貴方達が何をどう弁明しようと、貴方達が私達の人生をめちゃくちゃにしたことに変わり無いというのに………?」 萩山のその提示を聞いた紗夜は凍りつきそうな程に冷たい目線で萩山のそれを一蹴する。 「俺達にも事情があったんだっ!仕様がねぇだろっ!」 今度は若狭がそう声を荒げて言った。紗夜は目線を若狭に向ける。 「事情……?貴方達に一体どんな事情があったというの……?今の貴方達が何を言おうと、それは全て言い訳や屁理屈にしかならないというのに……?」 「ひっ!」 「俺達だって脅されていたんだっ!」 萩山がそう告げる。 「脅されていた……?誰に……?」 再び目線を戻した紗夜は冷やかな口調で問いかける。 それに対し、萩山はわずかに声を震わせて答えた。 「「夜田グループ」だよ!夜田グループの社長「夜田是利(やたこれとし)」に脅されていたんだよ!お前達家族は知らなかったんだろうが、お前達家族が住んでいた土地は地価が非常に高くて夜田グループはかなり前からその土地を欲しがっていた!だがお前達が住んでることで手が出せずにいた! しかし夜田グループの会長がその土地を何とかして手に入れようと社長である夜田是利に命じてお前達から無理矢理土地を奪い取ろうと考えた! 俺と若狭は夜田是利に命令されてやっただけなんだ! やらないと俺達がやってきたことを全て洗いざらい警察に話すって脅されて……!」 「……だから何……?どんな事情があったとしても貴方達が私達家族の何もかもを奪ったことに変わりないじゃない……!命も……!大切な時間も……!」 「そ、それはっ−」 「もう良いわ……!これ以上の会話は無意味よ……!貴方達にはその命をもって償ってもらうわ……!私自らの手で引導を渡してあげる……!感謝しなさい……!」 そう告げて紗夜は二人との距離を詰める。 萩山と若狭は彼女の鬼気迫るそれにただ怯え、後退りするしかなかった。 その時− 「お待ちを……貴方がお手を汚すまでも無いでしょう……。その者達の始末は私とラウルでやらせてもらえませんか……?」 −傍らで様子を見ていたグリーフが紗夜にそう具申した。彼のそれにラウルも同意見だとばかりに頷く。 紗夜は苦虫を噛み潰したように表情を歪めると僅かに考え込んだ。 「………ツ……いいでしょう………ソイツらの始末は貴方達に任せます……。さぁ目障りだからさっさと連れて行きなさい……!」 「はっ……」 「御意……」 紗夜はグリーフとラウルにそう命じる。 二人は同時に一礼すると萩山と若狭を闇の中へと引きずって行く。 「お、おいっ!よせっ!や、やめろぉぉぉぉーーー‼︎‼︎」 「ちくしょう離せっ‼︎離しやがれぇぇぇぇーーーー‼︎‼︎」 −こうして萩山浩二・若狭亮介の二人はグリーフとラウルによって黄泉送りにされた。− 「ツっ………ぐっ………」 静かになった部屋で紗夜は怒りで表情を歪め、唇を噛み締め、身体を戦慄かせた。 「……やはり……ご自分の手で葬りたかったですか……?」 「ええ……そうね……そうしてやりたかった………!私自身の手で両親の仇を取りたかったわ………!貴方達が私の気持ちを分かるようになることは一生無いでしょうね………!」 紗夜はレイシアを鋭く睨みつけると皮肉を交えてそう言い捨て、部屋の奥に引き篭もる。 レイシアは恭しく一礼してそっと部屋を出て行った。 ー「ごめん……ごめんね紗夜……ごめんね………」ー 「ツっ‼︎………はぁっ……はぁはぁっ………」 自室のベッドに潜り込んだ紗夜の脳裏に過去の記憶がフラッシュバックする。 生前最期に母から告げられた言葉…。 そして…悲痛と絶望に染まった表情を……。 「お母……さん……うっ……ぐすっ……お母さん………」 −薄暗い部屋で一人…紗夜は静かに哭いた…。−

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黒タクシー −第五送迎−

男装女子、女装男子に恋をする

私、工藤晶は今バイト先に向かっているところだ。 私が働いている店はいわゆる男装女子の喫茶店である。 私自身、中学や高校で低めで艶のある良い声だと褒められた経験が何度かあったので何かしら運命的なものを感じてそこで雇ってもらったというわけだ。 勿論お給料だってそこそこ良い。大学生として学費を払わないといけない立場であるから正直ありがたかった。 ちなみに私はその店では一番人気のある店員らしく店長からはキャラを貫いてくれとお願いされていた。 それからというもの私は出勤途中などによくイメージトレーニングをするようになった。 今日もいつものようにイメトレをしながらバイト先に向かっていた時、少し進んだ信号のところで1人の女の子がスマホを見ながら周囲をキョロキョロと見回していた。 (あの子…道に迷ったのかな?) ふと気になった私は彼女に声を掛けてみることにした。 「あのー、どうかしましたか?ひょっとして何処か行きたい場所があるとか?」 「………」 私はそう問いかける。しかし何故か彼女は振り返ることもなくスマホを操作し続けていた。 「あのー、何かお困りですか?」 「………」 再度そう尋ねるもやっぱり振り向かないし反応すらしない。 訝しく思った私は彼女の肩を軽くトントンと叩く。すると彼女は少し肩をビクつかせて振り返る。 ウェーブのかかった栗色の長髪を赤いリボンで纏めたシンプルなポニーテールにプリムブラウンのロングのロリータドレスを身に纏った可愛い子だった。 ちなみに身長は私と同じか少し低いくらい。 彼女はスマホとメモを私の前に差し出してきた。 【すみません。この喫茶店に行くにはどうしたらいいですか?】 差し出されたメモを読んだ私は彼女のスマホの画面を見る。 「あれ?ここって私のバイト先じゃん。ここに行きたいの?なら一緒に行こっか。」 「……⁇」 彼女は何故か首を傾げる。その時少しだけ露わになった彼女の耳についているものを見て私は全てを察した。 そしてスマホを取り出すと「UDトーク」というアプリを開く。 いつか役に立つと思ってノリで入れたけどまさかここで役に立つとは思っていなかった。 《君、ひょっとして耳が聞こえない?》 「ツっ!(コクコク)!」 私の問いに彼女は頷いた。それを見た私は手話で「案内するから私と一緒に行こっか」と彼女に持ちかける。それに彼女は頷いた。 手:〔どうして手話できるの⁉︎〕 店に向かう途中、彼女が手話でそう訊いてくる。それに対し私も手話で「親戚に耳の聞こえない人がいてそれで覚えた」と返した。 私の返答を見た彼女は相槌を打った。そして少し間を置いて− 手:〔僕、読唇術出来るから全部手話で話さなくても大丈夫だよ。〕 −と言った。彼女の返答を見た私は手話で「分かった」と返した。 「そう言えば君、名前なんていうの?」 私は彼女が読みやすいようにゆっくりとした口調で尋ねた。 私の質問を理解した彼女は手話表現と指文字を使って自己紹介した。 私はそれを読む。 「ん?何何?「森」・「宮」・「あ」・「す」・「か」…「森宮あすかちゃん」で合ってる?」 私の問いに彼女はコクコクと頷いた。 私は安堵して小さく息を吐く。一拍置いて私も自己紹介する。 「私は工藤晶。分かるかな?「く」・「ど」・「う」・「あ」・「き」・「ら」だよ。よろしく。」 彼女はちゃんと理解したようで小さく頭を下げるとあどけなく笑ってみせた。 その彼女の笑顔に私は不覚にも少しときめいてしまうのだった。 「はい到着。ここが私のお店「メルティ・ハート」だよ。私着替えなきゃだから一緒にスタッフ用の出入り口から入ろっか。本当はダメなんだけど今回は特別ね。」 そう促す私にあすかはコクンと頷いた。 彼女には少しだけ待っていてもらい、私は更衣室で手際よく着替えを済ませた。 「お待たせ。」 手:〔晶さんすごくカッコいいです!〕 「え?そ、そう?」 手話でそう褒められた私は思わず頬を赤らめて聞き返す。 それに彼女は目をキラキラさせてコクコクと頷いてみせた。 私は思わず顔を赤らめる。あすかみたいな可愛い子に褒められたら誰だって照れるだろう。 「じゃあ正面に回ってお店に入って来て。」 そう促す私に彼女はコクコクと頷くと通用口から外へと出て行った。 私は急いでフロントへと回る。 −コロンコローンッ− 「お帰りなさいませ。お嬢様。さぁこちらへどうぞ。」 私はあすかを席へと案内する。 あすかはサンドイッチとサラダと紅茶のシンプルなモーニングセットを注文した。 私はいつも通りの接客スタイルで彼女をもてなす。 あすかは終始表情をうっとりとさせていた。 手:〔ありがとう。すごく美味しかった!〕 「お気に召していただけたようで何よりでございます。お嬢様。」 手話で感謝を伝える彼女に私は執事口調でそう返す。 私のそれに彼女は表情を赤らめた。 その彼女の反応があまりに可愛くて私は無意識のうちに頬を緩めていた。 手:〔あの晶さん、LINE聞いてもいいですか?〕 店を出る間際、あすかがそう訊いてくる。 「勿論!良いよ。あっならスマホ取ってくるからちょっと待ってて!」 「(コクン)」 快く承諾した私は更衣室にスマホを取りに行き、速攻で彼女の元に戻る。 「お待たせ。QRコード出すから読み取って。」 そう述べて私はスマホを彼女の前に差し出す。 あすかは頷くとQRコード読み取って友達認証した。 あすかはスマホの画面を見てあどけなく笑った。 彼女のその嬉しそうな表情を見れただけで私は十分幸せに感じられた。 【今日はありがとう。とっても美味しかったよ。また来ても良い?】 店を出る間際、スマホのメモ機能を使ってそう訊いてくる彼女に私は快く頷く。 それを見てあすかは嬉しそうに笑うと再度私を振り返ると小さく手を振り、店を後にしたのだった。 それからあすかは週2.3回のペースで私の喫茶店を訪れた。 会う回数を重ねていく度に私達の仲は深まっていく。 1ヶ月経つ頃にはプライベートでも交流を重ねるようになっていた。彼女と一緒にショッピングに出かけたりご飯を食べに行ったりたわいない時間を共有したり、一緒に日々を過ごす度に2人の思い出は増えていく。 私自身、彼女と過ごす時間にいつの間にか居心地の良さを感じていた。 それと同時に私の中に友情とは別の感覚が宿るようになっていった。 そう…いつの間にか私はあすかに恋愛感情を抱くようになったのだ。 しかしながら私は、あすかにはその事を悟られないように自らの感情に蓋をして必死に取り繕った。 あすかが私の気持ちに気づいてしまったら、今の関係が壊れるかもしれない…。 私はそれが何より怖かったのだ。 だから決めたんだ…。この感情だけは、何があっても絶対に隠し通すことを…。 手:〔晶?どうかした?〕 手:〈何でもない。大丈夫だよ。〉 手:〔本当?僕に何か隠したりしてない?〕 「えっ?」 あすかのその意表を突くような問いかけに私はドキッとしてしまう。 私はなんとかポーカーフェイスを貫いて「何も隠してないよ」と返した。 私のそれに釈然としないながらもそれ以上聞くのは野暮だと思ったのかあすかは頷くとスマホを取り出す。 《何かあったらいつでも言ってね。僕は晶の味方だからね。》 そう打ち込んであすかは私に見せた。 私を気遣ってそう優しい言葉を掛けてくれるあすかに嬉しいと思う反面、申し訳なさを感じるのだった。 その後、私達は最寄りの駅で別れた。 夜、明日の準備を終えてベッドに入った私はあすかからLINEが届いていることに気付く。 《今日はありがとう。でも晶やっぱり何か悩んでるように見えた。僕に出来ることがあるなら遠慮しないでいいから本当なんでも言って欲しいな。 僕にとって晶は大切な友達だから。》 「あすかにとって私は……大切な”友達“か……」 私の中にモヤモヤとした何かが渦巻いた。 私は徐に目を閉じる。そのまま私の意識はいつの間にか深く落ちていくのだった。 −◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇− 翌日、大学での講義を終えた私はそのままバイト先へと直行する。 そしていつも通り淡々と仕事をこなした。 後1時間頑張れば上がりのタイミングであすかが店に入って来るのが見えた。 「ツっ!」 私は思わずバックに逃げ込んでしまう。 「晶ー、アンタに会いたいっていつもの子が来てるよ。」 「分かってる。でも今ちょっと会うの気まずいんだ…。悪いんだけど紗季に任せて良い?」 「何?喧嘩でもした?」 「うーん…喧嘩…じゃないんだけど…でも今ちょっと顔見たくなくて…」 「ん。分かった。じゃあ今日のところはアタシがあの子の相手するから晶はバックのことしてな。」 「ありがとう紗季っ恩に着るよっ」 私はあすかの接客を一番仲の良い同僚の紗季に任せて私は残りの時間は裏方に徹した。 その後シフトを終えた私は手早く着替えを済ませてそそくさと店を後にしたのだった。 その日の夜、あすかからLINEが届く。 《今日晶が体調崩して早退したって聞いたけど大丈夫?良かったらお見舞い行こうか?それか何か欲しい物とかあったら買って持っていくよ?》 「ツ……っ……」 こんな私の事をあすかはとても心配してくれていた。 あすかからの言葉があまりに優しくて、あったかくて、私の胸は押しつぶされそうなほどに痛んだ。 本気で心配してくれているのに…それなのに今の私は……あすかから逃げることしか考えていなかった。 改めて自分の身勝手さに嫌気が差す。 今のまま会ってしまったら、あすかを傷つけてしまう…。 そう私は直感した。 「しばらく…あすかに会うの…やめよう……」 そう独り言ち、私は悶々とした気分のまま眠りについた。 翌日から私は極力あすかに会わないように心掛けた。 バイト先ではずっと裏方に徹し、大学に行く時は決まって違う道から通学する。 街中であすかっぽい後ろ姿を見た時にはすぐ様物陰に隠れてやり過ごす。 気がつけばそんな生活を1ヶ月近く続けていた。 あすかからも毎日のように私を気遣ったり案じたりする趣旨のメールやLINEが届いた。 しかしながら返信する気になれず、ずっと無視し続けた。 今の私は誰から見ても情けない奴に映ってるだろう。 分かってる….。私自身が一番分かってる…。どれだけ情け無くてみっともないかぐらい…。 「はぁ…いつまでこんなこと続けないといけないんだろ…」 バイトの休憩中、無意識のうちに私はそう呟いていた。 「だったらきちんと向き合ったら?あすかちゃんだっけ?その子と。逃げてばっかじゃいつまで経っても和解なんて出来ないよ?」 一緒に休んでいた紗季が私にそう言った。我ながら全くその通りだと思った。けど− 「もし…本当のことを打ち明けて…でも拒絶されたら……?」 「その子のこと、アンタは信じてないの?それとも平気でそういうことするような子なの?」 「違う!あすかはそんなんじゃないよ!」 紗季のその問いに私は少し声を荒げて否定した。私のそれを聞いた紗季はフッと笑うと「なら気持ちぶつけても大丈夫なんじゃん?」と背中を押すように言った。 紗季の言葉には有無を言わせない説得力が感じられる。 少し思考を巡らせ、私は決意を固めた。 「ごめん紗季!私あすかに会いに行かないと!」 「良いよ。行ってきな。店長にはアタシから話通しておくから。」 「ありがとう!」 私は紗季にお礼を言うと男装のまま店を飛び出した。 《今すぐ会いたい!いつもの待ち合わせの公園に来て欲しい!》 あすかにそうLINEを送ると私は公園へと急いで向かう。 途中、息が苦しくなって何度か立ち止まった。 「はぁ…はぁ……はぁ……」 公園に着いた私は肩で息をして周囲を見渡す。すると視界に見覚えのあるプリムブラウンのロリータ服を着た後ろ姿が映る。 私は一つ深呼吸すると彼女の名を叫んだ。 「あすかっ‼︎」 どんなに大きな声で呼んだところで聞こえないことは分かっているのに…それでも叫ばずにはいられなかった。 しかし、彼女はゆっくりと私の方を振り返った。 そして次には表情をパァッと輝かせた。 私はあすかに駆け寄るとその細い体をギュッと抱きしめた。 私の顔を見たあすかは– 「良…か……った。あ…き…ら…が…元気…で…」 −とか細くもしっかりとした声で言った。 私は思わず面喰らう。 「あすか⁉︎声、出せたの⁉︎」 「(コクン)」 私のそれにあすかは小さく微笑んで頷く。しかし次には眉をひそめた。 「あ…き…ら…ご…えん…あ…あい…!きっほ…僕が……あひらに……あいか…しえしまった…んあよね…あから……あきあ……おおって……ごえん……ごえんね……あ…きら……」 あすかは必死に声を震わせて言葉を紡いだ。彼女のそれに私の瞳からは涙がとめどなく溢れる。 私はあすかの肩を掴んだ。 「もういいっ!もういいからっ!何も言わなくていいからっ! 違うの!あすかは何も悪くない!悪いのは私なんだ!あすかに本音を伝えることを恐れて、そのことで拒絶されたらどうしようって怯えて一方的に避けてた私が悪いだけなんだよ!」 手:〔本音って?〕 手話でそう訊いて来るあすかに対し、私は少し間を置くと自分とあすかを交互に指差し、人差し指と親指を顎の辺りからゆっくりと下に下げ、下げると同時に指の腹同士をくっつけた。 それを見たあすかは顔を真っ赤にした。 それは手話で「私は貴方が好き」と言う意味になる。 そう、私はついに本当の気持ちを打ち明けた。あすかに告白したのだ。 あすかは私の目を見据える。 手:〔嬉しい…。僕も同じだから…。僕も晶のことが前から好きだった…。でも本当のことを打ち明けてもし晶が離れて行ったらって思うと怖くて言えなかったんだ…。僕の秘密…〕 手:〈秘密?〉 手:〔僕ね、本当は男なんだ。本当はもっと早くに言いたかった…。でも言えなかった…。初めて出来た同年代の友達だったから、失うのが怖かった…。ただの友達なら別になんとも思わなかったけど、晶は僕にとって大切な人だから…だから打ち明けて嫌われるくらいならいっそこのまま伝えないでいようって思った…〕 手:〈知ってた。ううん、なんとなく感じてた。〉 手:〔そうなの?じゃあ僕が本当は男って気づいてて一緒にいてくれたって事?こんな…気持ち悪い僕なんかと…?〕 「何でそう思うの?あすかは今の自分が気持ち悪いって本気で思ってるの?だったら何でそんな格好してるの?好きだからなんでしょ?なら自信持ちなよ。少なくとも私はあすかがどんな姿でもあすかのことが好きって気持ちは変わらない。それだけは伝えておくから。」 私は今思っている本音の全てを彼女−否、彼に伝えた。彼が読み取れるようにゆっくりと、丁寧に。 刹那、あすかの瞳から宝石のようにキラキラとした涙が溢れ、白い頬を伝って落ちる。 綺麗な栗色の瞳は涙でゆらゆらと揺れていた。 手:〔……今までそんな優しい言葉言われたことなかった…。ずっと…「気持ち悪い」って言われ続けて来たから……。だから本当は、女装ももうやめようって…思ってて…でも晶はこんな僕を真っ直ぐに受け止めて…受け入れてくれた…。僕…晶に出会えて本当に良かった…。 僕も晶が好き…!大好き…!だから……僕と正式にお付き合いして下さい!〕 手:〈勿論。これからも一緒にいよう。こんな私で良ければよろしくね。〉 「こ…ちら…こそ…よろしく…お願いします!」 私はあすかの手を取ってそう返す。それに対し、あすかは涙を浮かべつつもあどけなく笑うとか細くもしっかりとした声でそう言った。 こうして私とあすかは晴れて恋人同士となったのだった。 そして同時に誓った。何があっても私があすかを幸せにしようって。 −3年後− 大学を卒業した私はこの春から介護福祉士として介護施設で勤務している。 しかも手話通訳士の資格も取ることが出来た。 この3年間あすかにサポートしてもらいながら勉強を頑張った努力が実った。 資格を取れたことを伝えるとあすかは自分のことのように喜んでくれた。 そして私は、あすかが22歳の誕生日を迎えるのと同時にあすかにプロポーズした。 初めは彼も驚いていたが、気持ちは同じだったようですんなりと私のそれを受け入れる。 こうして私とあすかは恋人から晴れて夫婦となった。 見た目はあべこべだけど、あ互いに想い合う気持ちが有ればそんなのは関係ない。今ならはっきりとそう思える。 「一生幸せにするからね。あすか。」 手:〔約束だよ。〕 私とあすかは手を握り合うと徐に唇を重ねたのだった。

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男装女子、女装男子に恋をする

お前は何をしに来たんだ?

1月1日、2025年の始まりを告げる今日は一年で一番めでたい日だ。 世間は皆お正月ムード。 なのに私は− 「何で働かなきゃいけないのよ…!本当なら休みのはずなのにぃぃ…!」 −昨日の夜、急に店長から半ば強制的にシフトを変わってくれとお願いされた。 なんでも家族と急遽出かける用事ができたらしい。 確かに私は年齢イコール彼氏なしのフリー女ではある。しかし元旦の予定が全く無いわけではない。 現に今日、朝から友達と初詣に行く予定にしていた。だがアホな店長のせいでその予定は見事に御破算となった。 「なーにが「みゆちゃんどうせ彼氏も居ないんだし大丈夫でしょ?」よ!ムッかつくぅぅ!彼氏いなくてもこっちにだって予定ぐらいあるっつーの!あーもうマジでムカつくあのアホ店長ぉぉぉ!」 店内にお客さんがいない事を確かめて私は店長に悪態をつく。 しかし今更グダグダ言っても仕方ないので仕事はちゃんとすることにした。 私はバックヤードの整理や棚の陳列などを行いつつお客さんが来たらビジネススマイルを浮かべていつも通りに接客する。 しかしながら今日が元旦ということもあって昼前には店内のお客さんはゼロになった。 私は一息つこうと事務所からパイプ椅子を持ってきてレジ前で少し小休憩を取っていたするとその時− −ピンポーン ピンポーン− 「おいっ!この袋にありったけの餅よこせっ!」 −強盗が店に押し入って来た。手にはナイフが握られている。 驚きのあまり私は椅子から転げ落ちた。 「はっ⁉︎ご、強盗⁉︎」 「さぁ早くこの袋にあるだけの餅を詰めるんだっ!」 「は、はいっ……ん?も、餅?今餅って言いました?お金じゃなくて?」 私は男が袋に詰めろと言った物を耳にして思わず聞き返してしまった。 「そうだよ!餅だよ!あるだろう!早く詰めるんだっ!」 (あれ…?ちょっと待って…?この人って強盗……だよね?何で、餅……?) 「あ、あのー、一ついいですか?」 「なんだよ!早くしろよ!」 「何で餅を強盗しようと思ったんですか?近くのスーパーとかにいっぱい売ってますよね?」 恐怖より疑問の方が勝ってしまった私は冷静さを取り戻し、そう男に聞いてみる。 私の問い掛けに男が答えた。 「今ウチに餅なんて高いもん買う余裕はねぇんだよ!でもどうしても今日餅が食べたくなってだが買う金がないからこうして餅強盗しようと思ったんだ!」 (何だ?餅強盗って。生まれて初めて聞いたぞ?) 「あーなるほど。まぁ取り敢えず警察呼びますねぇ。」 そう言って私は電話の受話器に手を伸ばす。 それを見た男は諦めたのか袋を持ってそそくさと逃げてしまった。 「何だアイツ?」 あまりにアホすぎる男に私は呆れすぎて思わず本音が漏れた。 まぁ取り敢えず何も盗まれなくて良かったから結果オーライかな。 「一難去ったしひとまず後半日頑張るとしますか。」 背伸びしてそう独り言ちた私は再び仕事に戻るのだった。 あ、ちなみにあの餅強盗は別のコンビニに押し入ったところあっけなく捕まったらしいよ。

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お前は何をしに来たんだ?

狂い愛

俺、本郷綾人は生まれてから今に至るまで人を信じたことはない。 信じた結果裏切られた時の自分が惨めに思えるから。 親も、友達も、親切にしてくれる周りの人達も、俺にとっては信じるに値しない対象として映ってる。 恋愛に関してもそう。俺は本当の愛を知らない。知りたいとも思わない。 幼少の頃から異性に告白されることは何度かあった。 しかし俺は誰とも交際しようとは思えなかった。何か別に目的を持って近づいて来たとしか思えなかった。だからことごとく振ってきた。 しかしどれだけ振っても擦り寄ってくる異性は絶えなかった。 だから俺は高校に入った時にやり方を変えることにした。 告白された時にある2つのことを要求するようにしたんだ。 けど、誰一人として受け入れなかった。 まぁ、当然だろう。 普通の人ならまずやらないようなことなのだから…。 つい最近も一年の女子から告白された。 −「本郷先輩、好きですっ。私と付き合って下さい!」− −「何で?」− −「へ?何でって…?」− −「何で俺と付き合いたいの?」− −「好きだからです。貴方のことが。」− −「ふぅん…俺のことがねぇ…。まぁいいや。ならこれに記入して。」− そう言って俺は告白してきたその子に自作の誓約書を差し出した。 彼女はそれを恐る恐る受け取って目を通す。 −【誓約書】− 【1.付き合うにあたり他の男性の連絡先を全て消すこと。 2.建前で話さないこと。 3.当人の言うことに必ず従うこと。 4.許可なく触れないこと。 5.いかなる場合においても嘘をつかないこと。 6.理由なく側を離れないこと。 7.愚痴、陰口を言わないこと。 注:これらの誓約に僅かでも反する言動をした場合、またはしようとした場合には殺します。ご了承下さい。】 −「え…な、何これ…⁉︎じ、冗談…だよね…⁉︎」− 震え声でそう聞いてくる彼女に対し俺は冷たく笑って見せる。 それを見て冗談ではないと悟った彼女は誓約書を投げ捨てると一言「最っ低!」と吐き捨てて去って行った。 まぁそういうことだ。告白してきた相手に俺は必ず誓約書を書かせる。少しでも渋ったり反発したりすれば好意以外の何かを持って俺に近づいてきたと判断し、場合によっては力づくで吐かせる。 俺はこの手ですでに10人以上の相手をシャットアウトしてきた。 初めは媚びるような態度を取ってくるが誓約書に目を通すと全員醜い本性をむき出しにしてくる。 その瞬間が俺にとって一番スカッとするんだ。 外見でどれだけ取り繕っていたとしても所詮内面には利己的で傲慢な本性を飼っているのだと分からせるあの瞬間が…。 俺はこれからもそうやって生きていく。人を愛することも信じることも俺にとっては何の意味も価値も見出さない無駄なものなのだから。 「あの、綾人君、今ちょっと良いかな?」 その日、帰路についていた俺を一人の女子が正門前で待ち伏せていた。 「何?なんか用?」 「うん。大事な用だよ。」 「何?まさか告白でもするつもり?」 相手が考えていることを先読みして俺はそう訊く。 俺の問いにその子は明らかに驚いた表情を浮かべていた。 「図星って訳?」 「う、うん…」 照れくさそうに俯く彼女に俺は鞄から誓約書を取り出して彼女に渡す。 「はいこれ。俺と付き合いたいならこれに名前書いて。」 受け取った彼女は紙に目を通す。そして数分後には怯えた顔で俺を見た。 「何…これ…何で……⁉︎」 「俺のこと好きなんでしょ?だったらサイン出来るよね?」 「で、でも……こんなの……」 「はぁ…君も他の女と同じって訳?サインする気ないなら返して。」 そう言って俺は誓約書を回収する。そしてその場からすぐ様去ろうとした。しかし何故か彼女は俺の前に立ち塞がって行く手を阻んだ。 「何?まだなんか用?帰りたいからどいて?邪魔。」 「何でこんな物書かせようとするの?」 「何でって分かんない?本当に俺のこと好きで近づいて来たのかどうか怪しいからだろ。」 「アンタには人の心が分からないの⁉︎好きで近づいて来たに決まってんじゃん!アンタと一緒にいたいって思うから、色んなこと2人で共有できたら良いなって思うから、だからじゃん!何でそれが分からないのよ!」 唐突に彼女はヒステリックに怒鳴りつけてくる。それに対し俺は僅かに苛立ちを覚えた。 「うるせぇ…どけよ…」 「どかないっ!アンタは間違ってる!要はアンタ自分が信じられるって思う人が欲しいんでしょ!だったら自分から周りの人を信じなきゃ駄目だよ!」 「御託はいいからどけって。」 「どかない!アンタがその歪んだ感情を直すって言うまで絶対にどかない!」 「あっそ…。ならどかなくていいからさ、死んどけ…」 「ううぁっ‼︎…あっ……」 そう告げた俺は制服の内ポケットからナイフを取り出し、躊躇いなく目の前の彼女を刺した。 「ぅ……ぁ………」 血を流して倒れる彼女を俺は鼻で嗤い、その場から立ち去った。 翌日俺が登校した時、学校前にはパトカーが停まっており警察が現場検証や生徒達に聞き込みをしていた。 当然俺も警官から昨日の件で軽く聴取を受けた。 まぁデタラメなことを言ってすり抜けたけどな。 どうやら昨日俺に変に突っかかってきたバカ女は死んだらしい。 教室内も昨日の話で持ちきりだった。 俺は心の中で密かに嗤う。 勿論、罪の意識などないし反省する気もさらさらない。何故なら死んだのは彼女の自業自得なのだから。 −そうして俺はその日、何食わぬ顔で授業を受けてクラスの奴らとバカ話で盛り上がり、1日を終える。 放課後、教室を出た俺は隣のクラスの「一色結由華」といういかにも根暗そうな女子に呼び止められた。 俺は溜息をつきながら振り返る。 「はぁ…またか…。何?俺に何か用?まさか告白とか言わないよね?」 「よく分かったわね…」 「悪いけど無理。俺お前みたいな女子、恋愛対象外だから。」 彼女の気持ちを先んじて遮った俺は早々にその場を離れようと試みる。しかし結由華はそれを許さなかった。 「昨日の犯人、あなたなんでしょ…?」 結由華のその言葉に俺は思わず足を止めた。 「は?何言ってんのお前。何で俺があの女を殺さないといけないんだよ。」 俺のその反論を聞いた結由華はニヤリと口角を上げる。 「あなた今認めたわね…?私、一言も女子生徒って言ってないわよ…?第一発見者か警察か彼女を殺した犯人しか知らない情報のはずよ…? なのにあなたは“あの女“と言った…。つまり犯人は本郷綾人君、あなたということになるのよ…」 「だったら何?俺を警察に突き出す?別にそれでも良いけど?」 俺は開き直ってそう言った。しかし結由華は首を横に振った。 「いえ…そんなことはしないわ…。ただ、そうね…この事を口外しない代わりに私と付き合って…。そうすれば一生誰にも言わないであげるわ…」 「へぇ…良いねお前。分かった。付き合ってやるよ。ただし、これに名前を記入してもらう。嫌なら付き合う話はナシだ。」 そう言って俺は誓約書を取り出して彼女に渡した。 俺はまたどうせいつものように拒絶してくると思っていた。しかし結由華は一切の躊躇を見せることなく誓約書にサインした。 「はい。これで良いかしら?」 「お前…これを見て何とも思わないのか…?自分で言うのもなんだが明らかにヤバい内容だぞ…⁉︎」 「別に?それにその誓約書にサインすることがあなたが私を信じる証明になるのでしょう…? ならいくらでもサインしてあげるわよ…」 「お前…変わってるな…だったら誓約書に書いてある内容を全て承諾すると判断して良いんだな?」 そう問いかける俺に結由華は強く頷く。 それを見て俺は口角を上げると彼女にさらなる問い掛けをする。 「ならお前…俺のために死ねるか?」 「ええ…。死ねるわよ…。愛するあなたの為なら命なんて安いもの…。いくらでも捧げる覚悟があるわ…」 (なんて女だ……けど今までの奴らとは何かが違う………) それが俺が抱いた彼女への感情だった。だがまだ足りない。 まだ信じるに値しない。 口ではどうとだって言える。大事なのは言った事を本当に実行できるかどうかだ。 もし仮にこの女が俺のために死ねると言うのなら− 「だったら…今ここで自殺してくれ…」 「は…?」 −俺は彼女にそう告げた。それを聞いた結由華は面喰らう。 俺はその表情の変化を見逃さなかった。 「今言ったよな?俺のために命を捨てる覚悟があるって…。なら今ここで俺の目の前で死んでみろよ…。俺のこと好きなら、愛してるなら出来るだろ…?」 そう言って俺は勝ち誇ったように嗤った。 どうせ出来やしないと確信しているから。 愛する人にそう言われたからと言って本当に死ぬ奴がいるなら、そいつも俺と同じように狂った人間ってことになる。 だからこそ俺は結由華が絶対に拒むと確信していた。 しかし− 「ええ…良いわよ…。愛するあなたの為なら…ふふふ……」 −そう言って妖笑を浮かべた彼女は機敏な動きで俺の制服の内ポケットからナイフを奪うと躊躇なく自分の腹や胸を嗤いながら何度も何度も刺した。 そして数秒後にはその場に崩れ落ちる。 さすがの俺も僅かに驚かされた。本当に自殺するとは思っていなかった。 俺は徐に彼女に近寄る。 結由華は最後の力を振り絞って血で真っ赤に染まった手を伸ばしてくる。 俺は彼女の手に自分の手を重ねた。 「ひゅー………ひゅー………かはっ……こ…れで……わ……たし……が……あなたの……ことを……あい……してる……って……証明に……なっ……た……でしょ…………」 そう言い残し、結由華は息を引き取った。 「まさか…本当に死ぬなんてな…。クククッ……面白い……。良いよ…。約束通り付き合ってあげるよ……君とね……」 そう独り言ちた俺は彼女の遺体を抱き上げると校舎を出て裏山へと向かった。 ようやく本当に信じられる人と付き合えた記念日だと言うのに誰かに邪魔されるなんてごめんだからな…。 「今の君……とっても綺麗だよ……血の気の失せた白い肌も……血で染まったその赤い制服(ドレス)もね………結由華……君の全ては……俺の物だ………」 そう独り言ち、俺は不敵に嗤った。 −その後、この俺「本郷綾人」と「一色結由華」の姿を見た者は誰も居なかった…。−

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狂い愛

聾将のヒューフナー 3

−この物語はフィクションであり実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。− −イルドアとの戦いにおいて勝利を収めた帝国軍。しかし…エルヴィンが受けた代償はあまりに大きかった…。− −[第三章]− 翌日、今回の作戦において功績をあげた者達への表彰・昇格式が行われた。 「ウィリバルト・フッテン 大尉、貴官の此度の功績を讃え一級鉄十字を授与する。」 「はっ!」 「アウグウト・カール・ゲルト・フォン・レーナー、貴官の此度の功績を讃え、一級戦功十字章を授与するとともに中佐に昇格させる。」 「はっ!」 「フリードリヒ・ベイルマン、貴官の此度の功績を讃え、騎士戦功十字章を授与する。」 「はっ!」 「オスマン・プライエント、貴官の此度の功績を讃え、同じく騎士戦功十字を授与する。」 「はっ!」 「ハンス・ベーリッツ、かの者に騎士戦功十字章並びに騎士鉄十字章を授与する。そして名誉の戦死による特進に伴い中尉に昇格させる。」 ハンス・ベーリッツ…彼はエルヴィンと共に第六師団へと入隊し、同じ歩兵として戦いに従事してきた勇猛果敢な将兵であった。しかし、イルドア軍の音響爆雷の至近弾を受けて致命傷を負い、そのまま命を落とした。 「フリッツ・カーター、かの者に柏葉・剣付き騎士鉄十字章を授与する。さらに名誉の戦死による特進に伴い大尉に昇格させる。」 彼にもハンスと同じように名誉の戦死(二階級特進)が言い渡された。 そして− 「エルヴィン・ヒューフナー、此度の作戦においてかの者は優れた戦術腕並びに戦略眼でもって帝国に勝利をもたらした。よって、その功績を大いに讃え剣付き二級鉄十字章、一級戦功十字章、一級鉄十字章、戦傷章を授与するとともに少尉に任官する。」 今回の戦いにおけるエルヴィンの功績は高く彼には多数の勲章そして陸軍少尉の階級が与えられた。 しかしながら本人は怪我の療養の為に今は陸軍病院に入院していた。 「………。」 −コンコン− 「失礼するよ少尉。」 彼の元にバルナバス大佐が面会にやって来る。 人の気配を感じたエルヴィンは大佐の方に視線を向けた。 「此度の貴官の功績には目覚ましいものがあった。イルドアに勝利できたのはひとえに貴官が立てた作戦のお陰だ。改めて例を言う。ありがとう。 それと、遅ればせながら昇進おめでとう。エルヴィン・ヒューフナー少尉。」 「…?」 「エルヴィン少尉?首を傾げてどうしたのだ?」 「…??」 「おい少尉、本当にどうしたのだ?まさか嬉しくないのか?」 「………」 「おい少尉!」 そう問いかけられるも大佐の話している内容が理解出来ず、エルヴィンは俯いた。 そんな彼の態度が癇に障ったのか大佐はわずかに声を荒げて彼の肩を掴んだ。 それに対し、エルヴィンは表情を強張らせると傍らに置いてあった手帳を取る。 【申し訳ありません大佐。何か気に触ることを私がしたのであれば謝罪致します。なので私が何かしたのであれば教えて頂けませんか?】 エルヴィンは手帳にそう書いて大佐の前に差し出した。 それをみた大佐は驚愕してエルヴィンの方を見た。 「少尉…貴官、まさか……耳が……⁉︎」 【少尉、貴官まさか耳が聞こえないのか⁉︎】 大佐は手帳にそう書いてエルヴィンに見せた。 それに彼は小さく頷く。 それを見た大佐は言葉を失った。 【すまなかった…。】 筆談でそう詫びる大佐に対し、エルヴィンは首に横に振った。 【それよりハンスは…?ハンスは無事なのですか?】 筆談でそう問い掛けてくるエルヴィンに大佐は表情を曇らせると答える。 【彼は……戦死した…。敵が放った音響爆雷の至近弾を受けてな……】 「ツっ………く………」 大佐のその返答を見たエルヴィンは悲痛に表情を歪めた。 【また来る。しっかりと療養に務めろ。】 そう書き記して大佐は病室を出ていく。 エルヴィンはベッドの上で深々と頭を下げるのだった。 −コンコン− 「失礼します。」 「おぉ、バルナバス大佐か。遠路はるばる大変だったろう?まぁかけなさい。」 「はい。」 「彼の容体は部下を通してあらかた聞いているが、かなり酷いようだね。」 一呼吸置いてオスカー・フォン・ヴィンフリート准将は煙草を咥えながらそう切り出す。 *[フリッツ・オスカー・ベルンハルト・フォン・ヴィンフリート:帝国軍参謀本部戦務参謀次官] 「ええ…。脚の怪我は暫く療養すれば治りますが……ただ、聴覚に関してはもう二度戻らない可能性が高いと…」 「誠に遺憾なことだ。彼は此度の戦いでビーラー中将を支え、帝国に勝利をもたらした英傑だからね。 だが…耳が聞こえないとなると……」 「このまま、軍を退役させる他ない……そうですね?」 「うむ。それが本人にとって一番良いことであろうな…」 「ツ………」 大佐はそれ以上何も言うことが出来なかった。 准将との話し合いを終えた大佐は一度コルベア司令部へと戻るのだった。 −◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇− 「ただいま戻りました閣下。」 「うむ。ご苦労。して少尉の容体はどうであった?」 「思いの外深刻なようです…。私自身、かける言葉が分かりませんでした…。」 「まぁ、そうであろうな…。大佐、貴官が気に病むことはない…。」 彼の心情を慮った中将はそう言った。 「ええ…。それと少尉のこれからですが、閣下はどのようにお考えですか?」 大佐のその問いに中将は腕を組んで表情を曇らせる。 「あのようなことになってしまった以上、彼がこの先も軍務にくいていくことはハードルが高すぎる上にかなりのリスクが生じるだろう…。 最終的な判断はエルヴィン本人に任せるつもりだが、ただ私としては続けることは推奨出来ない。」 「そうですね…。少し時間を置いて再度私の方から少尉に話をしてみます。」 「ああ。頼んだぞ。」 「はっ!ではこれで失礼致します。」 報告を済ませた大佐は中将の執務室を後にするのだった。 今回の戦いに於いてエルヴィンの功績を評価していたのはバルナバス大佐だった。 だからこそ彼があのようになってしまったことに一番ショックを覚えていたのも大佐であった。 だからこそ大佐は自分に出来うる限りの全てでもってエルヴィンを支えようと心に決めるのだった。 −エルヴィンは、療養とリハビリの為に陸軍病院での一年間の入院生活を余儀なくされるのであった。−

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聾将のヒューフナー 3